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八路軍の研究 4 八木哲郎 (前回のつづき)百団大戦(別に詳述)では、日本軍20645人、偽軍5155人を死傷させ、捕虜日本軍281名、偽軍18407人、消滅した敵拠点は2993か所、破壊した鉄道は474キロ、道路1500キロ,橋213か所、駅37箇所、炭鉱5か所、倉庫11か所、偽軍の反乱者1845人、日本軍投降者47人、解放した労働者10120人に達した。 第3 の時期―百団大戦後(1940年末)から抗戦5周年まで(1942年7月7日) (敵の情勢) 岡村寧次大将が後任となり、治安強化運動を強化した。華北を太平洋戦争の兵站基地として、日本軍は治安区(日本軍占領区)、準治安区(敵味方が争う遊撃区)、非治安区(我が方の根拠地)にわけ、それぞれの区域で対応を変えてきた。治安区では清郷、郷村の自衛力の強化、県境に土堤や溝をつくる、保甲制度の強化、連座制、不穏分子の摘発、食糧物資の略奪、など。準治安区では蚕食が主、恐怖と懐柔の両方を用いる。無人区の製造、封鎖線の構築。非治安区にたいしては掃蕩、三光政策の実施、いわゆる“鉄壁合囲”“捕捉奇襲”“縦横掃蕩”“反転電撃”など残酷極まる攻撃をしてきた。中共軍の解放区の縮小を図った。 抗戦4,5年目における中共軍根拠地に対する1000人以上の掃蕩は174回、使用兵力は83.89万人、1万人以上の3か月間掃蕩は15回、抗日根拠地の人民の生産、収穫などをことごとく奪い、我が方の生存条件をおびやかした。 1941年~42年、日本軍が新築、修復した鉄道は752キロ、道路3735キロ、封鎖溝11230キロ、新築拠点トーチカ7801か所で平原地区で増やす。 1942年10月、安達十三武官談話によると、トーチカは7700か所、壕11860キロ、地球の4分の1の距離であると豪語、すべて住民の強制労働と破壊した住民の家屋の材料を使って構築した。 交通建設では高架に変え、路軌にねじ釘を使わず、釘に変えた。重要地点には資材をおいて迅速に修復できるようにした。道路の両側に溝を掘り、深さ2.7メートル、幅4メートルをつくって重要道路の併行路とした。電柱は鉄筋コンクリート製にし、上に電灯をつけた。3.5キロごとに電話機をおき、ふだんに連絡を取った。トーチカの外側に壕をほり、鉄条網で囲い、重要箇所は電流を流した。保甲制度を徹底し、内部不穏分子の摘発、夜間も歩哨を立てる。交通線の拠点の増加でより多くの兵力が必要になり、偽軍を使用した。 1942年偽軍は34万に達した。山東省がいちばん多く15.7万人、ほとんどは国民党地方武装組織が寝返ったもの。 敵に発生した困難と矛盾は 1.治安強化運動で住民の奴役と略奪がふえ、民族矛盾が増大した。敵占区の住民のどの階層も生活が苦しくなり、敵愾心がつのってきた。 2.交通線の復旧と増設で兵力不足の矛盾がますます増え、偽軍依存、分散配置せざるをえなくなった。この結果、後方が空虚になり、偽軍依存もたよりにならなくなった。 3.日本兵の厭戦気分が高まった。普通なら2年で帰郷できるのに3年4年と長引き、いつ帰国できるかわからなくなった。何年たっても進級できず、下級兵は古顔にいじめられた。 (2)友軍情勢 第一次反共熱が高まる。友軍は山西、河北、山東、河南で80万(実際は50万程度)いるが、40万人は反共第一で、敵はその傾向を助長するため、降伏勧誘と威迫の両様の手段で和平会談に誘ってきた。それが不調のときは軍事圧力を用いた。1941年,敵は中条山戦役を発動し、友軍は3日間で壊滅した。俘虜10万、投敵2.2万人、閻錫山との談判は成功せず、日本軍は山西軍騎兵、第51軍を殲滅した。残存兵は2000にすぎず、3000人が投敵した。69軍も3個師5000人が投敵した。冀察戦区では6000人投敵。 これらの偽軍の中には地方情勢にくわしい者がおり、わが軍にとっては不利である。 (3)我が方情勢 1942年春、抗日根拠地は敵の掃蕩により6分の1に縮小した。人口は3分の1縮小した。河北中部、南部平原の遊撃戦では抗日根拠地はたくさんの小さい塊の遊撃根拠地になった。 我が方にとって非常な試練の年であった。敵後の敵後に進軍し、敵の心臓部近くに迫って、封鎖線の裂け目をつくり、こちら側が蚕食してこちらの抗日根拠地を増やす作戦を立てた。 其の方法は下。 (A)われわれが努力して抗日根拠地をつくるのは、闘うのによく、抗日の力がますからである。そのために行う工作は統一戦線を強める、33制の実行で、地主資産階級、小資産階級、無産階級の連合である。金のある階層からの税金をふやすが、過度なことはしない。減租減息(租税を減らし、25%とする、利子は1割)。交租交息(地主の土地所有権、財産権を保証、農民に貸した金が返せないときも土地を没収しない)。農民の負担をへらし、生活水準を高める。生産性の向上を提唱し、経済を発展させる、農業の増産、手工業の振興、必需品の自給、文化教育事業の発展、小中学校の増設、新聞出版を広め、人民の思想水準を高め、反ファシスト戦争の認識を高める。軍区を建設し、武装遊撃隊と民兵を育成するなどである。 反掃蕩作戦では、広範な大衆的遊撃戦争の方針の下、我々の主力の一部と民兵が協同して日夜闘う。民兵は地雷、石雷など巧妙に工夫して敵を殺傷している。 われわれは適宜に転身し、交通破壊、敵の補給線を分断している。 (B)遊撃区 蚕食政策には反蚕食政策で戦う。 正面では防線を築き、正規軍、地方遊撃隊、民兵と三位一体で敵の蚕食を断っている。平原地区では堡塁が林立し、活動が非常に困難でわれわれは黄蜂戦、地道戦、坑道爆破(敵の堡塁の下まで坑道を掘り進め、直下で爆発させる)。作業と遊撃戦を組み合わせている。われわれは敵の占領地深くまで入り、敵を覆す作戦である。 (C)敵占領区 清郷、武装工作隊を敵正面の封鎖溝垣をこえて拠点、道路、敵の格子網内に侵入し、中国人と中国人は闘うのをやめようとスローガンを叫び、闘う。 反掃蕩、反蚕食、反清郷の3つを結合して敵の前進をとめ、解放区の縮小を失敗させる。 われわれは敵の治安強化運動を破産させる。 抗戦4,5年で獲得した俘虜は偽軍33296人、反乱させた者9484人に及んだ。 第4時期―抗戦5周年から現在 敵方情勢 敵は新しい降伏誘導策として対華新政策を発表した。汪精衛政権が発足し、民族形式と地方形式で統治を解し。 抗戦6,7年の2年間 敵1000人以上の掃蕩 77回、使用兵力61.62万 1万人以上の掃蕩 22回 使用兵力29.7万人 掃蕩の特色は鉄壁合囲、駐守清剿の組み合わせ。 偽軍の大規模な寝返り、優秀な農民を青天白日旗の下に偽軍にさそいこみ、その数は47万人。汪精衛は反共を目指し、治安軍を剿共に整編する。
2017/06/05
八路軍の研究(3) 次に彭徳懐が行った抗日戦段階を示す。 第一時期―平型関戦闘(1937年9月25日)から武漢陥落(1938年10月25日)まで 第2時期―武漢陥落から百団大戦(1940年8月20日) 第3時期―百団大戦後(1940年末)から抗戦5周年(1942年7月7日) まで 第4時期―抗戦5周年から現在まで それぞれの時期の特徴を彭は敵方情勢、友軍情勢、我が方情勢にわけてまとめている。 第1時期 (敵方情勢) 日本軍は速戦速決で3か月以内に中国を滅亡させると豪語し、黄河以北を占領して棉花、石炭、鉄の産地を確保した後華中華南南洋まで南下する戦略だった。主要な敵国民党軍隊に対し日本軍は12個半師団合計約30万で正面から攻め、平、津、保定、石家庄、太原を占領し、北寧線、平綏線、正太線、同蒲線および平漢線、津浦線の北半分を占領した。 鉄道沿線と主要な都市にはトーチカを築いて防備した。 作戦の相手は八路軍とその友軍(後述)で日本軍に協力する偽軍は反共地方軍との合計約7万であった。 日本軍の戦術は突貫攻撃、単刀直入式から次第に分進合撃に変えた。 1000人以上の兵力による掃蕩は10回 1万人以上の兵力による掃蕩は5回 行った。 (友軍情勢) 抗戦初期は国民党中央軍、西北軍、東北軍、晉綏軍、河北の楊秀峯、山東の範筑先などの地方軍など75万で士気は一般的に高かった。しかし数度の戦闘、南口の戦、忻口の戦では国民党の勇敢な将兵の殉職が相次ぎ、破れて次第に戦意を消失していった。戦闘方法は正面単純防御で運動戦と陣地戦は結合せず、ゲリラ戦は行わなかった。闘っても局部的な小戦闘だけで、高級将校は死を避け、やがて抵抗せず、闘わずして破れた。大衆の支援というものはなかった。 (我方情勢)八路軍の参加は約8万。このうち4.5人が編成されて給与を受け、115,120,129の名称を授けられた。9月中原を出発し、黄河を渡って北進した。この時の我々の覚悟は長期戦、基本は遊撃戦であると認識していた。 115の師団長は林彪であり、副団長は聶栄臻。平型関(後述)で大勝した。その後は交通線の破壊、忻口会戦、娘子関の闘いで友軍を側面援助し、太原を守り、河北省とチャハル省の失地を回復した。120師 は雁門関で戦った。129師は陽明堡飛行場で敵軍の飛行機20を破壊した。129師は友軍の撤退を援護した。などなど。この時期は国民党軍の補助、側面援護的な役割をした。 1938年、平綏線、平漢線、北寧線、津浦線、同蒲線など2938キロを破壊した。 この頃、友軍との協同から単独作戦になり、敵の後方に抗日根拠地をつくり遊撃戦を行った。抗日根拠地は山岳地帯で、五台山、大行山、呂梁山など、敵が自動車などの機械化部隊で攻められずにすみ、敵の動きをみて集中して攻撃した。国民党中央軍の徐州戦、漢口戦に呼応して敵の生力量(兵力)の消滅につくした。 また偽軍5000を消滅させ、抗日政府管轄下の人民は1000万人以上に達した。 第2時期―武漢陥落から百団大戦まで(1940年8月20日) (敵方情勢) 1938年8,9月、日本軍は国民党側に対しては政治的な降伏勧誘を主にし、軍事進攻の重点を八路軍に移した。日本軍兵力は22個師団、44万である。3分軍事、7分政治方針とし、点(都市)と線(鉄道、道路)を固めたうえ、面に拡大する戦術で、池を乾して魚をとる戦術、区ごとに掃蕩する戦術、牛刀で鶏頭を斬る戦術などと言った。解放区をしめつけて封鎖を厳密にし、無衣無食の状態に追い詰める政策であった。 掃蕩の規模は大規模化し、抗戦2,3年間に 1000人以上兵力による掃蕩 109回、 1万人~2万人兵力による掃蕩 7回 3万人以上兵力による掃蕩 2回 6万人以上兵力による掃蕩 1回 に及んだ。1939年~40年における修復した鉄道は1870キロになった。我々の抗日根拠地を封鎖、きりとり、蚕食、掃蕩を行ったが、敵の弱点は兵力不足で、偽軍(皇協軍、剿共軍)の増強で行った。偽軍は1940年末14.5万人となった。 (友軍情勢)華北の国民党軍隊は抗戦から反共に変わり、解放区を匪区と呼び、1939年冬、第一次反共行動が高まった。日本軍は国民党軍と中共軍が闘っているときは観戦的態度を持し、国民党軍の攻撃を差し止めた。国民党には消極的だが抗日をすてない派と頑固派があり、頑固派は抗日より反共で、日本軍と通じた。 (我が方情勢) この時期はまことに苦しい時期で、遊撃戦と運動戦をおぎあいながら行った。軍民が共同して交通破壊戦を行った。1938年から1939年の間に4回の大掃蕩があり、敵は毒ガスを使用した。1939年7月は6万の兵力で9路から包囲して完全殲滅を期してきた。わが方は狙撃により阿部中将以下幕僚を戦死させる戦果をあげた。機械化部隊で侵攻してきたが、我が方はよくこれを防ぎ、根拠地を固めた。 敵の囚籠政策に対して我が方は交通闘争を発動した。交通闘争とは、軍事闘争ではなく大衆闘争である。軍隊と人民が結び、鉄道の両側に建てた敵の封鎖溝や堤を破壊した。特に敵が物資を運ぶ幹線には5人以上を動員し、抗戦3年目に華北全体で2660キロの鉄道、8200キロの道路を破壊し、電柱42220本を引き抜き、電線10926キロを奪った。4年目にはさらにそれを増やした。 平原地区作戦では、深さメートル、幅1.7メートルを掘り、敵はわが軍を射撃できないようにした。 敵の拠点を取り除く作戦は、6つの方法を使った。常時的な襲撃、強攻、釣魚 敵をおびき出して伏撃する、敵の拠点付近までしのびこみ、敵に対して意想外の襲撃、坑道を使って爆破、地道戦、村と村を坑道でつなぎ、退避や作戦を行う。特に日本軍が井径炭鉱から石炭を運び出す正太線を重点的に攻撃した。
2017/06/02
