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みのたんよ。今日は朝のはやくからたたき起こされて眠気まなこのまま特急列車に飛び乗せられたわ。バアチャンお風邪ひいて寝込んでるのに。。。アタシ、バアチャンの肩だいて「大丈夫?はやくよくなってね♪」ってお声かけしたの。そしたら大人のみんな「誰に似たんだろか?」と目を丸くして大笑いしてるの、失礼ね#で、どこ行くん?「どこ行くん?」と聞いてもだ~れもわかんない。母さんも「どこ行くんだろか?」とアタシに聞くんだけど知るわけないわよっ(爆父さん、いっつも自分で段取りして勝手に日取り決めて行く先知らずなの、いつものパターン。どうでもいいけど、アンパンマン列車じゃないのも、ゴールドタワーを通り過ぎたのも納得いかないわねwアタシ、てっきりゴールドタワーかと楽しみにしてたのにぃ~。切符を見て母さん、「大阪行くん?」と尋ねるも一言、「違うわ」だって。で、はや~い新幹線に乗って新神戸で降りて、地下鉄で三宮にでて、また電車に乗って。着いたわよ。王子公園だって。どこそこ?@@?え?!ここパンダもコアラもいるの?めずらしい黒ヒョウや雪ヒョウもいるのよ。すんごい動物園ね。で、もっとお楽しみは公園のなかに遊園地があるのよね。「みのたん、三つだけよ」という父さんのお言いつけ守ったわ。もうすぐ4才なんだけど5才と偽ってパラシュートを♪3才までは無料だから今度は3才と正直に言ってテントウムシ自転車と観覧車を母さんと♪アタシ、しっかりしてるでしょ。こじんまりした動物園を満喫して、父さんソワソワ「次行くぞ」アタシ「おなかすいたぁ~~」でも「もうすぐごはんだからがまんしなさい」って。動物園のなかにたこ焼きとかポテトとかソーセージあるやん、アタシそれがいいのにな。アタシ今朝電車でおにぎり一個だけだもん。朝ごはんはともかく、10時にはいつもたくさんたくさんおやつ食べるのにな・・・・母さんが「もうがまんできんよ」と駅でジュース買ってくれたけど。でも動物園の駅を歩いて過ぎてもうひつとつの駅も過ぎてまだ歩くのよ。「もう歩けんのじゃけど」と母さん泣きべそなんだけど。。。いつもは健脚なはずの父さんも「なんか足にきたわ・・・・」だってふたりとも年ね。。。で、全然別の電車に乗ってついたのが阪神電車芦屋駅。「今日一瞬だけ芦屋マダムヤンにしてやるわ」だって母さんに。「なんのこと?」で、また歩くのよ、最初テクテクいつのまにかトボトボと。どこが芦屋マダムかしら?川を渡ってついたのがなんだか南欧の別荘邸風。メゾン・ド・ジル・芦屋ここが今日のエンテーテイメントのお店。いっつも二人きりでこういうとこでお食事してるらしいんだけど、どういう風の吹きまわし?そういや今晩からすごい嵐になったけど・・・用意されてたテーブルは陽光こぼれるテラス席のお部屋。アタシよりちっちゃい赤ちゃんが一組お食事してたわ。ほどなくして母さんたちいろんなお皿がきてたけど、アタシにはな~~んにもなし。でもやさしいお姉さんがパンをたくさん持ってきてくれたわ。「パンも食べたし、また遊園地行くんだろ?もう出ようよ~~」「みのちゃん、ごはん今からよ」だって。「5月には東京でもたくさんこういうお店行くんだからがまんするお勉強ね」・・・・って注文の多い料理店ならぬ注文の多いお客よね(笑w注文っていえば父さん言いよったよ。「今日は記念日だと伝えて、けっこう色々お願いしてたのに撃沈だった」デギュスタシオンっていう料理に「お好きな食材を」っ書いてあるから素直に「メインは鳩で。フォワグラのソテーとリンゴのタタンの定番を。前菜のオマールのサラダ仕立てはふたり盛り付けや色合いを違うもので。対面式の席は苦手なので大人ふたりテラス側に向くように。メインのお皿を赤と青のラインのリモージュで、赤のほうを妻に・・・・・・・。もうことごとく間違いだらけで、これだけ対応できない伝言ゲームの成り立たないお店もないわよね。でも、まぁおいしく楽しく過ごしたみたいで不問にしてたけど、そこんとこ弱気でどぉ~よ。ご機嫌さんなのはいつもの別嬪さんにサービスされたからかな?それともいつものように持ち込んだワインのせいかしら。複雑なようで単純だからさ、このひと。今日は父さんと母さんの結婚記念日、20周年をお祝いする席でした。開けたワインはこれとこれ。「地球滅亡の日に飲むワインっていわれてるけど、それいつかわからんしな、ガハハ」と笑うのはシャトーディケムっていう甘口ワインの最高峰らしいわよ。「これはあと10年たって飲むべきだけど、あと10年後あるかどうかわからんしな、ガハハ」と笑い飛ばすのはロマネ・サン・ヴィバン、薔薇に包まれたような芳香があるのよ。「これはバラだ!」って父さんつぶやいていたわ。さ、父さんいつものセリフね。ここ、3年でもっとも大切な2本をついに開けますよ奥さん!心して飲んでくださいよ!「わたし、鼻炎でなんも匂わんのじゃけど」「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」まったくいつものオバカ夫婦よね(爆だわね ロマネ・サン・ヴィヴァン 2005 フランク・フォラン・アルベレRomanee St Vivant 2005 Follin Arbelet ワイナート25号「ピノ・ノアールの世界」特集で、大きく取り上げられた若い生産者です。本拠地はアロース・コルトン村。地質学者だったフランク・フォラン・アルベレ氏は結婚した奥さんの実家がブルゴーニュに畑を所有していた縁でワイン造りを始めました。初ビンテージは1990年の村名アロース・コルトンだけでした。1998年以降は、親戚からたくされたロマネ・サン・ヴィヴァン、コルトン、コルトン・シャルルマーニュの偉大なグランクリュ畑のワインも造っています。 (奥様クリスチーネさんの曾祖母がルイ・ラトゥールの娘さんという縁から・・) ブドウは100%徐梗され、15度で短期間の低温浸漬の後、自然酵母を使って発酵。今でもビジャージュは家族が自分たちの足でおこなうそうです。 グラン・クリュでは新樽比率75%。 非常に深い地下カーヴでじっくりとその熟成を待ちます。 そして、なんと!あの『神の雫』の中では、「果実味とスケール感と華やかな薔薇の香りと硬質なミネラルが包み込む-あのフォラン・アルベレはロマネ・サン・ヴィヴァンのなかでも別格よ」 と絶賛されているのです!最近、ワインを知り始めてから一番気になっていたワイン。ロマネコンティ畑の真下、土もほとんど変わらないのだとかイケムでは、1本のブドウの木からたったグラス1杯のワインしかつくらないと誇らしげに語られる。多くの場合、イケムに6週間から8週間滞在し、最低でも4回はブドウ畑をまわる150人もの摘み手のグループによって、ブドウが完璧に成熟するのを待ってひとつひとつ摘まれる。イケムは信じられないような熟成の可能性を持っている。イケムのワインはあまりに豊かでふくよかで甘いために、その多くはいつも10回目の誕生日を迎える前に飲まれてしまう。しかし、イケムが最高の飲み頃になるにはほとんどの場合15年から20年の年月が必要であり、偉大なヴィンテージは、50年あるいはそれ以上経っても、新鮮で退廃的に豊かなままであろう。イケムはほかの有名なボルドー・ワインと違って、プリムール、つまり先物で売られることはない。このワインは、通常はそのヴィンテージの4年後に、非常な高値で出荷されるが、費やされた労力、リスクそして厳格な選別過程を考えれば、最高の値札に値する数少ない高級価格ワインのひとつである。超入手困難!世界最高峰甘口白ワイン、『シャトー ディケム』。偉大なソーテルヌであるばかりか全世界が認める神話的ワイン。ワイン通に「完璧の域を超越したワイン」と言わしめる特別第1級格付ワイン!イケムでは1本のブドウ樹からたったグラス1杯のワインしか造られません。しかも収穫は150人もの収穫人が6~8週間かけて1粒1粒完熟するのを待って摘まれます。この1998年はパーカーポイント95点!クラスマン誌9/10点!IWC95点!ゴミーヨ誌五ツ星で95点!ル・グラン・ギド・デ・ヴァン・ド・フランス2012年版では5BDをつけ、「クラシックな偉大なイケム。豊かでしっかりとしていて奥行きがあり、豊かさが驚くほどに強調されている。完璧に熟成するであろう。」と絶賛し、18.5/20点!類まれなる傑作!上流階級の偉大な象徴!至福の瞬間は、ぜひあなたの手で!なんだかんだいいながらも、温かな春の日差しに包まれて二人はこれまでの歩んだ時間をかみしめるようにゆったり楽しく過ごしたようね。でもね。。。。。もうすぐ嵐みたい、嵐の前触れのように敷地内の多いな楠木がざわざわしはじめたわ・・・・・あたしはまだまだこれからよ。もう大きくなったもん♪ではまたこのオトボケ夫婦の実況をお送りするわね♪
2013年04月21日
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ああ、さむいわね南国土佐高知までもっ><;こんかいのGOGOみのたんお出かけシリーズは上のお姉ちゃんが来春からここ高知でお世話になることになったんだけど、そのお家探しとお祝いと家族の忘年会と合せてクリスマスのお祝いもしちゃうという企画。ええ、もちろん段取りと会計は父さんもちよ。母さんは相変わらず今日までにしとかなきゃならない用意を怠りパパまた悪寒(字チガイネ)お冠ナワケ!おでかけ予定時刻も大幅に遅れて父さんまたツムジから湯気がでてるし、そもそもオツムの中身も、、、大丈夫かしらん?なにわともあれ高知に着いてさっそくアパマンショップへ!アタシ、「アンパンマンショップ」と思ったわ、違うのね>、<;お姉ちゃんと母さんがお家探しの間、アタシたちはホテルへゴー。今日の御宿、アパマンショップのすぐ裏にある、すご技でしょ?でしょ?パパ「高知のお城に登ろうよ!」と提案も下のお姉ちゃんあぁ~~っさり却下おかげでアタシも狭いホテルの部屋で退屈しちゃったわ。そうこうするうち母さんたち帰って来た。お部屋の決め手はテレビのBSが観えるかどうか?だと、現代っ子だわねwささ、パーティーよpで、きょうのおごちそうは「ラ・ヴィルフランシュ」高知では名高いフランス料理やさんだそう。もちろんここは父さんのお見立て。創業1977年らしんでかなりの老舗。でも時間が止まったようなお店なのよね。いい意味でもわるい意味でも・・・・・ほんとうにお店のつくりも内装も雰囲気もパリのボーボーマニエールを彷彿させられるようなビストロなんだけど。でも、ここのマダムは一見の価値ありよね。みんなで入店して、いつものように奥の個室に案内されたわ。父さんいつもいい席を確保なんだけど、これは上客ということではなくって、たんに予約が早いのとお子チャマ連れなので奥に案内されたわけよね。で、ここからが本題なんですけど、あのね、、、マダムったら父さん以上にせっかちで席に着くや否や「何にされます?」これには度肝抜かされたわ。「メニュウまだみてないんですけど?」大笑いよみんなで、でも聞く耳もたずメニュウを広げて早口でまくしたてたわ「何言ってるのかわかにまてん!」大笑いよ。極めつけは父さん曰く、「予約したときもな、いきなり『で?メニュウは何にされます?』『はぁ@@???』『当日は大変込み合ってますので先におっしゃってください』だと、なにがあるかも知らんのになぁ(笑)で、しかたなく一週間前くらい渋々電話かけたらな、マスターがでて『別に当日で構いません』だと(笑)」で、おねえちゃんふたりはプチコース、おにいちゃんはブルギニヨンていう牛肉の煮たのとかの特別コース、大人はフルコースで「何を頼まれても結構です」の後間髪いれず「注文はまとめてください」だと(笑)でもうずら、鹿とかたのんぢゃった♪で、たたわしい注文に笑ったあとに冷菜の盛り合わせのはずがやたらこない(笑)頼んだワインもこない。父さん目ざとくサシャーニュモンラッシェ・クロヴァイヨンを注文なんと2007年で若いんだけど1万2千円とダントツ安い!でもマダムすっとんで来て「あいにく切らしてるようなんですけど・・・」半泣きなのよね(笑wで、厨房で「どうすればいいの?しんちゃん!」とか絶叫丸聞こえ(笑www「あの・・・・ないんでしたらあらためてメニュウを」で、ムルソーかシャブリ・グラン・クリュか定めたわ。シャブリは父さんンのこれまでのラインアップからして嫌いなタイプの対極なんだけどグラン・クリュだと「丸みがある・ふくよかな」とか表現されててフィネスもあるらしの。だから今日は賭けて!これ!Chablis Grand Cru Valmur 2009 (Jean Claude Bessin) 【白】シャブリ・ヴァルミュール 2009 (ジャン・クロード・ベッサン) 2007年もこのドメーヌは素晴らしいワインを生み出してきました。果実味の甘みはやはりあるものの、いつも以上に豊富なミネラルと酸が味わいを引き締めており、ダラけた印象の無い、キリッとしたシャブリらしい味わいです。試飲した父さん、だんまりだわね・・・・・・・・・・・・・・・・・(笑wとにかくこのあとも家族で笑って笑って楽しい今宵だったわ。今年はみんなでおでかけ&お泊まりははじめて、こんなこともはじめてで、どんどん子どもたちが巣立っていく前兆のようで父さんちょっぴり心の奥底がさみしそうねまた来年♪ で、翌日、、、倒産(字違w)父さんとおんなじで枕が変わると、っていうか、旅に出るとウキウキしちゃってアタシ起きたの4時よ4時(爆笑wんでもって、高知名物朝の日曜市でブラブラして「絶対なんちゃ買うなよ!!#」という父さんの厳命もむなしく母さん、最後の最後、さぁ電車に乗ってホテルへ帰ろうとする高知中央公園でマグロの切り売り整理券もらってそのまま並んで、、、買っちゃったわよ、南マグロの大トロを2キレも、、、、いくらしたかって?「・・・・・・・・・・・・・・・」父さんダンマリね♪次はアタシのお楽しみイオンショッピングモール。兄ちゃんは「ワンピース」父さん姉ちゃんたちは「ホビットの冒険」の映画を観るらしいだけど、アタシ「スマイルプリキュア」がいいんだけど終わってたのよね、でも母さんとふたりきりだからおもいっきりワガママ言うわ♪まずは高知名物アイスクリンよね・・・・映画なんだけど父さんは「はじっこの席がいい」下のお姉ちゃんは「ド真ん中がいい」上のお姉ちゃんは「一番後ろがいい」だって。けったいな家族よね(笑wで、映画も終わってこれから冒険よ長い長い暗いくらい洞窟にいくらしいよ父さん母さんは小学校の修学旅行以来だっていったい何年前よ(爆ささ、寒いけどがんばって行くわアタシ泣かないもん龍河洞(りゅうがどう)は、高知県香美市にある鍾乳洞。日本三大鍾乳洞の一つに数えられる。1934年(昭和9年)、国の天然記念物および国の史跡に指定された。2007年(平成19年)には日本の地質百選に選定されている。鍾乳洞の総延長約4キロメートルのうち、約1キロメートルが通常ルートとなっている。このほかに、冒険コース(前日までに要予約)がある。珍鳥センターと龍河洞博物館が併設されている。洞内より数十点の弥生式土器、炉跡、木炭および獣骨などを発見しており、弥生時代にあって洞内に居住した痕跡がのこるとして天然記念物指定と同時に国の史跡にも指定された。
2013年02月08日
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そして一夜明けた今日は全国的に雪模様な様子。旅にでると必ず早起きする習慣はあいかわらず、でも年なので若い頃に比べあれやったりこれやったりバタバタすることがない(何もしなくてもバタバタしている意味ではバタバタしてるのだが(笑)、だからホテルの真っ暗闇にボーツとひとり2時間半。最近、ベッドに背もたれテレビを観る気力体力すら減少しているのですよ。夜9時にテレビ観ながら10分たって寝てしまうひとっています?7時近くになってようやく初動。JR兵庫駅ガードレール下の吉野家で牛丼を久方に食し(年をとったのか、味覚が変わったのかどるが味が落ちた気がした)、朝風呂に浸りサンデーモーニング眺めていたら9時近く。娘ふたりに出発を伝え、9時、ホテルをでる。マフラーがはためくくらい強風のなか荷物をロッカーに預け三宮から、目抜き通りの商店街をポタポタ歩き、生田ロードを南下すればすぐに旧外国人居留地。神戸の街は歩きやすくいずれのスポット間も歩いて行ける範囲だ。山手から北野、三宮、元町、南京町、メリケンハーバー、ハーバーランド。三宮駅から10分も歩けば元町、そして南京町、旧居留地に行ける。神戸港の開港と共に、外国人のための住居や通商の場として造成された居留地。しかし開港当初は間に合わず、整地が終わって第1回目の競売が行われたのは慶応4年(1868)7月24日(西暦9月10日)でした。居留地の造成は当初から、ヨーロッパの近代都市計画技術を基に、イギリス人土木技師J・W・ハートが設計を行い、格子状街路、街路樹、公園、街灯、下水道などが整備され、126区画の整然とした敷地割りが行われました。この形状は現在もほとんど変わっていない。その一角にある神戸市立博物館。今日のお目当て「真珠の耳飾りの少女」。このあどけない少女が、世界中の絵画ファンのみならず多くの人々を魅了し続けている。フェルメールの名前はすぐに出てこなくてもこの絵を知らない人は少ないはず。それ故過剰に評価され過ぎている懸念もあるが、それに応えるだけの魅力はやはり持ち備えている。それでも1882年に競売ではたったの約2ギルダーでデ・トンブ氏に購入され・・・このほぼ黄色と青色だけで作り上げられた画面構成は確かに見事。しかも敢えて余計なものは描き込まず、バックを黒にすることによってこの少女が浮かび上がってくるような感じを受ける。下世話な表現だが、「生々しく」観えてくる。駆け足で30点ほど観て回り、ディネまでの時間潰しにポートタワーに登る。展望から見渡す山々は吹雪である。そして南京町をちょっとだけ冷やかして、今回最後のメインイベント「天空のオアシス」とうたわれるレストラン・オルフェへ。ファッション店主体の古びた雑居ビルの10階へ。エレベーターも古びた造りだが10階の扉が開くとそこは別世界だ。煌びやかなエントランス。豪勢さにはひけをとるのだろうが、ベージュ東京や一流ホテルのメインダイニングを彷彿させられる。案内されたのは昨夜のルミナリエ入口のガレリアを正面に見下ろす窓際。つまり、お店の最上席、今回も予約・段取りの神通力を発揮。この時期ルミナリエ点火の夜のこの席だとすごい席取り合戦になるか想像しやすい。実際10月初旬にこの夜の席を所望したが無理でした。ここで「決め!」れなければ夜の男性陣、お向かいに座った彼女さんは芽がありません、きっぱりあきらめなさい。席に着き、ワインでひとり乾杯するとた斜め向かいのルイ・ヴィトンのビル屋上からたくさんの風船が飛び立ち、これも演出かと勝手にほくそ笑む。どうやら結婚式場になっているらしい。 さて今回のディネ、娘たちは店名を冠した「オルフェ」・人参のムースとコンソメジュレ・瞬間スモークしたマグロと寒平目のタルタル仕立て 聖護院大根のソルベと共に・シャラン鴨モモ肉のクロメスキとレンズ豆のヴルーテ 砂肝のコンフィーを添えてPoisson ou Viande メイン料理(以下の中からお一つ)・仔羊背肉のじっくり炭火焼 タイム風味のジュで・神戸ポークプレミアムロース肉のロースト 酸味の利いたケッパーソース・本日の鮮魚の料理・シャロレー種仔牛 ロース肉のメダイヨン マスタードのソース (+¥800)・特選但馬牛ロースのステーキ 脂でコクをだしたジュのソース (+¥1500)Desserts デザート(以下の中からお一つお選び下さい。)・カレ・ド・ショコラ・ベリーとチーズケーキのミルフィーユ仕立て ピスタチオアイス添え・フロマージュ(ブラン)?マンジェとアールグレイのブリュレ蜂蜜アイスと共にPetit four 小菓子Boisson コーヒーなどタシはおまかせコースの「ミューズ」を。そして本日お持ち込みの極上のワインはこれ!シャンベルタ・クロ・ド・ベーズ2006 ドミニク・ローラン。彗星のごとく現れたブルゴーニュの革命児、ドミニク・ローラン。新樽200%ワインと言う異名をとり、魔法のようなエルヴァージュ(樽熟成中に行なわれる澱下げや清澄など樽熟中に行なわれる、ワインの躾と言われるもの)により果実味たっぷりのワインで一躍注目を浴びる存在に。ブルゴーニュの長老達から【黄金のブルゴーニュをよみがえらせた】と賞賛されたほど。しかし数年前(2000年頃)より新樽と旧樽を併用するようになり、エレガントさが加味され果実味が深化している稀有な逸品を造り上げている。今回は彼の自信作2004年が入荷!実際2004年をACブルゴーニュからグランクリュまで約40種類試飲しましたが、非常に素晴らしい仕上がりでした。昔のドミニクのワインは若いヴィンテージの時は樽香がきつすぎる事もたまにありましたが、数年前からそのようなことは全くなくなりました。それは新樽200%を止め、旧樽との併用が影響していると思います。まさにピュアで豊潤な果実味にエレガントさも加味された深化したブルゴーニュワインです!だそうですよ!今日もいないけど(笑)奥さん!今日は呑ンベェおひとり様なのでさすがに白一本は控える。謙虚に「白ワインをグラスで」でプィイ・フィメ。でもあっという間になくなり、2006 Calera Chardonnay Central Coast (U,S,A,California)をデミボトルで追加(爆笑)。シャベルタン・クロ・ド・ベーズは本日サービスをうけた劇団ひとり似なソムリエや支配人とも分かち合う。さて今回メインは娘たちに誕生日と入学祝いのデザートプレートとアコーディオン演奏。それを「ハッピーバースデー」の演奏をと予約時電話で伝え聞いていたのだが、「大学入学祝いがメインなのでなにか楽しい曲に」と変更を頼む。「いや~、レパートリーがハッピーバスデーだけなものでして」と罰悪そうに支配人。「予想どおりの回答だった」と大笑いしてしまいまして。楽しいひとときをありがとうございました。
2013年02月06日
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お寒うございます、イン神戸。紅葉の色づきが霞み始めた六甲の山肌も寒々しい。それもいそのはず最高気温7度の明日は風雪にもまれていました。師走も加速始める土日、一年の穢れを祓いにはじめての神戸ルミナリエ。「神戸ルミナリエ」は、1995年1月17日に兵庫県南部地方を襲った阪神・淡路大震災の記憶を次の世代に語り継ぐ、神戸のまちと市民の夢と希望を象徴する行事として開催。大震災が起こったこの年の12月、年初の悲しい出来事による犠牲者への慰霊と鎮魂の意を込めた「送り火」として、また、間もなく新しい年を迎える神戸の復興・再生への夢と希望を託して「神戸ルミナリエ」が始まった。未だ震災の影響が色濃く残り、復旧途上にあった神戸の夜に初めて灯った、イタリアからやってきた荘厳な光の芸術に連日感嘆の声があがり、震災で打ちひしがれた神戸のまちと市民に大きな感動と勇気、希望を与えた。そして、会期終了直後から継続を求める強い声が市民や各界から寄せられ、翌1996年の開催が決定。以来、市民や来場者、趣旨に賛同した事業者の支援と地元の理解・協力により毎年途切れることなく続けることができ、2012年には第18回目の開催を迎えた。「合格祝いに東京言うたけど、ちょっと予算が足らん。神戸でええか?」「かまん」とひとこと長女。そしてもうひとつの今回の神戸旅行の目玉がマウスリッツハウス美術館展。神戸市立博物館でのマウリッツハウス美術館展、目玉のフェルメール「真珠の耳飾りの少女」。それを父さんは娘たちに自慢げに「○○ちゃん、夏、東京で原画復刻版のオーストリッチ美術館の首飾りの少女見たろわ?」・・・・・と全部間違ってるよ父ちゃん。「あれちょうど東京でもしよったんやけど神戸で今やりよる、あんたも行くか?」「行く」とひとことでおしまいの二女。オランダのハーグにあるマウリッツハイス美術館は、ブラジル総督を努めたナッサウ伯マウリッツの邸宅を1822年に美術館としたもので、17世紀オランダ・フランドル絵画の殿堂。珠玉の名品約800点を所蔵、中でもフェルメールの傑作として知られる「真珠の耳飾りの少女」、レンブラントの「自画像」、フランス・ハルスの「笑う少年」など、オランダを代表する作品が展示。同館の改修によって貸し出しが許可され、約50点の至宝が神戸に。これらを長女の大学祝いを兼ねて、おまけで二女も誕生日のお祝いという一泊二日の趣向。大阪の妹も呼びよせてまず最初の目的地、ディネをめざすは阪急御影駅。妹と合流し、駅南口から南下して幹線道路を西へ約200m住宅地にひっそり佇む小さな喫茶店のようなお店、ここが珠玉の美食を生み出す御影ジュエンヌ、同業者がこぞって食事をしに来るのでもつとに有名。「神戸なら断然ここ。ギュールもいいと聞きます」と赤本の星の数を迷信する、自身も美食名ライターさんな?妹さんのお墨付き。ほんとうは芦屋のガーデン付邸宅レストランが第一希望なんだけど、あそこは週末パーティーだらけ。夜景が綺麗な高いビルの・・・・とか別邸風とか・・・・海の見渡せる・・・とか、いまだにおデートなロマンチック系キーワードにとことん弱いイナカモノマルダシですがね。 お店の扉を開けると4人掛けの小さなテーブル2卓とカウンターが8席。想像以上に狭い感じがする。4人がコートなど預けるのにお店側も客側も一苦労だったが、予約通りカウンターの奧に4人が着席。段取りと予約が早いのでいつも一番な上席になるわけ(笑)。旅行のときだけ威力をちょっぴり発揮する「まるくんヂカラ」です。寡黙なマスターとふたりの息子さんとお弟子さん、4人が無駄な動きを迎えて緻密に機械じかけの歯車を回していく。体裁は割烹風、しかし繰り出す料理は微塵の偽りのないフレンチ真っ向勝負。タシはこのお店を「真実のフレンチ料理」と呼んでいる。このお店を知ったのは大阪在住の美人な美食家奥様のブログ。きっかけまでとってもベタなところがタシの重ね重ねイナカモンたる所以。このブログに行きついた検索用語は「セイシェル」。以来、旅と食べ好きというふたつの趣味も重なっているのと豪勢な食事の画像と合せコケティツシュでかつ誠実で真摯なコメントに惹かれよく拝読させていただいている。でもなにより美人なところが一番惹かれるというのもまた隠しようのない事実(笑)。さてどんどん寄り道しないうちに御影でのオハナシ。黒ぶち眼鏡越しの目つきがするどいおやじさんにボソッと「いらっしゃいませ」と言われて、意外な気がして嬉しくってもう今日は天国間違いなしと確信した。そして静謐なコンサートがはじまる。タクトを振るのはもちろんオーナーシェフ。目配せやひとつの動きにあわせて3人の楽団員が静かに緊張感の張りのある音楽を奏でる。レストランとはまさしく劇場なのである。パリ、ランブロワジーの定番を彷彿させる赤ピーマンのムースとトマトのガスパッチョ。全国の有機野菜を明石蛸、帆立、エビ、〆た鯖などと色とりどりなサラダ。菊イモのロワイヤルスープ。ココット仕立て。フォワグラポワレと菊イモのガレット・トリュフソース。子羊の網焼きロース。味覚の至福至福至福なのである。これらのお供が本日無理を言って(あんまり無理言ってないけど・・・お店の方が「原則御断りさせていただいているんですが、どうしてもとおっしゃるなら」に応じただけだけど(笑)。ヴォーヌ・ロマネに本拠置く小さいながらキラリと光る「エシェゾーの名手」ことドメーヌ・ジャック・カシュー。ジャック・カシューのフラグシップ・ワイン、ヴォーヌ・ロマネ Grand Cru (特級畑) エシェゾーは、黒果実のような大地由来の複雑で深遠なうっとりする香りを備え、焦点がしっかりした深く奥行きのある味わい、力強くもエレガントで深遠なボディを特徴とするシェゾーの正統派スタイルともいうべき見事なワインです!!ジャック・カシューによるエシェゾーは毎年メディアでの評価も抜群に良い!ジャック・カシューのエシェゾーは、 1.09ha の畑から生産される。エシェゾー内でのリューディ (小区画) 構成は、Les Cruots (レ・クリュオ)、Les Poulailleres (レ・プーレエール)、En Orveaux (アン・オルヴォー)、Les Champs Traversins (レ・シャン・トラヴェルサン) と4つのリューディに及んでいて、特定の小区画に限定されないこともあり、エシェゾーの特徴を良く捉えた香り・味わいとも深遠なワインを生産している。妥協を許さない造り手として知られるジャック・カシューによるエシェゾーは、とりわけ評価が高く、このワイン故にジャック・カシューは「エシェゾーの名手」と評されるようになった。「まず、香りの単語を列挙したくなるほど様々な香りがグラスのあちこちから湧き上がってくる。」(リアルワインガイド誌31号)など、うっとりする香り、味わいは「焦点がビシッと定まり、奥行きがあり、ともかく深い。」(リアルワインガイド誌31号)など深遠、ブルゴーニュの銘酒とも呼んでも過言ではない実に素晴らしいワインです!!だそうですよ、今日は末っ子みのたんとお留守番だけど奥さん!!かわりにタシがひとりで愛で香り飲んでまいります。たらふく呑んで食べてまた寒空の下。元気をいただき、意外やにこやかにマスターとマダムに見送ってもらう。きょういちにちハッピーなのである。なにひとつ邪魔のないカウンター越し、作り手と食べてが向き合う姿に娘たちは何を感じ取っただろうか。帰りながら電話でマダムに伝えた。「大阪の○○さんのご紹介で。今度来られたときよろしくお伝えください」寒風の神戸の空の下、大げさだけどなにかが繋がりなにかが伝わったような気がした。そして今宵、阪神淡路の大地震をはじめ多くの魂の鎮魂を捧げるルミナリエの光と夜と帳にも通じる道なのだと感じながらホテルへ向かう。
2013年02月04日
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「なんで、朝のこんなはよから出かけないかんの?」いつも訝るハニー。「ひとの緻密な旅行の計画避難する資格あるんか?いつもお気軽おまかせの癖にっ」「どこ行くんだろかぁ?フア~~。。。。」「それよりひとが起こして支度せぇいいよんのに、なんで違うこと始めるんぞ?!洗濯やか子どもらにまかせとけ言うたろわいっ#またギリギリセーフでないかい#」でも、今回は「クルマでトレイン」申し込んでいたから駅前の駐車場に留められるからまぁ余裕かな?発車3分前でギリギリには違いないけど。「ここ、月決め契約の駐車場よ。一日契約のほうはあっち!」と真っ暗闇のなかから不細工な熊のヌイグルミを着たような駅のオッサンが叫ぶ。ヒエェ~~~~。。。。 「父ちゃん、ちゃんと調べとけっ#先降りて汽車止めとって」「ムチャ言いよるわ、人身事故でも起こせいうんかっ!」そんなわけで、いつもどおりお約束の暗澹たるも滑稽な幕開けで、5時26分発岡山経由京都行きの旅はじまりはじまりっ。今回は嵐山嵯峨野を巡ります。ベタですね。ええベタですが。世間一般様の定番紅葉狩りですが、タシら家族は9~11月末まで土日祝日メイッパイ行事続きでこれまで適わぬ幻の旅路でございました。しかし、ザ・オンダンカのおかげで最盛期は過ぎているもののまだかすかに余韻に浸れる程度の紅葉狩りに預かれるようになりました。昨年は東福寺へ参拝、いやものの見事な艶やかな絶景つづきでした。秋の紅葉おこぼれシリーズですなっ。でも、今年はここ1週間の寒波で状況は微妙。それより嵐山、何より想像を超えたすごい人出らしい。今回めぐりたい寺社の紅葉は、JR嵯峨嵐山から清凉寺をさっと流し、宝筐院をじっくり愛で、祇王寺を巡り、二尊院を急ぎ足で回り、落柿舎は塀の外から写真をパチリ、常寂光寺を駆け足で、野宮神社は通りすがりで流し、竹林を抜け、天竜寺は外からチョイ眺めて、ササッと渡月橋へ、とんぼ返りで嵯峨嵐山駅へ。これら約10の寺社旧跡名所を約3時間で回る予定。ええ、もちろんデクノボウなお荷物ハニーを伴っての急ぎ足の旅、とうてい自力では無理難題な相談。そこで活躍するのがレンタサイクル、ママチャリでゴー!でございます。毎日片道4キロの道のりをママチャリで往復するまるくんには十分果たせるというもの。問題はわずか500メートルの通勤距離をエスティマで通う「運動不足」という言葉を石膏ボードで固めたようなハニーですな、いずれにしてもいつもかつでも・ザ!モインダイジ・ハニーな図式でございます。そこで、駅前の「トロッコおじさんのレンタサイクル」も下調べ済。(ただし、後の祭りで「なんで電動自転車にせんかったん?」と嫌みを言われる始末)予想に違わぬほぼ完ぺきにスケジュールをこなしました。その最たる理由は・・・・・・・・・・・・・・・。紅葉がすでに終えていて、ほぼ落葉巡りであっため(笑い泣き。トホホホ・・・・・・。でもはじめてハニーと嵐山嵯峨野を巡り、若き頃のオデート王な感覚が蘇ってまいりました。20数年前の美女な彼女さんと渡月橋で撮った写真がハニーの被写体とだぶり感慨もひとしお。 ちょっぴりロマンチシズムをうずうずさせながら次に向かう美の饗宴な今回の最終目的ディネは烏丸御池衣棚通りにある「ラ・ビオグラフィ・・・」当店のHPにはこう掲載されています。「――今日まで、偉大なchef により受け継がれた、技術・精神・美的感覚・哲学などがあるように、次は、私が次世代に伝える義務があると感じています。今現在、表現していることが、次世代によって今後スタンダードになっていれば、これほどうれしいことはないと思います。それがLa Biographie・・・です――」美食を伝承していく使命感、そんな気概が伝わってくるまだできたてホヤホヤのレストラン。しかし、京都ブライトンホテルの名店「ビィ・ザ・ビィ」長年けん引してきた腕前。期待大でありまする。ここにはいつものように我が手法、2本の名醸ワインを宅配で送り済。今回のライナップは「シャトー・ド・ボーカステル シャトーヌフ・デュ・パプ ルーサンヌ ヴィエイユ・ヴィーニュ ブラン 2000年」と「クロ・ド・ヴージョ・グラン・クリュ・特級2005年 ドメーヌ・モンジャール・ミュニュレ」それぞれこう喧伝されている。「完璧なバランスの取れた偉大な白ワイン シャトー・ド・ボーカステル シャトーヌフ・デュ・パプ ルーサンヌ ヴィエイユ・ヴィーニュ ブラン 2000年 は超入手困難なレアワイン!年産500ケースの貴重な白ワイン!平均樹齢75年のルーサンヌ100%!造り手はシャトーヌフの二大巨頭として高い評価を受けるシャトー・ド・ボーカステル!パーカー五ツ星生産者で95点!WS94点!IWC93点!「死ぬ前に飲むべき1001ワイン」の中で「ミディ全体の中でももっとも注目すべき白ワイン」と絶賛!ヒュー・ジョンソン氏も「ルーサンヌを使った素敵な白だ。5~14年寝かせるべきもの」と大注目!公式サイトで「他に類を見ないほど複雑性に富み、完璧なバランスの取れた偉大な白ワイン。魅力を十分に引き出すため5~6年は寝かせてお楽しみ下さい。」と紹介!ハチミツや熟した洋ナシの皮、スパイスケーキやマンゴー、アプリコット、マカダミアナッツの香りを伴う、グリセリンに富んだフルボディで濃厚だが重いワインではない。驚くほどの香味が長く続きます!ペランさんは、「ルーサンヌのワインは固有の変化をしますので、覚えておいていただきたいのですが、瓶に詰めて4~5年すると、このワインは閉じてしまいます。この時にワインを開けると酸化したような味わいで、若干色も濁っているように感じると思います。ですから、その期間はワインには触れず、そのまま4~5年寝かせておいてください。10~15年くらい経過すると、ワインはミネラル感豊かで、得も言われぬ味わいになり、その後も、さらに良い状態で熟成していきます。ワインの中のミネラル感はヌフ・デュ・パプのテロワールに由来するもので、熟成させることによって、このワインは本領を発揮していきます」と解説」だそうですよ奥さん!今回はブルゴーニュの白から離れながらもいつもと違わぬ美味しい!の怒涛の嵐まちがいなし。そしてもう一方の「クロ・ド・ヴージョ・グラン・クリュ・特級[2005]年・ドメーヌ・モンジャール・ミュニュレ元詰CLOS de Vougeot Grand Cru[2005] Domaine Mongeard Mugneretブルゴーニュ高級辛口赤ワイン愛好家大注目!飲み頃。5年熟成。バックヴィンテージ!しかも満点5つ星★★★★★年の[2005]年のグラン・クリュ。1620年からヴォーヌ・ロマネ村に居住し、現当主で9代目の由緒ある造り手!寿命の長い見事なワインを造る事で知られる人気生産者からサザビーズのシニアディレクターでMWのセレナ・サトクリフ女史に「チョコレートのような味を帯び、力強さをその内部に秘めている。肉付きが豊かでおおらかな後味がいつまでも漂う」と言わしめたクロ・ド・ヴージョ特級!平均樹齢40~68年のピノ・ノワールを手摘み100%!オーク樽(ヴァンサン氏自らトロンセの森の隣で切り拓いた上質のオーク材を18ヶ月乾燥して造ったこだわりオーク樽)の新樽比率100%で18ヵ月熟成!(モンジャール・ミュニュレの畑は古城近くのメオ・カミュゼの畑にA.ユドロ・ノエラを隔てて隣接する畑と、アンヌ・グロの畑に近い部分の2箇所という好立地)しかもモンジャール・ミュニュレでは'85、'90、'93、'99、'02に匹敵する出来映えといわれる2005。マット・クレイマー氏に「濃厚なクロ・ド・ヴージョは、大変優れている」と絶賛させた、究極クロ・ド・ヴージョ特級!しかもアラン・メドゥのバーガウンド・ドット・コムで驚異の91~93点獲得。カシスリキュールのように糖度が高く、そして甘く豊かな果実味!スパイスの香りが強く、タンニンと果実味のバランスが非常に素晴らしい究極の味わい!の究極フルボディ特級が少量入荷!時間をかけてゆっくりとお楽しみ下さい」これまた涎がでてきそうではありませんか、奥さん、楽しんでくださいよ、ゆっくりと、ね。JR嵯峨嵐山駅発12時6分発二条駅12時20分着東西線乗換12時26分発烏丸御池着12時30分お店の前に12時34分。夏のMOTOIと同じような京町屋造りの家構え、こちらはややこじんまり。わずか12席の美食の饗宴の幕開けです。店の前で写真パチリしつつ引き戸を開ける。真っ暗な店内から現れたのは白い肌が映える京美人!のレセプショニスト。暗闇にライトがあたりお顔を照らす様は来週行くフェルメールの絵画みたく。「わぁ!可愛いっ♪」思考回路が完全にパターン化してきたのが自分でも滑稽なくらい壊れた回路系コンピューターまるくん。でも掛け値なしカワイイんですからしようがないじゃないですかと自ら諌め。シンプルなしつらえに清んだ中庭を眺める店内には力強い書画がかけられている。今回もとっておきの席を用意してくださり、めくるめく口福の連続でした。アミューズのサブレ北寄貝のセビーチェ 朝採りラディシュ チーズクロカンとカカオ煎餅 ムースリーヌボンボン 柿烏賊など5皿7種のアミューズ帆立貝柱 茸の軽いブイヨン ロワイヤルウフ・アラ・コック シブレット エピスクレーム メープル甘エビ セジール・マリエ 胡瓜 キャビア 赤ピメント五島列島沖鮃 プレミアムセッセンス2010 花キャベツ アマンド 檸檬ビュルゴー家 シャラン鴨の低温100分グリヤード シンプルなジュ 地野菜フラマージュ・ブラン 洋ナシブラリーヌ ナッツのカラメリゼ ヌガーグラッセ カラメルラクトカフェ ミニャルディーズおいしいの魂の連続でした。そして、初々しい美女もたっぷり愛でさせていただきまして。ほろ酔いも加勢し今ディネの口癖は・・・・・。「若い頃のハニーにそっくり!」ちょっとイタイ系ですが、なにか(笑幸せな時間を過ごさせていただきました。
