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「みどりご」・生を受け みどりごは眠る安らけく 窓にライラック揺るる春日に・含(ふふ)まむと 含(ふふ)ませむとて あぐみ合ふ 誇るがに張る乳房まぶしき・おぼつかなき母の腕(かひな)で乳求め みどりごは泣く身をふるはせて新米ママに生まれたばかりの赤ちゃん、おっぱいを飲むのも、飲ませるのも一苦労。それでも やがてどちらとも逞しく成長する。微笑ましい光景。赤ちゃんポストなるものが出現しようとしている。何を考えているのか、浅知恵としか言いようがない。一流紙といわれる新聞大手の「余禄」にさえ、赤ちゃんの人命を尊ぶ・・云々のくだり。何とも情けない限り。対症療法に過ぎない。風邪を引けば風邪薬、頭痛がすれば鎮痛剤、の類と同じ。生命は尊い。守らなければならない。しかし、母親としての義務はどうなるのか、厳粛な生命の誕生にかかわった責任と義務。何よりも、誕生した子供への責任と義務は計り知れない。どんな事情ががあるにせよ、親としての責任を全うすべきもの。母親に限らず、それは父親にも当てはまる。事情を明かせない、明かしたくない、などとのたまう親を決して甘やかせてはならない。子供の命を救済するという心地よく響く言葉の下に、そんな無責任な風潮を社会に根付かせてはならない。何処の誰の子供か判らなく成長していく子供のことを考えれば当然のこと。私には、とても理解することは出来ない。法律的には問題がない、とのお役所の見解だが、法律だけで判断を下すなど・・もう、この国は、救いようのない所まで落ちてしまっているのかも知れない。無茶苦茶・・悲しい限りだ。赤ちゃんポストなど、手紙や物じゃあるまいし、是非もない。どうしても育てられない親のために、受け入れ窓口を作って親子を救済すればいい。押し付けがましい道徳感で縛っている離婚後300日以内の赤ちゃんを前夫の子としている現行の法律。法律で決められているものにも如何に不都合なものがあるか・・顕著な例でもあろう。私は、一歩も譲らない。
2007年03月01日
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天が裂け地が割れて・・世界の各地で異常気象。世界の各地で起きる風害・水害・・・・ets地震に津波。今度は大国アメリカでもハリケ-ンが襲い、日本各地で台風が暴れる。お天道様、お怒りになっていらしゃるのですか?もしかしたら、そうではないかと・・私は、ついついそう思ってしまいます。頑張っている皆さんのために、災害にあわれた方達に、心からお見舞い申し上げます。
2005年09月06日
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今日二つ目の日記、続編でもある。それにしても、昨日は、驚きと共に、失望と怒りが入り混じった複雑な思いが込み上げてくることもあった。それは、高校球児が集い、甲子園大会が開催された昨日、原爆投下時刻の黙祷を提案しようとしたが拒否され、広島代表の高陽東高校生徒だけが列から外れて黙祷を行ったというのである。「被爆地の高校生として、ピカドンで亡くなられた多くの人々の冥福を祈り、二度と過ちを繰り返さないことを誓います」と宣言して他の生徒たちにも、1分間の黙祷を呼びかけるよう考えていたらしい。しかし、居合わせた高野連関係者は、「原爆は広島だけのこと。みんなを巻き込むのは良くない」と制したらしい。また、日本高野連の田名部和裕参事は「広島のことも長崎のことも含めて、大会行事として(終戦記念日の)8月15日正午に黙とうしており、原爆の日の黙とうを全体の行事とするわけにはいかない。きょうの黙とうは1校でやるものと思って許可した」と話したそうである。(8月6日毎日新聞夕刊)この感覚に驚き、失望と哀しさとが入り混じり、新聞を読んでからというもの、複雑な思いにかられる。喫煙・暴力など不祥事には敏感で連帯責任を取らせて出場を辞退させる。その高野連が、こともあろうに、「原爆は広島だけのこと」とは何たることだろうか。次の言葉を、高野連のお偉方はどう受け止めるているのだろうか。もう一度よく噛締めて読んで欲しいと思う。「今日、我々はすべて「被爆者」です。私は、あなたがたすべてと一緒に、世界平和への祈りを捧げたいと思います。」昨日披露された国連アナン事務総長の言葉が、さらに輝きを増す。また、母親の妊娠早期の近距離被爆が原因で、原爆小頭症患者は、頭が小さくなり、知能や身体に複合的な障害を背負った女性は実名を公表して、社会の理解は不十分で、陰口を叩かれ、いじめにあい・・幸せ 一度もなかった、と語る。哀しいかな、これも日本なのである。被爆国の国民にしてこれでは・・人の苦しみや哀しみには鈍感で、むしろ自分に及ばなかったことに安堵する者の多くは、当事者への思いやりに欠ける人が多い。他人の痛みに共感でき、他への心遣いが出来るようになって初めて真の大人なのだ、と私は思う。熱い想いも、強い決意も希薄な、目先の政局に心を使い果たしているのか昨日の、小泉首相のありきたりの挨拶と共に、この国の将来を憂うるに足るニュースであった。核廃絶も、世界平和への道も、益々以って前途多難である。世界に核兵器を保有する国は存在し、それを使用しないという保証もない。いつになったら、いつになったら、人はその愚かさに気付くのだろうか。
2005年08月07日
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夏から秋にかけて、台風が決まって日本列島を襲う。台風襲来の多い沖縄や九州地方の方には、頻繁に訪れる招かれざる客をいつも気の毒に思う。私の育った四国地方も比較的台風の襲来は多い。台風情報が出ると、それに具えてそれぞれ準備したものである。まず、女は、水を汲み置き、停電に備えて懐中電灯と蝋燭を用意し、お米を研いでご飯を炊いておにぎりを作る。男は戸外で、瓦が飛散しないよう屋根に上って点検し、入り口や窓の戸が飛んだり割れたりしないように、板や棒を打ちつける。庭に水の流れ易い様に溝を掘ることもある。そして、それらが終ると部屋に集まり、決まって地図を広げる。コンパス・分度器・定規を取り出して、ラジオの予報にそって台風の進路を書き込む。初めは父が中心になってしていたが、その後、姉や私も進路図を描けるようになった。台風が近づくと気圧が下がる。気圧が下がると・・と生きた理科の学習も出来た。そんな訳で、台風が来るのは恐いけれど、何となくうきうきするところもあった。その後テレビが普及してからは、自分達で進路図を描く必要もなくなり、何か物足りない気がしていた。今では、気象衛星から送られてきた映像を流し、科学的な緻密な計算の上で予想する。予報と異なることもあるが、殆どは外れることなく見事に的中する。当たり前といいながらも、全く以って驚きである。が、家族総出で台風に立ち向かっていった、いや、台風に備えていた子供の頃が懐かしい気もするが、そんな感傷に浸るのは不謹慎であろうか。甚大な被害の及ぶことも多く、自然を侮っていては、大きなしっぺ返しを受けることにも繋がる。「災害は忘れた頃にやってくる」「具えあれば憂いなし」であろう。※大型台風接近中! 皆様くれぐれもご注意ください。
