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大水木しげる展を見に行きました。場所は、両国国技館の隣にある江戸東京博物館です。水木サンがエクトプラズムを出してるよーな写真に入口には撮影スポット今回は、荒俣宏、京極夏彦プロデュース。水木しげるの画業50年以上を豊富な資料で振り返っています。これまでの水木さん関連の展覧会や、境港の水木しげる記念館でも見たことのない資料が満載でした。こどもの頃描いた油絵はとてもうまいし、武蔵野美術学校時代に描いたスケッチ集「電車の中で見たる女百態」は面白い。貴重な紙芝居作家時代の失敗原画は、よく残っていたと思います。貸本漫画家時代の単行本がズラリと勢揃いで、京極さんが提供したものも。これを見ると、話に応じて様々な画風を使い分けていたのが分かります。楽しかったのは、霊界輸送機や妖怪写真機など、漫画に登場する小道具が再現されていること。実在する設定になっていて夢いっぱいでした。図録がまた、250頁近くある力作でした。グッズ販売も多数。扱う商品別にレジが分かれていてちょっと不便でしたが。じっくり見て会場を出ると、鬼太郎とねずみ男がいました。境港で撮り損ねたんでラッキー!!一緒に写真を撮ってもらっちゃいました。鬼太郎はサービス精神旺盛だった
2004年12月12日
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今年も行ってきました、島好き必見の祭典「アイランダー2004」@池袋サンシャインシティ。離島の方に直接、観光や生活などの情報が聞ける貴重な機会です。今回は、「ニッポン全国むらおこし展」も同時開催です。こちらは、聞くところによると各地特産品の試食天国らしい。はりきって午前中から出かけました。お目当ては、11:00からの上々颱風の無料ライブです。上々颱風フロント3人のエコノミーバージョンだそうです。さすがに午前中のライブは初めて、と言いつつキッチリ客席を盛り上げます。ノリノリ長崎県小値賀諸島からやってきた、「ちかまる」をステージに引っ張り上げます。ちかまる、目がなぜか4つある4曲ほどでライブ終了。渡嘉敷島のエイサー隊も来てました。サンシャイン広場まで宣伝で出張してました。エイサー俯瞰てなかなかないかも会場は、島や諸島ごとにブースに分かれています。ギャルもいる種子島コーナーでは、宇宙服のヘルメットを被らせてくれました。レプリカだけど、けっこう重かった。種子島宇宙服各島を回っているうちに、資料が5cmほどの厚さになりました。中では、香川県直島の屋号マップが面白かった。商店の名やご先祖の名などの屋号の由来が書き込んであるマップです。今でも通っているんでしょうね。出身のミュージシャンのCD販売をしてる島もあったり、なかなかユニークでした。次は、ニッポン全国むらおこし展です。こちらは会場がとても広くて、3ブロックに分かれていました。全国津々浦々から5000点もの特産品が揃っているとあって、活気に溢れていました。わたしもいろいろ試食をさせてもらいました。仙台のビビン麺ピリ辛です黒米信州のそばパスタほんのりそば味で、そば粉配合率は企業秘密とのこと五家宝実演販売中2つのイベントを回って、アンケートに答えたり、くじ引きに当たったり。いろいろいただきものをしちゃいました。来年も行ってしまいそうです。本日のいただきもの種子島のむらさき芋、あじの丸干し、黒糖焼酎、すみれの花・・・
2004年11月28日
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【追記】出かけようと思ってドアを開けたら、アパートの廊下が全面ペンキ塗り立てでした。出られない・・・。工事のおじさんに声をかけたら、「あれ、いたの」って。橋を渡してもらってなんとか出られましたが、土曜の昼間はいるだろう、普通。道理で時間指定の宅急便が届かないわけですよ・・・。-------------------------------------------------------新木場のイベントに行きました。【出演者】ダンディ坂野SHIRO THE GOODMANオールタイチモユニジュモ(イルリメ)劇団ひとりAFRADokakaカンニングナタリー・ワイズfeaturingハルカリスチャダラパー笑い×音楽のイベントらしいです。”ヒューマンビートボックス”AFRAはよかったですね。スチャダラパーのBOSEが、最近若い人に「以前聴いてました」と言われることが多いらしくて、「90年代イジメだよ」と言ってました。
2004年11月27日
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高田渡ライブ@高井戸地域区民センターに行きました。なんと、先着300名無料のコンサートです。以下「広報すぎなみ」より抜粋。-----------------------------------------------------「時代を超えたフォークシンガー高田渡コンサート」1960年代後半から社会派フォークシンガーとして活躍し、最近特に再評価されている「伝説の人・高田渡」が贈るコンサートです。曲目=「鉱夫の祈り」「自転車に乗って」「リンゴの花咲く町」ほか出演=高田渡とその仲間たち-----------------------------------------------------開場の30分前に行くと、すでに長蛇の列が出来ていました。客層はオトナ世代と若者半々くらい。会場は、区民センター内の中学校の体育館のようなところでした。手作り感溢れる仕切りです。わりと前のほうの席に座って開始を待ちました。すると、前説で出てきた関西弁のおじさんが、よくみると春一番の仕掛人、福岡風太さんでした。お体を心配してたので、姿が見えてうれしい。わざわざこの日のために関西からいらしたのでしょうか。先に書いておくと、わたしは今日、ライブ専用メガネを忘れました。それでもって、撮影OKなのにカメラの電池が切れました。前座で、アフリカっぽい民族楽器の演奏が15分ほどあったんですが、よく見えなくてなんだか分かりませんでした。その後に、スーツを着た区民センター長が、上記の広報のような説明と挨拶。本人を目の前に伝説、って言ってるので会場から笑いが漏れました。そしていよいよ高田渡さんが登場。「その仲間たち」1は佐久間順平さんでした。風太さんがかいがいしく世話を焼きます。---【曲目】仕事探しスキンシップブルースハッピーニューイヤーブルース秋の夜の会話コーヒーブルース朝日楼アイスクリーム鮪に鰯あきらめ節しらみの歌魚釣りブルース---「その仲間たち」2の佐藤GWAN博さん登場、渡さんは楽屋へ。1曲目曲名不明青空ブスのブルースたんぽぽのお酒ほんの小さな歌---再び渡さん登場。鎮静剤ひまわりトンネルの歌相子酒が飲みたい夜はブラザー軒風夕暮れ生活の柄くつが一足あったなら---2時間、充実のライブでした。渡さんは、あんまりしゃべってないからなかなか時間が進まないよ、とボヤきながらたくさん歌ってくれました。佐久間順平さんは、ギターにバイオリン、マンドリンと自在に楽器をあやつってサポート。以下、渡さん節で読んでくださいませ、本人による曲解説です。告知にあった曲は1曲も歌わなかったんですけどね。昼間っからこの歌を歌うんですよ、といいつつ「スキンシップブルース」。「コーヒーブルース」では、お店で出されたコーヒーに、店員の目を盗んで近くに置いてあった焼酎を注いだ話を披露。20歳の頃は、コーヒーばかり飲んで酒なんか飲まなかったけど今はね・・・、だそうです。ある番組で「あさひさくら」と紹介されてしまった「朝日楼」。「ソフトクリーム」とリクエストが入った「アイスクリーム」。日本人の気質をよく表したという「あきらめ節」。「しらみの歌」では、歌いだしてから途中でやめて、一番前の席の人に、一緒に歌うような歌じゃないから、って注意。会場静かにウケる。佐藤GWAN博さんは、渡も休まなきゃいけないからね、といいつつ5曲。100人に一人は興味持ってくれるかなと思って、CD3枚持ってきたそうです。「ブスのブルース」は桃井かおりさんのために作ったそうな。NHKではたったひとつの言葉がひっかかって歌えなくなる、と話してから次の「相子」へ。最近養命酒のCMで歌っている渡さんですが、大量の養命酒が送られてきたけど、全く飲まないらしい。でも、「養命酒の原料」の焼酎一斗樽が送られてきたのはすごく嬉しかったそうな。おーい、買ってきて、って言わなきゃならないところを、玄関に置いといて蛇口をひねればいいからね、と本当に嬉しそうにニッコリ。そして、「酒が飲みたい夜は」。最近の仙台「ブラザー軒」は、大きなビルになってしまって違うので、誘われたけど行かないそうです。順平さんが弾くヴァイオリンの美しい音に載せて歌う、渡さんの「夕暮れ」はとてもよかった。渡さんの1年のスケジュールは、ライブと入院の合間にいせやだそうです。でも、年末ジャンボを買ってこんな仕事はもうやめる、とひとくさり。死んだら葬式はせず、釜を持ってるお兄さんのところで1200度で焼いてもらって終わりがいいそうです。最近、焼き鳥屋で見ないね、と言われるけど誰も行方を知らない。そして、「生活の柄」を歌うのでした。いちいち引っ込むのがいやだから、と言って、3人揃ってラストの「くつが一足あったなら」でライブは終了。外へ出ると、ちょうど夕暮れ時になっていました。今日は、真っ赤な夕陽が出ていました。
2004年11月21日
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2004年11月18日
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八重山では、様々な種類のみるくさまを見かけます。同じみるくさまと言っても、島や集落ごとに若干違うようです。竹富島で石垣島で「みるく」は「弥勒」が沖縄方言に変化したものです。弥勒は、釈迦入滅後56億7千万年後にこの世に出現し、釈迦仏が救済しきれなかった衆生を救う来訪仏とされ、弥勒信仰は、大乗仏教と共に中国経由日本にも伝わりました。 それが、元々沖縄にあった、海の彼方にあって神々が住むという楽土「ニライカナイ」信仰と結びつきました。そしてみるくさまは、年に一度、楽土からみるく世をのせた神船に乗ってやってきて、五穀豊穣をもたらす神と考えられるようになりました。なお、波照間のパイパティローマ、与那国のはいどなんもニライカナイ信仰に類します。 ↓経緯はこちらに詳しいミルク面とミロク信仰パイパティローマ 楽園の島は何処だったのか?---「弥勒節」大国ぬ弥勒 我が島にいもち御掛き欲せみしょり 島ぬ主 サンサン グヤーサーサーサー弥勒世やいもち 遊ばばん遊び踊らばん踊り御免しでむぬサンサン グヤーサーサーサー弥勒世ぬしるし 十日越しぬ夜雨掛きぐさいみしょり 御代ぬ記しサンサン グヤーサーサーサー「やらよう節」ヨウ ヤラヨウ今日ぬ日ぬ さにしゃやヤラヨウ ヤラヨウ黄金日ぬ さにしゃやヤラヨウ ヤラヨウ---<大意>「弥勒節」大国の弥勒が我が島に参られましたどうかゆっくりと御逗留ください弥勒世がやってきて、遊ぶときは遊び、踊るときは踊りましょう御許しも出ましたから弥勒世のしるしは 十日越しの恵みの夜降る雨 どうぞ御世のしるしを示してください「やらよう節」今日の日の嬉しさは黄金の日の嬉しさです※二揚げの曲です---竹富島種子取祭では、弥勒節の歌に促されて、みるくさまが大勢のこどもたちを引き連れて現れます。そしてシーザ(先輩=二才)4人によるシーザ踊りが奉納されて、「やらよう節」で退場します。みるくさまは、八重山では子だくさんのお母さんでもあるのです。竹富島種子取祭で携帯に着信すると目が光るんですよ・・・<参考>「八重山古典民謡工工四 上巻」 「琉球列島島うた紀行 第二集 八重山諸島・宮古列島」仲宗根幸市編著 琉球新報カルチャーセンター発行 「竹富島文庫1 種子取祭」狩俣恵一著 NPO法人たきどぅん発行
2004年11月17日
