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「 ずっと思ってたんだけどさ 」帰宅途中の車の中でおもむろに話し始める夫。「 『外国人登録証明証』の『外国人』ってなんで『Alien』なの? Alien って宇宙人のことだよ。 日本にきたばっかりで日本にまだ慣れてないとかだったら 宇宙人扱いも仕方ないと思うけどさ、もう20年以上住んでるのに 宇宙人扱いはないんじゃないの? 」さあ、なんでだろ?っていうか、来たばっかりの頃なら宇宙人扱いでもいいんだ(笑)そういえば、20年以上前になるけどカナダ人の先生へ提出したレポートの中で「外国人」を意味した言葉に「Alien」をあてはめた文章を書いたことがあるんだけど、やっぱり「エイリアンはスペースから来る人たちのことだよ!」ってイラスト付きでコメントついてたことがあった。こっちとしては辞書の「外国人」の中のひとつに「alien」っていうのがあったから採用しただけなんだけどじゃあ辞書の意味が適切じゃないの?って疑問だった。でも別に日本人は外国人を宇宙人だと思ってるわけじゃないと思うんだよね。それに、海外でも空港の入管で「citizen」と「alien」に分れてる所もあるし、「外国人」って意味で普通に使われてる言葉なんじゃないの?じゃあなんで「foreigner」じゃなくて「alien」なのかって気になったので帰宅後調べてみました。いくつかヒットしたサイトによると、もともと「alien」は法的な場面での「外国人」を指す言葉として諸外国で使われているらしい。しかし、映画「エイリアン」のヒットがあり一般人のイメージとして「alien=宇宙人」のイメージの方が先行するようになってしまった。ということのようです。それと、「alien」と「foreigner」の使い分けとしてforeigner = 旅行者等の一時的な滞在者alien = 海外からの定住者(そこで生活を営む者)という考え方もありましたが、「alien」という言葉が持つニュアンス自体が排他的である、という意見も見つけました。ちなみに、日本の自治体の中には「外国人登録証明証」に「alien」ではなくて「foreign」を採用しているところもあるようです。こういう問題は難しいですね。夫の気持ちもわからないではないんですけど少なくとも20数年の間に何の動きもなかったってことはうちの自治体の中ではそれだけその表記に大きな不満を抱く人もいなかったというわけで。結構デリケートな問題なので、当事者が声を挙げればそれなりに自治体も動くんじゃないか、とは思うんですけどね。「どうでもいい些細なこと」レベルに思ってる人の方が多いような気がします。(表記が小さすぎて読めない・読んでない人もいるかも・・・・)ところで夫はたまに議論になっている「外人」という言葉には無反応なタイプです。「外人」でも「外国人」でもどっちでもいいじゃん。「外の国から来た人」ってことでしょ。という感じ。だから余計に「alien」に反応していることが意外な気がしました。それだけ映画の「エイリアン」がすごいってことなのかもね(笑) http://youtu.be/flWP28y2cyw 私にとっての alien はやっぱりこれ。 スティングの「Englishman in New York」
2011年09月24日
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我が家の働き者の小人さん、タロー。その彼が一番苦手なものの一つが暇である こと。時間を持て余している時の彼に頼み事をすれば大抵のことは二つ返事でやってくれます。その他にも、気が向けば風呂掃除・トイレ掃除・玄関掃除は当たり前。皿洗いもしてくれるし、買い物にも行ってくれるし掃除機だってかけちゃいます。もちろん洗濯も。そして、何を隠そうこの洗濯を巡って静かで熱い戦いが繰り広げられていたのです。洗濯。それはどんな主婦にも多少なりとも個々のコダワリがあるいわば主婦の聖域。そこに目をつけてしまった小人タロー。何しろ我が家はいつでも洗濯物がてんこ盛りの家。7キロの洗濯機で洗ってるっていうのに洗っても洗っても洗ってもなぜかなくなりません。そして、なくならないのにはそれなりの理由があってそこに私の洗濯に対するコダワリがあるからなのです。