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私はマンションの管理人をしている。階段の掃除をしていたときに気がついたことだが、上から下に向かっているときはゴミがよく見えていない。反対に階段を下から上に移動しているときは、ゴミの有無によく気がつく。階段の掃除のコツは下から上に向かうことが肝心であることがわかった。話は変わるが、大学時代、神奈川県の丹沢で沢登りに夢中になったことがある。10メーターから20メーターの崖を登っていくスポーツである。経験を積んだインストラクターが先に見本を見せて登っていく。そのインストラクターが頂上から命綱を投げてくれる。我々素人はその命綱をしっかりと体に取り付け、ヘルメットかぶって登っていくのだ。気を抜けば落下するので必死に取り組みました。3点確保を心がけて目の前のことに集中しているときには、ほとんど恐怖は感じなかった。ところがある時、余裕が出てきて、今登ってきたところを見下ろしたとき恐怖心が沸き起こってきた。頭が真っ白になり、金縛りにあったようになって、手や足の震えが止まらなくなった。ヨーロッパのアイガーの北壁を登る人をテレビで見たことがある。これも視線は目の前とこの先くさびを打ち込むところを見つめていた。決して地上や下に目を移さないようにすることが成功へのコツなのだなと思いました。会社などでは、部下は割と正確に上司のことを見ています。それを部下同士で共有しています。反対に上司は見ているつもりでも、部下のことがよく見えていないことが多い。大雑把です。さらに、つい人から聞いた噂話を信じてしまう。親もそうだ。親は子供のことを何でも知っていると思っているが、案外そうでもない。それ以上に、子供は親の事をよく見ていると思う。しぐさや行動や考え方に至るまで全て親に似てくるのは、観察の賜物であると思う。森田理論では上から下目線で現実や現状や事実を見下ろす態度は「かくあるべし」の押しつけにつながると学びました。葛藤や苦悩を抱えて神経症の発症につながります。反対に現状や事実から課題や目標を見上げるようになればやる気が生まれてきます。行動に弾みがついて益々行動的になります。これは森田理論では「生の欲望の発揮」といいます。「上から下目線ではなく、下から上目線でものごとを見る」という生活態度を身に着けることを森田では目指しています。その具体的な方法はこのブログで取り上げていますが10個ぐらいあります。観念重視で事実を見下ろすのではなく、事実から目標や課題を見上げるという態度を是非とも身に着けてゆきたいものです。
2024.04.30
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アメリカでは、結婚する前に「プリナップ」と呼ばれる婚前契約を交わしてはじめて結婚するのが普通だそうだ。2019年2月16日の中国新聞によると、歌手のSILVAさん(43)は、 2015年に現在の夫である男性会社員と結婚した。そのときに34項目の婚前契約書を作成し、公正証書にしたという。2人ともいちど離婚した経験がある。「しっかりと決め事をせず、前の離婚のときにはもめてしまった。せっかく再婚するなら、失敗したくないという思いが強かった」そうだ。これによると、仕事、家事・育児の分担から、ギャンブルや浮気・借金の禁止、離婚時の親権や養育費まで多岐にわたる。その一部を見てみると、次のようなものがある。子供の学校行事は2人で出席する。趣味に2万円以上の支出をする場合は事前に相談する。外での飲酒は週2回までとする。暴力、不貞行為での離婚は、慰謝料を支払う。その場合親権は放棄する。毎年元日には契約内容をお互いに確認する。「帰宅時間を毎日連絡し、速やかに返信する」という項目は、災害時のことを考えた相手の要望で盛り込んだ。共働きであることを考慮し、義理の親の介護は「自発的に行い、強要はしない」ことにした。この契約書は一緒に作ったので、 「言った、言わない」の喧嘩にはならない。お互いに責任を持ち、尊重しあえる夫婦になれたそうだ。夫婦は結婚するまではお互いに見ず知らずの他人である。育ってきた環境や境遇も違う。性別も違うし、性格も異なる。その2人が結婚して、 1つ屋根の下で協力し合いながら一生涯生活を共にすることになる。そんな2人が子供を設けて、自立するまで育て上げるという共同作業も待っている。一方が相手を無理矢理コントロールするようなことがあってはならない。どんな些細な事でも、お互いの関係は平等であるべきだ。ののしり合いや暴力で解決するのではなく、お互いに妥協案を探るという姿勢が大事になる。すり合わせなしで、なし崩し的に結婚すると衝突することになります。現在は3組に1組は離婚しているそうです。離婚すると生活に支障をきたし、子どもにも大きな悪影響を与えます。SILVAさんのようにお互い十分に話し合いをして納得することはとても大事になります。その中でも最も重要なことは、お互いの考え方や行動が衝突したときにどのように解決するのかをしっかりと取り決めしておくことです。
2024.04.29
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東京の下町の金属加工の社長の岡野雅行氏は、従来の常識では不可能とされた金属加工を次々と成功させて、「神の手を持つ男」「不可能を可能にする男」と評された。ニューズウィーク誌では、「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれた。岡野雅行氏は情報収集能力がないと、会社の将来のかじ取りを誤ることになると言われています。例えば、「あの企業は海外に工場を出す準備を進めていて、3年後には大幅な値引きを要求してくるだろう」「あそこの企業は10年先を見すえて、こういう技術を求めている。それを開発したら、いくら高価でも買う用意があるらしい」「あの業界では、この技術は10年後には陳腐化することが見えているらしい。もうこの商売は見切り時だ」こういう情報は自分一人でいくら考えていても、出てこない。こういう情報はどこから出てくるのか。まず、大企業の第一線にいる人たちが持っている。技術がどんな方向に進んでいるのか、最新の素材開発はどんな段階なのか。また大企業の切実な悩みなども入ってくる。次に同業他社と付き合いのある仲間からの情報である。だから普段から密な付き合いをしておくことだ。さらに岡野氏は、開発で壁にぶち当たったとき、いつも、場違いな人とたくさん話をすることにしている。饅頭屋のおやじとか、時計屋のオヤジとか、樽屋の親父とか・・・。同業者じゃない人と話をするのだ。これって無駄話のようで、実は、知恵の蓄積になるのだ。「こうやって、樽はつくるのだな」っていう具合にね。ほんとうに貴重な情報というのは、あらたまった場で出てくることはまずない。遊んだり、飲んだり食べたり、ワイワイガヤガヤやっているときに突然出てくる。だから曲がりなりにも会社経営をしている人は、いろんな人と幅広く付き合って、情報収集を怠らないようにしなければいけない。自分の頭の中でいくら試行錯誤を繰り返しても、変化には対応できないのだ。岡野氏は森田理論の不即不離の人間関係のことを言われています。コップに一杯入った人間関係を5つぐらいというのではなく、コップに少しだけしか入っていない人間関係をたくさん作り上げるということです。必要なときに必要に応じて必要な範囲で付き合うということです。この人間関係作りを心がけていると、人間関係でトラブルが発生しても破滅することはありません。具体的には、会社の人間関係だけではなく、集談会の人間関係、趣味の会の人間関係、町内会の人間関係、子どもを通じての人間関係、同級生やOB会の人間関係も大事にすることです。役に立つ様々な情報が手に入るだけではなく、トラブルに巻き込まれた時多くの相談相手がいるので一安心です。奈良県 長谷寺
2024.04.28
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体の中ではがん細胞が毎日3000個ぐらいはできているという。免疫力という対抗手段が弱まると、がん細胞はどんどん増殖していく。実際には、ナチュラルキラー細胞が、日夜がん細胞に立ち向かって闘いを挑んでいる。何もしないでがん細胞を放置しているといずれ死を招く。私たちの身体は、白血球という軍隊を持っているようなものだ。白血球が日々緊張感を持って、ガン細胞と戦っているのが真実だ。ここでは勝つか負けるかしか選択肢はない。免疫力が弱くなると、ガンとの戦いに負けて命が絶たれてしまう。ここで大切なことは、私たちは意識していないが、白血球とガン細胞は日夜命をかけて戦い続けているということだ。絶えず緊張感を持って戦っている。これが自然界における真実だ。私たちは白血球が働きやすい環境を整えてあげることが重要になります。人間は元々強いものが弱い者に闘いを仕掛けて征服して支配したいという欲望が存在しているのかもしれない。最初は自己保存欲求から始めた戦いであったものが、相手を征服して、相手や相手の所有物を自分のものにしたいという欲望が暴走してしまうのだ。それに対抗する力を普段から鍛えて身に着けておくことは大事になります。そうしないと、すぐに相手に征服されて支配されるようなことになります。ある程度、相手と対等な立場で話し合いに臨むという姿勢が大切になります。譲ったり、譲られたりする中で、なんとか最悪の状態を回避しながら、お互いが生き延びていく道を探っていくことが肝心です。それぞれに意志を持った人間が一緒に生活している限り利害の衝突は必ず発生する。そういう前提に立って支配―被支配の関係に陥らないように緊張感を維持して生活することが肝心です。アドラーの言う縦の人間関係ではなく、対等な横の人間関係を作り上げて、それを維持していく必要があります。人間の場合は武力の行使ではなく、話し合い、交渉が必要になります。なかなか自分の思いどおりにはいかないでしょう。それでも話し合い、交渉が必要になります。妥協し、譲ったり譲られたりの人間関係を目指している限り他人に一方的にコントロールされることはなくなります。また自分も相手を意のままにコントロールしようとは考えなくなります。人間関係は絶えず緊張感を持って調和を心がけていくことが重要になります。
2024.04.27
