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先日、太郎が学校に着くと、クラスのM君が膝をひどく怪我していたらしい。聞くと、登校途中に自転車で派手に転んだのだそうだ。M君はクラスの子たちに「誰か裁縫道具持ってないかなぁ…。針と糸貸して欲しいんやけど。」と、尋ねていたらしいのだが、太郎はそれを聞いてびっくりして「ええっ?!麻酔も無いのに?それに裁縫道具の針と糸で縫ったら痛いやろ!!」と叫んだ。一瞬、クラスのみんなが「へ?!」という顔になり、そしてM君が申しわけなさそうに、太郎に向かって「あ、いや、あのぉ…ズボンの膝がほら、こんなんなってしまってて…」太郎はきょとんとして、それからやっと自分の勘違いに気がついた。「あー、ズボンか…」当たり前だ。自分の膝の傷を自分で、しかもボタン付けに使うような裁縫道具で縫う高校生はいないだろう。ブラックジャックじゃあるまいし…。
2008年05月16日
中学生になった花子は、当初ものすごく張り切っていた。小学校時代は勉強が飛びぬけて出来たとか、勉強が大好きだったというわけではないのだが、太郎にいろいろなアドバイスを受けて、一年間は塾に行かずに自分でしっかり勉強する計画を立てて、春休みにはぼちぼちと予習を始めていた。だが、実際に入学してみたら、花子のクラスにはいわゆる「調子に乗りやすい男子」が多数いて、また女子も、はっきり言ってしまうと非常に行儀の悪い子たちが集まっていて、授業は4月の初めから、騒がしくてめちゃくちゃなものだった。4月に授業参観でその様子を見たとき、私は本当にびっくりした。先生に向かって、数人の男子が四六時中なにか大声で話しかけている。まるで友達と雑談しているように、だ。もちろん手を挙げて発言するものなどほとんどいない。先生が問題を出そうとすると、その数人の男子が「あーそれの答えは○○!」と大声で言ってしまう。そして挙句の果てには「せんせー、そんなんもう塾でやったわ!!もっと先いこ!なぁ!もっと先!!」なんて叫んでいる。あとで花子に聞いたのだが、この先生は最初の授業の時「授業中は手を挙げての発言でなくても『意欲・感心・態度』のところでポイントをプラスしてあげます。また授業中の発言はどんなものでもポイントを付けてあげますよ」とおっしゃったらしい。だから授業中その男子達は何度も何度も授業に関係ないことを大声で叫び、そのたびに「せんせ!今のんポイントつけてな!絶対つけろよ!!な!!」と確認する。(その後、この先生は「月に一回ぐらいは授業中寝ていてもかまいませんよ」ともおっしゃったそうだ。騒がれるよりは寝られるほうがマシという苦肉の策か?)目を覆いたくなるような、とはこういうことを言うのだろうと思いながら授業を眺めていた私のすぐ横で、その騒いでいる男子の保護者達が満足気に微笑んでいる。その間、他の子供達は面白がってその様子を見ていたり、授業が進まないのを良いことに隣と大きな声でおしゃべりをしている。中にはあきれてしまって黙ってノートをとったり、ぼんやりしているだけの子もいる。こんな参観、見たことがないと思った。花子は目をしょぼしょぼさせながらノートをとっていた。時折、先生が質問する気配に手を挙げてみたりしていたけれど、どれもその男子達の口々に勝手に発言する声に、段々とバカらしくなったようだった。そんな参観から後、私は毎日花子が帰ってくると授業の様子を聞くことにした。その数人の男子達の傍若無人な振る舞いはどんどんエスカレートし、女子の一部がその尻馬に乗り、入学わずか一ヶ月で花子のクラスの授業は完全に壊れていた。かろうじて保健体育と少人数クラスに分かれる数学は、担当の先生が怖いということで男子達もおとなしく、きちんと授業になっているらしかった。だが他の授業はその数人の男子の扇動で明らかに授業つぶしが始まっており、社会にいたっては先生が授業に来るのを忘れてしまうなんてことまで起こり始めた。そして花子の席の前の女の子が、授業中ずっとうしろを向いて花子にしゃべりかけてくるので困っているらしい。その子はクラスの行儀の悪い女子のグループにいる子で、プリントや小テストをやったりレポートを書いていると、堂々とうしろを向いて花子のものをすっかり写すらしく、花子が書いていない部分があると「ちょっと、ここ後の子のを見て書き!」とカンニングを勧めてくる始末。花子は性格がはっきりしているので、そういうことは「イヤ。そんなんせえへん!」と断るらしいのだが、授業中ずっと後を振り向かれることにはかなりのストレスを感じている様子だった。授業が荒れていることは、張り切って中学に入学した花子に大きな失望感を与えた。花子は昨年ずっと太郎の受験のサポートを私と一緒にやってきたので、高校受験の厳しさをよく知っている。そして、自分も中学に入ったら兄ちゃんみたいに頑張るのだと、楽しみにしていたのだ。だから、毎日毎日騒がしくて馬鹿馬鹿しい授業を受けるのが、段々辛くなってきた。連休に入る少し前から、花子は毎日ひどい頭痛を訴えるようになった。学校に行くことはいやではないので、朝からの頭痛はほとんどないのだが、学校から帰ってきて夜寝るまで、ずっと締め付けられるような傷みがあるらしい。私は、この状況にかなり危機感を募らせていたのだが、クラスのほかの子供達がさほど不満な様子がないことや、学年懇談会などではそのような話題がまったく出なかったこともあって、花子がちょっと気にしすぎているのかもしれないという気持ちもどこかにあった。それで「夏休み頃まで様子を見て、それでも状況が良くならなかったら塾に行く?」と花子には話していた。塾に行ったところで学校のクラスの状況はなにも変わらないのだが、せめて花子の学習意欲を満足させて「学校がダメでも私はちゃんと勉強している」という気持ちにさせてやりたいと思ったのだ。とりあえず夏ごろまでによそのお母さんにも様子を聞いてみようと思っていた。しかし、花子の頭痛は日ごとにひどくなり、私はついに花子に内緒で学校に相談の電話をかけてみた。ちょうど担任は授業のため不在で、学年主任の年配の男性教師が電話にでた。それはあの参観の授業をしていた先生だった。私は一瞬躊躇ったが、手短に花子の状況と、クラスのあの状況は今後もあのままで放置されるのかと聞いてみた。すると「お母さんのおっしゃることは良く分かります。実は担任も頭を抱えているのです。彼ら(いつも騒ぐ男子達)は小学校3年生程度のレベルの子供です。言葉遣いも非常に悪いですし、行動も極めて幼稚です。ですが、厳しく叱って萎縮させてもいけませんし…すぐには治るようなものではないので…ですが、学年担任団でもう一度よく相談をして、少しでも良くなるように努めます」とのことだった。頭にきた。一年生の初めからパーマを当て、茶髪にし、校則を破るのが当たり前のようにし、授業中は騒ぎまくって授業を妨害するような、一部のワルガキや行儀の悪いお嬢ちゃんを萎縮させないために、普通の子供達は我慢を強いられているのだ。ここ数年よく聞く「吹きこぼし」って、こういう風に始まるのだとよく分かった。太郎が入学した頃は、ちょっとした事でも学年集会でカミナリを落とされ、校則を守らない子供はいつでもこまめに注意されていた。その甲斐あってか、太郎の学年の子供達はみなそこそこ真面目で、だが個性豊かで面白い子供達に育ち、成績も優秀だった。そんなこともあって、花子の入学時には私は地元の公立中学を信頼しきっていた。学年主任の無責任な言葉を聞いても、まだ完全に中学への信頼を断ち切ることが出来ずにいた。なにより、花子の「塾に頼らずに自分で勉強したい」という気持ちを大事にしてやりたかった。だが、連休が明けても一向に環境を良くしていこうという気配もなく、服装検査は、まるで真面目に校則を守る子供達がバカを見るようなもので、花子の学習意欲はどんどん薄れていくようだった。授業の進んでいる教科は、先生が「どうせみんな塾で習ってるから知ってるでしょ」という態度でどんどん進められる。また一方で、完全に子供達になめられて授業を妨害されている教科は、ほとんど進んでいなかった。英語などは一ヶ月たってもまだアルファベットをだらだらと書いていた。もうこれではだめだ。こんな学校に信頼して子供を預けるなんて、もう私には出来ないと思った。私は思い切って花子に「もう、今すぐにでも塾に入ってみる?」と聞いた。花子はずいぶん難しい顔をして黙って考え込んでいたが「そうしようかな。だってこのままでは学校でなんて勉強にならないもん」と言った。その場ですぐに太郎がお世話になった塾に電話をし、中途半端な時期に入学申し込みをすることになった事情を話した。「それでは少しでも早く授業に参加できるほうが良いですね」と、さっそく次の授業の日に体験させてもらうことになった。初めての塾で、体験とは言え2時間40分はさぞかしきつかっただろうと思ったのだが、帰ってきた花子はキラキラした目で「あっと言う間に終わっちゃった!でもまだ学校で習ってないことばっかりで、頭から煙が出たよ。」と笑った。次の日、すぐに入学手続きをし、花子はクラス分けテストを受けた。問題は小学校の復習とその応用だったらしいのだが、花子はあまりの緊張でさっぱり解けなかったらしい。だが、そこから少しずつ頑張って上がっていくことを励みに、楽しんで勉強に取り組めたらいいなぁと私は思っている。そして今夜から、花子は本格的に塾に通う。遅れている分を取り戻すために、塾のほうもいろいろと気を配ってくださるらしいが、自宅でも出来るだけ穴埋めをしようと、昨夜は花子と二人で学習計画の練り直しをした。新しいスケジュール帳に予定がどんどん書き込まれる。花子はやっとやる気のみなぎった元気な顔に戻った。今月の終わりには、学校の前期第一テストがある。そして来月には塾の模擬テストもあり、そのすぐ後には始めて受ける英検が控えている。しばらくは大変な日々が続くのだろうが、私は再び始まるサポートの日々をちょっと楽しみに受け止めている。頑張れ花子!
2008年05月15日
毎日をバタバタとやり過ごしているうちに、季節がどんどん移り変わってしまい、日記に書きとめておきたかった今年の庭の花々もついつい載せ損ねてしまっている。そこで、今年の春の我が家の庭の様子を、ちょこちょこと撮りためた写真とともに少しずつ記事にしてみようと思う。最近の我が家のアプローチの様子。すでに春という雰囲気ではなく、すっかり草いきれむんむんの初夏の庭になっている。地植えの植物というのは、主が忙しくて一向に世話をする気配を見せないような年でも、春になればちゃーんと新芽を出し、若葉を茂らせてくれるので本当にありがたい。我が家にいらっしゃるお客さんは、このアプローチを通って中の庭にでるとみな口を揃えて必ず「うわぁ、ものすごいですね」とおっしゃる。ものすごい、というのは決して褒めてくださっているのではなく(泣)、庭と言うよりはまるでジャングルのように様々な植物がひしめき合って、そこに普通は野原に生えているような花たちもみな市民権を得て我が物顔でいるために、一瞬「大変なことになってしまっている」という印象を表してくださるのだ。なんのことはない、皆さん内心は「草引きぐらいこまめにやれよ」とおっしゃりたいのだと思う。白いエニシダが咲いている。どうやら四季咲きらしく、花期が長いのだが花つきはあまりよくないようす。うわーーっと咲くのを期待していたのでちょっとガッカリ。白い花といえば、昨年日記に載せて「珍しい」と褒めてもらえたのがこの白いハナズオウ。今はもう花の時期は終わってしまったのだが、せっかくなので載せておこう。この真っ白で柔らかいラインの花は、なんだか清楚な感じがしてとても気に入っている。殿様がもうずいぶん前に小さな苗木を植えたハクウンボクが、今年初めて花を咲かせた。蕾は藤の花の蕾のような形をしていて「どんな花が咲くんかなぁ」とワクワクして待っていたら、こんなにかわいらしい花がたくさん咲いた。お面が作れるくらいの大きな葉っぱからは想像も出来なかった。下向きに咲く花は日本人の心をくすぐるらしいが、この花の形はその最たるものではないかと思う。いい香りのするこの花にはクマバチがたくさん寄ってきて、せっせと蜜を集めている。ハナミズキも、今年はやっと一人前に咲いた。昔からハナミズキが好きで、この家に住み始めた頃はピンクのハナミズキの大きな木を植えていたのだが、台風で揺さぶられて根がひどく傷み、枯らしてしまった苦い経験がある。今度は、ちょっとした茂みが足元を覆っていて、少々の風には負けそうにない。ブルーベリーもまだまだ咲いている。我が家には早生の種類から、比較的遅い時期になるものまでいろいろなブルーベリーがあるので、ずいぶん長い期間次々に咲くのを楽しめるのだ。残念なことに、小粒でとてもおいしい実のなるワイルドブルーベリーは、今年は花がとても少ないようだが、それ以外はたくさんなりそうなので、今年もジャムを作るつもり。今、庭の面積の大部分を占領しているのは、このこぼれ種で勝手に増えたマーガレットである。風に揺れるマーガレットは可憐なイメージがあるが、実はとんでもなく強い繁殖力をもった植物なのだ。数年前に「モッコウバラがもう一本欲しいね」と言って購入した一株が、今年は黄色いモッコウバラの間からぐんぐん枝を伸ばして花をつけた。これが一面に枝を伸ばして、びっしりと花を咲かせるようになるのは何年後だろう…。想像するだけでも嬉しくなってしまう。今朝、家族が出かけた後で、久しぶりに庭のベンチでお茶を飲んだ。一人でのんびり飲むお茶は、やっと少し自分のための時間ができつつあることを実感させてくれた。庭のあちこちに目をやると、いままでどうしても追いつけなかった「季節の進む速さ」と、自分の暮らしの速度のズレを少しずつ調整できる気がした。油断していて、ほっぺたをシマシマのやぶ蚊にやられてしまったけど、これからまた庭で過ごす時間を大切にしたいなぁ…なんて改めて思う私なのだった。
2008年05月08日