しかし、小人タローにはそんなコダワリは無用の長物。「 とにかく洗って洗って洗いまくって篭を空にしてしまえ! 」とばかりに、ガンガンガンガン洗い続けます。ああ、これは汚れがひどいからしばらく浸けておこうと思っていたのに。これはデリケート洗いじゃないとダメなのに。仕事から帰ってきてベランダを目にする度「また今日も洗われた」という敗北感がストレスとなって溜まっていくのです。実はこの戦いが始まったのは私が仕事を始めた3年ほど前からのこと。その前までは、一応専業主婦だった私に一切を任せていた彼だったのですが私が仕事を始めて忙しくなったのを合図とばかりに洗濯業務に乗り出したのです。度々、彼の洗濯の仕方に堪えかねて「洗濯はしなくていいから」とは言ったものの、そこは大人の難しさ。「なにおう!」とばかりに洗濯回数に拍車がかかってしまいます。溜まっていた洗濯物が彼にとっては相当のストレスだったのでしょうね(笑)そこで、私はあえて彼に道を譲ることにしました。彼に洗濯をガンガン気の済むまでさせることにしたのです。そして、Aの靴下が綺麗になってないと彼がぼやけば「ちょっとお湯で浸けとくといいかもね~」とアドバイスし、どうしても洗って欲しくない物は彼の目に付かない場所に週末まで非難させることに。元々マメな人ですから、こちらがお願いと称した忠告をすれば「めんどくさいなあ」とは言いつつもその通りに洗ってくれるのです。で、細かい所は全部目を瞑る。タローがいなくなる7ヶ月前まではこんな戦い(?)が日々続いていたのですがいない間の平和さにすっかり忘れてしまっていた私。彼が帰ってきた時は、おなじく洗濯物をてんこ盛りにしてしまっていました。そしてまたまた洗濯戦争が始まった私達。今回は相手の行動も予測出来てはいたのでそれほどストレスにもなりませんでしたがそれよりも彼の洗濯能力がかなり向上していることに驚かざるを得ませんでした。私の物は篭の中に入っていても洗わない。子供の物はちゃんと浸けておく。汚れのひどい物は手洗いで落とす。つ、使えるぜ、こいつ!!!素晴らしい成長です。たまに私のセーターが勝手に洗ってあって「ひ~~~~~!」となることもありますが「 あ、だめだった? でもちゃんとネットに入れて洗ったんだけど・・・・ 」なんてちょっと申し訳なさそうに言われてしまうといいよ、いいよ、安モンだしと諦めもつくから不思議です。(実際喧嘩になるほどの値段でもない)今は「 うちのソープってちょっと洗濯物固くなりすぎじゃない? 」などと洗濯洗剤にまで口を出すようになった彼に「じゃあ柔軟剤買ってこようかなあ」なんて考えている私。まさにグータラ妻道まっしぐらですが相変わらず細かいところは目を瞑っています。この戦い、実際どちらが勝ったのかは微妙なところです。
2005年09月16日
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昨日の日記に引き続き、タロー矯正ネタをもうひとつ。私には、タローにどうしてもやって欲しいことが一つあった。俗に言う『かえるコール』っちゅうやつである。その頃のタローは、「夕飯が出来るまで待つ」ということにヒジョ~~~~~~~に忍耐に欠けた人であった。自分が家に帰ってきたら、夕飯はすでにテーブルにスタンバってる。その状態を理想とし、それが出来てないと不機嫌になった。タローの言い分としては自分はいつも同じ時間に帰ってくるんだから、それまでに用意しとけばいいだろうということだったのだがじゃあ、と時間通りに用意して待っているとそういう時に限って2時間ほど遅れて帰ってくる(怒)せっかくの炒め物も揚げ物も、冷めて味半減。タローは「それでも構わない」と言うのだが作ってる私は構うのだ。料理を作るからには、一番おいしい状態で食べてもらうべき。そう拘る私は、タローに「帰る30分前になったら電話して欲しい」と頼んだ。ところが料理の出来具合に拘らないタロー。電話するくらいなら多少不味くてもいい、とまったく取り合わない。私の方から電話してもいいのだがたいていその時にもらう答えは「多分」の域なので全然当てに出来ない。そして毎日「何時に帰るか」コールをするとタローもげんなりするらしい。ここで私は考えた。じゃあ、子供達に電話させよう、と。ちょうどその頃、子供達は幼稚園の年中と年長で朝はタローが寝ている間に幼稚園に行ってしまい夜は自分達が寝てからタローが帰ってくるというまったくタローとすれ違いの生活を送っていた。