Dog photography and Essay

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青海西寧・青海湖1


「人口は860万人ほど」

「中国上海写真ライフ」では、
青海省「西寧」の写真を公開しています。

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回族を中国語ピンイン読みでは、hui2zu2と書く。
人口は860万人ほどで、唐の時代西暦680年ごろに、
移住したアラビア人、ペルシア人が源流である。

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居住地域は寧夏回族自治区をはじめほぼ、
中国全土に住んでいるが、青海でも多く見かけた。
言語は、若い人を初めとし中国語を使っている。
アラビア語とペルシャ語に精通している人もいる。

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唐の時代の7世紀ごろから、アラブとペルシアの商人が、
中国南東部沿海の広州、泉州などに居住しはじめたが、
13世紀初、戦争のため中国西北部に移住させられた。

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その結果、ペルシア人やアラブ人が、ウイグル族や、
モンゴル族の人々と溶け合い、回族となったとの事である。

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回族の人々はイスラム教を信奉し、モスクを囲んで、
居住しており、一日5回の礼拝を怠らず実行している。
写真はモスクの中に入った所に置かれている置物。

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「後ろに付かれると不安」

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西寧には回族が多く居住し、殆どイスラム教徒である。
ホテルから東関のモスクへ歩いて行く街の至る所で、
回族特有の白い帽子を被った人達を見掛けた。

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東関大街にある大きなモスク(清真寺)に着き撮影をした。
モスクの出口付近や周りに沢山の教徒達がおり、
私の撮影している後ろからモニターを除き見していた。

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異教徒に限らず、後ろに付かれるほど不安な事はない。
モスクに入ろうとしたその時に、ちょっと待ってと、
中国語で手を振ってきたので、やはり中には入れないのかと、
一瞬思ったが、チケットを買わないと中へ入れないと、
言いながら、チケット売り場を指差すのでホッとした。

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モスクの入り口付近に座っている回族の人は礼拝用絨毯を、
持っている人もいたが、そんなものが必要なのかと思った。
モスクの中へ入ったが、中には4名ほどの回族しかいなく、
私が勝手に中に入って歩き出すので、横に管理者が付いた。

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管理者に何故人が居ないのだと聞くと、礼拝が終わったので、
皆、外に出て次の礼拝の時間まで仕事をしていると語る。
私は写真を撮って良いかと聞いてみると更に幹部に、
聞きに行ったようで、4人の回族と私だけになり静かになった。
私はレンズを向け本堂のような場所を勝手に撮影した。

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「イスラムは一日5回礼拝」

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イスラムとはアラビア語で「委ねる」、神に帰依する意味。
イスラム教徒は、唯一の神であるアラーに自分自身を委ね、
服従し、その教えを守ることが必要とされている。
キリスト教や仏教、神教でもこの原理は同じであろう。

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昔、テレビで榊を振り、神の御前に身を委ねたるという番組を、
思い出したが、宗教そのものの根本は心身共に委ねる事かも。
しかし、他力本願であってはならず自分の意思で立ち向かう、
精神を培うという事が大切ではないだろうかと思う。
イスラムでは一日5回の礼拝があり、その度に体を清める。

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毎日の礼拝は、早朝の礼拝、正午過ぎの礼拝、遅い午後の礼拝、
日没後の礼拝、そして夜の就寝前の礼拝の五回行う。
日本人に多くみられるような何でも信じるという事はない。
説明では時間は毎日少しずつズレて行くとの事だった。
だが、朝5時の礼拝には閉口してしまう。5時にモスクへ入り、
礼拝の準備をするためには4時起きと言う事になり大変。

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モスクの中の撮影は、白い長いヒゲを生やした人が近寄り、
何処から来られたのか?とまず質問を受け、日本からと、
答えると、日本の電化製品や車は長持ちするから良いと、
言いながらも撮影の許可が下りたので一安心したが、
私の後をずっと付いて来ては話しかけて来るから面白い。

