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だいぶサボってしまいましたが、その間修論に追われ、何とか書き終わり、日本から来た母とあちこち行き、という感じでした。このところMIXIと仕事用のブログに精を出しているのでこちらまで手が回りません。そんなわけでこのブログはしばらくお休み、というか休止しようと思います。またいつか違うところで再開するかもしれません。今まで読んでくれていた方(もしいれば、ですが…)にはありがとうございました。
Oct 8, 2006
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ブリトニースピアーズの妊娠ヌード広告が、東京のメトロで物議をかもし出したというニュースを読んだ。http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/m20060823k0000e040068000c.html常々なんとなく気づいていたことが具現化されたようなニュースだ、と思った。イギリスでは妊娠中の女性を目にすることが多い。もちろん妊娠している人数が多い、というわけではないだろうけど、近所、テレビ、広告等で目にすることが多い。母がイギリスに来たときに一緒にテレビを見ていて、かなりお腹の大きい女性がプレゼンターを務めている姿に驚いていたのが印象的だった。慣れていた私はそんなことなんとも思わなかったからだ。でも、気をつけてみると、つい最近終了したばかりの、毎年恒例のテレビ番組BIGBROTHERの司会者も、あと4週間で予定日というお腹を抱えての司会だった。朝のBBCニュースのプレゼンター(男女のペア)の女性達も、代わる代わる妊娠しているように見える。大きなお腹を抱えてもぎりぎりまで働く、というのがイギリス流のようだ。お腹の大きい女性が目立つのにはもうひとつ理由がある。こちらの女性は妊娠中に、わざわざお腹を目立たせるような服装をするのだ。「わざわざ」というのは間違っているかもしれない。たぶん、普段と同じような格好をしているだけなんだろうけど、お腹が大きいので目立つんだろう。夏にはおへそが出るようなTシャツも着るし、ぴったりとしたトップスにパンツという格好も多い。日本で見るようなマタニティドレスなんて見たことがない。そしてみんな「私は妊娠してるのよ!」と宣伝しているかのように堂々としている。日本では妊娠中の姿と言うのは隠さなければいけないことみたいだ。今は誰もそんな意識はないかもしれないけど、お腹の大きい人をテレビで見ることは少ないし、仕事をしている姿も見ないし、マタニティドレスの形だってお腹を隠そうとしているように見える。「産の忌み」なんて習慣があった国なのだから仕方ないのかもしれないけど、新しい命が生まれてこようとしているのに、どうして隠さなければいけないんだろう。そんなことを考え始めると、帯祝いとかお宮参りとか、当たり前のお祝い事までシニカルな目で見ずにはいられなくなってしまう。今回のブリトニースピアズの一件は、メトロの対応がどうとか青少年への影響がどうとか言う以前に、西洋文化と日本文化との差から出てきた問題のように思えて仕方がない。西洋では妊娠中の姿を人前にさらすことに抵抗を示す人なんていないのだから。
Aug 23, 2006
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最近、論文のデータ収集にネット検索を利用することが多い。テーマとしている日本語の平板アクセントに関する論文、記事を探していると、どうにも気になってしかたがないことがある。それは「日本語が乱れている」とか「間違ったアクセントが氾濫している」とか、言語の「正否」を問う内容の文が異常に多いこと。「若者が間違った発音をしていて聞き苦しい」とか「古き良き日本語を失っていくことはなげかわしい」なんていう、「意見」がほとんどで、平板化を言語現象として捕らえようと言う考え方は皆無に近い。「日本語はこうあるべき」という考え方は、常に変化し続ける言語に対して無理を押し付けることだし、そういう自分がしゃべっている日本語もそのさらに昔の形から変化してきたものだということを考えないんだろうか。プログラマ、メモリなんていうコンピュータ用語や、ドラム、ザイルなんていうちょっとそのエリアに強い人が使い始めたいわゆる「専門化アクセント」は、今はかなり一般にまで普及している。哲学科の学生が「ハイデッガー」を平板に言っていたという笑い話もある。私が扱っているのは言語現象としてのDeaccentuation(アクセントを失うこと)なので、いわゆる「平板化アクセント」とはちょっと違うが、それでも言語変化のひとつとしてアクセントが平板化する現象は面白いと思う。そもそも複数のアクセントパターンを持っていた昔の日本語は、少しずつ「アクセントのある型」と「アクセントのない型」の二つに絞られていっているようだ。話題になるのは外来語の平板化ばかりだが、実際は漢語や大和言葉の多くも平板化が進んでいる。「電車」「飼い猫」「映画」なんていう言葉は今では平板のほうが主流とされている。「耳障り」でないので気づかないだけだ。その日本語全体に及ぶ平板化現象が、とうとう外来語に及び始めたというだけのことかもしれない。箸と橋と端の三つのアクセントの対比は有名だが、こういう三種類の対比を見せる日本語はそう多くはない。日本語、特に標準語のアクセント構造はどんどんシンプルになっているといえる。(京阪アクセントではもう少し多くの型が残されている。)それが「なげかわしい」ことだと思うのはただのセンチメンタリズムだ。逆に外来語の影響で「ディ」とか「ウィ」なんていう音が増えて、日本語の音韻構造は複雑化している。ディズニーランドをデズニーランドと呼ぶことは逆に恥ずかしいと思われているのはなぜだろう。さらに付け足すと、どこそこの名誉教授だとか偉そうな肩書きを持つ人が、平気な顔で外来語のアクセントと英語の元々のアクセントと対比させて「間違ってる」などと言ったりしているのは、本当に信じられない。外来語は音韻もアクセントも元の言語ではなく、日本語なら日本語の音韻規則に従うものだ。外来語として日本語に入ってきた言葉は、もう「日本語」だといえる。知識人を自称する人の無知には本当に見苦しいものだと思う。ところで、こういう言語変化に対する抵抗は、日本語だけではなく英語にも見られる。もともと「希望を持って」というような意味だったhopefullyを「できれば」という意味で使うことに批判的なのが代表例。オーストラリア英語に代表される語尾のあがるイントネーションに対する批判も多い。誰でも自分がしゃべる言葉が絶対で、違うものは認めたくないだけなのかもしれない。でもそんなことをものともせずに変わっていくのが言語だし、世代が変わればそれがまた当たり前になっていくのだろうけど。
Aug 18, 2006
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またか、というのが正直なところ。戦争に加担しているんだから仕方ないけど、どうもイギリスは狙われているらしい。でも本当のところ「イギリスが狙われている」という言い方は正しくないのかもしれない。去年の地下鉄テロも、今回も、イギリス生まれ、イギリス育ちの、国籍としては「イギリス人」に当たる人物が犯人とされている。イギリス生まれのイスラム教の二世の間で、過激派が増えているという話はよく耳にする。口を開けば労働者階級のイギリス人の子供みたいな訛りなのに、しゃべることは西洋主義を批判し、イスラムを崇める内容だったりする。自分たちでイギリスに渡ってきた親の世代のイスラム教の人々のほうが、むしろ寛容な考えを持っていたりする。言葉も生活もすっかりイギリス的な中で育ち、かつイスラム教的教育をされる矛盾の中で、特殊な感情が育つのかもしれない。イギリスでイスラムとして育つ中で、ひどい差別や押さえつけにあわなかったはずがない。自分たちの信仰を否定され、押さえつけられる中で、嫌悪の感情が生まれるのだろうか。今回のテロ未遂は、飛行機に液体爆弾を持ち込む計画だったという。セキュリティチェックの穴を狙った計画、といわれている。そういわれて思い出した。そういえば、このあいだ日本から帰ってくる時は、成田でお茶のボトルの中身まで検査された。ボトルを中身をチェックする機械にかける。ピーと音がして、緑のランプがつけばOK。私は二つボトルを持っていたが、なぜか十六茶が機械に引っかかり、ふたをあけて匂いまでかがれた。日本ではそんなチェックをしていたが、こちらの空港では見たことがない。大体、ヒースローのチェックは甘い、といつも思う。日本のほうがよっぽど厳しくやっている。液体のボトルだって、日本だったらきっとチェックで見つかるはずなのに。イギリスがとった対策は、水のボトルなどの持込禁止。水どころか、今は機内持ち込み荷物自体が制限されている。ヒースローから機内に持ち込めるものはパスポート薬類メガネ財布ティッシュ、ハンカチ鍵赤ちゃん用のミルクや必需品これだけだそうだ。それも、透明のビニール袋に入れること。これでは日本に行くような長距離便の人は大変だ。化粧品もだめだし、携帯電話やコンピュータ、カメラもだめらしい。預け入れる荷物に入れろというが、壊れたら弁償してくれるんだろうか。今こちらを訪れている日本人も多いだろうと思うが、これでは帰るのも大変だ。貴重品の扱いに困ることだろう。911以来激減したイギリスへの日本人観光客だが、最近すこしずつ回復しつつあった。きっとこれでまたがっくりと落ち込むことになるだろうなぁ。
Aug 10, 2006
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「Hey, diddle, diddle! The cat and the fiddle…」なんていう風に韻を踏むことが多い英語ですが、Orangeと言う単語が他のどの語とも韻を踏まないことは有名です。詩人にとっては頭の痛いこの単語ですが、私もつい最近までは、たまたま韻を踏まないんだろう、くらいに思っていました。それがなぜか今日、急にひらめいたんです。オレンジが韻を踏めないのにはちゃんとわけがある。まず、Orangeと言う語を見ると、綴り的にはStrangeやArrangeに似ている。発音に気をつけなければ、一見韻を踏んでいるように見えるかもしれない。でも、いったん口に出してみれば違いは一目瞭然。StrangeやArrangeがストレインジ、アレインジと、rangeの部分にアクセントがあるのに対し、Orangeはオーリンジ。最初のoにアクセントが来る。アクセントの場所が違うと言うことは、英語ではとても大きな意味を持つ。最初のoにアクセントが来るだけじゃなく、次のranは弱くなり、アクセントのないニュートラルな音に変わってしまう。日本語で書きあらわすのにも限度があるけれど、Strangeのレインジと、Orangeのリンジは絶対に韻は踏まないんです。もう一つ気づいたことがあります。どうしてOrangeの発音が珍しいかと言うと、rangeではなくoにアクセントがあるから。では、そもそもどうしてそれが珍しいかと言うと、Orangeの発音がラテン語系言語の原則に反しているからなんです。ラテン語系の諸言語には「Weight-to-Stress Principle」と呼ばれるアクセントの原則があり、英語もそれを守っています。簡単に言うと、「重音節にアクセントを置く」と言うもの。重音節と言うのは軽音節に対して「重い」シラブルの形のことで、核となる母音の後に要素があるものを言います。二重母音だったり、ンだったり、長母音だったり。日本語で言うとカンとかキャーとかタイなんていうシラブルがこれに当たります。おなじ一シラブルなのに、カとかパに比べて重いというのが分かると思います。英語も基本的にこの原則に則っているので、重音節がある場合はほぼ確実にそこにアクセントが来ると思っていい。(複合語や、いくつかの要素が合わさって出来た語には例外もありますが。)Orangeはoとrangeという二つのシラブルに分けられますが、軽音節のoに対してrangeと言うのは母音の後に二つも要素がくっついた超重音節と呼ばれるこれ以上なく重たいシラブル。普通だったらこっちにアクセントが来ないはずはないんです。rangeがアクセントを引きつけて、オレインジとなるはずだった。それがどうしてか、この単語だけ、原則に逆らってオーリンジになってしまった。どうしてそんなことになったのか、その理由までは分かりませんが、オレンジというのがそんな特別な発音を持つ、いかにも例外的な単語だということが分かりました。この単語が英語に入ってきた歴史的な過程に理由があるのかもしれませんが、ちょっとした間違いだったんでしょう。修論を書かないといけないのに、こんな、およそどうでもいいことばかり考えている今日この頃です・・・
Jul 28, 2006
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毎年恒例のBig Brotherですが、ついつい見てしまうのにはわけがあります。イギリス人の日常生活を垣間見るのと同時に、普段触れる事のないような若者の言葉遣いやボキャブラリーを知るのが楽しいんです。やたら喧嘩が多い今年のBig Brotherですが、見るともなしにライブをつけていると、やたら耳に入る言葉があります。Bitching (陰口、不平を言う)Back stabbing(「背中を指す」という言葉通り、目の前でいい顔をして裏で悪口を言うこと)slating behind back(Backstabbingとほぼ一緒)など、どれも陰口を叩くというような内容のもの。24時間カメラに撮られていることを忘れて正々堂々と(?)陰口を叩く人がおおい。でも陰口叩かれてる人は大抵気づくんですね。イギリス人って、人の悪口を言うときにその人のほうを見る癖があります。もう少し気をつけてしないと。さらに、悪口としてよく聞く単語がdrama queen(大げさに怒ったり泣いたりして悲劇のヒロインになる人)tantrum(かんしゃく)attention-seeker(いつも自分に注意を向けようとして騒ぐ人)crocodile tears(うそ鳴き)arse licking(汚いですね。誰かに気に入られようとおべっかを使うこと)Drama queenは日常的にも多いですね。attention seekingの一つなんでしょうが、泣くのも怒るのも自分に注意を集めたいから。小さい子のかんしゃくと一緒です。こうしてよく耳にする言葉を並べてみると、どうも参加者は泣いたり怒ったりの大騒ぎをしたり、裏で他人の悪口を言ったりばかりしてるようです。それがイギリス人の代表的な行動と言うわけじゃないですが、日本人より感情表現が豊かなのは確かです。ところで、参加者の中に二人ウェールズ人がいて、時々二人でウェールズ語で会話します。全然違う言語の中に「backstabbing」とか「arse licking」とか言う英単語が借用語として入るのがおかしい。相当する単語がないってことは、ウェールズ人は陰口叩いたりしないのかしら。
Jul 21, 2006
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暑い。とにかく暑い。連日30度を超えるイギリスらしからぬ晴天が続く中、昨日は7月の暑さとしては史上最高の36.5度が(それも私の住む町の隣町で)観測されたと言う。真夏の日本では、それくらいの暑さは日常茶飯事かもしれない。でも、これがイギリスでは大変なことになる。暑さへの対策がなされていないので、どこへ行っても暑いし、予想外の問題がおきたりする。一般家庭はもちろん、車にも電車にも冷房がないし、地下鉄内は40度近くに。学校は午後から休校、BBCは(32度までしか用意してなかった)天気予報の表示を作り直すことになるし、各地では道路が溶け出した。とにかく、暑いだけでなく、暑さが余計な問題まで作り出すのだ。私の住む二階部分のフラットも例外ではなく、昨日は起きてから寝るまで一日中30度を下回ることがなかった。猫の出入り口みたいなフラップ式の窓は全開に出来ないので全然風を通さないし、そのくせ虫ばかり入ってくる。去年作った手製の網戸も窓の一つにはまだ健在だけど、今年は異常気象のせいか超小型の蛾が大量発生し、いい加減な網戸の隙間をぬって入り込んでくる。去年の網戸に引き続き今年日本から買ってきた虫取り網で、家の中での虫取り合戦となる。蚊が多くないのがせめてもの救いだけど、それでも今年はイギリスでも蚊が出ている。このまま暑い夏が続くと、蚊の大量発生が起きるかも、と言う恐ろしい話を聞いた。それでもイギリス人は暑いのが大好き。普段日の光に飢えているからか、ここぞとばかりに日光浴しようとする。うちの下の階に住む初老のおばさんはちょっと天気がよくなると必ず庭にサンベッドを出してビキニで横になる。(見たくないのに、とか言ってはいけない。)上半身裸になって町を歩く若者の姿も良く見かける。とにかく「焼きたい」のだ。でもそれはそれで弊害があり、日光浴や日焼けサロンによる皮膚癌の件数が増えていると言う。どうやら皮膚癌は長期間に渡る少しずつの日焼けよりも、短期間での集中的な日焼けによって起きやすいという。もともと日光の足りないイギリスでは、ちょっと日が出ると皆こぞって焼きに出る。一番危ない行動だということになる。10年前のイギリスでは日焼け用ローションの方をよく目にしたものだったが、最近では(ようやく)日焼け止めを使うように呼びかけが始まり、外に出る前には赤ちゃんや子供にも必ず塗りましょう、なんていうCMを目にする。私が子供の頃なんかは日焼け止めなんて概念はなく、夏になるたびに真っ黒に日焼けしていたものだけど、でもきっと白人はアジア人よりもよっぽどリスクが高いんだろう。そうして考えると、日焼け止めを塗って肌を守りながら、それでも太陽の下に出て日光浴する姿と言うのは、どうも気持ちと行動が矛盾しているようでおかしい。どうしてそんなにまでして日の光を浴びたがるんだろう。私だったら冷房の効いた部屋で快適に過ごすほうが何倍もいいなぁ。
