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昨夜、あさみちゃんがわざわざ私たちに会いに来てくれて、また私、サブ、あさみちゃんの四人で夕食に行った。そして今日は金沢観光に四人で出かけた。兼六園、21世紀美術館、海鮮丼、コロッケ、忍者寺(?)。。。楽しかったね。みんなありがとう。やっぱりもう一泊しちゃおうかなぁ・・・。温泉入ってないしなぁ。サブはどうするの???・・・ちょっと待って・・・帰りのチケット。確認。有効期限4月5日わぁ。知らなかった。これって変更できるって言われたの時間だけだったんだ!!最終便に乗らなきゃ~!!!「お昼の便で予約されてますよね?これは乗り遅れになるんで払い戻しをチケットを買ったお店でしてもらって、改めて予約してください。」いやいやいや。変更できるって言葉しか聞いてなかったんだよ。私、几帳面じゃないし、そういう細かいこと確認あんまりしないんだよね。急げば最終便に間に合う。でも、このチケットが使えないと聞いてとっても心配してくれる3人。バスや電車を探してくれたり、、、。「私、空港行くよ。がんばってくる。ありがとう~~~」空港着なぁんだ。やっぱり意外とイケルのね。ついでに「窓側の席あいてますかぁ!?」ホント私、図々しくできてるわ、こりゃ。今回の石川県、ボランティア参加+金沢観光。無事、終了しました。
2007年04月05日
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やはり平日バスが減っている。私が乗ったバスはもう一つの集合場所、羽咋経由だった。羽咋から参加のボランティアの方たちを乗せて門前へ向かう。しばらくバスが走った後、乗り遅れの人がいるということでまた羽咋の集合場所へ戻る。後で知ったことだが、集合場所の明白な表示がなされてなく場所がとても分かりづらかったらしい。門前に着きグル-プに分かれる。私たちは6人に分かれ作業に取り掛かった。私たちのグループは6人のうち3人が連日参加だった。そしてこの日リーダーを務めてくれたのは消防で働いている方だった。そのおかけがとてもいいチームワークで活動する事ができた。とても天気がよく、不謹慎かもしれないがみんな笑顔で笑いながら作業をどんどん進めていった。でも、不謹慎でも失礼でもなく、地元の方に元気を与えていたのだと知った。瓦を土嚢につめそれを男性二人が一輪車で運ぶ。男性二人はかなりの力仕事だっただろう。みんなで和気藹々と作業をし地元の方に挨拶をする。後で地元の方がミカンとチョコレートを持ってきてくれた。お昼に他のグループの方たちと分け合っていただいた。天気がよくブルーシートが敷き詰められたところでピクニックのように輪になってお昼をとった。その頃にはすっかりみんな打ち解けていた。リーダー(消防、新潟)、サブ(福祉関係、埼玉)、俊子さん、ぱぴよちゃん(看護師)、あさみちゃん(大学生)と個性がばらばらで、なのによくまとまっていた。あさみちゃんとぱぴよちゃんはさすが女の子。観察力がすごい。作業を始めてすぐリーダーとサブが一輪車で運んでくれてる間にリーダーの話になり、「あの人、靴から違ったよね?消防士っぽいね」と。私はまったく気がついてなかった。戻ってきたリーダーに聞いたらやはり二人が言ったとおり消防で今は救急の仕事をしているとのこと。どうりでリーダーシップの取れる人だった。でもこの二人、面白いことに観察力に優れてるのにチョコレートを持ってきてくれたおばあちゃんがピカピカの鎌を持っていたことは気づいていなかった。靴よりよっぽど私には目立ったんだけど(笑)昼食に入ったが水が不足しているはずだから手洗いは遠慮してみんなでウエットティッシュなどを使い食事を始めた。他のグループの人たちも食べ始めてしばらく時間がたった頃。。。「ノロウイルスが確定しました。みなさん石鹸を使って流水でしっかり手洗いをしてください」!?みんなもう食べちゃってるよ?もうちょっと早く言ってくれないかな。。。この6人は帰りのバスの中では互いに連絡先を交換した。リーダーとあさみちゃんは羽咋で降りてしまったけど、金沢に戻り四人で食事に行くことにした。それプラス私のピピでの友人のまさ(ヤクルト一気の)が合流することになり5人で食事をとった。結局、俊子さんがほとんどご馳走してくれた形になった。ほんとすみません。ごちそうになりました。今日はいい出会いに感謝。
2007年04月03日
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集合するがバスが三台に減っていた。やはり平日だからだろう。土曜日と同じ顔ぶれを見かける。週末は人数がかなり多かったので気がつかなかったが、やはり連日参加されている方がいるのだろう。この日の活動場所は穴水のごみ処理場だった。ここの職員の方もはっきりと指示を出してくれた。私は電気班といって男性と二人任命される。なんのことはない冷蔵庫やテレビ、洗濯機などを数える役だ。マジックを持って印をつけながら二人で手分けして数えていく。かなりの年代物のテレビや真新しいパソコン。。。かなりの数だった。きれいに見えるが雨にさらされ使い物にならないのだろう。私たちは作業を終え、他の活動を手伝いたいと申し出るが、これからまた運ばれてくる電気製品があるのでそれらを車から積み下ろし数えないといけないといけないので持ち場を離れられなかった。しかし午後からは下に下り他の人たちと一緒にゴミの分別をした。とにかく膨大な量のゴミだ。それをみんなで手作業で分別していく。ガラス、燃えるゴミ、燃えないゴミ、瓦、、、。ひとつひとつ手作業だ。片付けても片付けてもトラックが入るたびにまた増えていく。始めからある程度分別されていたらずいぶんと違っただろう。この日、ゴミ処理場という場所で活動したことにより、いかにゴミの分別が大切かを痛感した。ボランティアは一応4月4日までの募集になっているが、ここの方は延長を頼んでいると言っていた。確かにこの量はなかなか捌ききれないだろう。ここにいた職員の方の一人は普段は門前の火葬場で働いているらしい。とても気さくな人だった。
2007年04月02日
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この日も同じ時間に集合。門前の鹿磯という町がこの日の活動場所だった。バスを降りると説明を受け、グル-プを作る。この鹿磯でボランティアを仕切ってくれた男性はとてもきびきびとしていて私たちボランティアとしては何をやっていいかが明白になり、とても動きやすかった。仕切っている人が「それでは男性のグル-プのかた」と呼びかけた。しかし男女合わせたグル-プそれぞれ作るように最初に言われていたので男性だけのグル-プはなかった。男性グル-プと最初に呼びかけたということは力仕事だろう。「それじゃあ、どなたか?」私たちのグル-プのリーダーが手を上げた。ちょっとびっくり。二つのグル-プが一緒に行動をすることになった。私たちに任されたのはお寺の掃除だった。他の人たちは瓦の処理だった。瓦を土嚢につめていくのだ。これは瓦のほうが大変じゃないのか? ちょっと疑問に思った。お寺は真覚寺という名前だったと記憶している。階段がある分、大変と言うことだろう。私たちは流れ作業でどんどんゴミを下の道まで運んでいった。運搬手段は一輪車だ。一輪車というのは思ったよりも力が必要で男性がそこを引き受けてくれていて私たちはどんどん不必要と分けられたものを運び出した。その次は中に入り、奥の本が置いてある所を徹底して片付けた。この日は気持ちがいいくらいよく動いた。みんな本当によく動いていた。昼食をはさみ午後からは地元の方を訪ね、人手が必要な方たちの手伝いをした。ここで水が出る家があったことに驚いた。午後3時の集合時間までいろんなことを手伝って気持ちよくこの日の作業を終えた。ホテルに着くが体中が筋肉痛で痛む。普段いかに体を動かしていないか分かる。ホテルは集合場所には近くていいがコンビにまで10分かかる。しかも集合場所と反対方面にある。ということは朝から弁当を買いに行くためには20分以上歩くことになる。食事をするところも遠く、面倒だったがコンビに弁当だけを食べていては体が持たなくなりそうなので元気を出して外に出た。そのとたんホテルから流しっぱなしになっている、水に濡れた道に足をとられ転んでしまった。(多分、常に流れているので苔状態になっていたと思われる)この寒空の下、服がすっかり濡れてしまうほど転んだ。。。悲しいかな、いつもこうだ。
