ゆかママンのハッピーな毎日

ゆかママンのハッピーな毎日

医療現場の現実


内科、小児科、歯科も併設されていて、全てかかったことがある病院。
託児所もあるので、安心して行けるし、近所のママ達は皆ここで出産してるので産婦人科もかかった。

評判の悪い医者(理事長)がいたので、あえてその医師を避け、まだマシと思われる医師(院長)を選んだが
こいつもひどかった。どいつもこいつも、ここにはまともな医者はいないのかなと絶望だった。

妊娠から術後の診察まで全て院長だったが、最後までいたわりの言葉は一つとして聞くことはなかった。

「まぁ、今は生きてますけどね」 心拍確認時
「納得できないのは勝手だけど、もう胎児はふやけてる。このまま放っておいても腐るだけだから」 流産診断時
そして手術直前、一緒に診察室に入ったパパの存在すら無視。最後に超音波で見せてくれることもなかった。
まぁ、こいつのことだから、「見たって仕方ないでしょ。もう死んでるんだから」なんて言葉が帰ってきたんだろうけど。
そして術後の検診、出血もなく子宮も戻っていた私に最後に放った言葉 「これで決着ついたでしょ」何の決着がついたというのだ?

医者としての腕はいいのかもしれない。でも人としての資質は最低の医師だった。
確かにこの状況で、医者に慰めの言葉や優しい言葉をかけてもらったところで、事実は変わらないし
かえって辛くなったのかもしれない。なにもこの医者にそんなものを期待してたわけではないけれど
物の言い方があるだろう。ただでさえ病気と闘ってるのに、もっとひどいドクハラで傷つく患者、とても多いだろうな。
こいつ、口のきき方、物を知らないんだろうなあ。非常識、いや常識知らず以前に常識そのものをしらない無常識
悲しい、傷ついたというより怒り、呆れの方が大きく、そう思うことによってキチガイ相手に腹を立てるだけ損だと自分に言い聞かせる。

でも、医者という仕事は、我々から見たら普通じゃないくらいでないととてもやっていけないのだろう。パパが言った。
我々の想像もつかない壮絶な経験の毎日。とても普通の精神ではやっていけないと思う。

特に産婦人科で思ったことは、2階で元気に生まれてくる子供の検診、そして私は3階で流産手術
午後には産気づいた妊婦の出産があったかもしれない。常に生と死と隣り合わせの職場。
流産だって、医療現場ではよくあることなのだろう。
いちいち患者一人ひとりの心情を考えながらやっていけないだろう。
それでなくてげも激務な産婦人科医。実際この病院でも混雑月は分娩予約ができないほどらしい。
色々な現状もわかる。でも私は、この医者に最後まで一度もお腹にいる子を生き物として、命があるものとして
見えもらえなかったことが残念だし悔しい。

いつか立ち直って、また赤ちゃんを授かることがあったら、病院どうしようか。
と、今考えても仕方のないことだけど切実な問題。
周辺はマンション建設ラッシュで子供も多いし、これから産まれる数も相当増えると思われる。
それなのに、駅周辺に産婦人科は1軒(今回かかったところのみ)
でも、どんなに近くて便利でも、もうここにはかかりたくない。


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