ケニアの旅――貴女とサファリを 5





まるくん駅舎



―― おもしろうてやがて草蔭の夢のあと その1 ――


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 ―――家族がプールで遊ぶのを眺めながら、暑さとビールでやがてまどろみ、少し眠ったようだった。
「オニイサン、ただいま」眠気マナコで半開きすると、陽だまりに包まれたYとOの姿があった。
「オニイサン、昨日、『ここですぐに溺れるネズミがいるから気をつけて』って言ってたけど、ネズミなんてどこにもいなかったよ」
東京の下町育ちのYと草加育ちのOにしては、随分イントネーションが違うな、と朧ながら思いつつ、目も意識も回復すると、私の側にいた声の主はTとAだった。
マサイ・マラ二日目の、もうすっかり、私が景色の一部になりつつあったプールサイドであった。
TとAは名古屋出身で赤十字病院に勤務する看護士の同僚だ。
ナイロビでのグループ分けの後、たった二人してタンザニアへ向かったのが彼女たちである。
二人はナイロビからナマンガへ南下し、ナマンガの町からタンザニアへと国境を渡り、アルーシャへ。
アルーシャの町は、アンボセリを見下ろすあのキリマンジャロ登山ルートの基点の町として有名だ。
外国人などのキリマンジャロ登山は、ほぼこのタンザニアルートしか許可されていない。
彼女たちの話しに戻そう。
ケニアとタンザニア国境のアルーシャ国立公園からマニヤラ湖国立公園、そしてクレーターのなかの
自然公園として有名なンゴロンゴロ自然保護区、これらを一気に駆け巡り、再びナマンガを越えてケニアに入り、アンボセリ、マサイ・マラと巡ってきたそうだ。
私たちとここで落ち合うのが不思議なくらい、すごい強行軍だ。
現在、ケニアからタンザニアへ向かうには、陸路のみで、ツァボからモシ、ナマンガからアリューシャ、
などのルートのみで、残念ながら両国を跨ぎ、サファリの心臓部ともいえるセレンゲッティ国立公園とマサイ・マラ保護区のルートは今もって封鎖されたままだ。
しかし、そんなことはお構いなしに、セレンゲッティとマサイ・マラ国境を定期的に往復移動を繰り返す一団がいる。
ヌーである。
4月から7月にかけて、約300万頭いるといわれるヌーの大集団が危険を顧みずマラ川を渡り、大移動する様は、動物紀行などのテレビ番組などですっかり有名だ。
彼ら動物に「国境」がないのに比べ、あらためて人間の浅はかな行為などがむなしく思えてしょうがない。
私たちは、ヌーほどすらも「自由」足りえていないのだ。
そうそう、マサイ族も行き来が自由だ。
 TとAによると、タンザニア側でのサファリはさんざんだったらしい。
「乾燥期らしくって・・・・・」動物が全然いなかったらしい。
「ヌーも?」
「ヌーも・・・・・」二人は口を揃えてこぼした。
「それより、なにより、クレーターだからいるはずだと期待したンゴロンゴロでさえ!干上がった池のうえをただただ走っていた、だけ!なんですよぉ~」と愚痴る。
ンゴロンゴロはキリンとインパラ以外の東アフリカに生息するほとんどの動物がいるといわれる自然保護区の宝庫だ。
クレーターの火口縁は2,300メートルあり、底との標高差が600メートル、ほとんどの動物はそのクレーター内で外の世界を知らぬまま一生を終えるといわれる。
常時、動物が観察されるはずの保護区であるはずで、彼女たちの話しは俄かに信じがたかった。
「ライオンがあちこちに、ンゴロンゴロしてたんじゃないの?」
「・・・・・・・・オニイサン、それ、おもしろくない」
「・・・・・・・・・・」君らにも通用せんか。
昨日、はじめて会ったばかりの彼女たちは私をオニイサンと呼ぶ。尊称ではなく、逆に彼女たちは私を年下だと決めつけていたらしい。
「看護婦はとにかく忙しいし、休日もなかなかとれないし」
今度はサファリの愚痴ではなく、日常の愚痴まで聞かされる(笑)。
そのわりには、体型はふくよかで、こうしてしっかり長期休暇をとって旅するAは、マサイ・マラは2度目だという。
「いえいえ、長期休暇願いをだすのは、首、覚悟なんですよ、オニイサン」