2007年04月01日
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集合場所へ向かう。朝6時20分頃着いた。そこでは想像していたよりも、はるかに多くの人が集まっていた。たくさんのボランティアの方、職員の方、そして市長の話があっていた。みんなの服装を眺めると山にでも登りそうな格好、長靴の人、へルメットを用意している人など様々だ。私は慌ててボランティア参加をしたせいか十分に揃える事ができなかった。そして正直こんなに寒いとは思っていなかった。なんと私の足元は素足にビ-サンだったのだ。かなりの勢いで恥ずかしい。どうにか足元を隠したいが隠せない。一般参加のボランティアは館内にて受付をしバスに乗るように指示される。受付に長い列ができる。しかし今度は並ばされたボランティア達は受付する間もなくバスに乗せられる。並べといったり乗れといったり忙しい話だ。6時40分、バスが動き出し能登半島、輪島へ向かう。窓から見える遠くの山に雪が積もっている。そして私の足元はやっぱりビ-サン。バスの中で職員の話が始まり、ボランティア保険名簿、名札を書き、名札を首から下げる。現地までは約2時間かかる。少し落ち着いたところで持ち物をチェックしてみる。えっと、、、あれ?軍手は?タオルは?マスクは?・・・忘れてきた。いったい何しにきたのかと落ち込む。そしてまた足元を見て落ち込む。「自分の存在が何なのかさえ 解からずに震えてる」「なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な」・・・そのとき私の頭の中で尾崎が歌った。8時50分老人ホームでバスが止まる。職員が場所を間違えてみんなを降ろしてしまう。そこから徒歩で現地の受付である小学校に向かう。そこにもたくさんの人々。一般のボランティア、職員、そして報道関係者、空にはヘリコプター。約800人が集まったらしい。そこで受付を待つこと約1時間。しかし受付のないまま私たちが乗ってきた12号車の職員は説明を始めた。「自主的に、と言う事で」と。テレビ関係の人が声をかけてくる。「つまりやることがないと?」と。数人のグループに別れそれぞれ活動を始める。ゴミ処理を手伝ったり、物を運んだりと地元の人々に声をかけながら何か手伝えることを探す。とても遠慮深い人たちでほとんどの方が大丈夫ですと答える。私はゴミを運ぶのを手伝っていた。建物は損傷が激しくゴミもたくさんでているのに、こんな状況なのに可燃ごみしか出してはいけないという。私はそれを知らずゴミ捨て場まで近所の人のゴミを捨てに行った。ペットボトルをつめた袋と割れ物を詰めた袋だ。しかし、不燃ごみを捨てると他の可燃ごみ全てを持っていってくれないと聞き、だからといってゴミを突き返すわけにもいかず集合所の小学校に一度運び指示を仰いだ。すると「自分たちで市役所に問い合わせてください」「自分たちのゴミを持ってこないでください」「どなたの指示ですか?」と、まくし立てられた。なんだか悲しくなった。少しでも役に立ちたいという思いだったのに。
2007年03月31日
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2006年12月27日二年ぶりのダイビングへ出る。今回は絶対にダイビングへ復帰したいと思っていた。ヤスコチャン、まさと三人でファンダイブを予定した。そこでまず悩んだのはどこのショップで潜るかと言うことだった。お互いが元々働いていたショップは知らない人ばかりになっていたからだ。私たち三人はピピでのガイド経験のおかげでピピの海は判るのでガイドはいらないということにした。私たちはピピのあるダイビングショップにお世話になった。私は滞在日程が短いので時間のある限り潜ろうと思い、五日間潜った。ロ-カル三日間、ヒンデン、ヒンムアン二日間だった。でもダイブサイトが突然当日予告もなく変更になりロ-カルでは三日間同じポイントになってしまったのが、ちょっと残念だった。でも久しぶりのダイビングを十分に満喫することができた。お世話になった船のスッタッフ達に感謝します。働いているときは毎日のように当たり前に海に潜っていたのにかなりのプランクをかかえ、冗談を言い合いながらも不安もあった。でも水に入るとすべての不安はなくなった。ただやはり思いっきり脂肪が増えた体はウエイトが3キロ必要になっていた。
2007年01月27日
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2006年12月26日 あれから早、二年の月日が流れた。追悼式の場所へ向かう。あの津波の日は一番被害が大きかったであろう場所あたりかもしれない。去年は小さなステ-ジでタイ人の男性の話があり、そしてその瞬間を知らせるサイレンが鳴り渡った。みんな心にさまざまな思いを描きながらそっと黙祷する。私の姿を見かけて涙を流してくれた現地の女性もいた。あの日以来、私の姿を見なかったからと心配してくれていたと。。。そしてそれからさらに一年が経ち今年の追悼式。同じ場所でありながら、去年とはまったく違う光景が目の前にはあった。そっと近づくと仏教の人たちが僧侶の前で手を合わせている。その少し隣にはイスラム教の人々、そしてそのとなりにはキリスト教。私はそんな光景を一度に同じ場所で見たことはなかった。初めて見るその光景に物凄いエネルギ-を感じた。私は特に宗教を持たないが、仏教のところで手を合わせた。大きな木に花を供えたり、写真がかざってあったり、どれも心に痛みが走るような光景だった。そのせいか、やはり私はカメラを向けることはできなかった。 その日にシンゴ、マサと再会した。それから当時ホワイトアンドブル-で働いていたアキエさんにも。みんなそれぞれの思いを胸にこの日にこの島を訪れたのだろう。 夜にみんなで食事をすることになった。当時のメンバ-だ。日本人はその他にhatさんも一緒だった。それからタイ人の友人達。食事の後、ビ-チに誘われた。私は少し疲れていたしアルコ-ルを飲む気分でもなかったので断ったのだが強く誘われた。しかし、そうだ。去年もそうだったが、ビ-チに火を灯すのだ。砂を掘り、そこに思い出の人の写真を飾り、花を飾り、ロ-ソクに火を灯し火を守り続けるのだ。みんなで火を囲み、消えないように火を守った。去年に比べたら人はほとんどいなかった。タイ人のジュリ-とアンは私が今年もピピを訪れたことをとてもよろこんでくれた。来年も必ず来てと言ってくれた。
2007年01月26日
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12月25日クリスマス昨日は結局、一人でイブを過ごした。といっても移動疲れでちょっと買い物に出て寝ただけだが、、、。私が泊まったところは一番広い部屋しか空いていなかった。しかもプ-ルなんてついていた。余計に寂しさが増す。朝からミニバスとフェリ-チケットを宿で手配してもらい、ミニバスが送迎に来てくれるまで買い物に出かける。ダイビングの器材を買いたかったからだ。そこで偶然にヤスコチャンと再会。でも宿は別々なのでとりあえずフェリ-で合流しようということになった。しかしぐずな私はミニバスの時間に買い物が間に合わなくなってしまう。そこでミニバスに荷物だけのせて港まで運んでもらい私は買い物を終わらせて急いで原付タクシ-で港に向かう。ちょっと不安だったが、ちゃんと荷物を私に受け渡すまで待っててくれたドライバ-。いい人でよかった。そして一年ぶりにピピへ着いた。なんだ、なんだ!?ピピが変わってしまっている。私が大好きだったピピが津波後の再開発が進みすぎたのか、なんだか都会化している。おさえていたはずの宿は前の人が延泊すると言い出して泊まれない。私はヤスコチャンに荷物を任せ、走り回って宿を探した。ありえないくらい跳ね上がった値段。それが最後の部屋だと脅かされるがその値段は無理。さらに走りやっと見つけた部屋。ヤスコチャンと相部屋なので割り勘だ。今回は二人とも旅行者なので贅沢にエアコン、ホットシャワ-、テレビに冷蔵庫・・・。快適。島を歩き周るがなんだか変わってしまったピピに寂しさだけを感じた。もうこれでピピにくるのは最後になるかもしれないと心の中で思った。
