全12件 (12件中 1-12件目)
1
[1] 読書日記 <本を読み、話をきいて、大事なところだけを書き留めるノート。 これは選択が含まれる。 選択は価値基準がはっきりしていないと行われない。 そういう基準をもって選択のできる機械はないから、 こういうノートはきわめて人間的な作物となる> 外山滋比古 「知的創造のヒント」(講談社現代新書) を読了。 用いられているアナロジーが強く目をひく。 これまた本書からの引用ではあるが、<すぐれた比喩は思考を節約する>を、まさに 身をもって体現している本。 文章によっては、美しい詩のようでさえある。 冒頭に引用した「ノート」よろしく、とにかく読んでいて印象に残ったアナロジーや、 箴言を以下に書き留めておく。 ★EX. 学校とは。 <学校とは、 放って置けば忘れることをいかにして忘れないようにするか、 の労力を競い合う場所である> <借りてきたアイディアはさしずめ、 花の咲いている枝を切って来るようなものである。 本当の移動でも何でもない。 切り花は根がないから、たちまち、枯れてしまう。 そこで根が生えたり、次の代の花がついたりしないのはもちろんである。 学校で教えるのは、 つまり切り花の売買であって、 花はいかにして咲かせられるかという思想の園芸学ではない。 知識人というのは 切り花の中にうまって花の香にむせぶ花屋にいくらか似たところがある> <自分では飛べないものを引っ張って飛び上らせる。 落ちそうになったらまた引っ張り上げる。 こうして落ちてくるひまのないグライダーは、 永久に飛び続けられるような錯覚をもつかもしれない。 しかし、それはあくまで錯覚である。 学校の成績の優秀な学生が、 卒業論文を書く段になって思いがけない混乱に陥ることがすくなくない。 小学校以来、試験といえば、教わったことをそのまま紙に書きつける。 それがうまくいくと満点をもらってきた。 引っ張られるままにおとなしく飛べれば“優秀”なのである。 それはグライダーとしての性能である。 そういうグライダーに向かって、さあ、自由に飛んでみよ、 いつものように、引っ張ってはやらない、自力の力で飛ぶんだ、 といったらどうであろう。 “優秀”なグライダーほど途方に暮れる。 下手に自前のエンジンなどつけていると、グライダーの効率は悪くなる。 グライダーはグライダーに徹しなくてはならない。 そう思っているときに急に自力飛翔を求められる。 混乱するのは当たり前である。 独創的な論文など何のことか見当もつかない。 学校はグライダー訓練所である。 そこで飛ぶことができるようになる、と見るのはあくまで外見の上だけにすぎない。 何年滑空していてもエンジンのついていないのははっきりしている。 自力で飛び立つことはできない> <現在われわれが継承している文化、学問、知識は、 かって醸造された酒の集積である。 時代がくだるにつれて、学問が進み、知識の量が多くなると、 新たな酒を造ることよりも過去の酒について知ることの方が 意義があるように思われてくる。 造り酒屋ではなく、酒の問屋、小売店、バーテン向きの勉強が、 学校でも重要な地位を占めるようになる。 そこで酒を造れといわれたら、カクテルを作るほかはない。 何年バーテンの修行に年季を入れても 一滴の地酒を造ることもできないからである> <ある空気をつくっておくと、 いかなる場合でもその枠から外れた行動はしにくくなる。 学校などでも、実際の教育もさることながら、 校風といったものによる薫陶がなかなか大きな意味をもっている。 何年間かそういう雰囲気にひたっていたもの同士には、 ある共通の特性が認められて学閥といったものが生まれることになる。 われわれは空気からは自由になることは難しい。 恐るべきはそういった環境である>
2007年06月28日
コメント(0)