八路軍の研究(2) 1937年、中国共産党軍が国共合作して国民革命軍第八路軍となり、4.5万人3個師団が抗日戦争に加わってから、政権獲得まで18年間、どのような努力と幸運によってそれが実現したかをいろいろな資料をつかって説明します。 「解放区の戦場」(朱徳論文のつづき) 抗日戦争では戦場は2つに分かれた。主に揚子江以南の国民党の戦場と華北の解放区の戦場である。これが抗戦の特徴である。 八路軍の3個師団は、115師団は晉察冀(山西、チャハル、河北)、120師団は晉西北地区(山西西北地区)、129師は晉東南(山西東南地区)に最初に入った。1938年にはさらに東に進み、一部は河北省中央の平原、山東、河南に入るというふうに面積を広げていった。満州事変以降、北京、天津、寧波、上海、武漢、香港、広州などの大都市では秘密組織、農村では抗日運動を広げた。危険をかえりみず人民の中に入って抗日宣伝をするのは実にくるしく、堅固な信念がないとやれない。特に共産党が指導したのは1・29運動である。 1・29運動とは、1935年12月9日、北京、天津の相当多数校の学生が集まって大デモを起こして南の農村地帯にすすんで各地で抗日宣伝を行った運動(別に説明)である。これは中国人にとって屈辱的な昭和8年の塘沽協定、昭和10年の梅津何応欽協定にたいする憤慨から学生たちが蹶起した運動で54運動とならんで有名な運動である。 満州事変以来次々にこういう動きがおこり、とめどなく広がった。 満州国がもたらした憤怒の津波 これから書くのは中国側の資料と「華北の治安戦1,2」防衛省防衛研究所戦史室著を使う。両者とも公平で、信頼できる。すでに90年近くが経ち、歴史は被害者側から描く方が正しいと私は思っている。 1931年、石原莞爾がリードして起こした満州事変は、簡単に張学良の東北軍を覆滅し、関東軍は北満の黒竜江省まで攻め込み、1932年に日本の傀儡国家満州国をつくった。 中国は早速国際連盟に提訴して調停を求めた。 国際連盟はリットン調査団を満洲に派遣して、調査を行い、リットン報告書をつくった。 この報告書はかなり正確に調査し、結論の勧告案は、「満洲国は住民が選択したものではない。満州に移住したのは山東省の農民が多く、かれらは出稼ぎで故郷に残した家族に多額の送金をしている。そういう住民が中国本土と切り離して独立をもとめるということは考えにくい。あらゆる分野の中国側関係者と面接したが、独立を求めた者は一人もいなかった。 満洲国には政党もなければ議会もない、独立運動を起こした事実はない。あるのは日本人が権力を握っている行政院である。したがって満州国を認めず、ただし日本の既得権益は尊重するが、東北4省の自治にまかすべしとした。きわめて妥当なもので、中国政府は“自治”に不満はあるが、中国側に有利と判断して容認した。 日本は当然反対した。国際連盟はリットン報告書を認めるか否かを審議を始めた。東北は中国の領土であると認めた9か国条約のうち日本をのぞく英米仏独伊などの先進国は、日本に遠慮し、自分も中国に権益をもっているので、消極的な姿勢に終始したが、小国は中国を支持した。 国際連盟パリ会議で、141か国が報告書に賛成、1国が反対(日本)1国が棄権(タイ)で決着し、日本は昭和8年2月、国際連盟から脱退した。 東北4省には、張学良の東北軍5万がいたが、これがすべて満州国から長城の南に追い出されることになった。 この5万という巨大な塊が、つぎつぎに巨大な津波を起こすことになった。国境紛争が多発し、旧東北軍は山海関から熱河に侵入し、関東軍と交戦した。東北軍は敗け、山海関は日本軍が占領し、塘沽協定で、国境から南に一定の非武装地帯をつくり、東北軍は非武装地帯以南に撤退させられることになった。 関東軍参謀の土肥原賢二大佐は天津にある河北省長の王樹常が東北軍の協力者であるのが気に入らず、河北省から東北派を追い払うために謀略戦を行った。日本租界の明石街の某地に漢奸、やくざ者たちを集めて武器を支給し、河北省の建物を襲撃させた。この謀略のもう一つの狙いは、天津の静園というところに保護されていた元清国皇帝の溥儀を満洲に連れ出すことであった。溥儀は滿洲などに行くには絶対に嫌だと拒否していたのを、そんなどころではないぞと脅かして無理やり、日本軍の将校服を着せて関門を通過し、埠頭から船にのせて連れ出しに成功した。しかし謀略戦は、河北省側の保安隊が強くて、成功しなかった。しかし河北省長をより穏健な于学忠に変えさせた。 昭和10年、天津日本租界の親日新聞の発行者、白、胡氏の2人が中国側のテロリストにより殺害された。この2人は天津軍の宣伝機関としての使用人であったので、天津軍は重大視し、中国側に第一次要求をつきつけた。 その結果、梅津何応欽会談が行われ、東北軍(すでに国民政府軍の編成替えの河北省外への撤退、排日宣伝の禁止が決まり、于学忠の河北省政府を天津から保定に撤退させた。 また土肥原・秦徳純協定で、日本軍がチャハル省における諸権益を獲得した。土肥原は停戦区域ほか3県をくわえて殷汝耕に自治をまませ、冀東防共自治政府をつくった。 河北省とチャハル省は宋哲元を委員長とする冀察政務委員会が自治することになった。12・9運動はこれらの屈辱的な協定に若者たちが直接反応し、大規模な学生運動になった。後に八路軍におおぜいの学生が参加するきっかけになった。 朱徳の論文は日中戦争を開始した1937年から1945年3月までに八路軍・新四軍があげた戦績は大小戦闘11.5万回、日偽軍に与えた損害は96万名、捕虜28万名、偽軍の反乱に成功した者10万名、合計136万名としている。奪った兵器は砲類1028門、機関銃770挺、小銃43万挺、トーチカ3.4万か所、攻撃拠点1.1万か所としている。 1943年、華北派遣軍が行った総合戦果の報道では、 「敵の大半は中共軍で、蒋介石軍ではない。昭和18年度の交戦1.5万回の内、対中共軍戦は7分の5である。交戦した敵軍200万中、中共軍が半数以上を占める・・。今後華北の死命を制するのは対中共軍絶滅作戦の成否にかかる・・」 としている。上記の数字については、日本側は戦果の統計を行っておらず、否定もしていない(つづく)
2017/05/26
私は中国近代史のまとめとして義和団事件を書いたが、どうしても現在中国まで書かないと中国史が完結しないのでライフワークとして毛沢東の政権獲得まで書くことにした。 ただし「毛沢東研究」というふうに学術的になると、理論的になりすぎて面白くない。それでノンフィクション的に面白く読めるものにし、「八路軍の研究」とした。 今日強大化した中華人民共和国といえども、1936年、長征を終えて延安に本拠地を構え、抗日のために、国共合作して蒋介石から国民党第八路軍として編成されたときの兵力はわずか4万5千人、3個師団にすぎなかった。その軍隊がわずか16年後に中国大陸の覇者になったのだから、奇跡というほかはない。 八路軍を書くにあたってその主軸になったのは抗日戦である。発足当時は、その兵力は日本軍に対するにはあまりにも弱小、装備は欠如し、国民党の軍隊の20分の1にも満たなかった。 八路軍についてはまず、朱徳の「論解放区戦場(節禄)」をとりあげる。 一、 抗戦八年 朱徳は、毛沢東の「持久戦論」では抗日戦は3段階あるとしている。第1段階は日本軍の進攻段階、第2段階は相持段階、第3段階は中国側の反攻段階である。 第一段階は1937年から1938年10月の武漢陥落まで。 この段階で、日本軍は華北の大部分を制圧し、国民党軍は破れて南方に退く。日本は5省(北から綏遠省、チャハル省、河北省、山西省、山東省、)分離を図る。 八路軍は山西省、チャハル省の山地に根拠地を築き、敵後抗戦、すなわち日本の占領地区で遊撃戦を展開する。遊撃戦で勝ち、日本軍から失地を回復すると、それを解放区に編入する。解放区のことを国民党側は「辺区」と称したが、この意味は正規の国の行政区ではない地域という意味である。番外地みたいな扱い。一方、八路軍側では日本軍の占領区あるいは国民党頑固派の地域を「偽地区」とよんだ。 辺区には冀察、冀察晉、冀晉魯、冀晉魯豫などの字があてられて範囲を示す。 冀は河北省、察はチャハル省、晉は山西省、魯は山東省、豫は河南省をあらわす。 たとえば冀察晉辺区といえば、河北省、チャハル省、山西省の3つの省の一部にまたがった地域という意味である。 八路軍の辺区になった地域は、もとは国民党あるいは封建的地方勢力が占めていた地域を日本軍が占領し、八路軍が日本軍から奪回したもので、もともとは八路軍の地域ではない。だが、毛沢東は辺区拡大こそが抗戦そしてその先にある革命の目標だとし、取ったものは絶対に離さず、辺区の確保と拡張を目標とした。 ところが、国民党あるいは封建勢力にとっては、自分たちの支配地域だったところが八路軍にわたることに我慢できない。それで彼らは抗戦に消極的になり、様子見的になり、あわよくば日本軍が八路軍を追い出して、それが自分たちに返ってくることを期待した。したがって彼らと八路軍との抗争になる。極端な場合は日本軍と提携して八路軍を攻撃する事態になる。 第1段階は15か月かかった。第2段階では、国民党が政策を対日消極抗戦に変える。日本軍は武漢に航空基地をつくって四川省の重慶、成都、雲南省の昆明などを空爆するだけで、蒋介石に投降を促す戦略に変え、掃蕩する相手は華北の八路軍、華中の新四軍に切り替える。 日本軍の占領目的は、進駐兵力45萬を現地資源で維持しながら、平漢線、津浦線などの幹線鉄道と主要駅である都市を確保して軍隊の輸送、物資の輸送を確保し、石炭、鉄鉱石、綿花、塩などの資源を日本に移送する任務である。 第2段階の特徴は、日中軍間の残酷極まる血みどろの殺し合いである。日本軍の解放区に対する作戦で、在華日軍の65%、偽軍(日本軍に協力する中国人軍)95%の兵力がこれに従事する。この期間、国民党との戦場地域では重大な戦闘はない。華北で共産軍が日本軍をひきつけて置かなかった、日本軍は西南、西北つまり四川省まで攻め込み、国民党は支えきれなかったと朱徳は言う。 この国民党にとって余裕が生じたはずの5年半に、国民党は対日反攻の力を蓄えたかというと、彼らは反攻せず、第3次反共戦が高まり、徹底抗戦を行わず、全体が偽軍化した。 1944年、日本軍は大陸打通作戦(海上輸送が困難になったので、中国大陸の南北輸送を確保する作戦)を行った。この頃には日本軍は太平洋戦争で相当参っていたにも関わらず、河南、湖南、広東、広西などの広い地域をやすやすと占領している。国民党が相当無力化して証拠であると朱徳は言う。これが相似段階の後期の特徴である。 結論を先取りしていうと、華北5省で共産軍は力を増し、正規軍100万、民兵200万、その他自営軍1000万に拡大し、日本投降後、雪崩を打って満洲に攻め込み、国民党と激烈な戦闘を行って勝つことになる。(つづく)
2017/05/16
特権階級の発生 今度の文部省OBが変な組織をつくって頼みに来た人を大学に紹介したり、 月2回でるだけで年収1000万円で保険会社に天下りをさせたりするのは ほんとうに許しがたい。 こうしてコネで頼みに来た人を大学に就職させたら、その前にほぼ決まっていた人、一生懸命研究していた大学の助手がそのぶんだけ落ちてしまう。 寸前で職を奪われてしまう。役人だった人が学生に教えるのは何だろうか。役人の経験がそんなに教材になるのだろうか。 月2回でるだけで年収1000万の世界は、一定の地位とキャリアのある人の場合は無条件で1千万以上ということになる。それが特権階級の権威で、新聞社の編集委員や論説委員級の人が振興大学の教授、准教授になる場合もおなじである。 こういう人は退職金ももらっているし、年金もつくからやめたからといってすぐ食べられなくなるわけではない。そんなに国があっせんする必要はない。
2017/02/10
安倍首相が消費税10%値上げをまたまた延期したわけ今、首相はリーマンショック並みの危機だというが、G7では異論が出た。いまだにデフレ状態が続いているのは、リーマンショック級の危機ではなくて資本主義が終焉し、マイナス成長になってきたからである。消費税2%あげるのは経済への影響はあるだろうが、2%払う余裕のある人もいるのだから、増収分を困っている人に分配するほうが予定にかなっている。同一労働同一賃金を徹底するのがいい。14年11月にあれほど断言的に1年7か月後には消費税を上げると約束したのに、またまた2年半も先延ばししたのはなぜか。安倍さんは夏の参院選で与党が3分の2のシェアをとり、憲法改正の提議権を得て、国民投票で過半数にもっていけば祖父の言いつけである憲法改正を実現し、自分は歴史的使命を果たしたといわれたいためだ。だからこそここを先途と死にもの狂いで憲法改正をやろうとしている。消費税を上げたら夏の参院選でマイナスになるのを避けたいためだ。 消費は上向かない私は毎日貧乏生活を実践し、買い物などにもしょっちゅう行くから、人の買い物かごの中身までのぞき見するから、今の事情がよくわかる。リストラされたサラリーマン、だいぶ前に退職金をもらった中小企業のおじさんたちは長生きするのはいいけれど、長生きすればするほど貯金が減ってくるからこわくて金は使わない。家など財産を売ろうにもよほど都心でなければかつて苦労して買った価格の3分の1か4分の1。それでも売れない。家には古い家具や衣類、買いためたものがいっぱいあるから買う必要がない。ブック・オフの店に行って安い本や道具を買い、リサイクルショップで2000円程度で当座の着るものを買い、最近は物々交換という手も使われるようになった。人口は減る、高齢者は増える、給料は減る、仕事はない、ひろがっているのは貧困ビジネスである。政府がこれからやるべきことは、むしろ財政再建、福祉のために消費税の値上げはやむをえないことを国民に教えていくことなのではないか。
2016/06/02
舛添知事のたたかれ方 このごろ連日のように舛添東京都知事がたたかれているが、そのたたかれ方はすこし従来と違う。昔ならたたきすぎはよくない、やっかみととられるとこまると遠慮していたつつしみぶかいタイプの人までも遠慮なく歯に衣をきせずにたたいている。これは舛添知事の思い上がった姿勢にがまんならなくなったと多くの人が不快感を感じているからだろう。知名度があがって貴族のような存在になった人は舛添氏にかぎらずナニ界にいようとにたたかれることになることを予測させる風潮である。いつまでもその地位に独占的に居座っているのは、自分は長年の努力でその位置を築いたと思っているよいうだが、日本という国は権力者や知名度の高い人を必要以上に優先、優遇、ちやほやする社会のおかげである。それを支えているのはマスコミである。有名人が報道のネタ、したがってわれもわれもとテレビに出たがって露出度を多くし、顔を知られようとする。一方まじめに生きて社会に役立っている人はいつまでたっても無名で、たんなる消費者、納税者、労働者、視聴者、つまりお金を出す側の人として軽視される。これこそがかつての貴族社会、階級対立ではないのか。しかし舛添たたきにみるようにこれからは、もう黙っていないぞという風潮が雲のように起こるだろう。
2016/05/30
去年の秋から中国ものの現在史を調べていたのですっかりブログを書かなくなった。でも顧維鈞という中国の名外交官の膨大な回顧録、国民党諸将軍の回顧録などは非常に勉強になった。特にヤルタ会談で何が話し合われたかなど知らないことが非常に多かった。ところで最近驚くことは日本のマスコミの末期的症状。2020年頃には新聞は無くなるだろうということは十分理解できる。今日の朝刊を広げてみると各社とも熊本地震でエコノミー症候群が起きていることが1面トップ。こんなことはテレビでさんざん報道されたから完全な後追い、読むべき記事などない。政府のコントロールがきいて政治的な方面は自主規制していることがありありである。ある日の新聞朝刊40ページのうち13ページが一面広告、その他の広告、それまがいの宣伝記事を入れると70%くらいが広告で、読者は料金を払って広告を買わされているようなものである。こういう新聞を読者はいつまで我慢しているだろうか。新聞をとっている家庭は3割くらいに減っているというのはうなずける。新聞料金のコストは編集が40%、宅配費だそうだ。もし新聞が奮起するとすれば良質でこれなら頼りがいがあるという紙面を創る以外にない。宅配がなくなり駅、コンビニ売りになるだろうが、仕方がないかもしれない。
2016/04/20