2007年01月25日
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去年の事を今頃さかのぼろうと思ったら日記がもどれなかったので一月にかかせてもらおうと思う。12月24日クリスマスイブ福岡発、バンコク行きの飛行機に乗り込む。一年ぶりのタイだ。今年は去年とは違い少しだけ時間に余裕がある。去年は出発は25日だったが今回は一日早い。当日のうちにプーケットに着いた。ちょうど同じころにピピに向かうヤスコちゃんと待ち合わせをする。プ-ケットにつき携帯をつなげ、電話番号をメールでしらせ待つ。・・・まてどくらせど連絡はない。私のミスで電話番号を下一桁かいていなかったせいで繋がらなかったのだ。ヤスコちゃんは待ち合わせした場所の向かいのバ-で、イントラ仲間のシンゴとともに私の姿を探してくれていたらしい。しかし、私があまりにも軽装だったため気づかれなかったのだ。ということで結局、諦めて部屋を探した。 その前にお腹がすいた私は一人寂しくタイスキを食べた。クリスマスイブに一人タイスキは結構悲しいものがあり、ほかの食べ物にすればよかったとちょっと後悔。。。私とヤスコチャン達が出会えなかったのは私が予定より遅くパトンに着いたのも原因かもしれない。空港のイミグレで予想以上に時間がかかってしまった。【プーケット空港にて】長い列がなかなか進まない。じりじりしながらみんな待っている。そんな時、私の前にさりげなく外国人の女の人が入ってきた。あれ???すると後ろの方から別の外国人女性がその人に向かって「みんな並んでるのよ!ちゃんと並びなさい!!」と怒っている。それはそうだ!すると割り込みした人は聞こえない振りをして連れの男性を呼び、二人して完全に割り込んできてしまった。きっとみんな怒ってるはず。。。私ももちろん腹が立つ。。。みんなずっと並んで並んで待ってるのに二人して周りの苦情に耳を塞いでとうとう女性は先に通ってしまった。あ-あ、非常識・・・。ここで私ができることは一つだろう。はい。やりました。先へ進もうとする男性の横を無理やり通り抜け「私の番!」とパスポ-トを差し出した。その後、周りで苦情を言っていた女性に偶然出会いすっきりしたといって喜んでいた。やっぱり並ばないとだめですよね?
2007年01月24日
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みなさんにとって この一年が平和で幸せなものでありますように。。。ピピ島より。。。 ユ-コ
2007年01月01日
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今はまだタイ時間の12時半(AM)そろそろ搭乗の時間だ。今回は残念ながらピピ島には1泊しかできなかった。日本に着いたら改めてピピでの報告をしたいと思う。それでは今から日本に帰ります。
2005年12月27日
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あれから1年がたった。正確に言えば明日だが。私は今日、あの時以来初めてのタイを訪れた。クリスマスが楽しいものではなくなった私がいる。数日前にチケットの手配をした。今日の正午発の飛行機でようやく辿り着いた。今回は追悼式に参加というのが目的なので時間がほとんどない。明日は特別に早朝のフェリ-がでるらしい。明日、そのフェリ-でピピへ向かうつもりだ。
2005年12月25日
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予定もお金もないけれど、やっぱりパスポ-トがないと不安だ。思い立ったがどこかへいきたくなる私。そんなときにパスポ-トがないなんて悲しすぎる。そこでやっと先週パスポ-ト作りに行ってきた。私のパスポ-トって後5年残ってたはずだけど無くすと作り直しなのね。。。前回タイで作ってもらった『帰国のための渡航書』なるものが発行された時点で私のパスポ-トはすでに無効になっているらしい。その『帰国のための渡航書』。記念にとっておきたかった。すっぴんで救急車の中で撮影された写真が使ってある。どこを見てるのかよく分からない写りだ。結構いい顔をしていて面白かったのに。太ったことを気にしている私は痩せてから作ろうと思っていたがスピ-ド写真を撮り翌日には申請に行って来た。14日には晴れて私もパスポ-ト保持者の仲間入りだ。
2005年10月11日
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みなさん。ごめんなさい!!遅くなりました。ピピ島で出会った皆さんが心配しておられる安否を私の分かる範囲でお伝えします。無事が確認されている人(以前働いていた人も含む)【日本人インストラクター及びダイブマスタ-】PPK・・・トモゾさんホワイト&ブルー・・・ヒロミちゃん、アキエさん、ケイイチくん、マサ、モスキ-ト・・・ミヤコさん、ヤスコちゃん、トモミちゃんVISA・・・シュンスケさんロングビ-チ・・・トミ-さんレムトン・・・タツヤさん【アクアノ-ツスタッフ】ベッキ-、ニ-ル、ピジュ(お父さん)、ニコ、クリス、ジ-ナ、ジェイミ-、ソムサック(ジェ-ムス)、ウィルキ-、セブ、マ-カス、サンドラ、ルイス、ジャイ、ジェニ-、クリス、ニコラス、ケリ-、シェリニ、テリ-、リョウくん(DMT)【その他のダイビングショップスタッフ】ロジャ-、ウディ、アダム、マ-カス、ナン、ナ、ティン、ジェシカ、アンディ-、ヨハン、マ-ティン、リ-、ニッティ-、マイ、ブラッキ-ズのオ-ナ-、ホ-リ-、マ-ン【その他】魚食堂・・・ジュリ-、アン子供達・・・サニア、プレ-、ディノマッサ-ジ・・・ナンママタロット占い・・・ファティ-ズ・・・JP イスラエル料理・・・デイビッド【タイで働いていた友人】シンゴ思いつくままに名前を載せました。
2005年09月11日
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久しぶりの日記でなんだかとまどっている。。。みなさん。ずいぶんとご無沙汰をしてしまいました。私は現在、地元である長崎県佐世保市に帰ってきています。今年の2月1日、雪の日に日本に帰国しました。パスポ-トの再発行をしておらず今は持っていません。体は順調に回復し、ひきずっていた足も今では走れるまで完治しました。私は昨年の12月25日を最後に海に入っていません。でもまたいつかダイビングの仕事に復帰したいと強く思っています。今はダイビングから離れ海から離れてしまい、ここに何を書いていけばいいのか分からず長いこと時間が流れてしまいました。でもここは私にとってたくさんの人たちと出逢えた大切な場所です。海のこと島のことダイビングのこと・・・。今は何も伝えることが出来ませんがずっと大切にしていきたいと思っている場所です。そしていつかまた以前のような生活を送り、これからもたくさんの人たちと出逢っていけたらと思っています。それと同時にいままでの出逢いをいつまでも大切にしていきたいと思っています。私がダイビングの仕事に戻りたいと強く思うのは今まで私と一緒に潜ってくれたみなさんのおかげです。ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします。ダイビングの仕事を離れたせいか最近太って大変だ。しかも周りに言われるまで自覚症状がなかったのがなおさら悪い。このままじゃ体が浮いて潜れなくなってしまうかもしれない。。。