[1] 読書日記 <「舞台の上の恋人たちがうらやましい。 彼らは一番美しいところ、一番激しいところだけを、 繰り返し、繰り返し生きられるのだから。 生身の人間はそうはいかない。 どんなに思っているつもりでも、少しずつ忘れていってるんだ」> とは、作中人物の台詞であるが、これは当然舞台に限った話ではない。 映画でも音楽でも絵画でもテレビドラマでも、そして小説だってそうである。 勿論、対象も「恋人たち」(恋愛)だけに当てはまるものでもない。 人の営みが及ぼす感動全般に言えることである。 近藤史恵 「ねむりねずみ」(創元推理文庫) を読了。 私も生身の人間であり、どんなに思ってるつもりでも、少しずつ読後感は薄れていき、 失われていくのだろうが、現状では「面白かった」と素直に言える作品。 歌舞伎の世界を舞台にしたミステリ。 フーダニット。 ホワイダニット。 突然言葉を忘れ始めた(といっても「私の頭の中の消しゴム」ではありません)天才 歌舞伎役者を夫に持つ妻の苦悩と、その二ヶ月前に彼が出演する舞台中に客席で起こった 殺人事件の真相が、見事に絡まり着地する物語。 関連作品(今泉文吾シリーズ。「ねむりねずみ」が第一作) 第二作「ガーデン」(番外編) 第三作「散りしかたみに」(歌舞伎ミステリ) 第四作「桜姫」(歌舞伎ミステリ) 第五作「二人道成寺」(歌舞伎ミステリ)
2007年06月25日
コメント(0)
[1] 読書日記 <「だからそういう相談に来る人の場合、問題はその悪口自体じゃないったい。 それはきっかけに過ぎんと。 その前から、当事者同士に何らかの利害の対立、感情の行き違いなんかがあって、 もやもやしていたところに、相手が自分について何らかのコメントをしたと聞く。 普段ならば気にならんのやけど、元々わだかまりがあるもんやから、 それを悪意に解釈して腹を立て、弁護士に相談までする。 そういう構図たい」 「主観的偏見が、客観的正常を異常に歪めてしまうってこと?」 広瀬が小難しくまとめる。 「そうそう。実を言うと、世の中の紛争の大部分はこれなんよね。 離婚だってそうなんで、今までは痴話げんかで終わっとったのに、 ある日突然離婚にまで発展する。 その時のけんかが特別深刻だったわけじゃなくて、 それ以前の溜まりに溜まった感情が、 そのけんかがきっかけに顕在化するせいなんよ。 だから、人の離婚の原因を聞いて、 『その程度のことで』とか 『そういうけんかだったらうちでも毎日してますよ』なんて言うのは、 全くの的はずれたい。 『その程度のこと』をもはや『その程度のこと』と受け止められないくらい 感情が激化していると考えないかんったいね」> 「行列のできる法律相談所」なんていう番組に関心が寄せられる今の時代とこそ、相性 が良いのではなかろうか、と思わせる、 剣持鷹士 「あきらめのよい相談者」(創元推理文庫) を読了(単行本は95年に出版されている)。 ミステリ。 アームチェア・ディテクティブ(参照:「安楽椅子探偵 - Wikipedia」)。 「日常の謎」系(参照:「日常の謎 - Wikipedia」)。 法律事務所でイソ弁を勤める主人公の「僕」の語る奇妙な体験談の謎を、「僕」の親友 であり、司法浪人の女王光輝(めのうみつてる。呼び名は「コーキ」)が論理的に解決し てみせる作品集。 三つの短編と中篇一作を収録。 収録作品 「あきらめのよい相談者」:第1回創元推理短編賞を受賞作品。 「規則正しいエレベーター」:いつも規則正しく二階にとまっているエレベーターの謎。 「詳し過ぎる陳述書」:離婚訴訟における相手の陳述書は、嘘か否か。 「あきらめの悪い相談者」:かっての依頼人が殺人を犯したのをニュースで知った僕。 でも、寝ぼけていたので被害者がわからない。 そこで僕の話を元に、被害者探しをすることに。 本編もさることながら、巽昌章の解説が良い。 個人的に、探偵役の女王光輝の呼び名は「コーキ」よりも、この名前だったら絶対に 「メーテル」でしょう、とか思ったり。 <剣持風梅肉スパゲッティ>のつくりかた 3人前(P.222より) 1) にんにくを4,5片みじん切りにして、たっぷりのオリーブオイルで炒める。 