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2021.03.02
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カテゴリ: 北中城村

(喜舎場公の墓)

沖縄本島中部の北中城村に「喜舎場集落」があります。喜舎場集落は北中城村のテンブス(ヘソ)である中心部に位置し、斜面緑地や集落の背景となる丘陵緑地といった豊かな自然環境や景観を残しています。また、中城湾や西海岸を見下ろす絶景なども数多く存在し、訪れる人々の心を癒してくれる集落です。


(喜舎場の石獅子)

喜舎場集落の南部に「喜舎場公園」があり「喜舎場の石獅子」がどっしりと構えています。元々この石獅子(シーサー)は集落の南西側に隣接する安谷屋集落にある"カニサン"と呼ばれる巨岩に向かって鎮座していました。この巨岩が喜舎場に災いをもたらすフィーザン(火山)であると信じられ、その返しとして石獅子(シーサー)が据えられたのです。巨岩に対する火除けと魔除けとしての村獅子として崇められていたのです。


(喜舎場の殿)

石獅子から見える場所に「喜舎場の殿(トゥン)」があります。「殿」は「神アサギ(神アシャギ)」とも呼ばれる神祭りを行う聖域で、4本柱で壁がない吹き抜け構造の小屋となっています。「喜舎場の殿」の祭壇には霊石が祀られており、御願に用いられるヒラウコー(沖縄の線香)が供えられていました。


(喜舎場公の鳥居)

(岩間に架けられた石橋)

喜舎場公園を進むと「喜舎場公」と記された鳥居が建ち、その先には「喜舎場公之墓所」に向かう長い石段が続いています。94段の石段を昇り終えると巨大な岩に挟まれた通路があり、岩間の上には石橋が架かっていました。「喜舎場公之墓所」への天然の岩門からは神聖な聖域として空気が一変します。


(喜舎場公の墓)

岩門を潜った先に「喜舎場公の墓」が姿を見せました。琉球石灰岩の岩塊の中心には8段の階段があり、その上に宝珠が供えられた石の祠が建てられています。喜舎場集落の創建者である「喜舎場公」がいかに集落の村人から大切にされ敬われていた事が伺えます。また、琉球王国の正史として編纂された歴史書である「球陽」の外巻「遺老説伝」には「往昔、喜舎場公ナル者有リ、此ノ邑ヲ創建ス。因リテ喜舎場村ト名ヅク。是レ故ニ今ニ至ルマデ毎年二月、村長皆其ノ墓ヲ祭ル。墓ハ本村後岩ニ在リ」と記されています。


(喜舎場公之子孫上代之墓)

「喜舎場公の墓」の正面には更に大岩を上る石段があります。先ほど、鳥居から続く石段を昇り詰めた場所にあった岩間に架けられた石橋は、この「喜舎場公之子孫上代之墓」に続いていました。喜舎場公の子孫が眠る石造りの墓には霊石、花瓶、ヒラウコー(沖縄の線香)が供えられており非常に神聖な空気に包まれていました。


(喜舎場村祖先御墓/アーマンチューの墓)

「喜舎場公の墓」と「喜舎場公之子孫上代之墓」を後にして、更に先の急な石段を降ると左側に通路がありました。その奥には「喜舎場村祖先御墓」(アーマンチューの墓)があり、霊石、ウコール(香炉)、花瓶が供えられていました。現在、旧暦9月18日に例祭が執り行われており、ムラシーミー(字の清明祭)には「喜舎場公の墓」と「喜舎場公之子孫上代之墓」と共に拝まれています。


(イーヌカー/上の井戸)

「アーマンチューの墓」から更に石段を降ると右に昇る通路があり、薄暗い森の奥地に続いていました。その通路を進むと亜熱帯ジャングルと琉球石灰岩の巨岩が不気味な雰囲気を醸し出しており、辿り着いたのが「イーヌカー」(上の井戸)でした。横120センチ、縦60センチ、深さ75センチに琉球石灰岩で積み上げられています。ハチウビー(旧正月)やウマチー(旧2月15日、旧5月15日、旧6月15日の豊穣祈願と収穫祭)に集落の住民により拝まれている神聖な井戸です。