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【11月10日】この日は、波照間港から石垣港に戻りました。海は荒れていて、椅子からこぼれるほどに船は揺れました。石垣空港から直行便に乗ると、羽田はとても近くて、あっという間に着いてしまいました。こうして、波照間行きは終わりました。---波照間の空駐在所で見かけたポスター民家の壁には南ちゃんが・・・数少ない売店と商店を回り、幻の泡盛「泡波」を探すここにはなかったあった!泡波ミニボトル育てよう土 われらの力で青い波カラスには最南端なんて関係ないはてるま子にゃんこヤギ
2004年11月16日
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【11月9日】この日の朝は、あいにくの雨でした。雨が止むのを待つ間、八重山の英雄「オヤケ・アカハチ物語 南風よ吹け」(琉球新報社)の絵本を読んでいました。オヤケアカハチは、重税を課す琉球政府に反旗を翻した、波照間島出身の土豪で、沖縄芝居にも取り上げられています。しばらくして、雨がほとんど上がり、自転車を借りて島一周に行くことにしました。波照間島は、周囲約15Kmの島です。波照間島全景まずは、中心地近くの、オヤケアカハチ生誕の地へ行きました。500年も前にここに住んでいたんですね。オヤケアカハチ生誕の地それから、南下して日本最南端の碑へ向かいました。有人島では、波照間島が日本最南端に位置します。わたしはここに、ずっと来てみたかった。曇り空がだんだん明るくなってきました。海が見えた!日本最南端の碑波照間の碑雲の切れ間から、海面に光が差していました。波照間の南にあるという、理想郷「パイパティローマ」だったらいいなあ、と思いました。さらに南のはしっこのはしっこに行ってみたくて、断崖ぎりぎりまで降りてみました。足元を覗き込むと、激しく波が打ち寄せています。ここで、しばらく、海を眺めていました。それから、波照間一周道路に沿って、反時計回りに北上しました。星空観測タワーが見えます。夜、ここに星を見に来ることにしました。波照間空港は、1日1便。中に入ると、がらーんとしていました。そこから先は、建物もなくずーっと人の姿が見えません。地図を見ても目印は牛、なのです。自転車を漕いでも漕いでも、さとうきび畑が続くだけ。すっかり晴れて、気温が上がり、夏の気候になりました。牛とヤギだけさとうきび畑、ざわわ、ざわわ風にそよぐ音に包まれるそのうちに、さとうきびの間に人影が見えました。すれちがいざま挨拶すると、その人はまっ黒に日焼けして、なぜか片手にギターだけ持って歩いていました。畑の向こうに海シムズケー井戸は、昔、干ばつ時に、赤牛が探し当てて村人を救ったという伝説を持つ。今は集落がなくなり、近くに貯水池がありました。シムズケー井戸ぶりぶち公園は、下田原城跡を公園にしたもの。今は、公園さえも跡になっているよう。ぶりぶち公園一旦、島の中心部に戻ってうっちん茶を仕入れてから、ふたたび島一周の続きに出ました。ニシハマビーチは、白い砂にきれいなブルーの海でした。ニシ、とは波照間では北のこと。東西南北は、あり、いり、ぺー、にし、らしい。青いこんなきれいな浜で殺人事件があったなんて水着で泳いでいる人もいたくらい暖かいビーサンで波に足を浸すと気持ちいいここで、ごろんと横になってお昼寝をしました。空を見上げる海に落ちる夕陽を見たくて、ペー浜(西にある浜)に向かいました。ちょっと不思議な光景街路樹に巨大なアダンの実けれども、浜への入口が見つかりません。かなり南のほうまで行ったりきたりしましたが、分からない。途方にくれていると、原チャリに乗った長い白髪のおじさんが見えました。道を尋ねると、おじさんは、ついておいで、と途中まで案内してくれました。そして、おじさんは、さわやかに去って行きました。せっかく教えてくれたのですが、見ると非常に暗く細い道で、距離も長いとのことなので、浜に出るのはあきらめました。波照間港に向かいました。陽は防波堤の向こうにゆっくりと落ちていきました。そうして、島一周は終わりました。愛車日が暮れたあと、星空観測タワーに行きました。道はもう真っ暗なので、宿が送迎サービスをしてくれます。心配していた雲はほとんど晴れて、本当に満天の星空です。天体観測ドームに上がると、200mm屈折式天体望遠鏡で、係りのお兄さんが星を見せてくれました。M31星雲、おうし座近くの二重星、夏の大三角形・・・。肉眼で昴も見えました。12月から6月の間は南十字星が観測できるといいます。これだけ澄んだ空だったら、とてもきれいに見えるでしょう。星空を見ている間に、天の川の位置が動いたのが分かりました。
2004年11月15日
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【11月8日】竹富島種子取祭奉納芸能2日目。今日も晴れ前日の玻座間村に続いて、この日は仲筋村の奉納芸能日です。弥勒起こしから始まる1日の流れは、だいたい前日と同じです。演目は、庭の芸能は玻座間村と同じで、舞台の芸能は1部重なるものがありました。多数ある中から選出されるので、毎年全く同じにはなりません。会場の世持御嶽請福酒造が、泡盛の試飲を大盤振る舞いしていた<仲筋村の奉納芸能>・庭の芸能棒、太鼓、マミドー、ジッチュ、マサカイ、祝種子取、ウディ棒、馬ヌシャ・舞台の芸能1.長者2.弥勒3.シドゥリャニ4.かぎやで風5.夜雨節6.竹富節7.天人8.たのりゃ9.世果報10.仲筋ぬぬべーま11.種子蒔12.揚作田節13.蔵ぬ花14.赤またー節15.仲良田節16.揚古見ぬ浦17.父子忠臣18.扇子舞19.大浦越路20.高那節21.夏花22.畑屋ぬ願い23.江差節24.崎山節25.する掬い26.かたみ節27.海上節28.鬼捕り出番待ち---<庭の芸能>「棒」種子取祭を始めるにあたっての清めの位置づけらしい2人ずつ5番棒までの戦いの演技がある「太鼓」竹富小中学校関係者による衣装は沖縄のものではなく羽織袴「マミドー」「真栄」「祝種子取」「ウディ棒」「馬ヌシャ」<庭の芸能>「弥勒節」弥勒さま、今日もいっぱいこども連れてるシーザ踊りシュワッチ出番終了「シドゥリャニ」仲筋村の現在の長老4人が、種子取祭で豊作の祈願をする、という設定「たのりゃ」曲は「タラクジ節」、「大原越路節」粟の種蒔きの様子「仲筋ぬぬべーま」仲筋村のヌベマという娘が、水瓶と苧麻の種子のために新城島に嫁いだその娘を思い、ンブフルの丘に登って新城島を眺めた悲しい母の歌まさにこの村で生まれた歌「揚作田節」「蔵ぬ花」祭り半ばでしたが、石垣発波照間行きの船に乗るため、竹富島をあとにしました。竹富島は、据えた盆のような形をしていることから、「しきた盆」と歌われています。さようなら、しきた盆---石垣港から波照間港まで船で約1時間。この日の海は穏やかで船は揺れませんでした。波照間島は、日本最南端の有人島です。島の周りは珊瑚礁に囲まれ、12月~6月までは南十字星が見えるといいます。「波照間」とは、果てのうるま(珊瑚礁)の意味です。人口は600人弱で、面積は12.77Km。わたしは、ずっとこの島に来てみたかった。---波照間港から島の中心地に向かいます。小学校、中学校や公民館、郵便局などがあります。中心地といっても人通りはあまりなく静かでした。島の中心地散策に出かけました。波照間派出所の外装には日本地図が描いてあって、一番南端、波照間のところが赤く塗られていました。このときはだれもいなくて、「季刊最南端駐在平成16年夏号」が置いてありました。そこには「港で友人を見送るときは、海に飛び込まないようにしましょう」と書いてありました。波照間駐在所藩制のころの火番所の跡、コート盛に登ってみました。コート盛北に、西表島が見える西の空に夕焼け風車がくるくるとまわる東京よりもずっと遅く、6時半くらいまで空が色づいていました。遠くへ来た気が、少ししました。けれど島の夜は早く、日が暮れると、あたりは真っ暗になりました。
2004年11月14日
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【11月7日】竹富島種子取祭奉納芸能初日。種子取祭は、1977年に国の重要無形文化財に指定されました。毎年、新暦10月~11月の干支「甲申~壬辰」までの9日間開催されます。この時は、普段人口300人強の竹富島に、大勢の観光客と報道陣が集います。甲申の初日は、奉納芸能の練習開始日。最も盛り上がるのは庚寅の7日目、玻座間村の奉納芸能日と、辛卯の8日目、仲筋村の奉納芸能日です。会場は、世持御嶽です。<1日の流れ>午前5時半頃 神司による祈願。 東側の弥勒奉安殿で、担当家の当主や古老たちによる「弥勒起こし」の儀式。午前6時頃 世持御嶽の特設舞台で「歓待」の儀式。午前8時頃 世乞い歌を歌いながら、集落の責任者である主事宅訪問する「参詣」。午前10時頃 参詣の集団が世持御嶽に帰ってきたら、その広場で迎えがあり、「庭の芸能」が奉納される。午前11時頃 特設の舞台で舞踊と狂言の「舞台の芸能」が始まる。午後5時頃 舞台の芸能終了後、神前でイバンカミの儀式。 続いて夜通しの世乞いが始まる。 3集落に分かれた世乞い集団は、生年(年男・年女)の家や、決められた家を回る。 家々では、塩、タコとニンニクの和え物、泡盛などをふるまう。<玻座間村の奉納プログラム>・庭の芸能棒、太鼓、マミドー、ジッチュ、マサカイ、祝種子取、ウディ棒、馬ヌシャ・舞台の芸能1.長者2.弥勒3.神司スー踊い4.鍛冶工5.赤馬節6.八重山上り口説7.組頭8.ササラ銭太鼓9.大浦越路節10.世持11.鳩間節12.元タラクジ13.世曳14.胡蝶の舞15.鶴亀節16.かたみ節17.下原節18.伏山敵討19.祝種子取20.夜雨節21.竹富育ち22.布織ユンタ23.むりか星24.ペーク漫遊記25.しきた盆26.早口説27.種子取節28.ガイジンナー29.安里屋節30.鳩間節31.真栄節32.長刀33.竹富口説34.曽我兄弟---<弥勒起こし>まだ暗い中、朝5時半からの弥勒起こしを見に行きました。奥が弥勒奉安殿で、弥勒さまのお顔が見えます。弥勒起こし起きた弥勒さま歓待の儀式奥の壇上に司たちが見える夜が明ける<庭の芸能>庭で集団演技と舞踊が行われる。「マミドー」働き者の女性のゆんた鎌や鍬、ヘラで労働する様が織り込まれている「ジッチュ」人頭税に苦しみながらも10人の子を育てる夫婦が、琉球国王に表彰されて喜ぶ様貧しいゆえ片袖の着物、という設定「マサカイ」人頭税時代、人口増加に伴って強制移住させられることがあった移住希望者がほとんどいない中、自ら希望した「真栄」の歌「祝種子取」石垣種子取郷友会50余名による道歌、安里屋ユンタ、クイチャーで構成される「ウディ棒」空手を取り入れた力比べの戦いを、女性が演じる様がコミカル「馬ヌシャ」腹にはりぼての馬をくくりつけて踊る<舞台の芸能>「長者」「村の父」が豊作の祈願をし、芸能の開始を宣言する「弥勒節」弥勒さま登場!!こどもたちをいっぱいひきつれて弥勒さま大好き「沖縄の弥勒信仰は、ニライカナイ信仰と習合して、海の彼方の楽土から世(豊作・富)を運んでくる五穀豊穣の神と考えられており、八重山の弥勒神は安南から伝来したという。」~「竹富島文庫1 種子取祭」より~「赤馬節」「祝種子取」島出身の功労者表彰もある「ササラ銭太鼓」銭で楽器をつくってる「鳩間節」「元タラクジ」曲は、元タラクジ節、クイガマ節太郎叔父と姪のカマドマの悲しい物語「胡蝶の舞」舞台裏では化粧に大忙し「伏山敵討」チャンチャンバラバラ、客席は大喝采「夜雨節」波照間の歌途中、コンドイビーチまで散歩に出かけました。白砂のビーチに寝っころがって、オリオンを飲んでいたら、知らないオジサンが写真を撮っていきました。---舞台の芸能が終わると、世乞いが始まります。わたしは、世乞いに参加する前に腹ごしらえ。写真左下は、祭の主食「イイヤチ」です。もち米ともち粟、あずきを入れて煮、練ったもち飯。飯自体は薄味で、味ノリをまくと意外と合う。祭り会場でも販売していました。