14,16、18と国会デモに参加した。毎回ものすごい人の数で、18日7時ころに参加者は4万人を超えたと主催者は発表。それまでに帰った人、どんどん集まってくる人たちの出入りを勘定すれば、1日中に集まった人はそれを超えるだろう。歩道は前の人の背中にくっついて全く進めない。満員電車でもこれほどの混雑はない。老若男女いろとりどりである。私はこれまで今の若い人は政治には関心がうすく、時代に流されるだろうとみていたが、まったく認識を改めた。特に高齢の女性もふくめた女性が多いのに感服した。私のような超年寄りが杖を着いて駅構内の階段をふうふういって登っていると荷物もってあげましょうと何人もの人に声をかけられた。こんなにも人の情を受けるとはこれまでに感じたことはなかった。とうとう安保法案は強行採決されてしまった。安倍晋三は60年安保のとき、数十万の学生、労組のデモに囲まれた祖父の岸信介が耐え忍んだ自分も耐え忍べば、あとはなんとかなると思っているようだが、今後は岸のときのようにはいくまい。あのとき国会を包囲した学生はその後高度成長の波にのってビジネスマンになり、所得倍増という雰囲気の中で70年安保の時はまったくなかずとばずだったが、こんどはそうはいくまい。なぜならこんどのデモは学生でなく一般大衆だからである。国民の大多数が政治の嘘や詭弁を学習してしまったからである。来年の参院選が待ち遠しい。その時に今回学習した国民が断然反撃に出る。日本の政治が変わるときが来るだろう。
2015/09/20
マスコミの反国民的性格30日の国会を包囲するデモに12万人の人が集まり、全国で100万人以上の人が安保条約強行採決反対の声を上げた。国会前のデモは午後2時から始まる予定であるが、すでに1時には国会議事堂前の広場は人が入りきれないほどになり、文字通り立錐の余地もないほどであった。国会を取り巻く歩道は人、人、人、で遅遅として前に進まない。日曜日であるから車の通行はほとんどないにもかかわらず警察があふれる人たちがすこしでも車道にでることを禁止するからである。交通信号が赤になると行列はストップし、滞留し、すし詰めの行列がつづいた。さて、翌日早速コンビニに各社の新聞を買いに行った。デモを大きく写真入りで報道していたのは、東京、毎日、朝日で、産経、読売、日経にはひとこともそういう記事はなかった。NHKはほんのちょっと報道したが、それも野党の党首の映像をかかげていた。デモに参加した人たちは特に野党とは関係がなく、野党の党首があとから来ただけである。しかし野党の党首を出すといかにもそれは野党が指導しているかのような印象を与える。これは歪曲した報道である。いずれにしてもこれだけの人たちがデモに参加したというのは大きな出来事であるにも関わらず半分の新聞は報道しないというのは報道機関としておかしいのではないか。新聞というのは国民の味方なのか、政府の味方なのか。敵なのか。新聞やテレビを見ていたら、情勢判断を誤るということになりつつある。
2015/09/01
8月30日2時国会議事堂駅下車、国会周辺のデモに参加、12万人の人が集まり、とうとう国会正面には行けなかった。全国で100万以上の人が参加したようだ。ひとびとは老若男女、世代に関係なく網羅している。ごく普通の人たちである。女の人が多い。こんなことはいままでありえなかったことだ。国民はついに真実を見破る力ができてきたということだ。こういう平和的なデモを官憲が暴力で弾圧できるだろうか。もはやできない。憲法を国会で正式に議論して変えるという手続きを踏まないで、それができそうもないから一内閣で解釈で改憲するなぞということは普通の中学生でも違憲だということはわかる。故吉田茂首相の孫の麻生太郎、故岸信介氏孫の安倍晋三の二人が祖父の志を実現するために何が何でも安保法案をとおしてアメリカの力が弱まった分、助手としてのしあがり、日本を世界政治の主要プレイヤーになろうがために、最後の手段をえらばずの9月国会運営をやるだろうが、幼稚で劣化した孫、自民党の40代、50代の戦争を知らないで育った世代がアメリカのいいなりに植民地同様になり下がるのが目に見えてきた。
2015/08/31
7月28日、日比谷公園の安保法案反対大集会に参加した。あいかわらずすごい人の数で、会場に入りきれず、周りの道路、空間を埋め尽くしている。集まった人たちは26日と同様、老若男女年齢に関係なくぜんぶそろっている。新宿の人混みを移したような市民たちである。2万人から3万人はいるであろう。特定の団体とかいうのはほとんどいない。こういう現実があるのに、新聞の報道が少ない。朝日新聞の報道をみると、小さなスペースで一部のかたまりだけの写真である。全体の俯瞰図にすればもっと人数がわかるのにすごく遠慮した形の報道である。こういうのはおかしいのではないか。こんなに一般市民、それも年齢層さまざまの老若男女が自発的に集まってくるというのは日本の歴史にもなかったことで、大変化というべき事柄だ。それを報道しないというのは、新聞記者は鈍いとしか言いようがない。憲法改正を世紀の手続きで行わず、1内閣の解釈で行うというのは立憲主義の重大な変更で違憲である。立憲主義というのは200年以上もまえのアメリカ独立、フランス革命以来、人類が到達したもっとも合理的な社会の運営方法で、すべて人民がつくった法律で運用するという思想である。その法律は立法議会でつくる。このことを否定して一内閣で解釈改憲でやってしまうとすれば、閣議でなんでもできるということになってしまう。最近は中国の脅威などに踏み込んで、だから法的安定性などは関係ないと磯野という官僚が脅かした。米軍と一体化するというのがもっとも危険だ。米国は自国の兵隊を戦争に出せなくなったから、その補充を日本の自衛隊に期待しているのは明らかである。安全保障条約とはもともと戦争で勝った国が敗けた国の軍備を撤廃させて無力にするかわりに敵がせめて来たら俺が守ってやる。だから従え、という属国化、保護国化を要求する条約である。したがって自衛隊がアメリカの戦力に肩代わりするなら、日本の基地からアメリカは撤退して、安保条約を廃棄する方向に進むべきであるが、安倍内閣はまったく逆でますますアメリカの属国化を受け入れている。国民がこのことを感じて危険視してきたから、あれだけ多くの市民がノーを言っているのだ。
2015/08/05
26日2時から始まった安保法案反対の国会包囲デモに参加した。すごい人が国会をとりまいてどこも人、人、人だ。公園内にも大勢の人たちが地面を埋めていた。28日の朝日の報道は2万5千人、これとは別に渋谷で女性たちの2000人デモ行進があったという。集まった人たちは老弱男女まんべんなく網羅している。年齢の偏りもなく若い人たちがぐっと増えたようだ。ごく普通の市民である。60年安保の時は学生や組合員が多かったが、昨日の人たちは当時とはまったく違う。政党などの関与はほとんどない。警官の楯も警棒もみあたらない。実に静かにやさしく交通整理している。市民たちも警官の誘導を快く受け入れている。公園の中に水飲み場があるかを聞いたら親切に教えてくれた。いろんな団体の人や個人がかわるがわる演説していた。激烈な政治調は流行らない。しかし安倍晋三をアベと呼び捨てだ。アベが国民に相談もなくアメリカの議会で法案を夏までにとおすと約束したことがいかに国民の怒りをかっているかだ。自民党の支持率は30%代、この動きは地方に広がっているというからやがて30%をきるだろう。それでもアベは法案を通して討死するというのがみえてきた。
2015/07/27
西沙群島の中國の人工基地が問題になっているが、これは何のためか。池上さんの解説で空母の代わりにここに飛行場をつくるというのはよくわかった。日本のマスコミはマラッカ海峡の日本のタンカールートを妨害するけしからん障害物という書き方をしているがもっと深い解説が必要である。この海上ルートは日本のみならず、韓国、中国も依存している。地図でみると西沙群島は東はフィリピン、西はヴェトナムで中国からみたらこの2国は紛争当事国である。中国の立場でみるといちばん怖いのは東シナ海に面した沿岸を海上封鎖されることである。こうなると輸出入貿易もできなくなる。日中戦争のとき、昭和14年以降日本に海上封鎖されて米英からも物資が入らなくなった。仏印から雲南省に鉄道が敷いてあるので中国はここから物資を入れようとしたが、フランスは日本を刺激するとまずいので仏印経由の輸送を断った。そのうちに日本軍の仏印進駐で完全にルートがたたれ、ビルマルートでしか入らなくなった。こういう状態は南北の中国経済の基本ルートを壊すので、中国経済はめちゃめちゃになり、相当に痛い教訓であった。それで海上封鎖されないよう現在は海軍力を強化しているが、緊張状態になれば、ヴェトナム、フィリピンは敵対国になり、西沙群島あたりを通過する中国船のルートに障害が発生する。それで西沙群島の人工島に空港、海軍基地、港湾の建設を急いでいる。海上封鎖を防ぐための戦略基地として。ここは日本以上に中国輸出入物資のルートになるから、死活のポイントである。アメリカもここには手を出さないであろう。
2015/07/22
16日、自民党はとうとう安保関連法案11項目を多数で強行採決してしまった。参議院におくられたが60日たてばまた衆議院で可決すれば最終的に通過する。ではどうしてアベさんは自民党の支持率をおとしてまでしゃにむにやりとおそうとしたのか。ここに黙っている秘密がある。今、アメリカの軍事力は落ちているが、さらに兵隊を戦地に出すことはもう不可能になった。出せば死ぬし、死なないでも幻覚症状になり精神異常状態になる。それでどうしてもアメリカ兵に代わる兵力を求めている。私は最初こう推測した。アベさんはアメリカの軍事力がへこむ分を日本がカバーしてその分日本の対アメリカ発言力が増え、昔のような日本の国威が復活し、したがってアベさんの声威が高まるからだと。しかし今はこう解釈している。つまりアメリカにおどかされてせっぱつまったのだと。アベさんはアメリカに行って国賓待遇でアメリカ両院で夏までに安保関連法案を可決すると約束した。その約束通り夏までに可決した。しかし国民は納得しない。アベさんがくわしく説明すればするほど、あいまい、いいかげんになって日本国民の理解は逆に遠のいてしまう。私が案じている一番の可能性は、アフガンとかイラクに自衛隊が送られるということである。いつかかならずそういう状況をつくりだされてアメリカの強力な要請で自衛隊が送られる。
2015/07/21
資本主義は終焉するか 12ブローデルがその大著において言っているのは、資本主義はいったい、いつ頃から、どのようにして起こって来たか、どういう経路で起こってきたかを説明している。「交換のはじまり 1」では、18世紀までは、要するに人類は主に農業でメシを食ってきたわけで、(後進国では20世紀まで)、そもそも交換とは、需要の有る人間が供給できる人間から物を受ける、交換することからはじまるわけである。昔、交換はどこでおこなわれたかというと、大市というのがあって、周辺の村に住んでいる農民や職人は自分の家でつくった少量の農作物や日常器具などを、大市に持って行き、そこで物物交換したり、貨幣に変えたりし、一方で物を買って需要を満たした。大市は二ヶ月に1度くらい行われ、その間は供給者は次の大市までに物をつくったり、準備したりした。この間隙を埋めるものとして行商人がおり、各地を渡り歩いていた。行商人と言っても小規模の個人的なみすぼらしい者から馬で大量に運んでくるかなり大規模な供給者もいた。そのうちに常時同じ場所で商品を売る商店が生まれ、それが主流になった。ただし馬とか家畜だとか奴隷だとかの特殊なものは大市が継続して供給していた。しかし、大市をマネージする人間は次第に生産者の共同組合から、全てを包括して行う大商人の手にうつっていった。大商人が金を出し、物を集めてきて、売り、利潤をとって商行為にすることが普通になった。これらの大商人は卸売大商人といわれ、卸売りという名のごとく、商店に卸して売るようになった。ではこの卸売り大商人たちがどうして生まれて来たか。これが資本主義のはじまりである。農業時代、金持ちといえば地主だった。彼らは農民を搾取して地代を取り、大金を蓄積したが、彼らはその金を御殿のような大邸宅とか、ぜいたく三昧のパーティとか贅沢品に浪費し、貴族といわれていた。だから彼らの金は資本主銀は役立たなかったのである。(続)
2014/07/15
資本主義は終焉するか 10私のように後期高齢者になると、いっさい仕事が来なくなる。講演も執筆もさっぱり来なくなる。つまりお金を稼ぐことができない。成長はできない。これと同じように中小企業の多くは同じように仕事が来なくなっている。もちろんすべてではない、常に景気のいい会社だとか儲かっている会社はあるわけだが、大多数の中小企業はそうではない。大企業でさえ、今までの製品が売れなくなり、何をつくったらいいのかわからない、新商品をつくっても売れないという状態である。ごく少数の市場をすでに制覇しているとか、資金が抜群に豊富だとか、技術の蓄積が優れているとか、人材が雲のように集まっているとかいう会社は全く新しいビジネスチャンスをつかめるだろうが、そういう会社はごく少ないのである。ごく普通の日常的需要に対して供給することで会社がなりたってきたのに、それができなくなったというのは、水野氏の指摘のように資本主義が終焉に向かっているということなのであろう。ブローデルの本をよんでいると、12世紀頃から資本主義の萌芽がはじまり、スペイン帝国とオスマン帝国が地中海で向き合いその間にベネチュアとかジェノバとかナポリとかが地中海経済を形作って繁栄していたが、その世界がオランダ、ドイツ、フランス、イギリス、北欧などとむすびついた時に大市場ができ、地中海世界はあっという間にヨーロッパ資本主義にパラダイムシフトして消えたという話である。よんでいると、資本主義の沸き立つようなざわめきが聞こえてくる。西洋人はこういう時代を500年もしてきたので、進歩、繁栄、成功、闘争以外の観念はなくなり、東洋的な中庸だとか、足るを知るなどという概念はもともと生じなかったとしか言いようがない。しかし、今度は資本主義が花開くのではなく、しぼむパラダイムシフトである。いくらやっても成長しないとなったら、人々はどう思考と生き方を変えて行くかを想像すれば、資本主義が終焉した後の世界がかいま見える。(読)
2014/07/06
