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さて、心機一転、ブログをまったり、のんびり続けることにしました。このブログはもともと日記という目的で始めたものでした。当時はブログというものの意味合いをあまり考えずに始めちゃった。このたびはお行儀よくいこうかと思います(笑)。さて、カーリングおやぢとか欧州の消化器科医とか使い分けてきましたが、ハンドルネームを替えます。スウェーデンの古典小説、Doktor Glasドクトルグラスから拝借して、ドクトル硝子にします。この古典小説の主人公、ドクトルグラスは世間知らずでナイーブな医師です。美しい人妻に恋心を抱き、様々な葛藤の末、大変な行動を起こしてしまいます。人々の様々な思惑、ずるさ、世間の不条理などに翻弄されるドクトルグラスに自分を重ね合わせてしまいました。さて、ブログ「ドクトル硝子のLagom Liv (中庸な人生)」の方も引き続き、よろしくお願いします。当ブログはこれで、本当におしまいです。
December 4, 2010
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う~~~今年の11月はさぶい。過去40年で最も寒い11月だそうだ。スウェーデンはすっかり雪景色。今週はマイナス12度から20度が続いた。晴天になると特に寒いのだ。しかし、この気象はこの4年の経験とあまりに違いすぎる。07, 08年は冬に雪など積もらず、時には小雨まで降るほどのプラス気温となることもあり、高緯度にそぐわず雪が無く、がっかりしたものだ。ところが昨年は冷え込み、Haga湖を始め、ほとんどの湖が氷結し、スケートを楽しめた。それでも、1月に入ってからのことだった。それなのに今年は11月中旬から大雪になり、以降は例年で言えば1月、2月ころの厳しい冷え込みだ。このまま、1月、2月になったらどこまで寒くなるのだろう?マイナス20度くらいまでは経験ずみだが、それ以上は勘弁して欲しいなあ。まぁ、北海道と同じで家の中は暖かいので助かってはいるが。今週はエドガー先生とエドワード先生主催の大腸内視鏡セミナーがあった。スウェーデン、エストニア、デンマーク、ノルウェーから参加者が見えられた。日本からは北大、慈恵医大の先生方が招かれ、華麗な技を披露されていた。今回の参加者は皆さん優秀な方揃いで、飲み込みも早くてよかった。それにしてもエドガー先生の大腸内視鏡学に賭ける情熱は凄い!!2mmの腫瘍性病変をバチバチ見つけて、NBIやフルオロまでやり、パターン研究までやってる先生ってヨーロッパ、アメリカでもまずいないだろう。昔、宣教師が遥か日本まで、死をいとわず布教に来たが、エドガー先生は日本の内視鏡学をヨーロッパに伝える宣教師、伝道師とも言える迫力を感じる。ビックリしたのが、ダンドリュー病院のエドワード先生が準教授でカロリンスカフッジンゲの外科に就任することになった。以前から、いい労働条件と給料を用意するのでカロリンスカからダンドリューに来いとお誘いいただいていた先生なのだが、義理を優先してしまう私は断り続けていた。しかし、お誘いを受けていたら、どうなっていたことだろう?「君が着てくれないから、僕が行くことにした」なんて笑い飛ばしていたけれど。この4年でずいぶん、周囲の状況がかわったものだ。エドガー先生はErsta病院へ転勤。自分の城を築いて、水を得た魚のごとく元気一杯に復活。エドワード先生はフッジンゲか。講演も技術指導も概ね好評でよかった、よかった。
December 3, 2010
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免許をとれた報告とお礼をみんなにし、仕事をしてから内視鏡室の医師部屋へ戻ったら立派ならんがおいてあった。もー涙ちょちょ切れ。ブログをやめたはずだが、記録せずにはおられない。Vad du har k?mpat!Ett stort grattis fr?n oss tjejer p? endoskopin. Grattis!添えてあったメッセージ。「なんて頑張ったことでしょう!大変おめでとうございます。内視鏡室のヤングレディーより。おめでとう!」内視鏡室の看護婦さん達からだった。日本でも、いつも内視鏡室の看護婦さん達には恵まれたが、ありがたいことにスウェーデンでも大事にしてくれる。それにしてもtjejerシェイエル(娘達)とは恐れ入りました。シェイは通常ティーンネイジャーからせいぜい20代までの女性をさすのだが。みーんな子持ちのお母さん達が自称シェイエナ(娘達)とは(笑)。うれし泣きって過去に1度だけしたことがある。これで2度目。白人社会でこういうことがありうるとは予想もしなかった。同じ白人でも様々だなー。ブログの中止を決めたものの、ありがたいことにリクエストをいただいたので、移転を模索しています。決まり次第、お知らせします。今度は、本当にのんびり、のんびり、やろうと思ってます。
November 23, 2010
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?gentligen fick jag svensk l?kare legitimation. Jag skulle inte kunna f? det utan hj?lp av mina kollegor, sjuksk?terska, socialstylersen, svensk samh?lle, varma patienter, vackel natur och min familj och gamla kollegor i Hokkaido univ. Framf?r allt tackar jag Dr Ragnar och Edgar ur djupet av mitt hj?rta. Ni har skrivit rekommendation f?r mig till socialstylersen och alltid st?t mig och min familj. Sedan tackar jag l?lare i kurs p? svenska. Siv och Ingrid i SFI, Inge i SAS grund, Mona i SASA och Per i SASB. Ni var str?nga men j?tte varma. Det var mycket jobbigt att avsluta SASB inom 2 ar. Jag var d?lig elev, vet jag. Fast?n jag hade haft v?ldiga m?nga laxor och svarat med v?ldiga m?nga fel hade ni alltid korrigerat dem noggrant. Jag vet att det m?ste jobbigt f?r er. Samtidigt l?rde ni ut svenskt samh?lle. Det var mycket inressant och gjorde mig ?lska Sverige. Jag tackar en g?ng till era varma tj?nster. Nu kan jag ?verleva i Sverige. Det ?r harligt! Jag ?lskar Sverige.Tack! Tack! Tack!今日、帰宅してみるとポストにSocialstylersen(スウェーデン厚生省)から書類が届いていた。医師免許だった。昨日、なんとかやっていけるかもと少しの自信を感じた翌日に届くなんてびっくり。気脈が通じているかのようだ(笑)。まずは、多くのお世話になった方々にお礼を申し上げます。お師匠様、北海道の同僚の皆さま、留学前からスウェーデン語を教えていただいたmasako様、リトバさん。そして、ハラハラしながら支えてくれた父上、母上、とっとと帰ってこいと厳しい励ましをいただいた義父さん、いつも仕送りをしていただいた義母さん、私の愛妻、愛息。私の我がままと思い込みから始まった、この挑戦を支えてくれてありがとうございました。スウェーデンでは私を招いていただき、Socialstylersenに推薦状を書き、私生活でも多大なサポートを頂いた、エドガー先生、ラグナー準教授にとりわけ感謝申し上げます。さらに、機会を与えていただいたRolf教授、妻を雇用してくれたハンス医局長、突拍子もない私のアイデアを形にしてくれ、研究を後押ししてくれ、その上、論文を添削、共同執筆いただいたピーター準教授、病理のカルロスルビオ教授に感謝いたします。 そして、ひどい英語とスウェーデン語を辛抱強く聞いて、支えてくれた看護師さん達、同僚達に感謝します。さらに、言葉のできない私を励ましてくれた多くの暖かいスウェーデン人の患者さん達、言葉を教えてくれた語学学校の教師の皆さん(Siv, Ingid, Inge, Mona, Per)に感謝します。そして、細かくアドバイスを頂いた先達の日本人医師M先生、Y先生に感謝申し上げます。私の心を毎日癒し、思索、思考させてくれたスウェーデンの偉大な自然に感謝します。ふりかえれば4年前、一年契約の予定できた留学。運がよいのか悪かったのか、留学直前に職場での組織を巡る非合理制、不誠実な方針転換を中心とした行き詰まりと訴訟機運の高まりの中で警戒しながらの診療に、ほとほと人間不信も高まり、ちょっと疲れ、滅入り、何もしたくなくなっていたころにスウェーデンに渡ることになった。こういう事もなく、世の中のおかしさに気づくこともなく、普通に仕事のことだけやっておれば、一年で帰っただろう。いまとなっては、このためにお膳立てされていた出来事のように思える。社会の違い、生活環境の良さ、人々の暖かさ、誠実な政治、社会風土、美しいストックホルムに触れ、全く日本で働く意欲を失ってしまった。給料は研修医扱いで年収200万以下から始まった。でも豊かな教育を受けさせられ、十分な休暇をえられ、医療費不安もない。自分の語学学習も無料。趣味のスポーツも年1万円程度で楽しみ放題。なにより親子で毎日すごせる。送り迎えも一緒。朝ご飯も晩ご飯も一緒。このまま暮らし続けても老後の不安もなし。このような暮らし豊かな社会は大変なショックだった。そして労働者を幸福にしない日本社会の有り様に強い疑問が湧くのも当然だった。親族から、「この年収で働くなんて信じられない!早く帰ってこい!」などとも叱られたが、日本より低収入でも人間らしく心豊に、穏やかに暮らせる生活の方がはるかに幸せを感じてしまった。そういう社会は、みんながおおよそ幸せだから社会がギスギスしていなくて、とても暮らしやすいのだ。お金に換算できない安心感がある。日本しかしらない方には想像のつかない事であろう。日本の労働者を巡る環境はひどい。医療界でも悪意が渦巻いている。一生懸命に働く、現場に多くの付加産業と余計な産業がぶら下がり、たかられている感じ。医療界だけの問題ではないが、税金が投下される現場にぶら下がる吸血産業が日本は多すぎる。非常に効率の悪い社会なのではないか。仕事していても息苦しかった。かくして、留学から移住に心が移る。私の我がままを無言で見守っていただいたお師匠様、そして背中を大きく押してくれた関連病院の師匠K先生、その他、間接的にご迷惑をおかけしているであろう、元同僚や後輩達。ただ、ただ感謝申し上げます。就労証明書をいただきに上がった際にK先生から「いいっしょ、どんどんやってこれば。ダメだったらここに戻って来ればいいんだから。」と罪悪感を感じていた私の背中をドンと押してくれた。専門は違うK先生だが、ふりかえれば人生のターニングポイントではK先生の存在があった。こうやってふりかえると、私は多くの人々に支えられ、多くの幸運な出会いがあったことに気づく。ありがたいことだ。そして2年目から、運の良いことに妻も雇ってくれることになった。さすがに年収200万程度ではキチキチだったが、夫婦で働き、400万弱になるとだいぶ余裕が出た。長い休みに家族で旅行をしても、貯金も溜まり、日本への旅費も捻出できるようになった。スウェーデンは労働者の暮らしにおけるコストパフォーマンスが大変良い。そして2年間、午前だけ働き、午後はスウェーデン語という生活が続く。ここで出会った多くのイラン、イラク人、アフガン人、ソマリアを初めとしたアフリカ人達との出会いは得難い経験だった。彼らの悲劇や不条理な人生に比べたら自分の苦労や悩みなんて「へ」みたいなもんだと思った。彼らは日本を尊敬し、親愛の情を強く抱いていることも初めて知った。それなのに日本政府やマスコミのやっていることは。。。orz 尊敬され続ける日本でいてくれよ。留学の始まりの祭に社会への疑問と不信が強く芽生えていたので、当然、スウェーデンと日本社会、政治を比べていくことになる。そして政権交替を望んだが、現在のていたらく。有権者を裏切って恥じない人間があんなにたくさんいたとは絶句するしかない。自身の不明を恥じるとともに、日本の暗い未来を憂う。そして思うに、日本政治が良くなるには日本に住んでいる人が頑張らなければ良くならない。それはもはや、遠く離れた当地でどれだけ憂おうと当事者が覚醒しなくてはどうしようも良くならない。一方でますます、当地での仕事と信頼が増して、やるべき本来の仕事も増えてきた。そしてついに医師免許を取得し、もはや、お客さんではなくなる。一年前から考えていたことだが、医師免許を取得し、区切りがついたらブログをやめようと思っていた。そして、近頃、その時間も取りづらくなりました。本日をもって、ブログ「カーリング漬け」は終了します。これまで、ご愛読いただき、ご意見や励ましをいただいた多くの方々に御礼申し上げます。オノマさん、パリさん、志村さん、wagon3rdさん、skytemaさん、かつおくん、nomadさん、あんころ仮面さん、ped母さん、kikuさん、vanさん、satoさん、その他ネトウヨさん(笑)、官僚さん大変ありがとうございました(お名前が漏れた方ごめんなさい)。ブログを通じて新しい出会い、意見交換は大変楽しうございました。教えていただいたことも多かった。感謝申し上げます。皆さまのご多幸をお祈り致します。
November 19, 2010
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ランチレクチャーでスウェーデン語で講義をしてみた。今までは英語だったのだが、初挑戦。このごろ、英語よりもスウェーデン語の方がでてきやすい。理解はしてくれたらしく、大好評だった。内容は日本の消化器病学で積み上げられたことが中心なので、先達に感謝感謝である。将来もなんとかやって行けそうな気がしてきたぞ。
November 18, 2010
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祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。ローマから帰って参りやした。こんなことをかんじました。しかし、芸術はすばらしいですね。ミケランジェロ。。。。ダビデ、システィーナ礼拝堂。 永遠の輝き。。
November 8, 2010
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トルコ旅行記もようやく最終回。8月10日、ケラススホテルを後にする。今回のトルコ旅行もよい旅だったな。トルコは言葉がほとんど通じないけど、人情深い人との出会いが多く、好きな国だ。ホテルでも20歳いくか、いかぬかのウエイター達がずいぶん、息子と遊んでくれた。さよならエーゲ海。近代的なイズミール空港。入場時にX線チェックを通る。出国チェックの所に風呂上がりのような白装束の集団を見かけた。なんだろう?メッカへ巡礼に向う一群だった。世俗的イスラム国家トルコだが、今もしっかり巡礼に向う人達がたくさんいるのだ。私は最後に世俗的なトルコポップスCDを購入。トルコのダンスミュージックはなかなか乗りが良いのだ。言葉はわからないけどお勧め。ちなみに、今年のヨーロッパメロディフェスティバルでトルコのマンガというグループが2位に入っている。maNga We Could Be The Sameはて、先週末、2年ぶりにカーリングの公式試合に出た。ストックホルムのカーリングシーズン開幕戦であるBMW杯に出場。チームAproppoは予選を辛くも勝ち上がり、決勝へ。決勝トーナメントではエリートシリーズを戦う若者チームと対戦。スウェーデンのリーグは5部に分かれている。トップが世界を狙うエリートシリーズ。その下が1部。私達は2部に属する。ところが、そこそこ良い戦いをし、最終8エンドに2点差を追いつく。あと一歩だったのだが、エキストラエンドの先攻ではなかなか勝てる物ではない。負けちゃった。まぁ、たいして練習してない割には上々のスタートだ。しかし、腕と背中の張りがまだ痛い。。。2年も運動しなかったつけだな。日曜の決勝敗退後、ロンドンミュージカルMamma Mia ストックホルム公演を見た。ストックホルムでアバの音楽を聴くのは格別だった。中学時代を彩った数々の音楽が今も色あせることなく輝いていた。学校でチキチータを歌っていた頃、スウェーデンに住むなんて想像だにしなかった。運命ってわからんもんだ。abbaの音楽は老化を知らない。劇とは別に、思い出にひたり少々感傷的になってしまった。あの劇はそう言うことも狙ってるよね、きっと。主役は結婚する娘ではなく、アバ世代の火遊びをしてしまったお母さんなんだ。最後にアバで育ったおじさん、おばさんダンサーズで盛り上がるのは、Abba世代の心をくすぐり、元気づける効果があるのだな、きっと。Mamma miaのストーリーは母子家庭で育った娘が、結婚前日に3人の男性が父親の可能性があると知るショッキングな内容。9歳の息子に、「お前、実はお父さんが3人いたらどうする?」っていじわるな冗談をふってみたら、「お父さんは4人目かもよ」と返されてしまった。ガーン!! おぬし、なかなかやるな。。。。