とフォローする同僚のTだが、そのくせ、
「今度は絶対、セレンゲッティでヌーの川渡りをみたいっ!」なのだそうである。
「そのときは、ぜひ、僕を誘ってみんかね。マサイのような勇敢な私が護衛係りを務めるでみゃ」
今度はヘンテコな名古屋弁か(笑)。
「えー?だって、オニイサン、すぐ嘘つくし・・・・・・」
「おいおい、聞き捨てならんがや(笑)。って、なんで知ってるの?(笑)」
「だから、昨日の『溺れるネズミ』の話だって・・・・・」
二人は、「着替えてからまたプールに来る」と言い残して去って行った。
彼女たちこそ、嘘つきだ――――。
待てども待てども、彼女たちはプールに姿を現さなかった。
 女性コンビばかりが私のところへ入れ替わり立ち替わり、日にジリジリと焼け焦げつき、赤く黒ずんでいく「焼き豚」状態の私のもとへ訪れるわけではない。
TとAが去り、しばらくしてノッポとチビのコンビがめずらしく水着姿で現れた。
ちなみに、いまさらながらだが(笑)、私が「チビ」と称している彼は別に背が低いわけではない。
彼は私とそんなに遜色ない身の丈だ。が、いかんせん、彼はノッポといつも行動を共にするので、ついついそう見えてしまうだけのことだ。
彼らの凹凸がいつも私にはおかしな存在だった。
そう、凹凸コンビ、とは彼らのための称号のようなもんである。
チビが言う。
「アンボセリから、どんどん黒人に近づいていますね~」チャッピーと呼んでくれぃ(笑)。
「でもさ、本来、色白だから、3日もすれば、すぐ落ちちゃうんだよねぇ~」
「い・ろ・じ・ろですかぁ~?」
彼らは学生時代からの友人らしい。
たしか、どこかでそう聞いたことがあるような気がする。彼ら二人の名前は知らず、のままだ。
彼らは何度も呼んでくれたはずなのに。私は、つくづく了見の狭い男だと思う。
グレースの名前なら、すぐに聞き出そうとするのに・・・・・・・。
二人は2年前、はじめての海外旅行をオーロラを観に、アラスカへ行った。
「でも、オーロラは全然、見えなかったんですよ」夕食時、Mとは逆側にほとんど隣合わせたノッポ(私たち8人は暗黙の了解で、すでに食事時の席まで決まっていた。ちなみに、チビとネコがほとんど隣か向かいあわせだった――)は、背丈に似合わず、リスのような可愛らしい目をして、いつもか細く話す。
「よかったじゃん。今回は動物いっぱいゲットできて(笑)」
「あと、女の子をハンターしたいです(笑)」と、こちらは快活なチビ。
「なかなか含蓄のあること言うね。そうなんだよね!結局のところ」相槌を打つ私。
―なにが、結局のところ、だ―。今回は、妻の突っ込みを、自分でしてみた(笑)。
「ネコかKのどちらか、どぉ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」二人ともなかなか賢い(?)男たちで、その質問には乗ってこなかった。
だと、思ったら、―ゲッ―!!ネコがKを伴いこちらに向かってくるではないか。
「みんな、日光浴ですかぁ~?」彼女をどう表現すればよいだろう、「真面目な娘ギャル」とでもしておこう。サーファーまがいの黒い顔、長い髪、派手目の化粧。でも、彼女、真面目です。
私の冗談が通用しません(笑)。だから、あんまりお話ししたことありません。
チビの隣が定番のようにネコが座り、その奥にKが座った。
Kはボリュームのある体をいつもネコの背後に奥ゆかしく隠すように行動し、また言葉を選ぶひと、だった。つまりは、一番お近づきになりたかったのに、一番言葉を交わせなかった(笑)。
とどのつまりは、私にとって、ネコはすこぶる邪魔な存在だったわけだ(笑)。
ネコが邪魔、というわりには私はネコからもらった草加煎餅をパクつきながら、ヤシの木のように動かないボーイに、空瓶を掲げて、ビールの追加を頼む。
「ンディヨ(はいな)。ハラカね(笑)」男は目を丸くし、顔をくしゃくしゃにして笑う。
「そう、ハラカ!(急いで)ね!」
男はウィンクして、建物内のバーへ消える。
昨日、2・3度目のビールの注文時、ボーイがなかなか来ないので、ポレポレ(ゆっくり)じゃない、せっかちな私はたまりかねてバーを覗いてみた。
