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取り敢えずは、直球を投げたいと思う。保育所での保育の質を問う声は多いのに、なぜ、幼稚園での幼児教育の質は問われないのか?例えば、認定こども園へ移行させるために始まった幼稚園の預かり保育=延長保育。実態は、アルバイトの職員を配置、ところによっては、ビデオを見せているだけで、お昼寝したい子どもがいてもお布団の用意さえない。こういうところ、保育所育ちの親子には文明との衝突くらいの違和感、インパクトがある。保育は生活支援、幼児教育は教育。親が子どもを託すときに、どちらを選びたいか?と言えば、当然前者だろうと思う。そりゃ、4、5歳児はかなり自分自身の身の回りのことができるようになっているし、何より3歳児未満と比べて、簡単には死なないくらいに丈夫。しかし、働く親にとって、安心を提供出来ているのはやはり保育所での保育なのだとも思う。その違いはどこにあるのか?と問えば、幼稚園児は通常保育を終えれば、あとは母親に子どもの養護責任を返すシステムでなりたっているものだから、だ。一日のうち、たった4時間の集中プログラム。それが幼稚園なのだけれど、子どもは24時間活動している。あとは保護者にお任せで成り立っている幼稚園と生活の大半を支える保育所との違いは明らかだ。子ども・子育て新システムで論争ポイントのひとつになった幼保一体化。幼稚園昨日と保育園機能のよいところを一体化させた総合こども園化を進めるというもの。真っ先に出されたのが、すでに幼稚園と保育園とがひとつの施設に併設された形の認定こども園制度があり、平成24年現在、911件が認定を受けている。すでにある制度と同じものなら、既存の制度を改良して行けば良いだけではないのか?それなのにん、なぜ総合こども園と名前を変えるのか。認定こども園と総合こども園、どこが違うの?違いは、ほとんど感じられない。幼稚園と保育園というそれぞれが文科省と厚労省という別の省の管轄下にある施設を、ひとつにまとめようとすることから生じる認定申請の手続きの煩雑さ。幼稚園は都道府県、保育園は市区町村が直接的には監督するため、設置後も、何かと言うとそれぞれにお伺いを立てなくては行けない。書いているほうも混乱してしまいそうな、煩雑な施設が、何故誕生したのか。同じ子どもが通う施設なのに、親の就労の有無で施設が違うというのはどうなの?幼稚園ってお弁当食べたらおうちに帰るけど、午後も子どもを見てくれるといざというときありがたいなあ。でも、預かり保育は、子どもの成長を充てにして、保育所のそれと比べたら、内容は明らかに貧しい。幼稚園に託しているというだけで安心している親御さんの信頼を裏切っている可能性は否めない。でも、幼稚園の実態はなかなか明らかにされていない。建学精神、理念と言えばかっこいいけど、今、幼稚園で行われている幼児教育に疑念を抱いている。保育には養護と教育。では、幼児教育は教育だけなの?多分現場で奮闘している教諭たちは否を唱えるだろう。しかし。社会的には奮闘部分は保育所でのみ認められ、幼稚園では教育が行われているからと、実態を問うことなく、何となく高尚な雰囲気のみをそこはかとなく伝えるのみで、誰もまともに検証しようとしていないように感じる。教育という言葉だけで思考停止?それ、おかしくないか?
2012.06.06
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現在、国会で審議中の社会保障と税の一体改革法案で反対勢力の猛烈かつ執拗な攻勢に合い、今回、初めて社会保障に組み入れられようとしている子ども・子育て支援分野が、またもや窮地に追い込まれている。自民党政権時代から、ともかく認可保育所を増やせ、なくすな!と、はがきやファクシミリを関係者に向け大量に送りつける戦法を繰り返して来た反対派に、子どもは家庭に押し付けておきたい前政権党とがタッグを組んだ。保育所と言えば、一応は子どもと親の味方という位置づけだったのに、働きながら育児をする親が大嫌いなはずの超保守な人たちとがタッグを組むなんて、気持ち悪いよね?でも、事実なんだ。悪いけど、あなたがた、保身と勝手な価値観の押しつけをしたいだけで、子どものことも親のことも全く考えていないでしょ。それなのに「子ども・子育て新システムは児童憲章と 児童福祉法に反する」なんて、よく言えるよ。同じ会合で、タッグ組んだ相手が「子ども分野には財源渡さない」と言ってるんだよ。おかしいだろう、それは。保育所で子どもと親のために一所懸命立ち働く保育士の方々には頭が下がる。が、申し訳ないけれど、保育所という施設、制度そのものは雇用対策であって、子ども・子育て支援とは言い難い。働き続けるには、働いている間、子どもの面倒を見る人が必要だからね。それなのに、子育て支援という言葉が使われるとき、多くの場合、保育施設の話だったりする。おかしいだろう、それは。本当にわかっているんだろうか?保育所って「保育に欠ける」と認められた子どもたちが過ごす場所。でも、哀しいことに、今、保育に欠けていないと認定され在宅で育てられている子どもたちにこそ、救いの手が必要だってこと。ほら、大阪市で遺体となって発見された幼児さん二人は保育に欠けた状態だったのに、保育所とは無縁だったんだよ。ほかにも、子どもが犠牲になった事件で、地域の子ども関連施設と縁がなかった例は多い。さらに、貧困と認定出来る低所得世帯に専業主婦が増えているというデータもある。これらを、どう考える?現実に、0、1、2歳児の7割以上が自宅で過ごしている。地域の関係も薄く、サポートも少ない。東日本大震災被災地でのヒアリングでも、直後に最も情報不足で困窮していたのは、乳幼児家庭と高齢で一人暮らしの世帯だった。高齢世帯の状況も深刻だが、子育て家庭の状況も深刻だ。本当に必要なこと、現場のこと、実情について、わかっていない人ほど、新しい動きに反対している。そう受け止めざるを得ない。民主党政権になってから、何だかものが言いやすくなったと言ったのは我が母。しかし、あっという間にある種のことに対してはものが言いにくい同調圧力も一方で働いている。それにしても、だ。現政権党はあまりに相手の意見に耳を傾け過ぎているのではないか?と思う。拝聴する姿勢は好ましいが、耳を傾け過ぎるのもまずいだろう。何より周囲が誤解するじゃないか。そういうことはともかく、本当に今、なんとかしないと、女性は誰も子どもを生まなくなるだろうし、若い世代ほど、あほらしくて将来のことなんて考えたくないてな状況は加速して行くと思うよ。
2012.06.01
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Very Merry Christmas♪( ↑ 先日娘がTDSから写メで送って来てくれたクリスマスツリー)娘の成人式の準備のため、銀座通りを行ったり来たりの昨日。買い物を終えて行きつけの絵本屋さんで一息。おいしい紅茶とコーヒー、焼き菓子。ここのタルトタタンも絶品だよ。小さな方が手をふりふり店内を闊歩。その様子があまりに愛らしくて、娘と二人、釘付けになる。「そういえば、サンタクロースなんていないと気づいたのは いつだったけ? 小学校に上がるころには、いないと思っていたかな」娘の告白に少なからず衝撃を受ける。「友達のほうだって、いないと思ってるなんて言ったら プレゼントがもらえなくなるからって 親に合わせてる子が結構いたんだよ」おとなに合わせてたってこと?「小2の頃、朝Nちゃんを迎えに行って 「サンタクロースなんて本当はいないんだよ」と言ったら、 「子どもの夢を奪うようなこと、言わないでね」と Nちゃんのお母さんに叱られて、 大泣きしながら学校に行ったんだ」「でも、Nちゃんだって、いないって知ってたんだよ」はあ。そういう顛末があったこと、今初めて知りましたわ。子どもって奴は、そうやって“真実”に気づきながらも、おとなたちの振る舞いから、知ってしまった“真実”と現実との違い、落差との折り合いの付け方、付き合い方などを学んでいくんだろう。多くは言わぬが花。
2011.12.25
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週1の子育てひろば「じいちゃんち」でのクリスマス会。プレゼントの準備があるので事前申し込み制とした。急に寒くなって来たものだから、キャンセルがあり、キャンセル待ちの方々に急遽ご連絡したのだが、キャンセルなさった方々はみなひとりっこちゃんで、キャンセル待ちのみなさまは兄弟だった。で、当日になって苦慮したのは、プレゼントに入れるべくスタッフが手作りしたマフィンが足りなくなってしまったこと。未満児ちゃんにはまだお菓子は食べられないことから、そちらの分を回して、なんとか完了。あたふたと準備をしていたら早くもランチタイム。クリスマス会のスタートを13時からとしたためか、利用者さんでランチをご一緒したのは常連のMちゃんちのみ。そこに、本日の取材の方が到着。2歳と4歳の2児のパパ。北国から異動して3カ月とのこと。彼の地では小学校に子育てひろばがあったそうで、お子様方とお連れ合いは、そのひろばをご活用。現在は、上のお子さんが通う幼稚園の母親コミュニティでランチや遊びのお誘いが頻繁にあるとか。転居先で早々とコミュニティに入れてよかったね♪ともかく、目下のところは育メンからイクジイへとマスコミの注目が移りつつあるようで、取材やら視察の多いこと。このたびも新聞のイクジイ特集の一環なのだそう。前々回取材に見えたラジオ局からは番組収録CDが届いていた。とてもうまくまとめられていて一堂感心。さて、「じいちゃんち」のクリスマス。ピアノで弾き語りをしてくださるMさんが来てくださった。子どもたち全員の名前を事前にメモして、順番に「お名前は?」と歌で呼びかけ。「はーい」と親子で手を挙げお返事するたび参加者全員から拍手を受ける。子どもたちの誇らしくも嬉しそうな顔!手遊び歌では子どもスタッフを募り、保育園や幼稚園に通うおにいちゃま、おねえちゃまが3名並ぶ。彼らのお役目は、歌と振り付けのお手本。じいじからクリスマスのお話のあと、賛美歌を歌う。歌っている間にじいじは別室へ移動。歌い終わると、わーい♪ サンタクロースが登場。(もちろんじいじが扮装)ひとりひとりお名前を呼んでプレゼントが手渡される。月齢やご本人の顔を思い浮かべながら保育のベテランKさんが詰めてくださったもの。キティちゃん好きな女の子にはキティちゃんグッズ、フィギュアマニアの男の子にはヒーローのフィギュア。手提げ袋を開けた子どもたちの嬉しそうな顔、顔、かお。ほどなくして、今度はおとな向けにシュトーレンとクッキー、チョコレートが振る舞われる。シュトーレンとクッキーはじいじのご近所の洋菓子屋さんからのご厚意。そして、ママたちの交換プレゼントタイム。実はこれをうっかり忘れていて、お昼ご飯を調達のついでに、こっそり購入。レシピ付きのハーブ塩。これは、プレゼントを忘れて来た方にお譲りして、交換の様子を見学させていただく。ゲットしたプレゼントは、その方と山分けした。その後は、自由にわいわいと賑やかに過ごすフリータイム。男の子同士は気が合うらしく、数人連れ立って何やら密談。署名用紙を持っていらした方があって、その趣旨をお話しした後に、ご意思のある方には署名してもらえるよう、別室を用意。取材にいらした方も、未満児ちゃんを抱っこしたりして、ちっちゃな方々とのふれあいを満喫。「懐かしい軽さだ~」って、自称でなく、本当に育メンなんですね。よほど楽しかったのか、「帰らないー!」と泣き出すおこさまもあり。帰り道、心地よい疲労感。署名用紙を見たときには驚いたけれど、これは、友人の多くも関わっている原発市民投票の東京都版。持って来た方に友人の一人の名を挙げたら、「初めて出会った、この人に投票したいと思えた人なんです」とおっしゃっていた。よかったね、Nさん。今日のような、ささやかではあるけれど幸福感に満ちた日々が、いつまでも続くよう、未来を見据えた動きが静かに着実に浸透している。晩ご飯のおかずを考えるように、社会のことにも想いを馳せられたら。次はぜひ、原発以外の社会の動きにも目を向けてみて。
2011.12.21
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子どもの発達に関する講演会を受講。講師は敬愛するK先生。理屈っぽいと言いながら確実に笑いを巻き起こすK節は今日も健在。以前からK先生を紹介したいと思っていた若い友人も誘い、彼女はお子さま二人を連れての参加。K先生のお話を踏まえて、子どもの居場所アンケートまとめの座談会を振り返ると、事態の深刻さがさらに実感できるなあと改めて思う。世の中が便利になるのも考えものか。(現在、渡辺京二さんや國分功一郎さんの著書を読み進めているので、 さらにさらにその思いは強まっているのも事実)主催者のTさんにご挨拶して、じいちゃんちともつながろうと約束。で、午後の予定はまさにじいちゃんちへ若い友人親子をお連れしようというもの。最寄り駅でさらにもう一組の親子も加わる。休日開催でもあり、おしゃべりカフェ常連のWさんにじいちゃんちWEB担当のSさんもご参加。絵本読み聞かせの時間が近づくと、次々に小さな方と親御さんがご到着。一気に賑わうじいちゃんち。手遊び歌を交えて読んでくださった絵本は3冊。一番のおすすめは「これはお家に帰って親子で読んでくださいね」とご紹介のみで終了。なかなか素敵な紹介の仕方だなあ。パワーを持て余す5歳児男子を近所の公園に誘ってみる。こじんまりとしているが、なかなかよい公園だ。登り方が3種類しつらえられている滑り台と鉄棒があるだけ。ただし、この滑り台に登るにはからだ全身を上手く使わないと無理というワイルドなもの。一番手強そうなアプローチにトライしてみたけれど、足の置き場や重心の掛け方などに工夫が必要。チャレンジ精神が無いと登れないかも。わいわい遊んでいると、おとな二人を引き連れて6歳児の女子が登場。さすがに幼児期完成期とあって、一番手強いアプローチを上手く登って行く。さらにはそこから下りて行くじゃないの!実はこれも下りは滑り台としても使えるんだということが彼女のおかげで判明する。遊び足りない3人をなだめすかして一旦戻る。いつもは未満児ちゃんたちのお昼寝とおむつ替え用に使わせていただいている寝室では、工作大好き女子が、わんぱく盛り絶好調の2歳児と遊んでいた。そこに6歳児女子Mちゃんも工作に加わる。Mちゃん、2歳児男子のKくんがことのほかお気に入り。Kくんが駆け足で部屋を出て行くと、追いかけて行く。Kくんをそばにいさせて、かわいがりたくて仕方が無いみたい。Mちゃんの妹Yちゃんは、ゆっくりゆっくり発達している。療育のために親御さんは育休を1年延ばした。Yちゃんがお耳が聞こえなかったら自分が手話を覚える、歩けなかったら、抱っこするそう言って泣いたこころ優しいMちゃん。お耳は聴こえるし、Yちゃんなりに発達目覚ましいのだけれど、やはりとってものんびりやさんだ。KくんへのMちゃんのこだわりようを眺めながら、もしかすると?とはっとする。Mちゃんのことが急に愛おしくなる。お片づけの時間が来ると、子どもたちも親御さんたちも一斉にお片づけを始めてくださる。今日は洗った食器を拭いてくださる方までいらした。あっという間に片付いて、あっという間にみなさまお帰りになる。5歳児男子と6歳児女子はまたまた公園に向かったようだ。歓声が聴こえて来たなと思ったら、5歳児男子のかたわれMくんが戻って来た。やっぱり年長児さんたちにはお外遊びが必要だね。ご近所に公園があってよかった。そうそう、絵本の読み聞かせが決まるまでは、今月のイベントは外遊びにしようという案も出ていたのだった。今日は両方出来たね。久しぶりに子どもの外遊びに付き合えて、楽しかった!初対面でも、あっという間に仲よく遊べるようになったのは、さすが5歳児、6歳児。一緒になって新しい遊びをどんどん作り出していた。小さな人たちが、こんなにも素敵なのに、私ったら「高校生ぐらいになって生まれてくればいいのに」なんて思ってたんだよね。そういう話も今日は出来たのだった。ちっちゃく生まれて来たけれど、おかげでたくさん楽しませてもらえた。もちろん楽しいことばかりではなかったけれど、でも、大変だったことも含めて楽しかったよ、今振り返れば。そう思えるようになれたのも、我が子のおかげだ。子どもたちとの暮らしはかけがえのない宝物。「少しずつ、楽になって行くわよ」絵本の読み聞かせをしてくださったEさんも、そんな言葉がけで、母たちを労ってくださっていた。子どもたちからたくさんパワーを授けてもらったから、次は、そのお返しをしなきゃね。
2011.11.23
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そうか、やっぱりこういう風にしかマスコミは取り上げないんだよなあと思いながら、クローズアップ現代を見始めた。おお、大好きなO先生がコメンテーターだ。この話題でO先生以外にきちんと話せる人はいないかも。子ども・子育て新システム。近頃評判が悪いというか、かなり分が悪い。介護保険導入のときにも反対運動の急先鋒だった人靴が、このたびも反対運動を牽引、まだ何も決まっていない頃からブックレットを発行して先行的に反対運動を展開していた。何も決まってないのに、どうしてダメだと決めつけられるのか?不思議だよね。番組の言いたいことは、保育所待機児問題に絡めて新システムでは保育所経営主体に株式会社を積極的に参入させるという方向に向かっていることを伝えつつ、さて、何が言いたかったんだろうか。確かに都市部では保育所潜在ニーズ100万人と言われている。が、過疎が進む地域では事情が全く違う。幼稚園は軒並み廃園、保育所だって統廃合。待機児童は、いない。そんなことよりも、このままでは、集団の中で育ち合い、成長していくはずの子どもたちの居場所すら、確保できない事態に陥る。幼保一体化は、この国の未来の支え手となる子どもたちが、集団の中で育ち合う環境を確保するためのいわば発達保障を担うべく最後の決め手となる政策なのだ。にも関わらず、保育関係者に対し「新システムが成立すれば、保育所は廃園に追い込まれ、 保育士は職を失う」「株式会社が参入し、保育の質が低下する」と、保育士と保護者を脅し、不安に陥れ、反対運動に加担させようという動きが活発化している。勘弁してよね。子育て支援の本当の課題は、そこじゃ無いから。別にどこの政党を押しているというわけではないのだけれど。少なくとも「社会全体で子どもと子育てを支えよう」という趣旨で進められようとしている政策に反対しようと思う現役世代の女性は、いないと思うよ。それが間違った考え方だなんて言ってる自民党は、己のそういったスタンスが、現況を引き起こしたいるのだと猛省すべきだし。O先生は、番組の趣旨そのものに不快感を露にし、キャスターが反論したけれども、(本当はKキャスターのファンの私もさすがにこれはダメだと思った)そのやりとりが、視聴者にどのように受け取られたのかについては不明。幼保一体化に関しては、既得権益との闘いでもある。地方議会で反対決議が出始めているけど、それはひな形を提示した自民党か共産党の文書に所属団体(政党)からの文書だからと賛同した何も考えていない(子育てて苦労している人たちのことよりも 所属政党の利益しか考えていない)人たちが何も考えずに賛同しているだけだからね。本当に、子どものこと、子どもと暮らす人のことを考えているのは果たして誰なのか?今こそ、はっきりすると思うよ。
2011.11.21