2) 腹をさいて種を除いた鷹の爪も加えるが、これは香りと辛みを少しつける程度で すぐに引き上げる。 3) 炒めたにんにくはオリーブオイルごと耐熱ガラスのボールに空ける。 4) 梅干を10粒ばかり種を取り、ラップに包んで包丁の背で叩き、料理酒で延ばす。 5) 大葉を洗い、キッチンペーパーで水気をふき取り千切りにする。 6) スパゲッティをゆで、湯を切って先程のボールに入れオリーブオイルを絡める。 7) それを皿に分け、中央に料理酒で延ばした梅肉を載せる。 8) 大葉、かつお節、焼いた海苔を順にまわりに散らして完成。 参照作品 パット・マガー 「被害者を捜せ!」(創元推理文庫) パット・マガー 「七人のおば」(創元推理文庫) 関連作品 作者の剣持鷹士は「競作 五十円玉二十枚の謎」(創元推理文庫)の公募企画で 「最優秀賞」を受賞。
2007年06月21日
コメント(0)
[1] 読書日記 この作者の短編なら最近も読んだ記憶があるが、長編となると、いつ以来だろうか。 <老女が指差したのは押入れの天井だった。 彼がのぞきこんでみると、天井の板が数センチほどずれ、 その隙間から黒々とした空間が見えた。 「あそこから天井男があたしを監視してるんだ」> 折原一 「天井男の奇想 倒錯のオブジェ」(文春文庫) を読了。 サスペンス。 この作者らしいトリッキーな作品。 一読後、すぐに再読してすっきりする。 概要は一言では説明しにくい。 複数の登場人物と、複雑なプロットが錯綜している。 読んでいて、とにかく長く感じる。 情報の反復率が高く、文章に含まれる新しい情報の割合がとにかく低く(あるいは低い ように錯覚させられ)、一向に物語が進展しているような気にならない。 作風や作者の仕掛けるトリックについては、映画の続編と同じ性質。 ある種の型であったり、キャラクターであったり、あるいは二番煎じであったり、水戸 黄門の印籠であったりを承知して、もしくは期待して観にいっているのだから、それをや れマンネリだの、ワンパターンであるだの言ってもしかたがない。 それと同じ。 参照作品 江戸川乱歩 「陰獣」 江戸川乱歩 「屋根裏の散歩者」 関連作品 折原一 「天井裏の散歩者」 折原一 「幸福荘の秘密」(「天井裏の散歩者」の続編)
2007年06月20日
コメント(0)
[1] 読書日記 サキ 「サキ傑作選」(ハルキ文庫) を読了。 短編&掌編小説集。 異色短編(奇妙な味)。 短編ミステリとして有名な「開いた窓」(本作品集では「開かれた窓」)を筆頭に、 <子どもたちが理解できて、それでいて良い話>を青年が語る「お話の名人」、<私が 受けた教育、および私の性格に、専門的なものがなかったため>死刑になってしまう男 が語るその経緯「出てこなかった州名」など21篇。 物語の面白さを味わえる。 物語の魅力を再発見できる。 サキ-Wikipedia
2007年06月18日
コメント(0)
[1] 読書日記 <今晩、読みにでも行こうか?> 蒼井上鷹 「九杯目には早すぎる」(双葉社) を読了。 ミステリ。 いわゆる推理小説から、異色短篇(奇妙な味)まで、第26回小説推理新人賞受賞作やら 第58回日本推理作家協会賞・短編部門の候補作など9作品が含まれた短編集。 本作が著者のデビュー作。 全編「皮肉な結末」といって良い作品が集められている。 50ページ程度の作品と、10ページに満たない作品が交互に並ぶ構成になっており、読み ながらにして骨休みが可能。 本の装飾も、サービス精神旺盛。 本の表紙が、恐らく客(読者)が店に入ってまもない瞬間を絵で表し、ページをめくる ことで、→席に腰を落ちつけ(本を開いて)→メニュー(目次)に目をやり→カクテル(作 品)を飲み(読み)進んでいるように感じられる作りになっている。 酒の飲み方同様に、ダラダラちびちびでも、ハイピッチでグラスで空けていくことでも、 楽しめ、そしてその様子が視覚でも味わえる一冊。 