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(屋嘉節の歌碑)沖縄本島北部の最南端に「金武町/きんちょう」があり「屋嘉/やか集落」の国道329号(国道331号)沿いに「屋嘉節の歌碑」が建立されています。「屋嘉節」は1945年の沖縄戦後に「金武村/現金武町」の「屋嘉」に設けられた旧日本軍将兵の捕虜収容所で創作されました。現在の金武町立嘉芸小学校の校地周辺を米軍がブルドーザーで整地し、投降した日本軍将兵およそ7千人を収容する「屋嘉捕虜収容所」が設けられました。沖縄出身の捕虜達は空き缶や有り合わせの木材を使い、パラシュートの紐を弦として「カンカラ三線」を作り演奏するようになりました。やがて沖縄の一兵士により「屋嘉節」が生まれて広まり、現在は沖縄民謡として歌い継がれています。隣接する屋嘉の浜には「竜宮神」があり航海安全やニライカナイの神を拝む拝所となっています。(屋嘉節の歌碑)(屋嘉節の歌碑)(日本軍屋嘉捕虜収容所跡の碑)(日本軍屋嘉捕虜収容所跡の碑)(久高島住民強制疎開之記念碑)(久高島住民強制疎開之記念碑)(久高島住民強制疎開之記念碑)(屋嘉の竜宮神/龍宮の神)(屋嘉の竜宮神/龍宮の神)(屋嘉の竜宮神/龍宮の神/ウコール)(屋嘉の竜宮神/龍宮の神)(屋嘉の竜宮神/龍宮の神)(屋嘉ビーチ前バス停)
2024.02.15
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(伊芸のがじまる)「伊芸/屋嘉集落」は沖縄本島の金武町西部にあり、うるま市石川に隣接する海沿いに位置しています。「伊芸のがじまる」は伊芸集落の中心に位置し、周囲は伊芸遺跡の布分地で古くは拝所があり神アサギがありました。金武町指定文化財に登録されるこのガジュマルは推定樹齢約330年、胸高円周3.9メートル、樹高11メートルの巨木で集落の住民の心の拠り所となっています。(伊芸のがじまる/神アサギ跡)長い歳月を生き続けるガジュマルは見事な気根を形成し、集落の歴史を樹幹に刻む「風水がじまる」と呼ばれる伊芸のシンボルとなっています。このガジュマルがある「がじまる公園」には神アサギ跡があり、かつて集落のノロが祭祀を行った聖域が継承されています。ガジュマルには神が宿ると言われ、木の枝を勝手に折ったり木登りをするのは厳しく禁止されているのです。(坊主森/拝殿)(山里和尚の墓)「伊芸集落」の東側に「坊主森」と呼ばれる森があり、中腹に拝殿があり祠の奥に「山里和尚の墓」が祀られています。山里和尚は伊芸集落で真言宗の布教活動を行っていた僧侶だと伝わります。2つある石碑の向かって左側には「大清康煕五十九年 権大僧都法卯頼宥 正位 康子十月二十二日去」と彫られています。石碑の上部に梵字のア(阿)の字が記され「大日如来(胎蔵界)」を意味しています。真言宗では戒名の上に阿字をつけることにより、亡くなった方が本来の世界に還り、仏そのものになったという事を表しています。(さくまつ公園の御嶽)(さくまつ公園の井泉拝所)「伊芸集落」の中央に「さくまつ公園」があり、公園の森の頂に御嶽があり香炉が設置されています。この森は古より伊芸集落の住民の信仰の対象だったと考えられ、森の頂に祀られている御嶽の拝所は集落の守護神と崇められています。御嶽の正面からは下り階段が続き、麓には井泉が祀られています。森からの恵みに感謝する神水を崇める香炉が設置されており住民に拝まれています。(ノロ家)(神屋)(御嶽)伊芸公民館に「ノロ殿内」の敷地が隣接しています。向かって右側の白い建物か「ノロ家」で、伊芸ノロが住む家として畳部屋の琉球仏壇に位牌が置かれています。左側の赤い建物は「神屋」と呼ばれる神アサギで、ノロが祭祀の儀式を行う神聖な場として3基の香炉、3つのビジュル石を祀るヒヌカン(火の神)が設置されていました。敷地の一番奥には「奉 皇紀二千六百年紀念」と記された「御嶽」の祠があり2基の香炉が祀られています。