子供達がそれぞれの新しい学校に入学して、一週間と少し。「春になったらきっとものすごくのんびり出来るに違いない。燃えつき症候群にならないように気をつけなくちゃ!」なんて思っていた私の思惑は見事にはずれ、相変わらずバタバタした日々を送っている。太郎はおかげさまで、無事に第一志望の県立高校へ入学を果たした。本来ならばブログで「やったーーー!!」と大騒ぎしたかったところなのだが、県立の合格発表が花子の小学校の卒業式と重なってしまい、私は花子の晴れ姿を見に行き、合格発表は殿様が太郎に付き添う形になったため、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶようなタイミングは非常に残念ながら私にはなかったのだ。(太郎は「一人で行く!」といったのだが、もしも万が一落っこちていたらすぐに振り込まなければならない私立への入学金と振込用紙を、太郎一人に持たせるのはあまりにも心配だったため、殿様の出番となった。)結果的に「受験生の親の一番オイシイところ」だけを殿様に持っていかれた私は、一年間の苦労が報われた瞬間を、殿様から送られてきた太郎の呆けたようなハニカミ顔の添付されたメールを見るだけで、今ひとつ実感のわかないまま「あー、受かったんや…良かった。」とこれまたちょっとマヌケな顔で過ごしたのだった。(ただし花子の卒業式は予想以上に感動的で、大勢のお母さん達と一緒に私もボロボロと涙した、と言うことは書き添えておきたいと思う。)ダブル卒業ダブル入学の我が家の春はこうして始まった。花子は太郎が卒業したばかりの公立中学に、入れ替わりの形で入学した。わずか数週間前には太郎の卒業式に出席したその同じ体育館で、真新しい制服を着て、髪を二つに結んだ花子の入学を見るのは、なんだかくすぐったくて照れくさくて、そして嬉しかった。しかしそんな感慨に耽るのもつかの間、同じ日の昼からは太郎の入学式が待っていた。高校の入学と言うのはこんなにも面倒なものだったかと、少しイヤになるくらいたくさんの提出書類と戦い、(県立とは言え)様々に発生する費用を支払い、緊張とワクワクの入り混じった気持ちで臨んだ太郎の入学式は、あまりにもあっけなく、味気なく、なんだかじじむさかった(笑)でも、太郎が「あそこの道を毎日登りたい」と言いながら、塾の行き返りに横目で見ていた坂を、殿と私と太郎と一緒に登った時は、やっぱり胸がいっぱいになった。受験の朝、この坂の下まで車で送ってきて、口を真一文字に結んで登っていく太郎の背中を見たとき、私は「今日が私と太郎の親離れ・子離れの日なんだな」と実感したのだった。息子と母親の関係は、娘とのそれとは全く違って、どこかの時点で親離れ・子離れを決めなければいけないものなのだとずっと心のどこかで思ってきた。段々大きくなって、少しずつ距離が離れていき、いつかなにかのきっかけでポンっと子供の背中を押し出してやる時が必要なのだろうと思っていたのだ。けれどこの一年間、私と太郎は親子と言うよりはともに戦う同志だったため、おそらくこんなに一緒に過ごすことの多い一年間は一生のうち他に無いだろうと思えるほど、(おそらく客観的に見れば「過保護のバカ親」にしか見えないほど)私はいつもいつも太郎のすぐ後ろで後方支援部隊としてスタンバイ状態だった。だがそんな中でも、いつも心の中では「『その時』は一体いつやってくるんやろか」とタイミングを逃がさぬように気をつけていたような気がする。そしてそれは、受験の朝、その坂の下でいきなりやってきた。少し離れたところにも、同じように男の子を送ってきたお母さんらしき女性の姿があって、その人も私と同じように、ちょっと肩をすくめて腕組みをしたまま、坂を上っていく息子の背中を見送っていた。おそらくあの人も私と同じような気持ちを感じていたのではないかと思う。その少し緊張の滲む背中は、けれどもとても堂々としてたくましく頼もしく見えた。もうここからは一人で大丈夫、そんな風に言っているように見えた。嬉しくて、胸がいっぱいになって、それからちょっと寂しかった。それは、ガーン!とかドーン!とかズーン!とかいう風にやってくるのではなくて、唐突に、けれど拍子抜けするくらい簡単に訪れた子離れの瞬間だった。「なんや、いつかいつかと心配してたけど、ちゃあんと分かるようになってるんやん。」坂の上に見えなくなった太郎の後姿に小さく手を振って、私はその時、そんな風に思っていた。話がよそに行ってしまった。本題に戻そう。今回の入学式で特筆すべきは、土日もほとんど仕事をしている殿様が、なんと丸一日お休みを取って、両方に出席したことだろうと思う。今までほとんどの行事を「忙しいから無理」といっていた殿様だったのだが、今回は「子供の成長に気持ちがついていけなくなってしまいそうだから」と、頑張ってお休みを取ったらしい。自分の心の中での太郎や花子よりも、実際の彼らがうんと成長していることを目の当たりにして、殿様はなにか感慨深げな顔をしていた。そしてそれは結果的に、殿様と子供達の間に、新たな関係の小さな芽を出すことになったようなのだが、それはまた別の機会に書くことにしよう。それから一週間。花子はさっそく新しい友達ができ、制服に慣れ、太郎のお古のジャージをしゃんと着こなし、そして重い鞄にもすぐに慣れて、毎日とても楽しそうだ。今日は初めての数学があるのだと、とても楽しみに出かけて行った。太郎は「持病」ともいえる心配性と気の小ささが災いして(笑)、あんなに憧れた学校の楽しさを、まだ感じる余裕はないようだ。だが、今日から部活が始まるのだと言って、お気に入りのラケットを自転車の前カゴに入れて、ちょっと嬉しそうに出かけて行った。母は、テニス部が太郎の期待通りに楽しめる場所であって欲しいと願うばかりである。こうして子供達二人は新生活に突入したのだが、私といえば殿様のお弁当に加えて太郎のお弁当も毎朝作る生活が始まり、前にも増して早起きを強いられることになった。たった二つのお弁当とはいえ、なにしろ食べ盛りの高校男子のお弁当は、メタボ対策を施した殿様のあっさりお弁当と同じと言うわけには行かず、手間のかかることこの上ない。そして殿様の帰りが遅いことは春がやってきたところでなんの変わりも無くて…結局ラクになるどころか、時間的なバタバタ感はほとんど同じなのだった。あーあ。4月になったら4400とデッド・ゾーンと24を一気に借りてきて見てやる!と思っていたのになぁ。…あ、そういえばこの前録画した「剣客商売」の新シリーズのスペシャルもまだ見てないや。そういえば今夜は中学のPTAの役員会があるんだった。とりあえず雨が降るまでに少しだけ庭仕事してこようっと。
2008年04月16日
ものすごく久しぶりにブログの書き込みページを開けてみた。前回の更新からもう数ヶ月、実はその間、ブログのページどころかパソコンの電源を入れること自体がほとんどなかったのだ。理由は…まぁ細かいことを言うといろいろとあるのだが、長男の太郎の高校受験が迫ってきたことに合わせて、私も全力で「受験生のいる生活」を楽しみたいと思い、時間のかかるブログの書き込みやパソコン関連の作業を全面的にしばらくやめようと考えたことが大きな理由の一つであった。私はパソコンを触り始めると、様々に興味が広がってしまい、けっこうな時間を費やしていまいがちだからだ。それとほぼ時期を同じくして、パソコンが大の苦手という殿様が「仕事でつかうソフトくらい、もう少しちゃんと扱えるようになりたい」と、我が家に一台しかないパソコンを占領することが多くなったのがもう一つの大きな理由だ。娘の花子もちょうどパソコンを使って宿題の調べ物をしたり、趣味の関連のサイトを見る時間が増えていて、私が使える時間は激減していた。昼間はパソコンもあいているが、その時間帯には小学校へ教えに行っている鼓笛の楽譜を書いたり、自治会のことをしたり(今年は我が家が隣組の組長なのだ)、PTAの役員の仕事をしたり、そして家事全般を片付けたりしなければならないし、なにしろ殿様のお弁当を作るために5時半に起きて、夜は10時過ぎに太郎の塾の迎えに行ってから、遅く帰ってくる殿様のご飯を準備して、片付けて…という具合で、睡眠時間は平均して3時間くらいしかないので、昼間の一人の時間には少し仮眠をとるようにしないと、車の運転がコワイ。それでもなんとか合い間を縫ってパソコンを開けて…と考えてしまうと、どうしてもイライラが募りストレスになってしまうので、いっそ春までは使わないでおこうということにしたのだった。…とまぁ、そんなわけで前回の更新からブツっ!と音を立てるようにブログとのかかわりを切ってしまっていたのだが、太郎の私立受験(いわゆる「滑り止め」)が無事終わり、残すは本命の県立受験のみとなって、ここらで少し、今の状況を書き留めておきたいなぁという気持ちになり、今こうして久々に「日記を書く」のページに向かっているのである。久しぶりに書くとどうしても前置きが長くなってしまう。太郎の受験生活も残すところあと二十日あまりとなった。依然、親の方が「誰に似たんやろなぁ??」と訝るほどの頑張りを見せている太郎だが、ここへ来てかなりの精神的な疲労を感じているようで、特に学校にいる時間がキツイのだと毎日こぼしている。私立受験と、県立の前期選抜(いわゆる推薦)が終了し、太郎のクラスでは現時点で三分の一くらいの子の進路が決まっているらしく、その内定者達が浮かれてザワザワと落ち着きがないため、後期選抜で受験する子供達の緊張感を削いでしまうらしいのだ。特に3年生は学年末の定期テストもとっくに終わって成績も既に出ているので、授業を受ける意味がないと思っている子も多く、クラスの雰囲気はかなり騒がしく、だらだらしているという。その中で必死にもがき苦しむ受験生達の姿はあまりにも気の毒で、学校としてなにか対策はできないものなのかと思う。後期の受験をする子たちは、太郎のように志望校が前期選抜を実施していない場合と、前期の推薦でこぼれてしまった場合がほとんどだ。これを失敗すると滑り止めの私立に行くか、私立に受かっていない場合には二次募集に出願しなくてはならない場合もある。私立はやはりお金がかかるという意識が(中3にもなれば当然)強くあるし、二次募集なんてどんなことになるのか想像もつかなくて恐ろしい。だからどの子供達もみんな必死なのだ。だが音楽の先生などは「じゃあ、もう決まった子達だけで卒業式になにか一曲歌うことにしましょう」と信じられないほどの浮かれたアイデアで内定者たちを煽り、その結果休み時間にはその歌声がクラスに充満し、家庭科の先生はこの時期に「保育の授業の集大成」として、近くの保育園への保育実習を計画されていて、太郎は歯を食いしばって「4歳児が楽しめる大きなおもちゃ」を勉強の合い間にダンボールで製作して、今朝は体操服で保育園へ向かった。(太郎の中学は、部活のウインドブレーカー以外のコートやジャンパーなどの着用は認められていないので、部活を引退した3年生の体操服姿は泣けてくるほど風通しのよいジャージと言うことになる。)県立の受験まであと二十日あまりというこの切羽詰った時期に、である。公立の中学校はどこもこんな調子なのだろうか。「失敗したら自分の責任です」と進路指導の熱血教師は繰り返すけれど、それならせめて、受験の一ヶ月前くらいからは受験勉強に集中できるような体制に持っていってやってほしいと思う。だがその一方で、そういったごちゃごちゃの環境の中でも自分のペースを乱さずに淡々と努力ができることが、非常に大事な事なのかも知れないとも思う。それこそが、受験というシステムの最大の難関かつ最大の意味なのかもしれないと。昨日、太郎は県立高校の願書を清書した。なんだかとても感慨深い想いで、私はその様子を眺めた。お尻のあたりがもぞもぞするような妙な緊張感があった。我が家に春が来るのはまだまだ先。だが「受験生の母」も春が来たら終わるのだなあと思うと、ちょっと寂しいような気もする。…いやいや、まとめに入るのはまだ早い。我が家は今年ダブル卒業・ダブル入学なので、太郎の卒業式や受験が終わっても小学校の卒業式、二人の入学式と母の仕事は山積みなのだ。それが済むまで私は風邪さえひけないのだった。頑張れ太郎。そして、頑張れワタシ。
2008年02月20日
バタバタの毎日に隙間を見つけて学校の先生のことをぼやいているうちに、日本の総理はビョーキになっちゃって、フラフラで敵前逃亡を決め込んでいた。その著書を読んでも、そしてぱっと見たイメージでも『ええ氏のぼっちゃん』の首相には、派手なパフォーマンスで国民の心を鷲づかみにした型破り首相の尻拭いは、さすがに荷が重すぎたのだな、と思う。しかし、あまりにも政策以外の不祥事が多すぎて、結局この人がやろうとしたことが国民のために良かったのかどうか、正直なところ私にはよく分からなかった。(ただ、首相にとって大事な要素は「心臓に毛が生えていること」と「打たれ強いこと」なのだということははっきりと分かった。あと、「にっこり笑ってものごとを堂々と煙にまける」というのもけっこう大事かもしれない。)だが、昨今の政治は「国民の生活のために良い考えかどうか」ということはあまり重要ではなく、見ていて面白いということが最重要項目なのだなぁと、型破り首相がやりっぱなしていった数々の改革の結果を見ていると、そう感じずにはいられない。首相の辞任について、マスコミは「びっくりした」「驚いた」と大騒ぎだが、国民は実際のところ、そんなに長く続くわけないよと思っていた気がする。前首相のパフォーマンスに目が慣れてしまった国民には、安倍首相はあまり見ていて面白いものではなかったからだ。面白くない番組はすぐにチャンネルを変えたくなるように、国民も「はやくもっと別の面白いものが見たい」と思っていたのではないか。そう考えると、小泉チルドレンと呼ばれる大部屋の人たちは、考えが浅はか過ぎると言わざるを得ない。国民は再放送を見たいわけではないのだ。だが、かれらは過去にぱああぁぁぁっと派手にちやほやされた感覚を忘れられずに、また誰かに持ち上げてもらいたくて仕方ない。自分達の政治的手腕に特別な魅力があって国会に送り込まれたわけではないと言うことを、今ひとつ分かっていないのかもしれない。今となっては「古臭い」感が漂ってしまっているのに。だが、麻生さんの動向は本当に面白い。ちょっと穿った、そして極端な考えで今回の辞任劇を見てみると、麻生氏の「静かなるクーデター」のようにも見える。そしてこのクーデターは、ある意味完全犯罪の様相を呈して成功に終わろうとしていたのだが、ここからがこの人の面白いところで「次は俺だ」という気持ちがすっかり顔に出てしまって、周りの「次は麻生氏だろうなぁ」と思っていた人々の気持ちに「ちょっと待てよ…」とブレーキをかけてしまったのだ。そういえば、今回の一連の報道でどうしても腑に落ちないことがある。何度もワイドショーで流された「先月撮影された首相夫人のインタビュー」である。インタビューの中で夫人は、安倍首相の近況を聞かれ、「食欲もなくて…」とか「話をしていても上の空で…」とか「かなりしんどそうで…」というようなことを繰り返し答えている。辞任を決めた首相が、かなりの重責に、日常生活でも普通の状態ではなかったということを切々と述べているのだ。…だが、問題はこれが1ヶ月も前に収録されたものであることだ。一体、夫人はなんのためにこんなインタビューを収録したのだろうか。やめるつもりのない首相のことを、こんなふうに「弱っている」とアピールしたら、それはもう大変なことになるだろう。ただでも揚げ足を取ろうという人々がワンサカ群がる立場なのに、「夫は心身ともに疲れています」なんてことを言うファーストレディー、見たことがない。ひょっとしたら、一ヶ月前にはすでに「もう限界だ」という話になっていたのではないか。いや、これが麻生氏を推す誰かの策略で、うっかりのせられて作られた映像だとすると、これはもう小説になるくらいの展開だ。そうでないとしたら、安倍氏は「えらい夫人をもらってしまった」と、政治家として後悔すべきかもしれない。で、そうこうしている間に、総裁選挙出馬に一番に名乗りを上げたのが額賀さんというのだから面白い。たしかに派閥のトップということを考えると、党内では有力な位置にいたのかもしれないが、国民から見て、今この人に首相になってもらいたいと言う人はほとんどいないのではないだろうか。なにしろ、国民にとって重要なのは「面白さ」なのだから。あまり面白くない特番のようなドタバタ劇を見ながら、国民が「う~ん、なんだかなぁ…」という気持ちになりかけていたとき、「反麻生」の動きが伝えられる。「へぇぇ、麻生さんのほかにも、できそうな人いるのかな?」と少し興味を持ったところに登場したのは、安倍さんとの戦いを真っ先に降りて、安倍政権に関わらなかった福田氏だから、これは俄然面白くなってきた。安倍政権に関わらなかったということは、「おカネに汚い政治家達と役人達」の幕には登場していないわけで、なんとなく「まみれているイメージ」がない。そして、『麻垣康三』の争いから降りる時に、非常に率直に「もう歳だし、(ちょっと悲しいシニカルな笑顔で)僕の支持率は下がってる。」と発言して、なんだか正直な飾らないイメージもできている。私はあの時、出馬を断念したことで、この人の好感度はかなり上がったのではと思っていたのだ。「もう歳だから」ということが、今回の「やっぱり若いのではダメなんだな」という気持ちの後で非常に安心感を与えている。いわゆる「振り子現象」というやつだ。あの時、この事態を読んでいて、狙って降りたのだとしたら…それもまぁ、頼もしいのかもしれない。ちょっと怖いけど。さあ、面白くなってきた。いい歳をして調子に乗りすぎた感のある麻生氏と、ソフトだが、あのシニカルな笑みには必ずなにか潜ませているだろう福田氏。自民党の進む道はどっちだろう。
2007年09月14日
