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昨日の出身高校の同期会から「中津方言」で盛り上がっている。1、しゃーしぃ (うるさい)2、うたちぃー、こんやたぁー (汚いな~こいつは!)3、むげねぇー (かわいそう)4、いびしー (恐ろしい、怖い)5、おろいー (ずるい)6、とごえ (お調子者)7、ととっちょる (お調子者で走り回っているさま)・・こんやたぁ、ととっちょるのー8、いっぺこっぺ (たくさん)9、なんちかんち(言っても) (そう(言っても))10、ほいと (乞食)11、よだきい (きつい、つかれる)12、ねき (近く、そば)13、ちょびっと (少し、わずか)14、ちぃーと (少し、わずか)15、うーんと (たくさん)1、とぜねえ もう解散かえ、とぜねえな (寂しい)2、いらんこつ なしいらんこつするんか (余計なこと)3、みのけな おいさんはみのけな話しが好きじゃ (いやらしい)4、どべ 走りゃ一番じゃけど、勉強はどべじゃった (びり、最下位)5、ふがいい あんたずっとふがいいなあ (運がいい)----------------------午後は、企業での講演。「目からウロコ」は一人。f:id:k-hisatune:20121002160528j:image「やわらかい頭で」「驚き」「新鮮」「眠くならなかった」「考えることを考えさせられた」「考えることは面白い」「納得」「実感」「発見」「覚えるのではなく理解すること、が身に染みた」「頭がクリヤー」「考え方が180度変わった」「弱点を解決」「幹部も受けさせたい」「目からウロコ」「ひとつの解決策」「スムーズな流れであっという間」「刺激」「より良い職場に」「魅力」、、、。---------------------10月1日発行の「知研フォーラム319号」が届く。・人物記念館の旅(久恒啓一)--藤田嗣治、阿久悠、フェルメール。・BBC改革と公共的価値(原麻里子)・大都市制度について(鈴木邦彦)f:id:k-hisatune:20121002052211j:image表紙は私の写真だったのでビックリ。--------------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」121002 | 編集 11時。多摩大の母体である目黒の田村学園を訪問。田村常務理事に人事案件の相談を兼ねて近況を説明。結果を今泉先生に報告。
2012/10/02
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木彫師からのちに東京美術学校の教授をつとめた高村光雲の長男として生れた光太郎は、幼い頃から木彫に親しみ、家業を継ぐつもりで育っていった。そして 14歳で東京美術学校に入学し本格的に彫刻を学ぶ。一方で詩人的資質に富む光太郎は俳句たや短歌にも目覚めていく。17歳の時には与謝野鉄幹の新誌社に参加し、早熟の才能を開花させていく。 19歳で美校を卒業した光太郎は、フランスの名彫刻家・ロダンの「考える人」の図版に衝撃を受ける。23歳ニューヨーク、24歳ロンドン、 25歳パリ、26歳イタリアと、美術・音楽・文学・演劇とあらゆる西欧文化を吸収する。 そして28歳の時に、運命の人・長沼智恵子と会う。智恵子は、平塚雷鳥の雑誌「青踏」の表紙を描くなどの活動をしていた新しい女であった。智恵子の熱烈な求愛に動かされ光太郎も強く惹かれていく。高村光太郎については、「智恵子抄」でその詩を愛唱したことがある。彫刻家でもあったが、断然詩人としての顔に親しみがある。高村光太郎に関する書物は実に多いが、多くは智恵子と光太郎との純愛を巡るものだ。中学生・高校生の頃に読んだ記憶のある詩が懐かしい。「僕の前に道はない。 僕の後ろに道はできる」で始まる「道程」。「あれが阿多多羅山、 あの光るのが阿武隈川。」で始まる「樹下の二人」「智恵子は東京に空が無いといふ、 ほんとの空が見たいといふ。」で始まる「あどけない話」「そんなにもあなたはレモンを待ってゐた かなしくも白くあかるい死の床で わたしの手からとった一つのレモンを あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ」で始まる「レモン哀歌」、、、。智恵子も才媛だった。いくつかの雑誌に頼まれて文章も残している。「貧しく、飾らず、単純であれ ---生活の倦怠を如何にして救ふか--」(大正12年9月号「女性」)には、「必要以外何物も有たないこと (或る程度の必要をも満たされなくても差支えないこと)=貧乏なこと。 本能の声を無視しないこと。 どんな場合でも外的な理由に魂を屈しないこと 赤裸なこと。」とある。 しかし、智恵子は狂った。 光太郎の「山麓の2人」という詩には、そういう智恵子と光太郎の姿が垣間見える。 「半ば狂える妻は草を敷いて座し わたくしの手に重くもたれて 泣きやまぬ童女のやうに慟哭する --わたしもぢき駄目になる」 光太郎の弟の豊周の「光太郎回想」という本(実の弟の回想だけに父光雲や肉親との関係や、素顔が描かれていて面白い)に、智恵子の精神病の様子が描かれている。「医者に唾を吐きかけたり、たたいたりの乱暴、、、」「アトリエのそばの交番のところで、「東京市民よ、集まれ!」と智恵子の声がする。」「往来にいる子供達に演説するのも度々で、どこで覚えたのか浪花節を語ったりする。」 福島県二本松の智恵子記念館の地下の展示室には、千数百点といわれる紙絵の一部が展示されている。日常生活で目にするあらゆるものを題材に既に狂った智恵子は作り続け、光太郎が来ると恥ずかしそうに見せるのであった。展示している紙絵は美しくこころを打たれる思いがした。「千数百枚に及ぶ此等の切抜絵はすべて智恵子の詩であり、抒情であり、機知であり、生活記録であり、此世への愛情の表明である」と光太郎の言葉が胸を打つ。「智恵子は東京に空が無いといふ ほんとの空を見たいといふ、、、、」で恥じ舞える「あどけない話」、「あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ」で覚えている「レモン哀歌」などの詩と光太郎が智恵子尾を語った言葉が、知恵子の紙絵と交互に並べられている。 記念館の展示物を丹念に見ると、光太郎と智恵子の純愛、夫婦愛には心を洗われる気がする。 その智恵子は光太郎が55歳の時に没するが、智恵子はそのときでも20 代にしか見えなかったという。 