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ほぼ休眠状態の「ブログ」です。一般市民の表現系も、次々にマジョリティが移り変わっていくあたりに、逆にうさんくささを感じます。(ほんの数年前まで渋谷系イケメン社長などとmixiがもてはやされていたことを、あっさりと忘れるほど、私は記憶が悪くないんだな。フェイスブックは何が良いんだか全く分からんし。単にババアなのでしょうかね)しかし、マスメディアが人々(世の中を構成するマジョリティが「受動的」な人々、という感触はあるんですが)の支持を失ってしまったことは確かであり、世論を形成するにはその種の人たちへの影響力を失っては「マス」の呼称に値しないのは間違いない訳で、まあ、何を言っても負け犬の遠吠えですかね。そのことに「見切りをつけて」、とっとと脱却を図った元・同僚たちもいるわけです。私だって、私的な財政的な課題がなければそうしたかもね。でも、そうして多数派工作から敵前逃亡した(と言ったら聞こえは悪いけど、理解しようともしない大多数が圧倒的なマジョリティになった時代には、この種の「啓蒙」に血道を上げる私みたいな輩こそ、絶滅危惧種だろうよ)人たちとその同類たちに、何事かを論評する資格はない、と思います。何を問題提起しても、たぶん、まったく効力を持たないまま、我々は破滅していく。それでも、あきらめないでいたい。それが、私たちの仕事だと思う。そういうあきらめの悪さを、私は忘れないでいくぞ、と思っています。けけ。
2012年07月02日
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朝5時半過ぎにふっと目が覚めたのですが、昨夜寝る前には「明日は17日だ」と思ったはずなのですが、「寝坊しないで8時までに『プラゴミ』を捨てること」にだけ気をとられ、結局、二度寝。朝のニュースで「あ!」と再認識する羽目になりました。今となっては「もう一つの」という言葉がついてしまった阪神淡路大震災。たかだか70年ほどのヒトの一生のうち、2度もこれほどの大きな天災に遭遇する私たちは、例えば、絶滅の過程にあった恐竜たちも、同じような無常観に襲われていたのじゃないだろうか、という妄想ばかりが広がります。笑ったり、泣いたり、怒ったりして日々の夢をささやかに紡いできた人たちは、そこを一撃した邪悪な大きなかぎ爪に比べれば泣きたいほど小さな手足を、元の暮らしを取り戻そうと懸命に動かしています。そのひたむきさが、また、泣きたくなるほど切ない。日頃、自分たちが網の目のように構築した「社会」の中で、いっぱしの活動をしているつもりでふんぞり返っていても、ヒトはあまりにも小さな存在。たくさんの涙の代償として受け取ったのは、「1月と3月はそういうまなざしを取り戻してみる」ことなのかもしれません。ひととき、しんとした気持ちで祈り、さあ、風邪気味だけど、今日も仕事だ。
2012年01月17日
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もうあと10日もすると、2011年もおしまいとなります。こそこそと当方、年齢が1歳加算され、「中年」どころか「老年」もしくは「壮年」と呼ぶにふさわしいお年頃となっています。1年1年が本当にあっという間に過ぎていくんだけれど、それがひどく連続的な感じがします。劇的な境遇の変化もないまま、じわじわ体重が増え、白髪が増え、別に漫然と生きているわけじゃないけど、気がついたらこんな歳になってしまっていた、という感じ。7年前にほんの一瞬、横浜のこのマンションで暮らしながら東京本社で一緒に仕事をした同僚は、この間に会津若松勤務を経て、この春から平塚勤務になって、また私と一緒に仕事をするようになりました。だけど彼女の方は、この間に結婚・出産をして母親になりました。大阪で親しかったほかの後輩の女性たちも、気がつけばほとんどが「お母さん」という別の存在に変貌してました。人にはそれぞれ生き方があり、私は私でこの間の生き方を後悔する必要もまったくないんだけど、「あ~あ、私ってば、何やってたんだろ」と思わないと言ったらウソになるなあ。横浜に来てから、私の方も、それなりには変わった。でもそれは、彼女たちのような「立場の変化」ではなくて、自分の中の価値の序列が変わったんだろうな。大した仕事をしてるわけじゃないんだけど、でも仕事がらみの時間ばかりがけっこう楽しいんですなあ。それで、ほかのことに全然意識が向かなくなっちゃっている。ブログから遠ざかったのも、「余裕がない」と言うより、別の方に気をとられて見向きもしなくなっちゃった、という感じが近いか。そんな風だから、今までかなり長く親しくしてきたはずなのに、にわかに疎遠になる人も現れました。私は、好き嫌いというか、集中が極端で、いつも目の前のことにばかり入れあげるタイプなので、そんな自分の興味の変動で、長く自分を包んでくれていた大事な人間関係をそぎ落としていくようなことでいいのだろうか、と思い悩んだりもします。昨夜も、そんなことをぼそぼそ横浜に来てからの友人に漏らしたら「それはリア充ってやつだよね」と言われました。なんだか気持ちが楽になった!!そうか、そうだよね。今が充実しているのは、間違いない。だったら、もう、それ以上、なにを望む?疎遠になったと感じる人とでも、本当に縁があれば、いつかまた、こちらも相手も近づいて話をしたいと思うだろう。よそを向いて、新しく何かが見えた。その結果、自分が変わっていったのだとしたら、それを後悔する必要はないよな。「大阪生活16年」とか、あまりに「変わらない」ことが続きすぎて、「ママになる」ほどじゃないにしろ、ちょっと変わっていく自分に戸惑ってしまってたのかも。毎日、自分にウソなく、本気で、手を抜かず、やるべきことをやっている自負があるなら、それで今が充実しているなら、新しい自分を否定する理由はないさ。過去の私としか親和性がないのなら、残念だけど、「卒業」なんだ。はっはっは。自分以外には、これ、何書いてるかわからんよね~。ま、2011年の覚え書きだからな。というわけで、リア充な私、これからもあまり、このチャンネルには出てこないと思います。が、そんな今の私でも、見ていてくださる方々へ。私は自分なりに誠実に今を一生懸命生きてます。そんな今の私が必要とする表現の場は、とりあえずブログとかじゃないんだな、と思ってやってください。では、ちょっと早いけど、良いお年を。
2011年12月21日
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今宵は、いつも巣くっている居心地の良い横浜を出て、マツモトヨーコさん、高橋画伯(笑)、そして某テレビ局の科学番組敏腕Pという顔ぶれで、渋谷にて「第2回異業種交流会」でした。私自身は風邪を引き込んでる上に直前までばたついてた仕事に精魂を吸い取られて遅刻。ちょい疲れてもおりまして、炸裂する!というほどではなかったのですが、まあ、フリーで絵を描いて生活することのキビシサなどがさかんに話題になり、宴席はダークサイドな気配の中にも和やかに終了。そろそろ終電が……という午後11時過ぎに、その店を出て駅方面に向かって4人で坂を下りていくと、向こうから男女のカップルが、白と黒の大型犬?を散歩させて来ます。ん? 犬?? なんか変……???これがなんと、白ヤギ、黒ヤギでした。ちゃんと首輪をして、明らかにペット。ヤギ汁にして食っちゃう、という雰囲気ではありませんでした。ひょえ~。東京って変な人がいるなあ。横浜にいると何もかも横浜内で十分完結するんで、そして混んだ電車にわざわざ乗るのもイヤなんで、東京なんて滅多に行かないのですけどねえ。やっぱり東京ってデカいだけあるわ。驚いた!
2011年10月14日
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8月最後の週末も、はや日曜。朝、窓を開ければ冷涼と言いたい風がすうっと抜けてゆき、遠くなったセミの声に交じって、リリリリと虫の音が聞こえ、「夏は終わった」ということを実感します。去年はメリハリの付け方に失敗し、8月に入っても、函館にちょろっと遊びに行ったぐらいで漫然と仕事を続けちゃいましたが、今年は、思えば、よく出かけました。覚え書きのために、この夏の楽しかった「2泊3日×3」を記録します。3~5日は、弘前&五所川原に、ねぷたと立佞武多を見物に出かけました。これは弘前ねぷたの県知事賞。太鼓に「ヤァ~ヤァ~ド~」というかけ声が被さり、ゆったり進行してゆきます。弘前のねぷたは基本、扇型をしていて(青森の立体的な組みネブタとは違う)、表と裏で絵が違います。表は勇壮な武者絵で、裏は幽玄な美女絵が多いようです(カエルちゃん♪)。そして、疾走する金魚ねぷた!祭りの期間中、弘前では町中の軒先に金魚ねぷたがゆらゆら揺れています。あんまりかわいいので1つ連れ帰ったのが、我が寝室でも揺れています。でも、この子も今日を限りに箱に入ってもらい、来年夏まで出番を待っていただきましょう。優美な弘前に対して、五所川原は高さをこれでもか!と誇る立佞武多。髪を染め、(なぜか男女とも花柄多し)上下そろいの服装で踊り狂うあんちゃん、ねえちゃんたちのお囃子も、やや泥臭いパワーを放っていました。何しろかけ声が「ヤッテマーレ、ヤッテマーレ!」ですからねえ。どこかヤンキー的だなあ。デカすぎて上まで写らない……。この旅では、最後に金木の斜陽館も訪ねました。帰ってきてから、あわてて太宰治の「津軽」を買い込みました。行く前に読んでおけば良かった。これで青森県に足を踏み入れることができ、日本の都道府県で行ったことがないのは「秋田」「宮崎」の2県となりました!11~13日は、仕事にかこつけて甲子園に行って来ました!龍園のお兄ちゃんのお店で、仲間を集めて大宴会。お父さんには会えなかったけど、懐かしい味を久しぶりに堪能しました。大阪駅上のホテル泊まりだったので、2日目は仕事の後は大阪時代の仲間とも一杯やり、新地のバーにも顔を出し、いつもの黄金コースで。最終日は、新幹線に乗る前にあろうことか西宮の50メートルプールまで泳ぎに行き(水着&ゴーグル持参だったのでした)、神戸の母にも会ってきました。関西は「行くところ」じゃなく「帰るところ」だなあ、と思った3日間でした。最後は、23~25日の福島ツアー。結局ボランティアにも行かずじまいで、せめて経済貢献でも……と(言い訳)、出かける先を決めました。会津若松から数十キロ南へ下がった湯野上温泉と、中通り・二本松の岳温泉にそれぞれ一泊。会津鉄道の湯野上温泉駅は茅葺き駅舎が渋いのです。朝、見物に行ったらちょうどトロッコ列車が入線。