(カーメー/産川)(美徳川沿いの香炉)「ノロ殿内」の北側の山中に泡盛醸造所「松藤(旧崎山酒造廠)」があり、敷地の脇に美徳川が流れています。酒造場の北側にある森の中に「カーメー(産川)」の湧き水があり、湧き水が流れ込む川沿いの場所に香炉が祀られています。かつて伊芸集落の住民が「カーメー」の水を飲料水や生活用水の他にも、子供が生まれたときの産水や旧正月の若水に汲んでいました。美徳川に向けて香炉が設置されており「カーメー」の恵みを授かる聖なる川として崇められています。(祝女之墓/ノロの墓)伊芸集落の最東端の森に「祝女之墓」があり、歴代の伊芸ノロ達の魂が祀られています。このノロ墓は金武湾の「平田原の浜」に隣接する場所にあり、墓は伊芸集落のノロ殿内の方角を向いて建てられています。伊芸ノロ達は祭祀行事だけでなく、旧盆には「カーメー」の湧き水で神酒を造り住民に振舞うなど、集落の暮らしに深く根付く存在でした。(屋嘉集落の根屋/トンチ小)(根屋のヒヌカン)「屋嘉集落」は「伊芸集落」の西側に位置し、うるま市石川地区と隣接する小さな集落です。「屋嘉集落」の中央に屋嘉児童公園があり、敷地内に「根屋(トンチ小)」があります。屋嘉集落が発祥した時の火種を保管し住民に火種を分け与えたのが根屋(トンチ小)でした。それに由来して根屋を集落の火の神として祀り、屋嘉の守護神として崇めるようになったそうです。根屋には4基の香炉、ヒヌカンには3つのビジュル石が祀られています。(屋嘉のウフカー/大井戸)「屋嘉のウフカー」が「根屋」の北側にあります。金武町指定文化財の「ウフカー」は石積みの掘り下げ井戸で、屋嘉の村カーとして造られ飲料水や生活用水として利用されていました。この井戸は長年に渡り集落の祭祀と深い関係がある神カー(神井戸)とされ、旧正月元旦の若水や産水を汲み、死者の清めの水にも利用されました。(底森御嶽の鳥居)(底森御嶽の拝所)「屋嘉集落」の北西側に「底森御嶽(神名:コバヅカサノ御イベ)」があります。この御嶽は「琉球国由来記(1713年)」に金武間切屋嘉村底森御嶽と記され、屋嘉の「西の御嶽」と呼ばれています。屋嘉集落の成立と遍歴を知る上で重要な御嶽とされ、御嶽の森にはヒヌカン(火の神)が祀られる祠があります。屋嘉集落での神事の折々には祭司が祈願を司る聖地として信仰されている御嶽です。(ヨリブサノ御嶽の鳥居)(ヨリブサノ御嶽の拝所)「ヨリブサノ御嶽」は屋嘉集落の北東側に位置し「琉球国由来記(1713年)」に金武間切屋嘉村ヨリブサノ御嶽(神名:アコウヅカサノ御イベ)、祭祀は伊芸ノロに所掌と記されています。この御嶽は屋嘉集落の発祥と深く関わりを持ち、遥か昔から土地の守護神として崇められていました。屋嘉集落での神事の祈りには祭司により集落の繁栄と豊年の祈願が行われている由緒ある御嶽です。(ヨリブサノ御嶽の森)金武町「伊芸集落」と「屋嘉集落」共に御嶽は集落発祥の起源として崇められ、土地の守護神として祀られ続けています。御嶽の森が豊かな水源の井泉を生み、そこに人々が集まり集落を築き文化を形成させてきました。琉球国由来記にも記されるように、御嶽は神名が付けられており、神が宿る聖域として現在でも集落住民の祈りの対象とされているのです。
2021.05.09
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(観音寺鍾乳洞の布袋尊)「金武/並里集落」には数多くの町指定文化財があり、いずれも金武町の長い歴史に培われてきた貴重な文化財です。昔から人々の生活や風習との関わりを強く持ち、集落の歴史を知る上で欠くことのできない文化遺産です。金武集落の郷土に対する誇りを高め、文化の向上と将来への継承に資することを目的にその保存と活用が図られているのです。(観音寺本堂)(観音寺本堂の内部)「金武集落」の北部に「観音寺」があり、16世紀に真言宗の僧侶である日秀上人によって創建されました。 