Jul 20, 2006
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ずいぶんとご無沙汰してしまいました。その間日本に帰ったり、修論がいよいよ大変になってきたり、いろいろありました。仕事用のブログやMIXIのほうに精を出しているせいでもありますが・・・またぼちぼち再開していきたいと思いますが、なにしろ忙しいので、ゆるゆるとやって行きたいと思います。とりいそぎ、ご挨拶まで。
Jul 11, 2006
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ワールドカップ開催が近づくにつれ、辺りでは家の窓、車、パブの外、などのあちこちに白と赤のイングランドの国旗がはためいている。 St. George's Crossと呼ばれるこのイングランドの国旗、日本から遊びに来ていた友人がスイスの旗と間違えたくらい、日本人にはなじみのないものかもしれない。やはり日本ではイギリスの国旗と言えばユニオンジャックが有名。特に「イギリス」と言うあいまいな名称でこの国を呼んでいるのだから、イングランドとブリテンの違いがはっきりしなくても仕方がない気がする。日本から来る手紙のあて先にはEnglandと書かれる事も少なくない。BritainもしくはUK(正式にはUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)というのがEngland、Scotland、Wales、Northern Irelandという四つの地方を統合した正式な国名であって、Englandは一地方の名称に過ぎない。だから正式な国籍名もBritishとなる。でも逆にスコットランドやウェールズに行くと自分たちがBritishだという意識は薄く、必ず自分たちはScotishやWelshだと言う。侵略者側だからなのかたいがいイングランド人はそう言った意識に欠けていて、みんなブリティッシュだしそれでいいじゃないか、と言う感じ。でもスコットランドには独自の通貨があるし、ウェールズではいまだにウェールズ語が話されている。彼らの意識化ではいまだ別々な国なのだろうし、各国のアイデンティティを守ろうと必死のようだ。話を戻すと、そんなわけでこのUnited Kingdom of Great Britain and Northern Irelandという王国を代表するのがユニオンジャック。その成り立ちも三つの旗を合わせたもの、ということになる。なぜかウェールズは独自の旗を守り、ユニオンジャックには取り入れられていない。 ユニオンジャックの成り立ち(Wikipediaより)とウェールズの国旗 イギリス人は場合によってこの国旗を使い分けているように見える。例えば女王の誕生日にはユニオンジャックが振られるし、スポーツなどのチームとして「イングランド」を応援するときはイングランドの旗、St George's Crossが振られる。私はスポーツのことは詳しく知らないが、大会の趣旨や競技よってイングランドやスコットランドが別々な国として参加したり、国の代表として一チームだけが出ることもあるようだ。ワールドカップにスコットランドが個別に参加すると言う話は聞かないが、どうしてかワールドカップの応援にはイングランドの旗が主流。ユニオンジャックを振る人の姿は見えない。でもちょっと調べてみたところ、40年も前にイギリスがワールドカップで優勝したときは、イングランドの旗ではなくユニオンジャックが振られていた。どうやら、国と言う単位ではなく敢えて「イングランド」を象徴するSt.George's Crossは、ナショナリストと呼ばれる極右の象徴とされることが多いため、長い間敬遠されてきたらしい。イングランド人はユニオンジャックを自分たちの旗として飾ってきた。なぜここ10数年で突然「イングランド」地方としての愛国心が高まったのかは不明だが、ユニオンジャックはSt.George's Crossに取って代わられた。それが、ここのところ物議をかもし出している。どうやら、この「イングランド」のみを象徴する旗は、UK内の他の地方にとってはかなり感じの悪いものらしい。遠い昔とは言え、その旗をかざした侵略軍に占領されて今の国の状態があると思うと、気持ちも分からなくはない。テスコという大型スーパーが(おそらくイングランド人以外の客に悪印象を与えるのを恐れて)商品配達をするドライバーがトラックにイングランドの旗をつけるのを禁止した。警察が暴動を恐れてウェールズではイングランドの旗をかざさないようにと注意したり、旗を飾るのを自粛するように求めたりする中、ブレア首相はイングランドの旗をサポートすると言ったりする。たかが旗なのに、なにをそんなに大騒ぎしているんだろうと不思議に思うが、きっとこの国の人たちにとっては自分たちのアイデンティティの関わる一大事なのだろう。最近は日本人も日の丸をかざして応援したりする姿が見られるが、そこに国民としてのアイデンティティを見出しているかと言われると、イギリス人ほどではない気がする。私は個人的にはとても日の丸を掲げる気にはなれない。ダンナの働くオフィスでも部屋中にイングランドを応援する国旗や風船が飾られているそうだ。そんな中、唯一の日本人である夫を気遣って、同僚の一人がボール紙に手書きで日本の旗を描き、オフィスに飾ってくれたそうだ。うれしい心遣いだけど、残念ながらダンナも私もフットボールにも国旗にも一切興味はないなぁ。
Jun 8, 2006
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そんな言葉遊びを子供の頃していたことがある。「ピザ、ピザ、ピザ、ピザ・・・」「ここは何?」「ひざ!」いや、それは「ひじ」でしょう。同じように、「いっぱい」って10回言って。「いっぱい、いっぱい、いっぱい、いっぱい・・・」「いをおに変えてみて。」「おっぱい」でも、本当は「おっぱお」。なんでそんなことを思い出したかと言うと、今年も恒例のBIG BROTHER(一般人十数人を24時間ビデオ監視付のハウスに閉じ込めて観察する番組)を見ていたら、参加者のイギリス人が同じような遊びをしていたから。「SILKって10回言って。」「SILK, SILK, SILK, SILK・・・」「牛が飲むのは何?」「MILK!」いや、牛は水を飲みます。英語にもあるんですね~。なんか、感心してしまいました。
May 25, 2006
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最近ようやく暖かくなり始めたイギリス。ふと気づくと、窓際にほっておいたバジルにちいさな白い花が!去年もバジルを育てていたけど、花は咲かなかった。どんな条件が揃ったら花が咲くんだろう。ハーブとして食べるにはまだひよわな感じの残るうちのバジル。日照時間が長くなる夏を待って、葉もつまずにずーっとほったらかしだった。食用のハーブを育てていると考えたら花を咲かせることはメリットにはならないかもしれないけど、あんまりかわいいんで摘み取れないでいる。もう少し咲かせておいてあげよう。
May 19, 2006
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BBCのヒットシリーズ「Apprentice」がようやく終わった。毎週見たくないのに結局最後まで見てしまう、そんな番組だった。番組の趣旨は、マルチミリオネアのSir Alan Sugarというボスの元で働くポジションをめぐって若者10人が争う姿を見るドキュメンタリー。毎週2グループに分かれてあるタスクに取り掛かり、より成功したチームは全員が勝ち。負けたチームから一人が毎週クビを言い渡される。タスクの種類はいろいろだけど、いつもより多く稼いだ方が勝ち。中古の車を売ったり、不動産物件を賃貸したり、豪華客船上でのイベントを企画販売したりする。参加者は皆大金持ちにあこがれるだけあって、経歴的にはセールスやマネージメントで成功してきた人物が多く、誰もが「私が一番」と言い切るだけの自信を持っている。番組の醍醐味は、やはりそういうエゴのぶつかり合いにある。誰もが自分がデキると信じてるので、相手の意見を聞かない。チームが勝てばクビの危険はないのでチームワークが大事なのに、誰もが自分の能力を見せたくて仕方がない。毎週一人プロジェクトマネージャーを決めるのに、他の人は言うことを聞かなかったり、でしゃばって役割が入れ替わったりする。この番組を見ていていつもイライラさせられるのが、そういった「人の話を聞かない」態度。イギリス人にはとても多い。相手の言うことにかぶせたり、全く関係のない反論をしたり、要するに「聞く気がない」。そしてとてもデキるはずの人たちが、醜く言い争い、簡単にけんかになる。この国にいると自分の立場を正当化する、ということの大切さを実感させられることは多い。しゃべれないと、負けなのだ。でも正当化するあまり、自分の非を認めない、認めたら負け、というような間違った意識があるように見える。誰だって間違えるし、失敗もする。他の人の意見の方が正しいこともあるし、それを認めることで向上できることも多いはず。でも、その「失敗」とか「間違い」を認めることがまるで自分の一切を否定することかのようにかたくなに嫌がる。タスクに失敗してSir Alanに間違いを指摘されても「もう一度同じタスクを与えられたって自分は同じことをする。私の判断は間違っていない。」と簡単に言い切ってしまう姿は何度も目にした。そしていつも、失敗した理由は他人にあるのだ。クビを逃れようとSir Alanの目の前で失敗の責任のなすりあいをする姿などはとても醜かった。教育の違いなのか、道徳観、理念の違いなのか、とにかくイギリス人は自信過剰でエゴイスティックな人が多い。大学を出て3年しか働いてないような若者が恥ずかしげもなく「私のような素晴らしいセールスマンは他にいない」と豪語する。自分を売り込む文句が次から次へと出てくる。(聞いていてあきれてしまうくらい自惚れていることが多い。)失敗しても必ず「自分は正しいことをした」という姿勢なので、失敗から学ばない。反省が一切ない。反省するということを「負け」を認めることのように考えているのだろうか。とにかく、絶対一緒には働きたくないような人ばかり目に付く番組だった。見るたびにいつもイライラした。でもSir Alanも見る目があるのか、そういう口先だけのbullshitterはどんどんクビを言い渡されていった。結局Apprenticeに選ばれたのは高校教育もまともに受けていないブロンドの若い女性で、スーパーのレジ打ちから始め年収2000万円まで自分ひとりで身を立てたという驚くような経歴の持ち主。シリーズを通して一番目立たないキャラの一人だったが、(もちろんタスクの成功もあるけれど)性格的にも温厚でエゴも低いところが買われたのかもしれない。母子家庭の長女で兄弟と母親を養っている、という裏話も涙を誘ったのかもしれない。一番むかつくようなタイプが選ばれなくて良かったと思うけど、イギリスの社会にはああいうタイプが蔓延している。人の話を聞ける人が極端に少ないのだ。「You are the best!」といって子供を育てる親の姿はよく目にするけれども、謙虚さを教えないのも考えものだなぁ、と思う。それともそんな考えはアジア人特有だろうか?そんな考えじゃこの世界では生きていけないのかな。
May 12, 2006
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いきなり汚い言葉でごめんなさい~。ちょっと不思議に思ったもので。両方とも英語でよく使われるswear words(汚いスラングのような言葉)ですが、微妙に意味が違うんですねぇ。Shit!というのは何か失敗したり、痛い思いをしたり、間違ったときなんかによく言いますよね。「しまった!」というのをもうちょっと汚くしたかんじでしょうか。北の人はシャイッと言ったりもしますね。ほとんどいつも名詞として使われますが、イギリス人はShittyという形容詞にして使ったりもします。Shitty jobなんていうとどうしようもなく酷い仕事な感じがします。 I don't give a shit.というフレーズになると、「そんなことどうでもいい」といった感じの投げやりな意味になります。普段は「shit!」とは言わない私もなぜかこのフレーズになると使ってしまいます。それはさておき、最近不思議に思ったのはBullshitという単語のほう。意味を考えてしまうと牛のshitということで、なんだかグレードアップ(?)しただけのような感じですが、実は違うんです。こちらも名詞として感嘆詞のように使ったりもしますが、まずほとんど「しまった!」と言う意味にはなりません。どっちかというと、他人の言ったことに対して「そんなばかな!」とか「ありえない」いう疑いの気持ちを表す気がします。そして大抵は不快な感情がこもってます。「今日は地下鉄がストで動いてないらしいよ」「Bullshit!」という状況は想像できます。That's bullshit.と言うこともあります。それよりも面白いのが、動詞として使う場合。たぶん疑いの気持ちを表す意味合いが強まって、「信用の置けない(適当な)ことを言う」と言うような不思議な意味になります。He's just bullshitting.なんていうと、「あいつは口からでまかせを言ってるだけだ」なんていう意味になります。それがさらに名詞化して、bullshitterなんていう派生をしたりもします。でまかせばかり言う人なんでしょう。ぺらぺらと口先で調子のいいことばっかり言う人(イギリス人には多い)のことも言います。He's just shitting.ではそんな意味にはなりません。言葉どおりの意味になってしまうでしょう。なんだか汚い話ばかりのようで恐縮ですが、英語には色々swear wordsがあって面白いです。よく「日本語にはないの?」と聞かれますが、とても英語のののしり言葉に張り合えるようなものは見つかりません。そしてテレビなんかでも平気で使いますね。番組の冒頭で「strong language」を警告することはありますが、誰もそれほど気にしてるようには見えません。あ、でもBBCの「家族向け」番組では絶対に汚い言葉を避けるものがあって、逆に面白い。イーストエンダーズというドラマでは(ロンドンの下町と言うラフな設定なのに)誰もののしりません。でも、I don't give a shitと言う代わりにI don't give a monkeyと言ったりして、なんとなくののしってるような印象を与えたりもします。一般的なものを避けて、代わりに勝手に新しいののしり言葉を作ってはやらせた番組もありました。英語ではswear wordsも言葉の一部、言葉遊びの一種のようなものじゃないかと思うこともあります。なんとなく後ろめたい気持ちがありながらも、いらいらしたり怒ったりしたら使うことでなんとなく気持ちがすっきりするような。余談ですが、言語学でシラブルと言う単位を探すときはネイティブに「この単語にfXXkingを入れれるとしたらどこに入れるか」と聞くことで単語の音の切れ目を探すのが常套手段です。absolutely が abso-fXXking_lutely になるので、シラブルの切れ目が分かる。真面目な言語学の授業中にこの方法を持ち出すときは、先生も生徒も笑わずにはいられません。
May 9, 2006
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英語には二種類の間違いがある。例えば、He don't.と言うようなのが一つ。三単現なのだから、He doesn'tのはずなのに、 don'tを使ってしまう。それに対して、もう一つはThey doesn'tという類のもの。複数形なのに、 doesn'tを使うのは間違い。どうしてこれを二種類と呼ぶかというと、片方は「自然な」間違い、もう片方はそうじゃないから。例えば英語の文法ルールを覚えるとき、I do, You do, He does, They doと、ひとつずつ覚える人は少ないはず。普通は「三人称現在単数だけはdoes。それ以外はいつも do。」と覚えるものだ。その方が脳の容量を使わないで済む。それはネイティブも同様で、不規則変化をするものだけを特別に「勉強して」記憶する。だからHe do、You was、 I writed、 It's the baddestなんていう間違った文法は、ネイティブの子供や(一般に教養がないといわれる)大人も使う。これは本当の意味での間違いではないともいえる。ネイティブが使うのだし、使っても意味が通るから。「教養がない」とか「階級が低い」という印象を与えるかもしれないが、それは社会的、政治的な力が加えるもので、言語そのものの質には関係ない。一昔前に、ある一定の教養を持ったイギリス人達が「自分たちがしゃべっているのが正しい英語」だと決め付けて他を「間違い」としただけで、他のイギリス人はずっと何百年もYou wasと言い続けてきたのかもしれないのだから。そういう人達は大抵「私たちはまともな英語をしゃべらない」と卑下したりするが、それも大きな間違い。母国語をしゃべっている限り、それは「間違い」とは呼べない。色んなバリエーションがあるというだけの話だ。日本でしつこいくらい「間違い」だと教えられてきた文法をネイティブが普通に使っているのだから、誰でも最初は驚くだろう。それに対して、外国人しかしない間違いというのがある。They doesn'tというような自然な方向に逆らった間違いだったり、母国語の文法をそのまま適応したことによっておきる間違いなど。日本語の文法を英語に当てはめて I this like.といったらそれはやっぱり間違いだ。三人称現在単数のsを付け忘れてもいいが、SVOの順番を変えちゃいけない。こういう間違いはもっと英語の基本に関わるので、間違うと通じない、誤解を与える、と言う恐れがある。日本で英語を勉強するときは、やたら不規則変化とか三単現のsとかそんなことばかりに気をとられて、「英語」をしゃべることを忘れている気がする。そんな表層的な間違いとも呼べない間違いより、英語の根幹にある仕組み、考え方を教えるべきだ。不規則変化する動詞をリストして覚えさせる前に、簡単に意思疎通できる英語文の作り方でも教えるべきだ。実際ネイティブを目の前にして話す環境におかれたら、誰も三単現のsなんか気にしていられない。間違ったって誰も気づかないし、気づいたって意味は通じるのだから。最近間違いを恐れて英語を話せない日本人がやたら目に付くので、そんなことを考えていた。