2005年09月08日
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ずいぶんと体が元に戻ってきた。体のあちこちにたくさんの傷は残っているけれど、そんなことはどうでもいい。私は運がよかったと思う。あれだけの波に飲まれながらも骨折はなかった。始めは寝返りをうつ事も出来なかった。でも日に日に体は回復していき、車椅子に乗れるようになった。初めて車椅子に乗れたとき、とても自由を感じた。それから歩行器を使って歩けるようになり、最後には歩行器も必要なくなった。ここ最近、曲がらなかった左膝が曲がるようになってきた。まだ片足を引きずるけれど、ずいぶんと歩けるようになった。病院で電気治療を受けたり、最近はリハビリに通っている。左足の筋肉がずいぶんと衰えている。リハビリの後は筋肉痛だ。走ること、階段を両足を使って下りる事はまだ出来ないが、それでも日に日に回復していく事を実感できる。早くダイビングに復帰できる日を目標にがんばっている。
2005年03月17日
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年末あたり私が認定した生徒の方へお知らせがあります。申請書、スチューデントファイルなどすべて今回の津波で流されてしまいました。大変申し訳ありませんが、Cカードが届かないという方は、申請書など流されてしまった可能性が高いです。もう一度申請するために証明写真が必要になります。PADIのほうへは連絡済みで特に問題はないというお返事をいただいております。こちらでもう一度申請したいと思いますので、連絡ください。スチューデントファイルも流されてしまったため、こちらからは連絡先が分からなくなっています。お手数ですがメールにてご連絡ください。dive110@hotmail.com
2005年02月02日
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想像を絶する津波だった。たくさんの負傷者、行方不明者、そして命を落とした方。そして心配された二次災害。そんななかすぐに被災地に駆けつけ、ピピ島で大きな力となって動いてくれたトモゾ。ダイビングの仲間として一緒に働いてきたことを誇りに思います。そしてピピ島での日本人インストラクターである、トミーさん、シュンスケさん、タツヤさんたちの勇気ある行動を心から素晴らしいと思います。日本人ばかりではなく、西洋人でも最後まで人々の身元を捜し続けた人。こういうときにその人の本当の姿が出ているのではないでしょうか?私が大好きだったピピ島は美しい島というだけでなく、こういった心の人達が住む島だったから、さらに美しい島だったのでしょう。
2005年01月30日
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今月24日にバンコクの病院を退院しました。ご心配をおかけしたみなさま、暖かい言葉、励まし本当に有難うございました。お蔭様で無事に退院にまで迎えることができました。今夜の便で日本に向かいます。今回は津波の影響で多大な被害が及びました。たくさんの仲間や知り合いのことを思うと悲しい思いでいっぱいです。ただただ平和であることを願います。これから先、どんなことが起こるかは分かりませんがもうこういった被害はどうか起こらないように願うばかりです。
2005年01月29日
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クリスマスでみんなが浮かれていた。もちろん私もそうだった。26日は学科のみの講習で午後からショップに出る予定だった。25日まで忙しい日が続き、私はとても疲れていた。26日はゆっくり眠れると思っていた。疲れのせいでクリスマスだというのに私は一滴もお酒を飲まずに早めに部屋に帰った。そして朝、異変に気がついて目が覚めた。カーテンを開けると、たくさんの人々が大声で叫び、走っていく姿が見えた。その一瞬後だった。私は濁流に飲み込まれていた。部屋ごと一瞬にして潰され、流され、裸で外へ投げ出されたのだ。なにが起こったのは全く分からなかったが、自分の体が濁流に飲み込まれ足からずるずるとすごい力で飲み込まれていることは分かった。まず私がまっさきに思ったこと。息が吸いたかった。痛みや恐怖よりも苦しかった。私は濁流に飲まれながら初めて「死」を覚悟した。ならせめてこれ以上苦しまずに、、、とさえ考えた。そして呼吸の変わりに泥水を二口飲み込んだ。その時だった。潮が引き始めたのだろうか。私を引きずり込んでいた水の水位が下がったのか、光を感じることができた。力の限りで水面まで泳ぎ出た。水から出ることが出来た私は運がよかったのだろう。どれだけの人が下敷きになったままだったのだろう。。。水から顔が出ると、今度は引き始めた水に流されそうになった。鉄塔に椰子の木が倒れ掛かって水に浮いていた。流されながらも椰子の木に向かって泳いだ。椰子の木をつかむことが出来なかったら海に流されていたかもしれない。椰子の木をたどって(貯水タンク用の)鉄塔によじ登った。そして初めて何が起こったのか考えた。見慣れている景色がまったく別のものになっていた。瓦礫だらけの海のようだった。そして私はぼんやりと瓦礫の中に倒れている冷蔵庫やテレビを眺めていた。そしてそれが自分の物だと気づき私は自分の家具と一緒に流されてきたんだなぁなどと、どうでもいい事を考えていた。次の波でその家具も流されていった。そのときも私はそれが津波だということを知らなかった。私は何かの信者というわけではないけれど、ただ神様が怒っているのだと思った。自然を切り開きどんどん開発されていく姿に怒っているのだと思っていた。どれだけ時間が経ったのか分からないけれど人が歩き始めたので、通りかかった現地の人に声をかけた。そこは危ないから場所を移るようにと言われた。でも体中が震えて降りることすら出来なかった。その人が私を支えて下ろしてくれ、自分の着ているシャツを私に着せてくれた。瓦礫の山に足をとられながら力の入らない足で歩いた。そしてほんのちょっと歩くと見慣れた階段が見えた。ほんの少しの高台には一緒に働いている人の姿も見え彼等に助けられた。そこで私は自分の左膝が大きく開いているのを見た。助けられて安心したのか全身打撲した体が動けなくなった。泥水を飲み込んでいるので咳が出る。すると頭から血が滴ってきた。こんな状況の中、次々と人が運ばれてくる。どれくらいの時間そうしていたのかは分からない。ヘリコプターが旋回し始めた。私の感覚では30分位だと思っていたが数時間が経過していたようだ。私のすぐ隣でずっとうなされていた人が息を引き取った。そんななかでビールを飲んで騒ぐ人々。怪我を負いながらも必死で人の救助をしている人々。。。私も外したドアを担架代わりにして5人くらいの人にビーチまで運ばれた。道が塞がれて通れないので山を通る遠回りな道のりをたくさんの人に支えられて運ばれた。そのビーチにしかヘリコプターがとまれなかったのだ。ビーチに運ばれるとたくさんの被害にあって動けない人たちが感じられた。みんなさらにそこで数時間待ち、病院へ運ばれていった。そんな様子を写真にとる無神経な無傷の旅行者。私は動けなかったが声を振り絞り抗議の声を上げた。私はその日のうちにクラビの病院に運び込んでもらうことができた。混雑、混乱する病院でたくさんの人たちの叫び声が聞こえた。私もその中の一人だった。でも叫び声を上げられること、痛みを感じること、それは生きているということなのだ。これが私の26日の記憶だ。いろんな思い、出来事がたくさんの人にあるだろう。なのでこれは私だけの記憶の話である。
2005年01月26日
