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(イーヌカー/上の井戸)沖縄県沖縄市に「高原/たかはら集落」があります。高原公民館の北西側に位置する「イーヌカー/上の井戸」は集落で一番の水量が湧き出る井戸として昔から村人に重宝されてきました。飲料水の他にも畑で収穫した野菜や芋を洗う為や洗濯用水としても使用されていたと考えられます。沖縄の歴史学者・郷土史家・沖縄史家として知られる「東恩納寛惇/ひがしおんなかんじゅん」が「高原集落」を訪れた際に植えられた記念樹がかつて「イーヌカー」にあったと伝わっています。さらにこの井戸は村人の情報交換の場や出会いの場としての役割もあったと伝わっています。「イーヌカー」の南側には「ウブガー/産井」と呼ばれる井戸があります。この井戸は正月の「ワカミジ/若水」が汲まれた井戸であり、村で子供が生まれた際の「ウブミジ/産水」や子供の成長を祈願する「ミジナディ/水撫で」の水として利用されていました。また「アミチュージ」と呼ばれる死者の身体を拭いて清める為の水としても利用されていました。(イーヌカー/上の井戸)(イーヌカー/上の井戸への階段)(イーヌカー/上の井戸)(イーヌカー/上の井戸の正面)(イーヌカー/上の井戸のウコール/向かって右側)(イーヌカー/上の井戸/向かって右側)(イーヌカー/上の井戸のウコール/向かって左側)(イーヌカー/上の井戸/向かって左側)(イーヌカー/上の井戸)(畑に流れ込むイーヌカー/上の井戸の水)(ウブガーの祠)(ウブガー)(ウブガーのウコール)(ウブガーの井戸)(ウブガー)
2024.05.14
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(マンジュウガンジュ/満喜世御願所)沖縄県沖縄市の「高原集落」を南北に通る国道331号の東側に「満喜世山」と呼ばれる小高い丘陵があり、頂上に「マンジュウガンジュ」の祠が建立されています。この拝所の祠内部には「高原海洋神」と刻まれた石碑が祀られています。かつての「高原」は「嵩原/たきばる村」と「満喜世/まんじゅ・まんじゆ村」に分かれており「御当国御高並諸上納里積記」によると田畑とも中の村位と記されています。「満喜世村」の脇地頭は康熙8年(1669)から康熙14年(1675)まで「満喜世親雲上幸清」が務めており、他にも地方役人に与えられた「オエカ地」が置かれていました。「マンジュウガンジュ」の東側には「満喜世之殿」があり、1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」には『満喜世之殿 満喜世村 稲二祭之時、花米九合宛・五水四合宛・神酒一宛・筵一枚 満喜世大屋子、神酒二 一米、一芋。同村百姓中、供之。美里巫ニテ祭祀也。』との記述があります。(満喜世山/マンジュウガンジュ)(マンジュウガンジュの入り口)(満喜世山の森)(マンジュウガンジュの祠)(マンジュウガンジュの祠内部)(高原海洋神の石碑)(マンジュウガンジュに隣接した拝所)(マンジュウガンジュに隣接した拝所)(満喜世山の森)(満喜世山/マンジュウガンジュ)(満喜世之殿)(満喜世之殿の拝所)(満喜世之殿)(満喜世之殿の井戸)(満喜世之殿の井戸)(満喜世之殿)
2024.05.06
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(仲宗根ウガン/内城アマミヤ嶽)沖縄県沖縄市の「仲宗根町」があり沖縄市役所の南東側の丘陵に「仲宗根ウガン」の祠が建立されています。こね周辺一帯は「ウチグスク/内城」と称され「仲宗根グスク」とも呼ばれています。1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」には『内城アマミヤ嶽 神名 コバヅカサノ御イベ 仲宗根村 / 外間之殿 神名 マネヅカサノ御イベ 同村 仲宗根巫崇所』と記されています。「仲宗根ウガン」の広場は「ウンサクモー」と言われており集落の「5月ウマチー」などで拝され、祠内には「仲宗根火神/地頭火之神」も合祀されています。更に、この丘陵一帯には約3,500年前から600年前に渡り存続した「仲宗根貝塚」があります。この遺跡からは抜歯された人の顎骨や動物の骨、祭祀に関係すると思われるガラス玉、中国製陶磁器や土器、青磁、白磁、鉄製の鎌、須恵器などが出土しています。(仲宗根ウガン/内城アマミヤ嶽/仲宗根貝塚)(仲宗根ウガン/内城アマミヤ嶽の鳥居)(仲宗根ウガン/内城アマミヤ嶽の灯籠)(仲宗根ウガン/内城アマミヤ嶽)(内城アマミヤ嶽の石碑)(外間之殿の石碑)(仲宗根火神の石碑)(仲宗根ウガン/内城アマミヤ嶽の祠から見た鳥居)(仲宗根ウガン/内城アマミヤ嶽の丘陵)(仲宗根ウガン/内城アマミヤ嶽)(ウンサクモーの拝所)(ウンサクモーの拝所の祠)(ウンサクモーの拝所の祠内部)(ウンサクモー/仲宗根貝塚)(ウチグスク/内城/仲宗根グスク)
2024.05.02
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