2012年12月16日
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今日は今日とてスペシャルに、奥の蔵を改装した個室を予約済です。梁のある高い蔵の幻想的な雰囲気と卵をかかえるイグアナドン君とよく合います。「あの・・・・・これはなんでございますか?」と支配人。そう、今日もお伴は恐竜君たち♪料理に合せてワインを選ぶのではなくワインに合せて料理を店を選ぶトコトン自己流まるくん。いやもっといえばコレクションの恐竜フィギアに全てを合せてるって噂もチラホラ(笑)。ムルソーにつづきお願いしてある赤ワインはこちら。「―――ロマネ・コンティとラ・ターシュ。どちらもワインファンなら一度は飲んでみたいと憧れる超高級ワインですよね。本日は、そんな憧れの特級畑に挟まれた抜群の区画で造られる特級ワインを入荷することができました!この地球上でもっともぶどう栽培に適した場所で造られるロマネ・コンティは、誰もが「世界最高」と認める特級ワイン。ロマネ・コンティを取り囲む畑もぶどう栽培の条件はほとんど同じですから、全て特級に格付けされています。中でも毎年ロマネ・コンティとトップの座を争うほど高い評価を贈られていて人気も急騰しているのがラ・ターシュ。そんな、ロマネ・コンティとラ・ターシュに挟まれた絶好の区画から造られているのが、本日ご紹介するフランソワ・ラマルシュのラ・グランド・リュ。こんなに素晴らしい場所で造られたワインなのですから、グランド・リュにも人気が集中するのは当然ですよね。あれよあれよという間に、ついに3万円を超えてしまいました。ロマネ・コンティの真隣という、これ以上ない条件を持った特級畑なのですから3万円でも安いくらいなのに、1万円台で手に入るなんて、これはもうお買得を超えて「破格」ですね。口に含んだ瞬間に一気に広がるパワフルなフルーツの風味や、ビックリするほど深みのある味わいは、さすがはロマネ・コンティ真隣にある特級畑ならではの風格。タンニンはとても力強いのに果実味に完全に溶け込んでいて、少しもザラついたところがありません。ワインがスルリと喉を通り、ジンワリと全身に染み込んで行く様子は見事としかいいようがありません。飲み込んだあとには豊富なミネラル感が顔を出し、驚くほどエレガントな余韻がいつまで続きます。ひと口飲むごとにこのワインの深い味わいに、どんどん引きこまれてしまうんです。どれかひとつが突出することなく、お互いを引き立てあいながら絶妙に絡まりあう美味しさは、まるで「完璧な球体」と呼ばれるお隣のロマネ・コンティのよう―――」どうですどうです?奥さん完璧っ!でしょ? カレー粉をまぶしたヘーゲルナッツのキャラメリゼオリーブのケークサクレピュアホワイトのグラス 南半球のトリュフ 蝦夷塩ウニのジュレとあさかぜ胡瓜のムースリーヌ広東風に焼き上げた皮つきバラ肉鱧のベニエ ガスパッチョの粉末スッポンのジュレ 熱いコンソメスッポンの血のパートフィロ包フォワグラナチュラル 賀茂ナスのテリーヌフォワグラナチュラル 海苔センベイと数種のミントとリ・ド・ボーとフランス茸のフリカッセ吉野川の天然鰻と黒泡の赤ワイン煮じっくり焼き上げたアマダイ たっぷりの野菜とシジミのムース北海道焼尻島の子羊バスク豚フロマージュのグラス宮崎マンゴーのプリン加納岩桃のパフェ冷やし飴とモチ米のリオレ小さなスイカ割分厚いリストからのお茶ミニャルディーズ丁重でソフトな支配人のサービスと笑顔絶えないマダムの心配り、そして心身ともに充実(?)気鋭のシェフの優しくも力強さのある、今日の選択ワインにピッタリのお料理の数々。そしてこの優雅にして雄大な箱と合せて、すでに風の便りでの評判以上の風格もある、日本屈指のレストランになるのは間違いなし、太鼓判いくつでも押せますが?めくるめく至福の料理=空間ですよ、ここは。なにもかもがアタシのなかであっという間にナンバーワンになりました。まるくんのフレンチめぐりここにキワマレリ、完結編のようです。また何度も来よう!あれ?どこかでも言ったっけ?(苦笑w結婚記念日のハニーはブーケまでいただき嬉しそう。痩せればもっと似合うのに、アザミに、とまるくんはちょっとだけ不機嫌(笑)。蔵をでて鮮やかな白・紫の蘭やトルコキキョウの花がほころぶダイニングを覗かせていただく。今日からだという初々しい新人のコミ・デ・ランのお姿も。「まぁ、かわいらしい、お嬢さんですか?」「いえ違います(笑)」これも、出会い、再訪したときの彼女の成長ぶりがまた楽しみだなっ♪また、嬉しい楽しみができました。旅は青空。すがすがしく皆さんとお別れをし、また大汗かきながら今度は伊丹まで末っ子おんとし3歳のみのたんをお迎えに大忙しの旅ですっ(涙目
2012年10月08日
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それはそれは美しい町、宇治夢の架け橋ならぬ夢浮橋を渡りそこは別天地絵も言わさぬ美しい風景がそこここにありました。そんな宇治の美しい町が、訪れた次の日大きな水害に見舞われました。みなさまにお見舞い申し上げますとともに一刻も早い復興を願ってやみません。Motoi モトイ 京都町屋のフレンチレストラン / コント ラフォン ムルソーシャルム1998「遅うても8時半には出発ぞ」「はいはい・・・・・・・」で、なんで8時半まで最上階の大浴場でゆったり寛いでいるのですかね?ハニーちゃま(弩毎度毎度な逆源氏絵巻を見せられながら、めざすは源氏物語の舞台、宇治です。京阪本線9:05分北浜発の段取りがお約束どおり計画遂行が大幅にずれ込みそうな予感。ただし気にはすまい、今日は予報がはずれてとびっきりの快晴。気分上々、参りましょう。夢の浮橋、さわらびの道、宇治上神社、宇治神社、朝霧橋、喜撰橋、平等院、本当に夢の浮橋にたたずむような夢心地にさせてくれた宇治の町。平等院鳳凰堂1052年に宇治関白藤原頼通が父道長の別荘を寺院に改めたものです。「鳳凰堂」は、その翌年に阿弥陀堂として建てられました。大屋根には鳳凰が飾られ、内部は絢爛な扉絵で、装飾されています。二重の天蓋や雲中供養菩薩も必見です。「鳳凰堂」の前には、池を配した庭園(史跡・名勝)がありますが、創建当初は宇治川や対岸の山並みを取り入れて、西方極楽浄土を表現したものといわれています宇治上神社元は下社の宇治神社と一体で平等院の鎮守社ともいわれる。本殿は平安時代後期に建てられた現存するわが国最古の神社建築であります宇治神社本殿は鎌倉時代のもの。他に、木造狛犬や白色尉面など、貴重な文化財が伝わっていますその二日後に甚大な大雨被害に見舞われたことをニュースで知る。当日の足止めの新幹線で知った東海地方といい、被災された皆様におかれましては衷心よりお見舞い申し上げます。おもいかえせばハジメに伺ったときも、あの東日本大震災の直後で、後ろ髪引かれる思いながらも自然とひととの関わりを学ぶため子どもたちと訪問を強行しました。今回もまたひとつ喜びと重ね合う悲しみを学びました。生きる、ってことを。平等院の予想以上の麗しさに酔いしれ予定もさらに遅れJR宇治駅に12:09分。すでに大幅な遅れは取り戻す余地なし、ここで本日お邪魔させていただく本日のレストランmotoiへ電話を。応対したのは春のウグイスのようなうららかな声が受話器越し。とても透き通ったお声は名乗った名前からマダムに違いない。彼女にあるお願いをする 「お送りさせていただいているワインのうちコント・ラフォンのムルソー・シャルムがあるのですが、このワインをそろそろ抜栓しておいて欲しいんです。花開く前にいつも呑み乾してしまうものですから(笑)。状態によってはデキャンタージュしておいてください」自宅から送ってある2本のワインのうちのひとつ。「――ムルソーの双璧を担うコント・ラフォン!ムルソーの最も偉大なプルミエ・クリュと言われる「シャルム」の畑!ドメーヌ・デ・コント・ラフォンは言わずと知れたムルソーのスぺシャリスト。世界の白ワイン、トップ生産者10傑(2006年『デキャンタ誌』においては第2位)に入り、ムルソーのもうひとつの巨匠、コシュ・デュリと双璧をなしています。現オーナーのドミニク・ラフォン氏は4代目。父ルネ氏の代で名声を不動ものにした後、現在のドミニク氏の代では、醸造テクニックに偏っていた古い手法から一新しました、新しい醸造技術を取り入れるとともにブドウ栽培にも重きをおき、大きく飛躍。ムルソーの造り手たちの指南となったのです。その功績はムルソー全体の評価を高めたといっても過言ではありません。ビオディナミ(有機栽培)を実践し、収穫を最小限に抑えることで非常に高品質な葡萄を育て、瓶詰めまでの間、澱引きや濾過を一切行わないという製法で、非常に濃密で芳醇な白ワインを作り上げています。シャルムはペリエールと双璧をなす素晴らしい畑。最も南寄りの「シャルム」は急勾配にあり、豊満でわかりやすい。 ブドウが良く熟すため、常にパワフルなスタイルになりますが、決して「ただの重たいワイン」にはなりません。豊かな果実味と、しっかりとしたミネラルからくる堅牢さを兼ね備えているワイン。ナッツやバターのようなアロマと、、キレの良いミネラルが完璧に調和しており、最後まで果実の味わいが感じられる余韻もあります――」だそうですよ奥さん!今日も今日とて心して呑んでくださいよ!12時半入店の予定が1時過ぎ。この間、マダムから着信「迷ってたりしてませんか?」などとお気づかいいただきご尊顔を拝見する前から大ファンに。レフェルヴェソンスの○○○チャンと双壁、東西対決や~(例えが激違#京都市役所前地下街を歩きに歩き、御池中学を経て、のはずが一本道間違えなんとか修正し、めざす町屋レストラン。呉服屋さんを改修した180坪の大レストランです。門ののれんをくぐり、引き戸から覗いた玄関に佇む、はんなりした品のある笑顔の菩薩さまとご対面。「まぁ~なんてお綺麗なっ♪」それってデジャビュ・・・・・・・・・・・・・昨日と全く同じだな(笑いや、いつでもかつでもこのパターンだなっ。行動体系、薄くってゴメンナサイ。ハニーに「トイレお借りしたら?」と勧めて彼女がいない間、間を持たせるつもりで激写しまくりも、昨日と同じ手だなっ(笑
2012年09月30日
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ヴァリエ 中之島 / クロ・ド・ラ・ロッシュ2005 ドメーヌ・ポンソ 暑いですね2012夏オオサカまでもっ。。。。。今回は、愚息お兄ちゃんまるくんが伊丹の従兄たちのお家へ夏休み旅行にでかけるのに「末っ子おんとし3歳みのたんも一泊だけお伴でお預けする」ことで活路をみいだし(?)ハニーと一泊二日京阪神美食の旅、またまたで股も裂けそうです。 2週間前の二女との東京旅行とほぼ同時並行に2ケ月前から計画していたため忙しかったことなんの(笑wこの間、東京大阪ともに計画倒れ=泡となって立ち消えたお店・レストラン数知らず=ご縁がなくてごめんなさい=お眼鏡に適わなくってごめんなチャイナ。午後2時前のJRに飛び乗り新神戸で息子娘と涙涙の別れ(大嘘)、のあと再び新幹線。「あれ?さっきののぞみ、まだ止まっとる」「え?なんでだろ。まぁええわ乗ろ乗ろ」「なんかあったんだろか?」と訝るハニー。タイミングよくアナウンス。―ただいま情報によりますと名古屋・安城間で1時間に100ミリを超す猛烈な雨のため新幹線運行を見合わせております―だと・・・・。「やれやれ、危ない危ない」というのも、この新幹線で新大阪まで行き、梅田乗り換えで阪急線武庫之荘駅まで連れて行く予定だったのが先方の都合で新神戸に降ろす、と昨夜急遽変更されたわけ。つまり、武庫之荘の予定どおりだと大幅に遅れてしまうわけで、アナ恐ろしヤ。結局車中で1時間待たされて、新大阪到着5時過ぎ。慌ててホテルで荷を解き、向かうは中之島。いつもの「Uチャン♪」はまたまた浮気してパス(もう行くこともないかも~~、あっ!でもシャトー・ラフィット・ロートシルト2001とガングロフ・コンドリュー2009を人質#違#預けてるのだった・・・・・)。今宵は「ヴァリエ」ベルナール・ロアジスの美食を継承した新古典主義的な正統フレンチです。楽しみです。肥後橋から4番出口、渡辺橋へと向かう中之島を歩き堂島川沿い、立派なビルが立ち並ぶなかひときわ荘厳なギリシャ・イオニア様式の列柱にビルが映えます、ダイビル。いつもと違いややキンチョー気味。美しいモダンなロビーからエレベータにて2階の奥まった重厚な扉がまたキンチョー度増し増し。ドアが自動ドアなのはなんとなく判っていたので立ち止まり、ウィ~ンご開帳を待つ。開けゴマの瞬間、口にしたのは・・・・・・。「まぁ、なんてお美しい」はじまりましたいつものまるくん節ナニワ節っ鬼わ外っ。綺麗なレセプショニストいじり開演です。いや、実はいじられてんのはこちら側か?(笑スレンダーで小顔でネコちゃん系の綺麗なお姉さんに秒殺です。これだからおいしいレストラン巡りはやめられません、こっちもすごく御馳走!(違!「私よりもお店を撮ってください(笑)」とたしなめられつつもお姉さん撮りまくり、ハニーも横にし・・・・・。「なんだか、ボーリングのピンと天使の羽毛だなぁ~(笑)」うまいこというね、まるくん、あいかわらず、って感心してる場合かハニーよ!マックス越ではないかい?痩せる努力ちょっとはせ~~よ!(弩)「そうそう、アンタ、先にトイレ行ってきたら?」で、お姉さんとしばし話し込む。「暑いよね~。バターになりそうよね~~」東京と同じや(笑)。案内された今宵の席は堂島川を望む窓際のカップル席。リクエストってこともあるんだけど、あいかわらず特等席です。ガニェールもロブションもトロワグロもハジメもアキュイールもユニッソンもフジヤもナリサワもリルもレフェルヴェソンスもいつも奥まった所にある落ち着いた丸テーブル&良い席。すっごく早くから計画するもんだから(笑)。「ちょっと若いカップル向けだけど、まいいか(笑)」今宵の美食はハニーにはスペシャルメニュウ。アタシは良質なワインがお伴で十分ニコニコ。今回持参したのはドメーヌ・ポンソさんのクロ・ド・ラ・ロッシュ2005 ヴィエイユ・ヴィーニュ。これは美味しいこと間違いなしっ! 「―――2005年最高のワイン「クロ・ド・ラ・ロシュ VV「クロ・ド・ラ・ロシュ VV」。約17ヘクタールあるグランクリュのうち、ポンソは3・4ヘクタールと最大の所有者である。ポンソがこのクリュから偉大なワインを生産したことで、地味なイメージのあったモレ・サン・ドニ村に光が当たったといってもいい。ルロワやユベール・リニエ、デュジャックらほかの優れた造り手も手がけているが、やはりポンソ抜きでは語れない畑だ。 「さて、これが05年で最高のワインだ」。ローランが笑いながらグラスに注いでくれた。色合いは先ほどの2つより濃いルビー。ブラックチェリー、甘草、生の牛肉のゴージャスな香り、太い果実と突き抜けるミネラルが口中を満たす。シャンベルタンの強さとボンヌ・マールの優雅さを兼ね備えた壮麗な構造。ローランによれば、アルコール度は15%を超すというが、きれいな酸と深い奥行きがあり、重さを感じさせない。当分は口をきけないほどの長い余韻。50年を超す樹齢とヘクタール当たり20ヘクトリットルを切る収量の賜物だろう。妥協なきブルゴーニュの金字塔だ。「これは完璧なワイン。偉大なワインを造るのは人間ではない。自然だ。ワインを説明するのは私の仕事ではないが、あえて語るとすれば、クロ・ド・ラ・ロシュはいつも野生のチェリーの香りがする。アリストクラティック(貴族的な)ワインだ」確かに言葉はいらない。飲めばわかる。「05年で最高のワイン」と言い放ったのは誇張ではない。後になって評論家の評価によって証明されたのだ。米国の評論家のステンファン・タンザーは最近の「インターナショナル・ワイン・セラーズ」で95~99点という最高に近い評点をつけた。エレベーターでビンを熟成している上の階に昇る。ローランがカギを入れないと動作しない仕組みになっている。盗難を防ぐためだという。80年代からの貴重なボトルが無造作に置いてある。話題を呼んだ2003年の「クロ・ド・ラ・ロシュ VV」のマグナムも目にした。ロバート・パーカーが99+点をつけて激賞したワインだ――――」だそうですよ、今夜も貴女に虜っ!ではなくてポンソさんラブ。ハニーも「いままでで一番おいしい」ラターシュ1994年、グラン・エシェゾー2005(ルネ・アンジェル)さんも超えました。「文句なしうまいっ!」ブルゴーニュのワインって、ビロードのようになめらかで艶があり甘さすら感じる。そしてお店のリストで頼んだワインはこちら。ピュリニー・モンラッシェ プルミエ・クリュ “スー・ル・ピュイ” 1999年 ルイ・ラトゥール社 (フランス・白ワイン) 「――――高級辛口白ワインの代表格!ジャッキーリゴー氏が「偉大な年であり、優れた造り手のところでは例外的な年」と絶賛する1999年!家族経営を200年以上貫くルイ・ラトゥールのピュリニー・モンラッシェ一級!マット・クレイマー氏は、「端正を失わない。酸の強さは目印に等しく長命である。引き絞った弓を思わせる味わいは、またとないものだ。」と絶賛!一級アモード・ブラニーに近接!モンラッシェ特級より標高の高い北側の山の斜面にある一級“スー・ル・ピュイ”!当初は緑がかった黄金から、壜の中で熟成するにつれ華麗な黄金色に深まっていき、味わいは年月とともに奥行きと複雑さを備えていく。蜂蜜、アーモンド、サンザシ、桃に加え、シダの香りが特徴的!秀逸なキメを持つリッチな味わい!ルイ・ラトゥールならではの洗練された引き締まった作風を思わせる逸品――――」これも期待大ですよ奥さん。随分ピュリュニー・モンラッシェ村のグラン・プルミエ・クリュクラスも制覇してきました。今宵もこれらに抱かれた夜に乾杯っ!アペリティフの伴侶 アミューズ Suprise de Foie gras Porto et de Figue ポルトルビーで包んだムース フォアグラ いちじく キャラメリゼ エピス風味 ● ● Oeuf Frit & Noix de Saint-Jacques juste Saisir Mousse de Salsifis en Casserole ココットでゆっくりエチュベした牛蒡のムースリーヌ 帆立貝のセジールとフライエッグ ● ● Ailerons de Volaille Farcis,Consomme de Boeuf et de Purre de Haricots Blanc ビーフ コンソメゼリー 白隠元豆ピューレ ハーモニー 手羽先 コンフィの詰め物とマッシュルームの軽いエキューム ● ● Sélection de Poisson ( Selon le Marché ) お楽しみ お魚料理 ● ● Tian d’Agneau á la Menthe poivre japonais 仔羊のティヤン(プロヴァンス料理) ミントと有馬山椒の香り ● ● Avant-Dessert お楽しみの小さなデザート ● ● La Grande Assiette de Dessert 桃のカクテル ベリーニ “ヴァリエ” ● ● Mignardises 小菓子
2012年09月16日
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レフェルヴェソンス L'Effervescence 西麻布 ポケット一杯の幸福レストラン「もしもし、すみません。7月○○日、日曜日のお昼2名ですがお席どうでしょうか?」「はい、ご用意できますが、何時にご予定でしょうか?」この瞬間、身が震えるような感動を覚えた。何故ならどんなにすぐれたレストランで、どんなに類まれなレセプショニストを配しようとも「少々お待ちください、ただいまご確認いたします」の対応から入るのが常道なのに、朗らかで健康的で知性を感じさせ澄んだ声の持ち主は即座の応答である。閑古鳥が鳴くそこんじょそこらの都心のレストランではない。シェフはミッシェル・ブラスで素材の扱いを学び、ファットダックで化学的調理のアプローチを学んだ新進気鋭の若手で、サービスにも定評のある都内屈指のガストロノミックを楽しめる予約困難な店である。しかも晴れの日の利用が多い週末だというのに。私はこの優れた女性ともっとお話がしたくてその日は嬉々として電話を切った。そしてしばらくたってからあらためて確認の電話を入れた。幸福な時間は壮大なシンフォニーを奏でながらなお続いていくのだ。「お忙しいところすみません。7月の○○日に予約させていただいている○○と申します。ちょっとご確認いただけますか?」「いえ、とんでもございません。○○○さまですね、ありがとうございます」また即答である。一体どんなシステムになっているのか、彼女の思考回路がどんな構造なのかワクワクドキドキ嬉しい悲鳴をあげつづける。「実は2点ほどお願いがございまして、当日は娘と2名でお邪魔させていただくのですが、彼女の誕生日が近いもので・・・・」このとき声にならないような声で「わぁ~~~♪」と祝福するかのような感嘆が届いた。向日葵が咲きほころぶ丘の上に一本の大きなポプラの木がある。そこにはブランコがありこれを漕いでみると眼前に紺碧の海と青空が水平線に溶けるような色合いをみせ、心地よい貿易風が身をやさしく包んでくれる。彼女の声と仕草に、そんないつまでもそこにとどまりたい幸福感があった。「で、なにかお祝いのオプションがございましたらご対応願いたいのですが」名前付きのプレートでお祝いしてくれるのは事前にリサーチ済である。彼女は懇切丁寧に説明して名前を確認してきた。「○○○ちゃんですね。おめでとうございます」そして次である。「お昼のコースの『おでかけ』は二人、テーブル同じで注文と伺っているのですが、素材によってお皿を変えるとか、また『寄り道』と『牧場』をそれぞれお願いして、プラスαでおでかけメニュウからも追加とかは可能でしょうか?」「こちらにつきましてはシェフとご相談させてください――――」ひとまず電話を置く。午後一番、彼女から(お店から)の電話が鳴る。「シェフも喜んでご対応させていただくそうです。――娘さんのお名前が○○○さんですが、私名字が○○○です。よろしくお願いいたします――」「お綺麗なお声で、やさしいご対応ありがとうございます。○○○さんのお声なら毎日聞いていたいぐらいです」「そんな・・・・・涙がでそうになります」
2012年09月01日
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お暑うございます、2012トーキョー。。。。。アタシの頭もキンキン熱いです、たまった垢は厚いです、ええ人望は厚くありませんし徳も篤くありません。そんなゴロ合せはど~でもええとして、暑いですねっ!(弩“)今日は大学受験を控えた長女(そんな家庭状況&家族構成なのに旅行三昧とは鬼親子か?)から二女に急きょ買い物指令が入り、六本木の新国立美術館見学をとりやめ渋谷ヒカリエです。長女の土産指令・・・・パジャマのようなタオル地のパーカー@@はぁ?なのです。ノンノやらなにやらファッション雑誌を部屋ぢゅう散らかしながらファッションにご注進なのにこのセンス、あきれてチチダンマリです。そこが背中をピシッとし鳩胸を突き出し、腰を振りながら渋谷のスクランブル交差点を大きなサングラスをして堂々闊歩する二女と大きな違い。←それはそれで、これも考えもんですが(汗。。。。渋谷ヒカリエの美女づくしの店員さんたち(マヌカンとはもう言わないんでしょ?アタシらの時代はそう呼んでたけど(笑)を物色(違#)しつつ、とっとと買物済ませた二女と40分で渋谷ヒカリエを後にし、向かうはやっぱり六本木。今日は11時に入店しなければならないのです。なんでって?キーワードは白亜の一軒家レストラン、内装はエリザベス朝時代を彷彿させるような絢爛豪華な広々とした店内、各種サロンあり、ウェイティングルームが充実、とならばそうですよ、若奥さん!結婚式にピッタリなのです。なので、週末だからして3時から貸切パーティー予約があるらしく、ランチの客は前倒しで11時入店13時30分には強制退席なのです、本日。昨日のナリサワと日程入れ替えも考えたけど、こちらは2ケ月前ネット予約してるんで上席には違いないと、このまま突入を試みることに。なので、今日はホテルで早朝4時半にはドンベエの天ぷらソバ啜ってまふ(笑ご存じでしたか?東日本と西日本ではカップメンのお味が異なります。しかも西日本の粉末スープと違いこちらは液状スープで七味つき、濃厚派のアタシとしては断然こちらがおいしい。まずは汁にひたさず齧る天カス揚げのおいしいこと、スープにひたしてどんどんお味の変化も楽しめますしね、今回東京滞在で一番おいしかったのはこれからも(爆笑w)朝からブラックニッカが進みます♪え?なんです?さて、六本木駅からヒルズを横目に六本木通りを西麻布方面へ、しばらく歩き閑静な住宅街のなかに突如そのお城風邸宅はあります。わりと小さめで意外ではありますけど。昨日のナリサワと同じく「バターになりそうです」とレセプショニストにセリフを吐き、ファッションピンクな待合室にて待つことしばし。「ではご案内します」と、とびっきりの笑顔が愛くるしいコミ・デ・ランの女性にエントランスの扉を開けてもらうとそこは優美な非日常の空間請け合いです。ゆるやかならせん階段に誘われ優雅に時が流れる華やかなメインダイニング。豪華なシャンデリアとらせん階段を眺められる一番奥の丸テーブル。背後には豪奢な大きな鏡が映えます。想像通りのうっとり感にジブンの天の邪鬼さをすっかり忘れさせられる気分(苦笑)。今日も良い席に恵まれジブンの徳の篤さに感心しいり(勘違#)。なんせ今日のために特別メニュウを事前にアポイント済。今日は時間の関係でアラカルトはなし、ランチコースの2種のみと申しつけられたが、そこは特別仕立てでなきゃ納得いかない食いしん坊まるくん、ただではころびません、お金払ってくれれば何度でもころびます(違うし)。 二女のコースアミューズ・ブーシュフォアグラのメダイヨン パイナップルのコンフィーパッションフルーツの香りカジキマグロのロティー プロヴァンス風プレデセールマスカルポーネチーズとグリヨットのムースリーヌハイビスカスのソースカフェ 小菓子これのうち、カジキマグロをスペシャリテ・グルヌイユのムースリーヌ‘ポールエーベルラン’に変更それとデザートを同じくスペシャリテ「ペーシュエーベルラン」に変更まるくんのコースアミューズ・ブーシュグリーンアスパラガスのヴルーテ ホタテ貝のクネル地鶏腿肉のクルスティヤン《オーベルジュ・ド・リルのスペシャリテ》いろいろな部位を使った豚の一皿<スタイルシュークルート>プレデセールショコラとバナナのサンドイッチバナナのアイスクリームと共にカフェ 小菓子これに、冷菜 《オーベルジュ・ド・リルのスペシャリテ》鵞鳥のフォアグラのテリーヌ オーベルジュドリル風を追加カンペキですっ!昨日はナリサワの料理に「ここは何料理屋さんなん?」と真顔で尋ねた二女も、顔を紅潮し高揚したのは言わずモノがな、ここはいたくお気に入り。「ここドラマで見たことあるわ」「ほうほう、GTOやったっけ?」「全然違うしっ、なんかキムタクの・・・・・」「ああ、弁護士の?」「違うし」「華麗なる一族のそのあとのTBSのドラマだったっけ?」「ほうほう、それよ!」「なかなか名前浮かばんな」名前が浮かばない・・・・最近とみにその傾向が強くなってきているアルツハイマー予備軍まるくん、なのである。しかし、加齢とともに地名人名件名が浮かんでこないばかりではなく、これまでのアタシの健康への過剰な配慮が影響しているかもしれない。アタシは幼少のみぎりより健康の留意に努めてきた。特に脳への健康。なるべくなるべく脳みそを使わずに小学生時代から過ごすよう努めてきた。おかげで算数や数学の点数がゆで卵チャン♪だったのも一度や二度ならず、母は号泣し父は激怒しながらも、それでも健康への配慮でアタシの脳みそ使用頻度は極端に少ないまま歳月送るだったの、エッヘン!ケンコウバンサイ。よくもまともかどうかはともかく社会人になれたもんだと今更ながら呆れかえりやや後悔もしてますが、なにもう脳みその活性化は不可能です。でも二女のために後日調べました。木村拓哉と篠原涼子の「月の恋人」フジの月9らしいです。ええ、全然記憶にないですし、知りませんっ。それよか、この豪華な世界に身を委ねてみましょうよ。今回お伴した恐竜たちにメーテル・ド・テルもえらくお気に入りで。「私の息子も恐竜大好きなんですよ。幕張でぜひお会いしましょう」「これまたお皿にあってますね~。ここはこう置きましょうか」といちいち講釈に二女もオオウケです。それにしてもセンスですね、どのお店にも今回恐竜たち見事なコーディネート。実はこれが一番やりたかったこと!“っていう噂がもちっきり(違”さ、今日のワインは当然、アルザス本店の三ツ星レストランに敬意を表しアルザスでしかもスペシャリテの鵞鳥のフォワグラを頼んでいるのでスィート系で。「ドメーヌ・ヴァインバック / ゲヴュルツトラミネール グラン・クリュ フュルステンテュム キュヴェ・ローランス 2006」「1612年にアルザス地方カイゼルベルグ地区にカプチン派の修道僧達によって創立された、「ワインの小川(Wach)」という意味の名前を持つドメーヌ。醸造所はアルザスで最も有名なグラン・クリュ畑のシュロスベルク(城山)の丘の麓にあります。1898年にファレール家の所有となり、二代目にあたりアルザスAOCの認可に力を尽くした名手テオ・ファレ-ル氏に引き継がれました。彼の亡き後、1979年からコレット夫人と2人の娘カトリーヌ、ローランスという3人の女性によって運営され、現在は長女のカトリーヌがドメーヌ運営全般、次女のローランスが栽培・醸造を担当しています。ナチュラルな果実味と繊細な味わいで、“クラスマンで三ツ星”、“ワイン・アドヴォケイトで五ツ星”と、共に最高ランクに評価され、その名を世界にとどろかせています。1998年より一部ビオディナミを導入し、2005年ヴィンテージから全面実施。栽培面では自身のドメーヌの有機栽培の葡萄を100%使用。除草剤、化学農薬、浸透性農薬は一切使用していません。アルザスの認定産量を大幅に下回る産量に抑え、最適な熟成時期に手摘みで収穫。辛口ワインでもボトリティス菌が付くことで、ワインの香りの複雑さや骨格が強化されます。 醸造面では、継続的に注意を払いつつも、介入は最低限に抑え、個々の葡萄やテロワールの表現を最優先。やさしくゆっくり圧搾し、 1500~6000Lのオーク古樽で発酵。ゆっくりと長く発酵させることでワインの複雑味や深みが増すため、天然酵母のみを使用。」だそうですよ、奥さんっ、甘い~~ハニーなワイン♪心してのみましょう、一滴もこぼさずにね、あ!?今日も呑み手はひとり(笑w)では、今日も二女に桃のジュースを渡して「カンパァ~~~イ」知ってます?このお店、あるひとりのコミ・デ・ラン。世界一の笑顔を魅せてくれますよ、貴女の瞳にもカンパイッ♪
2012年08月26日
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ナリサワ narisawa 4年連続「世界のベスト・レストラン50」日本 パリに行く代わりに良質な大阪・東京フレンチレストラン巡り。「食べ歩き」だグルメだなんて、とんと縁がない身だと自覚しつつも、もうお年もお年だし、ガブ呑みして後でキンキン頭が痛くなるボロワインよりも「呑みたい憧れの良質なワイン」を良質な廉価な価格を求めて購入し、それを温めつつ(物理的・正確には冷やしつつ、だけど)旅にでる。 2010年夏、ピエール・ガニィエールを皮切りに3年目に突入。その後しばらく大阪シリーズが続いたが、今回は東京に矛先を向け直して、いざ出陣。2ケ月位まえからの各種予約や計画が楽しくって楽しくって、ね?旅のだいご味ですよね。ああ、いつまでも旅していたい♪でも、今回旅のお供はニックキ#もとい最愛♪ハニーではなく、ナゼカ二女。でも、家族でイチバン「臆せず」なタイプ、なので彼女に引っ張っていってもらうつもりでココロは「娘とデート♪」。ちょっと冴えないオヤジサマとしては長年の夢のような世界ですが、実現するとは思いもよりませんでしたわん、わん。で、彼女とのオディト、選びに選び抜いたのがまずは麹町のロワール風庭園&邸宅レストラン「エメ・ヴィベール」、前回ハニーと至福を過ごした「キュイジーヌ[s]ミッシェル・トロワグロ」。しかしエメ・ヴィベールは決めていた日程のいずれも「貸切パーティー」が入ってるので、とあえなく撃沈。そうなのです週末、こういう邸宅レストランは結婚式が売りなので。次に矛先を向けたのが同じく邸宅レストランてことで「オーベルジュ・ド・リル・トウキョウ」そしてトロワグロの布陣。麹町のホテルをすでに予約済。で、なぜ日程の変更をも検討しなかったかは娘を東京へ誘惑したセリフが「スカイツリー登りに行くか?」なもんで(笑w)お上りさんがお登りさん、サルも木へどんどんノボル、なのですよ(笑wその東京スカイツリー予約が2ケ月前から、抜け目なく日没前・夕焼け・夜景の3点セットを欲張り、7月下旬東京の日没予定時刻を事前調査のうえ、PM6:00~6:30を選択し、朝一番のネット予約でゲット。そこから逆算してホテル・航空券などなどを後追い予約。ね?まるくん、おデートリサーチには重宝するでしょ?テヘ♪でも、時間がたつにつれひとの心は移ろいやすいもの、いつのまにかデートのお相手が変わり(違う#)欲が増し、もっと高みに登らなければと、勘違いしやすいもの。行ったことのあるトロワグロは、あのスレンダーな美人レセプショニストのとびっきりの笑顔に後ろ髪を引かれつつ、「ナリサワ・narisawa」に心は様変わり。ナリサワ=旧名「レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ」。旬の素材を活かした美しいひと皿に、給仕のプレゼンテーションにも目を見張るものがあります。週末のランチは、毎月第一週に設定された予約日にほとんど埋まってしまう人気ぶり。堅苦しくなくお洒落な雰囲気で、一流の料理を味わえるレストランです。しか~~も!!世界各国のシェフや批評家らが選ぶ「世界のベスト・レストラン50」が4月30日、ロンドンで発表され、東京・南青山のレストラン「Narisawa」が27位、六本木の日本料理店「龍吟」が28位に選ばれた。「Narisawa」は昨年の12位に続いて4年連続。えーいダメ元で、と電話したのがちょうど1ケ月前、そしたらあっさり「どちらの日もお席はご用意できますが、土曜日のほうはほぼ埋まっておりまして入口近くのお席になってしまいます」ええ、それで分相応なのですが、小心なイナカ者ではありますがフレンチレストラン入店だけは何故かキンチョーしなくなっておりまして「あ、それでは金曜日でお願いします」あげくに後から「窓際の奥で対面式でない席をお願います」と要求する徹底ぶり。そして、ホテルも麹町から南青山へ変更した。前置きが長くなりましたが、ここはとってもお高いランチ、大阪では可能なワイン持ち込みも適わず、どういう構成でいこうか研究しつつ、震災の復興や原発問題、各地の罹災対策あげくに熱中症対策も加わり大変な日本のさなかで、「アタシガゲンキデアラネバダレガニッポンヲゲンキニスルカ」の気概をもち旅立ちです。 窓から眺める富士山の頂上が雲で隠れて見えない経験をはじめて経由し、いやはや暑い暑いトーキョーです。めげそうです、3歩歩いてすでに大汗かきますた。2時間たっぷり涼しい渋谷109で過ごした娘を店まで迎えにいくのもはばかり「駅まで来て(泣)」、そこから半蔵門線で青山一丁目。そこから大きなビルを3・4軒跨いでめざすレストラン。笑顔のレセプショニストに迎えられ最初に発した言葉は「バターになりそうです(泣)」想像してたより狭いホールの席に勝手に座り込み「暫時休憩させてください(笑)」数分後、木目の重厚な自動ドアから入り夢の世界の幕開けです。案内されたのは、想像と要求どおりのオープンキッチも眺められ、かつ窓際の上席。 本日のメニュウ。Summer collection 2012森とともに生きる森 夏の森のパン2012苔炭木のエッセンス2007菜園・里山からの贈り物菜園キャビア賀茂ナス 祇園海からの贈り物黒アワビ牡蠣とタマネギハタと木の目森からの贈り物炭2009 飛騨牛イチゴ バラ オリーブモモ以上が手渡されたデギュスタシオン・メニュウ。これを「娘が最後のお楽しみまで行きつかないと可哀そうなので」とハタと牡蠣をカットしてもらいおなか具合と財布具合を調整(爆笑w)。これがアタシのとった当初からのミッション=作戦です。ワインはエルミタージュと決めてあります。これまでレストランではコンドリュー若しくはアルザスのゲヴェツトラミネールかトケイ・ピノ・グリ、なんとかのひとつ覚えのまま。大阪だとブルゴーニュのグラン・クリュクラスを持ち込みだけど、自分がテーマとしてきている「蜜のようなニュアンスがあるフルーツの香り」、ほかにもあることを研究済み。ロワールのサヴニエール・クロ・ド・ラ・クーレ・ド・セランとかね。今回3軒巡ってワインは完ぺきだった。褒めてつかわす。ソムリエにお願いしたワイン、今回はこちら。「ジャン・ルイ・シャーヴ・セレクション/ エルミタージュ・ブラン・ブランシュ 2006 」「――ジャン・ルイ・シャーヴは今ローヌでは神聖化されている生産者。ロバート・パーカーが2003年に満点をつけたことでその人気はとどまるところを知らない。サン・ジョセフや最高格のワイン、エルミタージュが図抜けて素晴らしい。赤はシラ-100%で作られるワイン。ドメーヌものが圧倒的に素晴らしいことはいうまでもない。若い内はジュースのようなつい若飲みしてしまいそうになるエレガントの極地のようなワインだが、熟成することにより信じられないほどの複雑さを醸し出す。今回入荷したワインは、フィネスの輸入したもので今までのワインはなんだったんだろうとまで思わせるほどに状態が違うのである。今回のジャン・ルイ・シャーヴ・セレクションはエチケットは違うのだが以前から他のインポーターも扱っていたワイン。それが今回フィネスより輸入されたのは非常に嬉しい。このシリーズはネゴシアン物なのだが、シャーヴとしては例外的に早熟で驚くほど美味しいのだ。まさにローヌファンのみならず飲んで感激すること間違い無し!」だそうですよ!奥さん!あ、今回はハニーはいなかった(笑)ではおひとりさまでいただきましょう、二女にはイチゴのフレッシュジュース、でいざ乾杯!!!