これにアサリとアーサーの汁が祭の膳とのことです。---<世乞い>世持御嶽から出発し、まず種子取祭を戊子の日に定めた「根原家」へ向かいます。各家々を回るときの手順は、以下の通り。「道歌」を歌いながら家へ向かう。門を入ったら、「巻歌」を歌いながらぐるぐる回る。家の前で、迎えの集団が待ち構えている東西に別れ向かい合って「しきどうよう」を歌う。両集団が押したり引いたりしながら「ガーリー」を行う。当主や生年の人などを胴上げする。座敷に上がって、神司の祈願、神棚に向かって二礼二拍一礼を2回。このとき、上座から、1番座、2番座、3番座の順で関係者~観光客が座る。神棚に向かって座る塩、お神酒(泡盛)、酒の肴が順番に回される。肴は、タコとニンニクの和え物。泡盛が回ってくるこれがタコニンニクだ!!「稲が種子アヨー」、「根下りユンタ」を歌う。ユンタは、21番まで歌うが、基本的に奇数が男性、偶数は女性。最後に、当主の挨拶があって終了です。これを、夜通し何軒も繰り返します。タコニンニクの他に、ゴージャスなお宅だと、そば、みかん、ジューシーかまぼこなどもふるまわれます。ジューシーかまぼこかまぼこの中身が炊き込みご飯で、おいしい">歌う、踊る、泡盛、タコニンニク、を繰り返しているうちに体が熱くなります。終わるのは午前3時になるときもあり、翌日の弥勒起こしがまた午前5時半からですから、全て参加すると、ほとんど寝る時間はないと思います。それを乗り切るためのカンフル剤状態ですね。翌日は、自分では麻痺してるんですが、島中がニンニクの匂いであふれます。それにしても、客は「世」を運ぶ、と言って、見ず知らずの観光客まで大勢家に上げて、酒肴をふるまう人々の懐の広さ。そばなんて300食は作ったらしいです。あるお宅では、挨拶で、世界遺産登録を目指してNPO法人を作ったこと、竹富のよさを残しつつ、この島をもっと知ってほしいことを力説していました。
2004年11月13日
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【11月6日】まず、バスで石垣島の名蔵湾方面に向かいました。目的地は、八重山民謡「あんぱるぬみだがま」の舞台となった網張干潟です。新聞で調べると、この日の干潮は午前8:16。それに合わせて行くと、見事に干潟が現れていました。あんぱる干潟---「あんぱるぬみだがま」あんぱるぬ ウリ みだがまでんど ハイヘマタハイヘ マタハイヘマタハイヤーヌカヌスィ潮や干しゃ ウリ 下ぬ家かい ハイヘマタハイヘ マタハイヘ下ぬ家や ウリ 瓦葺でんどぅ ハイヘマタハイヘ マタハイヘマタハイヤーヌカヌスィ潮や満ちゃ ウリ 上ぬ家かいハイヘ---「あんぱるぬみだがま」とは、網張の目高蟹という意味で、これはその生態をおもしろおかしく歌ったゆんたです。名蔵湾に面している保護色になってる蟹ちょっとちいさいけど「あんぱるぬみだがま」かなビニールを持った人たちが、潮干狩りをしていました。どうやらアサリを獲ってるようです。アサリ?散歩にもきてる犬の名前はジョン気がつくと、干潟がちいさくなっていました。潮が満ちてきたようです。それから、すぐ近くの八重山民俗園に行ってみました。赤瓦の家や海人の家が移築再現され、八重山の民俗文化が紹介されています。園内に入って散策。三線の音に誘われて赤瓦の家をのぞくと、弥勒さまがお出迎え。弥勒さまどこの集落のものがモチーフなんだろう中では、ミニ舞踊教室などを行っていました。三線も弾いてくれたので、リクエストをお願いしちゃいました。曲はもちろん「あんぱるぬみだがま」と、「船越節」、「まやゆんた」です。やっぱり三線は赤瓦の家になじむ庭には八重山黒木が生えていました。最高級の三線の材料になりますが、最近ではめったにありません。八重山黒木オオタニワタリ前夜、チャンプルーで食べたものの正体はコレやわらかくゼンマイ状に巻き巻きした部分を食べたシダ植物らしいなぜかボリビアリスザル・パークもありました。ちっちゃくってわらわらと肩にはいのぼってきます。わたしのカバンの上に乗って、フタをめくって中をのぞいてました。そこにエサはないよ・・・。リスザル市街地に戻って、新栄公園に向かいました。ちょうど11月6日、7日の日程で石垣島まつりが行われていると聞いたからです。今年から八重山産業まつり&石垣島まつりが合体したとのこと。ちなみに、ここはとぅばらーま大会の会場となるところです。八重山産業まつり&石垣島まつりがらーん・・・なんというか、手作り感いっぱいの学祭的屋台が出てます。なぜか野球部関連の組織が多い。石中野球部父母の会オヤケアカハチは波照間出身の八重山の英雄売り物は、豚汁ならぬ牛汁や、牛そば、やきそばなど。牛そばは具がたっぷりで、出汁が効いてておいしゅうございました。牛そば翌日にはミヤギマモル氏のライブや打ち上げ花火があったらしい。---ここで友人と合流して、竹富島に渡りました。石垣から船で10分ほどと近い位置にあります。竹富島といえば、赤瓦の屋根、白砂の道、黒い石塀が美しい。花咲く白砂の道赤瓦の家ひさしぶりに訪れた竹富島は、港湾施設など立派なハコものができていました。後で聞くと、西表島と併せての世界遺産登録を目指して、NPO法人もつくったらしい。西桟橋の夕焼けがきれい島随一のデートスポット宿の夕飯刺身はわたしたちと同じ船で届いた冬瓜の煮物がおいしい翌日からは、芸能の島竹富島の最大の行事、種子取祭の芸能が始まります。この日は、島のあちこちで稽古が行われていて、その音は夜遅くまで聴こえていました。会場となる世持御嶽での稽古ビジターセンターで竹富小中学校の人たち集会所で夜中まで続く
2004年11月12日
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旅行期間:2004年11月5日~10日旅行場所:沖縄県石垣市、竹富島、波照間島芸能の島、竹富島の種子取祭を3年ぶり3回目に訪れました。沖縄へはだいたい年1回行きますが、毎回なるべく行ったことのない島を加えます。八重山諸島では、石垣島を起点に船や飛行機で他の離島へ移動します。今回は、あこがれの波照間島にも行くことにしました。---【11月5日】羽田から那覇経由石垣空港へ。修学旅行生が、飛行機に大ハシャギしていて元気です。那覇での待ち時間、景気付けに早速オリオンビールを飲みました。石垣に入って、まず宿に荷物を置きました。とっても居心地が良いので気に入っている宿です。スコールでも窓なんか閉めないガラス瓶の中のグッピーは、いつか逃げ出せるかもあやぱにモールをぶらり。腹ごしらえは八重山そばで。それから、バスで宮良集落へ向かいました。去年も行きましたが、宮良橋節と赤馬節の舞台となったところです。---「宮良橋節」仲尾次主ぬ御蔭に 宮良大川や宝橋かきてぃ 見事でむぬ※テンヨウテンヨウ シトウルトウテン宝橋上から 通ゆる人々や目眉打ち晴りてぃ 笑いふくい※くりかえし橋ぬ蔭徳や 百果報どぅみせるながらやい給り 幾世までん※くりかえし---仲尾次主により、宮良川に素晴らしい橋がかかったことを讃える歌です。ここに自生するマングローブは、国の天然記念物に指定されています。面白い形で生命力に溢れています。宮良橋今では普通のコンクリ橋宮良川宮良湾に面しているマングローブがびっしりと今にも歩き出しそう根っこも夜中に歩いてそうはぜもぴょんぴょん赤馬の碑に向かって歩き出すと、陽がさしてきました。---「赤馬節」いらさにしゃヨウ 今日ぬ日ヒヤルガヒどぅくぃさにしゃヨウ 黄金日ヨウハリヌヒヤルガヒ我ん産でぃるヨウ 今日だらヒヤルガヒ羽むいるヨウ たきだらヨウハリヌヒヤルガヒ---宴の座開きに歌われる祝い歌。八重山にいた赤毛の駿馬が、琉球政府に召し上げられましたが、悲しみにくれる飼い主の下へ、返還されたことを祝った歌です。赤馬の碑集落の中心に向かって歩きました。小浜御嶽は、幻想的で気に入ってます。次の御嶽の木もたくましいあやぱにモールに戻って、食堂で沖縄料理に舌鼓を打つ。どれをとってもおいしく、オリオンにピッタリでした。右から時計回りに、ナーベラーチャンプルー(へちま)、イカスミチャーハン、島豆腐のニンニク揚げオオタニワタリのチャンプルーモズクの天ぷらこの後、一旦宿へ帰ってから民謡酒場に行こうとしましたが、あいにくの雨が降ってきました。夜雨は朝まで降り続き、出かけるのをあきらめました。
2004年11月11日
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波照間を後に石垣へ。昨日とはうってかわり快晴、29度になるそうです。夏だわ。帰りの船は揺れに揺れました。石垣から、宮古島経由で羽田へ向かいます。羽田到着 (PM 04:12)宮古では給油だけだったので、たった30分しかいませんでした。言葉も歌も八重山と違うので、ゆっくり来てみたいものです。羽田は、寒いし、四時なのに夕陽です。昨日までは六時でした。帰宅 (PM 06:07)あっという間に家へ着いちゃいました。工事は終わっている模様。とりあえず、おそば食べたいな。これにて、八重山旅リアルタイム更新は終了です。
2004年11月10日
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今、最南端の岬にいます。雲の切れ間から海に射す光が、南海の彼方にあるという、パイパティローマに見えます。島一周 (PM 12:43)ただ今、チャリで島一周中。周囲約15Km。波照間空港は無人状態です。この先、地図には、ウシって書いてあります…。島一周2 (PM 12:54)人がいません。でもこの島はスローガンが好きみたいで、石碑や看板は点々とあります。ここには、「育てよう土、われらの力で」と書いてあります。下田原城跡 (PM 01:23)城跡がぶりぶち公園になっているのですが、今や公園も跡になっている模様。幻の泡盛 (PM 01:46)泡波入手!波照間でもたまにしか手に入らないという泡盛です。わたしも一舐めしかしたことないのでうれしいなあ。ざわわ、ざわわ (PM 03:03)ずーっとさとうきび畑です。ビーチでおひるね (PM 03:46)海はエメラルドグリーンです。波照間港の夕陽 (PM 06:04)夕陽を眺めて、島一周は完了しました。結構キツかったです。星空観測タワー (PM 10:15)200ミリ天体望遠鏡で、M31星雲や、おうし座近くの二重星を見せてもらう。観測ドームの屋根が、見たい方向へロボットのように開く。街灯がなく満天の星空。朝方スコールが降り、しばらく曇っていたが、晴れてよかった。流れ星がひとつ、見えました。
2004年11月09日
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昨夜は、世果報を願う踊り行列、世乞いに参加。歌う→踊る→たこにんにく→泡盛を何時間も繰り返しているうちに、訳分からなくなります。たこにんにくは、お邪魔した家々でふるまわれます。段々からだが熱くなる、ドーピング状態です。こうして二日間寝ないで乗り切るのでしょう…。仲筋集落 (PM 02:04)今日は仲筋集落の奉納日。先生の出身地で、習う歌もここのものがあります。やはり本場で聴けるのはうれしい。波照間入り (PM 05:39)友人と別れ、日本最南端の有人島波照間にやってきました。今、風に吹かれながら夕陽を眺めています。しずかな夜 (PM 10:50)日没後は、島の中心地でも、闇が濃く静かです。昨夜の祭の喧騒とは対照的です。
2004年11月08日
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まだ暗い朝五時半の弥勒起しで、奉納芸能の二日間が始まる。庭の芸能に続いて、ただ今、玻座間部落の舞台中。こちらはよく晴れて暑いです。コンドイビーチ (PM 04:30)遠く民謡を聴きながら、白浜のコンドイビーチでオリオンを飲んでいます。世乞い (PM 06:10)奉納芸能終了。これから、各戸を繁栄祈願しながら夜通し回る踊り行列です。一般人も参加OKなので、行ってきます!