May 5, 2006
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先週末は連休だったので、友人の家で寿司パーティをした。何度もお邪魔してご馳走になってばかりで、こちらでおもてなしをしたことがなかったので、こちらから提案した。でもうちのフラットは狭いし、向こうの家にはお嬢さんやペットの犬猫がたくさんいるし、と言うわけで材料を持ち込んでの寿司パーティに。友人のフランス人の夫婦は前々から寿司好きを自称していたので、手巻き寿司をすることにした。でも、前にも寿司好きだというイギリス人を寿司屋に連れて行ったら、店に着いてから「生魚はちょっと…」と言われて驚いたことがある。どうやらこちらの人にとっての「寿司」は必ずしも生魚ではないようだ。アボカド、スモークサーモン、きゅうり、卵なんかが乗った寿司セットはスーパーでも良く売っているので、それを寿司だと思う人も多いのかもしれない。「寿司が好き」だと言っても生のマグロは食べられなかったりするのだ。そんな経験があったので、今回は事前に希望を聞いてみた。すると案の定、奥さんとお嬢さんは野菜中心で、という希望。午前中にロンドンの日本食品屋に行き魚類を調達。中トロ、サーモン、しめ鯖、甘エビ、カツオ、ねぎトロが手に入り、満足。寿司飯を作り、アボカドやきゅうり、練梅、シーチキン等の生魚以外のネタも用意して、いざ友人宅へ。ネタを一つ一つ説明し、寿司の作り方を教えた。カツオのたたきが手に入ったので買っていったけど、英語名がわからなかった。紫蘇は「バジルのようなもの」と説明してみる。ガリのことは知っていた。意外にも、友人夫婦は生魚が気に入ったようだった。全種類の魚を試し、自分たちなりに工夫していろいろ組み合わせている。日本人としては「いや、それはちょっと…」と言いたくなるようなコンビネーションの寿司が出来上がる。手の上では巻けないらしく、ナプキンの上にのりを置き、その上にご飯を置き、何種類もの魚を入れ、楊枝でわさびを丁寧に伸ばして巻き、下を折って袋状にする。「丁寧にわさびをスプレッドするのがコツなんだ!」と楽しそうに言っていた。気に入っていたのは「のり+ご飯+マグロ+ガリ+練梅」という不思議な寿司。ガリまで巻いてしまうのだからすごい。紫蘇も気に入っていた。最初はNettleというトゲのある雑草に似ているので躊躇していたようだけど、スパイスとして気に入ったようだ。やはりそこはフランス人、手巻き寿司までも料理にしてしまう勢いがある。何よりも、何にでも手を出す好奇心に感心した。そして、カツオのたたきとしめ鯖は寿司にしないでそのまま食べた方が美味しいという結論に達したようだった。それは私も同感。ちゃんと味が分かってるんだなぁ、この人たちは。イギリス人ではこうはいかないかもしれない。舌の発達程度が違うのかも、と思ったりする。後日、とても楽しかったとお礼のメールをもらった。奥さんは友達に会うたびに寿司パーティの話をするという。こちらでの手巻き寿司パーティは初めての試みだったけど、どうやら大成功だったようだ。日本文化を知ってもらうという意味もあるし、お寿司の本当の美味しさをわかってもらうのも大切。でも、相手が異文化や食文化に対して興味や好奇心を持って初めてできることだと実感する。その点イギリス人は保守的で、外国に行ってもイギリス料理(そんなものがあるなら!)ばかり食べたがるのだから仕方がない。食べ物に関する貪欲さ、という点ではやっぱりフランス人はかなり上を行ってるのかもしれない。日本人の彼氏がいるというお嬢さんは魚には一切手を出さなかったけど、まだ10代なのだから仕方ないかも。でもなぜか、彼女は学校で「スシ」というあだ名で呼ばれているそうだ。
May 3, 2006
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今日はクイーンの誕生日。80歳になるそうだ。今年で女王になって53年。ビクトリア女王の持つ64年の記録に続く。80歳には見えない女王の姿をテレビで見るにつけ、それも不可能でもなく思えてくる。数年前に亡くなった女王の母親(Queen Mumと呼ばれていた)が101歳の長生きだったから、きっと長寿の家系なんだろう。クイーンエリザベスの話を聞くにつけ、面白いと思うのが女王になったいきさつ。王位継承の順位的には三番目として生まれ、女王になるなんて誰も予想しなかったと言う。クイーンの父親はキングジョージ5世の次男だったので、長男であるエドワードVIIIとその家系が王位を継ぐのが筋だった。エリザベスに順番が回ってくる予定ではなかったはず。ところが、実際に一度は王位を継いだエドワードVIIIは、一年足らずで王位を放棄してしまう。しかもその理由が、浮気相手だった既婚のアメリカ人女性との結婚を希望したから。(なんだかどこかで聞いたような話だ。)相手のアメリカ人女性は過去にも一度離婚暦があった。当時の夫との離婚が成立し、再婚が可能になったら結婚したいと言うエドワードの意向は、教会や政府から非難を浴びた。結局、エドワードはその女性との結婚を希望して王位を降りてしまう。突然、エドワードの弟だったジョージ、つまり今の女王の父親に王位継承権が渡ったというわけ。その時点で、ジョージの長女だったエリザベスは後に女王になることが決まったようなものだ。父親の死亡に伴って、1952年、25歳の若さでクイーンの座に着き、今に至る。エリザベス一世やビクトリア女王など、イギリスは女王の統治下で栄えてきたと言う。この国の、どうも男性が弱いイメージはそこから来るのかもしれない。それにしても、この恋人のために王位を放棄したエドワードの話、どうにもクイーンの長男、チャールズと印象がダブる。ダイアナという美しい妻がありながら、カミラとの浮気がやめられなかったチャールズ。そして長年の思いを通してとうとう結婚してしまった。王族には、どうも情熱的な恋愛をする血が流れているのかもしれない。チャールズが王位を放棄すべき、という意見も多い。カミラも離婚歴があるし、チャールズ自身もダイアナと離婚した。(王位にとってはどうやら離婚暦のある相手を持つことの方が重大なようだけど)エドワードのように王位を退くのが筋だと思う気持ちも分からないでもない。そして、国民はダイアナの面影を強く残すウイリアムが王になる姿をいち早く見たいのだろう。でも、チャールズが王位を放棄したら、実はウイリアムじゃなくてチャールズの兄弟の誰かが王位を継ぐのが筋じゃないだろうか。そうしたらウイリアムには順番が回ってこないかもしれない。でも、チャールズの兄弟3人のうち二人は同様に離婚歴がある。なんだかどこを見ても問題だらけのようなイギリスの王族。誰を見ても今の女王のようなカリスマを持った人物はいないようだ。女王が80歳にして自分から隠居することを選べないのは、そのせいなのかも知れない。
Apr 21, 2006
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ある日の授業中、ギリシャ人のクラスメイトがアフリカのある言語のデータを渡されて口にした台詞。「It's all Greek to me!」いや、それはそうかもしれないけど、でもあなたはギリシャ人でしょう。と、思わず突っ込みたくなった。クラス中の人が笑ってしまった。英語ではこんな風に外国の国名を使った言い回しが結構ある。因みに「It's all Greek to me!」というと、「まったく訳分からない!」と言う感じだろうか。イギリス人にとって(アルファベットも違うような)ギリシャ語ほど訳の分からないものはないのかも知れない。これよりもよく耳にするのがオランダ関係の言い回し。Go Dutch (ワリカンにすること)Dutch Date (ワリカンのデート)Dutch courage (酒の勢いでつく勇気)Dutch bargain (酒を飲みながらする契約)と、ちょっと考えただけで色々ある。どうも、オランダ人はお金に厳しい酒飲み、という印象があるようだ。こんな悪い意味の言い回しばかりなのは、植民地戦争でイギリスがオランダとライバル関係にあったことが理由だとか言われているけれど、本当のところは不明。でも、(世界一英語が上手と言われている)オランダ人がこういう言い回しによって悪い印象づけをされる嫌って、公共の場ではできる限りDutchと言う名称を使わないようにしたとか言う話もある。代わりにHollandとかNetherlandとか言うことが多いとか。そのほか、随分昔に授業で聞いたことがあるのは、トルコを意味するTurkey。ターキーと言えば七面鳥のことだけど、それは実際七面鳥がトルコから来たからではなくて、「どこか分からないはるか彼方から来た鳥」と言う意味でターキーなのだとか。(いつかわからないが)七面鳥がイギリスに輸入された当時、想像できる遠い国と言えばトルコだったのかもしれない。あまり関係ないが、こちらでは日本を含むアジア地域のことをFar Eastと呼ぶことが多い。「はるか東方」ということだろうか。なんだかとても相対的でおかしい。アメリカ人もFar Eastというんだろうか。アメリカから見たら東じゃないだろうけど。アジアというとイギリス人にとってはもっと近いアジア、すなわちトルコからインドくらいまでを指す。日本人が人種を聞かれてAsianと答えるのは間違っているらしい。でもなんて答えたらいいのか分からない。国勢調査なんかでは「その他」を選ぶしかなかった。中国人はちゃんとChineseという独自の枠組みがあるのに。中国人とあわせてオリエンタルと呼ばれることもあるようだけど。イギリスはやはり島国で、他国に対する意識、知識等はかなり低いと感じたりもする。なんか「遠いどこかにそんな国がある」くらいにしか思ってないんだろうな~。
Apr 20, 2006
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意外に知られていないけれど、英語には二種類のLの音がある。一つはClear L、もう一つはDark Lと呼ばれている。London, Milk, Wall, Kill, Killer...など、口にしてみると分かるかもしれないが、ルールは簡単。シラブルの頭ならClear L、シラブルのおしりならDark L。LondonはClear Lで始まるし、WallはDark Lで終わる。Clear Lは日本語のラリルレロにも近い(発音方は違うけど)それこそ「クリアな」音がするのに対して、Dark Lは口の奥のほうで出る「ダークな」音。むしろウに近く聞こえるかもしれない。舌先が上につくかつかないかの違いだ。もともと舌先を口の上の方につけて、でも下の両側を空けてそこから息を漏らすという、Lの発音方はなんだかややこしい。これがDark Lになって舌先もつけづに下の両脇から息を漏らすなんてことになると、口の中が引きつってしまう。最初にイギリスに留学したとき、どうしてもWallという発音が出来なくて苦労したことがあった。今でもDark Lの発音は苦手だと思う。そんな日本人に朗報。ロンドンの下町、コックニー訛りではこのDark Lの発音をしないことが多い。語尾のLをウに近いWの音で置き換えてしまうのだ。つまり、Milkはミゥク、Wallはウォーゥとなる。これならLの発音よりもよっぽど簡単。私も昔この音でLを代用していて、「まるでロンドン訛りみたいね」と言われたりした。いいのか悪いのか分からないが、通じないよりはマシ。でも、最近気づいたことがある。本当のコックニー訛りはLをWで代用するだけじゃなく、そのWの前に来る母音の発音まで変わってしまう。Wにつられて母音まで変化してしまうのだ。例えばTellがテゥとなるように、Girlはガーゥになるかと思うとそうじゃない。なぜかガーゥがゲゥとなって、TellがGirlと韻を踏むことになる。 同様に、Paulもpullもpollみんなポゥとなって同音異義語になってしまう。きっともともとの長音や二重母音にさらにWがつくと三重母音(?)となってしまい、発音するのが大変になる。だから短くしてしまえ、ということらしい。さらにやっかいなことに、英語では変化形のシラブル構造が元の語と変わってしまうことが多い。KillのLはシラブル末なのでダークだけど、Killerになるとシラブルの頭になるのでクリア。Girlの終わりはダークだから発音はゲゥだけど、GirlyになるとLはシラブルの頭。母音までガーリーに戻る。なんだか前よりもややこしい。LをWで代用するだけでは立派なロンドン訛りはマスターできないんだなぁ、と奥の深さを感じている。
Apr 12, 2006
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最近イギリス南西部は水不足が深刻で、一部ではとうとうホース使用禁止令のようなものが出された。スプリンクラーで庭の草花に水をやったり、ホースで洗車をしてはいけないらしい。イギリスに来て以来ずっと、ここの人たちがやたら節水に細かいことは気づいていた。お風呂なんて週一回入ればいい、皿を洗う時は桶にためた水でいっぺんに洗うだけですすぎもしない。イギリスにいながら毎日バスタブにお湯をためてお風呂に入り、水を流しながら皿洗いをする私はなんだかちょっと申し訳ないような気もしていたが、いまいちピンと来ていなかった。だいたいイギリスはいつも雨がちでじめじめしている印象がある。今年の冬だっていつもと同じようにじめじめと雨が降っていた。どうして水不足になんかなるんだろう?不思議なのでちょっと調べてみた。まず、イギリスの平均降水量とこの数年の降水量の違い。青が例年。黄色がこの数年。 この二年、イギリス南西部の降水量は期待値の68%にしか至っていないという。やっぱり雨は降っていないらしい。それに、日本と比べるとこんなに少なかった。青がイギリス。灰色が日本。 イギリスが各月例年でも50mm程度、この数年は20mmとか40mmとか言ってるのに、日本はほぼ毎月100mmを超える降水量がある。これじゃぁ、水が足りなくても仕方がない。今まで気づかなかったけど、日本って水に恵まれた国なのかもしれない。イメージとしては日本はいつも晴れていてからっとしている気がするけど、梅雨があったり台風があったり大雨が降ったりする。こちらの雨はそれに比べると霧雨のような弱弱しい感じで、降ったりやんだりしながらなんとなくじめじめが続く、と言うことが多い。でも、実際の降水量はそれほど多くないのかもしれない。これでは本当に、日本の水感覚を持ち込む訳にも行かないのかもしれない。と、ちょっと反省してみたりした。
Apr 3, 2006
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今日、日本への帰国便のチケットを購入した。年末は帰れそうにないし、修論のデータ集めもしないといけないし、今年中に一回帰っておいたほうがいいとは思っていた。まだ先のことだからいいだろう、とほっていたら、昨日メルマガ登録してある某旅行会社からお知らせメールが。なんと、Virginの里帰り直行便が350ポンドと言う。直行便はどんなに安くても500ポンド近くはするのが普通。経由便だって350では買えない。どうせ買おうと思ってたし、これを機会に早速購入。不思議なのが、このバーゲン、お知らせがきたのが昨日。発売締め切りが今日。要するに、二日限りの特別価格ということになる。HPにも載っていなければ、一般広告も無い。そういえば、二年前の秋に日本に帰ったときも同じようなセールでチケットを購入した。そのときはBAの直行便で250ポンド。やはり一日限りの特別価格だった。おまけにその時は、送られてきたチケットを見ると940ポンドと書いてあり、そのためかチェックイン時にただで2ランクもグレードアップしてくれた。乗り込むとシャンペンのサービスがあり、シェル型の寝心地のいい座席にUBONの食事。250ポンドしか払っていないのに申し訳ない気すらした。どんなカラクリがあるのかわからないが、きっとある期日までにどうしても売ってしまいたいチケットがあって、格安でさばいてしまうんだろう。今日は3月31日。航空券の出発日期限が9月30日。ちょうど半年後ということになる。この先半年の予約席の数とか、販売数とか、なにか関係があるんだろうか。いずれにせよ、格安で予定の日にちも取れ、大満足。Virginは航空会社の中でもサービスがいいし、食事が美味しい。直行便は贅沢だから、普段はめったに乗れないけど。今回はランクアップとは行かないかもしれないが、久しぶりのVirginでの帰国はちょっとうれしい。メルマガ登録もしておくものだ。
Mar 31, 2006
