「きらりの旅日記」

PR

カレンダー

プロフィール

ほしのきらり。

ほしのきらり。

2022.06.17
XML
パリ・ルーヴル美術館レオナルド・ダ・ヴィンチの『岩窟の聖母』について手書きハートいよいよ手書きハート

レオナルド・ダ・ヴィンチ
​​Leonardo da Vinci​​
Vinci,1452-Amboise,1519

La Vierge aux rochers

『岩窟の聖母』 1483年〜1485年​

カンヴァス(元は板)油彩

198.0cmx123cm

パリ「ルーヴル美術館」所蔵。


レオナルド・ダ・ヴィンチ
​Leonardo da Vinci​

1452年4月15日〜1519年5月2日(67歳没)

フィレンツェ共和国ヴィンチ村〜フランス王国アンボワーズ

レオナルドの功績は、鏡文字・音楽・建築・料理・美学

数学・幾何学・生理学・組織学・解剖学・美術解剖学

人体解剖学・動物解剖学・植物解剖学・博物学・動物学

植物学・鉱物学・天文学・気象学・地質学・地理学・物理学

科学・工学・流体力学・水理学・空気力学・飛行力学

飛行機の安定・航空力学・航空工学・自動車工学・材料工学

土木工学・軍事工学・潜水服などの分野に顕著な業績を残す。

【代表作】

『モナ・リザ』『最後の晩餐』『ウィトルウィウス的人体図』


1483年 4月25日 レオナルドと2人のミラノの美術家、

すなわちアンブロージオおよび

エヴァンジュリスタ・デ・プレーディスは、

その前年に彫刻家:ジャコモ・デル・マイーノによって造られ

引き渡されていた木製壁龕 (もくせいへきがん)

完全なものにするという契約を、

ミラノの無原罪の御宿り僧団との間で結んだ。


それは、

サン・フランチェスコ・デル・グランデ教会の

同僧団礼拝堂内に安置されるはずのものであった。


その契約は・・・

これらの美術家たちに、

壁龕に金箔を被せること

(この仕事は、

 エヴァンジェリスタに割り当てられるようである)

そしてこの壁龕内に

そのためにあけておかれた

空白を埋める3枚の絵を制作すると

(聖母のいる中央の祈禱用祭壇画と

 音楽を奏でる天使のいる2枚の両脇のパネル画)

を要求した。


マイーノが建造した壁龕は、

のちに破壊されてしまったが、

その息子:アンジェロ・デル・マイーノが、

造った壁龕によって、

それがどんなものだったか

およその察しがつくであろう。


大部分の批評家が・・・

ルーヴルの『岩窟の聖母』 は、

その壁龕の中央祭壇画として供するために

​全部レオナルドの手で描かれた​

といことに同意しているのに対して、

他の批評家たちは、

それがレオナルドのミラノへの出発に先立って

フィレンツェで制作されたと信じている。


彼らはこの見解の証拠として、

この絵のフィレンツェ的要素を引き合いに出している。

すなわち、

『山王礼拝』 の主要グループと同様に、

人物を上昇的な層のうちに

ピラミッド型にまとめていること、

そしてフィレンツェ市の守護聖人である

聖ヨハネの幼児姿の頭首が、

『山王礼拝』 の幼児キリストの

それに倣って形どられていることである。


しかしながら、ルーヴルの絵を

フィレンツェで制作されたとすることは、

多くの困難を生み出す。


まず背景の濃い霞が問題となる。

というのは・・・

それが作者とロンバルディアの

湿気の多い大気との親密な接触を

暗示しているように思われるからである。


それはまた、

たとえこの壁龕が

レオナルドのミラノ到着の

前年に僧団に引き渡されてとはいえ、

この絵の寸法と特殊な形状とが、

壁龕の中で、

この祭壇画に割り当てられた空白部分に

ぴったりと一致するものであったことを

前提としている。


この絵がフィレンツェで制作されたと

主張する人々は、

もしもレオナルドが

この絵を新しい状況に合うように、


つまり彼がロンバルディアに到着したあとで、

この絵に濃密な蒸気を加筆することによって

ロンバルディアの気候に合うように、


また彼の絵を

上部にアーチ状の画面を含むように

拡大することによって

壁龕内に割り当てられていた

この祭壇画の空白部分の

明らかに異なっていた形状に合うように

改作したと推測するならば、


おそらく

このジレンマから抜け出す道を見出すであろう。


事実、

この観点から、この絵に付加や加筆が

施されたらしい形跡が存在するように見える。


それは・・・

アーチ状画面の起部のすぐ上、

つまり洞窟を鋭く枠づけている岩石群と、

その上に載せられた丸味のある

より柔らかな表面感触をもつ漂石群とが

ちょうど接するところで、

この絵を水平に横切って

走る継ぎ目のように見えるものとして現れている。


不幸にして、

この「継ぎ目」の本性を突き止めることは不可能である。

というのも、

この絵は19世紀に原作の支持材であった板から

カンヴァスに移されたからであり、

この目的のために使用された不加入の接着材が、

問題の部分の適正なX線検査を妨げているからである。


(写真撮影:ほしのきらり)
​(LEONARDO DA VINCI日本語版/美術出版社より)



​​ルーヴルにぽち にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ ​​​​​ ​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.06.17 00:10:11
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: