プチオフ総集編 その1 03年~05年



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kaoring ワンダーランド


あなたに送る
この握手を
風はくれた
この拍手を
耳をすますと
ほら
いつも僕はここにいる

僕の言霊でもぎとった
この琥珀を
君の手のひらに

うまくいきますように、と
のっぴきならぬ翳と
なぐさめあう
「いつも ここにいるのだよ」

僕の手のひらに琥珀一つ
あなたから返った
この握手



「あなたは人を愛せますか?」

アタシも胸に刻印し、PCに向います―――。


道後温泉
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では、今回は人権教育そのものが人権である、「人権教育がアタシまるくんである」という多角的な側面を紹介しながら、切り込んでみましょう。

マサヨ

●「人権についての教育」
教育内容に関する概念で、人権を学ぶ、ことです。

みなさんが思い浮かべるのはこれでしょう?
もちろん、しばしば、人権教育そのものと考えられてきました。
また「教師(指導者)はすべてを知っており、生徒は何も知らないという銀行型教育」を批判した西洋の人権家が指摘したとおり、従来では人権を学ぶことは堅苦しく権威的で
皮肉なことに人権とほど遠い雰囲気が支配的だったのです。
今日では、人権に関する認識は、世界、社会、文化、自然、人間などグローバルな理解と交差させることにより、より体系的に深化させて学習していく広がりがあります。
人権に関する知識が重要なのはいうまでもないが、どのような知識をどのように生きた力として、いかなる方法で獲得するかという問題認識を明らかにしなくてはならないのです。
必然的に知識の問題はスキル(技能)、学習環境とも関係してきます。
人権に関する知識は世界、社会、自然、文化、人間、他者などに対する理解を深めるような形で獲得すべきであり、「世界を読む」力につながる必要があるのです。

倉敷へ♪


●「人権を大切にする教育」
 人権の価値観にふさわしい雰囲気のもとで学習していくべきという概念

 人権を通じての教育――という表現を用いられることもあります。
教育の環境や雰囲気が人権を大切にするものかどうかという切り口からのアプローチになります。教育のプロセスそのものが人権を大切にしていなければなりません。
雰囲気が抑圧的であったり権威的であったりすれば、教える側―教わる側という関係性しか築けなく、「○○のいうことは絶対的だ」、「建前と本音がある・・」、「ひとつの正解しかないのか」という隠れたカリキュラムが支配してしまいます。
これらの表向きのカリキュラムより強い教育力をもちえているのですから。
みなさんの教育はいかがでしたか??

miho

●「人権としての教育」
 教育を受ける機会を保証すること、そのものが人権ということ。

 人権としての教育とは、「――人種、宗教、エスニック集団、社会的経済的地位、ジェンダー、地理的条件などの違いにかかわらず、教育への平等なアクセスや機会が得られること――」と定義されており(「ヒューマンライツ&エデュケーション」(米国西部地区国際比較教育学会編)、リテラシー、言語、文化の保全、政治教育、多文化理解、などさまざまな観点に基づくニーズへの対応などへの権利が提示されています。
日本においては、同和教育の展開のうえでも、同和地区の子たちのための教育に当てはめるだけでなく、すべての子にとって教育が疎外的にならないよう、快適な居場所とざまざまな可能性を追求できる場であるという視点で見直そうとされています。
いじめや不登校、落ちこぼれ、などの問題の克服につながるはずです。

miki

●「人権のための教育」
すべからく教育とは人権の普遍的実現につながるということ。

人権をめざす教育、人権における教育という二つの捉え方ができます。
また、人権を実現するための力を育てる意味もあり、主にスキル(技能)をさして使われます。
わが国では、効果的な自己主張のスキルの開発が不十分であり、コミュニケーションや社会関係の技能を育てることは重要な意味があります。
このカフェをご覧下さい(笑
疎いコミュニケーションスキルにより、なんと輝きのない世界だことか(笑。
知的スキルとして、判断力、コミュニケーション力が例示されています。
社会的スキルとして、「違いを認め受容すること」、「肯定的で悲抑圧的な人間関係の構築」、「対立を非暴力的に解決すること」、「責任をとること」、「決定に参加すること」、「人権を守るためのあらゆる機構を理解していくこと」などが挙げられています。
これらのスキルでもって、「学習から行動」へ結びつけるのです。
行動しなければ、真の人権教育とはいえないですから。

どうです?
人権教育というのが、人権を教育する、のみではないのですよね?
あなたの存在、アタシの存在がすでに人権教育で、「あらねば」ならないのです。
文脈として、「人権」とのみ書けば、―あなたはそこにいる―だけなのです。


風が届けた握手――――。

あなたは何も感じませんか?