午前11時の宿のチェックアウトまでに芦ノ牧温泉ぐらいまでは行って帰って来られる、と聞き、その場で切符を買って乗り込みました。芦ノ牧温泉駅の名誉駅長は、猫バスそっくりな「ばす駅長」。和歌山の「たま駅長」のパクリとは言え、野良猫出身のばすちゃん、なかなか存在感があってかわいい。聞けば、いつも駅にいるわけではなく(なにしろ野良猫だから)、ぽいと思いついて居合わせた列車に乗って行っただけで会えたのは、かなりラッキーでした。湯野上、良かったなあ。会津は時間が足りなかったから、絶対にまた行きたいな。「塔のへつり」「大内宿」「鶴ケ城」などを回り、喜多方ラーメンを食べ(本当は湯野上温泉のフレンチ「シェやまのべ」に行きたかったのですが、あいにく夏休みだったのでした)、岳温泉へ。一番の老舗旅館が震災で廃業し、残る旅館やホテルも休んでいたりで、平日のせいもあるだろうけれど、何となく人影まばらで寂しい感じ。地震の揺れも会津よりきつかったし、その後は「ホットスポットで放射線量が多い」と評判が立ってしまった中通りは、直撃を受けている浜通りに次いで今最も苦しい状況にあるのかも知れません。浪江町の避難先となっていたらしく、空いたホテルに国保診療所がまるごと移設されていたり。メーンストリート(といっても、ほんの数十メートル)にちょうちんを並べ、「がんばろう」という構えを見せているのが、またどこか痛々しい。何しろ、客足が止まっているようで、格安4割引の宿泊プランまであるのです。それでこの大食らいの私が夜眠れなくなるぐらい、すさまじい量の(言い添えておくと、味も良かった)夕食が出ました。やけくそ……?黒糖の温泉まんじゅうもおいしかったし、薄水色の湯ノ花が舞うお湯も良かったし、放射線量云々も私たち年を食った大人が行く分にはまったく気にならないはずなので、首都圏からこんなに近いこの温泉町を、ぜひ一度訪ねてみてください。福島は20年前の勤務地だったのに、当時は目が都会にばかり向く20代だし、遠距離恋愛沙汰(遠い目……)にうつつを抜かして足下のまちには関心がなかったから、ほとんど何も知らないまま、(そのことを後悔することもまったくなく)とっとと転勤してしまいました。改めて訪ねると、福島県は実は大変魅力にあふれる土地だったことがわかります。その素敵な緑に染まった山河を、歴史あるまちを、台無しにしてしまった人間の浅知恵が忌々しい。自分自身、在勤中に東電福島第一原発を見学に行き、「しっかりした安全対策じゃん」などと思っていたのですから。科学技術のバラ色を信じて疑わなかった馬鹿者でした。手に負えないオモチャを、毛の少ないサル風情がもてあそんでいいはずがなかったのに。今後も、時間を見つけたら、どんどん東北に遊びに行こうと思っています。よくよく遊んだ2011年の夏は、とても楽しく、でも、何かがことりと心に残りました。
2011年08月28日
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今日は横浜高校の試合があったので、それにあわせて前夜から大阪入りしてました。といっても、高校野球ファンだなんてことはなく、単に甲子園の懐かしい店で大宴会をする目的だけで、休みを取ってここまでやって来たのでした。 ところが、はずみで仕事も手伝うことになってしまい、球場でみっちり観戦する羽目に…。長かった大阪勤務中も、甲子園に住んでた割には警備の手伝いぐらいはした年があった程度。高校野球でこんな本格の(?)仕事をしたのは、20年ぶりです。当時は高松勤務だったよなぁ。 ものすごい暑さでしたが、ブカブカどんどんの応援団から歓声や悲鳴が響き、丸い球場が一体になってどよめくあの雰囲気は独特で、特に好きでもない身にも次第に興奮が移ります。休みは飛んだけど、出張にもなったし、楽しかったから良かった! これから大阪時代の仲間と今宵も宴会です♪
2011年08月12日
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気がつけば一度も日記を書かないまま6月が過ぎ、早くも夏バテな7月が開幕。私たちの職場にとっては、ただひたすらしんどい夏の社業が控えてる、体力&忍耐力が試される1ヶ月です。 しかし、そんなうんざりな日々目前の今日、ベランダのクスノキにうちから巣だったムクちゃんより色合いが明るいけど、やっぱりかわいいアオスジアゲハの雌が飛来。ヒラヒラ舞いながら都合5粒ほどの卵を、まだ小さくて柔らかい新芽を選んで産み付けてゆきました。 帰ってきてくれたんだ!!といううれしさで、思わずニッコリ。外からはどこも同じのベランダの中でクスノキなんて変な鉢を、しかも奥まったところに置いてるうちを、よくぞ見つけてくれました!卵が全員、またむっくり太った芋虫になっちゃうと、小さなクスノキには負担がきついけど、木も去年より少し大きくなってるし、出来たらみんな蝶まで育ってほしいな。 とうとうダメだったジャコウアゲハのくーちゃんをしょんぼり葬りつつ、新しい命のサイクルが始まったのを知って、楽しく気をとり直す土曜日。 汗だくのベランダ仕事を片付けて、これからプールです。夜は久しぶりに焼き肉の予定。ガテン系の夏の始まりです。
2011年07月02日
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去年、3月末に関西から引っ越してきて、4月は妙に寒い日が続いてました。なのに、常軌を逸した大量の荷物はいっこうに片付かず、風呂場の湯沸かし器は壊れていて風呂の追い炊きもできず、さらに段ボールが邪魔で寝室のドアも閉まらないので、寒さに震えてくら~い春の日々を過ごしていたものでした。そんな中、唯一「こりゃあ、いいわ」と感激したのが、毎朝、寝室の窓の外で高らかに響くウグイスの声で目覚めることでした。家のある小高い山を下りてしまえば、昼前から立ち飲みで顔を赤く染めたおっちゃんがうろつくような上大岡の猥雑な町並み。そんな住宅地の間の雑木林なのに、へええええ、ウグイス!風流で、サイコー♪そう思っていたのに、今年は一向にその美麗な声が聞こえず、うちの裏山に陣取っていた子はこの1年の間に命を落としてしまったのかな……と気落ちしていました。ところが、今朝!久しぶりに、懐かしい鳴き声が高らかに響いているじゃないですか!待ってました!1年ぶりだね。また、毎朝、目覚まし代わりによろしくね~☆
2011年05月08日
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カレル・チャペックが「園芸家12カ月」で、風薫る緑の5月は園芸家を狂喜させる、という風に書いていました。連休の谷間、昨日は出勤でした。夜勤のあと、この日でお別れの同僚と離れがたくずるずると職場のソファで酒を飲み、帰宅して寝たのは朝5時。目が覚めたら正午を回っていて唖然としました。しかも、天気は曇り空。それでも、5月3日の我がベランダに出てみれば、思わず顔がほころんでしまう緑の魔法があっちにも、こっちにも。今年も咲いたクレマチス「ドクター・ラッペル」。先日の強風で3鉢並んで落下。蕾がついた枝も何本か折れてしまい、しょんぼりしていましたが、こうして咲いてみると意外に損傷は軽微だったようです。名無しの開花株を買ったので、正体不明。しかし、どうやら「ニオベ」らしい、と思ってます。以前、播州山崎花菖蒲園で買い込んだ同じ西洋シャクナゲ「ドック」は、水やり失敗であっという間に枯らしてしまいました。同じ品種を「花広場オンライン」で発見し、いそいそと購入。蕾どっさりの株だったので、今年はとりあえずこんな素敵に咲かすことができました。夏を越して、来年も咲かすことができたら、初めて「真のリベンジ」と言えます。ははは~☆こちらは「バラの家」のローズコンテストに応募なさったよそ様の写真一目惚れ、ネットを検索して売っているお店があったのでたまらず買い込んだバラ「夜の調べ」。濃厚な香り、妖艶な姿、本当にすばらしいです。こちらもお店(P猫さん)の管理が良く、とても元気な株だったので、私の実力?は来年問われます~。足の踏み場もない我がベランダで、またデカくなりそうな今年の新入りは、この「レモンちゃん」。シャクナゲと同じお店からやってきました。私は「レモン部員2期生」の一人ということになってます。開花目前の蕾です! 自宅ベランダ育ちの完全無農薬レモンで、宇宙一おいしいレモンタルトを作るのが、レモンちゃん導入の遠大な目的です。なんだか常時何かに追われ、ゆったり気持ちを落ち着ける余裕がないと感じる日々ですが、私にはこのベランダがある!部屋の中からそこに目をやるだけで、ふわりと笑顔が浮かんでくるのは幸せです。さあて、紅茶を淹れ、パンをかじって朝ご飯にしようっと。まもなく午後2時だけどw
2011年05月03日
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関西で私のことをとってもかわいがってくれた大切な人たちを、なんだかここへきて、立て続けに失っています。最初は、吉野の山の精みたいな不思議な生気を持った歌人。続いて、往年の京都映画界の栄光の名残そのものみたいだったかっこいいおじいさん。その直後に私は横浜に引っ越して、それからしばらくして届いたのは、今度は元日活宣伝マンだったものすごくシュールな、楽しい遊び仲間だったおっちゃんの訃報でした。そして泊まり明けで早々に帰宅してぼおっとしていた今日かかってきたのは、甲子園時代に足繁く通い、本当に親しくしてもらっていた中華料理店のお母さんが1月に心臓発作で亡くなった、納骨を済ませたので報告します、というお兄ちゃんからの突然の電話でした。みんな、それなりにご高齢ではあったけど、龍園のお母さんはまだまだ全然若かったのにな。甲子園に行きさえすれば、また会えると思ってたのに。急に久しぶりの音信があったら、その内容はほとんどが「良いことではない」という年代に入ってしまった、ということなのでしょうか。強固な絆だと自信を持っていた関西との縁が、つなぎとめてくれていた「人」が次々に失われることで、どんどん断ち切られていく心許なさを感じます……。人は結局、自分を知って、愛情を持って接してくれる人の存在があってこそ、生きてゆける。地震が一瞬で人々から奪い去った、その規模には比べようもありませんが、ほんの1、2年の間にこうも立て続けだと、じわじわダメージが効いてきてるという感じです。ああああ。
2011年04月20日