智恵子が狂った原因はなんだろか。光太郎は「智恵子回想」という文章の中で「私はこの世で智恵子にめぐりあったため、彼女の純愛によって清浄にされ、以前の退廃生活から救い出される事ができた経歴を持って居り、、、」「制作するものの心はその一人の人に見てもらいたいだけで既に一ぱいなのが常である。私はそういう人を妻に持っていた。」「---大きな原因は何といってもその猛烈な芸術精進と、私への純真な愛に基づく日常生活の営みとの間に起こる矛盾撞著の悩みであったであろう」いわば四六時中張りきっていた弦のようなもので、その極度の緊張に堪えられずして脳細胞が破れたのである。精根つきて倒れたのである。」 光太郎の詩からは智恵子への思慕の熱情が感じられるが、そういう幸せな状況の中で、なぜ智恵子は狂ったのだろうか。 智恵子の評伝小説を書いた津村節子が、その秘密を語っている。病弱だった智恵子には、弟妹の問題、心の支えであった実家の崩壊など様々なことがらが悩ませる。しかし、「目の前にそそり立つ巌のような光太郎の存在が、彼女の心を圧していた」、そして「しかし極めて男性的な光太郎は智恵子の懊悩」に気がつかなかった。あまりにも偉大な芸術家の夫を持ったがゆえに、自らの才能の至らなさに絶望し、神経が狂ったとの解釈もあったが、光太郎は自分を守るなかで智恵子の病状が現れたと解釈している。このあたりは永遠の謎だろう。花巻市の郊外に建つ高村山荘は、彫刻家高村光太郎が晩年の7年間(1945-1952年)に独居した山荘跡である。 光太郎は1883年生まれだから60歳代の中盤はこの地で過ごしたことになる。山荘といえば聞こえはいいが、実際はは7.5坪(22.5へーべ)の粗末な小屋である。小屋の三分の一は土間で、6方ほどの板の間とその北川に囲炉裏があり、奥に3畳ほどの畳が敷いてあるだけである。この寒く不便な土地で独居自炊の原始生活はいかにも厳しい日々だったろうと推察する。宮沢賢治の父・政次郎との縁があり、この地に疎開した。毎年、5月15日にはいまだに「高村祭」が催されているから地元の人には親しまれたようだ。 この小屋は現在では二重の套屋で囲われている。最初は、1957年秋に、光太郎のいなくなった小屋が傷んできたのを見かねて村人たちが覆いを被せたものである。村人たちの敬愛と愛情によって建てられた套屋は村人が1本1本持ち寄った木材で出来ている。さらに1近隣にできた高村記念館が1977 年いその外側に覆いをつくった。入り口には、友人の草野心平の「無得殿」という書が掲げてあった。般若心経からとった字句である。また、光太郎の自画像もあり、そこに本人の書き付けがあった。「十三文半 甲高 馬の糞をふんづけたのでのっぽとなる 神経過敏のような、遅鈍のやうな 年寄りのやうな、若いやうな、在るやうな 無いやうな顔」 近くにある記念館への道を歩いていると、詩碑があった。「雪白く積めり」という詩である。原稿用紙をそのまま4倍に拡大して碑にするというしゃれた工夫である。作曲家中山晋平の碑にも音符をつかったものがあったことを思い出した。詩人には原稿用紙が似合う。この詩は、1945年12月23日とあるから、山小屋最初の冬の作品である。 近くにある高村記念館は宮沢家の主治医であった佐藤隆房博士が、親しく交わった高村光太郎を記念して建てたものである。ホル一つの記念館の入り口には光太郎の「思想家・彫刻家・文藝評論家・洋画家・書道家」という六つの面が掲げてある。多彩な活動を行った才人であったことがうかがる。光太郎は近隣の山口小学校にもでかけて話をすることもあった。その小学校に寄贈した「正直親切」という書があった。光太郎には名刺にはメモをする習慣があったようで、県議会議長、盛岡市長、岩手日報出版局編集部長らの名刺に日付などが記されている。友人の梅原龍三郎の弔辞は光太郎の姿を記している。 常に身だしなみがよくきちんとしていて 英リス紳士の様であった。 酒は強くアブサントをよく独りで飲んでいた らしい 稀にしか君に会わなかったが、常に第一列の 友人と思って敬愛していた。 光太郎の後半生に訪れた戦時の役割とその反省の行動についてはあまり知らなかったが、思い詰めて岩手の厳しい山小屋にこもり自らを断罪している。高村光太郎は、「戦時下の芸術家」で美術家がとるべき戦時の積極的な役割について具体的に提言しており、また戦後の「暗愚小伝」において尊敬する人(岸田国士)から説得されて「協力会議」に入ることになったこと、会議の実態、そして後悔の念を記している。「戦時下の芸術家」より。 * 美術による国民士気の昂揚というような事も、美の純粋性によてこそはじめて充分に果せるのであって、美の深慮に基かない作品は結局逆な効果を得るに過ぎない。 * 戦時に於ける美術の効用の方面を考えると、それは押しなべて人心荒廃の防?と、必死邁往の気の振起とにある。人心に美を浸透させる事に成功すれば、美の力は必ずそういう役目を果たす。戦時大いに美を用いるべし、戦時こそ殊に?漫せしむべきである。私はそういう意味から、一つの議題を今度の中央協力会議に提出して置いた。「全国の工場に美術家を動員せよ」といいうのが其の議題である。情勢の進むに従って全国は殆ど一つの軍需工場化するであろう。労務に堪え得る者は食糧生産者を除く外悉く皆その労務員となるであろう。その時、重大な関心事は、人がただ機械の延長であってはならぬという事である。機械の延長に過ぎないような感じを人に持たせてはならないのである。 * 日本全国の工場に真の美を氾濫せしめよ。それは必ずどのような緊迫困苦の時にも人心を健康に保ち、人心を長期の緊張に充分堪えしめるであろう。戦時美術家にはそういう奉公の道もあるのである。「暗愚小伝」から 「協力会議」」協力会議といふものができて民意を上通するといふ。かねて尊敬していた人が来て或夜国情の非をつぶさに語り、私に委員となれといふ。だしぬけを驚いている世代でない。民意が上通できるなら、上通したいことは山ほどある。結局私は委員になった。一旦まはりはじめると歯車全部はいやでも動く。一人一人のもってきた民意は果たして上通されるか。一種異様な重圧がかへって上からのしかかる。協力会議は一方的な或る意志による機関となった。会議場の五階から霊廟のやうな議事堂が見えた。霊廟のやうな議事堂と書いた詩は赤く消されて新聞社からかへってきた。会議の空気は窒息的で、私の中にいる猛獣は官僚くささに中毒し、夜毎に曠野を望んで吼えた。本多秋五は、戦争中のことには口をつぐむ人が多い中、後に岩手の山中において「「それが社会の約束ならば、よし極刑とても甘受しよう」と書いた高村光太郎ひとりが例外であった。」と書いている。光太郎は、心に残る詩を多く書いている。何故詩を書くのか。「私は何を措いても彫刻家である。「私は自分の彫刻を護るために詩を書いてゐるのである。自分の彫刻を純粋あらしめるため、彫刻に他の分子の夾雑して来るのを防ぐため、彫刻を文学から独立せしめるために、詩を書くのである。」 戦後、高村光太郎は過去の戦争協力を恥じて、自然条件の厳しい岩手の山荘での孤独な生活を送る。 そして、8年間のブランクの後で、十和田湖の「乙女の像」を青森県から依頼された智恵子がモデルのモニュメントの彫刻を作る。ブランクは全く感じることなくすらすらと指が動いた。マイナスであるべきものがプラスになっていた。このような長い時間を経て、高村光太郎はようやく本来の彫刻家に戻ったのだ。
