モモ

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2011年02月14日
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カテゴリ: 看護
 日本死の臨床近畿支部教育セミナーで、音楽療法について学びました。
 講師は、あしや音楽療法研究会 堀 早苗氏 堀 彩氏「緩和ケアにおける音楽療法の理論と実際」

 音楽に失敗はない、音楽の中でくつろぐ・・

 音楽を聴いたり、唄ったり、楽器を鳴らしたりする中で、心や身体を刺激し、生活をより豊かにしてゆきます。音楽療法は、音楽を使って、その人のQOL(Quality of life)をより高める援助といえます。モーツアルトを聴くとよくなるなどと、メディアにのると飛びつくという社会の現象があります。けれどもCDを聴くだけでリラックスするとか気分がよくなるというような直接効果のあるものではなく、その人の生きる力、生きる勇気の背中を押すものが音楽療法であるといえます。

 自己表現としての音楽を「他者の自己表現を援助する」ために役立てるという点において、音楽療法と音楽活動は違っています。音楽療法も音楽活動も共に音楽を使って楽しい時間を過ごすわけですが、様々な対象者に最も適した改善目標のために、音楽活動そのものが目的ではなく、治療的な目的を持って音楽を活用するのです。

 現在、任意資格である音楽療法士資格が、日本音楽療法学会が中心となり、国家資格化への準備に取り組まれていますが、理学療法士など他のセラピストに比べ、音楽が余暇的なイメージがあるため助成してもらいにくいといわれています。作業療法士によって音楽療法をされるのと、音楽の専門的知識のある音楽療法士が行うのとでは治療効果があきらかに違うと予測されます。音楽療法士が医療、福祉、教育、社会などの分野において、音楽を活用して、他の専門職とのチームアプローチによって効果のあることは多くあります。

 叫ぶ声に耳を澄ますと、ただ叫んでいるのではなく「音」として、専門家がみる。いつも同じ音を出すとか、その声と同じ音を出し、半音さげると声も半音さがるなど、その時、音楽的な音を出しているというところに意味を見出せるとしたら、今まで問題としていたことが問題ではなくなるどころか、その人は自分の声を使って自己表現をしていることに援助者が気づけるのです。援助するものは、援助される人が自分よりも優れているところがあることを知らなくてはならないし、自分も無知であることを知らなくてはなりません。そういう意味で、専門家でないものが簡単にできるものではないし、音楽療法士の持つ意味も深く責任も大きくなってきます。

 音楽療法は、長期療養、精神科、リハビリテーション、小児医療、緩和ケアでの領域で患者だけでなく、家族もスタッフにも全人的なニーズに音楽をもって援助することができます。全人的な援助とは、身体的・精神的・社会的・スピリチュアル的(その人の価値や信念に基づいた生存的なもので、宗教的なケアではなく、命の意味とか、死の意味を大切にしながら、どう生きるかということを考えるケア)であり、医療・看護の最も大事にしている援助の目的です。
音楽は、このスピリチュアルな部分において優位に働きかけることが可能であると考えます。我々は、音楽の中で患者、家族、スタッフと共に在ることができます。これは、病院やホスピス、施設といった建物ではなくて、その患者と"being with a patient"(患者と共に在る)ことが大事といったシシリーソンダース女史の言葉と重なります。

 対象者との人間関係は、その人が今居るところで、出会い、そこから、その人に合せてゆくことから始まります。感情的になることなく共感し、高圧的になることなく力強くリードする態度、即ち適度な距離を保った踏みこみすぎないコミュニケーションは信頼関係を築き、音楽の中で寄り添うことで、素朴で丹精な援助ができるのではないかと考えます。

 お昼休憩の時間に『歌の翼に 緩和ケアの音楽療法(ラボナ・サーモン)春秋社』のDVDを観ました。カナダのホスピスで実際に行われている音楽療法のドキュメンタリーです。その中には協力を惜しむことなくするスタッフの姿、「生きている」実感のある援助の事例が紹介されてありました。臨終の呼吸に合わせて、あるいは新生児の泣き声に合せて唄うなど、どんなに高度な医療器具や薬を使っても人間である心の部分へ届くことはできないことを我々は知っています。また、我々の祖先の人間がしてきた儀式や祭りごとといったものにも音楽が使われているのは、そういった人間であるがゆえに抱える苦悩の部分を癒すためのものではないだろうかとDVDを観ながら考えました。
 多くの方の終末期を看させていただき、そのわずかな時を共に生きたことをふと思い出す時、忘れないでおこうと心に決めて一期一会の気持ちでケアしてきたことを振り返る事が出来ます。けれども、終末のときだけ関わる我々と愛する人がだんだんに衰えてゆかれ、看取りをされるご家族の心情とはちがいます。愛する人を亡くしたときの喪失感を癒す力も高度医療や薬の力の及ばないところです。グリーフケアも音楽の持つ力を必要とされるでしょう。

 午後からの演習では、実際に楽器を使ったり、ハンドベルの練習用のトーン・チャイムを使って音のキャッチボールのようなことをしたり、即興で作曲(?)できたりしました。合奏することで、役割ができます。そして、音楽が一人ではなく他者と一緒にするということで人と人との間ができます。その間を音楽が繋げているという感じがします。一人ではないと感じた瞬間から、相手のことを考えます。人の喜びが自分の喜びに変わります。そうして、回りはみんな仲間であり、そういうホスピタリティのある温かい空間ができあがるのです。

 立派なホスピスができても温かな空間がなければ意味がありません。シシリーソンダース女史の言う、場所ではなく患者と共在ることが大事なのです。音楽療法を在宅訪問でも行われています。私自身も訪問看護で認知症の高齢者と一緒に唱歌を歌う、好きな音楽のCDをかけながらケアするといったことはしてきましたが、もっと積極的に音楽を使ったケアの可能性があるのではないかと感じました。

 日本にホスピスができたころから、ターミナルケアにおける音楽療法は、注目されていました。アルフォンス・デーケン氏の『死への準備教育』の目標の一つである「時間の貴重さを発見し、人間の創造的次元を刺激して、価値観の見直しと再評価を促すこと」に関連して、音楽療法の効用について書かれています。
音楽療法は、患者がこれからの時間をどう使ったらよいかを深刻にならず、真剣に考え、その人の持つ能力を発揮して生きる勇気を持つことができる援助に繋がると考えます。





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最終更新日  2011年02月14日 22時36分19秒
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