2004年11月07日
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干潮を狙ってあんぱる干潟にきました。みだがーまの歌をかけあいしてみました。石垣島まつり (PM 01:15)新栄公園でお祭り。出店が、八重高野球部父母の会とか文化祭チックです。豚汁ならぬ牛そばうまし。竹富島入り (PM 03:05)友人と落ち合い、竹富島入り。西桟橋で (PM 05:12)夕陽を見ています。庭の芸能 (PM 05:31)島中で、明日からの種子取祭の稽古をしています。リハーサル (PM 11:06)夜中まで続く。でも明日は朝5時半から神事弥勒起しです…。
2004年11月06日
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羽田から那覇に入りました。これから石垣へ向かいます。修学旅行生がいっぱいです。いいなあ、学校で来れて。待ち時間 (PM 12:49)景気付けにオリオンを飲んでます。石垣到着 (PM 02:16)気温24度。宮良集落にて (PM 09:40)民謡スポットをめぐり、島料理を堪能してから一旦宿に帰る。今、スコールが降り始めました。この分だと民謡酒場には行けないかな。
2004年11月05日
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トルコから帰ったばかりでなんですが、明日から八重山諸島へ行ってきます。ひさしぶりに竹富島の種子取祭を見てこようと思います。多分メール更新ができるので、リアルタイム更新しますね。
2004年11月04日
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トルコ旅行中は、広い国土を毎日数百キロのバス移動をしていました。その間にトルコ人ガイドF氏は、様々な話を聞かせてくれました。トルコの情勢、文化風俗、自分の家族のこと、こどもの頃のこと。民族舞踊を学び、首都アンカラ大学で経済学を修めたという、彼の話は広範囲に渡っていて、エーゲ海・シルクロードと車窓からの眺めも美しく、長丁場も楽しく過ごせました。以下に、メモした話を少し書かせていただこうと思います。点線で囲まれた部分、写真下及び括弧内はわたしのコメントです。車窓からの綿花畑<基礎知識>・農業人口が40%を占める農業国で、自給自足 特産物は、綿花、砂糖大根、じゃがいも、さくらんぼ他 EUに加盟が実現した際には、八百屋的役割を担う・EUに加盟するために政治制度改革を進めている・新義務教育制度は5・3・3の11年で、公立なら無料・イスラム圏では最初の1930年代から、女性に参政権がある・イスラム教徒が99%、そのうちシーア派35%、スンニ派65%・男性は、18歳から18ヶ月の兵役義務がある 学生・外国居住者は35歳まで延期でき、学生は8ヶ月、外国居住者は1ヶ月に短縮できる・1999年に発生した2度の大地震で死者約2万人・観光客年間1400万人、うち日本人は8万人→詳細労働事情はこちらトルコ国旗10月29日は共和国記念日だった<イスラム教>---毎日、各地で早朝から礼拝の刻限を知らせるアザーンが聴こえてきました。ちょうど断食月だったので、日中は飲まず食わずで木陰に座る男性たちなどを見かけました。F氏はシーア派なので、この時期は断食せず、別途12日間行うそうです。以下にはその見地からの話があるかもしれません。---コーランの解釈は十人十色で、国によっても違う。トルコのイスラム教はソフトなので、他国から認められていない。イスラム教は最後にでてきた宗教だからソフトで簡単。・五行1:何かするとき唯一神アッラーの名を呼ぶ(信仰告白のことか)2:礼拝は1日5回。砂漠なのでそのつど洗い清める。 5:00~6:00 めざまし、立ったり座ったり朝のスポーツのよう 昼食後 15:00~16:00 昼寝はしないで 夕食後 21:00~22:00 おやすみ3:ラマザン1ヶ月。 正しくは、日中飲食せず、日の入時1回のみパンとオリーブを食べる。 現在は、日の出前と日の入時2回ごちそうを食べるから、食べて寝るので太る。4:喜捨。年一回、財産の1/40。5:巡礼。一生一回サウジのメッカ、カーバ神殿へ巡礼する。 貧しければ免除される。・元々、コーランに書かれていないが、マホメットの模倣か土俗習慣である決まりごと4人妻帯→元々女性を守るため。 戦乱の世は、未亡人が多かったし、女の赤ちゃんは殺したから。女性はスカーフで隠す→コーランには、女性は胸から膝まで、男性は腰からひざまで隠せとしかない。 元々男性のあごひげ同様砂漠生活で身を守るためのもの。 神殿の女性はスカーフをしていた。 現在のトルコでは、公務員・学生はオンタイムのスカーフ着用禁止。アルコール禁止。→当初は飲んでいた。 暑いところで飲んで寝込んだら死ぬこともあるため。豚肉禁止→頭を落としても血が流出しないから腐りやすく、砂漠に適さない。 (ちなみに、F氏は外国では豚肉を食べるそう)朝焼けのブルーモスク<トルコ人の特徴>元々中央アジアから移住した遊牧民。ヨーロッパの気質にアジアの習慣を併せ持つ。(ヨーロッパの気質、について説明はありませんでした)家では靴を脱ぎ、目上の人を敬い、旅人をもてなす。男尊女卑。特に東部はキツく、女性は家から出られない。こどもたちは人なつっこく元気いっぱい<結婚事情>結婚平均年齢は男性22歳、女性18歳。見合が多く、駆け落ちすると女性が殺される。---ある村に通りかかったとき、屋根の上にガラス瓶が置かれていました。その理由は何か、とF氏がクイズを出しました。---答えは、未婚の娘がいる印。結婚したい男は、その家の周りをぐるぐる回り、娘の顔を見る。母親に許可をもらい、ツテを頼ってその家に茶を飲みに行く。娘は、OKなら着飾って出て行き、NGなら普段着。また、OKなら甘くておいしいコーヒーを淹れ、NGなら塩を入れる(!)・伝統的結婚式は夏場の金、土、日の3日間。 何組かで合同結婚式もある。王族は40日間。1日目:(婿側)嫁側とは別々に祝い踊る。嫁側に羊を贈る。 (嫁側)婿側とは別々に祝い踊る。2日目:(婿側)親戚の女性が、嫁側に嫁入り道具を取りに行く。顔を見る。 (嫁側)絨毯、レース編み、飾った新居などを用意する。3日目:(婿側)友人とハマムに行き、床屋で髭を剃る。モスクで祈る。 (嫁側)ヘンナで手を染める。ベールを被る。 そして、婿側が友人と共に踊りながら嫁側に行く。 友人が婿の背中を叩く。 5つのプレゼントを渡す。(5つの中身は聞いてません) あとは2人の世界だそう。ナザール、トルコの魔除けの目玉カッパドキアの街路にも埋め込まれていた以前もらってから気に入っていて、いつも身につけています<ハマム>---蒸し風呂式の共同浴場。イスラム教では体を清潔に保つことは重要。トルコではアカスリサービスが頼めます。ちなみにわたしの母はホテルでチャレンジしましたが、わずか5分で終わりました。あとで聞くと、風呂が壊れていたそうです。---東部では、ハマムは今でも重要な社交場。男性と女性は別々に行く。女性は、普段自由に出かけられないので、ハマムに行く日を楽しみにしている。何日も前から親戚の女性たちなどと約束をし、当日は着飾って出かける。中では、裸のまま1日中過ごし、踊ったりしている。男子禁制だが、7歳までの男のこどもは入ることができる。(F氏も実際母親と一緒に通っていた)母親たちは、ここで息子たちのためにいい娘を品定めする。そしてどこの娘なのか確認し、ツテを作って後日お茶を飲みに行く。(普段、ベールで顔を隠しているが、ここでは裸ですものね・・・) ---その他、いろいろな話を聞くことができました。F氏は、トルコ人は日本人に好意を持っているが、日本人はトルコのことをあまり知らない。だから観光を通して、少しでもトルコのことを知ってほしい、と語りました。トルコと日本の友好の起源、エルトゥールル号事件と山田寅次郎についてはこちら↓エルトゥールル号事件イラン・イラク戦争時に、トルコ政府がテヘランにトルコ航空機を派遣し、在イランの日本人を救出してくれたのは(日本の航空会社が躊躇したのに?)、この事件の恩返しだといいます。わたしは、今回聞くまでこの経緯を知りませんでした。メヴラーナ博物館で、「日本人大好き!」とトルコ語で一生懸命話しかけてくれた、かわいい女の子の顔が思い浮かびます。この旅行中、トルコの人々はわたしにとても良くしてくれました。わたしも、トルコのことが好きになりました。聖母マリアの家では、クリスチャンが祈りを込めて布を結び付けていく レストランの庭にいたニワトリの足に毛が生えていた店員の兄さんが、明日食べる、と冗談を言ってたクモよけにあちこちにダチョウのたまご朝食弁当カッパドキアで気球に乗る前に早朝食べたキュウリがまるごとごろんキャベツが巨大奥のレタスと比べてみるとよく分かる墓ばかりの死者の街の住人は、今ではトカゲだけぴょこぴょことちいさな頭がふたつ→参考文献「イスラームとは何か」小杉泰著、講談社現代新書、1994年
2004年11月01日
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<料理>世界3大料理と言われるトルコ料理は、種類が豊富でとてもおいしゅうございました。油が多くて味が濃いので、お口に合わない方もいるようです。野菜や豆料理もたくさんあって、トマトやナスが味が濃い。また、パンが皮はパリパリ中はもっちり♪イスケンデル・ケバブ iskender Kebab甘くないヨーグルトソースで食べるケバブこれは下にパンが引いてあって、ソースがしみてとてもおいしかったトルコピザ Pide舟形のタイプもあるレンズ豆のスープ Mercimek Corbasi街の食堂で左はチキンソテーの下にマッシュポテト右はひよこ豆と牛肉の煮物どちらもとてもおいしかった左上に見えるのはしょっぱいヨーグルトドリンク、アイラン ayran タマネギピラフ Sade Pilavこれがまたおいしい米はおかず扱いらしいトルココーヒー上澄み数cmしか飲めないけれど、おいしいおじさんが専用パンで作ってくれましたアップルチャイ普通のチャイもおいしかった<デザート>ケーキやパイのハチミツ漬けが多くて、なんでもものすごーく甘い。でもそのうち、病みつきになってきました。ドンドルマ Dondurmaトルコ名物のび~るアイス作るときはすごくのびるパフォーマンスをしてくれる食べるときは2~3cmくらいだったかな四角いのはプディングで、他はケーキみんなハチミツ漬け口に入れるとハチミツがじゅわ~としみだす真ん中のを割ってみるとメレンゲ生地の中にナッツがぎっしり焼きライス・プディング Firin Sutlac
2004年10月31日
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【追記】トルコと日本の友好関係についてこれから調べたいと思っているのですが、トルコ在住のturkuvazさんの日記の中で、初の移住者山田寅次郎についてわかりやすい記事がありました。ここにリンクをはらせていただきます。http://tb.plaza.rakuten.co.jp/turkuvaz/diary/200411030000/-------------------------------------------------------さかのぼって10月20日から書き込んでいます。アップしている最新日記はそちらになります。
2004年10月30日
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トルコより成田へ、ただいま到着しました。わたしは元気です。楽しかった旅の報告はまた改めて。アパートが… (PM 02:45)ひさしぶりにアパートへ帰ったら、足場が組まれて外観が変わっている。台風対策で急遽二週間の防水工事中らしい。雨漏りしたんだろうか?すっかり浦島気分です。---この期間に日本ではいろいろ大変なことが起きていたようで、今ニュースを見ながら驚いています。新潟地震のことは第一報だけ聞いてたんですが、これほどとは。いったいどうしちゃったんでしょうか。昔、帰国したらソ連がなくなってた時よりビックリです。
2004年10月29日