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次のようなことで苦しんでいる人はいらっしゃいませんか。過去の自分がしでかした不祥事を後悔している。過去のミスや失敗をいつまでも引きずっている。他人に不義理、迷惑をかけてかけたことを後悔している。対人関係で相手にいつも気まずい思いをさせてきたと思っている。気分本位で仕事をさぼっていた。寄生虫のような仕事ぶりだったと思っている。子育てで失敗したと思っている。自分の周りには敵ばかりだと思っている。自分の人生は後悔ばかりだと思っている。過去のミスや失敗、恥ずかしいこと、不義理、不祥事などが夢にでてくる。毎日苦しい思いをしている。こんな気持ちが死ぬまで続くのだろうか。そのうち重大な身心の病気を抱えることになってしまうのではないか。長生きすればするほど後悔することはどんどん増えてきます。苦しくて仕方がないという人は、次のように考えたらいかがでしょうか。過去の過ちを否定・後悔しても一文の得にもならない。それよりも、貴重な経験として大事に取り扱うことにする。これからはできるだけ同じ過ちを犯さないように心がける。そして他山の石として他人に情報を開示する。「私と同じような間違いは起こさないでくださいね」と教えてあげる。こういう気持ちで生活すれば、自己否定がなくなります。後悔することが少なくなり、100文の得になる。後悔するということは、上から下目線で自分をいじめていることです。最前線でなんとか踏ん張っている自分を後ろから脅しているようなものです。他人から後ろ指を指されることはどうすることもできません。でも自分で自分を否定することはやめた方がいいと思います。自分を守る最後の砦は自分自身です。かけがいのない自分を最後まで守り抜く。自分は自分の最大の味方になる。そのためには後悔することはやめて、反省することに切り替える。今まで後悔していたことを反面教師として次に活かすことを考えるようにしましょう。
2024.04.26
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藤井英雄先生のお話です。ネガティブな言葉を1回言えば、自己肯定感が1%弱くなり、ポジティブな言葉を1回言えば、自己肯定感が1%強くなると仮定します。90回のネガティブな言葉を口にすることで、100の自己肯定感は40(0.99×90乗=0.4)に減少します。365回後には、(0.99×365乗=0.03)100から3になります。90回のポジティブ言葉を口にすると、自己肯定感は100から245(1.01×90乗=2.45)に増加します。365回後には、(1.01×365乗=37.5)100から3750へと膨れ上がります。(「平常心」と「不動心」の鍛え方 藤井英雄 同文館出版参照)普段の生活の中でネガティブな言葉を使っている場合が多いように思います。私は自分のカラオケをビデオ撮影したことがありました。最後に歌唱力の採点が発表されるのですが、そのときいつも否定的な言葉を発していた。「ああ、ダメだ」「悪すぎる」「最低だ」というような言葉です。このような否定的な言葉を聞かされた友達はイヤになったのではないかと思いました。私が反対の立場だったら、否定語を連発するような人と付き合うとこちらまで滅入ってしまう。否定語を使うことが多い人は、それが習慣となっていて、物事の良し悪しを判断するときに、ほぼ毎回ネガティブ、悲観的、否定的な言葉をしゃべっている場合が多いように思います。始末が悪いことに、そのことに自分では全く気付いていない。無自覚なのです。これを無知の知といいます。これは大きな問題です。ネガティブな言葉はすぐに取り消して、ポジティブな言葉に置き換えないと自己肯定感が持てなくなり、自己否定感が猛威を振るうようになります。否定語は、「ダメだ」「悪い」「最低だ」以外にもいろいろあります。「限界だ」「無理だ」「能力がない」「耐えられない」「我慢できない」「もう打つ手がない」「救いようがない」「難しすぎる」「厳しすぎる」「運がない」「ついてない」「あきらめるしかない」などがあります。肯定語もあげておきましょう。「すばらしい」「うれしい」「楽しい」「順調だ」「この調子だ」「がんばっている」「信頼しているよ」「申し分ない」「最高だ」「これでいいのだ」「助かった」「ありがたい」「感謝、感激、感動した」「やればできる」「この次はきっと大丈夫だ」「成功するまであきらめないぞ」「またチャンスはやってくる」「たいしたもんだ」「問題や課題が分かっただけで成功だ」「失敗は成功の糧になる」「ここは是非とも改善してみよう」「あきらめるには早すぎるぞ」「家族のためにも頑張るぞ」「英気を養って出直そう」「いいところもあった」「神様は乗り越えられない課題は与えない」「ここを乗り越えれば自信になるぞ」「自分ならきっとできるはず」「運命を切り開いて、ツキを呼び込むぞ」
2024.04.25
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先日テレビを見ていると日本人で仕事に対してやりがいのある人は5%しかいないということでした。後の95%の人は生活費を稼ぐためにイヤイヤ仕事をしている。高額な宝くじが当たればすぐに仕事はやめたい気持ちなのでしょう。欧米では仕事が苦痛だという人は50%くらいだという。その原因は次のようなものでした。ノルマがきつい。成果主義についていけない。物が売れない。仕事を教えてもらえない。上司が恐い。仕事が多すぎる。休んだときに代わりの人がいない。仕事が単調である。サービス残業が多い。有給休暇が自由に取れない。職場の人間関係作りが煩わしい。通勤時間が長い。給料が安い。いつリストラされるのか不安。社会保険に入れない。とくかくやる気が出てこない。無理やりやらされているような気持が強い。しんどい、きつい、面倒くさいが口癖になっている。どんな気持ちで仕事に取り組めばよいのか、さらに日常生活の心構えについて整理してみました。下線部分は私が特に力を入れている部分です。・仕事をするにあたっては生活費を稼ぐという目的をしっかりさせる。人間関係が良いに越したことはないが、人間関係作りを一番の目的にしない。・仕事をしているときは、問題、課題、改善点、改良点を見つけようという気持ちで取り組む。見つけたらメモして忘れないようにする。目的や目標が明確になれば仕事が面白くなる。・雑仕事を丁寧にする。仕事に追い掛け回されることが減ってくる。仕事にゆとりが出てくる。・職場の人間関係は不即不離を応用する。広くて浅い人間関係を目指す。挨拶、雑談は人間関係の潤滑油と心得て行動する。・仕事のルーティンワークを確立して、考えなくても体が動くようにする。・統率力のない人は、出世は望まない。マネージメントの仕事は極力断る。・仕事以外の人たちとの人間関係作りにも力を入れる。運動や趣味や資格試験などにも挑戦する。・子どもがいる人は子育ての勉強会に参加する。家庭での自分の役割をきちんと果たす。食事は自分で作る。・集談会の人間関係は大事にする。月1回の集談会には参加する。その他リモートの勉強会などにも参加してみる。・規則正しい生活習慣を作る。起床時間と就寝時間を決めて頑なに守っていく。・集談会や自治会での世話活動を引き受ける。花やペットの世話を行う。
2024.04.24
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結婚相手を選ぶ時、性格が似通った人を選ぶのか、あるいは性格が違う人を選ぶのか、悩ましい問題です。集談会で知り合って結婚した人を何組も見てきました。集談会というのは、神経質性格者がほとんどである。同じような性格・気質の人同士が一緒になれば、素敵な家庭を築くことができそうに思えます。森田先生は神経質同士の結婚は考えものだと言われている。神経質者同士は、お互いに心持がよく分かり、心の底まで見通しているから、お互いにその欠点を挙げあって、相手にばかりそれを改良させようとする。グジグジといつまでも言い争いをする。およそ、結婚は気質の違った人同士が、うまく組み合わされるほうがよい。神経質な人は、気の軽い大まかな人と結婚するのがよい。結婚について最も大事なことは「調和」ということです。森田先生の言われていることは果たして本当なのでしょうか。異質な性格特徴を持った人同士が結婚すると、磁石でいえばプラスとマイナスが引き合うような関係になることが考えられます。何十年という単位でみると、自分にない面で相手に助けてもらい、相手の持っていない面で相手を助けるという関係になることが考えられます。1+1が2ではなく、3にも4にもなるという可能性があるということです。相手の気になる部分を包容力を持って受け入れることができれば、確かにかけがいのない夫婦になることはできかも知れません。さて同じ神経質性格といっても、強迫神経症タイプの人と不安神経症タイプの人はかなり違うように思います。それは人間関係の面において顕著です。不安タイプの人は配偶者や家族をとても大事にする。一般的には陽気で明るく、他人の気持ちを思いやることができます。私は以前大阪に単身赴任していました。友人で不安タイプの方は金曜日になるとすぐに帰省していました。家族に会うことを指折り数えて待っているのです。強迫神経症タイプの私は、休みになると関西の観光地を巡り歩くことを楽しみにしていました。逆に家内のほうが大阪に遊びに来るようなことがありました。強迫神経症タイプの人は、一人でも生きていけるタイプかも知れません。自立心が旺盛です。逆にいえば自己中心的な面が強い。結果的に他人の気持ちを思いやることは苦手です。プライドが高く、人を傷つけることを平気で口にすることがあります。反対に自分が他人に傷つけられることについてはとても敏感です。他人から評価され、一目置かれることに大きな喜びを感じる人です。自己中心的なために、やり過ぎになることが多々起きます。もし集談会で知り合って結婚する場合は、不安タイプと強迫タイプの組み合わせがよいように思います。強迫神経症タイプ同士の場合は、よほど注意する必要があります。一緒になって落ち込んでしまっては、機能不全家族になってしまうからです。奈良県 長谷寺本堂
2024.04.23
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相手の言動に腹を立てて「無言電話」をかける人がいるそうだ。無言電話を受ける人の対応は次の5つのパターンに分かれる。「怒って対応する」 「冷静に答える」 「優しい言葉をかける」 「黙ってすぐ切る」 「怯える」無言電話をかけている人からすると、相手が怒って対応すると、すごく愉快になるという。次に相手が怯えるというのも、相手が怒る以上に愉快になるという。陰湿ないじめやイヤがらせに対して、受け手が怒りや恐怖で反応すると、無言電話をかける人はどんどんエスカレートしてくるという。「無言電話はやめてください」 「どなたですか」と強く言われると、相手が感情的になってイライラしていることが分かりとたんに嬉しくなる。一方無言電話をかけてむなしくなるのは、何度電話をかけても相手が感情的に反応しない。自分の無言電話が相手に何の影響も与えていない。気にもかけていないのだと思うとむなしくなる。特に相手から幸せというか、満ち足りた日常感が伝わってくると、寂しくて辛くなる。電話をするたびに、自分の孤独感が感じられて無言電話はやめてしまうという。(もう、他人にふりまわされない 石原加受子 大和出版)この本は2つのことを教えてくれています。一つは、不安や不快感に対しての対応方法を教えてくれています。不安や不快感に対して怯えて逃げ回っていると、不安や不快感は格好の獲物が見つかったと喜ぶことになるということです。逆に不安や不快感が湧き上がってくるのは生きている限り避けることはできないものだから、それらを抱えたまま目の前のなすべきことに取り組むようにする。こうなりますと、不安や不快感の方は相手をしてもらえないので、意気消沈してしまうのです。この人と付き合ってもよいことは何も起きないと判断して逃げていくようになります。このことを森田では「あるがまま」といいます。つぎに、相手の存在を無視してしまうと逆に自分が孤立してしまうということです。相手のことを無視してはいけない。仲間外れにしてもいけない。相手のことをからかったりしないことです。相手の存在を認める。適材適所で活躍の場、居場所を与える。雑談の場は人間関係の潤滑油と心得てその輪の中に入る。相手が気分を悪くするようなことは、たとえそれが本当のことであっても決して口にしないようにする。笑顔で挨拶をする。相手の話を聞く時は、やりかけの仕事を中断して正対して聞く。これらを心がけるだけで、イソップ物語の北風とマントのようなことが起きてしまうのです。
2024.04.22
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前はガンの告知をしない場合があった。本人が意気消沈してがんの進行を早めてしまうことを恐れていたのである。しかし事実を隠し通そうとするといろんな面で弊害が出てくる。告知時期は十分に考慮されなければならないが、事実を隠蔽することは論外である。今日はその弊害をみていきたい。まず闘病上の問題がある。ガンになったことを本人は知っていると、自分の意志で納得いく治療を選択できます。もし本人に病名を知らせないと、ガンの最高の治療が出来る病院に行きたくても、本人にガンの専門病院だとわかってしまうので連れていけない。また、飲まなければいけない薬があるにもかかわらず飲まない。検査もなかなか受けない。手術や特殊な治療もなかなか取り組もうとしない。その他、食事とか睡眠、運動など生活の中でしなければならない闘病に真剣に取り組まない。ガンを告知しないと、家族は言葉の端々で、本人に病名は知られてしまうのではないかと1日中ビクビクしている。家族のエネルギーの半分ぐらいは、 病名を隠すことに注がれてしまう。病名を知っていれば、家族が心を合わせ、自由に話し合って闘病に取り込めるので、家族のストレスも減ってくる。次に実生活上の問題がある。病名をきちんと告知していれば、もしもの場合に備えて、今なすべき準備をすることができる。例えば、遺書を書いておくとか、仕事上の引き継ぎとか、遺産の分配とか、ローンや保険を整理しておく。身の回りの不要なものも処分しておくことができる。また、生きている間に、ぜひともやりたいことを実行するチャンスが得られる。ガンの告知をしないと、やりたいと思うことも退院してからでもよいと安易に考えて、うかうかと毎日を過ごしてしまう。そのうち病状はどんどん悪くなる。退院もできない。結局亡くなる間際になって後悔することになる。次に、本人の知る権利を奪ってしまうという問題である。自分の人生の中の最大の問題を本人に告知しないで済まされるのであろうか。最後に、ガンに対する対応方法である。ガンに向き合う気持ちが違ってくる。自分がガンに侵されていることを知ってショックを受ける面は確かにある。しかし反面ガンに冒されていることを知って、ガン克服のために懸命に頑張ろうと決意する人もいる。そのようなファイティング・スピリットでガンに立ち向かった人の生存率はかなり高まることが分かっている。さらにガンになったことによって、今までの生き方を考え直す契機にする人もいる。(生きがい療法でガンに克つ 伊丹仁朗 講談社 )
2024.04.21
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集談会の仲間が20代のころ水谷先生に面会されたときのことです。その方は神経症の為に仕事をされていませんでした。水谷先生は、一通り話を聞かれた後で、「すぐに仕事を始めなさい」「君は自覚が足りないな」と言われたそうです。神経症を治すための具体的なアドバイスを期待していたので拍子抜けしたそうです。水谷先生が言われた「自覚」とは何でしょうか。自覚とは自分の心身の状態を正しく理解することだと思います。自分の心身の状態が全く自覚できていないことが極めて多いのが現状です。また井の中の蛙状態で、間違って解釈している場合も多々あります。独りよがりの自覚では、世間から浮いてしまいます。神経症者は神経症があるから日常生活が維持できない。神経症があるから仕事や人間関係や子育てがうまくいかないなどと考えます。日常生活の悪循環や仕事に行けないことを、神経症のせいにしています。神経症を克服してから、行動に移ろうとする傾向が強いのです。これは認識の間違いです。つまり自覚が足りないということになります。水谷先生は、神経症を治すよりも、まず社会人として一人前の仕事をすることのほうが大事だと言われています。どんなにとらわれが強くても、規則正しい生活習慣を身に着けて、日常茶飯事を丁寧にこなしていく。どんなに辛くても「月給鳥」になったつもりで仕事に行く。神経症で苦しくても普通人として生きていくことを説明されています。森田理論では、形を整えるようにすれば、時の経過とともに、悩みは解消していくといいます。靴がそろえば、心がそろう。これは集談会で聞いた言葉ですが、まさにその通りだと思います。こういう自覚ができて、実際に行動できるようになることが大切です。自覚を深めるためには、森田理論学習によって認識の誤りを学習することです。神経症の成り立ち、神経質性格のプラス面、感情の法則、行動の原則、不安の特徴と役割、不安と欲望の関係、「かくあるべし」弊害、事実本位の生き方、生の欲望の発揮、治るとはどういうことかという学習で自覚を深めることができます。一人で学習するよりも仲間と学習することで理解が深まります。自覚を深めるためには、他人に自分のことを分析してもらうことが有効です。自分のことは自分が一番よく知っているというのは、一面ではあたっていますが、必ずしもそうとは言えない面が多々あります。たとえば自分の身体の健康状態は自分ではよく分かりません。他人から客観的に見てもらうことで自覚が深まります。精神的な問題も自分なことなのに肝心なことほど自分ではよく分かりません。正しいと思っていることが、森田理論に照らし合わせてみると間違いだったということはよくあります。森田理論に詳しい人から認識の間違いを教えてもらうことは大切です。そのために集談会や生活の発見会のSNS(JUPITERなどのZOOM学習会)を活用した学習会・交流会に定期的に参加されることをお勧めいたします。
2024.04.20
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神谷美恵子氏のお話です。長島愛生園の患者の大きな悩みの1つは退屈という事であった。それを少し調べてみると、それはむしろ軽症で身動きの強いような人の中に多かった。失明してしまった人々のほうがかえって精神的にはつらつと生きている場合が少なくないという結果が出た。例えば肢体不自由である上に、視力まで完全に失ってベッドに釘づけでいながら、なお窓外の風物のたたずまいや周囲の人々の動きに耳をすまし、自己の内面に向かって心の目をこらし、そこからくみとるものを歌や俳句の形で表現し、そこに生き生きとした生きがいを感じている人はかなりいる。ベッドの上に端座し、光を失った目をつぶり、顔をやや斜め上むきにして、じっと考えながら、ポツリポツリと僚友に詩を口授する人の姿。そこからは、精神の不屈な発展の力が清冽な泉のようにほとばしり出ているではないか。肉体的機能が制限された人は、かえってエネルギーと注意が許された狭い「生存の窓口」に集中して、密度の高い精神的な産物を作り出しうるのであろう。(生きがいについて 神谷美恵子 みすず書房 60ページより引用)神谷美恵子氏は、まだ十分身体の自由がきくような人は、自由であるということが、逆に退屈を助長させていると言われる。光を失った人は、自由に本や景色を見る事はできない。そんな自分を他人と比較して、卑下していてはますます辛くなるばかりである。ところが、ハンセン氏病のために物が見えない、自由な身動きができないという事実をありのままに認めるとどうなるのか。自分の身体状況を良い悪いという価値判断をしないで、あるがままに認めることができるようになる。そこを出発点にして、残された身体の機能を見直してみる。そうすると、指の機能が麻痺して点字は読めないが、鍛えれば舌先で読むことができるということに気がつく。目が見えないが、その分聴力、触る、匂うがそれを補おうとして、敏感になる。その方面の五感を鍛えていけば、健常者が見逃すような敏感な感覚をビンビンと感じることができる。そのような機能を生かしていけば、詩や短歌、あるいは随筆のようなものが書けるようになるのだ。心の中の領域で、大きな世界が広がっていく可能性があるのだ。そういう人は、健常者が退屈でつまらないと言っているときに、豊かなやりがいを見つけているのである。これは身体の機能が失われて、それをあるがままに受け入れられるようになったからこそ到達できた心境ではあるまいか。持っていないものを見つけて貪欲に追い求めるよりも、逆に自分が持っている機能や能力を一から見直して持っているものを活かすという心境に至ると生きがいが生まれる。これは森田では「己の性を活かし尽くす」ということになります。経済的に恵まれていて、欲しいものが何でも手に入り何不自由ない生活をしている人や飽食三昧の人が毎日何もすることがなく暇を持て余している人もいます。そういう人は神谷氏の話を参考にしてみたいものです。
