期間限定という考え方だけが回復させてくれるわけじゃない
期間限定という考え方は、あくまで私自身の中での事
それだけでここまで気力は回復しない
やはり、色々な人との関わりや
好きな人好きなモノからのエネルギーは大きい
このごろ「ありがとう」を100回唱えましょう!
みたいな話をよく耳にする
初めて聞いたのは5年くらい前だろうか?
「ありがとう」という言葉を「有り難し」などと分解してみたり
色々実験してみたりするらしいけれど
私は日頃「すみません」とは言わず
「ありがとう」とか「ありがとうございます」とか言う
娘も普通に「ありがとう」と言う
喉もかれるほど、ただただ「ありがとう」を唱えればいいってもんじゃない
色々な人の顔を浮かべて「ありがとう」と唱えればそれで終わりじゃない
そんなの「ありがとう」ロボットだ
頭の中で人々の顔をスライドショーして「ありがとう」のBGMを生演奏するようなものだ
「ありがとう」と唱えれば幸せがやってくるってワケじゃない
「ありがとう」と唱えれば感謝した事になるワケじゃない
本当に大事なのは「感謝する心や気持ち」であり
「ありがとう」と唱える事ではない
そこを勘違いして、必死に車の中でありがとうを千回言った人がいる
千回も言っているウチに、自分がただのロボット化しているのに気付かなかったのだろうか?
喉の痛みを感じたらしいが、そんなのマゾヒスティックな歓びでしかない
言葉は確かに便利なツールだ
唱えているウチにその気になってくるって効果もあるだろうけれど
感謝の気持ちってのは
表情、声色、空気、話し方とか色々な所に出てくるものだと思う
と言うより、出てくる位でなければ「感謝している」とは思いがたい
「ありがとう」って言っておけば確かに間違いはない
ここ最近の「ありがとう」信仰に疑問を感じる
っと、前置きが長くなってしまったが
私は色々な人や物のお陰で、以前だったら這い上がれないほど落ち込む所で
落ちずに回復することができた
「ありがとう」である。
でも私はその言葉を言うだけで終わりにはしないつもりだ
周りの人や物や出来事に感謝しているという事を
私自身の行動で示す私自身の姿で表す
「ありがとう」なんてのは、この気持ちを代表する名前でしかない
だから、今回私に回復のエネルギーをくれたみんなに対してこう言いたい
「私を見て!!頂いたエネルギーはこんな風に役に立っています」と
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