October 26, 2010
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前日、カッパドキアまでの往復700kmほどの旅の疲れをいやすべく、終日、チェスメの海を楽しんだ。ケラススホテルビーチ全景。エーゲ海だす。砂の遠浅で波がほとんど立たない快適なビーチなのだけど、見て楽しい魚はいなかったのが残念。どんな魚でも見てると楽しいのだけど、色のついた魚がいなかったのは残念。午前中はビーチでのんびり、シュノーケリングをしたり、浮いて日焼けをしたり。午後から風が吹き始めるので、Alakati湾にある、トルコ最大のウインドサーフィンクラブへ行った。チェスメ市街。モスクのミナレットが見える。チェスメからドルムシュでAlacatiへ。ビーチへはAlacatiで乗り換えてたどり着いた。ドルムシュはミニバス。安くて助かる。しかし、英語は全く通じない。場所を指さし、行くしかない。行きは子ども無料だったのに、帰りは取られたりもした。不思議だ。まぁ、仕方ない。トルコは不思議があふれた国なのだから。大きなクラブ。たくさんのマイボード、セールが置いてある。シーズンはヨーロッパ中からサーファーが訪れ、長期楽しんでいくようだ。ドイツとオーストリア人が多かったな。息子が習ったインストラクターもドイツ人だった。クラブにはバーやレストラン、ショップも併設されている。まったく、ウインドサーファー天国。ウインドをしない人も無料で利用できて、ビーチで日焼けしながら、眺めていられる。良い風が吹いた。中風。7.0のセイルでプレーニングができた。多くの初心者の間を大きな帆をつけた上級者がプレーニングで疾走していく。うらやましい。。。プレーニング、いいなぁ、かっこいいなぁ。憧れのプレーニング。できる日が来るのだろうか。この日は挑戦にうってつけの程よい風だったので、ストラップに足を通してみた。まず片方。お、意外にうまくいった。今回は急に風上に曲がってしまうこともない。調子に乗って、後ろのストラップにも足を通す。お、両足も成功。あとは、セイルを大きくすればプレーニングできたのだろうか?その前に、乗り越えねばならないトレーニングがある。私はまだ、ハーネスをうまく使えない。ハーネスワークはまとまった日数を乗らないとマスターは無理だな。今回は両足ストラップに通して滑走できただけでいいや。チョピッとずつ進歩しているようだ。ウインドはいいよね。風に任せて、するするって、気づかぬうちに海の上を滑っていくのが気持ちいい。わずらわしいエンジン音もなく、自然の音に囲まれ、ひとり孤独にプカーッと浮いているのも好き。自然に遊んでもらっている感じが好き。風に負けて、海に落ちて、沈して、火照ったからだから頭がヒヤッ!となる感じも好き。ボードにのぼって、放心しながらにぎわう海辺、行き交う船をしばし眺めるのも好き。そして、力が湧いたら浜へ戻るのだ。銭函で海に乗ると紅葉で色づいた山が見える季節だな。賑わい過ぎた浜辺で、ひとり浮かんで、眺める紅葉。きれいだったな。たっぷり風とたわむれた後、ドルムシュで帰る。チェスメのドルムシュバス停からタクシー乗り場まで、歩行者天国のインキラップ通りを歩いていく。スパイス屋さん。トルコらしいでしょ。通りの終わりにゆでとうきび屋さんを発見。これは食べていかなくては!私は幼少時に”とうきび坊や”と言われたほど、とうきびに目がない。トルコのとうきびはどんな味がするのだろう?ちょうど腹も減ったし、ぜひ食べようと小銭を妻にせびったら、なんと、「今日、ウインドでどの位お金使ってると思ってるの?もうすぐお夕飯なんだから、がまんしなさい!」えぇ~!たった3トルコユーロ、約200円だよ?と粘る私に、妻はなんと北海道名物「ジャガポックル」を出してきて、これで我慢しなさい、とのたもうた。なんで、トルコでジャガポックルなんだよ!俺はトルコのとうきびが食べたいんだ。現地の物を食べるのが旅の楽しみじゃないか。いくらヨーロッパで貴重なジャガポックルだって、目の前のとうきびの価値にかなうはずじゃないか。ジャガポックルは北海道に帰れば食べれるけど、今、この目の前のじいさんのゆでとうきびは、これを逃したら一生食べれないんだよ!甘いミルクとうきびって書いてるじゃないか。ねぇ~食べさせてよ!と言う、私の言い分は全く相手にされず、とうきびにありつけなかった。ち、財布預けとくんじゃなかった。まぁ、ただのゆできびにロマンや旅情を感じる私も大げさだが、300TL近く散財した後に3TLをけちる妻もせこい。やはりこれが女性の思考回路なのだろうか。ま、彼女の経済感覚のおかげで、旅行ができているのだから、あまり文句もいえないが。ホテルのビーチから。ギリシャ領、キオス島に沈む夕日。キオス島の灯り。どんな人達が暮らしているのだろう。。。
October 21, 2010
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昨日、Dr.ビヨルクが「君に感謝状がきてたよ。糖尿病で足を切断し、心臓パイパス術の既往があった方で、いくつもポリープがあり、君に世話になった男性の奥さんから。あの患者さん、亡くなったんだ。」と感謝状を手渡してくれた。スウェーデンでいただいた初めての感謝状。その手紙には患者さんのフレンチホルンを抱えた在りし日の写真が添えてあった。あぁ、あの患者さんだったか。とようやく思い出した。初めての出会いをブログに記載していた、思いで深い患者さんだった。クリスマス明けの血の池地獄この方の腸は陥凹型のたちの悪いポリープができやすく、2007年に概ね取られたはずだったのだが、翌年、私のところに回ってきた時に15mmのsm浸潤癌を見つけ、どうしようも取れなくて、手術を勧めた方だった。しかし、ハイリスクということで手術が見送られたと聞いたのが最後だった。Suneさんは王立楽団のフレンチホルン吹きだったのだ。ホルン部門のリーダーを長年務められていた。奥さまの手紙には多大な感謝と未だ癒えない心痛がつづられ、胸を打たれた。感激して、全文を翻訳してみたが、もう一度見直し、詳細は自分の胸にのみやきつけることにした。特に感激したのはSuneさんの闘病姿だった。お手紙より、抜粋===============================彼は求められたことをやろうと頑張りました。いつも、「私はチームの一員としてやらなくてはならない。」と申しておりました。皆さまにお知りいただきたいのが、彼はいつも全てを受け止め、皆さまと一緒になにがしかの良い方向へ前進できるのだと信じておりました。================================Suneさんは人生に与えられた使命という物を感じていたのかもしれない。自分が闘病生活を医療従事者と共に分かち合うことで、死という物を超越し、チームとして、進歩が得られる。自分の死を超えて、なにか良き物が残るとかんじられていたのではないだろうか。患者さんは手のかかる、社会のやっかいものではない。生き様を通じて、家族に、友人に、医療従事者に医療のことはもとより、生き方や人生を教えてくれ、多くの無形な財産を与えてくれる。その周囲に与えられた経験は必ず活かされ、次の社会の進歩につながり、志は生き続けるのだ。私はそう信じる。悲しみと戦う奥さまに天国からホルンの音色が届きますように。私にもスウェーデンでの仕事の自信を与えて下さったSuneさん、ありがとう。ご冥福をお祈りします。 Suneさんの訃報を伝えた新聞
October 16, 2010
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8月7日 トルコ旅行の続き。かねてからの夢だった石灰棚が美しい、パムッカレへ行った。スウェーデンへ帰国そうそうに報告した記事はこちら。今回はその他の写真の続き。パムッカレはチェシュメから330km離れた内陸に位置する。エフェソスで高速を降りた一般道の農産物直販店で、こんな物を見かけた。なすの皮の日干し。トルコ、ヨーロッパのナスはバカに大きい。その中身をくりぬいて、厚い皮を干したもの。トルコ料理はなす料理のバリエーションが多い。これはどうやって使うのだろう?カッパドキア、白亜の崖を下の駐車場から。ぜーんぶ温泉水に含まれた石灰の付着による自然の芸術。かつてはさぞかし豊富な水量だったのだろう。下の入り口付近で。ちなみに崖に上ってはいけません。警備員に笛を吹かれます。温泉プール。カッパドキアの流れる天然温泉をためたプールでお湯につかれる。ムフフ世界中からきれいな人もたくさん。崖を上りきった上からの光景。雄大な景色が広がる。温泉がたまった石灰棚。立ち入り禁止。坂を登って右手に広い石灰棚がひろがる。残念ながら水が涸れていた。夏場は湯量の減少が深刻で、景観の保存が大変なのだ。前回も触れたが、モーテル、ホテルの林立で温泉源が枯渇しかけた。現在の泉源は日本の援助で新しく追加されたものなのだ。それでも、かつての豊富な湯量を確保できないらしい。雨の降る冬季はもう少し良いらしい。以前はこの棚を歩いたり、湯につかったりできたが、現在は禁止。サンオイルや富栄養化による汚れが深刻化したのだ。この白亜の崖の上には広大な都市遺跡がひろがる。ヒエラポリス。紀元前2世紀から12世紀まで栄えたそうだ。倒れた石柱大きな劇場残念ながら、遺跡好きの私といえども暑くて暑くて、とても見学はできなかった。エフェソスもそうだったが、泉の湧くところに街ができ、栄えたのだな。しかし、この温泉水を飲んでも腹を下さなかったのだろうか?夕方4時頃、チェシュメへ出発。19時頃、イズミール手前の高速から見た夕日。夕日の方角がチェシュメ。一日、700km近く運転できるものだなぁ。でも、高速道を歩行者が渡るトルコでの運転はけっこう疲れた。
October 9, 2010
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おめでとうございます。鈴木章先生。このストックホルムで母校の先生をお迎えできるのは大変な喜びです。おいでになられるかはわかりませんが、ストックホルムで先生のお姿を拝見できますことを楽しみにしております。おかげさまで、Kalorinskaで働く私達は鼻高々です。スウェーデン人の同僚達が皆、先生の快挙を私達のことのようにお祝いしてくれております。こんな幸せなことはありません。Boys be ambitious! ですよね!
October 6, 2010
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昨日は妻の誕生日だった。もう数えるのをやめた、何度めかの誕生日。ここで、こうしてのんびりと充実したスウェーデンライフを送れるのは妻のおかげである。海外生活は妻の理解と協力が無ければ続けられない。感謝、感謝。で、今の気持ちをスウェーデン語で書いておくね。スウェーデン語特有のスウェーディッシュa, o, uは楽天ブログでつかえないので、上のチョンチョン(ウムラウト)は*で代用します。実名は乗せないので、スウェーデン人の名前を借りましょう。A**lskade Viktoria. Jag a**r sa* stolt o**ver det vi a**r tillsammans.Jag a**r sa* lycklig fo**r att nu vara din man.Jag kommer att go**ra allt jag na*gonsin kan fo**r att du ska fo**rbli sa* lycklig som du a**r idag.Viktoria, sto**rst av allt a**r ka**rleken. Jag a**lskar dig sa*. 意味は? ひゃー恥ずかしい。。 今年、スウェーデンで最も熱いカップルのダンナさんダニエルが新婦に贈った言葉をもじらせてもらいました。アツアツ過ぎて訳すのもはばかられるが、せっかくなのでご紹介。以下は上記の私がもじった文の訳。「愛するビクトリア。僕は一緒にいられて誇らしい。僕はあなたの夫であることが、とても幸せです。僕は君が今日と同じようにずーっと、とても幸せでいられるように全力をつくそう。ビクトリア、この愛はなによりも大きい。僕はそれほどあなたを愛してます。」ダニエルさんは王位継承者の王女ビクトリアと結婚されました。日本でもご成婚式典が報道されたと思います。そのダニエルさんがビクトリアにあてた披露宴でのスピーチ原文です。A**lskade Viktoria. Jag a**r sa* stolt o**ver det vi har tillsammans.Jag a**r sa* lycklig fo**r att nu fa* vara din man.Jag kommer att go**ra allt jag na*gonsin kan fo**r att du ska fo**rbli sa* lycklig som du a**r idag.Viktoria, sto**rst av allt a**r ka**rleken. Jag a**lskar dig sa*. 「愛するビクトリア。僕は一緒になり誇らしい。僕はあなたの夫となれ、とても幸せです。僕は君が今日と同じようにずーっと、とても幸せでいられるように全力をつくそう。ビクトリア、この愛はなによりも大きい。僕はそれほどあなたを愛してます。」なかなか、スピーチでこんなことは言えませんよね。ちなみに、この時、グスタフ王が王女にこっそり書いたメッセージが人々の気持ちをつかみました。「私はあなたの父親です。あなたは私の愛しい娘です。私の何よりの願いはあなたの喜びと幸せを見ることです。それ以外の何がありましょう。」私はこの普通のお父さんのような王のメッセージにけっこう、感激してしまったのでした。
October 1, 2010
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8月6日はのんびり、ホテルライフを満喫。午前中はスライダー付きプールで戯れ、午後からビーチで昼寝、時々シュノーケリング。夕方からGPSを頼りにチェスメ半島の突端へ探検に行ってみた。地図に乗っていない小道を突端へ向けて進むと軍の看板が出現。隣接するギリシャからの防衛基地なのだろうけど、レーダーサイトの入り口にたどり着いてしまった。そこから海を見下ろすと一隻の帆船が優雅に浮かんでいた。ボートに魅せられて海岸に降りてみると、岩の海岸の水打ち際にぽつぽつと黒い玉が沈んでいた。ウニだ! ストックホルムでウニ食えないんよ。岸辺にいくつも半分に切られたウニのからが散らばっていた。トルコ人、食べるんだ、ウニ。知らなかった。紫ウニのようにみえるが、わからない。食べてみたい誘惑に駆られたが、ウニのトゲに毒のある物もいるし、どうにもおっかない。恐る恐る石で割ってみると懐かしい、オレンジ色の肉が。残念ながら、海藻がほとんど無い岸辺で育ったためか、実入りはとても悪かった。少しだけ試してみたら、ほんのり甘い、懐かしい味がした。それ以上食べなかった。暑い所にどんなへんな虫がいるかわからないし。そこから離れて、より東側の岬、Havacilarビーチの方へ行ってみた。ギリシャ領キオス島がよく見える。ちょうど夕日を眺めるに良い高台があり、そこからしばしキオス島を眺める。海に面して、大きなテラスを持ったおしゃれな住宅が並ぶ。私がトルコ中央部やイスタンブールを訪れた時に抱いた泥臭い、ミステリアスな雰囲気のトルコのイメージはここにはなかった。この辺の住宅は富裕層のおしゃれな別荘地といった趣。住宅街の目の前が空き地になっており、エーゲ海に浮かぶキオス島の眺めがとても良い。ベンチもある。しかし、この先は15m超はあろうかという断崖である。日本なら柵がないと、万一のことがあれば、お役所の責任が問われるだろう。柵がなければ、事故は個人の責任で防ぐ事となる。そのかわりに良い眺めが得られる。はて、どっちがいいだろう?