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イスタンブール最終日、朝の新市街を散歩してみました。朝のお祈りが終わったあとの街は、やはり9:00くらいから動き出します。念入りにショーウィンドウを磨く商店主たちが、開店の準備をしています。朝の通勤・通学風景モスクの前では、靴磨き屋根の上にノラ猫5匹制服姿のこどもたちはじめ、こどもたちに話しかけると恥ずかしそうにしていたんですが、ともだち同士顔を見合わせると、見る見る間に集まってきてあっという間に20人くらいに囲まれちゃいました。みんな元気いっぱいで、大写真撮影会になりました。あいさつ以外はお互い何言ってるのか分からないけれど、そんなことおかまいなし。そんなに近づいたら撮れないよ~右から2人目のスザナちゃん、かわいかったイスタンブールの足は、バスとアンティークを復活させた路面電車と、地下鉄。地下鉄は始点終点のみのわずか3分。路面電車の中はトルコ音楽がかかっていた<トプカプ宮殿>それから、1460年代建造のトプカプ宮殿へ向かいました。前日見た、ドルマバフチェ宮殿ができるまでの間、オスマン朝支配者の居城として400年栄えたといいます。あまりに広大で、写真には収め切れませんでした。門鮮やかなタイル中央下のモチーフは生命の樹宝物館は撮影禁止ですが、もう、ためいきが出るような財宝ばかり。イスラムの色、緑が珍重されたため、重さ3Kg!!のエメラルドが輝き、86カラットのダイヤモンドは目を疑います。30cmもある宝石箱にぎっしりエメラルドが詰まっていたり、映画「トプカピ」の中で泥棒役のメリナ・メルクーリが盗んだという「トプカプの短剣」もありました。オスマン朝以降、イスタンブールは侵略されたことがないそうで、略奪されることなく残っているのですね。その栄華のほどが偲ばれます。銀食器だってスゴイボスポラス海峡を臨むやはり城は小高い海を臨む丘に建てられるのですね。この日は晴れて、眺めがよかったです。古いエキゾチックな街並みと、人々のひとなつこい笑顔はとても魅力的で、名残惜しかったのですが、イスタンブールを後にして帰途に着いたのでした。
2004年10月28日
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この日は、ヨーロッパ側にある新市街を散策してから、ボスポラス海峡クルーズに出かけることにしました。まずは、ドルマバフチェ宮殿方面に行くためのバスに乗りたい。バスは路線が複雑で、チケット購入に苦戦していたら、新聞売りの兄さんが教えてくれました。やっと希望のバスをつかまえますが、車内放送はないので降りるところがよく分からない。途方にくれていたら、隣にいたロンゲの兄さんが、英語は話せないけれど、といいつつ身振り手振りで教えてくれました。みなさん日本人旅行者に親切です。お互い英語が母国語ではないので、まったくのブロークン(単語を並べただけともいう)だけれども、意思疎通しようという共通認識があればなんとかなるみたい。トルコ語も発音がほぼローマ字読みなので分かりやすい。それこそあいさつを3つくらいしか覚えなかったんですが、向こうは日本人とみれば日本語で「こんにちは」と話しかけてくるし、こちらもつたないトルコ語で笑って話しかければ向こうも笑顔で応えてくれました。若干「アニョハセヨ~」とか言って韓国人と間違われましたけれども。韓国人と結婚したい、とか話しかけてくる人もいて、日本人だ、と答えるとそれでもいい、なんていいかげんな返答もありました。客引きやコネ作り目当ての人もいるので、もちろんそれは要注意です。<ドルマバフチェ宮殿>1843年着工のオスマン朝トルコ最後の居城。大理石をふんだんに使ったバロック様式とオスマン様式の折衷させた宮殿です。ボスポラス海峡に面していて、海上の船からもよく見えました。開門を待つ衛兵6人が行進してきて来て、1人が残り微動だにせず門前に立つ新人なのか、先輩に衣服を直されていたイタリアからの修学旅行のこどもたちも来てる宮殿内は、どの部屋も豪奢なシャンデリアがまばゆい儀礼の間ボスポラス海峡を臨む大理石風呂庶民のわたしはきっと落ち着いて入れないハレムは、入口が意外と地味なのですが、中はやはり豪華絢爛でした。ドアノブが、そろいのピンクの陶製でかわいらしい。<ベシクタシュ>宮殿をあとにして、ボスポラス海峡を行く定期船に乗りに、近くの港に向かいました。しかし、そこでは江利チエミの歌にもあるアジア側の「ウスキュダラ」行きしか出ていなくて、もう数100m先まで海沿いに行った港まで進みました。時刻を確認すると、乗ろうと思っていた船は欠航らしい。次の船まで時間があるので、ベシクタシュの街を散策することにしました。果物市場トルコの果物はみなおいしいけれど、キロ単位の販売なので買えなかったここでは旅行者はあまりみかけませんでした。7-11なんかがある普通の街で、本屋やスーパーに寄ってみました。どこの街でも、市場、本屋、スーパーには入ってみることにしています。スーパーは販売単位が大きく、菓子類はものすごく甘そうでした。本はビニールがかかっていて、トルコ語のハードカバーが多いように見えました。街の食堂では、ランチを食べている人が結構いました。・・・ラマザンは?水だけ注文している女性もいましたけど。カウンターで、おいしそうなひよこ豆の煮込みなどを指差しで注文すると、皮はパリパリ中身はもっちりしたトルコパンがついてきました。<ボスポラス海峡クルーズ>港に戻ると、ウスキュダラ行きを待っている通勤客らしき人がたくさんいました。その船が寄港した後、エミノニュを出港してきたクルーズ船が寄港しました。乗り込む際は、ウスキュダラ行きに一回乗って、その向こうのクルーズ船まで抜けるという、因幡の白兎方式だったのでちょっと驚きでした。あいにく霞がかかっていましたが、船は快調にボスポラス海峡を進みました。マルマラ海から黒海まで、ヨーロッパとアジアの間を約1時間半かけて北上します。チャイをゆっくり飲みながら海風と景色を楽しみます。左がヨーロッパ、右がアジア第2ボスポラス大橋の下をくぐる街並みは西洋のようだけれどモスクが見える終点アナドル・カバァヴ港に近づくと、山の上のほうに城壁が見えました。そこまで上ってみることにしました。遠く城壁がまずは、港で名物サバサンドとムール貝の串揚げを入手。兄さんは、注文を受けると、生のサバを鉄板でジューッと焼き、フランスパン状のパンを割ってキャベツ、タマネギ、トマト、と共にはさみます。それに塩とレモンをたっぷりふりかけました。サバサンドとムール貝の串揚げそしてピクニック気分で城壁を目指すのですが、港に上陸してしまうと城壁が見えない。野生のカンで、アタリをつけて山を登っていきました。途中、木によじ登っているおじさん2人に手招きされました。近づいてみると、いちじくの実をもいでくれました。道を尋ねると、車で送ってくれるという。この道以外にどうやら自動車道が通っているようなのですが、そのまま歩いて進むことにしました。途中からは道なき道となり、手に持ったサバサンドをついついかじって半分くらいになりつつ、ようやく到着しました。城壁に到着中に城跡もあった十字架が見えるかすむ黒海サバサンドは生臭さもなくおいしい。ムール貝は、ビールもってこ~い、というような濃い味。いちじくは皮を剥くと白くて、あま~くおいしゅうございました。ふとみると、足元にサバトラの猫がいて、サバサンドを狙っています。足に飛びつく奴をかわしつつ、ちょこっと分けてやりました。すると、帰り際、ずーっとずーっと追いかけてきました。ゴロゴロとのどを鳴らしてかわいいコでした。帰りの船は、夕陽クルーズとなりました。みるみる夕陽が落ちるトルコでは毎日きれいな朝焼け夕焼けだった旧市街エミノニュ港に着く頃には、すっかり暗くなって、夜景がきれいになっていました。そのまま香辛料のエジプシャン・バザールへ足を伸ばしました。せまい市場通りを車が突っ走っていきます。日没なので店じまいを急いでいるようです。手前が干果、奥がチーズチーズは、多彩な種類があってどれもしょっぱかったスパイス屋ぶら下がっているのはみんな唐辛子それから、新市街までガラタ橋を渡って夜のお散歩です。月が海を照らし、海上には灯りを灯した船が浮かんでいます。ガラタ橋の上では、男性たちがズラーっと並んで釣りに興じていました。橋の中も通れるようになっていて、レストランが軒を並べています。ここでは、テラス席に腰掛けた恋人たちが、海を眺めながら楽しそうに語らっていました。とてもロマンティックな光景でした。ガラタ橋の上から月を見る
2004年10月27日
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イスタンブールは、ボスポラス海峡をはさんでヨーロッパ側とアジア側にまたがっています。そして、ヨーロッパ側は、金角湾をはさんで歴史的建造物が残る旧市街と、商業の中心地である新市街に分かれています。古今東西の文明がまさに融合した不思議な土地となっています。街行く人も、現代的なスーツ姿から長いスカーフに身を包んだ女性まで様々。トルコは他国に比べると、イスラム教の信仰の度合いは比較的ゆるいそう。2004年は10月15日~11月13日までラマザン(断食月)にあたるのですが、この時期、地方からは大都市イスタンブールへ逃げてくる人もいるそうです。また、ガイド氏によれば、断食の意味も変わってきてしまっていて、夜明けから日没まで断食をして飢えを知ったあと、日没から夜明けまでに食事をする楽しみの方に重きを置いている。そのため、ドカ食いをして5Kgも太ってしまう人もいるらしい。旅行者や妊婦などは断食を免除されるため、わたしはこの旅の間に、特に不便を感じることはありませんでした。喫茶店を見ると、男性たちが何も飲まずチェスをしているのはちょっと不思議な光景でした。お店でチャイを配膳してくれた方が、われわれは飲めないんですけどね、と言ってました。ちなみに、ガイド氏はシーア派なので、別の時期に断食するそうです。そんなイスタンブールの街を歩いてみました。<スルタン・アメフットジャミイ:別名ブルーモスク>大きな丸天井のドームに、6本もの尖塔(ミナーレ)をもつモスク。青を基調にしたオスマントルコ朝建築で、1616年の建造です。スケールの大きさに、カメラのフレームに収まりきりませんでした。トルコを代表する眺めだと思う豪奢なステンドグラス、下が祭壇ドーム<アヤソフィア博物館>元々は360年建造、ビザンツ様式のギリシア正教の大本山。1453年にコンスタンティノープルが陥落すると、モスクに改造されました。ステンドグラスの下にメッカの方向を示す祭壇が追加工事されていますが、はじめ間違った方向に向いていたのを修正したため、ズレています。大理石は豊富後年、塗りつぶされた漆喰の下からキリスト像が発見された競馬場跡は、ラマザン期間中、日没を迎えると大勢の人が繰り出してお祭騒ぎになるといいます。屋台の仮設テントがたくさんありますが、昼間はひっそりとしていました。昼間そこで、夜に再び来てみると、本当に大賑わい。ブルーモスクがライトアップされて簡易メリーゴーラウンドがくるくる屋台に明かりが灯るいろいろおいしそうなものがあるので、試してみました。お酒はないので、ザクロジュースを片手に。王道ドネルケバブ熱々チーズが飛び出すクレープわたしは口の中をヤケドしました・・・。クスクスを揚げたもの飴細工どぎつい4色の飴をきれいに巻きつけるパフォーマンスを見せてくれる巨大コーラ昼間、何だか分からなかったが、夜は窓がパカッと開いておじさんがコーラを売ってた焼き栗いったん剥いた実を殻に入れているので食べやすい他にも、民族衣装のコスプレ撮影小屋とか、なぜかゲバラモチーフの指輪があるアクセサリーの屋台、スカーフ屋さんなんていうのもありました。おしゃれのポイントがスカーフなんですね。家族連れは、芝生の上にシートを敷いて、夜のピクニックをしてました。お母さんたちは、このために腕によりをかけてごちそうを作るそうな。わたしたちはこの夜、デザートに焼き栗をホテルに持って帰り、ボスポラス海峡の輝く夜景を見ながらいただきました。
2004年10月26日
