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2021.03.16
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カテゴリ: 北中城村

(熱田マーシリー)

沖縄県北中城村に「熱田マーシリー」という有名な悲恋伝説があります。その伝説の聖地が国道329号線沿い、渡口交差点と中城モールのちょうど真ん中に佇む「熱田マーシリー」です。この隆起した琉球石灰岩の大岩が「熱田マーシリー」と呼ばれるクシャティ(腰当て)で、北中城村の文化財として登録されています。


(北側から見た熱田マーシリー)

悲恋伝説によるとその昔、現在の八重瀬町である具志頭(ぐしちゃん)間切の白川桃原樽金(タルガニー) と、現在のうるま市にある勝連(かつれん)間切浜村の浜川真鍋樽(マナンダルー)がお互いに恋したが、結ばれることなく二人とも恋焦がれ死んでしまい、遺言によって一緒に埋葬されたと言われています。その墓が「熱田マーシリー」と伝わっているのです。


(勝利のV字ガジュマル)

具志頭(ぐしちゃん)間切は現在の八重瀬町にあり、この「具志頭V字ガジュマル」は具志頭地区のシンボルとして知られています。昭和39年に当時の具志頭中学校の敷地だったこの場所に、幹がVの字に分かれたガジュマルを生徒が見つけて来て卒業記念として植えました。その後は役場の敷地になりましたが、このガジュマルに祈ると勝利につながると言われており「勝利のV字ガジュマル」と呼ばれています。


(熱田マーシリーの入り口)

「熱田マーシリー」の悲恋伝説は「難題聟」とも呼ばれている琉球民話です。琉球王国時代に具志頭村に白川タルガニーという美男子がいました。ある日、白川タルガニーは商人から「勝連浜の村に琉球一番の美女が住んでいる」と聞きました。すると白川タルガニーは「自分の目で見てみたい」と、わざわざ具志頭から遠く離れた勝連南風原の浜原という村に出掛けたのです。


(熱田マーシリーの琉球石灰岩とガジュマル)

白川タルガニーは村で浜川マナンダルー見つけ、その美貌に一目惚れしてしまい「私の奥さんになって欲しい」と結婚を申し込みました。浜川マナンダルーも白川タルガニーが美男子であったため、一目惚れしてしまいましたが思い詰めてしまったのです。そこで浜川マナンダルーは白川タルガニーがどれだけ頭が良い人物か知るために謎掛けを出しました。「二頭の馬に鞍を一つ載せて、一人で乗ってきて下さい」


(琉球石灰岩の下に湧き出る井泉)

白川タルガニーは謎々の意味が分からなくなり、具志頭に戻って村のお婆さんに助けを求めたのです。人生経験豊富なお婆さんはこう言いました。「妊娠している分娩前の馬に鞍を載せて、今すぐ乗って行きなさい」すると浜川マナンダルーは非常に感心して白川タルガニーをますます気に入ってしまいました。浜川マナンダルーは更にこんな謎掛けを出したのです。「上のすだれと下のすだれが仲良くなった時に来てください」


(熱田マーシリー内部の空間)

再び答えがわからない白川タルガニーは具志頭のお婆さんを再度訪ねました。するとお婆さんは「上のまぶたと下のまぶたが一緒になって眠った時分、つまり夜中に忍び込んで来なさい」と答えました。白川タルガニーは言われた通りに夜中に浜川マナンダルーを訪ねると、見事に謎掛けを解いた白川タルガニーにお盆を出しました。お盆には小刀、ご飯が入ったお椀、竹で作った箸を置いて、そのまま自分の布団の床に就いてしまいました。


(小さな石が幾つも積まれた石垣)

白川タルガニーは「晩飯でも食べなさい」と思ってご飯を食べてしまいました。すると浜川マナンダルーは突然怒り出して白川タルガニーに「帰れ」と言って家から追い出してしまいました。意味が分からないまま怒らせてしまい失恋した白川タルガニーは、具志頭に戻りお婆さんに全ての経緯を話しました。するとお婆さんは「これは、直ぐに私を抱いてくれという意味だ」と説明したのです。


