10月のバラ 【8】

10月の薔薇





mie mikonos




私は彼女が私の許諾を得るのを待ち受けている様を二人の顔色を交互に比べるようにし、こちらを見ているモーセスに気づかれぬようにジーンズの両方のポケットをさりげなく触った。
薄い紙の感触が両方にあった。                     
ホテルを出発する前に私が忍ばせた10$紙幣と20エジプトポンド2枚だ。  
私には彼らの作意をみすこした策があった。「大人は判ってくれない」ことはな
い。  
-------先程まで、賑やかだった広場を一歩裏道へ入ると、犬も喰わぬような静けさで、また何度も曲がった角を数えつつ連れ去られた、とある家の一室。嗅いだことのない匂いに訝しがりながら、室内をゆっくり見回すと、みたこのあるようなないような顔が窓辺に月光(狂気を孕んでか赤々としている)にうっすら浮かび上がっている。 
その男はソファに座ってシーシャをゆっくり燻らせている。後ろに直立不動のモーセス。 
室内には他に数人いる気配だったがモーセス以外は誰なのか私には分からない。 
水タバコの男はモーセスを叱りつけている。言葉は分からないがニュアンスで理解できた。
私の脳裏にはまたナイル川の淀んだ水面が過っていた。またか、トホホホ
ホ・・・・・。
「しくじりやがって、どーこが100$紙幣がたーんまりなんだ。20$とたった40ポンドじゃねえか。いったいどこに目をつけてんだ、この節穴野郎!穴掘ったろか」
「ボス、でもたしかに今朝、ギザで40$掠め取る時の奴の財布から察して、まだまだたんまり持っているに違いないんでさぁ」--どこが、たんまりじゃ--私はここで割り込む。
「ちょっといいですか?」モーセスに加勢するわけではないが。 
「ちょっと、ちょっと皆さん。私たちのホテルに帰ると金貨銀貨がたんまりです
よ。もう夜も更けているし、またガードの堅いフロントに怪しまれないためにも明日、私たちの部屋に来ていただければ、お望みのものをお渡しできるのですが、いかがでしょうか?いやー、お会い出来たのも何かのご縁でしょう。いや、よかった、よかった」 
私の軽い提案は、意外やおツムの軽いボスが乗ったことで、即座に受け入れられ
た。  
交渉成立、翌日私たちは早朝始発の飛行機で地中海を渡りギリシアへ行くのだ。まんまと高飛びに成功するのである。                     
私は旋回してカイロ上空にさしかかった機上でウインクしてみせるのだ。    
「マアッサラーマ、ナイル(サヨナラ、ナイル川 )」-------------                                    