2024.04.19
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森田理論学習で「かくあるべし」の弊害はよく分かりました。「事実本位」の生活態度を身につけることが大切だということもよく分かりました。でもどんなことに取り組めばよいのか、もう一つよく分からないという話を聞きます。今日はこの問題を解決するヒントを考えてみました。まず「かくあるべし」を減らす方法です。1、傾聴、受容、共感、許容の態度で接する。2、あたりまえのことに感謝する習慣を作る。3、他人から感謝・感激されるような行動を心がける。4、一方的な決めつけをやめて、両面観の考え方を取り入れる。5、あなたメッセージから私メッセージの発信を心がける。6、自己や他人の存在価値、資質、能力を最大限に活かすように心がける。7、純な心を実践する。具体的には素直な心、直観、初一念から出発する。8、否定語はすぐに取り消して、肯定語に置き換えるように心がける。9、人間関係では「勝負なし法」を取り入れる。次に事実本位の態度を獲得するための方法です。1、気分本位の態度を目的本位の態度に改める。2、事実確認を徹底する。自分の目でしっかりと確認する習慣を作る。3、嫌な感情、不快な感情からすぐに逃げないできちんと向き合うようにする。4、先入観、決めつけ、早合点、思い込みで事実を見誤らないように気を付ける。5、「あるがまま」の態度を養成する。不安を持ったまま、目の前の必要なことに手を付ける。これら全部に取り組む必要はありません。これなら実行可能と思えるものを2~3個ピックアップして、継続して取り組むことが大切になります。私の学習仲間は物の性を尽くす(自己や他人の存在価値、資質、能力を最大限に活かす)に愚直に取り組まれました。その結果森田のポイントが芋づる式に分かるようになったと言われていました。山口県岩国市 吉香公園
2024.04.18
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岩井寛先生のお話です。入院中のある高校生が、作業時間中に自室に閉じこもったきり外へ出てこないで、看護婦が促しても一向に言うことを聞かないと言うので、岩井先生がその高校生と面接をすることにした。彼は次のように言った。「先生、僕は先生の言われたあるがままに忠実に従っているだけですよ。僕は対人恐怖症だから、他の人と一緒に卓球をやったり、 中庭で雑草を抜いたりすることが嫌なんです。だから1人のときにはきちんと仕事をやっています。看護婦さんに非難される事はありません。僕は自分の気持ちに忠実に行動しているんです。人と会って緊張するのが嫌だから、おしゃべりをしながら一緒に作業はしたくない、という気持ちは僕の本心であり、その本心をそのままに認めるのがあるがままじゃないんですか。だから僕は自分の心をあるがままに認めて、それに沿った行動をしているだけです」(森田療法 岩井寛 講談社現代新書 159ページより引用)この高校生は、「あるがまま」という森田のキーワードについて、自然に沸き起こってきた感情のままに行動することだと理解されています。一見して正しい考え方のように見えます。不安や不快感などが沸き起こってくれば、逃避欲求のままに行動しても構わないと言われています。今まで不快な感情が沸き起こったとき、多少うしろめたさを感じながら逃げていたのかもしれません。それが森田理論学習によって、不快な感情が沸き起こったとき、逃げてもよいのだとお墨付きをもらったと言われています。でも何か違うようにも思えます。どこが違うのでしょうか。この高校生の考え方は、面倒なこと、嫌なこと、苦痛なこと、時間がかかること、ハードルが高いと思うようなこと、能力の限界を超えていると思うようなこと、目的が達成できないかもしれないと思うようなこと、やる気が湧き上がらないことはすべて回避してもよいということになります。実践や行動は、楽しいこと、面白いこと、成功することがあらかじめ分かっていること、最初からやる気が持てるもの、本能的な欲望が中心になります。エネルギーを必要とすること、努力を要することは回避する。効率第一、楽をして果実を手にすることばかりを考えるようになります。自分では努力をしないで、他人から与えられる刺激や快楽を追い求めていくことになります。これは森田先生の言う「気分本位」な態度のことではないでしょうか。「気分本位」の行動はそのうちむなしくなってきます。本来「あるがまま」というのは、不安や恐怖などがわき起こったとき、それらをやり繰りしたり逃げたりする事ではありません。取り除いたり、逃げたりしないでそのまま受け入れるということです。不安や不快感に対して価値批判をしないできちんと向き合うということです。次に不安の裏には欲望があるわけですから、生の欲望に沿って目の前のなすべきことに注意や意識を向けて行動・実践していくことです。さて、「あるがまま」になろうとすると、「あるがまま」にはなれないと言われます。これは不安をそのまま受け入れるというところが難しいのだと思います。今まで不安と格闘してきたわけですから、理解しただけで実行はおぼつかない。「あるがまま」を身に着けるとき、ここから入るのは難しいと思います。私の経験では、「あるがまま」を身に着けるには、生の欲望に沿って目の前のなすべきことに注意や意識を向けて行動・実践していくとうまくいきます。その中でも、規則正しい生活習慣を身に着けるというのが一番効果がありました。ルーティンワークの確立のことです。特に起床時間を毎日一定にすることです。形を整えることができると、「あるがまま」の態度は比較的早く身についてきます。それは頭で考える前に、すっと体が動くようになるからだと理解しております。
2024.04.17
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プロ野球のアンパイア大変です。ストライクゾーンにボールが半分、あるいは3分の1入ったか、入っていないかをその都度判定しているのです。これでは審判によって差が出るのは当然のことでしょう。ボール気味の球でもストライクという人もいれば、きわどいところはほとんどボールという人もいます。自分がボールであると判定した球を、審判がストライクと判定した場合、選手によって様々な反応があります。審判がストライクというのだからストライクなのだろうとおとなしく引きさがる選手もいます。不満はありながらも、そのケースがほとんどでしょう。しかしなかには、腹を立てて「どうして今の球がストライクなのだ。お前の目は節穴か」などと悪態をつく選手もいます。あまりにもしつこい人は、退場させられるケースもでてきます。この場合は、審判を敵に回すことになるので、その後がやりにくくなります。現役時代の落合博満選手の対応はとても参考になります。落合氏は試合前にとにかくよくアンパイアと喋っていました。信頼関係を築こうとしていたようです。さらに、試合中、本人がややボールと思ったものを仮にストライクと言われても、露骨に不満を表したり、高圧的に「今の低いだろ」などと声に出したりはしません。そんな時、落合さんはゆっくり振り返って、そのアンパイアに向かって、いたって優しい口調で、「ちょっと広めに取っているように思えるのだが、今日はそこまでとっているのだよな」と事実確認をします。この対応はその後自分に有利に働きます。審判たちの間には、「やはり落合さんはきわどいところがすごくよく見えている」というイメージが定着するのです。落合さんは元々選球眼のよい選手です。それに加えて、事実確認の行為を繰り返すことで、ただでさえよい選球眼がそれ以上によいような印象を審判の方に植え付けられるのです。そうこうしているうちに、落合さんが狙い球を外して甘い球を見逃したとしても、審判が「ボール」と言うようになりました。(古田式・ワンランク上のプロ野球観戦術 古田敦也 朝日新聞出版 85頁より引用)この話は腹が立つようなことを言われたときにとても役に立ちます。腹が立つというのは相手が間違ったこと、理不尽なこと、無理難題を押し付けるときに湧きあがってきます。これは相手が「かくあるべし」を自分に押し付けているのです。普通の人は相手を許すことはできないでしょう。売られた喧嘩は買いましょうという気持ちになることが多い。相手の「かくあるべし」に対して、反撃、攻撃、暴力、批判、否定、拒否、無視などの行動をとりやすい。前後不覚なってそのような対応をとるとその後の人間関係が滅茶苦茶になります。落合選手は、納得できない理不尽な判定にクレームをつけることは行いません。その審判の判定に対して事実の確認作業を淡々と行っているのです。そして、最終的にはその事実を受け入れてその後の対応策を立てているのです。私たちも相手が「かくあるべし」を押し付けてきたとき、すぐに反抗的な態度に出るのは得策ではないと思います。こんなときは、相手の理不尽な言動に対して見たまま、感じたままの事実だけを述べるように心がける。その事実に対して、「私はこのように思うのだが、この考え方・見方で間違いないかどうか教えてもらえないだろうか」と低姿勢で聞いてみる。そのような対応がとれるようになると、人間関係が険悪なることを防止できるようになると思います。
2024.04.16