昨日、花子が学校から帰ってきて「お気に入りの消しゴムをMくんにちぎられた…」と悔しそうに言った。事の経緯を聞いてみると、それはとても腹立たしい出来事だった。花子が休み時間にお友達と遊んでいると、そこへMくんが走ってきてぶつかった。Mくんは勉強もできるし、ピアノも上手らしいのだが、「心の病気を抱えている」と言われていて、授業中とつぜん「死んでやるー!!」と叫んで飛び出していったり、気に入らないことがあるとすぐにキレて、椅子や机を投げたり、暴れたりするのだそうだ。それでその時も、自分からぶつかってきたのに、ぶつかるようなところにいた花子が気に入らないと言って、花子の机をめちゃくちゃに蹴り始めた。Mくんは花子の机を何度も蹴り、置いてあっためがねケースを投げ、机の中から筆箱を出して消しゴムを何度も踏みつけた。それで、花子の消しゴムは裂けたように割れ、ご丁寧にくっきりと上履きの裏のナミナミの模様までつけられたのだった。花子はおとなしくも弱くもない、たくましくてはっきりした子供だから、そういうことを黙ってみているようなことは普通ならありえない。はっきりと「やめて!」と言い、相手の手から自分のものを取り返しただろう。なのになぜ、今回は黙ってやられてきたかと言うと、Mくんが暴れて誰かに危害を与えた時に、その子がMくんに何かやり返すと、担任は必ず「やり返したほうが悪い」と叱るからである。だから、先生にも言わないのだと花子は言う。Mくんにどういう事情があるのかは分からないが、花子の話を聞くと、Mくんが「自分は何をやっても許される」と思っているのは間違いないようだ。自分が悪いことをしても、仕返しをすればその子が怒られるのを見ているのだから当然だろう。だから彼は、しょっちゅう癇癪を起こしてはクラスの子を殴り、ものを投げつけ、壊し、きーーーっと奇声を上げて暴れ、挙句の果てには「死んでやるーー!」と教室を飛び出すのだ。そして今日、担任が毎日発行している学級通信には9.11の同時多発テロについてのことが書かれていた。そこには事件のあらましと、以前ニューヨークの爆心地に訪れた自分の感想、そして映画「ワールドトレードセンター」のネタバレが書かれており、国際紛争の悲惨さについて考えてみて欲しいと書かれていた。その通信を子供達に読んで聞かせたあと、先生は興奮して「このテロはアメリカの『やられたらやり返す』という考えが、戦争にまで発展させたのです。アメリカの考え方は間違ってる!あなた達にも最近、(Mくんに)やられたらやり返す行動が見られますが、先生はあなた達にアメリカのような考えの子になって欲しくないです!!」と強く言ったのだそうだ。ちょっと待て、と私は思う。それは問題の本質があまりに違いすぎるだろう、と。そのあまりにも短絡的に結び付けられた二つの事柄は、子供達にとってはただの「やられっぱなし推奨」のルールであり、理不尽以外のなにものでもない。そして、事件の細かい背景を理解しないままにそういうことを言われた子供達は、アメリカがテロに対する仕返しさえしなければ国際紛争は起こらなかったのだという印象を持ちかねない。また、もしもその発言に、今の日本の政権が進めるテロ特措法の扱いに反対する意図があるとしたら、それはそれで大きな問題だろう。子供達に政治的思想の刷り込みをするのは、それが正しい・正しくないに関わらず、小学校教師のすべきことではないはずだ。また「Mくんはテロリスト、仕返しをした子はアメリカと同じ思想」と当てはめること自体、どう考えても正しいことではない。テロ行為は、そして病気を持つお友達が暴れて人を傷つけることは、そもそも悪くないのか?という疑問も起こってくる。テロの恐怖や、アメリカの進む道が正しいかどうかを考えることは、子供達にとっても大切なことだと思っている。だがそのためには、子供達に事件が起こるまでの様々な背景を、中立の立場できちんと説明する必要がある。そしてそれは、個人的に盛り上がった気分で子供達に押し付けて良いような簡単なものではないはずだ。子供達に社会を語ることはとても大事なことであると思うが、子供達への教育的配慮とは、こういうところでこそきちんとなされるべきなのではないのかと、改めて思う出来事だった。最近、配慮に欠けると感じることが多い小学校の先生方の行動に、実は少しうんざりしている私なのだった。
2007年09月11日
小学校の鼓笛隊のトランペットを教えに行き始めて、5年目になった。今年も春から、子供達に基礎練習の着方を教え、楽譜の読み方を教え、夏休みには演奏やパレードの演技指導をして、そして今週末には本番の運動会を迎える。5・6年生で編成されるトランペットパートは、毎年20人前後のメンバーが集めらるのだが、その年によって子供達のキャラクターもいろいろで、うまく気分をのせて引っ張るのは少々骨が折れる作業だ。それでも、まるで音の出なかった子たちが少しずつ上達し、みんなで息をあわせて曲を吹けるようになって行く様子は感動ものであり、その子供達の嬉しそうな表情見たさにボランティアで通っている。毎年、必ず苦労するのは、今の子供達は行進する機会などないものだから、イチ・ニ・イチ・ニとテンポにあわせて歩くことがなかなかできないことだ。だが、これができなければ演奏のテンポも絶対に合うわけがない。夏休みも、トランペットのパートだけは何度も集まって集中練習を行った。はじめばらばらだった足音が、子供達が意識してあわせることに集中し始めると、あるとき突然ザッザッザッザッと一つのリズムに揃う。その時の子供達の気持ち良さそうな、ぱっと輝く表情は、なんとも美しくて、見ているほうまで嬉しくなる。しんどい練習をこなして「できるようになる達成感」を、子供達は味わうのだ。気持ちを一つにして集中することのすごさを、実感するのだと思う。そういう気持ちよさを経験すると、次は演奏をきっちりと合わせよう、次はアクションをきちんと揃えようという風に、子供達は貪欲に成長していく。その甲斐あって、トランペットの子供達はどの楽器のパートよりも美しく歩き、とても息の合った演奏ができるようになった。パート練習の最後の日に、私は子供達に「鼓笛隊は誰一人として欠けてはいけない。みんな一人一人の音がそれぞれ大切なのだから、全員が全力で自分の責任を果たそうね。合奏になったら、他の楽器の音をちゃんと聴いて、楽しんで演奏できるくらいになろうね。」と言った。子供達もうんうんと頷いて、にこにこしながら話を聞いてくれた。そしていよいよ、本番に備えての全体練習が始まった。音楽の先生が全体の指導をされ、本番のように運動場を歩きながらの練習。ところがそれは、悲しくなるようなものだった。全体練習が始まる前、全体指導の音楽の先生は私を呼んで「教えに来てくださってありがとうございます。でも、時間もないことですし、ちゃんとしたものを作るつもりはありませんから。」という、信じられない言葉を投げかけられたのだった。そして練習が始まると、ドラムがバラバラですぐに演奏が止まってしまった。するとその先生は「ドラムがヘタクソなのでやり直します。やり直しはドラムのせいですから、みなさん恨むならドラムの子達を恨みなさい!」と拡声器で叫んだのだ。これから息を合わせて、気持ちを合わせて、演奏をしなくてはいけない子供達に、「恨め」とは一体どういうことなのだろう。その後も、具体的にどこをどうなおしなさいと言うような具体的な指導は一つもなく、「鼓笛は見た目です。間違えるくらいなら吹いているマネをしていなさい。」「一人や二人、吹いていなくてもお客さんには分かりません!ヘタクソな子は吹いているふりでよろしい。」「演奏はどうでもいいから、とりあえず止まらないでやりなさい。」「○○はへたくそだから、みんな○○の音を聴かずにやりなさい。聴くとつられるのでダメです。」というような言葉がずっとつづく。けれど他のどの先生も、そのひどい言葉に注意する様子もないし、気にも留めていないようだ。それもなんだか悲しいと思った。先生方が手一杯で、時間がないのはよく理解している。けれど、学校教育の一環として鼓笛隊を実施しているのなら、もう少しきちんとした指導ができる人にさせるべきだと思う。そういう人がいなければ、鼓笛隊をやるなんて無理なのだ。これでは、子供達は音楽の楽しさを何一つ感じることができないまま、本番を終わってしまうだろう。子供達がこういう人に音楽を教わっているのかと思うと、本当に悲しくなる。小学校の音楽の授業や鼓笛隊って、一体なんのためにやるんだろうと、とても疑問に思う。夏休みも学校に来て、厳しい練習を頑張ったトランペットの子供達に申し訳なく思った。彼らは総合指導の先生が「どうでも良い」と言う演奏を、厳しく注意を受けながら健気に何度も何度も練習したのだ。拡声器から発せられる、ヒステリックな言葉を聞きながら、来年からは、もう指導に行くのはやめようと、心からそう思った私だった。
2007年09月10日
太郎の中学の体育祭が行われた。太郎は、運動が苦手というわけではないのだが、体育祭があまり好きではないらしく「見にこなくていいよ」と言うので、3年間、一度も見に行っていない。だが、その様子はいつも帰ってきてからおもしろおかしく聞かせてくれるので、私はいつもそれを楽しみに太郎の帰ってくるのを待っている。そして夕方、日焼けしてちょっと疲れた様子の太郎が帰ってきた。「ご飯、なにか食べたいものある?」と聞くと、よくご飯を食べに行くお料理やさんに、お刺身定食を食べに行きたいと言う。それで太郎はシャワーを浴び、殿がお店に予約を入れて、出発することになった。すると、太郎の友達からメールで「体育祭の打ち上げをファミレスでするから、7時にショッピングセンターで待ち合わせをしよう」という連絡が何件か入った。太郎に詳しく聞くと、3年生は体育祭のあとにクラス単位で打ち上げをするのが恒例となっていて、今年もクラスの数人が幹事となって人数を集めているのだという。太郎は「僕は行かない」と言うので、そのまま予定通り家族で食事に出かけ、体育祭の話をいろいろ聞きながら家族でご飯を食べた。私は古臭くて頭が固いので、我が家の子供達に、中学生のうちは友達と子供ばかりで飲食店に出入りすることは許していない。(ただし、夏休みに塾の授業が朝から夜遅くまであった日は、塾の近くにある近くにラーメン屋さんくらいは行っても良いことにした。)私が中学生だった頃は、学校で禁止されていたことだったが、今はみな日常的に、遊びに行った先で友達と飲食店へ入ってご飯を食べたりするらしい。しかし、基本的に、中学生の体育祭の後に打ち上げなんてする必要があるんだろうか、と私は思う。高校の体育祭のように、自分達で立案したり運営する部分が多ければ、その成功を祝して、または労をねぎらって、ちょっとご飯でもみんなで食べたいという気持ちは分かる。だが、ことは中学生の体育祭だ。親に体操服を洗ってもらい、ゼッケンをつけてもらい、お弁当を持たせてもらって、学校の先生が作ったプログラムにそって競技を進める子供達の、どこに打ち上げの必要があると言うのだろう。「大人の気分は、大人になってから味わうことに値打ちがある」「年齢相応でないことは、本当はかっこ悪い」というのが我が家の方針なので、『打ち上げ』などということは、本当にその意味が分かる歳になってからでよろしい、と思っている。今、しなければならないこともこなせていないのに、今しなくても良い事まで手を出すなんて、それこそ10年早いわ!と言うことだ。文化祭の時にも、おそらく同じように、いや、ひょっとするともっと大規模に打ち上げは開催されるのだろう。でも、我が家は許可を出さない。私は頭が固くて古臭いおかんなのだ。
2007年09月09日
6月に我が家の子になったおりおんだが、この3ヶ月ほどの間にいろいろと変化があった。花子が心配していたキョニュー手術…いや、避妊手術は、7月のはじめに受けに行った。手術は一泊二日で受けることになっており、費用は1万8千円ほど。ただし、自治体に申請すれば3500円が返ってくるということだった。私の記憶には、実家で飼っていたオス猫が、去勢手術のあとフラフラで帰ってきて、丸一日以上ごはんも食べずにグッタリしていたことが鮮明に残っていて、おりおんも帰ってきた後かなり気をつけて看護してやる必要があるのだろうと覚悟していた。トイレを寝る場所の近くに動かし、ご飯が食べられない時のために、猫用のミルクや離乳食のようなご飯も準備した。自分で歩いてトイレに行けないようであれば、オムツも必要かなぁなどと考えてもいた。花子はそういう私の準備を見て、これはかなり大変なことなのだろうと感じたらしく、めずらしくオロオロと心配しており、口を開けば「おりおん、どうしてるかなぁ」「手術、ちゃんと終わったかなぁ」「おりおん、寂しがって鳴いてるんちゃうかなぁ。」と不安そうに言っていた。ところが次の日、当のおりおんはとても元気に退院してきた。傷口も思っていたよりもずいぶん小さい。いろいろなところで聞いたり読んだりした話では、手術の後は傷口をなめたり噛んだりするのを防ぐための防護器具、いわゆるエリザベスカラーをつけることが多いようだったので、おりおんもそういう姿で帰ってくるのかと思っていたら、ここの病院では金属の糸(ごく細い針金のようなもの)で縫ってあるので、なめても大丈夫ですとのこと。エリザベスカラーもなしで(お腹の毛がそられていて、ちょっと寒そうだが)本当に元気な様子のおりおんを見て、花子もホッとしたようだ。その後一週間ほどして、抜糸も無事に終わった。その間、心配していたようなことはなにも起こらず、おりおんはご飯をもりもり食べて、元気に走り回っていた。化膿止めのお薬も、ごはんに混ぜればすんなり食べて、世話のかからない良い子なのだった。最近はちょっといたずらもするようになってきて、家族の笑いのタネになっている。カレンダーや新聞にくるまって隠れたつもり、というのが最近お気に入りの遊びらしい。実は手術以外にも、寄生虫が見つかったり、風邪をひいてハナタレ猫になったり、結膜炎で目がウルウルになってしまったり、口内炎ができて大好きなカリカリを食べるたびに「みぎゃっ」と鳴いたりで、人間の家族以上に頻繁に医者通いしているおりおんだが、甘えん坊でおてんばのキャラで家族を和ませ、家族の中での居場所を存在感たっぷりに確保している。とくに太郎は、ともすると心が荒みがちな塾通いの受験生の日々を、おりおんのおかげでゆったりと過ごしているように思う。家に帰ってくると彼は真っ先におりおんのところに行き、背中をなでたり抱っこしてなにか話しかけたりしている。おりおんも太郎のだっこが大好きなので、おとなしく、時にはなにやら相槌をうちながら、太郎の話を聞いてくれている。そして、おりおんの飼育責任者である花子は、ネットや本でエサのこと、トイレ砂のこと、その他いろいろなことを調べ、毎日かいがいしく世話を焼いている。(花子は「おりおんは私の妹のようなもの」と言っているが、実はおりおんは家族のポジションを「お父さん、お母さん、お兄ちゃん、私、花ちゃん」と感じているらしい。…花子にはナイショだが。)夏休みがあけて花子が学校に行ってしまった日、おりおんは半日ほど花子の部屋でうろうろと花子を探し、時折大きな声で呼んでいたようだった。最近は、やっと昼間私と一人と一匹の生活に慣れたようで、私はおりおんが一人で遊んでいるところを見るのを楽しみながら家事をしている。今朝も元気に朝ごはんを食べ、ひとしきりおもちゃのネズミさんで遊んだ後、お昼寝をしているおりおん。日差しがまぶしいのか、こんな恰好になっている。
2007年09月08日
小さい頃からお漬物が大好きだ。私の実家は小さな食料品のスーパーをしていたので、私は昔から、両親が大きな漬物樽で毎日いろいろな野菜をお漬物にするのを見ていた。それは、祖父が始めて「八百屋の2代目」である私の両親に受け継がれた製法だった。だから我が家の食卓には必ずなにかしらお漬物があって、一通りおかずやご飯を食べた後で「じゃ、おつけもんでお茶漬け食べよか。」というのが当たり前だった。メインのおかずを食べた後ですぐに「ご馳走様」なんて言おうものなら、即座に怪訝な顔で母が「ええっ?お茶漬け食べへんの?!」と聞く。だから私は、家庭での晩ご飯の最後にはお茶漬けを食べるのが常識だと、結婚するまで思っていた。だが両親が仕事を引退して、お漬物を漬けなくなってからは、あまりお漬物を食べなくなった。スーパーで買ってくるお漬物も、専門店で買うものも、時代の流れか極端に浅漬けが多くなり、糠の味がしっかりとしみこんで、発酵したうまみのあるお漬物に出会えることが少なくなったからだ。調味液で漬けたお漬物の味をつけたものや、塩漬けのものには、あの発酵食品独特のおいしさはない。そこで私は、ついにこの夏、ぬか漬け作りデビューをする覚悟を決めたのだった。ぬか漬けはけっこう手間がかかり、そして暑い時期にはその管理が難しいことも、もちろん重々承知している。それなのに、この一年で一番暑い時期にぬか漬けを漬けることにしたのは、暑い日においしいきゅうりの古漬けでお茶漬けをさらさらっと…どうしてもどうしても食べたかったからである。私の作るこのぬか床は、最初からきゅうり専用と決めている。漬け始めて1ヶ月半ほどのぬか床やっとコツが飲み込めてきて、漬け具合もかなり思い通りになってきた。よい具合に発酵が進んでいるので、うまみの多い、おいしいぬか漬けができる。冷蔵庫で時間をかけて古漬けにすると色がきれいに残りやすいが、私は常温で漬けて、もっと発酵して色が茶色っぽくなり、少し酸っぱくなったのも大好きだ。お茶漬け用に刻んだきゅうりのお漬物はじめはぬかのニオイを敬遠していた子供達も、今ではこのお漬物が大好きで、食事の終盤にさしかかると「きゅうりの古漬け、ある?」と聞かれるようになった。おろししょうがをたっぷりのせて、お醤油をかけてよく混ぜる。パリパリの歯ざわりが身上なので、薄く刻むのがおいしく食べるコツ。酸っぱくなるほどよく漬かったものは、刻んでからさっと水にさらして塩と酸味を和らげてから、よくしぼって、しょうがとお醤油をかけるとおいしく食べられる。