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ただいま4月16日未明、午前3時10分過ぎです。40分ほど前、ふいにサナギがぐぐっと動いたかと思ったら、バリッと音を立てて先端部分が裂けて口を開き、中からかわいい黒い複眼とくるくる巻いたくちばしがのぞきました。ぐいぐい、もがくように、全身が出てくるまでほんの1分もかからなかったようです。すっかりひからびたクスノキの葉柄にしがみついていましたが、足場がどうにも悪そう。しかし、その先はつるつる滑るガラス瓶。これはまずい、と気づいて、あわてて新しく割り箸を挿しだすと、待ってましたとばかり、無事にそっちに移ってくれました。それからあとは、時折、ふるふると羽をふるわせたり、ゆっくり広げてみたり。新生ムクちゃんは、ふわふわした産毛に包まれた新しい身体を乾かしながら、各部の試運転に余念がないようです。今現在の横浜は、びょおびょお音を立てて強風が吹き荒れる有様。明るくなれば、もう少し状況もマシになるかしら?風さえ収まってくれたら、もういろんな花が咲いているから、ベランダから広い広い世界に飛び立ってもらおうと思ってます。でもあと数時間、朝が来るまでは留め置いてもいいよね。名残惜しいよ。一冬、一緒にいられて、楽しかったよ、ムクちゃん。残るジャコウアゲハのくーちゃんは、ムクちゃんみたいに無事に蝶になれるかどうか。一度、払い落とされちゃったくーちゃんの方はだいぶ心配ですが。まあ、今宵は、ムクちゃんの変身を見届けた高揚感で、とにかく眠りましょう。朝になったら、また写真などを載せようと思います。おやすみなさい~~~++++++++++++++++++++++++++++++++++++++おはようございます!(もう昼ですが)羽化の瞬間をばっちり収めたつもりだった動画は、完全に背景にピントがあっていて大失敗でしたが、その前後から今朝までの写真を並べます。15日21時過ぎ16日0時45分1時半2時25分!!2時49分抜け殻には水が滴ってました16日朝8時過ぎ8時25分、飛翔準備8時27分、初飛翔! 飛び立つ瞬間、おしっこ?放出!カランコエの花でおすまし(密を吸う段階ではないようで、ただの撮影用ポーズです)あまりの強風でふらつくので、つい手の上で休ませる(8時47分)かわいそうに、ふらふらしながらとまっていたクスノキからベランダ床に落ち、さっそく中脚1本が折れてしまいました(悲)。でも、今は風がそれほど当たらないオリヅルランの葉陰で、じっと休んでいるようです。ずうっと守ってやることはできないし、彼(彼女?)の幸せのためには、危険があっても外界で相手を見つけて繁殖するのが一番。一応、これをもってムクちゃんとは別行動、ということにして、私の方も朝ご飯を食べたり通常生活モードに切り替えました。でも正午過ぎ現在、まださっきの場所にいます~♪+++++++++++++++++++++++++++++先ほど、プールから、まだいてくれるかな、ムクちゃん……と、大急ぎで帰宅。するとちゃんとオリヅルランのところに、端正な姿でとまってました。うれしい気持ちで見ていたら、すぐにふるふると羽を小刻みに動かし始め、そのうち、美しい模様をもう一度お披露目するように羽を広げたかと思うと、ふわりっっと羽ばたいて、ベランダのミニバラ鉢を越えてあっという間に旅立ってしまいました。午後4時まであと少し、という時刻でした。まるで私が帰るのを待っていてくれたみたい。ぽっかり穴があいたように寂しいけど、風も少し収まって、気温も20度以上に上がり、ムクちゃんが広い世界に羽ばたいていくにはなかなか良いタイミングだったようです。さようなら。素敵な一生を!でも、ここは君のふるさと。いつでも帰っておいで。
2011年04月16日
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アオスジアゲハのムクちゃん。ついに羽化の時を迎えています。この数時間、固唾をのんでじわじわ進む変化を見守っています。すでにサナギの殻の中に、薄皮が浮くように新しい体が完成してます。全体に一回り大きくもなった感じ。午前2時を回りました。一冬を共に過ごしたムクちゃん。晴れの変身を「頑張れ!」と応援しながらじっと見ています。わくわく♪
2011年04月16日
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今、テレビで流れていた山下達郎の歌にあった一節です。体調不良で長いこと休養していたナイナイ岡村が出演したPVに被さって、歌詞がテロップで流れていました。番組自体も、被災した人たちへ歌ができること、というコンセプトで編まれたものでした。山下達郎なんて、長いこと、まともに聴いてなかった。だけど、久しぶりに言葉がすとんと奥まで届いた気がしました。運命。私の中で、その言葉の語感は「あきらめて受け入れるべきもの」です。人間は小さくて、非力で、どうにもならないから、無駄にもがくより、あきらめて受け入れて、少しでも哀しみが少ない生き方を模索するしかないんだよ。そう思ってきました。ことに、現実がここまで非情なのであれば、なおさら。でも、運命に負けないで、という思いもアリだ、と今は思う。今日の昼間、仕事で会った被災地の方たちにも、心からそう呼びかけたい。運命は、時に、あきらめて受け入れるには過酷すぎる。負けないで。1月の末だったか、いつもネットで買いまくる品々を配達してくれるクロネコヤマトのお兄さんから買ったアマリリスの球根。今朝、開花しました。春なんだもの。
2011年04月06日
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それでも一歩ずつ、被災しなかった私たちは、日常に戻っていくのだと思います。「そうしなければならない」とか「不人情で浅ましい」とか、そういうことではなく、とにかく日常に戻ってしまわずにはいられないのです。私たち、生きている人間というものは。いつまでも、身も心もつめたくなるような寒さが遠ざかってくれない日々ですが、ベランダのクスノキは、避けようもなくやってくる春を迎えて芽吹いています。このクスノキが宿したアオスジアゲハのサナギ・ムクちゃんは無事に(かなあ?)我が家で冬を過ごしました。何カ月も変わらぬ姿のまま、ジャコウアゲハのくーちゃんと共に4月を迎えましたが、どちらも、もうそろそろ羽化の頃合いをうかがっているはず。昨日は、休んで弘明寺まで散歩。まだちょっと早いけど、大岡川沿いのサクラがほころんでいました。「阪神」の記憶が薄れるまもなく、邪悪な神が私たちを試すかのように仕掛けてきた大災厄。当事者でなければ、その途方もない喪失感、無力感、様々な感情は、やっぱりわからないのです。哀しく、浅ましいことだけれど、それこそが、実は明日をも知れない不安定な基盤なのに、当の私たちだけは「今日と同じような明日が来ることは盤石だ」と信じて、切なく生きていかれる根拠なのです。このような痛切な春が巡ってこようとは、思ってもいませんでした。
2011年04月03日
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昨夜、マンションの上の住人が引っ越してゆきました!!1年間、どすどす、ばたばた、どしんどしん……と、どうしてこんなにうるさくできるのだろうと、不思議になるぐらいの上階からの振動にさらされてました。朝7時から夜中12時ごろまで、歩き、走り、飛び跳ねる(!)人の気配を、無理矢理感じ続けることって、相当苦痛でした。生活音はお互い様。それはわかってる。でも、何もこんな狭い家で走ることはないんじゃないの?飛び跳ねるなんて、それは論外でしょ?何もしないでただ耐えることに疲れ、管理会社に相談していた矢先に、大震災。「上の住人がうるさい」ぐらいのことでぐたぐた文句を言っちゃいかんよね、という気持ちになるべきところ、地震の後は当然のことながらなおさら仕事が忙しく、こちらも精神的な余裕がさらになくなって、いちだんといらだつ有様。管理会社は「3月に開催される理事会の議題にしますから」と言ってたけど、この騒然とした時期に騒音問題を持ち出してもらうのは、いかにも無理がある。話は立ち消えだろう。こりゃもう、直接上階の住人に手紙を出すしかない……と思い詰めていたところでした。その元凶が、なんとまさかの転居!!!まさに、愁眉を開いております。今朝から、我が家はパラダイス!ほんと、小物だよな、私……。
2011年03月25日
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横浜は、生まれ育った街。離れた街で暮らすようになったのは、大学、大学院を出て就職してからだから、24年間は横浜にいたのです。それでも、自分が通った小学校、中学校、高校には、卒業以来寄りつきもしなかったし、小学1年の冬に(今では最寄り駅・港南台があるけれど)当時はバスで上大岡に出るしかなかった新興住宅地に引っ越してくるまで住んでいた、オヤジの会社の社宅があった新子安にも、あえて足を向けようとは思いませんでした。過去を振り返るには、まだまだ若すぎたんでしょうね。幼い頃の記憶の中には、今もって妙に鮮明な映像がありありとよみがえってくるものもあって、回顧モードぴったりの年代になってからも、追憶の中の風景がかき消えてしまっているのを確認するのが怖いような気がして、行ってみよう、とは思わずに来ました。大阪からやってきて、限られた短い横浜での滞在時間を「過去への繰り言」に費やすには惜しい、と言う気持ちもあったし。しかし、晴れて本拠を横浜に戻せてまもなく1年。そろそろ解禁かな、というような気分もあって、このところ、仕事の合間に「記憶をたどって歩く」ことを実行しています。今日の行き先は、新子安。バスで「大口通」を過ぎ、次の「入江1丁目」で下車。たしか、昔は「入江町公園前」と言ってたはず。夏には子供が芋の子になるプールは、健在でした。今の季節は閉鎖されてましたが。プールの前に出ていた屋台で、生まれて初めて「お好み焼き」というのを食べたっけ。入江町公園から、確か、子供に人気があった小児科の医院の前を通って、幼稚園のころまで住んでいた「5棟」と、その近くにあった「一宮神社」に行く道があるはず……。道は、まったく変わってしまっていて、小児科医院も跡形もなし。しかし、一宮神社は同じ姿で待っててくれました。ここで、私は「七五三」を祝ってもらったのです。夏には、境内とそこから階段下へと続く沿道沿いにずらっと屋台が出るお祭りがありました。確かお小遣い30円をもらって勇んで出て行ったのに、最初に出会った屋台でヨーヨー釣り(1回15円)を2回続けてやってしまい(失敗しても1個もらえるとは知らず、どうしてもカラフルな縞模様のヨーヨー風船が欲しかった……)、あっという間に一文無しになり、めそめそ泣き出した記憶もあります。