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2カ月ぶりにじいちゃんちへ。先週はハロウィン・イベントを催し、15組の親子が集った。その余韻さめやらぬじいちゃんちではあるが、今月半ばにじいちゃんことOさんとSさんが講師として招かれている区の講座担当者以外、お客さんはゼロ。ま、そういう日もあるよね。スタッフのお子さま、Hちゃんと遊ぶ。今日のリクエストは切り絵と折り紙。ご本人は丁寧な手つきながら、四角と三角しか折らない。HちゃんママのSさんと私がひたすらHちゃんのリクエストに応えて、紙飛行機や鶴、紙風船を折り続ける。出来上がったものを、ひとつひとつ「鶴」「紙飛行機」「紙風船」と確認。ふと思い出し、リボンを作る。娘が幼稚園時代に、幼稚園で作り、ヘアピンで頭に止めて帰って来た。作り方は簡単。蛇腹に折って行くだけ。折り終えたら真ん中で折り、そこにヘアピンを付け、頭に止めるだけ。輪ゴムにはさんで、ブレスレットにしていたこともある。Sさんが私が作ったリボンの真ん中をステープラーで止める。「明日、幼稚園ある?」とHちゃん。ともかく幼稚園が大好きなのだ。でも、明日は祝日でお休み。困ったねえ。時間が来て、お片づけタイム。ボールプールに寝転がるHちゃんとボールのお片づけ。ボールを仕舞うビニールバッグを見て、ご近所の母子生活支援施設の運動会での玉入れを思い出す。これを背中に背負って、玉入れ遊びもいいかしら?Hちゃん、今日はじいちゃんちを独り占めだったね。勤労感謝の日に、地元で開催される発達障害のお子さま理解と良きアプローチ法の講演会をSさんにお伝えする。講師がともかく超おすすめのK先生。ひとりでも多くの悩める親御さんたちに聴いて欲しい。もちろん、何の悩みもない親御さんたちにも聴いて欲しいよ。それで、子どもの発達理解が広まるのなら。mixiの日記でも紹介したら、Qさんが早速見てくれた。じいちゃんちのメンバー全員が大好きなHちゃん。少なくとも、ここにはあなたを全面的に受け入れ、応援するおとなと子どもたちがいる。ずっと見守って行くからね。気がつけば、何かしら我が子のことに気がかりを感じている幼子の親たちがスタッフになっていた。自分の居場所づくりでもあるんだな。そんなきっかけづくりが出来てよかった。こういう出会いこそ、セレンディピティ。
2011.11.02
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アンケート報告書のまとめとしての座談会。既に作業部会であれこれ語り合って来たことを参加出来なかったほかのメンバーも交えて意見交換。直前までシナリオはもとより、司会さえ決まっていなかったので、自ら買って出る。昨年1年間はゲストとしておしゃべりカフェに参加して来たYさんに参加者として感じたことを訊ねるところから始める。同じテーマで場所を変えて行ったことのよさ、みたいなものが語られる。さらに、ワールドカフェスタイルの面白さ、「そもそもおしゃべりカフェに参加するまで、 自分の子ども時代のことを振り返ることもなかった」というコメントももたらされる。子ども・子育て支援関係者なら、ほとんどの人がワークショップなどで子ども時代の振り返りを経験しているが、そうでもなければ、ほとんどの人は子ども時代のことを忘れているかも。自分がかつて子どもだった頃に何を考えていたか。どんなふうに暮らして来たか。無意識のうちにも、今現在を受け止める基準はそこにある。別に、それは子ども関係のことに限らないけれど、テーマが「子どもの居場所を考える」だから、自分の判断基準の大本を知るためにも、振り返りは大事。支援者になるならないは別にしても、今の子どもの状況を考えるためには重要な視点だと思う。振り返れば、おしゃべりカフェには随分と多彩な人々が参加してくださった。最後にはお願いして区議会の担当委員会からも参加していただいた。今回、報告書を作成するにあたっては、行政が過去に行って来た子ども自身の意識調査も参考にしている。38年前の調査では、「学校と家庭、地域に対する子どもたちからのお願い」がまとめられていて、そのほとんどが、今回のアンケート結果と同じ内容であることから、ほとんど叶えられていないことも判明した。38年前に子どもだったおとなたちは、自分たちが過去に願ったこと、その内容さえ、忘れている。おしゃべりカフェを振り返ってみて感じるのは、さまざまな希望や要望があがっては来るものの、足りないこと、欲しいものを行政への注文として語ること。さらには、子どもたちがハード面での希望をたくさん語るのに対し、おとなたちはソフト面で解決するしかないと諦めていること。何より、すべてにおとなの事情が優先されている。行政の子育て支援策が当事者の求めることとズレていることは、先のアンケート報告書でさんざん指摘した。だから、まず、当事者に訊いてくれと訴えた。今回もまた、子どもの声に耳を傾け、公共施設の利用についても、ぜひ、その話し合いに子どもたちを参加させるべきだと訴えたい。アンケートを実施した私たちもおとななので、社会的事情についてはよく判っている。が、だからこそ、制約の多い中でそれでも実現可能な策を検討していきたいと思う。どうも行政の側は、出来ない事情説明(言い訳とも言う)ばかりで、実現に向けた話し合いを持つことを避けようとする。もっとも、そこについては、要望を持ち込む市民の側にも多少の工夫は必要で、要望というかたちではなく、実現可能な策を探りながらの提案というかたちで示していく必要はあるだろう。しかし、すごいなあ、と思う。先の子ども手当と子育て支援制度に関するアンケートを実施、報告書にまとめていったときには、子ども手当だけでなく、子育て支援そのものについて新しいビジョンというか方針が示され、さらにはより前向きな各種施策についてもどんどんと発表されて行く、という状況だった。それが、このたびは震災と原発事故という激甚災害はともかく、子ども手当は名目上廃止、所得制限のある児童手当に逆戻り。政局のおかげで、子育て支援を前向きに改革ということさえ、極めて怪しい雰囲気になってきている。自民党なんて、「子どもは社会で育てる」というのは間違った考え方で、0歳児は家庭で育てるべきだと、平気で明言している。現況をまともに把握しているとは、到底思えないね。個人に押し付けて来たから、少子化が促進されて来たことは最早、誰もが認めるところだと思うよ。「おとなの事情」をぐいぐいと押し付けて、子どもたちの居場所・遊び場を奪い、さらに子どもたちの時間を、学びや遊びを奪って来た元凶がどこにあったのか、彼らは考えたこともないんだろう。別に民主党を擁護するつもりはさらさらないけどね。奇しくも17日には、福島の子どもたちが直接政府の担当官僚たちに陳情というか意見表明を行った。直接傍聴に行ければよかったんだけれど、報道されたのは、意見表明をした子どもたちが3.11以降のおとなたちのやりとりをどのように見て来たか、また、身近なおとなたちのどのような意見を聴かされて来たかということを示すような部分だった。「子どもたちの切実な訴え」に対し、「ほとんどまともに答えられなかった官僚たち」という図式。今回の「陳情」を企画した人たちは、そういう図式を提示することで何を求めているんだろうか?子どもたちの集団疎開だけ?報道した人たちは、どこにポイントを置いたのか、報道を通じて、何を伝えたかったんだろう。そして、意見表明をした子どもたち以外の子どもたち、否応無しに避難しなくてはならなかった地域の子どもたち、親たちが決心して自主避難した子どもたちは、今、何を思い、何を望んでいるんだろう。38年前の子どもたちの願いは、ほとんど叶っていないどころか、さらに状況は悪くなっている。それでも、子どもたちは、笑ったり、泣いたり、怒ったり、うんざりしたり、喜んだりしながら、今日も暮らしている。今の子どもたちなりに、精一杯に。そんな子どもたちのために、おとなに出来ることは、なんだろう。それは、必ずしも教育を、居場所を云々ということだけではないはずだ。いや、むしろそれ以外の多くのことの中に、子どもたちのために出来ることがたくさんあるはずだ。
2011.08.18
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このところ事務所で作業を行うのは週に1回。連絡業務のほとんどをメールで行っているおかげ。イベント準備や調査などが本格化する時期には、そんなこと言ってられないけど。チャリティーバザーの売上金から被災地で活動する団体への支援金を振り込むというのが本日のミッション。震災前から関係のあった団体もあれば、GWで初めて訪問、直にヒアリング出来た団体もある。バザーへの提供品もサポーター企業や個人のご厚意で集まったものが主であり、チャリティーバザーだからと会場に赴いてくださった方々のご厚情にも思いを馳せれば、当然、支援候補団体に使途を訊ねる調査は当たり前。その辺り、執行役員に当たる運営委員の方々からは厳しいチェックが入った。避難所から仮設住宅へと被災した方々へのサポート状況が変化する中、必要とされる支援も様変わりしている。避難所では当たり前のようにあった食料支援が仮設住宅では途絶える。人と人との距離も遠のき、孤独感が高まる。もとより、津波で家財一式、家屋、家族までも失ってしまった人たちばかりなのだ。それに加えて、身の安全のために避難を余儀なくされ、今現在の住処にたどり着くまでに何カ所も転々と移り歩かざるを得なかった人々もいらっしゃる。支援が決まった宮城県の団体からは、「お弁当箱と水筒、お米を募集しています」と新たなSOSがもたらされた。義援金の一部が被災した方々に届き始めているとは言え、先の見通しがない中で、現金をそうおいそれとは使えない。外食なんて出来ないから、当然お弁当持参で外出となる。しかし、お弁当箱も水筒も流されてしまい、手元にはない。さらに、仮設に移ったとたん、食料事情が激変する。今回支援が決まった宮城県の団体関係者は言う。「今、現地では、出かける際にお弁当が欠かせません。 で、適当な容れ物に詰めたごはんと カレーや牛丼などのレトルトパックを持参し、 ごはんにレトルトパックを振りかけて食べるのが はやっています。 レトルトのカレーなどで、 それなりに栄養補給も出来るでしょ?ということらしいです」日本人だもんなあ、まずはコメさえあれば、という発想だよね。そのコメすら買えないのが、現地の実情だ。今、このときを生きることも大事だが、この先どうなるのか?と考えれば、まずは現金を残しておくしかない。「みなさん、ほとんど 生活保護対象すれすれのところにいらっしゃるんです」お米と弁当箱、水筒が欲しい。それも“第二新卒”くらいのもので充分。ご家庭の食器棚に奥で眠っているものをご提供いただければ。銀行のATMで支援金を振り込む。しかし、暑いね。アスファルトから立ち上る熱気(というより熱波)で、これ以上の暑さだと呼吸が苦しくなるんじゃないか、とさえ思う。事務所の大家さんと雑談。大家さんは子育てひろばを運営している団体。子どもたちのために連日水遊びのためにプールを設置、見守り役として学生アルバイトも雇っている。ここでの水遊びではプールの使用料を徴収。で、使用料を集めていた矢先に光化学スモッグ注意報発令の情報がもたらされる。本日の水遊びは中止。連日の注意報発令に、子ども子育て支援の現場がいちいち翻弄されている。確かに光化学スモッグを浴びたからと言ってがんになりやすいかどうかは判らないし、そもそも光化学スモッグで発ガン率アップという論文は、恐らくないだろう。光化学スモッグくらいで、がたがた騒ぐなって思う人は、いるんだろうね。しかし、目が痛くなったり気持ち悪くなったりするんだよ。この国が徐々に訴訟社会へと移行しつつあるのは知っているが、これこれこういう事態が生じることがあります、ときちんと伝えておくことは大事だ。大家さんが運営するひろばでは、考えられる限りの情報公開を実践しており、今のところ、情報公開の透明性については特にこれといった非難は届いていないらしい。明日は震災から5カ月。
2011.08.10
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母子生活支援施設の子どもキャンプが、今年は震災もあり、運営法人会長のご意向で、施設内でのお泊まりとなった。で、今日はその初日。本部のある自治体が管理する地元キャンプ場を擁する公園でまずはカレーづくり。そして、お隣の公園にあるフィールドアスレチックにチャレンジ、施設そばのお風呂屋さんで汗を流し、夕食。というのが、本日のメニュー。来年の広報誌編集に向けた取材を兼ね、夜まで参加の予定が、夜に別件が入ってしまった。とはいえ、開村式から参加。木陰にシートを敷いて、荷物置き場兼昼食会場に。さわやかな風を浴びながら、木陰で過ごすのは心地よい。飯ごう水さんは無事に進行。が、カレーづくりで燃料の薪使用量に誤算が。燃料不足で火力が足りず、なかなかカレー鍋が沸騰しない。もしや、生煮えカレー?いろいろ励ましたり、手伝ったりしたあと、M先生、O先生と歓談していたら、第一陣のカレーが届く。ありがたいことに、M先生と私の分まで!カレーライスの容器、スプーン、コップ。すべて牛乳パックをリサイクル利用して作られている。これも、被災して避難所で暮らす方々を思いながら事前打ち合わせのときに子どもたちが作ったもの。ちょっと間違ってたけれど、私の名前も書いてあり、お花や苺のイラストまで添えられていた♪生煮えどころか、煮崩れせずにいい感じで煮えてた。木の周りにセミの幼虫たちが地上に出て来た穴がたくさん。さらに、抜け殻がそこかしこの木々の葉っぱについたまま。子どもたちのほとんどは虫が苦手。セミの抜け殻を見ただけで卒倒しそうな勢いで悲鳴を上げる。食前食後の運動は、専ら弱っている成虫と幼虫の抜け殻で怖がる仲間を追いかける遊びに終始した。怖がってるのか面白がってるのか端から見ているとよく判らない。でも、背中にセミの羽根を入れられただけでパニックになっている子どもを見ると、八割がた、本当に虫が嫌いらしい。ジュニアリーダーさんのひとりが、呆れたように笑う。食後のデザートはよく冷えたスイカ!多分、S先生からの差し入れ。美味しい!いよいよフィールドアスレチックへ移動しようというとき、「光化学スモッグ注意報が発令されました」との連絡が入る。職員が子どもたちに説明していく。そうだよ。大気汚染のおかげで、見えないし匂いもしない脅威がこの国の特に都市部の夏の生活を脅かすようになってから早、40年以上が経つ。怖いのは放射性物質だけじゃなかったんだよ。森の中に位置するフィールドアスレチック。注意深く子どもたちを見守ることで、何とか決行。これを子どもたちがどれほど楽しみにしているかについては、別団体で行ったアンケート調査が示している。健康に支障がなければ大丈夫。午後のおやつはかき氷アイス。子どもたちが戻って来る前に、夜のことを考えて早めに暇乞いをすることにする。一旦自宅に戻ってシャワーを浴び、着替える。途中で本屋に立ち寄り何冊か本を購入。今日のテーマにふさわしい一冊は、これ。「いつだって大変な時代」(堀井憲一郎・著/講談社新書)震災後はともかく、震災前だって「いやあ大変な時代ですなあ」とお互い言い合って暮らしていた訳でしょ?今日の光化学スモッグ注意報をあの方々は、どのように聞き、行動したのかな?と、ちょっと意地悪く考えてみる。
2011.08.09
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今年度に入って第1回目のおしゃべりカフェ。ジャーナリスト夫妻ほか5名が申し込んでくださっていたが、実際に来てくださったのは2組。まあ、この過酷な陽射しの元では、ねえ。1年間のカフェの振り返りとともに小中学生へのアンケートを経て、今年度は乳幼児の親御さんに「あなたのお子さんが中高生になったら」という近未来にも想いを馳せてもらおうということになった。どうしても今現在の対応でいっぱいいっぱいゆえ、つい、自分もかつては10代だったことや、わが子はいずれは中高生になるということを忘れていたり。今、すぐ上の文章を打ち出しながら、「だから、子どもが無事育つのでは?」と思う。今現在のことに集中、全精力を注いでようやく、幼子は育つ。だって、元々幼子にとっては過酷な環境なんだもの、保護者が必死で対処する以外ないだろう。いきなり自己批判モードに突入したようだけど、気にしない。でも、ほら、この先の楽しみとして提示してみれば、さ。例えば、お子さまが女子だったら、「一緒におしゃれ用品を買いに行けるようになるのよ」と、希望に満ちた世界観を提示してみる。「ああ、それは楽しみ♪」「早くそうなりたいですぅ」一気に親御さんたちの目が?に。思春期に暴走して、いろいろと自分の親にも迷惑かけちゃったとおっしゃる方がいて、「で、数年前、突如として 親って本当に有り難いなあとしみじみ思ったんです」と。で、その後にわが子を身ごもった。何だか素敵な話だなあと、思いながらお話を訊く。ありがとうございます!とお礼を申し上げるべきシチュエーションだったかも。今現在、だけでは、その人のことを判断できないこと。10年、20年というスパンで見守っていけば、一時的にいろいろあっても、何とかなっていくのが、人の道、らしいですよ。みたいなことを、言ってみる。親のありがたさ。それと同じか、それ以上に何となく見守ってくれている、その辺のおとなのみなさまのありがたさに、気づけたのが何年も経ってから!という我が経験も添えておく。思えば、今より30年くらい前は確実に、恐らく20数年前も、そこそこに、年少者ってものは、道を踏み外しつつもまあ、何とかなっていくもんだと、見守るおとながそこここに居てくださった。公園に中高生が数名たむろしていたというだけで警察に通報。というような事態は、ごく最近の現象。もしかしたら、私たちが若気の至りで狼藉を働いていた過去のツケが、今の子どもたちに及んでしまっている?一瞬、済まないという気持ちになる。いやあ、そうでもないっすよ。「おとなってバカだなあ」と斜に構えていた当時の気持ちを覚えているから、それに反応しているだけ。自分の体験が、思春期の子どもたちへの対応に微妙に反映されている。などなど、意見が出される。これまでは、人の意見を拝聴するばかりで、自分自身のほうから何かを語るということがなかった。だから、「おしゃべりカフェ」に興味を持った。そう、打ち明けてくださった方もいて。そうか、そっちのほうがこの形式のイベントに人が集まる理由なのかもしれない。あれこれ命令され、指示されて育って来たあの頃。自分の意見は誰も訊いてくれようとはしなかった。だから、自分自身が感じていたことや考えていたことを言葉にすることも、してこなかった。でもね、実際にやってみると判るんだけど、「私自身のことを語る」って、とても気持ちがいいんだよ。ここでは誰からも否定されることなくものが言える。ちゃんと訊いてもらえるんだという安心が、そこはかとなく伝わっているんだろうなあ。「自分を語る」こと。もし、今日のおしゃべり、この場がお気に召したなら、またぜひお越しくださいませね。そう言って送り出す。やっと言葉にできるようになったんだろうなあ。それを確認するために、来てくださったのかもしれない。こちらの意図とは別に、こういう場を必要としていて、来てくださる方がいる。思いがけない、反響。なるほどなあ。2年目になって、ようやく、子育てひろばと同じ効果に気づかされる。
2011.07.16