2007年08月30日
たいへんご無沙汰いたしております。前回の記事を書いたのが6月の末…ということは、2ヶ月あまりも更新をサボり、真夏の間は何一つ書いていないということだ。生来のだらだらした性格がサボりに拍車をかけてしまってこの有り様なのだが、さすがに私自身も「このままではブログを持っていること自体を忘れてしまうかもしれない…」という危機感に襲われ、やっとパソコンの電源を入れる時間をこじ開けた、という次第。今年の梅雨はムチ打ちの後遺症がひどく出て、それが7月に入る頃からかなり悪化してしまい、同じ姿勢で座っていることが辛くなり、パソコンの画面に向かうことが厳しい状況になっていった。頭痛と肩こりと背中からひじにかけての痛みに悩まされ、鎮痛剤を飲むと眠気やだるさに襲われ、最低限の家事だけをなんとかやっつけるような日々が続いた。しかし天気が良くなり気圧が安定して、真夏の晴天が続くようになると、様々な症状はウソのように消え去り、おかげさまですっかり元気な私になった。ただ夏休みに入ってからは、太郎の夏期講習が始まったことや、殿の仕事が一段と忙しさを増したこと、小学校の鼓笛隊の指導に通わなくてはならなくなったこと、PTAの役員の仕事が夏休みに集中していたことなどで、今度は時間的な余裕がまったくなくなり、引き続き日記を更新することが難しくなってしまった。(朝5時に起きてお弁当を作り、夜は殿が遅い時間に帰宅して食事をするので、睡眠時間は4時間半くらい。元々ねぼすけの私がそれでは、子供達の送り迎えの車の運転が危ないので、昼間の家事の合い間にできるだけ仮眠を取るという変則的な生活になった。)だが、太郎の夏期講習・夏期特訓も無事に終わり、花子は昨日から学校の授業が始まった。少しだけ我が家の時間の流れがスピードを緩めたように感じられる。その隙をついて、日記の更新ができれば…と思う。いや、自信はあまりないのだけれども。でも、長くお休みをしていたあいだには、更新リクエストもいただいたし、メッセージもいただいた。本当にありがたいと思った。「誰かが待っていてくれる」ということは、こんなに嬉しいことだったのかと改めて感じた。またぼちぼちと書き始めるつもり。がんばります。
2007年08月30日
子供部屋の工事が完了し、ぼちぼちと進めてきた子供達の引越しもほぼ終わった。今ならまだ比較的きれいなので、散らかってしまわないうちに(笑)花子の部屋を公開しようと思う。ドアから覗いたところ。花子自慢のハンモックは寝そべるものではなくて、ぶらんこのように座るタイプ。あちこちのお店を回って、自分で見つけてきたものなので、とても気に入っている様子。窓は東側と北側の2箇所に開いており、北側の窓の外には紫陽花やミントや桂の木が、東側の窓の外にはジューンベリーやシャラ、ヒメシャラが植えられている。収納とデスクは殿が設計して木工家具屋さんに注文して作ってもらったもの。子供部屋の収納にしてはキャパが大きいが、これでごちゃごちゃしがちな子供部屋もすっきりと片付くはず。ピンクのデスクチェアーはノルウェーのRybo社のバランスチェア。太郎の部屋もデスクチェアも同じものの色違い。太郎が小学校へ入学する時に始めて買ったのだが、とても良かったので花子の入学の時にも買い足した。以来、我が家の子供達はずっとこの椅子に座っている。ロフト部分。ここが子供達の寝室となっている。向こう側に見える障子をあけると、ホールの真上のブリッジに出ることができ、太郎の部屋へとつながっている。ブリッジは二人の共用スペースで、明るくて居心地の良いスペースなので、けっこう二人で遊んだり本を読んだりして使っている。二人は部屋が出来ても相変わらずリビングでしゃべったりして、多くの時間を私たちと一緒にすごしているが、さすがに太郎は「落ち着いて集中して勉強できるからすごくいい!」と、とても喜んでいる。子供部屋棟にホールや共用スペースが多くあることも、密室にこもってしまうという感覚をなくしているので良かったと思う。子供部屋の扱いは、よく考慮しないと、子供の人間性を作り上げていくことに大きく影響すると私は考えている。プライバシーという、なんとなく聞こえの良い言葉に惑わされて、子供と家族や社会とのつながりを断ち切ってしまうようなスペースに閉じ込めてしまってはいけないと思うのだ。建築が、環境や健康に配慮することは当たり前の時代となったけれど、子供の部屋への取り組みはまだまだ考えられ始めたばかりだ。殿は、建築士としての、一つの実験住宅として自分の家を考えているので、今回の増築はこれからの子供部屋を考える上での大きな指針となると私は思っている。太郎の部屋(ものすごく殺風景!)とホールに作った大きな本棚や、太郎が高校に合格したらピアノを置く予定のホール、共用スペースなどはまた次の機会に画像をアップしようと思っている。これから、この空間が我が家の子供達をどう育むか、私も興味をもって見守り、折に触れてレポートしたいと思う。
2007年06月27日
今、私たちが住んでいるこの小さな家を建てて10年近くになる。今年は子供部屋を増築したのだが、その工事のクライマックスが近づいた頃、我が家の庭のテラスに二組のツバメさんのカップルがやってきて、ついにそのうち巣をかけ始めた。このテラスは、角の部分だけに壁があり、床はウッドデッキになっていて、ツバメさんが巣をかけるのに最適の場所である。なにしろ壁は珪藻土でざらざらに仕上げてあるので、適度な引っ掛かりがあり、巣を作る土がしっかりと着くのだ。けれども、毎年毎年何組かのツバメさんのカップルが品定めにやってくるものの、最終審査で通らずにみんないなくなってしまう。私たちには分からない、なにか決定的にダメな理由があるんだろうなぁと、いつも残念に思っていたのだった。もしかしたら、いつもの年は昼間私一人しかいなくて、ぐうたらの主婦はあまり庭の手入れやテラスの掃除をこまめにしないものだから、ツバメさんも「ここはダメだ。巣に危険が迫ってもあのダラ主婦では気付いてくれないだろう…。」なんていう悲しい理由で審査が通らなかったのかもしれない。ところが今年は、増築工事の各種職人さんたちが朝早くから日没まで誰かしら庭のあたりをうろうろしていて、ダラの私もしかたなくテラスをきれいにせざるを得なかったので、ツバメさんたちもうっかりそれに騙されてしまったのだろう。雨の続いた頃、二羽が入れ替わりたちかわり土を運んできてせっせと塗りつけ、数日で新築工事は完了した。今はひょっとしたら卵を抱いているのかな?必ず一羽が巣の中にいてじっとしている。私も殿も子供達も、巣の中の様子が気になって仕方がないのだが、あまり何度も見に行くとツバメさんも落ち着かないだろうということで、サッシのガラス越しにそっと見守っている。網戸にして風を入れたい時もあるのだが、そうすると決まっておりおんが網戸まで走っていって、ツバメさんたちに向かって「にゃごにゃご!」なんて言って脅かすので、当分の間サッシは閉めたままになりそうだ。早くヒナたちが見たいなぁ。私は、あの頭よりでかいくちばしで餌をねだるツバメさんのヒナが大好きなのだ。小さなヒナたちが無事に産まれたら、また日記でお披露目したいと思っている。
2007年06月26日
おりおんが我が家にやってきて2週間が過ぎた。先日の日記でお披露目して数日後、彼女はご飯を食べすぎて下痢をしたり、寄生虫がいる事が分かったりして、すでに2度、獣医さんのお世話になっている。野良生活をしたことがある猫なので(先生のお話では私の住んでいる辺りは野良猫の無法地帯で、ほとんどの猫が複数のウイルスを持っているらしい)、各種の病気のウイルスなどはすでに持っている可能性が非常に高く、断定はできないが、おそらく寿命は短いらしい。花子は「それでもええねん。おりおんがうちの子になりたかったんやから、私、ちゃんと世話する。」と頑張っている。当の本人はさすがに猫らしく、食べては寝て、遊んでは寝て、寝て寝て寝まくっている。我が家に来て数日は、涼しい床を探して小さく丸まって眠っていたおりおんだったのだが…今ではこの通り。すっかり我が家の家族のつもりでいるらしく、庭を野良猫が通ると、窓のこちらからすごんで見せたりしている。自分だってちょっと前まで向こう側にいたくせに(笑)ネットや本で猫の健康について調べていた花子が、ねえねえお母さんちょっと教えて、と私を呼んで、「これ、なんて読むの?」「キョセイ」「ふーん、キョセーか…。これは?」「ヒニン」「ヒニンー?キョニン?あれ?ヒニー?ン?キョ?…」さすがに普段使わない言葉なので、よく分からなかったらしい。そして後日、突然思い出したように花子が言った。「お母さん、おりおんのキョニュー手術、いつにする?」…グラビアアイドルにでもするつもりなのか?
2007年06月25日
おいしいウニをたくさんいただいたので、贅沢にご飯にのせてワシワシ食べようと言うことになった。ちょうどお刺身を買ってきたところだったので、それも一緒にのせてみた。画像は私の小さい丼だが、花子は大きな丼で私の3倍くらい食べた。殿も大きい丼にご飯をちょこっと入れて、ご飯の倍くらいのウニをのせていた。いただいたウニはびっくりするほど甘くて、本当においしかった。花子は「ウニが大好きになった!」と言っていた。ただ一人、ウニの苦手な太郎は…ヨコワのお刺身を丁寧に自分で盛り付けて、ヨコワ丼を作った。青ジソを細かく刻んでふりかけて、出来上がり。ご馳走様でした。
2007年06月23日
本当に久しぶりの日記の更新。いや、実はパソコンに電源を入れること自体が久しぶりなのだ。怒涛のような忙しさの中、じわりじわりと迫り来る体調不良になけなしの私のやる気は侵食されて、それでも切羽詰った予定に振り回されながら、まるでプラネタリウムの早回し空の下で暮らしているような焦りを感じていた。とにかく食欲がなく、久しぶりに体重を計るとちょうど5キロ減っていた。(減る前は余計な脂肪が余っていたので、これで調度良くなった、という感も否めないが。)でも、どういうわけか昨日あたりから急に元気になってきて、やる気も回復し、今朝はご飯も普通に食べた。病気なんてしている暇は私にはないのだった。…と、私の近況はさておき、本題に入ろう。ここ10日ほど、我が家では太郎の生活時間帯をずらすための作戦が繰り広げられている。それは、時間にすると1時間半~2時間ほどを朝早くにずらすだけのことなのだが、これがなかなかどうして大変な作業で、今もまだ完成はしていない。でも、結論から言うと徐々にできあがりつつあって、すでに良い効果は現れ始めている。ひょっとしたら、花子の受験の時にも同じ悩みにぶつかる可能性があるので、自分への覚え書きという意味で、事の顛末を書いておこうと思う。コトの起こりは先週の月曜日。太郎は塾のテスト(2ヶ月に一度行われるかなり規模の大きな模擬テストで、クラス編成や席順がこのテストで新しくなる。)の結果がかなり悪かったことにショックを受けていた。このテストの結果はここ数回でじりじりと下がってきているらしい。3年生になってからの太郎は、いよいよ本腰を入れて勉強に取り組んでいて、塾のある日もない日も1時半や2時まで勉強することもたびたびで、私はへなちょこの太郎が体を壊さないかと心配しながら、ただ見守っていた。学校のテストではまずまずの成果が上がっていた。だが、それに逆らうように、塾のテストや外部テストの成績は少しずつ下がっていた。そして気がつくと、太郎は以前よりもネガティブな愚痴ばかりをこぼすようになっていた。なんだか表情も固く、いつも緊張しているように見えた。特に5月の末から今月にかけては、学校の定期テストが2回ある上に、校内実力テスト、塾のテスト、英検、外部の模擬試験と、テスト続きなので神経の休まる暇がない。朝は眠たくて機嫌が悪く、テストでは大量のケアレスミスをし、提出物を忘れたり遅れて出して落ち込み、部活から帰ると疲れて集中力が続かない自分にイライラし、夜中には不安にかられて落ち込むと言う、お世辞にも健康的とはいえない精神状態であった。こんな風に書くと、太郎がまるで病的なガリ勉のように聞こえてしまうかもしれないが、決してそういうことではなくて、太郎は自分の実力以上の高校を狙うために、今、必死でもがいているのだ。(いわゆる「高望み」というヤツである。笑)だから、塾のテストの結果が出た日、太郎はずっとグズグズと文句を言っていた。迎えに行く前にかけてくる電話でも、迎えに行った車の中でも、そして家についてからもずっと。はじめは黙って聞いていた私だったのだが、あまりにも弱気なことばかり並べ立てる太郎にだんだん腹が立ってきて「ええ加減にせえ!!」と怒鳴りつけてしまった。自分を全否定するようなことを言うことにも、家族みんなが協力体制でやっているのにも関わらず、自分のことだけしか考えずにグズグズ文句を言うことにも、私は納得できなかった。その否定的な考えは、目的達成のためになにか役に立つことなのか?そんなに自分の人格を否定してまでその学校を選ぶことに大きな意味はあるのか?と問いただした。反抗的な表情でそっぽを向く太郎の顔を見ていたら、その表情にふと思った。そうか、コイツは疲れているんだな。疲れているから、良い考えが浮かばずに、否定的なことばかり言いたくなるのだ。私たち大人だってそうじゃないか。寝不足や疲れがたまっていると誰かに八つ当たりしたくなるし、愚痴をこぼして発散しようとしてしまう。それは中学生も同じなのだな。それなら、愚痴の聞き役に徹してみようか…。でも、愚痴を聞いてやったところで根本的な解決にはならない。なにか、もっと根っこの部分を掘り起こすような違う方法を考えなければ。太郎が機嫌よく元気に頑張れるような方法を。そこで夜は思い切って早く寝て、朝学習の形の毎日に変えてみたらどうかと提案してみたのである。高望みをする受験生なのだから、睡眠時間が充分に取れないのは仕方がない。だが、少しでもその睡眠の質を上げて、前日の疲れや眠気を翌日の学校に持ち込まないようにすることはできるんじゃないかと思う。それには、やはり日付が変わるまでにきちんと睡眠に入る体制が必要だろう。さっきまで怒鳴り怒鳴られていたことも忘れて、私と太郎は、最適な寝る時刻、必要な睡眠時間、起きる時刻のポイントを見つけるためにいろいろと話し合った。そして11時就寝の5時起きで6時間(少々のアクシデントがあっても最低5時間半)の睡眠を確保しよう、というところに落ち着いたのだった。そして現在は、5時から5時半の間にはなんとか起きられるように慣らしている途中で、まだまだスパッとは起きられない(元々寝起きの悪いほうなので)が、確実に慣れてはきている様子。以前は夜遅くまで勉強しようと思うと、どうしても夜食が必要で、それがまだ消化されないままで朝になってしまうので、朝食もあまり進まなかったのだが、早く寝ることを意識してからは、塾の帰りに少しコンビニでおやつを買うのを楽しみにしている(アップルマンゴーパフェやがお気に入り)くらいで、塾のない日の夕食後は何も食べなくなった。すると最近の朝は、例の桑の実のジャムをのせたヨーグルトとオムレツとトースト(4枚切り半分)そして牛乳を飲むようになった。ゆっくりと歩いて登校しても充分間に合う時間に家を出られるようになったし、余裕があるので提出物や持ち物の確認も万全だ。そして何より学校に着いた時点ではもうすでに脳のエンジンが温まっているので、しっかりと授業を聞くことができるようになるだろう。夏休みまでには早起きの生活を完成させたいと思っている。しかし、これは私はかなりキツい試みとなった。「慣れるまでは一緒に起きてあげるから頑張りなさい」と言ってしまった手前、太郎よりも少し先に起きないわけにはいかない。夜は帰りの遅い殿のペースにあわせ、朝は太郎の早起きに付き合っていたら、毎日3~4時間の睡眠時間が続いて…そして、梅雨時になるとあらわれるムチ打ちの後遺症もあいまって、冒頭に書いた体調不良へとつながるのだ。われながらアホだと思う。アホだと思うが、やれるだけの事をやりたいのだから仕方がない。そういうわけで、日記の更新を10日以上分もサボってしまったわけだが、その間も様々なことがあったので、今日からまたできるだけ時間を見つけてサボった分の穴埋め作業もしたいと思っている。コメントをいただいていた皆様へはお返事もなかなかままならず、うかがうことも出来ませず、大変失礼いたしております。もう少し時間に余裕ができるまでは、更新するのが精一杯で、自分のブログから出ることはできそうにありませんが、体調が良くなったらまたお邪魔させていただきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
