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昨年末(2017年12月31日)の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!『絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』」では、浜田がエディーマーフィーを真似た「黒塗り」やベッキーが不倫の禊として押さえつけられた末に蹴られた「タイキック」の場面が何かと物議を醸しだしました。この番組(この番組に関してはまた触れる機会を持ちたいなと思っています)に関しても毎年酷いと思っていましたが、「古代文明ミステリー たけしの新世界七不思議大百科 第5巻」TV TOKYOで、2018年1月5日(金) 夜9時放送は、生放送で放送事故を起こしたのかと思うほどの酷い内容でした(おそらく、録画放送であったのだと思います)。番組の公式HPによると「出演者」はMC:ビートたけし賢人:吉村作治、荒俣宏ゲスト:栗山千明 千葉雄大進行:須黒清華(テレビ東京アナウンサー)VTR:堺屋太一 ほかリポーター:前川泰之、中田あすみとなっています。私が問題視しているのは、「一代で世界帝国を築いたチンギス・ハーン 恐怖の支配と隠し通した墓の謎!?」というブロックの中の、以下の部分です。白衣の男が平井“ファラオ”光としてチンギスカンの解説をしていました。この時の進行が須黒清華なのかどうか、私は顔を知らないので何とも言えません。以下、文字に起こしてみます。--------------------------------------------------------平井:そのチンギスハーンなんですけれども、凄い名言を残しているんですけど、「男の最大の楽しみは敵を皆殺しにして残された妻と娘を寝+取ることだ」という・・・どうですかこの・・・一同:えー!たけし:正直でいいね平井:正直すぎるこの名言栗山千明:ほんとだとしたらですけど、ほんと酷いですよね(にやけながら)吉村作治:ひどいよね。冗談じゃないよね。進行:千葉さんはいかがですか千葉雄大:でも、あの、逆だったらもっとあれですよね。寝+取った後に殺しちゃったら・・・あ、何でもないです。一同:わははは・・・(誰が笑っていたかは映り込まなかったが、千葉本人と栗山は笑っていた)画面がモンゴルへ・・・--------------------------------------------------------という流れである。千葉の発言の真意は、おそらく、「目の前で妻や娘を強+姦されて、その後で殺されるよりかはまし」という事であろう。【疑問or問題点1】なぜ、テレビ東京はチンギスカンのその言葉を「名言」として紹介したのか?「言葉」として紹介すれば十分ではないのか。【疑問or問題点2】たけしが「正直でいいね」と言った。チンギスカンの本音を指しながら、自分の本音もちらっと表現しているのだろう。たけしに問いたい。「本音を言うのがそんなにいいことなのか??」。長きにわたる彼の暴言癖の問題。戦争と言うのは古来から「殺人」「強+姦」(そして「略奪」)がまかり通る状況であるから、そのリアルな人間の本性、不条理を史実として直視せよ・・・とでも言いたかったのだろうか。説明不足だし、こんな場所(公共の電波)で言うことではない。【疑問or問題点3】千葉があの短い時間で「逆だったら・・・」というコメントを考えたとは思えない。あらかじめコメントを考えていたか、上記のコメントを言うようにスタッフに指示されていたかのいずれかだろう。いずれにしても、アウトである。【疑問or問題点4】栗山をはじめ、出演者は笑っている場合ではない。(映像で見る限り、吉村と荒俣が笑っている所は移っていない)【疑問or問題点点5】公共の電波に乗せて、大手マスメディアがこのような内容の番組を流すなどということが許されるのだろうか?史実を直視することは重要だと思うし、史実から学ばなければならない真実・事実が多いことも確かです。平和ボケしてしまって現実を直視しない姿勢には私も危機感を抱いています。人類が延々と戦争を繰り返してきている事と、負けた側が「惨殺・強 姦・略奪」される運命となる恐怖はむしろ知っておくべきだと思います(だからこそ平和な世界の構築に「心血」と「富」を注ぐべき!)。上で文字起こしした放送内容は、少なくともTVで笑って話すことではないと思います。多分、台本に少しアドリブを加えて流してしまったのでしょう。スタッフは慎重に台本をチェックし、あのような場面を電波に乗せることのないように厳重に配慮と注意をするべきだったと思います。あの場面がアドリブによってあのような流れになってしまったのであれば、取り直すかカットするべきだったと思います。自分が殺され(多分惨殺なのでしょう)、自分の妻や娘が強 姦されるという場面を少しでも想像すれば、絶対に許すことのできない番組内容だったと思います。#MeTooで告発される数々の人権侵害も酷いと思います。#MeTooを見つめるにはこうした「殺戮と強+姦」の歴史をどう取り扱っていくかが大事だと思います。今回の「新世界七不思議大百科」のようなTV局(と、タレント)の非人道的な番組の作り方(と、その根元にある無配慮・想像力の欠如)は、女性のみならず男性の人権も著しく損なっているという事を示していると思います。テレビ東京にも、スポンサーにも抗議します。この記事は、「拡散希望」です。※ 「強+姦」としているのは、「+」を入れないと記事をアップできないからです。「+」を省いてお読みください。
Jan 28, 2018
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原発関連の記事には国民もうんざりして来て、思考停止状態になりつつあるような気がします。これだけ酷い状況なのに報道数が少ない。同じ内容を報道して見ても、視聴率や販売数が伸びないという事情は分かるけれど、報道しないと忘れてしまうのが日本人の悪い性分です。私も何だか怒りの感覚が麻痺してきているような今日この頃です。今日はこんな記事を見て、あきれています。-------------------政府の「エネルギー・環境会議」のコスト等検証委員会の公開データで原発の発電コストを試算したところ、発電量1キロワット時当たり約7.7円となり、2004年の政府試算より約4割高となった。ASAHI.COMよりhttp://www.asahi.com/special/10005/TKY201111220721.html国家戦略室のサイトに飛ぶと、議事録を読むことができます。http://www.npu.go.jp/policy/policy09/archive02.htmlhttp://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20111125/gijiyoshi_4.pdf大島堅一・立命館大学教授や特定非営利活動法人 原子力資料情報室(CNIC)http://www.cnic.jp/の伴 英幸氏らがコストを低く見積もっていることを指摘しているのに対し、役人さんたちがのらりくらりと質問をかわすシーンを見ることができます。会議の様子はネット上でVIDEOを見ることができます。http://www.videonews.com/press-club/0804/002154.php 原発がなくても電力は足りる! 検証!電力不足キャンペーン5つのウソ (単行本・ムック) / 飯田哲也/監修 古賀茂明/監修 大島堅一/監修4割?以前から原発の発電コストについては、もっと高いという指摘がありました。今更、4割?これについて、どういう感想を持てばいいのでしょうか。「ちょっとは正直に言い直しましたね。」というプラスの評価でしょうか。それとも、「今まで何というひどい嘘をついてきたんだ!」「今回も相当テキトーな計算だな!」というマイナス評価でしょうか。今回の試算では事故費用というのを上乗せしているみたいです。ん?どんな事故を想定して、どういう対処を想定しているんだろう???「福島は事故が起こったからちょいと上乗せしときましょう。今後は事故は絶対に起きないです。起ったら、そん時にまた試算して、上乗せするからー・・・・」というお気楽な試算に思えます。被害者の方々への賠償金や廃炉費用や大勢の原発村の人々を養う人件費は含まれていないのです。それに、2011年11月20日のTBSの「サンデーモーニング」では、放射性物質の除染費用は500兆円という試算を放映していました。除染費用についてはきちんとした試算さえまだされていないようです。除染費用を含めないことについて官僚の説明は、「はっきりしたコストが分かっていないので、コストには入れない」と言っているそうです。これでは今回の原発の発電コストは無茶苦茶な計算結果と言わざるを得ません。原発コストは7.7円ではなく、少なくとも、「7.7円を大きく上回る」と表現するべきでしょう!!原発コストに関しての様々なファクターを、都合によって過小評価をしたり、過大評価をしたりして、原発延命を図っているような連中が不気味です。学者もマスコミも、何をやっているのでしょうか?こんな政府(経産省のぶら下がり組織)に試算を任せておいていいのでしょうか?概算でもいいから、いろいろなケースによって幅を持たせてもいいから、早急にきちんとコストについて、計算し直し、国民によくわかるように提示してほしいです。--------さて、べらぼうに高い除染費用についてです。それにしても、高いです。500兆円が妥当な試算かどうなのかは私には分からないです。もしそうなんだったら、国民一人当たり400万円、4人家族の負担は1600万円となります。恐ろしい額です。福島を中心とする地区を今後どうやっていくのかについては、本気できちんと考えなくてはならないと思います。除染費用が50兆円でもキツイでしょう。今生きている世代でこんな借金を増やしてしまっていいわけがありません。子孫の代にそんな借金を残すわけにはいきません。そんな事をしていたら、日本が破綻してしまいます。ただでさえ日本の借金は1000兆円に達する勢いで、数%の金利の上昇の影響で数十兆円が加算されると言うとんでもない状況です。借金時計も大変な早さで加算されています。http://www.takarabe-hrj.co.jp/clockabout.html国全体の利益を考えて「全て元通りの生活を戻す」という方向ではなく、「新しい生活再建の姿を創造する」という発想で当たらざるを得ないと、私には思えます。汚染された地域の方々には申し訳ない部分があっても、「現実的な」ビジョンを持って福島原発への対処に当たらざるを得ないのではないかと思えます。
Nov 26, 2011
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各電力会社が節電を呼び掛けています。関西電力は15%削減を説明もなく求めて、 批判を浴びています。節電の面倒くささに国民が根を上げて、「やっぱ原発動かさないと仕方ない」と言いだすように脅しているのかとも思えてしまいます。橋下知事はその点について反発し、批判のコメントを出しています。関西電力が出しているHP上の資料では、各家庭での電力消費は14時の時点でエアコンが約53%を占め、続いて冷蔵庫が23%、テレビが5%となっています。エアコンとテレビに関しては、専業主婦と老人がエアコンをかけながらテレビを見るのをやめれば、かなり減りそうな気がします。昼間にごろごろしている専業主婦を家から出させる法律でも作ればいいのに。ついでに、10時~4時までは、テレビ放映も非常時以外は中止にすればいいと思います。どうせ下らない番組ばかりですし。と、思っていたら、関西電力のHPの別なところでは家庭での需要のピークは19時~20時と書いてあります。だったら、家庭は全体のピークとずれていて、ピーク時に節電しても影響が少ないのでは?そもそも家庭の電力消費なんて多くて20%なんだから、その15%を節約しても全体の3%じゃないのか!じゃあ、一体、企業が何をどのくらい節電すればいいのか。関西電力HPでは、企業の節電についての書き方が家庭に比べて詳しくない!(上が家庭で、下が企業)http://www.kepco.co.jp/home/setsuden/index.html http://www.kepco.co.jp/business/setsuden/index.html 我々にとっては原発同様、節電もブラックボックスです。このまま原発が点検に入って、再稼動できなければ、1年後には全原発が止まってしまうという話です。その時に、需要(節電体制)と供給(発電体制)をどうやっていくのかが具体的に示されないままであれば、結局は「やっぱ原発でしょう」という話になってしまいます。私は、民主党が「郵政解散」を真似て「脱原発解散」をしてしまえばいいと思っています。このところ、それが現実味を帯びてきている様相です。 脱原発と言えば、すぐに「経済がどうなってもいいのか」という論理で反脱原発論が持ちだされます。脱原発論イコール即原発停止論という捉え方はおかしいです。脱原発派と即原発停止派は、分けられるべきだと思います。脱原発派と即原発停止派をいっしょくたにして「脱原発は不可能」と言ってしまう論調は、変だと思います。脱原発派は「どうやって原子力発電からのシフトチェンジを行うのか」を丁寧に示し、ロードマップを掲げて脱原発へたどり着く方法を示す必要があると思います。元通産相官僚の岸博幸さんがこのところTVによく出演していますが、彼は脱原発というよりも、脱原発依存といういい方をして、長期的な原発依存脱却論を展開しています。この辺りで、用語も含めてもう少し整理をした方がいいかも知れません。極端な即脱原発停止ではなく、きちんとしたグランドビジョンに立って脱原発を構築する政治家が現れてほしいものです。火力発電も、稼働率上げればなんとか原発分を賄えるという論文はたくさんあるみたいです。チェルノブイリ後はよく発言していたものの、推進派に押されて長らく発言が取り上げられなかった広瀬隆氏が最近よく発言しています。FRIDAY増刊号では、企業がコジェネを導入しだせば問題ないと語っています。放射能ばらまくより二酸化炭素バラまく方がましでしょ。温暖化なんて、原発推進派のプロパガンダである可能性も高いのですし。神戸市なんて、ラグビーで有名な神戸製鋼が、石炭発電所を作っちゃって、「神戸市のピーク時の電力需要190~200万kWの約70%をまかなうことができます。」と、あります。200×70%で、なんと140万Kw!!↓http://www.kobelco.co.jp/ipp_project/town/index.html 一企業(電力会社でも何でもない)が、大都市の電力を賄ってしまうのです。 日本製紙、自家発電で9万5千キロワットを東電と東北電に供給というニュースもあります↓。http://www.zaikei.co.jp/article/20110624/74768.htmlこんなのを読んでいると、ある程度の枠組み(規制緩和や援助)さえ作っていけば、脱原発は不可能ではないように思えてきます(思えてきますとしか言えないのが情報と知力不足の国民の痛いところ)。個人のソーラーパネルの補助ではなく、まずは、企業の自家発電を援助するところから始めたらいいのではないかと。風力発電で原発40基分の発電可能 環境省試算というのもあります↓。http://www.asahi.com/national/update/0421/TKY201104210510.html 慌てて家にソーラーパネルを設置するのであれば、その金を企業に投資して風力発電施設をコミュニティーごとで確保した方がよっぽど安上がりな気もします。短期的には安全性の高いと思われる原発を再稼動しつつ、電力会社の火力発電所の稼働率を上げ、企業に自家火力発電をお願いする。火力で賄える見通しがたてば、再び原発を徐々に停止へと導く。長期的には風力発電他、自然エネルギーの精度を上げていくことに金をつぎ込み、火力発電も止めていく。で、いいのでは?とにかく、民主党でも、自民党でもいいから、ちゃんとエネルギーに関するビジョンと根拠を示して、国民に問うべきでしょう?とりあえず、発送電分離ぐらいは、さっさと決めてしまえばいいのに。各党、各政治家は、 自分がエネルギー(電力)政策に関してどういう考え方なのかを明示した上で、次回選挙に備えるようにしてほしいです。そういう情報を共有する仕組みが欲しいと思います。それをやるのがマスメディアの使命ではないか??
Jun 26, 2011
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原発関連、いろいろと書きとめておきたいことがあるのに、時間がなかなか作れません。ちょっと前の、週刊誌の記事。週刊ポスト6/10号です。「ひと目でわかる「自然エネルギーの限界」大図解」と喧伝しています。原発1基に相当する電力を発電するには、太陽光発電であれば5600haの面積、風力であれば、2116haの面積。これに比べて原発は0.3haであると主張しています。この記事が3.11以前の記事であるならともかく、半径10km(30000ha!)圏内を住むことができない地域にしている現状のもとで、よくもまあこんな記事を掲載したものだと思います。そもそも、なんで太陽光発電や風力発電に必要な土地が山手線内に例えられるのでしょうか???だったら、山手線内に原発を建てるという仮定で議論するべきではないのでしょうか? 総工費だって、どういう算出基準なのかさっぱり説明がありません。原発には放射性廃棄物の処理が相当かかるはずですから、建設時の総工費だけで比較する事は全くのナンセンスでしょう!自然エネルギーのネガティブ面を強調するこの週刊誌、発行元が小学館ですから右傾向が強いです。原発推進とは表立って書きたててはいないものの、大勢としては、推進したいという本音は見え隠れします。 私は自然エネルギーに期待はしています。しかし、だからと言って、盲信したくはないと思っています。もし、太陽光発電や風力発電がいくら投資しても費用対効果が得られないような代物なのであれば、投資してしまうのは当然避けるべきだと思います。大切なエネルギー政策であるからこそ、科学的で冷静な議論をし、国民の合意形成をしっかりと図りながら進めていくべきだと思います。なのに、大手出版社が出す週刊誌がこんな記事を出しているようでは、まともな議論は進められそうにありません。オープンなところできちんと協議をし、国民に正しい情報が入ってくるようにしていかないと、マスコミ報道は偏りがあり過ぎて判断のしようもありません。2011.6.12には、首相官邸で自然エネルギーに関する 「総理・有識者オープン懇談会」が開かれています。 ソフトバンクの孫さんやミュージシャン小林武史・坂本龍一、サッカーの岡田元監督らの提言もさえています。閲覧数が少ないのが残念です。現在、菅総理は批判にさらされていて、確かに「どうなんでしょう??」と思うところもあります。しかし、菅さんの面白いところは、「思い切ったことをやっちゃう」ところではないでしょうか。思い切ったことをやってほしいと思っています。菅降ろしをしたい人の中には、菅さんに思い切った脱原発に走られるのが怖い人がかなりいるのではないかともいます。週刊文春6月9日号では小沢氏の東京電力との蜜月ぶりが報道されています。小沢氏の「ジョン万次郎の会」を設立した時の発起人には元東電社長・会長、経団連の会長をつとめた平岩外四氏が名前を連ねている。東電の勝俣恒久会長は現在理事を務めているそうです。現自民党・元自民党の面々が原子力村とどういうつながりがあるのかというのは、もっと詳しく報道されるべきではないかと思います。民主党の中にも元自民党の面々がかなりいるので、彼らは立ち位置が怪しげです。脱原発で民主党がまとまることができれば、脱原発解散に打って出てしまえばいいと思います。脱原発VS原発推進で再編成しちゃってもいいのではないでしょうか? 村上春樹も表に出てきて珍しくカメラの前で長いスピーチをしています。こちらで全スピーチを見ることができます。 この報道があった同じ日に関西電力が15%節電を要請するニュースが報道されました。まさに、脅しです。
Jun 17, 2011
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東大の教授が過去に「水素爆発は起きない」と語っていた映像を見つけました。この発言の社会的責任を学者としてどう取るつもりなんだろう。とんでもない話です。大橋弘忠は東大教授なのだから、国家公務員であり、何らかの処罰を与えてもいいのではないでしょうか?反対派や庶民を馬鹿にしたかのようなうすら笑いも腹が立ちます。司会者や会場の多数も、推進派のようで、反対派を小馬鹿にした様子が見て取れます。庶民には情報も、情報を分析する力もありません。原発コストがが高いのか安いのか、安全なのか危険なのかも、誰か偉い学者さんが言っていることを「そうかあ。そうなのかあ・・・」と、なんとなく信じているしかないのです。原発コストの問題も、調べてみましたが、結局よくわからないみたいです。http://www.nuketext.org/yasui.htmlでは、かなり丁寧に説明してくれています。特に、バックエンド事業に関するコストが含まれていないというのは、問題だと思います。核廃棄物の保管や処分、宣伝費や研究費も含まれていないのも、酷い話です。でたらめな情報が大手を振って流れてしまうのは、本当に怖いです。有事(今回の津波やテロ)の被害想定も全くないですし。子孫につけを回すなんて、恥ずかしいと思わなくてはなりません。http://chikyuza.net/n/archives/9640や「原子力資料情報室」の記事http://www.cnic.jp/なども、参考になりました。が、所詮フツーの人である私には、よくわからぬことばかりです。とにかく、凄い金がかかっていることはわかりました。------------- 以下引用実際に解体が始まっている、東海原発出力16.6万kwの場合、解体に約350億円、廃棄物の処分に約580億円、合わせて何と約930億円もの見積もりがなされています。 http://www.nuketext.org/yasui_backend.html ------------- 関西電力の堺メガソーラーの総工費が7億円らしいですから、解体費用だけでも、メガソーラー130基分ですね。こういった計算が果たしてどういう妥当性を持っているのか???メガソーラーに金をつぎ込むことが本当に妥当なのか???何に金をつぎ込むといいのか、メタンハイドレードやオーランチオキトリウムが本当に有望であるなら、そちらに金を注いだ方がいいのかもしれないですし。下↓は、 オーランチオキトリウムの動画。 今日、May 29, 2011のTBS系、「夢の扉」にも出演されるようです。今日の「夢の扉」を見ると、企業等の出資が功を奏して、上で載せている動画に比べて施設がよくなっているようです。田中康夫が先月の国会でも取り上げていました。注目が集まることで研究・実用化が加速してくれることを願っています。中東への石油依存さえも払拭して、世界地図を変えられるかも。
May 29, 2011
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↑風車の可能性について、東大教授、荒川忠一さんが話しています。電力政策の見直し、菅総理、よく言っちゃったと思います。菅総理や民主党がたいへん悪く言われています。民主党の方を持つつもりはないし、言われて仕方のない部分はあると思います。そもそも菅さんは野党肌の人だから、総理として軽いのは仕方ないでしょう。薬害エイズのときだって、周りのスタッフがお膳立てして決断したのが菅さんだったようです。今回の浜岡原発の件も、ある意味菅さんだからこそ普通ならあれこれ考えて決断できないところを、決断できたのだと思います。50%の原発依存の将来像も、菅さんだからこそ見直しを言い出せるのでしょう。この後、菅さん自身には、正直あんまり期待できそうにないですが、政権を担うスタッフが菅さんの決断をどう活かすかにかかっていると思います。自民党が民主党を悪く言っているのは、どうかと思います。原発に関して言えば、政治と原発関連会社とのずぶずぶの関係を作ってきたのは自民党だったはずです。民主党はどちらかと言えば鳩山さんが所信演説で開口一番、自然エネルギーの活用を口にしたように、脱原発よりの立場であったと思います。民主党の中で原発推進なのは、元自民党であった議員が主であり、自民党は民主党を批判する前に、政権奪回をしたらどのようなエネルギー政策を遂行していくつもりなのかをちゃんと語るべきでしょう。政権奪回の目的はどちらかというと原発事業延命の方向を目指しているためではないかと思えてしまいます。自民党は批判ではなく、まず、反省から始めるべきではないでしょうか。最近はマスコミ対策か、自民党の中ではどちらかというと浮いている、脱原発派の河野太郎議員を論客としてよく送り出しているようです。河野太郎議員の父は、前回(1994年)政権奪還された折に自民党総裁になった河野洋平氏。洋平氏は結局総理大臣になることはありませんでした。親子で党がうまくいかないときに利用されているように思えます。太郎氏も、自民党になんかいないで、出ていけばいいのに。http://www.taro.org/movie/2009/08/genshiryokuhatsuden.phphttp://www.taro.org/2011/03/post-970.php↑さすが議員さんで、よくわかる数字を示しています。http://www.taro.org/2011/05/post-1010.php↑国会での質問も、バシバシやってほしいです。こうして数字を見せられると、原子力発電は安価であるなんて言うのは、いったいどういう算出基準でやっているのでしょうか?今回の事故による被害補償、使用済み核燃料の処理と管理や研究費・宣伝費・地域に対して補助金を交付等などを含めて、どれだけのコストがかかっているのかを誰かそこそこ信じられる数字をだしてくれんのでしょうか??