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今回、最も楽しみにしていたのはカッパドキアでした。エルジェス山の火山灰と溶岩の堆積物が、風雨にさらされて侵食が進んだ大奇岩地帯です。固い部分が残されて、キノコ岩やラクダ岩など面白い形に見立てられています。この凝灰岩に洞窟を掘り、4世紀ごろからキリスト教の修道士たちが住み始めました。迫害から身を守り、洞窟内に教会を作って天井や壁にフラスコ画を描きました。予定はしていなかったんですが、急遽、気球に乗って上空からカッパドキアを眺めることにしました。気球の飛行は早朝です。朝4:30起きでまだ星がまたたく中、現地に向かいました。気球はまだペッタンコ火が入りました空が白んできて、いよいよ出発です。全部で7つの気球が上がりました。気球は見る見る上昇していきます。早朝の上空は寒いのですが、気球の中は炎にあおられて暖かい。レッドバレー穴が開いている・・・ということは住居だったのか石灰石が削られているのがよく分かる操縦士さんはサービス満点で、発火音で三三七拍子を奏でてくれたり岩と岩の間をスリ抜けて進んだりと思えば下降して木々スレスレに飛んでみたり朝陽が昇る陽が当たりはじめるキノコ岩がニョキニョキ気球はさらに上昇をはじめる。カッパドキア自体が標高1000m以上の地点にありますが、さらにそこから1000m上空にまで上がりました。本末転倒ですが地形図のよう洞窟の街と現在の街が見える早朝の飛行はとても気持ちが良くて、上空からの眺めは壮観で、おりるのがもったいない。けれど、気球はだんだんと高度を下げて、野原に着陸しました。飛行証明書をいただいて、シャンパンで乾杯!次は、地上から奇岩を見て回りました。ラピュタみたい<カイマクル地下都市>地下8階まである、キリスト教徒が隠れ住んだという都市。最大25000人を収容可能だといいます。内部は迷路になっていて、ところどころ落とし穴もあります。この下に地下都市があるとは思えない左下に落とし穴が見える厨房跡がありました。煤は石灰石が吸収するので煙突は作られていません。スパイスを入れていたという石があって、生活感が感じられました。キノコ岩・・・シメジ?ラクダ岩<ギョレメ野外博物館>ここには、30以上の岩窟教会があります。穴がぽこぽこ開いているここに本当に人が住んでいたのか?中に階段が見える・・・住んでいたのか教会の中のフレスコ画は、偶像崇拝を否定するイスラム教徒によって、キリストの顔が石つぶてで削られていました。はじめ、人が住んでいたという実感が湧かなかったのですが、その削られた姿を見たときに、異なる民族による攻防があったことが急に事実として感じられました。ゴリさん・・・勝手に名前をつけてみた洞窟ホテルや洞窟レストランがあって、そこで昼食を取りました。そして、カッパドキアを後にして、首都アンカラへ移動しました。夕景のモスク陽が沈む遠く塩湖が見えるこの時期は干上がっていて塩だけが残るそれから、寝台特急アンカラエキスプレスに乗って、イスタンブールへ向かいました。個室の2段ベットの上で、揺れを意外と心地よく感じながら眠りにつきました。アンカラエクスプレス
2004年10月25日
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この日は、パムッカレからカッパドキアまで、シルクロードをバスで数百キロ突っ走る長丁場。途中、アナトリアの重要都市コンヤや、シルクロード沿いに点在する隊商宿を経由しました。砂漠ではなく、ハゲ山と野原と畑の風景が何時間も続くどこまでもまっすぐ遠くに雲の影が映るだんだん、ちいさなことがどうでもよくなってくる草原の彼方に集落ディナルの街で一休みこれは名物の硬いヨーグルトとハチミツ逆さにしても落ちません風景の中で動くものといえば、ときおり遊牧民の追う羊の群れが立てる土煙くらい。大きな湖に差し掛かったときに、ぼうっと湖面に家々が立ち並ぶのが見えました。蜃気楼だと、教えられました。【コンヤ】古代からの歴史を持つこの街が、最も栄えたのは13世紀ごろ。ルーム・セルジューク朝の首都として、芸術家・建築家・神学者などが集まりました。イスラム神秘主義の一派、旋舞教団メヴレヴィーもこの地で創始されました。年に1回、創始者メヴラーナの命日前後に、セマーと呼ばれる旋舞が開催されるといいます。<カラタイ神学校>1251年創立の神学校。現在は博物館となっています。レース編みのように繊細な天井モザイクは美しいブルー四隅から細長い三角が5つターキッシュトライアングルという建築様式<メヴラーナ博物館>メヴラーナの霊廟が、博物館として一般公開されています。共和制に移行後、修行場は閉鎖され教団も解散させられましたが、今も多くのイスラム教徒が訪れています。見学していると、スカーフ姿のティーンエイジャーの女の子が、わたしたちに何か一生懸命トルコ語で話しかけてきました。通訳してもらうと「日本人が大好き!またトルコに来てください。」と言っているそう。この旅の間、老若男女問わずいろんなところで同じように話しかけられました。ひとなつこく笑顔の素敵な人たちです。とてもうれしかった。トルコブルーメヴラーナの棺コーランの豆本、非常に細かい旋舞セマーの伴奏に使用されたのか館内では、靴の上から青いビニールカバーを履かされました。ちょっとまぬけな姿です。クモよけのダチョウの卵があちこちにぶらさがっていました。【隊商宿】商人には3晩まで無料で提供されたキャラバンサライ。質素なものを想像していたのですが、石造りの立派なものでした。おじいちゃんとお孫さんかな恥ずかしそうに手を振ってくれました夕陽が照らしだしたそしていよいよ、カッパドキアに近づきました。山の向こうに、真っ赤な夕陽がつるべ落としで沈んで行きました。
2004年10月24日
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【聖母マリアの家】現在ではイスラム教国ですが、実はキリスト教が最初に布教されたのは、トルコです。エルサレムを追われた12使徒のひとりヨハネは、聖母マリアを伴って、ブルブル山に隠遁しました。ヨハネの墓所は発掘されていますが、マリアの墓所は現在も調査中だそうです。わたしは知らなかったんですが、欧米の信者が多く巡礼に来ていました。中は教会【エフェス遺跡】地中海最大規模という遺跡。大理石をふんだんに使ったマーブル通り、競技場、大劇場、神殿、図書館、浴場などが残されています。ここはトルコリラ札の裏のモチーフとなっているモザイク模様がきれい公衆トイレは、男性たちの社交場となっていて、穴のところに腰掛けたまま議論に興じたという。って落ち着かんわ~。美にゃんこケルスス図書館蔵書数12000巻娼館の広告が大理石に刻んである。諸説あるが、右下の「女の子が待って」いて、「お金が必要」で、「左足の方に進む」と、「心をこめてサービス」するという意味らしい。パバロッティがここで歌ったという円形劇場ニケ【ヒエラポリス】ペルガモン時代の遺跡。沖縄のように家型の墓【パムッカレ】「綿の城」という意味の温泉保養地で、真っ白い石灰棚は世界遺産登録されています。温泉は枯れつつあるそうですが、多くの観光客が裸足で入っていました。わたしもそっと足をつけてみました。ぬるい水が流れる石灰棚は、ゴロゴロして足裏マッサージのようにツボを刺激しました。石灰棚壁は、綿というよりバニラアイスのように泡立ってる夕陽に光るとても空が澄んでいたので、星を見に夜の散歩へ出かけました。でも、月が明るすぎてあんまりよく見えません。翌朝、早起きしてみると、オリオン、昴までよく見えました。
2004年10月23日
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【トロイ】トロイの地では、紀元前3000年ごろの青銅器時代に集落ができ始めて以来、これまでに全部で9層に渡る都市遺跡を形成されています。ホメロス作のギリシア叙事詩「イーリアス」に記された、紀元前1200年ごろの「トロイ戦争」は、第6市にあたるそうです。「トロイの木馬」伝説を信じた、ドイツ人シュリーマンの発掘をきっかけに、現在までも発掘調査が続いています。2004年、ブラッド・ピット主演で映画化もされてましたね。観てませんけど。封切り時に新宿でも見かけましたが、チャナッカレの港にはハリウッドから送られたという木馬が置いてありました。そして、このトロイ遺跡にも復元した木馬がありました。中に入れます井戸が見えるマケドニア時代に、この丘から、アレキサンダー大王がエーゲ海を臨んだという9層というのが、いかに翻弄されてきた土地柄なのかを示していますよね。それにしてもアレキサンダーって実在なのか・・・。【ベルガマ】アレキサンダー大王の死後、分割されたこの地にペルガモン王国が築かれました。ギリシア風の遺跡が結構しっかり残っています。<アクロポリス>海抜300mの丘の上にあるこの遺跡は、水源に乏しく、44km離れた地から、水道を敷いていたそうです。2000年も前の技術とは思えません。ひこうき雲が見えました(画像では分かりづらいですね)トラヤヌス神殿はすべて大理石モチーフは生命の印<アスクレピオン>ここは古代の医療センターです。自然療法のみ行われていて、温床やにんにく療法などがありました。円形劇場で音楽療法も蛇は伝説から医療の象徴治療施設の入口は薄暗いトンネルになっていて、水が流れ、よく音が響く。天井に開いた穴から医師が治療方針などをつぶやくと、それが神の声と受け取られたりしたという。暗示療法かしら。ここから、エフェソス近くのクシャダスの街へ移動しました。
2004年10月22日
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旅行場所:トルコ共和国期間:2004年10月20日~10月29日かねてから行きたかったトルコへ、母と出かけました。おりしもイスラム教の国であるトルコではラマザン(断食月)。台風23号が接近する中、どうなるのか分からないまま出発しました。【トルコ基礎メモ】面積:81万4758平方キロメートル(日本の2倍強)人口:6649万人(日本の半分以下)首都:アンカラ(イスタンブールではない)宗教:イスラム教99%時差:日本との差は6時間(夏時間。冬時間では7時間。)通貨:単位はトルコリラ インフレで20000000TLは約1400円。億万長者気分が味わえる。ユーロ加盟のため、もうすぐ0を6つ取るそうな。ちなみに人物は、建国の父アタテュルク。10月29日は建国記念日で祝日でした。ヨーロッパとアジアの接点にあるトルコ。イスタンブールはヨーロッパ側、その他の大部分アナトリアはアジア側に位置する。古代から多くの文明が築かれては滅びていったため、歴史的建造物が多い。北方系民族のヒッタイト、ギリシア文明、ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマントルコ。キリスト教が最初に布教された土地でもあります。現在、国民の99%はイスラム教徒ですが、政教分離を進めて、公務員及び学校でのスカーフや礼拝は禁止。ユーロ加盟を目指し、急速に国内の整備が行われています。トルコ航空の機内食は豚肉不使用メッカの方向を示すキブラホテルの部屋にも書いてあります【今回のルート】ブルサ~トロイ~ベルガマ~エフェソス~パムッカレ~コンヤ~カッパドキア~アンカラ~イスタンブール。西トルコを反時計回りにバスで移動。鉄道はあまり発達していません。トルコ人ガイド氏お手製のマップ【10月20日】成田より直行便で12時間、イスタンブールのアタテュルク空港着。【10月21日】フェリーでマルマラ海峡を渡り、オスマントルコ帝国最初の都、ブルサへ。時刻表はなく、客でいっぱいになると出発マルマラ海峡の朝陽【ブルサ】古都ブルサには、イスラムの色である緑を使用した多くの建築物が残っています。礼拝の前にはここでお浄めモスクの裏にはバザールがありました。ここは、シルクロードの街でもあるので、絹織物を扱っています。イェシル・ジャミィ、別名グリーンモスクは、緑のブルサの象徴で、1424年メフメット1世の建築です。礼拝時にはここに導師が立つ絨毯の柄は祭壇柄で、これが一人分のスペース三角がメッカの方向を示し、頭部をつける部分イェシル・テュルベは、メフメット1世と家族の霊廟。イスラムでは土葬なので、棺は飾りで、遺体はその下に眠るという。その後、チャナッカレへ移動しました。港の夕陽
2004年10月21日
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今日の成田はガラ空き。やはり台風のせいか。飛行機はなんとか飛びそうです。行ってきます!