2005年07月26日
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郵政民営化国民に真意を問うために解散をとの声が出ている。何かといえば、解散・選挙と騒ぐ。全く永田町のセンセイたちの気持ちは理解できない。国民に真意を問う、といえば体裁はいい。でも、待って戴きたい。選挙にかかる費用を誰がどこから出すの?立候補者に支払われる法定選挙費用の総額は・・その他の経費を加えれば、莫大な出費になると思う。・・・・・・・・・郵政だけじゃない。国営の時代は過ぎましたよ。世襲の特定郵便局も不要でしょう。企業に任せた方がいいに決まっています。JRだって大騒ぎしましたけれど、企業努力が実って運営されているではありませんか。国鉄時代よりも、ずっときめ細かなサービスとなり、私達はまあまあ快適な旅を楽しんでいますよ。ヤマト便で、メール便で、どうして信書を送れないのですか?宅急便でどうしてお金を送れないのですか?利用者に選ぶ自由を与えてくれればいいのに。・・・・・・・・・・・・・・不可解千万。荷物宅配では、宅急便に絶大な人気と信用がある。大事な物は宅急便で、が常識。遅れてゆうパックができ、ゆうパックの再配達のサービスも料金もヤマトさんを意識した設定。みんなヤマトさんの真似ばかり。そう思いません?
2005年07月21日
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このほど文化庁から、「国語世論調査」をもとに、中高年ほど慣用句を誤用していると発表された。自分ももしや、と思わなくもないが。確かに近年、言葉の乱れも目に余るものがあり、時代と共に変化するものだとは言われながらも、このまま行くとどうなるのか、とひとり危惧を覚える。先の発表によれば、「青田買い」を「青田刈り」に、「汚名返上」を「汚名挽回」に、「伝家の宝刀を抜く」を「天下の宝刀を抜く」に、「他山の石」は、「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」の誤答が、「他人の誤まった言行を自分の行いの参考にする」を上回った。「枯れ木も山のにぎわい」は、単純に「人が集まればにぎやかになる」の誤答になり、「つまらないものでも無いよりはまし」の正答を若干上回り、「世間ずれ」では、「世の中の考えから外れている」との誤答が32.4%もあるのには全くもって驚きである。しかも、その誤答率が中高年に行くほど高いといわれて、不思議に思われる人も多いだろうが、日頃から、そういう類の誤用や言葉遣いを頻繁に耳にしているから、むしろ、やはりそうだったか、と納得する。若い年代の中にも勿論 無知で誤用する者も多いが、年長者が誤用するのだから致し方のないことでもある。最近は、学校の授業で取り扱うことも多くなったようだから、知識として習得した若者の正答率が上がったのだろうと思う。二十代位の若い女性から、「ご苦労様でした」といわれて驚いたけれど、もうそんなことは日常茶飯事だった。「お疲れさまでした」と声を掛けて帰る人が増えただけまだまし、高校生でさえ、明るく元気にみんな揃って声を掛けてくれる。「おつかれさまでした~」ある日、たまりかねて、「ありがとう は?」と笑顔で催促してみると、またまた爽やかに「ありがとうございました~」と返って来た。そこで、「ご苦労さま」「お疲れさま」について説明。自分がお世話になった時には、「お疲れさま」の労いの言葉よりも、「有難うございました」の、感謝の言葉の方が相応しい、と説く。以来、両方の言葉で送ってくれるようになり、気分良く帰途につけるようになった。が、問題は中高年である。敬語と丁寧語の誤まった混用が多くみられ、謙譲語の使い分けも余りできていないように感じられる。丁寧な言い方だと思っていることが、実は、相手にとっては、逆の作用をしていることに気付いていない場合が多々あるのである。時代と共に「言葉」は変化するものではあるけれど、その場に相応しい言葉を使い分けられることの方がいい。仲間同士のカジュアルなお喋りの場でなら問題はないだろうが、仕事やプライベートにかかわらず、きちんとした場所では、顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまうことにもなり、責任ある仕事は回ってこないようになる、と思う。言葉の使い方ひとつでも、会社やその人の信用を左右することにも繋がる、そう思うのは行き過ぎだろうか
2005年07月16日
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国交正常化40周年を記念して実現した6月20日の日韓首脳会談。ここでは、政治的なことを棚上げして書かせて戴く。ニュース番組でほんの一部を垣間見たに過ぎないが、小泉首相が左手をテーブルについたまま握手した。勿論、盧武鉉大統領は真っ直ぐ立たったままである。テーブルを挟んでいたとはいえ、手をついて握手するなど、私にはとても考えられないことである。小泉首相のその無作法を恥ずかしく思った。同じような思いを抱かれた方がいたかどうかは解らないが、少なくとも、礼節を重んじる韓国の人達の中には、不快感を抱いた人もいたのではないかと思う。国際的な場面に於て、ましてや、相手は国のトップの大統領である。どう考えても私は不思議に思われてならなかった。そして再び、二人がソウルの青瓦台(大統領官邸)の庭を歩きながら談笑しているときも、歩きながら何を話しているのか、小泉首相は大統領の腰の部分を軽く触れた。親しいもの同士にあってはよくある光景である。しかし、こちらも相手は大統領である。ゴルフをしているときでもなければ、お酒をのみながら談笑している時でもない。余りにも軽々しい、軽がるし過ぎる所作は不似合いであり、盧武鉉大統領とは対照的であった。首相は、親しみの深さを表現しようとしたのであったかもしれない。しかし、そんなことをしなくても、もっとスマートに親しみを表現できなければ、一国の首相は務まるまい。いびつになった外交を今後どう展開していくのか、明るい展望も開けていないこの時期、相手は重陽を重んじ、礼節をわきまえる韓国の大統領である。