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子供が無理なダダッ子をいって泣く時に、どうすれば、これをやめさせることができるかと、判断ができず、見込みが立たないで、迷いながら見つめていると、いつの間にか子供が泣きやむ。こちらで解決の出来ぬうちに、子どもの方で自然に解決がつき、泣く時に対する最も正しき手段も、自らわかってくるのである。教育のない親、さては教育のありすぎる母など、でたらめにほめたり、叱ったりする。子どもは決して思う通りにならない。あまり自分の考えどおりにしようとするから、少しも子供の心理を観察することができないのである。(森田全集第5巻 323ページより引用)この間、 5つになる女の子熱海に連れて行ったが、感冒で熱が38度あまりも出たことがある。機嫌が悪くて、いろいろ駄々っ子をいう。寝ていなくてはならないといっても、 「抱っこ」と言って泣く。抱っこしてやれば、今度は、「外へ行く、外へ行く」という。熱があって気持ちが悪いから、風に当たればよかろうと、子供ながらに考えるのでしょう。考えてみると、大人もこんな風で、いくらも違わないようだ。少し分けのわかった母親は、子供の駄々っ子は、いい加減にあしらって静かに寝かせておくが、気の軽い親は別に深い思慮も何もなく、子供のねだるままに、なんでもその思い通りにしてやって、決して病のためにはよくない。(森田全集第5巻 459ページより引用)不安や不快な気持ちになったときの対応について説明されています。子どもの態度に同調し、慰めて励ますことは百害あって一利なしといわれている。神経症も不快な感情をすぐに取り除いてすっきりしたい気持ちになります。そのような態度は、火に油を注ぐようなものだと言われています。イライラして不快感でいたたまれないでしょうが、その気持ちを何とか持ちこたえるようにすることが肝心です。イライラする不快な感情に耐えて、どうしたらよいだろうかと工夫し気を揉んで、しばらく様子を見るようにする。そうすれば時間が経過とともに、相手のほうが勝手に折り合いをつけて収まってくることが多いということです。自分の考えを相手に押し付けることは「かくあるべし」を押し付けることになります。これでは時間の経過とともに、本来自然に収まるはずのものが益々こじれてしまいます。不快感を持ちこたえて様子見ができることは、一つの能力を持っているということになります。耐えて事態を静観するという能力を森田に取り組むことで自分のものにしましょう。京都 東寺
2024.04.15
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森田先生は昭和6年10月13日、京都東福寺で座談会を開かれた。その時、書痙の人が森田先生に質問をしている。書痙で27年間苦しみ、この夏、宇佐先生のところに2か月入院し、先生はこれでよいと言われましたが、私は完全癖でまだ不十分だと思っています。ゆっくり活字を書くような気持ちで書けば書けるが、急ぐときには十分にはいかない。また別な人で、書痙をまずよかろうというところまで治してもらいました。しかし、退院して生活に追われると、また気がイライラして震えて困っています。そのため、今は針や灸をやっていますが、なんとか治す方法はないでしょうか。これに対して森田先生曰く。もっとよくなりたいというのはごもっとものことです。書痙はとにかく書けるようになった。それでよくなったといえる。事実唯真というが、以前よりよくなったとただ思えばよい。もっと上手になりたいと思うのもよい。ただ、自分はどこまでも欲張るものであるということを認めるとともに、以前よりはよくなったという事実を認めなければならない。10中1つでも治ったと思えば全部治る。1つ治らないといって苦にすれば、また10になる。10中1つよくなったという事実を認めればよい。1つ治ったことを忘れ、悔しいと思えば、また元に戻る。書痙の人はみんな普通の人より上手に書けないから、以前より治ったという事実を認めないのである。よいとか悪いとかを離れて事実を認めるのです。例えば、入院中に、体重が300匁増えたら、それを認めたらよい。体重は増えたが、煩悶はとれないといった風に、よいとか悪いとか気分本位をやめてもらいたい。また、あなたが字がうまく書けない。もっとよく描けるようになりたい。その事実を認めればよい。(森田全集第5巻 152ページから155ページより引用)森田先生に質問された方は、書痙を完全に治したいという気持ちが強いようです。普通の人と同じように一切震えることなくすらすらと字が書けるようになりたい。これは吃音の人も同じです。共通しているのは、不安や悩みをすべて払拭したい。納得するまで不安や悩みのない状態を作り上げたいという気持ちです。森田先生は「10中1つでも治ったと思えば全部治る。1つ治らないといって苦にすれば、また10になる。10中1つよくなったという事実を認めればよい」といわれています。治るということをどのように考えるかで、その後の展開は全く違います。私が対人恐怖症で苦しんでいた時、頭の中は他人の思惑ばかりを気にしていました。そんな中、集談会で症状を治すためには、実践課題を作って丁寧に取り組むことだとアドバイスされました。早速実践課題に取り組みました。すると症状に向いていた注意や意識が少なくなっていきました。行動に弾みがついてくるにつれて、90%、80%、70%・・・と減少してきました。この減少してきた10%、20%、30%の部分が神経症が治ったということだと思います。自分はまだ不十分だと思っているのですが、周りから見ればだいぶ印象が違います。ここで肝心なことは、この調子で症状を0%にしたいところですが、その方向に行けば神経症はいつまで経っても治らないし、むしろますます状態が悪くなります。0%を目指すことは細かいことが気になるという神経質を放棄して、外向的で陽気な性格に変えるようなものです。そんなことはできませんし、そんなことをすれば自分の存在価値はなくなってしまいます。50%くらいまで減少できれば、症状とは関わらない方が得策です。私の参加している集談会にお寺の住職さんがいらっしゃいました。その人のモットーは「ほどほど道」でした。ほどほどの治り方を目標にして、その後は生活を楽しむことを考えた方がよいということでした。日常生活の中で小さな楽しみや感動をたくさん味わう。さらに小さな成功体験を積み重ねて、自己肯定感を確立するほうが味わい深い人生になると言われていました。
2024.04.14
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長谷川洋三先生はしゃべることを鍛えるよりも、相手の話を聞く技術を鍛えた方が人間関係がうまくいくといわれています。1、相手の話の腰を折らないこと。終わりまで聞くこと。2、相手の話を聞きながら、自分の悩み事やそのほかの雑念が去来することがあっても、そのままに、聞き続けること。3、話の内容に感心する点があったり、興味を覚えたりしたら、「よくなさったですね、大変だったでしょう」とか「そのお話、もう少しうかがいたい」とか言葉で表現すること。4、自分の知っていることでも、それを相手に気づかせないで聞くこと。5、相手の話を先回りして、知ったかぶりをしないこと。以上の点を、努めて実行すれば、必ず聞き上手になる。これなら意識すれば誰でも実行できるのではないでしょうか。これ以外に私が特に意識していることがあります。それは仕事など他のことをしながら相手の話を聞き流すことです。今やっていることを中断して、きちんと相手に顔を向けて聞くことです。その他参考になる過去の投稿記事をご紹介しておきます。・相手の話を聞くということは、相手の発言の全てに同意することではありません。相手の話をとりあえず受けとめましたということです。(2019年10月19日)・相手に70%しゃべらせて、自分の話したいことは30%に抑える。(2019年6月29日)・「要するに」「まとめると」「結論を言いなさい」「いったい何を言いたいのだ。全く分からない」「君の言いたいことはこういうことなのだろう」「時間がないのだ。手短に話してくれ」「君の話を聞いているとイライラする」などという言葉は禁句です。(2017年1月31日)玄宮園と彦根城
2024.04.13
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森田先生は「人の為に尽くしなさい」とは言われてはいないようです。自分がどんなに変に思われようとも、「人の役に立つことをしなさい」と言われています。この二つの言葉は同じような言葉ですが大きく違います。今日はこの問題を取り上げてみました。「人の為に尽くす」というのは、誤解を生みやすい言葉だと思います。「人」と「為」をくっつけると「偽」(いつわり)という字になります。つまり偽物(にせもの)になるということです。やっている本人は他人のために尽くしたと思っているが、実際には親切の押しつけになっていることがあります。しかも本人がそのことにそのことに気にが付いていないことが多い。集談会で「小さな親切大きなお世話」と聞いたことがあります。やっている本人は人の為という思いがあるが、相手はありがた迷惑に思っている。煩わしいから放っておいてほしいという気持ちになるのです。森田初心者の話を親身になって聞かないで、いきなり森田理論の解説をしているような場合です。それよりも私の悩みをもっと聞いてほしいという気持ちなのでしょう。これに対して人の役に立つということは、困った問題を抱えた人に対して、労力やお金やサービスを提供して援助してあげるということになります。この場合は困っている人や問題や状況がよく見えています。相手が困っているときに必要な範囲の援助ができていることになります。人の役に立つことをするために効果が上がる方法があります。商品を購入する、サービスの提供を受ける場合、対価に見合ったものを期待するのは当然なことです。しかし最低限の対価の提供をすればよいと考えて仕事をしていると、お客様の期待値を下回るような仕事ぶりになりやすい。これは森田先生によると「お使い根性」の仕事ぶりということになります。これに対してテレビで取り上げられるような行列ができる繁盛店があります。こういうお店はお客様の期待値をはるかに越えた商品やサービスの提供ができています。コストパフォーマンスが優れているから口コミで拡散しているのです。ここに人の役に立つことを実行するヒントが隠されているように思います。お客様に「ありがとう」と言われるような商品やサービスの提供を心がけていると、ときには相手から感謝されるようなことが起きます。相手の喜ぶ顔が見たい、相手を感動させてみたいという目標を持っていると、思わぬ波及効果があるのです。まず、仕事に対して意欲的に取り組むことができます。さらに、行動に弾みがついて、ますます積極的、意欲的、創造的になります。仕事はイヤイヤやるものではなく楽しいものだ、自分を成長させてくれるものだと思えるようになります。この考え方に賛同される方は是非とも実際に検証してみて下さい。
2024.04.12