作者参考文献 都筑道夫 「キリオン・スレイの生活と推理」(角川文庫) 「漱石書簡集」(岩波文庫) シオドア・スタージョン 「不思議のひと触れ」(河出書房新社) スコット・スミス 「シンプル・プラン」(扶桑社ミステリー) ハリイ・ケメルマン 「九マイルは遠すぎる」(ハヤカワ・ミステリ文庫) レイモンド・チャンドラー 「長いお別れ」(ハヤカワ・ミステリ文庫) G・K・チェスタトン 「ブラウン神父の童心」(創元推理文庫) 関連作品 蒼井上鷹 「二枚舌は極楽へ行く」(双葉社)
2007年06月17日
コメント(0)
[1] 読書日記 北沢志貴 「ヒロシ」(新風舎文庫) を読了。 第6回新風舎文庫大賞受賞作。 作者は当時、18歳。 ホラー。 ホワイダニットミステリ(犯人は「何故?」という動機探し)。 暗号解き(ダイイングメッセージ)。 トラックの横転事故に巻き込まれ、鉄パイプが腹に突き刺さったにも関わらず、「ヒ ロシ」から特別な力を与えられたことで、一命をとりためた美咲(高3・♀)。 しかし、彼女と同様、大事故や交通事故から「ヒロシ」に助けられた女性たちは、そ の一ヵ月後に、今度は「ヒロシ」によって必ず自殺させられているという。 「ヒロシ」は何故、一度助けた女性をわざわざ殺すような真似をするのか? そして「ヒロシ」とは何者なのか? 美咲は、姉を「ヒロシ」に自殺させられた俊(高3・♂)と共に、謎解きに乗り出す。 上記の概要をザッと読んでもらえば分かるように、構造は日本で現在もっともメジャー なホラー小説「リング」に近い。 ただ、作者や主人公たちの年齢の影響なのか、ジュブナイル色が濃く、ホラーとしては 薄口。ぶっちゃけると、全く怖くはない(恐らくそこに重きを置いていない)。 謎の方も、作者の小説技術がつたないためか、あるいは親切すぎるのか、結構早い段階 で予想がつく。でも、ミステリに読みなれていなければ、充分に驚けるレベルのどんでん 返し。 登場人物の造形や個々のエピソードが、10~20代の作家の作品でよくお目にかかる類型 的なものではあるが、その世代のミステリやホラー作家たちに類を見ぬほど、物語やテー マの展開は、健全であり穏やか。ラブ&ピース。 そのために作品からは、若者たちを取り巻く閉塞感と同時に、それを打ち破ろうとする 希望であり期待が大いに感じることができる。 読むのが遅い人でも3時間あれば読み終わる一冊。 交通機関での移動時間や、暇つぶしの読書に最適です。
2007年06月14日
コメント(0)
[1] 読書日記 久々に人に自信をもって「面白い」と薦められる小説、 ダン・ローズ 「ティモレオン センチメンタル・ジャーニー」(中公文庫) を読み終える。 翻訳の金原瑞人いわく、 <飼いならされた猫のような、 センチメンタルな癒し系の作品を読みたい人には、 用のない作品だが、 野生の虎のような、 力にあふれた激しい作品を激しい作品を読みたい人には格好の一冊だろう> 解説の江國香織いわく、 <この先百回引越しをしても、 この先百年生きたとしても、 私の本棚には「ティモレオン」が入っていると思う。 毎日本ばかり読んで暮らしていても、 そんなふうに思える本には滅多に出会えない> そして本の帯、ダン・ローズの単行本「小さな白い車」の宣伝文が、 <「マジ? あたしプリンセス殺しちゃった」 失恋したヴェロニクは、酔った勢いでパリのトンネルを車でとばす。 翌朝目覚めると、ガレージに停めた車には接触の跡、 テレビではダイアナ妃の訃報が流れて……。 英国の異端児がタブーに挑んだ、 キュートで不条理な証拠隠滅物語> 現代小説。 二部構成。 <ティモレオン・ヴィエッタは犬の中で最高の種、雑種犬だ> そのティモレオンが、犬か同居人(♂)かの二者択一を迫られた飼い主(♂)によって ローマのコロシアム前に捨てられるまでを描いた第一部。 ティモレオンが、我が家を目指す旅路で係わった人々のエピソードと、飼い主と同居人 の過去が明かされていく第二部。 第二部は、さながら様々な愛とエゴを描いた連作短編集の趣き。 どのエピソードも濃密。 世界残酷物語。 とにかく、こちら(読者)の期待感や思惑を、あっさりと裏切り、そして軽々と超えて 来る展開であり、結末は「冷徹」の一言。 「動物が主役の物語はちょっと……」という人にも、ティモレオンが主役、主観の物語 ではなく、あくまでも、いち登場人物としての扱いなので、自信を持ってお薦めしたい。