たぶん、幼稚園だったんだ、あの頃。通っていた一宮幼稚園は、神社の経営。もちろん当時とは全く違う建物です。でも、境内の中の位置は一緒だな。本殿の左側だった、あの頃も。もっと広かった印象なのになあ。「年長さん」の時に、給食?なんかも食べる大きな部屋に置いてあったオルガン脇で、なぜか気持ちが悪くなってゲロってしまって以来、今に至るまでどんなに酒飲んだ時にも吐いたことはない、というのが私の自慢です。はははっ☆一宮神社の境内は、もっとずっと広かったのです。台風の翌日、本殿裏の広場に、羽が赤むけになって地面にたたきつけられて死んでいたたくさんのスズメたちを見て、泣きたい気持ちになったことを思い出しました。でも、今日見たらその境内だった場所にはマンションが1棟建っていて、こぢゃれた植木鉢を並べた「だれかのマイホーム」が、びっしり並んでいました。その境内からすぐの場所に、オヤジの会社の社宅が何棟も建っていたのです。私が生まれた時、両親は、茅ヶ崎・浜見平の公団住宅に住んでいたそうですが、異様に詳細な記憶を誇る私にしても、浜見平についての思い出は何もありません。私が覚えている最初の記憶が、この新子安にあった社宅の「5棟」です。5棟の私たちの部屋は1階で、ベランダから外に出たところに、真っ赤なカンナが咲いていたような記憶があります……。京浜東北線、東海道線、京浜急行などがずらりと並んだ線路を見下ろす場所に、5棟はありました。古いアルバムの白黒写真に、私の手をつなぎ、赤ちゃんの妹を抱いたおかんが、ノースリーブのワンピースを着て線路を見下ろすフェンス沿いに立ってる、という絵柄のものがあったのです。まさに、おかんがその時に見ていたのと同じ風景が、今日もありました。だけど、当時は、線路の反対側には「ビクター」の犬の看板が出ていたんだよな。かつて5棟があったところは、とっくに社宅群全体が売られて再開発され、高層マンションが建ち並ぶ場所に変わってしまっていました。この辺が5棟だった場所なのですが……。5棟の時に、初めて家にカラーテレビが来たりしたんだよな……。私と妹がお昼寝している間に、両親が大口通商店街まで出かけてしまい、目が覚めたら誰もいなくて、気がついたら知らない人がどやどやと家に入ってきて、私は恐怖と絶望で動転したのでした。その直後、その人たちの後ろからパパとママが来た! え? なんだ!テレビを運んできたんだ!!……子どもの記憶だから、いろんな出来事がミックスされているのかもしれないけど、絶望と安堵と喜びと楽しさが短い間にどどっと押し寄せてきたこのときの記憶は、今も私の中ではものすごく鮮明な映像なのでした。そんな5棟は手狭だというんで、おそらく幼稚園の年長ぐらいの時に、少し広くて新しい、もうちょっと奥まった場所に建つ「9棟」に移ったんだよなあ。初めて「洋式便器」になって、使い方がわからなくて泣いてしまい、たまたま遊びに来ていた社宅仲間のおばさんが、おかんに「ほら、行ってあげて!」と言ってくれたっけ。9棟は暮らした月日が短くて、ほとんど記憶にないのですが、団地に囲まれた広場に卵屋さんや豆腐屋さんが車でやってきて、お使いで買い物をしたことを覚えてます。卵を「1.5キロ」買ってくるように言われてたのに、わからなくなっちゃって(だって幼稚園なんだもん、小数点の概念なんかないよ~)、困って「1キロ5キロください!」と言ったら、卵屋さんは「ああ、1.5キロね」とわかってくれて事なきを得た、なんてこともありました。何もかも、私の中では昨日のことのように鮮やかな残像なのに、そのすべては42、3年前の出来事なのです。横浜に戻ってきて以来、訪ねてみたかった場所だったし、京浜東北線の車内から「5棟」なんか跡形もないことは見えていたんだけど、やっぱり改めてこの目で見届けると、しんとした気持ちになります。新子安は、子育てを始めたばかりだった両親にとっては、もっともっと感慨深い場所かも知れません。その両親も、すっかり年老いました。何しろ、あの時、幼稚園児だった私が46歳だもんな。人生なんて、本当にさらさらと過ぎ去ってしまうものなのですね。
2011年03月08日
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正月用の仕事があったために年末から年明けまで休んだ気がしないまま、その仕事が完結したら引き続き次の仕事があったもんで、冬休みってやつをとれないままでした。でも、先週金曜に、ともかくも後の仕事も格好がついたんで、ついに5日間の休みを手に入れました。休みと言えば、旅ですよ。というわけで、先の土日は京都へ一泊旅行。寺社仏閣に興味があるわけではさらさらなく、朝の鴨川散歩&いつもの立ち回り先(主として飲食店ですね……はは)を巡回するだけが目的の旅でした。いつもの店が元気にやっていて、いつもの味を満喫してニッコリ……のはずが、我が愛するポイントの3つまでが「まもなく閉店」という展開になっていて、唖然。最初は、鴨川散歩に最高の「ホテルフジタ」。古いけど、部屋が結構広くて、しかも安い!愛用してたのに、なんと29日で営業終了だって……。気を取り直して、鴨川沿いをさかのぼり、世界最強のレモンタルト(私見)のあるカフェ「リュ・エルゴ」へ。ここ、時々、レモンタルトがない時があるからな~と心配していったけど、ちゃんと黄色く輝くレモンタルトをgetすることができました。幸せ~と思って、包装を待つ間に見るとはなしにカウンターの上のショップカードを眺めていたら……なんと、本店のエルゴ・ビバームスと共に2月第1週で閉店、と書いてあるではないですかっ!!なんということだ……。我が理想のレモンタルトを、もう二度と食べることができないのでしょうか……。泣きそうな気持ちで、タルトの箱を手に、丸太町通りを西へ。河原町通との交差点近くにある「フィガロ」も、大好きなイタリアンでした。ちょっと前にシェフやソムリエが変わってしまい、なんかお子ちゃま向きっぽい、残念……と思っていたのですが……。なんと今度は店自体もなくなってしまい、超安っぽいもつ焼き屋になっている!! 一軒家のシックなたたずまいを生かした内装も魅力の一つだったのに、同じ建物とは思えない下品な有様に目を覆いたくなりました。あ~あ。3連発の喪失感はなかなかの打撃でしたが、レモンタルトはあるだけ買い占めてきたし(今も横浜の冷蔵庫にて大切に保管中……惜しくて食べられない……)、フィガロはシェフが変わった時点でもう死んでいたんだ、とあきらめることにします。フジタに代わるホテルも、一つ二つ、目星をつけつつあるし。不変であってほしかった古都に裏切られ、寂しい思いを抱いて横浜に戻ってくると、今度は、休みの日でなきゃ絶対できない「バラの植え替え」という大事業に重い腰を上げました。ベランダいっぱいのバラ&ミニバラゆえ、大量のバラ用土を用意して作業開始。数時間で終わるだろう、なんて高をくくってたけど、実際には昼から着手して薄暗くなったころにやっと終了。手はがさがさになるし、そんな時間に灌水なんてバラにはかわいそうでしたが、もう仕方ない。ああ、でも、やっと済んだー!!元気に見えたもう10年選手の「マーガレット・メリル」の鉢に、にっくきコガネ幼虫が10匹近くいるのも発見できたし(ああ、むかつく!)、これであとは安心して春を待つばかりです。毎年、こんなに大変なのに、どうしてこんなにバラを増やしてしまったんだろうか。馬鹿者め!!だけど、きれいに咲いてくれると、それだけで報われた気持ちになるんだよなぁ。今年は、あんなひどい猛暑や強風に遭いませんように。冬休みは、明日まで。明日は何をしようかな~♪
2011年01月25日
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ゴミ収集のある日は、起き抜けの寝間着のまま、あたふたと捨てに行く姿を見られてはならない!と、早起きします。と、いっても、ちゃんと着替えて捨てに行ってそのまま始動、じゃなくて、4時ごろに目を覚ますとこそこそ寝間着で捨てに行き、とっとと布団に逆戻り……という行動ですが。今朝は、いつもより目が覚めるのが遅くて、5時過ぎでした。前夜のうちにまとめて置いたゴミ袋を持って外に出てゴミを捨て、新聞を回収し、一目散にぬくぬく布団にジャンプイン!この二度寝がたまらない~なんて、幸せな気持ちにすらなっていた私。再びうとうとして、7時のニュースを見るまで忘れていました。16年前の今日、布団の中で丸まってまどろんでいたちょうどその頃、何が起きたのかわからないまま、迫撃砲の直撃みたいな衝撃(あれは断じて「揺れ」なんてもんじゃなかった)を食らったのでした。前の日まであった当たり前の風景が一瞬にして消滅することがあるんだ、と知る恐ろしい記憶。いろんな価値が、もうどうでも良くなった気がしたあの日。繰り返し、繰り返し、余震が続いて、建物がゆがんじゃって窓が閉まらなくなり、その窓からずううううっっと消防車のサイレンが聞こえて、ありったけ着込んで毛布を巻き付けていても、ただただ寒く、怖かったその夜。身近で亡くなった人がいなかったから?でも、町が消滅するのを目の当たりにした衝撃は、相当なものでしたが……。もう、忘れていた自分の健康な浅ましさに唖然。そうでなきゃ、人間はやっていけないさと思い直して、さあ、今週も修羅場を乗り切ろう。阪神淡路大震災から、16年です。
2011年01月17日
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仕事の方も、何とか終わりました。(と、思っているのは私だけか? 「企画キャップ」はすべてが整うまで出社して見届けることが期待されている感じをひしひしと受けるけど、気づかないフリ。さすがにもう疲れたよ~)どろどろだった窓ふきも、年賀状書きも、大晦日を前にまさかの終了♪去年までは、最後に山のような荷物を抱えて大阪から横浜へ移動、という大仕事がありましたが、今年はそれもないので、妙に余裕です。年明け早々の3日に「泊まり」が入っているので、今からどよんとした気分ではありますが、とにかく正月だ!日記の更新もほとんどしなくなってしまった1年だけど、中年どころか初老の域にさしかかったこのタイミングで、こんなに生活が変わるなんて、そして変わったことに順応できたなんて、ああ、良かった、やれやれ、です。「子供」というのが身の回りにいないので、自分も周囲も肉体的な衰えが日々進んでいるなあっていうトホホな実感ばかりが迫ってきますが、とりあえず、今はみんな元気で幸せに過ごしています。この平穏が、1年でも2年でも長く続きますように。来年の大晦日も、ほっとした楽しい気持ちでいられますように。2010年よ、ありがとう、さようなら。2011年よ、どうぞよろしくね!
