GOlaW(裏口)

2007/07/17
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カテゴリ: 西遊記
 かつて彼は、猿を束ねていた。
 彼はおごり高ぶり――民を失った。


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 長らくお待たせしました。それでは『映画版』へのツッコミと参ります。


 故にこれから述べる内容には、前述の書物や、後のDVD特別映像で補完されるものもあるでしょう。
 それでも、映画(とメイキング)だけを見た限りにおいて、明らかに描写不足と思われる点や、矛盾点、惜しいと思ったところを述べていきます。

 むしろ、小説や未公開映像で補完してくれるのを希望しているのですが…。

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1.皇女と元猿王
 A.物語の視点と、感情移入

 今回の物語において中心となる視点は、やはり主人公である悟空です。観客は悟空とともに、事件の概要や展開を追うことになります。
 故に、観客は程度の差こそあれ、悟空に感情移入しながら鑑賞する事になります。
 つまり“観客を『玲美』へ感情移入させる”には、“『悟空の気持ち』を通して感情移入させる”方法もあるわけです。

 この手法は『罠に対し、命懸けで助けようとした玲美』や、『雪山にはしゃぐ二人』などで使われています。
 つまり“玲美は悪い奴ではない”ことを、悟空とともに感じさせているわけです。


 しかし、この手法を用いるならば、もっと深く描写できたのではないでしょうか。
 悟空と玲美には、もっと強い共通点があるのです。
 それはずばり、『見捨てられた王(姫)』という点です。

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B.石猿と原典の設定
 原典を知っている方ならば、『元々は猿の王』であるということをご存知でしょう。
 ドラマの中では過去の描写が全く無く(…もう少し描写しなくてはいけないと思うのですが。汗)、忘れ去られた(あるいは無かった)設定となりつつありますね(←忘れるなぁっ!)。

 しかし、悟空には映画の段階(ドラマの第六話と第七話の間)では、仕える民はいません。
 第一話の描写に、その指摘があります。彼が生まれ故郷に戻った時に『誰もいないか』と呟いているのです。

 考えられるのは次の二つの解釈です。
 一つは、『最初から天涯孤独という、フジテレビ版オリジナル設定』。
 (このあたり、フジテレビの映画メイキング第二弾『チビ悟空の冒険』の冒頭で補足されてしまったのですが…)
 もう一つは、『釈迦に封印されている間に民に見捨てられた』。

 ここでは後者の設定を前提にお話を進めたいと思います。

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C.民を失う苦しみ
 ここで、『石猿が王だった』という設定を使用します。
 すると玲美と悟空にもう一つ、感情移入できる共通項が出てきます。
 “悟空もまた、民を失い、孤独を感じたことがある”ということです。

 ここで大切なのは、『悟空が王だった』ことを観客にもさり気なく伝えておくことです。
 これは結構簡単で、『玲美が自分の立場を振りかざすシーン』に「俺だって、元々は猿の王…」と呟かせるだけでいいんです。
 観客にその言葉をどうしても気付かせたいなら、玲美か別の誰かに聞き咎めさせ、首を傾げさせるだけでOKです。


 この伏線を張った後で、玲美の『民は王族を見捨てた!』と強く吐き捨てさせるんです。
 すると、悟空はその言葉によって、過去の感情を思い出すんです。
 共感により玲美を否定することもできなくなり、かといって“肯定してはいけない”と理性が告げるんです。

 悟空の動揺を映すことで、観客もまた一緒に動揺することになります。

 ここでの動揺はまた、ラストの説得にもつながっていきます。

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D.真なる王族への目覚め<凛凛との絡み>

 “玲美が王族として特攻する”シーンの前に、もう少し演出を加えてもいいと思います。
 つまり、玲美が王族としての覚悟を決めるための布石を置くことで、より強く魅力的に演出できるのです。

 “『民に裏切られた』という思いを悟空も抱えている”。それを玲美に知らせてもいい。あるいは知らないままでもいいでしょう。

 重要なのは『裏切られても、自分(や誰かを)信じてくれる人がいる、信じることができる』ということ。そして『金角・銀角は信頼できない』という事実を麗美に知らせることです。
 ここは“悟空が銀角を追いかけて飛び立った”時から、“王宮に現れる”時までの、映画では空白となった時間を使うべきです。

 この時点で、悟空が彼女の心情に対して果たす役割は終了しています。
 動くべきなのは、悟浄、八戒、そして凛凛の三人です。
 彼らが持つ設定や性格と玲美をうまく絡めることは、レギュラーである彼らの魅力を掘り下げると同時に、物語をより深くすることにつながります。
 脚本スタッフの技量を問われる部分とも言えるでしょう。


 悟浄、八戒との絡みについてはまた改めて項目を作らせていただくとして、凛凛との絡みについてだけに触れていきます。


 玲美と一番立場が近いのは、実は凛凛です。
 ただ、凛凛としては積極的に絡むことはないでしょう。『片想いの相手である悟空を陥れる女』という意味で、麗美は凛凛にとっての敵なのですから。
 しかし、『王族である前に一人の娘である』という思いには、『王族としての立場を捨てた』凛凛にも共感する部分もあるはず。

 二人が触れ合うことは、互いの成長にもなるでしょう。

 無論、二人の扱いを間違うと『主役そっちのけで話が進んでしまう』という爆弾にもなりかねません。現に映画ではこの二人が絡むことはほとんどありませんでした。
 だからこそ、物語のアクセントとして魅力的なのです。
『脇役の活躍は、主役の活躍の伏線として。決して主役を食わないように』
 それさえ守ればいいのです。

 凛凛と絡むなら、王宮突入シーンがいいでしょう。
“王族しか知らないはずの出入口に入ろうとする玲美。自らの城の出入り口から、この城の出入り口を類推した凛凛。この二人が出会い、二三言だけ会話を交わす”
 これだけでいいのです。
 この中に、玲美の『王族としての覚悟』を覗かせればいいのです。
「例え裏切られても、信じてくれる者がいた。今度は私が、信じるべきもののために尽くす番だ。…たとえ裏切られても」
 そのような内容のことを、玲美の言葉と立場で言わせましょう。
 凛凛には「いまさら遅いのよ」とでもうそぶかせればいいでしょう。その下から複雑な思いを覗かせればよいのです。

 これだけの演出でも、ドラマの『第十話・滅法国』への伏線になります。ドラマを見ていた人間なら、そのリンクに気づいて嬉しくなるはずです。

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E.猿、民を思う気持ちに目覚める

 “凛凛が王族として殉じようとする”ことは、悟空の中に覚悟を生むに十分でしょう。
 そして“民の蜂起”を見ることで、山小屋での葛藤に対する答えも生まれているはずです。
 それが、悟空の最後の啖呵にもつながっています。

 ここで、悟空自身の過去を絡めると、より物語に深みが増します。
 『民という仲間』の大切さを謳うことは、つまり“民をつなぎとめられなかった過去の自分”を否定することです。
 過去の自分を否定する苦しみを超えて、“人間達が教えてくれたこと”を選ぶ。それは悟空自身の成長をしめすことにもなるんです。

 主役と物語の係わりが深くなるほど、クライマックスでの盛り上がりが高まります。

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 悟空の扱いをもっと深めることで、さらに物語も面白くなった可能性があります。
 そのあたりが残念です。





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Last updated  2007/08/31 04:12:08 PM


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