資本主義は終焉するか 9水野氏は資本主義の地理的、物的なフロンティアがなくなったことが終焉の始まりだとしている。地理的なフロンティアというのは、先進資本主義が有利に売り込める植民地や未開発市場で、物的フロンティアというのはつくって売る物やサービスがたくさんあったということである。ところが地理的なフロンティアはほとんどなくなり、物的フロンティアもなくなり、アメリカは製造物競争で日本に負け、行き詰まった。たまたま冷戦が終わり、ソ連からの核攻撃の心配がなくなったので、軍事技術を民間に流用した、どんなそれがIT技術で、資本主義の効率化がものすごく進んだ。また数学者みたいなエリートがレパレッジを組み替えたりして詐術的な金融ビジネスをつくったり商業銀行に投資を許したりして金融帝国化が進んだ。世界の金融資産は実体経済の4倍にのぼるようになった。これまでは資産は消費者が銀行に預金し、それが徐々に資産を増やしていったが、いつの間にか、そういう爪に火をともすようなやりかたではなくなった。それは人為的な暴力的な施策によるものだった。まず猛烈な物価上昇。例えば1973年の第一次オイルショック前までは1バレル2~3ドルで買えた原油がOPECにより11・2ドルになり、第2次オイルショックで40ドルになり、ついにリーマンショック直前に147ドル、今では100ドルで取引されている。このような物価高、アメリカは金利を上げて世界中から金を集め、その金で、冷戦後中国などの安い労働力にもとづく安値の製品を大量輸入し、それで莫大な利益を収めた。このような世界はまさに「地中海」の時代を思わせる。こうして実体経済に即していた物づくり日本の経済は利益率がすくなくなって、消費が低迷し、人件費は伸びず、年収20万円以下の非正規労働が3分の1にまで達した。悪循環を繰り返し、長いデフレになった。(続)
2014/06/27
資本主義は終焉するか 8ブローデルの「地中海」はようやく4巻目に入ったが、急に偶然的な出来事の羅列みたいになって面白くなくなった。それで別の巻「物質文明・経済・資本主義15-18世紀」に移ったが、こちらは想像力を刺激して非常に面白い。1巻目の「日常性の構造」で人口の話が冒頭に出てくるが、1650年に世界人口はどのくらいいたかというと一番少ない推定は4億7千万、うち、アジアが2億5千万、ヨーローッパが1億人、それが1900年になると、地球全体で一番少ない推定15億5千万、うち、アジア8億6千万、ヨーロッパ4億2千万という表がある(33ページ)。とにかく太古からアジアとヨーロッパに人口の大きな固まりがあって、それが次第に増加して、土地を開拓して増えて行き、世界中の地域にひろがったという説である。 こんな壮大な話の世界では、戦争とか、海賊とかによる略奪だとか、東の貴重植物である胡椒などを西に持ってくるだけでべらぼうにもうかったとか、金と銀の価値比率が決まっていなかったときは、金が異常に貴重な金属だと「信仰」されて銀を安く買い取って、これまたべらぼうなもうけが発生したという、おとぎ話に類する話がワンサと転がっているが、その一方で人類の大多数は極貧。例えば小麦は定番の食糧源だが、収穫量がすくなく、撒いた粒1粒が5粒、ひどい時は2粒、豊作でも7粒か8粒、それも2年か3年おきの輪作だったから手数が大変で、貧苦な農民は燕麦、粟、そばなどを食べた。日本ではひえを食べた。16世紀の「地中海」時代は資本主義を胚胎した世界だったことが想像されるが、ということは資本主義は本来的にDNA的にそういう要素を含んだシステムだといえよう。オランダでチューリップバブルが起きた話はマサカという感覚であるが、日本人もついさきごろ経験した。80年代後半のバブルの頃、下北沢の駅から十数分の土地が坪あたり400万円、それを三菱地所がふたつ返事でOKしたとか。いま、おれおれ詐欺で簡単に何百万も引っかかる人はあのときの感覚でそうなったのではないかと思う。話は「地中海」の方に飛んだが、水野和夫はアメリカは製造業で勝てないと知ると、すぐIT,金融に切り替えた。冷戦が終わると、アメリカはソ連からの核攻撃の心配がなくなり、軍事技術だったインターネット技術を民間に流用し、数学者みたいな人がいじりはじめて、資本主義がいちじるしく効率化され、おびただしい人が要らなくなった。そしてその後は、金融。寺島実郎氏によると、今実体経済で動いている金はGNP72兆ドルだが、世界の金融資産はその4倍の255兆ドル、これほどの金が蓄積され、投資でもうかる部分にあばれこんで、実体経済を翻弄しているという話はまさに「地中海」時代そのものではないか。(続)
2014/06/23
もうからなくなった資本主義もちろん一部の企業は儲けている。しかし大多数の企業がもうからなくなった。これにはいろいろな原因がある。まず市場が小さくなった。人口が減り始め、少子高齢化で若い人の数が少なくなり、若い人の収入が減っているから彼らは物を買わない。一方、65才以上の高齢者は4分の1になり、彼らは収入がないからものを買わない。30年後には日本の人口は8600万になるといわれれば、企業は大胆な設備投資はしなくなる。冷戦時代は社会主義圏は遮断されていたから、日本の企業はアメリカとヨーロッパ、東南アジアのマーケットをほぼ独占できたが、冷戦が終わると、社会主義圏の安い労働力の世界が世界経済に参入して、国内の価格水準が成り立たなくなり、先進国の企業は争って海外に生産基盤を移したから、国内が空洞化し、中小企業が成り立たなくなり、失業者が猛烈に増え、消費が縮まった。その多、国際競争力の“障碍”とされて人件費の抑制がさかんになり、リストラ、昇級の停止がやむことなく行われた。技術進歩がめざましく人を使わないですむロボット、IT、効率化システムが進み、コスト削減とは人を削減する同義語になった。それでも日本は物づくりでは世界の一等国、ジャパン・アズ・ナンバー・ワンと80年代から90年代にかけていわれた。やがてバブルが起こり、ポしゃった。冷戦が終わると、局面が徐々に変わって、長いデフレ時代に突入した。(続)
2014/06/18
資本主義は終焉するか 6「地中海」ようやく3巻目を読み終わった。2巻目からやめなくなり、ピッチがあがった。15世紀はもっともまとまった文明の世界が地中海で、東にオスマン帝国があり、西にスペイン帝国があり、地中街の中心にイタリアがあり、ベネチアがいちばん栄え、その他にジュネーブ、バロセロナ、モナコ「、ローマ、ナポリ、アレクサンドリア、などの都市国家が栄え、互いに取り引きしたり、争ったり、戦争したりしていた。その複雑さ、無統一、無秩序、格差の極大、海賊の横行、略奪、大量殺人など想像を絶する世界である。お金を儲ける手段もわれわれ東洋人のように額に汗して、コツコツ勤勉に、忍耐して貯めていくという世界とはちがい、たえず一獲千金をねらい、他民族を騙したり、奪い取ったりする。危険を冒して何十倍も儲けたり、海賊船で襲って奪ったりする。こういうやり方は西洋人のもので、資本主義は西欧人のつくりあげたものだ。これはアジアの儒教社会や仏教社会、イスラム社会とはまったく違う。われわれは高校の教科書で数行か1ページですます16世紀が5冊の分厚い本で語られると、にわかにリアリティがまし、当時の生きた人々の姿が浮かんでくるような感じである。そして今日まで続く西欧のいろいろなDNAがわかった。ブローデルはこの「地中海」がオランダとかイギリスにつながった時に大変化が起こり、「地中海」が死滅し、まったく新しい世界が誕生した事を説くためにこの大著を書いたのであると述べている。水野和夫氏はブローデルが説明した16世紀役120年間に起こった変化が1970年から進行し、あと何十年かで終わり、そのあとまったく新しいパラダイムの世界が生まれると言っている。どういう世界なのかはまったくわからないとしている。(続)
2014/06/15
資本主義は終焉するか 5水野和夫は資本主義の終焉の始まりの年を1974年としている。最後の資本主義の軍事的な拠点が弱体化したからである。この前年、1973年に第一次オイルショックがあった。小さな産油国の連合であるOPECが1バレルあたり2,3ドルで買えた原油をいきなり70%アップの11・2ドルまであげたのである。この結果、灯油リットルあたり400円、ガソリンは100円になってしまった。原油はそれから高下をくりかえし、今では100ドルになってしまった。一次オイルショックの時は日本中が大騒ぎになり、もう日本経済はダメになる、耐乏生活だということになり、トイレットペーパー買い占められて街から消え、銀座のネオンが消えて真っ暗になった。その後、日本は2割から3割の省エネに成功し、円高になったので、石油の高さを余り意識しないですんでいるが、他の国は大変だろう。さて、あのとき私は疑問に思ったのだが、なんであのときアメリカはじめイギリスなどの大国がOPECの国を軍事的に急襲して値上げをやめさせなかったのかと思った。あとで聞くとアメリカ政府内にもそういう動きがあったようである。1979年にはホメイニのイスラム革命の後、イラン学生がアメリカ大使館を占拠した事件が起こったが、このときもアメリカは手出ししなかった。アメリカがベトナム戦争に敗北したのをみて、OPECの人たちもイランの人たちもアメリカの覇権は終わったとみなしたのであろう。アメリカが最後に手出しした事件は9・11のあと、二代目ブッシュンのイラク侵攻であろう。(続)
2014/06/11
資本主義は終焉するか 4「中央」と「周縁」という言葉がある。我々はここ200年以上もの間資本主義は無限のポテンシャルがあり、地球の利用資源は無限だから成長は永遠に続くと楽観していた。特に先進国は。しかし実際は先進国の発展は周縁の未開発国の資源を奪いとり、安く買いたたいて手に入れ、地球上に市場を広げてきたからだ。未開発国や植民地の人たちは無知だから特に反対しなかった。この人たちは資本主義によって搾取される側だから周縁である。資本主義国は中央である。周縁は中央を支え、富ませる。周縁はや低開発国や植民地のみでなく、国内の労働者階級、農民など働くすべての人を含む。彼らは国内における周縁である。今で言えば、契約社員、非正規社員、無職者、アルバイトなどは周縁である。この結果、格差はますますひらく。今少しぐらい景気が良くなったように思われているが、だからといって周縁の人まで良くなった訳ではない。利子率=利潤率いまの10年国債の利回りは最大2%である。こんなに低い利回りでも国債を買う人がいるのは政府が保障するからである。というよりも国が機関投資家や銀行に負い前はこれくらい買えと国債を割り当て押しつけるからである。機関投資家は国債以外に信用できる投資先がない場合は買わざるを得ない。それにしても金利が2%以下、0・何%で借りられるというのは、言葉を変えて言えば、借りてそれをもとでにやる商売がないということである。だからいくら金がジャブジャブでも借り手は少ない。一般の会社がなぜこれほどまで儲からなくなったか。例えば粗利わずか2%儲けたとしても、金利で相殺総裁されてしまう。(続)
2014/06/10
資本主義は終焉するか 3水野氏が「資本主義の終演と歴史の危機」(集英社新書)を書いたのは、ブローデルの「地中海」が背景になっている。フランスの歴史家フェルナン・ブローデルの本は我が家に「地中海」のほか「世界時間」「交換のはたらき」「日常性の構造」の5冊揃えがあったので、また読み始めた。10年以上前に拾い読みしたときはあまり印象は強くなかった。というより、まったく理解できていなかった。それが水野氏の刺激で読み方が違ってしまい、面白くなってきた。10年前、1巻目で躓いてしまったのは、この巻は地中海の地理などからはじまって全く退屈してページがすすまなかったからである。それで今回は2巻目から読み出した。この巻は交換のことや貿易、手形、金や銀のことが書いてあり、だんだん面白くなってきた。なぜあのとき2巻目からよまなかったのかと悔やまれる。ブローデルは16世紀の地中海の経済構造のこと(1500~1720位)を書いているのだが、なぜ16世紀なのかというと、ローマ、スペイン、ベネチア時代以来長い間、世界は地中海周縁でのみ栄えていたが、16世紀の後半から海路、陸路で北ヨーロッパに通じ、アジア貿易、アメリカ貿易が始まり、スペイン、ポルトガル、オランダが独占して世界経済が一気に活性化し、パラダイムシフトが起きた。中世封建主義から資本主義への移行がはじまった。これは地球上で起こった最初にして最大のパラダイムシフトであった。この120年かかったパラダイムシフトがちょうど今1980年頃から起こり始めてあと数十年で資本主義は終焉するというのが水野氏の説である。彼はかずかずの予兆をあげて説明している。(続)
2014/06/09
私は数年前から資本主義はもう人類の幸福にはならないと考えるようになった。おそらくそうなり始めたのは1980年代後半になってからであろう。グローバリズムというものがいわれはじめ、ビッグバンなど人類の進歩だといわれた。しかし銀行が8%の融資資金を常時用意していないといけないということになってから銀行業界が大荒れになり、弱小銀行が整理され、合併がくりかえし行われ、いったい今の銀行は元何銀行だったのかクイズにもならない。これまでなんの支障もなくやってきた日本の銀行システムがあっというまに様変わりして、預金金利はゼロに近くなり、お金をたくさん貯金して老後は金利で暮らそうなんて考えることはできなくなった。もっと人間を不幸にしたのは人員整理である。人間はコストがかかるからどんどん減らす、余剰人間は資本主義の敵、じゃまになったのである。リストラも最初は希望退職者を募り、割り増しがついていたが、今はもうつかない。そのうちもっと人件費を減らすためにロボットを大量生産するようになるだろう。現在は働く人の3分の1が非正規社員であり、年収200万円以下である。こういう人たちは人生計画というものができないのではないだろうか。日本の法人税を20%代にする方向がきまったようだが、これは企業優遇というものではなくこうしないと大多数の企業がやっていけなくなった段階にさしかかったからであろう。日本の企業の得意なものは物作りだったが、自動車以外は物作りではくえなくなったといえよう。ソニーを見るといったい何屋なのはわからない。損保会社なのか興業会社なのかわからない。(読)
2014/06/04