韓国の国民感情はどうであったか知る由もないが。今の日本人は、フォーマルな時にもフォーマルを装えなくなった人が多い。洋服や靴のことだけではない。言葉も、身のこなしも、殆どすべて世はカジュアルと化した。今の日本の、日本人の軽さをそのまま露呈したような、そんな首相であった。はたして、これが他の国のトップとの会談であったらどうだろうか。穿った物の見方をするようだが、フランスの大統領であったら・・エリザベス女王には握手など出来よう筈もないことだし、さすがの小泉首相であっても、こんな無作法はしないだろう。そこには、やはり、潜在的に、相手を見下げるような、不遜な思いが感じられてならない。人の言葉や行動は、その人の潜在意識によって少なからず左右される。小泉首相ならずとも、日本の政治家達の中には、そういう思いが未だ残っているようにも思える。それが、アジアの隣国との関係にゆがみを生じさせてはいないだろうか。相手の真剣な言葉にも、抽象的な言葉で返すだけ。外交の駆け引きかどうかは解らないが、そんなもので解決するほど、今の日韓問題は簡単なものではないだろう。韓国国民ならずとも、日本人の私でさえ、不快感はつのるのである。
2005年06月22日
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毎日新聞6月20日付朝刊掲載記事から(含引用)。広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の元航法士、セオドア・バン・カークさんは毎日新聞の単独会見に応じた。彼は、オークリッジで開催されたマンハッタン・プロジェクト(原爆開発計画)60周年記念行事に招待されている。エノラ・ゲイの乗組員の現在の生存者は、12名のうち3名。毎日新聞によれば、核兵器廃絶が理想だ、といいながらも、カークさんは、「原爆は終戦を早め、多くの命を救った」と述べている。原爆投下の瞬間の気持ちは?→うまくいった、よかった、と思った。作戦は成功だ。マンハッタン・プロジェクト(原爆開発計画)全体も成功だと思った。 これで戦争が終結する、少なくとも終戦が早まると思った。 5年間の従軍で、戦いに疲れきっていた。家に帰りたかった。 我々はみなプロの兵士集団というより、むしろ軍服を着た民間人だった。60年たって、同じ気持ちか?→全く同じだ。原爆投下は必要なかったのでは?→原爆投下前の段階で、日本の生産能力の85%は破壊されていた。論理的な人間ならずっと前の段階で降伏していたはずだが、日本は最後まで戦うと主張し続け、多くの人々が連日死んでいた。日本本土への侵攻作戦が実施されていたら、もっと犠牲は増えた。私は真実を知っている。原爆は戦争終結を早め、多くの命を救った。疑いの余地はない。核兵器についてどう思うか?→核兵器は廃絶されるべきだと思う。誰もが核兵器を持っていない状態が最も理想だと思うが、もし他国が核を持っていたら、米国はそれより一つ多くの核を持っているべきなのだ。戦後50年の1995年、ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館でエノラ・ゲイの展示をめぐり、激しい論争が起きた。悲惨な被爆者の遺品を排除しての展覧会になったことは、私達の記憶にも強く残る。米国では、投下を正当化する「原爆神話」が根強く存在する。ジョージ・ブッシュ元大統領、クリントン前大統領も、日本に謝罪する必要はない、と明言。原爆を正当化している。原爆開発に携わった科学者は、当時、甚大な被害を懸念して無人島での実験や日本への事前通告を提言したが、陸軍長官によって無視されたらしい。皆さんはどう思われるだろうか。日本にふたつもの、非人道的な原爆が投下され、尚且つ、その当事者達は、非人道的なその行為を反省することもなく、それを正当化しているこの現実を。日本国民は、悲惨な被害状況を訴え、「ノーモア・広島」「ノーモア・長崎」と叫ぶに留まっているのである。このことだけを採り上げても、日本の、日本国の、日本人の、政治・外交の幼稚さを残念に思う。悔しくもある。「戦争を終結させる為に」なんて・・そんな、ふざけたことを言うのも いい加減にして欲しい。原子爆弾のその未曾有の破壊力と、子孫へも影響を及ぼすその放射能の凄まじさを、ブッシュも、クリントンも、カークもみんな知っているのだろうか。そう、知っていながら彼らは言っているのだ。でも、私は信じたい。人間ならば、人間の心を持ち得た人であるならば、戦時中とはいえ、「原爆投下」を正当化するような心を持ち得ないということを。政治的な、軍事的な偏見から正当化する人たちよってに毒され、多くの人たちは、物事を直視する感覚も姿勢も喪失してしまっていたに違いない。それが戦争というものでもある。しかし、戦後数十年経た今日においてさえ、冷静に思考を巡らす事のできる状況下に於いてさえ、それを正当化し続ける異常さ。なぜ、怒らないの?なぜ、抗議をしないの?なぜ、正々堂々と主張しないの?8月6日が来て、9日が来て、平和記念式典をしても、それだけで、ただそれをすることだけで、日本国民の思いを封じ込めることはないのだ。もっと もっともっと もっと 強く主張していい。阿(おもね)るのも、媚(こび)るのも、諂(へつら)うのも もう、ほどほどにして欲しい。私達は 私達の 誇りを持とう。私達は 日本国の国民なのだ。
2005年06月21日
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「すず風舗装」聞きなれない言葉だが、「ヒートアイランド現象」を抑制するために、横浜市が勧めている道路舗装のことである。保水性の高い舗装財を使い、打ち水によって路面の温度上昇を抑えようとするもの。抑制効果を保つ為には、打ち水など、定期的に水分を補給する必要がある。横浜市は2003年からこの整備を進め始め、新聞でもその効果について報じられたことがあった。都会の夏は殊更暑い。暑いというより、熱いといいたい位の時もあるほどである。暑ければこぞってクーラーの世話になり、ますます外気温は高くなる。それを少しでも抑えようというのだから、大いに広めて戴きたいものである。横浜市港北区内で初めて採用されたのは、東急東横線大倉山駅の「レモンロード」(商店街通り)である。大倉山商店街振興組合を道路の里親制度「ハマロードサポーター」として市は認定(区認定第1号)した。今後同組合が、散水や清掃活動を行うことになっているようだ。1984年、神奈川県下初の商店街近代化事業として歩道整備と店舗改装に着手、大倉山の評価を高めた。それに続く大事業である。高台にある大倉山記念公園には、国会議事堂のモデルとなった「大倉山記念館」があり、中には、回廊式ギャラリーや、水曜コンサートでお馴染みの、ホールもある。集会室も幾つかあり、「精神文化研究所」も存続している。遠くに横浜の港を望む公園は、古くから「梅林」で知られるが、桜の木も多く、楽しませてくれる。この時期は、区の花、花水木が美しい。内部は古い彫刻のほどこされた赴きある木造で、外部はギリシャ風建築様式。それに倣って街にはギリシャ風の白亜のビルが立ち並ぶ。レストランは勿論のこと、畳屋さんも、自転車屋さんも、みな、ギリシャ建築風の建物である。電線を地中に埋め、お洒落な街並みとなった通りは、ドラマ、映画の舞台ともなり、雑誌にもよく採り上げられている。静かな住宅地・大倉山。渋谷とみなとみらい線を結ぶ沿線の、都心にも横浜にも近い、なかなか住みいい街である。