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私はクリスマスはイヴの方が好きだ。私にとってのクリスマスは今日だ。今日はファンダイブだった。オープン、アドバンスを無事に終えたエージさんとレスキューコースを始めるRYOさんだ。昨日から予定を立てて準備を整えた。水中パーティーをしたかったのだ。持参するもの。敷き物(ござ)、多めのウエイト、ビール瓶、クリスマスの帽子などなど。。。砂地にござをひいて1時間少し、ただ座って寝転んで魚を眺めた。一緒にジングルベルを歌ってみたり。こんなパーティーはなかなかいい。各種パーティー取り行なっております
2004年12月24日
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最近めっきり姿を見せなくなった楽天のばっしーさん。全然更新もせず何をしているのだろう。。。私は知っている。実は今ピピにいるのだ。そして今は飲兵衛を休業中でダイバーになっているのだ。つい数日前にコースを始め、今ではアドベンチャーダイバーにまでなってしまった。今日は沈没船を含む3本ダイブに行ってきた。ばっしーさんのバディーは金髪のお姉さん。いつもはきちんと器材を装着するばっしーさんが、なんだかだらしなかったり(?)どうやら金髪お姉さんにかまってほしいようだ。おっと。。。こういうことを書くと本人にすべてばれてしまう。私の日記のリンクからばっしーさんのページに入れます。更新するように言ってやってください。
2004年12月03日
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なんとも今日は一日いい日だ。まず午後からスタッフダイビング。こんなことはまず有り得ない。オーナーもマネージャーも一緒になって遊びに行く。みんな子どものようにはしゃいで船からジャンプしたり、潜るのを待ちきれずフィンをバタバタやりはじめる。海に飛び込むときもわざと転んだりとみんななかなか面白いことをやってくれる。私もウエットスーツの上だけを来てその下にミニスカートなんかはいてみる。みんな魚なんて見てやしない。お互いの悪戯でいっぱいいっぱいだ。楽しい楽しいダイビングも終わり、今日は仕事は9時半まで。(普通は10時まで)それというのも9時半からボートパーティーだったのだ。夜のマヤベイに行き、飲んで食べて遊んだ。まったく単純なゲームなど始まり、みんなでわーわーやってるあいだに1時半になっていた。いやぁ。。。なんて今日はいい一日だったのだろう。スタッフみんな同じ思いだ。これから忙しい時期に向けての休みをオーナーがくれたのだ。いったいどういう風の吹き回しだ???
2004年11月27日
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今日はロイカトンだ。花が飾られたのを流すのだ。本当は川に流すらしいがピピは海になる。実はこの意味をまったく分かっていなかった。(今もあんまり分かってないけど)タイのお祭りだ。そこで友達のヒロミちゃんと浴衣を着ることにした。仕事が終わってからスタッフ達とで飲んで花を流すことになった。だいたい今日はなんだかいつもと違う。お店のサインに「今夜はパーティー、明日はアフタヌーンダイブ」なんてウレシイ事が書いてある。なんとスタッフダイビングだ。スタッフだけで遊びに行けるのだ!翌日のことをまったく心配する必要がないスタッフ達。海が引きはじめたころ花を流す。簡単に言うと厄払いみたいな感じだろうか?(よく分からずに言っているので間違っていたら指摘してください)そこで願い事をして海に流す。ヒロミちゃんの花は帰ってきてしまいついに上陸してしまった。そこで笑って怒られる私。私の花もうろうろしながらやっとの思いで流れていった。さて、よい1年をまたお願いします。
2004年11月26日
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ちょっと忙しくしていたため、更新をしていなかった。ついでにお店のパソコンも調子が悪くなくなってしまい、店を出なければパソコンを使えないのでよけいに更新をさぼってしまった。*********そこでみなさまへ***********今はハイシーズンに入っています。これからまた更新できなかったり、質問などに答えるのが遅れたりすることがでてくると思います。そこでお願いなのですが、ピピを訪れたことがある方や、知っていることなどありましたら、掲示板の方で教えていただけたらと思います。私もできるだけ返事をしていこうとは思っていますが、旅行者のほうが詳しいこともたくさんあるし。どうぞよろしくお願いします。掲示板、自由に使ってください。今までどうりみなさんと仲良くやっていきたいと思っています。
2004年11月25日
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今日は引越しの日。部屋がちょっと広くなるし猫も外で飼える。数日前から私にしては珍しく数日前からダンボール箱に荷物を詰めたりして準備していた。そしてショップに行ってリヤカーを借りてくる。もちろん引越しもリヤカーだ。部屋から荷物を出してリヤカーにどんどん積んでいく。宿のおやっさんも手伝ってくれる。そこでもう一人の助っ人登場。よそのショップのトミさんだ。私の荷物はリヤカー往復2回分だった。まず1回目の荷物と同時に猫たちを連れて行く。新しい部屋の前にリヤカーを止め鍵をもらいに行く。「あら、今日部屋は空いてないわよっ」はぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?予約したじゃーーーーん!!!これはもうオーナーと話すしかない。気が強そうなおばさんがオーナーの所に連れて行ってくれる。この前とはうってかわった態度で私が選んだ部屋を貸そうとしてくれない。そしてこの間交渉したときより料金が3000バーツ(約9千円)も高い。どうやらさっきのおばさんはオーナーの奥さんらしい。ちっくしょーーーーーっ。オーナーのところは奥さんが強いらしい。奥さんがダメだといったらダメなのだ。リヤカーに大荷物を積んで途方に暮れる私たち。そしたら大雨が降ってきた。本当に一人じゃなくってよかった。こんな状況で一人なんて寂しすぎる。結局、そこからまた部屋探しが始まった。なんとか新しい部屋をみつけられたからよかったものの、リヤカー持ってきた人間に対してあんまり冷たいんじゃないの???どんなにいい部屋でもあの奥さんのところには絶対に行くまいと思った。
2004年11月01日
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ハロウィンでスタッフたちが悪魔や猫に変装していた。体中を赤に塗って顔も悪魔のように塗っている。こんな時に黙っていられる私ではない。赤と黒のボディペイントを発見。何になるか考えた。!!!そうだ!!!私はターザンになることにした。(でも待てよ?ハロウィンとは関係なくないか!?)準備はいたって簡単。さっそく部屋に帰り水着を持ってくる。髪の毛をめちゃくちゃに結ぶ。これで髪は終了。体中を黒に塗る。もちろん顔も耳も真っ黒。そして水着を下だけ着てTバック状態にする。もちろんお尻も黒い。そして胸に紐を結び葉っぱをくっつける。ついでに水着にも葉っぱを1枚。そして恒例の付け毛を水着からはみ出させる。恐ろしいくらいの変装っぷりだった。ハロウィンの意図をどんどん離れていく私。子供が私を見て泣き叫ぶ。ついでに旅行者にカメラをたくさん向けられる。ピピでこんなことをしていた日本人はもちろん一人。ピピ島ハロウィン日本代表は誰よりも目立ちました。金メダルです。
2004年10月31日