2007年06月21日
ジューンベリーが完熟したので、収穫して、しつこいようだがまたジャムを作った。今年の実は大きくて甘味も強いので、お砂糖は少し控えめ。香りの良いジャムになったのだが…実はジューンベリーの種は、取り除くには小さいが、そのまま食べるには口に残ってしまう、中途半端な大きさで、しかもかなり固い。来年からは少し工夫が必要だと思った。花子が「サイダーで割って飲みたい」と言うのでジューンベリーサイダーにしてみた。桑の実にはない、さわやかな香りがあるので、これはこれでまた子供達にはウケた。こうやって飲む分には、種はあまり気にならなかったようだ。
2007年06月13日
オーストラリア人の先生の教室で英会話のレッスンを受け始めてから、もうずいぶん長い時間が過ぎた。「ペラペラ」には程遠いけれど、少しずつコツが飲み込めてきて、思っていることや出来事などをちょっとした冗談を交えて説明することが出来るようになりはじめている。海外の映画やドラマも、字幕と実際の台詞が違っていたりすることも分かってきて、英語を理解する楽しみも実感できるようになってきた。だがちょっとした勢いで、来月からしばらくの間、レッスンをお休みすることになってしまった。先週、PTAの会合とレッスンが重なってしまったために、お休みをしなければならなかったのだが、その間に、以前すこしだけ通ってきていた人がまたレッスンを再開したいということで戻ってきていた。彼女は私と同じくらいの年齢の自営業の主婦で、前に来ていたときには基本をまったく守らない自己流のカタカナ英語で話そうとして、先生に注意を受けると「えーーっ!でもネイティブの人ならこれでも通じるって言ってたもん」などと言う、困った生徒だった。例えば三単元のSとか、不規則動詞の過去形とか、そんな中学1年生レベルの基本も守ろうとしなかった。そして、数週間して「もっと厳しい、英語しか使えないような教室に替わるわ」といってやめていったのだった。その彼女がどうしてまた戻ってくることになったのかは分からないが、とにかく、彼女は再び私たちのクラスで一緒にレッスンを受けることになった。彼女は何も変わっておらず、どうやら他の教室でレッスンを受けてなどいなかったようだ。以前、書いたことがあるのだが、私の通っているクラスにはすでに一人、あまり積極的に英語で話そうとしない生徒さんがいる。そこにもう一人、「基本なんてどうでもいいわ、通じればいいんでしょ!」という人が加わって、私はなんだかもう、とてもやりきれない気持ちになったのだ。語学のレッスンのクラス編成というのは、なかなか難しいことなのだろうと思う。個人の教室だと、最近問題になった大手のようなやり方はないかもしれないが、クラスをレベル別に細分化することは困難である。少し上達してきて、もうちょっとしっかりと話せるようになりたいと思っても、そこにきめ細かく対応することは個人レッスン以外では無理なのだろう。実際、私ともう一人のメンバーは、この何回かのレッスンではあまり話す時間を与えられなかった。「えーーっと、えーーっと、」とか「う~~ん…それは、そのぅ…」とか言って、その都度先生に「日本語じゃなくて英語で話してください。」なんて注意されている時間が長い人が二人もいると、少し話すことが出来るメンバーの時間はどうしても削られることになってしまうのだ。そんなレッスンを受けて、やる気がすっかり無くなってしまった私は、つい怒りの勢いに任せて「来月からしばらくレッスンをお休みしたいのですが…」と言ってしまったのだった。とりあえず3月まではお休みすることが決まってしまった。その間は自分で勉強するしかないのだが、あのクラスでいるよりは少しはマシな気がする。太郎と一緒に受験英語からやり直すとするか。語彙を増やすなど、実践よりもマメに自分で学習しなくてはならないことのためにはいいチャンスなのかもしれない。しかし、3月以降どうするかはまだ白紙の状態。今のクラスに戻るのはちょっと躊躇われるし、かといって別の先生を探すのもなぁ…。ここまではけっこう順調にきただけに、語学の習得って、なかなか一筋縄ではいかないんだなぁと、改めて感じている私なのだった。
2007年06月12日
今年もメディカルティーツリーの花が咲いた。真っ白でふわふわした花が青い空に映える。でも、この花が咲くと、この辺りでは雨の季節が始まってしまう。満開になると、毎年必ず雨が続いて降るのだ。細い糸を集めたようなメディカルティーツリーの花は、雨に打たれるとすぐに痛んで、色も悪くなってしまう。ほんの短い間しか楽しむことができないから、この花が咲くと家族はしょっちゅうこの木を眺めに庭に出る。花の根元にたくさんついている、白くて丸く見えるのは蕾。「メディカル」の名は、この植物が薬用のハーブとして様々な治療に用いられたことによる。傷の殺菌や防虫、虫刺され、風邪の治療にも用いられたと言う。葉っぱをもむと、独特のさわやかな香りがする。こんな風に、我が家の東側にすっくと立っている。この隣には大きなユーカリの木やマヌカと呼ばれるニュージーランドティーツリーもあるので、なんとなくオセアニアの空気が流れているエリアとなっている。
2007年06月11日
やっと庭の梅を使ってジャムをつくる時間ができた。梅は良く洗って、たっぷりの水に一晩漬けてアクを抜く。なり口のヘタを丁寧にとって、茹でこぼす。きれいに洗った手と包丁で種をとる。丁寧に種の周りについた実もこそげていく。画像は残った種。砂糖の半量をいれて底が焦げないように木べらで混ぜながら練る。残りの砂糖も入れて煮る。滑らかさを追求する場合は裏ごしをすれば良いと思うが、私はあら潰しでいいので省略。かなり酸っぱいので、砂糖の量と煮詰める加減が勝負だと思う。できあがり!クエン酸がたっぷりなので夏バテ防止に。お湯で割って飲むと、甘酸っぱくておいしい。サイダーで割っても、焼酎などに加えてもよさそう。
2007年06月09日
うちの庭をいつも通っていくミケが見慣れない猫を連れてやってきた。花子と殿が様子を見に行くと、それはまだ、子猫からやっと若猫になったばかりという感じのまだ子供っぽいメス猫で、とても人になついていて、すっかりテラスにいついてしまい、クロちゃんに続いて我が家の居候第2号となった。居候第1号のクロちゃんは人に触られるのを極端に嫌がり、ドアが全開になっていても入ってこようとはしないが、このとらねこは、最初から我が家の飼い猫になる気満々だった。私はアレルギーがあるので猫を飼うことには覚悟がいるのだが、殿が非常に気に入ってしまい、花子の猫好きも手伝って、あれよあれよと言う間に飼うことが決まってしまった。テラスで体や手足を拭き、ブラッシングしてよく観察したが、蚤はいない様子。でも念のために、体に滴下するお薬を後頭部と首の後ろに使った。トイレのしつけが心配だったが、箱に猫砂をいれて「はい、ここにするようにね。」と言ったら、すぐにそのトイレを使うようになった。痩せて、背中の骨が浮いているようだが、最近まで人に変われていたのだろうと思う。古いクッションを置いてやると喜んで座り、バスケットにお布団代わりのフリースを入れてやると、そこで眠った。こうしてこのとらねこは我が家の一員となった。名前は「虎子」でいいやと思っていたが、それではあまりにかわいそうと家族から大ブーイングが巻き起こり、子供達が「おりおん」と名づけた。私は日々めちゃくちゃ忙しく過ごしているので、花子を飼育担当の統括マネージャーに任命した。ただし「ちゃんと勉強すること。お手伝いも今以上にやること。かわいがるだけではなく、健康管理もしてやること。おりおんに関するノートを一冊作り、そこにきちんと記録すること。一度世話をすると決めたら、天国に行く日まで役職を降りないこと。」という約束をした。統括マネージャーの最初の大仕事は、来週、近くの動物病院に連れて行き、初めて猫を飼う時の注意や、これからの健康に関する相談をしてくることだ。猫を飼っておられる方々から、花子に様々な情報やアドバイスをしてやっていただけると嬉しい。どんなに基本のことでもはじめての花子にとっては、実際に飼っておられる方からのアドバイスは何より心強いことだろうと思う。そして、この若き統括マネージャーの今後の活躍に、大いに期待してやっていただきたいと思う私なのだった。
2007年06月08日
昨日のびわジャムに続いて、今度は定番中の定番「いちごジャム」。実は、私の住んでいる周辺の街には、いちご農家がかなりたくさんある。町内にもいちごを生産しておられる方が多く、出荷できないような不ぞろいで不恰好ないちご(大阪の八百屋さんの専門用語で言うところの「パチもん」)が大きなパックに詰められて、激安で売られている。それで、庭で採れたものばかりで立て続けに変り種のジャムを作ったので、今度は定番のいちごジャムのおいしさにこだわってみようと思った。こだわったのは、砂糖の量と酸味のきかせ方、粒の残し具合、それにジャム自体の固さ。適度な粒具合を見極めるのを楽しみに、ジャム製作第3弾が始まった。いつもは中火くらいにして、時々かき混ぜに行くだけのズボラな炊き方なのだが、今回はずっとつきっきりで甘さ・酸味・固さを見ていた。そして、炊きながらも少しつぶしたりして、食感を残す具合にも神経を使った。そして出来たのがこれ。この画像は炊き上がりから少したって、冷めかけたつやつやの頃。冷えるともう少し固くなる。今まで作ったいちごジャムの中では、やはり一番おいしくできたように思う。粒はある程度残っているけれど、食べるととろりと溶ける感じ。そして、なにより香りがとても良い。出来立てをなめながら紅茶を飲んだ。今朝はみんなが厚切りのトーストにこのジャムをたっぷりのせて、ヨーグルトにはびわジャムや桑ジャムをたっぷりかけて食べた。甘さがちょうど良い具合に出来たので、たっぷり食べても口の中がアマアマにならないのがいい。次はいよいよ梅ジャムに取り掛からねば。
2007年06月07日
桑の実ジャムに続いて、庭の果実のジャム第二弾が煮上がった。あっさりした味の果物なのに、実はものすごくアクが強くて、皮をむく指先が真っ黒になった。むいたそばから薄い塩水につけていかないと、実のほうも黒く変色してしまう。しかも、大きな種の周りには少し渋みのある薄皮があるので、それをよけるように実をそいでいくのにとても手間取ってしまった。だんだんと慣れて、ちょうどサトイモを六方に向くときの要領で切り取るとうまくいった。お砂糖を加え、レモン汁を加え、コトコト煮る。ジャムにするには味が優しすぎるし、そもそもペクチンが少ない果物らしいので、味を見ながらりんごのすりおろしを加えてみた。ぽってりと、いい具合にできた。煮上がったジャムは、あんずジャムと桃のコンポートの中間のような味がする。黄桃のシロップ煮のような感じもある。思いのほか鮮やかなオレンジ色に仕上がって、とてもうれしい。レモンをきかせたのと、りんごを加えてあるので、味がびしっと決まった。さあ、これは一体なんのジャムでしょうか?答えはこれ。今年のびわの出来はとてもよかった。まだ未熟なうちに花子と二人で一生懸命袋をかけて、今度はまた二人で一生懸命収穫した。そして、ジャムになったびわは、この先しばらく私たちを楽しませてくれるだろう。ヨーグルトにのせたら、おかわりしたいほどおいしかった。チーズケーキの上に、あんずジャムのかわりにたっぷりのせるのも良いと思う。それから、豚肉のソテーのソースにも使いたい。今年は本当にジャム作りが趣味になってしまった。「ジャムおばさん」っていうニックネームに変えようかしら。
2007年06月06日
殿が梅の木を少し切る(伸びすぎて少し邪魔なので)というので、その前に梅の実も収穫した。少し早すぎるかと思ったのだが、案外、少し触るとポロリと取れる感じだったので、青梅としてはちょうど良かったのかもしれない。今年は、何の実を収穫するときも花子が必ず「ジャム!ジャム!ジャムにしようよ!!」とうるさいので、梅もジャムになる予定。「梅酒だったら私や兄ちゃんが楽しまれへんやんか。ジャムやったらいつでも食べられて嬉しいもん。」と楽しみにしているので、頑張ってみようかと思う。…でも、梅ジャムは下ごしらえに時間がかかるんだよなぁ。水にさらして、ゆでて、またさらして…。子供の頃、大人たちに「生の青梅は青酸が含まれているから、かじると死ぬよ」と教えられて、ビビリながら育った私は、じつは青梅を扱うのが死ぬほど怖かった。青酸といえば、あの、青酸カリの「青酸」なのだろう。きっと同じ仲間に違いない。この毒で亡くなったかどうかは、アーモンド臭がするのですぐに分かる…なんていう話も聞いたことがある。年齢の割には、けっこう大人の推理小説も読んでいた私は、本当にものすごく怖かった。だが実家は八百屋だったので、毎年この季節になると、家のどこにいてもふわりとプラム系の香りが漂っているほどたくさんの梅であふれかえっていた。その、甘酸っぱい良い香りと「青酸毒」という言葉のギャップに、子供の私はなおさら恐れおののいた。その印象はかなり成長してからもぬぐえず、よそのお宅の立派な梅の木に鈴なりの実を見ても、羨ましくはなく「あのお宅の人々はあんなにたくさんの毒の実をどうやって処理するんだろうか」と心配になるのだった。家で取れた梅で梅干を漬ける…なんて話を聞くたびに、すごいなぁ、勇気があるなぁと感心したものだ。だが、今の家に住むようになって、私の庭にも梅の実がなるようになってしまった。殿がもらってきた小さな盆栽の梅を、北の庭の隅っこに植えたら、梅はスクスクと育ち始めて、あっと言う間にたくさんの実をつける程になったのだ。今では私の背丈をとっくに追い越し、自分が浅い浅い盆栽の鉢にちんまりと収まっていたことなどすっかり忘れているようだ。しかし、毎年、私の庭に毒の実を落とす植物。これはとにかくコワイ。花の頃は毎日のようにそばまで行って眺めるが、実が大きくなってぽとりと落ちるようになったらどうしよう…と、浅はかな私は心底怖かった。だが。毎日、健康のために食べる梅干しの元が、そんなに猛毒なんて…。いや、あれは青梅じゃないからか?いやいや、でも待てよ、カリカリ梅や梅酒や梅シロップなんて、青いままで食べるじゃないか。あれらは、なにか青酸毒を抜くほどの恐ろしい処理がされているんだろうか。健康のために良いって言われる梅なのに?ほんとか?初めて梅の実がなった年、この疑問は私の頭の中をぐるぐるまわっていた。そして、こわごわながら「ちょっと調べてみよう」と思ったのだ。植物毒について書かれた本やネットのサイトを片っ端から覗いてみる。すると、どの情報にも必ず「青梅には微量の青酸が含まれており…」という意味のことが書いてある。やっぱり青酸は含まれていた。微量だって、青酸は猛毒だもん。やっぱりコワイよー。「…しかし、人間の致死量としては、100個から300個を生食しなければ摂取できず…」ええっ?!青梅100個?そんなの食べられる人、いるのか?「…青梅の青酸は、塩もみするだけでも中和されてしまう程度のものであり、加熱やアルコールによっても完全に中和され…」なあんだ、そうだったのか。そうだよなぁ、梅が猛毒で、命がけで食べるような物だったら、健康に良いとは言えないもんなぁ。ごめんよ青梅、勝手に悪者にして。そんなわけで、私も晴れて庭の梅の実を愛でられる気分になった。そして「来年はもうちょっと沢山なるといいのになぁ」なんて思うようになったのだった。そして、今年は梅ジャムに。花子があまりに楽しみにしているので、勢い余った私は金欠が続く家計のこともすっかり忘れて、大きなホーローの鍋を新調してしまった。さすがに流行のフランス製なんてのは買えないが、うちの梅を煮るのにちょうど良い深さの、シンプルな鍋を手に入れた。さあ、今夜からいよいよあく抜きを始めるぞ。今週はPTAの会合が二つと太郎の塾の進路説明会と、他にもいろいろと用事が山積してるけど、「この季節だけしかできない仕事」はやっぱり大切にしたい。おいしい梅ジャムができることを期待して、頑張ろう。