2012年08月21日
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しあさってが満月、今宵もきっと想い出に残る一頁になったに違いない。で、一夜明けた本日である今日どころか今現在が雨なのか曇りなのか晴れなのかさっぱりわからぬ超気ままな天候のなか「ツタンカーメン展・天保山特設会場」へ行ってまいりました。ハニーと思い出のかの地エジプトを新婚旅行先に選んだのがかれこれン十年前、1993年のこと。流れ流された歳月に驚愕しまた落胆もし(苦笑)つつ、思い出のカイロ博物館やルクソール左岸王家の谷めぐりを再び試みようとの魂胆でふw「―――3300年の時を超えて、今なお人々を魅了し続ける古代エジプトの秘宝。中でも人気が高いツタンカメン王ゆかりの品々が展示される『ツタンカーメン展』が、3/17[土]~6/3[日]まで大阪天保山特設ギャラリー(旧・サントリーミュージアム、海遊館となり)で開催される。今回は、ツタンカーメンの王墓から見つかった副葬品約50点など、日本未公開の展示品を含むエジプト考古学博物館(カイロ博物館)所蔵の122点を展示。さらに、世界最高峰のエジプト考古学者ザヒ・ハワス博士の研究成果にも注目したい。この貴重な機会に、謎に包まれたツタンカーメンの秘密に触れてみてはいかがだろうか―――」ええ、触れさせていただきましたとも。「注文の多い料理店」(by宮沢賢治)みたく何度も何度もチケットと整理券のチェックと何度も何度も別の大部屋に通されては行列並ばされて、こっちが料理される気になりましたとも(アアツカレタ)。。。「カイロ博物館なんかガラガラだったけどな?」お昼は予約ギリギリの中央線大阪港発本町経由四つ谷橋線肥後橋まで。めざすは今旅行のみならずこれまでの日本・フレンチガストロノミーめぐりの本丸中の本丸。なんせ、5月31日からはおひとり様税・サービス込みで約3万円なりの一日一営業のみの28席。この準備期間中1ケ月前からは月曜から木曜まで準備のため休業。この世界中、日本が不景気まっただなか暗雲立ち込める今日この頃になんとも強気なともすれば高飛車ともいえる姿勢である。襟をただすべきは店側か客側かはさっぱり謎wあなたのその高貴なお名前はHAJIME RESTAURANT GASTRONOMIQUE OSAKA JAPON(ハジメ レストラン ガストロノミック オオサカ ジャポン)さん。ああ、長ったらしいのでハジメさん。そのハジメさん、あと1ケ月後には強気なというよりも攻撃的な姿勢が次々と打ち出されており、やれ3日前からキャンセル料100%に、やれその1週間前のリコンファームがとれなかったらキャンセル扱いに、やれ最低2名から最高4名のテーブルのみに変更、2ケ月前決まった時間帯わずか11:30~14:00のみの予約受付に、やれ写真撮影は全面御断り、やれ15才以上に年齢制限変更に、となかなか世界の隅々を見渡してもこれほどストイックなレストランは存在しないのではないかという始末。が、レディーガガやらマリアカラスやらのプラチナチケット以上に入手困難な席取りになるのはすでに間違いなし。庶民はせいぜい今回くらいのランチでとりあえずお茶を濁しておけっwな入店2・3回目です。え?ハニーははじめて?ちょうど大震災後すぐの一年前、娘ふたりとお邪魔してました(呆れたw)。いつもの重たいドア二枚を開け、狭い待合にてしばし待つ。「お友達恐竜フィギア君」で「ちょっと遊ばしてね」綺麗なお姉さんがたに冷笑されながらしばし待つ。ん?ハニーはどこぞ?またトイレか(これまた冷笑w)。フランス人がみた茶室のイメージを日本で再現したというなんとも奇怪なコンセプトの店内はうす暗くしかし、料理をおいしく魅せるライトにテーブルを囲む客までもが美しく浮かび上がっている。前回はどんどん奥に案内され意外や意外に個室だったので、今回店内が案外喧騒なのにちょっぴり緊張もほぐれる。え?緊張してたの?まるくん。ええ、だってここのサービススタッフどうも固いんですもの?客の気持ちをほぐすつもりのマニュアルがすでに逆説的に固くさせられるのです。コペルニクスの変動説ですな。 ま、ともかく今回もアミューズ3品。定番のミネラルに特に事前にお願いしてたフォワグラのタルティーヌと2時間低温で焼き上げたラカン産仔鳩。66種の野菜のミネラルにあわしたのがルフレーブの念願であったピュリニーモンラッシェ・レ・ピュセエルを予算の都合でメメしく断念し、(ただし2日後くらいにメメしく大後悔し)同じくピュリニーの「ピュリニー モンラッシェ プルミエ クリュ レ フォラティエール2006」「―――日照に恵まれているため重厚な味わいがあり、テロワールのもたらす風味に特徴があります。ロバート パーカー Jr.は、『フォラティエールは標高、土壌の基層ともにシュヴァリエ=モンラッシェと似ていて、特級畑に近い酒質のワインを産する』、と評しています。 淡い麦わら色。花、ヘーゼルナッツ、フレッシュな藁の深い香り。タイトで少し角があるが、その奥には、素晴らしくジューシィで、柑橘系の果実やミネラル、白い花のフレイバーが隠れている。最初は甘さとしやなかさが控えめだが、空気に触れると、厳格さを残しながらも、まろやかさが出てくる―――」ですと、今日も今日とて心して飲んでくださいよ奥さん。そして鳩とフォワグラのタルティーヌ(とくにフォワグラの薄いクリスピーなジャガイモとなかのヘーゲルナッツ・イチジクのコンポートなどを挟んだサンドイッチに)合わしたのがマジ・シャンベルタン2001年 アンリ・ルブルゾー。「アンリ ルブルソーはブルゴーニュ地方で最も有名な赤ワインを産する村、ジュヴレ シャンベルタン村に本拠を置くドメーヌ。18世紀に立てられた美しい屋敷の周りをはじめとし、ジュヴレ シャンベルタン村とクロ ド ヴージョに村名AOCからグランクリュまで計約13haを所有。近代的な設備を導入しつつも、醸造法は伝統的なものにこだわり、アペラシオンごとに土壌や気候などの自然の要素を表現する、すばらしいワインを造っています。1919年にその父親が所有していたぶどう畑を再結集させドメーヌを興したのが、アンリ・ルブルソー将軍でした。その後を息子のピエール・ルブルソーが継ぎ、1980年代に至るまでドメーヌを大いに繁栄させました。現在ではアンリ・ルブルソー将軍のひ孫にあたる、ジャン・ド・シュレル氏が当主を務めています。元々、生産量が少ない上に、地元フランスでは三ツ星レストランにも納入されるなど人気が高く、日本にはあまり入ってこないレアなワインですアンリ・ルブルゾーのワインは土地のナマなエネルギーを伝える本物!! アンリ・ルブルゾーは、シャンベルタンのワイン造りについて、淀みのない考え方で臨んでいる。 シャンベルタンのワインは堅牢さ、力強さを個性とし、その個性をレースやフリルで包んでも、奇怪なものになってしまう。むしろ、完成度を高めるには個性を伸ばすことにあると考えている。 「多くの人は、一番いい造り手になろうと努力して、あれこれ考えてしまう。 だからワインは、考えすぎた味になってしまい、テロワールから遠くなる。 実は、いい造り手になろうとしないこともまた大切なのだ。」考えすぎずに土地そのものが持つエネルギーと個性を伸ばし、ワインに表現すればよいという。実は、いまどき、そうシンプルに開き直るだけの度量、見識、経験を持つ人はすくない。また、そのようなワインも貴重なもの、それゆえアンリ・ルブルゾーの「正統派」シャンベルタンはフランス国内のみならず国際市場でも極めて高い評価を得ています。貴重なマジ・シャンベルタンは並外れてレーシィでエレガントな口当たり。スパイス感が混じる熟したブラックベリーと赤い果実の心地よい果実味。深い味わいがひろがり非常に長い余韻が残ります。そろそろ飲み頃です(さらに10年の熟成も可能)。2001年は新樽で17ケ月間熟成です。納入されるなど人気が高く、日本にはあまり入ってこないレアなワインです」ですと!奥さん、完璧なコーディネートでしょ。そうそう写真撮影は今回が最後。お友達とたくさんたくさん撮りましたよ。ネットで公開するなんてこれっぽっちも思わぬが、心の残像の支えにねっ。一年前に入店されたという美しいソムリエのお姉さんが注いでくださりよけい美食に華を添えて。「すみません、お友達が邪魔ですよね・・・・」「いえ(笑)で?ちなみにお友達はどれくらいいらっしゃるんですか?(微笑み)」「ええ、二百人ほどいるんです、またいつか次回をお楽しみに」良質な肉質管理と絶妙の火入れのラカン産仔鳩のメイン終え、怒涛のデザート攻撃がはじまる。その前哨にちょっぴりサプライズのハニーのお誕生日プレート。こういうときってすべての女性が女の子、になるんだよね。深紅のバラも添えられて。食卓にバラ?突然、デジャビューが襲ってきた。「――――エジプトを離れる時間は刻一刻と近づいている。もうすぐ明け方前のアッザーンが聞こえてくるはずだ。静かに窓を開いた。闇のなかにポプラの木が浮かんでいる。 静寂ななかにも激しい音がどこからともなく流れてくる。寄せては返す波のように--。 今からでも、あの広場に舞い戻りたい激しい衝動にかき立てられた。 誰かが体を揺り動かすかのように―――――。 しかし、そのとき目にしたもので自重した。もう一つの「物語」はいらない。 目で見やったのは妻が眠っているベッドのシーツだった。 真っ白なシーツの上には、もうすでにしおれかけたバラがあった。 もうひとつの物語―――――真っ白なシーツの上には、鮮やかなバラがあった。「いっつもバラね・・・・・・・」いつだったか妻が呟いた 言葉が蘇った――――― 」肥後橋のレストランの一角でエジプトの風が吹いた。そういえば私たちは今朝、カイロ博物館蔵のツタンカーメン展を訪れたばかりだった。「いっつもバラね・・・・・」いつだったかエジプトのある町のあるレストランで呟いた妻の微笑みが蘇る。私にとってはハニーと出会って以来ずっとバラに囲まれていた気がする。ハニーに感謝したい。おしまい
2012年08月15日
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やってきましたハニーお伴の「大阪食い倒れ」 ならぬ 「食った後に泣き倒れ(お財布が・・・)」シリーズいったいもう第何弾目@@?昨年のGWから随分と上阪を重ねに重ねてまいりました。ちょうど一年、今回は大収穫&多訪問のいつもの愉快なヘンテコなユニッソンデクールではなくチョイ浮気、というかいよいよココロに秘めていた本命の彼女、本丸突入の感強し(ユニッソンちゃん、ごめんね。。。オジサンまた近いうちに・・・)。「Fujiya1935」 と「HAJIME RESTAURANT GASTRONOMIQUE OSAKA JAPON」(ああっ長っw略してハジメレストラン)です。心してかかれよハニーめがっ。で、GWシリーズであるからしてお子たちも同伴です。ただし、上のお姉ちゃんふたりはなんとGWの真っただ中に高校授業参観日&PTA総会という無謀極まれり、さにもあらん大暴挙を果敢に挑む高校側を無視するわけにもいかずお留守番さすことに。ただし、ニ女が一泊のみ同行の予定だったが「わたしやっぽりやめとく」で経済的には負担減だが、まてよ@@末っ子おんとし3歳今年めでたく幼稚園年少さんみのたんのお取り扱いが大ピンチではないか。連れていくわけにはまいりませぬ。急遽バアバに甘くささやき代役ベビーシッターに指名。神戸や大阪にいる妹たちも巻き込んで、3日間ふたりだけの時間をやりくりしましたよ。さて、今宵はホテルから歩いて一分(笑)、食にうるさい輩たちも絶賛のかのタイヤ屋さんが売り出す赤表紙観光本の三ツ星に煌めくFujiya1935さんです。ええ、もちろんあんなわずか数人で1.2回訪問してのいいかげんな評価なんか「評価に値しません」、かといってゾンビのように湧き出てくる顔なし名無しゴンベなブロガーさんたちの評価も「全く評価にあらず」。まずは自分で行って感じとけと、当日午後にみのたんを天王寺動物園に連れて行き「疲れさせておけ」作戦。だけども、すっかり連れまわされたパパが疲れ果ててしまい策士策に溺れるの図であります。で、出発時刻にロビーで疲れ呆け待ちぼうけのまるくん。ピポパqqq「おいっ!5時50分にでるぞっ言うたのにまだ何しよんぞっ!」「はいはい今いきますよ」出発時刻過ぎてもロビーで疲れ呆け待ちぼうけのまるくん。ピポパqqq「こりゃ###何しよんぞ#」「ばあちゃんたち大浴場行っとんじゃけど入浴カード忘れとるけん持っていくんよ」あのですね・・・・・浮世のうさばらしのつもりがすっかり浮世のまんまではありませんか。「ここ、家でないんぞっ###いっつも同じ行動体系とるなっ(弩弩弩)」ようやく出発18時15分。「で?何線で行くん?」「知らんっ###」「父ちゃん、堺筋本町の駅こっちよ、また間違えよる」「間違えてないわっ#もうその辺でラーメンにする#」「天王寺動物園で歩き疲れて、もう全然歩けれんのじゃけど(泣き)」で、50歩ほど歩いて内本町2丁目交差点、松屋町筋を行き3軒目。ありましたよ。ま~~ひっそりとしたお店だこと。幼少のみぎり大好きだった「大きなまちの小さな家」絵本そのもののビルに挟まれた一軒家です。素知らぬ顔でどんどん通り過ぎていくハニーを罰ゲームで歩かせておいて。「あっ♪ここだここだ」「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」店は入り口が鉤状になってるのは前もって知ってたんだけど、入店して入口向こうの狭い間の軒を行こうとするハニーにはびっくりしましたとも。相変わらずのビバ!ハニー。1階が真っ暗な待合と奥が厨房。待合で香煎をいただき一息つく仕組み。今日は「白樺で汲んだお水です」滴がしたたる睡蓮を模した?青のモニュメントが幻想的。春は店内では小鳥のかすかなさえずり。しばらくして2階へ案内される、その前に重厚な木の扉が開き厨房からシェフとご対面。2階では万を持しての予約(2ケ月前きっかり)だったのでまたまた得意の(?)一番奥の席。大胆なようで気弱なふたりはいつもガストロノミーでは全体が見渡せる意味での奥の席が大好き。ラッキー☆「きょうはようこそいらっしゃいました。ワインお預かりさせていただいております。それから夏みかんお届けいただきありがとうございます。びっくりしましたが」ユニッソンデクールでの会話とそっくりになったけど(笑)。サービスを受ける立場なのにいつもサービスしてしまうイナカ者まるくんw実は善人らしい・・・・・・。ソムリエさんからわざわざ届いたことのお電話いただき、イナカモノが選んだワイン2本を「大変緊張しますががんばります」と心やさしいお心づかい、ありがたいです。「ではさっそく開けてさせていただきましょうか?」「ま、まずはハニーにカヴァを、アタシはおいしいシェリーがあれば一杯」それらをふた口であっという間に呑みほしてしまうふたりなのです。「ではさっそく開けさせていただきます。いつもこのようなものお飲みですか?」「けっこう最近飲んでますね。コントラフォンのムルソー・シャルムとかも考えたんだけど、ワインが豊かに開く前に30分で飲み干してしまうふたりですから(恥w)」ギガルのコンドリュー・ラドリアーヌ2009年。昨年の新春ロブションで2007年。夏にユニッソンデクールで2008年をそれぞれ飲んでいる。最も好きな白のひとつ。「―――わずか2ヘクタールの自社畑から造られるギガルのドリアーヌ。「モンラッシェやディケムにも匹敵する」と言われるコンドリューの最高峰。この2ヘクタールの畑は2区画に別れていて1つはコンドリューの丘の上、もう1つは有名なシャトー・グリエの隣という文句無しの場所にあります。オークの小樽とステンレスタンクで50%ずつに分け、低温でゆっくりと発酵を行います(小樽の中にも温度調節用のチューブを入れて温度調整をしています)。そのおかげでヴィオニエ種特有のアプリコットを思わせる風味をそのままに、力強さと複雑さを伴った白ワインに仕上げることが出来るわけです―――」だそうですよ奥さん、今日も心してくださいよ。シャブシャブ飲まずにね。「で、メニュー拝見したんだけど竹の子あたりからシャンボール・ミュジニーがいいかなと」「では交互に飲まれるようなかたちにさせていただきます」赤は泣くもだまるコント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエノシャンボール・ミュジニー。「―――ロマネ・コンティ並みに小さな畑から造られる、コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエの村名シャンボール・ミュジニー。ヴォギュエ家のワインの中で最もお手頃なお値段でありながら、最も入手困難なワインを入荷。何しろこのワインは、ただの村名シャンボール・ミュジニーではありません。ヴォギュエ家が所有する区画は村の中でも最高の立地を持つ上に、小さな1級畑のぶどうもブレンドされているという豪華な1本。格付けこそ村名ですが、ヴォギュエの実力を持ってすれば並みの造り手の1級・特級を凌ぐ素晴らしいワインに仕上がっています―――」ナノデスヨ、奥さん、ますます心してくださいよ。さて、コウシャクはこのくらいで本日いただいたメニュウはこちらです。もちろん食事の講釈・感想なんて申しませんよ断じて。おすそわけしますので目で楽しんでくださいね。 トリュフのクッキー焼きみかん露の滴が落ちた緑の葉掘りたてのホワイトアスパラガス軽く燻製にした丸ごとジャガイモ蛤と碓井えんどう豆のフラン木積産の朝堀り竹の子 バタークリーム 気泡をたくさん含ませたとうもろこしのパン甘ダイ クレソン 蕗の薹 パスタトラットデマーノ しっとり火を入れた車海老 凝縮した玉子のソース茶路めん産子羊 グリーンアスパラ ハコベハッサクの粒々とその皮のクリーム ココナッツヨモギと春苺赤い果実のミニドーナツ出来たての生チョコレートこれらを写真撮影と合せて愛でながら楽しむ。もちろん!コミ・デ・ランも務める厨房の綺麗なお姉さんもパチリと愛でる(笑)。「アタシですか?(笑)」「ええ、アタシです」「ところで、びっくりしましたがいつもご同伴されてるんですか?」「いえ、この子たち、パラサウロロプスとイグアナドンははじめてですが。シリーズ化えいてるもので。ガハハハッハ」たっぷり余韻に浸りながらまったり過ごした3時間30分。外にでると町はほぼ満ちてきた月に照らされている。しあさってが満月、今宵もきっと想い出に残る一頁になったに違いない。
2012年08月11日
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「こんちわ、今日もお願いします。これ勝手にコラボ(笑)」と早速持参した石ころのひとつ、アンモナイトをカウンターに置き記念撮影。「これはモロッコで買ったのですよ、3つもね」アタシはいつだって貴重価値のあるお宝の買い物上手。――――モロッコのアトラス山脈にて♪旅中、どうしても手にいれたかったアンモナイトの化石、ついに見つけた、たくさんあるぞいな、峠の茶屋にて。こわそうなおじさんに手をつかまれビビビながらもお高い値段!山を飛び降りる気概で購入!オイもニッポン男児たい!旅行から帰り、たまたま寄った紀の○屋書店。「砂漠フェアー開催中」・・目にしたのはアンモナイトの数々とその値札・・・・。そして、今日の買い物上手はもちろん「ひよこ焼き餠」1箱630円なり。「はいこれお嬢さん方に♪」「ええっ@@ありがとうございます。○○ちゃん、これプレゼントだって」「わぁ~っありがとうございます」「なのでしっかりサービスしてよぉ、はいみなさん3人娘並んで撮影会」「じゃあ、ひよこもお見せして」「わぁ~~可愛い!どっちも(笑)・・・・・・おっさんやなぁ~~」「おっさんじゃね~~・・・・」とハニー。そしていつものおっとり刀でシェフ・ソムリエ登場。「今日はメールいただいたとおりバタールのほうお開けさせてもらっております。早速ご試飲ください。とてもよい状態だと思われますよ」今日も今日とて預けているワイン。ドメーヌ・ポール・ペルノバタール・モンラッシェ 2005―――生産量は2樽(600本)のポール・ペルノのバタール・モンラッシェを手に入れられる人は幸運な方です。やや緑がかった薄いレモンイエロー、白い花、百合、ニセアカシア、李の花、蜜柑の花、ジャスミン、山梔子、リンゴ、グレープフルーツ、ビターオレンジ、桃、レモン、パイナップル、マンゴー、パパイヤ、生クリーム、ナッツ、蜂蜜、セーラ、オレガノ、タイム、タラゴン、フェンネルシード、ベルガモット、白檀、鋼、煙、線香花火、石英系のミネラル、これもアルコール度数14%という常識外れに糖度の高いマストから造られた。とてもフルーティだが、濃度、密度、凝縮感が高く、ボディ、コクも非常に高いが、少し出ては開かずに、伸びずに、硬いまま消えてしまいそうだ。だがポテンシャルは異様に高く、将来性は抜群だ。ポール・ペルノーからのヴィンテージ・レポート。2005年の収穫は9月16日にはじまり26日に終了。 毎日素晴らしい好天に恵まれた。 収穫した葡萄は白赤ともに完璧な状態であった。これ程出来の良い葡萄はこのところ記憶に無く、おそらく1959年以来と言えるかもしれない。 糖度も充分で補糖の必要は全く無かった。 カビのついた実もなく、選別の必要も無い豊かな果実味 シャープな酸味 複雑で深みのある味わいが偉大なヴィンテージを告げている。―――だそうですよ奥様!五臓六腑の奥まで美味さが浸みわたるようではありませんか。「うん、うまい。まだ固いけど、しばらく時間置いてがんばってもらいたいですね~」「ところで、今日は例のこちらのほうはいかがいたしますか?」「ええ、勇気をもってぜひ今日のスペシャルメニュウに合せていただきたいと思います」ジャーン。泣く子も黙る、いえ黙らしてみせます貴方のお名前は「ラ・ターシュ」言わずと知れたドメーヌ・ロマネ・コンティの至宝である。――――ロマネコンティの南に位置する「6.06ha」のピノ・ノワール種のブドウ畑で、DRCが単独で畑を所有しています。斜面の上下に広い畑のため、上部では重厚な、下部では繊細なブドウが採取されて、双方が交わりあうため、複雑で濃厚な味わいを生み出しています。年間約1,800ケースが製造されており、1929年には「8万8125ドル」という値がついた記録も残されています。また、ラ・ターシュのワインは“悪いビンテージでも比較的安定して美味しい”と言われています。色濃く、かなり凝縮された印象の味わいは、時に“ロマネコンティの腕白な弟”と呼ばれるほどで、独特の力強さと複雑さと強烈なアロマを感じさせてくれます。畑の形が縦長で、高低差も50m近くある比較的広い畑である事が幸いしてか、毎年品質的には安定感があり、時にはロマネコンティを上回ると評されている―――なので奥さん!拝みつつ飲んでくださいよ、こぼさないようにゆっくりとね。「よ~~に拝んでから飲め~~よ!」「それ、そんなに高いん?」「ほうよ、アタシら庶民にはなかなか手に入らんのよ。でも94年はオフビンテージだから極端にほかの年と違って安いんよ。ほんでもラ・ターシュの場合は畑が縦長くって標高差もあるけん、遜色ないのができるんよ。ワインって投機になってるから高いだけで所詮は葡萄酒じゃけんな、カハハ」「ま、DRCに関して申せばビンテージはさほど影響ないかと存じます。とてもよい状態のようです。これがブショネだったらガッカリしますよね」「そりゃ泣けますよ。ヤケクソで料理のソースに使ってもらうしか」「ではお試しいただけますか?」「うん、おいしい」実はちょっとわかってないし、手が震えてる。「飲みやすいねこれ」とハニー。「超高価なワインが単に飲みやすいかいっ#ボジョレーでも飲んどれっ(笑)」「今日はアミューズのあとお任せのプレートがまいりますが白と合せていただき、このあとのウフ・アン・ムレットはラ・ターシュでお楽しみください」今日のためにワインを約半年間預けて準備しており、また料理も好みに合せて完璧なものにしたかった。シェフ・ソムリエとのメールのやり取りは以下のとおり―――○○さま 本年もよろしくお願いいたします。かねてから希望のベキャス楽しみにしております。ワインはお預けしているP・ペルノーのB・モンラッシェそしてラ ターシュを予定しております。バタールは入店前から抜栓していただいたので結構かと思います。ラ・ターシュも入店後速やかに開栓いただければ幸いです(こちらは気が変わるといけないので・・)。さて、以降はソムリエである貴職にお願いするのは本来ではないのでしょうが以下、伝言ゲームをお願いします。食材などのお願い(わがまま)です。まず、なんといってもベキャス、シェフ定番のロティ、キュイッスのサルミ、コンソメとタルティーヌ等と3皿なのでしょうか?、はたまた「二人から」と指摘あったので一羽を2名一皿なのか?いずれにしても小カップのコンソメはいただきたいですね(笑)楽しみにしてます。 それと、ポワソンは入荷は難しいのでしょうが、アラやクエ、適わなければアンコウがいいですね。香り豊かなソースにクミン、カルダモンなど合せてはいかがでしょうか?あと、ずっと謎なのですが、、、いつもすごく魚の塩気が多すぎるが非常に気になります。前菜、ウフ アン ムレットを一度食べてみたいです。温かいフォワグラと刻み黒トリュフなども盛り付け豪華版でいかがでしょうか?いつもおいしくいただいてたのですが 3・4回ほどずっと続いているので飽きがきたものが数点。オマールブルトン フォワグラ・ミキュイ 季節の貝とババロアの類(ベトラブ・ジュレなど・・)以上、わがまま言い放題です。なので、満足できるものならば客単価ひとり当たり2万円超えても全然構いません。楽しみにしています。 そして本日ご対面したメニュウは以下のとおり。・フォワグラと黒トリュフのウフ・アン・ムレット・黒アワビとアティーショーのアラ・ココット・五島列島鮟鱇 白ネギとじゃがいものグラッセ・ヤマシギ ベカス 1 ベカスのロティ ソース・コニャック 2 キュイッスのサルディーヌ 3 コンソメとリゾット・マサーラ・チャイ・ショコラとマンゴのキャレ・ブラン「メールの内容はすべてシェフにお伝えしました。シェフは昨日の晩まで『これでいいかなぁ~』と最終調整しておりました」ありがたいことです。前回、前々回とメーテルドテルに伝えたことがおざなりになった痛い経験がある。そのメーテル・ド・テルの姿が今日は見かけない。「すでにお気づきだと思いますがひとりこの1月にやめてしまいまして・・・・」「~~でございますです」ドラキュラ伯爵みたいな口調をもう聞くこともないのか。「とにかくここ、スタッフの回転が激しいですよね(笑)みなさんはがんばって見届けさせてくださいよ。三人姉妹もね(笑)」「そのひとり○○ですがね。この前お褒めいただいたのでかなり調子に乗っておりまして(笑)」「そうそう、褒めて育てる(笑)。でもまだまだですよ。最初はムス~ッとしてて何じゃろかいと思いました(笑)。あと疲れてくるとどんどんクロマニヨン原人になってくる(笑)肩だけでなく腰まで落ちてくる(笑)」「はい~~。いつも言って聞かせてるんですけどね~」一番手、フォワグラと黒トリュフがたっぷりかかったウフ・アン・ムレット。ブルゴーニュの郷土料理ポーチドエッグの赤ワイン煮だ。これに黒トリュフとフォワグラ、なんて贅沢、さすがは主夫王まるくん、抜け目ない特注ですな。「うんま~~~~いっ」バリウマです!!ベッピンさんにも声かけ。「だんだん落ち着いてきましたね。その調子でがんばってくださいね。最初お見かけしたとき宝塚から研修に抜け出してきた女優さんかと。本当にお綺麗な」「いえいえ(笑)とんでもないです」あいかわらずか細い声でバリカワです!!今日もたらふく飲んでたらふく食べてたらふくハニーとでどうでもいいこと語り合い(笑)、綺麗なお姉さん方をあてがい(笑)幸せ満杯。これまででベストワンのユニッソンデクール日和だったなっ♪黄昏る一歩手前の午後3時30分。今日も満席だったテーブルは二人きりに。「もうディナーの準備の時間だ。さ、帰ろうか」「どうぞ、ゆっくりしていらしてください」お水を継ぎ足してくれにきた綺麗なお姉さん、ちょっとはにかみながら。「ところで、これはなんていう恐竜なんですか?」「アマルガサウルスでしょ!(笑)美しいでしょ?」
2012年08月08日
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「合言葉はユニッソンデクール!」「なにそれ?急に何よ?」「いや(笑)ちょっと自分のなかではまってるもんで、ガハハハッ」「はまってるんもえんですけど、朝のはよから何処に連れていかれるんかいね?」「アホか!あいかわらず人の計画的行動を無知無味蒙昧で応えてくれるんなっ!前から言うとろわっ!くそ忙しかった9~11月の心身を清めに忘年会&癒されたい♪」「心身清めに朝の4時半に起きて5時20分の列車に乗る意味あるん?」「わからにゃっちゃ!朝起きの三文の徳を、おっそういえば今日は三門見に行くんそっ」「わかったわよ。で?」「で?」「なんでガラガラに決まっとる始発で指定席買うん?」「あほかっ!いちいち難癖つけるな!おまえの無駄買い無駄出かけ無駄燃費に比べたらかわいいもんじゃ。ほれに飛行機と同じでビジネスクラス並みの広さだろ?(嘘)」「そういえばそうかいね。西条の義兄が言いよったよ。飛行機も2000円払うだけでいい席やって。お酒も飲み放題らしいよ」「あのな~~。場擾松羽田間でどんだけ飲める言うんよ?こうやってゆったり行くほうがよっぽど優雅じゃわ.」「でも気圧ですぐ酔えるんだって」「それって飲み放題の意味ないやん」「時間配分どっちも微妙~~」「で?おい、何涙流しよんぞ?」「あくびしたらでるでしょっ#」「はぁ?目がうるうるするくらいあるけど、ほほに伝わるくらい涙流すか?わしみたいにテレビや映画でうれし泣きもらい泣き感動したり人生の機微にホロホロ泣けん奴は不幸なひとじゃっ」「そんなんでいちいち泣かんよ.」「感情無で涙流す・・・・・おまえは海ガメかっ!?」かようにハニーとアタシはなにもかもが正反対.ハニーとアタシはなにからなにまで正反対です♪ルン♪ルンはいいかハニーはなにごとにもどこか冷淡で、アタシは毎朝、「こころ」で泣けるくらい情感豊かです♪ハニーは人見知りしますが、アタシは社交性があります。ハニーは了見が狭いですが、アタシは包括的に捉える技能を身につけています。ハニーは他人に貝になりますが、アタシは見知らぬ人にほど親切です。ハニーは掃除が全くダメで、アタシは整理整頓が好きです。ハニーは鉢の花さえ育てられませんが、アタシは園芸・自然派、そく行動派です。ハニーは料理をしようとせず、おかげでアタシは料理はプロ級です。ハニーは夜更かしして、電気テレビつけたままアザラシ寝してますが、アタシは90のおじちゃんみたく早寝早起きです。(や~~、乗ってキタゾイ♪)ハニーはオフロに1時間もかかりますが、アタシは5分ですみますよ!チビまるくんも同時にでてくるので、皆にあきれられてはいますけど(なにか?ハニーは文章・手紙全くダメで、アタシが保育日誌や学校のたかが一行伝言まで書いてます。ハニーは編物が趣味とアタシにのたまいましたが、みたこと、袖を通したことないです。アタシのご趣味は「リンクにあるプロフ」のとおり!(ドウよ?エッヘン!ハニーはSEXに対しマグロどころかゾウアザラシのスタンスですが、アタシはありとあらゆる遊戯をする自信と用意があります。ハニーはアタシの前で平気でオナラをしますが、アタシは断じて人前でしません。それでも彼女は平然とします。音のでないやつならだまっていりゃ~~わかりゃせん、、、と素知らぬ顔してますが、音のでないやつほどタチ悪いことないですよね??(スカンクも涙・・・ちょっと地軸を曲げて、視点を変えてみましょう♪・ ・・・・・・なんだか、人様が聞いたら、アタシのたんなる誹謗中傷みたいにとられてもこまるしハニーは電気機器系統とかメカニックにすこぶる強く、アタシはトントダメ。おや?・・・・こんな・・・・・・書き出しに、なんだか一抹の不安も感じますが(汗。。。。ハニーは理系というにふさわしい思考回路で、アタシといえば、モロ!アホゥの文系。。。ハニーは室内外装飾・大工が得意で、アタシは見向きもしません。ハニーは懸賞応募コマ目に当たるのですが、アタシはビギナーズラック!のパチンコのまま。ハニーはシンプルで理知的でハレ女、アタシは全くの気分屋で雨アラレ。。。ハニーは誰にでも受容な包容力があり、アタシは八方美人かつ好き嫌いが激しいです。。。ハニーはいつも冷静に対処し、アタシは激情に委ねます。ハニーは異性に無頓着な癖に(!!)モテモテで、アタシは興味ありあり!×1万光年、なのにモテナイ君で。。。(もう、これぐらいでカンベンしてください(涙ハニーはたまご型の顔つくりで髪サラサラ、アタシはホームベースで髪の毛はハリネズミです。ハニーはいまだに大街道や銀天街を一人で歩くと、きまって異性多々声をかけられるのですが、わざと後からついていくアタシは女子高生たちにストーカー呼ばわりもしくは後ろ指さされます(大粒涙ハニーは新築・家計・子たちの将来設計をしっかりたててますが、ハニー曰くアタシが「ゴジラが上陸した東京タワーのごとく破壊する」そうです。。。。ええ、ええ、どうせアタシは「アタシが幼少の頃、アタシの学資保険を解約してヨーロッパへ旅たっていった父の息子」です(血は引き継ぐ性涙・・・・・なんだか、アタシが極意まれな極悪非道みたいじゃないですか(涙ぐっとこらえて・ どっちみち、アタシが悪人じゃぁないですか・・・・・(泣きの。。。サンタナッスペースも、もったいないので、このあたりでやめときます。でも、かようにアタシタちは凹と凸の関係なのですよね・・・ピタリと組み合わさります(TT)そんなこんなで京都駅8時19分着京都発奈良線8時32分発 次駅東福寺東福寺で幸福の紅葉はチャチャッとやっつけてたたわしく東福寺を後にし、大阪駅経由淀屋橋.いつものメインはユニッソンデクール!「いつもありがとうございます」お、いつも開店前のハーブ摘みにいそしむシェフ「あ、今日はよろしくお願いします」「こちらこそ」「いらっしゃいませ」お、猫背のお姉ちゃん 今日も愛想いいので一安心「おっ、ごぶさたしてます」「いらっしゃいませ」お、シェフソムリエ「お、ごぶさたです」「いらっしゃいませ」お、メーテルドテル「ごぶさたで」「いえ、ごぶさたは奥さまのほうで(笑)」今回たっての希望のワインセラー前の特等席.「ワイン届きました?」「ええ、承っております」「アタシのカワイ子ちゃんたちはここですか?」「ごらんになられますか?この前ラ・ターシュが届いたときにはびっくりしました」「来年20周年だからそのときに記念にふたりで開けますよ」「そうですか、かしこまりました」「あとラフィットはここで温めていただいて末長くよろしくです」「誠にありがとうございます。今日もごゆっくりお楽しみください」「ちょっとちょっと父ちゃん?20?父ちゃん計算合わんよ 20年はさ来年ですけど」「え@@?」 「「で、ですね。アタシのカワイコちゃんたち♪見させてもらってよろしいですか?」「どうそどうぞ、セラーで大切に保管しておりますよ。ただし白ワインのほうは別の保冷庫で冷やしております。ラ・ターシュが届いたのにはびっくりしましたが」しつこいな(笑)。ラ・ターシュ、ロマネコンティと双璧のブルゴーニュの王冠、いったいいつ飲めるのかな?狭いセラーに黄色いハンカチならぬ名前付き付箋がベタベタ貼って目立つのなんの(笑)シャトーラフィット・ロートシルト1999、ラ・ターシュ1994、これが持ち込み保管ワイン。そして予約済のリュショット・シャンベルタン2003、シャトーピションロングヴィル・コンテス・ドゥ・ラランド1997.1998。目立つな~(笑)。いよいよネゴシアン物ながら後光のさしているバタール・モンラッシェ1996年を開栓。「とてもよい状態ですよ。どんどん膨らんで蜜のような味になるの間違いなしです」「そりゃ楽しみです。それとね、シュフの料理の流れの傾向だと赤白交互に飲むようなスタイルみたいなんで、赤ももう開けてもらえます?」「よろしいかと存じます。ご要望のお取り置きせていただいているの、いずれにいたしますか?」「実はね♪2月に御忍びでこようかと思ってるんですよ」「なんですって!?」「いや、ひとりなんだけどね、あ!言っちゃったらお忍びでないか(笑)。シャトーピションロングビル・コンテス・トゥ・ラランド08年はそのときにとっておきます。今日は女性と一緒なのでアルマン・ルソーのリュショット・シャンベルタンがいいかなっ♪エレガントに~~」「かしこまりました。では開けさせていただきますね」「珍しいんよ、これ。3ヘクぐらいの畑でできるモノポール=単独所有なんよ」食材に合せて赤白交互に飲み進めるうちに幾分気分はやわらぎ・・・・・。食事・ワイン・空間・立地場所・それに併せて「ひと」が極上レストランの条件。やはりユニッソンデクールはアタシのなかの「パリのなかのパリ!」。今回はうっちゃりなのがよく表れているのは、いつもは4時間コースなのに、3時間コースだった。今日の見送りは、来店時からいる3人の女性のうち、ここ最近安定感が増しつつもまだまだ途上のうら若きひとを指名して見送ってもらった。ちょっと酔った勢いで「ファンなんですよ前から」だって(笑)。今日は行きはなにわ橋、例のライオン橋を渡り、帰りは中之島コースにした。「合言葉はユニッソンデクール」「ところで父ちゃん、それってなんの意味?」「はぁ?いま食べたお店の名前知ってるだろ?」「え?そういえば知らん・・・・・・・・」「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」ビバ!ハニー。
2012年07月08日
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おいしいの合言葉は ユニッソン デ クール!!!またまた遠路はるばるやってきましたユニッソン デ クール。ただお連れは今回はニックキもとい、愛するハニーではなく大阪へオープンキャンパスへ行きたいと生意気に宣う長女がお伴です。高校二年生ですよ、あなた。そんな長女と、日常と同じくほとんど会話もないまま6時35分発新大阪駅着9時2分、大阪駅から阪急線に乗り換えて吹田市関大前。なかなか大学前らしい居酒屋や居酒屋や居酒屋が並ぶ(笑)商店街を目抜き通り約5分で関西大学、長女が約2時間案内を聴講している間、ボ~~~~ッとキャンパスのベンチ。あ、通り過ぎるお嬢さんたち怪しいひとではありません。しかし、関西大学侮るべからず。かわいいコが多いな(相変わらずソッチ系ですがなにか)。娘の器量だとこのあと行く近大のほうがまだ性にあってるかな(笑)。他意は一切ありません。その近大にもたたわしいなか行きましたとも。旅路を急ぐにまずは鶴橋へ。JRにて到着、近鉄線に乗り換えるのに一向に駅が見当たらない。随分歩いたけどな~って、え?駅はほぼ隣接してたんじゃなかったっけ?「あいかわらず大阪の駅はわかりずらい!」と不合理に怒りつつ近鉄奈良線と大阪線てどう違うのと迷いつつエイヤッと到着めざす長瀬駅。「随分遠くへ来た感じだな~~」ここは異郷の地カスバのモロッコってな雰囲気の商店街、場末の酒場が点在しててそれはそれで雰囲気あります、旅に来た感じの意味で(笑)娘はこんどはこちらでちょうどオープンキャンパス記念講演とやらで鳥越俊一郎の講演を聴講したそうな、そのあいだチチはキャンパスのベンチでボ~~~~ッと3時間。でも意識は明瞭ですよ。「いや思いもよらず関大に負けず劣らずかわいいコ多いな」ですもの。娘にも真摯に助言。「近大くらいにしといたら?」(笑)なごりおしく、ややお疲れ気味に鶴橋に戻り、森の宮にでる。シャトルバスで今宵のお宿へ向かい、今夜は義姉の家で一泊する娘に部屋からの大阪城天守閣の眺望を自慢して。いよいよ本日のメインイベント「ユニッソンデクール」です。とんかつと地元の洋食屋以外何度も足けく通うのはここだけ。そして今夜はご当地在住の美食家さんと合流です。暮れなずむなにわ橋北詰ライオンさんで待ち合わせ。ママチャリで登場した美食家さんはかの大阪グルメ~~な門司さんともお仕事を共にしたことのあるライターさんですが、なに「ミシュランの星がど~のこ~の」との情報が基準な価値判断のようで大したことはありません(笑)。ええ、我が妹さんです。はじめてのディナー。いつものスタッフに笑顔もとい苦笑いで迎えられ(またのん兵衛が来たかいっ#と)シェフもご挨拶「いつもありがとうございます」と、ここはお愛想。ここでアタシもお愛想しましたとも。「今日は二人で3本も飲みませんから。そために人選しました」「え?いつもの奥様では?」「え?!全然違うじゃないですか(笑)」シャフソムリエもご登場。「娘さんもお酒お強いんですか?」「飲ませたことありませんっ#17才ですし。あ、でも両親の血をひいてるからなぁ(笑)」メーテルドテルも登場、あいかわずなぜか二人でヘラヘラ笑うのが愛言葉。「○○さま、いつもありがとうございます。この前もお昼からたくさん飲んでいただきありがとうございます」この会話がいまや二人の定番か「今日はホテル泊まりだからたっぷり時間ありますよ~~。でもね、宿にミドリガメのカメキチおいてきてて10時には餌あげなくちゃあならないんだけど(笑)」「はぁ、カメを・・・・・・。いま6時ですから十分お時間はおありかと」あいかわらずトンチンカンな幕開けのまま今夜も楽しいお食事です。ともあれ、今夜のスターターはまずこれです、宅配便ですでに送ってました。↓ドメーヌ・コント・ラフォン ムルソー・シャルム [1997]750ml 『世界の、白ワインTOP生産者を、5名あげよ。』と言われたら、間違いなく、この造り手の名前が挙がる事でしょう。数あるフランス、ブルゴーニュ地方の白ワインの中でも1,2を争うほど優雅、かつ熟成力を備える逸品を、数知れず造り続けるコント・ラフォン。シャトーのような洒落た建物とセラーをムルソー村に有するこのドメーヌは、ムルソー・ワインの旗手と目されている。 なにはともあれ、財布の紐が許すのであればこの極上の白ワインをお試し頂きたい。白ワインのイメージが一変すること、間違いない。蜜のように甘い世界を堪能ですよ奥さん! 今宵のコースはいつものこちらの希望も取り入れてもらったお見立て美食仕立て。長女はエスカルゴ・シャブリジェンヌ。秋の茸のタルティーヌソース。シャブリ地方の伝統料理。「カタツムリがど~~のこ~の」の説明に長女はすっかり固まってしまい、今晩一番笑いをとってくれました。「愛いやつじゃ」で!である。早くも早くもコントラフォンがすっかり干上がってしまった。「ハニーはいないし、まさか3本には今日はならないでしょうからこれからは慎重に飲みます。ガハハッ」と、来店前に予約していた店のリストにあったニュイサンジョルジュ・クロドラルロ。 ニュイ・サンジョルジュ村で現在最も注目を浴びている秀逸な造り手がこのラルロ。 ドメーヌ名の由来ともなる独占のプルミエ・クリュ、『クロ・ド・ラルロ』はニュイ・サンジョルジュ村でも力強いワインの生まれるプレモー地区の素晴らしい斜面にある。つづいていよいよ本日のメイインベントのなかのメインイベント。ブレス鶏ミエラル。秋野菜のメリメロ。 長女はドンブ産ミエラル・ホロホロ鶏。小芋とコリアンダーのリゾット。ここでまたまた大ピンチですのよ奥さん!ワイン・・・・・2本目もすでになくなりますた(号泣)。「誰じゃ!あっと言う間に飲んだのわっ!」妹は目を丸くし、長女は冷ややかな目をしております。あたりまですがなにか。メーテルドテルさんをお呼びたてし、「すみませんシェフソムリエさんを呼んでくさい、ヘルプミー」と泣きつきしまた。おっとり刀で寄ってきたソムリエさんには「またまたワイン切れで、ガス欠で(泣)なんとかしてください」「いや、なんとかしてもと、ではグラスワインを見つくろいましょうか」「え?でもまたどんどん蒸発もとい飲んで消えてなくなるんだから・・・・デミ!ハーフボトルここにはないんですか」「デミボトルはご用意いたしかねるんです、う~ん」ここで妹「わたしはもう一杯あればええねんけど」「ほんでもワシはあと4杯だろ?」「4杯?ですか(笑)」「4杯なんっ?」ふたりでつっこまんでよろし。「うん、メインまでで。あとデザートワインにもなるしなぁ~。だったら一本もらいましょうか」「ええっ!またですか?さて、ここで白という選択はございませんか?」「ないですっ!」慌ててソムリエさまリストに目を凝らし「ではいかがでしょう?こちらなんか」とまた3本目はコート・ドゥ・ローヌのサン・ジョゼフLe Grand Pompee ポール ジャブレ エネ1985年物。「またローヌですか?」「はいコート・ドゥ・ニュイのあとだとやや強めがお勧めで」「グルナッシュですか?タンニンが強いのは苦手で」「いえシラーでございます。タンニンもおだやかデスヨ」「ではそれで」「かしこまりました」夏、ハニーが同伴したときの再現になってしまった。ブレス鶏をいただいたときにはもうその3本目すら底をつきはじめてた。ここは決して北浜の居酒屋ではありません。ちょっと飲んだ勢いで(爆)入店当時はわざと(笑)素知らぬ顔で通した例のあの、綺麗なお姉さんも気になりだしてきたではありませんか。なんだかムクムクと(笑)。3本のワインボトルと家から持ち込んだ恐竜のフィギュアとエジプトのフンコロガシの土産物を置き記念撮影。なんでフンコロガシって?アタシの愛称ですとも。メールのやりとりを何度かさせていただいているシェフソムリエさんもメールアドレスのアタシのハンドルネームがフンコロガシなのに――なんでフンコロガシなんですか?――と素朴な疑問。アタシはこう返信しました。―-若かりし頃、モロッコを旅した時に旅中にもかかわらず「あっちゃー行きこっちゃー行きとたたわしいことこのうえない。アンタはフンコロガシか?」と命名されて以来のお気に入りなのです。十年後カメルーンを旅した時にも現地ドライバーに「おまえはスカラベみたいだ」と言われたんです。すごいでしょ?――そのメールの返信がハムナプトラみたいですね(笑)―-ですと。なお一層お気に入りだ(笑)。それ以来彼の署名と宛名はハムナプトラ様へ 関西のスカラベより(爆)。さて、なごりおしく食事もフィニッシュに近付き、今日はチーズを覚えてるでぇ~。ちゃんと「コンテ系のハードなのはパス」と伝えました。(夏編参考)長女はチーズ全部パス。あたりまえでしょ、あなたこの間、バジルのフォッカチャにバゲットにカンパーニュとパンを総なめ食い(爆)フレンチのパンってお口直し程度なんだけど(笑)ちなみにこちらのパンはフォッカッチャは自家製でほかは本町にある有名なパンデュースのものらしい。バゲットは昼には提供していないのではじめて食べたがうまかった。デザートタイムにプレデザートは洋ナシのキューバリブレ。長女は梨のヴェリーヌ。そしてデザートはイチジクのタルトフィーヌとテリーヌショコラ。長女はタルトタタン。サービスで食後酒もいただきましたとも。カルバドスにマールを。今晩もすっかり飲みほしてなお余裕の約4時間。つつがなく終了。みなさん見送りありがとう。今宵は「オールキャストの見送りですね」と嬉しそうに集合写真をとりました。ええ、覚えてます。でも長女と妹と別れたひとり夜のなんば橋。すごい写真がぶれているのが気になるところ。一応次の日、帰りの新幹線にてさりげなく娘に確認。「父さん昨晩なんか酔うてはなかっか?」「別に。なんか笑いよった」そうか、よかった。でもまてよ。「笑いよった」のがいつもと違う父の姿と娘の目に映る、そら問題多しですぜ、チチよ。
2012年06月24日
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入店したらこの前と同じT2テーブル。「いつものお席です」と案内された。日ざしが入り明るい角の隅っこって、全体も見渡せるし落ち着いて食事もできるし大好きな位置なんだけど店側にとっては、上席なのか、厄介払いなのかは微妙(笑)。さっそくソムリエさま登場。「○○さま、先日は八朔お送りいただき、ありがとうございました」「あ、あれは夏ミカン」「失礼しました」若いメーテルドテルも挨拶に。知った顔、なつかしい顔があるというのはどこかホッとする。「今回はお子様が公園でお待ちだとか(鬼夫婦悪魔両親かっ。当たってるけど)お時間は大丈夫でしょうか?」「大丈夫大丈夫、今日はみんなお家で仲良く?お留守番。あ!でも今日は4時半の新幹線で甥っ子と姪っ子を連れて帰らなきゃいけないんですよ(笑)時間大丈夫ですか?」「はいそれなら大丈夫でございます(笑)」でも結局、昼食には十分な時間のはずが、私ども?飲んだ呉には全然大丈夫ではなかった・・・・・・。「先日はお昼からたくさん飲んでいただきありがとうございました。今日はさっそく先日お届けいただいたものから開けられますか」「ハイハイ、ギガルのラドリアーヌをお願いします。それとね、今日はもう一本ほら、このかわいい♪保冷袋に入れて大事に大事に運んできたんです。これ、ルネアンジェルのグラン・エシェゾー。ドメーヌさんがタヒチに療養中亡くなって2004年が最後のビンテージになるんだよね」「え?これも、ですか?2本開けられます?」「ハイハイ♪私が0・5本でこちら相方が1.5本ですが、なにか」「何言いよるんよっ#」「はぁはぁなるほど。ではこちらも、もう開けておきますね」「そうですね、時間がたつにつれ花開くようになっていく楽しみがあるんでもう是非。で、このラドリアーヌ遠慮なさらず一杯いかがですか?ぜひどうぞ」「はい恐縮です。ではシェフのほうにお届けいたします。頂戴します」「ああ、おいしい~。少し残しておいてあとでデザートワインにもなるかな」「さようでございますね」5分前に入店して、奥のグループ客とわたしたちのテーブルだけだったが12時開店と同時にどしどし客が入ってきて35席あるテーブルは全部埋まった。恐らく夜も明日の昼もその夜もだろう。大阪で飛ぶ鳥を落とすといわれるもっとも勢いのある店のひとつだ。食事代並みに運賃がかかるのを差し引いても「来るべき価値」がある。あっ、さきほどのお姉さん目当てではないですよ。控え目な笑顔も素敵だったな~、シェフの勢いある気鋭の料理と隔たりサービスがなっていないと巷間言われているようだが、スタッフもフロアに4人と絞りこんでだいぶ落ち着いてきたようだ。でも、入れ替わりが激しいようで、一抹の不安も、この微妙な不安定さが、なんかオオサカらしいといば、らしい。あ、そしたば、例のお姉さんがアミューズを運んできてくれたじゃありませんか。さぁ、江戸の敵は長崎ならぬ、パリの落し物はローマで拾え。あ。うまいこというねぇ~あいかわらずまるくん。美しい被写体に乾杯♪パシャリ(いまどきのカメラはこんな音はでませんが)「あ、はずかしい(笑)」「やん、かわいい♪」おしとやかに目を細め、鼻筋にはいる細い数本のお皺が微妙にセクスィー。もうメロメロ、ルリルリ(意味不明)しちゃいますがな。ごまかすためにもハニーとふたりお並びのとこも撮っておこ。あ、でもハニーは彼女さんのおそらく2倍の御年だけど変わらぬ美しさ。スッピンだしねっ。さ!お姉さんも美しく満足に撮れたし、いただきましょう。でも、写真撮ったからってどうするんだっけ?まぁいいか(笑)アミューズ。いつものセロリのジュレに、アンチョビと黒ゴマのグジェール、リドボーのコロッケにプチトマトのカマンベール・・・ん?イタリアンぽいかな今日は。でもまだ手がつけられない。だって飲み物がもぉグラスになぁ~~い。2杯目注がれるまで5分待った(笑)前菜その1 ドンブ産のグルヌイユ(蛙)とエスカルゴのペルシャード。前菜その2 六丈トマトと牡蠣の水のジュレ、オシェトラキャビア夏らしく涼しげで色鮮やかに。ハニーのほうは フォワグラのミキュイに夏トリュフ 根セロリのヴェローテ夏貝と紫キャベツのコントラスト。さて、蛙ちゃんのモモ肉ふたりでわけてペロッと、エスカルゴもサクッと一口ごとにワインゴクッ。うんまぁ~~~~い。ここで緊急事態発令。緊急事態発令。前菜2品でなんと!はやくも白ワイン一本なくなってしまった!!ええっ@@>!「なにがあとでデザートワインにもなるから、や。ただの食前酒だったやんかっ###」「あほぉか!自分がガブガブ飲むからでしょ。とっとこ父ちゃんこれお水じゃないんですけど#?」「たしかに奥さまが1.5本と仰られてましたけど逆でしたよね」ソムリエさん、後方からボソッと突っ込まなくでよろしっ。「じゃあ、しゃーないなー」念願のエシェゾーを飲み始める。グラン・エシェゾー。響きだけで、涎がでるわ。「おいしぃー!」今日はじめてふたりの意見があった(笑)。 前菜その3オマールエビのブルトン アンディーブのブレゼ。ハニーはオマールブルトンのジャルディニーヌ。オマールブルトンとはブルーオマール、エビちゃんが青いんですよ、卵までもね。ブルゴーニュ産のエビの最高峰。よそではほぼ「時価」ですが、ここではおしげもなく、うしゃぁぁ~~~一匹丸ごと食い。うひゃうひゃーうひゃ~~うまっうまっ。前菜その4山形産リドボーと白黒トリュフソース エシャロットのコンフィ。ハニーはエスカルゴのボルドー風 コンテンポラント。リドヴォーとは子牛の胸線肉、成人になるとなくなります。下手なフォワグラよりサイコーに貴重でウマイ、うまっうまっ。うほっうほっ。ポワソンはハニーは八幡浜産の鯛、夏野菜のプロヴァンサル。アタシは泉州の舌平目のグラサージュ 夏野菜のミルフィーユレテ 生ウニ。うんまぁ~~~~~~い。ここで第2回目の緊急事態発令。緊急事態発令 緊急事態発令 緊急事態発令大変なことになってしまった。メインの前に・・・・・・・。エシェゾーちゃん、スッカラカンに飲みほしてしまいますた・・・・・・・・。エシェゾー君、、、、君までもか?@@?さっきソムリエさんからティエリー・ビュズラのトゥレーヌ・ソーヴィニヨンブランを一杯サービスでいただいているのに・恥っ。せっかく、メインは鳩やビゴール豚を事前にリクエストしていたのに・恥っ。「いかがいたしましょう。お持ち込みいただいているラフィット開けますか?」「バカなこといわぁ~~んでくださいっ。あんな高級ワイン3本目にだなんて味もわからんまにドサクサで飲んだら、もったいないあぃっ(笑)」「では赤ワインこれか、これなんかいかがですか?」2本みつくろってもってきてくれた。ボルドーとコート・デュローヌの赤。「ボルドーはパス。こっちにしましょうか」「ではグラスにおつぎします」「ううん。これ一本くださいな」「え?@@」「え?」ソムリエさんとハニー、はもらんでよろし。結局、自身はドメーヌ不明のコルナスをまたがぶ飲み。ブレスの鳩ミエラル 黒トリュフと根セロリのファゴティーニ。ビゴール豚 マカロニのグラタン。ここからしばらく記憶がコンマゼロ。肝心要の鳩ブレスと、その次のチーズをあんまり覚えていない。普通に美味しく食べた?かなとは覚えている。でも、プチデザートとデザートのときには復活。メロンとココナッツのヴェリーヌ。タピオカとマンゴーのトロピカル ミネストローネ。「マールかカルヴァドスか、あ?モレサンドゥニのグラッパありましたっけ?」とまだ食後酒まがいまで飲む気意欲満々。オペラ クラシック。ベリーのシブースト。大きな木箱に入ったハーブを、例のお姉さんが魅せてくれました。ハーブティ。そこから店をでる間まで、またしばし記憶が断絶。でも、カメラのメモリーカードがしっかり記憶している。―綺麗なお姉さんは好きですか?――ええ 大好きですともっ ―何枚も撮り重ねたお姉さんの被写体の数々―ー―ー―テーブルを横切る度に客のいなくなったテーブルの片付けをする遠目にきっとたいして用もないのに、たぶんいちいち呼びつけては・・・・・。店を出てからは、帰りはなにわ橋を通って帰る予定がまたもとの中之島経由で淀屋橋へ向かって歩いていたり。ハニーの後塵を行き、これまたハニーの後姿をバシャバシャ撮ってたなぁ~~(遠い目)。「ワシ、一瞬記憶が崩落してて、チーズとか食べた記憶ないんじゃけど」「固いチーズ好かん、言うて私のお皿にせっせと入れよったよ。お店のひとに『奥さんもお酒お強いんですねぇ~』いうてすごい関心されとったし、恥ずかし。そんに飲んでないのに###」「なあ?ワシところどころ記憶抜けとんじゃけど、帰りがけらなんか変なことしたり言うたりしよらんかったか?お姉さんの手ぇにぎりしめたり、シャツの胸元覗いたりとか」「そんなこと考えよったん?!」「違う違うわ!例えばの話じゃっ!!!」「別に、なぁ~~んも変わらんかったよ。お店のひとみんなに見送ってもらうとき、お店のひとが一緒にお写真お撮りしましょう、言うてくれてたのに、『いやいや私は別にいいんです、いいいんです』言いよった。来たときと一緒(笑)」
2012年06月18日