2010年12月31日
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目下、元日用の仕事に追い詰められていて、それなのに先週、流れ星を見ようと夜勤明けの丑三つ時、ぼや~っと横浜スタジアムのそばで口開けて夜空を見上げて小半時ほど過ごしてしまったりしたせいなのか、かなり本気の風邪を引いてしまってます。仕事は終わらん、頭はぼおっとする、咳はひどい、そして、ひっきりなしにカエルのような痰が出る(汚っ!)……という有様。夜も、いろいろ気になるからなのか、早い時間に布団に潜り込んでもよく眠れなくて、2時間おきぐらいに目が覚めたりして、だからますます疲れが抜けなくて、仕事は終わらん、頭は…(以下略)そんな先日の夜、妙な夢を見ました。夢の中で、私が手に持っている新聞には、見開きの2ページにわたって「黒抜き・ぶち抜き横見出し」(内閣が突然総辞職とかすると、この手の濃ゆい見出しが使われますね)がどーんと張ってあります。その両方に、くっきりと白く「うらぺし」「うらぺし」と大書いてあるのですよ。なんだ、うらぺしって。恨めしい(仕事が終わらないから?)の変形??いずれにしろ、何となく情けないぺなぺなした語感が、今の自分の精神状況にぺったりしっくり貼り付く感じで、夢の中でも、唖然としながらニタニタ笑ってしまいました。普通、夢って目が覚めたらぼんやりしちゃうものなのに、この「うらぺし」は今も黒々した見出しの残像がくっきりと鮮やかです。で、今日はやっと「これで何とかやってもらいたい」というレベルのものを置いて会社を出てきたので、多少気が楽。今夜は、咳で苦しむことはあっても、うらぺしにたたられる心配はなく、ほどほどに安らかに眠れそうです。ああ、疲れた。うらぺしぃ~。
2010年12月21日
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日付が変わって、すでに12月17日。また誕生日が巡ってきました。おかんがこの年齢だった時、私は新入社員でした……。春にこっちに来て以来、毎日、妙に忙しく、でも、そういう風に意外なほど腰が軽く動ける自分はけっこううれしくて、実は相当に人見知りがキツいのに、こちらでもちゃんと親しく時間を過ごせる仲間もできて、「幸せだ、うん、大丈夫」と思って生きています。だけど、こういう<節目>では、「ああ、一度しかない人生だったのに、私はただ漫然と昨日と同じように今日を過ごし、明日もまた今日と同じように過ぎて行くに違いない。何一つ、作り上げることもなく、達成することもなく、ただ、毎日同じように時間をやり過ごし、そして与えられた時が尽きた時、一人でただ死んでいくことであるよ……」などと、つい思ってしまいます。酒を飲んで妙に暗くなってこんなことを書いている訳じゃなく、今宵は完全にしらふ。はは。あ~あ……。人生とは、切ないものですね。今年も、友人がまた、素敵な蘭を届けてくれました。珍しい青い花。小さな鉢だけど、繊細な姿が魅力的。私の「青い花、ならぬ鳥」は、そもそもこの世に存在したのでしょうかね……。さ、明日は仕事も正念場です。何としても乗り切って、新年を迎えなければ。もう寝なきゃ。
2010年12月16日
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表参道です。神宮前方面を巡回する100円バス「ハチ公号」の一番後ろの窓から、ぱちり。大渋滞の車のテールランプすら、大都会を彩る宝石なのですねえ。東京ってすごいや。
2010年12月12日
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去年の今頃って、何してたっけ??……というぐらい、身の回りのいろんなことが変わった気がするこの1年。(ま、単に異動で箱根の関を越えたってだけだけどさ)今まで以上に異様な早さで時間がさらさら流れてゆき、残すところもあと1カ月になっちゃいました。いつもならもうとっくに設置してるクリスマスツリーも、今年は本日やっと出しました。甲子園での定位置だった場所より、もっと目立つリビングの一等地!面倒でも、こういうのって楽しいな。忙しさに負けないで気持ちをこまめに切り替え、楽しいことも山盛りにして、年末年始を乗り切るぞ!12月1日、ツリー点灯です。
2010年12月01日
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横浜に来てから初の県外出張です。おいしい食べ物に温泉!という土地で、一泊しようかなという野望満々ではありましたが、東京まで3時間かからないのですよ…。今(18時40分)から米沢を発って、22時前に上大岡までたどり着けるんだから、日帰りするしかないな。それでも駅前のステーキハウスで豪華な米沢牛のステーキ&地ワインハーフボトルをしたため、久しぶりの出張を満喫しました!牛、おいしかった~。牛はもちろん、付け合わせの野菜も素晴らしかった米沢の町は、いずれ改めて探索しましょう。やっぱり仕事の片手間じゃあ、遊べません。遊びは、全力でやらなきゃね~♪というわけで、帰宅するなり、お風呂に入ってばったり。米沢駅のホームにいた、この子の写真を追加しておきます。
2010年11月30日
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大阪時代末期、思い出すだけで苦しくつらい気分に襲われるあの状況下で、同じ境遇に耐えていた仲間が昨日、肝硬変で急死したという知らせを受け取りました。年齢も、私とほぼ同じ。結婚が遅かったため、彼には、まだ小さい子どもがいるのです。入院して、あまり日を置かずに病状が急変したんだそうです。もともと酒好きな人ではあったようです。でも、あの当時の日々が過大なストレスだったことは間違いなく、明らかに酒量がヒステリックに増えていて、みんな気にしてはいたんです。このことが、この急死に影響がないはずはないと思います。つまり、病死ではあっても、その「原因」が明らかに存在した、と私は確信しています。許せないと思います。一足先に、私がその境遇から脚抜けした時(「解任」されたんだけどねw)、彼が音頭を取って「裏会」を開催して、同じイヤな時間を共に耐えてきた仲間がみんな焼き鳥屋に集まって、私をねぎらってくれたこと、忘れません。私が、横浜に異動する前にも、またまた「裏会・送別会バージョン」を開催してくれたっけ。「切れ者」ではなかったけど、いろいろ「やらかした」前歴もあったみたいだけど、明るくて気の良いおっちゃんでした。あんまり突然のことなので、呆然とします。はかないものです。無念だったでしょう。明日は告別式なのに、こっちで用事があって参列できません……。ひととき、目をつむり、彼の冥福を祈りたいと思います。
2010年11月19日
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先日、懸命に守って安心していたジャコウアゲハたち、片方がやられてしまいました(大泣) 彼らの生息地たる目の前の小公園は横浜市の管理下にあり、冬に入る前に園内の雑草刈りが行われるのはしかたありません。食草も冬は地上部が枯れてしまうし、影響はないと思い、昨日、軽トラックが来て何かやっているのを気にとめていませんでした。 草刈りが公園周辺の斜面にまで根こそぎ及ぶとは!おそらく刈った草の片付けをがさっと乱暴にやった時にサナギもかすめられたのでしょう…。 子供の集団からようやく守ったサナギになりたての個体のほうが、糸を切られ、ぶらんと垂れてしまったばかりでなく、体の真ん中に大きな破れ目ができた変わり果てた姿になっているじゃないですか!! 今日はこれから真夜中までの勤務ですが、出がけに遭遇した衝撃の惨劇のせいで泣きたい気分。テンションだだ下がりです。 ひどすぎる…
2010年11月07日
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ピカピカの青空!で、張り切って洗濯物を干していたら、外できゃっきゃと騒ぐ子供集団の声。目の前の公園は近所の複数の保育園だか幼稚園だかの子達が、晴れの日には引率されて遊びに来るポイントなのです。でも今日は公園ではなく、その脇の斜面に大勢で入り込んでドングリ拾いをしている様子。この斜面に沿った塀の柱には、ジャコウアゲハのサナギが2ついるのです。しかもちょうど子供の目の高さに…。見つかってしまったら、子供はきっと触るでしょう。下手したら気持ちワルいとか言ってはたき落としたり潰したりするかも…。やきもきベランダから見守っているうちに、サナギのすぐそばで子供が騒ぎ始めたので、もうたまらず駆け出して出て行きました。引率の先生をこっそり呼んで事情を説明すると、先生も幸い、私の意図を理解してくれて、子供たちがサナギに気づかないうちに、上手にみんなを連れて引き上げてくれました。本当はみんな一緒に大切に春まで見守れたら良いんだけど。小さいうちから自然の面白さを知ってもらう格好の機会でもあるんだけど。でも、信用できなくてごめんなさい!!だって、私が家に連れ込んでダメにしちゃったくーちゃんのぶんまで、彼らには元気に冬を越して春を迎えて欲しいんだもん♪まだ冬も始まっていないのに、春への期待がふくらみます。
2010年11月05日
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ついにあの世へ旅立ったのですね。 気になるのは、水族館が「火葬」の後、記念碑を立てると言っていること。まさか炭火焼き、とかではないよね……
2010年10月27日
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我が家に連れ帰ったジャコウアゲハの幼虫・くーちゃん。糸で身体を吊って前蛹になるところまでは行ったのですが、その先が全然進まない……。何日も、幼虫姿のまま身動きしないなんてことがあるだろうか、と不安な気持ちでいたのですが、とうとうひからびてきてしまいました。蛹に変身するのに失敗しちゃったみたいです。私が連れて来たりしたから、くーちゃんは死んじゃったのかな。かわいそうで、申し訳なくて、寂しい気持ちでいっぱいです。ごめんね。くーちゃん。本当にごめんね。アオスジのムクちゃんも、そろそろ羽化??の時期ですが、今日も全く変化なく、青々した姿。このまま越冬するのでしょうか?それともムクちゃんも、私がダメにしちゃったのでしょうか?後悔に苛まれる今日この頃です。
2010年10月20日
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アオスジアゲハのムクちゃんが蛹になって9日目。心配していたハチの寄生もなさそうで、すっきり透明感のある緑色のぽっちりした姿のまま、今もPC横で端然とクスノキの葉っぱにくっついています。朝、目を覚ますと「おはよう!」、仕事からよろよろ帰り着くと「ただいま!」と声をかけ、もはや完全に「家族」。ヤスが旅立ってから、愛を注ぐ対象不在の毎日でしたから。その気になって家の周辺を見回してみると、実はこの辺、がさっとした上大岡駅の商業地区からこんなに近い割には自然の宝庫なのでした。特に今の時期は越冬に向けて懸命にラストスパートをかけてるのか、奇妙な芋虫類がもぞもぞ地表を歩いているところに頻繁に出くわします。かなりキャラの立った姿の子もいます。このまま放置すると、そばの公園で奇声を上げて遊んでいるガキどもに踏みつぶされちゃう……と、思わず連れ帰りました。黒×白のハイコントラスト配色に加えて、イボイボの姿という異形。この子が行進していた近くにはすでに前蛹になって固まっていた子もいて、翌日、わくわくして見に行ったら、見事に蛹になっていました。毎度おなじみ「幼虫図鑑」などで調べると、彼らは「ジャコウアゲハ」。幼虫同様かなり個性的な姿の蛹は、番町皿屋敷にちなんで(後ろ手に縛られたお女中に見える、ということらしい)「お菊虫」とも呼ばれるそうです。羽化した後の姿は相当華麗な美しい蝶です。柑橘類やにんじん、パセリなどを食べるほかのアゲハたちと違って、食草がウマノスズクサ類に限定されるため、比較的見かけることが少ない蝶のようです。我がベランダの向かいにある公園周辺の斜面がちょっとした藪になっていて、そこにウマノスズクサが生えてるから彼らが集まるのだということがわかりました。駅から強烈な坂と階段を上らなきゃたどり着かないという欠点はあるけれど、このマンション、すばらしいかも~♪家に連れ込んだ幼虫は、蛹になる場所を探していた終齢らしく、ウマノスズクサを入れてやってももう食べません。でも昨夜もまだうごうごしていたから、前蛹まで後一歩、というところかな。真っ黒なその姿から、この子は「くーちゃん」と名付けました。世界の頂点に立つ賢いハムスターだったくーちゃんみたいに、家族の一員になってほしいです。なにしろ、くーちゃんは蛹のまま越冬するので、長いつきあいになるはず。それにしてもネットを徘徊すると、アゲハ幼虫を愛でている人ってけっこういるのですねえ。おかげで情報には事欠きません。でも、職場で写真を見せ、ムクちゃんとくーちゃんのかわいさをとくとくと語っても、誰一人共感してくれないのはなぜなんだ???? う~む……。