親子たるもの、一日一回くらいは会話をしないといかん。それを危惧していたこともあって夜、子供達が歯磨きも終わって、いざ寝ようという時にタローと携帯で話させることにしたのだ。電話で会話っつっても、子供にもネタを振らないと無理ってもんである。そこで、タロー帰宅時間を聞いてもらうことにした。夜、8時半には寝る子供達。8時15分か20分くらいになった時、子供達に言ってみる。あのね、ママ、タローのご飯作らなきゃいけないんだけどタローが何時に帰ってくるかわからないの。それで、タローの携帯に電話して聞いてくれる?『 うん、いいよ♪ 』と子供達はタローの携帯に掛け始める。A:『 あ、タロー? 』タローは子供からの突然の電話にびっくりしている(ようだ)。タ:『 あ、A? どうしたの? 』A:『 タロー、今日何時に帰ってくる? 』この時点で既に、昨日の日記に書いたように「いい加減な約束は出来ん」という刷り込みがタローに終了してるのでタローも確実な答えを子供に返す。タ:『 多分9時くらいに帰るよ。Aは今なにしてるの? 』A:『 Aはね~、今はみがき終わって寝るところ 』タ:『 ごはん食べたかい? 』A:『 うん、食べたよー 』タ:『 そう、じゃ、おやすみ~ 』A:『 うん、おやすみ~。あ、まって、Bに代わる! 』B:『 あ、タロー? 今日何時に帰るの? 』タ:『 今日はね、9時には帰るよ。Bは何してるの? 』このように、まったく同じ内容を繰り返すというタルい微笑ましいやり取りをした後タローと子供達の会話は終了する。そして子供達はベッドへ行き確実な帰宅時間をゲットした私は夕飯の支度へ取り掛かるわけである。いひひ。さて、しばらくこれを毎日繰り返していたのだが、すると予想外のことが起きた。なんと、あれほど電話を面倒がっていたタローから掛かってくるようになったのだ。子供達も疲れた日などは、タローに電話をする元気もないのでそのまま寝てしまったりする。すると、8時半ともなるとタローから『 今日は二人とも電話して来ないの? 』と掛けて来るようになったのだ。毎日の電話を受けている時、ちょうど知り合いといる時もあるらしく携帯で話してる様子から、タローに「誰と話してるのか」と聞くらしい。そこで「実は子供達からなんだ」と話すんだけど、と言うタローの嬉しそうな様子からみると、だいたい一緒にいる知り合いからその行為を羨ましがられてるようなのは一目瞭然。「子供達から慕われてるパパ」というレッテルを貼ってもらってるに違いない(笑)そしていつしか、タローにとっても子供達との短い会話が楽しみな儀式となったのだ。今日は子供達、疲れて寝ちゃったのよ、と話す私に電話の向こう側のタローは心底がっかりしているようだ。変われば変わるもの、子供パワー恐るべし、である。毎日、今なにしてるの? テレビ何見てるの? ご飯何食べたの? という何気ない会話を繰り返していただけだけど「コミュニケーションを取ることにより父子間の絆を強める」という、子供達から電話をさせたもう一つの目的は、立派に成果を挙げたらしい。特に父親側に(笑)私も帰宅時間が把握できたし、一石二鳥まったくもってめでたしめでたし、である。ついでに付け加えて置くと今子供達にそんなことを頼んでも面倒くさがってやってくれない。(タローは未だに電話があると喜ぶけど。)子供は可愛いうちに活用する。それも秘訣のうちだと言っておこう(笑)
2005年03月09日
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アフリカに実際に行かれた方は向こうの時間の流れが日本とは違うことを肌で感じられたことがあると思う。時計はあってないようなもの。期限もあってないようなもの。物事は納期ではなく、人の都合を基準に運ばれる。実際、学校や仕事に行く時間はちゃんと決まっているのだが日本のように切羽詰った「どうしてもいかなきゃ」という雰囲気は感じられない。なんともゆったりした世界なのだ。が、日本に来ると、これが一転して一緒にいる日本人の頭痛の種となる。悪名高い「アフリカンタイム」っちゅうやつだ。(アメリカでは『ブラックタイム』と呼ぶそうですね?)彼らのする約束の時間には、大抵1~2時間の時差がある。夫が定期的に通っている同国人ミーティングがあるのだがその初回に参加した時の衝撃は忘れられない。