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生活の発見誌1月号で長谷川洋三氏が次のように指摘されています。私たちは、目的に向かってつねに、積極的にベストの努力を持続することによって、心身ともに強くなるという結論に落ち着きました。それは分かったけどいざ実行となると、なかなか思うようにうまくいかない。長谷川先生は、森田理論の理解と実行・行動が別々になっていると言われています。森田理論を理解した後は応用・活用できるようにしたいものです。私がこの路線に乗れなかった原因が2つあったと思います。一つは気分本位に振り回されていたということです。もう一つは「かくあるべし」が強すぎてエネルギーを吸い取られてしまったのです。長谷川先生は、感覚や気分というものは、私たちの内なる自然現象の一つである。感情というのは、私たちの意思ではどうにもならない自然現象である。いやだ、しんどい、面倒だ、ムダになる、自分には無理だという感情が湧き上がってくるとなかなか行動に踏み込めない。仮に手を付けたとしても、困難な問題が立ちふさがると、すぐにやる気をなくしてしまう。気分に振り回されないためには、行動しているときに問題点、課題、改善点、改良点などがないかを鵜の目・タカの目で探すことです。日常生活や仕事をしているとその気になればいくらでも見つけることができます。見つかったらそれを忘れないようにメモしておくことです。今すぐに処理できることは早めに処理するように心がける。今すぐにできないことは休日の懸案事項としてストックしておく。それ以上大きな問題は人の協力を得て処理するようにする。次に「かくあるべし」が強すぎると、事実、現実、現状を否定するために多くのエネルギーを消費します。その結果、身体的、精神的に疲れ果ててしまいます。反対に不本意な事実をそのまま認めると、そのエネルギーを生の欲望の発揮に投入することが可能になります。「かくあるべし」を減少させることは難しいことですが、ある程度骨抜きにすることは可能だと思います。そのために心掛けることは次のようなものがあります。1、傾聴、受容、共感、許容の態度を身に着ける。2、あたりまえのことに、感謝の気持ちを持つように心がける。3、人の役に立つことをものそのものになって取り組む。4、両面観で考える癖をつける。5、あなたメッセージを封印して、私メッセージの発言を心がける。6、物の性を尽くすようにする。特に他人の性を尽くす。7、素直な心、直観、初一念(森田でいう純な心)から出発する。8、否定語はすぐに取り消して肯定語に置き換える。詳しい内容を知りたい方は、2021年7月11日から7月23日の投稿をご参照ください。ポイントとしては、いきなり全部取り組むよりも、一つ二つに絞って取り組むのが有効だと思います。「かくあるべし」が弱まれば、「生の欲望の発揮」のスタート地点に立つことが可能となります。
2024.04.11
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精神科医の阿部亨先生のお話です。神経質者に、「今抱えている不安を100だとすると、どの程度まで下げたいのか」と質問すると、限りなくゼロに近づくまでなくしたいという。普通一般の人に同じような質問をすると、 70とか、 60位に下がってくれば十分だという。精神的な苦痛が多少なりとも少なくなれば、目の前の仕事や日常茶飯事が何とかこなせるようになると考えている。これなら精神科医で十分対応できる。しかし不安を100%なくしてくれと言われても対応できない。普通一般の人は、不安を抱えたまま、仕事や日常茶飯事をこなしているといえよう。神経質者の場合は、今抱えている不安や恐怖が全てなくならないと落ち着かない。また不安を抱えたまま、目の前の仕事や家事、育児をうまくこなせないと考えている。仮に手をつけたとしても、十分に満足できる成果が上がらないと考えている。やることなすことがデタラメになると考えている。100%の成果が上がらないようなことが予想される場合は、手を付けない方がましであると考えているのです。その結果、会社を休んでしまったり、食事の準備を放棄して、出来合いの惣菜で済ませたりする。本来、自分ができる仕事や家事などは、他人に肩代わりしてもらって、自分は今抱えている不安の解消に専念したいと考えているのだ。しかし、なんとかしようとすればするほど、深みにはまって抜け出すことが困難になるのです。そういう意味では、普通一般の人に学び、不安を抱えながらも、目の前の仕事や家事がこなせるような能力を身につけることが大事になってきます。このことを三重野悌次郎氏は「非安心行動」(不安を抱えたまま行動に取り組むこと)といわれています。(森田療法ビデオ全集 第4巻 悩める人の生きるヒント 阿部亨 参照)生活の発見誌2024年3月号54ページ
2024.04.10
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森田理論がどの程度身に着いているのかを見極める簡単な方法があります。物や自分や他人を見たとき、「減点主義」で見ているのか、「加点主義」で見ているのかを観察することです。これは普段の言動にはっきり表れてしまいます。「減点主義」の人は現実や事実を否定的に判定しています。自分の頭で考えた「かくあるべし」を周りに押し付けているのです。非難、批判、否定、叱責、脅迫、指示、命令、軽視、無視する態度が多くなります。「減点主義」の人は上から下目線になっています。立ち位置は、頭の中で考えた、完璧な状態に置いています。そこから、不完全な現実、現状を見下ろしているのです。実際には完璧な状態にあることはほとんどありません。完全、完璧以外は受け付けられないという体質になっているのです。60点、70点は合格点ではなく、むしろ不合格に近いと思っているのです。そうなると、できたところを喜ぶよりも、できなかったところが気になって自分を否定するようになります。100点の状態が当たり前であり、マイナス10点、20点と引いていく考え方をとっているのです。そういう「減点主義」の人は、ストレスがたまり、生きることが苦しくなり、他人と対立してくる。それは完全というのは頭の中ではあり得ても、現実の世界にはほとんどあり得ないからです。そういう人は、相手の人格には問題があり、人間そのものを欠陥商品のようなものと考えて、実際そのように取り扱ってしまう。「加点主義」の人は、傾聴、共感、受容、許容が身についています。評価、感謝、励まし、事実を認める、事実を受け入れています。ないもの探しをやめてあるものを最大限に活かすことを考えています。感情を是非善悪の価値判断をしないで、きちんと向き合うことができています。「加点主義」というのは、出発点は現実、現状、事実です。問題点や課題を認めて、そこから一歩上を向いて出発しようとしています。下から上目線になっています。無から有を生みだすという気持ちです。「加点主義」の人は、目の前に現れた壁を乗り越えようとする強い意志を持っています。そして粘り強く努力する人です。そういう生き方が自然に身についています。森田理論は元々「加点主義」の考え方だろうと思います。決して「減点主義」の考え方ではありません。この見極めをきちんとして、生活のなかで活用したいものです。
2024.04.09
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元サッカー日本代表監督の岡田武史氏の話です。コンサドーレ札幌の監督をされていた時は、当初単身赴任でホテル暮らしをされていたそうです。ホテルの部屋では試合のビデオを見ながら、ああでもない、こうでもないとサッカーのことばかり考えたいたそうです。それが監督の仕事ですから、食事をしている時も、風呂に入っている時も、バカみたいに考え続けます。でも、考え続けていると煮詰まってくるのだそうです。考えているわりには新しいアイデアや打開策は湧いてこない。そんなことを電話で家内にグチったら、「お父さん、マンションへ引っ越しなさい」と言われたそうです。引越せば、自分で掃除をしたり、洗濯をしたり、ご飯を作ったりしなくちゃいけない。それが気分転換になるというんです。引越したら家内の言うとおりでした。つまり、精神の安定に重要なのは生活なんですよ。メンタルコントロールには普通の生活が何より大事なんです。自分にとってサッカーは生きるか死ぬかの、厳しい気の抜けない世界だが、他の人間とってみたら、勝とうが負けようがどっちでもいいことだ。その事実の自覚は大切なことで、心をなごませてくれるシェルターにもなるし、自分の世界にのめり込みすぎないよう距離をとってくれる作用もあります。これに答えて将棋の羽生善治さんも、勝負とは無関係の日常生活が片方にきちんと担保されているということが、とても大切なんですね。将棋に勝っても負けても、家に帰ってくれば、普通の当たり前の生活、普通の時間が流れているということが、気分転換にもなり、心の停滞が防げることになります。(勝負哲学 岡田武史&羽生善治 サンマーク出版 132ページより一部引用)毎日決まった時間に起きて、毎日同じ時間に同じことをする。規則正しい生活を送るということが精神の安定に寄与している。毎日のルーティンを確立して、身体が自然に動いていくようにする。これを実行すると前頭前野を休ませることができます。帚木蓬生氏は5分以上考え続けると脳が傷むと言われています。何も考えなくても自然に体が動いていくのを基本にして、ときどき前頭前野を使って決断しながら生活をする。これが理にかなった生き方になります。
2024.04.08