May 22, 2011
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週刊金曜日を買ってきました。週刊金曜日臨時増刊 原発震災 2011年 04月号 [雑誌]価格:600円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る左翼系の論客が多いこの雑誌、当然反原発であり、書いていることはやや極端ですが、推進派もかなり極端なことを言っているわけですから、情報量の少ない下々の民衆は両方の情報を入れて判断をしていかざるを得ないでしょう。佐高信さんが、「電力会社に群がった原発文化人25人への論告求刑」という特集記事を書いていました。私がずっと願っていたことをマス(でもないか)でやってくれました。なんとたくさんの文化人が推進に協力していたのか、よくわかります。もっといるのでしょうけれど。浅草キッド、アントニオ猪木、荻野アンナ、大前研一、大宅映子、岡江久美子、勝間和代、北野武、北野大、村晴男、木場弘子、幸田真音、草野仁、堺屋太一、住田裕子、中畑清、弘兼憲史、藤沢久美、星野仙一、三宅久之、茂木健一郎、森山良子、養老孟司、吉村作治、渡瀬恒彦。「安全神話のホラ吹き役・売る芸がないから身を売る」 と、辛辣です。もっとたくさんの推進事業参加者が載っている「電力会社が利用した文化人ブラックリスト」というリストもずらりと出しています。推進派がいかに各界の顔を宣伝塔に利用しながら周到にプロパガンダをやっていたのかがわかります。もろ原発賛成の方から、オール電化推進まで、差はありますから、一概にこの人たちを糾弾するのはどうかと思うものの、「じゃあ、今、原発についてあなたはどう思っているの」ぐらいは、聞く権利が消費者側にはあるように思います。この雑誌には政治家のリストがないのが残念でした。是非、推進派政治家(ついでに反対派)の意見も、一人一人、聞いてみたいものだと思います。講談社の週刊現代とフライデーも、食い下がっています。どちらの雑誌も興味本位な部分があってあまり好きではないけれど、こんな時は応援しちゃいましょう。 いろんな論調がある中で、原発問題が論じられてきたのであれば下々の私たち民衆にも責任があると思います。しかしながら、明らかにプロパガンダと、情報操作が行われてきた歴史があります。情報操作をしてきた側はもっと糾弾されるべきだと思います。圧殺されてきた「原発マネー」「情報隠ぺい」等の推進側の問題点が明るみに出て、フェアな議論ができるようになるといいと思います。原発がエコによろしいだとか、 原発は安価だとか、民衆を惑わすような情報の垂れ流しは本当にアンフェアだと思います。原発で作られた電気は安いって言っても、被害があった場合や研究費・宣伝費・数十万年にもわたる廃棄物管理のコストをのせていないのでは??だいたい、そういうことをちゃんと計算したデータを私たちは得ることができません。やっと反原発側の発言や原発推進に都合の悪いデータがマスメディアに載るようになってきました。先日「テレビタックル」で阿川さんが「(原発は)国会議事堂の地下にでも作っちゃえばいい」と、発言していましたが、こういった言論が自由にできる雰囲気がないと、不味いと思います。
May 15, 2011
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勝間さん、断る力を出せばよかったのに。この放送の後、原発はさらに事態が悪化し、勝間和代に対してかなりの批判が出たんだと思います。勝間和代は意見を変えます。あるブログ↓では、「勝間和代女史が寝返った件」と書いています。 http://news.livedoor.com/article/detail/5494713/ 日本を代表するオピニオンリーダーがこんな調子です。普通に考えて、東京や大阪の近くに作れないほど危ないものを、利権がらみで大量の金をかけて宣伝するような代物が、まともなわけないだろうに。推進した議員、学者、広告塔になったタレント。自民党のエネルギー政策の中心だったのだから、自民党議員はもっと責任を感じてほしいです。民主党の中の旧自民系議員や政権に着いてから推進を言い出した人たちも。国を挙げて他国にまで原発を売り込みに行ったりもしていました。やっとテレビをはじめとするマスコミも、原発反対の論調を流し始めました。誰かのせいにして思考停止をせずに、本当の悪が何なのかを、詰めていってほしいです。資源に貧しい日本が今まで何とかやってこれたのは、情報力(=教育力あるいは、=技術力)があったからだと思います。でも情報力はそれをキープする力がないと、情報や人(頭脳)が流出してしまえば簡単に他国に追いつかれてしまいます。すでに、情報は外国にもっていかれてしまって、そのことが日本の財政事情を苦しくしていると思います。(例:素晴らしい教育力は外国に真似られ、日本自体は教育力が衰退)中長期的に見て、財政が行き詰まりとエネルギー政策の行き詰まりが同時進行すると相乗効果で負の方向に経済が進み、低迷→破綻への道を歩んでしまうのではないかと思っています。3年前のガソリン代の値上げのときに、あれだけ打撃を受けたのだから、エネルギーを買う財力さえ怪しくなってきた折には、たいへんなことになりそうです。「エネルギー問題が絡んだ経済破綻」を想定外とか言っておらずに、危急の課題として取り組んでいかないといけないと思います。原発推進派の温暖化プロパガンダに気を取られ過ぎず、寒い冬に石油も手に入らずに凍える状況(日本のご先祖さんの姿)も、想像するべきでしょう。今、かろうじて体力があるうちにエネルギーに関する課題を何とか好転させるように、ちゃんと政策を考えていかないと。原発問題をどうするのか、火力エネルギーと新規エネルギー参入をどうするのか。国運を左右する大切な決断ではないかと思います。次期選挙は、原発推進か、脱原発かを争点のひとつにすべきだと思います。メタンハイドレートというエネルギーが日本近海に眠っているそうです↓。こういうのを、国を挙げて検討・バックアップしていく必要があるのでは?どこまで有望なのかは私にはわからないですが、小規模地域で様々な新規エネルギーを試し、成功事例をどうやって共有し、政策上で支援していくかを進めなくてはならないでしょう。太陽光発電や風力発電が経済ベースで本当にどの程度の期待ができるのかが一般人には全然分からないまま、原発がエコで経済的と宣伝するのは、情報操作と言っても過言ではないと思います。原発一基を製作・設置・運転・廃棄する過程でどれだけのコストがかかり、それが最新のメガソーラーや風力に比べてどれぐらいの比率であるのか、そんなことさえ分かっている人は少ないと思います。自然エネルギーに期待できないなら、できないで、次々と考えなければならないことはある筈です。 今回の原発事故でやっと発電と送電の分離の問題(既得権者と電力会社の独占=新規エネルギーつぶし)が表面化し始めました。このさい、とことん、はっきりして欲しいです。
Apr 30, 2011
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数年前、「原子力発電について」をテーマに若い教員(と教員志望者)の世代と討論する機会がありました。メンバーは20人以上いたでしょうか。若手と言えど教員だからやや左派的な思考をする人が多いだろうから、反対派が多いだろうなと思っていました。予想では7:3ぐらいで反対派が多いのかと思っていました。ところが、4:6で賛成派が多数という結果になり、驚きました。もっと驚いたことに、その討論の座を設けている教育大学の教授も賛成派だったことです。教える人に教える立場での賛成とは!少なくともグレイであってほしいです。私はもしもの場合のリスクの大きさを考えれば、相当慎重になるべきだと主張をしたのですが、ある若い学生には、「何を非科学的なことを言ってるんだ、前近代的な人間め」というような態度を取られて、腹が立ちました。 「そんなに安全なのだったら、大都市には消費責任があるのだから、大阪や東京に原子力発電所を立てればいい。送電時の減衰と送電線の近くに住む人たちへの被害がないというメリットもある。それができずに過疎地にしか建設する事が出来ないのは、できない理由があるのではないか?廃棄物も安全な処理ができるというなら、東京と大阪に埋めればいい。」「利権構造の中で原発が推進されている限り、客観性には乏しい。安全なんて保証されたものではない」と、主張をしたら賛成派は思考が混乱し、思考停止してしまったようです。議論は平行線のまま終わりました。単なる知識不足・情報不足もあるのだろうけれど、若い世代がさほど考えることなく「原発安全神話」に流されてしまっている傾向には危険を感じました。強力なプロパガンダに騙され続け、異を唱える人間がどんどん減っていった約40年。怖いのは原発だけではないように思います。怖いのは民衆の思考停止と、それを利用する強者の論理です。原発に限らず、民衆はプロパガンダに騙され、知らぬうちに権力にからめ捕られてしまいます。原発推進派のプロパガンダは酷かったです。昨年末ぐらいから、中島みゆきの「糸」が原発のTVCMに使われていました。いい曲だけに、非常に薄気味の悪い気持ちがしました。↓(ユーチューブ貼れないので、短縮URLを経由します。)http://www.youtube.com/watch?v=Q0RkVTaqhwc原発のCM塔に使われてきたタレントの宣伝責任も問われています。星野仙一、薬丸裕英、勝間和代、北村晴男、中畑清、川合俊一、高橋秀樹・・・2011/04/08発売のフライデーには、石原東京都知の原発推進派ぶりが報道されています。本当に怖いです。みんなして、飼い馴らされてきたんだなあ。一方で、反対派もいました。忌野清志郎がRCサクセション時代に「COVERS」というアルバムを出し、物議を醸しました。RCは東芝EMIからアルバムを出しており、親会社の東芝は原子炉サプライヤーです。福島第一原発も日立と東芝が深く関係しています。結局、このアルバムは東芝の圧力により、発売中止になり、別の会社から発売されるという経緯をたどりました。http://www.youtube.com/watch?v=MIbrxhv_s_M&feature=relatedアルバムバージョンには高井麻巳子(秋元康夫人)、三浦友和(山口百恵の旦那→実は元RCサクセションのメンバーだったが、アイドルのイメージを壊すのを恐れたため、「メンバーであった過去」はこのアルバムに参加するまでは封印されていた)、泉谷しげるがゲスト参加。私もさほど原発の事がわかっているわけでもないし、熱心に反対運動をしてきたわけでもありません。しかし、疑う事をやめれば科学の発展はないし、思考を停止すればいつか「歪んだエゴが発する悪意」に染められてしまう危険があります。それぞれにどういった重さで責任があるのかを、検証していく必要があると思います。今現在、こうしてパソコンをさわっていても原発に30%以上由来する電力を私も使い続けています。私も責任を背負っているという意識を忘れないようにしたいと思います。誰かの責任にして思考を停止しているのは不味いと思います。菅総理大臣や民主党政権を責める論調も多いですが、原発の推進は長く自民政権の利権構造の中で培われてきたことです。 最後に、風力発電について、小林武史が対談をしています。http://www.eco-reso.jp/feature/love_checkenergy/20110318_4983.phpこんなのを読むと、実は、なんとかなるのではないかと思ってしまいます。希望を捨ててしまいたくはないです。とはいうものの、そういう希望的観測も、無責任で思考停止ですが・・・
Apr 9, 2011
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出演者が相次いでけがをしていたフジテレビのバラエティー番組「オレワンスペシャル」の収録で、お笑いコンビ「ハイキングウォーキング」の松田洋昌さん(33)も左胸の骨が折れる3、4週間のけがをしていたことが18日明らかになった。けが人が3人に増えたことを受け、フジは22日午後7時に予定していた同番組の放送を中止することを決めた。 http://www.asahi.com/culture/update/0818/TKY201008180237.html冒頭より引用。----------------ゴールデンの番組に出してもらいたい芸人と、ぎりぎり寸止めの映像を要求するTV側。友達になってもらいたいいじめられっ子と、死なない・チクられない程度に寸止めのいじめをするいじめっ子側。両者の関係性は良く似た図式ではないかと思います。なかなかブログをアップできない日々が続いていますが、このブログで扱いたいテーマの一つに、「マスコミ、マスメディア問題」があります。「マス」と呼ばれる大きな影響力を持つこの第4権力の増長が、日本社会を悪くしてきたことは、否めません。マスコミが醸し出すエゴイスティックなムードがいじめを広げている部分も、絶対にあると思います。刺激さえ大きければ、読者・視聴者をつなぎとめられるという考えが、あのような事故や、悪趣味で無責任な番組を垂れ流す原因なのだと思います。 学校に対するネガティブキャンペーンを延々と繰り返し、世間の学校不信をあおる一方で、自分たちのやってきたことに対しては、涼しい顔してさらっと流し、反省の色を見せないマスメディアの悪影響を何とかしなくてはいけないと思います。学校に対するネガティブキャンペーンを貼る裏にも、無能で無防備な学校を叩けばウケるだろうという「マスメディアの意地悪な感性」が働いていると思います。学校(教師)は真面目で正義感が強いのだけれど、隙が多きことも確かです。だからと言って、執拗に攻め立てて水に落ちた犬を叩くがごとくの書き方は、いかがなものか。これも、「まじめではあるけれどもアスペルガー傾向のある子供の"KYな行動”を正義の名のもとに殊更に責めるいじめっ子」の図式とよく似ています。マスコミにチェックをかけ、暴走を食い止めるシステムが必要であると思っています。
Aug 22, 2010
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「教師の夏休みというと、のんべんだらりんとしていいなあ」というのが、世間一般のイメージだと思います。確かに、昔はそうでした。昔は、かなりひどくのんびりしちゃう人がいました。信用失墜につながるので、詳しくは書きませんが、ひどい人のサボり方は、本当にひどかったです。ところが、近年、どんどんそうでなくなっています。ここ10日ぐらいは、授業はなかったにもかかわらず、かえって忙しかったぐらいの盛況ぶりです。ブログも夏休みなんだから書きたいことがあるのに、書いていられないという日々です。水泳教室に、研修、書類の処理、各種会議に加え、1学期には忙しくて開くに開けなかった飲み会。それでも、職員全員参加が前提の公式の飲み会でも、参加者が半数しかないという状況です。集まった参加者も、同じ学年の担当と言うのに、「ちゃんと話するの初めてだね」とか言っている人たちもいました。何を追いまくられているのか、話をすることが面倒になって、夏休みになってさえ、同僚とのコミュニケーションがうまく取れないでいます。誰もが自分の仕事の事で手いっぱいになってしまうと、お互いを思いやる気持ちが薄れてきて、たがいの動きに神経を尖らせるようになってしまいます。若い人たちが増えているのもあって、若い人たちは元々没コミュニケーション社会で育っているので、あまりコミュニケーションが上手ではありません。そういう私も、1960年代生まれの没コミュニケーションタイプです。あまり殺伐とした職場にならないように気をつけないと・・・---------------------------先日、職場以外の方(Yさん)と、お会いして話すことがありました。同僚ともコミュニケーションが取れていない状況なので、職場以外の方とお話をする機会は、本当に少ないです。教員は、大学時代の友達も教員であることが多いので、世間一般の方と接する機会は本当に少なくなりがちです。YさんはPTA活動にも積極的に参加して下さっている一児の父親です。視野が広く、ご自身のお仕事以外の事にも詳しく、教育に関する事にも興味を持っておられます。ニュートラルな立場で学校現場を見てくださっており、頷ける事が多かったです。Yさんのような、ちゃんとした社会経験がある(教師は社会人とは言い難い人が多い)頭のいい方の意見には、我々教員も耳を傾けなければいけないと思います。私たち教師は、意識して学校関係者以外との関わりを持つ必要があると思います。 私は学校に第三者組織が関わるようになってほしいと考えています。現在は学校評議員制度があることはあります。ところが、「学校評議員の委嘱は、その学校の職員以外の者で教育に関する理解及び識見を有するもののうちから、校長の推薦により、その学校の設置者が行う」と、どちらかというと、学校に協力的な方が選ばれることが多いのです。例えば、地域の自治会長さんや、元PTA会長さんが参加してくださっていおり、私が出席した時には、みなさん、非常に穏やかなご意見を述べられていました。それはそれで、構わないと思います。そういう組織もあっていいでしょう。逆に、学校に対して協力的ではなく、単に批判的な方が学校に介入し始めるとロクなことがありません。こちらの実情も分からずに、上から目線で改革しようとしても、うまくいくわけがありません。そこで、私は、学校評議員でもなく、単なる批判的組織でもない、ニュートラルな組織に、学校に関わってもらうようにしてはどうかと考えています。甘すぎず、厳しすぎず、現実的で。「学校をよくしよう」と思っていることが前提で、当事者のPTAや地域の方は除外し、思想的な偏りも排除します。文部省や首相の諮問機関に、識者を集めることがよくありますが、そういう中央の流れとはまた別に、地方や各学校にそういった組織が関わってもいいのではないかと思います。NPOででも、できないかしら・・・
Jul 24, 2010
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さっぱり更新ができなくなってきました。時間がない・・・・・。馬鹿がつくほど細かく意味のない仕事が増え続けています。みんな自分を守るのに精いっぱいです。書類を作ってアリバイを残すことに躍起になっています。「何月何日までにこの書類を提出してください」と言えば何でもやらなくてはならないような妙な規則に縛られてしまっています。避難訓練をしたら、評価書類、ごみの処理についての評価書類、1年生歓迎会について評価書類・・・・・。つい先日も、 「自己評価」の書類を提出させられました。馬鹿細かい項目にいちいち答え、ABCDの自己評価をさせられます。PDCAサイクル(プラン・実行・チェック・アクション)を回せと言われます。評価は大事なのだと。「重点教育目標『共に助け合い、学び合い、深まり合う子』を常に意識して指導をしているか」そんなこと、常に意識していれません。いやいや、たいていの教師は普通にそういったことを意識はしているけれど、あまりにも設問が抽象的すぎます。そんなこと、自分でどう評価しろっていうのか、自分で評価させて何の意味があるというのか・・・・20年ほど同じようなお題目が唱え続けられているにかかわらず、あまりみなさん実現できていないような目標に対して、自己評価が低い人に、どんな支援をしてくれるというのか・・・・ こんな意味がよくわからない書類に振り回されている時間があったら、子供と少しでも向き合うだけの時間がほしいです。話のひとつでも聞いてあげたい、漢字の一つでも覚えさせて褒めてあげたいです。管理職は勤務時間が長くてお疲れだろうと、「8時に職員室を閉める」と言います。早く閉めるという意識を持つのは大事だと思います。しかし、土曜日に学校で仕事ができなくなったので、平日はできるだけあけておいて欲しいです。私はテストの採点や教材作りなど、家でできることは全て持ち帰ってやっています。それでも、どうしても学校でしかできない仕事がたくさんあるのに、残酷です。 「8時に職員室を閉める」を言うの前に、勤務時間が短くなるように仕事を精選してくれることが先ではないのかと思います。教員は残業代を完全にカットされ、その代わりに特別手当をもらっています。手当と言っても一日当たり20分弱相当のお金です。私は1日4時間は超過勤務をしています。休息や休憩もほとんど取ることができません。一日5コマの授業を受け持っていたとします。休み時間は子供と付き合えと指示がありますし、実際そうしないと成り立ちません。給食・清掃・朝の会や終わりの会もあります。そうすると、それだけで1日に最低6時間強が必要です。授業をきちんとしろと言われます。『共に助け合い、学び合い、深まり合う子』を授業の中で実現せよと言われます。いいかげんにやったって、準備や後処理で1コマにつき最低平均20分は必要です。それで、20分×5コマ=100分です。併せて8時間。勤務時間は終わりです。もとより、時間オーバーにできているのです。昔なら、ゆっくりとした夏休みがありましたが、研修・研修・仕事で夏休みでさえ残業をしなくては回らなくなりつつあります。それに入ってくる、会議、書類提出、トラブル対処、保護者対応・・・・管理職の仕事は時間のマネジメントが重要なはずです。学校全体の仕事量を把握し、年間を見通して計画を立てる(プラン)計画を上手に調整・運用しながら業務を進める(実行=DO)勤務時間を超過している教員がいないか、どれくらいの勤務超過があるのか、労働実態を把握する。(チェック)全体の仕事量が多いなら、改善する(アクション)管理職はPDCAサイクルが全くできていません。プランの時点で破綻しているのです。これをしないで、偉そうに理想論を並べたて、挙句の果てに自分たちが早く帰りたいのもあって学校を早くしめたいなどと言い始める管理職など、それこそ厳しい評価を下されるべきではないかと思います。私は仕事人間で、「まともな仕事」で超過勤務をすることについては文句はないです。しかし、残業代も貰えない相手に、提出期限と文句ばかり言って、自分の保身ばかりを図るような管理職は本当にごめんです。
May 22, 2010
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さっき、腰と肩が痛くて横になっているうちに眠っていたところ、崩壊した学級を担任させられる夢を見て、吐き気がして目が覚めました(苦笑)。あー、日々心にプレッシャーを感じているのだなあというのがわかりました。自分でクラスを崩壊させてしまった経験はまだないものの、崩壊したクラスを「はいっ、頼むね」と、否応なくもたされたこと数回。担任外として崩壊したクラスに関わったことや校内暴力に荒れる中学校で教えていたこともあり、心の奥には消えない記憶が沈殿しています。全く話を聞く気のない子供、叱られてもうざいという反応しかない。人に迷惑をかけることへの罪の意識などさらさら感じていない。自分に利益をもたらさない他人は「モノ」程度にしか意識ができない・・・荒みきった子供たちの顔を忘れることはできません。これは、経験したものでないと分からない苦しさです。10年昔の管理職は、「教師がダメだからこうなるんだよ。俺なら絶対大丈夫。」なんて批判を他人事みたいに言って、何にもしてくれませんでした。確かに、教師の責任であるとは思います。でも、だったら、「あなたはこの事態に対して、子供へ(少なくとも子供は被害者です)の責任をどうとってくれているの。何か身を削ってやってくれているの??」と、言いたくもなります。ところが、それも、昔の話になりつつあります。最近は管理職も上記のように豪語できなくなってきています。管理職自身に崩壊した学級を担任した経験がある人が増えているからです。また、学級崩壊で担任が3人連続ノックアウトされ、最終責任で教頭が担任、ボロボロになってなんとか終業式を迎えた、などという話を聞くことが少なくありません。管理職拒否の教員が増えており、自治体によっては管理職試験の倍率が1倍を割っていると聞きます。管理職はヒラより大きい比率で給料が下げられ、ある自治体では同年代のヒラ教員を下回るという現象まで起きています。こんな学校を誰かがどうにかしなくてはならないのだろうけれど、こんな有様では誰にも責任を負ってられないという状態になっています。私も管理職拒否です。ある時、ある管理職の先輩からは、「管理職は年相応の当然の仕事。拒否は逃げだ!」と、お叱りを受けました。と、言われても、担任としてやりたいことがまだまだあるし、書類や会議の仕事は全然向いていないですし…担任が3人ノックアウトされた崩壊学級なんて、受け持ってられません。-------------------------------------- 学級崩壊が騒がれていた10年ほど前と比べて、質的量的に増えているのか減っているのか、情報は定かではありません。学級崩壊という言葉は1997年あたりから広く使われるようになっているのですが、どういう状態が学級崩壊なのか、公式な(文科省関連機関による)定義はありません。「学級崩壊」というセンセーショナルな言い方は公式には避けられており、「学級がうまく機能しない状況」(って、何?!)と表現されているからです。定義がないので、調査もないわけです。調査がなければ対策もありません。そんな状況なので、自分の学校の様子と、時々聞こえてくるとんでもない情報から、全体の様子を想像するしかありません。そんなところに、ニュースが。http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20100306/dms1003061315002-n1.htm 学習院でさえコントロールができていない様子が報道されています。学習院の報道が過剰反応なのか、いや、もっと根の深い暗闇を抱えているのか、どちらかは分かりません。「学級崩壊」とまで書かれている報道もあるようですが、実際はどうなのでしょう。教員や管理職に責任があるような件なのかどうかも、真相は現場にいる人でないと分かりにくいでしょう。こうして報道されてしまったことによって、渦中にいる人たちにとっては大きなプレッシャーとなることだと思います。管理職は対応にたいへんでしょうし、もし管理職がろくでもない人たちなら、担任をはじめ、関連する教員はたまったものではないでしょう。あちらこちらから好き勝手な意見が噴出していると思います。誰かに責任を被せ、事情も分からず非難と批判をするだけの人間にはなりたくないと思います。自分としては、担任としてこの学校の現状の中、あと何ができるのかを、模索して、それを若い世代にどう伝えるかを考えていくかを考えていくのが仕事だと思ってやっていくしかないです。 【送料無料の梅肉エキス】紀州の赤本粒100g(約500粒)【梅エキス 南高梅 和歌山 紀州】[730270]価格:5184円(税込、送料別) (2018/7/15時点)
Mar 6, 2010