その時は会則やら何やらの取り決め日だったと思うのだが決められた会則のトップ項目のひとつが会が始まる前までに来るように努力し、会が始まる時間になったら誰が来なくとも構わずに始めるという内容に、私はすごいカルチャーショックを受けた。そんなん日本では幼稚園レベルじゃんかよ~~~~!!そう思う方も多いだろう。だが、彼らは大真面目にそのルールについて話し合っていた。人の育った習性っちゅうもんは恐ろしいもんである。ちなみに、その会則まったく守られてないらしい(笑)さて、我が家のタローも多分に漏れず立派なアフリカンタイムの持ち主だった。付き合ってる頃は時間厳守だったくせに結婚して私が家庭に入るやいなや彼の悪習は頭をもたげてきた。家族でのお出かけ時間を設定する。その数時間前に、夫は大抵外に出かける。私はと言うと、夫が帰ってくる前に出かけるための準備を終わらせる。約束時間。夫は帰ってこない。携帯に電話する。「ごめん、あと30分で帰るから」30分経過。やっぱり帰ってこない。「ごめん、あとちょっとで帰る」30分経過。まだ帰ってこない。彼が帰ってくる時には、すでに約束から2時間は経過している。あのなあ、店にも遊園地にも動物園にも 閉店時間 ってもんがあるんだよ!!!(怒)大抵お出かけ前にひと悶着あるのが通例だった。もっと前は携帯すら存在してなくてただ悶々と待ってただけだったのよ?ホントありえん。さて、ここで皆さんはお気づきだろうか。私が「だった」と過去形を使っていることを。そう、タローのアフリカンタイムは、いまやすっかり治ったのだ!すげ~だろ? なんでか知りて~だろ?では、我が家流アフリカンタイム矯正法を教えて進ぜよう。ふっふっふ。私が使った武器は2つ。それは「携帯」と「子供」。小さいな~んにもわからない時ならいざ知らず物心つくようになれば、約束したにも拘らず平気で時間に遅れる父親に子供も疑問を持ってくる。子供達 『 タロー、帰ってこないね。もう時間なのに 』じゃ、タローの携帯に電話してみる?そして子供達にタローの携帯に電話させる。子供達 『 タロー、いまどこ? もう時間だよ 』夫は呑気に答える。『 あー、ごめんごめん。あと20分で帰るからね 』子供達はそれからきっちり20分計り(笑)1分でも過ぎようなら、また「タロー帰ってこない」が始まる。なので、再び電話させる。子供 『 タロー、もう20分たったんだけど 』夫は再び答える。『 あー、あともうちょっとで帰るからね 』『 もうちょっとってどれくらい? 』『 多分あと20分くらい 』再び、子供達はきっちり20分計る。まだ帰ってこないと、また再び電話する。『 タロー、もう20分たったよ!(怒) 』さすがに夫も「あとちょっと」とは言えないらしく携帯攻撃に延々と遭う気もないらしくそこからまっすぐ帰ってくる。タローを待っている間、怒ってる子供達からこんな言葉がこぼれる。『 タローってうそつきだよね! 』優しい妻である私は、子供達が寝てからもちろん夫にちゃんと教えてあげる。今日ね、子供達が「タローってうそつきだよね」って言ってたよ。タロー『 え!! ( ̄□ ̄;ガーン!!!! 』自分は一家の長で模範であるべきである、と考える真面目なタロー。自分への「うそつき」のレッテルはかなりショックだったに違いない(笑)それからのタローは少しずつ変わっていった。まず、守れなさそうな約束は絶対しない。もし時間に遅れそうなら、遅れる前に「ごめん、ちょっと遅れるけど○時には着くから」と連絡が入り、その時間は厳守される。まさにエリート営業マン並の律儀さである(笑)やれば出来るんじゃん。心の中でそう思いつつ、でも絶対口には出さない私。余計なことは言わぬが華なのである(笑)こうしてめでたくアフリカンタイムを克服したタロー。いまや、私の方が時間にルーズになっている。今日は出かける、という私に、子供達が「帰りは何時?」と聞くのでん~、多分9時くらいかなと答えると、『 わかった。11時ね。』とさらりと返される。・・・・・まあ、多分そうなるんだけどさ~。
2005年03月08日