資本主義は終焉するか 13月以来体調を崩して4月は入院半月に及んだ。4月末退院し、すこし体力が回復したので久しぶりにブログを再開しようと思う。私のような後期高齢者は年金以外はどう考えても収入というものがない。体力は減耗していくし、貯金は段々目減りする。毎日節約した生活をする以外にない。幸い、食べるもの以外は衣類、本などは在庫があるから買わないですむ。だが、毎日引き算して生きているわけである。これを経済用語でいうと、成長性がなくなったということであろう。考えてみると、高齢者だけでなく、多くの中小企業あるいは大企業でも成長性がなくなっている会社が増えていると思う。人口は減っているし、高齢者はもうすぐ3分の1に達するからこの人たちは消費需要には貢献しない。あとの3分の1は15才以下だろうから、国民のうち収入を得ているのは3分の1という事になる。日本全体が盛りを過ぎて下り坂を下りている。最近識者の中でも成長主義は終わりだという人が増えてきた。でも遠慮がちに言っている。こういう時に水野和夫氏の「資本主義の終焉・・」という新書を読んだ。水野氏は、資本主義は終焉しつつあるとはっきり言っている。私がここ数年来考えてきたことを裏書きする場合が多いので、これから考えて見ることにしたい。(続く)
2014/06/01
山田洋次監督が中島京子さんの直木賞小説を映画化した「小さいおうち」がベルリン映画祭にノミネートされ、黒木華さんが見事最優秀女優賞をしとめた。なんともうれしい。黒木さんは山形から出てきた東京の世田谷らしい中流家庭の女中タキを演じ、控えめで真面目そのものの女中役を実によくこなしている。昭和の初め頃は中流以上の家庭ではどこも女中さんを雇っていた。私の母の実家もちょうどこの小さいおうちに雰囲気もそっくり似通っていた。昭和10年頃から終戦にかけて実によく時代が表現されている。女中さんの縁談は雇った家が世話したものだ。女中タキに持ち込まれたのはなんと50過ぎの老人の後添えで、黒木さんがこの縁談を断るときいの涙がういういしい。松たか子演じる奥さんとタキが主人の会社の社員である玩具デザイナーに淡い恋愛関係が生まれる。私の子供時代の記憶では、昭和15年は実に豊で、日本橋の三越や高島屋には贅沢なものがあふれていた。銀座に行くときまってはのんびり歩き、三好埜などによく行った。それが15年の末頃になると急転直下世の中の状況が変わった。統制経済になり、物は配給制になった。世の中が急変する恐ろしさといったらない。国家によってむりやり資本主義の構造が変えられた。昭和16年に成ると油もなくなり天ぷらなどはつくれなくなった。砂糖がないから甘菓子も羊羹もお汁粉も食べられなくなった。肉は1週間に一人一切れくらい、卵も家長以外には渡らなくなった。母の実家は焼夷弾が落ちたが幸い消し止めて無事のこった。
2014/02/17
宮澤喜一氏の回想録によると、サンフランシスコ講話条約をすませた直後に吉田茂首相が宮澤氏一人を随員としてワシントンに行って安保条約のサインをした。アメリカの強制の下に行われた吉田茂の単独行動であった。この条約の批准を昭和35年5月19日、岸信介内閣のときに国会の審議をストップし、警官隊を導入して強引にしたので、学生、労働者らが国会を包囲して反対デモが猛然とおこるようになった。以来連日のように道路を埋め尽くすフランスデモが東京をはじめ各大都市で行われ、ついにアイゼンハウアーの訪日は取りやめになり、岸内閣は退陣となった。このとき、国民は健全な判断を示した。岸首相は国会を包囲しているデモ隊のシュプレッヒコールのテレビ画面で聞きながら、孫の安倍晋三を膝の上にのせて、国会ではあんなに騒いでいるが同じ日の後楽園では5万人の観客がいたし、ほとんどの人は無関心なのだよという意味のことを言ったという。岸信介は安保条約の火付け人として記憶されているが、本人自信は、今に見ていろ、必ず独立して憲法を改正し、安保を廃棄してやると語っていたという。彼は戦争に負けたくやしさから、戦前の大日本帝国の時代にもどしたかったのが本音で、かれにとっては戦後の民主主義はアメリカに取り込まれる過程にしかすぎなかった。孫の安倍晋三内閣が戦後レジームの修正といっているのは、祖父のDNAが伝わっているものなのかどうか。安倍内閣は憲法の解釈を変えて、集団的自衛権の行使実現につき進んでいる。岸信介のアメリカからの独立というDNAではなく、アメリカからクビにされないための先手を打って進んでアメリカの従属国となり、それで中国と対抗しようとしている。靖国神社に突然参拝して、中韓どころかアメリカ、ヨーロッパ、ロシアまでひんしゅくさせた。中韓は民間交流ももう棚上げだと言い出した。どうしてこのような極端な行動に出たか真意はわからないが、安倍は内閣支持が高いうちに、アベノミクスの効力が持続しているうちに、右翼層の固定的な支持がどこまで固められるかを試そうとしたのではなかろうかと思う。安倍は若い層を支持層に取り込みたがっている。これからは消費税は上がるし、物価は上がるし、大部分の国民の給与をあげることは困難である。消費税も10%ではたりず、20%にしなければ財政の改善はできない。国民にもろもろの負担を強いなければならない時代に政府としてできることは、国全体の雰囲気を変えるしかない。安倍内閣が思いついたのは、「国民の生命の安全を守る」「強い日本を取り戻す」、というサービス演出である。安倍首相はアセアン諸国全てを回り、アフリカまで行ってコマネズミのように世界中を駆け回り、帰国したかと思えばすぐ国内を回ってテレビに出る。その頻度は歴代のどの首相よりも多く、またあの顔かという感じである。しかしその軽薄感がついに靖国参拝で出た。このような無理な内閣の意図はすでに国民は見破りつつあり、もう長続きはすまい。
2014/01/16
安倍政権がねらっているもの 1 自民党が下野した3年間、権力を離したつらさをしみじみ肌身に感じたにちがいない。したがって政権奪取した暁には、2度と政権を離さないようにする計画を考究したにちがいない。この結果出てきたのが、アベノミクスである。アベノミクスの第一の矢で異次元とも言える超金融緩和で株を買い安くし、第2の矢でジャブジャブの財政出動をした。2013年5月までに外人投資家の株買越額が9.8兆円、今までに11兆円近い買い越しがおこなわれ、日経平均は1万5千円までに跳ね上がった。現在、アメリカの景気が立ち直り、外人株も他に行かないので、さらに上がる可能性がある。外人(といってもヘッジファンド)が買い越しなのに、日本の投資家は機関投資家が累計5.9兆円の売り越し、個人投資家が累計3.7兆円の売り越し、日本人投資家は外人におぶさって儲けている図でなんともいじきたない。このため、株で儲かった人たちがデパートで高級品を買ったりしていて話題になっている。一方、円安になって輸出代金の手取りが増え、ある輸出企業は史上最高の利益が出たなどの報道がある。事実あちこちで取り沙汰されていた大企業のリストラが先送りになり、ビジネスマンたちはボーナスが若干増えたもようである。だが賃上げのニュースはない。暮れの忘年会の会費は従来の6千円から8千円になったそうだが、瞬間的にでも豊かな気分になって酒がうまかったようだ。アベノミクスの第一の矢、第2の矢が指水になって第3の矢は企業みずからが立ち上がってデフレ脱却ができるかどうかであるが、これはあまりにも予想困難である。消費税8%~10%の山はあるが、それよりも年収200万円以下の人が2100万人もいて、いっこうにこっちのほうに収入改善の見込みがなく、円安のおかげで商品は値上がりし、実質収入は下がっている。巨大なデフレの氷山がそびえ立っていて、デフレが解消するとは思えない。4月になって消費税が8%になれば、自分はどういう消費行動をするだろうかと問うてみれば、他人も同じように行動するだろうという予想がつく。1部の人はよくなり後の人はよくならないというのが高度成長期と決定的に違いところだ。
2014/01/12
猪瀬さんがあっけなく辞任してしまった。誰が今度の都知事に立候補して当選するか。まったく予想がつかない。今度の東京都知事は、大きな役割がある。もし2期続けてやるとすれば、オリンピックの晴れの舞台で全世界のその名をさらすことになり、単なる一地方自治体の長以上にもっと大きな使命が託されることになる。私の希望を言うならば、薄汚れた政治的な色はごめんである。理性的に人格的にリベラルで、純粋で教養の豊かな人がいい。オリンピックの年まで2期つとめて、その存在が世界に深く印象づけられるような人に出てもらいたい。なぜなら、世界は全員参加型の社会にむかっており、戦争のない地球の実現に近づきつつあるからだ。このときに、全世界注視の中で、平和を訴え、戦争をなくそうというアピールは地球を熱く燃えあがらせるに違いない。1月15日頃が公示日で、投票日が2月9日だということになると、いったいそんな人がすぐ見つかるだろうか。東京の有権者は大衆的な人気などでなく、理性的な判断を優先して判断してもらいたいものだ。
2013/12/23
6日、上野公園に出てターナー展を観た。ターナーという画家は19世紀前半の水彩画家でずいぶんたくさんの絵を描いているのに驚いた。うすぼんやりともやがかかったようなうすい彩色の中にリアリズムの筆致で風景が描かれている。19世紀の前半頃の英国人はあのような風景をみなれていたのであろう。このような風景画のあとで印象派がまるっきりちがった感性でどっとでてきたことがよくわかる。そのあと池袋から丸ノ内線に乗り換えて国会議事堂前に言った。今日は参議院で特定秘密保護法案が採決される日である。行ってみるとたくさんの人たちが特定秘密保護法案反対のプラカードをもって出ていた。太鼓を威勢良くならして秘密保護法反対、悪報反対、絶対通すな、とシュプレッヒコールしていた。私が若い頃によく参加したデモのことを思い出した。あのころとちがうのは、昔は大量動員、赤旗の林立、プラカードは木でつくっていた。今は紙のプラカードは誰かがくばってそれを人々が胸の前に張り出している。石破のいうような付近に民家などないからすこしばかり連呼してもまったく迷惑にならない。すごく抑制のきいた人々だった。警官もそれほどものものしくなく楯は後ろにまとめて置いてあった。私は6時すぎに帰ったが、あのデモの人たちは深夜までいたようだ、近くの日比谷大会場では1万5千人が参加していた。この人たちは本物である。私は元気をもらってうれしくなった。それでもこういう国民の意思を押し殺して結局法案はごり押しして通してしまうだろう。自民党はこんなだと、長続きはすまい。こんな極端なファッショ政治はかならず打倒される。日本人はそんなに馬鹿ではない。
2013/12/07
石破茂という人はロジカルな考え方ができる人であり、人が納得するようにかんで含めるような言い方ができる人だという印象を最初はもっていたが、デモで連呼するのは、テロと本質は変わらないといったことで全く民主主義を知らない無知な人間だと思うに至った。デモとはどういうものか。国民が政府のやり方に反対であるということを、わざわざ時間と労力をさいて参加して意思表示し、頭数で知らせる方法である。目に見え、マスコミも報道するからいちばんいい方法である。デモに参加する人が多ければ多いほど、施政者は人々の意志を感じ取らねばならない。このデモは長い歴史で国際的に承認された抗議の表現であり、人や施設に危害がおよばなければ合法としてみとめられてきた。もし民主主義を余りにも強引に踏みにじる政府が現れたら、デモが荒れて一部暴動に発展する場合があっても、司法当局はこれを許容し、処罰も軽微にすませようとしたケースが数多くみられる。日中戦争が始まる前、日本商品ボイコット運動というのが中国全土で吹き荒れ、日本政府はこれは不法運動だとして国連に提訴したが、国際連盟は、中国政府が抗議するのにあまりにも弱体で、日本の一方的な軍事侵略に対抗できない場合に、群衆が自国の公益をまもり、侵略を防ごうとして、ボイコット運動をするのは、国民の権利としてみとめられるとした。デモはボイコット運動より遙かに穏健、平和であり、問題にならない位である。人類の理性とか知恵というものがこういうときにはたらくのである。石破氏はこういう歴史がわからない人であるようだ。
2013/12/05
さて、古市憲寿氏の話に戻ると、かれは世界中の戦争に関する博物館を回ってミシュランふうの採点をつけているが、われわれ高齢者は古市氏のような若い世代がかつての戦争についてどういう裁断を下ろすのかについて興味がある。彼の採点によると、中国、韓国、シンガポールなど日本の被害を大きく受けた国はとりわけ被害性を強くアピールして博物館の目的性を果たしているが、そうでない加害側の日本の歴史博物館はいったい歴史の何をアピールしようとしているのか不明であるという。古代の石器や矢尻などをやたらに並べている。これは"物"にたよって歴史を展示しようとしている態度で、梅棹忠夫は日本の考古学の方法を批判している。中学校や高校の歴史の授業ではやたらに縄文時代の話が多く学期末にやっと現代史に入るが、そこは駆け足ですませてしまうから、「誰も戦争を教えてくれなかった」ことになる。しかし日本人の大人でも戦争をどれだけ知っていたかは、疑問である。戦後になってわれわれ高齢者もやっと戦争に至る前後の歴史を知ったわけである。310万人の死者を出し、焼け野原になった犠牲を払ってやっと知るに至った。昭和7年に朝日新聞社が満州国の建国宣言に疑問を呈した国連調査団のリットン報告書全文を出版しているが、当時の報道や書物、講演記録などをみるとリットン報告書をことごとく無視したものが多かった。昭和7年(1932)から12年(1937)の日中戦争の開始までに昭和11年のノモンハン事件、昭和13年の張鼓峰事件などが起こって日本軍はソ連軍から甚大な被害を受けているが、当時こういう事実は報道されなかったからほとんど知ることはなかった。昭和11年の西安事件も知らされることはなかった。つまりリアルタイムではそういうニュースは国民に知らされることはなかった。戦後になって報道も出版も自由になっておびただしい事実を国民は知ることになった。だから大人たちでさえ戦争を戦後になって教えられた。今は戦後生まれの人が98%に達し、戦争を推進したり経験した世代はほとんどいなくなった。孫かひ孫の時代になった。それなのに韓国や中国から日本は謝罪せよ、賠償せよ、といわれると、そんなこと俺たちの知ったことかと若者たちは思うようになり、大久保で反韓のヘイトスピーチが行われるようになった。韓国の方も感情的になって、映画の話だが、まさかの北朝鮮と一緒になって日本にミサイルを打ち込む場面では観客が総立ちになって喝采したそうだ。日米韓というのは長い間一体として見られていたのに、なんという変わり方だろう。