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合言葉はUnisson des Coeursユニッソン・デ・クールハニーや娘たちと東京・大阪フレンチレストラン巡り、昨年今年と数えること5回目。98年あたり、神戸大阪のグランメゾンを巡って以降、とんとごぶさただったフレンチ、だのに何の意趣返しか、俄然、勢いづいているのは「真に身近なパリ」に近付いたからにほかならない。私たちが変容したのではなく「街が変わった」ことが大きい。優良で確実な優駿なフレンチレストランが整いつつある。「街が変わる」のは「ひとが育つ」ところに訳がある。誠実で確実な一歩一歩、歴史が刻まれた賜物である。そんなこなんでハニーと2度目のユニッソンデクール。フランス語で「心の融合」。相方ハニーとは20年来、とんと心の不融合?である凸凹コンビではあるが、だからこそ楽しい発見や喜びもあるというもの。さあ、心を開いて参りましょう。でも、心の融合とはちょっと意味不明な難解な言葉だな、いまでいう「絆」でしょうか。「-ところでどこ行くん?―とかも聞かんままだったんな?」「ところでどこ行くん?」「今更遅いわっ!(笑)せいぜい迷子にならんよう付いてこいよっ#」「何言うとん、迷子になるのはスタスタ先行く自分の癖に」「・・・・・・・・見解の相違やっ#」「行く前にみ~~んなに聞かれたよ。『母さん何時に行くん?』『母さん何時に行くん?『母さん何時に行くん?』『母さん、行くのやめてアンパンマン見よっ♪』(笑)』「最後のだけ誰が言うたかすぐわかるわっ(笑)」「あれ、父ちゃん、今日はなんで飲まんの?汽車だろうが飛行機だろうが車だろうがいっつも飲んでばっかりのに」「聞き捨て悪いこと言うなっ!だれが車で飲めるわけあるんぞっ#」「私に運転さして飲みよるやん・・・・・」「・・・・・・そういうのは車で飲む!言わんっ!今日はこれ!とっておきの楽天で買うたワインをお持ち込み!絶対おいしく飲むために体調整え今日は禁酒!禁酒!」「今日は?あと3時間わ・・・・でしょ#」「それも立派な休肝時や(爆笑)」「アホでないん・・・・・あっ!そういえば5月の連休明けに夏ミカンと一緒にワイン2本も宅配で送ったやん?あれはどーするの?寄付なん?」「アホカ!なんでコンドリュー・ラドリアーヌやらラフィットの2001年やらを店に寄附せないかんのぞっ#今日はこの赤ちゃん♪ルネ・アンジェルの1997年グラン・エシェゾーちゃんと、この前送ったギガルのコンドリュー・ラドリアーヌ2007年の2本!ああ、かわいいルネちゃん♪赤ちゃん♪大事に抱えて愛しいところへ運んであげるわよっ」「あほでないん?父ちゃん、乗換よ。あ!メガネ忘れよるっ#」てんで笑えない漫才をしながらなんやかんやで休肝日もとい抜栓まであとわずか。淀屋橋に到着。「で、なんでそっちに歩くんぞ」「あれ、この前は橋のこっちでなかった?」「・・・・・ああ、違う橋のなっ」御堂筋沿いの日銀の大阪支店を背景にハニーちゃま記念撮影、はいポーズ。ああ、くそ暑いけど気分はすっかりセーヌ河畔。で、なんでハニーちゃま、中之島通ってなにわ橋方面行くのに真逆を歩くかね・・・・。「また!全然、方向違うやいっ!喧嘩売りよんかっ!」「だって前来たときはここでなかった?」「あんたどこに店のこと言いよんぞ?ところで今日どこ行くんか、知っとんか?」「知らんよ!教えてくれんやんっ!」「聞かんかいっ!ユニッソンデクール!心の融合よ!もうちょっと前向きに心の融合してくれるかいっ!?」「それ、いつ行ったとこだっけ?」「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」ああ、楽しや、心の融合・・・・まもなく開演です・・・・・・・。 大阪市役所を横目に強烈な木漏れ日と緑眩しい遊歩道を行きまもなく大阪府図書館。「ここすごいだろ?ギリシア神殿みたいやろ?パンテンオンいうて勝手に思うとる。ほれ、あそこの中央公会堂はプティ・パレ。なにわ橋はアレキサンドル3世橋、淀屋橋はポンヌフ。水晶橋はコンコルド橋。中之島はシテ島。な?ここパリに見えんか?マドリーヌ」「おかしいひとに見える。セバスチャン」「あのなぁ・・・・あっ花嫁さんの記念撮影しよる、あ、綺麗なひと!・・・・・でもなかったか?」中央公会堂前でこの炎天下のなか前撮りしている。暑そうだな~~。「暑い暑い・・・・あっ字違いか(笑)」中之島を抜けて中央公会堂前交差点を右に弁護士会館沿いを歩くべくところをお連れさまはまた上手に真っすぐ天満署方向へ行く。「もう飽きたわっ!いちいち違うほう行くなっ!」「あれ~~?前はこっちでなかった?」「おうとるけど、そっちは全然違う夜行ったほうの店じゃっ#」どっちが桃太郎だか家来のキジだかわかんないままようやくたどりついたユニッソンデクール。開店10分前入店は基本よね(笑)。もうすぐスターシェフが現れるはずだ。店の前の猫の額にも満たないような(笑)花壇のハーブを摘みに。ほら、案の定、店の玄関先でハニーを被写体ゴッコしてたら、バッタリ遭遇。「あの・・・・お忙しくなる前に写真いいですか」「ああ、どうぞどうぞ」と、よけてどうするのシェフ。「いや・・・・・シェフ・・・・・一緒に並んでポーズなど・・・・・」「あ?僕ですか?看板撮るのかと・・・・」なんで看板撮るのに了解するねん(笑)。ハイ、パチリ。ヤローとハニー撮っても「シャーナイ!」ん、だけども。でも、ここ日本で有数のフレンチレストランは間違いないんだけど。いかんせん、ソムリエとまでは言わんけどサービスとか受付とかのお姉ちゃんに、そそるものがないんだよね~~。物足らないとこなんだよね~。ここすごく重要です。残念ながら大阪フレンチ巡りの旅はこの点で、東京に大きく水を開けられている。今しがた人権問題に熱心なおひとが集う弁護士会館通ったばかりでなんですが。ピエール・ガニィエールの背の高いスレンダーな美女受付。キュイジーヌ・ミッシェル・トロワグロのモデルも真っ青な可憐なフロント嬢ふたりに小柄で小悪魔的キュートなパティシエ。ガストロノミージョエルロブションのそれは美しく気高いフロント嬢や、目も覚めるような美女ソムリエール。ああ、いずこにも美女はいた。必ずいた。必ず私「にだけ!」微笑んでいた。妄想列車爆走の楽しみがあったのだ。ガストロノミーに。でも、ここにはない。ここどころか、大阪にはどこにもない。今日だって新大阪駅のどこにも、御堂筋線のホームにも車内にも淀屋橋駅のどこにも中之島散歩しててもどこにも美女がいない。そういえばいつだっていない。東京にはいつだってどこにだって、向こうから勝手にやってくる、目が覚める、目を肥やす、目に映える美女と遭遇するのにオオサカには伝書鳩を飛ばしても広告だしても美女がいない。全然いない。そういう町なのだ。あ、別に喧嘩売ってませんてば。西日本全体がそうだ。沖縄県を除いて(断言)。あ、もひとつ、お決まりの!ハニーを除いて(笑)「あ、よろしかったご一緒にお撮りしましょう」玄関前で押し問答のようにシェフとハニーの記念撮影のやりとりを察知してか、店からフロア嬢がでてきた。え!あ?!あれ!?いた!いたじゃないですか。奥さん!!長身のとびっきりの美女が。今日!私は貴女に遇いに!!ここに来たようなものです!「いえいえ、僕はいいんで、是非ご一緒に入ってくださいよ~」「いえいえ、私はいいんで奥さまとぜひどうそ」「いえいえどうぞどうぞ」「いえいえどうぞどうぞ」今しがた以上に真の押し問答にシェフとハニーはどん引き気味。「あ、さっきの新婚カップル」ほんと先ほどの新婚さんがクラシックカーの後部先に乗って店の前を仲良く走り去って行った。冷めたハニーのひとことでホイッスル。被写体ゴッコはやむなく中断、結局、断念せざるを得なかったが、何~~入店していまに見ておれ、美女めっビシバシ、ビシバシッ 撮ったルデェ~。それにしても背筋もピンと貼り姿勢まで美しい。いや~~今日はビューティフルディ、いい一日になりそうだな~~♪ユニッソンデクール、心の融合?まだまだ序章です。
2012年06月13日
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美味いっ!旨いっ!上手いっ!巧いっ!美味すぎるオオサカとはおもえないwww日本の元気と世界への発信は同店が担うと確信する店です。サラバ 東京チンケフレンチ、wてなもんです(wただいまのところ、群を抜いてナンバー1Unisson des Coeurs (ユニッソン デ クール)*****************************************************TEL 06-6131-0005住所 大阪府大阪市北区西天満1-7-4 協和中之島ビル 1F交通手段 地下鉄堺筋線 北浜駅 徒歩5分京阪電鉄 北浜駅 徒歩5分京阪電車中之島新線 なにわ橋 徒歩3分なにわ橋駅から165m営業時間 12:00~14:00(L.O)18:00~21:00(L.O)ランチ営業、日曜営業定休日 水曜日平均利用金額 最も多くの方が実際に使った金額です。 →予算分布を見る[夜] ¥10,000~¥14,999 | [昼] ¥5,000~¥5,999 予約 予約可カード 可 (VISA、MASTER、JCB、AMEX、Diners)個室 無(奥に半個室のようなスペースがあります。) 席数 35席 (テーブル35席) 貸切 可 (20人~50人可) 駐車場 無(コインパーキングいくつかあり)禁煙・喫煙 完全禁煙携帯電話 docomo、au、SoftBankサービス料・チャージ ディナータイムは5% ユニッソン・デ・クールシェフソムリエ ○○様ランチ時に騒々しくお邪魔させていただきました○○と申します過日は坂本様のすばらしい料理の数々とそれに合わせて○○様、おいしくワインをご提供いただきありがとうございました。明細をいただいたとき、飲んだ数々のワインのご請求がなく大変恐縮しております。心あたたまる真心まで頂戴し、感動して帰郷いたしました。新進気鋭などと評される坂本さまのお料理ですが、すでに数々の伝説を生みつつあるすばらしいお皿の連続でした。そしてデザートも大変すばらしかった!!すべてのお皿が印象と余韻に浸れる希有なお店です。巷間、サービスがまだ「落ち着かない・慣れていない」と評されているようですが、これから日々を重ね、ひとも育ちつつどんどん伸び盛りになると確信しております。いずれにしても、また訪問できるのを楽しみに日々働き、おとずれるにふさわしいひととなれるよう自分も努力したいと思っております。さて、今日はお礼と併せて、お言葉に甘えてワインを持ち込ませていただこうとお願いです。私が最も大好きな白のひとつラドリアーヌ07年とラフィット01年の2本です。ラドリアーヌはいまが飲みごろ、近々に再訪し飲んでみたいという意思の表示です。もう一本はご案内のとおり円熟期にはまだまだ、この間も訪問を重ねつつ飲みごろをご教示いただこうというふたつの趣旨で選んでみました。今日宅配いたします。持ち込み料と併せて保管料などをご請求いただければ幸いです。どうか、よろしくお願いいたします。坂本さま○○さまをはじめみなさまのご健勝とますますのお店のご発展をお祈りいたしております。日本の元気と世界への発信はユニッソン・デ・クールが担い象徴していくものと確信いたしております。長々とすみません。PS 当日、父母のわがままを聞きいれて扇町の公園でお留守番してくれたこども4人といっしょにゴーレデンウイーク恒例でもぎった我が家の畑の夏ミカンを同送しました。ご迷惑かもですがスタッフみなさまとご笑味ください。
2012年06月09日
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あれから2ケ月がたちます。まだまだこれから、あらゆることが。GWはトットの定番、家族全員で協力しながらどこかへお出かけ。予告通り今回は大阪へ。はじめて大阪までドライブで手に汗にぎりましたとさw(恥で、今回のテーマはハニーとフレンチ大阪編!!娘たちとピェール・ガニェール(六本木レストラン・ハジメ(肥後橋ハニーとジョエル・ロブション(恵比寿ミッシェル・トロワグロと(西新宿、、、、、2年間でまぁよくいくもんだわいそんあんこんなんで、今回はこちらの店に*********************************************************アキュイール (Accueillir )ジャンル フレンチTEL 06-6311-2558住所 大阪府大阪市北区西天満4-1-20 LeePlaza1F交通手段 京阪本線なにわ橋駅1番出口から徒歩5分地下鉄堺筋線・谷町線 南森町駅 2番出口から徒歩10分地下鉄堺筋線・京阪本線 北浜駅、地下鉄御堂筋線 淀屋橋駅 京阪本線地下連絡通路より「資生堂ビル」出口から徒歩10分JR東西線 北新地 11-23番出口から 徒歩10分なにわ橋駅から339m営業時間 【昼】 12:00~14:00(LO)【夜】 18:00~21:00(LO)ランチ営業、日曜営業定休日 月曜日 シャトー・ラフィット・ロートシルト[1999](赤ワイン) ヴィンテージ評価 公式ホームページより過去10年ほどと変わることなく、冬は穏やかで、それに続く春は温和で、開花も早く、7月から8月中旬にかけては、晴れ間が少なく湿度の高い時期があったので、葡萄畑に壊滅的な被害を与えるカビとボトリティス菌の発生が懸念されました。幸いなことに、8月15日から収穫の終わりまで猛暑が続きました。この年の収穫は雨の中、記録的な速さで行われました。 成熟直後の収穫は危険な賭けでした。この年のワインは葡萄畑の4品種から造られています。これは珍しいことですが、96%は同一品種です(カベルネ・フランとプティ・ヴェルドはグラン・ヴァンで一緒に混醸されることはほとんどありません)。このワインは、木とスパイスのようなアロマをもち、構成のしっかりした味わいです。バランスがよく、優美で、よく熟した赤い果実を思わせる長い余韻があります。 ◆1999年コメント ロバート・パーカーJr.「ボルドー第4版」より 瓶にはこれみよがしに「1999」とという文字が彫ってあるほか、1999年8月のあの歴史的大事件を記念して日食の印も帆ってある。骨の髄までラフィット・ロートシルトというけたはずれのワイン。エレガントでありながら強烈な風味が、重さを感じさせない広がった層の中にほとんど透けて見える。光を通さないほど濃いルビー/紫色をしており、複雑なブーケは鉛筆、黒鉛、西洋杉、クレーム・ド・カシス、トースト、ヴァニラを思わせる。ミディアムボディで、途方もなく多くの層が感じられる豊かさがあるのに、重みはほとんどないし、フィニッシュには甘みや、ブドウの完熟感、調和が感じられるばかりである。この並はずれたラフィットは、どんどん壮厳な1953年の現代版となりつつあるようである。グラン・ヴァンになったのは収穫のわずか3分の1だった! 飲み頃予想:2007年~2030年 最終試飲月:2002年9月 ポイント95て、ことで持ち込みで飲んでみたラフィット・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ビバ!ハニーあれ?^^;ワイン専門誌の評価は…◆ワイン・スペクテイター誌:97点 (ワイン・スペクテイター誌1998jan31号より) ◆ロバート・パーカー氏:95点 (ワイン・アドヴォケイト誌115号より) 皆様、1999年に起こった大事件を覚えていらっしゃいますか?そうです♪日食が見られた年なのです(^O^)vそこで、シャトー・ラフィット・ロートシルトは、瓶の上に、キュートな日食の絵を添えました♪かなり可愛いです!ラフィット・ロートシルトでは、1985年のハレー彗星が見られた年には、キラ~ッと流れる星を、浮き彫りにしりと、とても粋な事をしてくれます。しかも、この1999年物は、超優良年で…『95点を獲得!』と、大絶賛されています。天体ファンでなくても、この可愛いボトルを見ているだけで、心が和みます。こんな素敵なワインを、適正価格で、販売できて、私も嬉しいです(^O^)v是非、皆様のコレクションに、1本加えて下さい。 99年にあった大事件は?瓶にはこれみよがしに【1999】という文字が彫ってあるほか、1999年8月のあの歴史的大事件を記念にして日食の印も彫ってある。骨の髄までラフィット・ロトシールトというけたはずれのワイン。エレガントでありながら強烈な風味が、重さを感じさせない広がった層の中にほとんど透けて見える。光を通さないほど濃いルビー/紫色をしており、複雑なブーケは鉛筆、黒鉛、西洋杉、クレーム・ド・カシス、トースト、ヴァニラを思わせる。ミディアムボディで、途方もなく多くの層が感じられる豊かさがあるのに、重みはほとんどないし、フィニッシュには甘みや、ブドウの完熟感、調和が感じられるばかりである。この並外れたラフィットは、どんどん荘厳な1953年の現代版となりつつあるようである。グラン・ヴァンになったのは収穫わずか3分の1だった!◆ロバート・パーカー氏評:95点◆予想される飲み頃:2007年~2030年。
2012年06月06日
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3/28これからは笑顔をもってともに苦しみぬこう未来へ目を向け心は東北にそして一日一日を大切に生き抜こうこどもたちにも常に言い聞かせながら大阪の街を歩くそして、ぜひとも知っておいてほしい店の扉を開いた街角のとあるレストラン本来なら人知れずひっそり佇むべきその名店は昨今周囲もオーナーシェフ自らも先頭にたってかみすばしい。やや饒舌すぎる感がある。ハジメレストラン本来、時流には乗らずに長く永く語り継がれるべき名店である。大切なもの大切なことへの想い大切なことを あたりまえのこととして近づけること変わらないものそして次のステージに進む時に必要な変化そんなことを学び共感するために娘たちを誘ったレストランHAJIME RESTAURANT GASTRONOMIQUE OSAKA JAPONmineralへの想いの章大げさだけど 自然を想い 地球を想い そして、自然の苦しみと闘うひとびとに少しでも少しでも近づこうそして愛する人を失った悲しみに少しでも少しでも近づけるようにひとりひとりの人生を想おうつながろうがんばろう 東北 ニッポン 私たち*******************************************************大阪を「大いなる食のイナカ」と評すれば意外に心外に予想外にお思いだろうが都市の顔をもたない大きな村の塊であるオオサカはガストロミーにおいてもごたぶんにもれず刹那的かつ冒険心なく世界に取り残されたまま時間が止まりかつ閉鎖的だましてやフレンチ界においては目を覆わんばかりだが最近、肥後橋からなんば橋にかけての狭いエリアの東西南北に創造性あふれる美食の香りが漂いはじめている。なぜか、この界隈のみなのがナナ不思議だけど。レストラン ハジメここからはじめて大阪の夜明けがはじまるただし、世界が大騒ぎするほどのサービス・空間まではまだまでであることはむろんのこと店名 HAJIME RESTAURANT GASTRONOMIQUE OSAKA JAPON (ハジメ レストラン ガストロノミック オオサカ ジャポン)TEL 06-6447-6688住所 大阪府大阪市西区江戸堀1-9-11 アイプラス江戸堀 1F **************************************************************かぶら、姫人参、ズッキーニ、白菜、金芯菜、ミニアスパラ、カリフラワー、ブロッコリー、四角豆、紅芯大根、オクラ、アピオス、ペコロス、インゲン豆、キヌサヤ、モロッコ豆、スナックエンドウ、牛蒡、キャベツ、チンゲン菜、マコモ茸、蓮根、金美人参、アスパラ、白人参、とんぶり、フェンネル、蕎麦の実、トマトクーリ、ビーツ、レンズ豆、胡瓜、ニンニクの芽、辛味大根、南瓜、パプリカ、セルバチコ、水菜、赤からし水菜、ベビー小松菜、レッド小松菜、フレンチソレイユ、ミント、ワサビ菜、クレソン、イタリアンパセリ、マーシュ、デトロイト、ダンデライオン、セルフィーユ、蕎麦菜、ディル、豆苗、エストラゴン、スプラウト、シブレット、芽ジソ、菊、エディブルフワラー、ゴマ、オリーブ、オゼイユソース、柚、キャベツの芽、ツリーマスタード、グリーンルバーブ、玉葱mineral 66種類の野菜を使ったスペシャリテの1つ。ランチは64~68種類だが、ディナーで100種類の野菜が使われている。冬場は根野菜が多くなる等、使われる野菜の種類は季節毎に異なる。 火を通す野菜には、それぞれの野菜に適した下処理を施した後、茹でる、有塩バターと無塩バターを混ぜ合わせたバターで炒める等している。火入れの方法も、赤外線や炭火を用いる等工夫されている。中温で温めため野菜にオリーブオイルを掛けた後、低温で温めた野菜や生の野菜、アサリのエキスのみを抽出したブイヨンがベースの泡を上に乗せる事によって蓋をし、野菜の香りを立てている。サーヴされた時に、野菜が中心の皿とは思えない程に、食欲を誘う香りが鼻を擽るのはそのため。アサリの泡も、泡がすぐには崩れない様に一工夫されている。アサリのエキスのみを抽出しているのは、貝のミネラル成分は、水に溶けやすい為。料理名のミネラルは、大地のミネラル分である野菜と、海のミネラル分である貝のソースを併せた一皿から。 ソースは、柚の丸々1個の果汁と皮を使った、ヴィネグレットソース。皿の周りのピューレは、左上から時計回りに、赤ピーマンのピューレ、ベーゼルナッツオイルの入ったカボチャのピューレ、ニンニクの芽が乗ったトマトのピューレ、ビーツのピューレ、酸味の利いたオゼイユのピューレ。 温野菜と生の野菜を組み合わせた食感と温度差が面白く、牛蒡や蓮根等の根野菜の歯ごたえ、姫大根や辛味大根のシャリシャリ感、クレソンや水菜のシャキシャキとした食感が口の中でハーモニーを奏でる。とんぶりやレンズ豆の粒々感や、ディルやセルフィーユのハーブの風味と苦味、セルバチコや赤からし菜の辛味、周りのピューレの野菜の甘味も印象的。アサリの泡は、透き通った味わいで旨みの塊。ほんのりと塩味を利かせてある。このアサリの泡と野菜を一緒に食べると、貝の旨みが加わり、より奥行きのある味わいが楽しめる。柚のソースは、後味に残る柑橘類の酸味が、爽やかさを演出している。 ビーツのピューレは、蕪の甘味がたっぷり。カボチャのピューレは、カボチャのポタージュをそのままピューレにした様な味わい。トマトのピューレは、ガスパチョをピューレにした様な味わいと舌触り。トマトの酸味の中で、上に乗ったニンニクの芽の歯ごたえと旨みが心地良い。オゼイユのピューレは、爽やかなハーブの酸味を利かせている。菊やパンジーの花で彩りを添えたり、姫大根の蓋を開けると、中から麦が登場したりと、盛りつけも一工夫されており、味わいだけでなく、目で見て楽しませて貰える。これだけ沢山の種類の野菜が使われていると、一口毎に味わいが異なり、野菜だけの一皿とは思えない程の満足感がある。 foie gras au naturel フォアグラの本来の味を表現すべく、蕗の薹に使われていたのと同じ焼き塩のみでシンプルに調理したファグラのテリーヌ。風味や味わいを損ねない様に、0.1℃単位で温度を調整しながら、40分間掛けてゆっくりと火入れしている。テリーヌにする前に、塩胡椒等でマリネにはしていない。フォアグラに血の入った血管が残っていると、味ににごりが出てしまうため、血管は綺麗に取り除いている。以前フォアグラの温度がほんの僅かの間3.7℃だけ上がってしまった事があったが、それだけでも全く違った味わいの料理になってしまうそうだ。 フォアグラの下には、サクサクのメレンゲとナッツの入ったクロカンノワゼットと、カボチャのピューレ。上には、ヘーゼルナッツ、大根のスライス、マンゴーのスライスが乗っており、マダガスカル産の黒胡椒が散らされている。ソースは、白ワインヴィネガーとノイリー・プラットを煮詰めたソース。 ○pintade 茨城県産ホロホロ鳥の胸肉のロースト。まずは、火曜日に入荷したホロホロ鳥に一度軽く火を入れた後、週末まで寝かせて旨味を熟成する。次に、塊のまま炭火で表面に軽く火を通す→フライパンで皮目をパリっと焼き上げる→中高温のオーブンで火を通す→中低温のオーブンで火を通す→サラマンドルの天火で火を通す→最後にもう1度フライパンで皮目をパリっとさせると6段階の火入れを、火入れの角度にも気を遣いながら、合計2時間以上掛けて行っている。ホロホロ鳥の皮目には、機械をほとんど用いない伝統的な手法で塩職人によって造られるゲランドの塩が振られている。このホロホロ鳥への火の入れ方は、シェフの中でも、最近になって以前よりも1ランク上の火入れが実現出来たとの ソースは、チキンブイヨンをベースに、豚肉を加えたソース。これは昔のベーコンを散らした鳥肉料理を、シェフ版にアレンジした物。ソースに、ベーコン的な香りが欲しいが、ベーコンでは風味が勝ち過ぎてしまう。もう少しすっと来るラードの様な風味を加えたかったので、ラードを加えるよりも、豚肉その物の旨味を選択したそうだ。付け合わせは、赤ワインヴィネガーとコリアンダーに漬けたエシャロット、レモン、玉葱、生姜の入ったレモンのチャツネ、蕪、山椒の葉、山椒のオイル、セリ、枝豆、低気圧を掛けてオリーブオイルを染みこませた小松菜の新芽。 肉や魚に味を染みこませる時は、圧力鍋等を使い、外側から力を掛けて火を通す事が多い。反対にコンビニで買ったパンの袋を山頂に持って行くと、袋の中よりも周りの気圧が下がるため、袋がパンパンに膨らむ。つまり外に向かって力が解放された状態になる。これと同じ状況を用いて、生の小松菜の新芽の外側の気圧を下げる事で、小松菜の細胞を広げ、浸透圧の関係でオリーブオイルを染みこませている。周りの気圧を戻してやれば、小松菜の細胞も元の状態へと戻る。この調理法を用いれば、食材に火を通す事なく、生の食感を残したまま味付けが出来る。 付け合わせの中では、オリーブオイルを染みこませた小松菜の新芽が面白い。小松菜の風味と食感はそのままに、内側からオリーブオイルの味わいが溢れてくる。レモンのチャツネは、舌触りはチャツネ、イメージは酸味の利いたレモンその物と言った、ちょっと不思議な味わい。チャツネの甘酸っぱい味わいとホロホロ鳥との相性も良い。蕪は野菜の自然な甘味が、枝豆はクニクニっとした食感と豆の旨味が生きている。セリは、シャキシャキとした食感と苦味をプラス。風味の強いエシャロットや山椒は、唐突に味のリズムを変えるアクセント。エシャロットは、かなり酸味の利いた味わいで、水でさらした玉葱の様なシャキシャキ感を残してある。山椒の葉やオイルは、香りと風味が強く、強烈なインパクトを放っていた。ホロホロ鳥としては、今までに頂いた中でもダントツの旨さで、特に火入れに関しては、凄まじいを通り越して、神秘的な領域すら感じさせてくれる一皿だ。
2012年06月02日
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ガストロノミージョエルロブション。最高のオペレッタの開演のベルが鳴った。ワインは昨日と同じく大好きなラベルを[2008] Condrieu La Doriane - E.GUIGAL コンドリュー・ラ・ドリアンヌ 2008- ギガル2回目のハネムーン、セイシェルで4人目の末っ子が生まれた、2008年その記念のビンテージ。『ローヌの有名生産者』と言えば、誰もが『ギガル』の名を挙げるほど、ローヌ・ワインを世に広めた造り手のひとつ、ギガル。そんなギガルのワインの中でも、最も素晴らしい白とされているのが、コンドリューに僅か2haのみ所有する、ヴィオニエ100%の、この『ラ・ドリアーヌ』。わずか2ヘクタールの自社畑から造られるギガルのドリアーヌ。「モンラッシェやディケムにも匹敵する」と言われるコンドリューの最高峰。この2ヘクタールの畑は2区画に別れていて1つはコンドリューの丘の上、もう1つは有名なシャトー・グリエの隣という文句無しの場所にある。オークの小樽とステンレスタンクで50%ずつに分け、低温でゆっくりと発酵を行い(小樽の中にも温度調節用のチューブを入れて温度調整)、そのおかげでヴィオニエ種特有のアプリコットを思わせる風味をそのままに、力強さと複雑さを伴った白ワインに仕上げることが出来るわけ。marukunのチョイスGel Pe d’oursin/生ウニと甲殻類のジュレCh Ctaigne en Pmulsion au foie gras avec un pain au confit de canardフランス産と茨城県産和栗のバリエーション 鴨のコンフィと栗の粉を使ったケークサレSaumon confit doucement servi avec une huile de pistacheet un bouillon relevP de gingembreタスマニアサーモン エストラゴンオイルで低温調理し、色々な変化をした“キャベツ”とピスタチオオイルにしょうがの香るサーモンのジュを注いでBoeuf grill P avec des l Pgumes au jus gras(特選和牛ロース肉 グリエにし、旬野菜と茸のコンポジション を変更。Filet d’Agneau grill P aux aromates Ppic Ps, coulis d’olive noire et sucrineオーストラリア産仔羊フィレ肉 グリエし、南仏の香るアロマートをのせ 黒オリーブのピュレとシュークリーヌを添えてそして赤はグラスでDomaine Serafin Gevrey Chambertin 1er Cru les Fontenys 2001(セラファン・ペール・エ・フィス ジュヴレ・シャンベルタン 1級 レ・フォントニ 2001) Fromage/フロマージュAvant Dessert/アヴァン デセールDessert/デセールCaf P ou Th Pescort P de mignardisesカフェとミニャルディーズ ハニーのためのチョイスAmuse-BoucheLe Caviaren fine gelée coraillée servi en surpriseロブションブランドのキャビア缶L’Oursinaccompagné d’une purée de pomme de terre au café aux fines graines de couscous et concombreavec un flan moelleux de crevette et une crème de fenouil特選生ウニ3変化コーヒーの香るロブション風ピュレと共に桜エビの香るフランとフヌイユのヴルーテ自家製海藻塩でマリネしてからキュウリと大根のロールにのせてL’OEufle jaune en imprimé d’herbes aux épinards petites pousses et maïtaké卵 卵黄のみをほうれん草と共にラヴィオリにし、茨城県産舞茸を添えてLe Calamarà la plancha, avec un coulis de poivron rouge et pistouアオリイカ プランチャで焼き、赤ピーマンのクーリとこがしピーマンのジュでエスコートLe Gorgonzolaen royale avec une vierge de poire et de tomate à la saugeゴルゴンゾーラピカンテ ロワイヤル仕立てにし、セージの香るポワールとトマトコンフィをのせてLa Rascasseen beignet de pois chiche avec un bouillon aux saveurs paëllaカサゴ ひよこ豆の粉でカリッとベニエにし、イカスミのエッセンスとパエリアのブイヨンを添えてLe Boeufgrillé, accompagné d’épinards relevés de wasabi et de légumes de saison au jus特選和牛 グリエにし、旬野菜のバリエーションと天城産ワサビの香るホウレン草のソテーと共にL’Edamamé et le Sojaavec une“carbonara”de nouille à la perle大豆の色々な変化をテーマとしたパールパスタのカルボナーラ仕立てLes Agrumesen granité avec une gelée au jasmin柑橘類のグラニテ ジャスミンの香りと共にL’Ananasen sorbet et mariné avec une gelée au rhum ambré et une perle de cocoアナナス ラムの香りと、ココナッツのソースと共にLe Café express ou le Théet ses douceurs sucréesカフェとミニャルディーズ
2012年05月30日
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明方、高層階にあるホテルの部屋がぐらぐら揺れる。それくらい強い強風がハマにも届いていた。朝の散歩は予定を変更して徒歩ではなくみなとみらい線にて。元町中華街へ。東門から大通りをまっすぐ善隣門まで。どこもかしこも「世界チャンピオン」と看板がかかる肉まん屋の店頭は、どこも開店前であった。あまりにもの寒さと強風で、もうどこへも行けなかった。行きたくなかった。昨日、強行軍ながら夕刻、馬車道周辺を、夜、ドックヤードから汽車道を経て赤レンガ倉庫を廻った。だから悔いなく東京へ帰られる。山下公園へと自然と速足になる。ハニーは相変わらずっとずっと後だ。そういえば、いまさらながらなのだが、これまでお互い肩を寄せ合い、肌触れあいながら歩いてた記憶があまりない。こうして歩む散歩にしても、歩んできた人生にしても(笑)。 氷川丸横の水上バス・観光船連絡船へ。軒並み、というかすべて強風のため欠航だという。「横浜みなと」をめぐる水上バスシーバスを楽しみにしていたがしかたがない、またみなとみらい線で戻ろう。みなとみらい駅で降り、クイーンズイースト地下街のみなとみらい109のCECIL McBEE(セシルマクビー)へちょっと立ち寄ったのが最後、娘たちと電話でやりとりする土産物漁りのハニーはアリの巣ならぬマヌカン地獄に陥りつつあった。そして案の上そのとおりになった。携帯テレビで子供とやりとりをしお気に入りの一品を土産にする。恐ろしい時代だ。みなとみらい線で横浜に出て、湘南新宿ラインで恵比寿に行く予定が、苦手な寒さと、思わぬ歩く構内移動、そしてさんざん私を待たせた癖に買い物疲れ気味のハニーはみなとみらい直結の東急東横線で渋谷にでればと提案する。いずれにしてもひと駅乗り換えなのにな。でも微妙に私が間違っていた。快速は順調に渋谷へ向かう。中目黒で「同13番ホームで日比谷線乗換」とアナウンスがあった。中目黒の次が恵比寿だっけ?と頭の中に過ったが、そのまま渋谷へ向かう。やはり次は中目黒だった―――。 歩く歩道を急ぎ歩きでガーデンプレイスへ急ぐ。エントランスパビリオンを通りすぎ、シャトー正面のセンター広場には、冬季期間限定の名物バカラのシャンデリア。高さ約5m、幅約3m、クリスタルパーツ総数8,472ピース、ライト総数250燈の世界最大級だ。そしてそのシャンデリアを3階建ての建築物に相当するアルミ製ラチスパネルの展示ケースで覆われている。『 Baccarat ETERNAL LIGHTS -歓びのかたち-』展示期間はなんと今日までだ。「これ君にプレゼント」この展示ケースを目の前にして何千人ものカップルの片方が言わしめたであろうセリフを吐いてみる。案の定、ハニーはさして反応もせず、「正面に小さなルビーが埋めてあるよ」と、とても冷徹な観察眼でもって応えてくれた。なにそれ?どでかいシャンデリアをしばし見とれてもらったフリをしたあと、シャトー広場へ移動。正面のフランスロアーヌ地方の古城らしき建物を撮りまくる私に「これ何なん?」と相変わらず世間知らずなハニーである。やれやれ、でもサプライズのしがいがある。「博物館でないん?」とそっけなく答える。そう、これもバカラの展示物と同じだ。当たらずとも遠からずでもある。世界最高峰のガストロノミー、シャトーレストラン、東京ミシュラン三ツ星、グランメゾン、そんな横文字大賛辞で名の通るこのレストラン。しかし、バブルなとある時代の産物、現代の張りぼてである、ことに変わりはない。そこに嬉々として集う吾等おのぼりさんもその蜃気楼の片棒を担ぐ通行人Bさんに過ぎない。昨日のミッシェル・トロワグロと違い、随分と気構えてシャトー向かって右側のエントランスをくぐる。頑なになっていた心がほぐれたのは、またしても綺麗な受付のお姉さんがただった。「わぁ!綺麗なお姉さん、貴女に遭うためにココにきました!」やっぱり、私はアホゥですね・・・・・・・。ガストロノミージョエルロブション。最高のオペレッタの開演のベルが鳴った。
2012年05月27日
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幸福な時間を整えるすべての主役が出揃った。私たちもその舞台袖でいつでも応えられるような立ち位置にいたい。その舞台、『キュイジーヌ[s] ミッシェル・トロワグロ』開演です。【案内のある旅~ランチコース 】 まるくん●セップ茸のリゾットマンダリンオレンジとスイートアーモンドのクリームやわらかいサーモンのパヴェ エストラゴン風味フレッシュなりんごと黒大根 牡蠣のジュ仔羊の背肉 ミントとローズマリーの香り野菜のクロック洋梨のロティ アニス風味 ショコラとキャラメルのビロードオレンジのソルベこれをかぼちゃのクラカン フランボワーズとショコラ サフランのグラスに変更してもらうコーヒー、小菓子【 季節のある旅】 ハニー●フォワグラのビロード トリュフの香り 洋梨と蕪鮟鱇のロティ オリーブのコンフィ グレープフルーツとサフランのナージュ蝦夷鹿のノワゼット ルッコラバター りんごとかぼちゃマロンのミルリトン シャテーニュのキャラメリゼ マンダリンオレンジのソルベをアルパコ”ショコラのランゴー キャラメルとアニス 胡桃のグラス に変更してもらう。コーヒー、小菓子 ワインは食前酒・食後酒兼用という大胆な一本。2000 Gewurztraminer Sélection de Grains Nobles Marcel Deiss ゲヴュルツトラミネール セレクション ド グラン ノーブル 【 ミッシェルトロワグロ 】へのメールおはようございます。1月9日(日)のお昼に騒々しくお伺いさせていただいた○○と申します。幸福感に満ち溢れたひとときを過ごさせていただき、お礼をあらためて申したくメールさせていただきました。 ベガさん率いる皆様の料理はいつものことながら、未来をみつめる情熱と今を思いやるやさしさのさざ波のようでかえすがえす、いつまでも余韻に浸りたいようなおいしさであふれ返っております。ベガさんやガロさんが日本にいらっしゃる出会いの奇跡にあらためて感謝いたします。それもさることながら、今回はじめて間近にさせていただいた丸野様やダミアン様をはじめスタッフ皆様のお人柄にささやかながら触れることができ、感動に浸って帰郷しました。私共が暮らす四国では、寺社を巡るお遍路さんに一期一会の「おもてなし」という長い歴史のある習慣がありますが、新宿の副都心で全く同質の旅の接待を受けさせていただき感動しております。フード評論家でも何ものでもない一市民の私が申すのもぶしつけではありますが、国内、世界中のありとあらゆる国を旅して食事してきた身ですが、なかなかこのような出会いはありえません。まさに心地よい「案内いただいた旅」でした。一番感謝しておりますのはおもにサービスを担当してくださった真摯な若き男性と、いずこも可憐でやさしくお美しいのですが、たまたま当方の蛮態(たんなる美人好き、ハニーも綺麗でしょ?(笑)被写体におつきあいくださったフロント嬢にです。今すぐ再予約を入れたいところですが、食事代以上に旅費がかかる身(笑い)・・・まさにミシュランでいう☆三個ですね・・・なかなかすぐに再訪はかないません。でも必ずまたおうかがいしたいです。サービスくださったフロントさんとメートルさん、お名刺をいただけばよかったのにお名前を失念いたしました。再訪はぜひ、いらっしゃるときにお礼を申したくお伺いしたいと思います。 みなさま、ありがとうございました。○○拝【 ミッシェル・トロワグロ 】からのメール○○ 様この度は私どもキュイジーヌ[s] ミッシェル・トロワグロをご利用いただき誠にありがとうございました。また、ご丁寧なメールを頂戴し重ね重ね御礼申しあげます。私は当日、○○様のテーブルを担当いたしましたシェフ・ド・ランの○○と申します。私どもは日頃から、ご来店された全てのお客様にご満足していただける様、出来る限りのおもてなしを心がけています。○○様のメールからとてもご満足いただけたご様子が伺え、スタッフ一同うれしく思っております。お写真に写っているスタッフは左から、○○、その隣2名がレセプショニストの○○と○○でございます。また東京にいらっしゃる機会がありましたら、是非ご来店をお待ち申しあげております。シェフ・ド・ラン○○
2012年05月20日
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新宿西中央出口の地下通路からしばらく歩いて地上に出る。ハニーははやくも遅れ気味だ。高層ビルの谷間から漏れる一日のうちで一番高くにある太陽光のシャワーと透き通った紺碧色の青空。年末の慌ただしさと新春を跨いだ高揚感、それからちょうど1週間、どこか間がぼんやりとした抜けかける前のシャンパンの泡のような季節。年末年始は全国的に大寒波であったが、今日の東京はマフラーやジャンパーがうっとおしいくらい凌ぎやすい。日曜日の正午前、高層ビル郡を除けばここが新宿にいるのが嘘のように静謐だ。駅から10分ほどで目的のホテルに到着する。結婚式を挙げたばかりの混雑したロビーを横切りつつ、高い吹き抜けの天井から吊るされた大きな煌めくシャンデリアを眺めながらエスカレーターで降りた1階。思ったよりうす暗く狭い通路の先に早朝より遠路はるばる目指してきた店がある。閉じているはずの木製の扉は開かれており、エントランスのデスクには男性のマネージャーらしきひとが陣取っていた。あれ?なぜ美しい女性がいないのか?―東京の最高位のガストロノミーには必ず嫌みのない清涼感溢れる若き美しいフロント係が複数人いる―私の勝手な思い込みランキングである。ああ、それなのに駅からの、いや空港からの、否、予約をしたちょうど3ケ月(!)前からの高揚感一杯の期待を裏切り、私は明らかにハニーに続いて入店したとき動揺した。その美しいひとではない(女性ではないという意味において)小柄な若きフランス人、おお、このひと知ってる―2009年4月からプルミエ・メートル・ド・テルとして就任したホープだ。「ようこそ、ボンジュール」本当だ、聞いた通り、このひとはなにかにはにかんだようなで上目遣いで言う、そしてとてもチャーミングでコケテッシュだ。もちろん好感がもてる。それはそれでよいのだが。新宿駅西口からホテルまでの道中、私から遠く離されつづけても微動だにしないハニーだが、今度は私が入店した瞬間の幸福な機微を感じ入ることなく、ジャンパとマフラーをフロント係に預けるなり、マネージャーに案内されるままスタスタついて行く。今度は私がハニーの後塵を行く。フロントと間仕切りのないウェイティングルームへ一歩踏み出すとたんに「こんにちは。ようこそいらっしゃいませ」あれ!?いた!美しいひとはそこにいた。やはりいた。瞬間感じた。ありきたりの接客モラルだけではない、言い表すのが難しいのだが相手に幸福感をもたらす空気を醸し出す磁力が備わっているのだ。それは教育であり、整った環境であり、ぞれに基づく自己の収斂だ。人間、人生、これに尽きる。今日一日、楽しく美しい思い出づくりができるに違いない。今度は別の意味で動転しながらもなりそう確信した。「―――黄色く染まり尽くす前に散り始めた街路樹。新宿駅西口から延びるその道を今年も何度通った事だろうか・・・師走の暗い一階フロアの奥にエントランス、近付くと内側から美しい女性が輝くような笑顔で迎えてくれる。名乗らずとも名前を呼んでくれると素直に嬉しい。そして、美しい女性三人に囲まれると少し照れくさい・・・荷物を預けるとすかさず席へ案内される。ガラス張りの厨房を左手に見ながらダイニングへ、知る顔が多いので挨拶しながら奥へそしていつもの席に座る―――」とあるHP上で、このような表現と出会った。この文章を執筆したひとのやさしさ溢れる人柄もよくでているのだが、愛情溢れるこの店に是非とも行きたいと思わせる何かがあった。この執筆者はこう結んでいる。「―――来年は何度こちらに伺うことになるのだろうか?“コースで任せる楽しみ”と“アラカルトで選ぶ楽しみ”そのどちらもが並立する珍しいレストラン。コースで任せればリオネル・ベカの料理にキラメキを感じ取ることができるだろう。アラカルトで選ぶとき客はリオネル・ベカの料理の力に圧倒されるはずだ。二つの相反する魅力を兼ね備えた料理。個々に魅力的なスタッフの皆さん。我が家にいるような居心地のよさ。やはり何度も伺うのだろう、とりあえずはこのレストランの客にふさわしい人間でいなければと思う―――」 ここでしか言い表せない何かが。ロアンヌにある「メゾン・トロワグロ」。その店主がこの主人公が監修する。かの地で身を粉にして働きつつ愛する妻と過ごす黒子の主人公はあるインタビューでこう答えている。「―――私のレストランはロアンヌという地方都市の駅前広場にあります。なぜ世界でも有数のレストランであり得るのかというと、やはり80年前に祖父が店を作って身を粉にして働き、その中でものすごく強い意志と野望を持って職場の環境を変革させていった。そういう先代の努力のおかげなのです。持続性のある発展というものを基本にしています。必要な食材や人材は自分、家族、地元の人、友人など、ロアンヌを中心として近い所から探していく。近い所になかったら今のように少しずつ遠い所へ探しに行く。だから近くで手に入るものをわざわざ遠くに探しに行くことはありません。それをやると無駄なエネルギーを使ってしまうし、結果的に地球を汚してしまいますからね。日本のシステムはわかりませんが、フランスではどの街にもマルシェ(市場)があって、5分も行ったらそこで新鮮なものが買えます。あとは近くの野山で野生のタンポポを摘んだり、シャンピニオンを採ったり、スグリやキイチゴを摘んだり。ハーブやオゼイユ、トリュフだって野生のものが近くで採れます。散歩に来る人は気が付いていないだけで、道端に宝物は転がっているんです。自分にとって非常に感動的なことは、人生の晴れの日、結婚記念日や誕生日などに、(自分のお店に)来てくださるお客様が絶えないことです。先日も「トロワグロに来るのが私の夢でした」と言って、90歳のおばあさんが来てくれましたが、それは衝撃的にうれしいことでした。この仕事の醍醐味は、そんなところにもあると思っています―――」 その店主に任された信頼受けるエグゼクティブシェフ兼支配人のリオネル・ベガさんは、こう言う。「――さらりと通り過ぎていく美味しさではなく、脳を刺激し、記憶に残るひと皿になるよう、時に冒険や挑戦をしながら日々進化、向上を心がけている。それはサービスも同じ。温かみやユーモアのあるテーブルメイクがポリシーです―――」 幸福な時間を整える、約束する、すべての主役が出揃った。私たちもその舞台袖でいつでも応えられるような立ち位置にいたい。その舞台、『キュイジーヌ[s] ミッシェル・トロワグロ』開演です。
2012年05月20日
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> 溜池山王駅、銀座線の改札を出る地下道を通り13番出口から地上へあがるとANAインターコンチネンタルホテル。エレベーターで36階へあがる。背の高いスラッとしたメチャクチャ綺麗なお姉さんに「お待ちしておりました」と微笑まれ、すっかり有頂天なオヤジさま↓お姉さんに案内され、すごすご続く。パリ本店でも勤めたかの有名な給仕長ミシェル氏に「ボンジュール」には反応なし(爆先はエントランスガラス張りのワインセラーに囲まれたそのエントランスを抜けると目の前には東京ミッドタウンのビルがそびえる。左に折れ窓沿いに奥へ進む。個室手前の窓際の席。「どうぞ、東京タワーが真ん前ですよ」窓の外には東京タワー。子どもたちにその眺望を楽しめる席を譲る。テーブルの上には白い皿と置物。その飾り皿はパリ本店と同じお皿。ワインはリースリング・アルテンベルグ・ベルグハイムと決めてある。この先、人生飲む白ワインはアルザスかコート・ドゥ・ローヌのコンドリューのみと決めてある。お姉ちゃんたちはフレッシュオレンジジュース(笑高い所と、東京タワーと、フレンチ、父さんのイチバン好きな東京をご堪能あれ。高い授業料になるけどね(笑w ピエールガニエール2010秋のコースメニュウ【プレ前菜】ビーツのチュイルと生姜のサブレ ルッコラのフィナンシェ パルメザンチーズのステッック エストラゴン風味のマシュマロ 【三種のパン】ホテルメイドの 天然酵母と全粒粉のカンパーニュ ミルクとバターのパン 栗粉のパン フランスAOC認定の無塩バター 【小前菜五皿】【バターナッツのヴルーテ、カルダモンの香るカプチーノ】【ぶどう、グレープフルーツとカンパリのソルベ】【秋刀魚のトースト、茄子グリエのピューレ、イベリコの生ハム】【牛肉のタルタル、コルマンマスタードの効いた赤ビーツのジュース】【洋ナシのブルブ、ブリ・ド・モーとコリアンダー】前菜【フォアグラのキューブ、カキと甘口ワインのジュレ、マンディアントーストを添えて】魚料理【バタームースでローストした黒むつのパヴェ、シャンパーニュの香るブイヨンサンテ、ポワローのフォンディユとイカのカルパッチョと共に】肉料理【オレガノでマリネした仔牛肉と根セロリのムースリーヌ 調理したミードパンとトロンペット・ド・ラ・モーを添えて】【プレデセール】飴細工に入った梅とプルーン、エディブルフラワーの乗ったオリーブのケーキ、黒豆の薄焼きクッキーとレモン風味のメレンゲ、バニラアイスを浮かべたパッションフルーツのソースピエールガニエール2010のデザート三皿【パッションフルーツと苺のサラダ】【林檎のコンポートと林檎のジュレ】【ピエール・ガニェール 2010年のショコラ】小菓子【オレンジを巻いたチョコレートと黒糖のチュイル】コーヒー ピエール・ガニェール TEL 03-3505-9505 住所 東京都港区赤坂1-12-33 ANAインターコンチネンタルホテル東京36階交通手段 地下鉄・溜池山王駅13番出口前六本木一丁目駅から401m営業時間 11:30~14:00(L.O.)18:00~21:00(L.O.)ランチ営業、日曜営業定休日 月曜日
2012年05月19日
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みちしるべみちしるべ一歩また一歩もちろん、いわゆる「旅」の記録ではないしかし歩んだ道を避けて通れない道を語りつがれるべき道をここに記しておこう何度も足を運びつづける溢れ出る涙は涸れることないけど目を見開けて歩み続ける思うことはたくさんあるけど黙して語らずたゆたうように歩みつづける2011/5/11 まるくんあの日から、あの恐怖と驚愕と茫然と自失と後悔と自責とあらゆる苦難の日からそれでも時は逆流することなく刻み季節は巡り不安な雲が広がりをみせながらも日ざしが強かったりさわやかに風が吹いていたりする。旅人よ旅の記録ではない旅の記憶でもないあなたの胸に常に刻むべき重しをその刻印を押そう空気すら読めない呑気なあなたのためにいつも厚化粧した自分しかみえないあなたのために誰かのために2011/5/11まるくん****************************************************************先の未曽有の東日本大震災において犠牲になられたおひとりおひとりに衷心よりお悔やみ申し上げます。また、被災地の支援活動にあたられた殉職者の方々に敬意を表するとともにお悔やみ申し上げます。そして、東日本の広域圏で被災されたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。いまなお、被災者のみなさまは心の傷跡は癒されることはなく、また復旧復興の道のりも遠く険しく、生活再建もままならない状況にあり、私たち、いえ「私に」何ができるか問いかける日々をみなさまもお過ごしのことと拝察いたします。このような前例のない大震災を目の当たりにしながらも、被災者のみなさまは激震の直後より冷静に、大変忍耐強く、お互いを励まし合い、譲り合い、支え合って今日を明日をお過ごしかということにでございます。想像を絶する過酷な状況下にあって自らを律しひとを労わる精神が根付いていることに深い感銘を覚えるのです。新島譲が著した「危時思偉人(危い時にこそ偉人を思う)」精神が東北地方のみなさまには潜在的にいまなお刻まれているのでしょう。そして、国民ひとりひとりがこのようなときだからこそ、「自分も何かができる」と行動を起こし、「自分には今何ができるか」問いかけの日々を送り、先例のない、団結力を発揮しようとしています。また、おひとりおひとりがあらためて防災の大切さ、防災意識の高まりを強く感じられていることと存じます。地域を、ふるさとを深く見つめなおす、ひとりひとりの生活態度の在り方を見直す、ときが今なのだと感じます。 一方、自分はまた違う視点であらためて感じ入ることもございます。自然のまえでひとは実に無力であるかという諦観とあわせて、ひともまた自然の一部であるという当たり前の真理を日々の暮らしのなかで忘却しがちではなかったかという再認識であります。「人智を超える自然の脅威」とよく表現されますが、脅威であることも「自然」であります。三陸沖沿岸部のみなさまは、自然の脅威と恵みを常に共存してきた精神が連綿と受け継がれているからこそ、あのような大恐怖の津波にあってもなお「海を悪くはいわない」「それでもこの地で暮らしていく」と報道を通じ伝聞します。自然を祭る・暮らしのなかで祈るという日本古来の文化の精神はここにこそあるのです。今一度、みなさまとともに自然とひとのつながり、ふるさとのつながりを再考し、活かしていかねばと思います。
2011年06月22日
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東北自動車道を走り、白河、松島、仙台、牝鹿半島、鳴子、平泉どこもかしこも美しい風景と温かいひとびとが溶け込んだ旅の道しるべでした。このたびの大震災で被災されたかたがに衷心よりお見舞い申し上げます。愛するご家族、知人、友人みなさまと信じ難い離別、あるいはいまだに行方がいまだわからない不安、長引く避難生活の辛苦、これからの生活、再建への挫折感、わたくしたちなどが想像を絶する絶望感があろうかと存じます。でも、今、今みなさまおひとりおひとりは決してひとりぼっちではありません。わたしたちは繋がっています。わたしたちは世界のなかで繋がっています。そして決してひとりにはいたしません。そんな強い意思をもって、ともに絶望感と戦い抜き、必ずや希望の光に到達することを懸命に支援いたす決意です。どうかおおくのみなさまのご無事と明るい光が灯ることをお祈りいたし、微力ではありながらも、わたくし自身できうるかぎりのお手伝いをいたしたいとお誓いいたします。marukunhttp://plaza.rakuten.co.jp/hunkorogashi/スパンコールの夜に踊ろうアバンチュールよりもポラロイドの恋よりもワンダフルライフ陣内孝明の歌を口ずさみながらーーー渋谷で飲んだ暮れた酔い覚ましの明け方おもいたったふたりのドライブ旅行松島 三陸を廻り 鳴子温泉へ泊まる。うまい三陸の幸や山の幸に舌鼓を打ち黒い風呂につかりご満悦一夜明けたら目のさめるような雪景色だった。**************************************************旅するみのたんシリーズゴーゴーみのたんみのたん2歳これからものびやかに自由に人生とは日々なんとなく過ぎていくものです。しかしながら、アタシたちはその「なんとなく」を「無為に過ごせる」保証はどこにもありません。自己をどれだけ鍛えておくか、自分とは何か、自分の価値とは、これらをいつも体感しておかなければ、厳しい現実に流され、壊されていくのです。そして「私たちは自然のなかで生かされている」ことを常日頃自戒すべきです。自然は私たちに恩恵を与えるのみならず脅威でも常にあるのです。それが「生」なのです。ですからあの未曾有の恐怖を体感した津波ののちも三陸沿岸部のひとびとはこれからの漁業の再興を願うのです。すべてをさらわれた農業を営むひとびとは明日の再建を渇望するのです。どこかへいくのが旅ではないそこで、何を気づいていくかそう。気づいていくこと私たちは「生きている」のではなく「生かされている」のです。それを自覚することです。それが、【幸せへの旅路】、なのです。充実した素晴らしい「私」を作る自己開発が自己実現であります。なんとなく――ばかりでは、今まで気づきもしなかった自分の価値を発見していくことなど、とうていムリなはなしです。 ★― わたし あなた そして みんな ――― コロコロ転がるフンコロガシとは、―あなた―でもあるのです。自己理解のうえにたって「私からあなた」、「あなたからあなた」、つまり他者理解へ進み、他者理解が積み上げられて尊重(愛の昇華)へと進むのです。【フンコロガシ=まるくん=アタシの旅路】とは私からあなた、あなたから私たちという過程でもあります。その出発点である私は、誰なのか?何なのか?という問であり、自己理解です。出会うことで、他者=世界との共通性をみいだすこと、共通認識をもつことが「交わる」ことです。そのたおやかな流れのなかから、たとえ共同幻想であろうとも、豊かな人、家族、豊かな地域、豊かな社会、安心と自信と自由に満ち溢れた「貴方と僕の幸福」が築かれるのではないでしょうか。誰かの一瞬のまたたきのような存在である、一瞬のきらめきのアタシたちの旅路。気づかなければ、何もはじまりません。―私からの出発―は、あなたからあなた、そしてみんなへつなげていく旅でなくては、あなたの幸せなど、いつまでたっても青い鳥でしかありえません。―人と人との素晴らしい出会い、つきあい、交わり―などというのは、他人、他者の苦しみ、悩みをいかに自分のものとして精一杯受け止めていくかにかかわるのです。自尊感情という愛と同じく、常に緊張の連続と厳しい現実を受け止めて通じる感性を磨いていかなくてはならないのです。「想像力」といいます。―想像力とは、自分が自分でないものの身になって考える力―のことです。その想像力を鍛えるのに、夢想していて、日常に気づかないまま、湧いてくる力などではとうていありえません。想像力を磨き、鍛えるのは日頃からいろいろな人と関わりをもつ、出会いをもつことなのです。そして、厳しい現実は、自己との闘いは、不条理に自己実現を阻まれている多くの人たちに関わり、苦しみを共感する以外、豊かな心を育むことはムリでしょう。それがアタシのいう、「あなたの思い込みや思いやりなどでは薄っぺらで駄目」なのです。 ★この幸せ帳は、そのことに【気づく】入口です。みなさんは、おそらくまだ扉の前に立っているだけなのでしょうが、扉はいつでも開放されているのです。 ★『 青 空 』=『 自 由 』なのです。 なにものにもかえがたいものです。しかし、アタシたちは、『自由』を希求しながらも『自由』な存在足りえてません。逆説的ではありますが、自由を求む意識そのものが、アタシたちを『不自由』にしてしまうのです。アタシ(たち)は青空を探し求めつづけます。 いつもどんより雲っていても、厚くたちこめた雲に覆われていても、雨が降りつづけていようとも、吹雪が吹きすさんでいても、、、、――その、突き抜けた向こうはいつもたおやかな青空。あなたの青空を探してみてください。アタシたちは自由な生き物です。★だから、アタシの旅はいつも青空です!