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週1の子育てひろばがオープンしてひと月。利用者の来訪が遅めということから、のんびりとランチを楽しんでもらうことを中心にと、開設時間そのものを30分遅らせることにした。で、2カ月目初日の今日。オープン少し前に、既に一組が到着。生後1カ月と10日というまだ新生児と言っても通用するような初々しい方がいらっしゃった。両手両足をぎゅっと縮めたその姿、その泣き声に、メンバー全員がうっとり。続けて二組ずつ到着。さらに本日3回目の親子も到着して、一気ににぎわうも、やはり誰もが初々しい方に視線が釘付け。実は、幼稚園に通うおにいちゃまを筆頭に、本日来訪の2歳のおにいちゃまと彼の三人兄弟。それをお訊きして、なるほどと思う。いや、小さな方の初々しさがやけに目立った感じだったというだけの理由だけれど。ランチタイムまでにはさらにもう一組が到着、これまでの最高、7組の親子とご一緒する。みなさま、食欲旺盛で、それぞれの食べっぷりが気持ちいいくらい。一緒にご飯を食べたというだけで、初めての場所にもすっかりなじんだ様子のみなさま。ランチでの話題は、睡眠だった。夜も気温が高く、頻繁に起きてしまう方が多い。それでなくても、お昼寝しない方が少なくなくて、母、げんなり、のご様子。本当は来週から始めようと思っていた水遊びを提案。お水でばしゃばしゃやってるだけでも、この月齢の方々は心地よくくたびれてお昼寝モードになる。バケツにお水はるだけで充分なのよ。早速ベランダにバケツを持ち出し、水遊びスタート。じいちゃんことOさんが足湯用バケツを持って来てくださり、ベランダは大盛り上がり。お隣のプランターでたわわに実ったトマトをもいで、その感触、食感、お味を堪能しつつの水遊び。遅れて到着したメンバーのお子さま、Hちゃんが、幼稚園でも堪能したはずの水遊びに再びそそられ、食休みもそこそこに参加。小さなゲストたちは、三々五々帰って行く。Hちゃん、水場を独り占め。気がついたら足湯用バケツにどっぷり浸かって、お水と戯れ中。ゲストがみなさまお帰りになるのと入れ替わりに社会福祉協議会の方々が到着。広報や保険などでご支援いただけることが決定する。子ども家庭支援センター、児童館、小児科医、そして地元町会とは上手くつながりを作れたところに、いよいよ主任児童委員さんとのつながりも作っていただけることになった。今のところは、この場の存在を知っていただくことと、来訪者に、この場に慣れていただくことが最大の課題。しかし、ひろばのさらなる存在意義が発揮されるのはこれからなのだ。その隠されたミッションを遂行するために、こっそりとあちこちとつなげていくことが大事。行政の担当部署にはつなげておいたから、あとは同じ担当部署でも保健所関係かしら。ゆったり、まったりな雰囲気を大切にしながら、アンテナにひっかかった気がかりを追跡していくこと。これからが、本当のスタート。まだ仕込みは万全とは言えない。だから、この先の仕込みを考える。ほにゃほにゃの1カ月児を抱っこできて、いいお顔のNちゃんもしっかり抱っこできて、ほんわか幸せなひとときも嘘じゃないけど、気がかりの芽の今後にも気を配っていきたいな。そんなこと言いながら、来週は会議でお休みの私。今、このときを楽しむ親子と過ごした今日、一方で、こういうものも立ち上がると知った。ふう。
2011.07.06
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じいちゃんち4回目。バスに乗り遅れて遅刻。すでにゲスト第一号の方がくつろいでいらした。来週1歳のお誕生日だそう。ともかく食べることが大好きで、一口食べるごとに、ものすごくよいお顔で笑う。さらに、両手を挙げて万歳のポーズ。この方、ジェスチャーでご自分の意思を伝えるのが大変お上手。第一回目にもご利用くださっていて、お話をしていたら、なんと知人つながりで、先日のイベントでニアミスの可能性大!さらにお友達同士らしい二組がいらっしゃる。こちらの小さな方々もお誕生日間近。既にお昼寝をしなくなっていたりで、ママの疲れもかなり煮詰まっているとか。今後もどうぞ気軽にお立ち寄りください。さらなるゲストは、おなじみのご近所さん。スタッフのお子さん共々、すっかり慣れた感じで、小さな方々3人でボールプールに陣取って遊ぶ。本日最後のゲストは、元子ども家庭支援センター所長で、現在は社会福祉協議会のYさん。自宅開放型のサロン支援活動がご担当で、先日のイベントで再開したときに、じいちゃんちに強く興味を持っていただいたき、今日の訪問となった。じいちゃんちも支援対象に加えていただけそう。ちっちゃな人々と過ごせて、今日も癒されたなあ。しみじみ思いながらバスで帰宅。ぐったりとお疲れ状態。そうなの、今日は気温がとても高かった。ちっちゃな人々の癒し効果も気温には勝てなかったみたい。夜、わんこの散歩で、涼風にふかれつつ、からだをほぐす。
2011.06.22
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地元自治体と実行委員会共催の子育てイベント。第1回目から、子育てひろばのブースをお手伝い。昨年から、専ら娘に対してお手伝いオファーが来ている。実行委員だった昨年。が、今年はお手伝いのお伴みたいにして参加。じいちゃんちのチラシをしっかり持参、他団体の仲間のところにも持って行って配布を依頼。例によって、そこら中に知り合いがいて、原子炉についての疑問(苦笑)から近況報告、子育て支援政策に至るまで、さまざまな情報交換。午後に入って、夫から電話。妹が来るらしい。イベント終了とともにお暇。今年も、たくさんの親子連れが集ったイベント。会場がさらに広くなり、ゆったりとした雰囲気だった。それにしても。妊娠、出産、育児の環境は20年前、10年前と比べて随分様変わりしたとは言え、人々の意識は、あまり変わっていないのかもしれない。特に男性。子が生まれても自分の働き方は変わらず、妻の置かれた環境の激変に気づかない。というか気づけない。先日子ども・子育て新システムと社会保障改革の話を書いたけど、同じ官庁内での縦割り体制故に、母子保健が医療の世界で語られるために、妊娠・出産・育児(子育て支援)への流れがぶつぶつに切られたままということも、今、明記しておくべきかと思う。大阪府での調査結果に、妊娠中の健診を受けない人ほど虐待の率が高いとあるけれど、これって、実は逆。患者サイドから受診してくれなければ、医療行為を始められない医療側の視点からすれば、確かに妊婦健診を受けようとしないほうが悪いとなるのかもしれないが、妊娠を喜べない、あるいは妊娠についての知識ゼロの妊娠など、妊娠した状況そのものの理由あっての妊婦健診の不受診。そもそものスタートからして環境が不遇なのだ。妊娠前からの子育て支援が必要とされる所以はそういったところにある。いくら子育てイベントを開催しても、これから妊娠するかもしれない層に対してどれほどのアピールが出来るのか?折しも今日、子育てひろばブースに首長がやって来て、ひろばの必要性は充分理解していると答えていたけれど、産んでからの対応の重要性を痛感しているだけでは全然だめだってことは、理解されていない。ことは、命の循環であり、産む性の尊厳、人の尊厳に関わる。母子保健と子育て支援を別物として扱う国の姿勢とあいも変わらず、産む性を軽んじたままの意識と、さらには、放射能被曝から本気で人を守ろうとしてるとは思い難い状況と。起きてしまったことに、ああだこうだとは敢えて言うまい。それでも、今起きていること、あまりの混乱ぶりに、これまでのあれこれを思い重ねて、さもありなんとため息をつかざるを得ない口惜しさ。文句ばっかり言いたくないけど、つい。
2011.06.12
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アースデイ2日目。被災地訪問の打ち合わせを兼ねて、TOKYO PLAYの出展ブースに赴く。嵐のようだった昨日とは打って変わってピーカン。おかげでものすごい人出。鯉のぼり作成用ののぼりを持参、ブースに立ち寄るお子様方に絵を描いてもらう。あらかじめ、ガムテープで鯉のぼりの描線を貼っておき、そこに好き勝手に絵を描いてもらい、最後にガムテープをはがせば、鯉のぼりの出来上がり。なかなか微妙な色合いの鯉のぼりが2枚出来上がった。現在、全国の仲間に依頼して作ってもらっている鯉のぼりのほとんどには、応援メッセージも添えられているが、現地と東京を行ったり来たりしているKくんから子どもはともかく、おとなはメッセージを読むと当日のことが蘇って立ち直れなくなるというので、現在、Kくんが支援に入っているところではメッセージ入りの支援物資は受け取らないことにしているとのこと。それを知ったのが一昨日のことで、昨年同様のメッセージなしの鯉のぼりの必要性を感じた。避難所によっては、小学生たちが避難所情報を壁新聞で作っているところがある。何とも素晴らしい活動だと思うけれど、そう受け止めるのは、遠く離れたところに住んでいる私たちであって、現地のおとなも同じように受け止めるとは限らないということもあるようだ。当日の惨事を思い出したくないという気持ちは理解できる。しかし、子どもには子どもなりの遭遇した惨事から乗り越えるために必要なプロセスもあり、壁新聞だって、おそらくは、そのひとつ。現地で冒険遊び場づくりを始めたら、近所の子どもたちが集まって来て、夢中になって作業を手伝ってくれているという。じっとおとなしくしているんじゃなくて、子どもたちも、いつもと違うこと、もしかすると、何か役に立つことをやりたいのかも。尋常ではない状況だからこそ子どもたちがのびのび過ごせる場が必要なんだと改めて思う。阪神淡路大震災のときにも、冒険遊び場が作られた。遊びが、子どもたちを癒し、支える。やっぱり子どもには遊びが必要なんだ、とも思う。大変な出来事が起こり、尋常ではない状況が続く中で、変わらず求められるのが「食う、寝る、遊ぶ」という生活の基本的なこと。日常、早く取り戻したいよね。おとなたちだって、保育所や幼稚園、学校が復活したことで、尋常ではない状況ながら、状況回復に向けて動き出せたはず。いくつもの被災地とやり取りを続けながら、日ごとに変わる状況や場所ごとに異なる状況を、改めて痛感する。一番求められているのが人手だったり、何もせずに見守ることだったり。で、さっき地元の投票率を確認したら、なんと50%を割ってるじゃないの!期日前投票の分は入ってないから、明日、修正されるとは思うけど、新人候補には苦戦を強いられる状況だったことに違いはない。よそさまのことにかまけて足下をちゃんと見てないのかしら?そうは思いたくないんだけどな。
2011.04.24
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おしゃべりカフェの年度内最終回。今回は、ちょっとだけ仕掛けを施してみた。統一地方選で立候補予定の人々と区議会の子ども文教委員会の方々に声がけ。で、区議2名、立候補予定者3名の方がご参加。「お誘いを受けて、これはもう行かなくては! と思った」ううう、そう言っていただけるとありがたいです。実質的タウンミーティングを目指そうと仕掛けてみたんだけれど、区民側の論客が少なかったかも。もっとも、議員が参加するからねと大々的に言ってみたところで陳情大会になってしまうのは本意ではない。これはこれでよかったかもしれない。初めてご参加のうち、3歳と8カ月のお子様二人を連れて参加のお母様にこっそり耳打ち。「お隣の方、区議なので、日頃の疑問をぶつけるチャンスですよ」「えっ?」と驚かれた上に、初めてのご参加で気遅れ気味のご様子。ちょっとだけ橋渡しを試みたけれど、気分よくしゃべることができたかしら?正解はないし、簡単に結論出して終わりにならない「子どもの居場所・遊び場」がテーマ。気がつけば規制だらけになってしまった公園を、もっと子ども達がのびのび過ごせる場所に出来ないのかしら?と疑問を件の区議にぶつけてみると。「ちょっとした段差にけつまずいて転びけがをした、 地面に出っ張っていた木の根にけつまずいた、 子どもが木登りしてたら落っこちて骨を折ったなど、 やたらと公園でけがをしてけしからんと、 区に苦情が寄せられたんですよ」公共施設で区民がけがをすればその治療費に対して保障がなされる制度があるという。どうも、それ目当ての苦情が相次ぎ、その経費がバカにならないらしい。区議会でも議論となり、結果規制だらけの公園に成り果ててしまった、とか。現下の、子どもたちが囲い込まれ、追いつめられている状況はおとなたちがやりたい放題、好き放題してしまった?結果ってことになるのかしらね。子ども自身が区に対して保障を求めるなんてこと、まずもってあり得ないことだもの。いつもなら、締めのところでまとめはやらないのだけれど、年度末ってことで「今の子どもたちを取り巻く現状は、 これまでおとなたちがしでかして来たことの結果です」と締めくくる。参加者アンケートでは、「考え続けなければいけない課題が山積していると痛感」とのコメントが寄せられる。さて、子どもたちに実施中のアンケートでは、どのようなコメントが寄せられているだろうか。
2011.03.05
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そうか、子ども・若者の居場所も親子の居場所も、とどのつまりは、おんなじだ。受け入れられていること。居心地がよいこと。ただし、そこは羽を休めるための場所。ひととき休んで英気を養うあるいは、次なるステージへと飛び立つための通過点。横浜で、居場所づくり活動を続けるIさん。子どもが幼かった頃、自宅はさながら子育て仲間の秘密基地。仕事から戻って来た夫に、居場所はなかった。悪いなあと思いながら数年、それは続き、しばらくのインターバルのあと、自宅新築の折に、初めから外に開かれたスペースを確保した。さまざまな人が集まり、居心地のよい場を作る。それはやがて、傷を抱えた子どもたちの居場所となる。Iさんの本業はスクールカウンセラーで、職場は学校。学校にしつらえられたカウンセリングルームをたくさんの生徒たちがたむろできるよう開放、他愛のないおしゃべりを展開させながら、子どもたちが内に抱える諸々を吐き出せるようさまざまな演出を施した。「私の家にも遊びにおいでよ」と子どもたちに声をかけたら、何人かは、Iさんの自宅の開放スペースに顔を出すようになった。学校帰りに気軽に立ち寄る子ども。はるばる電車を乗り継いでやって来る子ども。さまざまな子どもたちがIさんの家にやって来る。ひとつだけ、決まりがあるとすれば、「やって来る子どもたちの親御さんにも必ず連絡する」こと。保護者との信頼関係を築くこと。それは、子どもたちそれぞれの背景にまで思いを致し、必要に応じて支えるために欠かせない。子どもたちは、このスペースでおしゃべりを楽しむだけではない。寝転がったり、ドラムを叩いたり、好きなように過ごす。ときには、イベントの手伝いをすることもある。自宅スペースを開放し続けるには、やはりそれなりの資金が必要だ。常駐のスタッフや、くつろぎを演出するお菓子や飲み物。あるとき、横浜市が乳幼児親子の居場所つどいの広場事業の委託先の募集を始めた。1件あたり、年間数百万円の事業費が出ると訊き、Iさんは早速、元子育て仲間で、今は一緒に体操サークルで集う仲間に声をかける。10代の子どもたちのスペースが週3回、つどいの広場に変身する。ほどなくして、つどいの広場事業は近くに場所を借りて拡大。放課後児童健全育成事業をも受託、今は青少年の自立支援事業も手がけるに至り、NPO法人を設立。「ずっと10代の子どもたちと接して来て やはり乳幼児親子の時期から関わることが大切だ と思うようになりました」そう微笑むIさん。新米の親育てと子育て、青少年の自立支援と“育て”系での循環が生まれ始めた。スタッフに恵まれ、後進が着々と育って来ていることもあり、60歳を機に、NPO法人からは引退するのだそう。「すでにアート系の事業が始まっていて、 今後はそちらに専念するの」「やっぱりそこに関わるおとな自身が楽しくなきゃ 子どもは寄ってこないわよ」仲間に指摘されるまでもなく、スペースの細部には、実に楽しげな品々がセンスよく並べられている。場づくりそのものを楽しんでいるから、居心地のよい空間が生まれるんだよね。ほかにも、このスペースには秘密があるのだけれど、それは言わぬが花ってやつで。時間をかけて作り上げることの大切さを改めて感じる。
2011.03.01
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2010年度の地元での活動テーマは「子どもの居場所」ということになっている。関わった次世代育成支援行動計画の重点項目のひとつが「青少年の居場所のあり方検討」で、地元の関係者と有識者による検討委員会が設置され、昨年10月には中高生へのグループヒアリングも開催された。フォロワーとしては、この検討委員会をすべて傍聴。さらに、仲間とは2カ月に一度のおしゃべりカフェ開催で同じテーマでのワールドカフェを行って来た。そして、小中学生へのアンケート。実は、5年ほど前から、地元有志による「若者の居場所づくり研究会」が立ち上がり、月に一度の定例会を行うとともに、社会教育課主催の青少年リーダー講習会で「若者の居場所づくり」を取り上げ続けている。研究会とリーダー講習会、あり方検討委員会は主要メンバーが共通しており、青少年よりもさらに年齢の低い子どもへの支援団体ともゆるくつながっている。研究や議論ばかりで実践はどうなの?と問われそうだけれど、着実に実践も広がっていて、20代を中心とした当事者の相互支援的団体が立ち上がり、活発に活動を行うようになった。実際に定期的な居場所活動を行う団体も増えて来た。検討委員会傍聴で知り合った委員のお誘いで、今年度最後の青少年指導リーダー講習会をしてみる。講師も受講者もゆるいつながりのある方々ばかり。中には、10年ぶりに再会した方もいらして、着実に地元での生活に根を張っている頼もしさを感じる。10年前、転勤で東京本社に戻って来たという彼は、仕事の関係でまだこの地に移って来ていない妻子のために、地元活動デビューを果たしたばかりだった。今回は夫婦で講習会を受講。仕事も地域活動、もちろん子育てや家庭生活も、夫婦揃ってパワフルに邁進して来た様子がうかがわれる。おおお、まさにWLB実践派?ところで、若者とは一体何歳ぐらいまでを指すのか。講師のH氏は「13歳から30代半ばぐらいまで」とおっしゃる。中高生に当たる年代はもとより、昨今は引きこもり状態の若者も増えていることから、本人の状態を考慮して、30代半ばまでを含めることになったという。親になったばかりの若い方々のことを思えば、おお、なるほど!と思う。これから社会に出て行こうとする年代、社会に出たばかりの年代と、親になったばかりの人々には年代的にも置かれた状況的にも、共通するところが多い。仕事に邁進し、リタイアしたばかりの方々も、とらえ方によっては共通項が多いかな。地域にそこに住まう人々の交流の場をと呼びかけるとき、乳幼児とその親、学齢期の子どもたち、若者、さらには高齢の人々に思いを馳せるのには、彼らが居場所に求めること、居場所が果たせる役割にいくつもの共通点があるからだ。現在地元自治体で進めようとしている学校を拠点とした取り組みにも、それは求められている。が、学校ではダメな場合もある。商店街の空き店舗や、既存の公共施設など、地域のさまざまな場所に、「居場所」があるといい。ときにそれは、若者だけの「アジト」になったり、おじさん・おばさんたちの作戦本部になったり、子どもたちの「秘密基地」になったり。地域が、自分たちにとっての居場所になるとき、「地域」という他人行儀なイメージから「まち」というあたたかなそこに住まう人々の体温を感じられるイメージの場所に変貌するんじゃないか、と思う。
2011.02.15
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現在、都内300人の子どもたちと100人の未就学児の親御さんへのヒアリング決行中。で、本日はご近所の児度福祉施設2カ所をはしご。ここでも、子どもたちに及ぼす集団の力(決して同調圧力だけじゃない)を改めて実感。さらに、発達の素晴らしさ。もっともっと時間を取って、彼らが本当に主張したいことをきちんと引き出したかったねと最後にメンバー間で確認する。一期一会だから、ということもあるけれど、珍しく、なんでも聴いてくれそうなおとなが来たと、実感してくれていたこと痛いほど伝わって来たもの。最後に、サプライズでバレンタイン仕様のビスケットを戴く。ありがとう!本当に嬉しかったよ。ちゃんと耳を傾けようという提案に応えてくれた人々がいて、それに応えてくれる子どもたちがいる。ちゃんと、聞き届けたよ、という具体的レスポンスを望む。彼らの声を直に聴けて、ちゃんとキャッチボールできたらしい手応えを感じられたこと。最高のBirthday Presetだった。ありがとう!