September 28, 2010
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エフェソスの帰りにチェシュメ近郊のIlicaビーチにある秘湯へよってみた。チェシュメはヨーロッパの保養地で有名なのだが、その有名なビーチは我々の泊まった安めのリゾートホテルなんかではなく、Ilicaイリカビーチなのだ。広くて遠浅の美しいビーチに沿って、一流ホテルが林立するビーチ。シェラトンもある。そのにぎわうビーチから少し外れた漁港に面白い場所があるのだ。なんのへんてつもない田舎の小さな漁港だが。。。。防波堤の向こうから、水着を着た人々が帰って来る。さらに先へ行くと防波堤のそばにたくさんの人がつかっている。ここがイリカ海中温泉。海中から60度以上のお湯が噴出しているのだ。海水と混じるとちょうどいい温度。噴出口付近は日本人にちょうど良い、憧れの40度超の温泉。ヨーロッパの温泉は大抵ぬるいので、熱い温泉が恋しくなっていた。おじいさんが、「こっちがあったかいよ」と手招きして場所を譲ってくれた。日本人は相当珍しいらしく、たくさんのトルコ人に話しかけられた。トルコ人は親日家が多いので、ここでも、いろいろな人が親しげに気づかってくれた。この温泉は海中に噴出しているのも面白いが、それだけではなく、超高濃度塩泉なのだ。なので、体が面白いように浮く。噴出口から離れた所で泳いでみると、尻と足が浮き上がり驚いた。背中で浮くのも簡単。立位でも、自然に頭一個分、水から出る。初めは、”あー、ついにこんなに太っちまったのか”とがっかりしたのだが、温泉をなめてみて、高塩分の効果だとわかり、ほっとした。ほら、仰向けで浮きながら写真まで撮れちゃう。面白いように浮けるのを楽しんでいたら、初老のおじさんが泳いで近寄ってきた。以下、英語。「日本人かい?」「そうです。」「トルコはどうだい?」「大好きです。皆さん親切だし、美しい光景や、不思議な光景、遺跡もたくさんあり、とても楽しい国です。」「私は2週間前に日本の弟に会いに行ってきました。名古屋の安田ってしってますか」「いや、安田さんはたくさんいるから。。」「私の弟は名古屋の安田さんと結婚して、日本に住んでいます。」とういう訳で、名古屋の安田さん。義理のお兄さんに御会いしました(笑)。人とのふれあいが楽しいイリカ海中温泉でのひとときでした。
September 22, 2010
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昨日、いただいたコメントで、ふっと肩の力が抜けてしまった。「日本という国は「売り」じゃないでしょうか。」余裕の無い人は貯蓄で自己防衛をはからねばならない一方で、余裕のある人さえも逃げ切りを考える段階に入ったかもな。日本は「売り」という視点でライフスタイルを考えにゃならんな。さて、中断していたトルコ旅行記再開。8月5日チェシュメから160km離れたエフェソスの遺跡へ、レンタカーを飛ばして行った。知らない土地での運転はGPSが欠かせない。ところが、ホテルのフロントには「チェシュメでGPS働くのかなぁ?」と信じられない(ある意味、トルコらしい)ことをいわれた。レンタカー屋さんがGPSを貸し出しているのだから、動くのだろうと信じて借りた。ところが、レンタカー屋さんがGPSの使い方を知らず、説明もそこそこに帰ってしまった。だいたい、ああいう機械は使い方が似ているので、試行錯誤した末にどうにか使えることがわかったが。エフェソスの都市遺跡は紀元前11世紀、イオニア人により作られたとされる。当時の状態が現代までよく保存されているギリシャ遺跡。なかでも、最古の図書館の遺跡を見るのが長年の夢だったのだ。しかし、夏のトルコの気候は遺跡見学をするには暑すぎる。よって、なんとか午前中に遺跡見学を終わらせるべく、早朝700に出発する予定であったが、レンタカーであることに甘えてしまい寝坊。チェシュメからエフェソス近くまで立派な高速道路が走っている。イズミールの飛行場でも感じたことだが、高速道路の作りも日本の建築に非常に良く似ている。日本の企業が受注したのかな?道路料金所160kmで3ユーロ(約360円)。しかし、さすが、トルコ。見た目が近代化されていても人間はそう変わる物でもなかった。高速道路は法定最高速度120kmだったのだが、ガードレールをまたいで高速道路を横断する歩行者が後を絶たない。ほんと、危ないっちゅうに(怒)!!そして、スピード狂が多いのか、イズミール近くになると混んだ車列の合い間を右に左に蛇行し、追い抜く車の多いこと。エフェソス近郊で高速を降り、一般道に入ると、運転が荒い人が多く、疲れた。ウインカー無しの急な車線変更、割り込みの多いこと。信号待ちをしていると、青になる一瞬前からクラクションを鳴らされせかされる。マナーの良い北欧の交通事情とはえらい違いだった。朝10時すぎに遺跡到着。もう既に気温33度超。あじーーー。私達は大劇場側、つまり都市の下側の入り口から入場した。すぐに劇場運動場の遺跡跡につく。予想以上に大きな都市遺跡だ。どれもこれも2000年以上前の遺跡だと思うと感激する。向こうに大劇場が見える。エフェソス大劇場とアルカディウス通り。アルカディウス通りは海までつながっていたのだ。夜には50ものランプで照らされていたらしい。2万人収容と言われる大劇場。この劇場にたつと、ついつい歌を歌ってみたくなる衝動に駆られる。やっぱり、のどに自信のあるイタリア人観光客がオペラの一節を披露し、喝采を浴びていた。最上階から眺めていたのだが、声がよく響く劇場だった。劇場前に見られたライオンの彫刻群。似たような彫刻群を昨年、エジプトはルクソール神殿の門前でもみたなぁ。当時、なにがしかの文化的交流があったのかもしれぬ。大理石通りで見かけたギリシャ文字の碑。読めたら楽しいのだが。。ギリシャ語までは手が出ない。モザイク通りへ突き当たった所に125年建造のCersusケルスス図書館が現れる。荘厳な図書館図書館から左に曲がるとモザイク通りに入る。すごい人でごったがえす。通常のツアー客は上から下へ下がって来るらしい。私達は下から上へ登ることになった。12時を回ると、ますます気温は上がり、太陽を遮るものもなく、辛くなってきた。モザイク通りの両側には高級住宅街が並ぶ。2000年前の栄華が偲ばれる。当時はモザイク通りの上に泉がわいており、そこから上下水道が街中に引かれていたのだ。街角で見かけた医療を表す杖。白蛇が絡まった杖は西洋医療のシンボル。トラヤヌスの泉。市民の住居跡。今にも古代人がでてきそう。Hadrian神殿の門にあしらわれたメデューサの彫刻。なぜ、睨まれると石になってしまうという恐ろしいメデューサが門に刻まれたかというと、家のお守りの意味があったらしい。最近、発掘された高級住宅街跡。テントに覆われ、まさに発掘、再建中。別料金だが、住宅の保存状態もよく、2000年前の暮らしぶりが身近に感じられる。おすすめ。住宅のお風呂。五右衛門風呂くらいのサイズ。一人がつかれる程度。部屋の壁には色鮮やかな壁画が残る。ソクラテスの肖像画も見られる。床にはメデューサのモザイク画モザイク通りの頂上付近にある勝利の女神ニケ像。で、楽しかったのが公衆トイレの遺跡。敷居のない便座が並んでいる。こういうトイレで人々が服を着たまま座って、用を足しながらどんな話をしていたのだろう。プラトンやソクラテスも座って、人生でも語っていただろうか(笑)。ちなみにこのトイレはぽっとんトイレで2m下に下水溝が張り巡らされており、水洗式だったのだ。すっかり古代ギリシャ人の気分を味わえた遺跡見学だった。
September 20, 2010
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今日は児童虐待の取り扱いについて講義。スウェーデンには両親の法がある。中でも両親の暴力を禁じているこの法律は、学校でも職場でも、事がある度に強調される。外国人の多い国なので、体罰を禁じていない国からの住民も多いからだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー両親規約 Foraldrabalken, FB6 kap1子どもは養育、安全、そして良い教育を受ける権利がある。子どもは個々の人間として尊重し、育てられなくてはならない。子どもに体罰やあらゆる暴力を与えてはならない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー日本人は簡単に子どもを叩きすぎると思う。体罰を美風と勘違いしている伝統も残る。体罰と虐待は境界不明瞭で、表裏一体なのだ。体罰を与えることは大人自身の未熟さを表しているように思う。児童虐待は、初めのうちは小さい体罰による”しつけ”から始まる。それが虐待死への初めの一歩だ。日本でもあらゆる体罰を禁止すべきだと思う。
September 10, 2010
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産経によるとある民主党サポーターが投票権にバカと書いて投票すると、憤っているというネガキャンがあった。いつもの産経ネガキャンとも思ったが、しばらく考えると、本当にバカバカしい内紛だとおもった。そのサポーターの気持ちはよく分る。いったい、管内閣はなにをとちくるって、党内論議をへず、マニフェストを変えたのだろう?挙げ句には同士を徹底的に貶め、先々は自民と組む腹づもりとも聞く。政権交替の意味と目的をここまで理解してなかった人々が民主党にいたとは、本当にバカバカしい。もうすぐ、もう一段のアメリカ、ヨーロッパの経済危機がこようかという時に、国の構造転換待った無しという時に、政権私物化しちゃって、改革逆戻しし、内ゲバにいそしむなんて。確かに、政権交替を支持したものに取ってはバカバカしい顛末だ。あ~あ、代表戦後もしばらく日本は漂流するんだろうな。先の参院選は本当に痛かった。こうなると菅直人達は元々仕組まれていた自民のスパイじゃなかろうかとすら疑いたくもなる。しばらく、模様眺めと行こう。日本の政治、報道をフォローしていると気分が悪くなる。==============================トルコ二日目、8月4日。トルコ西海岸、チェシュメという小さな街のKerasusホテルに泊まった。まずはホテルのプールとビーチでのんびり楽しむ。北欧から来ると目もくらむ35度という暑さだったが、やっぱり泳ぐにはこの位ないと楽しくない。ハイビスカス。さすが、トルコのハイビスカスは違う!ってこともなかった。久しぶりのハイビスカス。ホテルビーチはこんな感じ。美しく快適な遠浅。サンゴがなかったのが残念。紫ウニがいたが。10数年前に訪れた時に比べて、西海岸の街は近代的で、あまりトルコらしくないなぁと思ったのだが、トルコ人はやっぱりトルコ人らしかった。理解しがたい面白さがあった。レストランでお昼ご飯を食べていた所、若いトルコ人夫婦が2歳のテズ君をつれて、突然、息子の横にやって来た。なにを言っているのかわからないのだが、その夫婦はテズ君を息子の椅子の脇にたたせ、ご飯を食べている息子の頭をテズ君になでさせる。これには仰天した。何だろうと思って見ていると、両親はなでさせたテズ君に笑顔で拍手したあと、口にご飯を運んだのだ。どうやら、ご飯を食べないテズ君が息子に好意を持ったことを利用し、飯を食べさせようということらしかった。なんども息子をなでさせては「ヤーーー」と歓声を上げ、拍手し、餌付けする夫婦。こちらは戸惑いと、面白さとでただあっけにとられるばかり。挙げ句に息子にも餌付けをお願いしてきた。何度かスプーンで食事をテズ君の口に運ぶ息子。すると、喜んで食べるテズ君。かくして、テズ君は必要以上にたらふく食べさせられたのでした。しかし、トルコ人は日本人に人なつこいとはいえ、これは仰天した。街は近代的でも、ここはやっぱりトルコだとわかった。チェスメに来て、ラッキーだったことと言えば、10km離れたAlakatiアラカチビーチにトルコで最大のウインドサーフィンクラブがあったこと。午後はさっそく、乗りに行った。遠浅のビーチは初心者講習にもうってつけ。この日は微風で少々つまらなかったが、息子が始めるにはちょうどよかった。ドイツ人のインストラクターさんだった。夜のホテルプールサイド。
August 29, 2010
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8月3日より一週間、トルコへ行った。以前、といっても、もう10年近く前にカッパドキアとイスタンブールに行った時に地中海岸沿いのリゾート地の宣伝を見て以来、トルコの地中海岸リゾートに憧れていたのだ。とくに、エフェソスの世界最古の図書館とパムッカレの白亜の崖をどうしても見たかったのだ。それとともに、私は年に一度は海で遊ばないと気が済まない。というわけで、エフェソスとパムッカレのツアーがあって、海岸で遊べるリゾート地を探したのだ。で、選んだのが日本人には超マイナーな、トルコの西海岸、エーゲ海に面するCesmeチェシュメという街へ行くことにした。我が家はもとより、スウェーデン人の平均年収は高くない。よって安いチャーター便によるリゾートパック旅行が大流行り。スウェーデン語がちょっとできると、これは便利。で、Fritidsresaフリーティーズレーサというチャーター専門パック旅行会社のツアーに乗って行った。3人で7泊8日、飛行機、食事全部コミで約20万円。トルコ、ギリシャはヨーロッパを代表するリゾート地。しかも物価が安い。よってたくさんの格安パックツアーがあるのだ。日本からは相当遠い国だが、ヨーロッパからはとても気軽に行けるのだ。チェシュメは地図の西端、半島の先端にある小さい街。温泉がわくのだ。ストックホルムから飛行機で3時間半でイズミールに到着。だいたい札幌から沖縄に行く感覚。空港へ降りるとそこは別世界。平均気温22度程度に慣れた体にはちょっと歩くだけでも堪える35度が待っていた。イスタンブールの南、トルコ第三の都市、イズミールのIzmir国際空港。イズミールからバスで1時間20分でチェシュメ到着。バスから見たイズミール周辺の光景は10年前にカッパドキアを訪れた光景とは違い、近代的なビル、マンションが林立し、ずいぶんとあか抜けた光景だった。あまりトルコらしくない。10年たって近代化が進んだのかもしれないが、おそらく内陸と海岸では経済格差も大きいのだろう。おそらくイズミール近郊はリゾートで潤っているのだろう。夕方5時に到着。ケラススホテルはチェシュメ市内から車で10分の丘の上にあるリッチが今イチな4つ星ホテル。ホテルまでの道が細く、バスがやっと通れるくらい。Kerasus Hotelのビーチから。夜8時、ギリシャ領キオス島に沈みエーゲ海の夕日。この日は少し海で遊んで、食って寝た。ところで、この頃、スウェーデンの医療法律の勉強中。法律文章はややこしく、なかなか苦戦中。でも、なかなか味わい深い総論で面白い。なぜ、医療法があるのか、法律の規定する範囲。及ぶ職業。代替医療と法律。医師と看護師の実践的な責任分担の規定、インシデント、アクシデント報告と懲罰の規定と目的などが実際の現場を想定して解説してある。現場の血が通った法律作りを意識しているのが読み取れる総論で面白い。たとえば、医療従事者の責任、指揮系統の規定に関する総論では、「医師の誤った指示を鵜呑みにして、看護師が行った業務について看護師も責任を負う。看護師が医師の指示に疑問を抱いた際には聞き返し、討論する責任をおう」なんて事が書いてある。ここまで踏み込んだ法律解説は日本で目にしなかった気がする。このような現場を意識した例示、解説が日本の医師法、医療法には見当たらない。また、医師法、看護師法で分離され、お互いの指揮系統、あるべき業務分担など両者にまたがる法規定は何十年も手つかずのままじゃなかろうか?時間ができた時に、スウェーデンの医療法律、いくつかご紹介してみたい。というわけで、更新がとどこおっております。
August 25, 2010
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多忙で、ブログの更新もままならない。今日も、日常ネタでお茶濁し。私の職場の部屋は3人一部屋。そこを4人の医師が利用している。一つ空席があったのだが、本日、新任医師が現れた。また、女医さん。女医さんが嫌な訳ではないのだが、居心地は悪くなった。だって、私以外は3人とも女医さんなんだもの。4年前は3人とも男性医師だったのに。。。着替えは、部屋でできなくなちゃったな。日本じゃ、男性医師が女性医師にかまわず、パンツ丸出しで堂々と着替えれたものだが、現在の私の状況は女医さんが堂々とパンツ丸出しで着替えて、私がトイレで着替える状況。「気にせず着替えていいのよ」なんて、金髪の若い女医さんに言われたって、そんなの無理だよね。スウェーデンは裸の露出に対して抵抗が低いように感じる。男女差の垣根が低いと言えるのかもしれない。自室に向う廊下から期せずして女医さんの着替えが見えてしまうことがあり、フェロート(すいません)と声をかければ「いいのよ、たいして見る物なんてないのよ」なんて笑いながら返答されてしまう。あまりに堂々としているので、こちらが恥ずかしくなるのが恥ずかしい。で、新人の女医さんは昨年第二子を出産。一年、産休をとり、職場復帰。今はだんなが育休で1年、二人の子どもの面倒を見る。いわゆるPappa ledig(パッパ レーディグ父親休暇)という。よって、彼女は出産と育児という大仕事をしたにもかかわらず、大きくキャリアを損なうことなく大学病院に復帰した。子どもが小さいうちは病欠、看病での早退など、堂々と認められる。超過勤務はありえない。だから女医さんが一線の病院で勤務し続けられる。医師といえども家族の時間を大事にしながら仕事ができる職場環境が保証されている。どこの世界でも男性優位の忙しい科は内科、外科だが、ここでは女性も多い。産婦人科、小児科は50%以上が女医さん。女医さん抜きにして、スウェーデンの医療は成り立たない。もう一人の同室の若い女医さんは3ヶ月前にアメリカはヘリコで有名なテキサスで研修、研究を終えてやってきた。「なんで、アメリカで就職しなかったの?給料、けたちがいじゃん」と尋ねると、「Det fanns inget liv. そこに人らしい暮らしはなかったわ。私は人間らしく生きたかった。お金はたくさんもらえても人間らしく家族と一緒に生活できなければ意味がないと思ったの。私には合わないとおもった。」「でも、アメリカは時間外勤務を制限した法律があるはずだけど、機能してないの?」「法律はあるけど、うやむやね。守られていないわ」「ふーん、やっぱりそうか。訴訟もうっとうしいしね。ハイリターンだけど、ハイリスクじゃ気も安まらないね。」「そうそう、適度な仕事と給料、適度な暮らしが大事。ワークライフバランスが大事ね。」日本の女医さんも臨床留学でこちらの暮らしを見られれば良いのだけれど。こっちの暮らしはこんな感じ。ちなみに男性医師も、うれしそうに父親休暇をとり、1、2年育児を楽しむのも珍しくはない。街では昼間っからカフェで乳母車をゆすりながらビールを片手にパパの井戸端会議を良く目にする。こんな「暮らしが一番」の国だけれども最近、ヨーロッパで最も堅調な経済と評価された。不思議でしょ?