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前回のエントリーに引き続き、映画「今度は愛妻家」についてです。映画の主演は薬師丸ひろ子と豊川悦司、どちらも40代、監督の行定勲も40歳台になったところぐらいでしょうか。主演2人は80年代に絶大な人気を集めた元アイドルと、90年代にブレイクしたモテモテ男優です。2人とも離婚歴があり、それほどプライベートは知られていません。 薬師丸ひろ子さんについては詳しいわけではないし、80年代の映画はあまり見ておらず、マイアイドルというわけでもありませんが・・・。はた目から見ても絶好調であった1980年代に比べて1990年代にはやや活躍の場がなかったように思えます。多分根がまじめな方みたいで、芸能界で色香を振りまきながら30歳台を過ごすにはちょっと不向きだったのかもしれません。彼女が再び脚光を浴び始めるのは、2000年代に入ってからです。母親役が当たった「Always3丁目の夕日」や「1リットルの涙」、すっトボケた教師役の「うた魂」など、おそらく彼女の人間性に近い役柄が回ってくるようになったのだと思います。豊川悦司は今回の映画で軽~いカメラマンの夫役を演じています。彼が絶妙な演技で「まじめな薬師丸ひろ子」を支えているのも印象に残りました。彼は最近では「20世紀少年」にも出演しており、この映画も人間のつながりに対しての問いかけをしているような部分がありました。「フラガールズ」にも出ていました。豊川悦司をはじめ、1960年代生まれの唐沢寿明、堤真一、佐藤浩市、渡辺謙(は50年代かも)、真田広之、本木雅弘・・・。このところ彼らが関わっている映画やは明らかに単なるエンターテェイメントではなくなってきています。彼らは軽い時代を芸能界で過ごし、走り抜けてきて、「免れ得ない軽さ」の中でもまれてきたのだろうと思います。下手をすればおチャラケ芸能人で終わってしまっていたかもしれないです。1960年代生まれは物心がついたときにはもう時代はすでに軽い方へ軽い方へ流れており、ブレてしまうことを余儀なくされていました。そんな彼らが、若い世代と共演をしながら、少々地味な作品であっても生きることに向き合った質の高い作品づくりに関わろうとしている姿には、たいへん感銘を受けるところがあります。おそらく、彼らの作品選びには、何か「このままではまずいな」といった意識が働いているのではないかと思えます。不惑の40と言われるものの、40を超えるとなんとなく心身に不安も募ってきます。1960年代生まれの人たち中に、何らかの共通した意識が持ち上がってきているような気がします。松田勇作、萩原健一、水谷豊、武田哲也、中村雅俊といった戦後生まれ世代には伝説的な超ド級の当たり役があって、栄華を極めたという面々が多いです。1960年代生まれ世代はこの人たちとはまた違った動きをしています。それぞれの世代に、世代責任というものがあると思います。多分、1960年代生まれには、世代責任を感じることができる感性がぎりぎり残っていると思います。映画の世界だけではなく、1960年代生まれが背負っている責任は重いのではないでしょうか。人口的に多数を占めて好きなことばかりして突っ走ってばかりの50代60代にあきれ、バラバラでついてこない30代20代に閉口し、軽くて中途半端な自分たち40代を苦々しく思い・・・・・それでも、なんとかして、次の世代へと、つないでいく世代責任が、1960年代生まれにはあるのではと思っています。えー、話を戻して(笑)・・・今回の映画鑑賞をきっかけにざっとネットで薬師丸ひろ子のWORKSを改めて眺めてみたのですが、彼女のブレの少なさには、感心させられました。ブレの巣窟のような芸能界の中で、これだけブレずにやってきた強さは、すごいです。したたかで、しなやかな人だったんだと改めて思わされています。豊川悦司をして、「映画の中とはいえ、(薬師丸さんを)呼び捨てにするのはしのびない」(大意)と言わしめる彼女。ネタばれはまずいので、あまり詳しいことは書けないですが、薬師丸ひろ子、「今度は愛妻家」、グッドジョブです。素晴らしい映画です。
Feb 12, 2010
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行定勲監督「今度は愛妻家」です。途中で一同喧嘩になるシーンあたりは、もしかしたら作品として破綻してしまうのではないかと心配したものの、うまく持ち直しながら素敵なラストへと展開していきます。豊川悦司と薬師丸ひろ子が同世代と言うのもあって、余計に共感される部分があったのかもしれませんが、是非、どの世代の夫婦にも、夫婦でない人たちにも見ていただきたい作品だと思いました。 豊川さんが、いいです。昔(1990年ごろ?)、「病院へ行こう」という映画では、薬師丸さんと真田さんが主演で、豊川さんはほんのチョイ役で出ていました。この2人が主演として共演しているのも感慨深かったです。 水上あさみが演じる若い女の伏線も効いています。さて・・・ 夫婦は他人です。 核家族で互いが初婚で、養子を貰っていないのであれば、たいていの場合、家族の中で他人は「夫婦という組み合わせ」だけでしょう。他人と言うのに、距離は近いし、共有する時間も長いです。他人の中で飛びぬけて近くて、肉親より共有する時間が長いのが夫婦です(もちろん、例外はある)。こんなに近くて長いつきあいになる他人って、どうなんでしょうと思ってしまいます。配偶者が「めんどくさい相手」(今風な言い方で(笑))である方も、少なくないでしょう。この映画の夫婦にも、互いの「面倒くささ」がのしかかっています。派手なトリックではないけれど、この「面倒くささ」を監督は丁寧に料理していきます。あんまり書き過ぎるとネタばれになるので、いけませんね。 私は、「他人を大切にすること」の起点として配偶者(=他人)を捉えています。あまり私の配偶者を大切にできてはいないし、それ以上に私の配偶者には大切にされていない今日この頃(苦笑)、考えさせられる映画でした。
Feb 1, 2010
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前の記事に研修の事を書いたのをきっかけに、何人かの教師と2008年問題について話をしてみました。都市部では若い人が激増している職場が多く、どの教師も若手が空けた「穴」の影響が出てきていると言っていました。2008年問題は、継続しているということで、2010年も問題!?↑ちょっと、自分で「うまい」と気に入っています(笑)。 ※コンピュータ系の2010年問題とは違います。たぶん、今後数年、2011年も2012年も問題だと思います。 いやいや、笑い話ではなく、ある学校では昨年度3つの学年(2・4・5年)で3人の若手が学級崩壊を起こたそうです。今年度はそれぞれが(3・5・6年)と進級し、クラス替えによって荒れた子供が混ざっているため、学級崩壊が起こっていない学年(つまり1・2・4年)にその3人を回したところ、再び学級崩壊状態に陥り、結局全学年に学級崩壊の芽をばらまいたことになってしまったそうです。うーん、厳しい。「明らか崩壊」ということはなくとも、じわじわと若手が積み重ねたミスは効いてきているようです。それはそうです。私は中の下ぐらいの教師ですが、さすがに年を食った分、できるようになっていることもあり、3年生なら、全員にリコーダーでエーデルワイスが吹けるぐらいまでは鍛えます(当たり前だと怒られそうですね)。でも、教師になって2,3年であれば、そんなことができる人は少ないでしょう(これはある意味当たり前)。ある年もった4年生は、3年時にベテラン陣に担任してもらっていながら、エーデルワイスどころか「ドレミ」の指がどれなのかも理解していない子供が続出でした((涙))。・・・と、言ったふうに、若手はもちろんのこと、ベテランと言われるはずの年齢の教師でも、いまひとつ力量は不足しています。つまり、育てなければならない人が増えている割に、育てることができる教師は少ないのです。さらに、本来その間を取り持つ年代であるはずの30~40代の層が都市部では極端に不足しているのです。さらに、教師にはベテランと若手の関係性が水平的で、もともと「教える---教えられる」の関係がありません。企業から転職してきた教師の話では、「私、30歳にもなったら10人ぐらいの部下がいて教育や指示を出していましたよ。教師って、自分でコピーをとるんですね。」と言っていました。彼は、飲み会で校長や教頭が部下に酒をついで回る姿に驚愕していました(苦笑)。上下関係がないのは、トップダウンで妙な圧力が働いて教育が歪められにくいという危機回避装置としての役割は果たしているとは思うものの(東京や大阪は危うい)、本当にこんなのでいいのかと思ってしまうときがあります。私も学級崩壊を起こしている若手にずいぶんいろいろ教えてあげたのに、本人は今一つピンと来ていなくて、自分はそんなに間違っていないと思っているらしく、ウワの空でした。まあ、もし、上下関係を強化したところで、教える能力がある人がいないという問題はすぐには解決されないので、困ったものです。前回主張したように、ちゃんとしたコンサルタントをつける制度が必要だと思います。学校外の人の感覚をもっと導入して(鵜呑みにするというわけではないです)、改革・改善を進める必要があると思います。この資源も土地もない国が生き抜いていくためには、教育にはもっとお金と時間を割いてほしいです。「コンクリートから教育へ」です。
Jan 26, 2010
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更新もままならぬうちに、年が明けてしまいました。あけましておめでとうございます(遅)。2010年になりました。2・3年ほど前は2008年問題が騒がれていましたが、その後、世間の職場ではどうなっているのでしょうか??教育現場では、2008年問題は継続しています。単に団塊の世代の数が多いだけではなく、都市部では過密化による人口増に団塊ジュニアのために児童数が増えた影響でクラス増が発生し、団塊の世代が大量に採用されています。ほかの会社組織に比べてもおそらく団塊世代が多いのではないかと思います。そのせいで、昨今、都市部はどこの職場も驚くほど急ピッチで若返っています。新旧交代はあと10年ぐらい続くのではないかと思います。若い教師を育てなくてはいけないのに、都市部では人口減→クラス数減が起こり、働き盛りの30~40歳台がおらず、やっつけ仕事に忙殺されています。若い教師のために、初任者研修という制度が始まって20年余になりますが、けっこう問題があって、十分には機能していないように思います。私は制度が導入されたころに採用されました。最初の1年は正直なところ、日々の授業や指導の準備や対処業務に精いっぱいで周りからどうのこうの言われてもまともに吸収するだけのキャパシティーがありませんでした。優秀な教官と優秀な新任教員がいれば、初任者研修はうまく機能するのでしょう。しかし、現場には優秀でない教官も、優秀でない新任教員も、少なからずいます。私のような優秀でない教員にとって、初任者研修は講座を聞くのと書類を書くのに精いっぱいでした。講座も書類も、時間をとられるだけの、苦しく余計な負荷でした。そもそも現場が初めての教員がいきなり担任になって、6教科も教えるというのは、無茶です。そう簡単にいい授業・いい指導ができるものではありません。専科教員として、国語と算数だけ教えるぐらいでちょうどではないかと思います。どうしても担任を持つ必要があるなら、隣のクラスと授業交換をして、3教科ぐらいだけ担当するので十分だと思います。自分に初任時の苦い経験があるので、数年前に学年主任として初任のS教諭を預かったときに、校長に「S教諭を守るためにも授業交換をしたい」と申し出たのに一蹴されました。しかし、案の定、最後はS教諭の学級はかなり荒れてしまいました。(結局、3学期は校長の許可なしで、勝手に授業交換しちゃいました。) 初任の教師に担任は無茶だと思います。昔とは子供が違うのです。子供だけではなく、忙しさも違います。4月の初日に配られる書類はついに30通を超え(急がずに2日目、3日目に配りましょうという声はかき消され…)、S教諭の状態を心配して隣の教室をのぞきに行くと、あまりの多さに子供たちは「あの手紙がない、この手紙が2枚あると」騒然としはじめ、S教諭の手紙を配る手は震えていました。書類の配り方一つをとっても、ベテランと新任では差があります。今は失敗が積み重なると、子供たちはすぐに荒れ始めます。団塊世代の大量退職で若い先生たちが急激に増えた影響で、見える失敗・見えない失敗が子供たちの中に蓄積されてしまっています。医者は研修医を含め、8年かけてやっと「先生」になれるんだったと思うのですが、教師は大学に4年行けば「先生」になれてしまいます。手術時の感染症予防の知識や技術がない医者はいないと思いますが、どうやったらクラス全員が跳び箱をべるようにすることができるのか、わからない・できない(あるいはやらない)教師はたくさんいます。逆上がりのさせ方に至っては、ほとんどの教師が分かっていません(20数年間、逆上がりをクラス全員に成功させたという教員にお目にかかったことがありません・・・)。大学4年間でほぼ座学と6週間の教育実習をこなし、1年ばかり現場で先輩教員に初任者研修を受けたからといって、授業や指導ができるようになるわけではありません。運転免許を取れば事故をしないということがないーと同じで、教員免許を持っていても、採用試験に合格しても、まともな教師になれたわけではありません。むしろ、初心者の運転よりもよっぽど危ういのが教員の資質・技能です。もはや現場は若さでカバーできるような時代ではありません。正直に告白しますと、教師になって5年目ぐらいまでは、クラスで誰が漢字ができないのかきちんと把握さえしていなかったし、何で誰を落ちこぼしていても、全く為す術がないということが山ほどありました。あの頃の子供たちには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。今とは違って私が若かった時に勤めていた学校は子供たちが賢かったので、学級崩壊というようなことはなかったですし、無茶苦茶やっていた割には(「お楽しみ会」のために日々があるような状態でした)そこそこ面白いクラスになりましたが・・・。教育現場では1年ぽっきりの初任者研修で研修を終わってしまい、その後の成長は本人任せというのが実態です。なんで1年ぽっきりにしちゃうのでしょう???初任者研修以降にも必修の研修はあるものの、ターゲットのはっきりしていない研修しかありません(初任者研修は「A教諭個人への研修」です。)。ですから、本人の意欲がなければ、研修を受けても本当に成長したかどうかを評価されることがないのです。そんなのではなく、もっと継続的に教員個人に向けての研修をほどこすべきだと思います。教員に対してあまり管理的なシステムを敷くとひずみが生じる危惧があるので、妙な強制的研修や上から目線の評価ではなく、コンサルティングという形で、もっと教師を支援するべきだと考えています。最初の3年は「支援」色を強くしてはどうかと思います。「教師を甘やかす」という意味ではなく、「力のない教師に教えられる子供を保護する」という視点で支援するのです。この時期、ある程度の失敗をするチャンスを与えてあげることも必要だと思います。そのためには、子供たちへのダメージを少なくするように担任を外し、教える教科を絞るといいと思います。4年目~6年目の3年間は、妙に自信をつけて我流に走り、学級王国を作ってしまわないように、多様で十分な情報を与えて、自己研鑽の機会を作ってあげるべきだと思います(繰り返しますが、単に「指導」色・「管理」色を強めればいいというように思っているわけではありません)。しっかりとした実践授業・実践指導例に触れ、相互の授業を見合い、十分にリフレクションを促す必要があると思います。(そのためには、教育に関する情報をしっかりと蓄積・流通する必要と多数の目で多様な評価をする必要があると思います。) その後、10年目でも、20年目でも、30年目であっても、もっと個人をターゲットにした研修が必要だと思います。個人をターゲットというと、なんだか「強制だ」「指導色が強い」「個性をつぶす」といった危惧を感じる人が多いと思います。私も強制や指導は好みません。そうではなく、あくまで個人の成長を支援するという立場で客観的なアドバイスをする組織が必要だと思うのです。「あなたのクラス漢字の取得率が平均60%程度ですが、何か手を打つことができますか?こんな手法とこんな手法がありますよ」「保護者とトラブルになっているようですが、保護者との接し方について見直してみませんか。こんなことが原因になっているかもしれません。」などと、上からではなく側面あるいは斜め上ぐらいから「診断→協調的改善」を支援してくれるような客観的組織(コンサルタント的立場の組織)が必要ではないかと考えています。※コンサルティング (consulting) とは、業務または業種に関する専門知識を持って、主に企業(まれに行政など公共機関)に対して外部から客観的に現状業務を観察して現象を認識、問題点を指摘し、原因を分析し、対策案を示して企業の発展を助ける業務を行うことである。(ウィキペディアより)
Jan 6, 2010
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つながりや絆ということを題材にぽつぽつと書いてみましたが、「だからどうすりゃいいの!?」って言われると、「はああぁぁぁ」と、言葉に詰まってしまうというのが実際です。目の前にいる小学生を見ていると、「人はつながっている」という感覚が本当にどんどんなくなってきているように見えます。よくぞここまできれいさっぱりそういう感覚が抜け落ちるものだと妙に関心さえしてしまいます。「それでも人はつながっている」ということをなんとか道徳の時間などを使って、あるいは日々の活動の中で分かってもらおうとしているものの、空回りしている感じがするのは否めません。隣の席の子供と口論になったことで腹を立てて筆箱をゴミ箱に捨ててしまった小学校低学年のS君を指導した時のこと。「友達の筆箱をゴミ箱に捨てたら…」とうっかり「友達」という言葉を使ってしまいました。このごろの子供には「クラスの人=友達」という概念がありません。S君はきょとんとしていました。意固地になって「こんな奴、友達じゃないやい!」と反発しているのではなく、S君は素の状態で、「えっ、友達?どうして隣の席の○○君と僕が友達なわけ??」と疑問に思っている顔をします。「とりあえず同じクラスの人は友達と呼ぶ」という前提が成り立たない世界。S君の感覚は私にもわからないでもないし、いろいろな考え方があればいいと思うけれど、小学生の頃からこんな感覚って、どうなんでしょう??小学生時代ぐらいは「とりあえず同じクラスの人は友達と呼ぶ」という感覚を「型」として持っていてもいいのではないでしょうか。青年期になってから、その「型」を疑ったり批判したらいいのではないでしょうか??生きるとは何なのか。自分とは何なのか。他人とは何なのか(つまり、他人とはどうつながっているのか)。繰り返しになりますが、そんなことを考えるための「型」が何もないままで育ってきてしまっている子供(いや既に大人も)がたいへんな割合で増えているのを実感します。「型」を与えるのは宗教であったり、地域の規範であったり、親であったり、学校であったり、書籍であったり、芸術であったりしたのでしょうが、それらが「なんとなく」機能しないままであることが忘れられてきたのだと思います。生きることを考えるためには死ぬことを考える必要があるし、自分を考えるには、「やがて死んでしまう自分」を考える必要があるし、他人を考えるにはやがて自分は死んで他人とのつながりは消えてしまうことを考える必要があると思います。村上春樹氏が、オウム真理教信者のインタビュー集「約束の地で」のあとがきで、「多かれ少なかれ私たちのすべてが、自分がこの世界にこうして生きている意味を、そしてほどなく死んで消えていく意味を、できることならこの手で確かめてみたいと思っているのだ。」と、述べています。そして、オウム真理教で暴走した信者は、その意味を求めたいがための行為のなかで「ボタンの掛け違え」が始まって、それがエスカレートしてとんでもない場所に行きついた、と述べています。この「ボタンの掛け違え」が起こっている怖さ以上に、多くの人が「ボタンの掛け忘れ」、つまり、生きること死ぬことの意味を考えなくなってしまっている怖さがあると思います。これをなんとかしていかないと、社会はどんどん危うい状況になっていくと思います。-------------------------------------------------「死を通して生を考える」という教育活動があります。デスエデュケーションといって、いくらかの教育実践も行われています。下の本は、それらの実践を紹介しながら、デスエデュケーションの必要性を訴えています。 死を通して生を考える子供に死(≒生)を考えされる機会を与えていくことは重要であり、上の本の著者、中村博志氏は、「家庭の役割である」としながらも、学校教育の中でも取り入れられないかと模索しておられます。他に「死」を子どもに教えるも読んでみました。ある教師の命の教育の記録を中心に死と教育に関しての考察がつづられています。また、死にカタログはデスエデュケーションの本ではないですが、「死に関する」素直な疑問とデータを淡々と、提示しています。どの本も、難しい「死生観」を説いているのではなく、日常にある「死」とその教育について提示しています。人が死と対峙するという行為が薄れていることをどうにかしなくてはと思っている人は少なくないようです。学校現場の中で「死」を取り扱う教育実践はあるにはありますが、そんな実践が浸透するには、草の根的な実践の積み重ねだけでは難しい面があるかもしれません。現場を大きく動かすのは大きな組織的な力、つまり文科省からの強力なトップダウンが必要です。「命の教育をせよ」との声は1990年代後半の少年の殺傷事件が多発したころから言われているものの、これを「死を通して命を考える」という形で進めるところまでは、踏み込めずにいるのが現状だと思います。私だってこんな記事を書きながら、十分なことはできていません。強制されないのであれば、進んでこの重い役割を担おうと思う教師は少ないでしょう(だからこそ、家庭が頑張らないといけません)。-------------------------------------------------最後に私が「つながり」をどう考えているかも一部を書いておこうと思います。自分の中で特に結論が出ているわけでもないけれど、先人の思索と混じり合わせながらだらだらといろいろ考えています。中でも「利己的な遺伝子」は、衝撃とともに考えさせられる本でした(「1Q84」の中でもとりあげられていた本です)。利己的な遺伝子増補新装版 科学の目を通して見ることによって、生きることがいったいどういうことなのかについて、また違った見え方がしてきます。遺伝子的につながりというものをみれば、こんな風にも考えられます・・・。個人など、たったの100年を生きることも難しいのです。「人は死ぬ。」だから子孫を自分のコピーとして残すのでしょう。・・・コピーを残すと言っても、個人は、子の代で1/2、孫の代で1/4、ひ孫の代で1/8、ひひ孫の代になれば1/16にまで薄まってしまいます。身長160cmの人で、4代後(100+α年後ぐらい?)には10cm分しか自分を残すことができません。その上、誰もが子孫を残すことができるわけではありません。考えてみると実に寂しい話です。その一方で、2人ずつの子供を残していくとしたら、ひひ孫は16人→ひひひ孫は32人→・・・→30代後には10億人(2の30乗)を突破します。この逆を考えてみるのも面白いです。一人に2人の親がいたことを考えれば30代前(1代30年としても900年前)には10億人の先祖がいたとも言えます。それは人口動態の事実に反するので、相当な先祖同士の結婚(重なり)があるということになります。つまり、けっこう私たちは先祖を共有しているということでしょう。私たちは遺伝子情報をばらばらに交換しながら薄まり、広がり、今までもつながってきた。そして、この先もつながっていく。少なくとも、こういう意味では、人はつながっているのでしょう。なんとかして、つなげていきたいです。
Nov 23, 2009
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人が生きていくのに重要なはずの「価値観の形成」に関して、国家のイデオロギーによる押し付けや、宗教による導きや、地域や親からの伝承もすっかり薄れてしまったのが今の状態ではないかと思います。これは、人類未踏の状態ではないでしょうか。ほんの100年前であっても、「ただ生き延びる」ということさえ実に難しいことであり、宗教や地域が「価値観」を支えていないと個人も社会も到底成り立つ状況ではなかったはずです。現代の日本は、無宗教であっても、地域から切離れて生きていても、命の危険にさらされることはありません。クールでハッピーで効率的に生きることができるし、それが優先されがちです。お互いがお互いの生き方に深く関わることを避け、関わられるのを「うっとおしい」と感じるようになっているのでしょう。価値観の形成は個人に任されてしまっており、個人は個人の責任で価値観を打ち立て、その結果(成功も失敗も)を個人が受け止めなくてはならないような状況です。なら、それでうまくいっているのかというと、そうでもない。 例えば、下に書いた4つのことは、誰もがわかっているはずの当たり前のことです。◆自分のわがままを良しとして通してばかりいれば人との折り合いがつかなくなる。◆際限なく欲をエスカレーしていくといつしか犯罪者になるかも知れない。◆努力や我慢を放棄すれば生活苦に陥る可能性がある。◆助け合いを忘れれば、社会は崩壊する。こんな当たり前のことがわからなくなくなってきています。わかっていないという状態にさえ気が付いていない人がたくさんいるように思います。もう少し具体的に言うと、◆子供に虐待を続けていたら、大きくなって反撃を食らって家庭内暴力に悩んでいる。◆勉強ばかりしてきて高学歴になったけれど、生き甲斐のある職に就けなかった。◆テレビとゲームとネットにはまっていたら、いつの間にかニートになってしまった。◆ご近所に挨拶さえしないようでは社会が荒んで不気味な犯罪が増え、やがては自分の身に降りかかってくる。・・・事の大小はあるのだろうけれど、価値観が自分の中に形成されていなかったり、価値観がゆがんでいたりすると、どこかで人生に狂いが生じる可能性は誰にでもあります。勿論、価値観を身につけることは最終的には個人の問題であり、その結果を背負うことは個人の責任です。しかし、「アリとキリギリス」の話の続きに飢えたキリギリス達が徒党を組んで収奪を始めるというストーリーがあるとしたら、それはキリギリス個人の問題とは言えなくなってくるのではないでしょうか。では、誰が価値観を形成することをサポートしてあげたり、ゆがんだ価値観を正してあげたりすることになっているのかというと、はじめに書いた通り、宗教も地域も力を無くしてしまった今、誰という事もないというのが現状です。学校だって機能していません。そもそも子供たちの「価値観の形成」を全て学校に任せるというのも無理があるし、ではどの親にもできるかというと、それは難しいと思います。それで、誰がどうやって「価値観の形成」の役割を担うのかが、実にあいまいになってしまっています。このまま「価値観の形成」という根源的な課題に向かい合うことを個人任せにしてしまっていては、個人や社会を誤った側へとどんどんずり下げて行ってしまうのではないかと思います。まず「なぜ生きていて、どう生きるべきなのか。」という問いに向かい合うことができるようになるには、どうしたらいいのかを「社会として」考えていく必要があるのではないかと思っています。--------------------「なぜ生きるのか、どう生きるのか」この問いに対する答えをさがす時、「死」について考えることはひとつの大きなヒントになると思います。現代社会においては遠巻きに眺めるだけになってしまった「死」について、もう少し近くに取り戻す必要があると思っています。「死」を通して考えることで見えてくる「生」もあると思います。どうやって「死」を近くへ取り戻すのかということについてを、もう少し練っていく必要もあると思うのです。それには、多くの議論が必要だと思います。そうして見えてきた「生」の中に、失われた「つながり」を再生する意味が見えてくるのではないかと思います。
Nov 1, 2009