2011.02.12
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母子生活支援施設を運営する法人の新年会。例年、新年会と施設を支える二つの団体の定例会も兼ねている。昨年夏にキャンプをご一緒したS先生や、子ども関連施設の元運営委員仲間で児童福祉施設の元職員だったSさん、元保育園園長のM先生にも、久しぶりにお会いする。別件で行政の子どもヒアリングのお願いごとがあり、会が始まる前に施設長のお二人に打診。行政からの依頼ということもあり、前向きに検討していただけることになる。行政の行動計画との関連とは言え、子どもたちに直にヒアリングを行おうというその姿勢に、施設長のみなさまも感銘を受け、ご協力いただけるということだ。会が進行する中で、気がついたことがひとつ。ヒアリングの対象年齢は9歳から18歳。で、このところ入所者で急増しているのが17歳~20歳のとても若い母とその子どもたち。自然、子どもの年齢は乳幼児が多くなる。子どもヒアリングの対象年齢と母親の年齢がかぶっている。職員としては、あくまでも母親となった人は対象年齢であっても除外して考える。でも、その母がヒアリング対象範囲に入っているという事実。ベテラン職員さんが自己紹介の中で、増えている若い入所母親のことがなかなか理解出来ずに困惑していると語っていた。どの人も、よく言って大変バラエティーに富んだ成育歴があるという。子どもたちが、職員には安堵の表情を見せるのに、自分の母親の手に委ねられたとたん、困惑と緊張、不安と恐怖を全身で表すらしい。「世界は広し。母の愛」が、根本にある施設。そりゃあ、困惑するだろう。この先については、むしろ子育てひろばの運営管理者のほうがよく理解出来ることかもしれないね。「あまりにも急激に社会が変貌していることに 愕然としているんです」法人の常務理事がおっしゃった。「いったい、何が壊れてしまったのか、何が足りないのか。 それについては、祖母や母から聞かされて来たことに ヒントがあると感じています」母子寮から始まって、三代目世代へと移行しつつある法人。伝承されていることが多いから、その直感は、正しいと思う。暖房が行き届き、蛇口から温水が流れる時代。マッチを擦った経験を持たない中学生や、台所に入らせてもらえない子どもたち。経験のショートカット。生産性向上や効率化とは、真逆のところに子どもたちの生育環境がある。そこに気がつかないおとなたち。手間ひまに無駄の積み重ねの元に子どもたちは育つ。そうやっておとなになった人たちに生産性向上や効率化を叫ぶなら、至極真っ当だと思う。会場に向かう車中での父娘の会話を思い出す。雪降る中を列をなして歩いて行く傘をかぶったお地蔵さまたち。誰もが知っている「傘地蔵」のワンシーンだ。そのポスターを見た子どもが、ポスターを指差しながら「こことここが違う」と言う。彼女は一体、何を伝えたいのか?しばし考えた父親は、いくつか質問しながら、最後にこう答える。「みんな同じ。 でも、この後に隠れて見えないんだよ」斜め前方から描かれたお地蔵さまの列。前列のお地蔵さまに隠れて、後のお地蔵さまの一部は見えない。そうか、このお嬢ちゃまは、幾何学的な疑問に直面していたのだね。ようやく言葉を獲得しつつある子どもが、拙い言葉を一生懸命に駆使し、その拙い言葉から、なんとか意図を読み取ろうとするおとな。この高度なやり取りを成立させている背景には、その子どもの成長を真摯に見つめて来たおとな側の鍛錬がある。子ども側のおとなへの信頼もあるかもしれない。そこには、その子ども自身のペースがある。まさに「なまもの」なんだよ。決して手順は外せない。どんなに手間ひまかかるとしても。ここのところをはしょろうとするってこと自体、間違っているし、それはもう、おとなの至らなさなのだと思う。基礎の部分は丁寧に。工場で大量生産出来ないんだよ。
2011.01.22
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徒歩5分のところにある母子生活支援施設のおもちつき大会。ずっと北風吹きすさぶ中でのイベントだったのが、今日はぽかぽかと暖かな陽気。いや、単に風が吹いていないだけ。「砂埃舞う中でのもちつきにならなくてよかった。 暖かくてよかった」と、施設長さんは微笑む。子どもたちに勉強を教えている学生ボランティアさんと、例年イベントのお手伝いをしてくださっている航空関連企業のボランティアさんたちが大活躍。地元町会から町会長さんも搗き手として飛び入り参加。ご近所の親子連れも暖かな陽射しの中つきたてのお餅に舌鼓を打つ。昨夏キャンプで大活躍していたジュニアリーダーの面々も子守りに餅つきにと、ここでも大活躍。高校受験間近と思われていたメンバーの一人が早くも第一志望に合格したと満面の笑み。こりゃあ、春から縁起がいいね。多分次に会えるのはキャンプかな。今年もどうぞよろしくね。たくさんの地元関係者、小学校長、副校長、特別出張所長、主任児童委員、同じ法人の保育園長などなども参加して、とてもにぎやか。子どもビンゴ大会で、子どもたちにはたくさんのおみやげ。キャンプでお話しした子どもたちの親御さんももちろん参加。いつもは、どうしても子どもたちだけに接しているから、親子で過ごしているのを見るのは初めてだ。むろん、イベントだけでその実情を伺い知ることは出来ないけれど、親子で楽しんでいる様子を見るのは、なんともこころが和む。入所する親子、特に親のほうにさまざまな問題が生じているケースが増えているだけに、どうしたって子どもの様子が気になる。「子どもたちは健気に頑張ってるのよね」という言葉を耳にすることが多くなる。確かに、親子参加は半数にも満たない。運動会でもお顔を拝見していた姉妹施設の地域生活福祉担当の行政マンとご一緒におもちを頬張る。管理職になったので、なかなか地元に顔を出せなくなったけれど極力地元のイベントには顔を出すようにしていると言う。もともと地元の行政マンは、結構地元イベントに顔を出している。このところ、あまり地元イベントには参加出来ずにいるけど、かつては、児童福祉担当者によく出会ったものだ。お隣の自治体の児童施設に長く勤務していた、子ども関連施設の運営委員仲間が、感心する。よその自治体はそうでもないのか、とちょっとだけ驚く。件の行政マンの担当地域の問題の深刻さはすでにほかの行政マンから聞いている。敢えて、よその自治体の母子生活支援施設の例を出し、「地域格差って結構ありますよね?」と言ってみる。深く頷き、地元自治体では母子生活支援施設にも入所待機の親子が多くいるのだと実情を話してくれる。より深刻で緊急性のある親子が入所するのだ。たくさんのおとなたちの手を必要としていることはわざわざ言うまでもないことだ、と思う。このイベントに参加した地域関係者は、常日頃から、主に子どもたちのことを陰に日向に支えている人々ばかり。うん、子どもを支えることで、親も支えているんだ。親子で暮らしているから大丈夫とは絶対に言えない。むしろ、親子で暮らしているからこそ、外には見えない問題が深刻化しているということもあるだろうね。傍目には伺い知ることの出来ない現実というものがあるのだ。ここに集う親子、子どもたちの楽しげな様子を眺めながら、明日はどうでも、いま、ここで笑って過ごせる彼らの安寧を喜びたいと思う。
2011.01.09
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夕方からのとある集会に出かけたあと、会場で出会った人々と夕飯を食べに行く。なんと久々のドイツ料理店。ドイツビールにソーセージ、ジャーマンポテト、野菜のパテ、酢漬けニシンに舌鼓。(夕べは、フレンチ食べに行ったんだっけ。 最近、滅多にないわ、こんなこと)あんまりドイツっぽくないお店なのだけれど、出て来る料理はしっかりドイチェだった。お店に入るなり、人数分椅子の並んだテーブルへ直行。大人数でこういうことがあると、何だかとっても嬉しい。メンバーもすごかった。保育のことを語らせたら、ほかの誰もが傾聴したくなるくらいの重鎮ばかり。それに、友人のSさんが取材を兼ねていたので、活字に出来ないオフレコ話ばっかり出て来たし。非常に濃厚な時間。もちろん、これまでにも触れたOECD諸国の幼児教育の話も出た。イギリスもニュージーランドも、実は日本の保育指針や学習指導要領をお手本にカリキュラムづくりを行うことにした、とか、どうも、今の日本の現状では、きちんとした保育理論を打ち立てられるような人材が、はっきり言っていないよねえ、なんて話。先日参加させていただいた総意形成会議のようなこと、保育でやりたくても出来ない現状にあるよ、と言われてしまう。そうか、そうなんだ。確かにそうかも。会議の傍聴していて、それは実感。集会のリレートークで、敬愛するK先生が指摘していらした。変えたくても変わらない働き方や性別役割分業などに対し、社会状況はどんどん変化していく。そのギャップ。ギャップがあまりに大きくなりすぎて、多くの人が足がすくむあまり、つい旧体制にしがみつこうとしている。もっともっと先を見据えて物事を変えていかなくてはならないのに、目先のことしか目に入らない。三すくみ状態?今のまんまでどこが悪いんだ?と言わんばかりの方々。今の体制で、物事悪くなってるんだから、そこを変えようということなのに、自分たちは変わりたくない、変わる必要なんてないって言ってる。でも、その舌の根の変わらぬうちに、子どもも親も全然だめ、このままでは悪くなるばかりとおっしゃる。この矛盾。後に禍根を残すことになるような発言をしているのはまさにあなたたちじゃないの。そんな話で盛り上がり、帰宅すると。まさにこれからの新しいシステムに向けて、模索している人のために、情報を入手しようとする知人のために、仲間に情報提供を求めるメールが届いていた。で、矢継ぎ早に、そのメールにきちんとした返答を行うメールが3本も届いていて、この人たちが仲間であることは、本当に素晴らしいなと思う。これに付け加えるとすれば、これからのこと、かしら。子どもを誰に託すのか?託されるほうだって、いろいろと工夫してる。保育問題は、確かに労働問題と直結しているけれど、子どもを真ん中に、という思いがなければ、成り立たないと思うんだ。ドイツ料理を一緒に堪能したメンバーのお一人が集会前に指摘なさっていたのは、欧米の保育施設は意外と狭いけれど、それは、子どもひとり一人が、あるがままを受け入れられているからということ。人間観の違いが、家庭のありよう、親の価値観に現れていて、それがそのまま保育環境にも反映されているから、面積にこだわらずに成り立つ。そう。カナダで実際に見学した保育施設はどこも、案外広々とはしていなかった。日本の保育施設のほうが、よほど面積にこだわっている。日本より狭くても、カナダの子どもたちは静かに、安定した状態で過ごしていたなあ。どうやら、学ばなくてはならないのはおとなのほうらしいよ。
2010.12.02
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久しぶりによいお天気。ベランダのガラスの汚れが気になる。そろそろ掃除しないとなあ。そういうところにまで気が回るくらい、心身ともに余裕が出て来たみたい。ここ数カ月のあれこれを振り返る。子ども手当のこと、どうも腑に落ちなかったんだけれど、国からもらう家族手当、というふうに見方を変えてみる。バブルの頃から、家族手当支給をやめた企業が増えている。バブル崩壊以降は社宅もなくなってきたし、福利厚生の考え方、とらえ方が随分変わって来たようにも思う。企業の給与からして、従業員の家族丸抱えじゃなくなって来たみたいだ。手当を増やすことで、賞与や退職金の基本ベースとなる基本給部分を抑えて来たのだろうと思うけれど、手当を減らして、その分を基本給の能力給部分に加えるなど、扶養家族のいない従業員との公平性を図ろうとした。まあ、これが企業側の言い分になるんだろうか?扶養家族が多ければ、本人の能力、業績に関わらず手当が増え、結果的に支給額が上がるというのを潔しとはしないよ、という見方も出来るかしら。こちらのほうが理にかなっているかな。子どもさえいれば、その人数分だけ手当を支給するよというのは、確かに給与としてはなじまないかもしれない。そう考えたら、子ども手当は、子どもを扶養する部分は国が面倒見ますから、そこのところは気にせず、がんがん働いて税金払ったり、社会的活動で社会貢献してくださいってこと?子どもに対して支払われるのではなく、子どもを扶養する国民に支払われる手当ってことで、やっぱりベーシックインカムじゃん、と思う。一方の幼保一体化だけれど、そもそも幼児教育を謳っている幼稚園が誕生した頃に、保育と言う言葉を使っている。保育とは教育と養護のこと。子ども・子育て新システム検討会議作業グループ、こども指針(案)WTの第一回会合で、「子どもには生まれながらに保育を受ける権利がある」と発言した委員がいて、おおお、まさしく!と思った。労働政策の一環として始まった保育園は親の就労などで「保育に欠ける」子どもの保育を担う。親による保育の中身そのものが、随分変容して来た。親が変わったと言うよりは、子どもを取り巻く環境そのものが変わった。これは子どもについてだけじゃなく、人々が暮らす環境そのものが大きく様変わりしている訳で。現に介護の世界では、介護に携わる家族を支援という考え方が実情に沿わなくなって来ている。単親、夫婦のみ、認知症。核家族化、単身世帯化がどんどん進み、認知症が進行する単身世帯だって増えているから、家族そのものが介護を必要とする人を支えきれなくなっている。育児・子育ても、残念ながら、人の成育歴の中での伝承が出来なくなっているうえに、核家族化で、子どもの教育と養護、つまり保育を、家族のみで丸抱え出来にくくなっている。親が就労していようが、いまいが、ともかく、子どもが生まれたときから保育が必要とされている訳で、そこに、親のみならず、さまざまな人々の支えが必要とされているのが実情なのだ。現行の幼稚園制度では、3歳になるまで入園できない。それまでの間の子どもの保育環境をどのように作り上げていくのか?ここのところが課題になっていると、認識を改める必要がある。幼稚園信仰みたいなものは、相変わらず根強い。3歳になったら、保育園ではなく幼稚園に通わせて、幼児教育をきちんと受けさせたいと願う親は多い。けれども、幼稚園と保育園の差は、はっきり言って、ない。幼保の違いと言うよりは、施設ごとの違い。地域格差と言うよりは施設間格差のほうが課題なんじゃないか?と私は密かに思っているのだけれど。窓ガラスや鏡が曇っているとどうしても気になる。目が曇って、視界が悪くなるような気がするからだ。長い間に溜まったおりのようなもの、しがらみや思い込み、思考停止に陥らせるような決めつけ。そういったものを、この際一掃できるといいなあ。今度の週末には、窓ガラス掃除をしようかな。視界明瞭でいるために。
2010.10.27
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この三連休、運動会というところも多かっただろうな。東京周辺はあいにくの天気で、土曜日→日曜日→月曜日とスライドして行ったところもかなりあったと思われる。娘の人生初の運動会も同じ運命を辿ったのだった。でも、本人は全く覚えていない。ご縁のある母子生活支援施設の運動会で、来賓として呼ばれていたのだけれど、雨のときは施設内で実施と書かれており、さて、どのようにして行うのかな?と興味津々で出かける。施設前に張られたテントにはプールが出され、ヨーヨー釣りの準備中。どうやらゲーム大会に変更らしいよ。地元町会や青少年支援チームなど、地域の方々のほか、保育園や行政担当者も来場。それぞれがゲームのサポートなどをしてくださる。もともと地域交流を兼ねてバザーや夏祭りなども行っているので、さまざまなゲームアイテムの手持ちはあるし、晴れたら開催する予定だった演目からゲーム向けに転用してみたものもあるみたい。かわいらしかったのは竜宮城記念撮影会。乙姫さまと浦島太郎の扮装が用意してあり、それを身につけて、竜宮城を模したゲート前で記念撮影。地域の方のサポートで行われたのはパターゴルフ。ほかにも輪投げや、魚釣りなど、6つのゲームが子どもたちを待っていた。さらに、定番のパン食い競走。これは室内開催ということで、敢えてはいはいで進む。本物のはいはい世代も参加して、ちゃんとパンがあるところまで行き着けるか?というスリリングなひとコマもあり、大盛り上がり!ジュニアリーダーさんたちは、小さなお子様が登場するたび「かわいいー♪」とうっとり。ラストを飾るのは、今日のために密かに特訓して来た親子のお遊戯。元気なお子様が側転をやったりして、盛り上がる。ここ5年で雨に降られたのは今回が初めて。でも、ゲームで盛り上がって、みんな満足。キャンプで親しくなったお子様、もちろんジュニアリーダーさんたちもお手伝いとして大活躍。0歳から○十歳まで、非常に年齢幅の広いイベント。狭いところで身を寄せるようにして行ったことから、何とも言えない親密ささえ漂った。いつもの運動会よりも楽しかったかも。こうしたイベントが、日常に彩りを添える。仕事や学校で辛いことがあっても、ここでは受け入れられていると感じられるんじゃないかな。ただ、残念なことに、母子生活支援施設には2年間しかいられないから、生活を立て直し、自立に向けて準備を整えることであまりにも忙しい。ちっちゃな人たちには、記憶にも残らないかもしれない。残念だなあ。「せめて3年間いられたらいいのにね」と、外部のサポートチームのお仲間でもある元保育園長さんや大学の先生たちと、またまたそんな話をしてしまう。午後になると陽射しが顔をのぞかせた。娘を連れ出して、ワンコと散歩。夜の予定もあったけれど、今日は休養と称して、家族と過ごす時間にしようと決める。
2010.10.10
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「こども」と聞いて、何歳ぐらいの子どものことを思い浮かべるだろうか?児童福祉法では18歳までを「児童」としているから、本来ならば、高校3年生ぐらいまでが「こども」。でも、「こども」という言葉が使われるとき、多くは、乳幼児だったり、せいぜい小学生ぐらいなんじゃないだろうか。からだが大人並みに大きく育ち、声もおとなっぽくなったからといって、10代の彼らは、まだまだ世の中のおとなの庇護を必要とする存在なんだ。地元の青少年の居場所と自立支援の在り方検討委員会が10代の子どもたちに直に意見を聞きたいとフリートークの場を設けたので、傍聴に行く。委員会に参加している中高の校長先生とフリースペース主宰者の声がけにより、11名が参加。そこに委員と行政担当者も加わって輪になっての意見交換。前半は、居場所についての思いや、日々の暮らしの中で思うことをひとりずつ。ホームルームに居場所がなくても、部活動に居場所を見いだす子。学校には行かず、家の中に居場所はないと言いながら、自分の部屋こそが居場所と打ち明ける子。今、自分がやりたいことをサポートしてもらいたい、それが自立支援につながるよと、暗に示す子。誰かに必要とされていることが心の支え。その場にいることを無条件に受け入れてくれる人がいる場が欲しい。ひとりひとりが勇気を持って自分の言葉で語って行く。ほぼ語り終えたところで前半終了。傍聴人は大学のゼミ生をも含めた18名。みんな子どもたちの発言に聞き入っていた。後半、さらに行政担当者が加わって、日頃利用している公共施設についての質問から始まる。中高生の彼らが最も親しんでいる公共施設は学校だけれど、それだって、彼らが使いたいようのは使えない。まして図書館や公園ともなると、さらに制約があって。利用時間をもっと遅くして欲しい。誰もが使える公園、交流できる公園にできないのか。特に公園に関する彼らの意見は、ちょうど1年前に次世代育成支援行動計画策定の会議でも議論が沸騰したテーマと同じだった。図書館や公園は使用料は取られないが、会議室やスタジオなどを擁する施設の利用にはお金がかかる。こどもに取って、利用料金がひとつのハードル。それよりも前に、予約の取りづらさが、「公共施設の利用対象に、僕らを想定していないんじゃないの?」という印象をもたせる。少し前、地元で「文化センター」と称されている施設は以前は「青年館」と称され、若者対象の施設だったと聞いた。そのときにも、「名前が変わって、年配者向けという印象が強まったかも」というコメントが添えられていたっけ。公共施設の利用規程に年齢制限は記されていないし、「区内在住、在勤、在学」と記されているのだから、今日参加している中高生は、対象者ど真ん中!のはずなんだけれどね。吹奏楽の楽器レッスン場が欲しい、陸上競技のトラックが、もっと近くにあると嬉しい。彼らの日常生活の多くを占める部活動をサポートしてという切なる願いを、そこにいる大人たち全員が聞いた。「いやあ、彼ら、よくしゃべったよね」驚き、感動していたのは、彼らに声をかけた校長先生ご本人だった。きちんと耳を傾けてもらえると判れば、ちゃんと応えられるだけのものを彼らは持っている。そこまで育っているんだ。「こういう場を継続的に作れればと思っています。 あなたがたにも、今回限りではなく、 意見交換を続けてもらえるようにしたいし、 次々に代替わりしながら、続けて行けるようにもしたい」委員長がそのように締めくくって、今日の会は終了した。願わくば、締めの言葉のように、次回が開催されますように。青少年の居場所や自立支援を真剣に考えて行きたいという行政や区民の思いと、さらにもうひとつ、かつて叶う寸前までいってダメになったというある条例制定への願いと。いくつもの思いや願いが垣間見えたフリートーク開催。わが地元における、ちょっとした“事件”、かも!
