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tajim

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Mar 21, 2006
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カテゴリ: 簡単な言語学
言語学を学ぶにつけ、なかなかしっくりと身につかない考え方がある。
それは、清音と濁音、つまり有声か無声かということが1か0かの対立ではないと言うこと。

日本語も英語も含め、多くの言語では有声音と無声音(pとb、tとdとか)が対立する。伝統的な音韻学ではこの意味の対立を作り出す最小の単位を「音素」として、PETとBET、 BETとBEDが対立することの説明とした。

有声か無声か、というのは声帯が振動するかどうかで決まる。のどに手をあててしゃべったときに、振動していれば有声音。いわゆるささやき声はすべてを無声音化した状態だと言える。

これ自体は分かりやすい概念だと思う。英語でも日本語でもこの対立は耳に聞こえやすいし、身につきやすい。

でも、実際の音声を周波数、波形などを取って調べてみると、実は人が「有声か無声か」を聞き分ける鍵にしているのは実際の声帯の振動ではないと言うことが明らかになってきた。そして今では有声という概念が思うほど明確に無声と対立するものではなく、もっと段階的にとらえるべきものだという説が主流となっている。

どういうことかというと、例えばフランス語の濁音は、英語の濁音よりもっとずっと有声の度合いが強いと言う。そしてフランス語と英語を比べると、実はフランス語の清音が英語の濁音によっぽど近い。そんなふうに考えていくと、じつは何をして有声と呼ぶか、という概念そのものが怪しくなってくる。フランス人にとっての無声音が、イギリス人にとっての有声音だということになる。(そのときに本当に比べているのはVOTと呼ばれる子音から次の母音までのギャップの時間だと言われている。)

それに加えて、有気、無気の違いもある。英語では普通、語頭の無声音は有気音となるし、有声音は無気音となる。P(h)etに対してBetと言う息の漏れかたの違いがあり、それがPとBの区別にも役立っている。そして、無気の無声音というのは限りなく有声音に近く聞こえる。だから有声無声ではなくて有気無気を対立させる韓国人は清音と濁音の区別が怪しくなる。


結局、そういう色んな要素が合わさって「有声」「無声」という印象を与えている、と言った方が正しいようだ。なんだかややこしい話になってしまったが、普段当たり前だと思っていることが意外に当たり前じゃないんだなぁ、と最近気づかされたことの一つだった。





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Last updated  Mar 21, 2006 03:48:04 AM
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