ヒヤシンス*朝カフェ:感動したことは必ず人に話す☆人間は一番近くにあるものに影響を受ける

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2006年06月19日
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35歳で、依頼された「レクイエム」を作曲途中生涯を閉じる。それが自身への鎮魂歌ともなってしまった。その時期は精神的にも悩み苦しんでいた。そのような冬のような旋律。一年前から奥さんも病にかかり、モーツァルトの側を離れていた。孤独な最期を遂げる。・・うまく行かない時とは、すべてが絡み合い重なり合う。経済、愛情、病気、精神的鬱積など。


誰もが、初めて好きになるモーツァルトの曲は、春のような楽しいメロディだと思う。私はそう。人の生涯のBGMに流れる旋律は、春夏秋冬の色合いとメロディがあるように思えてきた。限られた時間内に今を生きているのだと思った。ならば、楽しんで、臨むしかない。究極的に、行き詰まりや壁にぶつかったら、深刻な呼吸をしても、何もはじまらないのだから。


「楽しんでいこう!」パッと明るい気持ちになった。わだかまりや、チリや、ホコリや、細かいことをアレコレ考えないで、楽しく臨みたい。そのような物事を行う上での原点に帰させられる思いになる。NHKで放送されるモーツァルトの番組が目に入ると、しなければならない用事を置いといて、見入ってしまう。何か、潤いある糧を頂けそうな気がするのだと思う。


若き指揮者の、指揮する手、からだのしなるような動き、呼吸に、その創られたものの魂の旋律が流れているような気がした。その解説する語りの中で、「演奏していて、モーツァルトは神の子なのだなと思った・・。今も、天にいらっしゃるのでしょうから・・。見られている・・という気持ちで指揮しないと~」など。スピリチュアルな観点から意識され、捉えられるとは・・。


指揮者もまたシャーマンではないだろうか。合体してるよう。若き指揮者がモーツァルトの多くの楽曲を指揮し終えて「爽快感を得る」と言われる。私は、番組を見ながら、あることを考えていた。やらなければならないこと。生活の糧を得るための仕事。義務的なこと。ご利益(りやく)を得るためにへつらう、というのは、とても煩わしく、やる気がしないし、体が重い、いやいやながらだったり。


人にこう思われはしないかと人の目を意識して、行動がなめらかにいかなかったり。あせる気持ち。けれど、すべての生涯を司っている時間は私の管理下のもとにある。すべては私が責任を負うものだ。出だしの遅い亀のようなのろのろの私の歩み。人の目でなく、神の目を意識するものとなろう。人によく思われようとか、人の顔色を見て、生きたくはない。自分が納得する自分であっていれ。


午前中、仕事で神経をすり減らす。昼休み、雨でも、必ず散歩する。お日さまを浴びると再生する私。外の大気を浴びてこそ、元気が回復する。仕事が終わってNさんと待ち合わせし落ち合う。生きかえるきぶん。その日初めてのご飯を食べる。完全に復活する。・・で、あなたが本当にしたいことは何なのだ。自分に問う。計画を立てて、やるべきことを、好きなことにすりかえていきたい。


モーツァルトの作曲時間は、朝の7時~9時迄。作曲は実は、真夜中から朝方まで行われていて、朝に一気に書き上げた・・とも言われている。また、妻と世間ばなしをしながら楽器を遣わずに楽譜に書く、とは妻の証言。日中は生活の糧を得るための仕事時間をこなす。仕事を終えてまた2時間ほど作曲の時間にあてる。歴史に残した仕事は、1日に4時間の積み重ねによる作曲の数々。


ほんとうに、やるべきこととは、生活の糧を得ることとは違う。亀のようにノロマで冴えない私は、人の評価や賞賛に遠い。(かえってそれでよし)また、身近なものからの理解も得にくい。でも最低一人は理解者がいる。それをもうひとりふたりと友を得ていこう。モーツァルトも、ほんとうは35歳の続きを歩みたかったと思う。夫婦の愛をもっと深めたかっただろうとも思う。


病気や、貧困、悩みの壁、そこを耐え忍んで、生き長らえ。突破し、つぎなる続きの、成し遂げていない事柄を果たしたいという、そのような思いがなかっただろうか。私は、まだ、ほんとうの春も夏も深くは味わっていない気がする。ここまで、経過してしまったけれど・・。ここから、開かれた目を持って。ほんとうを見て、おこなっていくものになりたい。


おそらく推命学で見たなら、仮傷官のモーツァルト。芸術の神霊と天界で交わる特殊な能力を与えられていたと推察する。あたかも軽やかに音が楽譜に顕わされ、彼もまたシャーマンのような人だ。のりにのっている人、輝いている人、神の栄光の冠を被るもの。そのような人を見るもの、賞賛するものにも幸いがあるだろう。そのような人につながれるのが、何ごとにおいても早道に違いない。





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Last updated  2006年06月20日 22時19分54秒
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