トラ五郎のブログ
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北海道ガーデン街道(紫竹ガーデン・六花の森)Dの続きです。10:43 帯広市稲田町にある真鍋庭園に到着しました。コニファーガーデンとしても知られ、7.9ha の広さがあり日本式庭園・西洋風庭園・風景式庭園で構成。1896真鍋家の先代は香川県よりこの地に移り住み1966より真鍋庭園として庭造りをし樹木生産・販売をしてきました。庭園入口よりウェルカムアーチを通り日本庭園に行くと鯉の池と真正閣があり池は地下350mより自噴する14℃の地下水により真冬でも氷ははらないそうです。真正閣は大正天皇が皇太子の時北海道行啓を行うため帯広市中心部に建築された御在所で戦後は米進駐軍の宿舎や帯広市公民館へと姿を変え1962年解体されることが決まったのを真鍋家が譲り受け現在地に移築し命名しました。近くには赤屋根の家がありましたが1977 年真鍋家先代が居住用に建設。オーストリアのチロルハウスをモチーフにしたものだそうです。緑豊かなコニファーや鉛筆状に細く高く伸びた樹木が植えられた小径を行くと展望デッキに到着。リバースボーダーガーデンには緑葉・銀青葉・黄金葉・銅葉と多種多様なカラーリーフプランツが植栽されていました。庭園出口の緑のアーチをくぐり30分のエゾリスコースの散策を終了。庭園出口近くにはツリーデッキがありガーデンセンターには色とりどりの花が植えられていました。11:45 幕別町にある十勝ヒルズに到着しました。2009 に開園され た23ha の広さがある十勝の花と食と農のテーマパークです。北のオアシス、旬(旬のこだわり)・花(色とりどりの花々)・祝(おもてなしの心)・豆(豆の国十勝)の文字が掲げられていました。ヒルズショップ&カフェでトイレ休憩をした後フラワーアイランズの小径を行くとトンボ池に出ました。睡蓮の花が咲く池端では珍しい糸トンボを発見。さらに歩を進めると赤・白・ピンクの芍薬の花が咲く原がありました。ヒルズファームに行くとジャガイモが白い花を咲かせビートが沢山植えられていました。ファームは木村式自然栽培農法(肥料や農薬除草剤などを一切使わず作物の持つ本来の能力を引き出す栽培方法)を取り入れているそうです。ハナミズキ(アメリカヤマボウシ)に似たヤマボウシが4枚のピンクの総包片を花弁のように広げていました。ハナミズキの実は個々の実が分離しているのに対しヤマボウシの実は集合果で9月頃に赤く熟し、直径1~3cmで球形。果肉はやわらかく黄色からオレンジ色でありマンゴーのような甘さがあり果皮も熟したものはとても甘く、果実酒にも適するそうです。園内を一周したところで古きよき日本の民家を思わせる和食処「四分分度(春を生かし、夏に育ち、秋に実り、冬に備える)」で十勝豆御膳の昼食を頂いた後、最後のガーデンに向け出発しました。14:09 日高山脈麓の清水町に広がる十勝千年の森に到着しました。2008 に開園され400ha の広大な敷地を保有。北の大地にふさわしいスケールの大きな風景が見られ環境貢献活動「カーボン・オフセット(炭素の相殺)」を起源に森・庭・農・ARTとさまざまな手段をもって人と自然が触れ合える機会を創出し未来へ遺し未来に引き継ぐガーデンを目指していると入口で渡されて案内パンフレッドに書かれていました。この森の「アース・ガーデン(大地の庭)」と「メドウ・ガーデン(野の花の庭)」はイギリスガーデンデザイナーズ協会主催SDGAwatds2012で大賞と国際賞を受賞(設計はダン・ピアソン)しました。駐車場からガーデンに入るとセグウェイ(リチウムイオン電池を使用し体重移動で速度調節・前後進・方向転換ができる乗物)試乗会場がまず目に留まりました。予約すると2時間ツアー(30分教習、90分ガイドツアー)に参加できるとのことでした。メドウ・ガーデンの近くには十勝ナチュラルチーズ作り体験工房がありローズガーデンではイングリッシュローズ・オールドローズ・ワイルドローズが開花。ゴート・ファームではヤギやヒツジが飼われていました。キッチンガーデンでは野菜やハーブが大きな木枠のプランターに植えられガーデンカフェラウラウを設置。メドウ・ガーデンでは色とりどりの花が開花。入口に近いビジターセンター前に戻ると西洋の若者グループが来ていました。14:53 今回予定の全てのガーデンの見学を終了しバスに乗車。十勝清水ICより道東自動車道に入り千歳道産市場に寄った後17:19新千歳空港に到着しました。途中ガイドさんから日本で3番目に大きい十勝平野(約3600km2)の開拓の歴史を聞き帰ってからインターネットでいろいろ調べてみました。1879~1884年の北海道で発生した蝗(イナゴ:本州の田圃にいるイナゴでなく身体が大きく飛翔力があるトノサマバッタ)害は凄まじかったことが分かりました。1875.9.27北海道の太平洋沿岸を台風が直撃。未曾有の大洪水を引き起こし十勝川と利別川が合流するあたりでは膨大な樹木が流失し広い範囲で沖積層が露出。ここにヨシやススキなどイネ科の植物が生い茂る草原が出現。その後数年は天候に恵まれ、トノサマバッタが大繁殖しました。1880 には、発生したバッタの大群は日高山脈を越え胆振国勇払郡を襲撃。蝗害はさらに札幌を経て空知地方や後志地方へ至りまた別の群れは虻田へ達しました。陸軍はバッタの群れに大砲を撃ちこみ延べ3万人のアイヌの人々を動員して駆除に努めましたがそれでも蝗害は止まらず、北海道では翌年の予算に180億匹のバッタ幼虫の駆除費用を計上するはめになりました。しかし、1884 9月の長雨によって多くのバッタが繁殖に失敗して死滅。蝗害はようやく終息。十勝地方の各地には現在も当時の「バッタ塚」が残っているそうです。今回の旅行はガイドさんによると私達が旅行した前週は殆ど雨天だったそうでその後このブログを投稿するまでの間に礼文島や苫小牧~道央地方は今までにない記録的な降雨があったことが報道されました。大変ラッキーな旅が出来たことを感謝。ガイドさんの説明、入園時にもらったパンフレッド、確認のためにインターネットで調べた関連情報を私の備忘録としてこのブログに纏めました。皆様に少しでも参考になれば幸いです。
2015.02.25
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