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今週一杯で今学期が終わり、またながーいお休みに入る。そういえば、このブログを始めたきっかけも去年のこの時期、あまりに暇だったからだ。本当はたくさん論文があるので「暇」なはずはないんだけど。この一ヶ月の間に書く予定の論文の一本は、日本語の短縮形を扱う。短縮形って言うのは実は日本人が無意識に共有してる言語感覚が顕著に現れるので面白い。誰に教えられたわけでもないのに、いつの間にか「キムタク」とか「パソコン」とかいう言い方が定着する。日本語では二語の複合短縮の場合、最初の二文字ずつをとって四文字の短縮形を作るのは基本技。一語の短縮でも最初の4文字をとる場合が多い。「アスパラ」とか「ハイオク」なんていうのがそれ。でも、場合によって3文字になって、「パンフ」とか「セレブ」なんていったりもする。4文字の場合は平板アクセント、3文字では頭にアクセントがくることが多い。その裏にあるルールを探るのが目的。単に日本語の短縮形ルールを調べているようでいて、実は日本語の基本になる音韻構造が分かる可能性が高い。今回は特に、外来語の短縮形に的を絞ろうかと思っている。最近気になるのは「デスチャ」とか「ブラピ」なんていう、複合語(名前だけど)短縮なのに4文字にならないタイプ。なんで「デスチャイ」じゃダメなのか。実は、日本語で4文字と呼ぶサイズは、言語学的には「foot×2」という結構ユニバーサルな音を数える単位に置き換えられる。「フット」と言うのが日本語で言うところの2文字に当たるわけだが、英語を含む多くの言語ではこれが単語の最小単位。日本語では一文字の単語も多いけど、英語では「pi」とか「ta」とか言う語は許されない。短すぎるのだ。だから「pea」とか「tar」と伸びるか、「pin」とか「tap」とか、最後にもう一つ子音がつく。関係ないようでいて、日本語にもこの制約は結構働いている。酢を「お酢」といったり花子ちゃんを「ハちゃん」と言わず「ハナちゃん」と呼ぶのもそのためだ。ようするに、「foot×2」というのは言語的にはとても落ち着いた理想的な形だと言える。ちょっと話がそれたが、そんなことを考えるとデステニーズ・チャイルドがデスチャになるのはちょっと不自然だ。先生とそんな話をしていたとき、私の「デスチャ」と言う発音を聞いて先生が「何で最後にグロッタルストップをつけるんだ」と聞いてきた。グロッタルストップというのはのどの奥のほうで出す詰まったような音で、日本人なら語末の小さい「っ」を発音しようとすると出来るはず。「あっ!」と言ったときの「あ」の後に来る音の無い音。そんな音を出したつもりは無かったのに、先生の耳には聞こえたらしい。でも後で繰り返してみても、ダンナに言わせてみても、確かに「デスチャ」の後にはグロッタルがある。実は「デス」で1フット、「チャ+グロッタル」で1フットという「foot×2」の形を守ろうとしているんじゃないかと言うのが、主旨になる予定。でも、困っていることがある。私も日本を離れて7年になる。年末に日本に帰ったときにテレビで「デスチャ」なんて言葉を聞いて驚いたばかりで、他にどんな短縮形が巷にあふれているのか全然分からない。特にこの「3文字」の短縮形に限ると、ネットで探していても思うように見つからないのだ。だいたい口で言っている流行言葉や音が記述に現れるまでには少し時間がかかるものだ。日本の女子高生を捕まえて「どんな言葉がはやってるの~?」なんていう怪しいことでもしない限り、本当のデータが得られない。しかもここはイギリスだし。なにかデータを集めるいい方法がないものだろうか。
Mar 23, 2006
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言語学を学ぶにつけ、なかなかしっくりと身につかない考え方がある。それは、清音と濁音、つまり有声か無声かということが1か0かの対立ではないと言うこと。日本語も英語も含め、多くの言語では有声音と無声音(pとb、tとdとか)が対立する。伝統的な音韻学ではこの意味の対立を作り出す最小の単位を「音素」として、PETとBET、 BETとBEDが対立することの説明とした。有声か無声か、というのは声帯が振動するかどうかで決まる。のどに手をあててしゃべったときに、振動していれば有声音。いわゆるささやき声はすべてを無声音化した状態だと言える。これ自体は分かりやすい概念だと思う。英語でも日本語でもこの対立は耳に聞こえやすいし、身につきやすい。でも、実際の音声を周波数、波形などを取って調べてみると、実は人が「有声か無声か」を聞き分ける鍵にしているのは実際の声帯の振動ではないと言うことが明らかになってきた。そして今では有声という概念が思うほど明確に無声と対立するものではなく、もっと段階的にとらえるべきものだという説が主流となっている。どういうことかというと、例えばフランス語の濁音は、英語の濁音よりもっとずっと有声の度合いが強いと言う。そしてフランス語と英語を比べると、実はフランス語の清音が英語の濁音によっぽど近い。そんなふうに考えていくと、じつは何をして有声と呼ぶか、という概念そのものが怪しくなってくる。フランス人にとっての無声音が、イギリス人にとっての有声音だということになる。(そのときに本当に比べているのはVOTと呼ばれる子音から次の母音までのギャップの時間だと言われている。)それに加えて、有気、無気の違いもある。英語では普通、語頭の無声音は有気音となるし、有声音は無気音となる。P(h)etに対してBetと言う息の漏れかたの違いがあり、それがPとBの区別にも役立っている。そして、無気の無声音というのは限りなく有声音に近く聞こえる。だから有声無声ではなくて有気無気を対立させる韓国人は清音と濁音の区別が怪しくなる。結局、そういう色んな要素が合わさって「有声」「無声」という印象を与えている、と言った方が正しいようだ。なんだかややこしい話になってしまったが、普段当たり前だと思っていることが意外に当たり前じゃないんだなぁ、と最近気づかされたことの一つだった。
Mar 21, 2006
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今日は「The first day of spring」だとニュースで言っていました。すぐにはピンと来ませんでしたが、春分の日なんですね、イギリス流の。確かに「春の始まり」と言われればそういう意味にも取れる。あれ、でも春分の日って3月21日じゃなかったっけ。あ、時差があるから日にちも一日ずれてるのね。そんな発見をした今日でした。ちなみに、「春の始まり」とは名ばかり。まだまださむ~い日が続くイギリスです。
Mar 20, 2006
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深夜にBBCで日本語の言語+文化を教える番組をやっていました。どう見ても80年代終わりごろの服装にヘアスタイルの日本人が、マイクを向けられてぎこちなく「私は銀座で働いています。」なんて言ったかと思うと、今度は受験戦争の話、そうかとおもうと漢字の成り立ちの話など、何でもありの番組でした。あれが今の日本だと思われるとちょっと困るなー、なんて思いながら見ていると、話はビジネスマンの礼儀、習慣に移りました。正しい名刺交換の仕方(私も知らない)、挨拶、お辞儀の仕方なんかの話の後、日本で働いている日本語も流暢に操る外国人が、日本人とビジネスをする際の注意点を説明してくれました。日本人ははっきりと物を言わないので、態度から相手の気持ちを汲まないといけないと言う話。その中で、「日本人にビジネスの話を持ちかけるときは、相手が乗り気かどうかこちらが察しないといけない。首を傾けて息を吸い込みながら歯で「シー」と言う音を出されたら、それはNOということだ」と。なるほど、考えてみたこともなかったけれど、やってみると確かに躊躇の気持ちを表している。口でNOとは言わないけど、「いやー、それはちょっと」的な感情が良く現れる気がする。こんな日本人と仕事するのは大変でしょうねぇ、なんて、ちょっと同情してしまいました。
Mar 14, 2006
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赤ちゃんは「言語中枢」なるものを持って生まれてきて、育つ環境によって何語でも習得できるように脳が設定されているという。考えてみれば当たり前の話だけど、それが本当にどういう意味なのか考えたことがなかった。昨日の授業でその証拠になるような話を聞いて、ちょっと面白かったのでご紹介。外国語を習得しようと思った事のある人だったら誰でも経験があるだろうが、大人の耳は母国語以外の言語の音を聞き分けるのが困難になる。日本人だったらLとR、BとVなんていう音が区別できなくて苦労した人も多いはず。そういう音の聞き分けが、なんと6ヶ月までの赤ちゃんは何の苦労もなくできるのだという。こんな実験がある。まず、赤ちゃんを母親のひざの上に置き、赤ちゃんから見て右側につまらないおもちゃ、左側に魅力的なおもちゃを置く。赤ちゃんが両方に興味を示したところで面白いおもちゃの方を隠してしまう。赤ちゃんは仕方なくつまらないおもちゃの方を向くことになるが、その間ずっと「BABABABABABABABA」という発音を聞かせ続ける。赤ちゃんにとってはつまらないおもちゃと「BABABABA」という音がリンクすることになる。それから突然音を「PAPAPAPA」に変え、その後すぐに左側の面白いおもちゃの方を見せる。それを何回か繰り返すと、赤ちゃんは「音がBABABAからPAPAPAに変わったら面白いおもちゃが現れる」という学習をし、「BABABABA...PAPA」と聞いた瞬間におもちゃが現れるより前におもちゃが出てくる左側の方を向くようになるらしい。ちょっとややこしいが、要するに赤ちゃんがBAとPAという音の対立を聞き分けて、それをヒントにおもちゃの出てくるほうを向く、と言うのが実験の概要。この方法で色んな音の区別を実験すると、実に赤ちゃんはおよそ世界中のどんな言語に見られる音の対立も容易に聞き分けるのだと言う。LとRはもちろんのこと、のどの奥のほうを使うアラブ語の難しい発音とか、何でも聞き分ける。ところが、この実験を生後3ヶ月、6ヶ月、12ヶ月の子供に対して行ったところ、生後12ヶ月になるとこの能力は消滅してしまうことが分かった。6ヶ月まではどんな音でも聞き分けていた赤ちゃんが、1歳になるとその能力を失い、今度は自分の母国語となるべき言語に存在する音の区別にしか反応しなくなる。こうして考えると、赤ちゃんは最初の六ヶ月で自分の母国語を見極め、その音韻構造を知り、関係のない音の区別は「必要のないもの」として区別しなくなるということになる。その取捨選択の過程が第一言語習得ということになる。とはいえ、いわゆるバイリンガルになるには、一般に12,3歳までにその国に渡ればよいとされている。小学校を卒業するまえに外国に来れば、子供は立派なバイリンガルになる。だとすると、その「失われた能力」は本当の意味で失われたわけじゃなくて、その後10年くらいは残っているということなのかもしれない。それを過ぎると、もう取り返しがつかない。生まれたばかりの頃にLもRも聞き分けることが出来たのかと思うと、なんだかちょっと悲しい。おまけとして、赤ちゃんはどんな音も聞き分けるだけでなく、どんな顔も見分ける能力があるらしい。「どんな顔」というのは、人間だけじゃなく猿のこと。赤ちゃんはやはり生後12ヶ月までの間は、人間だけでなく猿の顔の区別もできるのだとか。その能力が何に役に立つのか分からないが、でもきっと「どんな世界に生まれるのか分からないんだから何でも一つ一つ注意して見よう」ということなのかもしれない。人間が猿の顔を見分けられないのは、その必要がないからというだけなのかも。ここに来て、大学のときに文化人類学の先生が熱心に教えていた「エティック」と「エミック」の話を思い出した。世の中のすべてのものは連続体。それを分節するのが人間の能力で、その分節の仕方は文化によって異なるとか。虹の色を7色と見るか11色と見るかは文化によるけど、実際の虹の色の間には切れ目はないというのと同じ。そうして考えると、赤ちゃんが色んな音の対立を聞き分けている、と言うのは事実を捉えているわけではなく、実際赤ちゃんは世の中を、聞こえてくる音を分節していないだけなのかもしれない。「対立」と言う概念こそが、人間が成長する過程で身につけていくものなのかもしれない、なんて思った。
Mar 2, 2006
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最近「English Tea」と言う曲を作ったポールマッカートニーが、曲のインスピレーションとなった背景をこう説明していた。「外国のカフェやレストランに行くと、普通に"Could I have a cup of tea?"と言っても通じない。『どんな紅茶がいいですか?』なんて聞かれてしまう。最近分かったのは、『English Breakfast Tea』と言えば普通の紅茶が出てくる、ということ。」確かに考えてみると、イギリスの普通の家庭で飲むような紅茶には名前がない。スーパーの紅茶コーナーはとても大きいけど、大部分の紅茶はPGやTetleyと言ったメーカー名が大きく書かれた、要するにただの「紅茶」。箱が巨大なので大きく場所をとる。その横に申し訳なさそうにアールグレイとかダージリンとかアッサムなんていう、いわゆるポッシュなストレートティが小さな箱で並んでいる。そんなただの「紅茶」のティーバッグを巨大なマグカップにいれ、沸かしたての熱いお湯でこれでもかというくらい濃く(こげ茶色になる)入れて、これまたミルクをドボドボと惜しげなく入れる。そんな、なんかどろっとした濃い液体が、イギリスの普通の紅茶だ。日本人がイメージするような、ウェッジウッドのティーカップにフィンガーサンドイッチ、なんていうおしゃれなアフタヌーンティは幻想のようなもので、きっと一部の上流階級の人たち(と、観光客)しかしない。巨大なマグカップのミルクティにマクビティのビスケットをつけて食べる、なんていうおよそおしゃれから程遠いのがイギリスの紅茶の現実。それでもやっぱり紅茶はイギリス人に欠かせない。よくコメディなんかでも自嘲的に描かれるくらい、なにかというと「Cup of tea?」と言うのがイギリス人。誰かが来たときは勿論、誰かが怒ったり悲しんだりしたときも、気を落ち着けるためにはcup of tea。あんまりしょっちゅう言うので短縮されてCuppaと呼んだりもする。二時間おきにお茶の時間、と笑われたりもするが、現実は「手元の紅茶を欠かさない」ことのように見える。だから会社で仕事をしていても、常に誰かが紅茶を入れることになる。日本のように新入りが入れると言うような決まりはなく、思いついた誰かがみんなの分を入れる。自分用のマグを持っている人も多いので、辺りからマグカップを集めいっぺんに何杯も入れる。そして注文が多い。「ミルクと砂糖」「砂糖ちょっとだけ」「凄く濃くして」等々。間違わずにそれぞれのマグカップに入れて何回にも分けて運ぶ。それでも「なんか薄い」と文句を言われたりもする。とにかく、紅茶にうるさい人たち。「ミルクを先に入れるか紅茶を先に入れるか」なんていうイギリス人お得意のいつまでも答えの出ない議論もある。そして外国旅行から帰ってきても最初の一言は必ず、「これでようやくまともな紅茶にありつける!」でも良く考えると、そんな一般のイギリス人が飲んでいる「紅茶」は、カスのような安いものだ。香りもないし、独特の渋みがある。実は外人の方が上質の紅茶の葉っぱを使っているに違いない。たまにおしゃれなカフェなんかで飲むアールグレイとかダージリンなんていう「ポッシュな」紅茶は、スキッとした薫り高い上品な味がする。でも、わたしもイギリスに長く居過ぎた。日本に一時帰国したりすると、どうしてもこの「普通の」紅茶が飲みたくなる。日本の紅茶は薄くて、苦くて、なんのつもりかミルクの代わりにクリームが出てきたり(すごく合わない)して、とても飲めたもんじゃない。イギリスのティバッグを買っていっても水が違うせいで日本では同じ味が出ない。そしてイギリスに帰ってこの安いティバッグで入れた紅茶がやっぱり美味しいと思ってしまうのだ。PGのティバッグ(当たり前すぎるのかどこにも紅茶とも書いてない)とおまけでついてきたグルミットのマグ
Feb 27, 2006