現存する観音寺は昭和17年に再建されたものですが、建築手法には近世社寺の手法が取り入れられています。 沖縄県下の社寺建築の多くは沖縄戦で焼失しましたが、幸い観音寺は戦災を免れ古い建築様式をとどめた貴重な木造建築として今日に至っています。(観音寺のフクギ)「観音寺」のフクギは正門礼拝道を下った17m左側に位置し、その樹根と樹枝の大きさは、沖縄本島各地の樹木調査の中でもひときわ大きいフクギの木で、各地の調査と比較した結果(平成3年)によると樹齢約350年と推定された希少な巨木です。現在は樹齢約380年の歴史を積み重ねて成長し、なお力強く根を張り高くどっしりとそびえる巨木となっています。(観音寺鍾乳洞の入り口)(鍾乳洞の金武権現宮)本堂に向かって右側には「日秀洞」と呼ばれる鍾乳洞窟があります。ここには観音寺鎮守「金武権現(熊野三所権現)」と「水天」が祀られています。更に、この鍾乳洞の内部に琉球八社の一つである「金武宮」の祠が建てられて祀られています。高野山で修行を積んだ日秀上人が浄土を目指して熊野から出発し、金武集落の富蔵津(現在の福花)に漂着した後、この地に金武観音寺を建立しました。その頃「日秀洞」の鍾乳洞内に熊野三所権現を勧請し「金武権現宮」を建立しました。地下30メートル、長さ270メートルと言われており、戦時中は防空壕として使われ多くの人々が命を救われました。(金武グスクの石垣)(金武グスクの霊石柱)「金武グスク」は観音寺の東側に位置する「上ヌ毛」と呼ばれる丘の上に立地しています。金武町内で唯一確認できるグスクで、築城時期は14〜15世紀頃とみられます。現在は「上ヌ毛公園」として整備され、城壁の石垣が残っています。丘の上には霊石柱が祀られておりウコール(香炉)が設置されています。他にもフィリピン移民の父「大城孝蔵」の銅像や、金武湾を見渡せる展望台がある公園として集落の憩いの場になっています。(金武公会堂のガジュマル)(金武城門の石)「金武グスク」の東隣に金武公会堂があり、立派な高樹齢のガジュマルが周辺地域のシンボルとなっています。キジムナーが宿ると言われるガジュマルの木の下に「金武城門の石」が移設されています。かつて「金武グスク」の城門を守った琉球石灰岩で、ガジュマルの古木と共に古より金武集落の人々の暮らしと歴史を見つめ続けてきた貴重な文化財です。(トゥムスズ御嶽のガジュマル)(トゥムスズ御嶽の鍾乳洞穴)「金武集落」の金武公会堂の東側に「トゥムスズ御嶽」があり琉球国由来記(1713年)に金武間切金武村「トゥムスズイベ(神名:シマネドミ)」金武ノロ崇拝所と記された御嶽です。村建ての火神として御嶽を中心に周辺には根神、祝女殿内、外間、掟神の居所が築かれている事から村落構成の基礎をなした地域と推察されています。御嶽の森の中腹に鍾乳洞穴がありウコールが設置された拝所となっています。(トゥムスズ御嶽のノロ殿内)(ノロ殿内の内部)「トゥムスズ御嶽」は金武の村落共同の火神が祀り継がれてきた歴史ある御嶽で、先人の遺産分布地帯であり琉球石灰岩地帯に自生する植物群落の森は、先祖が守り育ててきた自然の遺産となっています。御嶽の西側の麓に「ノロ殿内」があり内部にはヒヌカン(火の神)とビジュルが祀られており、天地海を示す3つの霊石、花瓶、陶器のウコール、二枚貝のウコールが設置されています。(ナーカムイの拝所入口)(ナーカムイの拝所)「金武集落」の金武児童公園の北側に「中森(ナーカムイ)の拝所」があります。この付近一帯は「御願原」と呼ばれ琉球国由来記(1713年)の金武村の概要に「中森二御前」(神名:タケノコホツカサノ御イベ、ヨンサノツカサ御イベ」と2つのイベ(拝所)が記されています。東の方角に向けられた「ナーカムイの拝所」には、大小12基の香炉群が正方形の枠内に並び、そこに別の2つの香炉が設置されています。