2005年06月09日
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「尼崎脱線事故・JR西が補償案提示」「購入時価格 マンション住民反発」6月6日付の毎日新聞紙上の見出である。5日、事故に遭遇したマンション住民への補償に関する初の説明会を開く。説明会には全47所帯から95人が出席。垣内社長は、「事故の責任は当社にあり、誠心誠意の補償をする」と陳謝。マンションの購入時価格での買い取り案を明示。担当者が、心身のケアの費用や仮住まいの賃貸住宅の家賃などについても補償する方針を示した。「我々に落ち度はない。上乗せすべきだ」との声が相次ぎ、一時は騒然となり、住民側は反発して物別れに終ったようだ。IR西は、安全性向上計画についても説明しようとしたが、住民側は全員退席した。「通常は時価だが、購入価格としたのは踏み込んだつもりだ」とは垣内社長の弁である。みなさんはどう感じただろうか。私は先ず、「美しくない」と感じた。露呈された余りの醜さに心が痛んだ。確かに、事故現場にはもう住む気持ちにもなれないだろう。何処かへ住み替えねばならない。遣りどころのない憤懣と精神的な大きい打撃にとらわれているに違いない。しかし、やはり、しかしなのである。私には住民の姿勢を理解できないし、共感できないのである。亡くなった方は、その肉親は、その遺族はどうなのか。現状復帰なんて絶対出来ないことなのである。たとえどんなに、高額の保証金を積んでくれることよりも、亡くなった人を返して欲しい、と望むに違いない。悲しみが大きくても、苦しみがどれ程大きくても、取り返しのつかぬもの、二度と還ってこないものはあるのである。やりきれない思いに打ちひしがれても、悲しみに心を病んだとしても、ショックに襲われて、命を落としたとしても、山のようにお金を積み上げても、狂うほど泣いて神様にお願いしたとしても、それが一万回であったとしても、悲しいかな、それを甦らせくれることはないのだ。人生には、運不運はあるのである。神戸に、新潟に、あんなにも大きい地震が来ることを、スマトラにあんなに巨大な津波が襲ってくることを、そして、長崎に、広島に、原子爆弾が落とされることをいったい誰が想像しただろう。生きてることに感謝しよう。今 自分に出来ることは何なのか、今、自分はどうしたらいいのか、自分や家族の為だけでなく、広く世界を見てみよう。今あることに、生あることに感謝しよう。思い出そう、考えよう。命を奪われてしまった人がいることを。二度と繰り返すことのないように、考えて、見詰め続けていくことを、そうすることの方が大切ではないのか、と私は思う。富むことよりも、損得よりも、もっと もっと と欲張るよりももうこれで充分、と「足るを知る」生き方を知って欲しい。人として、心だけは美しくありたいと、そういう願を持ちたいものだ。
2005年06月06日
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「女性専用車」なるものが現れた。日本は、女性が愛されている国なのか?横浜の市営地下鉄では一足先に運行している。利用者の評判はどうだろうか。利用するからには、いいと思っているのだろうが、私は少なからぬ抵抗があるから、利用したくはない。もっとも痴漢に遭う危険がないから利用する必要がないと言われれば反論の余地はない。が、被害に遭う恐れのある若い女性や女学生達にすれば、安心していられるから、「女性専用車」はいいものなのかも知れない。今は1車輌だけで、ぎゅうぎゅう押し込まれているから、乗りたくても乗れない人もいるだろう。様子を見て車輌を増やすことも企業側の視野にはあるようだが。他の車輌もラッシュだから、文句もつけられないだろうけれど、ひとつの箱に女性を押し込んで走る、いや運搬すると考えれば、およそ、女性が愛されている国だとは言い難い。むしろ、女性の尊厳を傷つけるもと、とも言える。私は一昔前のような、ウーマンリブを声高に叫ぶ者ではないが、女性の尊厳を低めるというか、傷つけることには敏感に反応する。専用車が登場した当初、学者や評論家などにその是非を問う記事を見かけた。驚くことに、女性の大学教授だったか、女性問題を研究しているというそのひと(女)は、女性は大いに利用しよう、胸を張って利用しよう、と述べていた。このひとはどういう人なのか、私は不思議だった。一般の人ならともかく、そういう問題を研究している人が、何の問題も意識せず、「大いに、胸張って乗ろう」と推奨している。私は「女性専用車」を設けるという、その発想が気に入らないのである。痴漢を完全に排することは出来ないからといって、女性を隔離するなどとは、犯罪の取り締まりを強化したり、それを無くす社会的な運動を喚起したりするでもなく、被害の対象者を隔離してしまおうと考えるのは、対症療法の一つに過ぎず、問題の根本的な解決には至らない。お茶を濁そうとすることに他ならないのである。「性」に関する男性の意識の低さと傲慢さこれが今日の痴漢が氾濫する元でもある、と思う。無責任に享楽に耽る者が溢れる世の中になったものである。男女機会均等法により、男女共同参画事業も増加して、世の中の意識が変化してきたことを歓迎してはいるが、それを謳いそれに乗り、それを隠れ蓑にして甘い汁を吸っている人もなくはない。「女性専用車」のお蔭で化粧品の匂いを嗅がなくて済む、とか痴漢に間違われる怖れがなくなる、と思う男性はいるようだが、こんなものを設けてしまう、設けなければならない世の中を恥じる男性がどれ程いるだろうか。まだまだ、女性の尊厳は守られていないと思う。子孫を産み育てるという尊い原理を忘れていないか。その任務を背負い生まれ出た男と女である。その摂理をわきまえていない者があまりにも多すぎるのである。男も女も、この世に生まれ出た幸せと、それによって生ずる義務や責任を感じる人であって欲しい。「女性専用車」などは、女性へのいたわりの証に見えなくはないが、むしろ、根本的なことを覆い隠すことにも繋がる、と私は憂う。危惧にすぎなければいいが。