なんと、男は栓が抜かれたビールを盆に載せたまま、掃除のおばちゃんと話し込んでいたのだった。
私は、彼を思いっきり睨みつけてやった。
ムワンギと名乗るそのボーイは私を「ハラカさん」と命名した―――。
 ビールが運ばれてきた。チップは「最後のビール」で清算して渡すことにしてある。
「タファリ(どうぞ)、ハラカさん。アサンテ・トゥタオナナ(ありがとう。またね)」
いつものように、サイドテーブルに置き、ムワンギはもとの「ヤシの木」に戻る。

プールサイドはだんだん賑やかになってきた。
イタリア軍団のおでましである。
アンボセリ、アバーディア、ナクル、そしてマサイ・マラまで、ずっと視線の追っかけ(笑い)をしていた、イタリアのオネエサンがついにベールを脱いだというか、グラマラスな肢体をプールの水面に映していた。
その彼女を取り巻くように、仲間の男たちが、ここをローマだかナポリだかの喧騒の町に豹変させてくれるのだった。
何もすることのない、優雅なロッジ生活。
チビが久方に声をかけてきた。
「今朝、いくつものバルーンが昇ってましたよ。みかけなかったですよね?乗らなかったんですか?」
マサイ・マラはケニアでは唯一空からサファリを楽しめる動物保護区だ。
アンボセリからニエリに向かう雨の道中、私はMに誘われたが、きっぱり断ってあった。
早朝日の出前にバルーンを上げ、観光客は朝日のご来光を崇め、下界の動物たちを俯瞰する。
そして、風と火加減により調整しながら、約2時間のフライトを終え、着地する。
バルーンをひたすら追いかけてきたワゴン車のスタッフが朝食の準備を整え準備万端、降り立った場所でシャンパンつきの英国風朝食が待っている趣向だ。
なんだか、貴族趣味のようなオプション・ツアーである。気に食わない、というかもちろん、高所恐怖症とあまりにも高すぎる料金が敬遠させたのはいうまでもない。
私以外のメンバーはそのバルーンを楽しんできたはずだ。
「風に随分流されたのか、えらく遠くまで行ってしまっちゃったみたいで、ロッジに着いたのが、11時前でした。乗らなかったんですよね?」ノッポが淡々と、付け加える。
私はバルーンなど全然興味ない!
「朝食のとき、すぐそばでキリンがいたのは感動もんだったですよ!」とチビ。
彼らが絶賛する空のサファリ。私はほとんど相槌を打ちながら聞き流していた。
私はただ一つ興味があった質問をした。
「で・・・・・・・?その、朝食時・・・・シャンパンは何本でた?」

 バルーンサファリは参加しなかったが、ナイト・サファリには参加した。
その値段、法外か否か判断しがたい50ドル。
ナイロビ郊外で私が原因で夕食がお大幅に遅れたことを、その原因を知らないまま「ブータレテタ」
新婚組の男が(なんと、彼までもマサイ・マラで合流だ)こう言ってた。
「ヒョウ、間近に見れたっすよ!いやー!スゲーかったっすよ!」
 そういうわけで、さしてなごりおしくもない、初日で飽きていたサファリを締めくくることに。
「レッツラゴー!」
しかし、威勢がよかったのは出発からものの十数分であった。
天井のない、軍用風トラックに乗り込み、ガイドがサーチライトを照らしながら進み、夜の動物の生態を観察するわけだが、記憶にあるかぎり「見た」のは、うさぎの耳をして豚のようなツチブタが草むらをノコノコ這う姿と、カンガルーのように飛び跳ねるその名もトビウサギだけだった。
「あれ?なんでここにピカチューがいるの?」
記憶はここで遮断された。
無理もない。この日まで、いつもの旅の流儀と同じく、ほとんど寝ずに夜を謳歌し、また移動中ですら、車窓の景色も決して見逃すまいと、眠らずに通してきたのだ。
旅にでる、いつもの私のスタイルだ。
――夜に喰われないようにね――。アフリカの神話の話を思い起こす。
 夜の冷気にジャンパーでも凌げず、目を覚ます。
空を見上げると満天の星。
東方向の地平線に凍りつくような、最も光輝く星を、隣にいる物知りのHに尋ねた。
「あれ、金星?」
「木星よ!」間髪入れず、後ろから声がした。声の主、が誰かはもう言わないけどね。
