bukit bintangのブログ
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京都が好きで、色々とアンテナを張って来たつもりでも、まだまだ知らないことの方が多い。SNSでつながっている和の情報雑誌のサイトで最近知ったのが「千利休菩提寺 狩野永徳筆国宝障壁画」の特別公開だった。大徳寺や狩野永徳は知っていたが、聚光院についてはまったく無知だった。6月末から1週間ほど京都へ行く予定が入ったのを幸いに、オフの時間帯に合わせて特別公開のガイド付ツアーを予約した。そう、完全予約制でガイドさんがついて説明をしてくださる。事前に行った知人の情報やウェブサイトを参考に少しだけ予習して、ワクワクしながら北大路駅からバスに乗った。大徳寺まではものの10分。紫野大徳寺の広大な敷地の中に数多くの塔頭があり、それぞれに歴史的にも文化的にも深い由緒がある。聚光院まで歩く間に「石田三成墓所」や「織田信長墓所」の塔頭を通り過ぎた。聚光院へ着いたのは予約したツアーの時刻の30分以上前だった。前日まで涼しかった京都は、この日からいきなりジリジリと暑い。「どうぞ涼しい室内でお待ちください。」と勧められたのだが、「差し支えがなければ、縁に座って時間までお庭を眺めていてもいいですか?」と思わず答えてしまう美しいお庭。その由緒はまだ知らなかったが、吸い寄せられるように縁側に座り、前日までの雨で青々、生き生きとした杉苔の海に覆われた枯山水のお庭と、その後ろに見える生け垣、借景を見ていた。受付で頂いたパンフレットを開くと、庭の説明があった。名勝「百積の庭」 。千利休が植樹されたという娑羅(本物の娑羅は日本国内に本来無く、夏椿らしい)の木が右手にあった。ツアーが始まった。良いガイドさんに当たったらしい。とても丁寧に心をこめて説明をしてくださった。方丈(本堂のことをそういうらしい)の室中に入れられた狩野永徳が24歳の時に描いた「花鳥図」(国宝)が圧倒的だった。普段は国立博物館に所蔵されており、実際に障壁画のカタチで実物を見ることができるのはこの特別展ならではの醍醐味。「この障壁画を、この位置から信長、秀吉もみました。」というガイドさんの言葉にちょっと震えた。もちろん名勝「百積庭」も信長などの目に触れている。話は飛ぶが、「へうげもの」という古田織部を主人公にした漫画にも、よく見るとこの聚光院出のシーンが出て来る。 鬼才・狩野永徳はおそらく過労死したのだろう、と言われているほど勢力的に作品を残した。しかし、時の為政者によりほとんどが焼かれて残っていないという。ほぼ完全な形で残されている障壁画は、聚光院のもの以外に一点くらいしかないらしい。為政者のアホー!奥にあるのは「閑隠席」と「枡床席」というお茶室。茶道三千家と関わりの深い聚光院。定期的に三千家の御家元が一堂に会してお茶事が催されるのだそうだ。と、ここまで写真が無いのでお分かりだと思いますが、写真撮影は禁止。日本好きの、茶道好きのアメリカ人の友達にも紹介したいのだが、ウェブサイトもガイドツアーも私が知る限り日本語だけである。2017年3月26日まで公開。 http://kyotoshunju.com/?temple=daitokuji-jukoin
2016年07月06日
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