2010/05/05
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「頭脳国家・シンガポール」(田村慶子)読了。先日、リー・クアンユウー回顧録」(下巻)を読んだが、印象がかなり違う。シンガポールは「笑顔の北朝鮮」という言い方もある「超管理国家」だ。為政者の認識と国際関係論を専門とする学者の分析の違いが際立っている。1993年発行。「シンガポールを知るための62章」(田村慶子)を読了。こちらは2008年発行と新しい。シンガポールを知るための62章【第2版】 エリア・スタディーズ (エリア・スタディーズ 17)--------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130214 | 編集 13時:目黒の学園本部で田村常務と真子先生に学部と総研の近況報告。 16時:赤坂の東京ホテルで北京から戻った蔡君(宮城大一期生)と会う。習近平政権は本格的に汚職一掃をやるらしい。こしばらくゴタゴタする。スモッグがひどく外にでない、原因もまだわかっていないそうだ。 17時半:赤坂の野田一夫事務所を蔡君と訪問。イマジニアの神蔵会長、多摩大の趙先生も交えて野田節を聞く。 18時半:野田先生、趙先生、蔡君と一緒に新橋の居酒屋アルバカに。ジュディ・オングの甥のWISEさん(東芝)と、たまたま一緒になった菅野先生も交えて懇親。この店は都内の大学生が運営する学生居酒屋で、多摩大3年の舟木茜君(起業志望)が参加している。狭い地下の居酒屋だが満杯だった。料理もおいしい。 帰りの途中で学長から電話。金先生とソウル日帰りで帰ってきたところとのこと。今週末にはシンガポールで一緒になる予定なのでその打ち合わせを少々。 夕刊フジの一面は「早慶明総崩れ」「受験生の地元志向直撃」という記事で志願者の多い私大の受験生の変動表が載っていました。増やしたのは14大学で、首都圏は8。後は関西と中部と九州。36大学は前年比減少。立正、武蔵はマイナス30%超、駒沢、国学院などはマイナス20%。元気なのは法政、立教、青学、上智、学習院、日本女子、、。今年の18歳人口は123万人でここ数年で最多という厳しい状況。 今日は理事長、名誉学長、学長と接触したことになるなあ。
2013/02/14
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名古屋の消防関係者む向けの広報誌「東海望楼」への1年間の連載が始まって、最初の4月号が届いた。連載の全体テーマは「図解コミュニケーションへの招待」で、4月号は「図解コミュニケーションのすすめ」。f:id:k-hisatune:20130403064147j:image以下、冒頭の挨拶。「調布市の消防大学校の幹部科の講義を受け持ってから3年ほどになり、全国の消防の幹部と接する機会が多くなってきました。自治大学校や市長村アカデミーなど行政マンを対象とした学校に呼ばれることが多いのですが、この消防大学校の受講者の特徴は受講生の動作がキビキビしていることです。さすがに国民の安全を護る消防の仕事をしている人は違うと感心もし、またこちらも講義に気合が入っています。また私自身の教え子が最近神奈川県の自治体の消防に入り、フェイスブックなどで仕事に慣れていく姿を垣間見る機会もあり、消防という仕事に関心を持っております。このたび、伝統のある「東海望楼」に1年間の執筆の機会をいただきましたので、消防行政に関わる方々の仕事の進め方に参考になる情報を毎月お届けしたいと思っております。」随筆(中日新聞編集局次長)あり、レーシック手術特集(日本眼科医会)あり、現場報告あり、消防統計、表彰、マンガもあり、写真も多く、充実している。消防士はメガネやコンタクトより、レーシックで視力を上げておくのがいいということなのだろう。経験者の投稿でも夜勤時など仕事に有用だと述べている人が多い。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」130402 | 編集 2年生と3年生を対象としたオリエンテーション。午前と午後。私の役目は、総合成績優秀者と科目成績優秀者に対する賞状と副賞(図書券)の授与である。それぞれMOSYとMOSCという名前の賞だ。Most outstanding of the yearとMost outstanding of the classの略。成績がいいということでよく名前を見かける学生達だ。この独特の表彰制度も見直しが必要かもしれない。英語の略なので学内でも混乱があること、新しい教員たちに趣旨が徹底されていないので偏っていること、就職に際して成績優秀をアピールする時に説明が改めて必要であること。こういう点を改善するために、懲戒制度と同様に、表彰制度の見直しも必要だと感じた。 この春休みに大学始まって以来の教室の大改修とラーニングコモンズ(新アゴラ)を行って教育環境が大幅によくなった。この重要なポイントを誰も説明していないようだ。 ICT関係の人材像と教育プログラムの整備を進めてきた。昨年、学部段階の目指す人材像は「顧客視点とマーケティング感覚を身に着けた、技術に強いICT人材」ということになった。学部直結の大学院「ビジネスICTコース」はどうか。3月26日の日経新聞で見かけた「データサイエンティスト」ではないのか。ビッグデータを活用しマーケッティングなどに生かすために分析を行う人材。ITスキル、統計学、マーケティング理論、心理学などが必要。必要な能力としてビジネススキル(プロジェクト管理、課題発見、コミュニケーション、マーケッテイング知識)、ITスキル(各種ソフトの操作技、大量データの収集ノウハウ)、分析スキル(統計解析、大量データの「モデル化」ノウハウ」が挙げられている。多摩大のICT関係の教員がもっとも得意とする分野だ。それらを凝縮した「データサイエンティスト」という人材像でいいのではないか。