2010.10.09
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今年春に立ち上がった「なくそう! 子どもの貧困」全国ネットワークで、今、子どもの貧困解決スタートキャンペーンを行っている。ひとりでも多くの方からメッセージを寄せてもらい、政府に働きかけるのだそう。お名前だけで賛同の意を表明していただくのでも、ペンネームによる投稿でもよいそうです。これをお読みになったあなたも、よかったらメッセージをお寄せください。「なくそう! 子どもの貧困」全国ネットワークhttp://end-childpoverty.jp/
2010.09.30
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おしゃべりカフェ3回目。折り紙に興じていたメンバーのお子様(3歳)が、「風船折って!」とリクエスト。が、誰も折り方を思い出せない。そこに本日のゲストNo.1が登場。いきなりで申し訳ないけれど、風船の折り方、ご存知ですか?ぎょっとされると困るなあと思いつつお訊ねする。にこやかに、「はい、折れます」とのご返答。やたっ!とばかりに、どうぞどうぞと会場に招き入れる。この落ち着き、ただものじゃない。後で知るのだけれど、ゲストNo.1は4児の母でもしかして、保育士さん? それともファミサポの提供会員さん?と驚嘆するくらいに、お子様のお相手も上級者並み。その経験値の高さ、見識の高さは格別だった。参加人数が少ないので、グループ分けはせずに全員ひとつのテーブルに集まって、まずは、子どもの頃の環境と遊びについてゲストのお二人からお話を伺う。お二方とも、知り合いが全くいない状態で子どもとの暮らしを始められた。「絵に描いたような、密室育児」ともかくいっぱいいっぱいで、身近なところに助っ人がいたり、サポートメニューもたくさん用意されていたにもかかわらず、「助けて」とも「手伝って」とも言えず、悶々と苦しむのみ。「後から思えば、 何故、助けや手伝いを求められなかったんだろう と不思議なんですが、 あのときは、とてもじゃないけれど、 そういうことが出来ない状態でした」「子育てひろばに出かけてみて思ったことは、 ここは母親同士がおしゃべりする場なんだということ。 でも、それを潔しと受け入れられなかったんです。 今なら、それはとても大切な場だと思えるんですが」母子手帳とともに手渡されていた自治体発行の子育てガイドブックの存在にも気づけず。「保育園やファミサポの情報は 出むいた児童館に置かれていたチラシから得ました。 やはり必要に迫られないと、目につかないですね」「ほんと、情報収集なんて考えられなくて、 育休明け寸前に保育園の申し込みをしたら、 全然空きがなくて。 会社と交渉して在宅勤務にしてもらったんです」渡された冊子やプリントを隅から隅まで読む人なんて滅多にいない。そう、何度も力説される。思いがけない妊娠で、自分が親になるなんて思いもしなかったし、その心構えも出来ていなかった。だから、わが子が生まれたときには、ただただ戸惑うばかり。これらすべてに、大いに共感。現役母メンバーすべてが、ぶんぶん頷く。「子どもが幸せを感じられるためには、 まず親が幸せを感じられるようでないと。 私はそう思っています」久々に、切実な声を訊いた、と感じる。両親学級の役割はもとより、母子手帳の手渡し方にも、検討が必要というのは、まさに切実な課題だな。「日曜日にも児童館を開けて欲しい」本日の切なる声は、これ。付け加えるならば、子育て支援施設の電話相談をどうか24時間対応に!子どもとの暮らしの実態ってものが、行政側に切実な声として伝わってないってことだよね。
2010.09.18
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今、主に軸足をおいている活動をより広く理解していただくためには、どういうことが必要だろうか?娘が大好きなアーティストとの打ち合わせでは、こんなコメントがあった。「子どもの世界、子育ての世界ではなく、 子どものいない人、子育てとは無縁の人々にも 理解を得られるようなメッセージを考えたい」子どもと子どもと暮らす人々のことを理解してもらうには、やはり、この年代に登場してもらうのがいいかもしれない。女子高校生。自らの生い立ちを振り返り、そこに優しいまなざしと社会的なサポートがあったから、「私は未来を、こんな風に思い描く」あるいは「私は、こんなことに希望を見いだせる」。「だから私は、将来母になろうと思う。 なぜなら……」そういう始まりでもいいのかもしれないな。子育てを終えた世代にも、これから子どもを生もうという世代にも、子どもとは縁のない層にも、訴求効果があるように。こんな風に素敵な幼少時代を送ることが出来たから、「私は未来に希望が持てる」というような。そういう趣旨なら、就活中の男子大学生、あるいはもやもやしている男子中学生でもいいのかな。働き方も自由に選べる。(この国は「働くこと」を大事に捉えているから)将来設計において、健康で文化的な生活が営めると確信できる社会。ということは、とても暮らしやすく、ひいては生きやすい。思い切り自らを発揮できる社会だから、この世界を、未来のわが子にも見せたい。なーんてね。ほんと、そういう社会が築けるといいね。誰もが未来に希望が持てる社会。そのために必要なことを、提示できるといいのだけれど。
2010.08.25
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まだまだ民族移動中。夜の打ち合わせに結局間に合わなかったメンバーがひとり。通勤電車も心なしか空いているみたい。先月の学習会を振り返りながら、この先のことを話し合う。子ども・子育ての仕組みが大きく変わる。でも、今のところ取りざたされているのはやっぱり子ども手当や幼保一体化だったりして、どこか「新しい」システムなんだ?と突っ込みどころは満載。最大の突っ込みどころは、「この仕組みで、本当に子どもの命を守れるのか?」。この最も肝心な部分に、政策立案側があまりに及び腰なのを直に感じているからこそ、議論がいきなり沸騰する。だってせっかくのチャンスなのに、なんとか出来ないのか?って思うんだもん。「すべての子どもの育ちに必要なこと」を整えるんでしょ?予防策だって、かなり確立されてきているのに、行政側もそれを知っているにも関わらず、昨年はそこを会議で突っ込み、あえなく玉砕してしまったのだった……。(やっぱり娘には、この自治体での新婚生活は勧めないわ。 子どもを生み育てたいと思うなら、 M市やK市にしろって勧めるわ)次回のタイトルはかなり挑戦的な文言に決定。夏休み明け、いきなりガツンとやってきたのは、舞い戻ってきた酷暑だけじゃなかった。かなり楽しみ。
2010.08.16
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子ども会キャンプに途中から合流。たまには電車に揺られて行こうかなと思ったのだけれど、同じように途中から合流するS先生から「僕の車で一緒に行きましょう」との有り難いお申し出があったので、喜んでご一緒する。S先生は、お寺のご住職。仏教知識にはとんと疎いので、この機会に、あれこれとレクチャーをお願いする。首都高はお決まりの箇所でのろのろ。それが常磐道に入ったとたん、スムーズに流れ出す。あとは快適なドライブ。あっという間に目的地に到着。おかげで、仏教レクチャーは入り口にも到達出来ず。先日座談会で会った中学生たちが、今回のキャンプではジュニアリーダーとして小学生の後輩たちをリードする立場になる。みんな、キャンプをとても楽しみにしていた。メインイベントのキャンプファイアーはこれからだ。夕食後、いよいよキャンプファイアーの時間が近づく。コテージ前の広場では、ジュニアリーダーたちが、最後の練習に励んでいた。MCも堂々としていたけれど、歌と踊りもなかなか。いつ練習したのかしら?いよいよ、子どもたちが炉の周りに集まり、火の精が登場。点火。風の力であっという間に炎が立ち上り、火の粉が舞い散る。炎を真ん中に、ジュニアリーダーたちの声がけで、メンバーたちをあっという間に引き込み、そのままテンション高くリードして行く。宵闇が次第に辺りを包んで行く。小学生たちを寝かしつけた後は、施設職員、ジュニアリーダー、それぞれに分かれて反省会。ジュニアリーダー反省会では、お菓子とジュースを真ん中に、鋭い意見が飛び交っていた。リードしているのは、やはり年長者。短大に通う女の子たち。この施設で育ち、子ども会の思い出がたくさんあるから、思い入れもそれだけ強いんだ。先に職員の反省会にも参加していたので、耳の痛い意見もかなりあるなあとひとり苦笑い。ジュニアリーダーを指導しているのがS先生で、同じように、ときに苦笑いをしながら、耳を傾けていらっしゃる。時計は23時を回った。S先生が終了を告げ、みんなで後片付け。廊下に出ると、職員たちが、まだ話し込んでいた。ジュニアリーダーたちもおとなしくそれぞれの部屋に戻ったと思っていたけれど、誰かの部屋に集まって、深夜まで話し込んでいたみたいだ。こうやって泊まり込みの場で、気の置けない仲間たちと延々話し込むのは楽しい。よい経験をしているなあ。幼かった頃に、楽しいイベントをたくさん経験させてもらったことへの恩返しがしたいと、ジュニアリーダーになる子がほとんど。でも、こんな余禄がついてくる。それらすべてが非常に得難い経験だと思う。多分、この先の人生においても、貴重な財産だよ。そんな場に立ち会わせてもらえて、ありがとう。
2010.08.06
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全ての子どもの育ちに必要なものやことは何か。改めてそれを問わなくてはならない今という時代は、果たしてどういう社会なんだろう?週末、池上彰さんの番組を見ていたら、子ども手当に代表される(とマスコミが紹介している)子ども・子育て新システムに関する解説を行っていた。前政権時代風に言えば「少子化対策」。政権が代わって「子ども・子育てビジョン」で「少子化対策から子ども・子育て支援へ」と銘打たれても、なんとかして出生率を上げたいという国の基本的スタンスは依然として変わっていない。まあ、そりゃあ、そうだろ。面白かったのは、やはりフランスの家族政策の紹介で、産後のエステ料を国が補助してくれる、それは、女性がいつまでも美しくあることを男性も望んでおり、それが出生率上昇につながっているという説明。締めの台詞は「男性だけで考えない」。わははははは。全ての子どもが保育施設を利用できるよう、それぞれの子どもの事情に合わせた保育利用を基礎自治体が「認定」、親たちはそのお墨付き=権利書を持って保育施設を選ぶ。介護認定ならぬ保育認定。これが、果たして安心して生み育てることにどこまでつながっていくのか?それ以前に、肩に力が入って身動きが取れなくなっている母親たちの何とも言えない状況を、誰が解きほぐしていくのか?なぜ、身動きとれない状態に陥ってしまうのか?さらにちょっとだけさかのぼれば、無事に就職して自活できるようになり、そこから結婚、出産をようやく考えるという国民共通の意識。結婚して産めるだけ、ずっとずっとマシな状況で、そこに至ることさえ出来ない若者が大勢いるという事実。子ども手当だけでも、幼保一体化で待機児童対策だけでももちろんダメで、さらに根深く複雑に絡み合った構造的な問題がそこに横たわっているとは思わないか?なるほど、日本的システムそのものが行き詰まっている?「子どもはいずれ生みたいと思うけれど、 今現在、自分の生活がこの先どうなっていくのか 全く見通しの立たないところで、 具体的な家族との暮らしという将来像なんて描けない」それが、若者の正直な気持ちなんじゃないだろうか。それも極めて抑制的で真面目な一般的な若者の意識。その一方で、10代にして妊娠、一般的な日本人の“常識”的な将来設計とはまた別な形で子を生すケースが増えている。「まるで昭和20年代、30年代に戻ってしまったかのよう」そう表現した福祉関係者がいる。現場に立っていると、乳飲み子を抱えた女性のホームレスが再び増えているというイメージを、どうしても抱いてしまうのだそうだ。「全ての子ども」と語るときの子どもとは、いったい何歳くらいのイメージなんだろう?子どもが子どもを生み育てなければならない現実を子ども・子育て新システムはどう救い上げてくれるのだろうか。直接子どもに関わる部分だけを見ていても、救うことは出来ないだろうね。「全ての子ども」と語るときの子どもは、どのような境遇の子どもがイメージされているのだろうか。非嫡出子や親と暮らせない子どもは、そこにイメージされているか。現況のままで「全ての子ども」と語られるとき、いかにも深く考えているようでいて、「価値観の多様化」という表現で全てを思考停止に陥れるのと同じような違和感を覚えるのは何故だろう。
2010.07.06
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今年も梅雨の季節の初物が届いた。佐藤錦!例年よりも少し遅い。ちょうど折よくミーティングがあるので、早速お裾分け♪とばかりに、いそいそと支度する。お先にちょっとだけいただく。1粒目は、甘かった。でも2粒目は、やっぱり酸っぱいかな?夫が起きてきて、食べながら言う。「産地の寒河江では、今日、発送なんだってさ。 まだ早いから、酸っぱいね。 うん、今年は例年より遅いみたいだよ」産地の発送日よりも1日早く届いたってわけだ。毎年のことながら、ありがとうございます。さてさて、ミーティング。今日は、3人の小さな方々もご参加。2歳と1歳と0歳。でもって、0歳の方はさくらんぼ初体験!深めの紙の器はちょうど3個。それぞれにひとつずつ行き渡る。初めて口にするせいか、1歳と2歳がぱくぱく食べているのに、なんとなーく嫌そうな感じ。それが、1年先輩が軸をつまんで食べているのをじっと見つめているうちに……。おおお、軸をつまんで、お口に入れた。ひとかじりしたところで、お母様がすかさず種だけ取り出す。残りも、ぱくり。食べられたね♪お気に召したのか、気がついたら器は空っぽ。結局、持って行ったさくらんぼのほとんどは、おとなではなく小さな方々のおなかに収まる。ミーティングでは、大分中身が煮詰まってきた。冊子づくりの打ち合わせで、容れ物でのイメージ作戦と、中身のセレクトと見せ方を協議。何を入れるのか、詳細が固まるまで、まだまだ時間がかかりそうな予感。「決まるとあっという間に出来上がるよね?」「全ての材料が揃うのに、 かなり時間がかかりそうだけど」腕の良いアートディレクターに巡り会えれば、一発で決まりそうなんだけど、どこかにいらっしゃいませんかね?午後は、自宅から徒歩15分の思い出深い会館でのかなりハードなテーマの講演会。会場に向かう途中で腹ごしらえ。週末ともなれば、マクドナルドもミスドも超満員。1年ほど前に出来たフレンチのお店に入ってみると、ちょうどカウンター席が空いていた。レストランだってコスト・パフォーマンスは充分なんだけど、やっぱり家族連れにはファーストフードの手軽さと安さが好まれるってことなのかしら?グラスワインのメニューが豊富だと判ったので、そのうち夫とディナーで利用してみよう。で、講演会。ちょっと驚いたのが、ほかの件でものすごくお世話になっている某シンクタンクの上席研究員がいらしていて、思わずご挨拶。地元での講演会だけに、もちろん顔なじみの方がたくさんご参加なのだけれど、全国ネットの方がいらしていたのには、驚く。10日後には、別の会合でお会いできるはずだ。現在の日本の政策で、最も立ち遅れているテーマはミドルティーンから20代の若者の自立のサポート。それが、この講演会のテーマ。子ども・若者政策の充実度でその国の人間観が測れると思う。だから、そこのところが最も貧しい我が国ってことで、いい加減うんざりしている。講師のお話を聞きながら、思い出すのは地元自治体の地域福祉保健の専門委員会でのやりとり。高齢者福祉専門部会の方のコメントは未だに耳に残っているよ。「もう十分すぎるくらいに施策が行われているし、 今度も計画していただいているので、 次は子育てにシフトしていただいてもよいのではないか。 ただし、私にも申し上げたいことはあります。 小さなお子様の親御さんの自転車の使い方には、 ちょっと意見させていただきたい。 これはもう、親教育が必要だということではないかしら」ため息つくしかなかった。どこまでも今現在の若い人々は高齢者から責められるのだ。ともかく、高齢者向け施設の数が児童館の数よりも多い土地柄。いくら美辞麗句で取り繕ってみせても、子どもよりも高齢者にお金をかけていくことにこの先も変わりはないだろうことは、明らかだ。この国の縮図みたいなところなので、東京都23区内ってだけで今は社会増が続いているけれど、立地がそうでなければ、とっくに限界集落まっしぐらだと思うよ。果物の宝石と呼ばれている初物を、未来のこの国の担い手に捧げた日。彼らの10年後、20年後は、本当に明るいんだろうか?子ども手当の支給で、あれこれ口をはさむなよって、本当は言いたい。国家予算を圧迫している真犯人は誰なのか?たくさんいすぎて困るという話もあるけどね。(苦笑)ともかく、起こることのすべてはおとなの責任だ。
2010.06.26
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夕べは、先日テレビ局から取材を受けた番組のオンエア日。ともかく自分の顔さえ映っていなければ、それでいいやとしか思わずにテレビをつけたら、議論風景はばっさりカットしてあり、早々と仲間から「大胆な編集」とメールが来る。それでも、全体を見ながら、少なくとも議論の中身は全体の論調に反映されているなと少なからず感心してしまった。参院選に向けた現政党の政策と各政党のマニフェストを検証するというシリーズの子育て支援バージョンだった。それにしても、肝心の子どもは、どう感じているんだろうねえ。特集の冒頭、銀行に振り込まれたばかりの子ども手当4人分を受け取った人の笑顔が、子ども達の笑顔と共に映る。学齢期の子どもが4人もいれば、そりゃあ何かとお金がかかって家計も大変だろう。サイズの合わないお姉ちゃんのお下がりのバスケットシューズだって、子どもは我慢してはかざるを得ないと思う。(大きすぎるバスケットシューズなんて、怪我の元。 おお、こわっ!と思うけれど、なんとかはき通す工夫。 こういうこと、忘れてたかも……)定額給付金が配られたとき、「これがあなたの分よ」と臨時のお小遣いみたいに受け取った娘の友人が何人かいたらしい。確かに、子どもたちの分も支給されたけど、それはちょっと違うんじゃないか?と思った。国から意味なくお小遣いを支給されて当然、というのがね。あのときには、緊急不況対策なのに諸々の事務作業に手間取り、時機を逸した感じの支給となっただけに、「ばらまき」「遅すぎる」などなど、各方面から批判を浴びた。思えば、定額給付金というアイデアが浮上、さんざん批判を浴びていた頃に、民主党では「子ども手当」政策をとりまとめて、法律原案まで作成していたのだった。これが実現するとなると、ほかの子ども・子育て事業はどうなるんだろう?とてもじゃないけれどお金を回せなくなるだろうから、こりゃあ、非常にまずい事態に陥るのではないか?その頃、イギリスの児童信託基金のことを知り、こういう内容のものなら、確かに納得できるなあと思った。現にアンケートを行えば、使い道のトップが貯金。子どものための教育費を貯めておくというのも、わが子を思う親ごころの表れでもあるし、非常に腑に落ちる結果ではあった。昨晩の特集でも、取材されていた家庭では、「子どもに必要なものを購入した残りは貯金する」と言う。子ども関連グッズやイベント会社など、子ども手当支給で、お財布のひもが緩むのをお待ちのみなさま、悪いけど、そうは問屋が卸しませんよ。一般市民の財布のひもを緩ませようと思ったら、アプローチの仕方をもっと考えないとね。業界で連携して、高校や大学に進学する子どもたちの奨学金制度を次々と立ち上げるとか、同一労働同一賃金やワークシェアなど、子育て家庭が安心して働きながら子どもと暮らせる制度を実現、若い人々の将来の不安も解消させるなど、別ルートからのアプローチを考えないと、絶対に財布のひもは緩まないよ。子ども関連産業の今後に好感、株価が上がるなんて、株式市場もあまりに短絡的すぎる。企業の社会的使命よりも、まずは売り上げなんですかね?子ども手当を巡る、こうした社会の状況って、本当に子どものことを考えているとは思えない。