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斎藤茂太氏のお話です。スランプとは一種のうつ状態である。そう考えたほうがなかなかこの状態から抜け出せない人にはいいかもしれない。スランプの脱出法を一言でいってしまえば「堪える」ことと「気分転換」を図ることである。季節と同じで変わり目を待つしかない。スランプはいくら焦っても駄目で、じっと堪えるうちに退散を願うという一見「消極的」な方法が、かえって一番近道だったりすることが多いのである。スランプに陥ると今の現状を何とかしなければという気持ちがとかく先に立って焦るものだ。かってのスランプの前のレベルに少しでも近づこうとあがく。しかし、少しも前に進まない。進まないどころか、前よりもわるくなっているような気がする。また焦るという繰り返しである。スランプに陥ると、周囲の雑音がどうしても気になるものだ。堂々巡りのうちに、本来の「プラス」が「ゼロ」になっただけなのに、自分がどんどん「マイナス」に陥って行くような気分に襲われる。スランプに耐えるということは、この気分に落ち込むことを防ぐことに他ならない。100%元の状態に復活しようとするよりも、10%でもいい、少しでも元の状態に戻ればよしとする気持ちが、結局はスランプを脱出する糸口になる。(逆境がプラスに変わる考え方 斎藤茂太 PHP文庫 103ページ)スランプというのはプロ野球の選手を見ているとよく分かる。調子の波に乗ってバット振ればヒットになるというときがある。やることなすことが想定通りに推移する。順風満帆の時は有頂天になってこのまま好調な状態がいつまでも続くと思ってしまう。しかしある時を境にしてバッタリとヒットが出なくなる。早く元に戻さなければと焦る。フォームを調整し、神頼みをする。慌てて死に物狂いで手あたり次第手を出すが、すべてが裏目に出る。そのうち出番がなくなり、二軍での調整を命じられる。これはバッティングには波があるということだと思う。好調と不調の波が循環していることだと思う。その変化の波に乗って日々淡々と練習を重ねていくことが大切になる。波の底にいるときに、浮上するために死にものぐるいでやりくりしていると、そこよりさらに落ちこむ場合がある。一番底の下に二番底、三番底が口を開けて待っていたということになる。そして最後に力尽きて、反転浮上するきっかけを掴めないことがあります。これは精神交互作用で神経症に落ちるようなものです。斎藤茂太氏の指摘されているように「堪える」「気分転換」を図ることが大事になる。好調時に有頂天になって舞い上がるのではなく、新たな課題に取り組むなどで気を引き締めることが必要になる。これで好不調の波を小さくすることができます。森田理論も、流れと動き、変化とリズムをとても重要視しています。石原加受子氏によると人生の波は6年周期でやってくると指摘されている。「意識の法則と6年周期リズム」という本で、詳しく説明されているので関心のある方は参考にしてください。
2024.04.07
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感情は自然現象であり、人間の意志の自由はないと言われます。自然現象の特徴を理解して、感情の取り扱い方にも応用していくことが大切になると思われます。まず自然現象は絶えず変化・流動しています。流れと動きがあります。森田先生はこのことを宇宙の営みから説明されています。万物はじっと一定のところに留まっていることはできないということです。一定のところに留まろうとすれば、存在することすらできないということになります。変化流動している状態が一番安定しているということです。コマは回転しているときが一番安定している。自転車やバイクは前進しているときが一番安定しています。鴨長明の方丈記には次のように書いてあります。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水あらず、淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。谷あいを流れる小川の水はきれいですが、淀んでいるお城の水は雑菌が繁殖しています。感情もどんどん流していくことが大事です。次に自然現象には波があります。森田先生次のように言われています。そもそも我々の注意作用には、緊張と弛緩のリズムがあって、一つのことに対して、いつまでも同じ強さの緊張で、注意を集中し続けることはできない。視覚でも聴覚でも、ある一定の物あるいは音に対して無理に注意を集中していると、初めはそれに注意が向いているけれども、いつとはなしに注意は散漫かつ、漠然となり、無意識の状態になってしまうのである。つまり一つのことだけを続けていると、次第に弛緩状態に変化していく。岩田真理さんのお話です。サーフィンでは、サーファーは「波」という、動いているものに乗っているのです。常に波の様子を読まなくてはいけません。波はその日の天候によって変化し、動き、下手をするとサーファーを飲み込みます。サーファーにとっては一瞬一瞬が緊張です。波を読み、波の上でバランスをとり、波に乗れば素晴らしいスピード感が体験できます。自分の力だけではなく、勢いよく打ち寄せる波の力を自分のものにして、岸まで疾走することができるのです。人生の波に乗るとは、一瞬一瞬、緊張感を持ち、周囲をよく観察して、その時その時で適切な判断がとれるように努め、自分の生を前に進めていくことです。感情の波はあがったり下がったりします。無理に反発しないで、動きに合わせて、その波に乗っていくことが、自然に服従するということです。その生き方が一番安楽な生き方となります。(流れと動きの森田療法 岩田真理 白揚社 64ページ)自然現象は調和・バランスを求めて動いています。天体は、遠心力と引力でバランスを維持している。太陽と地球、太陽系と銀河系の関係を観察すればすぐに理解できます。緊張と弛緩、交感神経と副交感神経、欲望と不安、精神拮抗作用、ドーパミンとノルアドレナリンの関係などもバランスを維持することが欠かせません。神経質者はどちらかに偏る傾向があります。片寄ると問題がでてきて心身の病気を招いてしまいます。調和・バランスを意識するためには、ヤジロベイを目のつきやすいところに置いておくことです。またサーカスの綱渡りをイメージできるようになるとよいと思います。
2024.04.06
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今までの私の人生を振り返ってみた時、次の2点に大きな問題があった。まず最初に、気分本位な態度で生きてきたということです。イヤだ、しんどい、めんどうだ、無理かもという気持ちになると回避的行動をとる。不安、不快な感情が湧いてきたときも回避的な行動をとる。劣等感を感じると回避的な行動をとる。受け入れがたい事実を目の当たりにするとすぐに逃げる。自分に批判的な人、イヤな人には近づかない。気分に振り回されると、動かない、楽をすることを選択する。特に営業などの仕事をしていると、仕事をさぼるようになる。その時はほっとするが、暇を持て余すようになる。困難を乗り越えて小さな成功体験を味わうことができない。成功のためのコツや技術を身に着けることができない。つまり人間としての成長が止まってしまう。どうすれば気分本位を振り切って、責任ある行動をとれるのか。同行営業をしたときはさぼらないで、仕事を続けることができた。それは相手の目が抑止力として働いていたからである。だから気分本位になりそうなときは、他人と一緒に行動するとよいことが分かった。次に、目標や目的をしっかりと意識したときは、やる気がでてきてきちんと行動できた。そういう意味では、問題や課題、ストレスや不安を持っていることは宝の山なのです。森田でいう「生の欲望」を強く意識しているときは気分本位にならないことが分かった。それから4月3日に投稿した規則正しい生活習慣作りと大数の法則の学習が気分本位に陥らないために役立っている。次に欲望が暴走してしまうという特徴があった。パチンコ依存症になりかけたことがありました。突然制御が効かなくなる。森田理論でいう精神拮抗作用が働かなくなる。坂道でブレーキの壊れた自動車を運転しているようなことになった。また欲しいものがあると我慢できなくなってしまう。持っているもので用が足りているのに、すぐに新しいものが欲しくなる。それを無理やり手に入れようとする。刹那的、刺激的、享楽的、本能的欲望のままに行動する。ギャンブルに手を出す。二日酔いになるまで酒を飲む。その他自分勝手なことをして人に迷惑をかける。どうすれば欲望の暴走を防ぐことができるか。欲望の暴走を制御してくれる人と一緒に行動する。抑止力のある家族や同僚や友達と行動する。大酒を飲まないようにする。酒と水を交互に飲む。副食物を食べる。公共交通機関は使わない。徒歩、自転車で移動する。酒を飲んだら、寄り道をしないですぐに帰宅する。外出するときは、最小限のお金しか持たない。好奇心を活かして、興味や関心のあるものに取り組むようにする。規則正しい生活、凡事徹底の中から小さな楽しみを見つけるようにする。
2024.04.05
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過去のミス、失敗、自分が犯した不祥事などが悪夢となって現れることがあります。他人から無視、非難、否定された記憶がよみがえり苦しむこともあります。やり直すことができれば今度はうまくやってみせるのにと思っても後の祭りです。また親の子育てに反発して、親を批判することもあります。親を恨んでなんとか償ってくれといっても今更どうにもなりません。どんなにつらい気持ちになっても、それらを取り消すことは不可能です。過去をリセットして、新たに書き換えることは不可能です。後悔は身心を痛めつけるだけで何もよいことは起きません。集談会で「森田は過去は問わない」と聞いたことがあります。過去の不祥事や辛いことを思い出して苦悩したときにこの言葉が助けになるということでした。過去の不祥事でいたたまれない気持ちになったときこの言葉を口ずさむと確かに楽になります。それは寛大な気持ちで自分を許すことになるからだと思います。神様はどんなに多くの不祥事を犯したとしてもそれだけで査定しているわけではないと思います。それらを抱えたまま前を向いて積極的、生産的、建設的、創造的に生きている人を高く評価するように思います。では忌まわしい過去を抱えてどういう心がけで生きていけばよいのでしょうか。まず私たちの出来ることは「今、ここ」に意識を向けて生きていくことです。森田では「前を謀らず、後ろを慮らず」といいます。いつも過去のことを思い出して苦悩している人は、「今、ここ」に集中していないのではないでしょうか。規則正しい生活習慣に従って、凡事徹底を心がけている人は、横道にそれてもすぐに元に戻れます。「今、ここ」に注意を向けている人は、いつまでも苦悩する人ではありません。次に過去の不祥事を再び繰り返さないように心がけることも大切です。広島の原爆慰霊碑の前には、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」とあります。不祥事を起こすことが悪いのではなく、同じ不祥事を何度も繰り返すことが問題だと思います。対策を立てて実行することが肝心です。どうすれば分からなければ集談会の仲間に相談してみることです。さらに自分の不祥事を他人に開示して、他山の石として役立てるように心がける。他人が同じような苦悩に陥らないように役立てることはできます。集談会で他人の失敗談は大いに役立っています。
2024.04.04