August 16, 2010
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夏休み第二弾! 今年はトルコのエーゲ海に面したCesmeチェシュメという小さな保養地へ行ってみた。トルコ第三の都市、イズミールから70kmの所にある。トルコのリゾート地としてはややマイナーな街なのだが、選んだ理由はエフェソスの遺跡とパムッカレを見たかったからなのだ。8月7日、レンタカーを借りて、朝7時にホテルをたち、飛ばす事5時間、330km離れたパムッカレへついた。チェシュメからエフェソス近くまで約180kmを高速道路があり、制限速度が120kmだったこともあり、快適に飛ばせた。一般道を約150km走るのだが、街と街の間は高速道路状態。制限速度が80kmで、だいたいの車が90-100kmでとばす。トルコ人ドライバーはスピード狂や短気な人が多いらしく、ちょっと追い越し車線に長居すると煽られたり、少し渋滞でもしようものなら車線変更を頻繁に繰り返し、ジグザグに割り込むドライバーに悩まされた。信号待ちをしていると、青に変わる一瞬早くに後ろからクラクションがなるほど、気が短い。農村地帯に直販店が多々見えたのでよってみた。街以外では英語はまず通じない。でも、身振り手ぶりで何とか買い物。ザクロのような果物が甘露のような甘さに加え、ほのかな酢っぱ味がありおいしかった。ここで手作りのかごを約150円で購入。これはスウェーデンのキノコ狩り用に使うのだ。キノコはビニール袋に入れておくとすぐ痛むので、風通しの良いあんだ籠に採るのが最適なのだ。遠くに雪山が見えてきた。灼熱の乾いた大地に雪山?ここがパムッカレ。高さ200mほどの山と谷一帯が白亜の岩に覆われているのだ。頂上付近に人の長い行列が見える。谷の無料駐車場より。この白亜の景観は山の上に湧き出る石灰を豊富に含んだ温泉水が山一帯を洗い続けた事により形成されたのだ。白い岩は鍾乳石なのだ。乾いた大地に膨大な温泉水が自噴し、山を洗い続けた自然現象には驚く。鍾乳石の壁と岩の境界。何とも雪のような、砂糖菓子のような不思議な岩肌。山を登るといくつか温泉プールがあり、肌に良い温泉ということで、みんな白い泥をぬりたくっていた。真夏の雪女?そしてなんといってもハイライトは自然にできた石灰棚にたまった温泉プール。パムッカレは温泉水の枯渇と観光客の石灰棚での入浴により白い岩肌が黒くなり、景観損傷の重大な危機に襲われた。そのため、世界遺産登録を機に、石灰棚への入場を禁止、周辺ホテルの撤去が行われた。だから、現在は石灰棚を遊歩道から眺めるだけ。そのかわり、遊歩道にはプールが設置された。いつまでも美しさを保ってもらいたいと思うので、仕方のない処置だと思う。それでも遊歩道には豊富な温泉が流れこみ、脇の排水溝に浸かって激流に身を委ねて遊んだり、泥をぬったくったり楽しめる。神秘的なエメラルドグリーン自然のいたずら、奇跡。いつまでも美しくいて欲しい。帰りに「もう見に来れることはないだろうなぁ。歳をとってからはちょっと辛いし」と言ったら息子が「今度は僕が連れてきてあげるよ」と言ってくれた。どれだけここに来るのが難しい事かわからぬ、無邪気な発言だったけど、うれしかった。この言葉を聞けただけで、また来れなくたって、もう十分しあわせ。
August 12, 2010
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ストックホルムの小中学生対象に夏休みを郊外で過ごす企画がストックホルムにはある。学校ではないのだが、しいて例えれば林間学校のようなものか。その名もBarnenso**子どもの島という子ども専用サマースクールがストックホルム郊外のnorrtaljeの東側海岸にある。パンフレットを見ると人里離れた海や森に囲まれた地域で、カヌーやトランポリン、ハンモック、サッカー、演劇、ミニサーカス体験、樹上アスレチックなど楽しむ子ども達の写真でいっぱい。スウェーデンの子ども達は8週間の夏休みがある。その間、働いている親のために子どもを預けるサマーハウスとして始まったらしい。感心するのは親の収入に応じて値段が違う。例え、裕福でなくとも子ども達は参加しやすいように設定されている。ちなみに、我が家は1週間で2万円程度だった。まさに、私が子どもにさせたい体験だったのだが、9歳の息子はスウェーデン語ができない。それなのにどうしても行くという。Koloという企画なのだが、申し込み前には2度ほど説明会があり、スタッフは英語ができるから、ちょっと子ども同士のコミニュケーションがさびしいかもしれないけど、きっとどうにかなるだろうと思いきって申し込んでみた。7月10日から17日の一週間、9歳から13歳の子ども達が海辺にKolo strandに参加した。そこではkoloリーダーと呼ばれる20-30台のスタッフ達が様々な遊びを企画し、掃除や生活の指導も少しだけはいる。息子は楽天的だったのだが、親は申し込んでみたものの、いじめられやしないか、孤立してないか、怪我してないかなど懸念がよぎって、どうにもいまひとつ落ち着かない、息子のいない初めの2日だった。妻は意外に鷹揚で、「あら、しずかでのんびりできていいわね」と涼しい顔をしていたが。息子の楽天的な所は妻に似たのだろう。短時間の見学は許されているので、思いきって見に行ってみた。バーネンスエー子どもの島の地図。たくさんのサマーハウスが林立している。9歳から16歳頃までが対象。見学に行くとKoloリーダーの一人が親切に案内してくれ、息子の生活ぶりを教えてくれ、大丈夫と安心させてくれた。森に囲まれた海辺の宿舎。ぼろいでしょ?裸電球が昔懐かしい。ナント築100年。Koloの歴史は古く、古い伝統はそのまま受けつがれているのだ。期間中、携帯電話、ゲームは持ち込み禁止。この宿舎の前のテーブルで毎日、三食ご飯をいただいたそうだ。息子に会うと、「あれ?何で来たの?」とつれない返事。楽しくて、全然、困ってなかったそうだ。タフなやつ。それでも、遊んでる友達から離れて、コロのリーダーと一緒に周辺を案内してくれた。森に囲まれた庭で、トランポリンや卓球大会もあったようだ。海岸。目の前に島がある。夜に島へ渡り、キャンプもしたらしい。カヤックにのったり、泳いだり。。。いいなぁ。お父さんも参加したい。海の家。まさに三丁目の夕日に出てくるような世界。少年、少女達が森の中で朝から夜中まで、遊びまくるための一週間だったようだ。ちょうど、50年前のKoloの様子が新聞にのっていたのだが、ほとんど同じだった。息子は私の子ども時代と同じように外を駆け回り、同世代の友達、お兄さん、お姉さん達と遊び、たいそう楽しかったようだ。スウェーデンの家庭、国は子育ての中で、こういう自然の中で友達や家族と遊ぶという事を大変に重要視していると思う。自然を学び、コミニケーションを学び、情操教育を大事にするのが小学生の教育で最も大事にされているように思う。心配したコミニュケーションの方も子ども達の多くが英語をまずまず話せたので、息子的には問題なかったようだ。上級生もずいぶん面倒見てくれたようだ。言葉のできない息子にも不自由させず、遊んでくれ、助けてくれたスウェーデンの子ども達。なんて愛らしい。ほんと、スウェーデンは素敵で愛らしい国なんだよなぁ。日々、愛着が増すばかりだ。帰りのバスが到着したとき、真っ黒に日焼けした笑顔いっぱいで手を振ってくれた。お帰り。ちょっと感激した。今度は家族と夏休み。エーゲ海と白亜の崖で温泉につかってくるのだ。
August 3, 2010
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アイスランド最終回。アイスランドの国際空港はレイキャビクから40kmほど離れたケフラビクという街にある。この空港はレイキャネース半島にあるのだが、この半島はヨーロッパ大陸と北米大陸がぶつかる大地溝帯上にあり、非常に火山活動が盛んな地なのだ。何でこんな所に飛行場を作ったものだか。多くの観光ツアー客は散策されないと思われるこの半島だが、火山活動を実感するには大変、見どころが多い半島なのだ。空港からレイキャビクに向う幹線道路からの光景でも真っ黒な火山灰と溶岩に覆われた大地に驚くし、海岸をよく見ると、溶岩が海水に冷やされてできた奇妙な光景に気付くはずだ。その幹線道路から大きく外れて、東側はほとんど建物のない手つかずの火山半島の様子が見学できる。この日は生憎の暴風雨で良い写真は撮れなかったのだが。真っ黒い道。周囲は溶岩の固まった奇岩に苔が生えた光景。土地の境界を示す詰み石。牧羊がされている。至る所に火口が見えるのだが、中でも大きなカルデラ湖がここ。悪天で対岸が見えない。あたりを火山で囲まれた湖を見て、恐山のうそり湖を思い出した。セルトン噴気帯。ものすごく硫黄臭かった。硫化水素の臭いが強い。遊歩道を歩くと肺が痛くなる。ガスの噴出が見える所では息を止めて、早足で通り抜けた。ドライブの仕上げはケフラビック空港近くのアイスランドの誇る露天風呂、ブルーラグーンに浸かった。ところが暴風雨で視界が全然効かない。温泉で一家離散かと思った。さしづめこの日はブリザード風呂といったところだった。ブルーラグーンは隣の地熱発電所からくみ上げた温泉水を使っているのだが、かなりしょっぱい。白い泥を皮膚にぬると美容にいいらしいのだが、私の弱い肌には塩のきつさがちょっと堪えた。ミーバトンの方が皮膚にはずっと良いと思う。今度はどっちかの温泉で、ワインを片手にオーロラを眺めながらゆっくり浸かってみたいものだ。
July 29, 2010
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たまには仕事のことでも書こうかな。先週、流暢に英語を話す若い患者さんの検査(CF)をした。スウェーデン人はもとより、ヨーロッパ人の話す英語はそれなりに母国語なまりがあるのだが、彼の場合はそんなこともなく、てっきり英米のどちらかのご出身かと思ったらフィンランド人だった。彼はフィンランド人だが、スウェーデン語を話すフィンランド人なのだ。フィンランドの母国語はフィンランド語が主流なのだが、15%前後ほどスウェーデン語を母国語にしているフィンランド人がいる。で、どこで流暢な英語を手に入れたか尋ねた。「高校卒業後、カナダにいったんだよ。フィンランドの英語学校は無料だからちょっと競争率が高いんだ。それだったら、カナダとかアメリカならお金さえ出せば入れる所はたくさんあるから。」「そうか、スウェーデンやフィンランドはそういう事情があるもんね。」ちなみにスウェーデンで英語を無料で習いにいくのは今のところ、さほど難しくない。フィンランドはスウェーデンより経済事情が厳しそうに思えた。患者さん「カナダは住むにもよいところだよ。人間はいいし、自然はたっぷりあるし。社会も北欧とよく似て社民的で生きやすいのさ。」私「そうか、その手があったか。いや、息子を留学させるのにどこにしようか考えていたんだけどね。英語を学ばせるのにスウェーデン、アメリカ、イギリス、オーストラリアとかいろいろ考えていたんだけど、アメリカはいかせたくないんだよね。ちょっと社会的に問題が多いでしょ?英語のほかに、良い社会を作っている国を見せたいんだよね。」患者「そうそう、戦争ばっかりやってるしね。外でも戦争、中でも戦争さ。生活も厳しいしね。そりゃ、アメリカ人に尋ねればみんなうわべはVery good countryなんて答えるけど、一つだけ条件があるだろ?金がなけりゃ、あそこは最悪だよ。」私「そうだよね、金があれば、ワンダフルだけどね。。。こないだイタリアで出会ったカナダ人達はみんな親切だったよ。たくさんの人が息子にカーリングのピンバッジをくれて、全部で30個ももらったさ。きーめた。息子を留学させるならカナダにしよう。」Det ar ett bra ide! That is a good idea.
July 27, 2010
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昨年の9月13日の続き。見逃せないシンクベトリル大地溝帯。アイスランドの中央には東西を分けるようにユーラシアプレートと北米プレートのぶつかる狭間である大地溝帯が走っている。それが地表にはっきりと現れ、大陸の衝突を目にすることができるのがシンクトベトリル大地溝帯。この丘をのぼっていく。登っている側がユーラシア大陸。左がユーラシア大陸、右が北米大陸プレートということになる。その狭間を遊歩道で歩いていける。まさにマグマが動いている感じがする、、、、なんてことはないのだが、スケールの大きさに驚嘆する。ユーラシア側から北米側の断崖を望む。大方の観光ツアーでは立ち寄らないと思われるが、ツアーコースと離れた入り口から、大地溝帯に流れ込む滝を見に行ける。溝の中で大地創造のロマンにひたるのも良いが、断崖の上から外を見渡すと人工物がほとんど無く、美しい複数の川と緑の大地、その先には海が見えて、まさに天地創造の瞬間に立ち会っているがごとき感動を覚えた。大地溝帯の間を登りきると大地溝帯の概観をつかむことができる。左が北米プレート、右がユーラシアプレート。北米側の断崖が平野に突然、落ち込んだ崖であることがわかる。この大地溝帯を中心に両プレートは年に2cm離れているのだそうだ。つまり、アイスランドは毎年2cmほど東西に広がっていくのだ。
July 23, 2010
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スウェーデンは夏休み真っ盛り。6月20日前後の夏至祭を過ぎたら夏休み。みーんな3週間とか4週間とか平気で夏休みを取る。おかげで、ストックホルム市内の交通量も激減。ちなみに、夏休み中はバスの本数も減るほどだ。夏休みをあけた同僚、看護婦さん達もちらほら復帰してきた。みんな茶色に日焼けしている。白人も日焼けするのだなぁ、と毎年、同じように感心する。だいたい、スウェーデン人の夏休みの過ごし方は、ちょっとリッチならギリシャやトルコに長期バカンス。面倒くさければ自分の別荘でのんびり、読書や釣りなどしながらぼーっと4週間も過ごす。休みがあると、いろんなことが思想できる。大事な事だと思う。どうしてスウェーデンよりリッチな日本でこの生活がかなわないか、素朴に疑問に思う。みんなで休めば全然恐くないはずだ。日本は置いてけぼり恐怖症なのだと思う。先月からアメリカで研究してきた中堅医師(女医)が同僚に加わった。なんで、アメリカに就職しなかったの?ずっと給料いいのに。アメリカには私の生活ができないと思ったの。一週間で100時間もはたらくのよ。人生なんかないわ。すごいリッチじゃなくても、生きてくのに十分なお金と自分の人生の方がずっと大事だと思ったの。私がスウェーデンで暮らす理由はここにある。お金と仕事に振り回される人生はどこか悲しい。スウェーデンに暮らす人々は人生を謳歌している。謳歌できる快適な社会はのだ。
July 23, 2010
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Gullfossの次はGeysir間欠泉を見に行く。間欠泉の事を英語でGeyserというが、アイスランドのこのGeyser間欠泉から由来するのだ。残念ながら本家Geysir間欠泉は活動が衰えてしまい、一日、2回ほど噴出するだけになってしまったそうだ。運がよければみられるかもしれないが。。。本家Great Geysir。ねむったまま。。。お湯がたまって、釜からちょろちょろお湯が流れでている。こっちはちび間欠泉。シュポシュポ小さく吹き上がる。こんなお湯の沸いた鍋のような小さな噴出口がこの辺りにいくつもある。温泉掛け流し状態。ついつい両手を流れ出るお湯につけて楽しむ。さて、Geyerの由来になった本家Geysirは休眠状態だが、お隣にやんちゃなStrokkur間欠泉が活発なのだ。5分から10分に1度噴出す。Strokkur間欠泉のビデオ高さは約30mらしい。噴出するまでのあいだ、噴出口をのぞき込んでいると、たまったお湯があふれたり、ちょっと吸い込まれたり、液面が上下するのだ。まるで地面の下で巨人がストローで息を吸って、吐いてーを繰り返し、勢いを付けプーッと吹き上げるような感じがした。しばらく眺めていた。ずーっと眺めていても不思議で、けっこう飽きない。毎回、吹き上げ方が微妙に違う。単発だったり、連発だったり。地球って生きている。別府の竜巻地獄、北海道渡島半島はしかべ町にもある。アイスランドの間欠泉、入場は無料。
July 20, 2010
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昨年、9月のアイスランド旅行記の続き。先週見てきたポーランドの連帯について書き留めたかったので中断したが、再開。9月13日、レイキャビク空港のある街、ケフラビクホテルより、主要な観光地である黄金の三角地帯を見に行った。黄金の三角地帯とは3つの観光の目玉をさし、地面の割れ目に流れ落ちる巨大なGullfoss黄金の滝、ゲイシャー間欠泉、シンクベトリル大地溝帯のことを指す。まずはGullfoss.ケフラビクから2時間ほど行っただろうか。あいにくの小雨パラつくどんよりとしたアイスランドらしい天気。Gullfoss遠景近づいてみるとこんな感じ。深い大地の裂け目に瀑布が落ち込んで行く。すごい迫力だ。滝の下方をのぞき込んでみる。すごい水しぶきと爆音。kikuさんに滝の音を聞かせようと思って録画してみた。Youtube上段の滝に接近。これだけでもかなりの迫力。上段の滝のパノラマだよこの頃ストックホルムの夏はすごく暑いので、滝を見たら少し涼しくなった気がした。
July 19, 2010
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09年9月12日の続き。ミーバトンを後にし、レイキャビクまでの600kmを走る。どこもかしこも風光明媚で荒々しい変化に富む景色が続く。赤紫色の大地。なにがこういう色彩を作るのだろう?アクレイリ手前の山から海を望む。平らな山並みが面白い。アクレイリ付近アクレイリを抜けるとしばらくしてGodafoss神の滝が見えて来る。遠景扇形のバランスの良い美しい滝。ミニナイアガラ。形がそっくりだと思った。Godafossを後にしてしばらく行くと山間部を走る。すると山に無数の羊があらわれた。何千頭もいたのじゃないだろうか?10kmほど羊の列が途切れることはなかった。道路にまで飛び出して来る。あわてて逃げる羊達のプリプリしたお尻が走る度にプルプル揺れる。太ったおばさん達のお尻みたいでおかしかった。レイキャビク近郊。北アイスランドから山を越えて南に回るとあいにくの雨空。レイキャビク近郊のみ道路が混雑するので、少々注意が必要。アイスランドはドライブ天国。街と街の間には信号がまずない。交差点もまばら。家もまばら。雄大で変化に富む大地を駆け抜けるのは爽快だった。行かれる方はドライブをお勧めする。
July 12, 2010
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いやーアルゼンチンがドイツに木っ端みじんにされるなんて。二点目からアルゼンチンはチームがおかしくなってしまったのが4点も取られた原因だろうな。それにしても岡田ジャパン頑張りました。対デンマーク戦、感動的でした。生で聞くブブセラの音はうるさいですね。耳が潰れそうでした。やっぱり生はいいですね。 > なんて事はありませんよkikuさん、vanさん。いくら、酔狂な私でも治安の悪そうな南アフリカには行きません。ブログの更新が止まっているのを心配いただいたようなのですが、タダ忙しかったのと、政治状況にあきれて、書く気も失せていただけです。しかし、つくづく日本の主立った政治家に人材が枯渇しているのを実感させられますね。結局は生活第一小沢系民主議員、亀井系、社民系を伸ばさないとだめなんだろうなぁ。そう感じる以上に管政権の詐欺ぶり、哲学の無さにただただ脱力するのみですね。あきれ果てました。今回ほどアホらしい選挙もないな。とはいえ、棄権すれば笑うは官僚ばかりなりだし、まぁ、私也に考えて入れさせてもらいますわ。この2週間、プラハで知人に会い、昨日はドイツでwater jet knifeの講習会に行ってきたりとそれなりにパタパタしております。はて、アイスランドの続き再開。09年9月12日は美しい晴天に恵まれた。残念ながら、レイキャピク南方のケフラビクへの移動日。来た日の事を考えれば、10時間は移動時間に取らなくてはならない。観光しながら移動することにした。息子の行きたがった溶岩ドームを見に行く。丸く膨らんだ溶岩ドーム。高さは3m位は優にある。登るとあちこちに地割れがあるのだ。地割れに入り込んで写真を取ったりして楽しんだ。溶岩に覆われた湖岸。ミーバトンから30km離れた黒い滝を見に行こうと思った。アイスランドの火山灰は黒い。その火山灰を大量に含んだ氷河の水のために滝が黒いのだそうだ。途中の火山灰に覆われた光景。砂利道に入る。この道を30km行かなくてはならない。時速は悪路のために20kmしかだせない。残念ながら今回は時間が無い。引き返すことにした。360度火山灰に覆われた地平線が広がる。アイスランドの光景は別惑星の荒れ地にいるかのような気持ちになる。深い大地の割れ目。ここで写真を取っていたら、砂利道の向こうから自転車でえっちらおっちら、ふらつきながら若者がやって来た。黒い滝の前で雨中キャンプをはり、帰ってきたのだそうだ。大学を卒業したてのドイツ人だった。アイスランド一周を4週間かけて自転車旅行中とのことだった。たくましいなぁ。日本ではこういう見聞を広める旅、自分探し、冒険など若者にさせる時間も気力も、経済力も奪われてしまったと思う。こじんまりとした若者が担う日本というのはどういうものになるのだろう? 既に現在進行中だと思うが、もっと悪くなるのだろうな。ミーバトン湖の北側を通り、アクレイリに向う。ミーバトン湖。3つのクレーターを持つ大きな火山がよく見える。流れ出る川と湿地帯。さよならミーバトン、また来るよ。と、再開もつかの間、明日から夏休み。またまた、さぼりまーす。
July 3, 2010
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09年9月11日、ようやく最終回。トロルのすみかDimmuborgir、秘湯中の秘湯、洞窟風呂、ミーバトンスパの紹介。kikuさん、お待ちかねの温泉情報。北欧には古くから山々や草原、自然の中に隠れてトロル族がすんでいると語り継がれてきた。自然の精霊に近いかもしれない。トロル達は岩や野花、草木に化けて、自然にとけ込むようにひっそりと暮らしている。ここDimmuborgirディムボルイルには特にたくさんのトロル達が隠れているらしい。Dimmuborgir駐車場からミーバトン湖を望む。灌木が色づく秋。駐車場の裏手にはこんな光景が広がる。真っ先に思い出したのは浅間山の鬼押出し。眼下に広がる、溶岩でできた奇妙な巨大彫像群。岩山にまぎれてトロルが見えるでしょ?親子のトロル?一人っ子かな?家族で散策しながら、ゴジラ岩、教会岩、恐竜岩、親子岩、藻岩。。。いろいろ名前をつけて笑い転げた。さて、トロルのすみかを後にして、ミーバトンの秘湯に行ってみる。地図にはのっていない。ほとんどのガイドブックにも載っていない。ホテルの人がこっそり教えてくれたのだ。溶岩原を突っ切る脇道をいくと、あるドーム型をした溶岩の丘がでてくる。そこに小さな洞穴が開いているところが見つかる。溶岩ドームの中は洞穴になっており、真っ暗。目が慣れてくると底に水がたまっているように見える。ここだ、ここだ、教えてくれた所は。ほとんど光が届かない。人の手が全く入っていないので、薄暗い中を恐る恐る岩を伝って降りる。ホテルのひとによると1985年のViti噴火以降、温泉の温度が上がり、一時、入れなくなったが、今はだいぶ温度が下がったらしいとのこと。入れることは入れるが、管理している人がいる訳でもなく、気をつけてください、との注意もされた。表面を触ってみるとだいたい50~55度くらいかな。下北の薬研温泉と同じくらいけっこう熱い。入れなくはないと感じたが、なんせ、深さが見えないし、温泉源も見えない。へたに入って足がつかなかったり、温泉源にはまって大やけどという危険性だってあるだろう。残念だけど足湯で我慢した。どこから湧いてどこに流れて行くのだろう?そんなことも不思議な洞窟温泉。その後は溶岩原を突っ走ってミーバトンスパへ行った。地熱発電所からくみ出した温泉を利用して大きな露店スパがあるのだ。色は乳白色。自己分析では微塩、アルカリ泉。浸かっていると表皮が少し溶けてぬるぬるしてくる。白いのは炭酸カルシウムが多いのじゃないかな。アトピーの肌にとてもしっくりくる肌にやさしい温泉。西洋人向けに少し温め。表面に漂うお湯は40度近く日本人向け。だからプールの縁につかまってずーっと浮きながらはいっていた。命名、浮き湯のちにアイスランドいち名高いブルーラグーン温泉にも入るのだが、ブルラーグーンは塩がきつい。私はミーバトンネイチャースパの方が断然おすすめ。レイキャビクから遠いけどね。。。。ちなみにホテルのお湯も温泉だった。湯をひねると硫黄の臭いが漂うのだ。温泉天国、アイスランド。スパの入り口付近にソフトクリームのような岩が。とろけて流れてきた溶岩がとぐろを巻いて固まったのだろうな。明日は晴れてくれるかなぁ。
June 14, 2010
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09年9月11日、アイスランドはミーバトン地区旅行記、ようやく半分まできた。さて、湖畔に広がる奇妙な光景。これはなに?巨大たこの吸盤?たくさんの小火口群に思える。クレーターの底。深さ3~4m。降りてみたらあり地獄がでてきた、というようなことは無かった。遠くに見える火山は左からDalfjall, 真ん中がHverfjall, 右がLudentarskal火山。いづれも2500年前以前に爆発。この一見すると小さな火口群に見えるクレーターは実は火口ではない。古代、溶岩がミーバトン湖に大量に流れ込んだ際に湖周辺が沸騰し、湖畔の水が蒸気爆発を起こし出来上がったクレーターなのだ。水が煮立ってバブルがはじけた跡なのだ。この辺り全体に溶岩が流れ込み、煮立ち、方々の土中から蒸気爆発を起こした光景を想像するだけで楽しい。さぞかし凄まじい光景だったことだろう。次は北欧に住むトロル族がたくさん隠れているDimmuborgirへ行ってみよう!