2011年04月17日
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彼女はしばらく珊瑚の上で水中カメラを海面につけ探索するなど戯れた後、再び海中に消えた。浜辺にあがってきたとき海水がしたたり落ちる曲線の麗しさと、波打ち際に寄せる水面が反射して、キラキラ光る風景は今でも瞼の裏に焼きついている。ラウネーは私にとって、セイシェルのなかでも飛びっきりの場所となった。くハイハイをするぐらいの赤ちゃんが浜辺で歓声をあげる声が届いてきた。帰国後、外国語のホームページの和訳でこんな紹介文をみつけた。 One of Seychelles' most picturesque seascapes, this park encloses eight quiet and beautiful beaches and is the only marine park which is accessible by land as well as be sea. Here, under the shade of the Takamaka trees, one can laze the hours away listening to the sounds of the ocean gently caressing the sandy shores. The reefs on the both sides of the bay provide a wonderful opportunity to use the mask and snorkel. This park which is popular as a stop-over for visiting yacht charters is also famous for its whale shark sightings. In their season, these huge gentle giants of the sea can be seen swimming lazily around feeding on the rich plankton that accumulates in the park. ――セイシェルの最も絵のような海の風景。この公園は8つの静かで美しい浜辺を囲んであり、陸路で近づきやすい唯一の海中公園です。 タカマカの木の陰の下で、人はくつろぎを与えられ、穏やかに砂の岸を愛撫している海の音を聞いている時間。湾の両側の珊瑚は、マスクとシュノーケルを使う素晴らしい機会を提供してくれます。ヨットで訪問するひとのための短期滞在としても人気があるこの海洋公園。ここは、ジンベイザメ目撃例でも有名です。海の穏やかな巨人は、海洋公園にたまる豊かなプランクトンで生きています。このまわりでゆったりと泳いでいるのを見られることができるのです――――――「ジンベイザメ・・・・・・・・・・・・・・・・」セイシェルはいつだって楽しい。マヘ島でのあの日一日。小さな町ヴィクトリアの植物園に辿り着くだけで一日を費やしてしまった。あちこち筋肉痛で汗が滴り落ちるのが止まず異常な喉の乾き、色々ひっくるめてすごい疲労感がある。それでも、半ベソ状態なのに心の底から笑いがこみ上げてくる感覚があるのは何故だろう?それもこれも、何もかもひっくるめて、近くていつも遠い隣人、いや今ここにいる隣人こそ、のおかげに他ならない。―わしら、ほんまに、何しに来たん?――普通のところがいいのに、こんなに遠くまで―ふたりのそれぞれ異なる想いがセイシェルの空に溶け込んでいく。セイシェルの太陽は空の頂点から徐々に西に傾きはじめ、濃すぎるくらいの青さから、少しずつ柔らかい青みを帯びてきた。ここでは、空は刻一刻と極端に色々な表情をみせ、それに照らしあわせて海の表情も逐一変わる。変わらなくてもよいものがあるが、変わるから美しい、楽しいものもある。変わらないのは私たちだ。でも、変わらなければいけないのに変われない私たち。いつもちぐはぐなふたりだけど。そんなふたりだからこそ。明日もきっと、もっと楽しいに違いない。そして、――― あの日、セイシェルで、芽生えたあらたな生命へ ―――ようこそ 地球へようこそ 私たちのもとへ生まれるたのが予定より2ケ月はやくて、体重がわずか1650gだったのにはほんとうに驚いたけど、君と出逢えて何よりも嬉しい、感謝している。ママとふたりのお姉ちゃん お兄ちゃん とともに歓迎します。私たちは幸せであることを願います。私たちは幸せを求め続ける生き物です。この広い、広い宇宙に比べて、私たちが生きている時間は、私たちの存在そのものも、どこかの誰かのまばたき程度の一瞬の、ちっぽけな存在でしかありません。私たちはいつも何かを考え、何かに気づき、何かと関わっていかなければ何もはじめることができません。あなたが一生懸命正しいことを考え、さまざまな出会いを喜びとして受け止め、歩みつづけるその先に、必ずや幸せの青空が広がっていると私は信じています。たとえ今がどしゃ降りの雨のつらい気分であったとしても、明日が先の見えない深い霧のなかにいたとしても、もしもあなたが何かに怯える嵐の夜であったとしても、その、突き抜けた先はいつもいつだってたおやかな青空です。突き抜けた向こうというのは、頭上の空のことだけではなく、あなたの心の奥底にあります。私が卒業した(そしてあなたもきっと通うであろう)中学校の校歌に最後にこう歌われています。――心のありかは青空――、と。青空とはなにを意味するのでしょう?青空とは自由であることです。自由とは私たちが生きるということと同じくらいの意味をもつ何者にもかえがたいものです。生きることは自由であることです。自由であることは、ただひたすらに自分が自分でありつづけることです。あなたがたはこれからも、自由な旅をつづけ、あなたにとっての幸せをあなた自身でみつけていくのです。「さあ!これからもずっとずっと青空のもと。胸をはってドーンといこうじゃないか!」うたた寝をしているバスはドアを開けたまま海岸線をゆく―― 人生は相乗りバス のようなもの ―― バスの車中で書きなぐった 旅のメモ帳にそう記してあるローカルバスで行った バス停留所の終点そこはひっそりした 入り江の地元の海水浴場おだやかな西日の陽だまりのなかおそらく これまでもっとも「シアワセな」ひとときをすごした往路のバスの最終は5時わずか1時間半滞在の天国に一番近い―――ではなく「天国の島」を実感した時間長らく旅して「ここにきた」ではなく「だれとここにいる」か幸せなこと がもっとも鮮明に残った 自由な時間と場所だった私は旅の後 なおさら自由でいられる 完 みーり1歳に 生まれたときを想えばありがたいことです元気でいてくれてほんとうにありがとう!育児休業もお誕生日と同時期に終わりですこれからも、あなたとともに幸せの道を歩んでいきたいあなたに出会えてほんとうにうれしいありがとうおしまい
2010年03月27日
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ところで、何故かヴィクトリアや空港があるセント・アン海洋公園に面したマへ島の表玄関といえる東側の海岸にはほとんどリゾートがない。珊瑚はこちらのほうが圧倒的なのだが。環境保護が巧みに絡み合っているのだろう。セイシェルでは国土の46%が生物種の保存と自然保護に割かれている。この比率は世界最高のもので、環境保護を生かして観光資源とする、環境あっての観光が共存しているよい例だろう。マヘ島でのホテル・ランキングを見てみよう。料金設定ではバンヤン・ツリーを最高峰として、ル・メリィデイアン・フィッシャーマンズ・コープ、ザ・プランテーション・クラブ・カジノが続き、私たちが宿泊するメリディアン・バルバロイはこの3つに続くあたりである。あとはらどんぐりの背比べである。メリディアン・バルバロンは若い滞在者が多く、比較的庶民的なリゾートといえる。しかし、料金やランキングの上位、下位ムラなく、サービスや快適さをあまり考慮しなくともセイシェルのリゾートは他の島や地域のリゾートと比較してかなり高めの料金設定である。なにせ、ここはインド洋のど真ん中の孤島である。それに、観光業はセイシェルの最も主要な産業なのである。外貨獲得のため、おそらく外国人向けに環境保護税だか、観光サービス税などを含んだ高い料金設定。午前中、訪れた植物園の入場料5ドルは、外国人にだけに課せられているようだ。こんなものはまだ可愛いほうで、ホテルだろうと街中どのレストランであろうと、ビーチの一軒屋のカフェにいたるまで外国人には法外な料金設定になっている。ヴィクトリア市アルバート通り、セシルワたちも愛する有名な「パイレーツ・アーム」でランチをとったとしよう。ライス、チキンのカレー煮と細切れの野菜ピクルスのワンプレート、それに小さなカップのスープがついてお会計約3000円になるのだ。飲み物もデザートもつかずにだ。ル・メリィデイアンでの夕食3食、ビーチを眺めながら飲んだビールの請求額にはただただ驚愕するしかなかった。セイブリュー、一杯720円なり、である。夕食ビュッフェ、なんとなんとおひとり様6000円なり、である。セイシェルでは例え貧乏人でも貧乏旅行は全くできない仕組みになっているのだ。セイシェルはこの観点からは、「地上の楽園」とはならず、「経済地獄」だ。おまけにセイシェルで外国人は現地通貨セイシェル・ルピーでの支払いは断念しなければならない。日曜休みで訪問は適わなかったが、地元民が集うサー・セルワン・クラーク・マーケットでマンゴーひとつ買い求めたところで、外国人はユーロかドルで支払わなければならないのである。植物園の入場料もセイシェル・ルピーは断られる始末。セイシェル・ルピーで支払い可能なのは今乗っているローカルバスくらいのものだろう。 ローカルバスを行く道は再び山間になる。ポート・クラウド(PORT・GLAUD)という小さな入り江がある海岸沿いの道になる。この道すがらのビーチもとても美しい。しばらく海岸沿いを走る。時折、私たちのヘンテコなジャパン・ローカル語だけがバスのエンジン音にかき消されることなく騒々しい。結局、終点まで開いたままのドアがかなり気にはなったものの、どのドアからの海、空、緑の景色が心地よい。海岸沿いを走る車窓ならぬ車扉から走馬灯のように現れては消え去るのは、淡いブルーの海、白い波、ハマナスのような白い花やプラタナス、ソテツの植物群、海岸を歩く地元民など。現地人は人口の少ないマヘ島のこれまた田舎にいるので、みんな顔見知りのようなものだと思うのだが、みんなおとなしくバスに乗っており、会話が届いてこない。たまにレゲエマンのような奇抜な格好をした若者が乗ってくるのを見かける。でも誰も気にかけない。彼もおとなしく座っている。老若男女おとなしくバスの振動に身を任せ、海中でたゆたうように揺られている。みんな海に向かうコンブのようだ。このまま静かに揺られながら天国へ向っているような、そんな錯覚がある。 やがて道から小さな空き地に入り、バスは止まった。ラウネーに着いたのだろう。ただの原っぱのようなこじんまりしたバス・ステーションだが、もうすっかりお馴染みのTATA製のバスが数台停留している。全員、ここで降り始めた。道は、この先のラウネーからテルネー海洋公園の入り江まで続く道があるのだが、ここが終点だ。ホテルで渡された時刻表もラウネーが最終地だ。帰りの最終時刻をあらためてバス・ステーションで確認しようにも確認する手立てがなかった。この時刻表のコピーに変更ないことを信じて、予定の午後5時より少し早めにここへ来ることとしよう。「シュノーケルに最適な美しいポイント」道を挟んですぐ、キャサリンがそう言ったラウネー湾がある。薄いピンクがかった白砂とガジュマルなどが生い茂る緑が眩しい。空は、陽が傾きはじめる頃合になり、昼下がりのときの黒がかった強烈な青色ではなく、澄んだ青さ。この海岸はヨーロッパからの観光客は見かけない。 すべて地元民が海水浴を楽しんでいた。 高波がなく穏やかだ。 砂浜に寝そべってただ海を眺めるだけのビーチが圧倒的に多いセイシェルにあって、ここはキャサリンが格好の海水浴ができるビーチというとおりのようだ。セイシェルに珊瑚に囲まれた海岸があるのだ。 衣服や荷物を置く花崗岩を探して陣取り、ハニーはシュノーケルを身につけ早速海へ飛び込んだ。私は浜辺でその光景を眺めていた。ハニーはむきだしの背中を徐々に海中に沈めつつ歩いて、やがて潜った。彼女はドバイ国際空港でのトランジット中、私が盛んに勧めるため渋々ビキニを買っていた。この夏、オリンピックの競泳種目で何かと論議を醸し出したスピード社のショップで。私のお勧めは赤と黒模様の奇抜なものであったが、水着というよりは夜の世界に着たほうが似合いそうなセクシー系だった。彼女はそれはあまり好みでないようで自分で選び、62ドルで自ら購入した。ホワイト、セイシェルブルーにエメラルドがかったグリーン、セイシェルにぴったりの水着だった。空も海も澄んだ青さのポート・ラウネー湾に、彼女のビキニ姿がとてもよく染まっている。「すごく可愛い。美しすぎる・・・・・・・」どこぞの国の美人過ぎる市議会議員なんてめじゃないな。―美人すぎる人妻―っていうのは流行らないかな?あとにも先にも彼女がこのビキニ姿になることは2度とないだろう。そして、2度と見ることができないおだやかな美しい風景。それはラウネー港海洋公園のこの景色だけではなく、波に反射する光に包まれ魚と戯れるシュノーケルをつけた今日の「主人公」、その姿であった。魚と戯れるポート・ラウネー。「ニモみたいなのやコバンアジがたくさんいるよ~」浅瀬を泳ぎきり、珊瑚にたどりついた彼女の歓声が浜辺に届いた。つづく みのたん(みーり)10ケ月に1月末での9ケ月検診で体重・身長がようやく平均値にかかりかました。身長・体重・発育ともに順調のようです。つかまりだち・離乳食どころか、大いに食べ(いまも父さんがかじってるポップコーンだいだい好き(笑)。よく笑いよくしゃべり、歌ってくれ目じりがさがるいっぽうの家族です。お兄ちゃんp姉ちゃんと違いリフォームした新しいおうちでの生活なので広々と遊べます。周りのお庭もきれいになり、かなり広い敷地をも縦横無尽御散歩できるね!これからもどんどん冒険しようね。とてもしやすいとうさん育児休業にも感謝。10時まで寝て起きて遊んで御昼食べてしばらく遊んで散歩して寝て、起きたら兄ちゃんたち帰る・・・みたいな
2010年02月21日
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そして13時50分、予定きっかりに帰りのバスが来た。帰りのバスはすごく荒っぽい運転手で、山道のカーヴも減速せず怖かった。「えらい飛ばすなー。ああ怖っ!しかも、後ろのドアは開いているままだし」でも、何故か行きと同じ時間で40分きっかりだった。 ホテルに着くなり、「ものすごく頼りない本日のガイドさん」に再び要求した。「ほんなら、次行くぞ!」 「どこへ?」「どこって、キャサリンお薦めの『ラウネー港海洋国立公園』や。どう行くんやったっけ?」「え?どうだったっけ?」「ほんならホテルのひとに聞いてきて(笑)」「え?また私ぃ~?もう疲れとんのに」「ええからええから」「はい、はい~・・・・・。じゃあ、ちょっとレセプションで聞いてみるわ」キャサリンが座っていた「クレオール・ホリデー社用簡易営業所」はとっくに店仕舞いだろう。スタスタ歩いて行く彼女を見送ったあと、ロビー横のトイレで用を足す。トイレから出ると、目の前を彼女が横切って行った(笑)。「あいつもだったんかい(笑)」ついて行くと、彼女はレセプションではなく、すぐ側に立っていたポーターに尋ねていた(笑)。「いちいち、行動観察するのにおもろいやっちゃ(笑)」大柄なポーターさんに問いかけて、一応は会話しているような様子。でもこちらに気づくなりまたクエスチョンだ。「どーする?」「また、はじまった(笑)」「タクシーか、バスだって」「え?バス?キャサリンはないって言いよったんでないん?ほんでも時間ないならタクシーか?」「え?4000円くらいかかる言うてキャサリン言いよったやん?バスなら60円よ」「バスほんまにあるんか?」「だから、あるって!!地図もらったよ。ルート9だって」「じゃけん、時間を聞けや~!!(笑)朝からずっと同じことの繰り返しやんか!」インド洋の真ん中で、日本語のローカルな会話が続く。私とのやりとりのあと、ポーターとやりとりが続く。私はそれを側で見て笑っている。なごみますか?―なごみませんよ―「行きは3時30分。帰りは5時だって」「え、そんだけしかないん?」「どーする?ほかのとこにする?」「じゃあ、次行こか!!」「どこへ?」「ラウネーよ!」 ヴィクトリア行きとは反対側の車線でバスを待つ。こちら方面は、ローカル人しか利用しないからだろうか、停留所に小屋すらない。随分歩いた後に気づいた。「こっち側は停留所ないんか?」「あ、ここだ」道に白色で「BUS STOP」と書いてあった。「とりあえず私たちにもわかりやすいけど(笑)」 バスは予定の15時30分きっかりに来た。渋滞がない、大勢乗るわけでない、いつも定刻発車、わずか3セイシェル・ルピー、なんと快適な路線バスだろう。ドアが開いたまま走るのを除いて・・・・・・・。バスが定刻に来る。それだけでも、すごく幸せな島だという理由が垣間見えてくる気がする。「まぁ、なんだかんだいって結局バスはすぐ来るし、何度も道間違えるのもすべて計算済み。さすがはハニーちゃま、グッ・ジョ・ブ!!」「何いよんぞ!」セイシェル二日目、ローカルバスに乗るのも今日で3度目となると慣れたものだ。現地セルシワにすっかり溶け込んだかな?とてもなごんで、車窓からの風景に見入って。「・・・・・・っておい!おい!?バスのドアまた空いたまま走っとるぞ!?」「えんじゃないん、もう慣れたでしょ。そのうちまた自然に閉まるんじゃない?」「そんなん危ないわ!(笑)ワシ、今度はドアの真横の席ぞ!」「怖いんなら、前の手すりにつかまっとき!」遊園地のジェットコースターだって子どもたちが歓声あげるのを見上げているだけなのに。息子なんか幼稚園年中さんからずっと先頭の車両に乗り込んでは手を挙げてはしゃいでいるの、信じられない。しかし、ついに東京ディズニーランドのスペースマウンテンや、ディズニー・シーのレイジング・スピリッツは「ずっと目を閉じてうつむいて固まっとった」とのお姉ちゃんたちの報告談であった。「ついに大人に近づいたか(笑)」さて、こちらヘボ父ちゃんである。恐々として片手で手すりにつかまり、もう片手で持つマヘの地図を見つめる。ラウネー湾は島の最西端にあるテルネー湾の手前の珊瑚に囲まれた小さな入り江だ。マヘ島やプララン島、ラ・ディーグ島にはこのような入り江がいたるところたくさんある。その数だけ、美しい白砂のビーチにエメラルドグリーンの浜辺がある。しかし、そのほとんどが遊泳禁止を示す赤い旗が立てっているビーチと相場が決まっている。バスは、島の南側のほぼ中心に位置するバルバロン(BARBARON)から、グラン・ダンス(GRAND・ANCE)の森のなかを過ぎる。 「大きな浜辺」を意味するこのビーチ名は、セイシェルのどの島にも存在する。明日行く計画がラ・ディーグ島のグラン・ダンスだ。寄港するプララン島にもグラン・ダンスがある。マヘ・ビーチ(MAHE BEACH)辺りから海岸沿いの道になる。高台に建つ「ペルジャヤ・マヘ・ビーチ」を通過する。もう築20年以上になるマヘの老舗リゾートホテルである。因みにマヘのホテルはほとんどが島の北側にある2キロほどあるビーチ・リゾート、ボー・バロン(BAIE BEAU VALLON)に集中している。セイシェルはバチカン市国やレユニオンなど数えて8番目に小さな国家であるが「インド洋に浮かぶ最後の楽園」などのキャッチコピーに憧れるヨーロッパ人は少なくない。とくにイギリス、フランス、イタリア御三家が多く、ドイツ、スペイン、ベルギー、ポルトガル、スイスあたりから来るリゾート愛好者で渡航者のほとんどを占める。次に多いのが、比較的近くの南アフリカ、レユニオン、モーリシャスあたりからの観光客。それら滞在者の大部分が、厚い雲が常に島の頂を覆っているシルエット島を望むヴォー・バロン湾のホテルでの滞在が集中している。マヘ島のホテルを巡ってみよう。ボー・バロンには、ペルジャヤ系列の「ボーバロン・ベイ・カジノ」、メリディアン系列の「フィッシャーマンズ・コープ」、インドの会社が資本の「コーラス・ランド」、長期滞在型の「ボー・バロン・バンガロー」、「ロマンス・バンガロー」などが湾沿いに連なる。 ボー・バロンのほかには、島の西側海岸で今通過した「マヘ・ビーチ」、今回私たちが宿泊したバルバロン湾のメリディアン、西側海岸南に「ザ・プランテーション・クラブ・カジノ」。そしてマヘ島の南東端、タカマカ地区にある憧れの高級リゾート「バンヤン・ツリー・セイシェル」がある。バンヤン・ツリーはセイシェル・リゾートのあらたな象徴である。アンス・アンタンダンス(ANCE INTENDANCE)の小高い丘に立つホテルにある、水平線に溶け込むかのような錯覚を起こすインフィニティプールの写真が、観光パンフレットなどに必ずと言っていいほど掲載されている。グループ自体が小規模ホテルの代名詞にもなっている「スモール・ラグジュアリー・ホテルズ」加盟のホテルとしてつとに有名。セント・アン海洋公園のサーフ島には「セント・アン・リゾート&スパ」がある。つづく 11月 12月みのたん(みーり)9ケ月目。2009年12月は、はいはい、つかまりだち、歩行器をもって歩くなどめざま成長ぶりでした。好奇心旺盛で家ぢゅう大冒険、そしてとろあえずなんでも口にしてみるの(笑)。7.3キロ、64センチ。ようやく成長放物線の一番下あたりにとどきました。2010年、お正月はいとこともたくさん会ってだれかれとなく笑顔笑顔。あなたおかげで今年も我が家もとびっきりの笑顔で過ごせそうです。今年もよろしくね
2010年01月05日
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植物園を出たのが13時30分。「バス13時50分だったろは?早歩きで行くぞ。行きは40分もかかったけど!普通だったら15分あったら着けるはず」出口近く、園の敷地に隣接したチャペルから日曜の礼拝であろう賑やかなゴスペル風賛美歌が届いてきた。耳に心地よく、しばらく聞きいっていた。園を出た道路の向かいに大統領府。2階建てだが、周りの家とは明らかに異なるどっしりとした構えだ。庭には五色のセイシェル国旗がはためいている。「喉か湧いてたまらん。ジュースとかなんか、買うといてなー」先を行くハニーに大声で投げかけた。帰り道はフランシス・レイチェス通りを真っ直ぐ行き、今度は間違えず進んだ。途中、金色に輝くドームが見えてきた。 イスラム教徒の礼拝堂、モスクだ。こちらは礼拝時間が過ぎたのか、人っ子ひとりいない。通りは日曜日の昼下がり、町は相変わらずひっそりしていた。ハニーは行きと同じく何故かそこのまま真っ直ぐ進めばバス・ステーションに当たる競技場沿いの6月5日大通り(5th June Avenue)を行こうとせず、6月5日大通り(5th June Avenue)へ左折した。来た道と同じ道を行くらしい。「なんでかな~(苦笑)」考えてみれば、急ぎ歩いてバス・ステーションへ行かずとも、今歩いているこの通りが帰り先であるバルバロンへ通じる路線上なのだ。この辺りの停留所でバスを待てば良いのである。そんな思いを横切りながらも、彼女について歩くよりもなんとなく待つほうがリスクが大きいように思えた(笑)。やがて道の正面に、見覚えのある大きな白い教会が見えてきた。アルバート通り(Albert st.)である。 バス・ステーションが間近に見えてきた街角。 色とりどりのパラソルをさした移動キオスクのワゴンが止まっていた。―そうか。わざわざこの進路をとったのは行きのあのパラソルを思い出していたんか!さすがはマイハニー―前を行くハニーは振り返りワゴンを指さしていた。私は満足そうに大きくうなずいた。通り過ぎるとき、アイスクリームを買い求める赤ん坊を抱いたクレオール、椰子の木、青い空、セピア色のワゴン、初老の売り子の男の笑顔。「今回の旅のベストショットかも?」そう思いつつデジカメに収めた。残念ながらそうはならなかったのは、この数日後の大失態だ。 私はドバイのグランド・ハイアットから旧市街のクリークに向かったタクシーの降車時、たぶんズボンのポケットからカメラをすり落とし、紛失してしまった。―ショックのあまり思い出したくないドバイの旅の思い出―とはこのことだったのだ。悪いことは忘れて良い事を想おう。今しがたの赤ちゃんはかわいかった。セイシェルで赤ちゃんといえば、私たちふたりの第四子に結びつく。2009年3月末、予定日より2ケ月も早く、わずか1560gで生を授かった、愛しい愛しいわたしたちの子を。―――「12月1日付けをもって、私は育児休業を取得することにしております。めったにないチャンス、たっての願いをご支援くださった方、機会を与えてくれたハニー、何より子に感謝したいと思います。よく定年退職後を第2の人生と例えることが多いようですが、そのことが新しい世界を自らが切り拓いていくこと、であるとするならば私も同じ心境であります。何も育児休業という短い期間をさすのではなく、育児や仕事、数ある趣味も含めたこれから20年、30年先を見据えた人生設計をそう捉えています。昨年、子を授かる機会に恵まれたリフレッシュ休暇にセイシェル旅行を計画しました。私にとってハニーと2回目の新婚旅行です。本当に新婚さんさながらに、旅立つJRのプラットホームから旅の最後までずっと手と手をとりあって愉快で楽しい旅を送りました。その旅の前に私はハニーに、今子どもたちがすくすく成長していることに感謝しつつお互い高齢なので何かと問題や苦労があろうともぜひもうひとり子を授かりたい、今まで以上に育児をしていきたい、そう伝えておりました。先ほど申しました新しい世界を切り拓いていくとこ、それが冒険です。そして、私は日常にこそその冒険を見出していくべきだと考えております。世界を分け隔てることなど決してできませんが、則を弁え世界と正しく向き合えばより正しい方向は導きだせると信じて疑いません。そのことを皆様の仕事にも反映されることお祈りいたしております」―――ハニーも妊婦期間、また出産にあたっては尋常ではない苦労をした。高齢出産特有の妊娠中毒症に悩まされていたのだ。妊娠10ケ月検診で、かかりつけの総合病院の産婦人科から早期の別の総合病院への入院を勧められた。翌々日、その入院先にて受診したら、即転入院を告げられた。100キロ先の町の病院へ救急車で向った。その日にわが子が誕生した。それが私たちの大切なセイシェル・ベイビーである。数日後、入院先から―受信メール表示― ―昨日、みーりに会ってきたよ。思ったよりも小さかった。よく動いていたよ。朝、点滴もはずれたのでやっと身軽になった。体重がなんと3日で6.8キロも減ったのだ―今6ケ月になるが成長順調で身長60センチ、体重6キロ、首すわりもよく、寝返りもよくする。彼女にも、わが子にもこの大切な縁を感謝しよう。―――「今日、これらの氏神様と、ご対面した赤ちゃんとが深くご縁を結ばれたわけです。ご両親と赤ちゃんも、生命の誕生によりご縁・絆が結ばれているわけですが、縁とは今風に申せば、出会いであります。私たちは自然の摂理のなかで生命としての出会い、生きて 暮らしています。そこで気づかれるはずです。ご両親も、お互いの親御さんから生命を授かりました。子を授かり感謝することはご自身の親にも感謝することであります。そして、その親御さんもそれぞれの親御さん、そのまた親御さんもそれぞれの親御さんから。私たちの生命という営みははるか彼方から、はるかな時間の流れを脈々と受け継がれているのです。命を紡いでいく、ご縁が幾重にも幾日幾夜にも結ばれているわけです。人間の力の作用だけでは説明できない、生命の尊さは、自ずと自然・宇宙への畏敬の念と、先祖への感謝が生まれるということであります。たくさんの出会い、があります。それを奇跡と呼ぶのだと思います。 奇跡、科学で立証できないことを奇跡と呼ぶのではありません。自然そのものが奇跡なのです。宇宙の開闢をご一緒に簡単に紐解いてみましょう。まず、分子も原子も原子核すら存在しない形のない超高温の物質、粥状態の混沌があります。そして約150億年前、謎めいた光を放つビッグバンと呼ばれる始まりがありました。そこから、灼熱の物質が不思議な力の作用でお互いに結合し、巨大な組み立てをはじめ、宇宙が誕生し、誇張し続けます。やがて温度が下がるにつれて、またある力の作用によって、星、銀河といった結合物が生まれて、その周縁として、奇跡に近い、いや奇跡そのものの惑星が誕生しました。はじまりとされるビッグバンから人間の知性にいたるまで、全て同じ進化の過程が進行して、粒子、原子、分子、星雲、細胞、有機体、生物、そして人間という奇妙で滑稽な動物へと、「より複雑性が増す方向」へ進んでいます。すべてが同じ鎖で繋がれ、同じ運動法則により引き起こされているのです。私たちは、サルの子孫であり、バクテリアの子孫でもあるのです。私たちの体を構成する物質は、かつて宇宙を作り上げた物質にほかならないのです。私たちも、いわば星の子なのです。このように自然の現象すべてが奇跡なのです。神社神道の真理や、古事記などに描かれた世界、教えは、このようなことだと考えられています。高天原にかむずまります、からはじまる大祓の祝詞は宇宙開闢から受け継がれた悠久の生命賛歌でもあります。八百万の神が宿るとはこのことだとも考えます。幸せはそのような出会うことからはじまります。私たちは幸せであることを願います。私たちは幸せを求め続ける生き物です。この広い、広い宇宙に比べて、私たちが生きている時間は、私たちの存在そのものも、想像を超えたどこかの誰かのまばたき程度の一瞬のちっぽけな存在でしかありません。先祖を敬うことは、生きているのではなく、生かされているということ。 それが、神様に感謝することでもあります―― (2009年 2月 まるくんの社頭講和より)さて、バス・ステーションに着いた。13時45分、なんとかバスに間に合いそうだ。 行き以上に帰りはヘトヘトである。「ジュースはよくれ」「え?なに言よん?」「え!?買わんかったんか?!さっき売りよったろわ。あったら買うといて言うたろわっ!」「よーゆーわ。『買うとかんでえん?』て聞いたら、『うん』言いよったやん」「アホか!聞こえんわ!それに、普通聞くんなら『買うとくよ』だろわ!植物園でも言うたろわ!」「そんなん、知らんよ!」「ほんまにもぉー!」ほんまにもう、ときどき頭に血がドボドボ逆流するくらいおもろいわ(怒)。つづく みーり、8ケ月になりました。先々週お尻をもちあげてのほふく前進からハイハイの上達がめざましいばかりか、もうつかまり立ちもします。世界がどんどん広がって、おうちのなかを「わたしカモメよ」状態。もっとのびやかもっ自由に、あなたのおかげで笑顔と笑い声がたえない家庭に感謝です。
2009年12月06日
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セイシェルは鳥類の宝庫の島でもある。ソニーミュージック社からGOLD PRICE 1000 マインド・リフレッシュ・シリーズ 『セイシェル~鳥の歌』が発売されている。帰りのセイシェル空港免税店でそれとよく似たCDを買った。ジャケットがセイシェルの自然の写真満載ですごくお洒落な感じがして何かわからないまま勘で買い求めた。帰国後、しばらくしてから視聴してみた。 カエルや鳥がワーワー鳴いているだけで、ただうるさいだけだった(笑)。我が家のすぐ裏の畑や庭にはカラスもシジュウカラもイモリもイタチも野良猫もあらゆる虫もなんでもいる。CDかけずともうち自体がセイシェルみたいなもんだ(笑)。ところで、セイシェルにしか生存しない鳥の種類は11種にも及ぶらしい。ヴァレ・ド・メ自然保護区内にはココ・デ・メールのほかにも多くの珍しい動植物が生息しており、鳥類では、ブラックパロット、セイシェルリバト、セイシェルキアシヒヨドリがいて、これらは世界三代珍鳥と呼ばれている。ラ・ディーグ島にはパラダイス・フライングキャッチャーという珍しい鳥がいる。1997年の時点、世界で22羽しかいないマグパイロビンという鳥は、フリゲート島に生息している。フリゲート島にはほかにもフリゲート(グンカンドリ)、シロアジサシ、ブラック・ノープラというウグイスやハチドリ、カササギなども生息する鳥類天国だ。アルダブラ諸島ではインド洋域で唯一の飛べない鳥、ノドジロクイナが見られる。クーザン島のセイシェル・ウオブラーのように絶滅の危機にあるごく稀な種なども。また、クーザン島にはセイシェル・タートル・ダブ、ロング・テール・トロピック・バードなど多種多様の鳥が生息しており、この島は国際鳥類保護会議が所有している。国際的な保護政策により、これらの種が保存され、現在では近隣の島々に新しく住み着かせる試みもなされている。アリット島には10種の海鳥が繁殖に訪れ、チャアジサシの世界最大の群れが生息している。北極と南極ほどに離れた世界の地域を定期的に飛びかう珍しい渡り鳥たちが、一年の各時期に類いまれなスペクタクルを見せてくれる。これらの種はモーリス、レユニオン、マダガスカルなどの多くの絶滅種とは反対に、人類の到来にも生き残り続け、文明と共に生きる術を学んだのだろう。そして、バード島である。三好和義氏のデビュー写真集「楽園」で脚光を浴びたバード島の空の色が今でも目に焼きついいている。これが地球上のものかと、それぐらい強烈な印象だった。だが、私はセイシェルには憧れたが、バード島に行きたいとは思わなかった。この島には、膨大な数の海鳥が群をなす何百万羽のセグロアジサシが毎年巣を作りにやってくる。島唯一の宿泊先「バード・アイランド・ロッジ」に宿泊して、それらの生態を見ることができる。産卵時期である8~10月の3ケ月は200万羽にも及ぶセグロアジサシが乱舞し、空を覆いつくすほどであるらしい。鳥はすずめが一羽庭で日向ぼっこ、くらいが一番可愛い。鳥は苦手な部類。ヒッチコックの映画「鳥」状態など、想像するだけで最悪である。その映画「鳥」だが、バード島のセグロアジサシが舞う姿がモデルだったと後に知り、納得である。群れはつくらないようだが、セイシェルのどこにでもよく見かけたのは色鮮やかなセイシェルルリバト。人間が近づいても、まったく逃げようとしない。 大コウモリもいる。セイシェルでは食用にもなる。ほかの南国の島と同じく、セイシェルの貴重なタンバク源だ。羽を伸ばすと1メートルはあろうかというフライング・フォックスという大コウモリもクレオール風カレーの具になる。コウモリカレーには思い出がある。かれこれもう15年も前の話しになる。グアムとサイパンに挟まれた小さな島ロタへハニーとバカンスに行った。そのときも同じように、現地チャモロ料理としてフルーツコウモリのカレーがお目見えした。昼食をとった東屋を後にする。大コウモリをめざし探険しよう。夕暮れ時になると、タカマカの木から木へ渡る姿を見かけることもできるらしい。蓮が咲く小さな池を渡ると、動物園で野鳥を飼うような大きなケージがある。そこに大コウモリが眠っているはずなのだが、よく眼を凝らしてもわからない。いないようだ。ジャングルのなかではよけいその姿はわからない。「なかなか見つけられんな、大コウモリは」「・・・・・・・・・・・・・・・・」 「どしたん?何だまっとんよ?」 「ここ大コウモリっておるん?て聞いたらまた文句言うくせに」 「その地図にコウモリの絵が書いてあるやろがっ!あんた、ほんまに地図の意味わかっとん?」「もう地図なんか見とないぃっ!自分じゃんこんな黙って連れてきといて!私は普通のとこがいい!」「あのなぁ~普通のとこってなんよ?」「ロンドンとかローマとかよ!」「あほかっ!まだそんなこと言いよんか。ほしたら、ロンドンの大コウモリ見に行くぞ!」「もう、なんで大コウモリ?おりそうにないよ。コウモリなんかおらんのでないん?」「おらんのでないわ。見つけられんだけじゃ(笑)もうええわ、ほんま疲れたわ、帰ろや」「ん?でも、そっちでないよトーチャン。そっちは柵の向こうで行けんよーになっとるよ」「柵の向こうって何よ?今、歩いとるここ!が、その帰り道じゃ!こんな簡単な園内の地図までほんまに見間違えるな!!(大笑)」ここに来るまで、今日一日何度怒りながら腹を抱えて笑ったことだろう。道を間違える。道に迷う。土地勘が全くない。地図も見間違える。 しかも超方向音痴。私は、ギリシア旅行ミクロマリーノでの敵を完全にとり、エジプト旅行ギザ・ナズラット・サマーン村の仇討ちまでも果たしたのだ(笑)。―ビバ!トーチャン―(違)。つづくみーり、体重、身長ともあまり伸びなく。腕とおしりをつかってハイハイがすごいよ。ごはんももちもち食べるし、よく寝るし、とてもしよいこです。おでこをはじめまゆげ、目、鼻筋、唇、あごと黄金比で美人マチガイナシでも生まれた当初はママ似?だったのに最近巷の声は「パパそっくりね」あれ?
2009年11月23日
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そして、セイシェルの植物といえばなんといっても「ココ・デ・メール(COCO DE MALE)」。ココ・デ・メールは世界最大のヤシの実がなる木だ。木の高さは30メートル以上にも成長する。この椰子の木は雄株と雌株があり、雌株になる双子椰子の実が女性のヒップにそっくり。一方雄株には立派な「男性の象徴」(おしべ)がある。 この椰子は実に不思議な生態系をしている。 「――雌株の花が雄株からと飛んでくる精子を受け、9ケ月たつと、中が真白のジャム状になり、食べごろとなる。実を割って、それにシロップなどをかけると、絵もいえぬ味。舌のうえでころがし、胃のなかまでふんわりとした気分になり、極楽の食べ物とはこういうものか、という感じになる。この双子椰子は、受精してからちょうど7年目に成熟して。自然に下へ落ちる。そして、実がパカッと割れて、中から固い二つ―ときには三つ、四つのこともある―の部分が出てくる。それが女性のお尻の部分にそっくりの形。これが非常に固くて重い。大きなものになると、実一個で20キロもあるから、中の部分も一つで10キロ近くになる。 そして、この中の部分が、適当な湿り気があると眼を出す。この芽がまた、性器と思われるような部分から出てくる。発芽すると、一年に一枚ずつ葉を出し、二十五年たってはじめて花をつけ、受精し、実をならせる能力をつける。だから、若い雌株は、葉の枚数を数えると、樹齢がわかるのだ。雄株の場合も同じで、成長は遅く、およそ二十五年を過ぎないと、これまた男性器そっくりの花をつけることがない。――(『セイシェル・ガイド』1985年刊 渡辺武達著 恒文社)」この不思議な実はさまざまな伝説を生んだ。約100年前、この実を発見したイギリスのチャールズ・ゴードン将軍は、この実こそが「イヴが口にした禁断の木の実だ」と信じて疑わなかった。旧約聖書「創世記」に登場するアダムとイヴのエデンの園は地上の楽園と讃えられている。ゴードン将軍はプララン島の「巨人の谷(ヴァレ・ド・メ)」で、自然の大聖堂のように巨大な葉が天に向かって伸びた大きな椰子の木、それに下がった双子の実に感動し、この地をエデンの園と名づけた、と言い伝えられている。セイシェルが「地上の楽園」と呼ばれる本当の所以である。ゴードン将軍は「―この雌株の果実は植物界で最も重いのもので、不思議にも女性の骨盤の形をしている。これに椰子の雄株のファルス的な塊茎を加えるなら、イヴがアダムを誘惑したのはこの地であることの拒みえない証拠になろうと思う―」と書き残している。ココ・デ・メール、海を渡って流れ着いたインド洋の海岸部各地でも様々な伝説を生んでいた。モルディブ諸島の海岸では、この椰子の実が発見されたとき、島民たちは「海底に生える樹木のものに違いない」と信じて込んでいた。また、インドやアラビアの世界では「人魚の化石」と信じられていたらしい。マルコ・ポーロの時代、この実や雄株の花があまりにも人間のそれに酷似しているため、これを食せば万年長寿が適うとか、性欲促進または医薬的な効果があると信じられていた。そして、セイシェルでは、満月の夜、愛しあっているココ・デ・メールを見てしまった者は、黒いオウムに姿を変えられる、という伝説もある。ココ・デ・メールが自生する保護区はセイシェルの島々の中で2番目に大きなプララン島の「ヴァレ・ド・メ渓谷自然保護区」で、1983年、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されている。 ヴァレ・ド・メとは「巨人の谷」を意味していて、「メ渓谷」と表記されることがある。現在、保護区内でこの双子椰子の実を採取することは禁止されおり、逆に不正な採取が後を絶たないらしい。自然保護区には、ココ・デ・メールのほかに5種類のヤシと28種類の植物が4000本以上も自生していて、固有種としてこの数は世界全体からみてもおよそ4分の1に値するそうだ。プララン島より植生規模は劣るが、プララン島からすぐ近くの島のキュリーズ島にもココ・デ・メールは自然生育している。そして、移植されたものでは、マヘ島の大統領宮殿庭園と、ここビィクトリア植物公園で何本か見ることができる。 次は動物や昆虫に移ろう。セイシェルの固有種といえば、なんといってもまずはゾウガメだ。実はつい最近まで自分もゾウガメとはガラパゴスゾウガメのみをさすのだと思い込んでいた。あながちハニーだけを「疎い」と攻め上げるわけにもいかないはずなのだ。セイシェル旅行ではさきほどの飼われたたゾウガメ以外見ることができなかったのだが、ガラパゴス諸島と同じ孤島らしく、たくさんの固有種がいる。ヴァ・ド・メ渓谷自然保護区にはカメレオン、アシナシヤモリや珍しいカタツムリなどが生息している。モルヌ・セイシェロワ自然公園の霞み立つ丘の上のシダとコケの間には、世界一小さいカエルが生息している。フリゲート島には珍しいトカゲが生息するほか、常に生い茂る葉の下には先史時代の甲虫が隠れている。シルエット島の原始林では、その厚い緑の天蓋を通って、やっと射し込んだ太陽光線の中を珍しい蝶が舞う。アリット島では熱帯蝶が舞う。また、特筆すべきなのは、セイシェル諸島には毒蛇やその他危険な生物が棲息していないということだ。つづくみーり、11月健診にきました。6200g 65センチ。体重・慎重ともゆるやかな伸びで平均にあともう少し・・・お医者さんは「来月あたりから離乳食はじめてみましょうか」「モウバクバク食べてます^^;採血結果もよくて、お薬もお別れです。最近おへそをギュッーと押すとエルモ人形のよぅに笑うのを知りました^^
2009年11月15日
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次はココ・デ・メール。有名な双子椰子じゃな。これくらいは聞いたことあるだろ?」「・・・・・・・・・・・・・・」「知らんの?」 「知らん」「しつこいけど、ヘビ年ですから、あんた、ほんまにここまで何しに来たん?」「しつこいけど、私もヘビ年じゃわ。知らんもんは知らんわ!」「やれやれ、わしをただただ疲れさすだけかいっ」「ただただ疲れるようなとこを!選んだのだれよ?」 ただ、ここまでに辿り着くためだけに半日を費やしてしまい、しかもあちこちの筋肉痛や異常な喉の乾き、色々ひっくるめてすごい疲労感がある。 それでも、半ベソ状態の体力の消耗のなかで何故か心の底から笑いがこみ上げてくる感覚があるのは何故だろう? それもこれも、何もかもひっくるめて、いつも近くていつも遠い隣人、ええ今ここにいる隣人のおかげなのだろう。 ―――あなたの大切なひとの幸せはあなたにとっての、幸せでもあるはずです―――騒々しい珍客がだまりだしたとたん、カメくんたちは再び眠りに入った。彼らと別れ、坂道をさらに進む。生い茂る樹木の間に大きな岩の塊。 明日訪れるラ・ディーグ島のアンス・スール・ジャルダンと同じ感じのピンク色がかった大きな花崗岩がデンと座っていた。 「これ、海岸からどうやって移動したんかい?あ、元からあったもんか」そもそも110あるセイシェルの島のうち、マヘ島も含めた42の島が花崗岩から形成されている島だ。海岸だけでなく、島中どこもかしこも花崗岩。島全体がアンス・スール・ジャルダン状態なのだろう。実際にそうだった。花崗岩の側には熱帯性タコノキがたくさん生え、ますますジャングルらしさを醸し出している。真っ直ぐ伸びた坂道はここで三方向に別れる。右の道を行きカフェテリアをめざした。しばらく行くと石段を登り、椰子の葉で覆われた屋根の小屋に着く。やはりカフェテリアは閉まっていて、木のベンチにふたり腰掛け、遅めの昼食を摂ることにした。最初の計画では、ビィクトリア郊外にあるマリー・アントワネットや市内のパイレーム・アーツなど観光レストランでクレオール・ローカル料理に舌鼓を打つつもりだったが、どうでもよくなっていた。疲労困憊で、食欲もあまりない。それに、朝食がまだ腹に残っている。シャンパンをガブガブ飲んだもんだから、つまみとばかり食べ過ぎたのだ。日本から非常食にと持参した「SOY JOY(ソイ・ジョイ)」がリュックサックに三本ある。カカオオレンジ、マンゴーココナッツをそれぞれ一本、そしてレーズンアーモンドをふたりで仲良く別けた。自分はペットボトルにウィスキーの水割りも持ってきており、ウィスキーとソイ・ジョイという組み合わせ。案外いける。 人工林ではあるが、自然に囲まれて気持ちよい食事タイムだ。 私たち以外に入場者はひとりも見かけない。ときどき、木々をわたる鳥の羽の音や鳴き声が届くくらいで静寂に包まれている。いつかここにいたことがあるような、なつかしい匂いが届く。その匂いがなんだろうか思いを巡らしてみたがわからなかった。ソイ・ジョイをポリポリ齧り、ウィスキーをチビチビやりながら、少し疲れがとれたようだ。回りの風景をあらためてじっくり見渡してみる。よく目をこらして見て見ると、普段みかけないような植物がたくさんある。せっかくだからセイシェルの自然に触れてみよう。まずは植物からだ。わずか900メートル級とはいえ山岳があるマヘ島では、植物の群生は大きく4つの分布に分かれる。 海岸地帯、低山林地帯、中腹山林地帯そして高度山岳地帯である。目を閉じ、まずはバルバロンなどの海岸部を歩いてみよう。セイシェルの海岸には、さきほど延々歩いた、いや歩かされた道沿いでみかけたマングローブがまず目立つ。 その昔、島の発見者マヘ総督が上陸しようとした際、珊瑚のリーフを抜けてこの島に近づこうとしても、マングローブがかなり密生しておりなかなか上陸できなかったそうだ。マヘ総督は平野部が比較的広い現ヴィクトリア辺りからの上陸を諦め、島の南西部から上陸したという逸話が残っている。続いて最も南国らしいの植物といえば、やはり椰子の木だ。一概に椰子の木といっても、セイシェルだけでもざっと6種はあるらしい。とりわけココ・デ・メール(双子椰子)はセイシェルの固有種で、これは後で詳しく記しておきたい。ほか、バルバロンの砂浜にはアサガオに似た紫色のビーチモーニンググロリーや白い花クリナムも咲いていた。 海岸線から一歩、内陸に向かうと、ル・メリディアン・ホテルからバス亭に向かう道すがらみかけたような花々が彩る。マダガスカルに200種類分布されるといわれるランの一種、白い花アングレカム、同じくラン科で西インド諸島原産の紫色のエピデンドルムコなど。また、南国らしくハイビスカスやブーゲンビリアが咲きほころび、火炎樹の木も多い。そして、セイシェル固有種である赤い葉や枝をもつボワ・ルージュ。果物の木も多い。南国らしく野生のパパイヤ、ライム、パツション・フルーツ、バナナ、パイナップル。高い樹木は、低山林地帯(1000フィート=約309メートル)に集中して分布し、セイシェル固有種のモミやクスノキがある。外来種では、東南アジアやニューギニアに分布するアガティ、サントールなど。次に、中腹山林地帯(1000フィート~1800フィート=549メートル)。ホテルから山間部を抜けてヴィクトリアに至るバスの車中からみた風景に溶け込む。白い金蓮花(キャプシン)、ビリンビ・マーロンなどの花。丸い緑の実がなるパンの木、細長いサツマイモのような形の赤黄緑の実をつけるマンゴーの木、フットボールのような実がなるジャックフルーツである。大きな葉をつけた高木、クレオール語の名で知られるタカマカもセイシェルではよく見かける。シナモンやバニラも野生で生息し、これらは平坦部のプランテーションで栽培され、セイシェルの農業を支える。バニラはセイシェル国家の花でもある。白い花の花房と長い等が熱帯烏を思わせることから熱帯鳥蘭とも呼ばれるセイシェルの国の花の野生バニラは、よく木の枝や幹のくぼみの中に生えている。マヘ島の南のきらきらと輝く砂浜を見下ろすアンス・オ・パンの自然保護森林には、多くの種類の椰子に交じって珍しく風変わりな樹木が数々生えているらしい。反対側の丘の斜面では食中植物のネペンテンス(ウツボカズラ)が観察できる。マダガスカル及びオセアニアが原産のウツボカズラは、蔓の丈が50センチから15メートルにもなり、葉の先端から巻きヒゲ状のツルを伸ばし、その先端は捕虫袋と呼ばれるツボ型で、虫を捕まえる食虫植物だ。マヘ島の西、バルバロン海岸のお隣グラン・ダンス、この辺りの山の岩を登って行くと、生殖方法がとても不思議な植物が見つけられるそうだ。 他に珍しい植物は、アリット島の頂上に世界でここだけに咲くライトテルニアの花。高度山岳地帯(1800フィート以上 549メートル以上)になると、降雨量が多く、また天をつくような鋭い岩肌がむき出しになっているため10メートル以上の高木は育たないらしいが、わずかながら手付かずの原生林が残っている。つづく今週のみーり、元気もりもりですが、体重は6キロであまり伸びてくれません。でも運動は機敏で今週はハイハイでクルクル回り、お尻持ち上げた立とうとします。ほかには目が合うとニッコリでなんともかわいいのですが、だんだん人見知りの気配。それからやはり母さんがいなくなるとかなり不安に。12月からは父さんが育児休業、そのことにチチも少々不安感じてます。仲良くしていこうね^^
2009年11月08日
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植物園のゲートから真っ直ぐ坂道が延びている。その道の左右は手入れされているのがよく見てとれる色々な植物が観賞用として植わっている。マダガスカルから入ってきた「旅人の木(Ravinara)」も見かけた。ほどなく歓声が聞こえてきた。「おったよー。カメ~!ヤッホー」「ヤッホーだって、お気軽だな~、幸せだな~・・・・・・私が(笑)」カメはかなりの数がおり、日陰のグループと日向のグループに分かれて寝そべっていた。「なんでゾウガメなん?」「このカメのこと教えちゃろか?」「うんうん」「ここにおるんはアルダブラ環礁の固有種のアルダブラゾウガメや。セイシェル諸島のこの植物園やラ・ディーグ島のレ・ユニオン・イステイト、バード島などに再導入された。こいつはガラパゴスゾウガメの次に大きなリクガメじゃな。オスの方が大型になり最大甲長123センチ、メスは最大でも甲長89センチ。同じゾウガメの名があるがガラパゴスのとは近縁ではなく、こいつらには項甲板がある。鼻孔は縦に長くてほかのリクガメと異り水を吸うたりもできる。やぶ地のほか湿地にも入って泥んこ遊びしたりもする。おもに植物を食べるけど、動物を圧死させて食べることもあるらしい。一度に10~20個くらいの卵を産む。なんも食べんと水も飲まんと6ケ月くらい生きる、113年生きたという記録がある。でも、アルダブラ環礁は海抜ほぼ0メートル。2006年のインド洋の津波みたいな被害に遭ったら、たちまち絶滅の危機なるんでは言うてテレビでしよった。こんなとこやな」「へ~?えらい詳しいね~」「息子オボキチ君の恐竜博士に対抗してな、勉強さしてもろたわ(笑)。て言うか、ゾウガメ昔から好きだったんよ。なんか恐竜に似た感じやろ?2億年前からおる生きた化石やで」「たしかに恐竜の子孫かも」「ここで話しはややこしんやけど、今の話はアルダブラゾウガメの話し。で、もともとセイシェル諸島にはアルダブラゾウガメとは別種のセイシェルゾウガメがおった。甲羅の長さは最大で1・5メートル、体重は300キロ近くあった。このカメが生息していたインド洋の島々は、ヨーロッパの貿易船などがよく立寄るところだった。長旅でお腹を減らし、肉に飢えた船員たちは長いこと水も食料もなしで生きとるゾウガメをなどにいた12種類のゾウガメがあっという間に絶滅してしまった。12種言うんは、島によって甲羅のかたちが違う、それぞれほんまの固有種やったんやな。なかでも18世紀中頃の40年間でモーリシャスのマスカリン諸島のロドリゲス島だけで28万頭も殺された記録がある。また人間が島に持ちこんだ犬や猫のペットが、ゾウガメの卵を食い荒らしたんも絶滅への勢いに拍車を掛けた。これら乱獲によって18世紀末にはモーリシャスゾウガメが絶滅、セイシェルゾウガメも野生は絶滅。ただ一頭、1766年、フランスの探検家マリオン・ド・フレネによって、フランス軍が駐屯するモーリシャス持ち込まれ、やがて島がイギリス軍に占領されたあとも軍隊のマスコットとして推定180年生きたとされるカメがおった。でも、そのカメも1918年に死んでついに絶滅。そう思われとったけど、2000年に2頭のセイシェルゾウガメが再発見されて、その後繁殖に成功した。えっへん!」「すごいね~。はい拍手、拍手」「あんまり真剣に聞いとったようにみえんかったけど?」そのカメくんたちだが、どれもこれも目を閉じてジッとして動かない。一段低い広場は柵で囲まれており、柵の外からビデオカメラを構える。「ここ空いてるよ」ハニーは柵にある木の扉を押し開け、カメの昼寝の集団のなかに紛れ込んでいった。カメたちは誰ひとり、もとい誰一頭、ハニーにもまったく反応しない。しばらく観察して、これなら危険度は低いなと、自分も柵から入る。一番大きそうなカメを見繕い、指図する。「おい、ちょっと写真撮るけん、そいつに乗ってみぃ~。セイシェル版浦島太郎な」「え~可哀想やん」「で、もう乗ってるし(笑)」遊園地にある100円入れて動く遊具みたいだ。それでも、カメは動かない。動こうとしない。目も閉じたまま。「はい撮るよ~」 ゾウガメとしばしば一方的に戯れる。お相手は天下御免の昼下がり、なんにもせずただドデッーと寝そべっているだけ。「ピクリとも動かんな~」「お昼寝の時間ね」「どら、これで遊んだろ。ビデオ回すけん、これカメの前に置いて」「何よ?それ?」「さっきも言うたやん!ゾウガメ言うたら恐竜やろ?(笑)」今回の旅行で、小学一年生の息子の恐竜フィギアをリュックに忍ばせてある。息子のというより実は、「息子に与えるふりして、せっせと自分ために大人買いしたもの」だ。地元の科学博物館や旅先の博物館、科学館などに行けばまとめ買い、それに飽き足らずネット販売などでも買い漁った。その数ざっと100頭。ティラノサウルス、トリケラトプス、ステゴザウルス、これらメジャー級ならともかく、コンプソグナトゥス、ブシッタコサウルス、ムッタブラサウルス、ユーオプロケファルス、ケツゥアルコアトルス、ガストニアなんてわかります?幼稚園年少のときの息子はもっと言えますよ。「エッヘン!恐竜時代の残党ゾウガメとご先祖様恐竜フィギアのご対面よ。絵になるでしょ?」「バカバカし」「ええから、さっさとフィギアをカメの前に置け」因みに息子のお気に入り移行は、恐竜フィギアから、古代王者恐竜キングというカードゲームに目が移り、それも飽きて次はアニマルカイザーという動物の戦いゲーム、次にウルトラマン大怪獣に移行、ただいま2009年1月はバトル・スピリッツである。それが目下、2009年2月末では仮面ライダーディケイドのカードに移行。それが、2009年10月ともなるといまや何にも興味なし。現代っ子は目まぐるしいのである(涙)。さて、そういうわけで自他ともに私のコレクションとなった数あるフィギアのなかからセイシェル旅行の伴侶と選ばれた栄えある一頭が、この緑のティラノサウルス君だ。ティラノサウルスの赤ん坊が卵の殻を割って生まれ出てこようとする物語性のある精巧なフィギアだ。これをハニー浦島太郎が乗っかったカメくんの前に置くと、ややっ!カメが目を開けた。そして、あちらこちらのカメたちまで、次々にムクムクと起きてきたのだ。「うわうわ、なんじゃこりゃ!?」「たぶん、この子たち的には、その緑色というのがすごく気になるんよ」どれもこれも四脚を立て、大きく目を見開き、ティラノ君に真っ直ぐ向かってくるではないか。「危ないっ!拾ってそれ!」砂場から拾い上げ、ティラノくん、間一髪救出だ。「あ~~びっくりした!こいつのほうが恐竜やん。急に突進してくるからびっくりした!」「葉っぱと間違えたんだろか?食べられるとこだったね(笑)」なんやかんやとしばらくカメを見ながら二人で戯れていたが、次のお目当てを探しに行こう。つづくみーり、60センチ6キロになりました。7ケ月、実質5ケ月になります。たくさん食べるようになりました。にんじん、かぼちゃ、さつまいもなど混ぜたおかゆさんやバナナなど。すぐに催促の大泣きです。まつげがながく目がパッチリ、お顔は卵型、かわいいことかわいいことかわいすぎ・・・。babyモデルクラブにせっせと応募するチチでした(笑
2009年11月01日
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ゲートをくぐる。すぐに小さな管理棟があり、女性にハニーは呼び止められた。「管理人?」ハニーは管理棟に入って行き、女性と二言三言交わし、すぐに出てきた。「園内の地図渡されたよ。二人で10ドルだって」「あれ?」日本セイシェル協会・観光促進会(Seychelles Tourism Promotion Board)のホームページ。「――ヴィクトリアの植物公園では、双子椰子などの椰子類や、その他多くの種類の興味深い植物が見られます。数匹のゾウガメもいます。毎日開園、入園無料、カフテリアでは飲み物と昼食が取れます――」と紹介していたけどな~。「「まぁ、ええわ!やっぱりゾウガメより先に、カフェテラスがあるだろ?まずはそこに真っ直ぐ行こ。もう喉がカラカラじゃわ。あんたに水とられたし」「え?さっきの園のひとがこの地図のカフェテリアにボールペンに×印入れよったよ。クローズ言いよった。ほら」「え?!なんで?!」「さぁ、日曜じゃけんじゃないん?」「なんでよ?なんでよ?日曜こそ恋人とか家族連れとかが憩いに来るとこじゃないん?」「知らんよ、そんなん。さぁ行こ行こ♪」「また、知らんよか。いつでも知らんよ、や。何を知っとんぞ?」ハニーはまた先をスタスタ歩き出した。 私はエジプト・ギリシア旅行でもそうだったようにカメラにビデオ撮りとひとり忙しい。いや、今回の旅だけではない。いつも、いつだってそうだ。忙しいふりをするのはもっと得意だけど(笑)。それを話しのネタにするのはもっともっと得意だ(笑)。どこかのだれかの役にたっているのかどうだか、愛すべき我が隣人は知らぬ顔でまた先を歩く。お互い、いつも出そうな杭を打つ、そんな15年間だった。性格も嗜好も、思考までどうにもこうにも正反対。「性格の不一致」という鐘が高らかに鳴り響くではないか。――――妻とアタシはなにからなにまで正反対です♪ルン♪おや?・・・・こんな書き出しに、なんだか一抹の不安も感じますが(汗。妻は理系というにふさわしい思考回路で、アタシといえば、モロ!アホゥの文系。妻は電気機器系統とかメカニックにすこぶる強く、アタシはトントダメ。妻は室内外装飾・大工が得意で、アタシは見向きもしません。妻は懸賞応募コマ目に当たるのですが、アタシはビギナーズラック!のパチンコのまま。妻はシンプルで理知的でハレ女、アタシは全くの気分屋で雨アラレ。妻は誰にでも受容な包容力があり、アタシは八方美人かつ好き嫌いが激しいです。妻はいつも冷静に対処し、アタシは激情に委ねます。妻は異性に無頓着な癖に(!!)モテモテで、アタシは興味ありあり!×1万光年、なのにモテナイ君で。(もう、これぐらいでカンベンしてください(涙妻はたまご型の顔つくりで髪サラサラ、アタシはホームベースで髪の毛はハリネズミです。妻はいまだに大街道や銀天街を一人で歩くと、きまって異性多々声をかけられるのですが、わざと後からついていくアタシは女子高生たちにストーカー呼ばわりもしくは後ろ指さされ隊(大粒涙妻は新築・家計・子たちの将来設計をしっかりたててますが、妻曰くアタシが「ゴジラが上陸した東京タワーのごとく破壊する」そうです・・・・・・・・。ええ、ええ、どうせアタシは「アタシが幼少の頃、アタシの学資保険を解約してヨーロッパへ旅たっていった父の息子」です(血は引き継ぐ性涙)・・・・・なんだか、アタシが極意まれな極悪非道みたいじゃないですか(涙ぐっとこらえて・・・・・ちょっと地軸を曲げて、視点を変えてみましょう♪妻は人見知りしますが、アタシは社交性があります。妻は了見が狭いですが、アタシは包括的に捉える技能を身につけています。妻はなにごとにもどこか冷淡で、アタシは毎朝、「こころ」で泣けるくらい情感豊かです♪妻は他人に貝になりますが、アタシは見知らぬ人にほど親切です。妻は掃除が全くダメで、アタシは整理整頓が好きです。妻は鉢の花さえ育てられませんが、アタシは園芸・自然派、そく行動派です。妻は料理をしようとせず、おかげでアタシは料理はプロ級です。妻は夜更かしして、電気テレビつけたままアザラシ寝してますが、アタシは90のおじちゃんみたく早寝早起きです。(や~~、乗ってキタゾイ♪)妻はオフロに1時間もかかりますが、アタシは5分ですみますよ!チビまるくんも同時にでてくるので、皆にあきれられてはいますけど(なにか?)妻は文章・手紙全くダメで、アタシが保育日誌や学校のたかが一行伝言まで書いてます。妻は編物が趣味とアタシにのたまいましたが、みたこと、袖を通したことないです。アタシのご趣味は「リンクにあるプロフ」のとおり!(ドウよ?エッヘン!)妻はSEXに対しマグロどころかゾウアザラシのスタンスですが、アタシはありとあらゆる遊戯をする自信と用意があります。妻はアタシの前で平気でオナラをしますが、アタシは断じて人前でしません。それでも彼女は平然とします。音のでないやつならだまっていりゃ~~わかりゃせん、と素知らぬ顔していますが、音のでないやつほどタチ悪いことないですよね??(スカンクも涙) ・・・・・・なんだか、人様が聞いたら、今度はたんなる誹謗中傷・・・・・。どっちみち、アタシが悪人じゃぁないですか・・・・・(泣きのサンタナッ)スペースも、もったいないので、このあたりでやめときます。でも、かようにアタシたちは凹と凸の関係なのですよね・・・・・ピタリと組み合わさります(TT)彼女とアタシは月とスッポン、トウフにカスガイ、ノレンに腕押し、糠に釘。なんだか、使い方全部間違ってるし(イグアスの滝汗)。ま、両軸欠かせない南極と北極を結ぶ地軸のようなもんですな(エッヘン)小学生でもわかるようにありていに申せば、「二人で一人前」。づきは次回にしようかな。対照をここまでつらつら書いてきて、みなさん、おそらく思わずものがな、脳内に漂うキーワードは「性格の不一致?」さりげなく(いえ、モロ君に)性の不一致まで滑り込ませてるし(号泣)でも、そうは「読み取らないあなたは」、アタシの手帳でしっかり「幸せ」がナニたるかを読み込んできたのですよね。そうです。セルフ・エスティーム(自尊感情)という大切な概念を思い浮かべてみてください。アタシたちは学びました――――。「あなた」がいて「わたし」がいることを。「こんな自分」でも私が私を好きなのと同じように、他者が好きでいられる。そうなんです・・・・・。アタシたちは互いに補うのではなく、お互いを罵るのではなく、お互いの足を引っ張るのではなく、お互いを許すのではなく、お互いを認めるのではなく、お互いを高めるのではなく、お互いを束縛するわけではなく、さりとていずれの個別の否定をも全て包括して、私を愛するのと同じエントロピーを放出して、相手を愛し、お互いがお互いを愛しあうのです。4つの愛があるわけなんだよね。愛ってナニ?アタシは彼女と出会うまでは、向う見ずで、あいつもこいつも嫌いで、そのくせ臆病で、でもでもバチカンの意向が届かない片田舎の枢機卿程度の世界の中心で(ナイス例え)、そして「アタシがコーラン」でした。遠く離れた町の片隅で、ひょんなことから彼女の「微笑み」に触れた瞬間、世界は劇的に変化したのです。「美しい」などほか美辞礼賛の字句は、形容は、決して客観性などを求めることは幻想でしかないので、ここで多くを語るのは無為であります。(でも・・・聞いて♪聞いて♪)アタシたちは、運命ではなく、必然などなく、さりとて自然でもなく、ただただアタシモテナイ君の圧倒的な「能動態」と彼女の「受動態」という文法=定理があったからこその、結ばれたモノダネでありました。ここで但し書きですが、この「定理」はあくまでも「アタシたち」のみの小さな小さな物語でしかありません。普遍など、どこにも落ちてはないのですから・・・・・。「 いつのときにも 青空・・・・・・ 」そうなんです。彼女はいつも、「ここに(!)」いるのです。アタシの青空は、彼女です。彼女こそが、アタシのコーランなのです。みなさんも、ぜひアタシたちのようなスキルを身につけられ、安心・自由・自信に満ち溢れた性を(字違い・・・・生を謳歌して欲しいですね。タダシ、アタシも人の子、、、、どなたにでもこのスキルを応用するわけではありませぬ。出会い―――アタシは臆面もなく彼女にこう告げました。「アタシはあなたに出会うために生まれてきました!」何回目いやもとい、何人目ぐらい言ったかな・・・・・(ニッパ♪) (2003年8月「まるくんの旅は青空」より)つづく みーり、もうすぐ7ケ月目。6000gに近づいてきました。おしゃぶりが減った今月中旬から急速に寝返りゴロゴロスピードん増します。お祭りがあって、父さんにお祓い、母さんにお供してもらったよ。そろそろみーり、の年賀状選ばなくっちゃね。ごはんもたくさん食べるようになって、お通じも「ひとらしく」なってきました(笑)
2009年10月25日
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旅の最後の一日、エーゲ海に面した人工の湾であるミクロリマーノへ向かった時もそうだった―――。 ホテルからオモニア広場まで歩き、ピレウス港が終着の地下鉄に乗って、いつのまにか地上に出た電車をミクロリマーノに一番近い駅で下車したまでは良かった。 そこは、潮風すらとどかない準工業地帯のような殺伐とした風景が広がり、 私たちの存在を無視するかのような趣だった。どっちへ行けば良いのか全然見当もつかなかった。 「ちょっと、聞いてみようか?」駅で働くバイキングの末裔のような大男に聞く。「駅の地下通路をあっちに抜けて、丘を越えた向こうだ」 「えー全然違ってた。もう役立たずのガイドブック持ってきて」と妻を攻めたが、「このガイドブックは君が私のバッグに入れたんでしょ」と訂正してくれる。 通路を抜けて地上に出たものの、まだ判らない。太陽をみて方角はわかるが進むべき方向がまったくわからなかったのだ。 さてさて―――――。 「さてさて、ちょっと聞いてみようね」たまたま通りかかった、赤のポロシャツとジーンズに黒のサングラスをかけた、ちょっと見はトム・クルーズといった感じのお兄さんに(外人さんを例えるのに映画俳優はなんて都合が良いものだろう)。 「カリメーラ。ミクロリマーノウンボ・ポテ?」わけのわからないギリシア語で尋ねた。 すると予期せぬことに、彼は「待ってました」とばかりにベラベラ英語でまくしたててきたのだ。 完全に動揺した私は耳障りな音楽でも聞いているかのように上の空だった。自分で蒔いた種とはいえ、台風がはやく過ぎるのを手を合わして祈っている善良な農夫の心地でいた。しかし、嵐は一向に止む気配はなく、男の説明を一方的に遮断した。 「エフハリースト(どうも)」知っている数少ないギリシア語を、ここだけは力強く言い切って、男と無理矢理別れた。 「さあ、行こうか」と恰好つけて妻を振り返る。――質問するなよ、するなよ―― 「なんて言いよったん?」 「・・・・・・・・・・」 「だからどう行けばいいかって聞きよんよ?」 「さあ、あっちの方行けば、まあなんとかなるんやないん?」 「なにしよったんよ!モー聞いた意味ないじゃない!!信じられんっ!」 攻める、攻める。彼女はいつもお気軽な役まわりのくせにいつもこうなのだった。「あんたビデオまわしよったやろ?演技するのに必死だった」 「ん?演技って何よ?」そして急に顔をすまして、 「あっちの丘の4つめのバスッストップからバスが出とるって言いよらんかった?」 ―知っとるやないか!!― 結局、私たちは男が言うところの4つめのバスストップで、そこに佇んでいた漁師の男に何度も何度も「ミクロリマーノに行くの?」と念を押して、ようやく来たバスに乗り込んだ。キップは先に購入することを知らずに、臨時ストップしてもらったあげくに、漁師さんの世話になった。男は売店へ飛び込み、私たちの切符を買ってくれた。 男は運転手や他の4、5人いた乗客に私たちを指差し「彼らをミクロリマーノで降ろしてやってくれ」と、告げて降車していった。それから、降りる客は必ず「彼らはミクロリマーノだよ」と、残った客に言い残し、乗り込んできた客には先客が言う。口々に「彼らはミクロリマーノだからね」と、確認しあう奇妙なバスの中の伝達ゲームが繰り広げられるのだった。 「まるで、はじめてのお使いの保育園児やなー」とモジモジ恥ずかしがる私に、 「似たりよったりでしょ」と、妻は瀕死の兵士にとどめをさすのだった。バスは郊外を行き、やがて皆この瞬間を息を飲んで待っていたかのように一斉に、「ここだ、ここだ。ここがミクロリマーノだよ」と促されて下車した。 下車して、私が意気揚揚と歩き始め、妻に指摘された坂の反対側が海だった・・・・・。(1993年ギリシア旅行ミクロリマリーノ「10月バラ」より) なつかしく、しかも忘れがたい移動祝祭日であった15年前のふたり。今回のセイシェル旅行は、―私たち―にとってあの旅の―つづき―でもある。あの記念旅行を思い出す――――。大柄なセルシワ・ママに丁寧に道を教えてもらったハニーは息を吹き返し揚々と進む。旅人にやさしいセルシワ・ママだがハニーが離れると再び鬼の形相の母に戻った。赤ん坊の泣き叫びにもハニーはかまわず進み、数十歩進んでこちらを振り返った。「やっと着いたよ」「やっと!なんは誰のせい?」「さぁ?誰のせい?誰のせい?」ようやく、植物園の入口に辿り着いた。いつもと違い(ここ強調)、今日はずっと前を行く(行かされている)ハニー。そこがめざした「BOTANICAL GARDEN(植物園)」。「ま・・・・・予定外にだいぶ歩いたけどとりえあえず着いたわ。じゃあ、ゾウガメ観に行くぞ」「え?ここ、ゾウガメっておるん?!ガラパゴスじゃないん?」「・・・・・知らんの?あんた、ホンマに何しに来たん?」ホンマに何しに来たん?セイシェルにゾウガメがいることすら学習してきていなかったのか。「ここがセイシェルいうことくらいは知っとんだろうか?」「知っとるわ!(笑)。でも誰よ、ずっと行き先言わんかったの!?」「言うたら反対しとったくせに」「当たり前でしょ!私は普通~のところに行きたいの!」「また普通って(笑)。ローマの地図なんかムチャクチャややこしいぞ。ヴィクトリアでぐらいええやろ?ヴィクトリアでも迷うくせに!」「ややこしくってもローマがいい♪」「ローマが何処かも知らんくせに!」いや、この暢気な愛すべき隣人は、きっと「ここが何処か」などどうでもよいことなのだろう。世界地図どころか、今日こうして小さなビクトリア市内の地図すらどうでもよいのですから。でも、まさかこの小さな植物園の地図までわからないとは思いませんでしたとも(笑)。つづくみーり、5800g、お姉ちゃんたちの2ケ月目とおんなじくらいだけど、わたしのぺーすで^^順調です。寝返り、首座り、なんごも活発に、昨日はりんごを摩り下ろしたのぺろりと食べたよ。昨日はママのおじいちゃんの17回忌のお法事へ。パパとママがエジプトへ新婚旅行中、そして地元のお祭りの初日に亡くなったのだ。昨日おじさん挨拶が、「亡くなった時は4人だった孫がこのたび8人に」・・・って全部みーりの兄弟のことだね(笑)。
2009年10月12日
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しばらく行くと再びロータリーにあたった。空港へ向かう道や港へ向かう道、島の幹線道路が交差している。私たちがバルバロン側の山道からこちらの海岸線へ出てきたのもこの場所だったなと、なんとなく覚えがある。ロータリーには羽状の型をした白いモニュメントがある。出国前に読んでいた「セイシェル・ガイド (渡辺武達著 恒文社 1983年刊)」にこの写真が載っていて、これはアジア、アフリカ、ヨーロッパの友好シンボルであるらしい。混血のセルシワ(セイシェル人)の真骨頂だ。「そろそろ植物園のはずなんやけど?」距離が縮まった私からの問いかけに彼女は無言のまま。そしてあいかわらずドンドン進む。 私はビデオやら写真撮影なんかでまたやや遅れ気味。道は海沿い近くになり、その反対側は川のような沼地のようなで、マングローブが生い茂っている。道はまっすぐ伸びている。しかし、人はいない、車もほとんど走らない。今、ヴィクトリアで活動しているのは私たちぐらいなのか。太陽はちょうど空の頂点をさし、正午が近いことを教えてくれる。え?もうかれこれ40分は歩いている。40分?あれ?たしか、バルターミナルから植物園まで線距離でわずか800メートルたらず・・・・・・・。セイシェルに上陸しないはずの迷走ハリケーン(セイシェルに台風はこない)のおかげで、街をくまなく歩くことができたわけだ。成果があったかどうか、珍しいものを見つけたかどうかは別にして。「やれやれ」そういえば、先ほどのメインストリートでニックキ「クレオール・ホリデー」のオフィスもあった。ビルを覗いてみたが、やはり閉まっていた。キャサリンは本当に働き者だったのかも。さて、こちらはちょっと問題ありきの働き者さんである。小走りで追いつく。「ちょっと、ちょっとハニーちゃん、ちょっとええからそのガイドブック見せてみてみ」「はいはい、もぉ~~~、まだ着かんの?」「まだ着かんの?そりゃ、こっちのセリじゃわ!ボケッ!(笑)・・・・・・・」あ、やっぱりロータリーでついに道を間違えたのね。こちらも不覚。「こら!全然違うやい!ここをこっちだったんだろがい!」「あ?ほんまじゃ」こちらもついうっかりしていた。さきほどの友好シンボルがある変則ロータリーで真っ直ぐの道だったのに、わざわざ、海側の道に反れたらしい。地図には「Latanier st.」とある。空港へ行く道に違いない。海側は例のセント・アン海洋公園の島々に近い入り江のリゾートマンションが見え始めていたし。ロータリーから植物園はすぐそこ。「やれやれ戻りましょうかね~。トットコがんばってよ!」すごい暑気と眠気で頭がフラフラしていたが、ハニーに励まされてしまった。「・・・・・・・・あのですね。もう歩けん」プラタナスの木陰で休憩した。歩道沿いには川辺にマングローブが生い茂っている。「水分ちゃんととらないかんのよ」バテてへたり込んで、ハニーに言われるまでもなく、異様な喉の渇きで一気に水を飲もうとした。「私もちょーだいよ」「え!?」彼女は水を忘れてきたらしい。「あれだけ、準備もたもたしといて、またこれかいっ!」「せかすけんよ!」「自分のなかではせかされてなかったやい!あの状況は!」ロータリーに戻り、今度は間違えないよう、フランシス・ラチェル通りを指示した。「そう、最初から真っ直ぐ来ればよいだけなのだ(笑)」「別に。わからんかったら、誰かに聞けばええだけよ」「いや、別に道聞かんでも、地図見たら誰でもわかるし(笑)」「うるさいっ」間もなく植物園。というところで、ハニーは停留所で大柄なセシルワ女性に道を尋ねている(笑)。しかもその母親は幼子を大声で叱り付けている矢先だったんだけど(笑)。でもセシルワは気の毒に思ったのかハニーの肩を抱き寄せて丁寧に道を教えていた(笑)。一本道なのに(笑)。もうすぐそこなのに(笑)。それでもなんども聞き返す彼女(笑)ここは、フランシス・ラチェル通り。――ここが、シャーリア・アラハム通りであれば――私は、とてもなつかしい、それでいて色あせることのない『ある光景』を思い出し、ひとり噴き出していた。「そうだ、あのときと同じような光景だ」そして、あのときと立場は逆転している。なつかしく、しかも忘れがたい移動祝祭日であった15年前のふたり。今回の私たちのセイシェル旅行はあの旅の「つづき」でもある。あの記念旅行を思い出す――――。 再び、私たちは蟻の巣の断面のようなギザの旧市街地区=ナズラット・サマーン村の路地をモーセスの子分に続く。「ここは、モーセスの息がかかった村なのだろうか?」突然だが、子分2号がエディーマーフィーというか彼が役者として売れる前のチンピラ小僧であると思い至った。ギザのマーフィー、覚えておこう。モーセス、忘れたい(笑)。 もう彷徨うことはない、この路地から見上げると、密集した家に阻まれ夜空が見えない。 しかし気にはすまい、今夜、月はでていない。宴の喧騒とは無縁の何もない村だ。角を何度曲がるか数えることは、もうしなかった。マーフィーについて歩けばよいのだ。 ようやく道が開けた向こうにはすみかす街灯と、街路樹が見えてきた。 大通りにでた。どこか遠い異星に着陸したような感覚だった。 なおも一緒に歩こうとするマーフィーに、 「もうここでいいから私たちだけで大丈夫」と、握手を求めた。 彼はモーセス以上に英語が通じない。ニタニタしながら付いて来る。 「ショクラン(ありがとう)」にやっと反応して、ニタニタしながら大通りから村の中へ消えて行った。ついに最後の一人も消えた。「そして誰もいなくなった」。 全てが幻だった気がする。二人だけになった。いったい、なにを話せばよいのだろう?柔らかい街灯の光に包まれ、二人の陰は朧げだった。 「どこにいるんやろ?」 妻の反応はなかった―――――。 ここが、シャーリア・アハラム通りであればこの道を左にとれば良いはずだ。 ジャングルのような村へ入った所と出た所が全く別だったので、方角がわからなかった。しかし、「持ち前の勘」は、左へ行けばホテルに行き着く、と発信していた。 けれども、私は「土地勘」が全くなかった(笑)。 今朝、ギザの台地でも勘は働かなかった。 ラクダ使いのモーセスと出遭ったのは、ギザのピラミッド入場券売り場で10ポンド支払い、ゲートを潜る前か後だったか。 妻と私は、ピラミッドのお隣さんであるメナ・ハウス・オベロイ・ホテルから、ホテルの部屋の窓から見た風景に戸惑い、すっかり陽が高くなってからピラミッドへ向った。ギザ台地は半砂漠地帯特有な昼夜の温度差のせいで、早朝から濃い霧に包まれており、なかなか出発するタイミングが難しかった。部屋で霧が空けるのを待っていたのだ。 雄大なナイル川を上流に向って凱旋したカイロ。「最後の一日を悠久の歴史を刻むピラミッド見学」我ながら演出もバッチリだったと、旅の邂逅にほほ笑みつつ、妻の手を握り締めてでかけた。感心しつつ、しっかり頭に叩き込んでいることがある。悪名高きピラミッド観光の魔手、お上りさんをラクダに乗せて、不条理な金銭を要求するとされるラクダ使いの方々のことである。「写真を撮っただけで、5$」「ちょっと乗るだけただよ、で降りるのに有料(笑)」「金を払わないと、大勢の男たちに囲まれ、追いはぎの目に遭う」どのガイドブックにも「ラクダ業者さん、素敵!」などという記述はなかったはずだ。人類の偉大な遺産であるロマンは、迫り来る砂漠化のごとく侵食されているのだ。ここはバクシーシ(小銭恵んで)の国なのだ。さて、善良な私たち夫婦の運命やいかに――――。 「ハァロゥ~~~~♪マァイ~~フレンドゥ~~~♪」ピラミッド地区への入場料を払い、ゲートをくぐったとたんに、ラクダ屋が、まるで10年来の旧友との再会のように声かけてきた。肌黒い男は手下を従えて、彼らはラクダ1匹と何故かアラブ馬3匹の手綱を持っている。折からの霧のせいか観光客はまばらのようで、彼は待ちくたびれていたのだろう。―そら、きたぁ~~―ほくそ笑みつつ、「彼の存在など全く気にかけないぞ!」主義で私は素通りした。正面に迫るクフ王のピラミッドを「近くに行くまで見上げまい!」と心に決めて、まっすぐ正面を見据えて歩き進んだ。「ん?連れ合いの気配がないな・・・・・・」後を振り返った――――――。「!!!????」なんと、妻ははるか高みから私を見下ろしているではないかっ!!彼女はラクダに乗っている!なんたるちーや!あれだけ警戒してたのに・・・・・敵は本能寺にあり!!「バカバカバカバカぁ~・・・・・あれだけっ!ラクダには乗らんっ!言うたのにっ」「えっ????だって乗せてくれたんよぅ~♪」「・・・・・・・あのなぁ・・・・・・・・」空は先ほどまでの霧がウソのように、雲ひとつなく晴れ渡っている。しかし、その空は何故か黄色がかっている。「それにね、このおじさん、ノーマネー・・・って言うんよ」と、くったくなく応える。彼女が乗ったラクダのヌボッ~~とした顔と彼女の顔が重って見える。私は、この国を旅する旅人として最低限の「マナー」を身に付けていたつもりなので、「ノーマネー」がナニを意味するか心得ているつもりだ。「微塵足りとも信じてはなりませぬ!」すでに飄々とラクダに乗り、遠ざかって行く三流女坊主の後姿。呪いの言葉を精一杯浴びせ掛け、孫悟空のごとくトボトボついて行くしかなかった。何故か、手下が引く馬に乗って・・・・・・・・・・・・・・・。 (1993年エジプト旅行ギザ「10月バラ」より)つづくみーり、ただいま5400gです。ここのところ、せき込むことが多いのですが心配ないようでひと安心。ごろんごろん、と寝返りでんぐり返り遊びます。お手手をしゃぶしゃぶ、ひとり遊びも激しくなってきました。