2004年10月20日
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【追記】日本シリーズ第3戦、西武勝利!すごい満塁弾合戦でした。結果を知ることができないのが残念だわ。-------------------------------------------------------一度このタイトルにしたかった。そう、明日から念願のトルコに行ってきます!!おりしもイスラム圏はラマダーン(断食月)のただ中。旅行者は飲食を認められていますが、地域によっては日中食堂が休んでいるとか。政教分離の徹底しているトルコとはいえ、どんな状況なのか分かりません。それはそれで楽しみです。ただ、大型台風が来ているのと風邪気味なのがちょっと気がかりかしら。飛行機が飛びますように。月末には帰ってくる予定です。旅日記はまた改めて。それでは行ってきます♪
2004年10月19日
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今日もきれいな夕陽でしたね。といっても、わたしが見たのは木々の隙間から少しのぞいた分だけですが。ここ数日広いところで夕陽を堪能したので、都内でも空の広いところに行けば、きれいな夕陽をみられるのだなあ、と思いました。一昨日のお台場で見た夕陽はすごかった。毒々しいまでに色づいていました。アクアシティから眺めた景色を、数枚アップしておきます。左下に見えるのは自由の女神です。明かりを灯した屋形船が、だんだんと眼下に集まってきて、最終的にはみっしりと並んで怒りの王蟲みたいになってました。普段お台場にはライブでもないと行かないのですが、この日は、本当に来てよかったと思いました。暗くなるまでうっとりと見とれていました。
2004年10月18日
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歩行者天国の秋葉原を歩いてみました。巨大電気街としてまたオタクの街として有名ですが、わたしにはどうも敷居が高くて居心地がよくない。今まで、街に来たとしても目的地と駅の往復だけでした。ゆっくり歩いてみると、今更ながら濃いところなんですね。「ラジオ会館」は、フィギュアばっっっかり!!!置いてあって、中野ブロードウェイを煮詰めたみたいになってるし。来てる客は男子は地味で、女子はコスプレちゃんばかり。ぐったりして下りエレベーターに乗ったら、従業員の女子たちがガンダムのセーラみたいなコスプレで乗ってきました。彼女たちはそのまま店外へ出て行ったけど、歩行者天国にはチラシくばりのコスプレがたくさんいましたね。けっこうかわいくて、昔見かけたような、あちゃ~っていうのはいませんでしたけど。楽しかったのは、パーツばっかり売っている横丁。敷居が高くて入ったことなかったんですが、ちいさな店がぎっしり並んでいます。それぞれ何に使うのかわたしにはサッパリ分からない、細かいパーツがみっしり並べられています。これがまたカラフルで、夜店で売っているおもちゃの宝石みたいなんです。薄暗いからよけいにきれいでした。中学生くらいの男のコも来ていましたね。何を作るんだろう、ラジオとかかな。今のコはそんなもの作らないのかしら。当てられてぐったり疲れたお散歩でした。
2004年10月17日
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銀河鉄道999の、メーテル、鉄郎、車掌さんが水先案内人をつとめる船があるという。東京都観光汽船が運行する近未来型水上バスヒミコ号。松本零士プロデュースのこの船は、浅草~お台場海浜公園間を約1時間で結ぶ。以前から気になっていたので、浅草から乗船してみることにしました。今日も雷門は大にぎわい。乗船チケットを購入して船着場へ。吾妻橋のたもと、例のビルを見上げる場所にあります。ヒミコ号登場。虫のようだ。いよいよ乗船です。内部は床・天井共にライトがつき、めまぐるしく色が変わっていきます。前方に、メーテル、鉄郎、車掌さんが!!鉄郎は映画版のようです。なつかしい3人の声(声優さんが同じ)が、このクルーズのガイドをしてくれます。車掌さん「え~、次の停車駅は、じゃない、橋は、両国橋~、両国橋~」メーテル「この橋は、○○年に出来たのよ」鉄郎「メーテル、すごいや!」てな具合です。操縦席もカッコいい。後方には、ドリンクバーがあってくつろげるようになっています。漫画家さんのサインが。12あるカラフルな橋をくぐりつつ、両岸の眺めを堪能。東京タワーが見えてきました。レインボー・ブリッジ封鎖せよ!フジテレビ近くでは、メーテルが、お買い物のあとはホテルで泊まれるのよ、なんて営業トークをしていて笑えます。船はあっというまに終着点へ。メーテルの「楽しい時は早く過ぎるものよ、また遠く時の輪の接するところでお会いしましょう」の決めゼリフで旅は終わったのでした。
2004年10月16日
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秋祭りで神輿を担いできました。叫びすぎて声が枯れたし、体中がバキバキに痛いです。年に一度のお祭り日。心配していた台風も過ぎ去り、快晴を期待していたのですが、あいにく時折小雨がちらつく天気でした。携帯を忘れてきたので目覚し機能が使えず、実家の目覚まし時計を借りたら、お約束で鳴りませんでした。祭りの開催を予告する、朝7:00の花火の音で、慌てて飛び起きました。幸い遅刻はしなかったんですが。以前少し書きましたが、わたしは女子だけの神輿会に所属していて、175Kgの神輿を1日担ぎます。去年1回休みだったので、今年は2年ぶりの参加です。先日練習には参加したものの、まだ足さばきがおぼつかない。今年は、揃いの半纏・鯉口を新調しました。藍染めでなかなか渋くていい、と思ってたんですが、道端で知らない老夫婦に、地味になったねえ、と言われてヘコみました。そのあとおかんにもダメ押しされましたし。染めたての藍の色が落ちるんで、手が真っ青に染まってしまったのは難儀でしたわ。2年ぶりに会うと、妙齢の会員さんばかりなので、連れているこどもの数がぽこぽこ増えてたりします。そのこどもたちを神輿の上に乗せて担ぐことが多いのが、女神輿の特徴かな。お母さんたちは、やっぱり我が子を乗せたいものなのか、最高3人乗ったときはキツかったです。1日の流れは、朝、御払いを受け、オープニングセレモニーで太鼓連が叩き、担ぎ出し。それ以降は、担いで、商店街の大店ごとにふるまい酒をもらい、お礼に商売繁盛を祈願、を繰り返しています。途中、歌に合わせて担いだり、四谷担ぎをしたり。他の神輿や山車に行き会ったらひっかわせもあります。担いでは飲んで、を繰り返しているうちに、肩の痛みもあって脳内麻薬が出てきます。長い休憩時には、「どんぶり」というお遊びもあります。鏡割りした樽酒のところまで、数人でどんぶりを抱えて神輿のステップを踏みながら近づき、注いでもらって一気飲み。帰りは空のどんぶりを掲げながら帰ってくる、というもの。これは飛び入り参加もOK。夜、祭りのクライマックスを迎えると、サラシ姿になったりもします。今年は、その直前に小雨がまた降り出して、寒かったですね。わたしはパスしちゃいました。その後、軽く打ち上げをして、また来年、となります。実家に着いた後、本格的に雨が降り始めました。よく持ちこたえてくれたな、と思います。さて、明日は祭り衣装をメンテナンスしなければ。晴れてくれないかしら。
2004年10月10日
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台風に備えて、カッパ持ってタオル持って、着替え持って、準備万端のつもりだったのに、携帯を忘れました。実家にいるので、これから3日間連絡が滞ります・・・。----------そんな雨の中、松尾スズキ初監督作品「恋の門」初日を観てきました。お目当ては、松尾さんと主演の酒井若菜さんの舞台挨拶です。詳細は後ほどご報告いたします~。----------さて、雨に濡れた洋服も乾いたので、続きです。映画恋の門の、シネ・リーブル池袋で行われた初日舞台挨拶を観てきました。羽生生純(はにゅにゅうじゅん、と読むそうな)さんの同名漫画を原作に、劇団大人計画主宰の松尾スズキさんが映画化。松田龍平さん演じる、石で描く自称「漫画芸術家」と、酒井若菜さん演じるOL兼同人コスプレイヤーの、サブカル臭漂うラブストーリー。主役2人に、元売れっ子漫画家役の松尾スズキさんをはじめ、アクの強い面々が絡んで、物語は暴走します。わたしは原作読んでいないんですけど、冒頭、主人公2人が出会うシーンは、街角でパンを持って走るOLと無職の男がぶつかるという漫画的表現。物語の進行もモノローグを交えて漫画的です。酒井若菜さんが、オツムとオシリが軽い女のコ役を演じたときが好きです。だから、今回はうまくハマってました。コスプレ姿はちょっと引きますけどね。松田龍平さんは、今まであんまりピンとこなかったんですが、あのコワモテで笑わないイメージは、それはそれでギャグには合いますね。あと、大竹しのぶさんのメーテルが結構イケてて怖いです。以下、ネタバレですが、その他登場する面々は・・・謎の下宿人役の忌野清志郎、劇中アニメ製作の庵野秀明&安野モヨコ夫妻、金紙・銀紙、漫画家の町田ひらく、山本直樹、他多数。町田さんは、言われるまで気づきませんでした。クレジットにはつげ義春さんの名も・・・。観客の反応は、若い人が多かったんですが、ギャグではちゃんとウケてました。全体的にハイテンションなので、観終わった後には、結構疲れるかもです。上映終了後、舞台挨拶。台風で外がすごいことになっている中ありがとう、という製作会社の方のMCで始まって、松尾スズキ、酒井若菜、羽生生純のお三方登場、それに、急遽、松尾さんが池袋に呼んだ、という大人計画の皆川猿時、村杉蝉之助、平岩紙さんの特別ゲストが登場しました。松尾さんは、思っていたよりもスリムで、ときどきそっぽむいたりしてマイペースな印象、酒井さんは、謎のひらひらのピンクの衣装に身を包み、顔も体もキュッとちいさくてかわいかったです♪原作者さんは、本来表に出る職業じゃないでしょうから、ちょっと居心地悪そうでした。村杉さんのニットキャップ姿が、知り合いにソックリなので一人でウケてしまいました。終了後、劇場の外に出ると、劇中登場マンガが販売されてました。来るときには雨は小康状態だったのに、実家に着く頃には暴風雨になり、傘を飛ばされそうになりながら濡れネズミで帰ったのでした。
2004年10月09日
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「ウォーターボーイズ2」のメイキング番組を放送してました。5ヶ月におよぶ撮影とシンクロ合宿に打ち込み、最後に5段矢倉が完成したときには、本気で号泣するボーイズにほろり。なんだかんだ言いつつやっぱり見てしまうのです。その映画版を監督した矢口史靖監督が、今度は女子高生ものを撮ったという。セーラー服でジャズバンドですよ。その名も「スウィングガールズ」、安易なタイトルですが、セーラー好きとしては見ないわけにはいきません。(いや、そんなことないのだが)-----------------【あらすじ】東北の田舎の高校の夏休み。数学の補習授業を受けていた女子高生たちが、補習をサボる口実にビッグバンドを始めることに。はじめはやる気のなかった彼女たちだが、徐々にジャズの魅力にハマり出して、ついには地元の音楽祭出場を目指すようになるが・・・。-----------------随所にギャグのくすぐりを散りばめた、音楽コメディ。たわいのないお話だけれど、ガールズはかわいい。実はバンマスに男の子が1人いるんですけどね。個人的萌えポイント・セーラー服集団で管楽器。お好きな方にはたまらないのでは・・・。・東北弁。女子の方言は、かわいくて耳に心地よいので好き。・雪合戦。「がんばっていきまっしょい」の夏合宿での花火シーンにも通ずる、 青春のはかない一瞬を切り取ってますですよ(大げさ)。・音楽。知識のないわたしでも耳にしたことのあるスタンダード多し。主人公はトラブルメーカーで、自業自得的に問題が発生しているので、感情移入はできず。その上野樹里さんは広末に似てる!と思ったらクレアラシルのCMガールだったらしい。同じだ。かわいいっす。派手なグループのコの役の貫地谷しほりさんは、どこかで見かけたなあ、とずーっと考えていたら、思い出しました。先輩の元奥さんにソックリでした。そして1番のお気に入りは、おとなしい「関口」でした。演じるのは元仮屋ユイカさん。気弱で要領はよくないけれど、才能はあってメガネを取ると美人・・・の一昔前なら主人公かものパターン。イケイケ自己中のコが多いので、なんかホッとするんですよね。もちろん、最大の見せ場はラストの演奏シーンです。意外と短かったような気がしますが、各地でライブもしているようなので、今は、もっと曲数が増えているかもしれません。なんにせよ、楽器ができるのっていいですね。
2004年10月04日
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学生時代の同級生に、毎日、片道2時間半をかけて、山梨から都内の学校まで通ってくる人がいました。その話の中で印象深かったのが、自分の家はとある公園にあって、園内には熊のくまたろうが住んでいる、という話でした。それを聞いて以来、一体どんなところなんだろう、くまたろうに会いたいね、というのが仲間内の話題によく上りました。その友人は、今はその家を出て、アジアを転々としています。最後に会ったのは、数年前、マレーシアででした。去年、葉書を送ったら転居先不明で返ってきてしまいました。今はどこにいるんだろうね、なんていう話を仲間としていたら、ひさびさにくまたろうの話を思い出しました。前置きが長くなりましたが、今日、ふと思い立ってその公園に行ってみることにしました。公園名を元に調べて駅を特定しました。青い空の中を、特急は進む。(本当は、各駅停車ぶらり、でした)山々がとても近い。駅を降りて、左手に公園が見えてきました。とても広い公園で、川も湖もあります。さて、くまたろうはどこだろう。動物園にいるのは、リスにシカにイヌワシに・・・サル。1頭が3頭にグルーミングしてもらってます。モテモテ?探しましたが、残念ながらくまたろうはいませんでした。あれから○年、やはりもういなくなっているのですね。気を取り直して、お昼を食べることにしました。甲州名物といえば、「ほうとう」。好物なんです。平麺はなんでも好きですが、かぼちゃがほっこりと甘くて幸せになります。写真の鍋は、2人前くらいある大きなものでした。デザートのぶどう付、1250円。そのあと、巨峰とバニラミックスのソフトクリームも食べちゃいました。おなかいっぱい。ところで、友人の家はどこなんだろう。このあたりのハズなのに見つかりません(中にはありませんでした)。電話帳を見てみると、それらしい家が1軒載っています。じゃんけんで負けたほうが、電話をかけてみることにしました。・・・アッサリ負けました。かけてみるとお父さんが出ました。友人の消息を教えていただいて、電話を切りました。まだアジアにいるとのこと、元気そうで良かった。くまたろうには会えませんでしたが、楽しい秋の遠足になりました。