(へーシンバの拝所)(へーシンバの拝所/右側の香炉群)(へーシンバの拝所/左側の霊石と香炉)「ナーカムイの拝所」の北側にある「金武区公民館(金武区図書館)」の敷地に「へーシンバ(拝神場)の拝所」があります。拝所の右側には大小30基余りの香炉群が長方形の枠内に祀られています。その左側に隣接する場所には天地海を示す3つの霊石を祀るビジュル、3基の香炉と1つの別の霊石が北東の方角に向けて設置されています。「御願原」と呼ばれるこの一帯は、古より先人によって神を拝む聖域とされていました。(金武観音寺の梵字碑)「観音寺」に建つ梵字碑の梵字には旧梵字が用いられており、歴史を伝える大変貴重な文化遺産となっています。昔から「観音寺」周辺には無縁墓が多数あり、梵字碑はその行き場の無い霊魂を鎮めるために祀られたそうです。「金武集落」と「並里集落」には多数の御嶽や拝所が存在し、金武間切の文化的かつ宗教的中心地として発展してきました。その歴史を受け継ぐように両地区は、現在の金武町の経済的中心地として人々の暮らしを支えています。「金武/並里集落」に受け継げられた遺跡文化財は金武町の人々の誇りであり、郷土愛の礎となる宝として未来に大切に継承されてゆく事でしょう。『追加情報』(観音寺元山住職からの書面)「金武観音寺」の「梵字碑」について金武町教育委員会に問い合わせをしました。後日「金武町教育委員会社会教育課金武町教育文化センター」の担当者より連絡を頂いたのです。「梵字碑」は前住職のときに建立され、旧字体が含まれるため、現住職の元山住職も詳細については不明な箇所もあるとお聞きしているそうです。金武町教育委員会でも関係各所で梵字について調べましたが、全ての字体の意味は把握することは出来ませんでしたとの連絡を頂きました。しかしながら「梵字碑」の内容について「金武観音寺」の元山住職から書面を頂いたという事でその貴重な資料を送ってくれました。金武町教育委員の担当者と「金武観音寺」元山住職に非常に感謝しています。どうも有難う御座いました。
2021.05.04
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(ウッカガー)「金武/並里集落」は沖縄本島中央部の東海岸に位置し、金武湾に面して対岸に勝連半島、平安座島、宮城島、伊計島を望む地域にあります。「金武/並里集落」の北側は恩納岳連山を挟んで恩納村と接し、面積の約60%を米軍基地(キャンプ・ハンセン)が占めています。「金武/並里集落」は水源豊富な井泉に恵まれ、沖縄貝塚時代の古代より人々の平穏な暮らしがありました。(ウッカガーの赤瓦屋根)(ウッカガーの正面)「並里集落」に金武町指定文化財に登録される「ウッカガー」の井泉があり「金武大川」の名でも知られています。「ウッカガー」は琉球石灰岩の多孔質を基盤とした地下水の湧き出た代表的な井泉です。大正13年に衛生上の見地から用途別に区切り、井泉口の根を飲料水、男女別の水浴場、洗濯場、芋洗場を設けて構築され住民に重宝されたのです。(長命の泉の石碑)この井泉は上水道が普及する以前は「並里集落」の住民の飲料水であり、元旦の若水を汲み、夏には水浴を楽しみ、また地域住民の出会いの場でもありました。井泉は干ばつ時にも渇水せず豊富な湧水量は1日に1000トンを超え、先人より継承された清水は石碑に示された「長命の泉」を象徴しています。(ウッカガーの火の神)(金武大川鍾乳洞)「ウッカガー」の井泉の丘の中腹にヒヌカン(火の神)の祠がありウコール(香炉)が設置されています。「ウッカガー」の守り神であり水の神が祀られています。ヒヌカン(火の神)から更に丘を登ると「金武大川鍾乳洞」があり、豊富な水源を生み出す土地の神が祀られています。鍾乳洞の入り口にはウコール(香炉)が設置されており拝所として聖域となっています。(キンタガー/飲料水井戸)(キンタガー/水浴場)金武町指定文化財に登録されている「キンタガー(慶武田川)」は「並里集落」南東の端に位置し、周辺地域は並里集落発祥の地とされています。