「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2009.03.30
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カテゴリ: ロシア
サンクトペテルブルク一番の名所のひとつは、このデカプリスト公園にある『青銅の騎士』サンクトペテルブルクの歴史の始まりが見えてくる青銅の騎士とは?


 ロ シ ア 旅 日 記  



           早朝から・・・可愛い子供達の遠足に遭遇
青銅の騎士像.jpg
           『青銅の騎士』(せいどうのきし)は、


           馬に乗った ピヨトル大帝像の事でありますが・・・


           ロシアの文豪


           アレクサンドル プーシキンが


           1833年 『青銅の騎士』 と言う


           長編叙事詩を書いた。


           この「ピョートル大帝の騎馬像」から題材をとったもので


           この詩が有名になったため、


           騎馬像も『青銅の騎士』と呼ばれている。


           さて


          『青銅の騎士』の銅像は、


           ロシアでは、一番 最初に造られた 記念像 だそうで・・・


           造ったのは、


           女帝「エカテリーナ2世」1762年~1796年 即位


           女帝「エカテリーナ2世」と言えば・・・エルミタージュ美術館


           宮殿・冬宮の小部屋にヨーロッパから、沢山の美術品を買い集め飾った!


           これが、


           【世界3大美術館】 のひとつ


エルミタージュ美術館の始まりだそうだが・・・


           その女帝が、


           ピヨトル大帝の銅像を造ったのには、


           ピヨトル1世(1672年 即位1682年~1725年)大帝が、


           サンクトペテルブルクを首都としてつくりあげ


           当時 力が無かったロシアに


           フランス啓蒙思想をロシアに持ってきた教養人であり


           ロシアの近代化 工業化 学術 文化 芸術に力を尽くした為


           (あやかりたかった!?)


           ピヨトル大帝の騎馬像を造ったと言う


エカテリーナ様は、おフランスが お大好きで


           フランス人の家庭教師を雇う事を流行らせ


           宮殿の社交界での会話は、フランス語だったそうで・・・


           この方も


           相当 強烈で無理なお方だったと思われます。


           ピヨトル大帝と言うお方も・・・


           それは それは、凄い方だったのですが、


           話が、長~く なりますので・・・


           その面白い お方のお話は(後日・・・)

青銅の騎士像.jpg
                        『青銅の騎士』


           台座は


           とてつもなく 大きな 1枚岩


           この岩には、コダワリがある!


           「バルト海」


           を表わしたかったので・・・こんなに でっかい岩を持ってきた!


           それには、考えられない事だが・・・・


           北欧 フィンランドから


           どでかい花崗岩を 切り出し


           サンクト・ペテルブルグに運ばせた・・・


           それには、約2年間もかかったと言うから驚く!


           台座には ロシア語の文字が刻まれている


                「ピョートル1世へ

                 エカテリーナ2世より 」

                    1782年


           とある。


           この岩の反対側にも ラテン語で 同じ文が、


                 PETRO PRIMO

                 CATHARINA SECUNDA

                 MDCCLXXXII


           気になったのは、


           この馬の後ろ足で踏みつけている


           長~い ヘビ


           これは、


           北の敵国の具象化で


           バルト海の敵国をヘビに例えているのです。


           彫刻はフランスの彫刻家


           エティエンヌ モーリス ファルコネ (1716年~1791年)



           エカテリーナ2世は、


           自らが、ドイツ出身であるがゆえに


           国民に


           強かったピヨトル大帝の 後継者である事を


           この銅像を造り


           表わしたかったのかも知れない!?



最後に台座の運搬・製作にさいし 多大な犠牲者を伴った事に心から哀悼を捧げたいと思います。

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最終更新日  2009.03.30 15:44:04
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