《櫻井ジャーナル》

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2012.06.16
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 関西電力の大飯原発3、4号機を再稼働させると野田佳彦内閣は決めたという。この政権を操っている日本やアメリカの支配層は、この決定を突破口にして原発を動かそうとしているのだろう。

 元スイス駐在大使の村田光平氏と東電福島第一原発の危機的な状況を訴えている 松村昭雄氏が言うように 、日本政府は福島第一原発で高まる危険に取り組もうとしているとは到底、見受けられない。

 昨年3月11日の地震で福島第一原発の1号機から4号機は完全に破壊されたが、それでもまだ50基(福島第一原発の5、6号機と「もんじゅ」を含む)が存在している。尋常の精神構造なら、この地震国にこれだけの原発を建設することはできないだろうが、日本人の多数派は原発の乱立に賛成、あるいは黙認してきた。勿論、アメリカ支配層も原発の乱立を容認してきたと言える。

 言うまでもなく、原発は一種の「汚い爆弾」。日本を破壊しようと考える国、組織、人物がいるなら、原発を破壊すれば放射能で日本は汚染され、滅亡してしまう。日本の支配層もそんな程度のことは理解していただろう。つまり、日本の支配層に思考力があるとするならば、日本が攻撃されるとは思っていないということになる。「防衛力」の増強は防衛以外の目的があるということだ。そうでなければ、原発が攻撃され、日本が滅んでもかまわないと思っているのか?

 ただ、攻撃を受けないとしても、大地震には必ず襲われる。福島第一原発の事故、あるいはそれ以上の事故をアメリカの支配層は予測していたはずで、そうした事故が起これば日本は滅ぶ可能性があることを見通していたに違いない。アメリカ支配層にとって日本の滅亡は眼中にないのだろう。いや、望んでいるのかもしれない。日本の支配層はアメリカに逆らえず、「安全神話」の世界へ逃げ込んだのか、アメリカの支配層と同様、日本が滅亡してもかまわないと思っているのか?

 単なる使い捨ての手駒にすぎない日本がどうなろうと、彼らにとっては大した問題ではないと考えることもできる。かつてCIAの手先として働いていたイラクのサダム・フセインやリビアのムアンマル・アル・カダフィを抹殺したことでもわかるように、用済みになれば処分するだけの話だ。

 歴史を振り返ると、近代日本はイギリスとアメリカの支配/影響下にあった。幕末から1910年代頃まではイギリス、関東大震災から1932年頃まではアメリカということ。この当時、アメリカの巨大資本が日本の電力産業に多額の投資をしていたことは有名な話。イギリスとアメリカ、この2カ国の存在を抜きに日本のアジア侵略は語れない。

 薩摩藩や長州藩がイギリスと手を組んだ頃、イギリスは中国(清)を侵略するためにアヘン戦争を仕掛けて、支配下におこうとしていた。侵略の最中、麻薬取引で大儲けしていた会社のひとつがジャーディン・マセソン商会。この会社が日本へ送り込んだエージェントがかの有名なトーマス・グラバーだ。

 それから時を経て1933年。日本の支配層を取り巻く状況が大きく変わった。この年、ウォール街の思惑に反し、フランクリン・ルーズベルトが大統領に就任したのである。

 JPモルガンをはじめとする金融界はルーズベルトを排除するためにクーデターを計画するものの、失敗。さすがにルーズベルト大統領もウォール街と全面衝突することはできなかったが、政権はルーズベルトが急死する12年の間、続くことになる。この変化に日本の支配層は対応できなかった。(この辺の事情は拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を)

 ドイツ降伏が目前に迫っていた1945年4月12日、ルーズベルト大統領は執務中に急死、副大統領だったハリー・トルーマンがトコロテン式に大統領となった。トルーマンはミズリー州カンザスシティーを拠点とする政界の黒幕、トム・ペンダーガストの影響下にあった人物。1941年から45年にかけての副大統領はニューディール派のヘンリー・ウォーレスだったが、1944年の大統領選挙でルーズベルトはトルーマンを押しつけられていた。

 ルーズベルトの死後、アメリカ支配層はファシストの逃走を助けるだけでなく協力関係に入り、日本の「右旋回」にもつながる。1953年にドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任すると、情報/破壊工作を指揮していたアレン・ダレスの兄でウォール街の弁護士だったジョン・フォスター・ダレスが国務長官に就任、アレン・ダレスはCIAの長官になる。

 戦後の日米関係を築き上げたのは、このダレスと昭和天皇だったことを関西学院大学の豊下楢彦教授は明らかにしている。ダグラス・マッカーサーと吉田茂のラインはダレスと天皇のラインに対抗はできなかったということだ。

 大統領に就任したアイゼンハワーは1953年12月に国連総会で「原子力の平和利用」を宣言、日本も核の世界へ入っていく。こうした動きの中で中心的な役割を果たした人物が中曽根康弘。1950年にスイスで開かれたMRA(道徳再武装運動)の世界大会へ出席してから出世街道を駆け上がっていく。MRAはCIAと関係の深い「疑似主教団体」だ。

 1953年にはヘンリー・キッシンジャーが責任者を務めていたCIAとつながりのある「ハーバード国際セミナー」に中曽根は参加、1954年に原子力予算を国会に提出している。ここから日本の核政策はスタート、日本人は「汚い爆弾」を抱えながら生活することになった。そして今、原発によって地獄の門が開けられようとしている。





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最終更新日  2012.06.16 23:18:42


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