今安倍政権は戦争ができる法制度や体制をつくり、いつでも集団的自衛権をやろうとしているが、実際には、戦争の可能性は遠のきつつあり、宣戦布告を伴う戦争行為は人類は行わなくなるだろうと言われている。問題は歴史認識であるが、若い世代がこれをきちんとおこなうことによって事態が変わるであろう。ではどこをけじめとして、してはいけないことは何かである。サンフランシスコの講話条約で日本は多くの国との戦争状態を終わらせ、国連に復帰することになった。このとき、インドネシ、南ベトナム、フィリピン、ミャンマーなどの国を除いて、賠償を免除してもらい、賠償額も10分の1位にさげて日本の経済復興に役立つ役務賠償にしてもらった。戦争犯罪追求では7人の絞首刑と15人の禁固刑がきまった。私はこの講和条約が国際的に約束したひとつのけじめだろうと思う。東京裁判は勝者が敗者を裁いた国際法を無視した裁判であると強硬にいう人がいるが、公平な国際裁判などというものは存在しないのであるから、言っても仕方がない。これはひとつの戦争終結の手続きであり、日本に戦争放棄の憲法を押しつけたのも、戦勝国が決めた手続きであった。日本人は全体としてこの手続きを守ってきた。この憲法のおかげで、アメリカから再軍備しろという要求をさける手段にしてきたし、70年間、国際紛争を解決する手段としての戦争に関わることをせず、イラクに自衛隊が行った時も後方勤務ですませることができた。しかし、日本人の中には、今の憲法は日本の国力を根こそぎそぐためにアメリカが押しつけた憲法であるから、作り直すべきであるという意見があり、これは一般論としては正しい。しかし、A級戦犯の処刑は戦勝国が勝手にやったものであり、分祀せずにいつの間にか靖国神社に合祀し、日本の首相が参拝することは正当であり、外国からとやかくいわれる筋合いはないという人がいるが、これは外交を知らない人の勝手な論であり、日本人自身にとってもおびただしい犠牲を強いた戦争に導いた指導者は裁きを受けてしかるべきであり、終戦を1年早めれば100万人以上の人命を救うことができたのに、それをしなかった彼らは全くの無能であったと多くの日本人が感じている。韓国や中国のように日本から深刻な被害を受けた国が戦前の日本帝国の復活を警戒を抗議するのは、彼らの防衛的な論理から言って理解できる。しかしいつのまにか、国のために命を捧げた将兵をお参りするのは当たり前ですという論理にすり替えてしまっている。戦争を推進したり、参加した世代がもはやほとんど死んでしまって、孫かひ孫の世代になってしまった日本人に戦争の責任がまだあるのかという疑問、もうないという論、学校では歴史認識を教える必要はないという言説があるが、世界には歴史を記録した文書や人々の記憶・認識が山のように存在しており、消えることはない。もし、若い人たちが将来日本を背負ってたつ人材になろうとするならば、歴史認識を正しくもっていないとグローバル化した世界で活躍することはできないであろう。したがってこのための教育が絶対に必要である。中国を侵略した欧米先進国が中国にどう謝罪したかを探ったことがあるが、そういうことを聞いたり読んだことはなかった。しかし、第二次大戦で中国側の同盟国として援助したことでそれが帳消しになった。加害した分の半返しがあるかないかである。古市は戦争の記憶は年々薄れてゆくのが人間の自然であって、やがて後百年もすれば、戦争は忘れさられていくだろうとしている。それは自然のながれであるが、それにさおさすように大日本帝国の復活を賛美するような言説をなす者は、被害者に突然かつての恐怖と憎悪を思い出させるのである。
2013/11/24
古市憲寿が回った歴史とか戦争に関する世界の博物館が著書の巻末にでている。国立歴史民俗博物館、平和祈念展示資料館、しょうけい館、昭和館、遊就館、東京大空襲戦災資料センター、在日韓国人歴史資料館、アウシュビッツ博物館、侵華日軍南京大屠殺遇難同志記念館、9・18歴史博物などなど国内外47館を訪れている。それぞれの施設にミシュランみたいに自分で考えた評価店をつけている。それは、エンタメ性(どれだけ来館者を楽しませようとしているか。(目的性(博物館がメッセージを伝えようとする本気度)、真正性(展示している内容の真実性とアピール度)、規模(大きさ、公共性、資金投入量)、アクセス(交通の便利、立地など)の5つである。総合点順ではザクセンハウゼン記念館・博物館(ドイツ)が88点、アウシュビッツツ博物館(ポーランド)が84点、戦争記念館(ソウル)84点、ベルリン・ユダヤ博物館9ドイツ)80点、独立記念館(ソウル)80点、アリゾナ・メモリアル(アメリカ)76点、シロソ館(シンガポール)76点、ヨーロッパ・ユダヤ犠牲者記念館(ドイツ)72点、侵華日軍南京大屠殺遇難同志記念館(中国)72点であう。日本の記念館は点が低く軒並み50点前後。戦争とか戦争被害に関する博物館と言っても、そこに行く楽しさがないと、誰も行かないし、1度行ったら終わりになる。楽しかったり、学習度が満足されればリピーターになる。古市はそれを一番に考えている。古市が日本の博物館の目的性が低いとしたのはいったい何をアピールしたいのかがあいまいではっきりしていないと指摘している。たとえば千葉の国立歴史博物館は縄文・弥生の石器ばっかりスペースを取り、肝心の大正、昭和の展示スペースはほんの一部で、真剣に日本の近代史や現代史を伝えようとしている気がないとしかいいようがないとしている。真正度はきわめて重要であるが、これを如実に伝えているのは、言葉や文書ではなくやはりアウシュビッツに大量に残された犠牲者のメガネとか髪の毛とか靴である。当時の兵器とか銃弾とか、軍服とかの物であるという。古市によると、戦争の被害を生々しく伝えるやり方が次第に緩和してきて、全体的にエンタメ的になって来ているという。だから古市は恐怖感とか嫌悪感というのはあまり生じなかった。古市氏は今28才であり、戦争を全く知らない。したがってこういう遺品を見ても戦慄するとかいうことはなく、想像力が広がらない。かつてこういう被害を経験した人がしばらくぶりに訪問して、過去に見た物を見て思い出して戦慄するというのとは違うのである。中国や韓国の戦争博物館に行ったとき、日本人は古市だけだったが、中国人や韓国人は展示を見て興奮したり怒ったりするそぶりは見えなかった。また古市が自分が日本人であると打ち明けても、人々はアッケラカンとしてとがめ立てなどするようなことはなかったという。これはどういうことだろうか。もはや時間が経ちすぎ、戦争を想像することができなくなったのだといえよう。あの時代は物語の世界に入ってしまったのだ。私が子供の頃、日露戦争に参加した兵士から話を聞いても、そんな昔の話はピンとこなかったのと同じであろう(続く)
2013/11/15
上野公園を散策、幸せの時間を味わう。昨日は上野の芸大に用があって行った。はじめて芸大の中に入った。これほど快適なキャンパスはあり得ないだろうというほど贅沢な広さと緑の豊富な静寂さ。芸術を深めようとする学生たちにとってこれほど恵まれた環境はないだろう。上野中学の方まで行って引き返す。昔よく通った上野の図書館が「こども国際図書館」という名に変わってそこにあった。見るからに古めかしい建物になっている。懐かしいので中をのぞいてみた。学生時代から独身時代、40年くらい前まで何年この図書館に通ったことか。大勢の人が出入りしてするため階段の手すりはすり切れ、漆喰の壁はひび割れ、廊下は薄汚れてえいたのに、今はピッカピッカに修復されてまばゆいばかりだ。かつて大勢の人がひしめくようにして大テーブルで本を読んでいた大閲覧室はこともの本の展示場になっていた。でも、明治の建物の何という贅沢さだろう。天井は9メートルも高く、まばゆいばかりに漆喰が白く、およそ図書館とは思えない。私の青春時代がそこにあった。そこ出て上島珈琲店でコーヒーを飲む。室外にまで電気ストーブがあって、暖を取りながら、おちついた幸せな時間を楽しむ。上野公園の界隈は東京でも出色の空間である。しみついた山の手の文化の香りがあり、人々がそれぞれ文化を携えて集まってくる。帰りに吉祥寺に寄って魚を買って帰る。小熊英二の続きを書くと、小熊は日本は安全にアメリカの家来になったと言っている。小熊は、一番務好き悪しいが一番いい選択は日本がアメリカとの安保条約を廃棄し、東アジア諸国路と共同防衛機構をつくり、戦後補償問題や歴史認識問題について話し合い、各国と交渉のテーブルにつく。戦争の可能性はますます遠のき、自然に憲法の9条も廃棄される。日本はごく自然な国になるのがいいという。私もそうなることをねがっている。
2013/11/14
第二部が「戦後日本の道のりと現代」で始まる。1952年4月、日本はサンフランシスコで各国と講和条約をむすび、調印した国と戦争終結の式を行った。参加した国は49カ国、ほとんど日本との戦争に関係のないような国も含んでいたが、インド、ビルマ、ユーゴ、中華人民共和国、中華民国(台湾)ソ連、韓国は参加しなかった。この条約で決まった主なことは、朝鮮の独立、日本は日清戦争いらい獲得した一切の領土、植民地を放棄した。樺太、千島、台湾、太平洋諸島、および在外特権はすべて失った。沖縄や小笠原諸島はアメリカの委任統治領になった。日本の戦争責任は東京裁判で裁かれ、A級戦犯7人が死刑、16人が終身刑で確定した。東京裁判は勝者が敗者を裁く裁判で法的な根拠に欠けることは明らかだが、当時も今も法的に公平な国際裁判などは存在しないから仕方がない。結果から見たら戦犯の死刑者7人は妥当であるといえる。日本はこの裁判の結果、講和条約を受け入れた。戦争の死者被害は日本310万、韓国・北朝鮮20万、台湾3万、中国1千万、インドネシア200万、ベトナム200万、ミヤンマー5万、フィリピン100万、マレーシア5万、シンガポール8万で戦場になったアジア諸国に大きな被害を与えた。講話条約で、無一文になった日本からは賠償金をとるなとアメリカが圧力をかけ、どうしてもきかなかった被害額の大きいインドネシア、フィリピン、南ベトナムは大幅に要求額を削られたうえに、役務賠償という形で、日本の復興に役立つ形で行われることになった。講話条約に参加しなかった韓国とは1965年に日韓条約を結んで、3億ドルの無償供与、2億ドルの有償援助、1億ドル以上の資金協力で妥結し、賠償問題は解決済みとした。ソ連とは鳩山内閣の時に戦争終結を行い、北方4島はハボマイ・シコタンの返還を保留することで交渉継続になった。最大の被害国中国とは、1972年に田中角栄と周恩来首相との間で日中共同声明を出して国交が復活した。中国は賠償を放棄した。これは大変な決断であったが、周恩来首相は、戦ったのは日本の軍閥政府であり、国民ではない。気の毒な日本国民を賠償で苦しめたくないという理由を挙げた。台湾の蒋介石も賠償を放棄した。 戦敗国としてのくびき日米安全保障条約華やかなサンフランシスコ条約のセレモニーが終わった直後、吉田首相は一人だけ、アメリカの国防省に連れていかれて、軍事官僚の前で、日米安全保障条約に調印させられた。日本はアメリカから押しつけれれた憲法により、憲法9条により自衛のための戦争まで放棄させられた。戦争で疲弊しきった国民からはほとんど抗議はなく、国全体がこぞって平和憲法を世界に冠たる日本の誇りだとことほぎ、国内外に宣伝した。しかし安全保障条約は強国が保護国すなわち植民地を外国から守るという名目で支配権を掌握するというのが国際常識である。ソ連が攻めてきてもアメリカが守ってやる、そのためにアメリカ占領軍は継続して駐留することになった。したがって講話成立後90日以内に全ての外国軍隊は撤退しなければならないのに、アメリカ軍は引き続き駐留し、旧日本軍の軍事基地を自国の基地として継続使用することになった。現在、アメリカ軍を日本から撤退させることは諸処の理由をつけられて至難の状態であり、これを招いたのは、日本がアメリカから求められた再軍備、海外派兵を断るかわりに、基地を貸すことに同意し、そのために巨大は思いやり予算をつけたことが禍した。
2013/11/11
この本は200ページで1200円、やさしく書いてあるので読みやすい。これほどやさしく圧倒的な説得力をもって書くのは相当の学識に裏付けられていないとやれない仕事である。高齢者の私もまったく感心した。この本は第1部 明治の日本のはじまり と第2部 戦後日本の道のりと現代 に分かれている。まず第1部は福沢諭吉の「学問のすすめ」からはじめている。福沢がなぜ学問をしないといけないかを説いたのは、当時は学問などしないでもよい時代だったからだった。農民の子は大人になっても農民で、商人の子は親の職をついで商人になるのが普通であり、身分制度でそう決まっていた。農民なら学問よりも、米の植え付け、草取り、稲刈りなどの仕事を覚えるのが先であり、商人の子はせいぜい字の書き方やソロバンを習って商売の仕方、客のあしらい方などを覚えれば良かった。明治政府ができてから義務教育制度をはじめたが、英語のコンパルソリイ エヂュケイションを「強迫教育」と訳した。つまり強権をもって国民にむりやり課すという感じ。これで農民や商人から、役にも立たない学問のために家業ができなくなると不満が爆発して学校焼き討ち事件まで起こった。福沢が目指したのは、身分制度は親の仇でござるで、農民でも商人でも学問をして身をたてれば国家の指導者や中堅層になれるし、収入も格段に増える。しかも国を強くするには、このような新しい国民が育ってこなければ、国を近代化できないという考えから発している。なぜ国を強くしなければならないかは、そうしないと西洋の白人国の植民地にされてしまうからだという危機意識からだった。だから脱亜入欧というスローガンができた。福沢は「脱亜論」でこれからは日本も西洋の国のようにアジアの国を侵略する方に回り、近隣国だからといって遠慮せずにシナ、朝鮮を亡ぼすべしと書いている。こうして日清戦争、日露戦争、第一次大戦で日本は朝鮮、台湾を奪って領土化した。明治の40年代になって月給取りというものが現れる。これは日当とか出来高とかとはちがって毎月の収入が保証されるからたいした厚遇で、公務員とか大きな会社がはじめた。小熊が引用している例をみると、小学校の先生初任給6円、中学校の先生15円から30円、大学を卒業した校長60円、大学を卒業した県令という高級官僚250円(これを今の価格に換算したら2500万円というから以下に格差が大きいかがわかろう。たまたまよんでいた「ノモンハンの夏」(半藤一利)に昭和の初め頃の軍人の戦地増俸がのっていたので引用すると、大将545円、中将480円、少将410円、大佐345円、中佐250円、少佐200円、大尉145円、中尉115円、少尉105円、准尉110円、曹長85円、軍曹34円、伍長27円、兵長18円、上等兵14円、一等兵・二等兵12円とあった。この格差はひどい。というように学問をして位が上がるとこれだけの収入があり、農民の暮らしとは段違いだったということがわかるとにわかに進学熱が上がり、みんなミリして学校に行くようになった。日本は大発展して中国の東北部地域に満州国という植民地をつくった時から、中国民衆との抵抗が熾烈になり、やがてそれが第二次大戦になって米英ソと戦い、敗れて、海外の植民地、朝鮮、台湾、樺太もなくなり、国後・択捉も取られ、スカンピンになった。(続く)
