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息子が中学校でバスケ部に入った。小学校5年生までミニバスのチームに所属しており、5年生で受験の為引退して中学で再開したことになる。 先日練習試合が学校であるとのことで、顧問から各保護者に別件で招集がかかっていたのでお母さんと2人で練習試合も見学させてもらった。 ミニバスは小学校ごとにチームが存在していたが、小学校のクラブ活動ではないため監督やコーチは先生ではない。バスケ経験者が集まってチームの指導をしている感じだ。報酬も微々たるものである。だからバスケにかける情熱はすごいものがある。 練習中でも試合中でもとにかく怒号と罵声が飛びまくる。怒られた選手がコート上で泣きながらプレイする姿を結構見た。親もその雰囲気に慣れているためか、自分の子供には遠慮なく罵声を浴びせていた。 息子が所属するチームだけではない。練習試合や大会でも監督やコーチの怒号はミニバスの慣例になっているように見えた。 野球のようにプレーを止めながらサインを確認するというようなことができず、その時の瞬間的な状況を踏まえて指示を出すバスケでは、どうしても短い言葉でかつ大きな声になってしまうという話も聞いたがどこまで本当かわからない。 ちなみに県のインターハイの決勝を息子と見に行ったときは、観客からの声援や太鼓の音などが響き渡っていたこともあって、監督の怒声は聞こえなかった。まあ決勝に行くチームなのだから指示などなくても問題ないのだろう、高校生だしと思っていた。 話を息子の練習試合に戻そう。中学生とは言えまだまだ子供である。プレーは両チームとも素人目に見ても稚拙だった。ミニバスのチームなら監督の血管が切れるかと思うほど怒声が飛ぶような試合だった。 ところが監督は全く怒鳴りもせず、逆に少しでもいいプレーが出ると大きな声でほめていた。それはミニバスを知っているお父さんから見ると異様とも思える光景だった。 しかしながら家に帰って考えてみれば当たり前だなと思った。監督は学校の先生である。監督と言うより顧問と言ったほうが良いだろうか。保護者も見に来ている中で、生徒に怒声を浴びせることなどできないのだ。 昭和の時代には生徒の心を気遣って怒らない先生などほとんどいなかったが、今は令和である。生徒に罵声を浴びせようものなら黙っていない親も多いだろうし、すぐに辞めてしまう生徒も多いだろう。 稚拙なプレーのオンパレードの中、両チームの顧問からの誉め言葉だけが響いている光景にものすごく違和感を覚えた昭和生まれのお父さんだった。
2020.06.03
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世の中には、正しいことを言ってそれが普通に受け入れられるという理想的な状況というのはなかなか多くはない。歌の歌詞や小説やドラマなどでは、道徳的倫理的かつ理論的に正しいというか正当な人が出てきて、悪に見立てられた人の妨害にあることもあるが、最終的にはうまくいくということはあるが、現実の社会ではなかなか難しいことである。 これは何も特別な場合に限らない。身の回りというか身近に常に起こっていることである。 ここからが本題なのだが、お父さんの会社に上司として部下を持つ人が何人もいる。それぞれが自分のやり方、考え方で部下を指導しているのだが、素直に聞き入れてもらいうまく運営している人もいれば、部下から反感ばかり買う人も多くいる。 お父さんが見ている限り、上司が言っていることは基本的に正しい。会社を運営継続していく上でも、目の前の問題を解決するためでも、上司というのは経験が豊富でそれなりに正しい道筋を指導していることが多い。 ではなぜうまくいく上司と行かない上司がいるのだろうか。お父さんが見ている限りいくつか理由がある。今回はうまくいかない人の特徴をいくつか書いてみたいと思う。 一番多いのは、すでに部下から嫌われているパターンの人である。嫌われる理由はいろいろあるが、お父さんの会社で嫌われる上司は説教が長くだらだらと関係ないことまで指摘して部下をうんざりさせている人が多い気がする。 一言で言うと、陰湿な上司である。人間というのは不思議なもので、どんなに正当な話をしていてもその相手を嫌いな場合、言う通りには動きたくないという気持ちが強くなってしまう。これは合理的ではないが、人間心理としてはお父さんも理解できる。この場合正しいかどうかではなく、誰が言ったのかで決まるので、すでに嫌われている上司は嫌われている原因を直さない限り、どんなに正しいことを言っても部下は動かない。 次が、自分は出来るのだから部下も同じことができると思っている上司である。特に努力して頑張ってきた上司に多い。本人はとてもまじめで頑張り屋なのだが、同じ努力やセンスを部下に同じように求めてしまうのだ。 勉強しないと試験で点数がとれないのは学生でもわかるだろうが、勉強するという行為を日々淡々と来ない、試験前にさらに勉強ができる人というのは意外に少ない。お父さんもそんなことはしてこなかった。