June 12, 2010
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まだまだ続く09年9月11日、アイスランドはミーバトン旅行記。Reykjahlidからミーバトン湖に沿って南へ走って行くと右手にHofdi展望台が見えてくる。溶岩が湖に流入し、形成された複雑な入り江。風が吹き、肌寒いのも忘れて荒れ地の豪快な光景に見入る。丘の上に登ると360度の地平線が開けた。荒野にひとりぼっち。風鳴り、木々のざわめき。。。。。風来坊次はニセ火口群へ行こう!!
June 11, 2010
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Viti火口を除いたあとはHverir地獄谷見学。ヴィティを後にすると大きなKrafla地熱発電所が見えた。人口33万人のアイスランドの電力の66%が地熱発電。15%が水力発電。わずか19%が石油、石炭の化石燃料。今後全てをクリーンエネルギーに代える計画。なぜ日本で地熱発電にもっと力を入れないのだろうか?恐ろしい放射能のゴミを末代まで増やし続ける原子力発電を推進するのはおよそ賢い人類の選ぶ道とは思えない。原子力発電を推進するくらいなら温泉地の多い国立公園、国定公園での地熱発電所建設を検討した方が余程、合理的だ。特に大間に原発を作るくらいなら何故、下北半島に地熱発電所を作らないのだろう?日本有数の活火山半島に原発を作るなんて、なんて恐ろしい。それこそ、下北ならどこを掘っても高熱の温泉が出るのだが。まったくおかしい。下北は事故が起きても根元で封鎖すれば良いと国は考えてるんだろうな。アイスランドのチャレンジこそ日本は見習うべきではないだろうか?原発を作り続け、無駄に電力需要を求め続け、未来に瑕疵を生み出し続けて、現在の快楽を享受、食い逃げする我々世代の生活のあり方も考え直さなくてはならないと思う。Hverirフベリル噴気孔地帯(地獄谷)に行く。車を出たとたん、鼻を突く硫化水素の臭い。恐山の臭い。それにしても風が強くて寒かった。あちらこちらから熱湯、熱いガスが吹き出ている。大きな噴気孔。シューッという凄まじい音が聞こえる。熱いガスが吹き出てくる。地球のニキビ。音を聞きたい方はこちら。youtube山のふもとに広がる噴気孔帯を散策できる。噴気孔帯は寒さも和らぐほど暖かい。熱い泥の中からガスがぽこぽこと飛び出してくる。こんな"泥地獄"があちこちにある。見ていて、飽きない。生きている地球を実感する。別府の地獄巡りを思い出す。ぽこぽこ吹き出るバブルを見ていると飽きない。動画はこちら。パノラマ。別世界でしょ?地球誕生の原風景ってこんなかんじかも。まるで別の星へ来たようだ。Hverir地獄谷をあとにして、月面クレーターのような沢山のクレーターを見られるKleifarholarへ向う。湖畔の左手に大きなHverfjallフヴェル火山が見える。頂上が吹き飛んでおり、大きなクレーターになっている。2500年前に噴火とのこと。火口外輪をぐるりと散策できる。09年9月11日、ミーバトン地区、まだまだ続きます。
June 9, 2010
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09年9月11日。昨夜の疲れもあり、遅い朝食をとったあと、観光に出かけた。あいにく、小雨のパラつく曇天が恨めしい。今朝もカーナビは死んでいる。アイスランド北部では曇天でもカーナビは死んでしまうらしい。地の果てを変な所で実感。さて、ホテルで情報を仕入れ、まず、Viti火口湖でも見に行ってみるか!出発進行!と道路にでたとたん、前方の車が逆走!! って、君が逆走やねん。ぼっとして、つい左を走ってしまっていた。身に付いた習慣は簡単にはとれない。ホテルReykjahlisレイクヤリスを出発し、Vitiへ向う。あたり360度荒野が広がる。火山灰と瓦礫に覆われたやせた土地に、地衣類しか生えていない、まさに荒れ地。地の果てという表現がふさわしい光景に驚く。所々、道の脇から蒸気が噴出しているのが見える。Hverirフベリル地獄谷(なんて表現していいのかわからない)を見ながら左へ曲がる。至る所に瓦礫が転がる荒野がひろがる。遠くに二つの火山が見える。Vitiへ向う道。灌木と地衣類の紅葉。広い大地。Vitiビティ火口湖。1985年爆発。あいにくの雨で寒かった。Viti火口湖近くにある別な火口群へ続く荒れ地を歩く。ぼこぼことした溶岩が固まった地面を歩く。leirnnjukur火口群までちょっと遠かったので、寒かったし、途中で引き返した。アイスランド09年9月11日まだまだ続きます。
June 8, 2010
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昨年9月の秋休みを利用して4泊5日、アイスランドへ行ってきた。09年9月10日、レイキャビク近郊、ケフラビク国際空港へ降り立つ。あいにくの雨。アイスランドは8月後半からガクッと晴れ間が減る。わかっちゃいたのだが、オーロラを見れるかもしれないという淡い期待もして、9月に行くことにした。しかし、予報はあいにくずーっと雨。周りに何もない小さな国際空港。私はなぜか、稚内空港を思い出していた。短い旅ながら溶岩の奇形と湖のミスマッチな光景を見たくて北アイスランドはAkureyriアクレイリの近郊、MYvatnミーバトゥン湖へ2泊することにした。時間が無いので今回はスウェーデンに来て以来、初めて、レンタカーで移動することにした。午後5時に空港出発。ミーバトゥンのホテルの案内では350kmとあったので、アイスランドの妨げる物がほとんど無い道路では5時間みれば着けるだろうと思った。ちなみにアイスランドの地図はこんな感じ。レイキャビクは南西、アクレイリ近郊、ミーバトゥンは北東に位置する。アイスランドには内陸を縦断する道路は無いので沿岸の国道1号線をひたすら走ることになる。カーナビのおかげでスイスイ行けた。しかし、頭の中では常に、ミギ、ミギ、右を走るのだ、と繰り返しながらの走行だ。空港からでるとレイキャビクへ向う高速。早くもその車窓の光景に驚く。両側は火山灰の大地からなる黒い大地と溶岩の奇岩だらけ。どこもかしこも黒い大地。レイキャビクの走行がちょっと混みいってて恐かったが、カーナビのおかげで難なく抜けることができた。レイキャビクさえ抜けてしまえば、あとはほとんど信号や交差点がなくなった。レイキャビクから50km走って、海底トンネルに入る手前の光景。黒くて大きな火山。ひたすら走る、走る。辺りには高い木々がない。地衣類とかん木だけの紅葉。アイスランドは町と町の間が信号が無い。そして、家も人も全然見えなくなる。90kmで走行していても快適に飛ばせる。時折、対向車が来ると、むしろほっとする。それほど人気が無い、広大で荒れた大地をただひたすら走る。それにしても5時間も走ればミーバトゥンにつくはずだったのだが、5時間走った、夜10時にはようやくBlonduosという町のドライブインについただけだった。そこで、まだ半分しか着ていないことを知った。さすがに日も暮れてしまったというのに、まだ半分。旅程の読みの甘さを反省するも、後の祭り。なんとしてもホテルにつかなくては。一休みののち、ちょっと走ると、あれっ!!カーナビが感知しなくなっちゃった!衛星通信は雨に弱いというのは知っていたが、それほどの豪雨でもない。やはり、北極圏ゆえ、衛星とはつながりにくいのだろうか?かくして衛星から見て、地の果てな上に、山の裏に隠れた北アイスランドではちょっとした雨で感知が出来なくなってしまったのだ。これには参った。雨で視界が悪い上に、夜。人気の無い道に街灯なんかあるはずも無く、ただ車のライトを頼りに進まざるを得なくなってしまった。道路標識もほとんど無く、迷っているかどうかすらわからない心細さったら。アクレイリにやっと夜中の12時に到着。そこからミーバトゥンまでの道が道路標識でわかりづらく、ただ1号線を行けば良いはずだったのだが。。。。なぜか、国道がどんどん細くなり、道の周りには蒸気の噴出が見え、温泉の臭いが漂う。。なんか違う。湖も見えないし。と気づいた時にはアクレイリからはるか20kmも内陸に迷い込んでしまっていた。そこからアクレイリにもどる。ここで1時間もロスしてしまった。この時にはもう、家族一同、車中泊を覚悟していた。そして、アクレイリから本来の道をみつけ、ひたすら1号線を東へ向う。このまま走っていれば湖が左に見えてくるはずだ。と信じながら、道路以外になにも見えない暗闇をひたすら走ること1時間半、月明かりが左側で反射した。おぉ、湖だ。やったー!!!湖畔のホテルに着いたのは夜中の2時半。ホテルは入れてくれるだろうか?幸い、4つ星ホテルだったので、フロントが起きていた。怪訝に駐車場をのぞき込みに来た。「えー、今日予約していたんだけど、ようやく、たどり着いたんです。チェックインできますか?」と言うと、警戒がとけ、幸い、快く泊めてくれた。この時ほどきれいなベット、まっさらなシーツがありがたかったことはない。なんとか、かんとかたどり着いた、散々なアイスランド初日だった。ちなみに、帰りに車で距離をはかると、空港から650kmだった。そりゃかかるわ。10時間みないといけなかった。ホテルのページは直線距離表示と思われる。。。。
June 7, 2010
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5月1日、ストックホルムのヒュートリエのデパートに息子と買い物に来た時のこと。なんか、騒がしい音がしてきたので、通りをみるとパレードが来た。なんのパレードだろう?と思いながら、沿道で見学。楽団が通ったり、バラが投げられたり。それにしてもものすごく長~い行列。歩いているのはお年寄りから、子どもまで、ごく一般市民がプラカードを掲げて練り歩いて行く。プラカードを読んで、ようやく気づいた。あ、そうか、今日はメイデーだったか。社民国家といえばメイデーがとても重要な日のはずだが、私は一度もパレードを見たことがなかった。非常にたくさんの市民が、にこやかにプラカードに思い思いのメッセージを掲げて歩いて行く。メイデーの様子。youtube赤い旗がたくさんたなびく。ここはソ連か中国か、と思ってしまった私は赤色に対するステレオタイプな偏見の持ち主なのだろうな。赤に対する刷り込まれているアレルギーを自覚した。団結、発展、安全の文字が並ぶ。普通の人々がメッセージを発信する。感心したのは多くの移民組合も参加していたこと。これはシリア人会。シリア人にも民主主義の平等を、というメッセージを掲げている。他にもトルコ人会、ブラジル人会、イスラエル人会なども練り歩いていた。多くの移民が政治参加できる土壌が確立されている。若者に仕事を!と掲げる老人みんなで作る平等な社会。笑ったのは、子ども達にもっと宿題を!というメッセージ。息子は「ゲー、イヤだ~」と大声をあげていたが(笑)。息子の小学校はスウェーデンで例外と言えるほど宿題が多い。けっこう厳しい学校。一般的な学校は、宿題がほとんどないらしい。私のスウェーデン語学校の先生が、自分の娘は宿題がなさすぎるし、自主性を重んじすぎて心配だ、というほどだ。他には、失業保険料を今すぐ下げろ!賃貸住宅を増やせ、政権交替というメッセージが目立ったかな。ストックホルムは住宅難なのだ。市内は買うのは高くて、手が出ない。一方で借家が不足している。翌日、同僚に「昨日、ヒュートリエでパレード見たよ。赤ばっかりでロシアかと思った。」とぶつけると、ちょっと困った表情で「Nyaニャー、赤は社会民主主義の色なんだよ。」「へー。それにしてもすごい行列だったよ。1kmはあったんじゃないかな。」「これでも、年々、参加者は減っているし、政治離れがあるんだ。」スウェーデンがダメになるとき。それは恐らく、平和ボケで国民の高い政治への関心が無くなった時だろうな。どうも、この頃、床屋政談のような記事が多いのはメイデーに刺激を受けてしまったのだろうな。普通の人々が、普通のようにメッセージをアピールすることから変わる世の中もあるのだ、と実感してしまった。で、私が一番、強い印象を受けてしまったのが、このメッセージ。あなたと私は一緒に、より強くなれる。最大多数の最大幸福が得られる世の中、貧困者が無く、老いも若きも平和に仲良く生きられる日本。沖縄から北海道まで平和に自由に、それぞれの人生を楽しめる日本を望む日本の方々。あきらめないで、がんばろ。
June 2, 2010
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ストックホルムに素晴らしい春がやってきた。5月になると、みるみる日が長くなり、木々が芽吹いたかと思うと、あっという間に葉が生い茂り、花をつける。スウェーデンの春はせっかちな春。5月13日。Nacka Strand ナッキャ海岸へ息子とストレーミング(バルト海イワシ)を釣りに行ってきた。ストックホルムの自宅からわずか20分で行ける。Nackaはイワシ釣りの名所。春になると岸壁によりつくのだ。サビキでさおを小さく上下にゆするだけで食いついてくる。北海道のチカ釣り、イワシ釣りと同じ。簡単で楽しい。目の前はDjurgardenジュールゴルデン島。まだ、シーズンとしては早かったのだが、たった2時間半で大量に釣れた。全部で52匹。息子と一緒に開いて、骨を抜いて、調理をした。息子の強力な手伝いのおかげで、骨抜きも含めて、一時間で下ごしらえができた。フライにしたり、「ヤンソンさんの誘惑」につかったり、パン粉で焼いたりして、3度も楽しめた。ちょっと癖のある味。溶き卵を通したのちパン粉をマブして揚げた食べ方が一番旨かった。
May 27, 2010
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今日、スウェーデンオリンピック協会より、二度の金メダルを獲得した女子カーリングチーム、Lag Anette Norbergチーム アネットノルベリが解散するとの発表があった。チームノルベリは日本でも高名かと思いますが、先のバンクーバー五輪で、ドラマティックな金メダルを獲得し、2連覇をなしとげた世界に誇るスウェーデンのチーム。スキップ アネットノルベリ 43歳 銀行員 カーリング歴31年サード ルンド エバ 39歳 管理職 カーリング歴27年セカンド カトリーナ 40歳 会計士リード アンナ 36歳 エンジニア オリンピック前から今回が最後と宣言していたアネットノルベリだが、やはり、解散が決定された。ただし、アネットノルベリの去就は決まっていない。リードからサードまでの3人が引退を決めたということだ。15年以上も同じメンバーで世界を戦ってきた3人。それぞれ、仕事を持ち、夫と子どももいるママさん達。アンナ「このシーズンは私達にとって素晴らしいものでした。しかし、これからはカーリング以外のことを考える時なんです。」とりわけ、この3人は体力的に相当キツくなるはずだし、スキップを除いて引退を決めたのは十分に理解できる。やはり、スイープ免除のスキップと他のメンバーでは疲労度が異なるからなあ。アンナちゃんもあかちゃんとの時間を優先したいのだろうな、きっと。アネットは競技ルールが変更されるなら、スウェーデントップクラスのチームに加入し、続けたい意向のようだ。若手を従えて、3度目の金へチャレンジしてくれるのだろう。
May 24, 2010
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フィンランドの市場に見慣れない、トリュフを思わせるが、明らかにトリュフではない物体が八百屋のあちこちで売られていた。チブル星人のような形のもの。チブル星人どうもキノコらしい。どうやって食べるか尋ねると、スープにすると最高という。しかし、私が根掘り葉掘り尋ねていると、店の人が「このキノコは毒があります。少なくとも3回煮て、煮汁を捨ててから食べて下さい。」という。ゲッこの時は購入しなかったのだが、この話を私の病院のフィンランド人看護婦さん、レアさんに話すと"Det a**r ja**tte gott"「とってもおいしいよ」という。毒は3回煮るか、よく乾燥させれば無くなるから大丈夫と。。。「でも、恐いからいいよ」とこの時はお断りしたのだが、親切なレアさん、翌週に森へ取りに行ってきたらしく、ニコニコして、お裾分けをくれた、トホホ。断る訳にもいかず、いただいた。あ、これこれ。市場で見たのと同じだ。Murklaムルクラと呼ばれるキノコチブル星人みたいでしょ?いかにも毒がありそうな、怪しげな形。でも甘い香りがして、おいしそうなんだよなぁ。食欲をそそるかおりがする。私のキノコの本にも記載があった。致死的な毒キノコとある。Gyromitrinという毒があるらしく、細胞毒性が高く、劇症肝不全、腎不全をおこすとある。さらに、この毒は発がん性があることが知られている。さらに、ネットを調べると、フィンランドの衛生局かな?公式な案内が見つかった。Gyromitrinは非常に毒性が高いが、不安定な物質である。よって、入念な下準備でおおよその毒を抜ける。最低、一回5分以上煮て、煮汁をすてること。それを3回以上、繰り返すとほとんどの毒が抜ける。あるいは、最低3ヶ月乾かし、調理時に5分以上煮て、煮汁を捨てる作業をすること。閉鎖的な所でこの作業をすると、蒸気に含まれた毒や蒸散した毒で具合が悪くなることがあるから注意。乾燥作業も喚起のよいところで行なうこと、など、ギョットする説明が並ぶ。さらに、これらの作業で、ほとんどの毒は抜けるが、わずかに残る。ひとによっては、これでも劇症肝炎を起こしうる、とあった。ゲゲゲこんなもの絶対に食うべきじゃないよなあ。内視鏡のボス、ピーター先生もキノコに詳しいので相談。「ムルクラは食べたこと無いなぁ。はたして、命を賭ける価値があるだろうか」、と大げさな事を言う。レアにこの点を尋ねると、ちゃんと下準備すれば大丈夫、Ingen fara!インゲンファーラ心配ないよ。と笑い飛ばされるが、わたしゃ、臆病なのよ。まして、発癌物質まで食らうとは信じられない。恐るべしフィンランド人!で、結局レアに義理立てと好奇心にまけて、毒をくらうか、潔くあきらめるか逡巡している3日間のうちにビニール袋に入れておいたキノコがくさってましたとさ。ほっとした。フィンランド人の春の風物詩、ムルクラきのこ。フィンランドのフグか、こりゃ。うっかり、買わないように、旅行者はご注意を。