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欲ばり過ぎるニッポンの教育実家に帰ると、「たまにはお墓参りぐらいしろ」と親におこられました。そういえば私は子供のころに何回か行きましたが、うちの息子は1回も行ったことがありません。私は幼稚園がカトリックだったし、近くに教会があったので少々礼拝の経験をしたことがあります。ところが、うちの息子の保育園は一応宗教法人が経営していたものの、宗教色が薄く、ほとんど宗教めいた物事にタッチをせずに生きてきたと思います。お葬式への参加も上の子0回、下の子1回です。近所でお葬式が行われることもありません。都会で生活している人は、我が家と似たような家族が少なくないと思います。極端に宗教色のない生活は確実に広まっていると思います。宗教を持たないことが悪いことだとは思いません。宗教が原因になる戦争や、宗教に起因する不寛容には、うんざりしてしまう部分もあります。宗教が提供してくれる死生観に安易に同調し、宗教が提供してくれる体系に絶対帰依してしまう、あるいは一部を預けてしまう事には危険を感じてしまいます。宗教をほったらかしていても大きな支障はないこの現代の日本社会に生まれてこられてよかったと思っています。しかし、宗教や強烈なイデオロギーや専制君主の命令を回避して生きられるという自由を得た一方で、困った問題も起きているのでしょう。自由を得た今の社会では、生とは何であり、死とは何であり、自己とは何で、他己とは何なのかという事を誰にも教えてもらえなくなってしまいました。そうすると、「べき論」が、語りにくくなってしまいます。ご近所の人には挨拶をするべき・道にゴミをすてるべきではない・玄関の靴は揃えておくべき崇拝する神や統治者がいれば、これらは神や統治者が「そうするべき」と言っているから、そうするべきだと考えれば(教えれば)よかったわけです。ところが、こういった根源的な部分支柱を持たない人にとっては、このレベルの「べき論」でさえ通じなくなってしまいます。人生は選択の連続によって成り立っているという見方ができます。レベルの低い「べき論」から高レベルな「べき論」までを持ち合わせて、それに自分を照らし合わせて判断し、選択しながら生きているのです。------------------------------- 宗教にもイデオロギーにも縛られないという事は、結局のところ自分で、「なぜ生きるのか」という問いに対する答えを用意しなくてはならないという事です。「なぜ生きるのか」から、「べき論」を導き出し、それを指針にして行動をしなければなりません。それが用意できない場合、少しずつ流されてしまいます。少しずつ流されていると、気がついた時には、とんでもない場所まで流されてしまっているという事態に陥ってしまう可能性もあります。苅谷剛彦氏は「欲張りすぎるニッポンの教育」の中で、「自己責任だぞ、というところにいつも帰着させてしまうと、厳しい社会ですよね。自分で選んだということを常に突きつけられるんだから。しかも自分でそれを探さなきゃいけないわけだから、君はこれをやりなさいとか、ダメだとか、そういうことをなるべく言わない社会を作ろうというわけだから・・・」と、日本の教育の在り方についての危惧を述べています。これは教育全体の話の中で出てきた言葉で、価値観や宗教のことを話したわけではないのですが、実に当てはまっているように思います。そもそも、多くの人が◆一律の価値観に縛られない自由がある代わりに自分で価値観を探して打ち立てなければいけない◆価値観を打ち立てることができず、人生を踏み誤るようなことがあれば自己責任である。という現在の日本の「仕組み」にも気が付いていないような気がします。どうする「べき」かは場当たり的に適当に考え、ぼーっと生きていて、なーんとなく上手くいかなくなって、ひどい結果になっても結局は自分の人生には自分で責任を持たなくてはならない。それは当り前と言われればそれまでですが、もしかしたら、弱い個人にとっては厳しい社会なのかもしれません。これだけ情報が氾濫する中で、情報に流されずに生きていくための価値を打ち立てていくことができる強い個人がどれほどいるというのでしょうか。快楽の誘い、堕落の誘い、自己中心主義の誘い、弱肉強食の誘い・・・あらゆる情報に価値を揺さぶられる今日の社会の中で、自分を保つことは実に難しいと思います。どの事件だったかは忘れてしまいましたが、少年が起こした殺害事件の裁判で、少年が「もしも金八先生がいたらこんな事件は起こさなかった」と供述したという報道がありました。実に身勝手な供述であるとともに、「仕組み」に気が付いていなかったという実に哀れな「無知」を表しているように思います。現在の日本の「価値観形成の仕組み」がどうなっていて、それがどう社会に影響しているのか、その仕組みを修正することをマクロな視点で見ていく必要があると思います。そういうところから考えていかないと、つながりを取り戻すのは難しいと思います。
Oct 4, 2009
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他所に記事を移しましたので、こちらの記事は削除させていただきました。免許更新制度に替えて何か新しい制度を考えているようですが、形だけのものにならない、実のある制度を創出してほしいと願っております。
Sep 14, 2009
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いくらたくさんの人とつながろうと、いつか個人は死んでしまい、死んでしまうと誰と口をきくこともできない。見ることもできなければ見られることもない。死後50年もすればよっぽどの有名人でなければ、誰も覚えていません。ひ孫でさえ、曾祖父母について覚えている事なんて少ないと思います。ひひ孫には完全に忘れられているでしょう。せっかくとった写真もビデオも、そんなものを取り出して見返す人はまずいない。昨今のお墓事情では、いつまでご先祖様のお墓参りをしてくれるかなど保証はどこにもない。厳然たる事実を考えていると、気がめいってきますね。40歳を過ぎて先の知れた平凡な人生を送るしかない私などは、黄昏れてしまいます(苦笑)。天文学的な数字を前にするまでもなく、百年先を考えただけでも何のために生きているのか、よくわからなくなってしまうことがあります。死に向き合った時が、生の本当の意味を考える機会となります。死を考えたとき、どうせ死ぬんだからと自分の今の事だけ考えて享楽的に生きるのが正しいと考える人もいるかもしれません。宗教に答えを教えてもらおうとする人もいるかもしれません。働くことで気を紛らわそうとする人もいるかもしれません。標準的な生き方を求めて「みんなと同じだから怖くない」と思おうとする人もいるかもしれません。とりあえず、子孫を残すことが大事だと悟る人もいるかもしれません。死や生に関する考え方は、人それぞれで、浅さ深さもずいぶん違うと思います。このブログを「死や生の意味」について延々と語る場にしようとは思いませんので、「答」はそれぞれが考えていただけばいいということにして・・・人それぞれだとしても、現代人がこの肝心な“生きていく上での大前提”=「なぜ生きているの?」「死とは何なの?」に対して、あまりにも考えることを避けてしまっているような気がしています。つまり、浅くなってしまっている。答えを見つけ出す以前の問題として、考えることを避けている、考える機会を失っているという状態だと思います。日本人は形式宗教あるいは無宗教の人が大多数を占めているようです。宗教にとって代わるような専制君主がいるわけでもありません。これだけ規模の大きな国でめいめいが好き好きにあまり生きる意味も考えずに生きているという状態は珍しいのではないでしょうか。おそらく国家単位で行われた超大規模社会実験と言っても過言ではない、歴史上類を見ない状態ではないかと思っています。まあ、日本人に「生きる意味大規模アンケート」をとったわけではないし、他国の宗教や統治システムに詳しいわけでもないですが、多分、かなり今の日本社会は特殊な状況ではないかと思っています。精神的支柱が、ない。外国人に信じる宗教がないことを話をすると、マジ顔で驚かれるという話はよくあります。少なくとも大抵の国には宗教的なバックボーンがあり、その上に生活基盤を置いている人が可成りを占めているようです。まあ、だからと言って安易に宗教に答えを教えてもらうことに頼ったり、独りよがりの安易な思想を構築すると、危険であるという気はします。オウムが、私たち1960年代生まれ世代を捉えたのは、精神的支柱のない心の空虚に「それらしい答え(=死とは?生とは?に対する答え)」を与えたからでしょう。ですから、宗教があればそれでいいとか、専制政治がモラルを押しつければいいとは思っていません。堅い宗教にも専制君主にも縛られない自由な生活は、確かに魅力的だし、私自信、縛られるのが大嫌いなのでこの自由を満喫してきたと思います。しかし、今までの社会を曲がりなりにも保持してきたそういう死生観のバックボーンを放り投げてしまっておいて、「さあ、皆さんの良心の赴くままご自由に考えて、生きていってください」というような感じに、今の社会はなんとなく、なってしまっているのではないでしょうか。そんな社会がうまくいくかというと、それはちょっと難しいのではないのかという気がしています。死や生と向き合い、精神的な支柱を形作っていくことは、個人にとっても社会にとっても大切な作業だと思います。精神的支柱を見失い、浮足立っている今の状況は、意図せぬ大規模社会実験の結果だと思っています。精神的な支柱が何にもなしの状態で本当に人間が生きていけるのかと言われれば、それはかなり難しいのでしょう。この社会実験の結果の一つが、家族志向現象----この「家族 つながり 絆」シリーズで最初に書いた「家族」を最後の支柱にせざるを得ないという状況----が起きているのではないかと思います。そして、それさえも脆く崩れつつあるように思います。酒井法子がTOYOTAの車の宣伝に家族のアイコンとして使われていながらも、実際の彼女の家族が崩壊していたという状況はまさに象徴的です。酒井法子宅を捜査したところ、足の踏み場もないぐらいに家の中は散らかっていたという報道もあります(家庭生活の秩序がないという意味では我が家も危ういです)。生きることの意味、わが子の大切さを考えれば、到底夫婦で覚せい剤などという考えは起こらないと思います・・・社会も家庭も、荒んでしまっています。
Sep 5, 2009
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私は政治の知識に乏しいし、このブログでは教育関係の重い記事(苦笑)に特化しているので、政治に関することはあまり書かないつもりですが、せっかく政権交代があったので、番外編で書いてみます。----------------------------------------民主党の大勝直後、TVに出演して語るのは執行部ではなく、藤井最高顧問と40代中心の若手議員でした。執行部は公式会見以外はあまり多くを語っていません。多分、いろいろと慎重に進めざるを得ないのでしょう。TVasahi系、選挙ステーション2部での田原総一郎司会による各党議員の討論会では、各党若手から実直な意見が出されていて、実にうれしい気持ちになりました。民主も、負けた自民も腹を決めてやろうよという姿勢が感じられて、応援したい気持です。今回の選挙では、大物古参議員の多くが落選の憂き目にあいました。それが、古くからどうにもならないままになっていたしがらみを解き放ったという意味を持っていることは、大きいと思います。 今回の選挙を裏から支えた小沢氏に関しては様々な意見があると思います。田中派の流れをくむ彼にしがらみがないのかというと、それは違うのでしょう。けれども、少なくとも政権の中枢にいながら自民党を飛び出した彼が細川政権の中心課題として取組んだのは、小選挙区制を確立し、二大政党による政権交代可能なしくみを作ることでした。彼の打った布石はあれから15年余を経て、再び非自民政権の樹立の礎となりました。西松事件の疑惑がありながら、首の皮一枚つながったという感じで小沢氏がしぶとく生き残ったのもさすがと言わざるを得ません。彼が自民党を飛び出た経緯は、元はと言えば金丸氏の佐川急便疑惑に伴う経世会後継者争い問題がからんでいます。細川政権が失速したのも細川氏の佐川急便疑惑が絡んでいます。清濁あわせ飲みながら、政治のダークな部分を熟知してきた小沢氏。ダークな面に嫌気がさしていたのだろうなと思います。彼がこのチャンスに本気の改革を後ろ支えしてくれることに期待したいです。小沢氏側近の藤井氏が語るビジョンと、各党若手が語る戦略には期待ができるのではないかという気がしました。1990年代前半の政変(そういえば、小泉元郵政大臣の離反が宮沢内閣を倒して、細川政権を作る引き金になっていたんだ!)からの複雑な系譜(安部父、渡辺父、小渕父らも当時のキーパーソンだったのです)をいま改めて眺め直すと、今回の選挙結果は実に感慨深い地点にたどり着いたのだろうなと思えます。 藤井氏が「官僚の中にもこれではいけないと思っている人はたくさんいるんです」と力強く語っていたのが印象的でした。難しい面はかなりあるのでしょう。新しい日本と言っても、元々資源に恵まれず、「人材」(=教育とモラル)のみが資源であった筈のこの国を建て直すことはそう簡単ではないでしょう。なんとか生き残ったメンバーで、老若が手を組んで、互いの利害を超え、協力できるところは協力し合いながら、苦境を打開していってほしいと思います。
Sep 1, 2009
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お盆を含めて、この夏、色々な方々にお会いする機会がありました。初めての人、懐かしい人。普段は対面して話をする機会がない方々50人ぐらいと話ができました。もう少しじっくり話し込みたかったなあと思う事もしばしばありました。なかなか、時間を作るのは難しいですね。こうしてお会いできた方々とは、不思議なご縁があったのだと思います。同じ時を生きているほとんどの人とは、知り合うことさえないままなんだろうから、たとえひと時であっても、大切なご縁なんだろうと、このごろは思うようになってきました。身近な家族・友人・知人とも、遠くの家族・友人・知人とも、見知らぬ人たちとも、何のために日々、関わり合っているのかなあというのは、考えてみれば実に不思議です。世界と自分はつながっているようにも思えるし、世界とは切り離されて実に孤独な小宇宙にいるようにも思えます。自分という抜け出しようがない小宇宙が何であるのか。他者が何であるのか。他者との血のつながり、人としてのつながりをどう考えればいいのか・・・。そのつながりの中でどう生きていけばいいのか。それを突き詰めていけば、必ず「死が何であるのか、死をどうとらえればいいのか」という問題に行き当たります。現代の日本人はあまりにもこの「死」を考え、「死」と関わることを避けて、遠ざかり過ぎてしまってきたのではないのか・・・そんなことをずいぶん昔から、考えています。現代社会では、「死とその周辺」に触れる機会が少なくなってきています。したがって、「死」を語る機会も少なくなってきています。例えば都会で仏壇がある家なんて、なかなかありません。宗教は「死」が何であるかを解釈し、「死」との接し方を教えてくれるように機能してくれていたのではないかと思いますが、今や、私たちの生活と宗教は随分距離が離れてしまっています。(あー、また今年もお盆も彼岸も墓参りしなかった)宗教とは言う程でないまでも、人の生活に溶け込んでいたローカルな信心(?)も昔はちゃんと伝承されていました。北枕を避けるとか、霊柩車が来たら親指を隠すとか、お葬式から帰ったら塩で清めるとか...そういった生活上の信心の型?も、すっかり薄れてしまったように思います。そういう宗教や宗教的な「重いこと」に触れなくても、私たちの生活は成り立っていけるようになっています。宗教がらみでなくても、私たちに「死」を感じさせてくれるものは覆い隠すようにして私たちの日常生活から遠ざけられてしまっています。牛肉と牛の死はほとんどイメージの中で結びつくこともなく、給食時の「いただきます」が必要ないとまで言い出す人が出てくる始末です。(いただきますには、食材の命をいただきますの意がある)なんとなく忙しさに塗り込められた毎日を生きていれば、時はどんどん過ぎるし(ああ、いつの間にやら8月も下旬)、そうしているうちにいつの間にか年老いて死んでしまえば、手際のよい病院と葬儀屋がさっさと後片づけをしてしまいます。(病院や葬儀屋さんを非難しているわけではありません。)そんな風にして、「死」を生活の場から遠ざけてきてしまったことで、「死は何であるか」を考えることが無くなってきてしまっているのではないでしょうか。それはすなわち、「生きることが何であるか」に向き合うこともできなくなってきているのだろうと思います。私は無宗教です。だから自分で色々と考えて、「個体としての生命は永く生存することに耐えることができない。だから、コピーを作って種として生き延びようとする。」(要約してしまえばちょっと乱暴かもしれないです)という仮説を導き出し、それもとにして「死」や「生」についてをとらえようとしています。そんなに高尚で体系的な理論があるわけではありませんが、とりあえず時々、そういった考えを巡らせることによって、何とか今の自分という存在の整合性を保とうとしているのかもしれません。どんな結論に行きつくにしても、「死(≒生)について考える」ことが大事なのだと思います。四六時中考えているには重すぎるテーマなので、時々、箱から取り出して考える程度でいいとは思います。まず、大人がそういうことを時々は考え、子供にも死を考える環境・機会を与えてあげる必要があると思います。メメント・モリ「メメントモリ」というラテン語があり、「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句だそうです。「死を想う」という作業をもう少し取り戻すことができたら、浮足立った社会も少しは価値観をとらえ直し、落ち着くかも知れないと思っています。
Aug 22, 2009
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1.30歳までには過ぎれば結婚するもの。結婚したら離婚はしないように我慢する。2.近所の人に会ったら挨拶をする。3.クラスが同じなら友達や仲間と呼ぶ。いいか悪いかは別にして、ある年代までの人にとってこの3つ(特にこの3つを挙げたことに意味はありません。思いつきです。)は「普通の感覚」だったと思います。この感覚はみんなで共有できていたと思います。昔の社会にはこれらを共有すべしという同調圧力たあったと思います。ところが、現代は必ずしもそうではありません。若い人ほどこういう感覚を持っていません。1.→結婚するもしないも個人の自由。我慢して一緒にいる理由がどこにあるの?「生涯未婚となる人が4人に1人」「3組に1組が離婚する」等の情報もあります。2.→私は近所の人と誰でも挨拶するようにしていますが、ご近所同士ではそうでもないようです。単に近くに住んでいるだけの人に、どうして挨拶なんて面倒な事をしなくてはならないの?3.→喧嘩の仲裁をした時に、「どうして友達の困るような事をわざとするの」などと、迂闊に「友達」という言葉を使うと、子供に「友達じゃないもん」と返されます。単に私に反発して口答えをしているわけではなく、本当に「クラスが同じ=友達」という前提は皮膚感覚として薄いようです。そういう前提には違和感があるようです。私も1についてはやや現代よりかも(苦笑)。いろいろ人それぞれ、理屈はあるのだと思います。でも、人それぞれと言っても、それなら、そんなにみんながみんな結婚や地域のつながりや友達や教育の事を真剣に深く考えた末で「人それぞれ」になったのかというと、そうでもないと思います。私自身、教職についてはいるものの、我が子の子育てさえかなり行き当たりばったりのまま今まで来ています。結婚だって、就職だってそんなに深く考えたわけではありません。深く考えてもわからなかったというのもあります。人にそんなに気を配っているわけでもないです。大抵の人は、そんな程度ではないでしょうか。「人生をそんなに真剣に考えてきたか」と問われれば、「いやー、そうでもないっす」というのが一般的なレベルではないかと思います。昭和中期までは、地域社会が土着的に保っていた倫理感(生活習慣を含む)や宗教や社会(国家)が圧力的に持っていた規範といったものが、かろうじて個人の倫理感や人生観を支えてきていたのだと思います。例えば、「夜、爪を切ってはいけない」「霊柩車を見たら親指を隠せ」などという伝承は若い世代には伝わっていません。中学生の息子に聞いてみると、「霊柩車って何?」と、聞き返されてしまいました。そう言えば、息子は葬式は1度しか出ていないし、その時も霊柩車を見送るところまでおらずに帰ってしまいました。私は「霊柩車を見たら親指を隠せ」に関してはおそらく近所のお兄ちゃんかお姉ちゃんに教わったのだろうと思います。それ以来、霊柩車を見ると親の死を想起し、「ああ、親を大事にしなければ。」と、親子という最も強い(はずの)つながりを感じる機会となりました。夜も明るい今の時代でも、夜爪切ることには躊躇します。そんなふうに昔は周囲から様々な伝承を受け、周囲の生き方のモデルを見習い、周囲からの圧力的矯正や強制を受けて育ったものです。今やそういった倫理観や人生観を育む装置がほとんど機能しなくなってしまって、倫理観や人生観を形作っていくのはほとんど個人任せ、自己責任になってしまいました。個人任せ、自己責任となっていることにさえ気がつかず、大抵の個人はなんとなくぼんやりと流されて生きているのではないでしょうか。個人が独自で自分の中に倫理観や人生観を打ち立てるなんてことはとても難しいし、もし打ち立てられたとしても、現代社会ではその倫理感や人生観に沿った生き方を通すことも難しいです。そんなに難しくて面倒な事を個人任せにされてもどれだけの人が応えられるというのか...倫理観や人生観を形作る「社会としての装置が見当たらない」という状況を私たちはあまりにも甘く見過ぎてきたのではないかと思います。この国には何らかの宗教を信じている人は少ないし、強い君主も硬いコミュニティーも存在しません(私も無宗教・個人主義です)。この状況ではつながりが失われていくのは当然の結果ではないかと思います。・・・また、ネガティブな方向に行ってしまいました(苦笑)。では、どうやったら倫理観や人生観を打ち立てられ、つながることの必要性を感じることができるのかという話です。まずそこに至るに、考えるべきことが「死」についてです。死生観にじっくりと対峙してみることだと思います。「メメントモリ=死を想え」です。メメント・モリ長くなりそうなので、続きはまた次回に...---------------------------------下はNHKスペシャル「マネー資本主義」のオープニング。まずかったのは、資本の暴走だけではなかったのだろうと思います。ナレーションは「なぜ、誰も止められなかったのか。」と語ります。映像もシュールすぎて怖いぐらいです。細野晴臣×Ann Sally×コシミハル。Ann Sallyはファーストアルバムに入っているのとは別バージョンで、細野さん、越さん、さすがです。 ↑ クリック !オープニング映像。マネー資本主義(NHK) ↑ クリック !60秒バージョンもすごい。「我々は、何をしてしまったのか?」
Jul 30, 2009
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テレビをつけると大地真央。何故か往年の名曲を歌っていました。←YOUTUBEへクリック「五つの赤い風船」が発表した当時から既に40年の歳月が流れています。 大地さん独特の力強さで歌う姿に、ものすごく心を打たれました。(※特にファンではありません(笑))。ややもすればベタな歌詞でも、こういった人の手にかかるとシンプルな名曲に聴こえてきます。後ろにいる若い方々をねじ伏せるでもなく、迎合するでもなく、圧倒的な強さで語りかける大地真央。どういうつもりでこの若者向けの番組で古い曲を選んだのかは番組内で語られることはなかったのですが、彼女の“願い”が伝わってくるような気がしました。50代前半の彼女辺りからポスト団塊という世代でしょう。この世代がこれから社会や職場の中心になっていきます。 みんなで歩こう 長い道だが 人をつなげるのは人です。でも、「つなげようとしている人」の「つなげたいという意思」がなかなか同じ方向を向かなかったり、なんとなく萎えたままになっていたりしているような気がします。「みんなでひとつにまとまって」なんてことはもはや無理なのかもしれないにしても、 温かく手を差し伸べ合っていこうというサインを発信し合い、共有していくことは必要であると思います。点在して萎えかけている「つなげる意思」を音楽や文章や絵や映像が支えてくれることもあるのではないかと思います。 ↓ こちらは本家のパーフォーマンス。これも素晴らしいです。http://www.youtube.com/watch?v=6hCoQwRrzHM
Jul 13, 2009
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つながりを再生するには、どうすればよいのか、何から考えればよいのか、考えていてもよくわからないので、思いついた事から書いていきます。今回は、マンパワーの確保、リーダーへの責任の分散、参加者の負担感の軽減などについてです。何をするにも、まず、「誰がやるのか」ということが問題になってきます。例えばある学校で父親会を作ろうということになったとします。過去、私が勤めた学校でも、私の子供が通った学校でも、ちょうど父親会の発足の様子を見ることができました。父親会を立ち上げるとなると、まず会への参加者を募らなくてはならないですし、どこで会合を開くのか、誰がリーダーになるのかといった案件がまず浮上してきます。学校行事に絡んでいく場合には、学校職員の協力を得なくてはならず、その窓口を誰にお願いするのかということにもなってきます。様々な企画を催すためには、マンパワーが必要になってきます。親子スポーツ大会や○○教室、夜間のパトロールなどなど。いつもマンパワーが足りているといいのですが、マンパワーが不足する時にはちょっとした無理強いが必要になってくる場合もあります。一世代目がうまくいったとして、3年ぐらいするとメンバーの交代が始まります。そうすると引き継ぎをどうするのかという問題が必ず発生してきます。1代目の組織がしっかりしていて、1代目が築いた組織の企画がしっかりしていればいるほど、2世代目、3世代目の主要メンバーにかかってくる負担感が増します。活発で、息が長い活動をしていくには、どうしていけばいいのかを考える必要があると思います。強力なリーダーも必要ではあるのですが、誰も引き継げないようでは困ります。リーダー以外のメンバーも含め、できるだけ責任や負担を分散して、誰でも参加ができる組織作りを目指すという観点が必要だと思います。伝統を大切にという考えがあまりにも強いと、継続が難しくなります。基本的には「伝統も大切だけれど、0ベース改革をしてもよい」という共通認識でいいと思います。参加形態の多様化も必要だと思います。メンバーになったからと言って、毎週日曜日は必ず何かしらの仕事があるようではやる気があっても参加できない人が出てきます。また、土曜や日曜だけが参加できる曜日にしてしまうと、それ以外の日が休みの人の参加が望めなくなります。また、役割分担も、けっこうハードな役目をしたい人もいれば、少しなら(気持ちだけでも)手伝いたいという人もいると思います。特に後者を大事にすることが、組織を長持ちさせる秘訣ではないかと思います。「できる状況でできる人ができる事を」を原則にして、共通認識しておけば継続可能な組織になっていくのではないかと思います。父親会には飲み会があって、ある日メンバーから、こんな話を聞きました。「会社の中で仲間だとか友達だとか言っても、所詮は利害関係があってそんなに親密な間柄になることはできないですよ。会社の仕事も結局は利潤を得るためにやっているだけですしね。だから、こういう所に出てきておつながりを求めているんです。」とっても仕事ができそうな立派そうな方からそんな話を聞かされて、少し意外でした。会社の全部が全部そうでもないのでしょうが、殺伐とした部分もあるのかもしれません。人のために何かをしたい、あるいは人とつながるために何かしたいという人は多いのではないかと思います。今回例に挙げた父親会以外にも、たくさんの手を取り合う機会というのはあると思います。そういう機会・場をどうやって作り出していくか。「あったらいいなあ」を形にしていくにはどうしたらいいか、そしてその形を維持・発展させていくにはどうしたらいいかを考えていく必要があると思います。では誰が考えるのか。それは、行政の仕事でもあると思います。行政が打って出ないとそう簡単には進まないと思います。行政にはお金があるし、部署もあります。この不況下で、予算や人員は削られていると思いますが、それでも力は持っていると思います。行き当たりばったりの企画をしていつの間にか企画が消えていくといった状況にならないように、しっかりとしたグランドビジョンを持ってつながりの再生を目指してほしいなあと思います。
Jul 5, 2009