2005年05月30日
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今日もまた会議でお茶の水近くに行く。朝、いつものように、携帯のIモードを使って乗り継ぎ具合を確かめる。遅刻してはいけない時は、大抵このIモードの恩恵を蒙る。電車は確実に運行してくれるから、大いに役立つ。が、とんでもないコースが表示されることもあるから要注意。こんなコースに乗っかったら、手間も時間もお金も掛かる大変な迂回路線で、どうしてこんなものが表示されるのか、不思議というよりは、びっくりしてしまう時もある。ある程度の路線の基礎知識があって利用する者には至って便利で、私はよくお世話になっている。今朝、それをIモードで呼び出しながら、尼崎の事故を思った。あの時も、1分でも遅れたら乗り継ぎ出来ない人がいただろう。遅れたら、運転士は乗客から責められ、会社からも責められ処罰される。給料にもボーナスの査定にも響く。絶対遅れてはならない、運転士は必死だった。自己の能力の限界も、機械のそれも考えず、そのことが、とんでもない危険を孕んでいることも、何もかも頭から消え失せ、ただひたすら遅れを取り戻すことに執着した。不幸が不幸を呼んだ。よその国のように、少しぐらい遅れても大した問題にならなければ・・。遅れることだってある、それが普通なんだ、みんなが、そう思うようになったら、かなりの負担から運転士を、会社を、開放するだろう。Iモードまで使って、わざわざ呼び出してまで乗り継ぎ案内なんか使わない方がいいのだ。もっと、もっとゆっくり、みんながスローライフを楽しめばいいんだ。便利なものに、便利だと思ってきたものに、いつの間にか縛られ過ぎている。
2005年05月05日
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尼崎での脱線した電車に乗り合せていたJR西日本の職員のことが今朝のテレビに取り上げられていた。乗客の救助に携わらず、そのまま出勤して乗務したということで、当事者二人と上司に批判が集中している。途中から見ただけだが、記者会見での質問に疑問と腹立たしさを覚えた。その1、救助をしないで、 そのまま出勤したことをどう思うか?(そんな意味)その2、処罰はあるんですか?その3、マニュアルはあるんですか?その4、教育が悪いんじゃあないですか?私は気分が悪くなり、テレビを消したので、後はどうなったかは解らないけど。一極集中。単眼思考。ジャーナリストなら、もっと違う目で見る術も身に着けてほしい。誰かが批判する。乗り遅れまい、そこにどっと集中する。本当に悪い癖、といっていいのか、能がないと思う。別の視点で見ると、同乗していた職員は、予定している電車への乗務のことが頭にあったに違いない。それと、目撃した正確な情報をいち早く報告すること、も視界にあったかもしれない。乗客を助けるべきか、任務の遂行を優先すべきか。二人は瞬時に頭を廻らせただろう。もし乗務出来なければ、誰かが代って乗務する、しなければならない。突然の交代では支障が起きるかもしれず、これ以上迷惑をかけてはならない多くの乗客のことを考えた時に、彼らは、やむなく出社を選んだかもしれない。仮に代替の運転手が乗務して何事もなければいいが、もし不幸にも事故でも引き起こしていたとしたら、急な交代だったから余裕がなかった、という弁明にも繋がるだろう。乗務を優先しようとは思わなかったのですか、とインタビューされることになったかもしれない。乗務すべきだった、と言われるかもしれない。しかし、あんな大事故に遭遇した運転士が、よくまあ、無事に運転ができたものだ、と私はそちらの方に仰天する。業務に就いた運転士も運転士なら、乗務させた上司も上司だと、連鎖事故の起きなかったことに、ただ胸をなでおろした。確かに人名救助が優先されなければならない。が、その持ち場や持分もあろう。一つのことで、国中がパニックを起こしてはいけないのである。当事者でないから、そんなことが言えるといわれればそれまでだが。マニュアルによって教育されたものには、あらかじめ想定されたことしか考えが及ばない。想定以外の事態に陥った時には、ただただ狼狽するだけだろう。今の日本の教育の一番の問題もここにある、と常々思っている。もう、日本の社会全体に蔓延してきてしまったらしい。経済界のリーダー達は、さすがに冷静なる複眼でものを見、判断をくだしている人が多い。JR西日本はリーダーにも恵まれなかった、といえようか。
2005年05月04日
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犠牲者が100人を超す福知山線の脱線事故は誠に痛ましい限りで、胸を掻きむしられる思いがする。こんなにも大事故になったその原因は何か、解明には総力挙げて取り組んでほしいものだ。勿論そうするに違いないが。運転士一人のスピードの出し過ぎだけではなく、過密ダイヤを組んでまで営業益優先を図る、JR西日本全体の危機意識が希薄だったことにもよるのではないか。昨日は、大阪発仙台行のバスが横転し、3人の犠牲者を伴った。午後8時に大阪を出発し、翌日午前8時半ごろ仙台市に到着予定だったとか。いつの頃からか、夜間の長距離バスの運行が盛んになった。列車を利用して昼間移動するよりも、交通費が格安になることから利用客も増加していたらしい。しかし、夜中に走るそれらの夜間バスを私は利用したことがない。交通費は安いに越したことはないが、夜間の高速道を走行することにかなりの危険を感じていたからである。運転者がどんなに注意を払っていても、避けられない貰い事故もなくはない。昼間よりその確立は高いはずであり、その危険を押してまで乗車する気にはなれなかった。生産地から消費地まで多くのものを搬送する車もいまや夜間走行が常識である。しかし、品物の運搬と人のそれとは違わなければならない。どんなに乗り心地をよくしたところで、危険が回避されることはない。乗った人を責めているのではない。夜間、危険を省みずそういうものを運行する、そういう企業の姿勢が腹立たしい。しかし、先日の混雑した電車内で、生後数ヶ月の赤ちゃんを抱っこしてドア付近に立ち、大してわけのわからない赤子に外を見せている若い父親を見かけた。ベビーカーをそばに置き母親が座席に腰掛けている。揺れる車内で、急停車でもしたらどうなるか、私は、はらはらしながらその光景を眺めた。子どもと乗車する時には、なるべく空いた時間帯を選び、なるべく危険がないように注意して乗る。幼い時は負ぶい紐で背中に縛る。これが常識だった。