2009年10月04日
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日曜日のセイシェルの首都ヴィクトリアでは土産物屋探しどころではなかった。通りという通りに誰もみかけない。人気のない通り。路上には古新聞が風に煽られ舞い飛んでいる。荒野の決闘に向かうガンマンの気分だ。マーケット通りの交差点から200メートルほど先にヴィクトリアの象徴「時計塔(Clock Tower)」が見えてきた。イギリス殖民地であった1903年、イギリスのビッグ・ベンを模倣して造られた時計台は道の交差点の真ん中に立ち、殖民地時代の面影を今に残す。思っていたより小さい。しかも、この時計塔がヴィクトリアの街の心臓部であるのだが、あいかわらず町に活気がない。どこまでもどこまでも田舎町のうららかな日曜日だ。時計塔を写真に収め、街中を歩く。通りの歩道には街路樹がある。大きな火炎樹には赤い花が咲き、道端にはブーゲンビリアやハイビスカスが咲きほころんでいる。街路樹の向こうは、セイシェル測量課やインフォメーションセンターが入居する高いビル、そして全面マジック・ミラー張りのど派手なビルが目立つ。ここが、ヴィクトリアのメインストリートだ。首都とはいえ簡素な建物がほとんどのヴィクトリアにあって、全面マジック・ミラーというモダンさでやけに目立つこの建物は、セイシェル人民進歩党(SPPF)という政党の本部である。セイシェルは、1976年にイギリスから独立して国家が成立したしばらくの間、マルクス主義を標榜しないゆるやかな社会主義国家であり、憲法の規定でこの人民進歩党が唯一の政党であった。しかし、1993年に憲法改正により民主共和国体制に移行した。まだまだ浅いが、セイシェルの歴史を駆け足でたどってみよう。1609年、イギリスの探検隊がマヘ島に上陸。1742年、国家としてはフランスがはじめて探検隊を送り込む。1756年にフランスが領有権を主張。ルイ14世治世の財務長官モロー・ド・セシェル子爵の名をとって「セシェル」と名づけられ、最大の島をマへ総督の名をとりマヘ島と名づけた。しかし、1794年にはイギリス海軍の領有になり、1814年にはイギリス本国も島国モーリシャスの一部として領有を主張した。以来、フランスとイギリスが支配権を巡り対立していたが、1815年にパリ条約により、フランスがイギリスに領有権を譲渡した。1872年、セイシェル独自の行政審議会、立法審議会ができる。20世紀初頭にはモーリシャスから分離。1952年に独立派のフランス・アルベール・ルネとイギリス領派のジェイムス・ミッシェルによる政党が組織される。1965年、アメリカに貸与していたデロッシュ島、アルダブラ諸島、ファーカー諸島がイギリスに戻る。1976年、制憲会議が行われ、同年6月28日にイギリスから独立し、独立憲法も発布される。初代大統領にジャイムス・マンカム、初代首相がアルベール・ルネ首相である。マヘ島にアメリカの人工衛星追跡ステーションが設置される。1977年、マンカム大統領がイギリス連邦会議出席のためロンドンを訪れていた際、ルネが無血クーデターで実権を握り、同年6月に憲法を改定し、社会主義国家をめざした。実はこのクーデター、裏ではソ連やリビアの支援があったと言われている。以後、SPPFの一党独裁政権が続くが、90年代、旧ソ連、中国など社会主義国家が破綻しはじめ、これまで3選のルネ大統領は1991年に複数政党制を導入した。2004年、ルネ大統領が引退。現在、セイシェルは共和制をとる立憲国家である。現行憲法は1993年に発布されたもので、セイシェルは社会主義から多元性民主国家へと舵をとった。現在、国家元首である大統領は国民の直接選挙により選出され、任期は5年。行政府の長として強大な権力を行使することが、憲法で認められている。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、大統領が任命する。議会は一院制の国民議会で、定数は34、うち25議席が直接選挙枠で、議員任期は5年。主要政党はさきほどのビルが本部のセイシェル人民進歩戦線(現与党)とセイシェル国民党。2006年7月29日、30日両日、大統領選挙の投票があり、現職のミッシェル大統領(人民進歩戦線)が約54%を得票、45%の野党国民党のラムカウン候補を破り再選された。1977年の革命によるSPPFの一党独裁の間、セイシェルは社会主義国であったが、土地の所有や商店、ビジネスの私的な経営が認められていた。言論もほとんど自由であった。また、義務教育の9年間と医療はすべて無料となっており、どこの途上国にも見られる「物乞い」は一人もみられない。どおりで乗り合いバスで見かけたひとびとの表情は柔和で明るいはずだ。ベルリン崩壊前の冷戦時代の旧ソ連や東欧のような極度な貧富の差も見受けられない。もちろん、白人など富裕層の高等教育などへの不満はあったようだが、総じて世界でも社会主義がうまく機能していた経緯をもつ数少ない国であり、多元性民主主義、またエコ・ツーイズムに進化した現在でも小国ながらすごくうまく機能している国に感じられた。セイシェルは独立以来、非同盟主義を貫いている。こうしてブラブラ街を歩いて、物乞いはもちろん、土産物売り子からすら声をかけられず、わずかな滞在ではあったが、その国のひとに染まったかのように自由に振舞えたのはセイシェルくらいである。 時計台がある交差点は、ヴィクトリアで一番大きな幹線道路、独立大通り(independence Avenyue)が交差する。この大通りを右折して北へ向かうと、プララン島行きのフェリー乗り場(New Port)があるはずだ。明日の早朝、その港から高速艇でプララン島をめざすのである。で、私の船頭さんは、この交差点からまたまたおかしな進路をとった。時計台があるアルバート通り(Albert st.)を直進し、交差点から真っ直ぐフランシス・ラチェル通り(Flances Rachel st.)を行けば容易に植物園に着くのに、またまた何故か左折してしまい、独立大通り(independence Avenyue)へ進路変更した。「真っ直ぐ行けよ、真っ直ぐ!まるで、季節はずれの台風やな(爆笑)」なんで、そんなに迷走するのかが謎だ。そのかわりと言ってはなんだが、独立大通りと6月5日大通り(5th June Avenue)が交差するロータリーにて、セイシェルで唯一ある信号機を見ることができた。信号機なんてめずらしくもなんともないが、この島ではめずらしい。交差点から今度は独立大通りから6月5日大通りを行く。なにゆえ、ジグザク進路なのか。「・・・・・・・・・・・・」さすがに困ったものだ。「ねぇねぇ、ハニーちゃま?直線を引いたらの話しやけど植物園に近づいとるけど、歩きよる道の進路だと確実に遠回りしているようなんですけど(笑)、さっきからずっと」「・・・・・・・・・・・・・・・・」「あれ?聞こえんの?」街の風景をビデオやカメラに収めながら歩いていたのでしだいに距離が開いていて声が届かない。車はほとんど行き交わないが、ときおり、見かける車はほとんどピカピカの日本車だ。相変わらず彼女は地図を睨めっこしながら先を行く。つづくみーり、5300gひとの表情を読み取るようになりました。社会的微笑みから、人気者の高笑いをしてくれなごませてくれます。三種混合の注射をおえた先週大仕事を終えました。新型インフルエンザ、台風14号接近、関東大震災の予兆セトセトラのさなか・・・なんと飛行機の旅に加え、3泊の東京お泊り&東京ディズニーリゾートへお姉ちゃん、お兄ちゃんたにのたっての希望をみーり、はたしてくれました。周りはみんな(当然でしょうが)大心配よそに、おりこうさんでいていくれた大旅行。ディズニーランドもシーもほとんどベビーカーでねむねむでした。御苦労さん、ありがとう。
2009年09月26日
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街は南洋の湿った空気に包まれているはずなのだが、ときおり乾いた感じの風が肌に届く。自信満々な「歩くちりちとてちん」は地図を見ながら先を歩く。「植物園へ行くんでしょ?こっちのほうが近そうじゃない?」「お~~めずらしい(笑)」先ほどホテルで私は彼女がキャサリンとやりとり(いや、漫才?)している間、「リゾートの波際で背を向けた読書男」に対抗するようにガイドブックの地図を眺め続けて、すでにヴィクトリアの中心部はだいたいを諳んじていた。なに、首都といってもとても小さな町である。迷ったところでたかが知れている。今日一日、彼女に着いて行けばいいだけ。「セイシェルへ来るまでのことを考えれば、こんなに楽チンな旅はないわ」私は彼女に聞こえよがしに投げかけたが、彼女から返事はなかった。後を黙って従った。「楽チンな旅」が誤りだったと気づくのは、街を歩きだして間もなくだった。何故か彼女はバスターミナルからまっすぐ伸びる6月5日大通り(5th June Avenue)を行かず、いきなりバスターミナルからすぐ右折して、パーム通り(Palm st.)を進んだ。「え?いきなり?(笑)」アヴェニューは大通り、ストリートは通り、この違いくらいは知っているのかな?「なんでわざわざ、大通りでなく回り込んだ狭いほうの道えらぶん?」聞こえている風はなく、町並みと地図を見比べつつ、どしどし歩いて行く。不安が横切るが気のせいだろう。いや、気のせいではないだろう(笑)。白い大聖堂を過ぎると、今度はいきなり細い道へ左折した。「おいおい・・・・・(苦笑)」アルバート通り(Albert st.)である。100メートル足らずでマーケット通り(Market st.)に交差した。この界隈に、カラフルなペンキで塗られた2階建ての建物の回廊式マーケットがあるはずだ。一階は島特産の香辛料や紅茶、魚など食料品がおもに、2階は洋服や置物、アクセサリー、そして土産物などが並ぶ。建物に四方囲まれた広場でも果物や野菜などの青空市場があり活況そうだ。マヘ島住民の胃袋にして、ヴィクトリアの観光地の目玉でもある、その「サー・セルワン・クラーク市場(Sir Selwyn Clark Market)」があるはずだが、キャサリンの忠告どおり日曜は閉まっていた。キャサリン曰くは、今日、私たちが行く予定だったラ・ディーグ島へ行くツアーがないし、仕方なく充てたビィクトリアの市場は閉まっているし、つくづくついてない日だ。エミレーツ航空のドバイからマヘ島へのフライトは土曜日と水曜日だ。土曜日をフライトを選択したのが大本の誤りの旅だったのかもしれない・・・・・・・。閉まっている市場は見る価値が何もくあっけなく通過する。小さな土産物店が連ねる「クラフトセンター(craft center)」も、セイシェルで一番大きな国営スーパーマーケットも閉まっている。―旅先でお土産物を買う―この旅のなかにおける常道、私の最も得意とする分野だけに非常に残念である。セイシェルでは、ついぞ、ビビビ♪とくるものに出会う場所すら提供されていなかった。―――フクロウに出遭ったコウノトリの町で―due(第2)―――さて、城崎の土産物屋でふと目に留まったフクロウさんです――――。店の軒をくぐり、ふらり入ったとたん、フクロウと眼が合いましたの・・・・・。ビビビ~~♪と感じるものがあったのです。運命を信じますか?アタシは出遭いはいつも運命だと信じて疑いませんの。ですから、一期一会の刹那を人の百倍【楽しむ】性質なんです・・・・・。手に触れてみる。お手玉のような小豆が入ったような感触。和風な衣で包まれたツガイのフクロウさんです。フクロウが申すには・・・。「貴方に出会えてよかった・・・」アタシ自身へのすばらしい旅の想い出に、いつもセンスのよい自分へのご褒美・・・・・。お家の仲間たち?を回想せずにはいられませんの、センスがキラリ♪と光る数々の――――。〇スペイン、マドリッドの蚤の市にて♪ガラクタ市の名称ふさわしい、ガラクタの中から発見!したスカーフ。店主申します。「お兄さん、眼がタケェ~や・・これはカルメンが使ってたスカーフだぜ」ああ、ペルシア様式のような文様といい、色使いといい・・・・ビビビ!今では家の「内!風呂敷」になってます。〇トルコ、緑の町ブルサにて♪イズミックスタイルの陶器探してましたの。とある土産物屋・・ビビビ!ときましたの。「おう!友よ!わかる人にしかこれは譲れないのだよ。ん?10マントルキッシュリラなら考えてもいいよ」悩んだすえに、店を出たり入ったりする末に交渉して8マンリラに値下げに成功!これは家宝にする!成田で受け取ったトルコブルーの美しい皿はマップタツに・・・。〇タンザニア、ダルエルサラーム空港前で♪ハニーにとっておきのお土産、まだ買っていなく後髪引かれる思いで、もうすぐ旅立つ。フラフラお散歩、路上のネックレスにビビビ!妖しく黒光りする、これはまさしくタンザニアでしか採れないタンザナイトではないか!「これは原石のままだから安いよ、1マンタンザニアシリング!」即、飛びつき購入!お宝のネックレス!なぜか妻の首にかけられたことはない・・・。〇チュニジアのカラウィン・モスクにて♪チュニジアンブルーのモスクにブーカの調べが流れ、どうしてもあの、アルマジロの楽器が欲しい。モスクの前でたむろする青年に問えば、アタシを手招きし迷路の道行き店に連れてってもらう。よく吟味するまでもなく、店頭の楽器にビビビ!交渉重ねてわずか千百円ばかし・・・・・・ラッキー!ホテルに帰り旅情に浸りつつ弦をポロリ♪「・・・・・・・・・・」琴線はビニールですぐ切れた。よく見れば、アルマジロの剥製ではなく、カメの甲羅・・・・・。〇楽園タヒチは、フィラエ島のビーチにて♪プライベートビーチなのに、なぜか地元の少年青年たむろする。アタシと彼女の前で、ズボンから取り出したフランス語の新聞に包まれていたものを見にすれば・・おおお!!黒真珠ではないか。欲しいが手に届かぬ。が、手下の?少年申す値段は市場の半値以下。加工もなく金属のたぐいもないからかしらん?とにかく欲しい。即購入。帰国して、彼女のために宝石店にてペンダントにしてよと依頼。「この石コロでホントウにいいんですか?」と店主真顔・・・・・・。〇モロッコのアトラス山脈にて♪今旅中、どうしても手にいれたかったアンモナイトの化石、ついに見つけた、たくさんあるぞいな、峠の茶屋にて。こわそうなおじさんに手をつかまれビビビながらもお高い値段!山を飛び降りる気概で購入!オイもニッポン男児たい!旅行から帰り、たまたま寄った紀の○屋書店。「砂漠フェアー開催中」・・・目にしたのはアンモナイトの数々とその値札・・・・・。〇ドイツ、シュピンスゲール、可愛い町にて♪まだ、買ってなかった当時中学生の妹に。そろそろ色気づく頃だと、キルティングのかわいいポーチ型バックにビビビ!う~~ん、どうしようか迷ったあげくに勘を信じて買いました。「これくださいな」一度も妹の肩にかけられることなく、数年たって家から出てきた、当時3歳のワンワンの首にかけてお出かけ、重宝しました、一度だけ・・・・・・。――――走馬灯のように駆け巡る、いかした土産物たち。〇「ゼンブデセンエン」バチカン市国での葉書売り、封筒のなかは厚紙と5枚の古びた写真。〇エジプトはギザにてラクダ使いに連れていかれた香水売り屋で、「クリスタル」という名のただのガラスに入った「クレオパトラ」という名の、ただの市販の香水原液・・・・・・。〇タイのバンコクで買った素敵な素敵なお香入れは、母の実家のトイレにある。〇インドはムンバイで買った銅製のお盆。とっておきの来客に紅茶をだすのに添えて、カップを置くと、盆の絵剥げ落ちて・・・。〇アテネ、シンタグマ広場で前金で買って彼女の名前を彫ってもらったカメオ。夕刻取りに行ったら金庫ではなくレジからポンと出された。その他幾多のとっておきの、エクセトラ♪いつも旅先でのアタシと相思相愛の仲間たち。いまでもアタシの物置部屋で愛想ふりまいている。もうすぐお家に帰れるよ、幸せを運び、古代ローマでは学問の女神のフクロウさん・・・・・。城之崎の旅行から帰宅して――――「はい、これはわんわん、これねずみ、これくまくん、・・・・・これお愛想でママ・・・・・で!これはパパ自身へのがんばった、ご苦労さんお土産。どぉ?かわいいでしょ?」「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」「・・・・・・・・・みなさん聞いてます?」 (2002年11月6日 「まるくんの旅は青空」より)〈b〉つづくみーり、5ケ月が過ぎました。実質は4ケ月。体重は5000gを超えました。あやすと大きな声で笑い、家の中もますます明るくしてくれます。血液検査の針にピクリとも泣かず母さんも院のみなさんも驚いてたそうだよ。来週はいよいよ家族みなが楽しみしてるTDLへ、空の旅。新型インフルエンザ、大丈夫かな?お医者さんのオオケイもでたのでみーりも行けるね
2009年09月13日
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民家が数軒ある道沿いには大抵バス亭があり、そこに人が立っていて、バスは留まる。一体どこにひとが住んでいるのかと訝るような深い山中の道沿いでも、それを数回繰り返した。先客は誰一人降りることはなく、全員がヴィクトリアの終点バスターミナルをめざすようだ。皆、物静かに座っている。セイシェルのひとびとはとても穏やかな感じがする。これまでクレオール・トラベルの社員のとしか交わりがなかったが、バスに揺られながらそう感じていた。バスの昇降客で、知り合いがいても軽く握手するか挨拶を交わす程度で大声でお喋りする光景に出会わない。セイシェルではまだまだめずらしいであろう私たち東洋人に関心を払うこともなく、従ってこちらも構えることなく自然体で過ごせる。すごく心地よい。これまでの外国の旅行先で乗った路線バスでは、このような経験をしたことがない気がする。アフリカの国々では特にそうだった。いつも、誰かに見られているような感覚があった。ここ、マヘ島ではそんな気兼ねとは無縁の世界だ。爽快な気分だ。バスの窓は開いたままで、風が絹肌のように触れ、爽やかで気持ちよい。ドアまで開いたままなのは愛嬌というより少々スリルもある(笑)。山間部を登りつめてきたバスは峠にさしかかる。高度を下げてきた。瞬間的に真っ青な海と濃い緑の島々が目に飛び込んできた。美しさに心奪われる海洋公園のセント・アン島、サーフ島、モヤネ島などである。セイシェル空港へ向け低飛行をはじめた上空で窓から対面した、あのエメラルドグリーンの世界だ。外洋のコバルトブルーの海と、リーフ内のエメラルドグリーンの海が際立ち、とても美しい。セイシェル空港へ向かう上空からも、同じ峠からホテルで向かうバスでも、いつもセント・アンの島々は海に映え、明るく揺らめいている。車窓からの美しい青さとバスにおとなしく乗っているセシルワ。そのとき啓示的に閃いた言葉があった。すぐメモ帳をリュックから取り出し書き綴った。―人生とは美しい乗り合いバスだ―海洋公園の手前は河口があり、瀟洒な家が並ぶリゾートと港がある。エデン・アイランドという人工島に港や別荘を整備している。外国人富裕層がクルーザーで乗り付け別荘に滞在する、というプロジェクトだ。セイシェルの最重要産業である観光業は、ほとんどが外国資本の注入により整備され、観光収入により国が成り立っていると言われている。ホテルを建設するにも、国土の賃借料や自然保護協力費などを払いつつ、また水道や電力などのインフラ整備はホテル側がしなければならない仕組みになっているらしい。セイシェルは、その美しい自然を最大限保護しつつ、国家収入源として充てているのだ。「なぁなぁ?昨日、空港からの送迎バス、あそこでまずお客さん降ろさんかった?で、ほんであっちの右手側の方が街じゃ、ヴィクトリアなんじゃな?」「・・・・・・・・・・・・・・・」「なんで返事してくれんの?」急に素っ頓狂な声をあげる。「そーだろ、そーだろ?そーやろーて考えよったとこなんよ」「なんな?その間。あんた、朝のテレビ小説「ちりとてちん」そのまんまみたいなおもしろさやな(笑)」坂道にへばりつくように立ち並ぶ家々の間を抜け、坂道を降りきると大通りにでる。大きな通りでも車の往来は少なく、信号機や横断歩道も全く見かけない。たまに走っている車は、アフリカ諸国でよく見かけるオンボロ車ではない。真新しい日本製だ。しかし、車の所有者が少ないからか、どの車もかなり無理をした数の人間が乗車している。ほどなくしてバスはヴィクトリア・バスステーションに滑り込んだ。11時25分、メリディアン・ホテル前からちょうど30分の小旅行だ。乗客全員が降りた。もちろん、ここが終点だ。しばらく、帰りのバス経路の番号を確認するためバスの路線図の看板を眺めていた。乗客者が散ると、周辺は人っ子ひとりいなくなった。今日は日曜日ということもあるし、ちょうどお昼時でもある。島のバス路線は、ヴィクトリアから海岸線を北上して、マヘ島でホテルが一番ひしめく合うヴォー・バロン(BEAU VALLON)などのノースポイント行き、最高級リゾートのバンヤン・ツリーがあるサウスポイント行きながあるが、起点はすべてここだ。ハニーは、ステーションの看板と、キャサリンにもらった路線図のコピーを見比べていた。「帰りも11号ね。帰りは・・・・・13時50分のバスに乗れるかな?」「小さい町じゃけん、それくらいで十分じゃわ。日曜じゃし、観光名所もないし」時計の針はもうすぐ正午だ。バス・ステーションは町の中心部から少しだけそれてあり、辺りは建物もさしてなく、日差しがもろに当たる。ヴィクトリアの街は、南国独特のまばゆい光に包まれていた。―光の屈折度がここだけ違う―と謳ったのは写真家の三好和義氏である。セイシェルのバード島を撮った「RAKUEN楽園(小学館)三好和義 1985年刊」」が鮮明だ。そして、あの写真どおり強烈な空の色だった。氏は、地球上でセイシェルほど光の強い場所はないと綴っている。「――バードアイランドほど空の青いところはない。ちょうど太陽が真上にくると、水平線あたりは暗いぐらいに青くなる。撮影にフィルターなんか必要なしだ。まるで宇宙から地球を見ているといった感じなんだ――」「――モルディブの太陽は眩しい。気をつけないと肌が焼きついてしまう。シャッターもとても速く切れる。ボートの上からでも片手で撮れる。ハワイのよりずっと強い。セイシェルの光はこれより約1段ぐらい強い――」この書によって、私ははじめて「セイシェル」という「楽園」を知った。そして、憧れが芽生えた瞬間である。私がセイシェルという島国を知ったのは、いわずと知れた松田聖子の「セイシェルの夕陽」である。写真集の刊行1985年といえば、1983年の「セイシェルの夕陽」と時期が近いではないか。氏もひょっとしたら、「セイシェルの夕陽」に引き寄せられて?と今になって思えてきた。これよりまだ古い1976年、フュージョン・ギタリストである高中正義が「SEYSELLES(セイシェル)」というアルバムを発表している。そのアルバムには彼の代表作ともいわれている「憧れのセイシェル諸島」が収録されている。ジャケットは鳥が舞う写真で、「バードアイランド特急」なんて曲もある。日本でセイシェルを垣間見える情報はこれらくらいだ。その、憧れのセイシェルにいる。街を歩きながら、それが今、この瞬間瞬間が実現しているこをかみ締めて歓んでいる。これまでいろんな外国に行ったが、セイシェルにいるということほどとても不思議な感覚はない。きっと、セイシェルには空にもひとにも魔法がかかるのだ。つづくみーり、今日でちょうど5ケ月に。お顔も手足も赤ちゃんらしくまんまるに。そして、この旅行記ときみが生まれたきっかけになる(笑)セイシェル旅行から母さん、父さんが家に帰ってきた日です。忘れもしない、築70年の木造家屋がリフォームされた我が家に。あの夏から1年、お姉ちゃんは中3に中1に、お兄ちゃんが小学2年になりました。みーり、ただいま4800g 実質はちょうど3ケ月目です。
2009年08月31日
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> ホテルを出ると、この島が元々はアフリカ大陸と地続きであったと納得できる景色を目の当たりにする。 南洋の雰囲気を醸し出す椰子の木が植生する砂浜から一歩奥に入るだけで、アフリカと紛うことない植物群生が広がる。 ジャングルだ。木々が鬱蒼と生い茂る様は日本の植生、群落とは異なるものの、いわゆる「鎮守の森」といえる。 森林の種類は大きく分けて元から存在する木々がある原生林、後に人が植木をして出来た人工林、一度は人の手によって緑が奪われたが、そのまま放置された為に再び木々が生えてきた二次林の三つに分かれるそうだ。日本では、別格の森林として二次林に含まれるのが鎮守の森。まだまだ日本人の生活には神道の文化・伝統が残っているので、開発の計画段階から除去されてきた傾向がある。鎮守の森は開発の手から安全な二次林として現在に至るまで保存され続けてきたが、過去百年ほどの間に、日本では急激に都市化が進み、地域の歴史的背景を重んじることなく開発し、たとえば道路を通すにしても、杜を守って迂回するより効率よくまっすぐ通すことのほうを大事にした。その場所を破壊すると地域にとって不幸なことが起こるという、タブーの発想もなくなってきている。鎮守の森の多くは水の湧き出す場所があり、出水など危険が発生する所でもあったが、そんなものはコンクリートで固めてしまえば問題ないと考えられ、自然現象に対する畏れの気持ちも薄れてしまって、すべては技術で押さえ込みができると錯覚しているようだ。「なぜそこに鎮守の森があるのか」ということをはじめとして、ひとつの地域を構成するもの、ひとつの風景を形作っていたもの、そのすべてに意味があったのに、それが忘れられようとしている。 森林との密接な関係を取り戻すこと――それは、林業に携わるひとたちだけの問題ではなく、森を元気な状態に保つには、木を利用する側のひとびと、あるいはその地域に暮らすひとびとが「森を守り育てる仕組み」に参加することが必要だと考えられている。インド洋の孤島で「鎮守の森」について再考など陳腐と思われるかもしれない。鎮守の森というと、特定の宗教と結びつくイメージがあるからだ。しかし、鎮守の森に対する本来の信仰心は、人の力の及ばないものへの畏れや崇拝というような、ひとにとって根源的なものであるはずだ。その意味では、ひとが身近な祈りの場としてきたすべての森が「鎮守の森」であるといってよい。ひとが作り上げた仕組みのなかで、特定の宗教の形や考え方が当てはめられたり、政治プロセスのなかに取り込まれていった経緯は否定できない。これは、洋の東西を問わずあることだ。しかし、だからといって本質、根源的ものの存在を見失ってしまってはいけない。セイシェルの森林は手付かずの自然がふんだんに残されている。乱開発とは無縁であり、また、政策的にリゾートは極力最小限に迎え、それでいて最大の産業である観光業とうまく融合させている。私たち訪問者にとって、高額な料金設定が玉に瑕ではあるが。うちからも、そとからも調和のとれた楽園。そういう意味においても、セイシェルは成功している。後から知ったことだが、メリィディアン・バルバロンあたり一体の森、ここはセイシェルの自然保護公園でもあるらしい。セイシェルは国土の30%以上が自然保護区で、手付かずの自然を大切にしている。木々の間から見える山の頂は観光パンフレットでよくみかけるタヒチの島々のような神々しさ。あちこちの山頂部の斜面が急激で頂が尖っている。息子なら即座にこう言うだろう。「ここ、恐竜おるんでないん?」 森を見渡しながらハニーに呟く。 「まるで、ジェラシック・パークの世界じゃな~」 「〇〇(息子)なら、『母さんここ恐竜おるんでないん?』とか言いそうね」「あ、自分もそうだった(笑)」 マヘ島は北部にセイシェル山(912m)、南部にハリソン山(688m)があり、さほど高山ではないが、平野部が少ないためかなり急斜角の山で高度感がある。マヘ島の面積は、セイシェル共和国の3分の1の国土を占める153平方キロメートル。人口はセイシェルの9割を占める約6万人、政治・経済・教育・観光などセイシェルの中心を担う。島は花崗岩質で出来ている。マヘ島は、かつては「アヴァンダンス島」と呼ばれていた。マヘの名前の由来は、1742年、フランスが送り込んだ探検隊のマヘ総督からきている。 ホテル前には海岸線に沿った一本道があるだけで、さすがのふたりでもこの島なら迷うことはないだろう。 通りにでるとすぐ椰子の葉で屋根を覆った小屋があり、そこがバス亭のようだ。ベンチがある。縦真っ二つに割られた椰子の木を大きな石の上に置いただけで安定感がない。真っ先に座ろうとしたハニーはとたんにずり落ちた。「あんた、漫才の下手なお約束やめてくれる。ああ、はずかし」私は小屋に佇んでいたひとを見やりながら言う。バス亭には先客がひとりだけいた。紺色の制服を着た背が高くて若い女性だ。セルシワ(セイシェル人)なのか外国人なのかわからないがキャビア・アテンダントだとすぐわかる。今のユー携帯の電波、届くのだろうか。ほどなくして、バスが来た。キャサリンが言っていた時間より約5分遅れで、これなら時間に正確とまでは言わないが許容範囲だ。バスの車体は丸みを帯び深い緑色で、タタ(TATA)というインド製の車だ。ハニーは乗り込む前に「ルート11か?」と運転手に確認していた。ドアは前から乗車し、3RS(3セイシェル・ルピー)支払う。バスは何処へ行くにも3RS。2008年8月のレートで1セイシェル・ルピーは約21円。運転手が手動で機械から出したレシートをハニーは受け取り、空いていた後部席に向かう。バスが出発する。窓から入ってきた風に煽られレシートは手から離れてしまい、運転席まで舞い戻っていった。ほぼ満員である。グラン・ダンス近辺に鉄塔がたくさん立つ発電所を通り過ぎ、すぐ右折し山道を行く。島の山間部を横断し、ヴィクトリアがある東海岸側へ向けて山道を登るのだ。つづくみーり、この記録と旅行記をはじめたけっかけ、なによあなたが生まれたきっかけとなるママとパパのセイシェル旅行が今日でちょうど1周年記念、みーりの本当の意味での誕生日でもあるよ(wおとつい、1ケ月遅れの4ケ月検診に、4600gに57センチ順調です。首もすわりました。もう寝返りんもするかな、ちょっとおすとしました。そう、寝返りも家でもはじめましおた。社会的微笑みもますますさかんでみんなのアイドルですね。
2009年08月23日
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ラ・ディーグの回想がすっかり長くなってしまった。話し戻って、バルバロンである。ホテルのロビーから間仕切りなく通じているラウンジにいる。昨日はホテルに到着して、ここに案内されチェックイン手続きをした。ラウンジのすぐそこがバルバロンの浜辺だ。しかもこの浜辺、いつも波がぎりぎりまで押し寄せてくる。ハニーに手続きを任せている間、「ホテルから歩いて0メートル」の形容にふさわしい浜辺にて、驚いていた。ほかでもない、波の荒さに、である。天気もそこそこ良いし、風もないのに。今日も同じである。ついさきほど、クレオール・トラベル出張営業所のキャサリンとの交渉で明日のラ・ディーグ島行きは決まった。本望ではなかった。キャサリンが言葉を発する度、驚かされた交渉だった。今日行くと決めていた日程も、飛行機で行くプランも、ことごとく覆された。そして驚くような料金にも。おまけに、翌日のセント・アン島とヴィクトリア市内観光もボツになってしまった。今度は、陽も高くなった今、本日の予定外の観光の段取りをしている最中である。今日の段取りを今日するのはなんとも間が悪い。悪すぎる。今頃はラ・ディーグ島へ行く経由地であるプララン島にいるはずなのに。悔やんでも悔やみきれない。どれもこれも、クレオール・トラベルのせいだ。 いや、本当は自分のせいだけど・・・・・。私はただ、悔やみながらこの海辺のカフェテリアのソファに座りこんだまま。深くソファに座りこんで、天井を見上げる。「なるほど」スターウッド・ホテル&リゾートのHPで見た、メリィディアン・バルバロンの建物が「船を模した」と表現されている理由がようやく判明した。天井の屋根が船の形をしているのだ。船の形――――。旅行の最終日、ドバイのグランド・ハイアットの広大なロビーにはアラブ独特のダウ船の大きな模型が4基も吊るされていた。天井を見上げていて首が疲れた。今度は足元を見やる。すると、なるべくなら気に障りたくない物に自然と目がゆく。シュノーケルセットだ。ロビーから呼び出しがあり、慌てて部屋を出てくるときでも、しっかり忘れずに持ってきた。今日、ラ・ディーグ島で使うつもりで・・・・・・・。ため息がこぼれた。もちろん、ため息の原因は足元に置いてあるシュノーケリングセットだ。この大きなカバン、ラ・ディーグに行けないのなら、ただの不用品。おまけに目の前のバルバロンの大波。とても違和感を醸し出している。ついでに言うと、デジカメなんか水深10メートル対応可能なオリンパスの防水モデルを購入していた。でも、カメラが10メートル潜れたとして、それを扱う人間が1メートルとて潜れないんですけどね。お使いに出していたハニーがキャサリンのデスクから帰ってきた。「あ~~あ、こんなもの持ってくるんでなかったなぁ~」「え?持ってくるんがどうこうよりも、何しに来たん?」「・・・・・・・・・・・・・・・・・」昨日、今日とクレオール・トラベルの「刺客」相手に交渉したときよりも気が滅入る。何もする気が起きないくらい、グッタリである。それよりも、だ。「あれ?で?ラウネーまでのタクシーは結局どうなったん?」「あ、忘れとった。もう何べんも何べんも私ばっかり行かして。用があるんなら自分で行ってよね!」「今日の用は大いにあるけど、ワシはキャサリンに用はない!」「変なの!」そう言いながらも、案外嬉しそうにキャサリンのデスクへまた舞い戻りだ。「旅行の計画にも準備も何にも参画してなかったからなぁ~」私は独り言をつぶやく。ハニーはぎりぎりまで「何処に行くのか」知らなかった。そして、とくに関心をもって尋ねてもこなかった。新婚旅行のエジプト、ギリシアの計画も私一人で決めた。翌年の妊婦になったハニーに「もう当分海外には行けないから」と拝み倒して出かけたロタ島もぎりぎりまで教えなかったし、聞かれもしなかった。「セイシェルとドバイに行く」ことは、出発1ケ月前に発行された市P連広報誌の自己紹介文を、しかも自分が勤める職場のひとに聞かされて、だった(笑)。「小学校がいる子の保護者にセイシェルって何処って?聞かれたんよ!セイシェルってどこよ?」「自分で調べや~」で、彼女はとくに関心もって調べようともしない。リフォームしたてのほやほやのトイレのドアに貼ってある世界地図に丸印をつけて、息子に教えた。伝言ゲームだ(笑)。彼女はいつだって「海外旅行に行く気運」が高まらないままだ(笑)。「私、普通のとこがいいのに!」「おまえなぁ~・・・・・。普通ってどういう意味よ?」「ロンドンとかイタリアとかよ!」「なんでそれが普通なん(笑)」「みんな、行ってるし!」「みんな行ってるとこなんか全然おもしろうないわ!それにワシはそんなん学生時代に行ってもう十分!」「私は行ってないもん!」「そんなら・・・・・定年退職してから、ポルトガルぐらいなら手打つぞ?」「それの、どこが普通よ・・・・・」あんまり気が乗らない彼女、旅行中の彼女の服選びまで私がした。逆に今は全然気が乗らないのは私だ。とくにもうキャサリンの顔は見たくない。そういえば、謎の刺客?本日来るはずだったマリエルの顔は見ぬままだ。そのとき、気づいたことがある。昨日、セイシェル空港では、ナディアが書き記した「マリエル」ではなく「キャサリン」がここへ来たことを。ナディアは、私といちいち会話が通じないことをひどく罵り、嘆いていた。だから、派遣者を「マリエル」とサインしたものの、「あまりにも英会話ができない外国人」に対応するため、別のベテランと差し替えたのではないかと。本日の段取りは専らハニーにまかせ、バルバロンの波を眺め続けながら待ちぼうけ、である。バーで地元ビール、セイブリューでも頼もうかな。面倒くさいから、やっぱ、それもハニーにさせよっと。あ~~、しかし暇、である。ガイドブックにも書いてある「観賞用のビーチって」、そもそもなによ?11時間と4時間のフライトと、少々のトラブルと、半年がかりの入念な?計画が藻屑の泡である。「波がドンブリコ、ドンブリコを見るだけで、わざわざこんなとこまで来んわ」またもや独り言で愚痴をこぼす。日本人はおろか東洋人とも皆目出会わない島ならでは、か。ヨーロッパ人は大挙おしかける島ではあるが、彼らは個人主義が染み付いている。従って、誰の目を気にせず過ごせる。そういう点では優れたリゾートであることは間違いない。松田聖子の「セイシェルの夕陽」が収録されているアルバムには「メディテーション(瞑想)」という曲もあったっけ。松田聖子のなかでも「ブリュージュの瞳」と同じく好きだった曲のひとつだ。セイシェルはメディテーションにはぴったりかもしれない。それはそうと、さっきから気になるこの読書男何よ?まだ、海に背を向けて薄暗いロビーで読書に耽っている。セイシェルまで来てほんとうに読書三昧なのかしら?やあ、ハニーが戻ってきた。今朝は何度往復したことでしょう、意外と根気強いものだ。しかし、もっと感心するのはキャサリンだ。よくもまぁおつきあいしていただいていること。「タクシーはユーロ払いで、4000円くらい言よったよ」「ほうけ、そんなら行こか!」「どこへ?」「まずは、バス亭まで(笑)。今からビクトリアへ行くぞ。午後からラウネーじゃ」「私、もう疲れたわ~」「ハイハイ、ご苦労さん♪それより、あのひとすごないか?さっきからずっと本ばっかり読みよる」「外国人って、リゾートではだいたいそうじゃん。ビーチでず~っと寝そべって、とか」「いや、それもあるけど。海に背向けとるだろ?無意識に周りの景色とかも楽しんだりせんか?」「そういう主義なんぢゃないん?」「わざわざ、ここまで来て?」「そう、ここまで来てよ」「遠い遠いセイシェルまで来て、か?」「そうよ、わざわざ来る、のがえんじゃない」「えらい高くつく本代でないか?」「知らんよ、本代なんか」つづくみーり 4200g 寝返りもう一歩 一日のリズムがつきだしました首もだいぶすわりはじめ ママの実家でお盆をすごしましたおめめが大きいとみんなのアイドル 今日はお旅行用のミニーのベビーカー買ったよ
2009年08月16日
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そして、ラ・ディーグ島の長いようで短い1日のあっけない終焉だった。生ぬるいどころか熱燗のようなビールをグビリと飲みつつ、すでにカチカチに固くなっていたフランスパンを食いちぎり、足元を見やる。ため息がこぼれた。ため息の原因は足元に置いてあるシュノーケリングセットだ。この大きなカバン、観賞用のビーチにあって、ただの不用品。とても違和感を醸し出している。「こんなもの持ってくるんでなかったなぁ~」「ほかにはできるところないん?新しく買うたデジカメなんか10メートル水深いけるやつよ」「あのなぁ~、カメラは潜れても人間はそんなに潜れんわ、それにできるとこがあったとしても、もう帰る時間なのじゃ」「え?持ってくるんがどうこうより、いったい何しに来たん?」「はい?・・・・・・・・・・・・・・・・・」チェッ、反論する気もないわ。いつだって、おまかせお気軽な旅、のくせに。と、いうか、今と同じような会話、つい最近もしたばっかりのような・・・・・・・・。フラッシュバックだろうか?年で呆けてきたのだろうか?それにしても、シュノーケルセットという名の如何わしい記号物。「こんなもの持ってくるんでなかったなぁ~」のはホテルの部屋からではなく、そもそも日本からか。とうとう、グラン・ダンスを離れる時間がやってきた。もと来た道、自転車を漕いで帰ることにしよう。ラ・ディーグ島から帰りのボートに乗り遅れたら大変なことになる。なんとか、その次の便で(それがおそらく最終便であろう)プララン島までは行き着くことはできよう。しかし、プララン島からのボートがあるかどうかは不確実だ。ましてや、当日航空券など求めるのは不可能に近い。明日は早朝、マヘ島を離れなければならないのである。そういう思いがグラン・ダンスにいながらずっと脳裏にちらついていた。ペダルを踏み込む力が入る。グラン・ダンスの海辺から真っ直ぐ延びる坂を登りきると、今度は港がある海岸線側までほぼ下り坂だ。まずは、この登り坂を一度も自転車から降りずに昇りきろうと試みた。不慣れなマウンテンバイクのギアの切り替えもようやく慣れてきたことだし。サドルから尻を離し筋肉が伸びきるのを感じながらペダルをこぐ。コンクリート舗装してある道なので急な傾斜ながらも案外いけそうだ。―もうすぐ、もうすぐやん、意外にまだやれるわ、あたし―もうちょっとで峠の頂点というところで、障害物に塞がれた。自転車を押して先をとぼとぼ歩いていたハニーが急によろけてきて、私にぶつかってきてたのだ。私の果敢なチャレンジはあっけなく終焉した。「あのなぁ!」私の「もうちょっとだったのに」は、いつも「敵は味方にあり」だ。むなしさだけが残って、下り坂を行く。行きは気づかなかったのだが、グラン・ダンスに向けた最後の登り坂、この道沿いに所々に民家がある。そして民家の数軒が即席のジュース屋を店開きしていた。男が木立に紛れるように立っている。炎天下のなか、テントも傘も立てず、道沿いの庭先に机を置いて客待ちである。時折通る自転車の保養客をただひたすら待ち続けるのだろう。どの店の机にも色とりどりのフルーツが並べられている。マンゴー、パパイヤ、バナナなどの島特産というか、おそらく自家製であろう南洋フルーツだ。それを小型の自家発電機、若しくは家からケーブルを引き電気ミキサーにかけて氷とともに生ジュースにする。そのなかのある一軒で、ハニーが立ち止まる。ちょうど老夫婦がジュースを買い求めている。先客がいるから安心したのだろう。グラン・ダンスに着いてはじめて「水を持ってこなかった」と平気でのたまうハニー。昨日のビィクトリア市内観光時でも同じだったので、あきれ返るにもほどがある。彼女が物欲しそうにこちらを振り返り、そして押し付けがましい口調で言う。「喉、渇いただろ?」「喉渇いただろ?でないだろ?私、喉か渇いた、だろ!ワシはいらんよ。あんたそもそもユーロ持ってるんか?これも観光商売じゃけん、たぶんルピーはいらん言われるで」「ちょっと聞いてみる」私と同じく英語もフランス語もまったくできないハニーはよくもまぁ、いつも「聞いてみる」という気になれるものだと感心してしまう。そもそもどうやって聞くのだろうか? ハニーは自転車を停め、道から一段下がった敷地へ降りていく。アジアの血がやや濃いのであろうと見受けられるセルシワが夫婦でやっている。先客は、今か今かとフレッシュなジュースが出来上がるの待っている。道から見下ろしてハニーを観察していると、彼女はジュースミキサーを指し、今度は財布から自分手のひらに並べていたコインを指差している。男から何か返答され、私のほうへ振り返る。「ルピーでもええって。25ルピーって言いよるよ」「え?安いわ!ほんならふたつ」「ルピーは8しかないけん、二人分だと1ドルと8ルピーだって」「なんちゅう、計算じゃ(笑)」だが、小さな笑いもここまで。ハニーの勘任せで選んだ店がまずかった。何故なら、鈍い音を立てていたミキサーが止まってしまったのだ。原因は電気の供給が不足というよりも、ミキサーのほうがオンボロで壊れたようだ。店側の夫は茶目っ気たっぷりに手を挙げ、老夫婦に、どう見ても作りかけのドロドロした液体をグラスに移し手渡したのだが、氷の氷解が上手くいってないので、一口含んだ腹の出た客側の夫は「ウッ」と吐き出してしまった。「これりゃ、飲めないよ」とグラスを突っ返す。作り直しである。「なんで、行列でもない店先で、こんなに待たされなないかんのぞっ!」「まぁまぁ、そう言わんと。ジュース飲んだらすっきりするよ」「すっきりする前にイライラ爆発じゃわっ!」そのスッキリするはずのジュースだが、店の妻が家の冷蔵庫からもってきた氷を無理やり音のでない心細いミキサーにかけ、氷解というよりは攪乱したのみ。でも、ここで折り合わなければならいようだ。2組のカップルに渡されたジュースは、やっぱりドロドロジュースでしかありえなかったが。わずかに氷が浮かんでいたが、生ぬるく生臭くてお愛想にすらならず、半分以上残してハニーにあげた。「よけい喉渇いたけど?」「え?そう?美味しいやん」「その、美味しいという感覚がわからんわっい!じゃけん、料理もろくに、全然できんのじゃ!」「できんのでないもん♪させてもらえんもん♪」「いつまでたっても遅い、まずい、とろい、3拍子揃うとるんじゃけん、無理だろわっ!」ラ・ディーグくんだりまで来て、いつもの夫婦喧嘩である。でも、いつもこの手の話はいろんな場面でネタにさせてもらっている。似合いもせず7年間も奉仕してきたPTA活動。会長職を引く総会時、保護者の前での最後の挨拶もこのネタを使わせもらった。「―――私は家族の3食の食事を整えています。自分の弁当も10年間作り続け、子ども3人の幼稚園の弁当も一回足りとも欠かさず作ってきました。息子のときなどは、キャクター弁当、いわゆるキャラ弁に懲りに懲りまして。でもあるとき、園の先生がこんなメモを弁当袋にはさんでいました。「いつも楽しいお弁当ありがとうごございます。でもお子さん食べにくそうです。普通のおにぎりにしてもらえませんか?」(会場爆笑)また、あるときは私の母親が公民館での行事の折、園長からこう言われたそうです。「お父さんのお弁当もたまにはいいけど、やっぱり大事なのは母親の愛情よ」私は色々な意味でガッカリしています。昨年は築70年にもなる木造家屋を無謀にもリフォームしたし、夫婦で無謀にもバカンス、セイシェル旅行をしたし、何かと家計が火の車とういう理由もあります。それに、ハニーは技術職です。せっかくの職業をできるだけ長く生きがいとして欲しいし、少しでも地域福祉の増進に努めて欲しい願いもあります。彼女の名誉のため申しますが料理ができないわけではありません。たまに日曜日作らせてみると、高い材料台でおおざっぱで豪快な男料理作ってくれたりします。やはり私がしたほうが安く安全安心・健康的に手間隙かからずとも手の込んだ見た目も綺麗で美味しいものが作れます。ここで、私の論調を知っている参加状況のよいひとや思慮深い賢明なひとは自慢話をしているのではなく、のろけ話をしているのだと気づくはずです。おいしいものを作ってもらって食べるよりも、愛おしい大切におもっているひとにおしいと言って食べてもらうほうが私は幸せです―――」自分が一番楽しんでいるのはもちろんのことだ。自転車は港がある西海岸まではあとは降るだけ。野外ジュース屋にて、思わぬロスをしてしまい焦ったが、案外早く港に着いた。「早っ、15時には着けたな」しかし、待てども船は来ない。港に人気もない。かなり焦った。キャサリンは「15時30分港に」と書いてあったのに、帰りの船は17時30分だった。グラン・ダンスと同じ所用2時間、港でふたりボーーーーーッとして過ごした――――。つづくみーり、誕生からちょうど4ケ月が過ぎました。身長は54センチ、体重3800g台、まだまだこれからです。長い梅雨からいよいよ夏本番のよう、体調にみんなで気をつけていきたいです。
