★オードリー

AUDREY HEPBURN


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オードリー・ヘップバーンの母親はオランダのお王族直系の貴族で、祖父アーノルド・ファン・ヘルム・へームストラ男爵は弁護士で、その先祖は12世紀以来政治家、軍人で高い地位をしめていた。
父親はジョセフ・ヘップバーン・ラストン (イギリス人)・1989年、スロバキアで生まれた。
戦後外務省に入り、駐オランダ領東インド諸島副知事をして、バタヴィアとスラバヤの中間の町セマランに赴任しその職を辞して、
東インド諸島産の錫の取引を扱うマクレイン・ワトソン&カンパニーのバタヴィア支店に就職した。
オードリー・キャスリン・ファン・へームストラ(オードリー・ヘップバーン)は1929年5月4日ブリュッセルで誕生。
オードリーという名は、男の子が生まれたらつけるはずの「アンドルー」の女性形であった。
出生証明書はラストンの前のハイフンでつながれた「ヘップバーン」が省略されている。
オードリーの母親は規律と道徳に厳しいビクトリア朝の躾をうけたらしく、オードリーはとても厳しく躾られた。
オードリーの少女時代はたいへん閉鎖的な生活で乳母や家庭教師の中で育てられ、両親の頻繁ないさかいの中でそれから逃げる為か自分の殻に閉じこもるようになり神経過敏で爪を噛む癖がついた。

★5歳の時・・・自分の殻に閉じこもりがちなオードリーを母親はイギリスのケント州・エラムの寄宿学校に入れた。
その時、「私は家から離れることになって恐慌をきたした」と大人になったオードリーは語っている。
寄宿学校生活頃のオードリーは、不完全な英語しか話すことが出来ないことをからかわれた。
家族と離れての寄宿学校生活についてオードリーは「それは自立へのすばらしい教訓になった」と語っている。

★6歳の時・・・父ラストンは過激な政治思想に傾倒し、ヘームストラ家の財産をつぎ込んだ後、家族を捨てて家を出る。

★9歳の時・・・両親は離婚し、母親が娘の優先保護権を得る。

★10歳の時・・1939年9月、ナチスのポーランド侵入、イギリスがドイツに戦線布告、母親がオードリーをイギリスからオランダ(中立国)の方が安全と言う考えからアンヘルムに連れ帰る。アンヘルムは自然条件にも地理的条件の ドイツの国境から12マイルほどしか離れていなかった という事を除けば恵まれた環境だった。
アンヘルムが一番安全な場所だと考えたエラはとんでもない思い違いをしたわけである。

★11歳の時・・この頃、オードリーはユダヤ人を溢れるほど乗せた家畜運搬トラックから男、女、赤ちゃん、と振り分けられ貨車に乗せられアウシュヴィッツなどの強制収容所に移送されて行くのを見る。この時どういうことなのか理解できなかったオードリーだが、この後、悪夢にこの光景が現れるようになる。

★12歳・・アンヘルム音楽学校・ウィニア・マローヴァのもとで本格的なバレエの稽古を始める。この年の7月の公演でモシュコフスキーの「セレナーデ」を自分の振り付けで踊り、際立った個性と演技で注目を浴びる。


★13歳・・「わずか13歳でウィニア・マローヴァのよき指導を受けて天性の才能を開花させた」と批評される。

14歳・・「彼女は美しい容姿と姿勢の持ち主で、この夜最高に美しい演技を見せた」と批評される。

★オードリーは後年自分の生活がアンネ・フランクと酷似していたことを次の様に語っている。

『アンネ・フランクと私は同じ年に生まれ、同じ町に住み、同じ戦争を体験した。ただ、彼女はいえに閉じこもり、私は外にいた点だけが異なっていた。
彼女の日記を読むことは、私自身の体験を彼女の観点から読む事に似ている。
私の胸はそれを読むことによって引き裂かれた。2つの部屋から1歩も外へ出られず、日記を書くことしか自分を表現する手段を持たなかった思春期の少女。
彼女が季節のうつろいを知る方法は、屋根裏の窓から1本のをのぞき見ることだけだった。
住んでいたところこそ同じオランダの違う町だったが、私が経験したすべての出来事が彼女の手で信じられないほど正確に描かれていた―』

★「アンネの日記」でオードリーが暗誦していた好きな一節

アンネが死の収容所に送り込まれる6ヶ月前に書かれたところ

『わたしは屋根裏へ行って、床のお気に入りの場所から、青い空を、枝にくっついた小さな雨粒が銀色に輝いている葉の落ちたクリの木を見上げる。
カモメやほかの鳥たちが風に乗って滑空するのが見える。これがある限り、わたしは生きてそれを見ることができる。
この日光と雲ひとつない青空が続くかぎり、わたしは不幸になれない・・・・これがあるかぎり、そしてそれはいつまでも続くだろう、すべての雀たちに慰めがあることをわたしは知っている。』




エリザベス皇太后はオードリーと会った後で娘に「彼女は私たちのお仲間です」と言ったと伝えられている。

『オードリーには気品と優雅なマナーがそなわっていた。
これらは学んで身につくものではない。
彼女がなにかきわどいことをいっても、その言い方がいともエレガントなものだから、マドンナの台詞と間違えられる心配は絶対なかった。
本物のスターになるために必要なのは、神が与えたり与えなかったりする特別な要素であり、それは学んで得られるものではない。
彼女は生まれつきそれに恵まれていた。
神が彼女の頬にキスをして、オードリー・ヘップバーンが出現したのだ。』  ビリー・ワイルダー




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