2007年06月05日
庭のマルベリーの実がずいぶんたくさん熟してきたので、収穫してジャムを作ることにした。蚊に襲撃されながら、一生懸命収穫したマルベリー。これだけあれば、けっこうたっぷり楽しめそう。桑のジャムは本当においしいのだが、お店では売っているのを見たことがないし、取れる時期もとても短いので、一年のうちで今の時期だけの限定の味だ。本当はもっとたくさんの桑の木を植えて、大きな鍋にいっぱいのジャムを炊くのが夢なのだが、見た目があまりにも地味な木で花もまったく目立たないので、あまりたくさん植えると庭が殺風景になってしまいそうで、決心がつかない私なのであった。今年のマルベリーはとても大きくてとても甘い。今年の桑は当たり年だと思う。大きな実が鈴なりになっているのを見るのは、とても幸せな気分だ。桑の実ジャム本当はもっとたくさんあったのだが、煮ている間に子供達が入れ替わりたちかわりやってきてはスプーンですくってなめ、出来上がりの頃には半分くらいになってしまった。私は、桑の実はベリーの王様だと思う。流行りのいろいろなかっこいいベリーがあって、それぞれみなきれいでかわいらしいのだけれど、本当にジャムにしておいしいのはこれだ!と思っている。生食でも甘くて充分おいしいのだが、ジャムにすると香りが際立ってきて、色もとても美しい。そして、青臭さやクセが全くないのだ。ソルトクラッカーにのせると、甘さが引き立って、本当においしい。他に、アイスクリームやヨーグルトにのせるのもいい。特に、ちょっといいバニラアイスに煮上がったばかりの熱々のジャムをとろりとのせたのは、絶品。花子はお風呂上りにこれ。よく冷えたサイダーにジャムをちょっぴり入れたマルベリー・サイダー。ちょっとチープな感じの色がまた、かわいらしい。表面に桑の粒々が浮いているが、これも一緒に食べながら飲むのがおいしい。
2007年06月03日
昨日、ばーちゃんが掘ってきたアサリをくれたので、太郎のリクエストでスパゲティにすることになった。冷凍庫に中途半端に残っていたイカとエビも入れた。ちょうど先日、業務用食品のスーパーでレストラン用スパゲティ4キロ入りというのを買ったので、今月はスパゲティ祭になりそう。祭の第一回目がちょっと豪華なスパゲティになって良かった…。(実は私には「給料日前用」の、ビンボ臭いスパゲティのレパートリーが多数あるのだ。笑)太郎は大盛り2人前(あわせて250グラム)をぺろりと平らげて「んまかったーーー!!」と褒めてくれた。
2007年06月01日
バタバタしているうちに季節は移り、我が家の庭はいま、白のシーズンを迎えている。ウツギウツギの花が咲いた。このウツギは庭石の裂け目からにょきっと生えていて、昨年から花を咲かせるようになった。真っ白な花が初夏の匂いを漂わせている。マーガレット庭じゅうで咲いているマーガレット。風にゆれる姿がなんともいえずかわいらしい。ヤロウハーブの一種、ヤロウ。のこぎり状の葉も、レース編みのようでとてもきれい。白蝶草ガウラとも呼ばれるが、私は白蝶草という名前のほうがぴったりだと思っている。マーガレット同様、これもこぼれ種でどんどん増えるので、増えすぎて少し困っている。シロツメクサシロツメクサで大きな首飾りを編むのが、子供の頃からの夢だったので、毎年少しずつ増えるクローバーの茂みにワクワクしている。今年は大きくて形の良い花がいっぱい咲いた。あと数年で夢がかなうと思う。黄金葉コデマリ黄金葉コデマリの花はもうほぼ終わりを迎えている。輝くような美しい葉のわりに、花はいまひとつ地味な印象。でも、一つ一つの小さな花の造形は、実はとても美しくできている。タイムタイムはとても好きなハーブだ。この小さな花が咲くと、なんとなくウキウキする。さし芽で簡単に増やせるので、スーパーで買った枝の残りを土にさしておくと、次からは買わなくてすむ。
2007年05月31日
マルベリーの実が熟してきたので、少し収穫してみた。マルベリーというのは、一般的に西洋種の桑を指してそう呼ぶらしい。葉の形は丸っこく、実が大きいのが特徴だ。日本の在来種の、お蚕さんの餌にする桑の実はもう少し小振りで、葉の切れ込みがはっきりしている。花子の大好きなおやつ。とても甘味が強いので、ヨーグルトに混ぜたり、バニラアイスにのせてもおいしい。ジューンベリーまだ未熟なジューンベリー。赤黒い色に変わって、触るとポロリと取れる頃まで、木で完熟させるととてもおいしい。独特の雰囲気を持つこの赤がとても気に入っている。
2007年05月30日
子供部屋の増築工事も、終盤に近づいてきた。先日、搬入された家具の取り付けも終わり、全体の塗装工事が始まり、家具や壁面の塗装が施された。デスクの天板と棚は、実際に取り付けられると本当にかわいらしくて、ちょっと北欧家具のような雰囲気になった。この階段状の棚は、実は実際に階段として人が登れるように作ってあり、これを登ると屋根裏に上がれるのだ。「子供部屋にはシンプルで美しくて機能的な家具を」と考えていたので、殿のデザインに脱帽。なんだかかわいらしいと思ったら、収納家具の取っ手であった。塗装されて取り付けられるのを待っている。こうして並んでいるのを見ると、なんだかちょっとしたオブジェのようで面白い。
2007年05月29日
太郎は田舎の長男なので、非常におなかが弱い。試験とか、部活(ブラスバンドでドラムを叩いている)の本番でステージに上がるとか、そういうちょっとした緊張やストレスでおなかを壊す。そして彼はまた、よく鼻血を出す。彼の名誉のために言っておくが、これは彼のせいではない。鼻の粘膜の一部が傷ついて、そこの血管が弱いらしいのだ。耳鼻科に行って粘膜を焼いてもらえばいいのだが、本人は「別にいいよ、鼻血くらい。ティッシュで拭くから。」と言う。だから、彼はいつもポケットにティッシュを入れている。最近の若い衆はハンカチやティッシュを持たないらしいが、彼はハンカチはともかく、ポケットティッシュは必ず持っている。そういうわけで、彼の新しいニックネームが決まった。『ハナカミ王子』
2007年05月27日
パイナップル入りカレーチャーハン暑くなってきたので久々にカレーチャーハンを作ってみた。先日、車で7~8分のところにある業務用食品のスーパーの会員になったので、そこでフレーク状のカレー粉1キロ入り(50皿分)というのを買ってきた。これなら手間要らずで簡単にカレーチャーハンが作れる。チャーハンと言えば「パラリと仕上げるのが難しい」という話がつきものだが、我が家ではチャーハンを作る時のご飯には必ず玄米を混ぜるので、何の工夫もしなくても、具の水分が少々多くても大丈夫。魔法のようにパラリと粒の立ったチャーハンができる。具は、あらびきウインナー、ピーマン、玉ねぎ、人参、そしてパイナップルの缶詰。スパイシーなカレー味の合い間に甘酸っぱいパイナップルがよく合って、ついつい食べ過ぎてしまう。玄米ご飯とはいえ、カロリー激高メニューなので、ダイエッターにはオススメできない。
2007年05月26日
あまり日記に書くチャンスがなかったのだが、子供部屋の工事は意外にも(笑)着々と進んでいる。かなり難航すると予想された内部の大工工事もほぼ終わり、殿が設計してオーダーしていた木工家具が搬入されてきた。ホレボレするほど美しい仕上がりで、殿もとても満足そうだ。奥が収納家具の一部、手前の階段状の棚がつけられているのは勉強机の天板である。勉強机の段々の棚は、もちろん机の上の収納として使うものなのだが、これはそれ以外にも重要な役割を持っている。それについては。また完成した後に。この後この家具のパーツたちは、西側の壁に設置されて、塗装工事を待つことになる。屋根裏のスペースが小さな寝室になっている。寝ぼけていきなり立ち上がると天井で頭を打つので、それでしゃっきり目が覚めるという仕掛け(笑)これで寝起きの悪い太郎も大丈夫!…なのか??二人の部屋は、ピアノを置く予定の小さな玄関ホールにあたる部分を挟んで、全く左右対称に作られており、屋根裏の小さな寝室同士はブリッジでつながっている。(そのブリッジを巡っては、実は殿と私で意見が合わず、今も私は大いに不満なのだが。)あと一ヶ月ほどで完成する予定。花子は部屋の真ん中にぶら下げるのだといって、もうアジアンテイストなハンモック型のイス(?)を買ってきて殿に「あの辺りの天井からぶら下げたい」なんて注文している。完成したら花子の部屋に枕とタオルケットを持ってお泊りに呼んでもらう予定の私である。
2007年05月25日
昨日、花子の担任が家庭訪問にいらっしゃる日だった。過去、太郎の小学校時代も含めて、お便りには「玄関先で10分ほど」と書いてあるにも関わらず、「どうぞ」と言うと「それでは…」と上がってお話をされた先生が何人もおられたので、毎年この時期の私は非常にブルーなのだ。なぜブルーかって?それはもちろん、家の中が片付いていないからである。我が家は殿が設計した、ちょっと変わった家なので(先日の太郎の友人の件でも書いたが)来客を通す部屋だけを掃除する…と言うわけにはいかない。家中ぜんぶが一つのつながった空間なので、徹底的に掃除をするとなるとそれはもう年末の大掃除と同じくらいの規模になってしまうのだ。(断っておくが、ワンルームのような簡単なものではない。小さい家なのに吹き抜けあり、階段あり、レンガの壁ありの、それはもうややこしい空間なのだ。)私はそもそもダラでずぼらだから、普段はそこそこ不潔でない程度にあちこち片付けて、そのかわり片付いていない部分もあちこちに見えている、という具合に暮らしている。きれい好きの奥さまが聞いたら、気持ち悪くて死んでしまうような中途半端な散らかり具合で毎日生きているのだ。だから…でも、今回は人生最後の家庭訪問(中学はない)になるのだし、ここは一つ、忙しい合間にぐぐっと時間をこじあけて、覚悟を決めて掃除をしようじゃないか!と、一週間ほど前の私は腹をくくった。家事や用事の合い間に、家のあちこちにのさばっていたごちゃごちゃの小山を一つずつやっつけ、捨てるかどうか迷っていたものをエイヤァっとゴミ袋に詰め、薪ストーブを磨く。なんとか少しずつ片付きつつはあったが、当日までに「ちゃんとしたおうち」になるかどうかは微妙な線だった。そして訪問の前々日(家庭訪問の一日目)、花子が学校から帰ってきて「先生は玄関先で話すだけだって!今日、行く子にそう言うてはったよ。おうちには上がりませんって。」そうか、それは良かった。昨年の先生は「時間が限られているのでここでお願いします」と玄関でお話をされたし、その前の先生は園芸委員の先生だったので「ぜひお庭でお話させてください!」とおっしゃって、どちらも家には入られなかった。今年も玄関で済むのか…まだきちんとはしていないが、途中まで頑張っただけになんだか拍子抜けして、しかしやっぱりホッとして掃除の時間を他の用事に回せることに喜んだ。そして当日。せめて玄関だけはピカピカにしておこうと、朝から徹底的に掃除をし、一番お気に入りのお香を焚き、庭からのアプローチの通路も草をひいてすっきりさせた。家の中は、念のため玄関から見える範囲は床も壁もきれいにし、残るごちゃごちゃは玄関から死角になっている場所に隠した。(この辺りのやり方が自分でも非常にいやらしいと思う。笑)時間ぴったりに来られた先生は、庭を通りながら「わー、素敵ですねぇ…」と早足で玄関に入ってこられ、少し額に汗をかいておられた。しゃきっとした、姿勢の良い、とても感じの良い先生だ。「玄関で立ち話」と花子から聞いているとはいえ、いきなり玄関で話を始めるのもどうかな…と戸惑っていたら、先生が「もう、ここで…」とにっこりされた。一気に安心しきってしまった私は「ここでよろしいんですか?(にっこり)それでは少し暑いので、ここ開けておきますね…」とリビングへのドアを開けた…それが間違いだった。しまった!!と思った時にはもう遅かった。先生はちらりと見えたリビングのレンガタイルの壁と無塗装の木の階段を目に留め「わーー素敵!やっぱりちょっと上がらせてもらっていいですか?」いや、あの、ええと、ど、ど、どうぞ。そんな返事をしたと思う。リビングから丸見えのキッチンには、鍋釜が積み上げてあり、食器もシンクに入れっぱなしてあった。少し前に殿が帰ってきて、中途半端な時間にご飯を食べ、子供達もそれぞれおやつを食べ、その直後の訪問だったのだ。かろうじてダイニングの大きなテーブルが片付いていたのだけが救いだった。だが先生はニコニコと花子のお話をされて、「こんないい環境で育って、花ちゃんは幸せですね。」と言ってくださった。そして「あの子はほんとうに面白いですね。私、花ちゃんが次はどんなことを考えるのか、すごく楽しみにしてるんですよ。」と笑っておっしゃったので、ホッとした。今のところ、花子は学校の誰とも上手くやっているようだし、委員の仕事なども頑張っているらしかった。「家では、今年こそはコツコツ勉強する習慣をつけるというのが目標です」と言うと、「分かりました。花ちゃんが勉強する楽しみをたくさん経験ことができるように、学校でも工夫しますね。」とおっしゃって、次の訪問先へ向かわれた。久々に、背中から汗がどっと噴出すような時間を過ごしたが、先生が気さくな人で良かった。しかし「これに懲りて、これからは毎日家の中をピカピカにして…」とは、決してならない。なにしろワタシは筋金入りのダラ奥なのだ。子供部屋が完成して、膨大な量の子供達の物が引っ越したら、きっときれいになるに違いない…と淡い期待を胸に、今日も中途半端な掃除で手を打っておく私なのであった。
2007年05月24日
今年の春、新しく庭に植えたプリムラ・ビアリーが開花した。真っ赤な花穂の下のほうから、かわいらしい星型の花が順に咲く。プリムラ・ビアリーの花穂下のほうからかわいらしい花が咲く小さな花の一つ一つが本当にかわいらしくて、ずーっと眺めていたい気持ちになる。殿がタキイの通販で買ったもので、苗が届いた時は正直なんだか冴えない植物だなぁと思ったのだが、花穂の下半分くらいが開花したのを見たら、そのかわいらしさにいっぺんにお気に入りになってしまった。全部咲いたらどんなになるのか、楽しみでワクワクして待っている。
2007年05月23日