2013/04/02
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NPO法人知的生産の技術研究会の仙台支部は、「団塊世代シリーズ」と銘打ってセミナーを開催している。統一テーマは、「これまでの私、これからの私」である。毎回、団塊世代を中心として興味深い話が聞ける。今回は、仙台放送取締役の志伯知伊(しはく)さんを講師に招いた。日経新聞の仙台支局長だった篠原さんの送別会に呼んでいただいて最初にお会いしたが、その後お誘いを受けて何度かお会いしている。何となく自分と同じ匂いを感じていたのだが、その理由が講演を聞いてはっきりわかった。志伯さんもネットワーカーだったのだ。本業でのテレビ局での仕事の話はもちろん興味深かったが、「仙台はなもく会」という39歳の時(1989年)に始めた会が、その後の仕事人生にも個人としての生き方にもじわじわと大きな影響を与えていることがわかった。この会は毎週木曜日の朝7時半にセミナーを実施してきて、現在まで20年続いて800回のセミナーを実施しているという素晴らしい会だ。この会で地域のさまざまな人と知り合い、企画や金集めに奔走し、遊びに熱中する。この中で得たものが仕事のスケールを大きくしていく。そういう循環の中で充実した時間を過ごしてきたと感じる。仙台はなもく会も、ネットワーカーにとって先がけであり憧れだった「丸の内朝飯会」(1963年発足、現在までに2000回のセミナーを実施)に影響を受けて、仕組みをとりいれた。この会の名前や「知恵の輪」という勉強会ネットワークの名前も懐かしい。私が30歳から参加した「知研」での活動もよく似ていて、話に深く共感した。終了後は、例によって二次会で愉快に10人ほどで飲みながら、続きを楽しむ。写真は、私のゼミ一期生だった伊藤恵くんや、市議の佐藤わか子さん(二次会のみ)、栗駒自然学校の佐々木さん、富田さん、岩澤君、横野さん、粟野さん、講師の志伯さんと私。そういえば、仙台知研も10年たった。
2008/02/12
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リレー講座。悪魔のシナリオか、回避か。--------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130530 | 編集 矢内事務長 学長と懇談。静岡県知事選、JAL、、、。 リレー講座:寺島学長「立体世界史の試み―-17世紀オランダ論」。f:id:k-hisatune:20130530160546j:image アベノミクス:外資の決算期の6月末に向けて悪魔のシナリオ(売り抜く資本主義)が近づいている。日本経済に希望があれば外資は株を保有するだろう。 政府の日本マネー投入の模索。GPIF(年金)と郵貯の資金を活用。110兆円の年金運用資金(6割が国債運用。11%が株)の3-10%を使いたいという誘惑。これで外人も保有し続ければ2万2千円に。カンフル剤とバイアグラによる調整インフレ願望。 長期金利上昇という副作用。財政圧迫・住宅ローン金利上昇。 2012年10月から2013年3月まで:原材料2割上昇、最終消費2.2%上昇。所得は増えていない(可処分所得ー0.2%。現金給与ー0.8%) 秋にかけて物価上昇と所得減少のジレンマに陥るか。資産家と企業は潤うが給料は上がらない。株高と海外収益で潤う経営は勤労者に分配する意欲が湧かない。消費税増税が追い打ち。 株:BRICSの退潮。日本45%アップ、米国15%、ドイツ8%、インド2%。 成長戦略のキーワード(女性・医療・農業、)は見えてきたが、プロジェクトとして実体化するシナリオと推進主体が見えてこない。 マクロエンジニアリングの欠如。方向感と納得感。例えば、、。 圏央道・外環道が5年以内に完成する。名古屋や関西も同様。これを日本列島の活力にどうつなげるか。思い切り前倒しする。 中央リニア新幹線は15年後に東京・名古屋を30分でつなぐ。その17年後に名古屋大阪という予定。東京大阪までを10年以内に完成させる。 キャンプ那須構想。首都機能移転・分散。白河に。 立体世界史:2010年秋から16回の連載。今回は世界遺産となった岩見銀山。キリシタンの弾圧などへ続く。 ゼミ・図解実習と各プロジェクト毎の打ち合わせ。 永山でゼミの「ヴェルディ班」との懇親会。主として2年生と懇親を深めた。
2013/05/30
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司馬遼太郎がこのペンネームで最初に書いた短編小説「ペルシャの幻術師」を読んだ。昭和31年の講談社倶楽部賞の受賞作品。蒙古のフラグの第四子ボルトルと幻術師アッサムと王女ナンの幻想的な物語。この蒙古軍のなかに「バートル」という武将がでてくる。次に書いた「伐壁(ゴビ)の匈奴」という短編も読んだ。鉄木真(テムジン)、後のチンギスハンの物語。チンギスとは強大を意味する異称。蒙古人は、性欲と好戦欲と略奪欲の激しい民族。ゴビ砂漠を20日間の日数で越える。6日間の絶食に耐える得意な胃袋。一昼夜騎走千キロ以上。わずか400万人。名はあるが姓はない。最初の作品を選考委員として受賞作として強く押した海音寺潮五郎は、二作目は選考委員であった直木賞の受賞作になると確信したが、舞台と主人公が日本と日本人でなく好まれないと考え推薦を見送っった。海音寺潮五郎が、司馬遼太郎の発見者だった。-------------今日の収穫。「現状維持は後退である」(ディズニー)■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140126 | 編集 サテライト入試の二日目。本部詰め。 新宿、町田、横浜、藤沢、小田原、立川で入試を行う。問題訂正もなく平穏に実施された。 樋口入試委員長、出原副委員長と年内入試の余裕をどこで使うかを議論。 空き時間に「立志人物論」のレポート「ロールモデルの人生鳥瞰図」と「学んだこと」を読破。 今年はスポーツ選手とアーチストを取り上げた学生が多い。サッカーの本田が一番人気、ヤンキースにいく田中も。 こういう人たちの活躍が若い人に勇気を与えていることがよくわかる。 中には私の人生鳥瞰図もあって驚く。f:id:k-hisatune:20140127100928j:image来訪者累計本日昨日