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というのは、サウジアラビアから来た友人の話。彼女は同じ大学で言語学を勉強している。初めて自分の国から出てきたというのに英語が妙に達者で、頭も良い。境遇も似ているので(他の学生より歳上、既婚、子供なし)、結構仲良くしている。サウジアラビアと言う想像を超える世界の話はいつも面白い。でも、あまりにも常識を超えていて困ることもある。そしてそういう場合、大抵は宗教が絡んでいる。私が携帯を盗られた話をすると、自分の国では盗難はほぼ全くない、それは盗みがばれたら手が切られるからだと言う。だから自分の国はとても安全で、携帯なんてそのへんにおいておいても誰も盗ったりしない、と誇らしげだった。また、私が「昨日はちょっと飲みすぎちゃってねぇ」なんていうと、自分は一滴もアルコールを飲んだことがない、飲酒は違法だから、とか言われてしまう。自分が飲むことが違法なだけでなく、飲んでいる人と同席してもいけないらしい。「ワインを飲んで言語学を語りましょう」という会に参加できないと、悔しそうだった。彼女いわく「Bad Muslim」は酒も飲んだりするらしいが、見つかったら罰せられるのだそうだ。かわいそうにねぇ、と言うわけにも行かない。そして自分のClan(部族のようなものだろうか)の話をする。長老がいて、偉い人たちがいて、まだ幼いうちに自分の結婚相手を決めるのだそうだ。彼女の夫も遠い親戚で、ずっと許婚だったらしい。「他の人を好きになったらどうするの?」と聞くと、すごく小さい時からこの人と結婚する、と思って育つので、そういうことはないんだと言う。そして一番驚いたのが、女性が一人で国外に出ることが違法だ、ということ。夫や親、親戚の男性が引率しなければ、女が一人で飛行機に乗ってイギリスに来る、なんていうことはありえないそうだ。そんな訳で彼女も一年の院のために夫を伴ってロンドンにやってきたらしい。そんなもろもろの話が普通の会話のあちこちにちりばめられるので、時々困ってしまうこともある。彼女はそれでもイスラムの戒律に従わない私を批判したりはしないが、どういうつもりで話しているのか不思議になることもある。なによりも、彼女のような頭もよく理性的な女性が、どうして何の疑問も持たずにそんな宗教を受け入れられるのか不思議で仕方がない。自分の国にいる間はまだしも、ロンドンで西洋文化と民主主義に触れ、自由な生き方をする女性を見てもなんとも思わないんだろうか。でも、彼女にとっては、私(=神を信じない人)と友人でいることと自分の宗教の間に何の矛盾もないように見える。「私の宗教ってこんななのよ」と他人事のように説明してくれるだけ。心の奥底では、仕方がない、というようなあきらめの気持ちもあったりするのかもしれない。そんな彼女のしてくれた話のなかで、ひとつどうしてもつっこめなかった話がある。それは「妊娠中に良く見ている顔に生まれてくる子供の顔が似る」と言う話。彼女の世界では当たり前の迷信のようなものらしいが、例として自分のいとこの話をする。「自分のいとこは3人子供がいて、2人は夫婦のどちらかに似てるのに、3人目の子供がフィリピン人みたいな顔してるのよ。」と言う。そしてその理由が「当時フィリピン人の召使がいたから」。毎日その召使の顔を良く見ていたから、だそうだ。いや、それは違うんじゃ・・・と言いかけたが、言えなかった。そして彼女自身も、よくマレーシア人と間違えられると言う。そういえば、中東よりは東南アジア系の顔をしている。でも彼女の家系には東南アジアの血はないそうだ。「でも、姉が妊娠中にトムクルーズのポスターを毎日見ていたんだけど、生まれてきた子供はやっぱりアラビア人の顔だったわ」と言って笑っていた。う~ん、分かっていて言ってるのかなぁ。
Feb 22, 2006
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イギリスに越してきて以来、毎年冬になると私を悩ませるものがある。それは、カビ。何度引っ越しても、どこに住んでも、毎年冬になるとどこからかカビが発生する。それも、普通に暮らしている家自体に生えるんだから始末に終えない。最初に住んだ家は、ビクトリア時代に立てられたセミデタッチドハウスを3つのフラットに改造した家の一階だった。その時はロンドンで始めての家だったし、カビのことなんて考えもしないで、庭のついている一階部分のフラットを選んだ。おかしなことに気づき始めたのは冬の初めのこと。備え付けのワードローブの中に入れている服に、点々と白い汚れがつく。洗っておいたはずなのにおかしいな、と思い、もう一度洗ってからしまう。でも、しばらくするとまた汚れる。よく見ると、カビだった。ぎょっとして他の服を調べると、ドレスや一度も着たことのない喪服、ダンナのスーツなど、あまり着ない洋服全てにびっしりとカビが生えていた。それは始まりに過ぎなかった。カビは徐々にバッグ、手袋、ベルトなどの革製品に移り、納戸のバックパックを真っ白にした。しまいにベッドの後ろの壁にはめてあるウッドパネル自体にカビが生え始め、私達は引越しを余儀なくされた。ベッドルームは100年以上経っている建物の増築部分だった。そもそも作りがいい加減だし、ワードローブの後ろには隣のフラットのお風呂とか、水周りがあるのかもしれない。そして、日照時間が極端に減るイギリスの冬で、じめじめした地面に触れている1階部分はさらにカビを寄せ付けやすいのかもしれない。そんな理由で、次にはほぼ新築の、3階部分にあるフラットに移ることにした。そこは比較的マシだった。基本的にドライだし、外からカビが生えることはなかった。でも、居間の壁の一部分に、いつもカビが生えるスポットがあった。その裏側はバスルーム。壁が、水を吸ってしまうんだろうか・・・仕事の関係で、意外にすぐにそこを引き払うことになった。次に住んだ家は1980年代くらいに作られたフラットの3階部分を選んだ。イギリス的には「比較的新しい」と言える。その頃には慎重になっていたので、カビの形跡を探して丹念に調べたつもりだった。でも、冬になるとやっぱりカビが生えた。そのフラットは酷かった。庭に面している側の壁一面(居間とベッドルーム両方)と、ワードローブの中にカビが生えた。靴箱に靴を入れておくと靴にもカビが生えた。大家さんに文句を言うと、「壁の作りに問題があるんだよ」と言うだけで、何もしてくれなかった。毎週日曜にはカビ菌を殺す強力な液体(かなり臭い)で壁をふいて周った。ある日居間の本棚を動かすと、裏の壁にびっしりとカビが生えていた。あまりに酷かったので写真を撮った(右上)。そして、引越すことにした。そして、現在の家。玄関は一階だけど、居住エリアは二階、という建物に住んでいる。築10年ほどで、イギリスの町並みに於いてはずいぶん新しく見える。でもやっぱりカビからは逃れられなかった。冬になると、カビは玄関のある一階部分の壁から始まる。カビだけでなく、壁自体が水分を含んでじっとりし、水滴が見える。ほっておくと白と黒のカビが生えてまだらになる。やはり毎週末は梯子を出して壁を拭いて周ることになる。でも天井が高くて届かない部分もあるので、カビは少しずつ範囲を広げていく。最近は、二階のベッドルームに進出してきた。階段の裏側にあたるベッドルームの壁の隅が、微妙に黒い。でも、今までのことを考えればましなほうだ。洋服はカビないし、居間にはカビは出ないから。これから春になるまであと、数ヶ月の辛抱だ。不思議なことに、こんな話をイギリス在住のほかの日本人にしても、共感してくれることが少ない。カビなんて見たことないとか、ちょっとは生えるけど気になるほどじゃないとか言う。私達がいつも2人用の小さいフラットに住むからかもしれないし、毎日お風呂を入れたり室内で洗濯物を干す習慣が良くないのもかもしれない。でも、そう言うと大抵「でも私も毎日お風呂はいるよ!」とか言われるし、日本人としては毎回乾燥機を使うことに抵抗がある人も多いはず。今の家では24時間除湿機を稼働してるのに、それでも追いつかないくらいの湿気がでているのだから困ったものだ。こうなると、私達がカビ菌を出しているか、よっぽど引越し運がないか、どちらかだと思うしかないだろう。次に引っ越す時こそ、カビから逃れたいものだ。
Feb 16, 2006
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立て続けにワイングラスを壊してしまい、残り少なくなってきたので、地元の町にワイングラスを買いに行った。デパートの食器売り場や、小売店など色々見るが、なかなかいいのがない。気に入ったグラスは一つ11ポンド(2200円!)と言う高値だし、安いのはどうにも出来が悪い。あきらめて出直そうかと思っていた時、入ったことのない労働者階級向けデパートのような店の前を通った。イギリスは階級制度があるというだけあって、デパートもスーパーもいちいち階級ごとにわかれている。労働者階級が行く店と中産階級が行く店は違うし、品揃えも値段も随分違う。下手すると同じものが違う値段で売られていたりもする。例えばスーパーなら、Asda<Tesco<Sainsbury's<Marks & Spencerという具合にランクが上がっていく。私達は外人だし基本的に階級は関係ないけれど、住んでいる場所、仕事の種類、乗っている車の種類なんかから必然的にクラス分けがされてしまうこともあり、そうするとなんだか中の下と言うところに属していそうだ。不思議なもので、無意識ながらも普段行く店は中流階級向けに限られているし、そういう普段の店から外れたところに行くとなんだか気分が悪い。Woolworthみたいな格安店に行くと蹴倒されそうなプレッシャーを感じるし、Selfridgesなんていう高級デパートに行くと場違いな違和感を感じたりもする。まぁ、言うほどには気にしないけど。そんな理由で、地元ながらも一度も入ったことのない大衆向けデパート(スーパー?)のようなところに足を踏み入れた。所狭しと洋服、電化製品、食器類などがならび、秩序が感じられない。洋服なんて、室内着でも着るのがためらわれるような、ちょっとびっくりするような柄や出来のものが並んでいる。やっぱり間違えたかな~と思いながらも、食器コーナーに行ってみる。普通のデパートと違って、棚に並ぶものは無秩序でバラバラ。飾ろうと言う気持ちが感じられない。そしてなぜか、一点ものが多い。箱に入ったまま中身の説明もなく、スーパーのような値札がついた状態でほこりをかぶっている。仕方ないので端から箱を開けて中身を確かめてみる。中身は色々だった。箱と一致していなかったり、6点セットなのに4点しか入ってなかったりもした。でもなぜか、とても高級感の漂う箱が多かった。さっき見てきたデパートでは50ポンドしたようなクリスタルのグラスセットが、半額以下で売られていたりする。怪しく思ってグラスを手にとって確かめると、確かにクリスタルだし出来もとてもいい。これはどういうことだろうと思いながら他のコーナーを見ると、シルバーのナイフとフォークのセットとか、贈答品であげそうな立派な食器セットが、箱が壊れたり中身がバラバラになったりという状態で売られている。結論。きっとあの店では、箱が傷ついて高級店で売れなくなったものとか、どこかの店が倒産して大量にあまった商品とかを安く下請けしているに違いない。だから一点ものとかバラバラな商品が多いんだろう。(ダンナは冗談で盗品かもと言ったけど、さすがにそれはないだろう。)中身に間違いがないのを確かめて、かなり素敵なスロバキア製のクリスタルグラスのセットを買って帰ることに。大満足。不思議とイギリス人は階級と言う縄張りから出ようとしないことが多い。こんな安い店を見つけた、と教えてあげたところで、「私達の行く店じゃない」と言ってあしらわれるのがオチだろう。イギリス人にはきっと気分のいい店でいい扱いを受けて買物をすることも大事なのかもしれない。「私はこういう階級に属しているのよ」という気持ちが大事なのかも。日本人としては同じものが安く手に入るなら断然安い店で買うのが普通だろう。まぁ、大抵は「同じもの」ではなくて「安いもの」が安く手に入るだけなんだけど。たまにはこんな穴場もあるらしい。
Feb 13, 2006
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今学期は「借用語」を扱ったセミナーに出ています。昔からあるテーマですが、最近は特に流行りだとか。(言語学にも流行があるんです。)日本語は特に借用語が多いし、また日本語の音韻構造が世界の言語の中でも単純な部類に入るので、研究者にも人気です。簡単に言うと、外国語が日本語に入るとどういう形に変わるのか、と言うのが興味の対象。日本語にあり得ない構造は日本語風に変化するわけです。一番簡単なのが、挿入母音。日本語は子音+母音の構造が基本で、子音+子音の結合、および語末の母音+子音を許しません。英語の「street」のような形に出くわすと、母音を挿入して子音+母音の形を保とうとします。s(u)t(o)riit(o)と言うわけです。挿入母音は基本的に「ウ」ですが、tおよびdの後は「トゥ」「ドゥ」が出来ないので「オ」になります。他によく聞くのが、促音の後の濁音ですね。日本語では子音+子音がダメ、と言いましたが、許されているのが促音と撥音です。「切手」は「kitte」、ちいさい「ッ」は、発音的には子音の連続です。でも、bed、teabagなんていう英単語を「ベット」「ティーバック」なんて発音する人も多いはず。日本語では有声音(日本語で言うところの濁音)の連続は許されないので、beddoやbagguと言うのは難しいのです。最近は借用語の蔓延の成果か、この促音の後の濁音を発音する日本人も増えていますが。こういう例は基本的な話なので、それほど珍しいことでもありません。それよりも問題なのは、日本人が耳で「聞いて」外国語を取り入れているのか、目でつづりを「見て」取り入れているのか、ということ。日本人がbedを「ベット」と発音する時、そもそも日本人の耳には語末の有声音dが聞き取れていないのかもしれないからです。carrot は「キャロット」、caratは「カラット」として日本語に入っていますが、英語では両者の発音は全く一緒です。だとすると、綴りが影響を与えている可能性が高い。音韻学者としては、つづりの影響のない状態で日本人の耳がとらえる外国語を扱いたいわけですが。昨日読んでいた論文は、このつづりの影響を調べたものでしたが、面白い例がありました。日本語には江戸時代や明治初期に日本語に入った借用語と、もっと最近に入ってきた借用語があり、時には同じ単語が二度違う形で借りられているというのです。プリンとプディング、サーフィンとサーフィング、リスリンとグリセリン、ラムネとレモネード、などなど。これを調べていくと、昔の借用語はつづりを目にしないで耳で聞いて借りたものだという説明ができる。確かにpuddingという英語を耳にすれば、プディングという三音節の音より、プリンという二音節の音のほうが元の形に近い。語源がアメリカ英語だとすると、ddも実際に日本語の「リ」に近い音で発音されていたはずです。でも、語末のgはどこに行ったのか。やはり日本人の耳にはある一定の音が聞こえない、という意見が出てくる。子音+子音の連続も聞こえないので、リスリンのように子音を一つだけにする形で借り入れることになる。新しいバージョンはつづりを目にした結果、修正が加えられて出来たもの、ということになります。さらに面白いことに、最近の研究では日本人が外国語を聞いて挿入母音をするとき、日本人の耳には実際その母音が「聞こえて」いるという説があります。streetと聞いて「ストリート」と言い換える時、日本人の耳には実際sutoriitoと聞こえているのかもしれない、ということ。確か、ebzoとebuzoという二種類の発音を日本人が聞き分けられなかったとか、両方ebuzoと聞こえるとか、そんな研究があった気がします。これは個人的に私も経験があることなので、さほどいい加減な論理でもないような気がしますが。そういうことを考えていくと、もともとは借用語の話だったのに、英語学習の話にも関わってくる気がします。日本人が英語を借用する過程は、日本人が英語の発音を真似する過程と似ているからです。でも一定の音が「聞こえない」とか、ないはずの音が「聞こえる」とか言われちゃうと、なんだかやる気がそがれてしまいますね。でも、つづりを見る前と見た後の借用の形を比べると、つづりを見ないほうが原語に近い音を保っているとも言えます。英語の発音は綴りとは全く一致しないものですが、変につづりを目にしてしまうことで耳で聞いたものに修正が加わり、特有の「日本人英語」が生まれるのかもしれません。そういえば昔、全くテキストやつづりを使わないで聞くことと真似ることだけで語学を教えるという方法がありましたが、実はその方が原語に近い発音を身につけられるのかもしれませんね。
Feb 9, 2006
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面白いリンクが周ってきた。 雑誌なんかの綺麗なモデルさんとか芸能人の写真の修正前と修正後。http://www.fluideffect.com/ 上のリンクをクリックしてサイトに入ったら、Portfolio をクリック。無断コピー禁止に関する文章が出るのでAgreeをクリック。Portfolio の before/after を選択すると、Page が1から3まであり、それぞれのページには12枚の写真が載っています。サムネイルをクリックしたら、それぞれの完成写真(修正後)が表示される。「click to see BEFORE」にマウスをあわせてクリック(押しっぱなし)すると、修正前の写真が!コワい!のひと言。でも、芸能人も別に人並みはずれて綺麗なわけじゃないのね~、なんて、安心してしまいます。スリムになったり、お腹が凹んだりするのは笑えます。
Feb 8, 2006
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風邪で家から出られないし、具合が悪いのを言い訳に勉強する気もしない。それで窓の外ばかり眺めている。意外に色んな生き物がいるものだ。暇なので写真を撮ってみる。よく目にするのは・・・山鳩(普通の鳩より大きくて綺麗。よくハンティングの的になる。)Magpie(白黒のカラスみたいな鳥。羽を広げると青くて綺麗。)Blackbird(ただの「黒い鳥」じゃありません。雄は真っ黒。メスはこげ茶。)Robin(よくクリスマスカードの柄に使われる胸のオレンジがかわいい小鳥)と、リス(アメリカから来た大きな灰色の種類で、昔からいた小型の赤いリスを絶滅に追い込んでいるらしい。)時々Jayというカラフルな鳥が来るが、カメラに収められなかった。残念。カメラを持ってシャッターチャンスを待っていると、レンズ越しに動物の観察が出来る。マグパイは木からなにやらつまんで食べてるし、リスはせっせと何か運んでいる。それぞれの世界でちゃんと生きてるんだな~なんて、当たり前のことを思う。意外に楽しい暇つぶしだった。
Feb 2, 2006