ところが、常に努力をした上司は学生の頃からそれを当たり前にしてきたようなタイプだ。努力すればなんでもできるという理屈で部下を動かそうとしても、うまくいくことは少ない。 最後に言い方が悪いタイプである。人間関係とは、自分が好きなようにふるまっていては構築することができない。相手を尊重し、相手の性格や状況をできる限り考えながら話をしないと良い関係を築くことは難しい。 それを、正しいことを言っているのだから、文句を言われる筋合いはないとキツイ区長ばかりで部下と接する上司も一定数いるものである。 それが気にならない部下ももちろんいるのだが、常に正論ばかりぶつけてアタリがキツイ上司と長く付き合っていると、精神的にきつくなってしまう。こういう上司は、部下が報告や相談、いわゆる報連相をしなくなってくる。 部下としては、報告や相談をしなくても上司の答えがわかっているので、いちいちきつい口調で分かり切った指示や回答を受けるのが嫌になるのだ。 上司になっている人というのは、自分自身は仕事ができる有能な人が多い。だが部下を使って仕事をするというのは、実務的な仕事とは異なる能力が必要である。 お父さんも若い頃はそうだった。正しいことを言っているのだから、そしてこれは仕事なのだからと、きつい口調で同僚や上司に対応していた時期がある。今思い出すと恥ずかしいことをしていたと思う。当時の上司に合うことが会ったら謝りたいと思うほどである。 正しいということは大事であるが、それだけで人は動かないということを子供達にも学んでほしいと思う。
2024.06.29
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これから書く話はお父さんの勝手な持論であるので、違うと思ったら無視していいと思っているが、ちょっと書いておきたいと思ったので書いてみる。 人間は年をとっていくと、生まれてからこれまでやってきたことの因果を受けるようになってくるとお父さんは考えている。因果とは原因と結果の事であり、要するに自分のやってきたことの結果を受けとるようになるということである。 一心不乱に仕事をしてきた人の地位や給与が上がったり、家族を大切に一生懸命生きてきた人に、かわいい孫が生まれたりといったことである。逆に人を虐げてきた人には、誰からも相手にされない孤独な人生が待っていたり、まじめに仕事をしなかった人が困窮するようになったりと悪い因果も当然ある。 因果応報と言うのはもともと仏教用語で「善い行いをするば、良い報いがあり、悪い行いをすれば、悪い報いがある」という意味である。お父さんはこの因果応報を嫌と言うほど自分の人生でも、他人の人生でも見てきている。だからこそ、できる限り善い行いをしていこうと思っているし、悪い行為はしないように注意している。お父さんが言う「笑顔、清潔、感謝」の3つを実践しなさいというのは、因果応報も含めての話であると再度言っておきたいと思う。 さて、お父さんの周りに最近80歳を超えた老人がいる。この人は仕事の面では本当に頑張った人で、極端な話、家族を放り出しても仕事をするという人だった。そのおかげで、80歳を超えた現在でも安定した収入があり、経済的には何の不安も不満もない老後を過ごしている。 しかしながら、これまでの人生でかなりの人の心を傷つけ、夫婦関係も親子関係も親戚関係もめちゃくちゃにしてきた人である。結果として現在周りに身内はいなくなり、一人暮らしをしている。たまに息子が孫を連れてきたりするが、1年のほとんどを一人で過ごしている。お父さんから見ると、人間関係としてはずいぶんと寂しい老後を過ごしている。 経済状況も人間関係もがっちりと因果を受けているのだが、本人の話だけで行くととても幸せだということだ。もともと人を傷つけることに無頓着だったし、誰かに嫌われても気にしないというより気が付かないという性格だったので、今現在周りから人がいなくなっていることに未だに気が付いていない。自分の周りには人があふれていると思っている。 周りにいる人は、仕事関係でいまだに残っている人か、つかず離れずで表面上の付き合いをしている人だけである。お父さんが知る限り、表面上の付き合いの人たちも、かなりの人がその老人を嫌っている。それでも彼は、その人たちが自分の事を大事にしてくれていると思っているようなのだ。 結果として彼は経済的に裕福で、友人たちに囲まれた幸せな老後を満喫しているとよく自慢している。 人を傷つけて生きてきた因果を受けているにも関わらず、それに気が付かないということは、因果を受けていると言えるのだろうか。まあ彼はまだ一人で生活ができるほど元気なので、これからどうなるのかまだわからないのだが。 この人がどのようになっていくのかは、お父さんは個人的にとても興味がある。死を迎えるまでにつらいことに出会うのか、そのまま幸せにこの世を去るのか。と言ってもお父さんにその人の深層心理まではわからないので、外から見た印象しか残らないのだが。
2022.03.01
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