2014/01/26
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「マネジメントデザイン2」という講義では、日本の偉人を紹介しながら、自らのロールモデルを探してもらい、その人物の人生鳥瞰図と、その人物から学んだことをレポートしてもらうということを課している。今年最後の授業で、モデルにしたいと考えている人物を挙げてもらった。数字はエニアグラムという性格タイプ分類で、そのタイプがどの人物に関心を持ったかということを示している。自分の性格タイプにと同じタイプの偉人にあこがれるという仮説を持っているが、どうだろう。http://www.hisatune.net/kinenkan/kinekan_bunrui.htm1.いわさきちひろ・野口英世・正岡子規・岡本太郎・山本五十六・西郷隆盛・司馬遼太郎・山本五十六2.渋澤栄一・宮崎駿・後藤新平・手塚治虫・松下幸之助・司馬遼太郎・新渡戸稲造・ゲバラ・東野圭吾・星新一・手塚治虫・中山晋平・毛利元就3.野口英世・森鴎外・南方熊楠4.北大路魯山人・松本清張・稲葉こう志・宮崎駿・手塚治虫・新渡戸稲造・松井秀喜・正岡子規・松井秀喜・イチロー5.本田宗一郎・藤子不二雄・手塚治・東山魁夷・シューマッハ・二宮尊徳・福沢諭吉・野口英世・イチロー・宮崎駿・森鴎外・牧野富太郎・岡本太郎・水戸光圀6.高杉晋作・宮崎駿・野口英世・松下幸之助・松下幸之助・7.野口英世・村上春樹・岡倉天心・レスポール・樋口一葉・坂本龍馬8.野口英世・野口英世・福沢諭吉・太宰治・呂蒙・福沢諭吉・高杉晋作・岡本太郎9.与謝野晶子・松本清張・太宰治・岡本太郎・カストロ・マッカーサー?. 太宰治・坂本龍馬・松下幸之助・森鴎外・手塚治虫・岡本太郎・宮崎駿・マー君・岡本太郎・モンロー・芥川龍之介・岡本太郎・手塚治虫・石原完爾・山本五十六・本田宗一郎・太宰治・高杉晋作・宮崎駿・石ノ森章太郎・浜崎あゆみ・野口英世・与謝野晶子・福沢諭吉・森鴎外
2009/12/29
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駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠と富士山と並び称される白隠という禅坊主がいた。白隠という号も富士山に因んでいる。「富獄は雪に隠れている」とのたとえからとったものである。白隠(1685-1768年)は日本の禅界の中興の祖で、五百年に一人しか現れない不出の高僧だ。この高僧は禅を広めるために、数万点の書画を描いた。千万言を費やしても究極のところを表すことはできないので、膨大な著書群に加えて大量の禅画・墨跡を残している。この独特の禅画・墨跡が圧倒的な人気なのである。「気迫の圧倒的なこと、旺盛な精力まで籠められている」と女流作家で仏教者でもあった岡本かの子が評している。白隠は、ほとんどの画に賛を書き込んでいる。画賛とは、「画に因んで、その夜は国書き添えた詩句など」(広辞苑)である。絵画と言語で表現する東洋独特のものである。白隠はこれに宗教的メッセージを入れ込んだ。また相手に応じて描き分けた。見て、読むことが大事になる。白隠の画業は後の富岡鉄斎と同じく80歳を越えてからがピークだった。84歳で没。f:id:k-hisatune:20130122061953j:image子どもの頃に聴かされた地獄の責め苦が恐ろしくこれを避けるために出家を決心する。42歳で大悟するまで、白隠は悩み、苦しむ。そして増上慢心する。その折々に励ました、戒めた言葉がある。 煩悩即菩たい(大きな迷いがあれば、大きな悟りがある。問題のないところに答えはない) 慈明の志は道にあり。暁夕怠らず。夜坐眠らんと欲すれば、錐を引いて自ら刺す(引錐自刺より) 不借身命 悟後の修行 借り物の文字などなんになる。お前さんの所得をだしてみよ。 これと思われる本物を二人、三人ほどを育てたらよい。 人間、死ねると決心したら、今度は生きることだ。中津の自性寺には白隠の作品がある。自性寺は白隠にとって特別なコミュニケーションがあった寺である。 「出山釈迦」。苦行の果てにあばら骨が浮き、髭はぼうぼう、足の爪も伸びきった釈迦像。f:id:k-hisatune:20130122062214j:image 「富士大名行列」。富士山のふもとを大名行列が通るところを描いたもの。「はるばる豊前の自性寺和尚にお届けする」。霊峰富士がダルマ。賛には「直指人心、見性成仏」とある。まっすぐに自分の心を見つめて、仏になろうとするのではなく、本来自分に備わっている仏性に目覚めなさい。「円相」。賛は「十方、虚空無く、大地、寸土無し。f:id:k-hisatune:20130122062432j:image福神見温公語。子孫に金を残しても仕方がない。子孫に書物を残しても読みはしない。それよりも徳を積みなさい。白隠は兼好法師が嫌いだった。「吉田猿候」という作品で兼好を猿にしている。これはなぜか。墨跡はグラフィイクな書。「寿」を百の書体で書いた作品も。「道中工夫」(道中の工夫は静中に勝ること百千億倍」-----------------------学部長日誌「志塾の風」 自宅にて。 多摩グローカルフォーラム用の図解作成 25周年寄付振込 今泉教務委員長とやりとり 教授会議事録の確認 3月までに解決すべき案件を整理
2013/01/21
