平和主義者のアラブ商人

エジプトの空
 平和主義者のアラブ商人
 スーク内をさらにひやかしていると、今度はタオル屋のオニーサンが声をかけてきた。
 緒戦で遭遇したガラベイア屋さんほどの精悍さはない。しかし我が軍も緒戦での消耗から十分に回復していない状態である。従って、我が軍としてはちょっとした小競り合い程度で納めたいところだ。
 こちらからは仕掛けずに、敵のくり出す価格に高い、高い、としか答えない。ついに敵は最終兵器で攻め込んできた。
 「それでは、幾らだったら買うか」
 我が軍は肩すかしを食らわすように
 「10US$」と答えた。
 敵は急速に戦意を失ったようだ。双方小競り合いに矛を収めて、我が軍は奥地へと歩を進めた。
 10メートルも行ってからだろうか、後ろから呼ぶ声がする。振り返ると、さっきのタオル軍である。10US$で売るという。
 こうして我が軍は、局地戦で思いがけない勝利を得て橋頭堡を築いたのであった。

 普段値切るという習慣のないわれわれにとって、これは一種のエンタテイメントでもある。
 同行のN氏はそれを十二分に楽しんでいた。N氏の戦法はいつも同じである。まず敵に価格を提示させ、彼はその十分の一の価格からスタートする。
 作戦参謀は海外旅行で戦闘経験豊富なN氏のお嬢さん。作戦参謀は価格交渉の開始価格を十分の一とアドバスしたのだが、N氏はあくまで十分の一の価格に限りなく近い価格を最終合意価格と目指す。
 かくして、N氏は冷やかし客として見限られることになる。しかし、N氏は玉砕してもまた同じ戦法で戦いに臨む。N氏は疲れを知らない優秀なコンバットなのである。

 カイロでは、思わぬ平和勢力に遭遇した。雑居ビル二階、タオル専門店であった。品物は上等で、品揃えも豊富である。
 エジプト綿一〇〇% 、厚手で、バスタオルは日本の物より一回り大判である。
 すでに戦闘行為に慣れたわれわれが価格交渉を開始すると、店主は天井からぶら下がっている看板をみろ、という。
 FIX SHOPとある。
 この店は価格が固定されており、値引き交渉には応じない、ということだ。さしものN氏が戦いを挑んでも、店主は頑として挑発に乗らなかった。

 この店主の眼差しは、毎日戦場に身を置く兵士とは違ってごく穏やかなものであった。



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