今日もどこかで風は吹いているのです。



でも、、、こうして

画像だけ 眺めてるそこのあなた(笑w

こうしてみると、、、なんだかとっても「出会い系サイト」そのものみたいですなっ(笑w


どんなもんだいっ((爆笑





つづくw

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shikoku puchi off


【 私とその他の世界(love song)】

硬く やさしく しなやかで やるせなく
愛らしく 冷たく 温く やわらかで
きっと弾んで 夢は広がり 華やかで
夜が似合う エメラルドのように 妖しく
光り まぶしく 溢れ 風景は色褪せ
輝きつづける 鋭く 刻み さらさらと
落つ ふわふわと 昇天し 踊りつづけ
麗しきまでに 丸く 鈍く 桜散り
装しく 賑やかで 静かな 空気の震え
限りなく 不安定で 焼きつくすような
黒く 白い 全てよ
あなたよ
       ( 1980 秋 )



yuuki1



―あなたのための「魔法のマイク」―
at 2003 07/15

もう5,6年前のことだが町の図書館で「社会教育」という月刊誌を読んでいたとき、「これだ!」と飛びつきたくなるような話がのっていた。

『――従来の学習というのはカキクケコだった―――。
カタイ、キビシイ、クルシイ、ケンイテキ、コワイ――である』

『これからは体験的参加型学習が肝要だ。
アイウエオの学習である―――。
アカルイ、イイカゲン、ウレシイ、エガオデ、オモシロイ―――』

体験型参加学習はワークショップと呼ばれて近年では日本全国で定着している。
その特徴を掲げてみよう。

一つ目は、「学習する内容より過程を重視する」ことだ。
たとえば、アタシの掲示板でウタリ問題についてみんなと論議するとしよう。
アタシがウタリについて知りうる知識をみんなで話し合い報告することよりも、全国のみんなの地域性による相違点、今日の天気の違いなどを発見した情報交換、そのようなプロセスのほうが重要だったりする――、そういう意味において、だ。


tokyo 03 off

二つ目は、「双方のコミュニケーションによる対等」な関係作りである。
これも、掲示板という小さな広場でも例えることができる。
アタシは匿名性に辟易し、これらをなんとか排除し、懇意にしてきた方々と住所と名前を交換してきた。
お互いがお互いに責任をもった発言をしよう、という「態度」の一歩である。
アタシは相手に手紙と顔写真を送る。
写真はアタシ一人だといかにも変態気味なので(笑)、アタシ自慢のハニーと一緒のところをピックアップしてみたりする(笑。
「なんや、まるくん言うてることも大層立派やが、まぁお顔も凛々しいこと♪・・」なんて言うてはるかどうかは知る由もないです♪(笑
だいたい皆さん、10人が10人・・・「まるくんのハニーはほんまにお美しい・・・」なんてお手紙ばかりで内心、ムッとしてたりしてます(笑
匿名性から無名性へ、そして顔写真による有名性により、相手が女性であっとしても「安心感」という対等な関係性が築けるはずだ。
いっときますけど、お相手の女性たちからは断じて顔写真求めてやしませんからね(笑。
ここのところが肝要です(笑。
そして、【対等な関係性】にとても邪魔な年齢や性別や職業などは極力排除して、お互いことばを重ね、交わすことだ。
ところで、これ、ホンマのことやから、例え、になってないやん(笑。

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三つ目は「ファシリテーターという促進的指導者」がいることだ。
有益な学習は、教師と生徒、医者と患者という立場ではゼッタイありえない。
ファシリテーターはフランス語でアニマトゥールともいう。
アニマはアニメーションであり、アニミズムのアニマでもある。
すべてのものに命がある、すべてのものに神が宿っている、という考え方だ。
石ころにも神様が宿っている、というような・・・・。
アタシのごく個人的な【立場】であるが、アタシは『人権教育と同じく、いや同等以上にこの思想=信条に深く啓蒙している』立場であります(笑)。
このことは、またいつか機会があればお話する機会があるかもしれない・・・・。
いや、やめとこうかな(爆
アニマにもどるが、ようは学習するときに学習者が生き生きとできるようにする、学習に命の息吹を送る、学習者から命をひきだすという意味も込められているのだ。


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tokyo 03 off



 ―――今日はみんなと「魔法のランプ」というワークショップをしてみよう。
机にあるコップを仮にマイクとみなして、グループで話し合うのだ。
このコップ=マイクを持った人以外は話はできないというルールをまず作っておく。
これを持っている人は発言が保証され、他の人は口を挟めない。
これをやると、普段、ついグチグチ他人の話にチャチを入れたり、批判的であったり、人の発言を遮る人はできないわけだ。
反して、普段口数の少ない人でも安心して喋れるわけだ。
どうです?
なにかに置き換えてみると、あなたがたの周りで気づきませんか?
そうです、あなたの職場などでいかがです?
家庭で子たちに対して、あるいは高齢者に対してどうです?
地域の寄り合いなどでどうです?
ひとつのものを作り上げるうえで、上司と部下というややこしい力関係がはびこっていると、よい意見も封殺されてきたり、また普段の自分たちがどういう力関係のもとに発言が左右されてきたか、また逆にいかに人の意見を封殺してきたか、が自覚できませんか?


魔法のマイクひとつで、あなたの環境と意識も変わりうるのです。


でも、、、アイカワラズ、、、、

画像だけ 眺めてるそこのあなた(笑w

こうしてみると、、、「まるくんの旅は青空」wなんだかんだいっても「出会い系サイト」そのものみたいですなっ(笑w


カッカカカカカッカカカw


どんなもんだいっ((爆笑



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つづくw

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