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「絆」や「つながり」を再生するために、今、頭に浮かんでいる言葉は以下のようなものです。マンパワーの確保、リーダーへの責任の分散、参加者の負担感の軽減マネーパワーの確保、ブレイクスルーの発見阻害要因の洗い出し携帯やテレビゲームの自主規制死生観の問いかけ情報発信と共有(可能な要素のピックアップ)たてななめの関係の導入 今のところ、私の頭の中がいまいちつながっていないので(苦笑)、羅列したそれぞれの言葉についてもう少し考えながら、エントリーしていきたいと思っています。 さて、先日、DVDで映画「フラガール」を観てすごくタイムリーに心を打たれたので、ちょっと前回エントリーの内容に話をもどしちゃいます。フラガール-----------------------------------夏目漱石「それから」の中に、"主人公"高等遊民"代助の「食うために働くなんてばからしい」といった内容のセリフがあります。「働くことはただの労働であるのか?」「働くばかりの人生に意味があるのか?」という疑問を明治の文豪は投げかけていたのだと思います。 しかし、「高等」ではない一般市民は、昭和の大戦が終わってからも、しばらくの間はかなり貧しくて、不自由な生活をしていた事が、当時の記録を見るとよくわかります。 「フラガール」の舞台は、昭和40年の岩手県の貧しい炭鉱の町です。戦後20年たったこの時期でさえ地方(庶民)は貧しく、職業の選択の幅は非常に小さかったのがわかります。まだまだ、食うために働かなくてはならない時代だったのです。街の人々は炭鉱で真っ黒になって働くことに誇りと生きがいを感じていても、所詮石油エネルギーに押されて閉山→解雇という流れの中ではリストラをされてしまう弱者でしかありません。 人間関係による「束縛」も強く、フラダンスを職業にするなどという自由は周囲から認められにくい「自由」でした。当時の庶民は今よりもっと選択肢のない人生を生きていたのです。この映画は、単なる成長物語ではなく、閉鎖的・差別的で貧しかった昭和中期の時代背景をしっかりと描いており、素晴らしい作品だと思います。物語はそうした昭和の弱者が街の生き残り策に賭けて「ハワイアンセンター」という娯楽施設の運営に関わっていく姿を描いています。そこには人々の情け(つながり・絆)があり、夢があり、「力」があります。演技とはいえ、人々の表情の純朴さには心を打たれるものがあります。私たちが何を失ってきたのか、この映画は語りかけてくれます。この映画は昭和40年の設定ですから、時代がこの後、余剰が過剰となり始めた昭和後期(40年~64年)へとつながっていくのかと思うとなんだか複雑な気がします。今の世の中と「フラガール」の時代を比べてどちらが幸せなのかはよくわかりません。生活レベルは数段上がっており、岩手県の2006年の工業生産額23889億円は、1960年の724億円の33倍にもなっています。岩手県のような昔の日本の村社会が残っている地方でも、村からの束縛は当時に比べればゆるゆるになっていると聞きました。平成21年の私たちは人類の歴史の中でも極めて自由で、物質的に豊かな社会を手に入れていると言っても過言ではないでしょう。その一方で、今の日本でも、相変わらずというかより巧妙に、弱者は叩かれかすめ取られているように思います。働くこと、生きることの意味さえも見失い、夢が何であったのかわからなくなり、むやみにつながりや絆を壊してしまったままです。「あの頃には戻れない」のでしょう。あの頃のいいところだけを取り戻すことは難しいでしょう。映画の中には蒼井優が仏壇に手を合わせる場面がさりげなく描かれていました。仏壇のある暮らしを取り戻すことひとつをとっても困難でしょう。それでも、取り戻せることもきっとあると思います。難しくても取り戻すことが可能な旧スタイルは何なのか、未来に向けて人をつなげる新しいスタイルとは何なのか??ただ昭和のレトロな風景を懐かしむだけではない、前向きな視点が必要なんだろうと思います。----------------------------------フラついでに、小野リサさんのハワイアンアルバムもご紹介。ジェイクシマブクロの「フラガールサントラ」もいいですが、これまた絶品です。Lisa's Ono Bossa Hula Nova
Jun 27, 2009
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つながりとか絆とかで記事を書いていますが、リアルに私を知っている人は、「お前が言うな!!」と一斉に突っ込みを入れてきそうです。私もかなり、旧来のつながりを切ってきた人間で、個人主義者です。まあ、ブログを書いているのは、今までしてきたことの贖罪という側面もあります(苦笑)。冗談はさておいて・・・つながりが切れているという暗く悲惨な例を挙げている中で、まだ言及していないのが、「離婚問題」です。小学校教員という立場から見て、強く問題を感じていることの一つです。このことについては、いずれ書きたいと思いつつも、これを書きだすと非常に長くなりそうなので、後に触れることにしたいと思います。また、宗教あるいは土着的なモラルの崩壊に関する問題も、書く必要を感じながらも、長くなりそうなのでいつか、機会があれば書きたいと思っています。-----------------------------2つの大きな問題をスルーして、このつながり・絆を取り戻すには何をすればいいのかという話を始めたいと思います。1.元に戻すというベクトル「昔はよかった」という思いは、おそらくほとんどの40代以上の方の中にあるのではないでしょうか。映画「オールウェイズ」「20世紀少年」のヒットをはじめとした昭和時代への懐古現象は、おそらくただの懐古趣味だけで怒っているのではないと思います。殺伐とした現代社会への嫌悪感が懐古現象を生んでいるのだと思います。だったら昔が良かったのでしょうか?昔って、どれくらい昔が良かったって言うのでしょうか。そいう言われると(けっこう想い出好きな)私も、どうだかと首をひねってしまう部分はあります。 少なくとも太平洋戦争時代には戻りたくありませんし、それ以前の世の中も、かなり厳しい人間関係と社会の圧力があったものと思われます。人権・人命など、実に軽く扱われていたように思えます。だからこそ、人々は宗教に救いを求め、宗教がモラル(人間関係のモラルを含む)をコントロールする役割をしていたのではないかと思うのです。宗教は必要が生みだしたのだろうと・・・。・・・おっとっと、宗教論になってしまいますね。では、戦後ならどの時代が良かったのか。戦後~1960年代までのしがらみは、まだまだたいへんだったと思います。地域の人間関係は階層がはっきりとあり、地元の有力者は大きな顔をしていたし、平等という概念はいま一つ共有されていなかったように思います。貧乏人は明らさまに貧乏人として扱われ、社会的弱者は今よりもっと貧しい暮らしをしながら社会を支えていました。見合い結婚より恋愛結婚の比率が大きくなるのが1968年あたりであるというデータを見ても、いかに昔はしがらみが強かったかということがわかります。家族という集団も、女性の我慢の上で成り立っている部分がかなりあったように思います。女性の解放が本格化していくのは「女の時代」と言われた1980年代だと思います。男性にしても、会社組織の強い締め付けの下で働かされていた部分は否めず、1970年代まで、男性は最も大事な人間関係のトップに「会社」が挙がっています。群れから離れることは難しかったのではないでしょうか。1970年代後半からは学校社会が揺らぎだし、校内暴力やいじめが問題になっています。当時の学校生活をそれほどよい思い出として振り返ることができない人は、けっこういるのでは?などと、ネガティブ目線で見ていると、どの時代も悪かったように思えてきちゃいますね。私は個人的に、1970年代前半が好きです。というか、それ以前はほとんど記憶にないです。多分、そこから遡ってオールウェイズの時代(1950年代前半)あたりが良かったのかもしれないと思っています。「昔のいつがいい?」については、いろんな意見があったにしても、「戻ることができるのか?」という問題があります。おそらくもう、あの時代には戻ることは不可能だと思います。生活形態が違い過ぎるし、あの時代に差別されつつ耐えながら社会を支えた層(女性や貧困層)が今の時代に黙って同じように社会を支えられるわけがありません。アイポッドに携帯電話にゲーム、ネットに自動車にバスルームがあり、いつでもつながりを切って逃げ込める場所がある現代人に、プライバシーを守ることが難しかったあの時代に戻れと言っても、それは無理です。どんなに携帯やゲームの弊害を声高に叫んでも、少々の修正ルールができればいいところでしょう。と、またまたネガティブな話になってきました。今回の結論は「あの頃には戻れはしない」です。(良い状態に戻す努力や戻したいという気持ちは必要だと思います。)次回はもう少し建設的な記事を書きたいと思います。
Jun 20, 2009
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親の孤独 → 子供への依存 → 過干渉やペット化といった連鎖があるのではないかということを前回のエントリーに書きました。これに加えて欲求不満による親の不全感 → 子供の欲求充足への期待 → 甘やかしという見方についても書いてみます。使っている言葉が少々違うだけのような気もします。自分でも考えが整理しきれていませんので、書きながら考えます。マズローは、人間の基本的欲求を低次から生理的欲求(生命維持のための食欲・性欲・睡眠欲等の本能的・根源的な欲求 ) 安全の欲求(衣類・住居など、安定・安全な状態を得ようとする欲求) 所属と愛の欲求(集団に属したい、誰かに愛されたいといった欲求) 承認の欲求(自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める欲求) 自己実現の欲求(自分の能力・可能性を発揮し、創作的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求 ) としたそうです。(ウィキペディアより) 「孤独やつながり」というのは3・4あたりの欲求と関係があると思います。「友達や信頼できる人が欲しい」「自分を承認してくれるあたたかい人の輪の中にいたい」というのは人間の欲求のの中の大きな要素だと思います。1~4が「欠乏欲求」、5の自己実現が「成長欲求」と位置付けているそうです。実際は、そうキレイに分けられるものでもないらしく、たとえば「美しい恋人が欲しい」なら、1・3・4・5あたりがあてはまりそうに思えます。まあ、難しい定義は置いておいて、1・2あたりは結婚をしている日本人夫婦ならそこそこ満たしているとしても「好きなことをやりたい」「物欲を満たしたい」「人の上位に立ちたい」「人の役に立ちたい」「才能を発揮したい」 「強くなりたい」「美しくありたい」等も、満たしていきたい欲求なのだと思います。特に5の自己実現というのは、できそうでできないことです。http://www.miyadai.com/?itemid=252で宮台真司氏の文章を見つけました どの社会にも「自己実現に結びつく仕事=創意工夫の必要な仕事」と「自己実現に結びつかない仕事=創意工夫のいらない仕事」があります。「自己実現に結びつく仕事」はどの社会でも稀で、今日ではかつてよりも稀少になりました。成熟社会化(汎サービス産業化)で熟練仕事が減って「役割とマニュアル」に基づく仕事が増え、転職頻度が上がって職場での人間関係が希薄になったからです。 自由と平等と個人の尊重が謳われ、消費の美徳が謳われる社会。素晴らしい社会です。そして情報化によってたくさんの素晴らしい選択肢を見せつけられます。しかし、その割には、自分はいま一つ満たされていないのではないかという不全感を抱いている人は少なくないと思います。「暴力や病で死なないこと・食えること」が大目標であった時代から、私たちの欲求はどんどん実現可能になったように思えるのですが、残念なことに「実現可能」と「実現が保障されている」との間には大きな差があります。「あの部長のようにふんぞり返って部下に命令したい」「おいしいレストランでお食事」「英語力を生かしてニューヨーク勤務をしたい」という欲求は「実現可能」ではあっても常に「実現が保障」されているわけではありません。届くような気になってしまって届かない。理想と現実が常にずれている。そして、さらに「つながりを失った社会」には、膨らんだ理想を実現するには、程遠い厳しさがある。「こんな自分じゃないはずなのに」「なんだか社会は私の味方をしてくれない」と。なんだか漠然とした不全感で、正直を言うと私の中にもそれはあります。こういった不全感、つまり欲求不満を解消するために「防衛機制」が働きます。(昔、勉強したなあ)現代の親はこの不全感を解消させるために、子供に対して「防衛機制」の中の「代償」を働かせているのではないかと考えています。 2通りの意味でです。1つめは、子供に物を与える、子供の負荷を無くすという行動です。http://plaza.rakuten.co.jp/gakkodx/diary/200702060000/http://plaza.rakuten.co.jp/gakkodx/diary/200902100000/あたりのエントリーでも書きましたが、無意識のうちに自分の不全感を埋めるためにてっとり早く実現できる子供の欲求充足に走る。つまり、甘やかしてしまう。子供に代償してもらうことによって自分を保とうとする。最近、親を観察していると、そんな気がしてなりません。2つめは、前回のエントリーに書いたように、自分の人間関係の不全感を埋めるために、子供を友達化・恋人化・ペット化して、直接的に代償の対象にするという行動です。こうして育てられた子供が大人になって、欲求が満たされないことを思い知った時に、どうなるか・・・。残念なことに、もうすでにそんな大人が社会にあふれてしまっています。
Jun 13, 2009
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親の孤独 → 子供への依存 → 過干渉やペット化といった流れがあるように思っています。専業主婦は「●●ちゃんのお母さん」という認識のされ方をされて自分の名前を失ってしまいます。働く親は、職場の人間関係に埋没し、余裕のある人間関係を築けなくなってしまうというパターンもあるでしょう。「個」を重視したライフスタイルを手に入れようと、しがらみを拒絶してきた現代の日本人は、血縁以外に「確かなつながり」を保障してくれるような共同幻想(?)がもちにくくなっていることは否めないと思います。そんな社会を見てきた子供たち、そんな家庭で過干渉気味に育てられた子供もまた、つながりを実感できずに育ってしまいます。10年ぐらい前からクラスの中で、「友達」や「仲間」といった言葉を使うときに、なんとなく違和感を持ってしまったり、躊躇してしまったりするムードが濃くなってきたように思います。家族以外のつながりは、私的なつながりについては認めるが、公的なつながりを無条件で認めるつもりはない・・・そんなムードがクラスに、社会に蔓延しているような気がします。クラスの子供同士でトラブルがあった時に、「どうして友達にそんなひどい事をしたの?」という言い回しができにくくなっている気がします。「クラスが同じ=友達」という図式が子供たちの頭の中に前提としてセットされておらず、「友達」という言葉が有効に作用しなくなってきています。最近の親や子供はクラスという偶然の集まりに「縁」等は感じることもなく、「共同体の起点」としてとらえることができません。共同体との折れ合いなど考えることもなく、あくまで私は私を崩さない。表面的・感情的な利害関係に基づいた視点からしか眺めることのできない親や子供が集まってしまっていると、学級経営など成り立たなくなってしまいます。親の思考回路が家族や私的な関係にのみつながりを感じていれば、そんな親に育てられた子供たちは当然「家族や私的な関係にのみつながりを感じる」思考回路で社会と接するようになってしまいます。こういった子供たちに「それでも人はつながっている」「折れ合うことも必要」「情けは人のためならず」という事を理解させ、実感させていくという作業は、たいへんなものになってしまいます。 「疑うこともなく知り合う人々を友達と呼べた日々へ・・・」(“ずっとそばに”in REINCANATION:松任谷由実)この曲が出されてすでに四半世紀が経ちます。当時既に「つながりは過去のもの」として懐かしむ心象風景があったということです。人と人の距離の混迷は長くつづいているし、ますます重症化しているように思えます。
Jun 6, 2009
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結婚をして子供ができると、夫婦の生活の中心が「子育て」へとシフトチェンジしていきます。欧米ではそうでもない部分もあるようで、早くから子供を別室で寝かせるとかいう話も聞いたことがあります。夫婦関係を優先させるそうです。日本人はそうではなく、子供を中心とした生活になりやすいのではないでしょうか。個人的にはそれでいいと思います。ところが、専業主婦の場合、子育てを全面的に引き受けることになってしまい、それが孤独や不全感を深めてしまう原因になっているように思います。妻が子育てに重点を置き始めると、夫も家族からの疎外感を覚え、夫婦の疎遠がさらに孤独と不全感へと向かってしまうようなパターンがけっこうあるのではないかと思います。そうなると妻は、子供への依存を強めていきます。特に子供が男児であった場合、「恋人は息子」という状態が生まれます。女児であった場合、「親友は娘」でしょうか。夫からの疎外または夫へのあきらめが夫とは違って血がつながっている子供への愛情となり、子供への過干渉にと発展していきます。この状況は母子家庭の親子関係の中にも見られることがあるように感じます。1980年の初めぐらいに 久徳重盛氏が命名した「母原病」、1992年ぐらいには「母子カプセル」という言葉が出てきました。それらの言葉が指摘していた母と子の密着による悪影響は今もなお続いているように思います。子供を大事にすることについては大賛成なのですが、親のいびつなつながりが、子供をダメにしてしまっているのではないでしょうか。少しでも自分の子供に不利な状況に我慢がならない、少しでも子供に負荷がかかるとかわいそうで仕方がなく、自分の痛みのように感じてしまう。これでは子どもは育ちません。特に男の子に覇気がなく、1990年代の後半ぐらいから男子のリーダーが育たなくなったことが指摘されています。女同士の牽制が働く「母親---娘」間より、恋仲になってしまう「母親---息子」間の方が重症化しやすいことなのだろうと思います。子供を虐待する親がいる一方では、こういった子供と自分の分離ができない親もいます。子供との分離ができていない母親は、子供を独立した社会の構成員という視点からも見る感覚をみにつけて、育てていけるといいのですが・・・
May 30, 2009
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家族は大切であると思います。遺伝子的に自分に最も近い人たちを大事にすることは、自分を大事にすることと同様に、大切なことだと思います。自分や家族を大切にすることは、他人も大切にすることの第一歩だと思います。家族を大切にする、それはそれでいいのですが、前回のエントリーで書いたように、メディアで家族愛や絆・つながりが強調される裏には、家族の崩壊や人のつながりの崩壊がそうとう進んでいることの証なんだろうなと思います。孤立・孤独への不安を、家族賛歌や友達賛歌が映している部分もあるのだろうと。我が身の孤立感・孤独感を埋める存在に過度の期待を寄せてしまっているようなところがあるのでは。期待を子供に求めたとき、何かしらひずみを生んでしまっているのではないかという気がしてなりません。特に親にとっては子供が自分の孤立感や孤独感を埋める対象になりやすいのではないでしょうか。学校に対してひどく否定的な態度を示す母親が増えています。子供に対する些細なトラブルにも神経をとがらせ、自分の子供に少しでも不利な状況があると、居ても立ってもいられないという様子で、クレームをつけに来ます。現行犯で掃除をさぼっていた子供を叱ると、「どうしてうちの子供だけ叱るのですか」と、電話がかかってきます。まるで子供と同じ反応です。「いや、私が見たのはN君だけでしたので、まず、N君を叱りました。その後、まわりにいた児童にも、クラス全体にも同じような行動をしている子供がいるようだから、お互いに注意をしていくように、指導しました」と、話をしますが、納得ができないようです。昔はこういう親の態度は、単にわがままになっているのだろうと思っていました。でも、今はそれだけでもないのかもしれないと、思っています。「叱られたこと=立ち直るいいきっかけ」と、とらえることができず、子供の痛みをわが痛みの如く感じてしまって、その苦しさに耐えきれなくなってしまう母親。もちろん、父親にもこの傾向はあります。親の孤独化も進んでいるため、必要以上にわが子に対する絆を感じてしまい、いつの間にか子供に自分を投影して、自分と子供を同一視しているのではないかというような気がします。そうなると、ついつい子供に負荷をかけることを避けるようになってしまいます。この辺りのことは「保護者問題」のカテゴリの中で、けっこう延々と書いていますので、興味があったらご覧ください。現代子育て事情1「子供の荷物をしょってしまう」 孤独な殻に閉じこもって自分を防御することに重きを置いてしまうと、子供は自分だけのものではなく、社会的な財産であるのだという客観的な視点から物事を見ることができなくなってしまいます。子供と自分を同一視してしまう親の数も度合いも、年々増えていく気がしています。
May 19, 2009
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団塊の世代を筆頭にして戦後世代は新しい人間関係を作り上げていきました。本人たちが意識的に変えていった部分もあれば、知らず知らずのうちにそうなっていった部分もあるでしょう。産業構造の変化や一億総中流化やテレビやポップソングや小説等々、相互に影響を与えながら、好む、好まざるに関わらず、人間関係は大きく変化していきました。新しいコミュニティ、新しい恋愛関係、新しい家族関係・・・コミュニティ・・・村社会のしがらみから逃れた。めんどうな宗教とも関わらなくっていい。会社社会からの拘束からも逃れた。学校だって国家だって相対化されてしまった。恋愛・・・結婚は家同士がするものといった地域や階級に縛られた政略的結婚からのがれた。離婚や再婚、婚前交渉や婚外の性交渉への抵抗が薄れ、婚姻の束縛はゆるくなった。家族関係・・・核家族化。「親は子の肥し」「子供は労働力」「夫唱婦随」などと考える人はもはや皆無。友達親子は増え、家族内のジェンダー化が進んだ。確かに、人間関係と言う点において、私たちはずいぶん自由になりました。自由を得た代償に、失ったものも多い気はします。クールで快適に過ごせているような気がする一方で、孤独で温かみのない日々を送っているような気もします。こういった変化がよかったのか悪かったのか、一言で片づけられるものではないでしょう。私にもよくわかりません。家族志向と言う現象があるそうです。ポップ音楽界の巨匠、小田和正がヒップホップ系のグループとともに、「Dear mama」という母親賛歌のシングルを出しています。 TVCMやドラマでも家族愛を強調したものが目につきます。香山リカさんも、「親子という病」という本の中で、家族礼賛が強まっているとの指摘をしています。親子という病多分、そういった家族志向の裏側には、社会が孤独化しているという現実があるのではないかと思います。人間関係が希薄化していく中で、何をもって人がが「つながり」であるのかが分からなくなってしまっているのでは?「つながっている」と感じられる場は会社でもない、ご近所でもない、同級生や同窓生でもない。時々、たとえばWBCを観戦している時に、「日本」でつながっているような気もするけれど、それが終われば「はて、日本って私を守ってくれるの?」という気分に戻ってしまう。「つながり」や「絆」と言った言葉がポップソングの歌詞や題名になることも多くなりました。YAHOOで歌詞検索をかけると「つながり」が111曲、「絆」が693曲、引っ掛かりました。多分、もっとたくさんあります。ほとんどが最近の曲です。もろ題名が「絆」の曲もあります。道/絆 - GReeeeNそれは結局、「つながり」や「絆」を実感できていないことの裏返しなのだろうと思います。そして、なんとか「つながり」や「絆」を主張できる最後の「場」が家族であり、そこで家族志向が生まれているのだろうと・・・。そして、その家族という血縁のつながりも保つことが難しくなってきています。何とか保っている家族だって、家族志向の歪み(依存や不安)が妙な事件となって表出しているのでしょう。一億総孤独化。昨年の秋葉原無差別殺傷事件も最終的に「キレた」のは、作業服がなかった時点であるように言われることもありますが、私はどちらかというと、ネットで無視されたことも相当大きな要因になっているのではないかと思います。そして、単に、ネットで無視されたのにかっとなったのではない。彼はきっとこう思ったのでしょう。「自分は誰とも、何処ともつながっていない・・・」
May 9, 2009
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某大手CDショップで、拓郎とユーミンの新譜が並んで平積みされていました。ちょっと感慨深い組み合わせです。63歳でオリジナルアルバムがトップ10入りをするなんて記録(午前中に・・・)は、ユーミンか小田和正ぐらいしか塗りかえれそうにないかも・・・ミスチルやドリカムやBzだって、あと20年かかります。20年後にオリジナルアルバムなんてあるのかどうかさえ分からないような状況です。 午前中に... そしてもう一度夢見るだろうこの二人、相容れないような気がする人も多いと思いますが、拓郎の75年つま恋野外コンサートには、ユーミンもピアノで参加していて、けっこうラブラブムードもあったようです。本人たちも、「私たち、結婚していたかもしれない」と対談で語っていました。実現していたら、どんだけ濃い夫婦やねん。(現実ユーミンは75年つま恋でキーボードを担当していた松任谷正隆と結婚)二人とも、戦後世代の新しいライフスタイルを引っ張ってきたという意味では、ブルドーザー的な役割を果たしてきました。拓郎は旧世代社会のしがらみを壊し、逃れてきたのだろうし、ユーミンはおしゃれな都会的センスを提示してきました。2人は多くのフォロアーを生み出したし、たくさんの若者がまたそれに影響を受け、便乗しました。私も乗っかったうちの1人だと思います。(まあ、実際はもっと複雑な「思い」や「いきさつ」の中で作品は作られてきたわけで、そんな単純な図式で語ることはできないとは思います。すべてが拓郎とユーミンが「影響」を仕組んだわけでもないだろうし、時代の流れだった部分もあるでしょう。)他人から束縛されず、自由に生きる。そんなライフスタイルが広がっていったことはすばらしいと思います。しかし、一方では、コミュニティーが「生き残る」ために機能していた暑苦しい人間関係は薄れていき、結果的にコミュニティーは弱体化してしまいました。戦後間もなくはまだ、コミュニティーは「結婚」を結束を保つための制度(見合いやいいなずけ)としていたようです。こんなのは今の時代から見るととてつもなく窮屈な話です。そんな窮屈さに反発するように「恋愛の自由」が謳歌され、その旗印の下では、コミュニティーどころか家庭さえ崩壊(不倫→離婚)の危機にさらされてしまっています。どうなんだろう?どうだったんだろう?ユーミンはソングス(NHK)に出演して、中学生の卒業式に参加、歌い継がれる「やさしさにつつまれたなら」に涙を流していました。NEWアルバムの中の「夜空でつながっている」等では、人の孤独について言及しています。拓郎も「求めすぎずに」といったことを歌にしています。どうなんだろう?どうだったんだろう?---------------------------------------- 忌野清志郎さんが亡くなられました。彼も壊し屋でしたが、過激でありながらも、弱者の立ち位置から書かれた曲には励まされてきました。シングルマン「夜の散歩をしないかね 」、すばらしい作品でした。ご冥福をお祈りします。
May 3, 2009