2010.06.23
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午前中はある社会福祉法人広報誌の編集会議。50ページ近いオールカラーの印刷データを全部プリントアウトしなくちゃならないので、会議が行われる事務所に、予定時間よりもずずっと早く到着。それでも、会議開始を30分も遅らせてしまった(苦)。今回の表紙には、15名の子どもの絵をかわいらしい額縁で縁取り、愉快なイメージでレイアウト。これ、ここの法人の若い職員さんが考えた。昨日、表紙のデータを作り込んだ後ふと思いついて、外出から戻ったばかりの娘に訊ねてみた。「代案をもうひとつ添えておきたいんだけれど、 どうすればいいと思う?」よいアイデアを考えてくれたので、早速採用。今日の会議の冒頭、提案してみる。瞬時に多数決で決定。娘のアイデアが採用された。児童福祉法に基づいた施設を都内8カ所で運営している法人。子どもの絵も、各施設で募ったものを今回は一挙掲載!という“大盤振る舞い”なのだよ。そういういきさつがあるものだから、“容れ物”も“子どもの視点”を取り入れたくてね。今日が最後の校正のチャンスとあって、編集委員の皆様は真剣にゲラを読み込んでいく。追い込まれたときの人の力はかなりなものだ。たくさんの目で確認してもらえるというだけで、制作側としても有り難い。このところ続く、こうした校正の場では、必ず「今、見つけてもらえて良かったね」を連発。一度印刷機に乗せてしまったら、今の時点での見逃しミスは、まさに「消せないミス」になっちゃうので。週明けには印刷データが入稿できることが決定。関わっている団体全てがちょうど活動の山場を迎えているというのに、このところ、ずっとこの広報誌誌面にかかりっきりだった。そんな中での、イベント実行委員に、テレビ取材。使う筋肉や感覚器官がまるっきり系統の違う現場への参加のおかげで、年明けから続いてきたPC依存的生活にもなんだかいい感じで“積極的休憩”が与えられたような思い。これでまたひとつの山場が終焉を迎える。目の疲れはとれたけど、肩こり腰痛のたぐいは、そうもいかないみたい。来週は、思いがけずフリーな時間が訪れる予定。美容院と整体には絶対に行こう!と、ここで宣言しておこう。
2010.06.17
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湯船につかりながら考える。保育所、幼稚園、児童館、学校のいずれも、福祉の最前線であり、単なる教育機関、保育機関であることのみならず、常に流動的な社会の動きと連動して、子どもや家庭に起こる問題への対応を迫られ続けている。子どもに関するニュースが報道されるたびに思う。ひとりの子どもに起きている問題は、そのまま社会全体の構造的な歪みや問題につながっているし、それらひとつひとつを解きほぐしながら子どもの育ちを支えていくことは、この社会全体を支えていくことにもつながる。高齢者に対する対応も同様で、子どもの問題、高齢者の問題、それぞれから感じられるのは、最早他人任せ、見て見ぬ振りは通用しないのではないか?ということだ。現政権が、前政権次代からの議論をも受け継ぎ、とりまとめようとしている子ども・子育て新システム。「子どもに予算をかけることは未来への投資」と言いながら、この国は、私たちは、子どもや家族を、どのようにして支え、またお互いを支え合う社会をつくろうとしているのだろうか。全ての子どもと家族に向けた基礎的給付と幼児教育及び仕事と生活の両立支援を見据えた給付の2階建ての設計になっている。そこに充てられる財源は次世代育成特別会計(あるいは基金or金庫)として国の一般会計(国庫負担金・補助金)や企業などからの拠出金を一元化、都道府県一般会計も加えて市町村に下ろし、市町村のお金も加えて市町村(基礎自治体)単位で次世代育成特別会計(あるいは基金or金庫)として「子ども色」のお金として確保、各自治体の実情に合わせて、自由に給付の組み合わせを選んで設計、実行出来る。基礎的給付は子ども手当をはじめとする現金給付と地域子育て支援拠点や一時預かり、社会的養護などの現物給付を実情に合わせて組み合わせられる。両立支援・幼児教育給付のほうは、今年度に関しては現金給付としては主に育児休業給付、現物給付として認可保育所などや放課後学童クラブ、病児保育、休日・延長保育、就学前教育がイメージされている。議論の中で気になっているのは、子ども手当満額支給月額一人当たり2万6000円が、公的予算から子ども一人当たりに振り向けられる金額の上限であるかのイメージで語られていることと、就学前教育も給付の重要なポイントであるにもかかわらず、これら新システムの予算としては教育関係の予算は加味されていないということだ。「子ども手当満額支給ではなく、 半額支給でいいから、残りを保育所関係に加算してくれ」というのが、アンケートを実施するたびに多数寄せられる一般市民の声。現に、給付としても、子ども手当は基礎的給付で保育所関係は両立支援・幼児教育給付と、別建てになっている。子ども手当として提案されている子ども一人当たり月額2万6000円は、決して、子ども向け予算の一人当たり枠ではないことを忘れてはいけないと思う。両立支援・幼児教育給付のなかには「就学前教育」と明記されているのに、どうも話題の中心は保育所待機児童解消に目が向けられがち。幼保一元化についても、理想的な就学前教育論が出される一方で、幼稚園関連団体、保育関連団体とも、自団体の既得権の主張とともに、「こうすれば待機児童解消可能」という方法論が先行している。就学前の全ての子どもたちに対する教育をいかように実施していくのか?すなわち、子どもが育ち行く環境をどのように整えていくのかという最も肝心な部分が抜け落ちているように思われる。この国は、子どもたちにどのような環境を提供しようとしているのか?子どもの育ちに何が必要で、必要なことを整えるにはいったいどのような制度設計を行っていくのがよいのか?どうやって検証、制度の詳細として組み込んでいくのだろうか。介護保険が誕生したときと同じくらいのインパクトと言われる、今の動きを、子ども手当と保育所待機児童解消だけの話題で見過ごしてはならないと思う。子ども・家庭支援を考える大きなイベントのあとだったから、その余韻が、こんなことを考えさせたのだろう。子どもの気持ちを汲み取り、受け入れてくれる社会であれば、全ての子どもが、そんな環境にいるのであれば、いじめも、児童虐待も、もう少し緩和されているかもしれない。いやいや、さらに同一労働同一賃金とか、ワークシェアリング、ワークフェアの実現も必要だよ。そうだね、子どもの育ちのおかしさは、おとなのゆとりのなさと表裏一体だと感じられることが多々あるよね。とまあ、考え出したらきりがなく、よくぞのぼせずに出て来れたと思うくらいだ。*子ども手当満額支給額を間違えていたので訂正しました。
2010.05.31
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春先から準備を重ねてきたイベント本番。盛り上げるために、さまざまな仕掛けを用意してきた。参加者を募って勉強会を開いたり、イベントの開催趣旨を説明するためのレクチャーを都内で行ったり。一連の勉強会にご参加いただいた方々には、当日ファシリテーターを務めていただいた。子どもたちの手形にメッセージを込めるというのも、用意した仕掛けのひとつで、全国の志を同じくする方々に呼びかけたら、実にたくさんの方々からの参加申し込みがあった。中には、同じようなイベントを企画していたからと手形をご提供くださるところもあり、大変有り難かった。こうして集まった子どもたちから手形を、当日来賓に贈呈するというのが、今回のイベントのクライマックスでもある。プレゼンターを誰にお願いするのか。当日はもちろん保育付きなので、保育を利用する親子全員に、とも考えたのだけれど、先に参加したイベントで、長老をエスコートした経験を持つ、ある親子にお願いすることにした。そして、イベント当日、自分が通う小学校の運動会で応援団長を務めることになった、事務局メンバーのお子様もプレゼンターとして加わることに。このところの天候不順で、体調を崩すお子様もあり、直前まで保育のキャンセルがあった。キャンセルは出ても、需要に追いつかない事情もあり、結果的には定員ちょうどで収まるが、ちょっとドキドキして、思わず保育お申し込みの方々に、前日こんなメールをお送りする。「明日は、よいお顔でお会い出来ますように!」果たして、みなさま、元気な姿で保育室に到着。よかった、と胸を撫で下ろす。お天気もなんとか保って、運動会も無事に終了、応援団長も駆けつける。保育室を早めに出たAちゃんは、ママとの再会で、ちょっとだけテンションが上がり気味?いざ本番となったとき、若々しい笑顔の来賓の前でご機嫌が優れず、ママに抱っこされてプレゼンターのお役目を終了。応援団長も緊張気味だったけれど、こちらは堂々と大役を果たしてくれた。「今日はかなり低めのバージョンだったなあ」会の終了後に、ママが苦笑いしながら出ていらっしゃる。Aちゃんはすっかりご機嫌で、座席にエスコートしたときの何倍も元気な様子。おとなたちの緊張が、そのまま伝わったのかな?ちっちゃなひとたちは取り繕うことなんてしないから、意に添わないときには、いつもこんな調子だね。全てが終わった解放感に満ちあふれていたように見えた。「僕、6歳だから」と下の兄弟とは別に、パパの“晴れ姿”につきあったSくんとは、途中で飽きてしまって会場から出てきたところに出くわし、急遽、学生ボランティアさんにお相手をお願いした。福祉系の学生さんたち、保育士志望ということもあって、快くお相手をしてくださり、大変助かる。「両手に花だね」なんて。終了後にパパと一緒のところで会うと、さっきまでのおとなびた振る舞いが、子どもらしくパパに甘える雰囲気に変わっていて、これもなんだか微笑ましかった。君にもプレゼンターをお願いすればよかったかな?子どものために、という趣旨のイベントが、子どもたちに嫌な思いや必要以上の我慢を強いるようではダメだ。数時間ぶりに親御さんと再会した子どもたちが、みんな楽しげな表情だったことに安堵する。そして、保育者として参加してくださった方々に心から感謝したい。会場を飾った、子どもたちの手形が押されたたくさんの鯉のぼり。そこに託された思いを、これから届けるべきところに届ける仕事が待っている。
2010.05.29
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今日も朝からフルスロットル。早く出かけたいのに、なかなか用事が片付かない。メールでのやり取りの中に、思わず面白い突っ込みが来て、ついつい優先的に反応してしまう。そんなことしてるから、さらに時間を食ってしまっている訳で(苦笑)。おまけに、また雨だ。冬物を着たり、春夏ものを羽織ったりと、日替わりで季節を行ったり来たりのせわしなさ。このところの大混乱の毎日に季節が合わせてくれてるんじゃないか?と思ってしまうほど。そんな忙しなさの中で、電車での移動のお供は「ともしびをかかげて」(サトクリフ著/岩波少年文庫)。いやあ、その内容も、なんだかジェットコースターみたいだよ。連続講座の記録のためにビデオと三脚、おまけに“移動金庫”よろしく領収書におつりに謝礼にと、さまざまな事務用品を大きなバッグに詰め込んで。これに傘をさせというのは、苦行でしかない。前回、講座の翌日に事務所に出かけるときも、雨の中、傘もささずに大きなバッグと三脚を両手に抱えてた。今日は、講座修了後に別の会合に出席するから、一旦事務所にカメラを置きに戻るつもりだったけれど、それは相棒が引き受けてくれたので、講師の先生としばし話し込む時間ぐらいは確保出来た。子ども・子育てを支える仕組みを考える連続講座。後半では、毎回白熱した議論となる。ともかく、「手当で仕組みや制度は買えません」の一言に尽きる。あまり多くは語れないのだけれど、マスコミや政治家のみなさまがあれこれおっしゃったりいろいろ打ち出される政策よりも、当事者のほうが正鵠を射ていることが結構ある。今回、アンケートをとったときも同じように感じた。ただし、「そんなに“くれ”“くれ”言わないでよ」とかなりうんざりしもしてたんだけど。例によって、打ち出された新たな制度にはぼろぼろとぼろも出て来る。特に子ども手当については、親が日本在住でなきゃ支給しないと言うし、高校無償化については、インターナショナル・スクールなどの扱いがちぐはぐ。これだけでも、ベーシックインカムとはほど遠い感じだけど、さらに「子ども」にベーシックインカムってどうよ?というある方の見解をお聞きして、なるほどと思う。夜は、先週大変な思いをして発行延期になった冊子が団体の報告会のパワポで見事に活かされていて、嬉しかった。懐かしい顔にも出会え、そのまま居酒屋へなだれ込む。もっとも、4月初めに打ち上げで体調がおかしくなって以来、どうもお酒に弱くなっているので、今日もビールは控え気味にして早めに退散。日付変更と同時に、帰宅。ああ、今週もまた、生協の注文が出せなかった……。
2010.04.23
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21世紀になってから10年経ったんだなあとしみじみ思うことが多いこのごろ。ミレニアム2000のときは、実はまだ20世紀だったけれど、この年から、いきなり本格的ボランティアを始めることになった。と言っても、有償ボランティアという曖昧な存在。それはともかくとして、それまで仕事で関わる世界が、地域とか地元というエリアにこだわるものではなく、広く社会全体とか、全国規模あるいは世界規模の企業など、大きな括りはあってもエリアという概念からは遠かった。で、いきなり「地方自治体って何考えてるんだろう?」といささか不遜な(笑)理由もあって、地元自治体発行の広報誌編集委員の公募に応じてみた。ここから地域密着型の世界に突入。業務を委託されて仕事をすることには慣れているから、相手の文化的価値観や物事の捉え方、求める方向性などを、1年、2年とぶつかりあいながら理解していった。与えられたミッションは、それまでとは変わっていない。啓蒙、啓発、情報発信。どんなに狭い世界でもそこに“住む”人々にあまねく情報を流布、浸透させていくことは、非常に難しい。でも、なるべくそれに近づけていこうと努力することは出来る。時間はかかるけれどね。で、今、バトルしている仕事が、たまたまある運動体の年史のような内容で、ひとつのプロジェクトが発展的に解消されて、新たなプロジェクトに向かうまでを立体的にまとめようというもの。これが、ものすごくユニークというかともかく面白いのだ。ある志を抱いて、行く先々でささやかな活動を繰り返していた人が、ひとり、ふたりと仲間を増やしていき、ゲリラ的に地元の人々にアタックを繰り返していく。自分の生まれ育ったまちで密かに運動を旗揚げ、一歩大きく踏み出すまでに2年、そこからさらに発展して場を持つまでに3年半。この5年半の間に、地元への働きかけだけでなく、もっと広いフィールドにも踏み出し同志を増やし、人脈というよりネットワークと表現するほうがふさわしいような地元で取りかかっている運動への、強力な応援団を形成している。場が出来てから、何が変わったか。そこは商店街の一角で、地元自治体の助成金と商店街の賛同もあって作られたコミュニティカフェ。いわば鳴り物入り状態でスタートしたコミュニティカフェという場が出来たことで、商店街に立ち並ぶお店の人のほうが少しずつ変わっていく。鳴り物入りということは、設立趣旨を高らかに告知出来ることでもある。設立時の精神に則って、まちが変わっていく。この運動体のすごいところは、2年経ったところで、もう次のことを考え始めていること。そこにはさまざまな理由があるけれど、先読みができることが強み。自分たちの計画通りに次のプロジェクトへの布石を打ちながら、さらにミッションを遂行させていき、商店街を含むその地域一帯に設立の精神が深く浸透していく。セツルメント活動って、まさにこういうもの、なのかな?同じ場にいて、一緒に過ごしながら、相手の生活そのものを支えていくこと。支えているけれど、支えられてもいる。3年半経って、運動体は、いよいよ新天地へと拠点を移す。鳴り物入りでスタートした地には、着実に自分たちの運動精神が移植されていて、あとは、3年半の間に培ったつながりを元に折に触れては出向いて行って手入れを怠らなければ、たぶん廃れることはない。彼らとの打ち合わせのときに、敢えてこう言ってみた。5年後ぐらいに、もう一度同じ場所に還るっていうのは、どう?ま、これは茶道の修業と同じく、奥義を究めたら再び盆立てから始めるってのと同じ意味。ちょっと観点が違うけれどね。彼らのこれまでの“軌跡”をたどりながら、これまでは大きな組織の意思伝達、意識改革、組織改革の一端をたどりながら感じていたことと、ほぼ同じ思いを感じる。トップダウンもボトムアップもどちらも大事。けれども、その運動体、組織が広く働きかけるには、その組織の内外に、自発的な支持者、支援者、応援団が育つことがもっともっと大事。ま、伝播ってやつだね。種まき、水やり。奇しくも農業みたいなじっくり型。改めて思い出すよ、この言葉。「物事は10年先のことを考えないと いけませんよ」そろそろ21世紀らしさってやつも育ってきたかな?