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ここ数日かなりの頭痛に悩まされていた。朝はなんだか気だるい感じがするし、喉も痛い。ベッドから起きる気がしない。これは風邪をひいたかもしれないなぁ、と思うものの、咳も鼻水もないので、頭痛止めを飲みのど飴をなめながらほっておいた。だいたい朝起きるのは苦手。「怠け病」はいつものことだ。今日もだらだらと起きて大学に行き、頭痛止めを飲みながら一日を終えた。帰ってきてメールをしたり写真を撮ったりして、ふと気づくと、またかなりの頭痛がする。なんだかいつまでも治らないな~、と思って試みに熱を計ってみた。体温計を脇に挟んだままネットなどをしていると、いつまでも計測が終わらない。そろそろピピッといって計り終わるのが普通なのに・・・と思って体温計をはずしてみると…えっ!体温計は「39.2℃」を指して、いまだに点滅を続けている。熱なんてないだろう、あっても微熱くらい・・・と思っていたのでぎょっとした。それ以上計るのが怖いので計測中止。熱があるとなると急に具合が悪い気がしてくるから不思議。今まで平気でいたのに。それにしても、9度以上の熱で気づかないなんて。ここ数日ほっておいたけど、ずっと熱があったのかしら。大事をとって寝ることにします。
Jan 31, 2006
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最近見たってわけでもないですが、書いていなかったので。ちなみに原題では「ライオンと魔女と洋服ダンス」。wardrobeを訳し切れなかったのか、カッコ悪くなっちゃうからか、日本では「ライオンと魔女」で通ってますね。でも本当は洋服ダンスが重要なのに。有名な本なので知ってる人も多いと思います。私も小学生の時にシリーズを読みました。うちでは特に姉がはまって、飼っていた白猫をリーピチープと名づけました。本(続編ですが)では白いねずみの名前です。映画は、よく出来てました。ディズニーということでどうしても子供だまし感が抜けませんが、主人公の少女はずいぶんよくやってるし、CGのライオンやビーバーも素晴らしかった。魔女役のティルダ・スウィントン(V.ウルフの「オルランド」の印象が強い)も冷たそうな感じが良く出てました。強いて言えば、そもそもの戦いの理由がよく描けていなかった気もします。LOR程のレベルには達してませんが、続きが楽しみな映画です。個人的に面白かったのが、Turkish delightというお菓子の話。魔法で何でも出せる魔女に何が欲しいかと聞かれて「Turkish delight」と答える子供。確か日本語訳の本ではプリンとか、なんか全然違うものになっていた気がします。「Turkish delight」ってよくトルコのお土産でもらう、もっちりとしたお餅状のあま~いお菓子ですが、確かに美味しい。戦時中だし、そういう甘いものなんてきっととても貴重だったんでしょうね。でも、日本語に置き換えると「生八橋が食べたい」と言ってるようなおかしさがあります。なんかシブい。おまけとして思い出されたのが、この原作の作者C.S.ルイスを描いた映画「Shadowlands」でした。アンソニー・ホプキンス演じるC.S.ルイスは、なんだかポッシュで気難しい堅物と言う感じだった覚えがあります。オックスフォードの文学サークルのようなものでLORのトールキンとも仲が良かったとか。いつだったかテレビで見たドキュメンタリーによると、トールキンとC.S.ルイスはお互いを自分の本のキャラクターとして登場させているそうです。20世紀を代表するファンタジーの大作二本が、同時期のオックスフォードの学者2人から生まれたと言うのもなんだか不思議ですね。
Jan 30, 2006
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携帯を盗まれてしまった。帰りの電車でバッグのいつもの内ポケットに携帯がないことに気づいた。無意識に別なところに入れてしまうこともあるので、探したけど見つからなかった。とりあえず家に帰って(どこかから呼び出し音が聞こえることを期待して)自分の番号に電話してみると、つながらない。おかしい。問い合わせのために携帯のネットワーク会社に電話をしてみると、今日、私の番号から3ポンドくらいの電話をかけた形跡があるという。明らかに私ではない。ということは、やっぱり盗られたのだ。思い当たることがないわけではない。最後に携帯を見たのは授業の終わった1時ごろ。そのまま友人達と大学近くのパブにランチを食べに行った。パブは混んでいて、(嫌だったけど)床に荷物を置くしかなかった。一応、隠すようにバッグの上にコートを丸めて置いておいた。続いて私と背中合わせの席に三人組の男女(若い男2人とおばさん一人)が座り、おばさんは私の荷物の横に自分の荷物を置いた。そのまま私達も、後ろの人たちも昼ご飯を食べていた。後ろの人たちのほうが先に食べ終わり、帰り支度をしていた。と、おばさんは自分の荷物(ジョンルイスの緑の買い物袋)をやたらがさがさとさぐっている。なんだかずいぶんがさがさしてるし、隣にあるわたしの荷物に触れられるのが気分が悪いので、私はバッグを手で引き寄せた。と、おばさんは私のほうを見て、「Sorry!」といってにこっとした。悪い人には見えなかった。私が「It's OK」と言うと、3人組は去っていった。でも、その時しかありえない!あんな平然とした顔をして、微笑みながら、あの50は過ぎているだろうおばさんが、私のかばんから携帯を盗んでいったのだ。きっと、あの緑色の袋には穴が開いていて、おばさんは自分の荷物に手を入れるふりをしながらその先にある私の荷物を探っていたのだ。常套手段に違いない。どうしても信じられないのは、あの人たちが(恐らくは)盗人集団だということ。外人のようだったけど、身なりはきちんとしていたし、だいたいゆっくりとランチを食べていた。この国には明らかにチンピラに見える若者とか、子供とか、見るからに盗みそうな人たちはいっぱいいるし、そういう時はこっちだってもっと気をつける。でも、あんな普通に見える人たちが盗人なんて・・・でも、おそらくそれが狙い目なんだろう。大学周辺は大英博物館もあるし、観光客や留学生が多い。あの辺のパブで外人の近くに席を取り、食事をするふりをしながら同じ手で荷物をあさっているんだろう。そんな手に、まさか自分がひっかかるなんて思わなかった。気をつけてなかったわけじゃないし、ずっと目に入るところに置いておいたのに。それでも今日は座った席が悪く、いつもの安心なルール(荷物は壁際か目の高さに置く、貴重品は別にしておく、等)が守れていない状況だったのも事実で、私は何度か席をかわりたいと思ったし、ちょっと落ち着かない状態だったのも確かなのだけど。幸いなこととすれば、電話代の被害が3ポンドくらいですんだことと、携帯の本体が最近無料でアップグレードしてもらったものだったこと、それからうちにアップグレード前に使っていた本体がまだ残っていること。盗難届けを出したので電話はすぐに止めてもらったし、携帯本体も「ブラックリスト」に載せるそうだ。三日で新しいSIMカードを送ってくれると言うし、番号も変わらないらしい。ようするに、三日すれば前に使っていた携帯が普通に使えるようになるということだ。コールセンターの人のめずらしく手際の良い対応に、きっと携帯盗難ってすごく多いんだろうなー、と思わされた。それにしても悔しい。せっかくビデオフォンが手に入ったところだったのにな。もう最新機種を手に入れるのはやめよう。アップグレードの代わりに値引きをしてもらったほうがよさそうだ。
Jan 27, 2006
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この間久々に、ロンドン市内で終電の時間を無視して飲みました。法律でパブの営業時間が自由になったので、いつまででも飲めるだろうと思いきや、今までどおりに11時になると閉まってしまう店ばかり。ようやく探したパブで飲んでいるとそこも1時には閉まってしまう。そこから開いている店を求めて深夜のソーホーを随分うろうろしました。基本的に田舎者なので、酔っ払いや客寄せでにぎわう風俗街自体が珍しくて落ち着かない。なんだかうるさいし、汚いし、危なっかしいし、ようやく見つけたオープンカフェでは目の前の通りで暴走族が休憩中で、排気ガスを浴びながらのお茶。なんだかすっかり気分をそがれて、2時半に解散、それぞれナイトバスで帰ることに。もう絶対あんなところであんな時間に飲みには出ない!と誓いたくなりました。以前深夜にロンドンに出たときも、かなり嫌な思いをしました。一人で夜中のウォータールー駅に着くと、もう地下鉄は終わっている。仕方なくバスを探して駅の外に出ると、外では怪しい人々が無言で(お互いそっぽを向きながら)マッチ箱のようなものを渡している。ようやくバス停を探して待っていると、大きな犬を連れてリュックをしょった中年の女性が「私はスコットランドから来てバスの乗り方が分からないのよー。誰か教えてー。」と言いながらふらふらしている。でも、バスが来ると慣れた様子で定期で乗り込んだ。その女性はバスの中でも挙動が怪しく、落ちた定期を拾おうとかがんだら、開いていた背中のリュックの中身が全部飛び出した。すると、落ちたものの中には本や水に混じって、いくつもの注射器。それで挙動がおかしかったのだ。やっぱり田舎者なんだと痛感しますね。こんな思いをして外で飲みたくないと思ってしまう。家で美味しいワインでも買ってゆっくり飲んだほうがよっぽど楽しい。他の2人(独身、市内在住)は慣れた様子で、全然不快に感じている風でもなかったけど、今度はお酒を持ち寄ってうちで飲みましょう、とうことに。それにしても、ナイトバスがあるからいつでも帰れるというのは嬉しい。ロンドン市内を縦横に走る真っ赤なロンドンバスのいくつかは、深夜12時を過ぎると日中より長距離のルートに変わり、早朝まで途切れることなく走り続け、酔っ払った市民を家に連れて帰ります。早々に終電を迎える電車や地下鉄の時間が終わると、ナイトバスの時間になります。私の住んでいる町も普段はロンドンからのバスなんて出ていない田舎なのに、ナイトバスの時間になると直行便が出ます。乗ると一時間以上かかるロンドン市外の終着駅なのに、料金は日中の市内バスと同じ一律料金だし、トラベルカードも定期も使えます。深夜なのに、普段の電車よりもかなり安い料金で直行で帰れるんだから、こんなにありがたいことはありません。何よりも、何時になったって公共の交通機関で安全に帰れる、という安心感が嬉しい。こういうところはやっぱり市長のケンの力かな、と感心させられますね。それでもやっぱり公共交通機関の料金は高すぎますが。
Jan 22, 2006
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先日、転勤でイギリスを離れる知人のために、カードを買いに行きました。「Good Luck」や「New Job」と書かれたカードを探していると、不思議なことに気づきました。「Good Luck」系のカードには、四葉のクローバーやhorse shoeに混ざって、やたらと黒猫のイラストが多いのです。 今までは黒猫と言えば悪運の兆しだと思ってきました。「目の前を黒猫が横切ると悪いことがおきる」なんて、よく聞きますよね。気になったので帰ってきてネットで調べてみると、思ったとおり、イギリスでは黒猫は幸運の兆しのようでした。「夢に黒猫が現れると幸運の兆し」、「黒猫をなでるといいことがある」、特にスコットランドでは「目の前を黒猫が横切ると良いことがおきる」なんていう全く逆の連想があるようです。でもやはり世界の大部分では黒猫は魔女の猫なので悪運を呼ぶとされているので、イギリス人の中でも混乱があるようで、「どっちが正しいんですか?」なんていう書き込みもあったりしました。同じ黒猫でも、国や文化によって色んな解釈がされるものですね。個人的には黒猫を飼っていたこともあるし、特に幸運も悪運も呼ばない普通の猫だと思いますが・・・
Jan 20, 2006
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今週の月曜日から、毎日夜中に「人体解剖番組」をやっている。このシリーズは(私が知る限り)二回目で、前回も結構見ていた。番組の趣旨は、有名なドイツ人の解剖学者が観客の前で死体を解剖し、人体のつくりを説明するという過激なもの。前回のシリーズでは基礎知識的な人体構造の解説だったが、今回のシリーズは様々な病気に焦点を絞っているようだ。そもそもこの解剖学者が有名になったのは、Plastinationとか呼ばれる特殊な方法で死体の水分を抜き、血管や皮膚、筋肉、臓器等を保存した人体標本を見せる展示会のようなもので、随分前に私も見に行ったことがあった。献体されたというたくさんの人体が、血管やら臓器が丸見えの状態で、それでも人の形をして飾られている。血管だけが残るように保存された人体や、筋肉が見えるように保存された人体は、驚くほど綺麗で、不思議と気持ち悪くは見えなかった。テレビの手術シーンでは目を覆いたくなることも多いのに、いったん死んでしまうと人間もただの「物」になるようだ。自分も含めて辺り中にいつも人間はたくさんいるのに、ほぼ絶対に見ることのない部分を見せられる。帽子をかぶってたり、馬に乗ってたり(もちろん馬も展示品)バスケットボールをしてたりと、ちょっと悪趣味な展示の仕方が笑えた。日本でも展示会をしたという話なので、見た人も多いかもしれない。そんな解剖学者が、観客(解剖学の学生や献体希望者らしい)の前で人体を解剖していく。昨日のテーマは「癌」だった。大腸癌で亡くなったという女性の死体を解剖し、腸を引っ張り出しては「ほら、ここに癌がある!」、リンパに乗って転移しやすいと言う肝臓と肺にも癌を見つけ、「ここにも見つけた!」と、かなり強いドイツ訛りの英語で興奮気味に説明する解剖学者の姿はちょっと異様だった。それでも(イギリス人の医者の助けで)普通の腫瘍と悪性の腫瘍の違いなどをとても判りやすく説明し、どういう経緯で癌が転移するのかを解説し、最後には乳がん等の自己診断の仕方などまで教えてくれた。説明を受けてしまえば、なんていうことはない、簡単な理屈に見える。世の中にはアレルギーや花粉症なんていう生死に関わらない病気に関する情報はあふれかえっているのに、一体どれだけの人が癌に関する正確な情報を知っているだろう。生死に関わることとなると、むしろ知りたくない、自分には関係ない、と思う気持ちが強くなるのかもしれない。触れてはいけない「謎」のようなものにしておいて、普段は考えない。養老孟司もよく言っているが、脳化社会と呼ばれる現代では「身体」が重視されない。死体を隠し、死ぬ事実から目をそらし、脳だけで生きてるような錯覚を持つ。うちでも家族に癌が出て初めて、パニックに陥り、本を読み漁り、情報収集をするようになった。「今までは忘れてたかもしれないけど、やっぱり身体が大事でしょ」と、急に事実を突きつけられるようなものだ。そんな時代だからこそ、身体の実感を与えることのできるこういう展示会や番組が必要になるのかもしれない。
Jan 18, 2006
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先日見るともなしに見ていたドキュメンタリー番組。1990年のある日の早朝のこと。イギリス北部のある団地で、ある一家がぐっすり眠っているところを突然警察の手入れによって起こされる。泣き叫ぶ4人の子供とパニックになる母親。両親は警察に連行され、子供たちは別々にソーシャルワーカーに連れて行かれる。容疑は「悪魔信仰による子供虐待」。事の始まりは、その一家の子供の一人(当時5歳)がやたらお化けを怖がって授業に差し支える、という学校からの届出だったらしい。親の養育能力を問う地域の民生委員のような役割を果たすソーシャルワーカーが子供をインタビューし、家庭での養育に問題があるとした。それにとどまらず、他の子供達もインタビューした上で、その家庭では悪魔信仰の儀式が行われており、子供達はその犠牲になっている、という驚くような判断を下したのだと言う。その判断に従って警察は両親を逮捕した。下は3歳から上は10代までの子供達は別々な部屋に閉じ込められ、ソーシャルワーカーによる取調べを受ける。「悪魔信仰」の証拠を子供達の口から聞き出すことが目的だった。決まりだったらしく、当時の取調べの様子はすっかりビデオで残っていた。3歳の子供にソーシャルワーカー達は「お化け」に関する質問を繰り返す。「そのお化けは痛いことをするの?」「もし抵抗したらお化けは何をするの?」早朝に叩き起こされた上に親兄弟と引き離され、恐怖から泣き叫ぶ子供に「質問に答えたら家に帰してあげるから」と執拗に質問を続ける様子はプロっぽくはなかった。年上の子供には性的虐待についての質問が繰り返された。「どうやって赤ちゃんが出来るか知ってる?」「男性の生殖器をなんて呼ぶか知ってる?」どうやら、悪魔信仰では子供を妊娠させて胎児を食べる、という儀式があり、その事実を子供から引き出そうとしているようだった。もちろん性的虐待を裏付けるための身体検査もあった。ビデオで見る限り、子供の返事は「お化けは夢の中だけ」「何のことか分からない」等、儀式も虐待も全く否定するものばかりだった。身体検査からも何の証拠も得られなかった。でもソーシャルワーカー達は子供達の「夢」や「お化け」に関する証言を曲解し、悪魔信仰の儀式が行われている証拠だと決め付けた。さらに子供の一人が、(たぶん夢の中で)お隣のリサが一緒にいた、と証言したことで、取調べは団地の他の家にも波及した。最終的には4家族12人の子供が取調べを受け、なんと10年以上の間、親子離れ離れの生活を強いられることとなる。もちろん、悪魔信仰なんていう事実はなく、子供虐待も全くなかった。一人の子供が異常にお化けを怖がっていた、というだけのこと。一体どこをどうしたらそんな荒唐無稽な話になるんだろうと不思議に思うが、どうやら当時アメリカで悪魔信仰による事件が増えていて、ソーシャルワーカーたちが「こんな傾向に注意」というガイドラインを貰っていたというような背景があったらしい。疑心暗鬼とはまさにこのことで、「悪魔信仰」に特に気をつけようという思いから、ないものまであるように見えてしまった、というだけのことらしい。それにしても、1990年なんてそんなに大昔なわけでもない。70年代のカルト映画なんかには、この悪魔信仰や新興宗教をテーマにしたものが多い。「ローズマリーの赤ちゃん」とか、「Wickerman(邦題が不明)」なんかが思い出される。実際にそういう宗教がはやったという話(本当かどうかは不明)も聞く。でも、この悪魔信仰の話、やっぱりテレビの見すぎでは?と思わずにいられない。犠牲になった家族がかわいそうで仕方ない。成人した子供達は「あのソーシャルワーカーたちの取り調べこそが虐待だった」と証言し、現在裁判を起こしているということだ。