2013/11/09
若い人たちのリーダーはこの2人この2人とは、小熊英二と古市憲寿である。小熊は1962年生まれ、慶應義塾大学の教授。古市は1985年生まれ、東京大学の博士課程に在籍している社会学者。小熊は岩波の編集者として戦後出版されたおびただしい著作物を読み、「戦争も知らなかったが、戦後(戦争直後)も知らなかった」という弁で「民主と愛国」という分厚い本を書き、6千円という価格にもかかわらずベストセラーになった。小熊の圧倒的な勉強量と知識量はどんな大人も反論を許さないほどである。最近「日本という国」という若い人たちを対象とした書いているが、今後若い人たちがスタンダードな常識書としてよい好著である。一方の古市は「絶望の国の幸福な若者たち」という本がベストセラーになり、最近「誰も戦争を教えてくれなかった」(講談社)が注目されている。古市は日本にある戦争に関する博物館、平和記念資料館、歴史博物館から始まって、外国の戦争博物館、たとえば真珠湾、アウシュビッツ博物館、ベルリンン・ユダヤ博物館、中国、シンガポール、マレー、香港、韓国と軒並みアジアの戦争博物館や独立記念博物館を訪れている。古市は今28才の東大に籍をおく社会学者で、この人の本をよんでいると若い人の見方や考え方が分かる。古市の本の巻末に、10代の若い女性歌手グループ、ももいろクローバーZに古市が戦争に関する初歩的な質問というかクイズをしているが、彼女たちは日清戦争、日露戦争、第二次大戦の順序もわからない、日本とアメリカが戦争をしたのは1970年頃なんていう答えをしている。彼女たちが習った歴史の授業は縄文・弥生時代がやたらにながく、関ヶ原から現代まであっというまに終わってしまったというから、教育のせいということを強く感じる。若い人が過去の歴史に目がいくというのは、だいたいまれなケースで、私が10代初めの頃、日露戦争に行った人たちがまだいて、さかんに日露戦争の話などをしてくれたが、35年も前のことなどは、私にとって物語の世界で、自分に関係ない世界だった。だから今の若い人が70年も前の戦争の話を聞いてもピンとこないのは}当然といえば当然である。若い人に対して、歴史を語るにはどういう人がよいかというと、戦争体験のある高齢者などが高い目線で話すよりも、若い人がより若い人に勉強したことを話したほうが、伝わりやすい、それも相当の学識が必要であるということを感じているので、小熊と古市がうってつけの存在であると思う。今、国際的に問題になっている"歴史認識"問題の解説こそこの2人に負うところが大きいのではないか。小熊の「日本という国」、古市の「誰も戦争を教えてくれなかった」について、順に内容を次回から要約してみたい。
2013/11/07
昨日は府中刑務所の38回文化祭があり、久しぶりに行ってみた。在所者たちがつくった製造品の販売がハイライトである。刑務所内には紡績工場から木工工場、皮革工場、金属加工、紙製品などの製造現場があり、在所中に技術を習得して社会復帰するというのがもともとの計画である。靴、鞄などの皮革製品が人気があり、靴などは市販品より2割くらい安くデザインも立派なものに仕上がっている。買えばちゃんと箱につめてくれる。これ以外に木工のタンスやイス、金属でできたアウトドアー用のバーベキュウセット、ノートや便箋などの真美製品、陶器類、裁縫製品など質が非常に高い。私は主にノートや便箋など安い物を購入した。広場でライブで昔の流行歌を演奏していた。在所者が一日も早く自分を取り戻して社会復帰するのを涙ながらに待ち望んでいる家族の心情を歌った歌が心を打った。ところで府中刑務所の年間の入所者すなわち受刑者は2万人程度でピーク2万5千人からこの5年間ほどは漸減している。増えているのは外国人と高齢者で、65才以上の高齢者の入所者は年間2千人ほどでずっと増え続けている。しかも再犯が多い。この前、構想日本が主催した玄秀盛氏の出所者居酒屋づくり計画の講演を聞いた。玄さんは韓国人であるが日本国籍を取得し、最底辺の労働者か身をおこし、一時はやくざ、一時は年商20億円の会社経営者など波瀾万丈の人生を送ってきた。それが白血病保菌者であることがわかり、余命あと10年と言われた。以来それまでの過去を捨て、新宿歌舞伎町で駆け込み寺をひらき11年間で2万人の相談をし、多くの人を助けてきた。映画やマンガ、アニメなどに紹介されて全国で知名度を得ている。この人が余命あと3年だと考えて最後のプロジェクトをやろうとしているのが出所者居酒屋である。刑務所を出た人は、仕事はないし、金はない、家族も友人も離れてしまい、社会に受け入れられず、日陰者としてせいぜい夜警とか3Kの仕事をしているが、生活が辛く孤立しているのでついつい昔の仲間に誘われて再犯してしまう率が高い。玄さんは彼らにとって必須なのは暖かい扱いを受けられる場、互いに助けあって更正できる居場所で、それは居酒屋がいちばんいいと言う。歌舞伎町には居酒屋が多くあり、玄さんはそういうところに出所者を出して実験した結果、なんとか自信があり、歌舞伎町を発信所として全国に30店舗を来年中に開きたい計画を熱心に訴えていた。この計画には元厚生省で障碍福祉課長をやっていた元宮城県知事の浅野史郎氏が玄さんと同じ病気であることを縁に協力を申し出ている。再犯をくりかえすもう一方の人は自分をデザインする能力がなく精神的に自立困難で、出所しても1年以内に在所生活に戻りたくて再犯を犯す障碍者である。浅野さんの専門分野でこれは全国で救護センターができており、収容しているという。私は玄さんの計画を期待し、居酒屋ができたら、知研の人たちを誘って飲みに行こうと思っている。
2013/11/03
アベノミクスは物価2%アップをかかげて無制限の金融緩和と政府の求めに応じてハイヨと日銀がお金を刷る仕組みができ、公共事業もどんどんやるようになり、今のところ、円安で5千億以上も赤字を出したシャープでさえ、53億円の黒字ですんだ。株価も14000円台で日本経済の基本能力まで回復した。大手企業は輸出手取りがあがったのでリストラの雰囲気はどうやらストップしている。しかし、このさき、企業が活性化して成長に転じるかが問題である。安倍内閣も来年4月の消費増税があるから先行きを心配しているらしい。うまくいかないと、本命の憲法改正、大日本帝国再建の夢も潰えてしまう。それで憲法の読みちがえを拡大して集団自衛権ということを言っているが、これはアフガンにNATOの加盟国が幅広く動員されているから、日本もこれに加わる形で中東などに自衛隊を派遣することにし、アメリカとの一層の緊密化をはかろうというものである。日本の財界がいちばん望んでいることは、人件費を下げるために、いらなくなった事業の従業員を自由にクビキリできる自由である。このために企業はいろいろあの手この手が考えている。最近、正社員以外に、正社員だが、転勤ナシ、移動ナシの第2正社員をつくろうとしているが、そのかわり昇進、昇格はないらしい。この下に非正社員、契約社員、アルバイトなどが控えている。この人たちは全勤労者の35%に達し、年収は200万以下である。アベノミクスも財界もこの人たちの正社員化や給与アップは考えていない。もちろん一部の景気のいい会社は、そういう改善の動きがあるがそれは例外的である。私はこの構造は国内植民地と称している。この植民地のおかげで全体として人件費を抑えられ、要らなくなったらすぐ解雇できるから、企業は絶対にこの構造を維持するだろう。
2013/10/31
今、10月から始まる新予算が議会で承認されないので、アメリカの国家機関は皆ストップしてしまった。軍隊や警察まではいかないにしても、公務員が突然いなくなったも同然だから、役所も国立公園も閉鎖されてしまっている。どうしてこういうことが起こったのか。事の起こりはオバマケアである。オバマ民主党は国民保険制度を決めようとして、法律を上程しており、上院は可決したが下院は否決し、完全に妥協の余地がなくなっている。私は1年前に心臓の機能が低下してペースメーカーを入れてもらったが、この費用が国民健康保険の後期高齢者の1割負担のおかげで数万円ですんだ。こんなありがたいことはない。ところがこれがもしアメリカだったら何百万円も払わねばならず、私は払えなくて死ぬしかなかったろう。オバマ民主党はこういう状態を救おうとして国民保険制度をやろうとしたのだが、下院の共和党が断固として反対し、妥協の余地がなくなっている。議員数は下院は共和党が勝っているからどうにもならなくなっている。(233対200)共和党はなぜ健康保険制度に反対するのか。「病気でもないのに、なんで保険金を払う必要があるのか」「他人の病気費用になんで健康なおれが払う必要があるのか」「病気なんかするやつはもともとだめなやつだ。自分の病気は自分で責任を取って治せばいいではないか」「国家の予算を個人の福祉のために使う必要はない」というように考える人が多いからである。これを建国以来のアメリカの自立精神であるという。もっといえば、アメリカが銃規制をしないのは、もし政府が独裁的な横暴なことをやってきたらいつでも人民は立ち上がって戦う。そのときは銃が必要だ、というので、たいていの家にはピストルはじめ連発式カービン銃などがある。アメリカ開拓時代からの自衛手段だということになっている。オバマは銃規制をしようとしているが、これも共和党が反対している。日本なら足して2で割ろうという妥協をするだろうが、アメリカは原理主義の国だからこういう原理的なことになると妥協の余地がなくなる。奴隷制度をめぐって行われた南北戦争よりも硬直した段階に至っている。では、アメリカに内乱がおきるだろうか?そこまでは言えないが、早くもホワイトハウス周辺でデモが起こっている。デモ、騒擾状態はエジプト、シリアだけでなく、アメリカでも起こる可能性が出てきた。こうなるとアメリカの指導性は失墜し、世界に与える緊張と影響はかぎりなく大きい。
2013/10/05
弱い政府・強い民衆の国といえば、中国を指す。一方、強い政府、弱い民衆の国は日本である。中国は1840年にイギリスとアヘン戦争を戦って敗れ、フランスとの戦争ではインドシナの宗主権を奪われ、日清戦争では敗れて台湾を取られ、満州はロシアに犯され続けるなど、国が余りにも弱いため、連戦連敗し、外国の侵略に食われ続けてきた。先進列国は工業化が発達し、武器弾薬に優れ、中国は到底武力ではかなわなかった。国家は四分五裂して統一政府ができず、国内闘争を繰り返していて、外国と戦う力がなかった。こういう時に外国とどうして戦ったかというと、学生や商人、農民などの民衆が外国の商品の不買運動を起こして打撃を与えた。1931年、日本が満州事変をおこしてほぼ、東三省と蒙彊地域を制圧して、日本人が経営する満州国をつくったとき、これはあきらかな領土侵害であり、通常なら中国は宣戦布告を行う戦争状態であるから、中国は国際連盟に提訴した。当時の国際連盟は加盟国の間で紛争が起こった時は調停して紛争を解決する協約ができており、この場合、他の加盟国は紛争している加盟国に圧力を加えるために大使館を引き揚げ、貿易停止などで制圧することが決められていたが、中国は日本と宣戦布告状態になると、満州以外を含む全面戦争となり、そうなると到底勝てる見込みがないから、宣戦布告は行えず、「満州事変」と称していた。1937年に蘆口橋事件が起きて日中戦争が始まったときも、戦争状態であるにもかかわらず、宣戦布告は行わず、両国で「シナ事変」と言っていた。中国がいちばんおそれたのは、日本と戦争に入ると、海岸線を封鎖され、中国の友好国からの物資や武器などが入らなくなり、中国経済が壊滅状態におちいるからであった。国連加盟国の大半は中国に同情し、日本の侵略を抑制しようとしたが、中国軍の抗戦力があまりにも弱く連戦連敗するので、次第に同情心が薄れ、閑却するようになった。中国政府の武力抵抗が弱い一方で、抗戦力を発揮したのは、日本商品不買運動や日本企業に対する妨害行為であり、日本は国連にこの不当性を訴え、戦争の原因になっていったが、国際連盟は、政府が弱すぎる場合に、民衆が侵略国と戦う手段として不買運動は国民の権利として正当性があるとした。中国では、このような時代が長く続いたため、民衆の力が強くなり、政府に脅威を与える存在になった。今の政府は昔より遙かに強くなったが、それでも民衆のデモが広がることを異常に恐れている。もし内乱状態になれば、国内は大混乱し、世界経済にあたえる影響ははかりしれないから、政府はそれを恐れている。一方、日本の政府は伝統的に強く、民衆は弱い。これは日本が島国のため、反政府勢力ができても追い詰められると逃げ場がなくなるからである。したがって日本の民衆は常に政府に順応するしかない。もしこういう状態から逃れるとすれば、民衆自身が考え出すしかない。
2013/09/22