かっこ悪さよりも何よりもかけがえのない我が子を危険から守るために、親は色々考えて努力したものだ。最近よく見かける若い母親の、片手にベビーカーと荷物を持ち、もう一方の腕で赤ちゃんを抱っこしてバスに乗るなんて芸当はしなかった。雨の日にも、そんな母親を見掛ける。エレベーターでの事故、回転ドアにはさまれる子供の事故、構造の問題もさることながら、親の監督不行き届きが一番問題だといいたい。子供を保護しなければならない親としての責任や危険であることを教え、一人歩きを禁じ、手を繋いで放さないなどの、危険から子を守るという初歩的な親の役目、義務を全うしていない親が余りにも多い。評論家やメディアはこぞって器具の危険性や設置している会社、あるいは管理会社の責任を問うが。この世に危険な箇所がなくなったりはしないだろう。いつでもどこでも危険いっぱいなのである。勿論、危険を少しでも回避できるような企業努力は大切だけれど、一人一人の危機意識も大事だと思う。あんなに反日デモと暴動で騒ぎ、日本製品の不買運動のあった国へもGWだからといって、もう多数の旅行者が出かけるとか。せめて暫くは何とか我慢できないものか。その心境を私は理解できない。不思議でならないのである。日本という自分の国への危機意識など全くもって存在しないのだろうか。それとも、そうすることが平和とか友好とかに寄与することだ、とでもいうのだろうか。
2005年04月29日
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いつもと変らぬ道を歩きいつもと変らぬ駅に向かいいつもと変らぬ駅に入りいつもと変らぬホームに佇ちいつもと変らぬ人混みの一人となるおとぎ話に出てくるようなとがった口の大人や子供よくよく見れば白い大きな三角マスク杉の花粉も 檜の花粉も空を舞い枝打ち広げ伸びやかに欅も命を謳歌するいつもと変らぬ電車に乗ればそこはいつもと違う箱何かが違うその箱はいつもと違って駆け抜けるいつもと違って怖さに縮みいつもと違って震えて叫ぶいつもと違って何かが違うああ 月曜日悪魔が空を飛んできてこの世を地獄に替えようとは怖く 悲しく 恐ろしく泣けど 叫べど 戻れない母を呼ぶ 小さき命の声がする子を叫ぶ 魂の声が聴こえてくるああ 大地が震え 地が裂けて天の崩れしその時も儚く散りし数多ありああ その時でさえ けなげにも命守りし友どちも天に召されし月曜日君よ星になれ綺羅星になれいつの日か君のその夢を叶えよう君よ 星になれかなたに輝くあの天空の星になれ
2005年04月27日
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昨日のJR福知山線の脱線事故に日本中が震撼した。夕方のテレビで初めて目にした、その余りの惨状に言葉を失ったが、次に私を驚愕させたのは、あの位置にマンションが建っていたことである。建ててしまえばそれ程気にはならないかもしれないが、線路が大きくカーブするその箇所にマンションがあり、毎日そこを電車が猛スピードで疾走する。想像しただけでも私は怖い。人は過ちを起こしやすいから、例え過ちを起こしても事故が起きないように、と安全装置を設置した。残念なことに、それは、赤信号を見落とした時にカバーするものでしかなかった。今回は信号の見落としではなかったが、スピードの出し過ぎも原因の一つであるらしい。そのスピードの出し過ぎに対応する安全装置を、6月に設置予定だった。もう少し早く設置していれば事故は防げたかもしれない。間に合わずして起きたかもしれないその不幸に、大きな悔と腹立たしさが残る。事故を起こさぬように様々な努力をしてきただろう。しかし、事故は起こるべくして起る。厳しい訓練を経ているから、とこの度の運転士の実務経験11ヶ月を、決して経験不足ではないというが・・何か尋常ではない時に沈着冷静に適切に対応出来るには、やはり相当の経験年数も必要であろう。スピードを出し過ぎ、それを挽回しようと焦る。そこにはもう、冷静な判断能力は存在し得ない。さまざまな状況を想定してマニュアルを創る。そのマニュアルで対処できない事態に陥った時にその人の真価が判る。人間は全能ではないのである。「大丈夫」とあなどる心の隙が危ない。少なくとも、危険に結びつく仕事に従事する人たちは常にそう認識しておくことが肝要であろう。そして、機械もまた完璧ではない。狂う時もあれば、壊れる時もある。当然といえば当然だが、何事も過信は禁物である。
2005年04月26日
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福岡2区補選で山崎拓氏が当選。前回の2003年衆院選の時、当選10回、党副総裁の立場で臨みながら、女性問題などが響き、当時、民主党新人の古賀潤一郎氏に敗北した。落選後は初心に戻って選挙区内をくまなく回り、それまでの防衛、外交など国政課題を語ることを控えて10人ほどの座談会や小集会を重ねる、“ドブ板”に徹した選挙を展開したそうである。“ドブ板”に徹したお蔭で彼は当選し、国会に返り咲いた。なぜいつもこうなのか。私は失望感を拭えない。地元に密着し、地元優先で考えてくれる人が勝利を手にすることが出来る。国のことを論ずるより、わが町のことを考えてくれる人、おらが町のために尽力してくれるセンセイに投票するのである。いい加減でこの図式を解きほぐしてほしい。戦後、外交戦略のなさが外国との軋轢(あつれき)を生み、政治の怠慢と能のなさがこの歪んだ社会を生んだ。長期にわたる展望もなく、政党は政権闘争に終始する。官の縦割りの構造・仕組みが、縦の力関係を生み、自分の省庁のことしか考えられぬ考え方と組織をつくった。そんな官僚にあしらわれて口も手も出せぬ政治家もいる。グローバルな視点で、長期の展望をもった政治が出来ないものか。右往左往するうちに時代は移り、世界の動向が変化しても、日本は気付くことなく、たとえ気付いても路線の変更はままならず、時代に合わぬ政をしている馬鹿げたこともあった。それでも、民は相変わらず、おらが町のセンセイを選ぶ。政治の責任は、偏に政治家のものだけではない。一番大きい責任は、国民にあるのだ、と私は思う。何かことが起きると大騒ぎして、その当事者だけ袋叩きにする。北海道の人の時もそうだった。そのことを教訓にして学習出来ないものだろうか。いつになったら、いつになったら・・歯がゆくもじれったくもある。年金の使途不明金もしかり。自分の国は自分達で良くするよう、国民は目を光らせ、もの申さねばならない。議員さんのことを、いつまでもセンセイ、センセイと呼んで媚び諂ってわが町さえよければ、と陳情する、恩恵を蒙れば、何も言えなくなるのに。そんな近視眼的な物の見方考え方からいい加減で卒業しよう!
