「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.11.09
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カテゴリ: 美術館・博物館
点描画法と言えばジョルジュ・スーラとは知っていても彼は、どんな人だったのでしょうか?

ジョルジュ・スーラ
​Georges Seurat​

『シャイユ踊り』 1889年〜1890年​

油彩 カンヴァス 171.5cmx140.5cm

オッテルロー「クレラー・ミュラー美術館」所蔵。


芸術とは、調和である。

調和とは、

「明暗と調子」

「色合い」

「線」の相反するものどうしの類似性であり、

相似するものどうしの類似性である。

​(ジョルジュ・スーラ)​



『サーカス』1891年


ジョルジュ・スーラ
​Georges Seurat​

1859年12月2日〜1891年3月29日(31歳没)

19世紀フランスの新印象派の画家。

点描技法の創始者。


​【スーラのプロフィール】​

比較的裕福な家庭に生まれる。

両親の理解を得られたため、

生涯、経済的な苦労は一切なく、画業に励めた。

無口な完璧主義者でした。

デパートの店員のようなきっちりした身なり。

ビロードのような目。

けっこう〜イケメンだった。

内気・無口・頑固。

秘密主義。

昼寝を忘れて仕事に没頭する。

一人でいるのが好きだけど、

サーカスのような賑やかなところも好き。

パリ近郊の行楽地へ行きましたし、

夏は、ノルマンディ地方で過ごした。

親友は、シニャック。

結婚は、しませんでしたが(実は息子がいた)。

1年間の兵役中、海のきらめきをずっと観察。

同世代の人たちを描くことが好きでした。

近代的なモティーフに興味がありましたので、

エッフェル塔も一番に描きました。

アンデパンダン展 (会費さえ払えば誰でも参加できる) の開催に尽力。



​【スーラの年譜】​

1859年12月2日(0歳) ​​​裁判官書記の父のもと

 パリに生まれる。

1875年(16歳) 市立デッサン学校に通う。

1876年(17歳) 友人と共にアトリエを借りる。

1877年(18歳) エコール・デ・ボザール受験準備のため、

 石膏デッサンを多数描く。

1878年(19歳) エコール・デ・ボザールに入学。

 アングルの弟子:アンリ・レーマンのアトリエに所属。

 図書館で、多くの本を読む。

1879年(20歳) 志願し兵役につきブレストに1年間滞在。

1880年(21歳) 約1年間、ひたすらコンテによるデッサンに打ち込む。

1883年(24歳) 『アニエールの水浴』 がサロン落選。


1884年(25歳) 初のアンデパンダン展に 『アニエールの水浴』 出品。

 シニャックと知り合う。

1885年(26歳) ​『グランド・ジャット島の日曜日の午後』​ 制作。

 ピサロを紹介される。

1886年(27歳) 第8回・印象派展に出品。

1890年(31歳) 恋人:マドレーヌ・ノプロックが長男を出産。

 役所に認知の届け出。

1891年(31歳)3月、 第8回アンデパンダン展に未完の

『サーカス』 を出品。展示作業中、風邪が悪化。

 咽頭炎になり、9日後、

3月29日(享年31歳)死去。

 死後、恋人と息子の存在が明らかになる。

 息子も同じ病気で2週間後に死亡。



スーラは・・・

アメリカ人物理学者:オグデン・ニコラス・ルードや、

フランス人科学者:ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールによる

色彩と化学理論に関心を持ち、

自らも点描技法を考案した。



これは、

明るい色彩の絵の具を色の斑点にわけて描く技法である。

色斑であらわされた色彩は、

観る者の網膜上で混ぜ合わされるという

「視覚混合」の原理を絵画に適用した。

点描技法で製作された大作

『グランド・ジャット島の日曜日の午後』

27歳のときに参加した第8回印象派展に出品。

賛否両論を呼んだ。


この新たな技法を用いた画家たちは、

「新印象派」と呼ばれたものの、

スーラは、自ら「光彩主義」と称した。


スーラのとって重要だったのは、

色彩によっていかにして光を表現するかだった。



スーラは・・・

光を描きとめようとした印象派の絵画に、

化学的な理論を適用した。


現代生活という画題は、

印象派の画家たちと共通するものだったが、

その制作の方法は、

アカデミックな教育にもとづいていた。


スーラは、

作品を描くための準備習作を多数残している。

そこでは登場人物のうちの数人や

背景の風景がくりかえされたり、

ときには小さなカンヴァスで、

画面全体の構図を試みたエスキスも描いている。


さまざまな準備と緻密な計算や理論のもと、

作品は最終的にはアトリエのなかで完成された。


スーラが全力を傾けたのは、

大型画面の作品であり、

いずれの場合も静けさに満ちた

モニュメンタルなものとなっている。


このような点からみると、

スーラは、印象派を超えながらも、

伝統的に忠実な画家だったといえる。


(参考文献:東京美術/印象派絵画の見かたより)
(写真撮影:ほしのきらり)

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最終更新日  2022.11.09 12:40:05
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