再び眠りに落ちた―――――。
 そして、再び目が醒めた。
目が醒めたのは、我慢しようのない自然の摂理からであった。
「もしもし、トイレない?」サバンナのど真ん中でトイレもへったくれもあったものじゃないが、私は限界という境界線を越えていた。
ガイドは「はぁ?」という顔をした。
私は、我慢の限界から、闇夜のサバンナで大きな声をださすにはいられなかった。
「トイレ!!」
ガイドがトラックからまず降りて、サーチライトを四方八方照らし、猛獣がいないかを確認する。
そして、私はトラック側面の梯子を降りるように指示された。
私は慌てて、トラックの後部に回る。
ダムが決壊したような溢れだす洪水に自らが驚きながら、気を紛らわすために空を見上げた。
ハミングが自然にでた。
「♪上を向~~いて、歩こう~~~っ。星のぉ~~」やあ、降り注ぐ星の数々。
その時だった。
すぐ近くで「ワォ~ン」と遠吠えする声に一瞬、洪水はせき止められた。
身震いしながら、再び栓の蛇口をひねったが、どうにもいうことが効かなかった。
「ワォォ~~ン、ワォォ~~ンッ」
最後のサファリ。
挨拶をしてくれたのは、ジャッカルたちだった――――。



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―― あなたと、もう一度、サファリ・ゲーム その1 ――






「いやーすごかったわ!すごい量やって、池ができとったわ!レイク・マナブーやな(笑)」
ナイロビへ向かう、いつものワゴン車内でMは高らかに叫ぶ。
「アホウ!ジャッカルの奴らが吠えんかったら、もっといけとったわ!そしたらビクトリアレイクやったに違いない!・・・・・・けど、おかげで・・・・・」私は急にトーンダウンして落ち込んだ。
「でもな・・・・ちょっぴりええなぁ~って・・・うらやましかった」Mは小声でなぐさめる。
 昨晩、ジャッカルのおかげで引っ込んでしまった尿意は、ロッジへの帰還直前に、再び、より情熱的に爆発した。トラックから脱兎のごとく飛び降りた私は、部屋にたどり着く前に、石炭をくべられた機関車のごとくマラ川の支流に還元していた。
「カバよ・・・・君とはついに会えなかったね。そして、君は毎晩、私を眠りにつかせてくれなかったね。これ、お礼だよ」
冗談はさておき・・・・・。
慌てていた私はトラックにズボンの後ろポケットに入れてあった財布を落とし忘れていたのだった。

 今朝、全ての荷造りを終え、ボーイはスーツケースを運び出してくれる姿を追いながら、何気に触った尻ポケットに財布がないことに気がついた。
「あれっ?ボーイさん?」窮地に陥ると、すべてを他人に責任転嫁する私の習性(悪い癖)。
いくら鍵なしのテントロッジとはいえ、ここで泥棒は考えにくい。
とすれば――。
昨晩のほとんど記憶という記憶が飛んでいた時間帯の数々のシーンを思い巡らしてみた。
きっと、どこかで慌てて落としてしまったか、ジャッカルに食べられたのかもしれない。
 朝食時、もしやあのトラックに落としたかもと思い、言うか言わまいか悩んだが、パトリックに報告のつもりで打ち明けた。
パトリックは―やれやれ、またアンタか―という顔はおくびにも出さず、そうでなくても出発前の慌しいときに、いろいろ奔走してくれた。
私は、今回の旅行ではじめて朝食を抜いた。
「まあ、かわいそ。あれでもけっこうふさぎこんでいるのね」
でも、朝食を抜いた理由はほかにあった。
一足先に出発するという名古屋のTとAと話し込んでいたのだ。
千年以上の樹齢を誇るフィグツリーの袂で、昨夕のキャンプファイヤーの残り火の囲炉裏を囲みながら。
―おいおいおいおい、おっちゃんおっちゃん―どこかで天の声がしたが、気のせいだろう。
 ところで、冗談抜きで、今回の旅で得たキーワードは「女二人組み」だったように思えてならない。
どこもかしこも女二人組みだった。彼女たちは、その溢れ出さんばかりのバイタリティでもって、男以上にケニアへ乗り込んできたように見受けた。
OやYしかり。HとMもそうだし、TとA、ネコとKもそうだ。そうだ!忘れはしない宝塚たちも!