2009年08月02日
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「え?大きな波の音?」 ということは、どうやらここがグラン・ダンス。ハニーもちゃんとついて来た。アンス・スール・ジャルダン側から一山越えて、こちらの海岸までたったの20分。拍子抜けである。 山を下りきり、ジャングルを抜け、視界に広がった光景は、波飛沫。相変わらずセイシェルのドンブラッコの波なのだ。 「―――峠を越えたら一転してビーチまでずーっと下り坂。ひゃぁ~、風が気持ちいいぃーー。でもうっかりしてるとものすごいスピードが出るので注意しよう。と言ってる間にも、こどもたちの姿はあっと言う間に見えなくなった。坂を下ると道は未舗装になり、その先にビーチが見えてくる。汗をいっぱいかいて到達したビーチは、この世のものとは思えないほど鮮やかな色で煌めいていた―――」(同じく『それ行け!子連れ海外旅行』より) いちいち、文章が描く情景と現実の光景が異なるのだ。気象、気候、時期、いろんな条件が重なって海が表情を変えるのは理解できる。しかし、お天気がよく、風もたいし吹いてないのに、こうも異なるものなのかと、絶句であり、がっかりである。決定的に何が異なるのですか?誰にでもいいから食ってかかりたい気分だ、滅入る。私たちは、その「ただ観賞用」グラン・ダンスの海岸線をトボトボ歩き、背の高い椰子の木が立つわずかな影の下に、息子の遠足リュックから拝借してきたケロケロケロッピのシートを広げ、座り込んだ。遊泳禁止のビーチではあるが、観光客若しくは保養客らしき外国人数人が高い波に体を当てて、戯れていた。なんだか、自虐的な遊びに見えた。少しだけ真似してみたけど。そして、さらに進化させて、波に逆らわず軽く浮かすように身を預けて、波の勢いで波打ち際まで遊泳だ。人間サーフボードなのだ。案外、面白くってはまった(笑)。グラン・ダンスは「世界有数のホワイトビーチとしても名高く、訪れた人のみ知るひとぞ知るビーチ」、らしい。セイシェルから帰国してしばらく、本屋で見つけた「世界のビーチ&リゾート(地球の歩き方MOMOK)ダイヤモンド社」にもグラン・ダンスは美しいカラー写真とともに大きく紹介されていた。でも、実際は強調するほどの「純白の!」「サンドビーチ!」・・・・・ではない気がする。サンゴや花崗岩が粉砕した砂浜だから、目を凝らせばどちらかというとピンクがかっている。砂をかき集め、飲み物とは別に持参していた空のペットボトルに入れてお土産として持ち帰った。いまでも、お宝部屋(他人によればガラクタ部屋)にて、各国のお土産・調達品のお仲間入りしている。やっぱり白ではなく、黄土がかったただの砂色だ。というか、海水もかなり混じったままだったので、腐りかけているのか底のほうから黒く変色している。憧れ恋焦がれたラ・ディークに来て、期待はずれも大きく、ケチばかりつけているな。 太陽がちょうど真上にあるため椰子の木陰は短く暑い日ざしがさす。空は、太陽の光が反射してどす黒い群青色をしている。 再び、イルカさん著のグラン・ダンス。「―――グラン・ダンスの光グラン・ダンスは両側を屏風状の岩山に囲まれたビーチ。岩山の陰から、ジュラ紀の恐竜がぬぅ~と顔を出しても違和感を感じない雰囲気が漂っている。砂浜はかなり広くのんびりリラックスするには最高の場所だろう。グラン・ダンスがセイシェルで一番美しいビーチと言われている由縁は、その海の色。ソーダ水をとかしたような水の色は、始めて見た時は言葉を失うくらい鮮烈だった。どうしてこんな神がかった色になるのかわからないが、この地球上でのセイシェルの位置が、ここにしかない光の屈折率を生み出しているのではないだろうか?―――」この文章をあらためて読み返してみて、はたと思い出したことがある。やり残してきたことがあったのだ。「恐竜をモデルにしてグラン・ダンスの風景を撮ろう」一体の恐竜フィギアをセイシェル旅行に同行していた。あれだけ暇だったグラン・ダンスで、それをすっかり忘れてしまっていていた。私は、息子と共同所有でうなるほどの恐竜フィギアを持っている。共同所有と言ってもそれはハニーへの口実で、3年かけて一気加勢に大人買いしてきた私が、「例のお宝部屋」にて保管している。 ここ2、3年の間、息子が熱中していたテレビやゲームの「古代王者・恐竜キング」と、私が幼い頃から好きな「動物フィギア」収集癖が講じた相乗効果で、あらゆる科学館、おもちゃ屋、楽天ショップにまで食指を伸ばし、恐竜フィギアだらけなのある。 その数、ざっと300体。 だが、「恐竜博士」をめざしていたはずの幼稚園年長の息子は、「恐竜キング」のテレビ放映が終わったとたん、「ウルトラマン怪獣バトル」に目移りしてしまった(笑)。しめしめ、である。完全に私のひとり占めに移行である。その、数ある恐竜のフィギアのコレクションのなかから、セイシェル行きに厳選された栄えある一体、それは、「卵から生まれてこようとするティラノサウルスの赤ちゃん」であった。「セイシェルで赤ちゃん」私の心のなかで、今回の旅行のキーワードでもある。あくまでも願掛けではなく(笑)、ひっかけ、洒落のつもりなのですがね(笑)。これをリュックに入れてラ・ディーグに持参していた。しかし、リュックに入れたままで、すっかりそれを忘れてしまっていたのだ。リュックから取り出したのは、先ほどスーパーマーケットで買ったハイネケン3本と紙に包まれたスライスしたフランスパンのサンドイッチである。正午もまわっていることだし、昼食タイムだ。グラン・ダンスには山道を降りる一本道の海岸への突き当たりに一軒だけレストランがある。実は、とあるサイトで見つけてそこで食事をとることも、出国前検討していた。「――ついた先にちょうどレストランもあり、御飯を食べた。バイキング形式?なのか好きなものは好きなだけとった。(魚・ポーク・チキン・カレー・豆のスープ・トマトの味の野菜・ヤキソバ・米・パン・サラダ)などがあった。夜、おいしく食べたいから控えめに食べた(適量だったけど)カレーまじ絶品、具がたくさん入ってて、米もくさくないし全体的味がおいしかったよ。(でも値段は$55とちょっと高め。ここは食事もおいしいけど、生絞りマンゴージュースが絶品だった。)――」とても上手な文章とは言えないけれど(笑)、旨さはストレートに伝わってくる。でも、55ドルとは恐れ入った。それはあんまりである(実はメリィデイアンの夕食ビュッフェの代金とほぼ同額!)。銀座や丸の内辺りでさえ、そこそこのフレンチコースが食べられるほどの値段で、カレーや焼きそばのバイキングはないだろう。でも、ラ・ディーグで食事時間を勘案すれば、選択肢は限られる。そこで、昨夜、ホテルのビュッフェで無理やりサンドイッチを作り、テイクアウトすることにしていた。このサンドイッチが特筆ものである。メリディアン・バルバロイの夕食のビュッフェは毎晩趣向をこらしてテーマが変わっている。それはいいのだが、昨晩は「インド」がテーマだった。大好きなカレーが大皿に30種以上、色々並ぶのはよいのだが、明日のサイドイッチに関していえば、パンに挟む具材を探すのには一苦労した。汁気のないものをと、らっきょうのようなピクルス系をひとつ選んだのだが、これがいざ口にしてみると大ハズレで、臭くて苦くてとても食えたシロモノでない。他のサンドイッチ用に選んだ具も、未知との遭遇な味がした。「旅の失敗のダメ出し」のような気分にさせられる大失敗だった。これらの特製サンドウイッチを食べるというより無理やり口に押し込め、生ぬるく泡だらけに化したハイネケンを飲んだ。 ハニーはといえば、食欲があまりないようでサインドイッチを一切れくらい食べただけで、椰子の木の木陰で寝そべっていた。瞬く間に白い肌の背中が真っ赤に日焼けしていた。しょせん椰子の葉の影である(笑)。ふたりがそれぞれグラン・ダンスですることはこのあたりでおしまい、だ。これが、グラン・ダンスでの約2時間の思い出だ。つづくみーり、生後3ケ月がすぎようとしてるよ。実質はまだまだ2ケ月ぐらいのつもりで。体重は横ばいがつづいて3800gです。身長は57センチで高いほうかな?あやすと笑顔、社会的ほほ笑みがみられるようになってきたよ。お兄ちゃんに一番よい笑顔をしてるかな?おにいちゃんやさいしもんね。
2009年07月25日
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そんなこんなで、ここでも思わぬ時間を要した。ひとりで先にスーパーマーケットを出る。鍵がついてないので、島内で唯一の足であるレンタル自転車がちゃんとあるかどうかも心配だ。それに、シュノーケルセットのカバンを自転車の後ろの籠に入れっぱなしのままだったはず。背中のリュックサックに入る余地がない、シュノーケリングセットのカバンがやけに重くて邪魔くさい。そのカバンが籠のなかに・・・・・・・。「ない!!」 こんな素朴な小さな島でこそ泥か?・・・・・・・ありえるな。気が動転し、焦りまくり、落ち込み、がっかりして、気力が失せたところで、ハニーを呼びに店に戻ると、入口の棚にあった。置きっぱなしのままにしてたのを彼女が店内に持ち込んであったのだ。大いに安堵である。ビバ!ハニーに感謝だわ。私の心はいつだってコロコロと忙しい・・・・・。そして、咄嗟の判断は大抵が間違えだらけだ。 スーパーマーケットを後にして、海岸線を走る。小さな造船所があった。木製の漁船らしき船を数人の男たちで手造りだ。造船所の側にはヘリポートがあり、マヘ島とラ・ディーグ島を結ぶヘリコプターがまさに飛び立とうとしている姿を見ることができた。はやくもお昼近くになる。澄んだ美しい音色の歌声が風に乗って届いてきた。――昨日、マヘ島のヴィクトリアの植物園での光景と同じように――教会から賛美歌が聞こえてきたと思っていたら、そこはラ・ディーグ島唯一の学校だった。学校の塀に沿って自転車を走らせ正門の前に行くと、校庭のような運動場で小さな子どもたちが歓声をあげて、元気に楽しそうにかけっこをしていた。子どもたちの歓声や元気に動きまわる姿。いつでもどこにあっても見続けなければならない光景がここにもある。いつもどこでも守らなければならない夢そのものがある。私たちはこれらの「夢」を信じて今日を生きているのだ。とくに私は、そんな想いをますます強くして今を生きている。自分(たち)は、ちっとも成長できないでいるのに。そして、ふたりの旅路の出発の地であるエジプト・ギリシアの旅から15年。15年経ても、ちっとも成長していないヘンテココンビな私たちに、セイシェルで新たな「夢」を授かることになる。「夢」とは、「君」のことだ。そう、「君」が、私、私たちの夢、そのものだ。〇〇〇へ――――。君は、これからの長い人生の旅路のなかで「あなたの夢はなに?」と聞かれることが一度や2度はあるかと思います。「私の、僕の、夢はこんな夢」と言えるひともいるでしょう。なかには、「私は夢に向かってこんな目標を立てている。こんな努力をしている」というひともいるかもしれません。でも大抵は、「まだ先のことはわからない。今は夢ってとくにない」というひとが周りには多いことでしょう。きっと、君もそうだと思います。でも、今、私は夢についてこんなことを考えます。夢ってたしかに難しい。でも、夢という言葉を大切なもの・愛しい・希望・ひと・そして逆にはかないもの・失いやすいもの、こんな言葉に置き換えてみると、夢というのは決して将来や未来のことだけではないように考えるのです。夢とは君やまわりのひとが、いつか何かになることや、何かを成し遂げることや、自分が何かに変わることだけではないのです。君が生きている、生き抜いていこうとしている今も、まさに夢そのものなのです。そして、私たちにとって夢とは今の、あるがままの君のことです。私たちそのものが夢だと思うのです。どうかあなたも、あなたのまわりのひとたちが夢の塊で、夢そのものでありつづけてください。君と出会えて嬉しい。とても嬉しい父さんは、そして、苦労に苦労したか母さんはもっと―――――。―――――テンヤワンヤのなかのマヘ島、初日。テンヤワンヤでありながらも、なんとかセイシェル初の夜の帳が下りてきた。お風呂に入り、たくさんお酒を飲んで、ちょっとお話をして。あとは、眠たくなる、一歩手前、を待つばかり――――。「眠たくなるまでは待てないし・・・・・・・・」――――――――――――。「ちょっと!ちょっと!今何したん?もしものことがあったらどうするんよ!」「え?あほか、そのもしも?のために!遠いセイシェル、わざわざここまできたんだろ」「はぁ??なに言いよるんよ!意味わかっとん、あんた!?」「明日は『二人だけの恋人岩!』のアンス・スール・ジャルダンに行くんぞ。綺麗な響きだろわ~」「ますます、さっぱり意味わからん・・・・・・・」果たして、私の「夢」はいかに―――――。 そして、夢にまでみたアンス・スール・ジャルダン。そこは、信じられない光景だった。「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」何が、遠浅の、透き通るような、ビーチで、シュノーケル、や!「波が涙がドンブラコやん!」セイシェルがこんなに荒波だとは想像つかなかった。しかも、おまけにどうやら満ち潮らしい。純白のビーチと謳われる浜辺はなく、海びたし?である。これも情報をきちんと掴んでいなかったことが原因である。あのドンブリコッコ、ドンブラコッコの波である。おまけに海岸のそこら中にウジャウジャ花崗岩が乱立しているのである。ふつうの海水浴すら無理なのだ。「このシュノーケルセット捨てて帰ろか?」先ほど、スーパーマーケットで自分勝手に涙の再会を果たしたはずなのに、いともあっさり、である。「なんで、もったいないやん!まだ一回も使ってないのに!また使えるだろ?」「使うってどこでよ?」 そうなのである。 このシュノーケルセット、まだ一度も使ってないのである。実は2号さんである。1号さんは、この夏、「買い物女王」ならぬ「買い方女王」ハニーが「安かったから」と、ジャスコで購入。近県の「一の宮海水浴場」で初デビューだったのに、二女が持ち帰り忘れ、一回きりで見事に永遠のお別れ。つまりは、結果的に高い買い物だったわけ。そこで、今度は私が、「セイシェルでシュノーケル」を自らの合言葉に、出発2週間前、「楽天市場」のネットオークションで検索し、即決値段で購入、3800円なり。その商品の送料が580円。結果的に高い買い物だったわけ。そして、ご大層にもスーツケースの4分の1の面積を占めパッキングに苦労しながら運んばれた期待のシュノーケル君。結局、セイシェルで一回だけ使うことが適った。結果、本当に高い買い物であった。そのシュノーケルセット、出国1ケ月前に完成した苦労に苦労重ねリフォームされた我が家の納戸にこれまた大層な面積を占め、威張るように鎮座している。さて、アンス・スール・ジャルダン―――岩から岩を渡ることもままならず、浜辺を迂回して進むこともできず、10分歩けば行き止まりになり、仕方なく来た道を折り返し、わずか30分の滞在となった。「なにが恋人岩やんな。だ~れも岩陰に佇むことすらできんわ。この波では」来た海岸線を戻り始めた波打ち際、誰かがハート型をした小さな花崗岩に沿って、砂地に打ち上げられた珊瑚石をかき集めてハート型を模っていた。そのハートのなかに、ハニーの名前のイニシャルを、これまた珊瑚石で作ってみた。直ぐに誰かに、イニシャルは変えられるのだろうな(笑)。 想像と全く違った「恋人岩」、残念無念であるが、グラン・ダンスへ急ぐことにした。ココナツパームやエマニエル婦人の別荘(映画の撮影場所、実は、セイシェル歴代大統領のセカンドハウス)やゾウガメ公園もそこそこで自転車を走らす。海から離れ、少し内陸部行くと、そこはもうジャングル。海外旅行の記憶を辿ると、7年前に遡る。中央アフリカ、カメルーンの熱帯性雨林と紛うことなき、これぞアフリカ!の風景が広がる。人気サイトが本にまでなった、イルカさん著『それ行け!子連れ海外旅行』(主婦の友社)「セイシェル子連れ旅行記」ラ・ディーグ島編にはこう紹介されている。「―――セイシェルで一番美しいと評判のビーチ、グラン・ダンスへは、島の南東に横たわる山を越えていき、この山越えロードを一度も自転車から降りずに漕いで登り切るのは、かなりの重労働だ。坂のこう配は、見た目にはそれほどきつくないが、左右にくねくねカーブしながら登ってゆく道がクセモノ。あの角を曲がったら峠だろう、と期待して自転車を漕ぐが、そこまで登るとその先にもまた同じように曲がりくねった坂道が続いてがっかりするのだ。も~限界、と途中から自転車をおりて押しながら登ることになる。道のまわりはうっそうと繁るジャングル。民家などはなく通行人もいなければ車も走っていない。ただ薄暗い森のそこかしこから、鳥や虫たちの不思議な鳴き声が響いてくるだけ。最後まで漕ぎ続けていたカイも、ついに観念して自転車を降りる。でも、そこからほんの少し登ったところが坂道のピーク、つまり峠のてっぺんだったので「あ~、あともうちょっとだったのに!」とくやしがる。フッフッフ、人生とはそんなもんだよ。あきらめが肝心と言うが、むしろあきらめどころを見極めることが重要だ。さっさと見切って省エネするか、行くならとことん最後まで行くか。まあもっともあきらめずにがんばった過程にこそ、大切な要素があると言えばそうですが―――」著者によると、「自転車で片道約40分」とあった。世界中を連れ回される、あ、いや、世界中を飛び回る、元気の塊のような子どもたちが漕ぐ自転車で、である。ハニーという、色んな意味での「重荷」と一緒だと倍とまではいわないが1時間と計算していた。なんとか1時間で着きたいと自転車を漕いでいくのだが、山に向う小さな峠をひとつ越えると、大きな波の音。 つづくみーり、3ケ月に突入。体重は約20g/日で3400g、順調です。7月10日に検診に、次は9月でいいそうです。手足バタバタ、なんごもわずかだけどはじまりました、微笑みも。かわいい!手足はかなり強いです。首すわりほかは、「まだ5月生まれくらいに考えて」とお医者さん。
2009年07月12日
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「ちょっとトイレ探してくる」――――。旅のなかで、脂汗をかく、誰も知りえない、わけありの、自分だけの、「小旅行」はつきものだ。私にだって数々の失敗・・・・・思い出がある・・・・・・・。ちょっと回想モードスイッチオンである。―――――フンッだっ♪シアワセ運ぶ、不運の旅のフンだっ! 寒い冬だと、おなげきの皆様。[まるくん’s HOUSE MUSIC CLUB]へ今宵もようこそ!カモナベイビィ~~、ココロの隙間風邪を埋めようぜっ!♪ズンチャ、スッチャカ、ズンチャチャ♪アタシ、唐突ですが、寒い風吹いても足痛くならない(笑)、体質上の問題ありますの。コレステロールも「食いしん坊」のリンク見てのとおり、全国あまたの、さんざ煌めくフランス、イタリア料理、とんかつ屋、洋食めぐり、ばかりざましょ?「お見合いプロフ」にあるとおり銀座でプロレスラーのおじさまと飲み比べしても負けない体質でしょ?でもね、・・・たぶん「風が吹けば桶屋が儲かる病」(ちょっと違いまして?)にはならないんですの。それはね・・・・・。【尿が妙に近いんですの。】これ、禅問答じゃなくってよ。それは♪マドリッドの夜でした。ちょっくら数軒、セルベッテリア(ビヤー飲むところね♪)寄っただけ、嗚呼なんども梯子。もぅひとつの梯子はお手洗い。マヨール広場でセレナーデに乗ってナンパして、向うはプラザ前のディスコ、夜道にがまんできず、ちょっと彼女待たせて駆け出し、塀にする。そこは暗闇安心のはずが、市庁舎前。ジャァーーーー♪の音に慌てて駆けつけてきた門衛につるし上げられる・・・・・・。それは♪ピサからの「太陽の道」高速道路でフィレンツェへ向う路線バスでした。お昼にキャンティ5本ばかし飲みました。ひとりで。え?当たり前けど、何度も何度も店で放出。店をでてからも「ピサの斜塔」見ることすらなくトイレ見学。でも、ついにバスでもバス・ストップ♪高速道路の路肩、窓から日本人、ドイツ人、スエーデン人のフラッシュたくさん。写真入りの年賀状、25の春~~~。放出あるなら、フンもある♪それは♪チューリヒ駅の構内でした。バーで朝から生ハムサンドにラム酒。プラットホームで突然変異。慌てるも、駅にトイレの表示なし。始発の汽車に乗り込んで、安堵のため息一つ、汽笛が二つ。動いた汽車は向う予定のインターラーケン、ではなくて、反対方向ルツエルン向います。車掌に問えば、特急ノン・ストップ・・・・・・。それは♪白馬岳の登山口でした。猿倉から勇ましく雪渓めざします。で、突然、糸魚川あたりで飲みダメしたウイスキーとおにぎり、カップラーメン、で突然変異。慌ててポーチ持って茂みへゴー。紙拭き、リュックのなかでしたぁ・・・・・・・。機転利かせて木立の葉っぱ。なんと、それはハゼでした。悶絶する白馬の夜。ゆえに、深夜、校歌叫ぶ慶応ボーイと大ゲンカ(笑)それは♪フランクフルト、ゲーテの家の近くの公園でした。フランクフルトの屋台とビールで盛り上がる謝肉祭。沿道の人、笑います。なんでかな?でもコンカイ安心。異変はきません。女子高生のブラスバンドにステップ、ステップ足ふみふみ、ココロウキウキ。で、その足元にずっと犬のフン・・・・。それは♪都立目黒自然研究所公園の昼どきでした。近くのおしゃれな蕎麦屋でデート。焼き鳥、鶏ワサ、じゃんじゃん日本酒。でも、公園デート、トイレ多いからばっちり。足元みすえて同じ轍踏まず(笑)「君の瞳に吸い込まれそう。あまり見つめないで」に彼女大笑い。人数少なくカルガモ反応。ハトも飛び立つ。まだ笑いころげる彼女に真顔で問えば、「アタマ、あたま・・(笑)」お気に入りのゴルチェの黒綿帽子に鳩のフン。♪犬もあるけばフンにあたる。旅のココロはフンのフン。チチンプイプイ、フンのフン。コロコロ、アタシはフン踏むフンコロガシ。旅のお供に、アタシをお一つ、いかが? (2002年「まるくんの旅は青空」より) ―――――そんな経験、大小の違いはあれども、誰にでも経験あること。え?ないですか?でも、ハニー、それはそれであなた、今、今のタイミングじゃないだろ?ずっとフェリーに乗っていたのに・・・・・・そこにトイレはあるはずなのに・・・・・・・(涙) しばらくハニーが消えた。神隠しにあったかのように消えた。 「紙隠し」の、間違いか?(爆)フェリーで降りて、ごった返していた港からあっという間にひとは散っていた。港の近くにある売店や小さなファーストフード屋にも人気がない。客のいない、カートを引く牛までもが退屈そうにしていた。オープンデッキのペンションのようなハウスの前、排水溝らしき掘られた溝にピクリとも動かない2匹の犬がいて、死んでるのか寝ているのかを固唾を呑んで見守っていた。すると、なんとその家からハニーが現れた。「ごめんごめん。お店のひとにトイレどこって聞いたら、鍵を見せられて「1ユーロ」って言うからドルしかないので、そこの前の売店で両替してもらって、ようやく鍵もらったんだけど、今度は開かんのよ。結局お客用でなくてお店のひと用のトイレ貸してもらうことになった」「あのなぁ・・・・・。下手な漫才みたいにヘチャコチャもうええわ!急ぐんぞ!」マヘ島で渡された一日レンタル券2枚を自転車屋に渡す。勝手に乗り心地よさそうな自転車を見繕っていると、大柄な従業員に座椅子のやけに低いボロッちい自転車を強引に宛がわれた。「あんたは、これっ!」みたいに。やれやれ、こんな辺鄙なとこでまで東洋人はバカにされないといけないのかいな。「もうええわ!さあ行くぞ!」「ごめん。私のギア変則きかん。替えてもらう」「・・・・・・・・・・・・・・・・」お兄さんに診てもらった自転車は、どうやら交換の必要はないらしくちょっとした要領で入れ直しただけで直ぐにオオーケィのようだった。海岸線に沿って一本の石畳の道、ここをまっすぐ行けば、めざすアンス・スール・ジャルダンだ。さあ、気を取り直してゴー!!出発してすぐに私の自転車のチェーンがはずれた・・・・・。今度は、とっくに先を行ってしまったハニーを待ちぼうけだ。「・・・・・・・・・・・・・・・」もう泣きたいわん。私が来ないのにようやく気づき舞い戻ってきたハニーに直してもらう有様。「ギア入らんのぞ。なんでこんなボロ渡すんかいなっ!(怒)」「ギア?入れ間違えだろ?ここをおもいっきりガシャンと力入れないかんのよ」「え?そうなん?ダイヤルまわすだけではいかんの?マウンテンバイクなんか使うたことないもん」「なんでよっ!!家に○○○のがあるだろ?触ったこともないんだろ?!」港からまだわずか200メートル、瞬く間に立場が逆転してしまったようなんですけど。ここはとやかく言わずに先を急ぎましょうよ(涙)。計画では、9時にラ・ディーグ港を出発、アンス・スール・ジャルダン散策を11時00分まで、そこからグラン・ダンスに向けて出発し、12時グラン・ダンス着、ビーチにて約2時間、帰りは14時、15時に港に到着、お土産屋を冷やかし15時30分のフェリーで帰路。それが今もう10時30分である。 そして予定どおり、ガイドブックに書いてあった島唯一のスーパーマーケットに寄った。ラ・ディーグ島には自炊専用のロッジもあるらしく、白人観光客らが食材を買い求めていた。セイシェル製は乏しいようで、ほぼすべてが外国製品である。缶詰類、パスタ、乾燥フード、スナック、オリーブ油、食器や洗剤、薬、日用品雑貨などなど。思わぬ収穫は、そこそこ冷えたハイネケンがあったことだ。これを3本とってレジに置く。1本33セイシェル・ルピー、3本で99セイシェル・ルピーだ。セイシェル・ルピーだと金銭感覚がいまひとつわからなかったが、店員にドルに換算してもらうと、電卓の数字はなんと14ドルの請求。当時のレートで約1700円、思わぬ出費だ。ハニーは菓子パンを5個も6個もレジに置いたが、想像よりあまりにも高い料金提示で、そもそもユーロはなく、ルピーも残りわずか、ドルの高額紙幣しか持ち合わせていないのであきらめたようだ。そのかわり、グラン・ダンスからの帰り、1ドルと8セイシェル・ルピーという変則的な支払いにてフルーツジュース二人分を購入していた(笑)。「なんでも高いなー。日本以上だなー」メリディアン・バルバロイでは地元ビールのセイブリューが一杯4.5ユーロである。当時の為替レートで1ユーロが約160円として720円。その割には、ハニーが帰りのラ・ディーグ島の港近くの売店で買った1リットルのミネラルウォーターは1ドルで済んだらしい。彼女はヘンテコな「買い方」女王でもある。ときたまの外国でも、そして日本でも常に。つづくみーり、ただいま3200g 身長も伸びてイオンで計ってもらったら51センチ。先週あたりからよけりに手足動かすのも活発に。湯船でお風呂はじめました。なかなかひとりで寝れない甘えん坊さん。おしゃぶりらしき、はじめました
2009年06月28日
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7時30分、相変わらずどんよりと暗いマヘ島ニューポートを出航。乗客は1階の船室には私たち二人とセシルワがわずか10名足らず。乗り込んだ外国からの観光客20名ほどは何故か皆、2階のオープンデッキに上がっていった。バルバロンから峠を越えてヴィクトリアへ向かうバスのなかでもずっと気になっていたのは、本日の天候である。朝、4時起床、6時20分にホテルをピックアップされたが、その間も空はどす黒く今日もセイシェルの夕陽ならぬ朝日を拝めなかった。マヘ島を横断してほぼ中心部にあたる峠を通り過ぎる度、いつも青々とした海と空を称え愛想よく微笑んでいたセント・アン国立公園の島々も今朝はどす黒く海に映えている。そして、マヘ島全体もどんよりした厚い雲が覆っている。朝早くから荷揚げする貨物船が停泊する内港から、ニューカレドニアの象徴である南洋杉のような木々が鬱蒼と生い茂る入り江から外洋にでる。島を抜けても黒雲だらけだ。波も穏やかとは言えない。安定感あるはずの双銅型の高速艇ですら、波をチャップンチャップン♪飛び魚のように走る。波しぶきが打つ窓からずっとプララン島がよく見えている。プララン島も厚い雲が覆っている。「なんだか獄門島に行くみたいだな・・・・・・・」まっすぐ進む船はときどき雨に打たれる。「ここまで来てからに、今日までが・・・・・。まさかだけど、今日雨だと本当に泣きますよアタシ」「まぁまぁ、雨もお天気のうちだから」これまで人生で何度も聞いたことのある決してなぐさめにならない捨て台詞をさらりと言うハニー。その頭の構造がよくわからない。あ、また寝るし、ここででも。グースカ寝る女に、女々しい男。そういえば、うちのおぼきちくん長男もかわいそうな子だったな・・・・・・。なんせ、幼稚園3年間、小学一年の春、これまでの人生で、遠足という遠足がすべて雨だったもんな。でもいつも、―「教室でお弁当食べて、みんなと遊べた♪」―だったから、ま、いいか。いつも、ボーッとしてて、そのくせ意味もなく前向きな長男がうらやましい(涙)。ところで、さっきから船内の一番前にいるはずの私たちの前のドアを開け閉め行ったり戻ったりしているラテン系のおばあさんと男の子がいる。おばあさんは、もともとの肌色かもしれないがまさに茶褐色で染めに染め上げた金髪。そして、日本のエグイ・カワイイ♪系のピンクファッション。船の揺れで目を覚ました眠気マナコのハニーに声かける。「見て見て、あのおばあさん、すごい悩ましい格好で、もろシマラーみたいなファッションセンスやろ」「お金持ちはだいたいああなんよ。この前側に特別室があるんだろ」「あ、そうなんか!このドアの向こうはクルー室ではなく特等席。VIPさんご一行なんや。なるほど」帰りも同じ便でこのおばあさんと若い坊やのコンビを見かけた。相変わらずドアが開いたり閉まったり、その度二人が2階のデッキへ昇ったり1階売店でマフィンみたいなのを買ったりせわしことこのうえない。彼女たちが動く度、「Cat Coco 」のクルー2名がうやうやしく付き添っているのがおかしかった。「あんなにせわしなく動き回るんなら、たった1時間やそこいらのに特等席とる必要ないやんなぁ?(笑)」「しかも特等席は往復食事付きらしいしね。パンフレットに載ってるよ」「ええっーーーー?!」話しがだんだん怖い方向に行きそうだ(笑)。ラ・ディーグ島でも彼女たちを一度だけ見かけた。港に着いて、彼女たちはすぐに去ったので目だったのだ。島を訪れる大部分のひとが利用するレンタサイクルにも、オックス・カート(島独特のタクシー。牛がひく荷車)に乗らず、待機していた島にわずかしかないオンボロ乗用車(幌バス)で颯爽と去っていったのだ。 気を揉んだ空の按配だが、彼女たちの行動観察で、飽きることのないまたたく間の小一時間の旅だった。いつの間にかプララン島上空の暗雲はインド洋の遠くどこかへ消え去り、真っ青な青空が広がっている。その青さを映し出すように鮮やかなエメラルドグリーンの海だった。プララン島の港がある湾内はホテルもしくは富裕層の所有らしき大型のクルーザー数隻がプカプカ浮かんでいる。一本の桟橋があるだけの港に降り、待合所のようなところにこれまたクレオール・ホリデーのスタッフが待機している。クレオール・ホリデーにしても同業他社さんにしても、いつも待ち受けているのは女性スタッフだ。セイシェルの最も盛んな産業は観光業だが、観光業に携わる従事者の60%は女性らしい。クレオール・ホリデーのお姐さん方はもちろんだが、先ほどの出稼ぎのフィリピン女性も含まれるのだろうか。お姐さんから、プララン島までのチケットと交換して、こんどはプララン島とラ・ディーグ島の往復チケットを受け取る。しばらくしてラ・ディーグ島行きのフェリーがプララン島から到着した。いかにも離島間定期航路のような小さなフェリーだ。宿泊先も少ない小さな島から朝早い便だからか、降りたひとはわずかだったが、乗り込むのはプララン島滞在の保養・観光客も合わさりほぼ満杯状態だ。大部分を占める白人たちはまた誰もが競うようにデッキへ昇っていった。2階デッキが足の踏み場もない、インドのムンバイのスラム状態なのに、1階船内は高速艇と同じく数名の地元民プラス私たちのみで(笑)閑散としている。帰国して随分後に知った情報だが、「Cat Coco 」だと、2階のオープンデッキと冷房がガンガン効いたキャビンとでは料金が異なっていたらしい。それぞれ42ユーロと57ユーロである。キャビンは、正面に据えてあるテレビからインドの歌謡ショーらしい衛生テレビ番組がけたたましく耳障りだった。 約40分でラ・ディーグ島に到着だ。プララン島とラ・ディーグ島は目と鼻の先なのに、高速艇と違いフェリーだからか案外時間がかかった。小さな港には「地球の歩き方」に載っていた写真と同じように大型クルーザーやヨットがたくさん係留していた。「すごいクルーザーがウジャウジャしとるな~」「ほんとうの金持ちいうんは、自分で何処にでも行くんよ」「ほほう、さっきのおばちゃんはエセ金持ちやと(笑)?さあ!これからは計画どおりの行動とるぞ。さっさとレンタサイクル店で自転車借りて見学して、ひと山越えて、ビーチや。世界一美しいビーチが君を待っている!」「その前にちょっとトイレ探してくる」「あのなぁ~・・・・・」あのなぁ~、「計画どおり」ならぬ、「お約束どおり」はええから・・・・・。つづくみーり、今週で3000g超えました!手足目もよく動かし元気です。夜泣き・一日のリズムも落ち着きつつあり、ひと安心がまた増えました、ありがとう。それにしても、ママに似てかわいい!
2009年06月21日
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―――次の日、ついに念願の「世界一美しいビーチ」へ向かう。苦労に苦労を重ねてようやく手にしたラ・ディーグ島行きのキップである。そもそも、日本を発ちドバイへ向かう随分手前で、はやくもスムーズにことが運ばなかった。代理店から送られた空港案内図どおりに国際チェックカウンターにいるはずなのに、出発手続きカウンターがどこにあるのか見つからず右往左往、ようやくたどりついたそのカウンター(電光掲示に表示はなく、カウンターに小さな貼り紙があるのみだった、わかるかいっ!)にて、正当な手続きにて旅行手配しているはずなのにパスポートに「ビザがない」と脅され、次に出国前の保安審査では法に則り正当な手続きをしているはずなのに100ミリリットルの小瓶を指し「酒を今すぐ飲むか棄てろ」と脅され、出国審査では意外や意外に顔パスのように涼しい顔で通されたのに、次の搭乗カウンターにてこれは正当な手続きならずウッカリミスで「スーツケースのなかにライターがあります」とアナウンスに大慌て、スーツケースを開ける鍵が見当たらず大慌て、なんとか開いたパンドラの箱ならずスーツケースのライターが見当たらず大慌て、ようやく大汗かいている大柄な保安官に見つけてもらってホッとするのもつかの間、「もう1個あるようですね・・・・・」に「えーーーーーっ!?」(涙目―――。なんやかんやでようやく日本を発ち、中継地ドバイまで約12時間のフライト。そのフライトを要す時間がただ単純な12時間というただの時間の経過ではなく、隣のハニーがアニメ映画「カンフーパンダ」のDVDをずっとつまらなさそうに眺めているのを横目に、タッチパネルをあちこちつつきまくっても埒があかず、どうやってもDVDが見れないし、ゲームもできないしで、イライラしっぱなしの12時間(涙)―――。 ようやくたどりついたドバイでも、関空で渡された図面によると「スタッフミーティングポイント」へ行くこと」と指示、そのスタッフミーティングポイントが見当たらない、あの長い長いドバイ国際空港ビルの端から端まで2往復もしたというのに見つからず(わからず)、セイシェル行きの電光掲示板があるカウンターに並ぶことにしたが、その順番待ちに並んだ窓口が運悪く、私たちのすぐ手前の男がトラブル男のようでねちこく窓口のお姐さんと口論し粘り、後ろの順番待ちのひとたちはたまらず皆がすぐ横の窓口へ移り私たちだけとなった、ようやく男が去り辿り着いて窓口のお姐さんに「何か用?その券を持って出発カウンターへ行ってね」と嘲笑された―――。やれやれ、ドバイからセイシェル・マヘ島まで約4時間、「ようやく落ち着けるわい」とこぼしたが、搭乗していきなりかわいらしいスッチーにビザカードを渡され機内でずっとテンヤワンヤ(号泣)。地球の歩き方に載っていたマダガスカル・ビザの頁を参考にしてやっとの思いで書き上げ、セイシェル空港に到着、簡素な造りの入国審査場にて「のどかだな~」な気分なのにビザカードの記入が間違えだらけだったようで、はじめてご対面のセシルワ(セイシェル人)、美人審査官に質問攻めに遭う(大汗かき太郎)―――。あまりにものしどろもどろさに女性審査官にあきれ返られ、おなさけでか「もういいわ」と通され、ついについにセイシェルの地に、しかしながら待っているはずのホテルへの送迎者がおらず、おまけに段取りに段取り重ねてきたつもりのラ・ディーグ島行きのためのプララン島行きの航空券買うつもりがなんとセイシェル航空の窓口が全部閉まっているし、それは当たり前といえば当たり前で今日は土曜日でお休みだったよ、これがケチのつき始め、ならぬケチのダメ押し(ナイアガラ滝涙)。自力での航空券やフェリーチケット購入が無理なら、仕方なくツアーにと考えを切り替えるものの、連れて行かれた張りぼて椰子の葉揺れる「クレオール・ホリデー」のセイシェル空港営業所、猫目のナディアや、必殺微笑み返しのキャサリンや、おまけにいまだに見果てぬままの謎のマリエルやらとの交渉(?)に苦労に苦労を重ねて、ようやく手にしたラ・ディーグ島行きのキップである。手にした、という表現より「掴まされた」というほうが適切かも?というくらい法外な値は、おふたりさま380ドルである。私は密かに彼女たちを「クレオール・マフィア」と呼んでいる。早朝、ホテルから「クレオール・マフィア」もとい「クレオール・ホリデー」の送迎バスに揺られ、ビィクトリアのニューポートへ。明け方前、それなのにどんより薄暗い場所で気が滅入る。数人のツアーご一行様が初めてのご対面である、但しここからすべて自由行動ではあるけど。まずはチェックのようで、予定表と客が差し出すチケットを確認している。「ちょっと様子見じゃ、な」言葉がわからない私は当然後ずさり、だ。何もする気がないハニーは身を乗り出して、スタッフと客たちとを交互に覗きこんでいる。「・・・・・・みっともないけん、やめときなさい」「みんな、緑色のほうのチケット渡しよるよ。出しといてね」「え?緑のほう?・・・・・・・」「なんで?白のほうでもえんだろわい?」「いや、みんな緑と綴りの白持ってるけど、緑だけだよ。なんで?」「・・・・・・白のほうしか持ってきてないよ。緑のほうは部屋に置いて来たわ」「えーーーっ!?なんでよ?どうするんよっ。せっかく苦労に苦労重ねたチケットだったんだろ?」「なんで知っとるんよ(苦笑)?緑のほうは記念に大事に残しておこう思うたのに。ショックじゃ」ようやくようやく手にしたラ・ディーグ島行き(正しくは中継地であるプララン島行きフェリーチケット)である・・・・・・。さてさて。本日の餌食、もといお客からチケットを受け取っている背の高いスラッとした「クレオール・ホリデー」のお姐さんは、最後に残った私たちを一瞥する。一昨日、セイシェル空港営業所のナディアより、数倍強烈な威力を発揮した猫目ヂカラで。「こわっ・・・・・・・・」ここいらのセシルワちゃんたちは猫ちゃん系が多いのかしらん?「あの・・・・・忘れてきてしまいました。この白いほうでもいいですか?」忘れてしまいました―――。人生最大費やす時間と労力は片付けと探し物だが、人生最大の汚点はいつだって「忘れ物」だ。探してるものさえ忘れている。忘れたくても忘れられないのに、忘れてはいけないものにかぎっていつも忘れてしまう。「仕方がないわね。構いませんわ。だって日本人だもん・・・・・」大きなため息をつかれた後、なんか、そう言われたような気がするけど、知らん知らん、がまんがまん。とにかくフェリーに乗り込むことができたのだから。「Cat Coco 」だ。なんだか嬉しい。「Cat Coco」は、マヘ島―プララン島を結ぶ高速艇として06年に開設された。全長36メートルある最新鋭の双銅型高速艇で、350人乗り。40ノットの速度を誇り、従来フェリーでは2時間かかっていたのをわずか45分に短縮し、大小縦横の波を自動的に制御する最高水準のコンピュータードライブ制御システムを搭載している。以上、「Cat Coco」の説明である。つづくみーり、今週はパパ、ママと1ケ月検診に行きました。生まれてからずっとNICU、お世話になった病院はユニセフからも認定受けています。順調で問題ないけど、少し体重増加が遅れ気味。今日から一回ミルクも飲むことに。
2009年06月14日
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