2007年06月13日
コメント(0)
[1] 読書日記 解説の三橋暁いわく、 <サーガ、クロニクル、大河ロマン><その系譜に属する作品> そして、訳者のあとがきによると、 <三つの小説が合わさって全体を作りあげているのだが、 それぞれが完結した物語であり、別個に楽しむことも可能だ。 また、三作の時代、土地、語り口、 さらにジャンルに至るまでがばらばらだというのがおもしろい> <作者のアンドリュー・テイラーは、自身のウェブサイトなどで、 さまざまな角度から人間を描くためにこういう形式を選んだと述べており、 さらには、 三作をどういう順序で読んでもかまわないとまで言いきっている> という趣向が凝らされているらしい、 アンドリュー・テイラー 「天使の遊戯」(講談社文庫) を読了。 三部作<The Roth Trilogy>シリーズの第一弾。 犯罪小説。 四歳の少女ルーシー誘拐事件。 その顛末を、加害者(共犯というよりは従犯)の無職の青年エディと、ルーシーの母親で あり教会の副牧師をしているサリーの視点を交互に描いて浮かび上がらせている作品。 ミステリ的な謎の部分含めて、宗教的モチーフに彩られている。 物語は、 <「“荒野の殺人鬼”の事件はどうだった? マイク・ヒンドリーのやったことは相棒のイアン・ブレイディに 引けをとらなかったんだぞ」> と作者が作中人物の口を使ってネタばらしをしているように、1960年代の英国で実際に あった未成年連続殺人事件に着想を得て作ったと思われる。 参考までに、イアン・ブレイディ&マイク・ヒンドリーについて詳しいサイトをば。 http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text/brady&hindley.html → 写真入りで、一番詳しい。独特の文章。 http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/honeymoon.htm → 実在の殺人カップルを複数紹介。面白いエピソード多々。 http://www.ltokyo.com/yanasita/works/mags/bungei/09.html → イアン・ブレイディの著書『ヤヌスの門』を紹介している。 ただ、作中の登場人物の加害者であるエンジェル&エディや、事件そのものは作者の完全 なオリジナルであり、実際の彼らとは少しも似せられていない。 現に物語自体は、ミステリとしてはおとなしく、エディやサリーの内面描写が中心であり 読みどころになっている。 ラストの一行は見事。 残りの2作品を読まざるをえなくなる。
2007年06月11日
コメント(0)
[1] 読書日記 以前いつ読んだのか憶えていないが、今回読むのは、2度目である。 清水幾太郎 「本はどう読むか」(講談社現代新書) 読書論。 過去数々の類書を、好奇心として、あるいはハウトゥ目的の実用書として読んできた が、この本が一番読みやすいし、為に成るし、何より面白い。 名著。 <人間の意味は、いつも人間の外部にある。 人間の意味は、社会の中にある。 それが言い過ぎであるなら、 人間の意味は社会との関係の中にあると言い直してもよい。 個性も大切であろう。 独創性も大切であろう。 けれども、それは、個性や独創性が社会の中で或る優れた働きを営み、 或る客観的な成果を生んだ場合のことで、 人間の内部に眠っている個性や独創性というのは、吹けば飛ぶようなものである。 