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午前中は、手がけている学内の仕事や書類づくり、そして事務局からの相談に対応する。11時半以降、K社とB社という二つの出版社の編集者が相次いで東京からみえた。どちらも30代の男性だ。いずれも「通勤電車で寝てはいけない!」、「残業はするな」という本の路線の延長線上の出版企画の相談だ。私には20年以上にわたる大企業でのビジネスマン経験があるので、本を書く場合のテーマとして、若いビジネスマンの仕事と人生に対して、リアリティのあるアドバイザーという役割を意識している。ビジネスの現場では自信を失った管理職と上司との付き合いを敬遠する若者という構図があり、若い人には的確なアドバイスをしてくれる存在が少ないように思うからだ。若い頃、ビジネス本に随分とお世話になって救われたことも多い。その御礼の意味でこういった分野の本も書き続けていきたい。1時間ほどの話し合いの中で、編集者の希望と私の意向(新しい分野や新しい切り口)が合致した企画が姿を現した。どちらも面白いものになる可能性がでてきた。こういった企画の段階では、やはり直接会ってやりとりをすることが大事である。15時からは、大学近くの21世紀プラザでツーベアホームという住宅メーカー主催の講演会に出かける。ゼミの教え子(2期生)のコーディネートで成立した講演である。住宅産業は裾野が広く、建築資材、電気、空調、造園など様々な業界の会社との取引がある。この業界はお客様の要求の厳しさと納期の問題があり、残業が常態化している。ツーベアホームの熊谷社長は私の「残業はするな、前業をせよ!」を読んで、そのテーマで講演依頼があったものだ。80人ほどの人が会場にいたように思う。アンケートではどんな反応があるか楽しみだ。すぐに大学にとって返して、17時から大崎市行政改革推進室の室長と課長補佐と再来週の行政改革推進委員会の打ち合わせを行う。行政改革大綱の決定、アウトソーシングの基準づくり、市民ニーズの把握の仕組みが次回の行革委のテーマだ。
2007/06/22
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高崎のホテルでの会合を終えて、新幹線の時間まで2時間近くあったのでタクシーに乗る。中年の運転手さんに行き先を告げる。「かまちはハンサムで女性に人気があります。美形でした。私と同い年です。」と言う。17歳で亡くなった山田かまちは生きていれば46歳、このくらいの年頃になっているのだなあと思いながら、運転手の盛り上がった肩や顔を眺める。「山田かまち水彩デッサン美術館」は画廊の隣にひっそりと建っていた。かまちは昭和35年生まれ。3歳の時には浜田広助の童話「あいうえお」を暗誦、5歳では怪獣を描く、8歳では25枚の小説を書く、小学校の3年生の冬休みにかまちは1時間という短い時間で36枚の動物画を描く。鳥、チータ、サンショウウオ、水牛、てんとう虫、、、。かまちは動物が好きだった。11歳、子供写生大会で藤五社長賞、カラヤンのファンになる。12歳、読書感想文「山田長政」入選、謝恩会の構成詩を作詞・作曲・ピアノ演奏。中学校では、芥川龍ノ介を好み、天体望遠鏡で冬の空を眺める。SF小説に興味。14歳、ジイド、トルストイに傾倒、SFや詩も書く。アイドル桜田淳子のファン。15歳、原始社会に憧れ絵を描く、氷室京介らとロックグループを結成。16歳高校受験に失敗し浪人、17歳高崎高校入学。そして昭和52年8月10日、高崎高校1年生の夏、山田かまちは自宅でのエレキギターの練習中に感電死する。絵、詩、音楽、天体観察と「僕には一日が24時間では足りない」という言葉が口癖のかまちのあっけない死であった。自室のベッドの下からは数百枚の水彩画とデッサン、詩と童話が発見された。 ぼくはロックシンガーになりたい ぼくはすぐれた画家になりたい ぼくはとても金持ちになるたい ぼくはすぐれた作曲家になりたい ぼくは優れた作家、作詞家になりたい ぼくは125歳以上は生きたい ぼくはしぶくかっこよくなりたい ぼくは人類を幸福にしたい ぼくはすぐれた人に愛される思想家になりたい ぼくは感動的な雄弁家になりたい ぼくはとても健康でエネルギッシュな紳士になりたい ぼくは幸福になりたい ぼくは食べたいとき食べたいものを食べたい ぼくはすばらしい美術を完成したい ぼくはダウンしたくない ぼくは高崎高校に合格して楽しくすばらしい高校生活がほしい ぼくは君がほしい! ぼくは高高に合格したい ぼくはすぐれた演奏家になりたい! ぼくはすぐれた科学者になりたい! ぼくは真理を発見したい ぼくは人々に愛される人物にならなければならない鹿麻知(かまち)という名前は、「日本歴史物語」(河出書房新書)の中に縄文時代の少年の名前として出てくる。父・山田秀一によれば、平仮名したのは後で自由に意味を持たせることができるからである。かまちこの名前が完全な父の独創でないことを残念がったが、気に入っていた。かまちは絵もいいが、言葉がいい。死の前日の絶筆。 人間の一生なんて 線香花火のように はかないものだ 朝 気持ち良く起きて ほんとうに気持ちのよい一日を過ごす。 そのためにすべてはあるのだ。 気持ちのよい食事 気持ちのよい活動 気持ちのよい愛 気持ちのよい---眠り なんのいや気のない生活 そのためにすべてはあるのだ 幸せな人 幸せな人幸せな人は あまり幸せでない人を幸せな幸せな人にする小学校からの同級生でロックバンドを組んでいた親友・氷室京介(ロックバンド「BOØWY」のボーカリスト)は次のようにメッセージを贈っている。 キース・ヘリング アンディ・ウオーホール 足早に、その生涯を 駆け抜けていった 愛すべきクリエーター達 ビンセント・ヴァン・ゴッホ エコン・シーレ ドラマティックにその一生を送ることを運命づけられた天才たち そして君も生まれながらにして選ばれた者達 だけが持つ独特な輝きを持ち合わせて いたよね せめて、あと10年、、、 あの非凡で多彩な才能を奪う事が できたら、、、、 君を思い出す度に その事をとても 残念に思います山田かまち水彩デッサン美術館には、多くの人がノートに書き付けを残している。それぞれに人が生きる勇気をもらっている。 ・ずっと昔からかまちの存在は知っていた。 ここにくるまで27歳になっていました。 ・中学生の終わり頃、あなたの存在を 知りながら、25歳になる今、やっと ここに来て、あなとのつづった詩や絵に触れています ・6年前、17歳の時、君の詩と絵、生き方を知ってすごく感化され 受験勉強を放棄して、三重県津市から ここまで野宿をしながら 自転車旅行をしました 23歳になった今、またここに来ました ・4度目の訪問です、17歳になりました ・25歳の社会人です ・19歳です。17歳の時に来たかった ・60代の定年退職者。君に負けないように「生きたい」山田かまちの文章、絵、詩、写真は、国語、社会、美術、英語などの教科書に載っていて若い人は知っている人が多いのだ。かまちが詩を書き、絵を描き続けた対象が、佐藤真弓さんである。かまちは好きでたまらなかったが、佐藤さんはとまどっていたようだ。しかし、遺作展を見て「一生涯にこんなに愛されることがあったのかと、言葉にすることができないほど感動しました」との言葉が作品集の中にあった。佐藤さんはいまでも独身だということだ。この日の訪問者は私一人だったので、館長の広瀬毅郎さんとゆっく話をする機会があった。隣に画廊を営む広瀬さんは、井上房一郎氏(美術評論家)が遺作展を開きたいので画廊を貸して欲しいとの申し出を受ける。かまちの絵と激しく短い生涯に魅了され、「宮沢賢治に似ている」と思い、かまちの絵と詩を飾るレンガ造りの小さな美術館を建てようと決心する。その3年後平成4年に美術館がオープンすることになる。「広瀬さんはいい仕事をしてしましたね」とねぎらう。山田かまちの人生の不思議な余韻にひたりながら美術館を後にした。