交わる空



「完璧だ」った。
彼女に問うと、彼女は一銭も持ってきていなかった。
それも何なんだんだけど、だが今回の状況下ではことさら都合がよかった。   
「じゃあ、ちょっとだけ行ってくれば、何かあったら叫ぶんだよ。逃げ足は早いよね? 
ああっ、それからその指輪は外していきなさい」と言って彼女の結婚指輪を、決してこっちの方が大事という訳ではないが預かり、妻を送りだした。       
「じゃあ、ちょっと行ってくる」と答え、モーセスとともに広場に来た道とは反対方向の闇の中へ溶けていった。二人を見送りながらもう一度ドラマの復習をした。
-完璧だ-                                
さて、一人残った広場である。
シャイマーはどこかと、人の顔の花畑を見渡すがいない。 
魅惑の小悪魔はモーセスが妻とともに消えたときと前後するが、いつまでも空想に浸っているわけにはいかなかった。ここは、もっとすばらしい非日常的な祝祭の籠のなかにいるのだから。前向きに行こう。「ビューティフル・ライフ」に。   
妻を送りだした今、いよいよ私が主役になる時が到来した。一石二鳥だった。  
「完璧だ」と、またにんまりひとりごちた。                 
そのとおりあっという間にどこから降って沸いたか知らぬ天使の軍団に囲まれていた。  
私は軍団に取り囲まれていくのを自虐的に喜んでいた。
天使たちは口々に、「撮って、撮って、私を撮って」             
「ねー覗かせて、覗かせて」とおねだりする。                
何のことはない、人気者だったのは「私」ではなく、「私が所有するハンディー・ビデオカメラ」だったのだ。                        
先程のジョージ・ルーカスはそんなはしゃぐ子供たちを叩いてはちらちら私を盗み見、見ては子供たちを追い払っている。彼もきっとビデオカメラが気になってしょ
うがないのだろうか。
この国は厳格なイスラム諸国と違い、 カメラで撮られることに-魂が抜き取られる-という感覚はない。さすがは「観光」の上に半分寝そべっているような国だ。 
田舎へ行けば、 ビデオ撮影の要求のかわりに、皆、口を揃えて、        
「バクシーシ、バクシーシ(喜捨をちょうだい、恵んでちょうだい)」になる。 
いずれにせよ、老若男女全ての人が私たちをそっとしておいてくれる配慮のかけらもない国だった。                             
ジョージ・ルーカスはなかでも不器用な人なのか、相変わらず笑顔を見せるのはもったいないという顔つきをしてチラッと見て、ビデオに目が合うとソッポを向く。
派手さはないが印象深さを植えつけてくれた男の一人である。         
ちょっと噛めば苦いけど、じわじわと甘さが染みいるシナモンの枝のように。  
子供たちとお約束のように遊んでいると、案外早くというか無事に妻が返ってき
た。 
妻一人で、モーセスの姿はなかった。                                                         
「どうしたん?」平静さを装って尋ねる。                  
「たぶんだけど、ラクダのおじさんの家へ連れていかれた」          
「エッ!やっぱり」やっぱりそうかと思うと同時に胸騒ぎがする。       
「それで、それでどうしたん?」ドキドキしながら問う。           
「衣装棚からねえ、また昼間のような香水の瓶を幾つか差し出して100って言うんよ。 100エジプトポンド」                      
「それで、それで?」ドキドキドキドキドキ-------私の心臓は忙しい。 
「もちろんお金持ってないやん。私ノーマネーって言ったら・・・」      
「言ったら、何?何?(まさか金がないなら体でどうの・・)」        
彼女の顔が幾分蒸気して火照っているようなのは気のせいだろうか・・。    
「渋々プレゼントって言って、これくれたんよ」と、使い古した赤いカジュアル鞄から香水の瓶を私の前にかかげた。瓶は古臭いオリーブ油の香りがした。    
「あのー、・・・・それが普通プレゼントっていうんですけど」        
拍子抜けしたような、安堵の胸を降ろしたような、廻れメリーゴーランドな気分
だ。  
それにしても、せこいぞモーセス。やっぱりあーんたはインチキなラクダ使いの男だ。 
ギザの黒人店主にあやかったのか?モーセスは由緒正しき「エジプト人」だ。  
しかし、深い底に怒りや困惑や不安な感情は沈めていたかった。        
タイミング良く楽団がやって来たのだ。いよいよこの広場の宴が始まるのか。  
相変わらず派手デブおじさんは、楽団が奏でる音楽や手拍子や音に合わせての歌には、おかまいなしに叫び、ノッポの指揮者も汗だくになって叫び返している。  
「おらー。これで最後やで。性根入れてやらんかいっ。ステージの上からジャブニの連中が見とるで。負けたらあかんでー」                  
こんな感じかな。実際、ステージのシャツ軍団は軽音楽風のリズムで黄色い合羽軍団の音をかき消すようにドンチャラやらかし始めたのだ。           
すると、派手デブさんとバンドリーダーのパンチさんが牽制し合ったやり取りの後に、ようやく鉢合わせのような喧騒は収まった。               
バンドマンが矛先を収めたのだ。黄色合羽軍団の最後の晴れ舞台である。    
楽団の後を馬車から降りた新郎新婦が仲睦まじく続いた。           
姪っこや親戚らしき女たちが新婦のドレスを抱えるようにしてそれに続く。   
その輪の中にしっかりシャイマーはいた。めんこいがあなどれぬとは彼女のこと
だ。 


数個の電球のシャワーが新婦の全容をようやく照らし出していた。       
最初の印象どおりの黒く大きな瞳の持ち主の彼女は、インド映画の女優の雰囲気を醸し出していた(娯楽の中でもエジプトではインド映画が大人気である。私たちもホテルで何もすることがない時はテレビに頼ったのだが、数少ないチャンネルはインド人に独占されているありさまだった。が、どの映画もどの映画もくわしい内容はわからないが、悲劇のヒロインなりヒーローは最後にはしっかり結ばれてハッピーエンドとなるのだ。 
ヒロインの風貌も必ずといってよいほど髪が黒く哀愁に満ちた大きな黒い瞳の持ち主だ。 
それがインド人です、と言われればそれまでだけど)。            
新郎は、その名をムハンマドという(イスラム教国では男性の多くが聖者の名を冠したムハンマド・アリと名付けられる。


 カイロ最大で庶民の胃袋を満たし外国人の財布を無くす「ハン・ハリーリー」市場で誰彼かまわず「ムハンマドオッ」なり「アリイッ」と 叫んでみてください。ほとんどの男性が振り返るにちがいない)。がっしりした体格の 彼は髭が不揃いでちょっぴりしか生えていないところを見受けると、想像するよりずっと若いのかもしれない。むしろ私たちより下の年齢なのかも。           
若いうちの結婚は、そのまま家が裕福なことを現していることを私は知っている。


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