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Aは淳君と彩花さん以外にも数名をつけまわしたり、暴行事件を起こしたりした。不幸にも殺害されてしまった2人に関する著書が父親・母親の手によって出されており、そこから伝わってくるのは淳君と彩花さんのたいへん無垢な部分である。両家とも実にお子さんを大事に育てておられ、どうしてこんな立派なご両親とその子供たちがつらい目にあわされることになってしまったのか、憤りを感じる。Aが無垢な子供を狙うこと意識していたかどうかはわからないが、恐らく無意識であっても、結果的にあの2人をAが選んでしまったのではないかと私には思われる。Aは無垢に憧れると同時に、無垢を拒絶し、恐れていたのではないだろうか。淳君と彩花さんの生前の様子が綴られた手記を読んでいると本当に心が痛む。事件以来のご両親の苦しみや悲しみに関することも、安易に語ることは避けなければならない気がしてしまう。彩花へさて、彩花さんの母親である山下京子さんは、手記の中で下記ようなことを書いておられる。Aに宛てて書かれた文章という体裁で、「Aに対する憎しみはあるが、同時にAを更生させてやりたいと願う気持ちがある」「もし私がAの母親であるならば・・・真っ先に、思い切り抱きしめて、ともに泣きたい。言葉はなくとも、一緒に苦しみたい」※かなり要約しています。もし全文を読みたい方は、「彩花へ、『生きる力』をありがとう」を読むか、ネットhttp://books.google.co.jp/booksで「山下京子」をキーワードに探してみてください。「少年事件」という本でこの文章を全文引用しているのが見られます。少々不思議な気持ちになる文章ではあるが、お子さんを亡くされた山下さんは、身を切られるような苦しみを引きずりながらも、心の中に浮かんでは消える複雑な想いを率直に書きとめられたのであると思う。山下さんはこの事件に関して3冊の本を出しておられ、AやAの両親とも粘り強く接触を取っておられるようである。山下さんは単に民事上の賠償問題(実際、こういった事件に巻き込まれて十分な賠償を得られることは難しいようだ)という枠組みの中ではなく、この事件の当事者として、事件の闇との戦いを続けておられるのだと思う。-----------------------------------------------------------神戸新聞NEWSよりhttp://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0001767924.shtml加害男性、山下さんへ5通目の手紙 神戸連続児童殺傷事件 一九九七年に起きた神戸市須磨区の連続児童殺傷事件で当時十四歳だった加害男性(26)が、殺害した山下彩花ちゃん=当時(10)=の十三回忌の二十三日を前に、遺族に謝罪の手紙を送っていたことが分かった。男性は二〇〇五年に医療少年院を退院。手紙は昨年三月以来で、〇四年の仮退院中を含め五通目となる。彩花ちゃんの両親の賢治さん(60)と京子さん(53)は十九日、神戸市内で加害男性の両親、代理人と面会。男性直筆の手紙を手渡されたという。京子さんによると、手紙は横書きの便せん三枚にペンで書かれ、具体的な生活状況には触れられていない。「(男性の)周りに逆境の中で精いっぱい生きる人がいて、自分も現実に向き合わなければならないと思っているようだ。これまでの手紙は無機質な印象があったが、今回は確かに生身の人間が書いていると思えた」としている。京子さんは、男性あてに初めて「償うとはどういうことか考えてほしい」という内容の手紙を書き、代理人に託した。男性からの手紙を読んだ上で神戸新聞社に手記を寄せ、「人の心は、人の心でしか動かすことはできない」などと思いを打ち明けた。-----------------------------------------------------------淳君の父親、土師守さんも、事件のダメージに苦しみながらも犯罪被害者遺族の会である「あすの会」の幹部として、犯罪被害者等基本法の制定に尽力されるなど、実に真摯に社会に向き合いながら活動をしておられる。土師守さんも山下京子さんも、実に思慮深く、真面目であり、がまん強い方々である。 真面目に生きておられる被害者のご家族と、真面目ではあるがどこかがずれているAの両親。その点だけでも十分にこの事件は暗示的・象徴的であるように思う。 私たちは実に短い期間で実に急激に、宗教を放り出し、地域が保っていた道徳律が機能していないことを気に留めず、学校にダメ出しをして、家族は孤立し、メディアに犯され、生や死を隠ぺいしてしまった。長い時間をかけて培ってきた社会を維持するための重要なバランサー(宗教・地域・学校・家族)を成り行きで手放してしまった挙句に、それらにとって代わるものを提案できていないまま、ずるずると後退をし続けている。 亡くなられた淳君と彩花さんに対してはご冥福をお祈りするばかりだし、未だ心の傷の癒えないご家族に対しても、届かぬエールを送るぐらいしか、できることはない。先日も大阪で小学生女児が母と内縁の夫らに殺害された。相変わらず奇妙な事件が続いており、教師としても大人の一員としても、心が痛い。私にできることなど、何もないに等しく、とりあえず自分の狭い守備範囲での仕事や大人としての使命に誠実に取り組んでいくのが精一杯である。忙しいことも手伝って、このブログも1か月以上沈黙してしまった。十数年間心のどこかでくすぶり続けていたこの事件を引っ張り出して長々と「だからどうする」という自らの問いかけに答えようとしてみたが、結局、まともに答えることはできなかった。確か、村上春樹が小説の中の登場人物に「大切なのは、忘れないことだ」と言わせていたように思う(多分失われた恋人に関係するセリフだったように記憶しているが、それだけの意味ではないだろう)。この事件だけを、というわけではないが、この事件を象徴的に心のどこかにくすぶらせておこうと思う。忘れずにいようと思う。文章を書くことは自分との対話でもある。自分とだらだらと話し合いながらここに書いた文章が誰かの目にとまり、たとえ一人でも、一緒に考えていただく機会を少しでも得ることができたなら、それでいいだろうと思う。次回からはこのブログに書きたかった課題のひとつ、家族問題に触れていくことにしたい。
Apr 25, 2009
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どうすればいいのだろう。酒鬼薔薇事件のような極端な事件のみならず、少年犯罪を引き起こす要因にしばしば挙げられる「いじめ」や「学級崩壊」という現象が頻発する状況もおさまる気配はない。前回・前々回のエントリーで書いたように、学校にも医療機関にも、あまり期待はできそうにない。法律を厳しくすればそれで済むのだろうか。Aは「自分は死刑になる」と思いつつ殺人に走っている。厳罰化であの事件を未然に防ぐことは難しいだろう。マスコミがスケープゴートにする「誰か」のせいにして、マスコミの示す物語に沿って怒り、納得し、いつのまにか忘れてしまっていればいいのだろうか。誰かを排除したり、排除を願っていたりすることだけで世の中が良くなっていくだろうか。だからと言って、「誰か」のせいにするのをやめて、子供の学級会のように「みんなでがんばる、みんなで気をつける」というお粗末な結論に納得しているのも歯がゆい。このブログで少年Aとその家族のことを書き始めてすでに3万4千字を超えている。原稿用紙にして85枚分以上、改行を入れれば100枚を超すだろう。これだけしつこく書きながら、「だから、どうする?」と、ずっと自問してきたのに、それほど冴えた答えは思い浮かばなかった。間抜けな自分が情けないし、腹が立つ。家庭の問題にどうやって外部が関わっていけばいいのか。どういう外部機関があればいいのか。生活や子供との関係性に修正が必要な子供、親、教師を早期に発見し、対処する具体的な手立てを講じ、手立ての成果を見届け、再修正を図ることができる・・・そんなシステムを私たちはどうやったら生み出すことができるのだろう??しがらみを切ってしまい、信心(宗教)を放り投げ、モラルを壊し、個人主義や快楽や物欲に走った結果、家庭という単位は実にもろく、社会から隔絶されて密室化してしまったように思う。しがらみや信心やモラルにとって代わるもののことは何も考えずに、家庭が密室化しているという事実を軽視し続ければ、その「つけ」は必ずどこかに回ってくるだろう。ならば、具体的にどんなシステムをだれがどうやって作っていくのか。だから、どうする?何から手をつければいいのか。教育論議は実に長々と、だらだらと続けられてきている。素人から専門家までがあちらこちらで議論をしてひねり出した提言も、決定打と呼ぶにはいささか頼りない。あるいは現実味がない。2007年に教育再生会議が子育て指南として提言した「授乳中はテレビをつけない。」といった文言も、まともなことを言っているだけにかえって寒々しい気分になってしまう。決め手のない議論をしたり、決め手のないことに嘆いたりしている間にも、現実はどんどん進行している。手をこまねいているわけにもいかないだろう。少年Aだって、もう少年ではなく、人の親になってもおかしくない年齢になっている筈だ。だから、どうする? 1. 学校教育を立て直す当たり前のことである。学校教育を何とかしなくてはならない。学校教育の立て直しについては、課題も改善点も多岐にわたっている。書き出すと非常に長くなるので割愛するが、前にも書いたように、この学校という組織のレベルはもともとかなり低いので改善可能な点はたくさんある。組織として大きいだけに、学校をうまく改善ができれば、影響を及ぼす範囲も大きい筈。ここを何とかすれば影響は広く、大きい筈である。2. 家庭を聖域にしない確かに、わざわざ教育再生会議という首相の諮問機関が「授乳中はテレビをつけない。」と提言することは寒々しい。だからと言って、現在の家庭が密室化している状況を放置してはおけない。虐待があろうと、溺愛があろうと、延々とずれを繰り返そうと、密室化してしまって外部からの関わりが遮断されたままになっている家庭という密室がまるで聖域のようになってしまっているのには問題がある。この聖域に、私たちはなんとかして働きかける術を考えないといけないと思う。これについてはまた後ほど詳しく述べていきたいと思う。3. 発達障害や子育て不全への対処発達障害の子供に右往左往している家庭や教育現場の実態を認識してほしいと思う。発達障害がなくても、明らかに子育て不全に陥っている家庭もある。そういった家庭に、第三者が介入してほしいと思う。◎歳児検診、就学時健診で発達障害や子育て不全(特に虐待など)を見極める。→早期発見、早期支援(決して早期排除ではない)はかなり有効なはずである。視力検査や歯科検診と同じと思えばいい。視力が悪い子供には、眼鏡を与えるのと同じで、発達障害がある子どもには適切な対応をしてあげればいい。視力が0.01なのに眼鏡を与えなければ学力が下がるし、イライラも募るだろう。それと同じで発達障害があるのに周囲がそれを認識することさえせず、何の対処をせずに育てるというのは、その子供にとっては実に可哀そうな状況である。(※発達障害の子供が犯罪的行為に走る率が高いというデータはないということは確認しておきたい。発達障害を取り上げるとそういう誤解を招きやすいので、誤解をされないように、断わっておきたい。)4. 少なくとも、現存するスクールカウンセラーの機能を強める。スクールカウンセラーは現在、多くの学校に派遣されている。ところがスクールカウンセラーは思ったほどに効力を発揮できていない。私の勤める学校に関わってくださっているカウンセラーさんも、制度的な「動きにくさ」があり十分な対処ができず、非常に残念な気持ちになるとおっしゃられていた。せっかくかなりの予算がつぎ込まれているのだから、制度的な見直しをして、この有効な人的資源を活用できるようにしたい。5. 学級崩壊や発達障害の認知学級崩壊や発達障害を持つ児童の指導に当たったことがなければ、教師でさえ、それがどういうものなのかわからない。ましてやお役人にはもっとわからないだろう。文科省の役人や学校に関わる機関の職員には学校現場で研修をするべきだと思う。(教育)大学の教員もピントが外れた人が多い。中学校教師免許など、すぐにとれるのだから、現場研修を義務付けて、ぜひ、荒れた学級に発達障害児童がいる状況での担任をしてみてほしい。6. 小学校教師と中学校教師にも他校種・他地域・異職業の経験を義務付ける。凝り固まりがちになる私たち教師の頭脳を少しでも柔らかくするために、人事交流をしっかりとやっていくべきだと思う。採用4年目と20年目あたりで、他校種か他地域か異職業を経験することを義務付けてはどうだろうか。「○○市の小学校でもう30年やっています」といった狭い世界に棲む教師に、刺激を与える必要がある。7. 社会への広報活動発達障害や子育て不全の実態を 学校の外にいる人にとって、学校で何が起こっているかということは実に見えにくい。近年退職した校長が、「外に出てしまうと学校なんて別世界、気にかける気がなければ何の接点もない」と話されていた。本当に、中にいる者でなければこの危機は実感できないと思う。学校が振り回されている実態を、動画ででも見てほしい。学園ドラマではなく、しっかりとしたドキュメンタリーで「現代子育て事情」を見てほしいと思う。・・・・と、この酒鬼薔薇シリーズを書きながら頭の中を巡っていた改善案を挙げてみた。どれも、決定打とは言えないだろうが、3・4あたりは実現可能な案だと思う。実は今、ある学級の崩壊を目の当たりにしている。自信をなくして戸惑うばかりの若い担任も気の毒に思うが、子供たちが「損なわれていく」様子は本当につらい。いじめ・不登校・人間不信・溺愛・虐待・学力崩壊・差別意識・・・そういった要素の中から酒鬼薔薇的なもの、プチ酒鬼薔薇は浮上してくる。人を殺さないまでも、子供たちは人を(そして自分を)損ねることに鈍感になってしまっている。「だから、どうする?」当分、この重い問いを引きずっていかないといけないのだろうな・・・
Mar 15, 2009
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<医療機関は対応できるのか>手記を見る限り母親はAをそれほど特異な子どもであるととらえていなかったようだ。しかしそんな書き方をしているものの、一方ではAの特異な気質を心配に思っていたようで、母親は2度医師に相談をし、事件直前の登校拒否の時期には児童相談所を訪れている。せっかく医療機関にもかかっておきながら、適切な処置がなされなかったことも残念である。10年前はまだ発達障害について医療機関の理解が浅かった事もあるかもしれない。2度目に見てもらった医師(手記にはある病院の小児神経科と書かれている)は「注意散漫・多動症の疑いがある」と診断してはいるものの、Aに対して薬を処方したなど、何らかの処置をしたという情報もない。医師は「A君が提出物をあまり忘れるようなら、『持って行った?』という確認だけをしてあげ、あまりうるさく干渉しないで、見守ってあげて下さい」と母親にアドバイスをしている。母親はそれでずいぶん安心したようで、もしかするとこのアドバイスは両親を「放任」の方向へ導いたかもしれない。実際、母親は厳しいしつけ(虐待にあたるかどうかは情報不足で不明)をしていたといわれる幼少期に比べ、中学校時代のAに対してはなんとも頼りのない対応に変わってしまっている様子がうかがえる。実際はどうだったのだろう・・・。医者やカウンセラーとて、ひとりひとりのクライアントと存分に関わっていけるわけではない。クライアントや家族が現状(具体的症状や悩み)語る範囲のことしかわからないのだろうし、クライアントや家族が受け入れる範囲内での対処しかできない。家庭や学校の中でクライアントやその周辺で起こっていることを実際に目で見ることもできない。実際、クライアントが自分や周囲が生活していくにあたって何か著しい支障が出ているような状況がなければ、医療機関が特別な対処をすることはない。クライアントや家族の話を聞き、薬を処方するといった対処がせいぜいだろう。医者が十分に判断を下すだけの情報を持ちえない場合は、対処をするにも限界がある。医者が本腰を入れるのはもっと重篤な症状・行動が見られる場合であろう。事件を起こすまでのAの状況は重篤というレベルにはあてはまらなかったとだろうと思う。医者にはAを「重篤な症状」と判断するだけの情報がなかっただろう。危ない道路に信号機をつけて欲しいと地域住民が要請してもそう簡単に設置はされないそうである。人が死ぬほどの事故が起きてやっと設置されるというのが現状である。神戸市の児童相談所のカウンセラーにしても、動きにくかったのだと思う。彼らは逮捕の2日前にA宅を家庭訪問している。児童相談所にAが犯人であるとの噂は届いていたのではないかと私は思っている。カウンセラーはAの部屋を見せてもらい、そこで面接も行われた。だからと言って、それで何か特別にAの問題の中心への近づけたわけでもないだろう。児童相談所の対処がどうだったのかという議論もあるようだが、これもまた推論で話をせざるをえないので、深入りをしないことにする。友達に暴力事件を起こし、登校拒否をしている状態であっても、そう簡単に医療機関やカウンセラーが問題の中心へ踏み込んで強い指導ができるような状況を作り出すというようなことは難しかったのではないかと思う。実際、Aの行動そのものに立ち入り、心の奥にまで踏み込むことができたのは、逮捕され、一通りの事実が明らかになり、A処分が決まった後の、医療少年院の教官や精神科医たちにしかできなかった。「少年A矯正2500日全記録」(草薙厚子)でその様子を窺い知ることができる。草薙さんのやや強引な手法で取材が行われている様子が気にかかることを除けば、医療少年院の場面には心を打たれるものがある。関東医療少年院のスタッフはAに対する複雑な気持ちに苦悶し、Aの態度にとまどいながらも、スタッフが「疑似家族」という状態をAの周囲に作り出して、矯正に当たる。東北少年院への移送のため、関東医療少年院からAが退院する時の様子を引用してみる。--------------------------------会議室に連れてこられたAは、スタッフに迎えられた。担当教官は感極まったようにAの肩に手をかけ、こう言った。「頑張ってこいよ」教官から励ましのエールを送られると、Aは涙を流し始めた。入院当初「喜怒哀楽が全くない人間」と評され、本の一年半前までは全くコミュニケー損がとれていなかったことを考えると、Aが涙を流しながら旅立っていく光景など、見守っていた教官たちの誰もが想像できなかった。今まで一緒に苦しみ、笑い、泣いたことをだれもが思いだしていた。--------------------------------Aが少年院である程度矯正された、立ち直ったという事実。(この医療少年院での矯正という措置(裁判所の判断)自体にかなり賛否両論が出ていたし、本当に矯正されているのかという意見もかなり出ていました。まあ、それについては書き出すととてつもなく長くなるので、置いておくことにして・・・。)もし家庭その他のAの生育環境がもっとまともであったなら、事件はどうなっていただろうか。Aの特殊性に周囲が対応すれば、もしかするとこれほど悲惨な結果になるような事件は起こらなかったのではないだろうか。暴走するAに周囲は誰も対処できなかったことに関しては本当に悔やまれるポイントであるように思えてくる。母親は医療機関にも足を運んだし、学校だって危機感を持って見ていた筈である。しかし、現実には、どうにもならなかった。医療少年院まで来なければ、つまり、殺人を犯さなければどうにもならなかったというのが現実であり、実に重たい結果である。事件を起こすまでのAに対して、医療少年院並みのケアを施すというようなことは医療機関にも教育的機関にも今のシステムでは、ほとんど期待できないというのが現実なのだろう。医療機関の「重篤な症状が出るまで、悲惨な状況に陥るまでは対応できない」といった実情が改革される必要がある。もっと積極的にクライアントの情報を集めて、クライアントに働き掛けていくようなシステムを作ってほしいと思う。医療機関のバックにある様々な学会等はそうとうな能力を持った組織である筈だ。「未病状態への対応」や「病気予防」といった分野にもっと労力を割いて、もっと広い目で社会の病理と向き合ってくれるようになることに期待したい。そして、極端な犯罪を犯す子供に向けた「未病状態への対応」や「病気予防」だけではなく、広く一般の子供たちとその背後にいる大人たちの「心の病」について、コミットしていってほしいと思う。何も医療機関が全てのことに対処せよという話ではない。対処には人的・時間的保証が必要なはずである。行政レベルでの援助や予算付けがなされなければならない。医療機関がリーダーシップをとって、他の組織と連携を図りながら、子供たちの不全への対処が可能な社会を作ることを目指していけないだろうか。医療機関の子育て・教育への積極的な働きかけを期待したい。
Feb 28, 2009
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<家庭の不全---家庭では自力で解決できない>このシリーズ、ここまでで文字数が25000を超した。最終で32000字ほどになる予定で、改行なしでも原稿用紙80枚分になる。私がこのように長々とAの家庭がずれていることを書き、知人の家庭まで引き合いに出して指摘してきたのは、家族の「どうにもならなさ」を明確にしたかったからである。やさしくまじめな知人の家庭でのしつけでさえどうにもならない現代家庭の子育て不全。ましてやAの家庭が当時の環境の中で、どうにかなったとは思えない。A本人にも、家族にも、どうにもならないままずるずるとあの事件へと引きずられていったのだろう。家庭という密室の中でどうにもならない子育て不全が広がっている。この「どうにもならなさ」を前提にすれば、(1) Aの家庭は密室化しており、ずれを自力で修正することは無理だっただろう。→→→「親が悪い、子が悪い」と言っていても、仕方がない。(2) Aの家庭と同様に、多くの家庭が密室化しており、ずれを自力で修正することが無理になってきている。→→→「親が悪い、子が悪い」と言っていても、仕方がない。という考えに至らざるを得ない。「親が悪い、子が悪い」と言って行き詰っていては、このまま家庭の不全が広がっていき、結局は社会全体が不全状態に陥っていく。不全に陥っている家庭を非難しているだけ、おかしな子供や家庭の排除を唱えているだけではどうにもならない。家庭の自助努力など期待していても仕方がない。家庭の不全という問題についての対策を考え、具現化していくこと。「だから、どうする?」を考えなければならない。では、だれがどうすればよかったのか。親にも子供にもどうすることができない場合には、どうすればいいのだろうか。まずとりあえずは、学校には何かができただろうか?医療機関には何かができただろうか?について考えてみたい。<学校は対応できるのか>私は教師という立場であるので、本来ならこの事件のことは学校側の対応がどうであったかということにもたくさんのページをさきたいところである。事件の舞台となった小中学校にはもちろん責任があるだろうし、学校教育全般にも責任があったと思う。もちろん、教育に携わる者として、私自身にも責任を感じている。しかし残念なことに、学校がどうであったのかは、情報が混乱しすぎており、実に書きにくい。事件発生からAの逮捕後しばらくの間、メディアは学校で体罰があったのではないかと考え、躍起になって体罰に関する情報を入手しようとしていた。Aが学校への恨みを持っていたことは間違いない。「schoolkill」と名乗った犯行声明文の中にも、供述の中にもそれが表れている。そのためメディアは中学校での体罰を確信した。メディアや評論家はそれぞれの「学校の体罰原因論」という持論に今回の事件を当てはめようとさらにヒートアップを見せる。友が丘中学校の岩田校長の態度についてもさんざんバッシングをしていたのを覚えている。ところが後に体罰がなかったことが確かめられ、「学校悪者論」はいっせいにトーンダウンする。マスコミの「期待」は裏切られてしまう形になった。そういった経緯もあり、多井畑小学校や友が丘中学校が実際どんな様子であったのかは非常にわかりにくい。学校として表に出てくるのは風変わりなところのある岩田校長ばかりで、子供や教師の様子については、伝聞情報として不確かすぎる言葉が漏れてくるばかりで、非常に判断しにくいというのが実情である。友が丘中学校と多井畑小学校の職員には箝口令がしかれていただろう。Aと学校がどうであったのかは、もう少し多くの確実な情報がない限り、推論で書くのを控えておこうと思う。推論の話を始めたり、教育全般を語っていたりすると、とんでもない長文になってしまう。今回のシリーズは家庭に話の中心を置きたいので、学校に関して長々と書くのは避けたい。というわけで、以下は控えめに学校サイドに関することを書いてみた。学校側は小学校時代からAの異常についての危機感を持っていたようである。色々な情報を総合して考えると、Aに対する伝説や風説は相当生徒や教師の間で小学校時代から話題になっていたようである。この事件の時も、メディアが当初から「中年の男」を追いかけていたのに対し、学校ではAが犯人であるという噂が絶えなかったようである。彩花さん殴打殺害事件の前に他の殴打被害者は友が丘中学に「殴打した犯人が友が丘中学校の制服を着ていたという被害者証言があるのでおたくの生徒の顔写真を調べさせてほしい」という訴えをしているのである(個人情報保護の理由で中学校側は拒否)。当然中学校は通り魔殺人の件についても相当な危機感を持ってAを観察していたに違いない。彩花さんと淳君の事件の間である4月の時点で、前述したように中学校の生徒指導担当がわざわざ次男の春の運動会を観覧中であった両親を訪ね、Aへの注意を促しているのである。生徒指導はその時の両親の反応の薄さにひどく落胆したらしい。そんな状況を想像していると、学校は、あるいは教師である自分は、この事件に対して何をできただろうかということを私はよく考えてしまう。生徒全体やAやAの家庭にどんなふうに関わればよかったのだろうか。自分もかなり難しい子供に関わったことがある。実際のところ、学校内でそんな子供に関われることには限界がある。それで、そんな時は家庭にも関わろうとするのだが、家庭というのは密室であり、第三者が介入することが難しい。というか、普通は第三者が介入できない。学校という立場では踏み込みづらい領域があり、歯がゆい思いをすることは少なくない。明らかに発達障害を持っているような子供を担任しても、親にカウンセラーや医療機関を勧めることさえままならないのが現場の実情である。担任も学校も孤立している。相当切羽つまった状況に陥った時点であっても、カウンセラーや医療機関を勧めることによって親が猛烈な拒否反応を示し、その後の対処をしていくことが困難になる恐れがあるからだ。教師にできるのは、本人や回り(クラス)の子供たちを学校の中で変えていくことから始めるのが精いっぱいというのが現実だろう。なんとかそれができれば、親も少しは聞く耳を持ってくれるようになる。逆にそれができなければ家庭に踏み込んでいくことは非常に難しくなってしまう。多井畑小学校や友が丘中学校には、Aやまわりの子供たちを変えることができなかったのだろう。最悪の結果に陥ったことから考えれば、教師たちは力不足であったことになる。しかし、それぞれの教師にそれぞれの限界がある。学校に万全を期待しても、正直なところ力不足であるし、この巨大な組織が短期間で変化することは難しいというのが現状であろう。ただし、時間はかかるにしても、この学校という組織のレベルはもともとかなり低いので改善可能な点はたくさんある。組織として大きいだけに、学校をうまく改善ができれば、影響を及ぼす範囲も大きい筈である。そういう意味では期待が持てるかもしれない。
Feb 17, 2009