2006/06/03
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8月4日号の雑誌「PRESIDENT」は「孫正義の褒め方・叱り方」特集。創業30年で時価総額11兆円を企業を築き上げた孫正義の言葉の魔力の特集。社長室長の嶋聡さんからの情報もあって、購入して読んでみた。以下、周辺の人々が語る「孫正義」語録から。 今すぐ大至急。 30年なんて目の前を見ているから船酔いするんだ。すぐれた船乗りは北極星を見て航行する。(青野史寛) 男は賢いだけじゃだめ。愚直なまでに掘り下げていかんと大きくなれん。 迷ったときほど遠くを見よ。 まず登る山を決めろ。 野球のことはお任せします。とにかくやるからには日本一になって、そして世界一をめざすチームにしてほしい。望むところはその一点です。(ソフトバンクの王貞治監督) 簡単だ、簡単だ、簡単だと口出せばいいんだ。(今井康之) ソフトバンクは将来、豆腐屋が「一丁、二丁」と数えるように、「一兆、二兆」というビジネスをやる会社になる。 撤退はトップにしか決められない。(嶋聡) あまえ、頭がハゲるほど考えているのか。(川辺健太郎) 脳がちぎれるほど考えよ。 事業は大技、中技、小技から形成される。経営者は大技だけ常に考えろ。 おれは会社を運転するドライバーだ。バックミラーに映る景色はわかった。後ろはもういい。おまえはフロントガラスに前に映る景色を見せてくれ。(藤原和彦) 赤字解消の仕方を教えてやる。もっと勢いよくペダルを漕げばいいんだ。(藤原和彦) うちに来て、人事をやれ。800社を預ける。世界を変える。俺の夢に乗れ。(青野史寛) 人類史上、われわれはロボットに心を与える。-------------------------夜の会食の前に少し時間があったので、六本木ミッドタウンのサントリー美術館で「徒然草」展をみようと思ったが、残念ながら休館。ミッドタウンは「東北三大祭り」の企画をやっていた。ねぶたを飾ってあった。f:id:k-hisatune:20140723152536j:image喫茶で休憩。左隣は60代と70代の二人。退職した同じ会社の先輩と後輩らしい。会社時代の思い出を語り合っている。右隣は30前後の若い3人組。ビッグデータのプロジェクトについての企画会議のよう。時代の動きを感じる。------------------------夜は日産自動車の技術幹部だった弟が退職したので、新宿の京王プラザホテル「かがり」でご苦労さん会。ホテルを歩いていたら「兄ちゃん」と声をかけられた。久しぶりに二人でいろいろと話ができた。一緒に、九州の母に電話。千葉の妹にも電話をしたのだが、通じない。メールで「今。フィレンツェ」だそうだ。f:id:k-hisatune:20140723192448j:image■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140723 | 編集大学にて。 学生課・武井さん。被災者奨学金。 教務課・杉本さん。学部運営委員会議事録。 教務課・水嶋課長。 大森学生委員長。学生案件の詳細報告を受ける。 クラーク記念国際高校の高校生たちのキャンパス見学(片瀬先生引率)に遭遇したので挨拶。 ゼミ生の面倒を見て貰っているハローワークの大和さん来訪。JAL時代の同僚。 f:id:k-hisatune:20140723125833j:image 今泉・志賀・豊田・彩藤先生たちの大学院ビジネスICTコースの会議に割り込み。 f:id:k-hisatune:20140723132022j:image 大森映子先生から対馬についての情報をいただく。来訪者累計本日昨日
2014/07/23
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呉濁流の小品「陳大人」と「ポツダム科長」を読了。副題は「苦悩する台湾の民」。f:id:k-hisatune:20140526085533j:image両作品ともに、日本の植民地統治下における被害者としての台湾民衆の姿を描いている。加害者は日本というよりも、同じ民族である中国人の寄生者による被害である。いずれもあくどい買弁、寄生者、手先を生むにいたる植民地機構に対する告発となっている。「陳大人」は、傍若無人に振舞った巡査補の絶頂から没落までの物語。「ポツダム科長」は、大陸からきた汚職官吏が逮捕されるまでの物語。植民地体制は、その下に置かれた人間関係をいかに歪めるかを教えてくれる。著者の呉濁流は1900年台湾生れ。台北師範を卒業後、21年間にわたり各地の公学校で教員をする。1940年、日本人教員の台湾人教員に対するいわれなき差別に憤り教壇を去る。その後、新聞記者となるが、小説を書くようになった。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140525 | 編集 9時:役員室で打ち合わせ 10時:後援会役員会:学部長と常任理事の立場で出席。 学部長挨拶では、多摩大の戦略や育てる人材像の説明と、2014年5月現在の就職などの現状を説明。 2013年度の決算と2014年度の予算を承認いただく。 オープンキャンパス:運営自体は、雰囲気良く、高校生に対して親しみやすいアットホームなものになっているが、保護者同伴者を少なく集客は目標数に届かなかった。f:id:k-hisatune:20140525135239j:image 小林入試委員長の学部学科説明:資料も的確で学部の全体像がよくわかる説明だった。