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これからのハイシーズンに向けて引越しを考えている。今の部屋は場所はとてもいいのだけど、猫を飼うにはあまり適していない。猫ももっと自由にしてあげたいし、そうすれば私ももっと楽になる。これこそがお互いの幸せのためだ。正直、毎日部屋の大掃除は疲れる。今日、見つけてきた部屋はちょっと遠くなるけれど、猫たちも自由に外で遊べそうな環境だ。月貸しはしないというところを何とか交渉。まずはオーナーをちょっと褒めてみる。かっこいい、だの何だのかんだの言ってから交渉開始。思った以上にすんなりと交渉成立。・・・でも・・・ちょっと待てよ。先払いだ。あと5日でどうやってお金が出来るのか。。。。
2004年10月25日
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早朝5時のバスに乗り、はるばる帰ってきた。バスといってもこっちで言うミニバスというバンの事だ。ハジャイでの乗り換えのときなんと私と西洋人の二人だけになった。やったぁ。のんびりできる!ところが運転手がタイの音楽をがんがんかける。私はスピーカーの目の前に座っているというのに。運転手が車を止めてちょっと降りた瞬間に体を乗り出して音楽を止めた。それと同時に後ろから「サンキュー」と。やっぱり彼も辛かったのだ。戻ってきた運転手は何事もなかったかのようにまた音楽をかけ始めた。はぁーーーーーーーーーーーーーっ。。。途中からタイ人がぞくぞく乗ってくる。それがまたよく喋る。そのお喋りと音楽に耳をふさぐために枕を使った。たいした効果なし。それがどういう状況か分かりやすく説明すると、狭い車の中にお喋りなおばちゃんたちに囲まれて演歌をがんがん流されたところを想像してもらえればいいのだろうか。しかし帰りのフェリーでは空いた席を確保でき、枕に寝転びながらミスタービーンなんか見ながら帰ってきた。行きはまったく役に立たなかった枕だけど帰りのフェリーでは役立ってくれた。今後も枕は持参しよう。
2004年10月21日
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ピピからペナンまでミニバスとフェリーを乗り継いで約12時間。移動は結構疲れる。翌日は1日中寝てしまうんじゃないかと思っていたが、意外と早めに目が覚めた。この調子なら今日1日で買い物をすべて済ませて明日の朝一で帰ろう。私はペナンのプランギンモールというショッピングセンターが大好きだ。ピピで普段手に入らないものを買いあさる。今回はカメラを買うのも目的のひとつだった。銀行ですべてのお金をおろし全財産を持って出かけた。全財産といってもたいした金額であるはずもなく、欲しいカメラは買えずじまい。それでも買い物をしたら段ボール箱一箱近くになった。今回は日本のドラマは買ってない。映画もひとつも買ってない。1日で無事に買い物を終わらせることができてよかった。
2004年10月20日
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朝、9時のフェリーに乗りペナンまでやってきた。前日から用意をすればいいものの「起きてから十分間に合う」と、いつも通りの勘違いをしている私。ぎりぎりに飛び起きてバックに服だのシャンプーだのを詰め込む。まあ、たった2泊か3泊のことだからたいした荷物はないけれど。いつもは座布団を持ち歩く私。船や車の中で快適に過ごせる。ところが私の座布団はみごとに猫たちに汚されている。それで普段使っている枕を持っていくことにしたのだが、バックに入らない。枕を片手にペナンまでやってきたのである。せっかく枕の準備万端で来たものの、フェリーも車も混み混みだった。たいして出番のなかった枕。これを持ってまた帰るのか。。。
2004年10月19日
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今日は私の給料日。そういえば暇な1週間だった。まあ今は日本人の旅行者が少ない時期だ。それにしても給料「200B也(約600円)っ」とは何ということか!?自給でも日給でもなく週給なのだ。これからペナンにも行かなければならないし、そろそろ来月の家賃も払わないといけないというのに。少しはまじめに働こうとちょっと思った私だ。
2004年10月18日
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昨日はうちのダイブマスター候補生クリスが無事にダイブマスターになった。それで恒例のスノーケルテストがあった。スノーケルテストは前回説明済みだが、スノーケル、マスクをつけてスノーケルからお酒をなみなみと注ぐのだ。これがプロになるための最終試験。みんなで集まりさんざん飲んだ。私はクリスのガイドの練習に何度か付き添ったことがある。彼のガイドはとてもいい。なにがいいかというと、彼自身が本当に楽しんでいる。私のお気に入りはあり得ないほどの大きなアクションだ。ロブスターなど見つけたら両手で大きくロブスターサイン。サメでもロブスターでも大きなアクションは変わりがない。そこが私は気に入っている。どうかこれからもそんなクリスでいてほしい。翌日ダイビングだったクリスは大丈夫だったのか。
2004年10月16日
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幸せとか幸せじゃないとか誰が分かるのだろう。私の猫はうまく歩けない。なにが原因なのかは分からないけれど後ろ足が上手に動かせない。でもへたくそでも歩ける。転んでも歩いている。もう1匹の猫とじゃれあって遊んだりもする。でも、人によっては思うことは違う。私はうちの猫は幸せだと思う。別に私が拾ったからだとかそういう事ではなくて、元気いっぱいに生きているからだ。でも、何度か言われたことがある。「可哀想だから、、、、。」と安楽死を勧めるようなことを。私はその度に言ってきた。「歩けてるよ。この猫は幸せだよ」と。初めて言われたときは本当にびっくりした。足が悪いと幸せではないのか?うちの猫はまだへたくそながら歩けるけれど、まったく歩けない子とか、いろいろな子がいるだろう。でもそれを幸せだとか幸せじゃないとか決めるのは他人ではない。本人は一生懸命生きているのだ。同じ命なのだ。これもいろいろな人達の考え方の違いであろうが私はどうしても同じようには思えない。これからも元気に生きていくんだよ。
2004年10月15日
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最近は菅野美穂のドラマを見ていた。いつごろのドラマかは知らないけれど「愛をください」という菅野美穂が保育士の役のドラマだ。そのドラマのなかで菅野美穂は「蓮井朱夏」としてデビューする。いつもそのドラマを見るたびに菅野美穂は可愛いなと思っていた。ただ菅野美穂が可愛いだけであって、その髪型がどうこうというわけではないのだけど、同じ髪型にしてみたかった。ちょうど泊まりに来ていたヒロミちゃんに「自分で切っちゃだめだよ」と言われていたのに、ヒロミちゃんが寝たのを見計らって自分でざくざくきってしまった。ちょっとビールも飲んでいたし。ところが思った以上に短くなってしまった。過去にも「ちびまる子」みたいになってしまったことがあるというのに、のどもと過ぎたら何とやら・・・である。ただ私は蓮井朱夏になりたかったのだ。ちーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
2004年10月11日
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今日の1本目のダイビングは映画「ザ・ビーチ」のマヤ。お昼休みもマヤベイに船をとめてとった。ところが水面に浮かぶゴミの数々。。。ゴミ拾いに出かけることにした。その時のファンダイバーだったテツさんが一緒に来てくれた。フィン、マスク、メッシュバックを持って出陣。メッシュバックに次々にゴミをほおりこんでいく。ふと見るともう一人。うちのダイブマスター候補生のクリスだ。クリスはメッシュバックを大きく開けて「ジンベエザメだぁ」とかやっていた。3袋にもおよぶゴミの山。でも拾っているとありえないものも浮いている。インスタントラーメンの調味料の袋。中性洗剤のふた。なんでこんなものがマヤベイに浮いているのか?せっかくのきれいな海。どうかゴミは捨てないでほしい。たまに風で飛んでしまうこともあるのは分かる。いつかゴミ拾いスイマーが存在しなくていい日がきますように。