(高くそびえる琉球石灰岩)

小刀は沖縄の言葉で"シーグ"だから"直ぐに"という意味、お椀は沖縄の言葉で"わん"は"私"、竹は"ダキ"で"抱き"という意味、米は"込め"。つまり「直ぐに私を抱き込め」という意味だと、お婆さんは答えたのでした。白川タルガニーは「ああ、そうか、残念だった…」と恋に焦がれた挙げ句、恋の病で死んでしまいました。


(具志頭〜勝連南風原)

白川タルガニーを追い出してしまった浜川マナンダルーも、相手が美男子で気に入っていながら素直になれず謎掛けを繰り返した事に後悔しつつ、同じように恋に焦がれて死んでしまったのでした。二人の遺言で男は女の見える場所、女は男に見える場所に遺骨を納めるようにとあり、具志頭と勝連南風原から両方の村の人々が遺骨を運んで来ました。すると丁度「熱田マーシリー」の拝所で二人の遺骨が出会ったのです。そこで、この地に白川タルガニーと浜川マナンダルーを合葬しようと墓が造られたのでした。


(うるま市勝連南風原の「浜川ガー」)

「浜川ガー」は「ハンガーガー」とも呼ばれ、浜川マナンダルーが頭髪を洗髪した場所として知られています。浜川マナンダルーは勝連グスク7代目の城主である浜川按司の娘で、彼女の黒髪は身長の1.5倍もあり竿に髪の毛をかけて洗ったとの伝説があります。因みに「浜川ガー」への行き方は、うるま市発行のパンフレット「南風原の文化財」に記載されている地図をお勧めします。


(浜川ガー)

「浜川ガー」は南風原村のウブガー(産川)として利用されていました。集落で子供が産まれるとこの井泉から水を汲み産湯に使用し、産まれたばかりの赤ちゃんの額に水をつける「ミジムイ」や「ウビナディ」とよばれる水撫での儀式にも「浜川ガー」の水を利用していました。現在でも、旧正月元旦に南風原集落及び、周辺の集落の門中により「カーウビー拝み」で祈られています。


(浜川ガーの内部)

(浜川ガーのガジュマル)

「浜川ガー」は現在も豊かな水が湧き出ています。浜川マナンダルーがその美しく長い黒髪を洗った透き通った聖水は祈りの対象になっていて、井泉にはウコール(香炉)が設置されており、ヒラウコー(沖縄線香)が供えられていました。ガジュマルから生える無数の細い根が、まるで浜原マナンダルーの髪の毛の様に垂れ下がり、非常に神聖な雰囲気に包まれます。


(西から見た熱田マーシリー)

「熱田マーシリー」は「マーシリーグスク」とも呼ばれています。もともと拝所として熱田集落の人々に拝まれていましたが、この拝所に白川タルガニーと浜川マナンダルーの墓が造られました。「熱田マーシリー」の森の内部には無数の小さな石が積まれた石垣の人工建造物があります。そこに悲恋の末に亡くなった美男美女が寄り添って眠っています。


(浜川ガーの入り口から見える勝連グスク)

勝連グスクは世界遺産に登録されているグスクで、7代目城主である浜川按司の娘が「熱田マーシリー」の悲劇のヒロインである浜川マナンダルーです。勝連グスクは10代目城主の阿麻和利が1458年に琉球王府により滅ぼされました。「熱田マーシリー」の悲恋伝説は今から600〜700年前から伝わる伝承で、その頃から白川タルガニーと浜川マナンダルーが同じ墓で寄り添っています。この比翼塚は非常にロマンティックな悲恋伝説として琉球の歴史に深く刻まれているのです。









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最終更新日  2023.10.29 19:40:18
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