2010.04.15
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未熟児親子フォローアップの会の定例会。これまでの2年間、毎月参加してくれていた親子も今日が卒会とあって、なかなかのにぎわい。しばらく参加できなかった事務局のAさんも駆けつける。継続的に、子どもたちの様子を見ていくことの素晴らしさを、事務局メンバーでかみしめつつの2時間。1年間だけでも、目覚ましい成長ぶりに目頭が熱くなってきたのがちょうど1年前のこと。今日は、しばらくぶりに参加した、Sくんの弟くんの成長ぶりに驚く。みんなでかわりばんこに抱っこして、ねかしつけたあの赤ちゃんが、なんと駆け回っている!よそさまのお子様が育つのは本当に早い。着実に時間が経っていると実感する。子どもはまさに、時間の貯金箱みたいだなあ。途中、みんなが大好きなシーツのブランコで、AくんとSくんが譲り合う。「どうぞ」「ありがとう」このやり取りを見てるだけで、まぶしい。すごいね、君たち。もう、そんなふうにお友だちのことを思いやれるのね。時機にかなったふるまいまで、出来るようになったんだ。それぞれの写真を添えた手作りのカードとメダルを受け取るひとり一人の笑顔が誇らしげだ。まだまだ気がかりが残るお子さんもいる。この先も、折に触れてフォローが続くだろう。Y先生のお教室に通えるといいと思うけど、無理強いは出来ない。先日卒業した看護学科の学生さんも参加。彼女は1年のときから参加、特徴ある声が聞けなくなるかと思うと寂しい。念願かなって助産師の資格も取得、4月からは、付属病院の産科にご就職ですって。また会えるといいな。なんと事務局スタッフにカードを添えたクッキーを持ってきてくれた。次の予定があるけど、一緒にお昼ご飯を食べて、ぎりぎりまで名残を惜しむ。未熟児ちゃんたちとともにボランティア学生さんも巣立っていく。やっぱり痛感、子どもは時間の貯金箱。一緒に過ごした時間分、確実に育っているし、その成果を目の当たりに出来る。
2010.03.13
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あいにくの雨だったが、無事、シンポジウムが終了した。ありがたいことに、新聞社2社、地元ケーブルテレビ、N○Kなどから取材が入り、精力的な取材も行われた。アンケート報告、基調講演。特に基調講演では、講師に特別にお願いをして、冒頭のところで、「世界の家族」という教材の中から、いくつかの写真を紹介していただき、家族のありよう、価値観、人生観の国ごとの違いを見える形で紹介した。国際社会の教材として使われる「世界の家族」は、それぞれの国の人々に、家の前に家財一式を並べてもらい、家族とともに撮影したもの。初めてF先生のところでこれを見せていただいたとき、強い衝撃を受けた。ほとんどもののない家族、代々伝わる重厚な家具を大切に使っている家族。そして、家一軒分、余分に建っているんじゃないか?とおびただしいものを詰め込み、暮らしている家族。最後に挙げたのが、東京で暮らす家族の写真だった。世界の人々の暮らしを、これほど雄弁に物語る写真もないだろうと思った。受付と控え室、会場を飛び回るお役目故、ちゃんとお話を聞くことはかなわなかったが、聴衆が非常に感銘を受けたことは、第二部のパネルディスカッションでのパネリストたちのコメントを聞くだけで十分に伝わってきた。パネルディスカッションでは、子ども・子育てビジョン担当の国務大臣をゲストに、ワーキングマザー、海外での子育て経験を持つ専業主婦、シングルマザー、育休を取得した父親、外国籍の妻と結婚し、地域になじむためPTA会長になった父親、と実にさまざまなプロフィールを持つ方々をパネリストに迎え、それぞれの子育て、働き方などの現状と、忌憚のない意見、提案を語ってもらった。プロジェクトのメンバーに、現国務大臣の元秘書という経歴を持つ人がいたので、登壇をお願いできたのは幸運だったかもしれない。会場にも、子育て家族だけでなく、さまざまなプロフィールを持つ人々が参加してくれた。教育委員会の代表として出席いただいた教育委員が、最後に挨拶をしてくださったところ、彼は突然妻に先立たれたシングルファーザーだった。これには、会場が沸いただけでなく、子どもと暮らす家族の多様性を実感できた瞬間だったかもしれない。今回は手話通訳者もお願いし、聴覚しょうがいの方も参加してくださった。主催者、パネリスト双方にしょうがい児の親もいて、バリアフリーというかユニバーサルな雰囲気。協賛団体からのおみやげもあって、素敵なお花が彩りを添えるなど、いろいろ盛りだくさんだった。懇親会の後半、ニュース7の時間が近づくと、ワンセグ携帯を持つ人がTVにアクセス、じっと画面に見入った。後半の部分で、私たちのシンポジウムのニュースが流れたとたん、歓声と拍手が起きる。子育て当事者へのインタビュー、アンケート報告画面と、報告書に掲載のデータが紹介され、ラストで代表へのインタビューが流れた。と、それぞれの携帯電話にメールが届く。テレビを見ていた知人や友人からの驚きのメール。しっかり紹介してもらったのを見届けたあとだったので、一気に盛り上がる。新聞でも、来週後半に記事が掲載されるとのこと。どんな記事になるのかな。これで終わりではなく、これが始まり。地元を中心に、定期的な集まりを持ちながら、同志を増やして行こうと考えている。どんなふうに広がって行くんだろう?まだ終わったばかりで全く見当もつかないが、まずは反響を楽しみに待ってみよう。
2010.03.07
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せっかくよいお天気で、しかも今日あたりから気温が上がるらしいというのに、缶詰状態。夜、近所のコンビニへ買い物に行く。マンションのそばのスーパーから歩き始めの愛らしいおじょうちゃまが出て来る。ちっちゃいねえ、お手てもあんよも。「○○ちゃん、こっち」お母さんらしき声が聞こえる。振り向いたおじょうちゃまは無言で動かない。その脇を通り抜ける私。小柄だけど、内面充実という印象。小ささの割に意志ははっきり持っていそう。「○○ちゃん、ちがうの、こっち。 おうち帰るのよ」お母さんの声。“こっち”には行きたくないのね。まだ帰りたくないのかなあ。「ほら、こっち、こっち」我慢強いお母さんは、声の調子を変えることなく説得中。幼いながらに意思を持つ。でも、その意思を伝えるすべは、ほとんど持たないに等しい。動かないこと、機嫌を悪くすること、くらいか。態度でかろうじて示せるけど、ちゃんと伝わるかな?用事を済ませて戻ってきたら、もちろん先ほどの親子の姿はなかった。快・不快だけの世界から、外界に向けて自分が影響力を示せるとわかったときの感動。そんなこと、誰も覚えちゃいないのだけれど、今に至って、多分その感動はあっただろうと推察する。「こうしたい」から「こうありたい」へと広がっていくのは、いつ頃からかしら。幼子のうちにわき起こる思いや願望がより複雑化することを感じられても、その詳細を慮るしかないおとなにとって、幼子の内なる思いが複雑化し始めた頃が、わが子の不可解さに気づく時期かもしれない。デンマークの母子手帳の表紙にはこう書いてあると言う。「あなたの子どもはあなただけの子どもではありません」社会全体で子どもの育ちを支える国だから、「あなたの子ども」は社会の子どもであり、「あなた以外の子ども」も「あなたの子ども」同然に育てようと呼びかける。さらに付け加えたい。「あなたの子どもは、 自分の意志を持つ、独立した一人の人間です」そんなこと、わかっちゃいるけど、そう対応するのは難しい。子どもなんてさ、不自由で弱くて、不当な扱いばかり受ける存在なんだよ。だから、早くおとなになりたかったんだよね。今はどう?
2010.02.24
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今日は地元自治体での次世代育成支援行動計画後期行動計画の区民説明会。前期行動計画のときには2回にわたり場所を変えてシンポジウム形式で説明会を行い、さらに、フォーラムまで開催されたことを思うと、今日一日だけというのは大変物足りない。会議でも、そこを指摘したのだけれど、まあ、ご時世ということもあるのかしら。行政刷新会議のショッキングな答申も影響していると思う。それはともかくとして、冷たい雨の降る中、30名ほどの参加者から、鋭い質問及び意見が寄せられた。パブリックコメントも実施中で、すでに多くのご意見が寄せられているとか。更なるご意見やご提案をいただき、もっともっと実情に即した、また実効性のある計画へと練っていけるといいなあ。このところ、さまざまなテーマの会議がスタート、委員の公募も始まっている。熱い思いを抱いて参加出来るようになっても、思いが形になることはなかなか難しい。会議の構成員の思いが違うということだけではなく、さまざまな壁が立ちはだかる。ひとりでも多くの方が公募に応じ、議論に参加、壁を少しでも崩すための牽引力になってくださればと思う。意見が違おうとも、そこには「よりよくしたい」という共通の思いがあることを認め合い、いかにして実現化させて行くのか、前向きに議論していけるといいなあ。説明会終了後、委員仲間とわざわざ足を運んでくれた仲間とともにお茶を飲む。とても不思議なんだけれど、このところの怒濤のような日々と明日が私の誕生日だということと、何か関係があるのかしら?明日もまた、子ども業界のミーティング。
2010.02.11
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朝から猛烈ダッシュの日。昨日、肩の荷が下りたのもつかの間、今度はイベント二連チャンで、準備の最終確認に追われる。会館との下打ち合わせをしていなかった!とあせったものの、打ち合わせなしの会館だった……。ただし仕込み時間は30分。大丈夫なのか?ぎりぎりまで夜のイベントの申し込みを受付、3回も印刷をやり直す。やり直しながら、最終チェックの備忘録を書き出してみる。朝からコーヒー飲んだだけで事務所に立ち寄りおにぎりをかじりながら、電話対応。もう、こんな姿、誰にも見られたくないっ。(って、ここに書いちゃってるし。苦笑)あわてて飛び出し、前半戦に向かうと、駅を出たところでメンバーの一人に声をかけられる。思わず、お互いちゃんとご飯が食べられたかどうか確認。いったいどういう団体なの?>わたしたち。前半戦を早めに切り上げ、後半戦の会場へ。午前必着で先に届いた資料類が、想像以上の量で、会場担当者に気遣われてしまう。会場に到着。想像以上に設備が整っていることに感動。受付開始前に、何名もロビーで待っていてくださり、感謝。登壇者や登壇者のお付きの方々も次々に到着。参加者用のテーブルに資料を次々に並べて行く。前半戦の最終まで参加していた後発隊も到着。メールでだけお名前を存じ上げている方々と受付を通して、次々にご挨拶。会がスタートした後も、さまざまな裏話が展開するのだけれど。いろいろ不手際もあったけれど、無事に終了。みなさまご満足いただけたみたい。交流会へのご案内は、参加者ではあるけれど、ほかの活動でご一緒しているこういうときには頼りになる方々に託し、さくさくと後片付け。重い荷物は宅配便で送る。ここでも、助けてくださる方が登場。弱小事務局の私たちは、こうやって支えられているんだ。交流会は大盛り上がりで、気がつけば23時5分前。あわてて、みなさまに時刻を告げ、帰り支度。本日は前半戦も後半戦も、すべて子どもや子育てを支えるために日々尽力している方々と直にお会い出来る機会だった。施策を考える人、現場で対応する人、今は当事者であることにウエートがかかっているけど、少しずつ相互支援にシフトしている人などなど。で、ついでにと言っては何だけれど、報告書を配る。と、思わぬ大御所にこれが届けられたことを知る。子ども業界は、案外狭い。必ずどこかでつながっている。今日も、また編み目のごとくつながりを実感する一日だった。
2010.02.10
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もともと趣味が散歩なので、子どもが生まれたおかげで日課となったときは嬉しくて結構歩き回った。もっとも、散歩したい場所に住んではいなかったので、最初はそれが悩みの種でもあった。が、どんな街の片隅にも、小さな花が咲き、季節の移ろいが感じられる。なんといっても、のんびりと空を見上げる余裕があることに、心から感謝、毎日、嬉々として出かけるようになった。まあ、もともとがもともとなので、ささやかな趣味が実益を伴う時期がやって来たと言うべきかもしれない。会場の周囲を歩くフィールドワークを行う分科会に参加したくて、子育て支援者向けのフォーラムに出席した。幸いよく晴れて、日向はぽかぽかと暖かかった。娘が幼い頃、さんざん歩き回った場所だったので、定点観測の気分で歩く。いきなりおかしげな植物を発見、ついでに野良猫にも挨拶。意味不明なチョイスの人形たちにも出くわして、スタート直後から、停滞気味。始まる前に、「意外といろいろ気になって、 さほどの距離は歩けませんよ」といわれたが、確かにその通り。日陰で霜柱を発見!奇怪なホースも街路樹の根元でとぐろを巻いている。まるで街の探検隊みたいな気分。楽しい!今の若い親御さんたちは散歩が苦手なのだそうだ。近所の公園までが、もう苦痛でたまらないのだとか。「散歩しながら、 なんて言って 子どもに話しかければいいんですか?」ふうむ、そう来たか。そりゃあ、苦痛かもしれない。下手に、「こんなふうにするのよ」なんて答えたら、今度はそれが義務というか重要課題になって、さらに苦痛になってしまうかもしれないじゃない。これはひとつ、一緒に散歩をするイベントを考えよう。一緒に歩きながら、道ばたの諸々にいちいち反応する楽しみを味わおう。ちっちゃな子どもも楽しくなって来ること請け合い。何回かお散歩隊を経験すれば、散歩の作法みたいなものが身に付いて行くと思う。ま、そのようなことを、夜のワンコの散歩のときに夫に披露する。今夜も夜空の星がきれいだった。オリオン座の左上の星が、つい先達て、超新星となって爆発したなんて信じられないくらい。600光年離れているそうだから、今見ている星は600年前の姿。きれいに輝いているのは当たり前なんだけど。なーんてことも散歩の楽しみのひとつではあるね。
2010.01.15
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お願いごとがあって、いつもお世話になりっぱなしの某保育園長に会いに行く。新型インフルエンザ流行の警戒時期ゆえ、マスク着用で執務中のご様子。流行期に入ってからも、インフルエンザに感染する園児がいなかったのに、11月の三連休明けにいきなり多発。抵抗力の弱い重度しょうがいのお子様が事務室で隔離状態で過ごしている。もちろん保育士がちゃんと様子を見守っている。現場の方々のこのような工夫がいくつも凝らされてこそ、休園なしが前提の保育が可能なんだろうなあ。子どもたちは、すでに春から手洗いは完璧だしね。昨日の学習会でも、室内の湿度が“警戒域”だというので、飲み物やキャンディーが供され、のどを潤すことで受講者の健康を守ろうとしていたっけ。出かけるたびに、感染予防法を学ばせていただいている感じ。いくら感染症が流行してもそう簡単には休めない方々がたくさんいらっしゃる。こういうときこそ、セルフケアだなあ。で、気がついた。寒がりの私は既に手袋が手放せない。これ、意外といいかも。もちろん不用意になんでもさわったり顔に手をやったりは御法度だし、機会があれば手洗いはしっかりするのだけれど、足下が不安なときに、つい手すりをつかんだりしても素手じゃない分何となくの安心感。急に発熱したお子様のお迎えにママの職場の同僚が来ていた。「今日は非番なので代わりに」いい職場だなあ。預かり合いが出来るんだ。私が子どもの頃、幼稚園で急に具合が悪くなったとき、隣家のおばさまが迎えに来てくださったっけ。確か母は妹と外出中だった。隣家に到着し、おばさまが私のためにお布団を敷き始めたところで母と妹が帰宅、私を迎えに来た。お隣ではしかが発生すれば、我が家でも同時期に発生し、水疱瘡もほぼ同時期だったな。同じ幼稚園に子どもが通っていたからね。お互いさまって感じだったと思うな。なんとのどかな時代だっただろう。って言ったら、誰かに叱られちゃうかな?今、笑って思い出を語れることに感謝しよう。
2009.12.04