それは、ケニアに限ってのことではない。
ムンバイ(ボンベイ)から成田へ向かう便で、今回の旅では最も年齢層の低いコンビと出会う。
彼女たちは夏休みを利用して「ちょっとカルカッタやデリーなかんかを2週間まわってきました」そうである。ごくありふれたOLである。彼女たちを駆り立てるものはなにか?私はキーワードの奥にこそ秘められているであろう「キーワード」を探りかねていた。
欲しいものはなんでもすぐに手に入る―情報化時代が生んだパワーに圧倒されもする。
彼女たちは、そのうち火星にだって行けるだろう。
「へぇ~、ケニアへ行ってたんですか?よくライオンとかに食べられなかったですね?」
「ありがとうございます。とてもわかりやすいリアクション」
「えー、でもおもしろそうじゃん、ねぇR、今度の春休みはそこにしよっか?」
「・・・・・・・・・・・・」
いいなぁ女の子たちは。背負うものが違う、からではない。きっと背負うものをどう自分のなかで咀嚼するか、記号化するのに長けているのだろう。
私たち3人は、機内で飲み明かしたワインに飽き足らず、成田到着のその足で、そのまま青山、恵比寿へと繰り出していった。
―ハニーちゃま、これはあくまでも余談です。余興です(笑)―
 で、背負うものが違うのかどうかはともかく、名古屋の看護士さんたちとのお別れ―と言っても、またナイロビで会うのですが(笑)―をした直後、パトリックが囲炉裏にやって来た。
「財布はあるそうです。昨日のナイトサファリのガイドが持っているらしいです。今はバルーンのパイロットをしているので、マサイ・マラのセケナニ・ゲートで落ち合う手筈です」
私はちょっぴり不謹慎でちょっぴり傲慢に―アフリカの奇跡!―と内心叫んだ。
そして、すぐにその「ありがたい奇跡」に対し、後ろめたく申し訳ない気がしたのは、財布には20ドルくらいしか入ってなかったように記憶していたからで、奇跡が色褪せてしまいそうだった。
ほとんどのキャッシュは、ほら、お腹に巻いてあるから―――。

セケナニ・ゲートでみなとしばしのお別れだ。
グループのメンバーはフランクが運転する2号車に移った。
フランクたちは砂煙をあげて疾走し、去っていった。
見渡すかぎりサバンナの丘、また丘で、視界がきく最後の丘まで見送ったあと、パトリックと1号車のドライバーが残った。
ゲートをでたすぐのところに、売店が並び、しばらくそこを冷やかしていた。
「ウィンドウ・ショッピング」にも飽きると、道端に座り空を見上げるくらいしかやることがなかった。
今朝のサバンナは頬に感じるくらいのそよ風が吹き、雲がちぎれるように流れていく。
アフリカの、空は、いつもと変わらぬのに、私にとってはもう最後の見上げる空だ。
皮肉なことに、今日ほど吸い込まれそうな青空を感じた日はなかった。
 空から再びフランクたちを見送った丘に目を移すと、私に向かってさかんに手を振る男がいた。
彼は道を横切る牛たちを見送りながらさかんに私に手を振り続ける。
彼のような視力がない私は急いでビデオカメラをズームにしてレンズ越しに彼を追った。
なんだ、私からしたこまタバコを巻き上げた、あのマサイ村のお兄ちゃんだった。
なんだ、ちゃんと牛の世話もしてるやんか。
「ちょっと遅すぎますね。ロッジへ戻ってみましょう」
1時間ほど、呑気な日向ぼっこをした時間を悔いるようにパトリックは促した。
「ポレポレ(ゆっくり)精神」の彼らも、日本人観光客相手だとそうも言ってられない。
地球のほぼ反対側にいる関係性のなさそうな東洋人ひとりの気分を害しただけで、彼らは明日からの職を奪われてしまう――とぃった悲壮感さえ漂っている。
「ねぇ、パトリック。財布はもういいんだよ。自分が悪いんだし。見つかっただけでもケニアに感謝。ケニア人、みんなにアイラブユー、だよ」
「いや大丈夫です!行きましょう!」あの、パトリック・・・・・頭から湯気が?気のせい?