(仲間神屋)

(喜舎場の火ヌ神)

「喜舎場公園」の北側に琉球赤瓦屋根の「仲間神屋」があり、喜舎場村を創建した喜舎場公の直系にあたる家と伝えられています。集落の重要なウガンジュ(拝所)となっており「喜舎場公例祭」や様々な祭事で拝まれている重要な場所です。「仲間神屋」に隣接した場所には「火ヌ神」があり、喜舎場集落の住民の無病息災、幸福と安寧、繁栄を見守る役割があります。石垣に囲まれた「火ヌ神」には魔除けの石柱も一緒に設置されていました。


(喜舎場のおもろの碑)

(喜舎場のおもろの解説碑)

喜舎場集落の南部にある「喜舎場のおもろの碑」です。歌碑には「一 きしゃは つくりきよ きしゃは おなりしや ゑけ はひ 又 よへ みちやるいめの まよなかのいめの 又 いめや あとなもの いめや うせなもの 又 おなり たちへともて つくり たちへともて」と記されており「喜舎場の美しいツクリ(人名)を抱いたと思ったものの、それは昨夜見た夢であったよ、夢はたよりないものよ」という高笑いを意図した狂言的な歌です。古琉球の人々は健康な笑いこそは共同体に世果報をもたらす力の根源だと考えたそうです。


(ウフカー/大井泉)

(洗濯ガー)

(カーグムイ/井泉小堀)

「喜舎場のおもろの碑」の西側に「喜舎場ウフカー(大井泉)」があります。ンブガー(産井泉)や共同井戸とも呼ばれる北中城村で一番大きな井泉で、敷地には「ウフカー」「洗濯ガー」「カーグムイ」があります。「ウフカー」は飲料水等の生活用水に、「洗濯ガー」は衣料等の洗濯に、「カーグムイ」は畑の帰りに手足を洗うために利用する事が義務付けられていました。正月にはワカミジ(若水)、新生児が産まれた時はウブミジ(産水)を汲み、旧5月のウマチー(収穫祭)には住民が水の恵みに感謝して祈願したのです。


(王妃御墓の木札)

喜舎場集落の北部に丘稜の森があり、その中腹に王妃御墓(ウナジャラウハカ)があります。王妃御墓には「EMウェルネスリゾート/コスタビスタ沖縄ホテル&スパ」に隣接する細い山道から行く事が出来ます。このホテルは沖縄が本土復帰前に開業して一時期は米軍関係者の宿泊客で賑わいましたが、その後はバブル崩壊と共に廃業に追い込まれました。隣接する王妃御墓がある丘稜の深い森が不気味な雰囲気を醸し出していた為、廃業後は「幽霊ホテル」として噂になるほどホテル周辺は人々から恐れられていました。


(王妃御墓/ウナジャラウハカ)

「王妃御墓」は舜天王統三代目である義本王の妃の墓と伝えられています。義本王は天災異変が相次いだことを理由に王位を英祖に譲って隠遁したとされ、国頭村辺土で没したとも、北中城村仲順で没したとも言われています。「北中城村史」には義本王の直系の子孫である花崎家の口伝として、墓内には義本王、真鍋樽按司、西之按司加那志、桜尚の厨子が安置されていると言われています。「王妃御墓」には霊石とウコール(香炉)が設置されており、集落の住民の神聖な場となっているのです。


(喜舎場公園の入り口)

北中城村喜舎場集落には、先人たちから受け継いできた多数の文化財が残っています。それぞれの文化財はいわば北中城村の歴史と文化の象徴です。喜舎場集落の大切な財産が次の世代へと大切に継承され、聖地である集落の平和と発展が末永く続く事を心から願っています。これからも喜舎場集落では琉球王国時代から続く素晴らしい旧暦行事が大切に継続される事でしょう。






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最終更新日  2023.10.28 19:23:25
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