2010年10月17日
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我がベランダに生を受けたかわいい青虫、その姿形から「ムクちゃん」と命名し、大事に見守っています。一昨日は、私が仕事に行ってる間、もりもり葉っぱを食べたらしく、坊主になってしまった楠の枝をまた新しく入れたのに、昨日の朝はもう何も食べようとせず、落ち着きなく枝と葉っぱをうろうろ巡り歩いてました。そして昨夜、(宴会で飲んだくれて午前3時前に)帰宅すると、ムクちゃんは初めて葉っぱの「裏」にいて、糸を張ったところに身体を預けて「前蛹」になっていました。葉裏が白っぽいクスノキを生活の場にするこの子たち、きれいな黄緑色の身体を目立たなくするために成長途中は常に葉の「表」にいるのが、蛹になる時は「裏」に移動する、という説明通りの行動にしみじみ感激。土曜でしたが今日も仕事があり、後ろ髪を引かれながら外出。そそくさと帰宅した午後3時前には、まだ前蛹のままでした。ムクちゃんにも全然動きがないし、雨降りなのを良いことに巣ごもりを決め込んで、録画してあった時代劇(御家人斬九郎♪)4話分をまとめてのんびり鑑賞しながら、白ワインなどかっ食らっておりました。時々様子は見に行っていたんです。3話目が終わった時点では、まるっきり変化なしだったのに。最後の4話目を見終わって、また見に行ったら!!!!すっかり脱皮を済ませて、しっかり本格の蛹に変わってました。キーボードの上には、脱ぎ捨てた皮がっ!!肝心なところを見逃しちゃったなあ……残念……。チャンスはあと1回。蛹から蝶へと変身する最大のハイライトを、今度こそ油断なく見逃さないようにしたいです。いやでも、その前に、ムクちゃんに寄生蜂がたかってないことを切に切に祈ります。にくいハチにやられていると、蛹になった時点で不審な黒いシミが発生する、という哀しい報告に終わってしまった観察日記をネット上で多数見ました。かわいい大事なムクちゃんが、どうぞ無事に見事な蝶々となって羽ばたいてくれますように。蛹の期間は、ざっと10日ほどのようです。気をもみながら、見守る日々が続きます。
2010年10月09日
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まるでヤブのように、いろんな植木が繁茂している我がベランダ。その中の一鉢に、甲子園時代にマンションの玄関前にあったクスノキ由来の実生と思われるものがあります。何か草花を植えてた鉢の片隅にひょろっと生えてきた情けない芽生えだったのですが、そのまま引っ越しでも持参。横浜にきてから、思いついて大きめの鉢に植え替え、足下にヒューケラなどを植え込んで、クスノキの方も厚遇に応えて、ぐんと大きく成長した結果、それらしい寄せ植えになったため、よしよしと愛でておりました。そして迎えた10月。確か、1日の朝、そのクスノキの葉っぱにむっくり太った青虫が1匹、じっとへばりついているのを発見しました。直ちに退治しなかったのは、丸々太り、すべすべと青く、しかも愛嬌のあるその姿に心惹かれたのと、バラとは違って、まあ、「勝手に生えてきたクスノキだし、葉っぱもたくさんあるし」という余裕からでした。あまり動く風でもなく、葉の表面に糸を吐きだしてひっついている感じで、サナギになる目前かも?などと思って、その日はそのまま忘れてました。ところが翌日、その子は葉っぱの上から消えており、あわててそう多くもないクスノキ苗木全体を探しても見あたらず、てっきり飛来した野鳥に食われてしまったのかも、と哀しい思いでいたのです。しかし、しかし、またその翌朝、彼(彼女?)は無事にクスノキ上に再び出現したものだから、一度はあきらめた私はすっかり情が移り、その勇姿をしっかり撮影し、記録に残しました。かわいいと思いませんか?これが10月3日朝です。3日の夜、ベランダに出て様子を見たら、コリコリ音を立てて、盛んに葉っぱを食べていました。なんだ、まだサナギになんかならないんだね。なかなか旺盛な食欲なので、クスノキの葉っぱが足りるだろうか……なんて心配までし始めたところですが、本日6日は朝から夜まで微動だにせず、ずっと同じ葉っぱの上でじいっとしてるのです。夜は気温が下がるからなあ……。今年はいつまでも暑かったから、本来はもっと早い季節に芋虫であるべき種類だったりすると、このままにしない方がいいのかも……。なんてことを思い、ここに至って初めてWEBの「幼虫図鑑」にあたって、この子がだれなのかを調べてみました。クスノキだし、甲子園で良く見かけたシャチホコガ一派かな?と思ってたら、アオスジアゲハちゃんでした。そうとわかって、いろいろ調べてみると、うちのこの子は、そろそろ最終齢らしい姿。時期としては、10月中旬の羽化は、そう遅くもないようです。でも、サナギになる直前頃の幼虫に卵を産み付ける寄生バチがいるらしく、餌食になった幼虫の画像を掲載している観察日記なども見つけたので、にわかに心配になってしまいました。というわけで、今夜から、この子は我が寝室で共に寝起きしてもらうことにしました。きれいに羽化して、見事なアオスジアゲハに変身してくれるかな。頑張って欲しい~~~!!大切に見守りたいと思います♪
2010年10月06日
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どこからともなく、モクセイが咲き始めたしるしがほのかに漂ってきました。秋です。
2010年10月04日
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おばちゃんの水泳大会に出てます。95歳の部で50メートル平泳ぎにでたおばあちゃん、世界記録だって。本物の長生きしてるだけでもすごいのに、50メートルを泳ぎきっちゃうのがさらにすごい!!私はというと、昨日はリレーに出してもらい、今日はこれから50メートル自由形。午前中から飛び込み練習などしたために、肝心の競技が始まる前に疲れて眠くなってますが、頑張るぞ!!自己流の適当泳ぎはやはりカッコ悪いという事実をついに認め、この大会が終わったら個人レッスンをしてもらう決心をしました。適当泳ぎ10年以上のヘンテコフォームを矯正し、目指せ!キレイなクロール!!ま、レッスン開始は来月なので、それまでに仕事が激忙しくなったり、やる気が突然失せたりしないことを祈ってます~。…………………………………………終了しました。午前中から妙に張り切ったのが完全に裏目に出て、いざ本番では全然前に進まない……。同じ50メートルが、昨日のリレーの第1泳者として泳いだ時より3秒以上遅くなってしまいました。そして、ようやく帰宅した今は、手も上がらないほど疲れ切ってる……。逆に、「こんなこっちゃ、いかん!!」と、今月からでもレッスンを始めようかという気になった惨憺たるWSF2010でした!さあて、ゆっくりお風呂(緑色♪)に入って、あすの仕事用のDVDを見ながら、おでんの晩ご飯といたしましょう。どこまで起きていられるかなw
2010年10月03日
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あまりのまずさに朝から驚愕したので、書いておきます!ずうっと朝食は紅茶を飲む程度だった私ですが、横浜に来てからは紅茶に加えてパンとヨーグルトを食べるようにしています。ヨーグルトは、プレーンのをデザートカップ1杯ずつ。そこに、その日の気分で選んだジャムを載っけてぐるぐる混ぜてぺろりと。買ったりもらったり作ったりしたジャムがたまりまくっていて、それを消化するために始めた毎朝の習慣ですが、何となく腹具合も良くなった感じwいろんな味が楽しめるのも、飽きずに続けられてる理由かも知れません。(もっともジャムはけっこうな糖分なので、そのせいで「+5キロ!!!」という悲惨な状況を招いたことは否めません……)さて、それで今朝は、ふと目に付いた「黒ごまジャム」を選んでみたのですが……。大失敗!!!ヨーグルトの酸味が、黒ごまのひなびた甘みとは全く合わず、どうしても「ゲ×」をイメージしてしまう仰天の味でした。おえええええええ。しかし、今日は「家庭ゴミの日」で、その締め切りは午前8時。締め切り後に新たにゴミを出すことは許されてないので、カップいっぱいの激まずヨーグルトを捨ててしまいたくても、次回・金曜までキッチンの片隅で待機させなくてはならないのです。日頃から「ゴミとの戦い」に血道を上げてる身としては、こんな不愉快なゴミとの同居は耐えられません。だから、まずさをこらえて全部食べました。最後の方は、味に慣れてきたのか、そう苦痛でもなく食べちゃったけど……腐ったモノを食べた、というような気分に覆われております。弾みをつけなくちゃならんはずの月曜の朝から。トホホ~~~。ヨーグルト×黒ごまジャム=大惨事本日の教訓です。
2010年09月27日
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明日は「泊まり」だというのに、今日は公園で半日、蚊に刺され、スズメバチにたかられて立ちっぱなしだったのに、今の気分は「喜色満面」さ~~~~♪だって、だって、今日から我が家は、新しいマイお風呂~~~~♪ついに、宿願の「追い炊き」もできる給湯器に取り替え、ついでにユニットバスも全取っ替え。たかが「10センチ」でも、浴室が広がって、湯船の中で脚が半伸ばし、ぐらいはできるようになりました。そして、なんてったって「緑色」!!今年の冬は、夏の異常な暑さの裏返しみたいに寒いらしい……ぐふふふふ。かかってきなさい!冬将軍!!私には「追い炊き」がついている!!!ぐわあああ。幸せすぎるぅ~。
2010年09月15日
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先日(8月27日)、きれいに咲いた花を写真に撮った我がベランダのオクラ。その花が順調に実になりまして、ほぼ1週間後の昨日(9月4日)、厳かに収穫いたしました!たった一つですwあの後、もう一つ花は咲いたのですが、小さな鉢植えの苗には実を二つもならせる体力はないらしく、実ることなく落ちちゃいました。枝からつり下がるように実るイメージですが、実際にはとがった方を上に日一日とぐんぐん大きく伸びてゆく感じ。欲張って大きくしすぎてはいけない、という説明をどこかで見かけたのですが、結局時間がある週末まで待って切り取った時には全長8センチぐらいのサイズでした。縦割りにしてスキレットで焼いて、オリーブオイルと岩塩をぱらりとかけて食べてみました。……カタイ。やはりもう少し早く収穫するべきだったのかな。でも、うちのベランダでできたオクラちゃん。愛情込めてかじると、多少かたくたっておいしいわい。まだまだ当分暑いらしいから、あと何個かは実ってくれるでしょうか。それでも気がつけばセミたちもすっかり姿を消し、日が落ちれば、りりりりりと虫の声が響く季節になりました。
2010年09月05日
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9月とは名ばかりです。今日は外回りなので、バテバテ。頭が痛くなってきました。 しかし、今日からぷーちゃんが屋根付きの車庫にやっと移れたので、暑いのも値打ちあります。横浜に来て以来5カ月。炎天下をよく我慢してくれました!週末はお風呂に入れてあげないとね!