パトリックは今までみたことのない形相を一瞬つくり、車に急ぎ乗るよう催促した。
 ゲートをくぐり、再びマサイ・マラを駆け巡るサファリ・ゲームがはじまった。
―こりゃ、サファリ・ゲームならぬ「サイフ・ゲーム」やな・・・―
移動中、運転手にあれこれ指示をだすパトリックにはなみなみならぬ固い「意思」を感じた。
―パトちゃん・・・・・やっぱり、頭から湯気が・・・・・・―
 フランク以上の超快速でロッジに到着したが、「財布を届けにくるべき男」の気配はないようである。
パトリックはホテルの従業員と早口で話したあと、車に乗り込むと同時に運転手に怒鳴るように出発を告げた。
運転手はさきほど以上のスピードで道を引き返した。
そして、本当のゲーム・サファリに興じているワゴンやジープを見かける都度、急停車し、情報収集をしていた。
パトリックたちがとりつかれたように必死なのに対して、私は何も手をこまねいていただけでは、ない。
―さっきから運ちゃんがかけてるテープの音楽いいなぁ~―
―このテープの音楽、ナイロビで手に入るかな?今聞いちゃ、まずそうだから、あとで聞こうっと―
 驀進、急停車、驀進を繰り返しながら我がワゴン車はセケナニ・ゲート手前3キロ地点の三叉路で待機した。サファリ中の情報交換以上に無線マイクはひっきりなしに使われた。
道中、パトリックが尋ね続けてきた相手の口から「マサ・サロバ」という言葉が端々にでてきた。
たぶん、「財布を運んでくる」男の居場所が判明したのだろう。
こうしてみると、地図上ではセレンゲッティの10分の1にも満たないマサイ・マラもなかなかどおして広いものだ。公園内とその周辺には6つもの空港がある。
この保護区の面積は1,510平方キロメートルで、大阪府とほぼ同じ面積あるのだから当たり前か。
それにつけても――さっきから、ズッチャカズッチャカ鳴り止まぬ音楽が気になるな~―。
私はつくづく「マラ川の逆さになったカバ」につける薬のないオトコだ。
 やおら、パトリックが叫んで、運転手はまた車を急発進させた。
そして、再びセケナニ・ゲートへやって来て、今度はゲートはくぐらずに、100メートル手前で停車した。私にはこの間、何がなんだかわからないままであったが、ようやくなんらかのかたちでこの「ゲーム」が終了することが近づきつつあることは予感した。
 遥か彼方から、砂埃を巻き上げて向かってくる車の音が近づいてきた。
パトリックたちの「眼力」をこのときほど思い知ったことはない。
彼らはずっと「前から」「見えて」いたのである。
財布を持った男が乗っている「トラック」を。
「あれです」パトリックは、このゲームの間、一度も振り返ることなかったが、はじめて私のほうを向いて口を開いた。
運搬用トラックはマラ・キャンプの本道から姿を現し、真っ直ぐこちらに向かってくる。
約3時間のサファリはようやく映画の撮影のようなシーンの連続の終幕を迎えつつある。
だが、おかしい。
トラックは失速しようとしない。
パトリックは早口でまくしたてて、同時にドライバーはアクセルを全開して車を反転させ、ゲート前の道を封鎖した。
大きなブレーキ音が悲鳴をあげ、あたりは砂埃がたちこめ、風に流されてようやくトラックがほんの手前で急停車していることがわかった。
この間、長かったような一瞬だったような、すっかり気が動転した私は失禁しそうになっていた。
トラックの運転手は毛むくじゃらの大男で、パトリックがまくしたてる間、なにも言わず、助手席から財布を投げつけて、無言のままハンドルを切り、セケナニ・ゲートをくぐり去っていった。
「はい、財布です。これですね?中、ありますか?」パトリックはこともなげに平然と言う。
「はいはい、ありますです、ありますです・・・・」私は中身をよく調べずもせず、上の空で答える。
気分はすっかり、カーアクションのスターだった。
何もしてないけど――――。
さきほどの大柄な男は、ナイトサファリのガイドとは明らかに違うので、単なる運び屋だったのだろうが、まったくもって度肝を抜かされる。
アフリカってやつは!
 私は一息つこうと、ドライバーに労をねぎらい、タバコを勧めた。
「その音楽いいね。テープ、売ってくんない?」
そして、自らもタバコに火をつけ、一息に吸い込み、大きく吐いて、覚悟を決めて、パトリックに本当に最後のお願いをした――――。
「ねぇ、パトリック・・・・・お願いがあるんだけど・・・。今、ここにはジャッカルいないよね?」




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