2005年04月25日
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暴徒と化した中国各地での反日デモを見ると、日本人ならずとも、その異常さを批判するだろう。まして我々日本人なら、余程でない限り、無秩序の群集に恐れ、怒りを覚える。人としてあるまじき、本当にあるまじき行為である。しかし、アジアの隣国同士が、このまま互いに理解し合えないとしたら、世界平和の観点からも、経済的な面だけにおいても、それは本当に重大なことで、絶対避けなければならないことは明白である。戦後日本は、中国に対しても、発展途上国やその他災害の被災者やその当事国に対して、かなりの援助金を拠出している。それは、ニュースなどで知る限りにおいては、先進国のなかでも格別の援助額である。それでも、それを正しく知る人は少なく、何かにつけて世界の人達から、日本の貢献度が低いとか、日本が過去にしでかしたことにのみ目が行き、いつまでも批判の対象となっている。それは、今までの政治が下手だったから、の一言に尽きると思う。過去の清算は終った、と思っていたのは日本だけで、相手がきちんと納得のいく戦後処理をしていなかったのではないだろうか。仮にきちんと処理されていたとして、その後の対応に非はなかっただろうか。これほどの禍根を残している相手に対して、少しでも理解しようと努めただろうか。うやむやにすることなく、必要な時に必要なことを毅然とした態度で言明してきただろうか。南京大虐殺を初め、日本のしてきたことを真摯に受け止め反省していただろうか。アメリカへの対応に比して、中国・韓国などへの対応はどうだったか。少なくとも、アジアの同胞に対して、日本は、不遜で尊大であり過ぎたのだと思う。中国の暴徒を私は決して許している訳ではない。純粋に、反日に徹している輩もいるかも知れないが。いろんな不満の捌け口として、反日デモに参加して傍若無人振りを発揮しているのかもしれない。中国は、反日の土壌を育て、種を蒔き、苗を育ててきた。生長したその苗たちが、豊かな実りを迎える前に、国家の思惑とは異なる暴動に発展してしまった。その変貌に慌てて、漸く中国は鎮圧に乗り出した。中国の仕組みをもってすれば、デモは間もなく制圧されるだろう。国民に対する中国国家の力は、それほど大きいと私は見ている。ところで、今の日本の若者に、あのようなエネルギーがあるだろうか。自己に対しても、他に対しても。それも一種の由々しきことだと私は思う。
2005年04月22日
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1ヶ月前に訪ねた北京は何もなく穏やかだった。友人や知人から、いい時に行きましたね、とよく言われる。イベントを計画した時、反対意見も出た。前年起きたサッカーの試合での反日行為があったからだ。しかし、サッカーは格別エキサイトしやすいスポーツだから、との意見が大半を占め、計画は続行された。北京では穏やかに日中友好の行事が行われ、人民大会堂での祝賀会も華やかに開かれた。日本で親交を結んでいた人達とも再会を喜び、初対面の人も交えて会話も和やかに弾んだ。中国の外交官は男女の差別なく派遣される。大抵は夫婦とも外交官のケースが多いが、家族で移動することはない。配慮はあるかもしれないが、夫が転勤になると夫のみ移動し、妻の場合も妻だけ転勤する。銀座でお会いした時、TIさんは、親しい客を招いた時は必ず手製の水餃子をご馳走する、と。「水餃子は得意!」顔をほころばせて話してくれた。「洗濯も掃除も料理も平気」といわれる傍で、婦人が「掃除は余り上手でない」と横からすかさず言葉を挟んだ。彼は間もなく婦人を残して、単身帰国したのである。現役を引退したRさんは、さすが学者である。著作活動をしながら田舎で悠々自適の暮らしに入っていた。静かで穏やかな笑顔は少しも変わらず、自分を主張することもなく、遠来の客の世話をしてくれた。訪問先でのガイド、商店・レストランなどでの通訳も、それが役目でもあるかのごとく先んじて行い、私達は好意に甘えたのである。レストランで支払いをする時、1万5千円余りのその金額を見て、Rさんは静かに笑いながら呟いた。「僕の1ヶ月分の食費です」夜も更け、地下鉄も止まり、Rさんの帰宅の手段はタクシーしかなくなったようなので、ホテルに泊まることを勧めた。勿論、改めてリザーブすることなどしない。「Wだから・・」と慌てて尻込みするKさんを尻目に彼との同宿を勧めると、そうね、とRさんは あっさり同意した。男同士 Wベッドでどう寝ているのか、Rさんがソファーで毛布にくるまって休むに違いない・・。翌朝、「ゆうべはよく眠れました」少年のような笑顔でRさんは言った。律儀に空港まで見送ってくれたRさんは、また会いましょう、また来てください、別れ際に一人一人と強く手を握り締めた。今の、中国各地での反日デモを、暴徒を、高官のTIさんはどう思って見ているのだろうか。そして親日家の、あのRさんは・・みな心を痛めているに違いない。
2005年04月21日
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テレビに映し出された暴徒を見て思う。中国では、日本の「過去の罪」を忘れないように教育してきたのだと。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉はあるが、そんなに甘いものではなかった。日本の戦後の復興と繁栄を眺めてきた中国は、自分達の犠牲のもとにそれが成し遂げられている、との思いを抱き続けていたに違いない。中国と日本の、「歴史認識」の違いも大きいならば、相手に対する視点の高さも異なるのである。日本の企業の力を借りて、否、恩恵を受けて中国が成長し発展してきたことなどは大したことではないのである。日本製の電気製品やカメラに憧れながらも、「日本よりも栄光と遠大な歴史を持つ大国である」というプライドを彼らはずっと保持しているだろうし、日本側には、政治家のセンセイ達や評論家諸氏の言を見ても、中国に対してある種の尊大さを垣間見る。謝れ、 謝る必要はない。 謝った、謝っていない・・言葉の応酬は続くものの、事態は一向に好転しない。両者の深層心理が働き、駆引きは繰り返されるばかりであるそれにしても、戦後60年を迎える今日、日本は、政治と外交の拙さを露呈したことにもなる。近隣との友好を保てないなんて、一体今まで何をしてきたのかと問われたとき、政治家はどんな言葉を返すのか。そんな政治を甘んじて受け入れてきた私達国民はどう答えるのか。イタリア、ドイツに比して戦後処理を批判されるのはいつも日本であり、賢明なドイツは・・と比較される。国を司る人たちの質の違いか、国民の意識の違いか、いずれにしても、恥ずかしいことでもある。