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うちは夫婦そろって楽しめるような趣味がほとんどない。読書、夫は聖書以外読まず。音楽、私はほぼ興味なし。映画、お互いまるで好みが違う。アウトドア、食べ歩き、二人とも興味なし。ショッピング、夫と行くより一人のが楽しい。まるでリンクするところがない。我ながらよく夫婦をやってるものだと思う。そんな私たちが珍しく二人で楽しめる数少ないテレビ番組の中のひとつがディスカバリーチャンネル。私たちは、どうやら見たい!知りたい!真実を解明してくれ!できればより科学的にな!という知的好奇心が人一倍強い夫婦らしくディスカバリーはそんな私たちの欲求を心地よく満たしてくれる貴重な番組なのだ。番組を見ている夫を観察してると、いつも木が水を吸い上げる勢いというか、太陽を浴びて蔦がめきめき伸びる勢いというかとにかくその吸収力のすごさに圧倒される。この人がいた環境っていうのは、よほど知的な刺激が乏しかったに違いない。そう思わざるを得ない雰囲気があるのだ。そして、そういう夫をみていつも考える。この人が先進国で教育を受けていたらどうなっていただろう、と。夫の国にも大学出の人はたくさんいる。夫の姉もそうだ。その下に生まれた夫は、若い頃から出稼ぎに行って家族を支える道を選んだらしい。もともと勉強好きな人だから、環境さえ整えばその先に進みたかったろうと思う。でも、彼の性格では、我侭をいうより家族を優先せざるを得なかったのだ。「パイロットになることが夢だった」という夫。違う国に生まれていたら、その夢は叶ったかもしれない。世の中の不平等さに殺される才能って一体どれくらいあるんだろう。ブラウン管の向こうではなく目の前に生身の人間として暮らしている夫はそういう忘れがちな世の中の理不尽さを思い出させてくれてそのどうにも出来ない大きなモノの前でいつも私はただ悶々とするしかない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・話変わって、今日から新札が出ましたね。まだ実物は見たことがないのですが、テレビとかで見る限りじゃお札って新しいデザインになればなるほどおもちゃのお金みたいになっていくような・・・・ほとんど浸透しなかった二千円札ってもんがありますがあれについての噂って聞いたことあります?あのお札の隅っこの方に、紫式部が描かれていますよね。あのお札を持つと、その式部が嫉妬をしてカップルを別れさせてしまうんだそうです。嘘くせ~~~~~~(笑)でも、お札での式部の描かれ方を見てるとそのくらいはしそうな雰囲気もあります(笑)今度の5千円札は樋口一葉。また薄幸の女流作家ですね。彼女も同じような噂の種になるのでしょうか?でも5千円札が持てなかったら一万円札と千円札で凌ぐしかないしそれって結構大変だと思うのですが(笑)
2004年11月01日
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今日帰ってきたら、珍しく夫がいた。あ、夫はいつも時間になれば帰ってくる人なので家にいても別段珍しくはないのだが「この時間に家着を着て家にいる」のはめったにないことである。あら、今日は休んだの?なんて夫に声をかけながら台所に入っていくとなんと!!台所がピカピカになっている!!! ( ̄□ ̄ !!!換気扇もレンジ周りもピカピカ。スチール板のところなんてわ~、顔が映るよ!ってなくらいに磨かれている。どーしたの、これ! タローがやったの??夫がやったに当たり前なのだが、あまりにびっくりさに聞いてみると『そう、ワタシがやったんだよ』という当たり前なお答え。なんでまた急に??『今日は I feel like doing something だから 洗剤買ってきて掃除したんだ』なるほど、どうりで洗剤臭い匂いが台所周りに漂っている(笑)そういえば、数年前も仕事が暇だった時はこの人あまりのヒマさに油ハネのひどかったヤカン磨いてたっけ。その汚れはね、歯磨き粉を使って磨くと落ちるよと教えてあげると、半信半疑ながらも試してみてすっかりきれいになったヤカンを見て嬉しがっていた(笑)たまに私も思い出したようにちょっと磨いてみたりするのだが全然落ちない汚れに放置状態だった換気扇周りもツルツルになっている。やっぱ男の力で磨くとすごいのねえなんて感心しちゃったりして。思い起こせば、この人は結婚する前からキレイ好きだった。まだ付き合っていた頃、私が彼の週一の休みの日に遊びにいくと彼は午前中からちゃんと起きて、洗濯・掃除をしているのだがその掃除の仕方がまた徹底していた。