高い実質内定率のPRと大学ランキングの東京・経営への絞込みをアドバイスする。f:id:k-hisatune:20140525132948j:image 模擬授業:地域ビジネスは梅沢先生。楽しそうなゼミの様子・やさしい・やわらかい雰囲気。グローバルビジネスは浜田先生。ディズニーランド・シーがテーマで楽しくわかりやすい講義。ビジネスICTは大森先生。人間のき記憶・錯覚などの面白い話題。3つの模擬講義を連続して行うのはいいと思う。f:id:k-hisatune:20140525140709j:imagef:id:k-hisatune:20140525142022j:imagef:id:k-hisatune:20140525150826j:image 出原先生のITを使った魚を救う体験コーナーも面白い。 アリーナでのフットサル部の練習試合は迫力があり、学内の活気を示ししていた。次回はドッジボール。この組み合わせはいい。 久恒ゼミの「桜ぽろぼろん」の試食コーナーを初めて設置。初めてなので準備が不足していたところもあるが、評判はよかった。f:id:k-hisatune:20140526072701j:image来訪者累計本日昨日
2014/05/25
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リレー講座の講師をつとめる。3回目。今回のテーマは「鳥瞰図説 日本と中・韓・台・朝の歴史教科書にみる東アジア近代史の位相」。準備した資料が膨大なため、1時間15分という持ち時間の中で時間配分がうまくいくかどうか懸念があったが、予定通りぴったりと終わることができた。内容的にも自分としては満足のいく講演となった。夜はみえていた八木さんと本日の講演を肴に食事。以下、概要。-----------------------------鳥瞰図説 日本と中・韓・台・朝の歴史教科書にみる東アジア近代史の位相◎リレー講座:7年目:歴史意識と現代世界! ○リレー講座3回目:図解という方法・グローバル人材・アジア近代史○戦後世代としての歴史認識の形成という生涯のテーマが浮上! 文明の生態史観・司馬史観・世界の名著・人物記念館の旅 図解日本史(1405発刊)・寺島史観との並走。中国・シンガポール・台湾の旅と読書 6年間のリレー講座の成果の発表という意味で話。学びの発表。 小泉総理時代の日中韓関係―留学生(中韓)と日本人との激論と納得・合意体験 2014年:中韓台朝の歴史教科書の図解化へ取り組んだ(春・夏)1:図解・日本史概観 (図解日本史)2013年:JMAMグローバルリーダー論=アジア・図解・真日本人2014年:図解日本史を出(14年5月)出版―大陸と半島との緊張関係?政権の変遷史(特に東アジアとの関係史中心に)を解説古代から:邪馬台国・大和政権・飛鳥白鳳・摂関政治・蒙古襲来・室町幕府・江戸幕府・鎖国・開国和親・士族と農民の抵抗・日清戦争・韓国併合と満州経営・第一次大戦・協調外交のゆきづまり・国際連盟脱退・日中戦争・大東亜共栄圏・敗戦まで。 現代史:戦後昭和史・朝鮮戦争・国交正常化・政権交代(民主・安倍)。2:図解・東アジアの対日史 歴史教科書にみる東アジアからみた日本を図解で解説中国:古代(倭・隋唐・元寇・和寇のみ)近代史(抗日一色) 中学・高校教科書の記述から抜粋:考えてみよう台湾:台湾史の重視へ。日本統治の功罪。華僑史の重視。韓国:古代・中世・近代史(抗日・併合・文化・光復・分断) 中学・高校教科書の記述から抜粋北朝鮮(小学中学翻訳・在日朝鮮人学校教科書)●空白(日韓・日中交流史)・韓半島:遣新羅使(7C-9C)と朝鮮通信使(江戸時代):忘れられた・中国大陸:辛亥革命とそれを支えた日本人が日中の歴史に埋没 孫文:宮崎滔天・梅屋庄吉・頭山満・犬養毅・渋沢栄一、、。 魯迅:内山完造3:図解・東アジア近代の事件史 南京大虐殺(日本・中国・台湾)毒ガス・細菌戦・生体実験(日本・中国・台湾)従軍慰安婦(日本・韓国)東京裁判(中・韓・朝?))ゼミの留学生の激論(日中韓)-図解の議論-互いに知らない事が多い―相対化!4:図解・近代世界の誕生と日本○近代・17世紀オランダ論:図?:世界覇権の推移と近代への目覚め・17世紀オランダ論:図?:江戸時代:近世:近代への鳴動○グローバルヒストリー=図解という方法の可能性5:現代日本とアジア・世界:2030年を展望○21世紀のアジア:大中華圏を中心とするアジア:図解○資本主義の終焉:水野和夫:海の時代から陸の時代へ。資本主義と民主主義。2030年代初頭まで資源高騰・世界デフレ・中国バブルで世界恐慌。アンチ近代。○2030年の日本:メガトレンドとシナリオ。データで日本。29歳の古市の2040年○梅棹生態史観:第一地域と第二地域。日本と西欧。日本はアジアではない。○川勝海洋史観:海洋時代と内陸時代の交代の歴史。陸地史観と海洋史観。○イーオリョン:縮み志向の日本人:内と外。縮み志向と拡がり志向。鬼と一寸法師。○学術会議「歴史基礎」:日本史と世界史の総合。近隣の近現代史重視。質問形式○世界の枠組み(EU・NAFTA、ASEAN、、)の構造変化:国民国家が引き裂かれ 統合:地域主義。(RCEP/APEC/TPP) ・ アジア太平洋地域における地域統合 分裂:民族主義。イギリス、スペイン、中国(55民族1.6億人))、日本(琉球史) ・アジアの分離・独立運動 中国:チベット・東トルキスタン・内モンゴル・香港 日本:琉球:尚王朝・島津侵入(1609)・琉球処分(1879)・ 沖縄戦(1945)・本土復帰(1972)6:戦後世代としての歴史観の形成 =生涯のテーマが形となって浮上 講義:リレー講座の継続受講文献:日本思想史--日本とは何か(神道・儒教・仏教+欧米)フィールドワーク:生態史観の旅(40カ国)―アジアユーラシアの旅へ。 人物記念館の旅(日本+東アジア)650館から1000館へ。・武器=図解:自前の歴史観の構築 日本とは何か?日本人とは誰か?自分とは何者か?---------------------■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」141120 | 編集 今泉先生・金先生 宮地事務局長 川手課長・水嶋課長 リレー講座で講演 ゼミ:キャリアの徳嶋さんと3年生の面談2人。これで全員が終了。
2014/11/20
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