May 22, 2010
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4月26日から5日ほどフィンランドはヘルシンキの病院へ大腸内視鏡検査の講習へいってきた。北欧に来て以来、何度めかな?フィンランドの先生方、みんな紳士、淑女揃いで良い生徒さんばかりだった。フィンランド人はスウェーデン語を話せる人も多いが、もちろん、スウェーデン人ほど流暢ではない。そんなフィンランド人とスウェーデン語での会話は、ちょうど、私のスウェーデン語の練習にもよかった。内視鏡室はひろく、看護婦さん達はよくトレーニングされていて、至れり尽くせりだったなあ。とても快適に検査がこなせた。特筆すべきは患者さん!スウェーデン人が驚く、我慢強さ。スウェーデンの患者さんは我慢強い人が多いが、近頃は若者に怯えたり、神経質になる人が増えている。ところが、フィンランド人の我慢強さといったら、すごすぎ。痛い、と言うことや、怯えることが恥なのだろうな。それゆえ、いつもに増して、こちらが痛みを斟酌して気をつけてあげないといけない。招待してくれた内視鏡部長が利き腕にギブスをしていた。今は病休をとっているとおっしゃる。日本なら腕が使えなくとも外来その他で働かなくてはならないだろうと言うと、驚いていた。彼は約4週の有給病欠をとっていた最中だった。フィンランドでも、医療訴訟事情を尋ねてみたが、通常業務で警察介入や裁判沙汰にはならないそうな。北欧は皆、スウェーデン型だな。厚生省にあたる所が調査をし、あきらかな過誤があれば、注意があたえられるのみだそうだ。訴訟リスクが高い科は人気がない日本の事情を伝えると、そりゃ当然、と同意された。さて、講習の後は疲れを癒しに、プールへ行った。Yrjonkatu Bathイルヨンカツプールは1920年開業。90年の歴史を誇るフィンランド最古のプール。その内装、建築はローマ様式の浴場を思わせる大変ゴージャスな作りなのだ。表門内門映画カモメ食堂でも使われた、あのプール。でもね、このプールについて、映画では真実を伝えていないことがあるのだ。なんと、このプールは水着を着用しなくてもよいのだ。ヌードで泳げるプールだったのだ。映画ではみんな、水着をつけてたでしょ?でも、信じられなくて、恐らくほとんどの人は水着をつけているだろうと心配して、受付のおばちゃんに、「水着を持っていないのだが、借りれますか?」と尋ねた。「ここは水着は不要です。どうしても着たいのなら買えますが。」案内表を示して、「火曜、木曜、土曜日は男性の日。女性は入れません。だから、心配はいりません」と水着を着ないのが当館の流儀!といわんばかりに説明された。私は内装だけ見れれば良かったのだが、泳がない人は入館不可で写真は厳禁とのことだったので、勇気をふりしぼって入ってみることにした。どうせならリッチに、2階の一室を2時間借りれ、バスローブ、タオル、サウナ用のマット1セット12ユーロを購入してみた。プールはこんな感じ。プールに加え、4つのサウナとカフェがある。もちろんシャワーも。さっそく案内された小部屋で着替える、っていうか全部脱ぐだけだけど。プールをみると、ほとんどの人がスッポンポンで泳いでいた。老いも若きもスッポンポン。なんだ、本当になにもつけなくて泳いでいいんだ、と安堵する。しかし、フリチンで2階からプールに降りるのもなんだか、恥ずかしい。ガウンを着て、プールサイドにおりて、ようやく入水した。まぁ、誰も見てないのだろうけど、プールにフリチンで入るのはやっぱり恥ずかしい。いっしょのレーンではおじいさんが腰に浮きをつけて一生懸命フリチンで泳いでいた。若い人も元気よく泳いでいた。平泳ぎで恐る恐る泳いでみる。いったいどういう風に見えるのだろうか、という心配をしているうちに、プールに足が立たない所まで来てしまった。片方は水深1.2mだが、反対側は3mだったのだ。泳ぎの上手くない私はフリチンの心配などする余裕を失い、いつの間にか必死で泳がざるえなくなり、羞恥心もどっかへいってしまった。泳いだりサウナを楽しんだ合い間に2階の観覧席ではご飯を食べ、酒も飲める。で、眺める光景は素晴らしい全裸の男性が泳ぐ姿。上からだと、泳いでる光景がよく見える。ぷかぷか生っ白いお尻が。。。あーここからだと、さっき背泳ぎした時には全部見えていたろうなぁ。少しは酒の肴になっただろうか。。。フィンランドの郊外の家々、特に湖水地方は湖のほとりにサウナがあり、サウナで暖まった体を素っ裸のまま、湖に飛び込み、冷やすのが流儀。とっても気持ちがよい。雄大な景色の中に飛び込んで行く爽快感がたまらない。各種サウナがそろっている、このプールはそんな風に楽しむのだろうな。そして、サウナに入って、泳いで、小部屋で仮眠をとって、すっかりリラックスしてホテルに帰ったのだった。で、フルチン浴の感想。やっぱり開放感はあるよね。こちらでヌードビーチが多い理由がわかる気がする。フィンランドらしいサウナを楽しみたい方、古代の浴場の雰囲気を経験したり、開放感を楽しみたい方にはお勧めのプールです。小部屋から。こちらで再会した友人についても報告しておかなくては。1日だけ市内観光を旧知の知人と札幌のチームメートQチャンとした。フィンランド人で日本に19年滞在していたリトバさん、オッシーさんと養子のかおりちゃんにあってきた。かおりちゃんを育てるために、泣く泣く帰国されたご家族。小泉政権時のリストラの波に飲み込まれてしまったのだ。年金、医療、教育のことを考えると、母国に戻るしかなかったのだ。みなさんお元気でよかった。かおりちゃんもすっかり大きくなって。リトバさんも若く見えたけど、還暦だなんて。私達にとっては北欧の実家とも言えるご一家。末長く元気でいて欲しい。みんなでKauppatoriカウパトリ市場へ向う。メイデーの前日から街は大騒ぎになる。学生達がパーティーを開くのだ。学生のかぶる帽子が銅像にかぶせられていた。カウパトリの港。シリアラインの船が見える。映画、カモメ食堂では、この岸壁でもたいまさ子が携帯をかけていたのだな。「私のかばん、まだかしら?」この後、札幌のチームメートQさんが街を案内してくれた。来て、一ヶ月だというのに街を熟知していた。土地勘がすでにあるのは驚き。きっと歩き回っているに違いない。夜にはバーでカーリング談義に花を咲かせた。カーリングの強化には選手もそうだが、それ以上に組織、運営、審判、アイスメイクなど、選手の問題の前に、それを支える環境が追いついていないようだ。まだまだ、カーリングの歴史は浅いままだということか。で、Qさんとアカデミスカ本屋さんのカフェで一杯やったあと、お別れ。フィンランドでいちばん大きな本屋さんのカフェ。上等なワインもおいてある。ここは映画カモメ食堂で「さとみさん」が「みどりさん」と出会い、ガッチャマンの歌をおそわった、あのカフェ。映画で感じたほど大きくなく、こじんまりとしたカフェ。日本語のメニューあり。
May 22, 2010
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時の立つのは早いもので、4月のカーリング男子世界選手権を見に行った、コルチナ日記が終わらぬまま、ずるずると来てしまった。4月7日、カナダにイヤというほど世界との差を見せつけられたのち、阿部コーチにお礼とご挨拶をし、会場を後にした。コルチナを1300頃にたち、バスで約1時間かかる最寄りのCalazo駅へ行き、そこから鉄道でトレビソ空港まで向うのだ。合わせて4時間かかる予定。英語がちょっと通じにくい、イタリアゆえ、少しドキドキ。来る時は直行バスだったのであまり心配なかったが。バス待ちの間、カーリングカフェに入った。お店の前の樽にはカーリングストーンの絵が貼付けてある。ショーウインドウにはブラシが飾ってあった。はいると、狭い店内の至る所にカーリング関係の記事や記念品が飾られていた。見ると100年前からの記事がある。大会の運営にたずさわっていたコルチナカーリングクラブの設立は1900年。こんなイタリアの田舎町のカーリングクラブでも100年の歴史があるのだ。スウェーデンもそれくらいの歴史はある。カーリングはてっきりカナダとスコットランドが主流ののスポーツかと思い込んでいたら、北米ヨーロッパのスポーツなんだね。ここにアジア、オセアニア地区がくい込んでいくようになれば、カーリングも世界的なスポーツと言えるようになるのだろう。それにしても、ヨーロッパ、カナダの地域に根ざしたカーリングクラブ、文化を見るにつけ、日本が追いつくのは大変だと思う。カフェでお昼のサンドイッチを買って、ホテルAlaskaで荷物をピックアップ。フロントの俳優顔負けの二枚目のホテルマンに固く握手をされて「私の心の底からあなた達の幸福をお祈りします。」と言われ、熱いチェックアウトをした。息子は私の知らぬうちに折り鶴と折り紙のおもちゃを用意してプレゼントし、いっそう感激された。アリバジャーチ、また来るよ。グラッツェ!!バスでCalazoへ向う。イタリア北部のアルプスを縫うように走る。本当にきれい。11歳の頃にバスから見たはずなのだが、全く想い出せない。思い出すのはコルチナで昼食に食べた石けんのような固いチーズだけ。変な記憶だけ右脳に残っている。その固いチーズに今回は巡り会わなかったなぁ。アルプスに囲まれたCalazo駅に到着。日曜日で切符売り場はお休み。自販機で買う。買い方がよく分らず、子どものチケットが買えなかった。車中で買えばいいや。電車の表示がイタリア語なので今ひとつ心細く、車内のお客さんに行き先を確認。英語が通じないので地名とボディランゲージで尋ねると心よく教えてくれた。カラゾからベニスへの車窓も良いなぁ。次々と険しいアルプスが現れる。停車中、写真を撮っていると車掌さんが「こんにちは、どこからきましたか?」と日本語で尋ねられ、びっくり。日本で働いたことがあるそうだ。でも検札で「子ども料金半額が必要です。」と小さな声で告げられた。「じゃ、ここで買います」「車内では買えません」「え!?」「着いたら駅で購入して下さい」ということで親切に見逃してくれた。旅の不案内で失敗したのだろうと気をつかってくれたに違いない。トレビソ駅へ予定通り到着。2両編成の小さな急行。無事、激安航空Ryan airも事故なく、スカバスタ空港に帰ることもできた。息子との二人旅だったが(かぁちゃん、ごめん)、しっかり親のサポートもしてくれたし、なかなかたくましくなってきた。毎日ピザ三昧だったが。楽しいコルチナ、スキーとカーリングの旅だった。で、男子カーリング選手権のその後。我々が帰った翌日、スイスにようやく初勝利をあげてくれた。しかし、あの一生懸命応援してくれたスイス坊やに悪いなぁ、と思ってしまった。その後、少し、体が連日の試合に慣れたのか、調子が上向いたのかわからないが、次に強豪スコットランドとエキストラエンドにまでもつれ込み、結局、押し切られたのだが、多いに冷や汗をかかせた。この試合はユーロスポーツでバッチリ生中継されていたので、スウェーデンから声をからして応援してしまった。大会の予選結果は1位ノルウェー、2位カナダ、3位スコットランド、アメリカ。この4チームが決勝で争う。決勝は1位2位対決でカナダがノルウェーを破り、3位4位対決でスコットランドがアメリカを破った。アメリカは3,4位決定性へ回る。さらにノルウェーとスコットランドがやり、スコットランドが破れ、再度アメリカと銅メダル決定戦へ回った。結局、もう一度金メダルをかけて、カナダとノルウェーがやり、カナダの圧勝で全日程が終わった。優勝カナダ、2位ノルウェー、3位スコットランド。予選でカナダを破ったノルウェーは確かに手堅く、ミスのないチーム。パワーに少々欠け、派手さはないが。カナダより得点が先行すれば、勝機がでるのだろうが、カナダの序盤から大量得点を狙う、先行逃げ切りパターンにはまってしまうとどうしようもなかった。決勝の2試合とも先行逃げ切りにやられた。ノルウェーの精密機械のようなカーリングでも、カナダの先行逃げ切り作戦にやられると、取りかえしようのないことがはっきりわかった。やはり、スウェーデンのエディンがOSで見せた、カナダが崩れるまでとことんテイク、という作戦が現時点での最も有効な対抗策に思える。ということは、カナダに勝つには相当パワーを付けねばいけないということだ。3位スコットランドは予選でノルウェーに唯一の黒星を付けたのだが、決勝ラウンドは惜しくも敗退。さすがに年なのかなぁ。ちょっと鋭さが欠けたスミス兄弟だった。日本は結局、1勝しかできなかった。しかし、今回、世界との差を体感できたのは彼らの大きな財産になったに違いない。敦賀選手は世界レベルの選手の生い立ちと比べると、これからが全盛期になってくる頃。落ち込まずにがんばって欲しい。そして、若いチームメンバーの多くが常呂に残ってカーリングを続けるようだ。同じチームで10年やれば、きっと勝てるようになるにちがいない。是非、引き続き、がんばって欲しい。我が息子が倒しにいくまで(笑)。
May 14, 2010
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StockholmのStadsbiblioteket図書館の脇に小さい広場があり、冬を除いて露店が出ている。八百屋さんがたいていあるので、のぞいて見た。屋外市場の八百屋さんには中東、東欧からの移民が多い。野菜を選び、会計に並ぶと、エスニックな音楽が流れている。中東風な二人の八百屋さんに尋ねた。「この音楽はなに?」「アラビスカだよ」「じゃ、イラクから来たのかい?「そうだよ、どうしてわかったんだい?」「や、だって、イランならペルシスカ、ってこたえるだろう?音楽を聴いたって、トルコだかイランだかわからないよ、僕には」「どこから来たんだい?」「日本だよ。」二人とも表情が和らぎ、笑みを浮かべながら「おー日本から来たのかー。俺たちは日本人が大好きなんだ。尊敬してるんだよ」と、驚くほど喜ばれた。「僕もイラク人好きだよ。語学学校でたくさんのイラク人に会ったんだ。みんな友達さ」と言うとさらに喜ぶ。彼らも語学学校SFIへ通っていたらしい。実際、語学学校であったイラク人はみんな気のいいやつだった。そして、たくさんの日本のブランドを知っており、日本車に憧れている。ちなみに彼らとの意思疎通はスウェーデン語である。スウェーデン語学習の思わぬ効用。スウェーデンに来て以来、どうして、彼らが、現在のような理不尽な目に遭わなくてはならないのか、と憤りがつのる。そりゃフセイン時代が良かったという人はいないし、その頃からスウェーデンに逃れた移民にも出会った。それでもアメリカが侵攻してからの方が、はるかにたくさんの人々が殺されているし、フセインの恐怖、という物をはるかに凌駕する恐怖と屈辱を与えられ続けているのだ。こんな戦争に加担している日本。私は彼らと話すと、内心、何時も申しわけなさでいっぱいになる。多くのアメリカの部隊が沖縄から出撃している。普天間のヘリ部隊もそう。一刻も早く、沖縄から出て行って欲しいと思う。ちなみに私はスウェーデンに来る前は沖縄病だった。毎年、かならず、沖縄に癒されに行っていた。その途中に必ず、基地が見える。美しい沖縄に基地は要らない。命どぅ宝と命を大事にしている沖縄に基地は要らない。ましてや、他国人を殺しに行く基地は必要ない。平和の象徴、白ハトとなるか、汚れにまみれ、焼き鳥になるのか、鳩山首相が試されている。そして、日本人の知性と理性、意思も試されている。私はあきらめず、応援したい。人々の応援なくして、基地の返還はありえない。
May 7, 2010
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世界レベルの選手のフォームを研究カナダ、ライクロフト。この選手は石を持ち上げない、ノースイング。少し、前方移動から腰を持ち上げ、後方移動。腰を持ち上げる時に胸を張り、背中をのばし、アイスと平行になることを意識する。ひらがなの”て”を作るイメージ。腰を持ち上げすぎたり、低すぎたりしない。終始、目標を見ながら、右手(石)の前方押し出しから始まり、ついで、左足を前方移動、右足を蹴り出し、スライドに入る。投方の順番、石(右手)>左足>蹴る この基本動作が大事。終始、胸を張って、蹴り出すまでは背中がアイスと平行。このまま胸を張った状態で蹴り出しながら、腰(おしり)をぐっと前に突き出すと安定したフォームになる。スライディング中、おへそ、あるいは股間の下に左足があれば重心がぴったり安定する。スライディング中は少しづ状態を低くしながら、全身を軽く伸展するようなフォロースルーとなる。手を離すまで、目標と石が重なるよう集中する。リリースの際に、状態が低いほど、目標と石の関係が見やすく、狙いが定めやすい。反面、バランスが崩れやすい。ライクロフトやマーチン、その他の体の固い世界レベルの選手は地にはうほど、低いリリースはしない。それでも、うまく投げられる。状態の低さよりも個人の体の個性にあったバランスを取れる腰の高さを探すのが大事。ライクロフトのフォームは万人向きだと思う。とてもきれいなフォーム。ライクロフトとはちょっと違うのだけど、カナダ3rdの投球(youtube)次にカナダのスキップ、コーエのフォーム。この選手は石を後ろに持ち上げる、スイングスタイル。スイングは速い石を投げやすい反面、ノースイングに比べ、正確な方向に投げるのが少し難しい。だから、今はノースイングが主流。しかし、パワーカーリングの時代に、スイング式が復活してくるかもしれない。カナダでは両方の使い手も多い。コーエもドロー系ショットではほとんどスイングしない。前方押し出しから石を引き、腰を持ち上げ、スイングにはいる。腰を持ち上げすぎない。膝はくの字。腰を高く持ち上げすぎたり、膝がのびると、滑り出しで体が動揺しやすくなるので注意。滑り出しで胸がアイスと平行になり、"て”の字ができる。石の前方スイング、左足移動、蹴る。胸は常に反り返り、背を伸ばす。コーエは地べたをはってスライディングしていく。少しずつ体を伸ばしながら、低くなっていく。美しいフォロースルー。体が低いと、目標のブラシとストーンがずれていないかリリースの時に見やすいのだ。コーエの投球(youtube)日本敦賀選手の投球(Youtube)ハックの"て”の字から、スムーズなスライディング移動。そしてリリースに至るまでのストレッチ。3選手の動画で学び取りましょう。夏は陸上でフォーム固めだ。