Jan 13, 2006
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だいぶ前のことですが、ダンナの実家で飼っている犬に噛み癖があって困ると言う話を書きました。随分いろいろな方から心配していただき、そしてその後の報告をするとお約束したのでちょっと書いてみようと思います。年末に帰国し、一年ぶりに見た犬は、随分大きく立派になっていました。最初だけちょっと吠えられましたが、すぐに慣れてじゃれてくるようになりました。姑の話が信じられない位いいコにしていて、じゃれて甘噛みすることはあっても決して痛くは噛まないし、お手やお座りもこなすお利巧ぶりでした。集中力や物覚えもよく、くわえたものを口から出す「ちょうだい」を教えるとすぐに覚え、それで随分と扱いやすくなりました。(姑の話では口に入れた石ころを無理に取り出そうとして噛まれたということだったので。)普段の居場所は居間に限られているものの、散歩は一日三回。犬としてはかなり幸せな扱いを受けていると思います。ちょっと気になったことがあるとすれば、名前を呼ばれても来ない、散歩に行きたがらない、なんでも口に入れようとする、というようなことでした。特におなかを壊しがちだったので変なものを口に入れないよう獣医さんから言われているらしく、それで姑もちょっと神経質になっていたのかもしれません。でも、「ちょうだい」を覚えた後はすんなりと口から出すようにもなりました。毎日散歩に行くうちに、犬も私たちに随分慣れ、嬉々としておもちゃを持ってくるようになりました。きっともうこの犬も大丈夫ね、なんて思っていた矢先の、日本滞在の最終日のことでした。今まで足元で遊んでいたはずの犬がいないので辺りを見ると、自分でケージに戻ってなにやらくちゃくちゃと噛んでいます。どうやらティッシュのようでした。使った後のゴミをテーブルの上から盗んでいったらしい。ダンナが取り返そうとケージに近づくと、なんと威嚇の姿勢をしてうなり声を上げます。今までに見たことのない態度でした。これはまずいかも、と私が思ったときには遅く、「ちょうだい」と言って出したダンナの手を、ガブッ!!容赦なく噛みました。ダンナは血が滴る手で犬の鼻面を押さえ、かなりきつく怒りました。叩いたり暴力を振るったりはしていないものの、犬はしまいには鳴き声をあげて逃げようとして、追い詰められたところでガタガタと震えていました。私は一部始終を側で見ていましたが、全く訳が分かりませんでした。なんでティッシュなんてものであんなに威嚇してきたのか、どうして「ちょうだい」を聞かなくなったのか、どうして手を差し出しただけで噛み付いてきたのか。分からないまま、次の日の早朝にはイギリスに帰国してきました。出発日の朝も犬はダンナを見ると震え、いつものように寄っては来ませんでした。そんなわけで、残念ながら状況は改善していません。聞くと、今までに姑は二回、舅は4回噛まれているそうです。普段はとてもいいコにしているだけに、急に野生に返ったように凶暴になる犬の気持ちが分かりません。これでは訓練士を頼んでも効果は上がらないかもしれない。でもこのまま噛み癖が直らないと、いつか他人を噛んだりして大変なことになるかもしれない。今も途方にくれています。こんな犬の気持ち、分かる方いますか? でも普段は無邪気でかわいい子なんです・・・
Jan 11, 2006
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1月6日にイギリスに帰ってきてから二日、寝る間も惜しんで論文を終わらせました。昨日、二本の論文をなんとか期限に間に合うように書き終えました。分かってはいたことだけど、やっぱり日本にいる間は全然集中できず、毎日毎日「勉強しなきゃ・・・」と受験生のようにつぶやく日々でした。せっかくの帰国だったのに、残念。論文の一本は、日本語の「母音の無声化」について書きました。日本語(東京で話される標準語)は「そうです」の「す」、「つくえ」の「つ」などが無声化、つまりささやき声のような声帯を震わせない音として発音されることで知られています。日本語を母国語とする日本人なら普通、気づかないことでしょう。それでも面白いのが、無意識ながらもほとんどの人が、ある一定のルールに乗っとって無声化をしていると言う事実。一般に「い行」と「う行」しか無声化しない、無声化は二文字はつづかない、アクセントによって無声化する母音が違う、などなど、調べてみると意外に複雑なルールがあります。でも、日本人の頭の中には、無意識下で何か共通の認識があるはずで、そのルールを探すことが音韻学の役目です。記述的な音声学との違いはそういうところにあります。興味のない人には全くつまらなく聞こえるでしょうが(そして父親にまで「そんなことより何かもっとすることはないのか」と言われてしまった)、そういう小さな現象の一つ一つを解明していくことが、人間の脳の中で言語がどのように保存されているかを知る鍵になるかもしれない・・・と、そんなところです。いや、だからそれが何になる、と言われると困ってしまいますが。そしてそれに関連することで今回驚いたのが、ボランティアで日本語を教えている姑が日本語教師養成講座でこの「母音の無声化」について習ったと言うのです。テキストを見せてもらうと、他にも言語学で取り扱うようなかなり難しい言語現象についての言及があちこちにありました。それを見て思ったこと。これだけの勉強を、学校で英語を教える教師が英語に関してしていたら、日本の英語教育はもう少しましになるかもしれない、ということ。こうしたちょっとした言語学の知識が言語教育にはかなり役に立つはずです。どうして日本語教師になるためのテキストはあんなに素晴らしい出来なのに、英語教師育成に同じようなエネルギーがそそがれないんでしょう。外国人を雇えばいいわけじゃないですよ!と文部省に言ってやりたい・・・
Jan 10, 2006
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実は、もう日本です。帰国前の数日間は怒涛の忙しさで、ブログどころか帰国準備もままならないといった感じでした。まぁ、すべきことを後回しにして徹夜して並んだりしていた私のせいですが。昨日まではネット環境のない東京でした。今日から実家の仙台です。寒いですね。新幹線で東京からくる途中、真っ白に吹雪いて何も見えないエリアを通りました。福島よりちょっと手前だったかな…今日は帰ってくるなり親と言い合いとなり、後味のわる~いクリスマス会でした。東京でもまったく別な理由で一悶着ありました。どうも今回の帰国は色々なめぐり合わせがあまり良くないようです。日本の「常識」が自分に通用しなくなっていることを実感するとともに、自分の祖国であるはずの国にいづらさ、そぐわなさを感じてしまいます。「それはそういうものだろう」という理屈の通らない「常識」にいちいち反抗したくなってしまうのが理由かもしれません。日本に暮らす自信が年々減っていきます。イギリス人を見てわがままだと感じたり自己中心的だと感じたりすることは多々ありますが、自己中心的であることが許される、もっと言えばそうあることが当たり前な国なんだと気づかされます。「私はこうしたい」が一番先に立って当然なんですね。それに対して日本人は良くも悪くも「周りに迷惑をかけない」という美徳がある。自分の希望よりも常識やしきたりや他人の感情を優先させなければいけない。自分を優先させることは「わがまま」になってしまう。そういう意味では私はかなり「わがまま」で、だからイギリスに住んでいるのかもしれない、と思ったりしました。今日はそんな、ちょっと気分の悪いクリスマスでした。
Dec 25, 2005
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「もう並ぶのはごめんだ」と言ったものの、しっかり二時間前には予定の本屋に着いて列の後ろにつくと、皆月曜の徹夜で疲れたのか、前から30番目以内だった。店の前で待つこと一時間半。でも、深夜の寒空の下で7時間待ったことに比べれば、こんなことはなんでもない。5人ずつ順番にレジに呼ばれ、サインをもらう予定のポールの初の子供向け絵本「High in the clouds」を購入した。200人と言う大人数なので、事前にサインしてある本をポールが配るだけだという噂があったけど、ここで本を買うってことはやっぱりその場でサインしてくれるのかも。先生の後についていく小学生のように店の人の後ろに続いて二階に連れて行かれると、そこで荷物、ジャケット、および本以外の全ての持ち物を預けるように言われた。ポールに渡そうとCDやカードを用意してきた人たちは残念がってた。ポケットを裏返して中が空な事を調べる徹底振り。ジョンレノンが暗殺されて以来、ポールはセキュリティにとても厳しくなったと聞くけれど、女王にでも会うかのような厳しいチェックだった。本一冊を持って今度は三階に連れて行かれる。そこから三階でまた1時間半ほど待たされた。下からは次々と、セキュリティチェックの終わった人々が階段をのぼってくる。階段周辺にはコワモテのセキュリティのおじさんたち。店の二階より上の階はこのイベントのために一般客には閉鎖されていた。本屋の店員がやってきて、なにやら説明している。耳を澄ますと、なんと、これから本を回収すると言う。やはり思ったとおり、ポールは事前に本にサインをしてしまったらしい。「一人でも多くのファンに」会いたいというポールの意向らしい。「その分一人ずつ話せる時間が取れるから」となだめられながらも、「それじゃスタンプと一緒じゃないの!」なんて怒るファンもいた。まぁ、200人分サインするのも大変だろうし、会えるならいいや。私達の後ろに並んでいた(どう見てもポールのファンには見えない)労働者階級っぽい2人の若者は、肩にサインしてもらってそれをタトゥにするんだ、と盛り上がっていた。でも、本のサイン会なんだから、そんな関係ないことはしてくれないと思うけど…警備が厳しくなってきて、列から動かないように釘を刺される。もうすぐポールが登場するんだろう。皆で、特に警備が厳しいドアの周辺を見つめる。ここから来るのかもしれない・・・。と、本屋の店員に続いてさらっと階段を下りてくるポールの姿が!カジュアルなスーツの下には真っ赤なシャツ。63歳とは思えない軽快な足取りで、背筋をピンと伸ばし、こちらに手を振りながら歩いてくる。待ちくたびれていたファンは皆いっせいに歓声を上げた。その後、子供向けの本だけに、呼ばれていた小学生達の前でポール本人による朗読会があった。そしてとうとう、列が動き始めた。サイン会が始まったらしい。あと10人くらいになると、ポールの姿が見えた。なにやらファンと話している。それも結構時間をとって、一人ずつ会話している。ここに来て、急に緊張してきた。何を言うかなんて考えてない!サインをしてもらってありがとうと言うくらいかと思っていた。言うことを考えようと思いながらも、すぐ近くで普通に動き、話すポールの姿、ファンとの会話に気がとられ、思うように考えられなかった。子供連れのファンはフォトグラファーに一緒に写真を撮ってもらっていた。(どっかの子供を連れてくるべきだった!)私の前のカップルは(外人らしいアクセントで)「このためにわざわざ来たんだよ!」と言っていた。そんなうちに、自分の番が来てしまった。目の前にはポール。テレビで見るよりもずっと若々しく、肌がつやつやしていた。とても健康そう。手を出すと、握手をして本を渡してくれた。他のファンを見ていると皆自分の名前を名乗って「Hello, Mary」なんて言われていたので、とりあえず自己紹介をした。でも、イギリス人に私の名前を言うといつも一回では分かってもらえない。何回も聞き返されたあげくに間違われたりする。ポールも例外ではなく、一瞬ちょっと困った顔をした後、代わりに「コンニチワ!」と言ってきた。あ、そうくるか、と思ったのでとりあえず「こんにちは」と返した。日本人だと分かったらしいので、その場の思いつきで「日本に来る予定はあるの?」と聞いてみた。と、予想外に「ちょうど今そんなことを話してるんだよ。」と言う。「え、日本に来るの!?いつ?」と思わず素になってしまう。「近いうちにね。来年かもしれない。」と言う返事。「絶対に見に行きます!」と言ったあたりで、私の真後ろに立っていたポールのマネージャーが軽く肩に触れた。「タイムオーバー」だ。仕方なく「ありがとう」と言い立ち去ろうとすると、後ろから「Thank you, Bye!」と聞こえた。振り返ると、もう次に待っていた私の友人と話していた。あまり英語が得意じゃない友人に、「Do I do what!?」と聞きかえすポールの声が聞こえた。後で聞くと、彼女はロンドンでコンサートをする予定があるか聞いたらしい。ところが返事はNo。アメリカ公演から帰ってきたばっかりだし今のところ予定はない、と言われたらしい。ロンドンはNoなのに日本はYesってことは、本当に日本に行くつもりなのかもしれない。そのまま待っていると彼女の後ろの例の若者2人組みが、なんと本当に肩にサインをしてもらっている!フォトグラファーがパシャパシャと写真を撮る。「ポールは頼まれればNoと言わない」という噂は本当だったのか…。2人は興奮気味に「やったよ!」と言いながら私達の横を通り過ぎて行った。後ろ髪が引かれる思いをしながら、セキュリティに促されて会場を後にした。緊張と興奮で、しばらくボーっとしていた。ポールとしゃべったなんて。前にも握手をしてもらったことはあった。でも、ちゃんと時間が与えられ、私のしゃべる英語にポールが反応して答えを返してくれる、という事実が不思議だった。ポールはやっぱりちょっと訛っていた。なんでもっと気の効いたことを言えなかったんだろう、という後悔があるものの、ポールと会え、会話した事実に満足だった。神様に会うようなものだ。ずっと後ろのほうに並んでいたファンの話では、途中からやはり時間がなくなり、「長く話さないように」と忠告されたらしい。挨拶くらいしか出来なかった、と言うから、最初の数十人の中にいた甲斐があったのかもしれない。サインは事前にしてあるものだったけど、きっとその場でサインしてくれたら、ポールは下ばかり向いてちゃんと会話できなかったかもしれない、と思うと、今回の形式は逆にいいような気もした。朗読会も含めてわずか一時間で会は終わったと言うから、本当に時間がなかったんだろう。でも、そんな中でファン一人ひとりとちゃんと時間をとってくれたことが嬉しかった。きっと一生忘れられない日になるだろう。
Dec 15, 2005
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やってしまいました。もともとするつもりはなかったけど、友達にのせられてしまった。大体、いまどき「早い者勝ち」で並ばせるというのがひどい。抽選にでもしてくれたらよっぽど簡単に諦められたのに…水曜日に、ロンドン市内の書店でポールマッカートニーのサイン会があると言う情報が入ったのは先週末。でもそこはやっぱりいまだにファンを多く残すポールのこと。当日の大混乱を避けて、月曜日の朝7時半から入場券代わりのリストバンドを配ると言う話だった。朝7時半?ってことは、この田舎から普通に家を出ても6時?でもポールの人気を考えると二時間前くらいについてないともらえないかもしれない。ってことは家を出るのは朝4時とか?そんな時間じゃ、電車も動いていない。そんな風に考えて、今回はあきらめるつもりだった。私は昔からの大ファン。こんなことめったにあることじゃないし、イギリスに住んでいる特権とも言える。一昔前だったら迷わずに行っていた。でも、結婚もした今、そして年末の帰国前に論文を二本終わらせようと必死の今、そんなバカなことはできないと自分に言い聞かせていた。日曜日の夜10時半。同じくポールファンの友人からテキストが入った。彼女はたまたまロンドンにいたので、リストバンドが配られる予定の場所を通ってみたらしい。すると、なんともう30人近くの人が並んでいると言う!まだ全日の夜。彼女は一回帰るつもりだったのをやめて、今から並ぶことにしたと言う。一人では心細いから、ぜひ来てくれと言ってくる。…そして、行ってしまいました。始発じゃ間に合わないけど、終電なら確かにまだある。そうして家を出てロンドンに着いたのは夜中の12時半。街中の通りにテントや寝袋と共に黒い人だかりが見える。着いてみると私は61番目でした。寒い中、新聞紙とダンボールを地面に敷き詰め、ごろごろとねっころがるホームレスさながらの人々。知らない人が見たら何事かと思うだろう。オランダからこれだけのために来た、というファンがいて、スキーにでも行くような格好をしていた。ポールと同世代と思われるおばあさんもいた。一人で来たらしい。もう5枚もサインを持っているというファンもいて、「最初の20人くらいじゃないとポールの手が疲れてサインがいい加減になる」などと言っていた。私はそんな贅沢は言わない。もらえるだけで十分。大体何人までリストバンドがもらえるのかも分からないので、こういうでたらめな時間から並び始める人がでてくるんだろう。ガセネタも多かった。最初の100人は確実にポールに会えるけど、あとの100人はサイン本をもらえるだけだとか、もともと100人しかもらえないとか。企画者を呪った。 テントや寝袋でしっかり寝る人々(上)と、朝まで話し込む人々(下)(携帯画像なのでちょっと汚いです)寒くてとても寝られないので、私は持ってきた本で勉強をしていた。もともと徹夜は得意な方。冷たくて硬い地面に座っているよりも立っているほうが楽だった。ホームレスの人の気持ちが分かる気がした。24時間営業のパブでもあるかと思ったけど、日曜日の夜中のロンドンは閑散として静かだった。トイレを求めて遠くに一軒だけ開いているマックに行く人々がいた。時々どこから来るのか、列の後ろに人が増えていく。朝4時過ぎから一気に人が増えた。とうとう7時半。ごついガタイをしたバウンサーと思しき黒づくめの人々が5、6人やってきた。長蛇の列を見て、「200人しかリストバンドもらえないって知ってるのか?」と聞いた。もちろん知らない。200人なら始発で来ても間に合ったかもしれない。でも、今、列の最後尾にいる人たちはもらえないだろうな。かわいそうに。そして、貰えました、リストバンド!これで水曜日にサインをもらえるのは確実。もらった紙には12時半にサイン会が始まるので11時半までにくるようにと書いてある。「最初の20人」に入りたいファンは、水曜日も並ぶと言っていた。また、徹夜するんだろうか?私はもう、汚いサインでも構わない。並ぶのはごめんだ。