2004年10月03日
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ぷらりと訪れたこの島。この島のロングビーチというところに滞在したかった。ロングビーチはもう宿がいっぱいだからというタイ人の人の話も聞かずにロングビーチに向かった私。確かにロングビーチの宿はいっぱいだった。でも・・・ふと横を見るとテントが。これは空いてるの?そこからテント生活が始まった。テント生活3週間。『テント生活のよかったところ』・ゴキブリがいない(これは私の絶対条件)・テントを開けるとオーシャンヴュー!!『テント生活の悪かったところ』・とにかく暑い・蚊取り線香の煙がこもる・アリに刺される・タイ人が訪ねてくる・共同トイレ、シャワーがきれいじゃない・電気がないいろいろ挙げようと思ったのになかなかいい点が思いつかない。でも私はこの2つのいいところが気に入って3週間暮らした。すぐそばに古いバンガローがあって同じ値段だった。でも中をみたらネズミが走っていくのを見てしまいテントが安全だと再確認。アリには本当に悩まされた。石鹸だのシャンプーだのにまでたかってくるアリ。朝からアリに噛みつかれて目を覚ます毎日。ローソクで本を読んだ夜。シャワーを浴び終わった後、汚いトイレで裸で転んだこともある。ロングビーチに帰るときロングテールのボートマンにセクハラにあったこともある。でもテント生活は意外と私にとっては楽しかった。そこから始まったこの島での生活。いろんなことがあった。この島の魅力、なぜ私はここを選んだのか。追々、書いていこうと思う。
2004年10月01日
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みなさんのアドバイスありがとうございます。今回の回覧板は提案する日程です。バレンタインパーティー 2月14日またはホワイトデーパーティー 3月14日このくらいって休みがとりやすいんじゃないでしょうか?あれあれ?そういうときって旅行シーズンじゃないんですかねぇ???ちょっとした思い付きの回覧板です いんちき実行委員長
2004年09月30日
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みなさんへ回覧板をまわします。さてさてこの回覧板はどこまでまわるのか?***************************************************ピピ島でパーティーをしたいと思いついた私。今まで一緒に潜ったみなさん。ピピでお友達になったみなさん。ネット上でのお付き合いのみなさん。ピピが大好きなみなさん。ピピに来て見たいみなさん。みんなでいつかピピに集まれたら楽しいだろうなと思いついたのでネット上から回覧板をまわします。そこで。。。まず知りたいこと。・日本人の人が休みを取りやすい時期はいつなのか?・どれくらい前に計画したらいいのか?・はたまたこういうのは可能なのか?夜、ボートをレンタルして船上パーティーなんてできたらと思っています。なにかアイデアなどあったらどんどん書き込みお願いします。実現できたらいいなぁ。 いんちき実行委員長
2004年09月29日
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ダイビングから帰って部屋に戻った。ドアをガチャガチャやると仔猫たちが迎えにきてくれる。でも2匹の猫しか出てこない。一番チビのガンジャはどうしたんだろう。見ると箱の中ですやすやと眠っている。ガンジャ?ガンジャ?呼吸をしている気配がない。恐る恐る触ってみる。体は冷たくなっていた。どう見ても眠ってるようにしか見えないのに。ガンジャ、帰ってきて!!体を温めてももう動かなかった。ゆっくり休むんだよ。おやすみ。。。そして私はある日のジェニさんの日記のこの文章でちょっぴり癒されたのでした。『死んじゃったペットって、この前TVでやってたけど、天国に行く前に虹の橋って言うのがあって そこで、後から来るご主人を待っていて、来たら一緒に天国にその虹の橋を渡って行くんだってさ。と話してくれた。そっか、虹の橋のたもとで待っているんだ。。。。今までの子供達はそこにみんないるんだね~~~。』
2004年09月24日
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くだらないことを思いついた私。いつかやりたいなとは思いながらなかなか出来なかった。ボートに乗り他のスタッフ達と打合せ。私がなにかやるから自然に振舞ってねと。そしてみんなが上に行く。水着の中に着け毛を入れて思いっきりはみ出させる。予定通り大声で「最初のダイビングどこだっけ?」と注意を引く。その瞬間、みんながひいた。外国人も私をチラッとみては見ぬ振り。みんながひいているのを感じた私はさらに仁王立ちなどやってみる。やっぱり誰も笑わない。。。店に戻りログ付けをしているときに聞いたら一緒に潜った西洋人達は「俺等のインストラクターあんなだぜ」とか話してたらしい。なんだ。みんな本気にしてたから笑わなかったのね。くくくっ。
2004年09月23日
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プーケットへ日帰りで行ってきた。去年私がアドバンスのコースをやった「まーくん」を道連れに行ってきた。動物病院と買い物に行くためだ。仔猫たちは初めてフェリーに乗って車に乗った。まず体重を計る。想像以上に軽い。モト 1キロノキア 700グラムガンジャ 300グラムこの小ささでは予防接種もうてないらしい。大きくなるまで待たなければいけない。そして買い物へ。猫の缶詰だの餌だの砂だのとにかく重い。こんなときのための「まーくん」だ。(ごめんごめん)とにかく慌ただしい一日だった。
2004年09月20日
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今日は朝から変な風が吹いていた。そのせいで水面は波だっていてダイビングへ向かうボートの上でインストラクター同士どこへ行くかすごく迷った。そしてザ・ビーチで有名なマヤベイへ行く事になった。マヤも結構荒れている。。。でも1本目が終わった頃は水面もずいぶんと穏やかになった。いやぁ。でもこんなに変な風も珍しかった。
2004年09月14日
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今日のダイビングはかなり遊びだった。うちのショップのダイブマスター候補生のガイドの練習に付き添いだったからだ。彼はなかなかいいガイドだった。しかも楽しかった。お客さんのお尻にコバンザメがくっついて離れなかったり。。。水の中でみんなでワーワーやりながらのダイビングだった。そして帰ってからはいつもの一仕事。いくら掃除をしてもやっぱり猫の匂いが消えない。そして足の悪いモトはトイレに行ってもふらふらしてしまうから砂だのなんだのが撒き散らしになる。今日も雑巾がけまでせっせと終わらせた。ふぅ~っ。。。そして店に行くと何という事かノキアにそっくりの仔猫がもう1匹。最初私はノキアと間違えてしまったくらい似てるのだ。これって兄弟でしょっ。。。顔つきから尻尾の短いところまでそっくりなのだ。もう私はどうしたらいいの?????ノキアだけ連れてくなんて出来ないし、かといって3匹ぃ!?ちょっと忙しいんだかなんなんだか。一体私は何が忙しいんだろう。。。あっ、そうそう。募金のほうはみなさんの善意で集まりつつあります。本当にみなさんありがとう。そして一緒に協力してくれてるスタッフ達にも感謝!!