最近よく外出するようになって、非常に気になりだしたことがある。車内の座席に座って前方の座席に座っている人たちを眺めているいと、2人に1人くらいはiPhoneやスマホをいじっている。若い人たちは電車に乗るとすぐケイタイやスマホを取り出す。彼らがいったいケイタイやスマホで何を見ているのかをときどきチラチラと盗み見したが、だいたいの人はいろいろ場面を指でスクロールしてあれこれ楽しんで車内のいっときの無聊をなぐさめているようである。したがって大多数の人にとってはスマホはおもちゃであり、クイズ、エンタメである。情報を収集したり読んでいるというのと違う。もちろん一部のインテリはちがうが・・。20年前には車内で新聞をよむ人がいたが、今はほとんどいない。あの大きな紙は広げることが不可能だ。女性たちは一生懸命文庫本を読んでおり、やがて文化や教養は女性に移ると言われた時代があった。しかし、今は、男女とも本を読んでいる人をほとんど見ない。アメリカでは大型のキンドルやiPhoneをつかって新聞や本をよむ主婦が多いときくが、日本の主婦で名作小説などを検索して読んでいる人がいるだろうか。私が到達した結論は、日本人を含む儒教系アジア人は、知を深くきわめ、教養を高めることを重視し、そのためには煩をいとわず、せっせと勤勉努力して、知の本質ははストックにあるとする伝統がある。「少年老いやすく学成りがたし」。一方西欧人の思想は、とくにアングロサクソンは、知は万人の万人に対する闘争の手段であり、変化や改革を志向することに意義を置く。東洋人と西欧人は知の摂取の仕方に大きな違いがあるのである。ところが最近の日本人は東洋人の勤勉に知を求める習慣が薄れてきているのではないかと危惧する。そうとう欧米化してきた。つまりグローバル化してきた。そうなると西欧思想に対抗するという東洋思想の精神や筋力がなくなり、それが日本人を弱くしてしまうのではないか。西欧人化するということは西欧人の亜流になり、やがてあらゆることにおいて向こうに負けてしまうことになる。そんなことはありませんよ、と日本人の優秀性をやたらに強調する声があるが、私はまだそういう事実を実感するにいたっていない。スマホとかiPhoneによって日本人はその便利さに使われてしまい、本を読まなくなり、卑近なことにしか関心を持たなくなり、やたらに小学生レベルのクイズ雑誌やテレビ番組がはやることになる。団塊の世代までがもっている東洋的な伝統はやがて若い人たちが気づかないかぎり消えていくのではないか。
2013/09/13
今少しづつ何が起きているかというと、高齢化の深化である。70才から74才までの医療費負担が1割から2割になるということは、75才から80才以上の高齢者が増えたために、その分が70才から74才の負担をふやさざるを得ないという局面になってきたからであろう。75才以上の高齢者の特長は次第に歩けなくなり、比較的遠くのスーパーまで買い物に行けなくなり、そばにあるコンビニでできあいの食品や野菜を買うようになり、自分で調理するのがいやになり、インスタント食品の配達にたよるということになる。歩行が困難になると駅にエスカレーターやエレベーターをつくるようになり、交通機関は駅員を減らしてそっちのほうに金をつぎ込むことになる。テレビの番組は健康教訓番組と懐かしのメロディばかり。まったく活力がない。毎年亡くなる人は120万人、今後の20年間で約3千万人が亡くなり、いよいよ1億人を切ることになる。こういう活力がなくなった社会では、企業があらたに国内で設備投資するという気は起こらないだろう。それよりも新興国に投資して稼ぐというのが資本主義というものではないだろうか。どう考えても国内で澎湃として経済が成長してくるという気配は感じられない。次なるアベノミクスはどんどん規制緩和して、なんでもやってもうけてちょうだいねということになるのだろう。企業の不採算部門の人員は首を切ってもかまわないとおおっぴらになってくるだろう。
2013/09/07
安倍政権はこんなに国際理解が低くては長続きしないだろう。やがて行き詰まるのが目に見えている。憲法論議も麻生氏が本音をもらしたようにナチスに学んでいつの間にか憲法が変わっていたということにしたいのだろう。ナチスは当時強かった左翼を猛烈に取り締まることでそういう雰囲気を作り上げた。安倍政権も中国を敵視し、"反日"などとリベラルをののしるネット右翼の力を利用したいだろうが、残念ながら安倍政権の望むような"反日"に国民は困っているだろうか。右翼化を強めれば強めるほど地盤を掘り崩していく。よくスーパーやコンビニに買い物に行くが、物価は徐々に上がっているのがわかる。もう2%は上がっているのではないか。今まで88円で安売りの目玉だったチョコレートは100円になり、あるいは薄くなった。100円だった商品が120円などに値上がりしている。これでは客をひけないから入れ替わり立ち替わり特別に安い商品を特売してしのいでいる。隠れ値上がりというのは値段はそのままにして量を減らすとか質を落とすとかをするらしいが、確実にそれが進んでいる。豆腐などは水分を多くして量を増やす。魚類の値上がりはすさまじい位だ。来年の4月に消費税があがる予定であるが、景気に影響する場合は先延ばしすることもあり得るというが、施政者は絶好のチャンスを先延ばしするなどということは多分あり得ない。年収の多い人にとっては不景気とか物価高などというのは「ない」のである。新聞記者や評論家などは1千万以上の収入がある人にとっては、不景気で困るというのは他人事に過ぎない。これから始まる3年間に何が起こるかというと、すでに収入とか地位とかの有利な条件を得た既得権者とそうでない人たちとのあらそいであろう。非既得権者をなだめるバラマキなどはもうできないから、どうしたら非既得権者をなだめごまかすかである。これにもっとも役立つのは新聞・テレビ、マスコミである。これからの3年間は、国民はじっくり時間をかけてマスコミにだまされないようなメディア・リテラシイを学ぶことであろう。
2013/08/15
これからの退屈な3年間1安倍内閣ができてからあと3年、衆参の選挙はない。与党は衆参とも多数を占め、ねじれはなくなった。だから安倍内閣は自由に何でもできる体制になったかというと、そうはいくまい。安倍晋三、麻生太郎のような歴史を知らない人が内閣をつくったから国際舞台では至難のときを迎えるだろう。1979年5月31日のよみうりの社説が「尖閣を紛争のタネにするな」と日中国交回復時に田中首相と周恩来国家主席が尖閣諸島をは両国が領土権を主張していることは認めた上で、これを棚上げにする約束をしたことを挙げてこういう社説を書いたのは、30年前のことである。しかし、日本人は30年経ったらこういうことは忘れている。しかし、外国人は忘れていないからずれが生じる。アベノミクスのおかげで超金融緩和をし、米国の好景気のなみにのって円安になり、株価も外人買いで上がった。しかし、これはいままで株屋が異常に安すぎたためでようやく身の丈に戻ったわけである。しかし3番目の矢がなかなか放たれないために株価は右往左往している。どうして3本目の矢が放たれないのかは、まだ時間がかかるだろうが、日本の企業が内部投資をしようと考えていないからである。景気がこのさき上がるかどうか不透明だから設備投資をためらっているか、国内で設備投資するより海外で投資した方が安直に儲かるからである。日本の内需は、年寄りは家にいっぱい物があるから物を買わないし、若い人も物を買わない。売れているのはユニクロの商品とか化粧品である。
2013/08/09
今「国賊」と言われている孫崎享氏に6月20日に講演にきていただいた。この人は、尖閣諸島は1972年の日中の国交回復時に、周恩来・田中会談で、両国がこの島の領有を主張しているけれども、いまそれを言い出すと国交がまとまらないから、この問題は今後の世代の解決にゆだねることにし、紛争のタネにはしないと約束し、代々の両国の外務省もこの約束を遵守してきた。孫崎氏は外務省にいたときからこの方針は規定の方針だったといい、当時の報道もこれを常識としていたという。その証拠として1979年5月31日のよみうりの社説を挙げられたので、早速縮刷版から取ってみたら「尖閣諸島を紛争のタネにするな」という社説をかかげていた。それは共同声明や条約の形になっていないが、れっきとした国と国との約束であるから、日本側の実効支配を策するような調査団の派遣はやめよ、と主張している。したがって孫崎氏は、今自分が言っていることは当時の外務省の方針であるにすぎない、と話した。彼は先進各国の世論調査を出して、日本人が中国に対して抱いているイメージはきわめて偏っていることを示した。どうしてこれほど対中国イメージが憎悪的になったのか意図的なものを感じざるを得ない。周恩来が対日賠償請求を取り下げたという事実の重みを考えてほしい。孫崎氏に対して、国賊と言われて生命の危険は感じませんかという質問に対しては、2次会でも意気軒昂で、私のフォロワーは9万人もいますとまったく孤立しているどころが元気いっぱいだった。私たち高齢者は尖閣諸島問題は周恩来と田中角栄との間で、棚上げにし、将来の世代に解決をゆだめることにしたということを覚えているが、これは当時の報道がそう伝えていたからそう記憶しているのだろうと思う。
2013/07/19
スノーデン事件のコメント、パックン天晴れ30才のエドワード・スノーデン氏はCIA、NSAなどのアメリカ国家の中枢情報機関につとめ、そこで行われている個人情報の傍受や各国大使館などにおける盗聴などの事実を告発した。このため、アメリカ政府から逮捕命令が出て亡命騒ぎになった。一時はロシアが身柄を受け入れる表明を出したが、最終的に反米国家である南米のベネズエラが亡命を受け入れている。ヨーロッパの主要国では、盗聴行為に対し嫌悪感を示している。自由と民主主義、人権外交を標榜するアメリカでは、スノーデン氏は個人情報を侵害する国家行為を告発した正義の英雄として称揚されるかと思いきゃ、さにあらず、国家反逆罪に相当する罪として逮捕命令が出た。裁判にかけられたら終身服役だという。これに対してアメリカの世論もスノーデンに対してノーである。CIAとかNSAというような国家の秘密情報機関はそもそもいったい憲法の上でどういう位置づけになるのか、こういう機関に対する莫大な予算はどういう根拠でなされるのか、CIAがこれまで国際政治の上で犯してきた様々な犯罪的行為は正義に照らして是認されるのかどうか、こういうことはいっさい分からない。日本の政府もマスコミもスノーデン事件に関してはいっさいノーコメントで、事実のみを報道している程度。ところが面白いことにかつで漫才コンビで人気が出たアメリカ人、ハーバード大学哲学科出身のパックンことパトリック・ハーマン氏は最近レベルの堅さを買われて司会者とかコメンテーターになっているが、とても歯切れがいい。スノーデン氏の行為はイエスであるとした。これに対して日本人の新聞社のコメンテーターはああだ、こおだと、一体何を言っているのか分からない。恥ずかしいことだ。こういう自由か正義かという正義論、真実論に対して、国益を守る国家の行為、テロから国家を守る必要な措置という言い方があり、これはかなり強力である。ちょぅど12年前の9.11の事件が起こったらアメリカ人は皆愛国者になってイラクに突っ込んで行ったように、ここで国益、愛国、となるともう理屈も何もなくなる。でも、一般の人は、孔子とかキリストとかソクラテスとか何千年も前から正義、理想としてきたことを守った方がいい。変なことに妥協したらいけないのである。
2013/07/07
橋下氏が「慰安婦は必要だった」と言ったのは、ある意味、非常にまとを得た発言だったのに、それが女性を道具にしようとしている男性の悪というふうに問題がそらされつつある。維新の会の支持率激減などというふうに議論を脇にそらそうとしている。若い男の軍隊を120万人も外国に出すということそのものが男性の敵でもあり、こういう不自然な戦争行為をかつて日本が行ったことをはっきり問題にしなければならないのに。日本の侵略はなかったとする石原慎太郎や侵略の定義はないなどとする安倍自民党のほうを問題にしなければならないのに、マスコミは小沢一郎をきったのとおなじように橋下切りですまそうとしている。
2013/05/23
橋下徹維新の会代表の「軍隊に慰安婦は必要である」発言はそれだけとれば当たっている。軍隊は補給物資として武器弾薬、食料、糧秣が必要であり、それがロジェスティックスといわれているが、そこに欠けているものがある。それが「性」である。20代の男ばかりの兵士が長期に外国に遠征し、滞在するのであるから、当然性欲の処理がほしくなる。しかし、この問題を解決した例は古今東西聞いたことがないし、そういう問題を研究した学者や専門家の存在は聞いたことがない。橋下氏は沖縄の米軍基地に行って風俗業を活用したらどうだと言ったら、司令官から米軍は売春を禁止しており、2度と聞きたくない話だと突き放されたという。私は戦時中、天津の日本租界にいて、駐屯軍の兵隊などが身近にいたから、このへんの事情はわかる。兵隊たちは毎週休暇になるときまっていくのが、飲み食いの場所か映画館か、ピーヤという慰安婦のいるところで、私の家のそばにそういう施設のひとつがあってひんしゅくのまとになっていた。そこにいる女性はしどけない格好をした日本人か朝鮮半島の人だった。話によると、天津から離れた奥地のどんなところでも軍隊の近くに慰安所ができ、風俗営業店ができているという。しかし日本人慰安婦はいやがり、結局朝鮮半島の人ばかりだという。この風俗店に日本軍が直接関与していたかというと、証拠は見つからないが、容認していたことはあきらかである。そういうところがないと兵隊たちは女性をもとめて住民のところに行き、トラブルを起こすからである。一日に数十人も兵士が並んで、慰安婦が次々に相手する様子をある兵隊がおもしろそうに話すのを聞かされたことがある。数十人とはなんという過酷だろう。この慰安婦がどういう経緯で連れてこられたかは、韓国では女子挺身隊として募集され、行ったらまったく違う仕事をさせられたと新聞報道している。日本政府は日本軍が正式に募集してそれを行った証拠がないとつっぱねている。その突っぱね方はけんもほろろ、汚いものをみているような言い方だった。しかし、良心的な人もいて、見舞金を基金で集めて出し、河野談話で謝罪した。ところが今になってこれがぶり返され、河野談話や村山謝罪はおかしいと言い出した。日本軍は中国本土に120万もの軍隊を出し、それ以外に軍属や労働者など大勢の若い男が中国大陸にいた。セックスの問題の円満な解決法はないわけである。大量の兵士を長く外国に滞在させること自体がまちがいであるという以外にない。これは沖縄にいる米軍も同じである。橋下氏の政治家としての資質は非常に優れていると評価している。安易に妥協せず、真実を追い求め、ケンカも辞せずの度胸がある。自分の人気など二の次にして戦う。元慰安婦と会って話を聞くと言うから、弁護士魂を発揮してとことん聞き取り、日本軍が関与していたかどうかをつきつめてほしい。こういう問題になると双方からケシカランの怒鳴りあいになっておしまいになり、またぶり返す。とことん真実をつきつめれば、誰も反対できなくなり、ケリがつく。
2013/05/17
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