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気分が落ち込むことは誰にもあります。月曜日の朝になってどうしても会社に行く気にならない。着替えるのも面倒。もっと寝ていたい。あるいは学校や会社に行くのが恐い。食事を作るのが面倒くさい。食器の後片付け、掃除、洗濯、整理整頓、身支度等がおっくうで仕方がない。これらの気持ちは自然に発生した素直な感情のように思えます。この感情に従った場合、行動が停滞し、生活が乱れてきます。一時的にはホッとしますが、そのうち時間を持て余すようになります。後で後悔し、意識が内向化して自己嫌悪、自己否定で苦しむことにもなります。これらは気分本位の態度です。マイナスの感情に振り回されていると神経症に陥りやすい。森田先生は気分がどんなに拒んでも、必要なときに、必要に応じて、必要なだけの行動を勧めておられます。イヤな気分を持ったまま必要な行動をとるための方法を考えてみました。規則正しい生活習慣を作り上げることが有効だと思います。まずは起床時間と就寝時間を一定にすることです。特に起床時間を一定にすることが欠かせません。そのためには朝起きてやることを決めておくことが肝心です。私の場合は6時20分に目覚ましが鳴るようにしています。それから布団をたたみます。窓を開けて天気の良い日は朝日を浴びます。それからパソコンを開けます。早速ブログの原稿作成に取り掛かります。まずは今日アップされたブログの修正と保存作業を行います。次に明日アップ予定の原稿の見直しをします。そして前日決めたテーマに従って1か月先の原稿を一つ作ります。これは365日のルーティンとなっています。朝一番にこれに取り組むと、一日のリズムが生まれます。きちんとスタートが決まると、その後はルーティンワークに従って淡々と流れていきます。私のモットーは同じ時間に同じことをするというものです。これのメリットはいくら気分本位になっても、身体のほうが自然に動いていくことです。行動というのは、やる前は誰でも多少おっくうになります。規則正しい生活が習慣化してくると、気分本位を押しのけて体のほうがすっと動いてくれるようになります。まだの人はぜひ取り組んでみて下さい。次に気分本位の人は手掛けることは確実に成果を上げたいという気持ちが強いのだと思います。少しの無駄や損、小さなミスや失敗などを恐れているのです。またエネルギーの無駄使いは極力抑えたいと思っています。完全主義、完璧主義が強すぎるのではないでしょうか。この考え方を持っていると、成功するかどうか不安が残ることには手も足も出なくなります。つまり気分本位の生活になりやすいのです。こういう人には大数の法則を学習することをお勧めします。この法則はたとえばサイコロを2000回以上振ると、1から6までの出目がそれぞれ16.6%に収束してくるというものです。意識して5を出したいと思っても、少ない試行回数では全く5が出ないということが発生します。ところが2000回以上振り続けてくると、16.6%の確率で5が出るということです。この法則を知っていると、思ったように成果が上がらないとき、それは試行回数がまだ足りないからだと思えるようになります。大数の法則が機能するまで我慢して行動すれば、最終的には成功するという確信が持てるようになるのです。訪問営業は成果に結びつかないことが多いのですが、大数の法則を信じて気分本位に陥らないように頑張っている営業マンがいるのです。気分本位になりがちな人は、この法則を大いに利用させてもらおうではありませんか。
2024.04.03
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私はマンションの管理人の仕事をしていますが、先日転居された居室の全面改修工事がありました。その時施工会社に対するトラブルが頻発して、居住者から数多くのクレーム寄せられました。クレームの多くは未然に防ぐことができるものばかりでした。良好な人間関係作りに関係することなので取り上げてみました。問題点は次のようなものでした。1、事前に施工業者から工事予定表が出てきました。これによると工期は40日間となっていました。ところが実際には70日間かかりました。新たな届け出もしないでなし崩し的に30日間も延長されました。工期が延びるということは、その間マンション内に職人が出入りして、騒音を出すことになります。来客用駐車場、共用トイレ、エレベーター、解放廊下を使用することになり、居住者から多くのクレームがでました。2、養生をきちんとしてもらうように依頼しましたが十分とはいえませんでした。工事期間中は、廃材を持ち出し、大量の資材を搬入します。きちんと養生をしていないので、エレベーターホールの壁を傷つけました。エントランスのタイルも割れました。泥のついた靴で出入りするので解放廊下がかなり汚れました。特に側溝はゴミだらけになりました。再度やり直してもらうように依頼しましたが無視されました。仕方なく管理人や居住者が養生をやり直しました。3、当マンションには来客用駐車場が2台あります。工事期間中、工事車両は1台だけは許可していました。ところが気がつかないうちに無断で2台駐車している。それも一日中です。時には駐車禁止場所にも駐車している。来客者が有料の駐車場を利用しなければいけない状況になりました。車両のフロントまわりに行き先と駐車時間、使用者の名前、電話番号を書いた紙を置くようにお願いしていましたが無視していました。4、工期が長い施工業者は自前のトイレをレンタルして設置することが多い。今回の業者はマンション内の共用トイレを自由自在に使用している。トイレットペーパーも使い放題で、さらにトイレ内を汚してそのまま放置している。5、マンションに出入りする時は、訪問先や要件や訪問時間を届けることになっています。不特定多数の人が勝手にマンション内に出入りしているとトラブルになるからです。この業者は何度説明してもすぐに無視していました。6、長い工事なのに、工事予定の掲示板を設置していない。そのために今日の作業内容がわからない。突然電動工具を使い騒音を出すのですぐにクレームになる。またクレームを受け付けるポストも設置していませんでした。私が施工業者になったつもりで、クレームを回避する方法を考えてみました。1、相手と一旦約束した工事予定はできるだけ守るという姿勢が大事になる。いったん決めた約束を勝手に破ると、人間関係はすぐに悪化すると思う。特に騒音問題は居住者の反感を買う。2、笑顔での挨拶を無視していると人間関係はすぐに悪化する。そして陰で悪いうわさ話をされるようになる。一旦壊れた人間関係はなかなか元には戻らないと思う。3、報告、連絡、相談はこまめに行うことが必要だと思います。特に工事予定表の掲示板を設置して情報を知らせることが必要になります。これを無視すると相手が疑心暗鬼になって、人間関係は対立するようになる。4、他人のものを利用させてもらうときは許可をとってからにする。また許可の範囲を超えて勝手に使用してはいけないと思う。工事業者はマンションを使わせてもらっているという意識を持たないとトラブルになると思う。養生やトイレや駐車場の使用は許可をとることが必要になる。使わせてもらうときは、丁寧に使用し、使用後は必ず原状復帰を行う。もし許可が得られないときは、それに代わる方法を別途自分たちで探す。この4点を心がけるだけでやたらと敵を作ることを防ぐことができると思う。簡単なことばかりだが、基本を無視すると周りが敵ばかりという状態になる。多くの人を敵に回すと周り廻って自分が苦しむことになると思う。
2024.04.02
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帚木蓬生氏のお話です。森田正馬の提言は、神経症とはいえない普通人においてこそ、より強力な効果を発揮すると、私は思っています。従来の森田療法研究で抜け落ちていたのは、まさしくこの視点です。森田正馬の治療法は、普通の人々の生活を一層豊かにする要素を多く含んでいるのです。森田正馬が形外会で発した言葉や、記述を読むと、森田正馬自身、自分の治療法は人の生き方の手引きそのものだと、自負していた様子がうかがわれます。(生きる力 森田正馬の15の提言 朝日新聞出版 19ページ)こういうことを神経症の診断をして薬を処方するのが本業の精神科医が指摘されていることは大変心強いことだと思います。尊敬に値します。森田理論を学ぶ目的は2つあります。まずは神経症のとらわれから解放されることです。仕事や日常生活に支障をきたしている人は、精神科医にまかせた方がよいと思っています。その際信頼できる生活の発見会の協力医を探すことです。その他生活の発見会の協力臨床心理士のカウンセラーに相談するのもよい。ここで注意することは、神経症はケガや病気が完全に治るようなことは望めないということです。特に強迫神経症の場合はとらわれやすいという性格特徴は一生ものです。ですから、神経症のことばかり考えていた状態が少しずつ緩み、半分くらいまでに減少すればもうそれ以上の回復は期待しない方がよいと思います。あとは普通人として生きていくことです。生活を思う存分満喫するようにした方がよいと思います。もう一つの目標は神経質性格を活かした人生観の確立をするということです。学習目的の主力はこちらにあります。ではどういう人生観を持つのが望ましいのか。森田の神髄は「あるがまま」と言われています。「あるがまま」を体得するためには、先ずは森田理論の基礎的学習をする。その先に、次のような学習が必要になります。1、不安、恐怖、違和感、不快の感情の特徴や役割を理解すること。2、不安と欲望の関係を理解すること。つまり生の欲望の発揮と制御の関係について理解すること。3、「かくあるべし」の発生とその弊害について理解を深めること。4、事実本位の生活態度を養成していくこと。5、課題、目標、希望、夢に向かって努力していく生き方を確立すること。理解できたら日常生活、仕事、人間関係、子育て、健康、趣味、自然との付き合いなどに活用していくことが肝心です。森田理論は長谷川洋三先生によると中学生でも理解できる内容です。肝心なことは森田理論をいかに応用・活用していくかということです。そのためには自分一人で取り組むよりも、自助組織の生活の発見会の活動に参画することです。現在は家に居ながらZOOMで全国の学習仲間とつながる時代になっています。詳しくは生活の発見会のホームページでご確認ください。
2024.04.01
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