ちょっと片して掃除機かけておしまい、ではなくてきちんと一つ一つの埃を布巾で拭き取り、その後キレイにモノをどかしながら掃除機をかけるのだ。超真剣に、私が居場所を探さなくてはいけないような雰囲気ではなくあくまで私と楽しくおしゃべりしながらのその自然な態度の掃除業。その姿をみて、私の中の彼への好感度がかなりアップしたのは間違いない(笑)私もキレイ好きな母の元で育ったので、それなりに掃除などはするのだが夫や母をみていると『基本的にきれい好きな人』というのは私とはやることのレベルが違っている。夫に皿洗いをさせれば、必ず生ゴミを捨てるネットかごまできれいに磨きあげてるし、洗濯かごに洗濯物が無い日はカーテンを洗ってたりする。どう考えても私が敵う相手ではない。(っていうか、敵うつもりもない)ああ、うれしいな、きれいな台所 (^^)さて、台所もきれいにしてもらったことだしおいしい夕飯でも作りましょうか。今夜のおかずはフライドチキン。いきなり揚げ物で悪いな~と思いつつメニューを変更する気は更々ない妻であった。
2004年09月22日
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夫の国には、夫も知らないくらいの数の民族がいます。それとともに、話す言語も違います。公用語は英語なのですがそれ以外にも『共通民族語』というようなものがありほとんどの人は民族や出身地が違ってもこの民族語でお互いの意思疎通がはかれます。日本で言えば、関西の人や東北の人などがその土地独特の言葉以外に共通語を話すという感覚と似ています。私はこの共通民族語の存在を常々面白いと思っていたのですがなぜそれが生まれたのかは不思議でした。今日、ちょうど言葉の話題がのぼったので夫に聞いてみることにしました。あなたの国って、どうして共通民族語があるの?すると、夫から私の想像外の答えが返ってきました。『もともとワタシの国は、あの言葉しかなかったんだ』私は、夫の国にはもともといろんな民族と民族語があってそれを統一するために、一番主要な言語を共通語としたとばかり思っていたのですが、夫の話によるとどうやら違うらしいのです。ワタシの国は、いろんな民族がいたけど、使っていた言葉は一つしかなかったんだ。それが、周りの国から民族が流れてきたことによって使われる民族語も増えていったんだよ。で、もともとあった言葉が共通語になっただけなのさ。ほほ~~~~。聞いてみなけりゃわからないもんです。でも、首都の言語もまたその共通語と違うじゃない?ああ、あれももとはワタシの国の言葉じゃないんだ。行き来していた国から流れて移住した人たちが使っていた言葉が首都の主要言語になったんだよ。イスラムの言葉もその国から流れてきたんだよ。へ~~~~~、そうだったのか~~~~!ワタシよりだいたい3世代くらい前の話だけどね。言葉を統一するっていうのは大事なことだよ。何事もスムーズに運ぶには、同じ言葉を話すのが一番なんだ。ああ、それはわかるな。意思疎通の問題よりも、同じ言語を話しているという連帯感が重要なんだろうね。アフリカも、みんなが話せる共通言語があれば、もっと強力になれるはずなんだ。なんか話が膨大になってきた・・・うーん・・・たしかにそれは理想だけど、現実として厳しいんじゃない?そんなことないよ。例えば、今の子供達に共通語を教え始めるとするだろ?そうすれば、15年後にはみんなが同じ言葉を話せるようになるよ。そしてアフリカはひとつになるんだ。でもね~・・・これから共通言語を作るんでしょ?今ある言語をひとつ採用っていう話になったら絶対けんかになるよね。そして作るのも一筋縄でいくとは思えないし。そうだね(笑)アフリカってやつはまったく・・・・・という感じで苦笑する夫。北も西も東も南も、みんな自分の言語を持っている。それを譲れない限り無理だろうね。すべてのアフリカ人が自分達の子供にアフリカを託す時アフリカはひとつになることを目指して動き出すのかもしれない。そんな日は果たしてくるのでしょうか。あなたは私を夢想家と呼ぶかもしれません。でも、みんなが同じように思ってくれたらそれは現実となるのです。夫の話を聞きながら、ジョン・レノンのイマジンを思い出していました。
2004年09月19日
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