April 25, 2010
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スウェーデンに暮らして、日本よりも不便なことは多々あるのだが、それは仕方ない。だって自分の国じゃないのだもの。しかし、全体としてとっても良く出来た国だなあ、素敵な国だなあ、と感激することはとても多い。ある日、アーランダ空港にタクシーを使った時のこと。アラブ系移民かなぁ、と思われる運転手さん。「どこから来たの?」「クルドから来ました。」「そうですか。じゃ、語学学校大変だったでしょう。今、通っているんだけど、なかなかスウェーデン語は難しいよね」お互い、へたくそなスウェーデン語で会話を楽しむ。スモールトークから、仕事の話しになり、私が医療関係者だとわかると「私は昨年、カロリンスカで腎臓移植をしたんです。」という。「へー、うまくいってるんですか。よかったですねぇ。」フセインに迫害されたクルド難民をスウェーデンはたくさん受け入れてきた。彼もそのひとりなのだろう。彼はそのことだけでも命を救われただけでなく、腎不全でもスウェーデンに命を救われたのだ。これまで、何人も様々な移植患者が私の内視鏡に送られてきた。腎移植、心移植、肝臓、肺、などなど。その中に移民、移住者も多く見られた。昨日、腎移植前のアフリカ系移民のスクリーニング検査が回ってきた。彼、いわく、スウェーデンに来なければ、私は当に死んでいた。スウェーデンの医療に問題が無いとは言わない。しかし、どんな人種でも、移民でも、難民でもひとたび受け入れた人達を、なんの区別や差別無く、等しく医療を受けられる権利を保障しているのはすごいことだと思う。移植ですら、ほぼ無料。イラク、イラン、クルド、トルコ、ソマリア、スーダン、アフリカ諸国から多くの移民を受け入れてきたスウェーデン。彼らの多くは就労に苦労し、低所得層だ。スウェーデン語の学習はもとより、生活環境への順応も苦労が多い。こんな彼らでも、スウェーデンはいったん受け入れたら、基本的権利を平等に保証する。偉大なことだと思う。日本やアメリカで彼らが移植が必要な病気になれば、まず、救われないだろう。どんな経済弱者でも医療で困窮させないスウェーデン。凄い国だと思う。
April 22, 2010
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4月7日、午前中に対Canadaとの一戦がを観戦した。ここまで絶好調で異次元カーリングを見せつけるCanada。昨日、ドイツに足を救われたものの、なぜ負けたのかが信じられない。一方、敦賀率いる日本はここまで一つも勝てず、おまけに頼みのスキップ敦賀が絶不調。昨日のような敦賀選手を私は見たことがない。復調無ければどんな恐ろしいことになるやら。。。。。で、第一エンド。先攻、日本。敦賀のラストショットはカナダの3つのバイターに対し、中央のガード裏に隠すカムアラウンドが求められた。これをミスると4失点してしまう。リンクのよく分らないうちから、こんなドローを投げさせられるのはつらいだろうなぁ。で、序盤にありがちなヘビーなアイスにやられ、届かなかった。CanadaのスキップKoeコーエはしっかりドローを決め、第一エンドで4失点。。。。シクシクついで後攻の2エンド。敦賀選手、またもラストストーンで点を取れず、なんと3点スチールを許してしまう。2エンド終了時点で7点差。いくらカーリングは最後までわからない、と言われてもいるが、これは絶望的な点差である。残難ながら、私の興味はカナダの選手のテクニックと作戦。攻略法を考えることに移る。コーエの作戦は一貫している。これはバンクーバーのケビンマーチンも同じだったが、リンクの読みづらい、序盤から大量得点を狙いにきて、大量点をとれたら、あとは逃げ切るパターンに徹していると思った。先攻であろうが、後攻であろうが、大量点がとれるまでは、ともかくセンターガードの裏に投げ込んでくる。たとえばこのエンド。第4エンド、日本が1点を取らされたあとの先攻。日本はスチールをしなくてはならない。しかし、カナダはセンターガードの裏にドロー系ショットを入れて、日本の石をずらすのも上手だし、センターガードを用いたレイズテイクで当ててくるのも上手だ。従って、序盤はカナダが放り込んだドローの前に日本の石をドローし、カナダの石をバックガードに用いなくてはならない。そして、機を見計らって、中心を取りに行くのだ。このような作戦をとりあうと、センターガード裏にごちゃごちゃに石が溜まる。いわゆるジャムができる。ジャムになっている所で、日本の赤の石は最後までNo1をとれない。敦賀のラストショットでなんとかNo3になった。2失点でおさまれば御の字。もう勘弁してって感じ。しかし、カナダの得点への飽くなき欲求はとまらない。このジャムでいかにして追加得点をとるか、というのを考えるのが楽しいのだろうな。圧倒的にリードしているのに、しばらく相談する。そして、次のショット。4エンド、コーエのラストショット。(you tube)どうです、この小技。巧みなレイズ、レイズで黄色をもう一つ押し込み、3点。これがカナダのカーリングなんだなぁ。唸るしか無い。カナダはともかく、自分の石を残して、相手の石だけを出すのが非常にうまい。ひとえにショットが正確なのもあろうが、ショットの当てどころ、スキップの判断、チームワークが非常によい。たとえば、セカンドライクロフトのこのショット。カナダ先攻カナダの石だけを残し、日本の石を二つ出してしまう。(Youtube)どうです?バックガードがあるのに出されてしまうこのパワー。そして、わずかにセンターガードの横をすり抜けていく、正確なショット。パワーがありながら正確。すごいなぁ。3対10とボロボロで迎えた6エンド、日本先攻。センターガードを作る。その裏にカナダはドロー。巧みにセンターガードを外され、ハウスの日本の石もずらされていく。バックガードが2たつもあったのに、このとおり。いったいどうしたらいいんだい?悩むサード、スキップ。やっぱりフリーズしか無いよなぁ。最後はフリーズでしのごうとしたのだが。。。ほぼ完璧に決まったフリーズ。こうなると通常はまず出せないのだが。。。コーエのラストストーン。フリーズが。。。。(youtube)フリーズの垂直の軸が少しだけ斜めになっていると、こうはじけるのだなぁ。それにしても常人には、まずできないパワー。本当に石がどうはじけるか、カナダは熟知している。これで2失点ついか。6エンド、3対12でGive up。オリンピックからカナダの試合を見ていて、攻略法らしきものは、なんとなく思いついた。カナダの負け試合を見てみると、カナダは得点が先攻されると、持ち味を封じられる。つまり、序盤に大量得点を狙ってくる時間をしのいで、ワンチャンスをものにして、カナダより先行できれば、カナダは石をたくさんためるような、危険と裏腹な作戦をとれなくなる。ここがポイント。そうするとオーソドックスにカナダも先攻はセンターガード、後攻はコーナーガード、という戦い方をしてくるのだ。この流れになると、普通の作戦でやれることになり、今回、ドイツやノルウェーに負けたようなことが起きる。バンクーバーオリンピックを振り返ると、スウェーデン、ニクラスエディンの戦い方にヒントがある。カナダからスチールすることはまず不可能である。スチールしようとすれば、大量失点、逃げ切りパターンにはまってしまいかねない。それを避けるにはどうすればよいか?スチールするという考えを捨てるのである。ひたすら、クリーンにして1失点で先攻を乗り切ることだけを考えるのだ。ニクラスはケビンマーチンに対して、スウェーデンが先攻の時はとことんテイクに徹した。サーカスのようなテイクを連発させ、5エンドまでは互角。あわや大量得点というチャンスさえ作った。この、先攻の時にはクリーンにしていく作戦をとれば、大量失点はしないのだ。ニクラス達が昨年に比べて、ウェイトトレーニングに励み、ガタイを二回り大きくして、オリンピックに臨んで来たのは対カナダ戦でスーパーパワーテイクを可能にするためだったのだろう。そして、後攻で勝負を賭ける。ひとたびリードしてしまえば、クリーンにして逃げ切ってしまえばいいのだ。今のところ、カナダのジャムカーリングの攻略法はこれしか無いように思う。大量に先攻されてしまい、スチールが必要な展開になれば、まず、勝ち目は無いのだ。
April 21, 2010
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毒たっぷりの記事の翌日に、コルチナレポートをもってくる、この、適当さが持ち味の当ブログ。さて、4月6日、コルチナ、男子カーリング世界選手権4日目。朝から観戦三昧だった。快晴のコルチナ。今日こそ、日本の初勝利を祈る。朝一でビックネームのScotland 対 絶好調のCanadaの試合がある。どんな素晴らしい試合になるかと、ワクワクして見に行った。カナダとスコットランドの応援団の熱気もすごい。どちらも選手の練習時間から応援で盛り上がっている。Canada応援団: Let's go Canada, Let's go! bang bang!! レッツゴーカナダ、レッツゴー! バンバン(鳴りもの)おなじみのカナダの応援の直後に、スコットランドがレッツゴースコットランド、レッツゴー!とやった。すると、カナダのおじいさんが: Did you say something? (笑)だって。ほのぼのとした応援合戦で早くも盛り上がる。ほかによく聞かれたのは、どこからともなく音頭取りの声が上がり、"Give me a C", 応援団「シー」、"Give me a A" > エー。"Give me a N" > エヌ、"Give me a A" > エー、"Give me a D" > ディー、"Give me a A" > エー、"What hove you got?" > カナダ~これに引き続き、レッツゴーカナダ、レッツゴー、という流れが多かったかな。イニシャルバージョンはUSAもポピュラー。で、試合の方はこれが、スコットランドの調子が悪いのか、カナダの調子が良すぎるのか、スコットランドの小さいミスが続き、それをカナダが逃さず、得点につなげ、序盤から期待はずれの大量得点差になってしまった。5エンド終了時に6対1でカナダ先行。この調子じゃ追いつけないと、さっさと割り切り、スコットランドは握手を求める始末。審判に最低6エンドは試合を行なわなければいけないことを注意され、6エンドを行ない、結局6対2でカナダ圧勝してしまった。何とも期待はずれ。やっぱりおじさんチームは朝が弱いのかもなぁ。David Smithのクラシカル投法(youtube)試合は負けてしまったのだが、お昼に会場近くで遊んでいると、憧れのTeam Scotland, Smith兄弟達が現れた。ミーハーにも「チームスコットランドですね。ハミーマクミランと世界チャンピオンになったのを今も覚えています」とWarwick Smithに話すと、" Oh, It's long time ago"と返してくれた。記念撮影とサインももらえただけでは無く、気持ちが伝わったのか、コーチが、なんと彼らの所属する、世界最初のカーリングクラブ、Royal Caledonian Curling Club、Cortinaの文字が入ったオリジナルペナントとピンバッジをプレゼントしてくれた。もう、天にも昇る気持ちだった。きて良かったー!!次に午後は日本対スウェーデンの応援。スウェーデンの応援団と試合前にエールの交換。昨日はスウェーデンを応援したのだけど、今日はゴメンネ。" Det a**r OK デエーOK" と言ってくれた。それが、この日の日本選手団、ひどく体にキレがない。2軍のスウェーデンに2度もビックエンドをあっさり、与えてしまう。スウェーデンの応援団の男性も、スキップ敦賀のあまりのミスショットに"Vad sa**ger ni! バセイエニ?"(直訳は、なんか言える?だが、こんなことってあるだろうか!!てな感じで使う)。5-9で握手。残念スウェーデンの応援、面白い。スウェーデンは応援にたくさんのスウェーデン固有の歌がある。主にサッカーやアイスホッケーの時に聞くことができる。日本にも固有の応援歌や応援スタイルが欲しいな。中でも笑ったのが、スウェーデンチームがドロー系ショットでスイープに入ると「ヨッバ、ヨッバヨ~バ!ヨッバ、ヨッバヨ~バ!」と歌い始める。ヨッバってJobba!働けって直訳。頑張れっていう使い方になるのだけど、どうにもしまらなく、自分がスイーパーだったら笑い転げて力が抜けてしまうことだろう。で、日本のギブアップが決まったとたん、夏至祭を祝うときにおどる、愉快なダンスを踊られてしまった。いや、見てて面白いんだけどさ、なんかちょっとショック。やっぱり負けたあとにあの踊りを見せられるとやられた~って感じ。観客席を歩き回っていると、イタリアのTVアナウンサーが声をかけてくれた。「日本から来たんですか。札幌からですか。冬季オリンピックのあった所ですね。ジャンプは素晴らしかったですね。笠屋、覚えてますよー。」、私「コルチナは美しい所ですね。昨日はFaloriaでスキーをしました。こんな美しいスキー場は初めてです。」「ファロリアはアルベルトトンバが子どもの頃からトレーニングをしたところです。彼はファロリアから育ちました。」「あ、それで、トンバの大きな写真とサインがカフェにあったんですね。息子も世界に行けるかもしれないな(笑)。」「コルチナでも1956年にオリンピックがありました。そこでチハルイガヤ(猪谷千春)がアルペンで銀メダルを取りました。ご存知ですか。」「ええ、彼が未だに、日本の唯一のアルペン銀メダリストだとはしっていますが、コルチナでしたか」「そうです。その後、役員まで勤められましたね。」これまた、冬季オリンピックの歴史を本当に良くご存知で驚かされた。日本の選手のことも札幌オリンピックのこともよくご存知でとても嬉しかった。チャオ!って別れた。夜は、日本チームが気を取り直して、対デンマーク戦、何とか頑張って欲しい。私の見たところ、スウェーデン、デンマーク、スイスのどれかに勝てなければ、おそらく全敗してしまうと思っていた。で、なんと、ここまでそれなりに調子の良かったデンマークにエンジンがかからない。前半が終了し、4対1で日本がリードし折り返す!!この予選初めてリードでの折り返し。これは行けるぞ~~~、応援に力も入る。でも、デンマークの応援団にはちょっと借りがある。大会2日目のこと。日本の応援団が関係者を含め4人ぐらいしかいないのに見かねたのか、かわいい女の子達が、「Japanてどう発音するんですか?ヤーパン?ニホン?」「ニッポンだよ」って教えてあげたら、すぐにニッポン!ニッポン!ってずーっと応援してくれていたのだ。大会2日目も、3日目も。だから、日本の応援はちょっと気が引けた。しかし、心の中では強く念を送る。となりのレーンでカナダ対ドイツがやっていた。なんと、カナダの歯車が噛み合わない。いつも通り、イヤラシいほど石をためることに成功しているのに、仕上げのショットが微妙に外れ、大量得点ゲット後逃げ切る流れを作れず、苦労している。デンマーク対日本。こんなに石が溜まった所にラストショットなんて投げたくないなぁ。後半戦、デンマークが少しづつ調子を取戻し、逆に日本に疲れが見える。9エンドでついに逆転される。ここに力強い応援助っ人が現れる。9歳くらいの男の子。カナダとスイスのご両親を持ち、両方の応援を一生懸命にして、館内じゅうに声が響くため、アイドルになっていた。応援が受けることに調子づき、いろんなチームの応援を始めた。とりわけ、日本には一生懸命で、遠くからレッツゴーニッポン、レッツゴー。ニッポン、ニッポンと一生懸命、応援してくれた。ついに日本チームの席に来てくれた!!もう、応援が大好きで、あちこちに目を配り、日本を応援しているかと思いキャ、いきなり、ハップ、スイーとスイスの応援やカナダの応援、さらにはとなりのチャイナまで応援。ありゃりゃりゃ。もう、応援できればどこでもいいって感じで止まらない。しまいにはお母さんに口を押さえられて、「モガモガモガ~~」場内大爆笑に。。デンマークの女の子達、カナダxスイスの僕、応援ありがとう。で、10エンド、後攻ながら、2点をとれず、同点、延長戦へ突入。なんと、隣のカナダはドイツに足を救われ、敗戦。異次元カーリングも、運がつかずにうまくいかない時はあるのだな。日本の応援団にさらに、地元イタリアを応援していた大応援団が加勢してくれた。ニッポン、ニッポンの大合唱。なんとか、一勝をさせたい、といろんな国の人達が思っていてくれたのだな。みんな、ありがとう!!しかし、最後まで頑張ったのだけど、やっぱりキレのなさは補いきれず、最後はスルーで見せ場を作れず終わってしまった。(涙)大会4日目の2試合は本当に疲れがにじみ出ており、精度が落ちまくってしまった。時差の疲れがいちばん出てくる時機だものなぁ。日本選手は徹夜で試合をし続けてきたようなものだから。明日は朝にカナダ戦を勉強し、スウェーデンに帰る予定。この調子でカナダとやったら、大変なことになるだろうな。ヤバイ!!