2004年09月12日
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募金活動って今までしたことがない。子供のときに赤い羽根だの緑の羽根だのに募金をしたことがあるけれど本当に意味を分かっての募金じゃなかった。今回なぜ募金活動を始めたのか。それはうちの新しいファミリーになった仔猫たちの予防接種だの手術にお金がかかるからだ。1匹は背中が悪いのか足がうまく動かせない。何度も転びながら必死で歩こうとする。もう1匹はまだ生後1ヶ月くらいだろう。栄養がまだまだ足りない感じだ。この子達を病院に連れて行かなければならない。そこでお金の工面に苦労していたら外国人スタッフ達から募金箱を作ったらどうかという話になった。初めての自分自身での募金活動だ。出来上がった箱をタイ人のボートマンに見せたらさっそく募金してくれた。自分で活動してみて初めて募金をしてくれる人のありがたさが分かった。お金ではなく本当に心なんだと思った。みんなに支えられてこの子達は幸せになれるだろう。
2004年09月11日
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最近とにかく疲れている。ダイビングの後まじめに店番なんてしている毎日を送っていたら疲れてよろよろになってしまった。なんという軟弱者だろう。。。そのかわりちょっと贅沢に毎日マッサージに通っている。ダイビングに行きたくない訳じゃない。ただ朝寝たいのだ。気が済むまで明日は寝たい。明日は寝るぞぉ。きっときっと寝るぞぉ!!絶対寝る!
2004年09月10日
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なかなかタイフードに馴染めない私は日本にいてもピピにいてもパスタだピザだの食べている。どうしてもパスタとピザが食べたくなり持ち帰りをした。店に戻る途中に一度部屋に戻ろうとして、やっぱりおなかが空いていたから直で店に戻る事にした。その時ムスリムの村を通ろうとした。その瞬間呼び止められた。なんだろう?と思い立ち止まると「そのピザは豚肉が入っているんじゃないのか?」「チーズだよ」「じゃあ見せてくれ」なんと豚肉チェックをされてしまった。なるほど。。。ムスリムの村自体に豚肉を持ち込む事もだめなのだ。そういえば豚肉を買った帰り屋台のおばちゃんに「それはなに?」って聞かれて「豚肉だよ」って答えたら悲鳴をあげて逃げられた事があったっけ。まったくうかつでした。今後気をつけないと。
2004年09月09日
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昨日の猫たちの行動にさすがに懲りた私はさっそく猫のトイレを作った。これから根気強くトイレを教えていかなければならないだろう。。。っと思いきやトイレを作った瞬間からノキア(生後1ヶ月もたってないかも)がトイレにとことこと!2匹とも教えないのにちゃんとトイレを知っていた。これで毎日1時間の掃除から解放された。こんなに簡単な事だったのね。
2004年09月08日
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昨日の夕方から大変なことになってしまった。子供が一気に二人もできてしまった。私は愛猫「忍者」以外の猫はどうしても飼おうと思えなかった。ところがうちのスタッフのベッキーが仔猫を連れてきた。「ユーコ、仔猫がいるんだけど欲しい?見てから決めてっ」あんまりその気はないけれど、やっぱり顔を見てみたい。カワイイ猫ちゃんだ。ただ問題が1つ。うまく歩くことができないのだ。後ろ足が上手に動かせずにふらふらしてしまう。じゃれてるときの足の力は結構あるので骨折とかではなさそうだけど。。。これはもう、うちの子になるしかないでしょう。夕方から引き取ってダンボール箱をもらい連れて帰る準備をしていた。そしたら数日前に見つけた生後間もない仔猫を連れて西洋人が私のもとに連れてきた。「ユーコの猫でしょっ!?」あっ!!確かに連れて帰って世話をしたんだけど1日でいなくなってしまった仔猫だ。そこでいきなり2匹の親になってしまったのだ。名前は「モト」と「ノキア」だ。名前の由来はタイのコマーシャル「HELLO MOTO!」(モトローラ)からきたのだ。それでモトとノキアになったのだ。モトもノキアも病院に行かなければならないだろう。そして今朝目を覚ますと。。。部屋中にただよう異様な匂い。。。見たくないっっっ。。。見事に二匹の猫たちが私の部屋中をトイレにしてしまっていた。ダイビングから帰り部屋の掃除に約1時間。雑巾がけをしても匂いが残っている。あーあーっ。大変なことになってしまった。これからこの子達と長い付き合いになるだろう。
2004年09月07日
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今日は海の予定がなかったので理由をつけてファンダイブに行かせてもらった。「最近、体験ダイビング続きだったから魚を見てなくって。。。もっといろんな魚を探したいんだけど?今後のガイドのために」な~んて言ってみた。それですんなりオーケーが出てファンダイブに行った。朝から天気は良好!ところが1本目が終わり水面休息中に天気が崩れ始めてきた。寒い。。。ぐずぐずしてたらもっと寒くなりそう。。。意を決して冷たいウエットスーツに着替え2本目へ。2本目が終わる頃にはまた天気も回復。思う存分写真を撮ってきた。やっぱり海だねぇ。
2004年09月06日
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