ヘンなところに目が行ってしまいました。

 「目黒」。落語の「目黒の秋刀魚」。でも、同時に「目白三平」という源氏鶏太のサラリーマン小説のことも。
 「目白ってあるのかなぁ」と検索してみるとありました。
 目黒の方が古くて目白の方が後から出来たことも知りました。
 「目白御殿」=田中角栄の私邸、とあり、これなら何度も目にしたはず・・と思ったのですが、ただ見ていただけだったのですね。いい経験になりました。関東の方には馬鹿みたいな話ですが。 (2009.04.11 17:40:20)

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

2009.04.10
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カテゴリ: ヒラカワの日常
午後護国寺の講談社で、週刊現代の取材を受ける。
来週末より発売予定の『経済成長という病』の著者インタビューである。
久しぶりの、講談社。
随分立派なタワーになっている。
待っていてくれたインタビュアーは、
なんと、ミシマ社の大越くんであった。
確か以前は、S会議という出版社におられたが、
「いやぁ、ヒラカワさんの『反戦略ビジネスのすすめ』を読んで
会社を辞めちゃったんです」と第一声があった。
そういえば、あの本は、随分ひとさまの
人生の決断に関わったようである。
恐ろしいような、申し訳ないような心持ちである。

で、質問の第一声は「この本を書いた動機は?」というものであった。
リーマン・ショック以後、経済的な問題点に関しては、
いろいろな人が、様々な媒体で発言し、
総括をしている。
その総括の仕方そのものに対しての疑問がひとつ。
もっと重要なことは、
ここに至るまでの、おれ自身をふくめて人々の心理的な問題点に
関してはまだ総括の糸口さえ見出せてはいないということである。
経済成長至上主義、市場万能主義を下支えしたのは、
消費者の欲得そのものであり、その欲得と無縁であったと
いえるものはいないだろう。
そのこと自体が悪いといっているのではない。
ただ、過剰な欲得をうちに抱いている俺たちは
意図してであれ、否応無くであれ、
「時代の加担者」であったのであり、
そのことを抜きにして、心理的総括などできないだろう、
というようなことを、一気にまくしたてる結果となった。

夕方、大阪の140Bのいがぐり社長中嶋さんから携帯に電話。
今晩はかれとお会いする約束をしていたのである。
当然のように、忘れていたのであるが、
「了解了解、目黒あたりでね」
と答えて目黒へ向かう。
いつも大阪で飯をおごってもらっているので、
今日は俺が日本一うまいと思っている「こんぴら茶屋」の
牛カレーうどんをおごる番なのである。
「どうだい、うめぇだろ。で、中嶋さんは大食いなの?
大食いのひとは、残り汁にご飯を入れて食べるといいぜ」
と解説しはじめたら、
「じつは、ちょっとお待ちしている間に吉ぎゅうで
牛丼を軽く・・・」との返答である。
あきれた、いがぐり社長である。
それでも、最後の一滴まで汁をすすってけろりとしているのである。

「来週あたり、新しい本が出る」と本の宣伝をしたら
「こんどのは、なんちゅう病(やまい)でしたっけ」ときた。
俺も、すっかり病が板についてしまったようである。





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最終更新日  2009.04.11 01:25:19
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ヘンなところに  

勝手な思い込み  
わぉ1173 さん
先日友人と「ともかく欲望の量を少しずつ減らしていかないことには………」なんて話をしていたのですが、ふと、少しずつ減らすなんてアナログなこと言ってちゃだめで、みんなで階段を一歩上がるみたいにデジタルでやらなきゃ何も変わらない、と思ったのでした。 人の欲得については、たとえば夏目漱石の小説なんか読んでいると、明らかに、ごく普通に「欲得ずくで生きる人たち」を一ランク下の人間として見ている感じがあります。かつての日本には、そうした「人の見方」があった。でもその価値観は、勝戦国アメリカの価値観と総とっかえしちゃったので、もう取り戻すすべがない。民主主義、資本主義、何だってかまいませんが、アメリカ経由で受け入れた価値観の方が、それ以前の日本の価値観より「進んでる」とか「優れてる」とか、日本人は普通に考えています。アメリカの価値観を受けいれたおかげで、階段をひとつ上ることができた、みたいに。でもどうなんでしょう。もしかしたら日本はあのとき、階段を一段下りたのかもしれない。いや、べつに、上も下もないんですけど。 人は放っておけば欲得に走る。その欲得は資本主義社会で便利に使われているのですが、放っておけば欲得に走る人間を「放っておかない」価値観が、少なくとも明治期までの日本にあった気がしますね。アメリカを見習って階段を下りたおかげで、確かに経済的には成功しました。でもそろそろ(もしかしたら欧米にとっては未知かもしれない)かつての日本的な価値体系を取り戻してもいいんじゃないか。具体的に何をどうすればいいかさっぱりわかりませんが、経済学から遠い価値体系を、せめて思い出す機会を持ちたい。かつて着物を着るみたいに、そんな価値観を普通に身につけていた日本人がいたわけですし。思い込みかなあ………?
(2009.04.13 12:48:28)

Re:勝手な思い込み(04/10)  
K生 さん
>わぉ1173さん

漱石が「悠然見南山」(陶淵明)について書いていたのを先日中国の友人と会話している時に思い出しました。
漱石が持っていた「西洋近代の世俗主義」とは対極の価値観は東アジア共通のものかもしれません。それは「道家」の考え方で「老荘」「竹林の七賢」「李白」に流れているものです。中国の友人に言わせると「儒家」は資本主義に親和的だが「道家」は「反近代」「反資本主義」だということでした。
(2009.04.16 09:47:24)

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