人間と社会とを繋ぐ職業の問題を真剣に考えないで、 人間や人生の意味を考えるのは、人生論業者の餌になるばかりである> <実用書および娯楽書については、本の読み方とか、 読書の方法とかいう問題は成り立たないものである。 実用書は、読まねばならなくなったら、読むよりほかに道はない。 娯楽書は、読みたくなったら、読めばよいのである。 それだけの話である。 面倒な問題があるのは、教養書である> <思想というものを最終的にテストするのは、家庭という平凡な場所であると思う。 活字という世界に生きるだけの純粋思想なら、 いくらでも急進的になれるし、いくらでも破壊的になれる。 けれども、それが社会を変革する力を持つためには、 それが家庭という場所に入り込み、そこに腰を据えなければならない> <書物の意味は、その書物そのものに備わっているのではなく、 書物と読者との間の関係の上に成り立っているものである> <有無を言わせぬ絶対の目的があって、 或る外国語の習得が、 その目的を達成すための、 これまた有無を言わせぬ絶対の手段である時、 こういう緊張関係の中でこそ外国語の勉強は身につくということである。 他に理由がなく、漠然と、語学のために語学をやっても、 決して能率の上るものではない>
2007年06月06日
コメント(0)
[1] 読書日記 オールナイトで、映画を観に行って来た。 電車での移動時間や、合間、合間で読むべく、 プリーストリー 「夜の来訪者」(岩波文庫) を持っていき、読了。 ズボンのポケットに入れるにも、分量的にも手ごろ。 戯曲。 「奇妙な味」系のミステリ。 一家団欒を楽しんでいた実業家宅に、警部を名乗る男が訪ねてくる。 彼は、今晩起きたある女性の服毒自殺事件の捜査にやって来たという……。 ミステリとして読むのであれば、展開、結末(最後の大オチ以外)共に早い段階から見当 もつき、出版社のつけている<息もつかせぬ展開と最後に用意された大どんでん返し>には 素直に首肯しがたい。 けども、構成、伏線、鍵の埋め込み方等々は、抜群。 登場人物の変化、対立が面白く、ドラマは骨太。 まあ、わかりやすい物語。 頭の中で、舞台としてのイメージがしやすい作品。
2007年06月05日
コメント(0)
[1] 読書日記 以下に、出版社コメントをそのまま引用。 <インターネットによってすべての人に学ぶ可能性がひらかれ、 ブログが名刺になり、ネットでの評判がパワーとなる。 過去に何を成したかではなく、いま何ができるかだけが勝負の「新しい世界」の到来。 日本社会との齟齬はないのか? 談合型エスタブリッシュメント社会をぶち壊し、新世界の側・ネットの側に賭けよう。 未来創造の意志をもって疾走しよう。 フューチャリストの二人 が、ウェブのインパクトと無限の可能性を語り倒す> 梅田望夫・茂木健一郎 「フューチャリスト宣言」(ちくま新書) を読了。 <未来は予想するものではなく、創り出すものである> とにかく、わかりやすい。 言いたいことも、具体例も逐一明確である。 両者のブログを巡り過去の記事を読んでみたり、茂木さんのブログで公開されている講演 会の内容についても同様。一読、一聴ですんなりと頭に入ってくる。 本書の内容と、ブログにおける記事や講演会の内容で主張が、当然一貫しているので、併 せて触れればより理解が深まる。 余談ではあるが、茂木さんの香川県坂出附属小学校での講演会を聞いていて、自身が司会 を勤めている番組「NHKプロフェッショナル 仕事の流儀」からの例の引き合いに際して 今まで多くのプロフェッショナルと対談した中で、藤澤調教師の名前が挙がったことに、馬 券愛好者として、本書の中で茂木さんが言っていた<ネットはセレンディピティ(偶然の出 会い)を促進するエンジン>を、感じたり。
2007年06月04日
コメント(0)
全12件 (12件中 1-12件目)
1