Dec 13, 2005
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最近イギリスで話題になっているニュース。無償の国民健康保険のようなNHSが、「故意に自分の健康にリスクを与えている人」への治療を拒否しているというこの話、かなり物議を醸し出している。つまり、肥満の人や喫煙者、スタントマンのような危険な仕事の人まで含めて、「自分で自分の命を危険にさらしている一部の人が、他の人(健康に気を使う人々)の税金を使って治療を受ける権利があるのか」という問題らしい。確かに、そういう気持ちも分からないではない。特にタバコやアルコール、食事などに全く何の考慮も示さず生活し、その結果健康を害してNHSの世話になる人が多すぎる。日本からは想像がつかないくらいのレベルで肥満やアル中が蔓延するイギリス。毎日フィッシュアンドチップスを食べ、昼間から酒を飲み、テレビの前で寝て過ごす。そしてそういう人たちは大抵やる気がない。国がどんなにお金を出して治療をほどこしたって、すぐにもとの習慣に戻ってしまう。そんな人たちの面倒を見ていたらキリがない。と言うことだろう。そしてその反対側に、健康に気を使った食事を料理したり(そんな当たり前のことが当たり前じゃない国なんです)、ジムに行ったり、余計なお金を使って自分の健康を守っている人々がいる。NHSの世話にはならないのに、自分の払う税金がそういった人々に使われていくのを見て、どこか納得できないものを感じるとしても仕方がない。ニュースの意見交換のコーナーでは「肥満者にたいする差別だ」、「人として最低限の権利を剥奪されている」、「自分(太ってる人)だって税金を払っているんだから同等の治療を受ける権利がある」と言う意見から「だったら病気を引き起こすような生活をしなきゃいいじゃないか」、「税金の無駄遣いだ」と言う意見まで、白熱した議論が交わされていた。でも実はこの話、報道されるうちに内容がすり替わってしまったところもあるらしい。話の出所は、イギリスのある一地方のNHSが肥満者に対する腰、膝故障の治療を停止したというニュースらしい。でもよく聞いてみれば、医療関係者は「肥満者は、手術、および麻酔時の危険が高いこと」を理由として一定の体重に落ちるまで手術を施せないのだと説明している。そして過度の体重が腰や膝の故障を引き起こしているんだから、体重が落ちない限り問題は改善されないんだろう。そんな治療上の理由だったのが、どこかで「太ってるから手術してくれないなんて酷い!」という感情論にすり替わってしまったようだ。まぁ、今までしていた治療をやめるんだから、やっぱり経済的な理由も絡んでいるんだろうし、そういう意味では肥満者差別には違いないのかもしれないが。国民の1/4が肥満だと言われるイギリス。肥満者への治療を一般的に拒否することになったら、国民が黙っているはずはないだろう。でも、「何かあれば国がただで面倒を見てくれる」という甘えが今の肥満、生活習慣病大国を作り出しているとも言える。国籍、理由を問わず誰にでも平等の治療を、というイギリスの理念は素晴らしいと常々思っていたが、新EU参加国からどんどん移民が入ってくる今、経済的に無理が出てくるのも仕方がないのかもしれない。
Dec 9, 2005
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大学からの帰り、家の最寄り駅前でバスを待っていた。3時過ぎという中途半端な時間なせいか、バス停には老人が多かった。するとちょうど下校時間なのか、バス停では制服を着た中学生くらいの子供達が5、6人でふざけあって大騒ぎしながらやってきた。どうやら同じバスを待つつもりらしい。待っているのは住宅地を走る小型のバスだし、大抵いつも混んでいる。こんなうるさい子供達に囲まれたら嫌だなぁと思ったりした。どうせ我先にとバスに乗り込んで、席を陣取って大騒ぎするつもりに違いない。バスがやってきた。ちょうど子供達の目の前でバスの扉が開き、一人が乗り込もうとした。と、子供達の一人が「他の人たちを先に乗せてあげないとだめだよ!」と叫んだ。続いて他の子が「お年寄りが先!」と言う。老人達はお礼を言いながら先に乗り込み、子供達は後に続いた。バスの中でもお年寄りに席を譲る姿が見られた。大したものだ、と素直に感心した。時に自分本位で辺りのことを気にしないようにも見えるイギリス人だが、こういうところで子供にまでマナーが行き届いているというのはすごい。さすが、マナーの国と言うだけある。特に、自分より弱い人、手助けが必要な人に対する気配りは素晴らしい。駅の階段でスーツケースを引きずっている女の人や、ベビーカーを持ってバスに乗り込もうとする人がいると、必ず誰かが手助けする。ヤンキー風のおにいちゃんが老人を助けている姿なんか見ると、なんか微笑ましいものがある。こういった心配り(そして恥ずかしがらずに実際に行為に移すこと)は、日本人よりもよっぽど優れているように見える。Happy Slapが話題になったりいじめによる刺傷事件があったりもする中、普通のイギリスの子供達はまだまだ捨てたもんじゃないのかも、と思った。
Dec 6, 2005
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今日から、イギリスでもゲイカップルのパートナーシップが法的に認められることになりました。国としては"gay marriage"という言葉は使っていないものの、これで法的に結婚同様の権利がゲイカップルにも認められることになるとか。これによって、例えば、パートナーの死後に年金を受け取る権利だとか、病院で「親族」と名乗れる権利だとか、家の相続税の免除だとか、色々な実利的なメリットがゲイにも与えられることになるそうです。確かにイギリスにはゲイが多い。妊娠中の母親に強いストレスがかかると子供がゲイになる確率が高いとか聞いたことがあるけれど、本当かどうかは不明。イギリス人の母親はストレス一杯ためているのかしら。でも、実はイギリスに特にゲイが多いわけではなくて、隠す人が少ないだけかもしれないと考えることも出来る。芸能人をぱっと頭に浮かべても、スティーブンフライ(ハリーポッターにも出てる)、イアンマッケレン(LORのガンドルフです)、もちろんエルトンジョン、ジョージマイケル、ウィルヤングなど次々と出てくる。(かの有名な)音声学のJW先生もそうだし、大学にもあちこちに公然とゲイカップルを名乗る人たちがいる。理由として考えられるのは、やっぱり宗教ですね。キリスト教の中でもゲイそのものに反対する信者は多い。結婚はおろか、公然とゲイ差別をする司教もいたりする。ヨーロッパのようなキリスト教信仰の深い国々では、まだまだゲイを名乗ることは簡単ではないのかもしれませんが、ここはイギリス。王様が自分の離婚のために宗教を変えた国。それほど厳格なキリスト教信仰国ではないんでしょうね。むしろ個人の権利が尊重されるというのは、素晴らしいことだと思います。今まではカリフォルニアくらいしかゲイの結婚を法的に認めているところは知りませんでした*。今回のイギリスの動きは世界的にも大きな影響を与えるのでは、と思っています。(実際の式は数週間後から法的に可能になるらしいですが、エルトンジョンはすでにクリスマス前の挙式を予定しているとか。)*サンフランシスコ在住のJapansfoさんから訂正いただきました。カリフォルニアでも法律で結婚が認められているわけではないそうです!
Dec 5, 2005
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今朝のこと。10時からの授業に間に合わせようと、急いでユーストンロードを渡ろうとした。ユーストン駅の目の前を走るこの道は、車の往来が多く4車線+バスレーンがある幅広い道の割に、信号が少なくて歩行者には不親切な道。いつも左右を確認しながら気をつけて渡るが、なかなか車の切れ目が来ない。それが、今日は不思議と何台もの車が停まっていた。バスも、トラックも、タクシーも、ただ停まっている。渋滞な訳でもないのにおかしいな、と思いながらも、急いでいたので停車中の車の前後をすり抜けながら渡っていくと、その理由がわかった。私が後ろを通り抜けようとした大型トラックの後輪に、人の手が見える。あるはずのない場所に人の手。その手からは血が出ている。ぎょっとして見ると、なんと、中年の男性が後部車輪に絡まるようにして巻き込まれていた。身体はタイヤと車体の間にねじれるようにして挟まっている。幸い(と言っていいのか)頭はタイヤの外で、血を流しながらも意識があるようだった。停まっていたバスの運転手らしき人が一生懸命話しかけている。トラックの一メートルくらい後ろには靴が片一方転がっていた。今起きたばかりの事故らしい。一体どうしてそんなことになったんだろう。その人を轢いたトラックは工事用か何かのかなりの大型で、ずいぶん車体の長いトラック。タイヤは大型のが二つずつ並んでいて、後部だけで四輪ある。その人はそのタイヤに乗り上げるようにして、車体との間に挟まっていた。それも、左側の後輪。普通は前輪に轢かれるものじゃないかしら。前輪に轢かれてから後輪に轢かれたとしたら生きているのもおかしいくらいの大型トラックだし、道はこれ以上ないくらい見通しのいいまっすぐな平坦な道なので、角で巻き込まれることもありえない。トラックがリバースしたのかと思ったけど、それならタイヤは反対に回転するはずで、タイヤの上部に巻き込まれるはずはない。私と同じように車の前後をすり抜けて渡ろうとして、服か何かがタイヤに巻き込まれたのかもしれない。恐ろしいことだ。身動きが全く取れないくらいすっかりタイヤに挟まりながらも、轢かれた人は意識もあって、(それなりに)大丈夫そうだった。あの道路の往来の激しさと轢いたトラックのサイズを考えるともっと大惨事になっていたっておかしくない。こういうのを不幸中の幸いと言うんだろうか。私の10分くらい後にそこを通った友人は、消防車が来ていたと言っていた。救急車はまだだったらしい。うちの大学の大学病院が本当に目と鼻の先にあるんだけど、それはまた別らしい。授業が終わって一時間後にまたそこを通ると、道路の片側が全面通行禁止になっていた。警察と消防車がたくさん出ていた。轢いたトラックが遠目に見えたが、もう人は挟まっていなかった。ご無事なことを祈ります。午後4時。授業が終わって駅へ向おうと、いつも通りにここしばらく工事中の大学病院の横を通った。と、工事現場前に停車中のトラックに目が留まった。明らかに、さっきと同じトラック。同じ会社なだけかもしれないけど、そうか、大学病院の工事用のトラックだったのね。運転手は何事もなかったかのように、運転席で何か書いている。この人が轢いたんじゃないのかな~と疑問に思いながら横を通り過ぎた。皆さん、道路を渡る時は気をつけましょう。
Nov 30, 2005
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先週の木曜日から、イギリスのお酒に関する法律が変わりました。イギリスでは、第一次世界大戦以降、お酒の販売およびパブの営業時間は法律で制限されてきました。夜11時過ぎればスーパーのアルコール売り場はチェーンがかかってロックされるし、パブは閉店の30分前に鐘を鳴らしてラストオーダーを取り、11時になるとパッと店内の電気を明るくして客を追い返してきたのが今までのイギリス。朝まで飲み屋が開いている日本から来ると11時なんてまだ早いじゃん、と思うこともあるものの、皆が帰るきっかけになるし、必ず終電に間に合う時間にパブを出られるという安心感もあり、基本的には気に入っていたルールでした。そのルールが、先週の木曜日から緩和されたのです。申し込みする必要はあるものの、パブも酒屋も24時間アルコールを売っていいことになり、今までの「11時以降はアルコール無し」というルールがなくなった。そもそもヨーロッパで一番「Binge Drinking」の問題が多いといわれるイギリス。「Binge Drinking」とは、要するに、ゆっくり楽しんでお酒を飲むのではなく、あおってラッパ飲みするような感じですね。イギリスでは(女の子でも)酔って大騒ぎして、喧嘩して、路上で吐いて、なんていう姿を見ることがざらなんです。よくフランスやスペインなどの大陸の国々の、落ち着いた「大人の」飲み方と対照的だと言われています。そんな、飲み方を知らないアルコールにおぼれる国が、どうしてわざわざ法律を緩和するのか全く理解できませんでした。それが、ニュースなんかを見ていると、どうやら「Binge Drinking」をする一番の理由がパブの営業時間制限にあるという意見が出たらしい。つまり、11時になると閉まってしまうので、皆あせって何杯もビールを買い、急いでラッパ飲みするということ。それで営業時間制限を緩和すれば、皆もっと落ち着いて「大陸の人々のような」飲み方ができるようになるだろう、という見込みで法律が変わったらしいのです。そこで、日本を思い出しました。深夜の飲み屋街。酔っ払った千鳥足のサラリーマンと、歩けなくなって座り込む大学生と、大声で騒ぐ若者。日本人って実はイギリス人と飲み方がすごく似ている気がするんです。日本の大学の新入生歓迎コンパなんていうのはまさに「Binge Drinking」の典型な気がします。日本の飲み屋は朝まで開いているけど、そんなことは関係ない。朝まで開いていれば朝まで飲んで余計酔っ払うだけなのでは?という当たり前の疑問が湧いてくる。もしかしたら、イギリス人の「Binge Drinking」はパブの営業時間なんかとは全然関係なくて、日常のストレスレベルの高さからくるのではないか、というのが私が達した結論でした。イギリス人はヨーロッパ一ストレスレベルが高いといわれています。確かに仕事や普段の生活の中で大陸の人々はイギリス人よりもよっぽどのんびりと、優雅に暮らしているように見えます。悪く言えばリラックスし過ぎ。でも細かいことを気にしないで日々を楽しんで生きている感じがする。そういう意味では、イギリス人はヨーロッパの中ではたぶん一番日本人に近い性質を持っている気がします。毎日一生懸命働いて、仕事やラッシュアワーの電車や会社の人間関係でストレスをためてるんですね。それが飲み方に出るのかもしれない。だからパブの営業時間を変えたところで、そんな習慣は変わらないだろうというのが私の推測です。もちろん、法が変わってまだ数日。もうすこし経ってから、今回の緩和の本当の影響がわかってくるのだと思いますが。
Nov 28, 2005
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夜中のテレビで面白いものを見た。いつもはMTVのようなミュージッククリップを流すだけのチャンネル。今日はなんと、手話付きだったのだ。画面の右下では、マリリンマンソン、マクフライなんていう人たちが歌う歌にあわせて踊りながら(?)楽しそうに手話をするおばさんが・・・。マリリンマンソンにあわせてなんだか悔しそうな(?)顔をするおばさん(上)とマクフライにノリノリのおばさん(下)耳の聞こえない人がミュージッククリップを見るなんて、矛盾している、と思うかもしれない。でも、聞いた話によると、耳の聞こえない人も普通の若者と同じように、ビジュアルだったり、音の振動だったり、歌詞だったりを楽しんで、ミュージシャンのファンになったりもするらしい。なるほど、と思うが、さすがにテレビでミュージッククリップの手話を見たのは初めてだったんだから、そんなに巷に浸透しているわけでもないのかもしれない。普段から話題の番組なんかは、深夜に必ず手話付きで再放送するこの国。細かいところに気配りがなされているものだ、と感心した。でも、あんなおばさんにさせなくてもいいのに、と思ったりして。 オアシスを手話で熱演するお姉さん。この人は一番良かった。
Nov 25, 2005
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