2004年10月01日
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昨夜は、台風21号の影響で、こちらでも暴風雨が吹き荒れていました。寝場所にしているロフトの屋根に風が当たり、大きな音が耳に響いて眠れません。安全な場所で迎える台風の非日常感は好きなのですが、どうにも落ち着かず、先日作った防災セットの場所を確認してから、じっと目を閉じていました。夜中の3時ごろ、あきらめてロフトを降りました。こういうときは、あたたかいミルクを飲んで、軽めの本でも読もう。ふと、借りている東京五つ星の手みやげが目に付きました。ダイエットしている身には(口先だけですが)、目の毒だからと読んでいなかったもの。その名の通り、東京にある、手土産におすすめの老舗・名店のガイドブックです。選者は、「料理の鉄人」でおなじみの”料理記者歴40年”岸朝子さん。この方と、ある茶会で同席したことがあります。席のだれかが、岸朝子だ!と口走ったのを受けて、「そうよ、”おいしゅうございます”(番組内の彼女の決めゼリフ)のおばさんよ~」と気さくに答えていたのを覚えています。東京暮らしとはいえ、菓子類にうといのですが、この本には、そんなわたしでも耳にしたことがある老舗が載っています。長くひとつのものをつくり続けるというのはすごいし、歴史の舞台に登場したりもしてます。長命寺桜餅は、江戸ものの本によく出てきますね。家康が長篠の戦いで献上したという饅頭は、今も、創業650年、35代目の「塩瀬」店主がつくるという。「近江屋」の、甘酸っぱいりんごたっぷり、皮がつやつやに輝くアップルパイにはうっとり。おいしそうな和菓子・洋菓子・つまみの写真がぎっしりなので、やっぱり夜中に見るのにはキケンな本でした。ついつい、おせんべいをかじってしまいました。いつのまにか、風の音が止んでいました。おなかがいっぱいになり目も楽しんだので、幸せな気持ちで眠りについたのでした。
2004年09月30日
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国立西洋美術館のマティス展を見に行きました。パリのポンピドゥーセンターのものを中心に展示されています。------------------------------------------------------------------------------------~要項より~(略)マティスの作品が持つ色彩の美しさと装飾性は、人々を魅了してやみません。しかし、一見簡単に描かれたように見える彼の作品も、実は長い熟慮と試行錯誤による賜物です。(略)またマティス自身、作品が生まれてくる過程(プロセス)にとりわけ大きな関心をはらっていました。制作の途上で変わっていく表現を写真に撮影して記録しておくだけでなく、1945年12月にパリのマーグ画廊で開かれた個展では、その途中経過の写真と完成作を一緒に並べて展示さえしています。今回の展覧会は、このふたつの絡み合う側面、「ヴァリエーション」と「プロセス」という視点から、マティスの作品を解き明かすことを試みるものとなっています。------------------------------------------------------------------------------------ひとつの作品のための習作が、多いものでは10点近くも展示されていました。わたしのような者にとっては、落書きや一筆書き、未完成のように見える絵も、実に多くの試行錯誤を経て出来上がった作品であることが分かります。また、同一テーマで作られた作品も、数年の間に、どんどん線が簡略化され直線的になっていったりしています。裸婦の背中のブロンズ像も、はじめは曲線で肉感的に表現されていて、思わずなでてしまいたくなりましたが、最後には角張り、なんだか近寄りがたくなりました。わたしは絵を見るときに、題名を読まずに絵を眺めて、題名を想像したりします。あまり抽象的だとまったく当たらないのですが、マティスの絵はストレートな題名が多いので、結構いい線いきました。そうすると、画家に少しだけ近づけたようでうれしくなります。展示作品は、油彩、ブロンズ、切り絵とバラエティー豊かでした。この切り絵「ポリネシア、空」なんてとてもポップでかわいい。http://event.yomiuri.co.jp/matisse/art/art23.html
2004年09月22日
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ひさびさに御輿の練習。肩が腫れました…。足さばきの練習しなきゃ~。
2004年09月16日
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鬼太郎茶屋へ行ったのと同じ日、神代植物公園へ行きました。ここは、調布市に位置する都立公園です。ムクゲやハギ、コスモスなどが咲き乱れていました。青空の公園を歩くのは、とても気持ちがいい。芝生広場の奥に、背の高い植物の群れが見えました。アルゼンチンのパンパスグラスだそうです。高さ2~3mにもなります。主なのか、にゃんこさんも気持ちよさそう。 調布ゆかりということで、園内に新撰組関連の仮設施設がいくつもできていました。からくり屋敷や展示室、茶屋などです。温室のオオオニバス。つい葉っぱに乗ってみたくなります。立派な樹もありました。
2004年09月15日
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深大寺は、都内なのにどこにいるのかを忘れてしまいそうな風情があります。一休庵に入ってひとやすみ。深大寺そばは新そばでした。かねてから気になっていた鬼太郎茶屋に行きました。屋根に巨大な下駄が乗ってます。左上を見ると、小屋が。庭には妖怪たちが。メニューは、鬼太郎ビール、塗壁みそおでんなど魅力的なものがあります。わたしは、目玉おやじぜんざいを注文。餅が目玉おやじになってます。
2004年09月14日
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またもやウォーターボーイズ話でございます。そのうちさてさて、とかまだまだ、とかシリーズ日記化するんじゃないか?今日は、日テレで「元祖ウォーターボーイズ」のドキュメンタリーを放送してました。ドキュメンタリーは、過去にテレ朝、TBSでも放送してましたし、彼らをモデルにした映画、ドラマ1.2はフジ系だし、ホント人気ありますね~。今日のナレーションは渡辺いっけいさん。女子高生と主婦が、男のハダカを見に学園祭に殺到、的なことを言ってました。そんな身もフタもない。。。演技に使用した曲は、ハイスタンダードや大塚愛に、なぜか松任谷由実などです。楽天日記をはじめて早1年。思えば、第1日目の日記も「元祖ウォーターボーイズ」でした。なぜこんなに入れ込むのかというと、ひとつは、当初自分の母校が関係していたからです。バーチャル青春を追体験というか。もうひとつは、やっぱり一生懸命なところと楽しい演技。高校3年生が主役なので、毎年主役が変わる。1回限りのところがいいですね。今年の主役も、アボさんとかいい味出してました。去年はナマ演技を見に行って若さにあてられましたが、ドキュメンタリーが来年放送されたら、また見ちゃうんだろうなあ。
2004年09月13日
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【追記】JALのバーゲンフェアチケット取れました~。激戦区。電話のほうが取れる確率が高いと聞いたんですが、穴狙いでフリーダイヤルじゃなくて一般番号の方でかけたら、つながらず。何回目かでそのままでお待ちくださいのメッセージ。並行してネットで注文かけてたら、ものすごく重かったんですが、なんとか決済終了。むかーしライブのチケット目当てでぴあとかに並んだのが懐かしくなっちゃいました。-------------------------------------------------------「大江戸美味草紙」杉浦日向子著、新潮文庫、2001年。秋茄子のおいしい季節となってまいりました。こないだ田舎から届いた茄子もおいしかったですわ。お江戸の人々も好物だったようで、日向子さんによれば、豆腐屋の悋気のたねは初茄子なんていう古川柳があったそうな。田楽といえば、豆腐。「短冊に切り分けた木綿豆腐に串を刺し、裏表、炭火であぶり、仕上げに、木の芽、柚子、胡麻などをあわせた味噌を掃いて、熱いところをはふはふ頬張る。」当時の路上人気オヤツ商品だったそうな。しかし、「豆腐百珍」が出るほど江戸人が好んだお豆腐も、秋茄子には旗色が悪い。その理由は「茄子田楽」。「江戸では鴫焼きとも称するが、茄子を縦半分に割ったものをあぶって、タップリの味噌だれで賞味する、とろけるうまさの季節限定商品だ。」「皮が薄くやわらかく、実がふっくらきめ細かく白く甘く香り立ち、独り占めしたくなる背徳の味覚を有する。」うう、じゅるり。食べたい。。。「嫁に食わすな」のことわざは、茄子が妊婦の体を冷やすからと気遣った姑愛、という説もあるが、日向子さんによれば、「食えばわかる」。明らかにうまいから食わせたくないイジメだそうな。田楽の起源は、「田植えに舞う、豊作祈願の農村芸能であり、高足と言う、一本の竹馬に似た棒につかまってホッピングして踊るもの」その様子が人が串刺しになっているように見えるので、串刺しを田楽刺しというそうな。でも、江戸は1本刺し、上方は2本刺しだそう。それは気がつかなかったなあ。ちなみに、おでんは、煮たものを指すので、ゆでこんにゃくを田楽と呼ぶのは間違いらしい。他にも、「羊羹をすなおに食ってにらまれる」。当時高級菓子だった羊羹は、客に出してもそれは見せ菓子なので、客は手をつけないのが礼儀だったそうな。干からびるまで使いまわしたそう。砂糖が貴重だったころのエピソードですね。読んでるだけでおいしい、古川柳で江戸の食生活を紹介する大江戸美味草紙でした。
2004年09月09日
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ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団を読みました。わたしの予約した書店では、予約特典として怪物的な怪物の本のクリップ(\260)をつけていました。薄利なのに太っ腹なことです。以下、ネタバレありです。----------シリーズ第5作目、15歳になったハリーの、厳しくなる闇の帝王との闘い、大切な人の死、初恋を扱っています。今回も、物語はさんざんな夏休みを過ごすところから始まります。魔法使いを敵視する人間の親戚ダーズリー家の中に閉じ込められ、いつものように虐待を受けます。ダンブルドア校長はそこから動くことを許さず、闇の帝王が復活したというのに、詳しい状況を知ることができないハリーは、校長に対し不信感を募らせていきます。そして吸魂鬼事件に巻き込まれて退学の危機に陥り、魔法大臣が糸を引く日刊預言者新聞は、闇の帝王の復活に対して警鐘を鳴らした校長とハリーを潰すキャンペーンを張ります。校長の指揮下、不死鳥の騎士団が結成され、闇の帝王だけでなく、魔法省、マスコミを敵に回しての闘いがはじまります。その他にも、ホグワーツ魔法学校5年生では、OWL(ふくろう)と呼ばれる将来を占う大切な試験があるし、かわいい黒髪の女の子チョウ・チャンに振り回されるし、ハリーは大忙し。そして、ちいさな不信感が元で事態はこじれ、敵の罠にかかったハリーは、大切な人を死に追いやってしまうのでした。----------今回も上下2冊を徹夜で読んでしまいました。去年の原書発売時、待ちきれなかったわたしは、辞書と悪戦苦闘しながら20日もかかって読みました。筋は知っているから、日本語版は答えあわせのつもりで読んだのに、すっかりハマってしまいました。ハリーは思春期の情緒不安定さ爆発。疑心暗鬼になっているし、「英雄気取り」なところにつけこまれて、夢を現実と思い込み、助けようとした人をかえって死なせてしまう。おバカさんなので、読んでてイライラします。でも、チョウ・チャンに気に入られたくて空回りするところなんかはとてもかわいい。女の子の気持ちが全然わからなくてケンカばかり。彼女は中国系なんでしょうかね。舞台はイギリスで、アジア系はあんまり出てこないんですよね。映画版ではどんなかわいい子を持ってくるんでしょう、楽しみです。そういえば、チョウとのクリスマスのシーンでヤドリギが出てきます。わたしは去年、英和辞書を引くまでヤドリギの風習を知りませんでした。ちょっと素敵ですね。
2004年09月07日
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井の頭自然文化園に行きました。井の頭公園でのお散歩は好きですが、自然文化園に入ったことはありませんでした。園内は予想よりとても広い。まずは、動物園から。ゾウのはな子さん、50年以上もここにいます。ちょっとブレ画像ですが。ヤクシカ。屋久島の縄文杉の根元で、お仲間に会ったことがあります。水鳥舎。この2羽は、セットで天使の羽のように見えました。アカゲザルの猿山は、いろいろ投影して見てしまいました。リスの小径では、大きなリスのケージの中に入っていて近くで遊べます。chappiさんみたいなカワイイリスがいっぱい!?水生物館は、オオサンショウウオの他、都内で捕れた淡水魚が展示されていました。タナゴやメダカは、もう水族館で眺めるものになってしまったのかしら。いい樹もあります。長崎平和祈念像の作者「北村西望」の作品展示館もありました。午後から行ったのでは、見切れないほどに盛りだくさんの自然文化園でした。派手なものはないけれど、400円でゆっくり遊べます♪
2004年09月06日
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あいにくの雨模様の中、秋祭りがありました。初めの神輿の御祓いのときは、一旦雨が止み、10基以上並んでいました。いい顔のおとーさんが脇を固めてます。いまや祭りに携帯は必須です。担いで移動しながら、自分の居場所を知らせたり、待ち合わせしたり。提灯が多い神輿は、雨よけのビニールが。女神輿。わりと重そうな神輿です。人数を集めないと持ち上がらないんで、大変なんですよね。雨だからか、雪駄や足袋でなくヒールのサンダルで担いでいる人もいました。あれは危ないです。密着してる後ろの人の足がかわいそう。結構足がバラバラで担げてない神輿もありました。きれいに担いでるところは、やっぱりいいですね。見てるうちに担ぎたくなってきました。わたしも今年は担ぐ予定です。ひさしぶりなんで練習しなくちゃ。
2004年09月05日
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