「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2019.12.05
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​​​​​​​ルクセンブルク大公宮は、急ぎ足で歩いていると通り過ぎてしまう程の建築であります。2019年4月13日(土)ミーちゃんと2人で訪問。


​きらりの『ルクセンブルク旅日記』・・・第34回​



​【世界遺産】ルクセンブルク市の旧市街と要塞群​


​Palais Grand-Ducal ​


ルクセンブルク大公の宮殿は・・・


想像と違って(地味であります。)


実は・・・ここは、


19世紀まで「市庁舎」だった為です。


議会と宮殿が一緒になっております。

小さなお国「ルクセンブルクの歴史」は・・・


1000年以上に遡り、


大国並みの古い歴史を誇っております。


アルデンヌ地方(ルクセンブルク北部)の伯爵が


963年、今日の首都の地に小さな城塞を築いた時に始まり


その砦は・・・


リュシリンブルク
LUCILINBURG
小さな城


と呼ばれ・・・それが後の


ルクセンブルク
LUXEMBOURG



の語源となりました

ジーク・フロイトの時代には・・・


まだ「アルデンヌ伯」を名乗っており


ルクセンブルク伯爵となったのは、


1083年、彼の曽孫にあたる


5代目コンラート1世からであります。


また雪がチラホラ〜ここの衛兵は、2人で1組です。

衛兵交代もあるのですが〜まぁいいかな。


中世には・・・


ルクセンブルク家から


神聖ローマ帝国の皇帝を4人も排出し


その中には、カール4世もおりました。


彼は、ボヘミア王も兼ね


ルクセンブルク家を公爵家に昇格させました。

ルクセンブルクは・・・


その後、スペインやフランス


そしてオーストリアの支配を受け


1815年、ウィーン会議で大公国に昇格され


オランダ王ギョーム(ウィレム)1世の個人所有地となった。


1890年、オランダ王室の分家である


ドイツ系のナッサウ・ヴァイルブルク家に大公の座が移り


その後、家名を「ルクセンブルク家」と改称して今日に至る。



現在の大公宮殿は・・・


ルネサンス様式のどっしりとした建物で


土台は、13世紀に築かれました。


1890年、大公の宮殿となった。


現在は、主に「謁見場所」として使われている。



大公一家は・・・


普段ルクセンブルク市の北東20キロの


「フィッシュバッハ城」に住んいるおります。


大公閣下がいらっしゃる時は、


国旗が掲揚されているそうですが〜


今回は、見当たりませんでした。



・・・つづく・・・


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最終更新日  2019.12.05 00:10:11
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