April 19, 2010
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4月5日、日本対ノルウェー戦のあとは、晴天に恵まれたことだし、スキーに行った。Faloriaのゴンドラ乗り場から、もう一つのスキーエリアへアプローチできるTofana(Nel Cielo)行きのバスがでるのだが、運転手さんにどうしてもNel Cieloが通じず、おまけに短気な人だったので、地図を見せての確認すらできず。残念ながらTofanaをあきらめ、前日と同じFaloriaのゴンドラへ乗った。Faloriaゴンドラから。こんな断崖の上にスキー場が開ける。遠くにStaniusuの溝が見える。あんな細い所も滑れるのだ。ごんどら降り場からの光景。遠くの奇岩、5Torri(5つの塔)までよく見える。Faloriaゲレンデから。5TorriFaloriaゲレンデTバーリフトを登って裏側を望むFaloriaゲレンデからの景色息子は林の中を滑るのが大好き。しかし、この林間コースは全くコースになっておらず自己判断、自己責任で滑る。細くて緩急に富むルートを、力量に合わせて選択して滑る能力が求められる。けっこう大変。息子は10回以上クラッシュしてもへっちゃら。無邪気なもんだ。おまけにいったん起き上がると向こう見ずなのか、怖い物知らずなのか父より速く下りて行く。まってくれ~~Faloria側からCristalloを望む。ファロリアから下って、道路をはさんでCristalloへ登ることができる。Cristallo側からの景色。Cristalloには細い谷のコースStaniusがある。昨日は上方がガスでよく見えなかったコース。こういう所を滑れるだけで胸躍る。Staniusを降りて行く景色。Cristallo側から見下ろした光景。今年はヨーロッパアルプスでスキーをする機会に恵まれたが、すっかり絶景に魅了されてしまった。こんなスキー場ならなんどでも来たい。北海道には北海道の絶景が見られるスキー場があるが、ヨーロッパアルプスのスケールにはかなわない。レンタルスキーが充実しているのも気に入った。日本にいる時はスキーを持ち運ぶのがおっくうになってしまい、行く気が失せていたのだが、ヨーロッパスキーリゾート地のような快適なレンタル環境があれば、また、行ってみても良いかな。コルチナのスキーアリアは本当に美しい。こんな所で滑れて幸せだった。昔、父や弟と一度はアルプスやカナダでスキーを、って言う夢を語ったことがあったが、ひとりだけ、お先にごめんなさい。みんなの分も楽しんできました。
April 17, 2010
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4月5日、朝8時からバンクーバオリンピックで銀メダル奪り立てのノルウェーチームと日本の対戦がある。これははずせない。しかし、ノルウェーの正スキップThomas Ulsrudトーマス ウルスルは今大会には来ていなかった。サードのTorger Nerga*rdトルイェリ ネルゴルドがスキップを務めていた。今朝は天気が回復傾向。日本対ノルウェーのそばでScotland対中国がやっていた。スコットランドのチームはWarwick Smith and David Smithのスミス兄弟が率いる名高いチーム。実は今大会では彼らに会うのも楽しみにしていた。二人は10年前からの憧れの選手。Warwick Smithが1996年、25歳でスキップとして世界選手権をカナダのJeff Stoughtonジェフスタウトンと争い、惜敗する。その3年後、スキップのHammy McMillanハミーマクミランとともに1999年の世界選手権でまたもジェフスタウトンと戦い、エキストラエンドの激戦をハミーのドローで劇的な勝利をおさめたのだった。1971年生まれ、まだ39歳。今回はサードだが、お兄さんのDavid Smithはブラシを肩に担ぎ、タックで投げるクラシカルスタイルが特徴的。太い体をねじるようにしてスライディングしていく。あれでどうして体を壊さないのか不思議だ。彼はスキップとして世界選手権で2度メダルに輝いている。なんと、スコットランドチャンピオンに10度勝っている。1963年生まれ、47歳。彼らは二人で競い合ったり、くっついたりしながら10年以上も世界のトップレベルでプレイし続けている。私をカーリングの虜にした二人を生で見られてとても感激。チームスコットランドとスミス兄弟。左がデービッド、右がウォーウィックデービッドスミスのショット二人の野太い怒声を聞きながら、ノルウェー戦を観戦。ノルウェーは派手さが無く、さしたる大声を上げるわけでもなく淡々と試合を進める。クールな感じ。しかし、ミスが本当に少ない。日本の少しのミスに着実につけ込み、全く崩れなかった。クールな精密機械のイメージ。敦賀とネルゴルド。スコアボードにあるように1エンドで与えた2点、2エンドでスチールされた1点が重くのしかかる。ミスが無い相手とやると3点差が本当に重い。ノルウェーのパンツ派手。これはオリンピックでもちょっとした話題になった。カナダ選手の談話にあのパンツにだけは負けたくない、というのもあったなぁ。息子は「あ、ピエロのスボンだ!」って喜んでいたけどね。あんまり地味で、まじめなチームだから服で頑張ってみたのかなぁ?私は嫌いではないですよ。女子ではオシャレにスカートのチームもあるし。目の前で一生懸命スイープ。頑張れ!!先攻日本。敦賀のレイズダブルテイクショット(youtube)で、次にノルウェーはラストストーンドローをきちんと決めて、1点でしのぐ。本当にスチールができない。これだけ苦労して、ようやく後攻の相手を1点に押さえられる。ミスれば3失点という展開でレイズテイクってすごいよなぁ。しかし、これが出来ないと世界では勝負にならない。これも似た展開。日本先攻、敦賀のラストストーン。前の黄色をレイズして後ろの赤2個を出さないと3失点してしまう。上手にできました。そしてノルウェーは後攻ながら1点どまり。スチールのチャンスなんだけど、ちゃんとボトムにドローを決めてくるんだよなぁ。本当にスチールが遠い。結局4-7で敗れた。最後まで3点差を埋めれず、かつ、もう一度後攻の時に2点を上げてしまった。夜はスウェーデン対カナダ戦。スウェーデンの応援に行った。カナダの選手に懐かしい選手が一人いた。カーリングファンなら覚えているかな?2002年ソルトレーク五輪銀メダリストCarter Rycroft。当時25歳。ケビンマーチンの驚きのラストショットミスで金メダルを逃してしまったRycroft。33歳。Koeコーエのチームは33-35歳のチーム。円熟期に入り始めたチームなのだろうか?で、観客席にRycroftのユニフォームを着た中学生がいたので「ライクロフトの応援?」と尋ねたら息子さんだった。その後ろに奥さんがいた。「彼は息子なんです。私はライクロフトの妻で、こちらが娘です。」と丁寧に自己紹介してくれた。それが、スッゴイきれいな奥さん。「銀メダリストですよね。覚えてますよ。本当に惜しかったですね。ケビンマーチンのショットには驚きました。今日、彼の試合を見れて嬉しいです。」「Oh マーチン!(笑)ありがとう。」てな、和やかな会話を楽しんだ。カナダの応援団は本当に人当たりの良い人ばかりだった。みんなカーリングを心から愛してる感じ。ゲームだけじゃなく、カーリング精神もね。Rycroft以外、ぜんぜん知らない選手達だったけど、カナダ、すごいわ。異次元カーリング。カナダが後攻の時には本当に恐ろしい。まず、1点で押さえることすら難しい。ちょっとミスるとあっというまに3点、4点、失い、勝負がついてしまう。コーエの3点を決めるラストショット。(you tube)角度のあるアングルレイズテイクが簡単に決められてしまうと、センターガードが意味をなさなくなってしまう。もう一つ、センターガードにおかまいなく、2点を決めたラストショット。(youtube)嫌になっちゃうでしょ?カナダは後攻の時はセンタガードの裏に投げ込んでくる。真ん中に石が溜まった所でセンターガードを外しながら、真ん中の敵の石を巧みに動かしてくる。そして、自分の石だけは極力残すように仕込む。で、最後にいろんな角度からアングルレイズテイクで仕上げるわけだ。これをしのぐ先攻の作戦は今のところ、開発されてないように思う。その対策らしき先攻の作戦は見られるのだが、さほど有効ではないように感じた。どうしたらよいものやら。。。
April 13, 2010
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Cortina D'ampezzoは北部イタリアのアルプスの谷間にあるスキーリゾート地。標高1224m。4月4日はあいにくの小雨。厚い雲が垂れ下がり、アルプスの上方を覆っている。カーリングの日程を考えると、日本戦が一試合(対中国)しかない、今日はスキーに当てたい所だったが、気が乗らない天気。春スキーのできる所はゴンドラで2000m付近まで上がってからスキー場が現れる。こんな日に登ったら見えないのじゃないかという心配もあった。が、ごんぼほりの息子に負けて、スキーに行くことにした。レンタルスキーでも立派なスキーとブーツが借りれる。ロシニョールだった。ヨーロッパではスキーを持たずに来る人も多いのだろうな。靴もきちんと調節してくれて、日本の自分のブーツやスキーとあまり違いなく楽しむことができた。街からは2方向のスキーエリアに異なるゴンドラでアプローチできる。街の中心から近いFaloriaへ登った。やっぱり厚い雲の中じゃーん。あの中で滑るのはいやだなぁ。谷の上の雲から突然ゴンドラが現れた。視界悪いなあ。。。ゴンドラ終点から街を見下ろす。すごい崖。ちなみに、これは帰りの時に撮影。ガスがだいぶ晴れていた。Faloriaのゴンドラを降りると標高2123m。ここが険しい山々に囲まれた棚のようになっており、広いゲレンデが広がる。のだが、ガスで視界がほとんどきかない。10m位か。何とか滑れるくらい。さっそくリフトでスキー場の頂上Tondi2362mまで登ってみたのだが、ガスがさらに厚くなり、ほとんど周囲が見えなくなった。視界1m位。少し離れたら人も見えなくなった。自分のスキー板が見えない。息子は赤いヤッケなのでまだ少し見やすかったのが救い。しかし、上下左右、全て白い世界に囲まれると気が狂いそうだった。自分の体のバランスを保つ目標がなくなると体感がおかしくなる。必至で目標になるものを血眼でさがすのだが、なにも見つからない。あまりの集中力と平衡感覚の喪失でめまいがし、吐き気まで出始める始末。五里霧中がこんなに辛いとは。。。。リフト周辺は上級者コースなのだが、音しか頼りにならない。リフトのある方向に息子とズリズリと板をズラしながら横滑りですすみ、幸い100mも降りたあたりからガスが薄くなって、なんとかもとのリフト乗り場までたどり着いた。たどり着いた所でFaloriaゲレンデは閉鎖になった。そりゃそうだろうな。こんなガスじゃ遭難者が続出してしまう。その後は下方のゲレンデがガスが晴れていたのと、反対側の山Cristalloのゲレンデが雲が切れていたので、そちらで滑った。Cristalloの溝に狭いコースがある。Forcella Staunies。リフトで上っていくと大きな口に飲まれるようだ。Stauniesを降りてくる。両側を高い崖のはさまれている。ガスに囲まれたあいにくの天気だったけれども男性的な迫力ある光景を楽しみながら滑るのは、最高に楽しかった。さて、夕食を食べにホテル近くの5TorriというPizzeriaにいったら、なんと日本選手団とばったり。なんという偶然。うれしいことに10年近く前のことなのに、敦賀君は覚えていてくれた。彼は記憶力が抜群に良い。試合中もストーンの展開、作戦を全部覚えているに違いない。しかし、スキーへ浮気をしてしまったのがいけなかったか、中国に惜敗。んー3連敗。明日は8時からバンクーバー銀メダリスト、ノルウェー戦。これは見に行かなくては。
April 13, 2010
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さて、つづき。午後4時半頃にコルチナダンペッツォに到着。ホテル、アラスカに泊まる。14時のイタリア戦がちょうど終わった頃あたり。初戦を応援できなかったのは残念だった。19時からGermanyドイツとの一戦がある。これを観戦に行った。かってがわからないので、18時くらいに会場へ行った。コルチナの目抜き通り、歩行者天国のイタリア通りには参加各国の国旗が飾られていた。日の丸とコルチナ教会。外国で日の丸を見るとジーンとくるね。イタリア通りを北上すると5分も歩くと会場のコルチナオリンピックスタジアムにつく。入り口横には選手とお客のための仮設パーティー会場兼夕食会場が設営されていた。毎晩、ここでカーリングファンとの交流や応援団のパーティーが開かれる。日本もたくさんの応援団が来ていれば日本ディを開けたことだろう。カーリング会場内。全部で4シート。全ての席からカーリングが非常によく見える。全席自由で、移動も自由。いろんな国の試合を間近で楽しめた。世界レベルでの試合では試合前に各20分の練習時間が与えられる。その後、選手がファンファーレと共に入場してきた。おー、敦賀君だ、いたいた。懐かしいなぁ。実物にお目にかかるのは10年ぶりくらいじゃなかろうか?しかし、世界の舞台で日本代表を見るとジーンと来たなぁ。やっぱり私は日本人なのだなあ。あ、入場してくる時に選手の誰かが、自作のプラカードに気づいてくれたようだ。手を振ったら振り替えしてくれた。すげー感激。なんせ、応援団が私と息子しかいないのだから、日本選手団独り占め。超幸せ。ドイツとの試合は接ったエンドが続き、好試合となった。スコア上はせってはいたのだが、展開は常に難しいショットをスキップ敦賀に残され、それをしのぐという展開。日本の思うような試合展開には全然ならず、苦しいのをラストショットでしのぎ続ける展開。サード、澤向のショットスキップ、サードのツーショットドイツ3点に対する敦賀のラストドロー。ぴたっと中心に決まり、このエンドを救う。このような厳しい展開の中、もったいなかったのが5エンド。ドイツの調子が急に狂う。なんと3度もスルーがでた。これは初めてのビックチャンス、にしなきゃいけなかったのに、日本もおつき合いしちゃって、3つ甘いショットがでて、ドイツを救ってしまった。カーリングって不思議なもんで、相手の調子がゆるんだ時に、自軍も調子がゆるむことがあるんだよなぁ。でも、ここでつけ込まなくては世界では勝てない。その後も苦しい展開をしのぎながら3-4で迎えた8エンド。このエンドは日本の調子がぐっとよく、先攻でありながらスキップの番になる時には4つの石が中心にたまる好展開。初めて日本の猛チャージ。ところが、ドイツのスキップが第一投で日本の石を全てテイクしてしまった。すごいパワー(絶句)。そして運の悪いことにドイツのストーンが4つ円の縁に残る、いわゆるバイターが4つある状態。これじゃ、日本のラストストーンをどこに置いても丸見え。どうしようもセーブのしようがない。敦賀君も緊張したのか、右のバイターにフリーズの指示だったと思うが、スルーしてしまう。これまでずっと試合をセーブしてきた彼もここで力つきた。ドイツがラストストーンでドローを決め、5点奪取。試合を決めてしまった。残念。しかし、このエンドは日本は絶対に勝負を賭けなければいけないエンドだったし、展開はこの試合の中では最も良かった。ドイツのスキップのスーパーショットを誉めるしか無い。朝3時にストックホルムから移動を開始し、地下鉄のって、バスのって、飛行機乗って、バス乗って、ベニス行って、ボート乗って、またバス乗りついで、コルチナ入って、カーリング見て、長ーい一日だった。さすがに疲れた。
April 11, 2010
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