2010年09月01日
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政局、本当にうんざりです。私たち国民は、愚弄されているのですよ。政治屋たちには、自分たちの極小な世界の中での常識しかないようです……。ただでさえいつまでも暑苦しくてすっきりしない気分なのに、もう怒りの種ばっかり増えて困ります。だけど今朝はベランダで、ささやかな「♪」を発見!7月に、首都圏内某所の無人売店(と言うのも不安になるほど、粗末で簡単な棚)に並んでいたオクラの苗を買いました。咲いた~~~~!!!!実もおいしいのに花もきれいなので、一度育ててみたかったのです。でも、うちにきたばかりのころ、青虫にもりもり食われてしまい、ほぼ丸坊主になったところからのリカバリー。よく頑張りました♪
2010年08月27日
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まもなく、ヨド☆シカメラの人たちが新しい冷蔵庫を運んできてくれます。買っちゃいました!大容量550リットルのを。本当は601リットルを狙っていたのですが、室内の仕切りドアの狭い間口を通らないことが判明してあえなく敗退。それでも、今の「400リットル」からだいぶ大きくなります。週末しか買い物に出られないし、ヘタすると週末も仕事が入ったりするもんで、そして総菜もまとめて作っておいて、1週間でじわじわそれを食べて生き延びる、という生活パターンなもので、冷蔵庫はいつもぎうぎう詰めでした。農協の産直売店なんかに行けば、怒濤の買い物欲に身を任せたのはいいけれど、げげ、冷蔵庫に入りきらない!という事態もしばしばでした。ぱんぱんに詰め込んじゃうと、冷気が回らない、というのみならず、まったく見えない奥の方で、人知れず様々な食品が、食品だったもの、へと熟成を重ねるのを何人も妨げることができない、ということになるのです。ああ、恐ろしい。大容量になったら、なおさら目が届かなくなる???いやいや、買い込む量は今以上に増やさないで、これからは「詰め込まない余裕の庫内」を実現しようと心に誓う朝なのでした。そんなわけで、昨夜はマツモトさんなんかと楽しい宴会で飲んだくれたのですが、今朝は6時過ぎに起きて、せっせと今の冷蔵庫を空っぽにする作業にいそしみました。注文してから1週間後に届けてもらうことにして、この間、なるべく中身を食べて減らす努力を続けていたのですが、細々した調味料だとか、出るわ出るわ……。しかし、その作業も終わって、今はこうして到着を待つばかりとなっています。壊れた訳じゃないのに次のを買っちゃったので、今朝のこの瞬間まで問題なく頑張ってくれていた今の冷蔵庫が不憫で、ちょっと湿っぽい気分でもあります。この子とは9年のおつきあい。いろんなことがあった9年間を、共に生きてきたんだよなあ。本当に、どうもありがとう。君はもう解体されちゃうんだ。ごめんね。最後、きれいに拭き清めて送り出す準備が終わりました。新しいのを買って舞い上がっていた気分の奥に、ちくりと痛む部分がありました。
2010年08月14日
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昼間はまだまだ暑くて、職場の回りをうろうろしているだけでも汗がじっとり、シャツの色が変わる!という状況は変わりません。でも、朝夕は本当に涼しいこの数日。台風が来ているせいでしょうか。激しく「高台」にあるこの上大岡の家は特に、窓を開け放っているとものすごく良い風が通り抜けてゆきます。マンション造成の合間に残った雑木林?を風が渡って、ざわざわざわざわいう音が聞こえ、耳にも涼しさを実感できます。去年までは、その窓から甲子園球場の「ぶかぶかドンドン」と、クマゼミのじわじわじわじわいう鳴き声が聞こえたものです……。関西、暑かったなあ……。横浜は風があって涼しい、と聞いていたのは、こういうことだったのか。涼しいだけで、こんなにゆったりした気持ちになれるのですね~♪今日も、夏らしく超暑苦しいオシゴトが待っていますが、頑張ってやっつけます!
2010年08月12日
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世間の夏休みモードに乗り遅れまい!と、8月に入ると同時に3日間だけ休みを取って、ささやかな北海道ツアーを敢行しました。マツモトヨーコさんの個展開催とはちょうど入れ違いだったのは残念……。でも、キャンセル待ちを執念深くかけてやっと飛行機がとれ、夕方羽田発というもったいない展開でしたが、勇んで飛び立ちました。なにしろ札幌に到着したら、もうこの夕景。当然、いそいそとススキノに出かけました。野鳥大好きさんに、札幌食い倒れ情報をいただきまして、効率よく北の味覚を満喫♪ ツブ貝、うまかったっす~。アーケードにて、でっかい狸発見!大酒食らってふらふらホテルまで歩いて帰る私を、お月様が見てました。明けて2日。まずは高いところから街を一望だ!と、JRタワーに上りました。地上38階だよね……。この子、どうやってここまできたのか……。大通公園で「とうきび」を食べるぞ、と歩いている途中に見たカニ看板は、大阪で見慣れたものとは違って毛ガニなのでした。そして、せかせかと函館に移動。JR北海道の特急「北斗」では、豪勢にグリーンを奮発しましたが、後ろの席の中高年カップルが深刻な別れ話でもめていて、道中ずっと「聞き耳ずきん」状態。彼らは駅についてもなお、ホームで延々とやり合っていました。いったいどうなったことやら。またもや夕刻に到着した函館は、港祭りの真っ最中。この町、イカに大変力を入れていて、人々は隊列を組んで「イカ踊り」を踊り狂っていました。札幌で買い込んだ乳製品をホテルの冷蔵庫にぶち込むと、さっそく函館山へ。広東語、北京語、韓国語ばかりがやかましく飛び交う中、ひたすら日没を待ちます。さ、寒い!!100万ドルの夜景は、思っていたより街の灯りが少ない感じがしたのは、たまたま祭りで人が出払ってて、民家に灯りがともっていなかったからなんでしょうか……。鑑賞はとっとと切り上げ、私も活イカを求めていそいそ下界におりました。函館出身の職場の女性に教えてもらった居酒屋は、祭り見物の地元の人で大賑わい。活イカ刺しも、ニシンの焼いたのも非常にうまく、燗酒は2合で520円という破格のお値段。仕上げに、塩ラーメンもしっかりすすり込み、暴飲暴食の2日目が終了しました。最終日は、夕方の飛行機まで時間をフル活用!!っていうんで、朝からテンション高く「市電1日乗車券」を買い込んで、まずは「自由市場」へ。「函館朝市だけは行ってはいけない!!」と教え込まれていたので。8時の開店とほぼ同時に入り込み、いきなりメロンだ、男爵だ、真ほっけだ、と興奮状態。しかし、ホテルの朝飯を意地汚く食べまくったために(それでも控えたつもりだったのにぃ)、「買った魚介をその場でのっけて海鮮丼」を実行できなかったのは痛恨の極み……。そのまま市電にまた乗って、五稜郭を目指しました。ホテルがある函館駅、市役所周辺はなんだか妙に人の気配がなくて、うろうろしてるのは観光客ばかり。「死んでる……」という感じでしたが、五稜郭周辺は、商店も銀行もあって街に生体反応がありました。電停から五稜郭へと歩く道筋には、いろんな子がたたずんでいます。「じっと手を見る」=啄木のふるさとだもんね。大変申し訳ないことに、タイトルを忘れました。かわいいぜ。確かに五角形をしていました。五稜郭タワー内の展示からは、(明治政府側から見た)現在の正史では「逆賊」になる榎本武揚や土方歳三に対して、函館の人たちが親しみを持っていることがにじみ出てました。明治政府ってエグいわ、確かに。歴史に思いを馳せながら、またまた市電に乗ってホテルに戻ってチェックアウト。午後は元町の洋館や旧家を見て回ろう!ところが「末広町」という電停で降りたとたん、ひっかかってしまいました。函館出身で、昨年東京から帰ってきたばかりという鞄作家が構える工房です。ブランド名は「OZIO」。なぜ函館に来て、バッグ(それも2つも……)を買って帰ることになったのか。でも、1点ものばかりのバッグは、色も形も手触りも最高に素敵。キリン柄の名刺入れも買いました♪休み明けでとぼとぼと仕事に戻る時も、こいつのおかげで気持ちを引き立てることができました。「旅は、出会いだ!」
2010年08月07日
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毎年、じわじわじわじわじわじわじわじわ……というクマゼミの声が初めて聞こえた日には「初蝉だ!」と日記に書いてきたように思います。関東で久々に夏を迎える今年は、温暖化が進んでるとは聞くものの、まだクマゼミはこちらでは主流じゃないのかな。昨日の朝、じいいいいいいいいいいいいい……という別の種類の、おそらく蝉と思われる鳴き声を聞きました。あ、今朝も鳴いている!アブラゼミかな、これ。クマに比べると音量も控えめで、わびさびな感じです。どこを向いても(球場以外は)マンションばかり。アスファルトでがっちり固められていた甲子園に比べて、こちら上大岡はけっこう「茂み」や「裏山」という感じの緑が多くて、春にはウグイスも大サービスしてくれたものです。蝉の声も、甲子園のクマを凌駕するぐらいの「時雨」かも、と思っていたけど、ちょっと拍子抜け。いずれにしろ、夏はまさに本番です。早くもバテ気味ですが。トホホ。
2010年07月21日
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南アの大統領が「タコは骨がないから占いはできない」と言ったそうで。アフリカは骨占いが一般的なんだそうです。これを天下のロイターが流すんですもの。楽しくてステキ♪ 高校野球祭り、開幕。選挙祭りに引き続きって、さすがに大変です。若い人たち、頑張ってるなあ~
2010年07月12日
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目下、私のアイドルです♪ サメの水槽に入れろ!などと脅迫されるつらい立場を心配して、スペイン政府が「安全上の理由から」スペインへの移送を申し出たとか。大人が国を挙げて遊んでるのは平和でいいな!