湧き出る水は夏場でも枯れる事なく、井戸は飲料水井戸、男女別の水浴場、洗濯場、芋洗場に分かれています。飲料水用の井戸には10箇所程から豊富な水が勢い良く流れ出していました。(キンタガー/芋洗場・洗濯場)(神泉の石碑/ビジュル神)上水道が普及する以前は周辺住民の飲料水であり、洗濯や水浴の他にも夕涼の場としても住民の生活に根付いていました。現在でも井泉は農業用水として大切に利用されています。キンタガーには「神泉の石碑」と「ビジュル神」が祀られており、それぞれウコール(香炉)が設置された拝所として地域住民が豊富な水源に感謝して水の神に祈っています。(ティダガー森林公園)「金武集落」の金武町立金武中学校西側に「ティダガー森林公園」があります。南北に400メートル、東西に100メートルに広がる森林公園には3つの井戸が拝所として祀られています。公園には南北にせせらぎが流れており、種類が豊富な亜熱帯植物のジャングルになっています。御嶽のように神聖な雰囲気を醸し出し、神が住む聖域と呼ぶに相応しい深い森に包まれています。(ナーカヌカー)「ティーダガー森林公園」にある3つの井泉のうち一番北側に「ナーカヌカー」があります。嘉陽層の谷筋を掘ったカー(湧水)で、現在も香炉があり旧正月のカーウガン(井戸の拝み)でティダガーの参道から遙拝されます。以前は周辺住民の飲料水や洗濯等生活用水に使われていました。今でも水量が非常に豊富で「ナーカヌカー」の学習広場は湧水で溢れていました。(ティーダガー)「ティーダ」は沖縄の言葉で「太陽」を意味します。「ティーダガー」は嘉陽層の谷筋を掘ったカー(湧水)で、香炉が設置されており金武集落の金武地区、並里地区、他の地区の人々が信仰の対象として拝んでいます。旧正月に「ティーダガー」の水を含んだ土を持ち帰り、豆団子にして額に付けるミンナデ(水撫で)の儀式が行われていました。「ティーダガー」の水は飲料水に使われる事はなく、信仰の対象として崇められていました。(ミーガー/ジョーガー)(ミーガー/ジョーガー)「ミーガー/ジョーガー」も嘉陽層の谷筋を掘ったカー(湧水)で隣接し合った井泉です。今となってはその位置関係を明確に知る事は出来ませんが、小さなサークダー(谷底の田んぼ)の水源の他にも飲料水や生活用水として使われていました。近隣住民の子供達の絶好の遊び場で水浴びの姿がよく見られたそうですが、現在は井泉の拝所として拝まれています。(モーシヌ森公園の神アサギ)「並里集落」の東部に「モーシヌ森公園」があり神アサギが建てられいます。かつてこの森に「ヌンドゥンチガー」と呼ばれる井泉とノロ殿内がありました。戦前は金武ノロが拝み祭祀の行事をする場所であった事から、公園整備の際に現在の場所に「神アサギ」が移されました。また、琉球王国時代にはこの地にウトゥンヤーシキ(御殿屋敷)があったと伝わっています。(神アサギの御嶽神)(神アサギのビジュル神)モーシヌムイ(モーシヌ森)は御嶽の森として崇められ、神アサギの内部右側には「御嶽神」が祀られています。左側には「ビジュル神」が祀られており、天地海を意味する3つの霊石とウコールが設置されています。明治時代までは「並里集落」の女性達による祭祀舞踊のウスデーク(臼太鼓)が神アサギにて奉納されていました。(モーシヌ森公園の川神)モーシヌ森にかつてあった「ヌルドゥンチガー」や、かつて御嶽の森から湧き出ていた井泉を祀る「川神」の祠があります。「金武/並里集落」では水の恵みに対する神への信仰心が非常に強く、住民は豊かな水源に感謝して生活してきました。湧水が出る森や御嶽も多く存在し「金武/並里集落」の人々の生活根源である水源は、これからも未来永劫と平和を象徴するように湧き続ける事でしょう。
2021.05.02
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