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テツさんのブログで気になっていた東大寺戒壇院四天王のフィギュア。何といっても最も好きな仏像の広目天像である。前回の奈良旅行で購入したものだったのを、今頃、ようやく開封して飾った。忙しい。この3連休は、仕事の書類作成で、終わってしまった。美術館にもどこにも出かけることができなかったのが悔しい。
2008年01月14日
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パリへ渡った東京藝術大学(東京美術学校)の卒業生たちの絵画を通して日本の洋画の100年の移り変わりを探るというテーマです。昨年末、東京国立近代美術館で開催された「揺らぐ近代展」でも感じたのですが、明治初期の日本の洋画家の作品の中に、時々ハッとする作品に出会います。特に日本的主題を油絵で描いた作品にそういうものが多いのです。私が今まで見た中でのベスト3は、東京国立近代美術館にある原田直次郎「騎龍観音」、兵庫県立美術館の本多錦吉郎「羽衣天女」。そして、今回展示されていた山本芳翠の「浦島図」です。乙姫一行に付き添われながら、亀の背に乗って帰る浦島太郎。手には当然、玉手箱を持っています。乙姫御一行様の艶かしい仙女たち。宝飾品の細やかさに目を見張ります。はるか後にはタージマハールのような宮殿がかすかに見えます。これが竜宮城なのでしょう。全体的にキッチュでおどろおどろしささえ感じます。私は、この雰囲気、諸星大二郎のマンガにも通じていて、背筋が震えるほど大好きなのです。さて、この山本芳翠にパリで出会ったことがきっかけとなって、画家となった黒田清輝。さすが、東京美術学校西洋画科の初代教授だけあって、作品も多数展示されていました。中でも、「智・感・情」は最も好きな作品です。どうもこの三点の中では、中心の顔の両側に手で輪を描く女性は、理知的な表情で「智」を描いたものに思えるのですが、実はこれは「感」なのですね。若かりし頃の黒田の女性像は大好きです。女性讃歌というべき、美しさに溢れています。余談ですが、黒田の後輩、藤島武二への仕打ちなど、権力を握った後の晩年の生き様は、好きにはなれません。この藤島武二の「港の朝陽」や「蒙古の日の出」も展示されていました。太陽の美しさにうっとりでした。黒田の師、ラファエル・コランの作品もありました。この人には、陰鬱な風景画を描く画家というイメージがあったのですが、どうしてどうして、印象派風の明るい絵を描く画家であったということにはじめて気づきました。そのほか、佐伯祐三、藤田嗣治、和田英作・・・など、どこかで何度か見た絵も多かったのですが、楽しめました。しかしながら、展示最後の現代アートのコーナーでは、いつものように、集中力がガタっと落ちました。(4/30)
2007年05月01日
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朝日新聞の夕刊の連載小説「悪人」の挿絵原画から展覧会は始まる。まるで絵巻物のように横長に展示されている。新聞では、小説の方は、最初だけ読んだだけだったが、束芋のイラストはその粘着感の漂う気持ち悪さが好きで、毎日眺めていた。一本の線が延々と続き、次々と変容する物語を紡ぎ出すような感覚が楽しい。ただ描かれた中身は、決して心地よいものではなく、濡れた長い髪の毛が絡んで、肌にまとわりつくような嫌な感じがする。あとは「油断髪」「団断」「ちぎれちぎれ」「BLOW」の4点の映像作品のみ。ちょっと拍子抜けして、会場の方に「これだけですか」と尋ねてしまった。束芋は、自らの世代を団塊の世代に対して、断面の世代という。連帯よりも個への執着。そしてその個をつなぐのは情報機器であり、血の通うコミュニケーションは、成立しない。団地や集合住宅をバッサリ切断し、その断面から覗いてみても、やはりお互いに不干渉な個に変わりはない。人間の肉体も、分断され、花などに変容していく。身体にしみ込んでいる聞きなれた音なんだけれども、違和感を感じるような音響とともにアニメーション映像が流れていく。だから、決して心地よいわけではないが、見ずにはいられないというアンビバレントな感覚に陥ってしまう。今回は、横浜美術館全体がこの束芋の雰囲気に覆われており、巨大な美術館が異界と化していた。
2009年12月13日
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ずいぶん前から出かけようと思っていたのだが、すっかり失念していた、陶芸家松井康成の阿修羅の壁画を見た。ちょっと、トイレを拝借しようとして、たまたまリバティタワーに入ったところ、いきなりこの壁画に出会いしばらく眺めてしまった。ゴーギャンの「我々は・・・」を思い起こした。竹橋の近代美術館のゴーギャンも、九州国立博物館の阿修羅像も連休中、大混雑らしい。
2009年09月22日
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あちこちで評判の高いこの展覧会。「サンライト・グラフィティ」の体験のための整理券を手に入れるために9時半から並びました。10時に会場して、真っ先に整理券を受け取りに行って、10時30分からの回に参加することができました。サンライトというひまわりの花のような電灯をもって、空間にドローイングを描くというインスタレーション作品です。動くスピードに応じて、線が太くなったり短くなったり。ハンドパワーの持ち主になったようです。この電灯-リトルサンというのですが-、てっきり電池が入っているのかとばかり思っていました。しかし、よくよく調べてみると太陽光により充電されているとのこと。豊富な地下資源を持ちながら電力を引くことができないアフリカなどの地域に住む人々に届けられる携帯式のソーラーライトなんだそうです。まったく作品の意図を理解していなくて、これでよかったのかなと反省もします。オラファ―は社会派のアーティストで、今回もサステナブルな作品が多数展示されているとのことなんですが、浅学菲才な私はサステナブルって何?という次元なもので、オラファ―の問題意識が理解できたとは言えません。今回のタイトルにもなった新作の「ときに川は橋となる」これも哲学的なタイトルです。はっきり言ってどういう意味なのかよく分かりませんでした。「まだ明確になっていないことや目に見えないものが、たしかに見えるようになるという物事の見方の根本的なシフトを意味しています。」と解説されてなんとなく理解したような気がするだけです。しかし展示自体はすばらしいものでした。暗幕の中で中央に置かれた水盤のきらめきが周囲に反射されて不思議な形を作り上げます。幻想的で美しく見ていて飽きません。チラシにもなっている「ビューティー」。暗闇の中、天井から落ちるほんのりと虹色に輝くミスト。見る角度によってさまざまに姿を変える虹。本物とは異なり、目前で眺め触れることもできる虹。面白い体験でした。「あなたに今起きていること、起きたこと、これから起きること」私は単純にこのインスタレーションが好きです。前後に近づいたり、遠く離れたり・・・開場してすぐ、まだ人がいない一瞬の間、独り占めした空間を走り回り踊ってしまいました。影が人格をもって、自分に話しかけているような感覚に陥りました。展覧会場を3周しましたが、何度見ても飽きることのない展示です。子どもでも楽しめる展示でお子さん連れの方もたくさんいました。
2020年07月07日
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