2005年04月20日
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連日報道される中国各地での反日デモ、中国政府の対応や要人の表情を見る限り、日本側の楽観視は甘すぎると思う。楽観視しているわけではなく、多分、対応に苦慮しているのだろう。戦後の日本の復興と繁栄は、中国という巨大な市場によって支えられた。中国に進出した企業は、技術指導をしながら安価な人件費に助けられて生産力を高め成長していた。中国も、そんな日本によって成長してきた部分も大きい。しかし、中国での学校教育ではどうだったのか、子供たちへ、どう教育してきたか。翻って、日本のそれはどうだったか。正しい認識と将来への展望はあったのか・・疑問に思う。中国大陸へ進出する企業はいまだに後をたたない。安価な、広大な土地と人件費の魅力は大きいのだろう。いづれ、日本は自分で首をしめることになる・・危惧する人も多かったに違いない。昔、エチオピア・ナイジェリアあたりでも同じようなことがなされていた。しかし、自分達で自立できるようになったと判断した現地の政府は、ある日突然、「工場を国営にする」と宣言して企業を追い出した。資本投入し、開発・教育をした後に、である。それを身近に見てきたから、いづれ中国でも・・と私は言っていた。ナイジェリアのように、国営にすると言わないまでも、危惧に終わればいいが、と。中国は路線を変更して生産力を高めてきている。オリンピックを控え、世界でみとめられている、との自信も持ってきているだろう。
2005年04月19日
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1000アクセス!突破とご報告したら、お祝い(?)に多数の方が訪ねてくださいました。有難うございます。こちらも、一日訪問数の記録です。皆さん温かいですねえ! 感動!!!NTTの工事が終わり、今朝久しぶりに開いています。あまり時間がないのですが・・反日感情露わな中国。韓流といいながらも、隣国の中・韓に嫌われてしまい日本って、なんとも寂しい国ですね。原因は何でしょうか?単純な問題でもありませんが、日本人の国民意識も遠因ではないでしょうか?また、どんな人を育てるか、作り上げるか・・怖いような話ですが、歴史を振り返ってみると、教育は人を変え、社会を変え、勿論 国をも変える大きな力になっている、と思います。育てられた人が教師となり、親となり、国を司る政治家になり、官僚になり・・その事を思えば、近欲(ちかよく)な些事に左右されて選挙で投票するなどはもっての他だと思いませんか。あ~あ・・日本よ、日本人よ!私はせっせと投票してますが・・いつも入れたいと強く思える人がいないそんな現実でもありました。横浜の「中田宏市長」さんしっかり応援しています。この方はいい。実にいいのです。仕事もしっかり、言葉も明快、好感度大 大 大 です。生意気だけど、久しぶりに期待して応援しています。なんだかとりとめない話。あっち ふらふら、こっち ふらふらでしたね。ではまた・・
2005年04月18日
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愛知万博入り口で、折角用意し、持参した弁当を捨てなければならず、そのことが物議を醸した。新聞でも報じられ、テレビでは、実際にゴミ箱に捨てる映像も流されていた。小泉首相の一言で、手作りの物に限って持ち込みを認める、との何とも不思議な結末となった。関係者曰く、食中毒になってはいけないから、と。自分達の売り上げを目論んでの「弁当持込禁止」は傍目にも鮮明である。食中毒を心配してくれるなどご親切なことではあるが、それこそおためごかしの大きなお世話である。そういえば、最近やたらと目に付く大きなお世話にお節介。天気予報では、雨が降るから傘を持って出たほうが良い、折りたたみ傘でいいでしょう、大降りになるから大きい傘がいい、とまで言ってくれる。暑くなるから上着はいらない、涼しくなったから長袖がいい、今日はコートはいらないでしょう、一枚余分に羽織って・・などなど。ここまで言ってくれなくても、と私はいつも思う。人は昔、空を見て、雲を見て、肌で風を感じて予測した。科学や技術が進歩したといっても、人の叡智も感覚も磨いていた方がいい。素直で従順な人は、気象予報士やキャスターのままに従い、裏切られた時には、ああだこうだと怒りをぶつける。ならば、自分で判断して行動したらいいのに、と思うのだが、またまたそれを繰り返している。もしかしたら、日本人はこのまま、自分で考え判断する能力の欠落した人種になりはしないかと。まさか、そんなこともあるまいが。この間も、体育館履きに履き替えて体育館に集まってください、との奇妙な校内放送を聞いた。体育館では体育館履きを履く、ということは、入学時に指導済の筈である。それなのに、教師は毎回毎回ご丁寧に指示を出す。その不思議さ、そこに問題を孕んでいることをも意識しない。これが高校でのことだから、尚更不思議である。自主的に、主体的に、とやらのお題目ばかりが目に付く総合学習も、指導者自身の発想の貧困さと指導力不足で大した効果を期待できそうにもない。ゆとりある教育などと暢気に構えるのもこの辺で終止符を打って貰いたいものである。権力闘争に明け暮れるだけでなく、国歌百年の大計で、日本を導いてくれる政治家はいないのだろうか。そんな人が出現したら、大きなお世話といわれても、せっせとお世話をしようと思う。
2005年04月04日
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全員一致なんてことがあるのだろうか。どんな時にも、どんなところにも、異なる意見を持つ人はいる。それだけ人は、人の考え方感じ方は多様であるし、それが自然であると思う。ニッポン放送とライブドアとの確執が続く中、ニッポン放送は先日、「全社員一致」の見解とのことで、ライブドア堀江貴文氏に「NO」の声明文を出した。「書かされて・・」と堀江氏が反論するや、「失礼な・・」とニッポン放送社長の弁。生活権が絡む上司からの話であれば、たとえ強制されていなかったにしろ、強制力の働くことは明らかである。しかし、もし仮に、それが本当に「全員一致」の見解であったとしたら・・さらには、一つのことに容易に全員一致する集団であるとしたら・・その方がよほど怖い、と私は思う。彼らの自認する公共性のある放送とはどんなものになるのだろう。
2005年03月12日
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