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「少年A」この子を生んで…<妙な確信と開き直り>子供たちの変化というものは、一つ一つ、少しずつのずれの集積がもたらしたものであると思う。Aの親はずれを意識していない部分もあるし、ずれを認識しながらも逃げている部分もあるように感じる。女の子をいじめる(少なくとも3度いじめにからんでいる)、弟たちをいじめる、図工の時間に粘土で赤い脳にカッターナイフを突き刺した作品を作る、淳君を殴る、小学校では学級崩壊、酒を飲む、たばこのにおいがする、万引きをする(かなり多かった様子。少なくとも2回発覚)、床下から猫の死体が出てくる、軒下から斧が出てくる、女の子をつけまわした上に靴を燃やす、刃物を所持する、奇妙な絵を描く・・・Aの親はずれを感じながらも、感性を鈍化させ、問題を先送りにしてしまっていたのだろう。「こんなもんだ」「なんとかなるだろう」といった「妙な確信と開き直り」を持っていたようにも読み取れた。根拠のない自信というか・・・。「うちの子に限って、そんなことはない筈」、「優しいところもある」「相手(友達・教師)にも問題があったんじゃあないですか。」。子供が非行をした時や異常な行動をした時に、多くの親がそう口にする。「妙な確信と開き直り」はAの母親のみならず、現代の保護者に通じる問題である。問題のある子どもの親の多くが、Aの母親の「Aへの愛情(溺愛に近い)と厳しさ(虐待に近い)のちぐはぐさ」と共通するものを持っている。間違えた子育てをしておきながら、確信があるかのような態度でいる。ある時には「この子は難しくて無理、ダメ」と開き直る。ある時には子育ての間違いを指摘されて逆切れし、食ってかかる。根拠のない確信と開き直りに基づいて甘やかし、溺愛し、放任し、虐待し、ペット化してしまう。「これで、いいのだ」と根拠のない確信と開き直りが、どんどんずれを生み出していく。どうにもならない親と、どうにもならない子。Aほどの凶悪犯罪に至らないまでも、毎月のように子供が起こす大きな事件が報道されている。至る所で進行していく学級崩壊も収束に向かう様子がない。特別な家庭、特別な子供でなくとも、今まで挙げてきたような家族内の日常的なずれは個人及び社会全般に蓄積されている。少年Aレベルではないにしても、かなり危うい子供達から少々危うい子供達まで、さまざまなレベルで危機的な状況が生まれ続けている。ニュースにはなりはしない程度の事件(万引き・いじめ・学級崩壊・etc)を含めて、至る所で起こる不全と不幸・・・。Aの家庭の話を例に挙げてきたので、どうしても話が極端に聞こえてしまう。ここで、別に「普通な家庭」がずれている様子を例に挙げてみたい。知人の家族なので例に挙げるのはやや気が引ける。以下は、かなりデフォルメした話である。----------------------------------------<マー君は王子様>後輩夫婦のお宅を訪問する機会があった。一人っ子の男の子がもう4歳になる(仮称:マー君)。ついこの間、出産されたばかりだと思っていたのに、早いものである。とっても温厚な若夫婦で、本当にいい人たちである。愛情を持って子供を大事に育てているのが、よくわかる。お二人とも真面目に働いており、子供は昨年の4月から保育園に預けているそうだ。父親の方は、帰りが遅いのにもかかわらず、時間の許す限り、ずっと子供の相手をしていると、自慢げに母親が言っていた。よい父親、母親に育てられ子供はどうかというと・・・これが、ちょっと、気にかかるのである。この日は私ともう2人(仮称:客A・客B)、3人で訪問した。AもBも「いい人」である。手土産にケーキを6つ買っていった。お菓子大好きなマー君は、大喜び。大人たちの話がひと段落ついたあたりで、お母さんが「それじゃあ、ケーキをいただきましょうか」と、切り出し、箱を開け始めると、待ってましたとばかりにマー君がキッチンの方に飛んでいく。マー君にとって、食べたいものばかりだったようだが、ひとつ欲しいものを選んだ。お母さんが、それをお皿に乗せてあげると、マー君は真っ先に食べ始めた。「ハハハ、マー君、ずっと食べたかったんだな」と、客A。すると、調子に乗ったマー君は、得意気に言う。「みんなにも、ケーキ、あげるよ!」一同、爆笑。みんなのケーキとコーヒーが用意されたころには、マー君は自分のケーキを食べ終わっていた。お父さんは、ものほしそうにするマー君に、自分のケーキを半分、分けてあげていた。客Bも、「私、あまり甘いもの好きでないから」と、マー君にケーキを譲る。「もー、マー君、食いしん坊!」と、母親がたしなめたが、マー君は得意げにパクつく。優しい大人たちに囲まれて、マー君は、父親・A・Bから半分ずつケーキを分けてもらって合計2.5個も平らげた。けっこう高いケーキなので、約1000円分である。私はあげない。母親は手をつけなかった。客Aが私と同年齢、あとはみな人生の後輩であった。私はこのまじめで優しい4人の大人たちを苦々しい思いで見ていた。以下のことが気になった。指摘しようかとも思いつつ、こんなところでまで教師根性を出したくなかったので、黙っておくことにした。1. 客が持ってきたケーキであっても、子供が先に食べはじめるのは、いかがなものだろう。「お先に失礼」ぐらいは、言わせればどうなのか。少なくとも、お先が失礼ということを認識させてから、たべさせるべきではなかったか。2. 母親はマー君に好きなケーキを選ばせたが、客・両親を含めて、だれがどのケーキを選ぶのかを、まず、伺う必要があったのではないか。3. 1000円分のケーキを一度に与えてしまってよいものだろうか。4. 「いただきます」と「ごちそうさま」を子供に言わせるべきだろう。(両親は、とても丁寧に感謝を述べられていた。マー君は、最初に箱を渡したときに「ありがとう」を言っただけ)5. お父さんは、もの欲しそうなマー君にすぐに自分のケーキをマー君に分けてあげた。自分のケーキは自分で食べるべきなのではないか。少なくともマー君が「どうしても欲しいのでお願いします」と頭を下げるまではあげる必要がない。ケーキの場面だけではない。礼儀知らずの私でさえ、首をひねってしまうような場面が他にもいろいろとあった。いろいろ気になる中で、ケーキの場面だけを取り上げてみた。1~5で指摘したことに対しては、人によれば、「マー君は大人たちの話が終わるのを待っていたんだから、ケーキを先に食べてしまうのは仕方がない」「子供は少々無遠慮なほうがかわいい」とマー君や両親を弁護するかもしれない。確かに、上記のひとつひとつは、それほどたいした問題ではないように思える。しかし、一事が万事である。見過ごしてしまいそうな小さなことではあるけれど、両親のマー君への対応のひとつひとつが少しずつ間違っているように感じる。マー君は、万事においてわがままであった。愛情があり、真面目な夫婦に育てられているので、度を越さない程度であり、なんとかギリギリの線で規範意識は育っているようにも見える。しかし、間違いなく、わがままである。ケーキの場面以外でもわがままな振る舞いをするマー君を、両親や客A・Bは時に茶化し、(例:もー、マー君ったらかっこ悪い)(例:もー、マー君不良!)(例:マー君だめだめ!)(例:コラーーーーッ!)と、笑いを含ませつつ、ゆるくしかる。ますますマー君はちゃらけつつ、王子様化していく。---------------------------------------- <王子様はプチモンスター>これを見ながら、私は思った。真面目で才覚にあふれた両親の、せっかくの優良なはずの遺伝子が、教育の失敗によってプチモンスターに育ってしまっている。こういった子供が、将来、小学校に上がって、場合によっては身を持ち崩すのだ。こんな調子で育てられてきた子供は、たとえ一人一人はプチモンスター程度であっても、集団となるとやっかいさに拍車がかかり、学級崩壊を引き起こすのだ。我慢ができず、欲望が抑えきれない、人の事よりも自分を優先することばかりを考える習慣が身に染み付いてしまった子供。無礼で無遠慮な子供。人の忠告を簡単に聞き流す子供。想像力が欠如して思いやりのない子供。努力をせず、すぐに楽な状況に流れる子供。見かけ上は、極端な欠陥が見当たらなくとも、内面にある価値観がまともには育っていない。目に見えないところで、子供達の劣化が進む。少しずつずれ落ちながら、ラインが、いつの間にか、下がっていく。とんでもない事件に驚かされる一方で、あちらこちらで、人間の劣化が確実に進んでいる。Aほどではない、Aの家族ほどではないにしても。
Feb 10, 2009
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少年A矯正2500日全記録<マザコン>Aは母親への憎しみを語る一方では、精神鑑定の時などに、「僕はマザコンだった時期がある」「母を必要以上に愛していたというか、僕のすべてでした」「母以外の家族は、それほど大事ではない」とも話している。これも「ずれ」なのである。母子とも、お互いを愛していながら、コミュニケーションはどこかでずれていて、サイン(言葉のみではなく、行動も含めて気持ちは伝わる)を伝えるということにも受け取るということにも失敗をしてしまっている。少年院では、母親を「かわいいブタ、死ね」というように表現したことがあるそうだ。これをA自身が「"かわいい"っていうのはその通りなんですよ、ほんとに可愛らしい感じの母なんですよ。"豚"というのは、母の体格そのものを示してるんです。だから僕ね、ちょっと冗談なんですけど、母が作業やってるとき、後ろから隙を窺っていきなり思いきりケツを叩くんですよ、バチーンと。それで思いっきり逃げるんですよ。"死ね"っていうのは愛憎で、憎しみという部分だと思うんですけど、その部分についてやっぱりほんとに""っていうイメージしかない・・・」と説明している(「少年A矯正2500日全記録」より)。母親に対しては愛憎が混じり合った複雑な感情があり、Aは自分のそんな感情に戸惑っていたのだと思う。<上滑りする愛情>Aが母親を愛していなかったわけではなかったのと同じように、父も母も、Aへの愛情はちゃんとあったのだと思う。父は幼いころのAをよくあやしていたようだ。仕事漬けになるなどして家族との関わりを一切持たないというタイプではない。ところが、子供たちの成長とともに、家庭の中で影が薄くなり、家族との交流がなんとなく置き忘れたままにしてしまっていたような感じがある。こんな父親は特に珍しくはない。母親も、育児放棄をして遊び歩くというようなタイプではない。主婦としての役割をきちんと果たそうという努力をしていたのではないかと思う。ただ、子育てにおいて、「こうすりゃいいだろう」「こんなもんだろう」といった思い込みがあったのではないかと感じる。根拠のない自信とも言えるかもしれない。子供のためということをかんがえながらも、どこかやっていることが自分本位であったり、自己満足的であったりしたのだろう。「こんなもんなんだろう」と、体罰を加え、「うまくいっている」と自己満足してしまう。子供をペットのように「自分のためにある存在」と思って関わってしまうと、本当は子供に対する愛情があったとしても、愛情を受け取る子供側にしてみれば安っぽい愛情に見えてしまうこともあるだろう。愛情はなかったわけではないのに、上滑りしたままになってしまった。その上、母と子の互いがコミュニケーションをうまくとることができない気質であったがために、母親は、AのSOSをキャッチできなかったのだろうし、それに応えることも下手であったのだと思う。Aにしても、そんな「母親の下手な愛情の在り方」を見透かすことはできていても、自分なりに解釈を加え咀嚼していく心の余裕・環境的な余裕がなかったのだろうと思う。「透明な存在」と自分を表したように、Aは深い絶望にあったのだろう。周囲と違う自分、自分を抑えられない自分、人とのつながり方がわからない自分・・・・自分に戸惑い、母に戸惑い。次第にどんどんと自分も、家族も、学校も、社会も、特異な気質を持つAを支えることができなくなってしまったのだろう。
Feb 1, 2009
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<豚野郎>母親の気質はおそらく少年Aを相当いらだたせ、混乱させていたのではないかと私は想像している。「少年A矯正2500日全記録」には、少年A矯正2500日全記録「(殺人を犯して)帰ってきて玄関の戸を開けたら、お母さんがテレビ見ながら大笑いしてた。(中略)お母さんにえらいことをしてしまったと分かってほしかったんや、でも全く分からかった。そこで僕はすごい衝撃受けて、僕の母親はやっぱし豚野郎だ、あいつは人間やない、母親じゃないと思った。あの時すごいショックを受けた。」とAが語ったことが記されている。これがこの家族の「ずれ」を最も象徴しているように感じた。普通に考えればAの怒りは理不尽である。Aが帰ってきた時点で、母親がそんなことに気が付く筈はない。しかし、それまでのAの母親に対する不満が、この言葉に凝縮して表現されているのではないかと思う。おそらく、母親はAにとって、ずっと「ずれた母親」だったのではないか。ある場面では正義をまとった親として激昂し、ある場面では愚かな親として子を溺愛し、ある場面では簡単に子供に騙されてしまうスキだらけの親である。Aは母親を「豚」と表現している。逮捕後のAに両親が初めて面会に行った時には、「帰れ、ブタ野郎」「会わないと言ったのに何で来たんや」と、目に涙をためながら罵倒し、面会を拒否したという。母親は「ギョロッと目を剥いた、人間じゃないような顔」とその時のAの表情を表現している。両親が帰った後にAは、「こんなことになるくらいなら、最初にお母さんを殺しておけばよかった」とまで語ったという。<母親の正義> それでは、どうしてそこまでAは母親に対するネガティブな感情を持っていたのだろう。前にも述べたように、母親にはまともな部分があり、正義感のあるところも見受けられる。しかし、母親の語る正義は、どこか正義を振る舞う自分に酔っている部分があるような気がする。正義感や信念の強い人は傍から見ると自己陶酔しているように見えることがある。当時の社会はそういった「酔っている」空気を嫌悪する傾向にどんどん傾いていっていたと思う。いじめる側は自己陶酔するような者をあざ笑い、嫌悪することを愉しみにしている。おそらくAの母親は今で言う「KY」にあてはまる部分がけっこうあったのではなかろうか。学級崩壊が顕在化し始めた当時、そういった「KY」野郎をあぶり出し、シメ出す雰囲気が確実にあった。Aの母親と同世代のベテラン教師がシメ出され、学級崩壊を起こすというパターンも少なくなかった。古い価値観・古い感性では子供の現実を客観視し、子どもと自分を相対化することができない。この事件のあった1997年前後あたりから、古い価値観・古い感性で対応してくる親や教師が本格的にシメ出され始めたのだろう。<Aの世代と母の世代のギャップ>1997年は小学校での学級崩壊が顕在化し始めた年であった。その3年前のAの小学校時代のクラスも相当まずい状況にあったという報道がある。「真面目に生きてきた昭和元禄世代の母親」と「コミュニケーション能力が壊れた学級崩壊世代のA」の世代間ギャップは相当なものがあったと思う。お笑い一つをとっても、母親の時代はドテッをこければ笑いがとれる昭和元禄的なクレイジーキャッツやドリフターズの時代であった。事件が起きた1997年当時はダウンタウンやウッちゃんナンちゃん全盛の時代で、シュールなお笑いが、実に細かい駆け引きの上で成り立つような時代になってしまっていた。子どもたちのコミュニケーションは高度化・複雑化しながら壊れていった。単純でまじめな昭和元禄世代の両親は、Aの目にはうらやましい人たちのようにも映ったろうし、馬鹿っぽくも映っただろう。そして母親はまじめでありながらも自意識過剰かつ手前勝手な面がある。Aには母親の真面目さ、自意識過剰かつ手前勝手の両方が許せなかったのだろう。母親はAへの愛情に基づいてAとのコミュニケーションをしているつもりだった。しかし、Aには母親が示す言葉や態度に「理解ができていない」場合や「頭で理解はできているが心には伝わっていない」場合が多かったのではないだろうか。愛情があり理屈が正しければ相手がその理屈を受け入れるだろうというというありがちな思い違いが母親のAへの一方通行のコミュニケーションとして常に存在していた。そして正論は時に相手を追い詰めることもある。母の正義に追い詰められたとき、Aはその正義を「母親の酔い」としてあざ笑うことによってかわしていたのではないか。正義を振りかざす割には間抜けであったり勝手であったりする、隙の多い母親を「豚」と表現しているのではないかと思う。そこのところでずっとずれが起こっていたのではないかと思う。そして、Aの家族と同じように、現代の一般的な家族のコミュニケーションの中でも、このような「ずれ」が広く多く起こってしまっている状況がある。私はそれを怖いことであると感じている。
Jan 27, 2009
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子育ては「折に触れ」と言われるように、時々の、一つ一つの親の対応の積み重ねである。一つ一つが少しずつずれていれば、ずれとずれが相互作用を起こし、いつの間にか子供がとんでもない地点へと導かれてしまうこともあるだろう。この事件でも「ずれ」はまともな方向に修正されることがなかった。どこかがずれたままで、ずれはさらにずれを生み、子供をとらえ損ね、子供と向かい合い損ねてきてしまったのではいだろうか。この「ずれ」がひびいたことは間違いないと思う。母親の直線的な言動と、父親の影の薄さが気にかかる。<直線的な母親の行動>Aの母親は真面目で教育熱心であった反面、行動が直線的で、自意識が強い面も感じられる。手記の中で「弁解の余地はない」と言いながら、言い訳じみた文面も多く見られる。自分の教育が間違いなかったことをアピールしているような箇所や先に挙げたような配慮に欠ける表現が散見され、自意識の過剰な面が透けて見える。繰り返し述べることになってしまうが、どうしても私にはAの母親に「独特の気質」があるように思えてくる。前のエントリーで述べたものに「少年A」14歳の肖像」からもう少し拾って、Aの母親の普通でなさを書き加えてみる。(17)中学2年生の時、同級生の友人と4人で同級生の女子生徒をいじめ、登校拒否に至らせている。この時、息子たちに事情を聴くために4人の母親たちが集まる。Aは何が原因でそうなったのかを母親たちに理路整然と語ったという。その傍らでAの母親は満足げににっこり微笑んでいた。(18)中学3年生の時、生徒指導の教師が6年生の次男の春の運動会の応援に来ていたAの両親をわざわざ訪ねてきている。「A君が友達の××君と一緒に煙草を吸っていたので注意したんですが、友達が一緒にすっていたと認めているのに、A君は吸っていないと言って謝ろうとしないんです。告げ口をされたと思っているに違いありません。くれぐれも仕返しをしないよう、ご両親の方から注意してほしいんですよ」とのことである。父親は「わかりました」と短く答えたという。短くである。両親はどこか他人事のような表情を浮かべていたという。おそらくこの時点で教師はもう既に彩花ちゃん殺害の通り魔を少年Aと読んでいたに違いない(学校・生徒間ではAの異常については早くからかなり強い認識があったようである。淳君殺害犯がAであるということも含めてずいぶん噂が立っていたそうである)。教師の緊迫感に両親は気が付いていなかったわけではないと思う。Aへの不信を募らせる学校に対して、その不信感や緊迫感に気付きながら、両親は思考回路を固く閉ざすことによって現実逃避をしていたのではないか。私は経験上、そう思う。(19)淳君殺害の10日ほど前にAは親しくしていた友人に殴る・ナイフで脅すなどの暴行を加える事件を起こした。友人はあまりの恐怖に転校している。この事件をきっかけにAは不登校となる。手記や逮捕後の供述では母親はその成り行きを冷静な様子で書いたり話したりしているようだが、実際はかなり感情的に学校に食ってかかっていたようである。「息子は学校が嫌いです。小さい時私がきつく言いすぎましたし、先生方にも厳しく指導されすぎたからです・・・・」などとまくし立てるように話したと書かれている。高山氏は「少年A」14歳の肖像」の中で、この他にもたくさんAと家族の普通ではない行動を描いている。ところが母親は「『少年』Aこの子を生んで・・・」の中では自分たちの"気付かなかった愚かさ"を認めながらも、さらりと流している。読み比べてみると何が真相であるのかわからなくなってくる。この2冊以外の本で、Aの家族に関する情報も加えて分析しようとしても、普通であるような、ないような奇妙さやちぐはぐさに私は戸惑ってしまう。そしておそらく、A自身も両親の、特に母親の独特の気質には戸惑い、混乱していたのだと思う。もちろん、母親も混乱している。双方の混乱が混乱に拍車をかけていく。<医療機関には、かかっている>Aは小3で神経科、中1で小児神経科に診察をしてもらっている。事件直前の不登校期には神戸の児童相談所でカウンセリングを受けている。手記で母親はAと自分の子育てをそれほど変わっていたわけではないと言いたげに書きつつも、Aの異常な部分に気が付いていなかったわけではないのだろう。たいていの親は子供を神経科やカウンセリングに連れて行くことには躊躇する。おそらく母親には切羽詰まった心理状態があったのだろう。Aに特有の発達障害が影響していることも間違いないようだ。中学1年生の時に小児神経科を訪れた時には「注意欠陥・多動性障害(母の手記には注意散漫・多動症)の疑いがある」(現在ならADHDという診断名を聞かされていたかもしれない)と診断を下されている。おそらく、Aは人とのコミュニケーションを上手にとることができなかったのではないだろうか。当時は発達障害の子供やその家族への接し方がまだ十分に研究されていなかったために、せっかく医療機関に足を運んでも医療機関側も、十分な対応ができなかったのではないだろうか。ましてや親が十分なアドバイスを受けることもなく発達障害のある子どもに的確に対応するというのは実に難しいことである。その意味では全責任を家庭に背負わせることは酷であるような気もする。
Jan 22, 2009
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元々重い話題のブログの上に、今回のシリーズは非常に重い話題を続けています。文章もかなり迷いながら書いており、話も行ったり来たりで、同じことを繰り返したりしていて読んでくださっている方には申し訳ないです。いただいたコメントを読んでいると、たいへん参考になります。考えさせられることが多いです。たいへんありがたく思っています。<ずれ>それでは、この両親の普通でなさ、「微妙なずれ」、どんなところにあらわれているのか。彼らの子育ての日常に見え隠れする「微妙なずれ」は本書からも他の書物からもひしひしと伝わってくるものがある。中にはかなり大きく「ずれ」ていると思えるものもある。この「微妙なずれ」も「大きなずれ」も、今の世代の親が持つ「微妙なずれ」と連続しているように感じるのである。この両親の「ずれ」とAが持つ発達障害や強烈な資質と、社会や学校の荒れ等が相互作用を起こしながら臨界状態に陥り、ついに事件は暴発したのではないかと想像している。以下、いくつかの書籍の中から拾った、具体的な両親の「ずれ」を挙げてみる。(1)Aがすぐに生まれ出産にあまり苦しまなかったことを母親は手記に「ラッキーでした」と表現している。読み流してしまいそうな部分ではあるが、私は「ラッキー」という表現の軽さに驚いた。出産時に子供が障害を負ってしまう事例が多いことぐらいは、人の親なら誰でも知っている筈のことである。ましてや、殺害された淳君が障害を持っていたことも考えると、あまりにも不用意な表現である。そこらの道端で話をしているわけではなく、加害者の親として淳君の親に向けているという前提で「悔恨の手記」を書いているのに・・・(2)手記にある「先生たちはノーテンキだった私たち親とは違い、様々な事情からAの状態を深刻に考えられていたのかもしれません」は、自虐的な意味も込めたのであろうが、カタカナ表記は軽いように思う。こんなところで「ラッキー」だの「ノーテンキ」だの言っていること自体が「脳天気」なのではないかと思えてしまう。被害者にとってみれば、ノーテンキな家庭の子供に殺されてしまったということでは、悔やんでも悔やみきれない気持ちになるだろう。脳天気であったことを悔やんでいるのであれば、自分たちの脳天気さについて、もっと深く掘り下げ、反省に至るべきではないのか。(3)母親は手記の中で「あの忌まわしい事件」と事件を振り返る。文章全体に、妙に当事者意識のない、他人事のような書きぶりが目立つ。(4)三男の喘息もあって、幼児期のA(長男)には手をかけられなかったという記述がある。前述したように虐待の疑惑もあるような体罰のある厳しい子育てもあった。しかし、それは幼いAにとってはただの大人の都合で、エゴとしか感じられていなかったのではないかと思う。大人は都合で怒る、二面性があるということをAに強く感じさせてしまったのではないか。(5)手記からは父親はどちらかというとやさしく子煩悩な父親のようにも読み取れるが、妙に影が薄い。本書の中でも、父親の書いたページ数は少なく、一章(被害者家族へのごあいさつ)と三章を担当しているものの、一章が短く、三章が日記であり、父が今の時点から事件をどう見ているのかが伝わってこない。(6)母親の電話はいつも通り一遍の挨拶もなくいきなり要件から始まるそうである。(PTA仲間の話)(7)母親は、Aが読みたいといったヒトラーの「我が闘争」を買い与えている。「13日の金曜日」シリーズも揃えており、家族で鑑賞していたこともあるという。そういった内容のものを見せまいとするのが普通の親の感覚ではないのか。(8)中学1年生の時、同級生の女子生徒に悪口を言われたとしてAは彼女の靴を燃やしてしまう。この時、Aの母親は、担任に女子生徒の母親と引き合わされ、「女の子は口が達者ですからね」と言っている。さらに「靴代にしてください。おつりは結構ですから」と、現金を渡そうとした。(9)淳君が行方不明状態であったときに、父親は三男を連れて、熱心に近所を捜索している。にもかかわらず、父子は捜索の途中(コープ?)で淳君の母親を見かけているのに、声をかけていない。(10)土師さん家族とは付き合いがあり、家族で淳君が行方不明だった時点で捜索に熱心に関わっている。母親は最初の2日は捜索に一生懸命にであったのに、3日目には捜索を父親に任せて離れてしまい、翌日の児童相談所へ出かけるためのパーマに5時間もかけて出かけている。(11)淳君の頭部が発見された日の朝には、中学生の次男が臨時休校で早退してきており、淳君の家に電話をかけて兄の涙声で「淳君が何らかの異常な状態での発見されたこと」を母は知っていた。この事態の中、母はAを連れて予定通りに児童相談所へ出かけてしまう。(12)父親は、Aの逮捕から一ヶ月近くたった時点で、山下彩花さんの氏名(淳君以外の被害者)を言えなかった、知らなかった事を警察に指摘されたと手記に書かれている。(13)そもそも、両親は逮捕から1ヶ月半たった時点で文面で被害者家族への謝罪を表明しているものの、実際に会って謝罪をしていない(殺害されてはいないが、通り魔殴打事件で重傷を負わせた家族への謝罪もしていないことも被害者は腹を立てている。山下彩花さんの両親には約2カ月半後に直接会って謝罪をしている。)。その理由は、「では、これから土師さんのお宅を訪ねる勇気があるのか?考えただけで足がすくみ、動かなくなる有様でした。私には勇気がありませんでした。やはり怖い。どう反応されるか想像できず、怖かった。私は、Aの父親としてあまりに不甲斐なく、勇気がなさ過ぎました。すいません。すいません。」と父は手記で告白する。そんな理由が通用するわけがないのはよくわかっている筈である。特に父親は何としてでも両家族に会いに行き、とにかく頭を下げ謝罪することを最優先させる立場にあったのではないかと思う。(14)母親も、いたずらをする猫をエアガンで打って退治していた。(※)(15)前述したように、事件から5年以上経過した時点でもまだ冤罪の可能性にすがっている部分があった。(16)Aが殺害した山下彩花さんの両親にAの両親は謝罪を行っている。某所の部屋でAの両親が待っていて、山下さん夫婦がその部屋に入ったとき、両親は土下座をしていた。その後、話が始まってもAの母親はサングラスをかけていたという。山下さんが「すみませんがサングラスをはずしていただけませんか」と言うとはずしたそうである。気が動転していたこともあるのかもしれないが、謝罪時にサングラスとは・・・。サングラスをはずした後も母親はずっとうつむいたままだったという。※(14)は「「酒鬼薔薇聖斗」への手紙-生きていく人として」からの引用。本の中で又聞きの話、であることが分かるように書かれている。この例以外にも、この事件に関しては、かなりの伝聞情報が確認も取られないまま、伝言ゲームのようにして広がっている。私の文章に書かれている情報も、最初の方で示した書籍の中からの引用であり、Aの両親と被害者の両親の手記を除けば、中には誤った情報もあるかもしれないことを断わっておく必要があるだろう。これらの他にも多々指摘したい箇所は多々ある。挙げていくときりがないが、だからと言ってこうしてして挙げてみた一つ一つだけをとり出して眺めてみれば、あれほどの事件が起きるだけの決定的な影響となったと考えられるような異常があるかというと、それにはどれもあてはまらないようにも思う。一つ一つを切り取って見れば、この例の中のいくつかに関しては、普通とされる範囲の親にも見当たる程度の異常であるようにも思えてくる。例えばヒトラーの「我が闘争」を子供に買い与えたからといって、必ずしもその子供が将来凶悪な犯罪に走ることはない。ヒトラーを反面教師としてナチスドイツの失敗から教訓を学びとる子供もいるだろう。<典型として連続している>Aのような資質を持っている子供は稀であると思うし、これくらいの間違えた育て方をしたり、親がずれていたりしても、Aのように凶悪な犯罪者になってしまうことも稀であると思う。前々回のコメントでaruさんが指摘してくださったように、この事件はレアケースである。しかし、この事件を特殊であるということで片付けるべきではない。この事件はaruさんがおっしゃるように「ある種の発達障害児の典型例」でると同時に、「子育て失敗の典型」なのである。殺人事件という結果のみの話ではなく、発達障害をもった子供のみの話ではなく、あらゆるところで起きている子育ての失敗現象にこの事件はつながっていると思う。<ニュートラルな視点で>ところで少し話がそれるが、凶悪犯罪だけを見れば、1963年がピークで今はむしろ減っているというデータもあるそうだ。それを理由にこの事件に続いて頻発した少年の凶悪事件に対して、騒ぎ立て過ぎではないかという意見もある。そう言われるとフーンと半分納得してしまいそうになることもあるが、そうだろうか。1963年頃の事件と現代の事件にはどんな質的な差があるのかが十分に吟味されてはいない。1963年の社会事情・個々の事件の事情をはっきりさせないまま、1963年のデータを引き合いに出すことはどうなのだろうか。40年以上前の殺人事件と現代の殺人事件を同列に語ることはできないだろう。数字ももちろん参考ににながら、事件の質や事件と社会との連続性を問題にする作業が必要なのだと思う。ニュートラルな視点に立ち、ある時は俯瞰し、ある時」はミクロの距離から凝視して考えていく必要があると思う。