2010年07月09日
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今、この瞬間も、だれかが奇妙な節回しで不可思議なことをなにやら唱えています。政見放送です……。大阪にいる時は、7時台に毎朝NHKをチェックする、なんてことはしてませんでしたし、やっぱりおかしな人たちが大挙出現するのは「参院・東京選挙区」ならでは、なんでしょうね。こんな人たちでも、供託金300万円を払ってるんだよなあ。(そして、当然、法定得票数には満たないでしょうから、没収だよなあ)5分ほどのこのおかしなビデオに出演を果たすための料金だ、と思って、いそいそと払い込んでいるのでしょうか。あまりに珍妙な主義主張が延々と続くので、最初は笑いたくなるんだけど、だんだんいやな気分になってくる。世の中って、こういう「奇妙」を余裕をもって内包して、全体としてはお構いなくまっとうな方向に進んでいくべきものなんでしょうが、朝からあまりにイッちゃってる人をあからさまに見せつけられ続けると、だんだんナニがマトモで、ダレがオカシイのか、その区別に自信がなくなってくるような……。だって、いわゆる大政党の有名候補でも、相当へんてこなことを言ってますよ。願望だけ駄々をこねるみたいに羅列するなら、コドモでもできる。実現可能性を踏まえ、その場限りのごまかしではなく、きちんと将来を見据えた政策を提示して欲しい。それが政治家の責務というものです。いますかね、そんな人。今こそ、政治がリーダーシップを発揮して、苦境を切り抜けるべき時期なのに。担い手がいない。その不満が、朝のお笑い小劇場を、無邪気にケラケラ笑って鑑賞できない理由なんだと思います。……気分は悪くても、選挙、行きましょうね。今日も梅雨の鬱陶しい空の下、頑張って仕事します。うがぁ~。
2010年07月07日
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今月の初め、職場に近いスタジアム周辺の横浜公園にて開催された「開港祭バザー」で、どうしようもなく目にとまって買ってしまったバラ「ノスタルジイ」です。これは連れ帰った日の夜、室内で愛でていた姿で、今では花も散って剪定を済ませ、次の芽が出てくるのを待っている地味な様子になってしまってます。曇りの中に晴れ間が見えるぐらいの天気なのに「夕方から雨」とか予報が言うので洗濯を控えていると、結局、雨は降らなかったりして、大いに肩すかし。そんな日が続いて、たまりにたまった洗濯を今日こそやってやれ!と心に決めて寝た翌朝は、目の前が白くかすむほどの土砂降り~。チクショー!!毎日、妙に忙しくて、ぐったりです。それでも職場の若い人たちは、もっともっと忙しくて、私が「えいっ」と帰宅する時も、まだまだ大勢残ってます(というか、ほとんど誰も帰らない……)。気が引けるけど、みんなが同じ働き方をしなくても良いと思うし、仕事の内容も違うし、私の方は帰宅してからも電話やメールで仕事してるんで、まあ、いいか。新天地で、仕事の内容も今までとは変わって、それが新鮮でこの3カ月、私としてはかなり全力疾走を続けてきてたんだけど、ここへ来て少々、バテ気味なのかも。先日の人間ドックで、矯正視力がいきなり「0.5」まで落ちていたのにも愕然(半年前まで、余裕で「1.0」だったのに!)。このままじゃ車の運転もNGじゃん……。数ある眼鏡を作り替えにいくヒマもありません……(泣~バラの季節も一服しちゃって、着物で出かけるヒマなどさらになく、せっかく買い込んで読む気満々の「ペンギン・ハイウェイ」(森見登美彦氏の新刊!)も、ベッドに寝転がって手に取ったとたんに爆睡してしまう始末で、リフレッシュするきっかけがない。「参院選」と「高校野球」が終わる7月末まで、この状態が続く見込みなので、浮上できるか不安……。しかも、大量の洗濯物がぁ~。(冒頭に戻る)
2010年06月23日
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木曜の宿直勤務では2時間ぐらいしか寝ることができず、明けの昨日も「13時半の解放後は帰宅」なんてできるはずもなく、ちゃんと寝た一夜明けた今朝も、もう本当にへろへろです。アタマの芯がぐるぐるする……。さて、そんな昨日の夕方、とある講演会?の様子を見に行くために、私は馬車道周辺にいました。何しろぐったり疲れていたので、そこらにあったベンチに座り込んで、しばし、呆然と休憩してたのです。背中合わせにもう一つベンチがあり、そこに若い女性が電話しながら座った様子を感じながら、ぼ~っとしていました。聞くともなしに、その女の子がぎゃあぎゃあしゃべっている会話の内容が聞こえてきます。どうやら仕事関係で、文句を言っているようです……。最初は、派遣の勤務条件にない業務か、サービス残業をしてくれ、みたいな話を、「それはできない」と断ってるのかと思いました。しかし、寝ぼけたアタマに断片的に入ってくる単語が、なんだか変。え?「おしっこを入れる」?「それで『2』なんてねえ。私もイヤなのを我慢してるんですよ。3万円のオシゴトならともかく、2なんて」??「ねえ、もう今日はやめましょう。無理です」????うーむ。どうやら「いかがわしい種類」のオシゴトの受注を巡るやりとりだったみたい。こんな会話をかわしているそばで、自分も携帯を握りしめて座っていたら、こっちも「同類」と思われちゃう!あまりの気持ち悪さに、せっかく見つけた暫時休憩の場所だったけれど、思わずそそくさと立ち上がって仕事先に向かいました。振り向きざま、会話の主の顔を見ちゃいました。パンダみたいな化粧をしてるとはいえ、よく見かけるタイプの若い女に過ぎません。こんな普通のコが、こんなことを「生業」にしているの?????それにしても、まだ夜にもなってない、歓楽街でもない普通の町中で、公然とあんな交渉ごとが行われてるなんて。日本はどうなっちゃってるんでしょうか。首相が変わっても、夏の参院選がどうなっても、なにか根本的な手立てを講じないと、すさみきったこの世の中はまともな方向には動かないよ……。疲労困憊とあいまって、いろんな意味でとても気持ちの悪い体験でした。
2010年06月05日
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毎日が妙に忙しく、日記からもすっかり遠ざかってしまいました。でも今朝は、昨日仕事で訪ねた小田原に感銘を受けたので、ここにしっかり記録しておこう、と。私が「感銘を受ける」のは、主として「飲み食い」分野に限られるのですが、でも、そこに厚みがある町は、間違いなく文化一般が奥深いと思う!仕事の約束は午後だったのですが、早めに現地入りして食べた昼食で、まずにっこり。漁港があるので、魚がうまいのです。ネットで調べておいて、駅近くの魚問屋直営という小さな店に向かいました。本来なら鰺その他の地魚を刺身で食べるべきところを、観光客丸出しで「金目鯛煮付け定食」1250円を。これが、すばらしかった~~。分厚い切り身が2つ、こっくりと味濃く煮えて出てきました。作り置きしたのを温め直した、というのではなく、その場で作ってもらったようです。メニューは、ただ「ご飯、味噌汁付き」みたいに素っ気ない書き方なのに、アサリの味噌汁がまた、貝への火の通り方も絶妙で、いわゆる「定食屋の煮詰まった味噌汁」とは別モノでした。さらに、さりげなく添えられた「デザート」も、レベル高し。くずきりみたいな小鉢ですが、中身はわらび餅みたいな、もっと柔らかくふるふる揺れる透き通った、和風ゼリーのようなもの。黒蜜ときなこがちらりとかかって、冷たくのどに滑り込んでゆきます。少なくとも、定食のおまけに付いているような味わいじゃない、と思いました。仕事で向かった先も、創業100年超の蒲鉾メーカーでした。が、小田原にはもっと古い蒲鉾屋もあり、全13社が組合を作って「小田原おでん」というアンテナショップを出しているのです。仕事が片付いた後は、現地の支局長さんに連れられて、そこに繰り出しました。これがまた、すばっらしくうまかった!!え~、おでん?(所詮練り物を出汁で炊いただけでしょ……?)と、思ってしまいそうだけど、それがちがう!伝統を誇る各社が、自慢の一品を出していることもあって、練り物はどれも工夫が凝らされ、味も歯触りも、よくある「薩摩揚げ」とは別モノです。例えば、第1回おでんだねコンテスト最優秀賞だったという「しらす団子」は、真ん中にショウガとシラスを丸めた周囲を吟味した魚で作った練り物で覆っています。生臭さも皆無。きょにゅっとした歯触りは、出汁でしっかり炊いても損なわれません。あと、白はんぺん=あの一般的なふわふわしたやつ、ではなく、「しんじょ」に似たしっかり歯触りのもの、だったり、小田原独特の文化もあるようです。全体を湯煎で温めて、決して煮立たせない出汁も、鰹風味が効いてどこまでも透き通ってうまいのです。幸せな夜でした。しかも、横浜からも意外に近い!東海道線に乗ってしまえば、なんと1時間ちょっと。寝過ごすこともなく、ちゃんと帰り着いたし。このほか、あんパンが有名だという「守谷」という昭和な感じのパン屋とか、箱根湯本から無料送迎バスで5分!という「ひめしゃらの湯」とか、感銘ポイントはいろいろありました。支局長さんの奥様に聞くと、パン屋はまだいくつも美味しいところがあるというし、和洋のお菓子屋さんなんかもいろいろあるようです。そうだろうなあ。城下町だもんなあ。以前、伊豆に両親と出かけた帰り、小田原を走り抜けたことはありました。そのときの印象は「うわ……寂れてる……」という芳しくないものだったけれど、それは国道沿い=町外れ、だったんですなあ。歩いて回る町中の雰囲気は、そのときとは全く違う横顔でした。考えてみれば、箱根への玄関口という街道沿いの町、というだけでなく。鎌倉を築いた北条氏の拠点城下町として、長い歴史を持つ町なのです。魅力的な町であって、当たり前。小田原、いいな。絶対、今度は休みの日に、また行こうっと♪
2010年06月02日
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本当に病人だったの?という感じがするぐらい、すでにぴんぴん元気だったおかんですが、やっぱり治療に区切りがついたというのはうれしいもの。加えて、今日の快気祝いは家族全員が勢揃いして昼間っからおいしいもんをガンガン食べようというイベントですから、朝からむちゃくちゃ楽しそう。そんなおかんを見ているオヤジも当然うれしそうで、さらに、そんな二人を見てる私も幸せな1日でした。さて、着物で食事会なんていうと大げさな感じですが、晴れ上がって爽やかに乾燥していた今日みたいな日に着なくちゃ、いったいいつ着るよ?おかんの大島(デカい麻の葉柄)×博多帯に対抗すべく(?!)、私も今日はがさがさと大島を着込みました。ポイントは帯♪これ、今は亡きおばあちゃんが、おかん嫁入り時に作って持たせてくれた黒絵羽の羽織だったものです。たぶん、その頃流行っていた「マジョリカお召し」に類した織り込み柄です。その当時ですら、もう子供の入学式に黒絵羽を着込んで学校に出向く母親というのはほとんどいなかったので、おかんは親不孝にも「こんなのいらない!」と、おばあちゃんに文句を言ったそうですがwそれを私がもらい受け、もう何年も前、京都の「凜」で帯に仕立て代えてもらってあったのでした。おかんの健康回復を祝う今日みたいな機会に、こんなにぴったりの帯はないでしょう!おばあちゃんの思いも、宴席に同時参加させることができるんだもん。しかも、柄はバラ!!!帯用の柄付けじゃないから、よく見ると腹の部分の前柄は横倒しになっていますが、友禅で蝶をひらひらと描き足してくれている、という芸の細かさ。んで、足下は、転勤前にあたふたと伊賀上野に仕事で出かけた時に、すかさず(激しく二日酔いだったのに)なみえさんちに押しかけ、台も鼻緒も一緒に選んでもらって誂えた草履。渋めでかっこよくて、大島には正にぴったりでした!そんなわけで、非常に楽しい宴会を無事に終了し、帰宅しました。会場となった関内のフレンチ、ストラスジュールは小さいながらも(いや、小さいから、かな)実に居心地が良く、お料理も素敵でした。幹事としても大成功だったなー。うひひ。ママ、本当に良かったね。これからも、今日みたいに楽しい1日をずっとずっと、みんなで一緒に満喫しようね♪
2010年05月16日
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