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週に一度行われている地元のプレーパークへ。本当は青少年関連の支援事業に従事する方をプレーパークの世話人のMさんにご紹介するはずだったのだが、いっこうにいらっしゃらないので、ひたすらたき火の番をする。ここでは、1週間ぶりのたき火。数日雨が降り続いたこともあり、倉庫にしまわれていた火起こし材が湿気を帯びていて、なかなか火力が強くならない。にもかかわらず、マシュマロを焼こうとする子どもに、焼き芋用に細工を施した芋を持ち込むおとなや子どもが次々とやって来る。子どもたちにお願いして木の枝を拾って来てもらったり、倉庫にしまわれていた工作用の木材やとうとう炭まで持ち出す羽目に陥る。もう、体中煙に巻かれていぶされて、薫製になったような気分。ようやく炎が立ち上がると、わらわらと集まる子どもたち。火の番をしながら、Mさんとあれこれ情報交換。思いは強くても、現場を維持するのが精一杯の彼女は思いの強さ故に、次から次へと言葉が出て来る。結局急用が出来たのか待ち人来らず。火を消しながら、忘れ物の焼き芋を最後まで残った子どもたちと分けあって食べる。久しぶりのたき火。体中灰だらけになっていたのに気づいたのは、帰る途中にスーパーマーケットに立ち寄ったとき。改めて体に染み付いた煙の匂いを意識する。炎が立ち上るたびに子どもたちがわらわらと集まる。で、火力が弱くなると、いつの間にかどこかへいなくなっている。で、再び炎が立ち上がると、わっと集まる。不思議なものだなあ。いやあ、楽しかったあ。これからはたき火よね。病み付きになっちゃいそうだ。
2009.12.02
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いよいよ大詰めに近づいた地元自治体での子ども関連行動計画策定の会議。大詰めと言っても、それは行政側が想定しているスケジュールの都合で、本当の意味で議論が煮詰まってきているわけじゃない。計画策定の理念を再度確認し、全体を見渡しながら、疑問点などを出して行く。議論が足りない部分も再検討する。子どもと暮らす家族にとっては、情報や必要な施策、関連事業や機関とをつなぐコーディネーター機能の必要性が改めて感じられる。ただし、自由に動けるコーディネーターを提案してもまだ自治体の側にそれを受け入れられるだけの素地がない。このコーディネーターについては、まず最初に、向こう5年間かけて議論していくことが確認された。さらに、圧倒的に不足している10代への施策について、これも、最重要課題のひとつと位置づけ、実現に向けた議論を行い施策化していくことを約束する証として基本施策の中の個別施策として明文化された。子どもの視点が重要と言いながら、施策決定のプロセスに、本当の意味で子どもの側からの意見反映がなされているとは言い難い。これについては、細かな実例を出しながら、まだまだ説得中のような段階。すでに地域での課題として認識されている公園利用を巡る議論の中に、ぜひ子どもたちも加えて行けるよう、再度提案。さらには、今後予定されている公共施設建設に当たっても、子どもも利用者の一員であるとの認識から、意見反映や、いずれは運営などにも参画出来るようにと、提案だけは次々に行われて行った。公式な議事録として残されるものだけに、ここではきちんと言っておく。何のために中高生にもアンケートを実施したのか。ただのアリバイづくりだけではなく、そこに記されている子どもたちの声に耳を傾け、事業に反映させて行くこと。自由記述欄には、実に建設的な意見も随分と書かれていたのだから。声を上げることの出来ない子どもや親に対しても、目配り出来るよう、さらに新たな視点、既存事業の発展的活用を考えること。限定的な捉え方では、せっかく有機的に活用出来るはずの事業も一本調子の物足りないもので終始してしまう。この事業には、このような活用法があり、これだけのポテンシャルを秘めているんです!と、さまざまな事業が取り上げられ、委員の側から意見や提案も出されて行く。これまでのように行政主導だけではすべての課題に対応していけない。それならば、専門的に活動しているNPOが増えてきたのだから、恊働事業としてお互いの得意分野を活かしていけばいい。ぜひ、そういうスタンスに変えてほしい。「そういう分野は行政には苦手の分野でして」何てことは絶対に言わせない。会議終了後、久しぶりに議長以下数名の委員とお茶を飲む。「こうやってフラットな感じで、 けんけんがくがくと語り合いたいんですよ」「そうですね」「結構思いを溜めている方々がいらっしゃいますよね。 アイデアをたくさん持っている方もいるし」「語り合いながら、情報交換や意見交換をして、 新たなアイデアが飛び出して、 「やろう」ってことになれば、随分変わっていくでしょう」「それこそが、本当のネットワークですよね」地元のしがらみにとらわれることなく、忌憚のない思いを語り、夢も語れる。1年以上議論をともにしてきて培われた輪はさらに広がりを持とうとしている。10年近く、地元自治体であれこれやってきて、ようやく何十にも重なり、そこからさらに広がりをも擁する重奏したネットワークの存在を実感出来るようになった。これが、本格的に稼働出来るようになるには、あと、なにが必要なんだろう。そうか、次の交流会には、それを話し合えばいいんだ。インフルエンザが猛威をふるい、子どもたちの居場所はかなり影響を受けているけれど、そこを守るおとなたちの間では、今日もさまざまな議論が飛び交っているはず。ひとり一人が出来ることに尽力し、つながり合っていく。たくさんの笑顔が目に浮かぶ。
2009.11.06
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今の子どもたちの生きづらさについての講演を聴きに行く。主催は、地元自治体で不登校や引きこもりの子どもの親たちが立ち上げた団体。子ども施策関連会議での委員仲間にちらしをもらった。彼、Mさんも団体の会員であり、フリースクールをも主宰している。夜は、NHKの子どもサポートネットを観る。世界の先進的な子ども支援策の取材報告とともに、スタジオのゲスト及び視聴者代表がさまざまな意見を述べていた。徹底した家族政策で出生率を上げたフランス、学力世界一のフィンランドを皮切りに、世界一子どもの幸福度が高いオランダ、子どもや若者の意見を取り入れながら都市計画などを進めているイギリスの現状を紹介。実際に現地で暮らした研究者、ジャーナリストや現地での担当者が来日した際にお話を訊いてきたので、基礎知識だけは充分。スタジオには10代のゲストも6名いて、忌憚のない意見を引き出すべく平田オリザさんが聞き役に。子どもとその家族を支える施策、あるいは雇用政策、教育政策などがその国に暮らす人々を生きやすく出来たから、出生率がアップ、学力がアップ’(国力もアップ)、幸福度がアップ、荒んだ子どもの数がダウンした。イギリスでの取材画像にHear by Rightのテキストを発見。今年3月に日本でも翻訳本が発行された(萌文社)。知人が翻訳と監修を手がけている。現金給付と現物給付。きめ細かな施策と手当の設定が、子どもと暮らす家庭だけではなく、その国で暮らす人々みんなを生きやすくする。オランダの雇用政策なんて、ほんと、すごいんだよ。昼間聴いた講演を思い出す。今の日本で生きる子どもたち、若者の生きづらさ。そりゃあね、日本では、1960年代だったか、中央児童福祉審議会保育制度特別部会での「保育問題をこう考える」中間報告で「母親の保育専任と父親の協力義務等 家庭で保育を原則とする」という中間報告が発表され、母親は育児、父親は外で働いて生活の糧を得るという家庭のあり方を一方的に国が決めた経緯はあるよ。それを、何の反省も見直しもなく、21世紀に突入した後でさえも突き通したどこかの政党の失策と、言ってしまってもいいんだろうね。ええ、いろいろと腹を立てているんですよ、私。で、今日の腹立ちと言えば、昼間聴いた講演のこういう下り。暴走族を壊滅に追い込むため、バイクに乗れないよう学校で指導し、講演で集会を行うことを禁止した。で、これを西日本のある地方で実行し暴走族撲滅に寄与した人物(警察関係者)がその後、警視庁に異動して同じことを実行、都内の暴走族の一掃に成功した。あのさ。4年くらい前に都の教育委員会関係者に聴いた話では、「最近の子どもたちのコミュニケーション能力の劣化に伴い、 リーダーシップをとれる子どもがいなくなったので、 暴走族は成り立たなくたったため、 都内には現在暴走族はいません」ということだった。それって、もしかしなくても嘘だったのかな?かようにして、巧妙なる手法で、一般市民は騙されてきたのだ。情報操作って奴だよ。NHKの番組では、国が家族のあり方、子どものお世話をする人々、家族の有り様や子育てのあり方を規定してきたこれまでと、そりゃあ、おかしいだろ、そういうこと(子育て担当や責任者などなど)を決めるのは家族ひとり一人でなきゃというような方向に向かっていた。子どもの頃、自分なりに意見や主張があった場合、「どうぞ、言ってください」「おかしいって言っていいんだよ」と耳を傾けてくれた大人がたくさんいた。そのおかげで、今の私がいて、娘も同じ感じだし。途中経過に何があった?何が起きていたんだろう。
2009.10.31
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天気予報によれば、今日から再び雨続き。明け方に少し降ったらしく、朝起きたらすでに庭に出る階段が濡れていた。夜の散歩は諦めて、雨の降らないうちにショートカットの散歩。いろいろ細かな用事を済ませて子育てひろばへ。Kさんご一家がまったりと運動会の代休を過ごしていらした。土曜日は幼稚園、日曜日は小学校だったんですって。ママのTさんはお疲れ気味。Sちゃんに腰を押してもらおうとうつぶせになるのだけれど、Sちゃんがのしかかった上から末っ子のKちゃんまでのしかかり、親ガメの背中に、子ガメ、孫ガメ……という有り様に。スタッフのAさんとともに、「ママが潰れちゃうよ」と子どもたちをどかせる。育児はともかく体力だわねえ。Kちゃんがオネムになって来たのでTさんが和室にKちゃんと横になる。Hちゃんはお絵描き。Sちゃんは、何と私にオセロのお相手をリクエスト。初めのほうこそ、のんべんだらりとやっていたけど、いつの間にか真剣勝負。着々と隅をゲットしつつ、陣地を広げて行く。ああああーっ、圧勝してしまった!ひどく疲れたのでAさんにバトンタッチ。Hちゃんもお絵描きをやめて観戦。Sちゃん VS Aさんは、まずはAさんが勝ったものの、次にSちゃんが勝って、Sちゃんの「ばんざーい!」で終了。最後の手合わせでは、あっという間にSちゃんが隅をゲット出来る体勢になったので、Aさんと私とで、何とか隅にコマを打たせようとあれこれ誘導してみるものの、これがなかなか通じなくて……。(笑)どうやらSちゃんにはSちゃんなりの打ち方があって、まだまだ先を読んで打つところにまでは至ってないらしい。昨年から、もう何度もSちゃんと対戦している娘は気がついていたかな?うまーく勝ったり負けたりを繰り返しながら、微妙に勝星を増やしていたような記憶が……。近隣の幼稚園や小学校でも新型インフルエンザが忍び寄って来ていて、結局、今日のひろばはK家専用で終了。スタッフのFさんちのお子さまも高熱を発していてもしかするともしかするんですって。もともと今週はほとんどFさんは来られないらしいので、何とか時間を作って、もう1回くらいは立ち寄ってお手伝いしたいところ。ひろばを出ると、外は雨。いつもは夜の散歩で歩いている住宅街をのんびり歩いて帰る。夜、知人からメールでお知らせのあったNHKの「クローズアップ現代」を見る。近隣の住民にとって迷惑施設になっている公園がテーマ。先日の会議でもホットなやり取りを交わした。やはり利用者と近隣の人々とが顔の見える関係になることが大事なんだな。地域によって支えられているのは公園利用も同じだ。なんだか一昨年に取材して回った保育園や幼稚園の地域交流と同じような展開。さまざまなことが頭を駆け巡る。オセロをやるとくたびれるのに、こういうことではくたびれない。不思議だあ。
2009.10.05
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夕べの月は、とても綺麗だったなあ。ワンコと一緒に表に出て空を仰いだら、空のてっぺんで輝いていた。今年も中秋の名月を愛でることが出来た。「ああ、これで明日の運動会は大丈夫」と、思わず翌日の天気のことまで考えて、ほっとした。というわけで、今日はさんさんと朝日が降り注ぐ。新型インフルエンザで夏祭りが中止になってしまった母子生活支援施設のミニ運動会。このところの雨続きで、今日だけは天気予報でも晴れ。おまけに前日の夕方から晴れたので、グランドコンディションもまあまあ。気恥ずかしいことに、ここでは来賓なのでした。顔なじみの方々としばし近況報告。今年春に開園したばかりの認可保育園の園長先生もいらして、園の様子などをお伺いする。地元小学校の運動会同様、応援合戦からスタート。いつも対応してくださる主任クラスの職員さんが、なんとホストの格好をして応援ダンスを踊る。多忙な日々で、いつ練習なさったのかしら?残念ながら、審査員の判定は子どもらしい愛らしさを強調した赤組の応援に軍配。そりゃあね、子どもたちのための運動会ですから。幼児さんからおとなまでが参加する運動会だけに、玉入れひとつとっても、みんなが参加出来るような工夫がされている。手の小さな幼児さん用には卓球のボール、大きな人には、普通の玉。玉を入れる場所も、幼児さん用にはたらいが用意されていた。障害物競走でも、年齢に合わせて2種類の設定。借り物競走もセットされていて、指示カードに基づき、眼鏡をかけた人や髪の長い人など、会場から該当する人を捜し出して一緒に走ってもらう。地元の関連団体のおばあちゃまが、「おばあちゃん」のリクエストに2度応えることになり、「2度も参加させていただけるなんて」と喜んでいらした。そうなの。こんな感じであったかーい雰囲気なの。休憩時にはバザーも行われ、夫のために入浴剤を購入。最後の種目、パン食い競走では、娘が卒業した中学校の校長先生に副校長先生が出場。同じ日に地元地域の運動会もあったのだけれど、教え子のためにこちらにも顔を出してくださったのね。全員参加だけれど、膝の故障でパスした私に、ご自身が自らゲットして来られたパンをくださる方もいて。これはお土産として持ち帰ることにした。プログラムの合間に、施設長さんがいらっしゃる。ご一緒している会議の資料が昨日届き、来週の会議でもお会いする予定。もっとも、月に一度は、じっくりお話をお訊きするお役目もいただいているので、お話の内容は、もっぱら後者。実は、姉妹施設から小学生を連れて来て運動会開催とあいなった。すでに何度も話題に出ているように、入居する母親の年齢がどんどん低年齢化していて、子どもの年齢も乳幼児がほとんどという現状にある。母子生活支援施設の入居期間は2年間と定められているから、かつてのように子どもの成長を見守りながら自立を目指す母親を支援するということは許されない。紆余曲折はあるけれど、現在、母子生活支援施設は児童福祉法に基づいて設置されているというのに、自ずと子どもたちの年齢も乳幼児に集中していき、運動会として成り立ちにくくなっているのだ。特に10代で母となった人の入居が急増している。高校中退で母となる人がほとんどで、その学歴のなさが自立を阻んでいるのだ。技能習得のための訓練校や専門学校に通う人もいるが、まず学歴が必要だというケースは少なくない。通信教育で高卒資格を取得、あるいは定時制高校に通学が急務。それを経てようやく求職の入り口に立つことが出来るというのが現実なのに、2年で何ができるんだろう?10代の若き母とその子どものことを思うなら、4年か5年くらいの入居期間が必要だと思う。外国籍の母と子もいて、こちらは言葉が壁になる。行政の事業プランには、「母子の生活自立に向けた支援の拡充」何てことが書いてあるけれど、こんな曖昧な表現では、まったくもって不充分。現場のことを知れば知るほど、事業内容のきめ細かさの必要性が痛いほど感じられるのはいつものことではある。最も地味で目立たない母子、ひとり親に関する施策だけに、策定会議では、具体例を示しながら提案していくことが大事だろう。と言っても、母子生活支援施設は都道府県管轄なんだよね。自閉傾向の強いお子さまが、今日はいつになくにこにこしている。この場に集う人々の温かさや楽しいという気持ちが彼女にも伝わっているからかしら?そんな温かいイベントの傍らで、かなり堅苦しい話も進んでいく。終わりの言葉は、三人のお子さんとお母さま。ひとり一人が楽しみ尽くしたことが伝わって来た素敵な挨拶だった。来年もまた、参加させてくださいね。それまで、膝の筋力トレーニングに励んで、パン食い競走くらいには参加出来るようにしておかないと。今夜は、満月だ。
2009.10.04
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