Jan 17, 2009
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9日に、NHKで家族に関する番組「ETV50「子どもサポートネット 親と子の現場から」があったのに、録画を間違えてしまいました。BBSを設けているみたいなので、覗いてみたら、なんと・・・そこには厳しい現実が。http://www.nhk.or.jp/heart-net/kodomo/bbs/index.html家庭という密室にかかわる記事を書いている最中なので、余計に考えさせられるものがあります。 なんとか、救いはないだろうかと考えながら、このシリーズを続けます・・・。<両親の真面目な一面>それにしても、少年の家族については謎が多く、根が深い。何度も書くが、両親はこの年代の親の平均像からはなはだしく外れているわけでもなく、なんとか平凡な市民の範疇に入っているのではないかと思える。本書を読んでも、他の関係書物を読んでも、両親が極道者であるとか、学校に対してひどく攻撃的であるような親ではないことは間違いない。娘と隣人の子を殺害した畠山鈴香容疑者や無責任極まる発言をしていた女子高生コンクリート詰め殺人事件の親の何人か等に比べてみれば、Aの両親はかなり「まとも」な部類であるようにさえ思えてくる。現在の小学校では対処困難な保護者が増えている。今の保護者は中学生時代が校内暴力で荒れに荒れたという世代である。Aの両親はおそらく昭和元禄とも言われる平穏な40年代に子供時代を過ごしている。父親は大企業勤め、母親はPTA活動にも積極的である。ニュータウンに住んではいるものの、下町の人情味を持ち合わせた部分も髄所に読み取れる。教育には熱心で、本書に書かれている子育てに関する話の多くも、無茶苦茶には間違ってはいないようにも読み取れる。淳君が行方不明時に、母親は積極的に捜査活動にかかわっている(地域での捜査の会議では淳君の写真を公開しない現状に「生ぬるい」と強く抗議している)。父親は三男を連れてかなりの時間ニュータウンを歩き回って淳君をさがしている。父親は子育てに無関心だったように報道されているが、子供が小さい頃には子煩悩であったようだし、Aが事件を起こすたびに一応の注意(どれくらい心に響いたかは別にして)はしている。例えば、気弱なAに、強くなって自分に自信が持てるようになるのではないかと、少林寺拳法を習わせている。それもA本人が習いたいと言い出すまで待つという姿勢をとっている。立派な態度である。しつけの厳しさも、度が過ぎている部分もあったのだと思う。それでも、虐待が顕著になり始めた1990年代後半以降の親たちに比べれば、Aへの愛情がとりたてて薄かったわけでもなさそうである。今、現場で校内暴力世代の親と悪戦苦闘していると、10~20年前の世代の親が懐かしくなることがあり、どちらかというとAの両親は、私が懐かしく思う昭和元禄期世代の親であると思う。<校内暴力世代親への過渡期>だからと言って、彼らが、普通かと言うと、決して普通ではない。平均像からはなはだしく外れてはいないという範囲である。普通と異常の境界線上といってもよいかもしれない。Aの両親は10~20年前の親世代の中にすでに生じはじめていた微妙なずれを含み持っている。昭和元禄世代の親から校内暴力世代の親へと世代が移り変わる過渡期でこの事件は起きていると思う。普通ではない人のパーセンテージが多くなった今の時代の親に通じる面をたくさん持っている。Aが書いた「さあ、ゲームの始まりです」という挑戦文はAが意図したわけではないのだろうが、日本社会が新しい局面に入っていることを告げているかのような結果になっている。世代交代は新しい社会の局面を生み出す大きな要素になっていると思う。ちょうどこの1997年に、小学校での学級崩壊が顕在化したのを覚えている。親の茶髪率が一気に加速したのもこの年である。私はこの年の入学式で思わず茶髪の親を数えた。私の勤めていた学校でその率は36%であった。茶髪の善し悪しは別として、親も子も、世代が変わりつつあったのだ。価値観が、優先順位が大きく変わりつつあった。親の間違いがあったにしても、Aという特異な子供を持ってしまったというのは気の毒だったように思う。Aは土砂降りではなくても、長い時雨が降り続いて確実に増水してゆく川の水のようであったのだろう。それに対して両親が築いた堤防は所々ではしっかりしているかのように見えるのだが、所々で欠陥が目立つ上に、全体としてもずさんな作りになっていたのではなかろうか。<「まずい親」の典型としてとらえる>両親に関する情報はメディアに流され、世間からの非難の的になった。中には誇張されたものや誤った報道もあったと思う。誇張や誤報や先入観に惑わされないように気をつけながら、この後もさらにこの両親の独特気質(特に母親の気質)に関して、述べていきたいと思う。これから述べていくことは結構きつい指摘になると思う。しかし、それは、Aの両親を責めたいがためではない。私が考えていきたいのは、こういうタイプの大人・親・教師は一定の確率で社会に存在するという事実についてである。私たちはこういう親がいることを前提にして物事を見ていく必要がある。Aの発達障害に両親の独特の気質が加わって凶悪犯罪へと発展した。そして、凶悪事件にまで発展しなくても、Aの両親の失敗はあちらこちらで起こっている深刻あるいは軽妙な子育てトラブルの典型なのである。Aの両親は「まずい親」の典型であり、たくさんの今の親の中に(もちろん私の中にも)、この典型的な「まずい親」の部分が潜んでいるのである。あらゆる事件は結局「現代を映し出す鏡」だと思うからこの10年以上も前の事件を見直しているのである。Aの家族が抱えていたことは、現代の教育に相通じているように思う。Aの両親は子育てにおいてとんでもなく大きな間違いを犯したとは思えない。それでも、子供の質や場の力によっては、転がり落ちるように事態が悪化していくことがあるということを私たちは見据えていかなくてはならない。
Jan 12, 2009
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虐待の件の他にも、「『少年』Aこの子を生んで・・・」で両親が語っている内容は、そのままストレートに受け取ることはできない部分がけっこうある。両親の記述をぶれさせている原因の一つに、両親の「冤罪の可能性」への期待もあるように思える。「少年A」この子を生んで... 本書が発刊された1999年の時点でも、まだ両親の頭の中には冤罪の可能性を信じたい気持ちが残っているため、両親の書きぶりには潔さがない。この事件を冤罪の可能性があるとして指摘している人は少なくないし、冤罪の可能性について書かれた本も多い。少年A矯正2500日全記録事実、「少年A矯正2500日全記録」によると、母親は少年院で20歳になった2003年のAに面接し、はじめて本人に冤罪の可能性を問うている。「本当にあなたが犯人なの」と。そして「ありえへん」と答えられたことに大きくショックを受けたと書かれている。子供を信じたいのか、罪の重さから逃れたいのか、冤罪論者の影響もあるのか。両親がこれ程長い間冤罪の可能性を信じようとしていたことには驚きである。「うちの子に限ってそんなことはないはず」という彼らの、感情が事件の6年後にまでにも、強く働いていたことは、注目に値する。この感情が、加害者家族にすぐに謝罪をしなかったことや、Aが中学入学以降に次々と事件を起こしたことに関して「学校がAばかりを責める」という思いを両親が抱いていたことに影響していると思われる。親が子供と自分を過度に同一視してしまうこと(母子関係の未分離)は、現代の親たちが持つ妙な心理である。子供が叱られたり悪い立場に置かれることを妙に自分の傷であるかのように感じてしまったり、納得できなかったりする。その反面、子供と自分に必要以上にクールに距離をとってみたりするのも現代の親たちが持つ間違った心理である。Aの親には、過度の虐待や愛情不足があったと思う。Aの母は愛情が薄かったと指摘さたことに対して「三男が喘息でAにはかまってあげることができなかった」「私は肩凝り性だったので、Aをおんぶした記憶はあまりありませんでした」と、記述している。その後で、「一家でよく湊川にあったプールや須磨の海に泳ぎに出かけました」と自己フォローしている。卓球台を買って一家でプレーしているなど実際母は他にも、Aにけっこう関わっている。つまり、かわいがっていたつもりであったのだが、スキンシップや濃密な愛情表現などが不足していたのだろう。それに加えて、発達障害のあるAには余計に両親の愛情が十分に伝わっていなかったのだろう。虐待をして大きく距離を作ってしまい、距離ができたことを十分に解消しないままになっていたのであろう。子どもが可愛いのか可愛くないのか、大切なのか大切でないのか、親自身がわからなくなって混乱している部分がある。それでは子供はもっと混乱してしまう。どうもAの両親には子供との距離の取り方のちぐはぐさが目立っていたのではないかと思える。体罰論を始めると長くなりすぎるのでやめておく。体罰があるなしを問わず、子供を強く叱った場合には少なくとも子供の痛みを自分の痛みと受け止め、子供の更生に全力で付き合う姿勢を見せる必要があると思う。親としても、教師としても。事件以来、罪の重さとわが子の可愛さの間でさらに心情が波立ち、この手記にはあちらこちらに不安定な心情が読み取れる。文筆家でもない両親によって、尋常ではない状況で書かれている文章であることを念頭において、両親に関する情報は注意深く読む必要がある。そして、そういう状況で描かれているからこそ、「『少年』Aこの子を生んで・・・」は価値がある資料であると思う。
Jan 9, 2009
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正月ですが、続けます(汗)。 事件の舞台となった神戸の学校・須磨・ニュータウンという要素には、実に微妙な空気がある。この街の生い立ちについては、「「少年A」14歳の肖像」「地獄の季節-「酒鬼薔薇聖斗」がいた場所」で高山文彦氏が詳しく書いていて、非常に興味深かった。多井畑~名谷という、古い村のあった地域の山を削りながら新しい街が作られていく。友が丘・竜ヶ台・多井畑等の名前はそこが自然の丘や山・畑であったことを意味している。山を削り、削った土で海を埋め立てる神戸方式は「山、海へいく」と喩えられ、住宅地開発のモデルケースとなった。核家族世帯が流入し、新たな自治体が出来上がっていく様子は戦後の日本全体の流れと重なる部分が大きい。ニュータウンへ移り住むだけの財力を貯めた層が転居していく中で、下町の自治が壊れていく一因となった。アップタウンとダウンタウンという階層化が進んだ。アップタウン(多井畑)第一世代の自治はしっかり組織されたものだったようだ。「ニュータウン=人情味に欠ける」といった図式でこの街を語る文章も少なくなかったが、少なくとも第一世代はそうではなかったのではないかと思う。アップタウンへ移り住んだのはAの祖母の代であり、Aはアップタウン三代目に当たる。家は三代でつぶれる...Aの家族もまら、この街の空気と同様に、微妙である。Aの家庭は多くのメディアから、かなりのバッシングに遭っている。伝え聞いた様々な情報と「『少年』Aこの子を生んで・・・」を読めば、確かに異常な部分を感じる。それでも、この街の平均的な家族像から大きく外れていたのかというと、そうでもなかったようにも思われる。そのあたりが、微妙なのである。異常であるのはAの家族だけというわけではないだろう。今の日本のたいていの家庭が、微妙に異常を孕みながら成り立っているのではないかと思う。我が家だって例外ではなかろう。AとAの家族の微妙な人物像や微妙な関係は、親の手記である本書を読んだだけでは、なかなか正確にはつかめないと思う。ある人は、先にも書いたように、「思ったよりまとも」と感じるかもしれないし、ある人は「許せない」と感じるだろう。同情する部分も、憎むべき部分もあるだろう。手記に現れているのは実に複雑な親の心境であり、それに実に複雑な読者の心情が重なるため、読み取り方は実に様々であると思う。私自身、この本を読んでいるといろいろな思いが交錯する。微妙に異常なのである。どうしても、妙な言い回しになってしまう。明らかに異常と感じる部分がいくつかあるのに加えて、至る所で微妙なずれが見られるのである。一見、まともに見える事の中にも、なんだかおかしな雰囲気がある。この歯がゆさは何なのだろうか...本書で両親は、平謝りを何度も繰り返しているように見える。ところがよく読んでみると、言い訳もさせて欲しいという心情が含まれている。おそらく事件からの数年は、家族は大変な思いをしただろう。言い訳をしたくなる気持はわかる。それでもここは、潔く謝罪に徹するべきだったのではないかと思う。また、「失うものはないので洗いざらい語る」と言いながら、都合の悪いことは詳しく書いていないという傾向も見られる。最も私が歯がゆいと感じるのは、母親がAへの体罰に関しての記述がぼやけているところである。母親のAに対する躾が過剰であったことについて識者から多くの指摘があった。あるのにもかかわらず、母親は「躾できつい折檻をした覚えはないのですが・・・長男のAには厳しく怒って注意していたかもしれません」と三人兄弟を育てる事態となったAが三、四歳当時の様子は書かれているものの、あまり多くは記述しておらず、受け流そうとしているようにも受け取れる。Aの精神鑑定主文が「弟いじめと体罰との悪循環の下で「虐待者にして被虐待者」としての幼時を送り」と、母親の虐待を指摘していることに対しては、「頭では分かっていても、いまでもA自身のこと、鑑定書の内容はピンと来ず、よく理解できていません」と、真相をうやむやにするかのような記述しか書いていない。後に発行された本、「「酒鬼薔薇聖斗」への手紙-生きていく人として」(今井一生:宝島社)には、生後6か月から虐待があったと母親が人に告白したという話(これは、又聞きの話ではある)が載っている。この虐待の状況については、大事な点である。しっかりと再検証がなされるべきだと思う。
Jan 5, 2009
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家族の問題について触れるなら、「『少年A』この子を生んで・・・」は読んでおかなければならないだろう。両親が事件を語った貴重な本である。「少年A」この子を生んで...ただし、この本は両親側からの視点で描かれているため、これだけを読んでいたのでは中立的な思考をすることは難しくなる。前回のエントリーで挙げた書籍等を併せて読んでおかないと、間違った事件の見方をしてしまうことにもなりかねない。実際、この手記を読んで、「ちょっと変わったところもあるけれど、普通の母親、どちらかというと良心的なところもある」という感想もいくらか聞いたことがある。私はどちらかというと母親に対しては厳しい見方をしている。本書のはじめの数ページを読んだだけで「許せない」気持ちになってしまった。それまでにも漏れ伝わってくる報道から両親に対しては悪い印象しか持っていなかったのが、本書の中での両親の的外れな言い分でさらに嫌気がさしてしまい、なんとも言えない不快感が湧き起こった。文藝春秋社のクセのある報道姿勢にも抵抗感があった(文芸春秋社はこの手記の他にも、本書刊行の2ヶ月ほど前の月刊誌「文藝春秋」に少年Aの供述調書が掲載し、物議を醸している)。ざっと流し読みだけをして、数年間、読まずに本棚の隅に置きっぱなしになっていた。事件から10年以上が経った最近になってもう一度読んでみることにした。不快であることには変わりないが、ちゃんと読んでみてよかった。と言うのは、本書はこの事件の一つの鍵である「家族」、そして現代社会の多くの問題の根源である「家族」について考える重要なテキストであることに気がついたからである。本書は事件から2年足らずの1999年春に少年Aの両親によって刊行された。父の手記と母の手記が交互する構成で、両親の手記に先立って、第一章の前には発行元である文藝春秋社(森下香枝というジャーナリスト?)による「刊行するに当たって」という一節がある。それによると、文藝春秋社は刊行の意図を「被害者側の『知る権利』に応えるべく」と表現している。勿論のこと、文芸春秋社は「読者」の事件の真相を知りたいという要望にも応えているつもりであったのだと思う。一章「被害者とそのご家族の皆様へ」では父の被害者らへの謝罪二章「息子が酒鬼薔薇聖斗だと知ったとき」では母の少年院でAと面会したことにまつわる手記、三章「逮捕前後の息子Aと私達」では父のA逮捕後の二ヶ月とさかのぼって淳君行方不明からA逮捕までの手記が書かれている。報道や他の書物からは得ることができなかった家族の側面を浮かび上がらせている。四章「小学校までの息子A」では、生まれてから小学校卒業までの様子。五章「中学校に入ってからのA」には、小学校6年生までと中学校時代のAの生い立ちや母親とAとの関わりが描かれている。AがユーミンのCDを愛聴していた様子等、細かく詳しい、貴重な情報を知ることができる。 六章「Aの精神鑑定書を読み終えて」が最終章であり、Aの精神鑑定書や供述調書を読んだことに絡めた母親の思いが綴られている。文章には繰り返し最後まで、両親の悔恨と謝罪の念が綴られているが、それといったまとめのないまま(おそらくまとめようもなかったのだろう)モノローグが続き、筆が置かれている。この終わり方を含めて、本書の中には、後述するが、不適切と感じられる表現やつたなさが目につく。文章作成に関して素人である両親が書いているのだから、ある面仕方がないことである。この手記はあまり手直しされずに出されているようである。文章というのは怖いもので、直されなかったせいで両親の考えがかなりダイレクトに伝わってくる箇所がかなりある。私とて、過去に書いた文章を読み直してみると、赤面してしまうような記述ばかりである。文芸春秋は大出版社であるから、両親の書いた本書を校正したり、構成の手伝いをしたりすることは簡単だっただろうと思う。それをしなかったのは、おそらく、文芸春秋側は、資料的な価値が失われないように、両親の書いた文章を意図的になるべく直すことなく世に出すことにしたのだと思う。Aの両親について語る時、両親を批判する文章になることはやむを得ないが、このブログで彼らを糾弾することが目的ではない。両親の書いたテキストと、両親について書かれたテキストをしっかりと読み、考えてみることによって、現在の親たちが抱えている問題点が見えてくるのではないかと思っている。新聞やテレビ、週刊誌は事件の表層のみを追いかけて、やがてすぐに忘れてしまう。一定の時を経た時点から、過去の事件を見つめ直すことも必要な作業であると思う。
Dec 28, 2008
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少年Aの「家族の問題」について言及するにしても、とにかく家族のことを含めて、事件の全体像をつかんでおく必要があるだろう。事件について知るのであれば、たくさんの書籍が出ているので、何冊かを読んでいけばよい。誤報や推測に基づいた言説も含め、様々な情報が流れているので、事件全体と家族の関係について様々な視点から眺めていかなくてはならない。事件を多角的に見つめ、この家族像を少しでも立体的に見るためには、以下に挙げる著書はぜひチェックすべきだと思う。「淳」「淳それから」(土師守)「彩花へ-「生きる力」をありがとう」「彩花へ、ふたたび-あなたがいてくれるから」(山下京子)。被害者からは家族がどんなふうに見えているのかを知ることができる。何と言っても、当事者の語る言葉は重みがある。大切なお子さんを亡くされたのにかかわらず、お二方とも強い意志を持ってこのような本を書かれていることには頭が下がる。淳 淳それから彩花へ 彩花へ、ふたたび「少年A矯正2500日全記録」(草薙厚子)では、あまり語られることのなかったAの事件後の様子をうかがい知ることができる。事件後に関東医療少年院にいた時期のAの様子を知ることができるという点では、大きな意味のある書物であると思う。(どこから情報を得ているのかという点には疑問が残る)少年A矯正2500日全記録「なぜ、少年Aは『正常』なのか」(漆田典子・川村京子)は今や手に入れることが難しくなっている。独特の書きぶりに興味をひかれた。「この世には愛がわからない人間もいるということを前提に物事を考え直さなくてはならないといった筆者の考え方には賛成である。賛成というか、私にはそんなことは当たり前のようにも思えるが・・・本当は学校や少年院の関係者が書いた書籍も読んでみたいところだ。岩田友が丘中学校校長の著書「校長は見た!酒鬼薔薇事件の「深層」」はどちらかというと報道被害について書いている。学校の周りに陣取る報道関係者が散らかしたごみを学校側が拾って回った話などは、実に苦々しい思いがする。校長は見た!酒鬼薔薇事件の「深層」岩田校長はマスコミとの闘いに多くのページを割いている。それに比べると、少年Aや家族・友が丘中学校の生徒に関してはほとんど書かれていない。岩田校長のみならず、学校側としては言いたいことがたくさんあると思う。しかし、守秘義務があるため、書きたいことを存分に描くことは難しいと思う。現時点では学校側からの情報に期待するには無理があるだろう。 高山文彦氏は2冊の関係本を出している。両方の本に、須磨のニュータウンの成り立ちやら街の様子が克明に描かれている。特に1冊目「地獄の季節」には、須磨ニュータウンの成り立ちから、両親とその親の生い立ちまでが描かれている。「山、海へ」と言われた名高い神戸市の住宅地開発が生み出した「名谷」というニュータウンへの作者の見方は斬新である。多くの報道が人造的なコンクリートの風景を批判的に描いていただけであったのに対し、高山氏は多井畑側の緑濃い自然の方へと分け入りながら考察を続ける。地獄の季節-「酒鬼薔薇聖斗」がいた場所高山氏は父方のルーツである南方の島にまで取材を敢行し、戦後の二家族(Aの母方と父方)のヒストリーを明らかにしながら、時代の変遷がどのようにこの事件に作用してきているのかを懸命にさぐろうとしている。やや感傷的すぎる点に目をつぶれば、戦後から事件に至るまでの大きな「家族」のヒストリーを考察しており、事件について考えさせられる。最後に、Aに関する情報の中で、他では見られない情報を集めたサイトがある。情報の量もさることながら、質としても、圧倒されるものがある。酒鬼薔薇王国http://www5.pf-x.net/~kusogaki/index.html である。HP運営者をはじめ、ここに集うAにシンパシーを感じている人たちをどう考えればいいのか・・・深く深く、考えていくべき課題が多いことに改めて気がつき、重い気分になってしまう。
Dec 20, 2008
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この事件について、たくさんの識者がコメントした番組や記事を目にした。TVや雑誌は当時こぞって特集を組んだし、関連本もたくさん出版された。事件発生から少年Aの逮捕、そしていくらかの確からしき情報が出回るまでの間に目にした記事や言説の中には、明らかに間違っているものもあった。犯人捜しに躍起になるマスコミによって報道被害が発生した。特に友が丘小学校での第一、第二発見者にマスコミから疑いの眼差しが向けられたことと、淳君の家族周辺への二次被害とも言えるような報道姿勢はこの国が抱える問題の一つではないだろうか。想像力の欠如という点では、マスコミも少年Aも同質である。 識者が挙げた犯人像も大きく外れているものがほとんどだった。体罰や学校の不備を指摘することによってこの事件を説明しようとした論者も多くみられた。しかし、体罰の事実は見つからなかった。マスコミはトーンダウンしながらも、それでも学校の失点を探し続けた。人工的な都市に問題があると言う識者も多かった。確かに、人造的な都市が良くなかった部分はあるかもしれない。山が切り開かれ、ニュータウンが形成されていく過程に何か問題があったのかもしれない。だが、あの街は少なくとも自然に近いところにある。都会で起きれば自然がないとか悪い誘惑があるとか言われるのだろう。その後、田舎でだって少年の凶悪な事件が起きた。祖母の死、母の体罰、阪神大震災の影響、少年Aに元々発達障害的な部分があったなどと、いろいろ理由を付けて、一生懸命に説明しようと頑張ってみたものの、答えは宙に浮いたままである。何かがきっかけになって少年Aをこの凶悪な事件へと導いてしまったのは確かであるけれど、何かが決定的にこの事件の要素になっているとは考えにくい。いろいろな要素が相まって、増水した川の堤防が崩れるようにこの事件が引き起こされたのではないかと、私は想像している。おそらく、答も、真相も、宙に浮いたままなんだろうと思う。私たちには宙に浮いたままのこの不気味な事件が何を指し示しているのかを少しでもまともに読み取る努力をするしかないのだろう。そためにはなるべく客観的な事実を読み取れる書籍が必要である。たくさん読んだ本の中で、今も手に入る高山文彦の「「少年A」14歳の肖像」は、けっこうまとまった資料だと思う。高山文彦氏が事件の数か月後に発表した「地獄の季節-「酒鬼薔薇聖斗」がいた場所」に不足を感じて改めて取材をやり直し、2年後に発行した書物である。どちらの著作も感傷的過ぎる部分を除けば、事件の周辺が比較的よくわかる。「少年A」14歳の肖像1年以内に発表された多くの論説には、間違いや見当はずれが多かった。高山氏は2冊目で1冊目に書き足りなかった点をフォローすることを目指していた。時間の経過とともに事態も変化し、各識者の視点も変化しているだろうから、是非、当時に語った人々、本を出された人々の現在の意見を聞きたいと思う。被害者である山下彩花さんの母親と土師淳君の父親は、2冊目の本を発表している。当時コメントなり論文を出した識者たちには、事件をもう一度きちんと振り返る責任があるのではないか。多くの誤った報道を垂れ流した各マスコミや、推論の域で性急に事件を語った識者達にも、事件を再考してもらい、もう一度まとまった形の文章を出していただきたいと思う。高山氏には3冊目を期待したい。さらに、事件から10年以上が経過した現在の時点での両親の手記も是非読んでみたいものだ。さて、では私はどのように振り返ればいいのか。単にブログというメディアで私見を語るだけなのだから、事件の全体像を網羅的に語るよりは、視点を定めて書いた方がいいだろう。この事件を語るには、あまりにも切り口が多すぎる。学校の問題、家族の問題、発達障害の問題、メディアの問題、社会の問題、少年法の問題、ニュータウンの問題、マスコミの問題・・・一つ一つを丁寧に取り上げれば、ただただ膨大な文章になり、今までに語られたことの蒸し返しになってしまう。教師であるからには学校の問題を書きたい気もするが、この事件に関してはあまりにも学校に関する情報が不確かで、推測の域を出ない部分がある。校長以外の学校関係者はほとんど公に事件を語ることがなかった。教師という立場であまり私見を述べるべきではないというのは理解できる。ぜひ友が丘中学校・多井畑小学校の教師の話は聞きたいところではあるが、仕方ないかもしれない。そこで、少年Aの家族の問題という視点からこの事件を見つめてみようと思う。少年Aの両親を非難し、責めることが目的ではない。少年Aの家族の問題には広く現代の家庭の問題が連なっていると思う。「家族の問題」はこのブログで取り上げたい重要な課題の一つであるから・・・。
Dec 14, 2008
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