「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.11.03
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カテゴリ: 美術館・博物館
『​​​床削り』で有名なカイユボットの写実的な絵をじっくり鑑賞してみましょうふふっ手が長くない?

ギュスターヴ・カイユボット
​Gustave Caillebotte​

『床削り』1875年

(床を削る人びと)

油彩 カンヴァス 102.0cmx147.0cm

パリ「オルセー美術館」所蔵。

第2回「印象派展」出品。


労働者階級の男性たちが、

ブルジョワ階級が住むアパルトマンの

古くなった床をカンナで削り直している。


場所はパリで、

カイユボットの隣家を描いたともいわれる。

床には削られたあとが、

縦縞の線となってあらわれている。


床削り職人は酒を飲みながら、

この辛い仕事をこなしているのだろう。

画面右には、

瓶とワインの入ったコップが置かれている。


作品全体は、

比較的暗い色調で仕上げられている。

伝統的な要素が認められるものの、

ドガのように、

極端に強調された遠近法を用いて、

入念に構成されている。


この作品は、

1875年のサロンに落選し、

第2回「印象派展」に出品された。

批評家たちは、

「奇妙」であり、

「あまりにも独創的」な構図に注目しつつ、

描き方の力強さを称賛した。


​カイユボット・・・とは?​

ギュスターヴ・カイユボット
​Gustave Caillebotte​

(1848年8月19日〜1894年2月21日(45歳没)

フランスの画家、絵画収集家。

写実主義、印象派。

印象派展に経済的・精神的に貢献した。

印象派の絵画を多く蒐集し、

没後にその遺言状により国家に寄贈し、

リュクサンブールから、ルーヴル美術館、

現在のオルセー美術館の印象派コレクションとなる。


​【カイユボットのプロフィール】​

性格= 人柄はよかったのですが、

 怒りっぽくて短気でもありました。

 ちなみに読書家でした。

家族構成= 生涯独身でしたが、

 亡くなる前の約10年間には、

 伴侶と呼べるような女性がいました。

 その女性は、シャルロット・ベルティエです。

よく使うモティーフ= 自分の趣味でもあったヨットをはじめ、

 スポーツをする男性を描くのが好きでした。

よく行く場所= パリやその近郊。

交流があった文化人= 作家:エミール・ゾラは、

「誠実な芸術家」と好意的に評価してくれた。

 批評家:ギュスターヴ・ジェフロアとも親しかった。

尊敬する芸術家= 印象派の画家たちを支え、

 世の中に認めてもらうことに専念していました。



裕福な暮らしを送っていたカイユボットは、

アカデミックな画家:レオン・ボナに師事し、

伝統的な絵画教育を受けた。 

その後、

師匠:ボナの友人であった

ドガと知り合い、

ドガを通じてモネやルノワールを紹介された。


第1回「印象派展」の開催された年、

保守的なブルジョワで息子が

アカデミーの画家になることを望んでいた

父親が亡くなり、

膨大な遺産を得ることができた。


父の束縛から逃れたカイユボットは、

それまで続けていたサロンへの出品を取りやめ、

印象派展に全力投球する。


彼は、

裕福だったために作品を売る必要もなく、

独自の画風を確立することができた。


カイユボットは、

極端に遠近法を強調した構図を用いて、

スポーツなどをする男性の姿を取り上げた。


​【カイユボットの年譜と作品】​

1848年8月19日(0歳) 繊維織物商を営む

 パリの大ブルジョワの家に生まれる。

1872年(24歳) アカデムスムの画家:レオン・ボナに師事。

 父とともにイタリアを旅行する。

1873年(25歳) エコール・デ・ボザール(官立美術学校)入学。

第2回「印象派展」出品。

1875年「床削り」

第2回「印象派展」出品。

1875年「窓辺の若い男」

1876年(28歳) 自分の死後にコレクションを国家に遺贈する

 という遺言を作成する。

第2回「印象派展」出品。

1876年「ピアノを弾く若い男」

1882年(34歳) 生活の場をセーヌ川沿いの町、

 プティ・ジェヌヴィリエに移す。

1885年(37歳) ルノワールの長男:ピエールの名付け親になる。

第3回「印象派展」出品。

1876年「ヨーロッパ橋」

第3回「印象派展」出品。

1877年「パリの通り、雨」

第4回「印象派展」出品。

1877年「ボート漕ぎ」

第4回「印象派展」出品。

1878年「屋根の眺め(雪の効果)」


​1883年「アンリ・コルディエの肖像」

1888年(40歳)
プティ・ジュヌヴエリエに家とアトリエを購入。

 ルノワールがしばしばここを訪れる。



1888年頃「アルジャントゥイユのヨット」



1892年「干した洗濯物」

1894年2月21日(45歳) プティ・ジェヌヴィリエにて死去。


(参考文献:東京美術/印象派絵画の見かたより)
(写真撮影:ほしのきらり)

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最終更新日  2022.11.03 00:10:11
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