昨日は過去に遡って7日分の日記を更新した。お気に入りつながりの方々からはさっそくコメントをいただき、本当に嬉しかった。今日はこの日記を書き込んでから、お返事を書こうと思っている。さて、本題に。太郎には、小学校時代から仲良くしているZくんと言う友達がいる。彼は、小さい頃から進学塾に通い、高学年になってからは土曜日も日曜日も塾の特別クラスでバリバリ勉強してきた秀才くんだ。しかし勉強だけではなく、小さい頃からスイミングスクールにも通い、大会ではかなりの成績を修めるほどのスポーツマンでもある。ご両親は中学受験を強く勧めておられたので、彼はいくつもの私立中学を受験し、全部に合格した。けれども、どういうわけか彼は地元の公立中学に進学した。そして今、常に学年トップの成績を維持している。そんな彼に追いつき、いつかは追い越したいと言うのが太郎の目標で、昨年同じクラスになってからは、太郎はいつも彼を意識するようになった。今年は別のクラスになったのだが、塾が同じということもあって、やはり彼は太郎の目標になっている。ライバルというには、太郎は相手にもなっていないのだが、それでも目標にしたい友達が、すぐ自分の側にいることは、太郎にとっては頑張る原動力になっているようで、私は良いことだと思っていた。お互いにいろいろな情報交換もしているようで、なんだかほほえましい感じがして、男の子同士の友達っていいもんだなぁと思っていたのだった。ところが最近、ちょっと気になる事が増えてきた。Zくんがひどい風邪で学校を休んだ時、Zくんは学校に「太郎にノートを取っておいてくれるように言っておいてください」と連絡をしたのだという。私は、そういう連絡を学校に入れること自体にも少し違和感を感じたのだが、その後、元気になった彼は太郎に「日曜日のお昼頃に数学と英語のノートを借りに行くから」とメールで連絡をしてきた。太郎の都合も聞かず、である。太郎はその日、自分の勉強でもノートが必要だった(定期テスト前だった)ので、彼の休んでいた5日分ほどのノートをコピーして渡した。するとZくんは、まるで当たり前のように「なんだコピーしたのか。ノートだったら全部借りたらかわいそうと思って2科目だけと言ったのに。じゃあ他の教科もコピーよろしく。」と言って帰ったのだ。その彼の物言いにちょっとカチンときた私だったが、その時は、まぁ中学生の男子なんてこんなものなのかな…と思うことにした。しかし、気になることはそれだけでは済まなかった。例えば体育の時、太郎がZくんと同じ記録を出すと「えーー、太郎と同じかよ…」とあからさまに言い、主要科目の課題や小テストの時には「太郎になんか負けたら死ぬわ」なんてことを笑いながら言うらしいのだ。太郎は笑って聞き流しているようだが、私はちょっといやな気分になった。仮に冗談のつもりでも、それはあまりにも失礼じゃないか。そして先日、たまたま二人とも部活が休みになった日があった。うちはZくんの通学路の途中にあるので、一緒に帰ってきたZくんはちょっとうちに立ち寄っていった。最初、二人は庭で立ち話をして、子供部屋の増築工事を眺めていた。そしてZくんはいきなりニヤリと笑って玄関へ向かい、太郎が止めるのも聞かずに(もちろん挨拶もなしに)勝手に家の中へずかずかと上がりこんだのだった。我が家は夫婦の寝室以外は間仕切りのない一つの空間になっている。だから「誰かを連れてくる場合には、事前に家族に言っておくこと」というのが我が家のルールになっている。私は庭で洗濯物を取り込んでる最中だったので、Zくんの行動に驚きながらも、太郎がどうするか眺めていた。太郎は大慌てで「勝手に上がるなよー!ちょっと待て!」と止めていたが、Zくんは家の中にいた花子も無視して、2階へ勝手に上がっていった。2階といっても、吹き抜けで1階とつながっているので、彼が勝手に本棚や机を物色したり、「こんな参考書いらんやろ」だの「ふふん、こんなにいっぱい問題集買ってるんや」だのと鼻で笑っているのが聞こえていた。彼が帰ったあと、私は太郎に「Zくんてあんなに行儀の悪い子なん?あれはちょっと普通じゃないよ。」と、がっかりして言った。すると太郎は「いや、あいつはあんなんや。ものすごく勉強できるんやから、ちょっと変わってるところがあっても仕方ないよ。あいつの親は勉強にはものすごく厳しくてさぁ、成績落ちたらおやじに殴られるらしいけど、その分、他は自由にさせてるんじゃないの?そういうおかげであいつはずっとトップでおられるんやし。」と言った。その一言が、私にとってはものすごく気分の悪いものだった。勉強ができたら、常識をはずれていても仕方ないという太郎の考えは、どうしても許せなかった。それに、勉強さえできれば他はどうでも良いという子育ての方針を、まるで素晴らしいことのように言う太郎の気持ちが、まったく違う考えで子供達を育ててきた私には理解できなかった。もしかしたら太郎は、心のどこかで「自分もZくんの家のような方針で育てられたらもっと成績が上がったかもしれない」と思っているのかもしれない。私は久しぶりに、太郎に長い時間をかけて説教をした。太郎はちょっと迷惑そうにしていたが、そんなことでひるんでいては中学生に物を言うことなんてできないので、かまわず懇々と私の考えを言い聞かせた。勉強ができるとか、スポーツができるとか、バレエやピアノやお習字が上手だとか、そういうことは確かにとても素晴らしいことではあるけれども、それを人間としての当たり前のことと引き換えてはいけないと、私は思っている。「得意なこと」は子供の世界を広げるために大切に伸ばしてやりたいと思っているが、そのために基本的なことがおろそかになってしまうのは、私はいやなのだ。特に、感受性やセンスが育ち始める小学校高学年ごろから、中学生・高校生の頃には、親が示してやらなければならない社会の常識が山のようにある。それらを一つ一つ丁寧にしつけるのは骨が折れる作業だけれど、それが親としての仕事のクライマックスではないかと私は思っている。だから、それが時には勉強のための時間を削ってしまうことになるとしても、私はそれを優先するよ、と説教の最後に私は太郎に言った。はじめ、不服そうに聞いていた太郎だったが、しまいには(あまりに長い説教に根負けしてか)うんうんと頷いて聞いた。だが、本当のところ、それでいいのか?という疑問が私の中に確かに残っている。私の思いは、所詮は理想論、キレイゴトであって、そんなことを言っていては子供の勉強の妨げになるというのが真実なのではないか。今の時期は、何を犠牲にしても勉強を、というZくんのご両親の考えが本当は正解で、私は負け犬の遠吠えのように、太郎が彼に勝てない悔しさを「人間性」とか「常識」とか「行儀」なんてことでごまかしているだけなのではないか。ここへ来て、なんだかよく分からなくなってきてしまった。優しくて賢い、そしてオモロイ子供に育てたいといつも思ってきたのだが、それはけっこう難しいことなのだなぁと思い、そして、ちょっぴり情けない気持ちになる私なのだった。
2007年05月22日
ひっさしぶりにパソコンの前に座ってみたら、丸8日間も日記を書いていなかった。コメントを下さっていた皆さん、ごめんなさい。今日は殿が出張で早朝出勤しなければならず、私は朝4時起きだったので、もう粗方の家事は済ませることができて、今日はお昼ご飯も自分の分だけで良いので、久々にゆっくりとできそうだ。今日の分から、できる限り遡って日記を埋めてみようと思う。いったい何日の分まで遡れるかは分からないが、御用とお急ぎでない方は、ぼちぼちと先週を振り返るののはなにお付き合い願いたい。首尾よく8日分パーフェクトに書き込むことができましたら拍手喝采。さて、前置きはこれくらいにして…これがタイトルのキングサリ。殿が大好きなキングサリはマメ科の植物で、ちょうど藤を黄色にしたような花である。花の房の長さは、天候や水分の量にずいぶん左右されるようだが、今年は割り合い長くて立派な花になったと思う。葉の明るい緑と抜けるような青空をバックに、元気な黄色が映える。この花が咲いたら、もうまもなく雨の季節がやってくる。
2007年05月21日
日曜日だけど、子供部屋の増築工事の追い込みに、大工さん達が来てくれている。せめて日曜日くらいは、日ごろの睡眠不足を解消すべくのんびりと朝寝坊したいところなのだが、朝早くから仕事をしてくれる大工さんたちのことを思うとそうもしていられない。(それに、寝ていようにも賑やかに家中に響く工事の音で、到底寝てなんていられない。)ダラダラとお昼まで寝てやるぞー!と勢い込んでいた気持ちにあきらめをつけ、洗濯物を干し、庭をぶらぶらと歩く。今年はいつになく居候植物(植えた覚えがないのに、勝手に種が運ばれてきて我が家で繁殖する植物たち)が多い。これはきっと、我が家の居候猫「クロちゃん」の仕業に違いない。クロちゃんが近所の野原をあちこち歩き回って、顔や体中に草の種をくっつけて帰ってきて、うちの庭で毛づくろいをするものだから、今年は去年までうちの庭では見なかった種類の草がずいぶんたくさん芽を出した。すぐに抜いたものは良いのだが、つい忙しさにかまけて放ったらかしになってしまい、かわいらしい蕾でもつこうものなら、もう抜けなくなってしまう。花子が「そんなかわいそうなことしたら、絶対にゆるさへん!」と、保護命令を出してしまうのだ。ヒメジオン?「もしかしたらハルジオンかも」と思ったのだが、ハルジオンは蕾が垂れるらしい。花だけで見分けるのは難しいらしいが、これはおそらくヒメジオン。ニワゼキショウ花子の大好きな花の一つで、よく学校帰りに摘んで帰ってきていた。庭に生えてきて大喜びしている。もしかしたら、彼女が種を持ち込んだのかもしれない。ノースポールこれは、本来なら園芸屋さんで種なり苗なりを買ってくる種類のものではないかと思うのだが、いつの間にか庭で咲くようになっていた。近所に植えているおうちがあるわけでもないので、クロちゃんの仕業か、野鳥達が運んできたのかもしれない。一度植えるとこぼれ種でどんどん増えるので、そのうち庭のあちこちに咲くようになるのだろう。オオキンケイギクこれもある年突然、庭で咲き始めた。近くに、この花が沢山咲いている空き地があるので、どうやらそこから運ばれてきたようだ。庭のいたるところで、マーガレットたちと陣地争いの熾烈なバトルを繰り広げている。スイカズラスイカズラは今年初めて我が家にやってきた、新入りの居候植物。玄関脇のローズマリーの茂みに絡まるように育っていて、優しい良い香りを振りまいている。私はジャスミンの花の香りはとても苦手で、だからこういった形状の花の香りはあまり印象が良くなかったのだが、これはとても清楚な香りがするので、抜かずに置いておくことにした。このほかにも、シロツメクサはこんもりと大きな茂みを作っているし、キュウリグサは小さな小さな青い花を沢山咲かせているし、カタバミのピンクの花も、たんぽぽも、そこいらじゅうで咲いている。へびいちごは真っ赤な宝石を撒き散らしたように地面にはびこっているし、巨大化したミツバもそろそろ花芽をつけ始めた。花子は今年も「お母さん、ウチの庭さぁ、今年もちゃんと立派な野原に育ってよかったねぇ…」とご満悦である。
2007年05月20日
庭の水道のところに、泥汚れを落とすための亀の子束子を置いている。でも、さっき使おうとしたら…束子の毛のあいだから、なにかの芽がたくさん出ていた…。使うに使えず、しかし捨てることもできず、仕方なくそのまま置いておくことにした。この束子はこの先しばらくここで適度な水分と日光を与えられて、小さな植物達のプランターとしての勤めを果たすことになろう。この小さな芽がぐんぐん育って、なにか大きくて美しい花でも咲かせてくれたら…そしたら格好のブログネタになるなぁ、なんてスケベ心一杯のののはななのであった。
2007年05月19日
花子の担任の先生から電話があり、花子の作文を市の主催するイベントで発表して欲しいと言う依頼が学校に来ているというお話をいただいた。昨年、夏休みに花子が書いた作文が地域の予選で代表に選ばれて、もう少し大きな大会の審査まで進んだことがあった。その作文は、実は夏休みの最後の日までどーんと宿題を残していた花子が、泣きそうになりながら書いたものなのだが、その悲愴感が良かったのか、それともウケを狙う余裕のなさが素直で子供らしい印象を与えたのか、いくつかの作文コンクールにエントリーされることになり、そしてとうとう賞までもらってしまった、というものだった。もう、ずいぶん前に書いた作文のことなので、実感としてはちょっとアレなのだが、親ばかの私としてはとても嬉しいことだった。電話を切ったあと、花子に「去年の賞をもらった作文な、市役所のえらい人が褒めてくれはって、市のイベントで発表してくれませんかって言うてはるんやて!すごいやんかー、良かったなぁ!!」と報告した。花子はちょっと困ったような、妙な笑顔で「へーそうなんや…ふう~ん…」と、なんとも拍子抜けな返事をした。「どうしたん?嬉しくないの?」と尋ねると「いや、そんなことはないねんけどな…あのさぁ…えっと…去年の作文って、私、なに書いたんやったっけ???」そうか、子供なんてそんなものなんだな。大人がいつまでも栄光を引きずりたがるのと違って、子供達はどんなことも済んだらすっかり忘れて、新しいことに向かうのだ。花子のちょっと意外な反応に驚きながらも、成長するためには「忘れる」という要素も案外大切なのかもしれないとふと思う出来事だった。(いや、本当はそんなかっこ良いものではなくて、ただ花子が忘れん坊なだけかもしれないが。)
2007年05月18日
ブルーベリーの枝先に、先日から気になっている部分があった。それは蜘蛛の巣らしき糸が張られていて、そこに黒い小さな粒が沢山あつまっているものだった。砂粒が風で飛んで来たにしては、いやに粒ぞろいだし、虫のフンという感じでもなくて…数日前、近くまで行ってフッと息を吹きかけてみた。すると…黒い粒々たちは、いっせいに大慌てでわーーーっとばらけて行った。そう、黒い粒々は蜘蛛の赤ちゃんたちなのだった。そういえば、2~3日前に見たときよりも、粒々のかたまりが少し大きくなっていた。小さな小さな蜘蛛の子達は、小さいながらも脱皮して成長しているのだった。しばらくしてもう一度見てみると、さっき「敵が来たー!散らばれーーーっ!」と散らばった子供達は、また団子状に固まっていた。一塊になっているほうが、鳥や他の虫達に狙われにくいのかもしれない。太郎も面白がって見に行き、花子もふぅっと吹いては散らばる蜘蛛の子たちを眺めていた。二人とも楽しんで見ていたが、うっかり巣から落ちてしまう子は、そっと手のひらで受けて、巣に戻してやっているようだった。そして今朝、蜘蛛の子たちは一匹残らず巣立っていった。ある子はつーーーっと糸をたらして地面に降り立ち、またある子は枝先の葉っぱから小さなターザンのように糸にぶら下がって風に乗って行ってしまった。そんなふうに、誰が出発の合図をしたわけでもないのに、みんないっせいにいなくなってしまった。ちょっぴり寂しくなってしまったブルーベリーの枝先。みんな元気に育って、庭の悪い虫をたくさんやっつけてくれるといいなぁ。
2007年05月17日
サンショウバラがやっと開花した。先日、maido.keiさんのブログにサンショウバラの美しい画像が載せられていて、「あら、そういえばウチにもあるよね、サンショウバラ…」と北の庭を見に行くと、まだ固そうな、でも確かに蕾の形をした花芽が育っていた。それが、思っていたよりもうんと速いスピードでふくらみ、ほどけ始め、ついに開花したのだった。「山椒薔薇」の名前は、おそらく葉の形(画像の花の左側に写っている)が山椒に似ているからではないかと思う。maido.keiさんによれば、この後にトゲトゲのチャーミングな形の実がなるらしい。我が家の庭では、まだ実がなっているところを見たことがないので、今年こそは!と楽しみにしている。
2007年05月16日
先日、沖縄旅行に行った友人が、沖縄の珍しい調味料と一緒に「海ブドウ」なるものを送ってくれた。海ブドウとは、海草の一種らしいのだが、私は実物を見るのも食べるのも初めてだった。友人が送ってくれた海ブドウは、生のままパックにキラキラと並んでいて、いかにも「生きている植物」と感じさせるほどの新鮮さだ。友人の勧め通り、着いたその日のうちに青ジソのドレッシングで食べてみると、プチっと弾ける歯ざわりとトロリとする食感が楽しくて、そしてクセのない味に、家族みんながすっかりはまった。特に、プチプチとかコリコリに目のない花子は、この見た目も美しい海ブドウにすっかり夢中だ。先月、沖縄に修学旅行で出かけた太郎も、これは食べるチャンスがなかったんだと言って、とても喜んだ。そんなおいしい体験があって、そして私は今日、スーパーの沖縄フェアで海水漬けの海ブドウを見つけた。でも、それは友人が送ってくれたあのキラキラは感じられず、全く別のものに見えた。私には、友人が生の海ブドウをわざわざ送ってくれた気持ちが、改めて分かった気がしたのだった。友人は現地から、おいしくて楽しいお土産を一杯箱に詰めて送ってくれた。それは、バタバタと忙しくてふと気付くと空虚な毎日を送っていた私を、一気に元気付ける魔法のようだった。中でもこの、美しい海ブドウとの楽しい出会いは、ずっと忘れられないものになった。友人もまた、沖縄で一生忘れられない素敵な思い出をたくさんたくさん作ったことだろう。我が家にも沖縄の風が吹いた今年の春だった。
2007年05月15日
古典の勉強をしている太郎の参考書に、竹取物語が載っていた。「なぁおかん、これってかぐや姫の話やろ?子供の頃に聞いたかぐや姫のストーリーよりもエピソードが多くて長い話やな。蓬莱の玉の枝とかさぁ。」と太郎が言った時、私はある歌を思い出した。それは実家の父がよく歌っていた歌で、タイトルも歌詞もよくは分からないのだが、♪はじめの男はインドに渡る~という、冒頭の部分と♪泣く~ 泣く~ かぐやひめ~というサビの部分だけは鮮明に記憶に残っている。なんだか、のどに引っかかった小骨が取れないときのようにその歌のことが気になった。そこで、とりあえずネットでいろいろな検索をかけてみて、その歌が河合坊茶と言う人が歌っていた「かぐや姫 吟遊詩人の歌」という曲であることが分かった。(最初「かぐや姫」で検索すると、南こうせつのかぐや姫関連の記事がうんざりするほどドバーーッとヒットして半泣きになった。)そこから芋づる式に次々に検索し、ついにこの歌を作った人が分かった。それがタイトルに書いた偉大なる作詞・作曲家「三木鶏郎」その人であった。このかぐや姫の曲はテレビの民間放送が始まる前の時代に、ABCラジオのホームソングとして繰り返し流れていた曲らしく、関西方面の年配の方々ならば必ず耳にしたことがあるという、有名な曲であったのだ。そうか、三木トリローっていう人なのか…。果たして父は知っているのだろうか。なんだかちょっと楽しくなってきて、私はもう少し彼のことを調べることにした。いろいろ調べて、父に教えてやろう。懐かしい思い出を探ることは、父にとっても楽しみだろう。そう思った私は、このトリロー先生の曲がCD化されていないかと探すことにした。すると、あった!!これ、キリンのアミノサプリという飲料のCMで使われていた曲だ。♪たららぷんかぽんかぴ たららぷんかぽんかぴと面白い音楽が流れて、人々が奇妙な体操をするシーンはどこか懐かしいような妙な感じがして、とても印象に残っている。CMを見て、曲の問い合わせが殺到したために、新たにリリースされたのだそうだ。肝心の「かぐや姫」の入っているものも見つけた。トリローソングス(これ、ソッコーで買いました)ものすごく古い曲が多いのだが、中には♪あっかっるーいナショナールとか♪キリン レモン キリン レモンとか♪わっわっわー 輪が三つとか、私の記憶にあるCMソングもあった。そしてなんといっても驚いたのは「トムとジェリー」の、あのテーマソングもトリロー先生の手によるものだったことだ。両親が商売をしていてものすごくテレビっ子だった私は、トムとジェリーが大好きだった。「夏休み子供劇場」とか「春休みアニメ劇場」とかというタイトルで何度も何度も再放送されるトムとジェリーのシリーズを、毎回必ず見ていた。トムとジェリーのあのテーマソング、おそらく何百回と歌ったのではないかと思う。子供心にもちょっとカッコイイと感じたのは、たっぷりとジャズのエッセンスがちりばめられているせいだろう。調べてみると、1914年生まれのトリロー先生が亡くなったのは1994年だから、私たちの年代は彼の音楽を知っていても当たり前なのだった。パソコンに向かって「わーー、あったわ!」「へーっ!この曲も?!」と喜んでいると、太郎が横から「何やってんの?」と覗きに来た。「かぐや姫の歌さぁ、三木トリローっていう人が作ったらしいよ!」と、ちょっと興奮気味に教えると、太郎はこともなげな表情で「トリロー?ああ、二見音頭や二見がえるを作った人やな。」ええーーーーーーっ?!「二見音頭」は文字通り、私たちのまち「二見」で昔から盆踊りなどで踊られてきた曲で、今も小学校の運動会などでも子供達が踊るもの。「二見がえる」は、保育園児たちを中心に、小さい子供達が、カエルの目玉のついた緑色のサンバイザーに緑の軍手、白と緑のちゃんちゃんこ風衣裳で踊る、二見の伝統芸能とも呼ぶべき存在の曲。どちらもこのまちに住んでいる人たちは必ず知っている曲なのだ。太郎は先日の修学旅行で、沖縄の子供達と伝統芸能の交流会をしてきたので、その時にこれらの曲について調べたのだと言う。「その時トリロウって変わった名前だなぁと思ったから、間違いないよ。」世の中はどこに縁が続いているか、本当に分からないものだ。父が昔から歌っていた歌と、娘の私が好きだったアニメソング、そして孫の太郎が習ったまちの伝統芸能が、実はみな一人の音楽家の作品だったなんて。三木鶏郎。生きておられたときに、彼の音楽に出会いたかったなぁ。
2007年05月12日
母の味 ケチャップ味のポークソテー母がよく作ってくれたポークソテーは、いつも決まってトマトケチャップ味だった。たぶん母はケチャップの味が好きなのだろう。彼女が作る洋食系のものは圧倒的にケチャップの味付けが多いのだ。ケチャップの味の嫌いな子供はめったにいない。母の作る洋風の料理は、当時の私たちの心を鷲づかみにした。私も妹も、せまいお台所からケチャップを炒める匂いがしてくると、おなかをグーグー鳴らせて待ったものだった。このポークソテーは、当時母が作ってくれた味そのままになるように、上等な調味料は使わない。アジシオと書かれた空色のキャップのお塩と、ラーメン屋さんのカウンターによく置いてある四角いビンに赤いキャップのテーブルコショーと、カゴメのウスターソースとトマトケチャップで作るのだ。冷蔵庫に昨夜のラタトゥイユとマカロニサラダが残っていたので、ちょっと添えてみた。ラタトゥイユをのせつつ食べるとまたおいしい。でも、ラタトゥイユや他の付け合せがなくても決して寂しくならない存在感がある。具沢山のお味噌汁と一緒に食べたい。ご飯がものすごく進むこと間違いなし。調理時間は10分くらいなので、忙しいけどしっかり食べたい日の晩ご飯にぜひ。
2007年05月11日
斑入りヤマブキ「七重八重…」と歌われるヤマブキだが、我が家のものは一重咲きで、葉が斑入りのものだ。小学生の頃、ヤマブキ色という名前のついた水彩絵の具を「ヤマブキって一体なんのこと」とずっと思っていた。今は「まさにこの色だった!」と思うのだが、どういうわけかこの花を見るとちょっと物悲しい気持ちになる私なのだ。ネムの花よく見かけるピンクのネムは大木になるようだが、我が家のネムは横にどんどん広がるタイプのものだ。あまり無駄に大きくならないので邪魔にならない。昨シーズンは花の途切れる暇がないほどに咲き続けたので、今年はあまり咲かないのではと心配していたのだが、今はまた枝一杯に蕾をつけている。ミントブッシュミントとは似ても似つかない植物なのだが、葉っぱをなでるとスーーッとした香りがあるのでこの名がついたのだろう。小さな紫の花をたくさん咲かせる様子がとてもかわいらしくて、玄関に近いところに植えている。満開の時期には、我が家を訪れる人たちに必ず「これは何ていう花?」と尋ねられる。
2007年05月10日
久々に庭の果樹たちを見てまわると、もうたくさんの果樹に若い実がついていた。季節の境目がはっきりしない今年の春だが、青々した若葉と小さな果実の赤ちゃんたちを眺めていると、風はもう夏のにおいがした。ジューンベリーそろそろムクドリ対策を考えなくては。マルベリー我が家の桑はマルベリーという西洋種で、実が大きくてとても甘い。この実で作ったジャムは一度食べたらやみつきになるおいしさ。まだ花芽のような小さいうちから、鈴なりになる日を想像してワクワクするのだ。柿まだ小さな柿の花芽。柿の花って、とても地味だけれど、工芸作品のようで好きだ。開花したらまた画像を残そうと思う。秋ぐみ秋ぐみの木は、昨年の冬にかなり切り詰めて小さくしたのだが、残った枝にびっしりと白い花がついている。暖地桜桃昨年は、熟す寸前の最後の最後に嵐のような悪天候の日があり、一つも食べられなかった。今年はなんとか熟してきているので、花子も殿も楽しみにしている。梅梅は今年、豊作のようだ。ジャムを作りたい。枇杷私たちの口に入るトップバッターはこの枇杷だろう。鳥と虫との両方が狙っているので、袋をかけようかと思っているところ。いちごちょっとおまけのいちご。数年前に一度植えたら、こぼれ種とランナーで庭のあちこちに増えてしまった。実は酸っぱくてあまり大きくならないけれど、ピンクの花がかわいいので気に入っている。毎年、庭の木々に実がなり始めたら、衣替えをぼちぼち始めることにしている。今年は毎日をバタバタと過ごしているので、半そでの洋服を全部出してみたものの、冬服を片付ける時間が細切れにしか取れなくて、家全体が納戸のようになってしまっている。今週は、花子の参観・懇談とPTA総会、(殿の)おばあちゃんの法事、運転免許の更新、太郎の模試と自治体イベントへ部活での出演もある。小学校へ鼓笛の指導にも行かなくてはならない。ちょっとゆっくりしたいけれど、そうも行きそうにないなぁ…。庭の木々の実が熟しても、衣替えが終わるかどうか自身のない私なのだった。
2007年05月08日
忙しくてちっともちゃんと世話をしていなかったのに、今年ももっこうばらがちゃんときれいに咲いてくれた。満開のもっこうばらは、我が家の玄関先をぱあぁぁっと明るく、優しい雰囲気にしてくれる。小さなバラがたくさん集まって咲くので、そのままでもこんもりとかわいらしいブーケみたいだ。病気知らずで手間いらずの、初心者もずぼら者も安心して育てられる花である。
2007年05月06日
この春、我が家の庭に久々に新入りさんたちがやってきた。殿がこっそりと注文していたのだ。「忙しいので、今年は新しいのはなにも買わないこと!」と通達を出していたのに。でも、私の大好きなエニシダなので、まあ勘弁しておいてやろう。エニシダ『白花石化』少し盛りを過ぎてしまった白花のエニシダ。花は普通のエニシダくらいで、枝にびっしりとついている。大きくなってこんもりとした株になったときにはさぞかしきれいだろうなぁと今から数年後を楽しみにしている。エニシダ『ほほべに』この『ほほべに』の花は普通のエニシダよりもかなり大きく、花の重みで枝がきれいにしなるのがとても良い感じ。ほほべにというにはかなり濃いオレンジの色が印象的。エニシダ『バークウッディ』これだけがまだ蕾。しかし、エニシダのイメージからはかなり遠い色の蕾だなぁ…。咲いたらまた画像をアップする予定。エニシダ『ルナ』こちらは黄色と優しい白のコンビのルナ。これも大きな花だが、柔らかい雰囲気があってかわいらしい。庭に植えつけたばかりの新入りさんたちは、いつもどこか落ち着かない様子に見えるのだが、このエニシダ4種は、殿の植え方がよかったのか、それとも天性のキャラクターなのか、すっかり我が物顔で咲いている。花よりも緑の多いエリアだったのだが、これですっかり華やかな雰囲気になった。殿はちょっと庭の雰囲気を変えようとしているのかも。
2007年05月05日
ものすごく久しぶりの更新になってしまった。前回の日記にコメントを下さっていたみなさん、ずっとお返事がかけなくてごめんなさい。今、なかなか自分の時間を作れない毎日を過ごしている。日記に書きたいことは山のようにあるし、庭の写真も撮りたいのだけれど、パソコンの電源を入れても、デジカメを持っても、つい「あ、その前にあれをやっとかないと…」と、家族の用事や家事が次から次から浮かんできてしまって、つい後回しになってしまう。そして気がついたらいつも日付がとっくに変わってしまっているのだ。こんな風に毎日を過ごしているので、少なくとも来年の春くらいまでは、日記は更新したりしなかったりしなかったりしなかったり…という状況になるんだろう。コメントへのお返事や、覗いてくださった方々の所へお邪魔するのもままならないと思う。だが、何もかけなくても、下さったコメントは必ず拝見している。そのあたたかく楽しいメッセージに元気づけられて一日を締めくくることも少なくない。書くことが山ほどあるのに書く時間がないというジレンマに陥りながらも、ブログをはじめて良かったと改めて感じたりもしている。さて、そろそろ本題に入ろうと思う。先月の末に、機嫌が悪くなって大暴れ(というほどでもないのかも知れないが)した父だったが、その後はとても落ち着いていて、忙しい私を気遣ってくれるほどの気持ちの余裕を見せている。介護している母が、脳梗塞の後遺症や認知症の扱いに少しずつ慣れてきたこともあるのだろうと思う。太郎の塾の費用(太郎はGW中ずっと塾の特訓を受ける申し込みをしてきた。一日一科目10時間に及ぶ大特訓だ。ただし費用もびっくりするほどかかるのだった。)を案じた父は、「おとうちゃんの小遣いにちょっとおまけをつけてお前に。何に使ってもええから、ナイショにしとけ。」と、少し不自由になった手で書いた手紙をつけて現金を送ってくれたり、修学旅行から帰った太郎に「元気で帰ってきて良かった。勉強もがんばらなあかんやろけど、くれぐれも体に気をつけて、無理したらあかんぞ。」とメッセージをくれたりもした。そんな風に、精神的には落ち着きを取り戻した父だったが、足の調子は以前に比べるとかなり悪くなっており、病院に行く以外は外に出ることができない状態だった。脳梗塞の後遺症で、体がどうしても傾いてしまうので、体の片方に極端に負担がかかり、そちら側の足がむくんでしまったり、痛んだり、力が入らなくなったりしているようだった。リハビリは頑張って続けているが、回復するためと言うよりは、少しでも進行を遅らせるためという感じだった。それで、妹と電話で話しているときに「車椅子、買ったらどうかなぁ」という話になった。今のことろ、かろうじて車椅子無しの生活をしていたのだが、普段の生活とは別に、ちょっと外へ連れ出したり、いざと言う時のためには、車椅子を用意しておいてもいいんじゃないかと、私も妹も思っていたのだ。その話をしていたら、太郎が「じゃあ、僕もお金出すわ!」と言い出した。花子も「私も!私もじーじにもらったお小遣いためてあるから、お金出す!じーじとお散歩に行きたいもん。車椅子あったら、また一緒にきりぱん公園(キリンとパンダの遊具のある公園)に行けるやろ?」と言う。妹の家でも、妹の娘のPちゃん(小2)が「あのさ、Pちゃんもじーじに前お小遣いもらったから、これ出すわ。」と言い出して、結局、じーじの車椅子は「孫一同」からのプレゼントということになった。妹がネットでいろいろ調べてくれて、良いショップを見つけてくれた。そして、ゴールドのアルミフレームに茶系のチェックのシートのついた、洒落た車椅子を注文することに決まった。妹の家に到着した車椅子の箱には、Pちゃんが折り紙でリボンや花をつけてくれて「じーじの頑張り賞」とタイトルを書いた紙を貼ってくれた。リハビリや、私が毎日FAXで送っている読み書き計算のプリントを頑張っているから、とPちゃんが自分で考えてやってくれたそうだ。私たちはみな、父が「車椅子なんて乗らん!」と怒り出す可能性もあると、内心ビクビクしていた。だが、そんな心配をよそに、父は最近ちょっとないほどの喜びようだった。私のところへもすぐにFAXで「金色のかっこいい車椅子です。ありがとう。」と手書きのメッセージを送ってくれたのだった。本当は、車椅子に頼らずに生活する努力を続けることのほうが正しいのかもしれない、とも思う。けれども私と妹とそして孫達は、「これさえあれば、またどこへでも自由に出かけられるんだ」という気分をプレゼントしたかったのだ。家にずっと閉じこもっているよりも、車椅子に乗って外へ出て、季節を感じたり、社会を感じたりして欲しいと思った。それが医学的に、科学的に、正しいかどうかなんて分からない。だけど、この孫達からのプレゼントが、父の生きる気力をぐっと持ち上げたことは間違いない。花子は「早く大阪に行ってじーじと散歩したいなぁ。私、車椅子を上手に押せるように練習するわ。」と張り切っている。母も「なんかちょっと、気持ちが切り替わったみたいに思うわ」と言っている。さあ、私も頑張らなくちゃ。忙しさに負けている暇はないのだ。父に会いに行く時間をこじ開けるためにも、元気で頑張らなくては!!
2007年04月27日
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