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上の写真の右側のマイクが設置してある所で、先導者が座り、
甲高いイスラムの教典「コーラン」の朗誦をするとのこと。
少し朗読して頂いたが、不思議な感動を受けた。
私はモスクの中に入るのは初めてで、仏教などのように、
本堂と呼ばれる所に、拝む対象物がないのを不思議に思い、
質問してみたところ、理路整然と語ってくれた。

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私たちはモスクに集まり、アラーに対して礼拝するが、
拝む対象物は自分の心であり、その心を常に理想に向け、
浄化して行き、自分の生命が変われば、相手に接する心も、
変化し、平和な世界が出来るのではと思っていると話した。

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私は拝む対象物がないのならば、何処で礼拝をしてもと、
質問したが、設備の整った所で体を清め、聖地メッカの、
方角へ向け礼拝ができるので、こちらへ来て礼拝すると、
語ってくれたが、その話しの間にも私はシャッターを切った。
何となく生活の中に宗教が溶け込んでいる感じがした。

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「西寧は標高2295mの高地にある」

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西寧市は中国西南部、青蔵高原にある青海省の省都で、
青海省の政治・経済・文化・情報の中心地となっている。
しかし、日本人の何%の人が青海省が何処にあるのか、
知っているだろうか?逆に知らない人の方が多いと思う。

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なぜならば、このように書く私自身、中国へ来た15年前当時は、
知らなかったし、青海省が何処か分からないので、
その首都である西寧が何処にあるのか分かる筈もなかった。
しかし、地図を見たり旅行したりする中で中国の、
地図が書けれ、省の境界線も書く事が出来るようになった。

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そして、その私が書いた各省境界線の中に省の名前を、
中国人に書いてみなさいと言っても書ける人は少ない。
西寧は標高2295mの高地のため、年間の平均気温は5.6度と、
最も気温が高い7月の平均気温でも18度と、
気温の低いところであり、人口は約206万人弱である。

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青海省全人口518万人であるのに対して、西寧の人口が、
人口206万人弱と省全体の40%に当り、青海省全体の、
人口密度が少ない事がわかる。その中に漢族、回族や、
チベット族、モンゴル族などの民族が住んでいる。

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西寧の人口の8割を漢民族が占めるが、イスラム教徒の、
回族が数多く暮らしている。街中を歩くと白い帽子を被った、
回族の人々をよく見かけるし、レストランも清真と書いた、
イスラム料理の店が多くあるが、チベット族も多く生活する。

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中国の広東省の広州や福建省福州またその他省都の中では、
規模の小さい街で中国の他の省都より30年以上遅れているし、
人の動きや街も全体的にのんびりしていると言う感じがする。

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街をのんびり歩いていると、いろんな民族に出会えるし、
慣れれば、それほど不安感は感じず楽しい街だと思った。
通りで物を買い、店番をしている娘に1元硬貨3枚を手渡すと、
このお金は使えないよと一言言って奥の母親に持って行く。

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このお金は使えるから問題ないと苦笑いしながら出て来た。
母親曰く、1元硬貨はこの辺では流通していなく、
あまり見ないし、また貴方が土地の人ではないようなので、
貴方が差し出した硬貨が使えないと思ったと語った。
中国内陸部で流通しているのは、一円札で一円硬貨は、
殆ど見ないと言っても言い過ぎではなかった。

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「円満で幸福な理想郷」

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活仏の転生制度の活仏の意味が分かる人はいるだろうか?
活仏の意味は「転生者」であり、また「化身」と言うこと。

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さらに活仏といラ称呼の起源は、明朝の皇帝が当時の、
チベット地方で政権を握った法王を封じこめたことに始まり、
チベット仏教(ラマ教)の教義上において、この世の衆生を、
教え導くために、化身として姿を現したとされるラマを指す。

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チベット語の語義で仏祖の人間世界における化身ということは、
なんとなく分かったような?仏法を継承し、人間世界の不平と、
苦難を取り除き、衆生が輪廻の苦しみから離脱する事を援助し、
円満で幸福な理想郷に達するという事だそうである。

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「転生」とは、すべての生命は、死んだ後、別の生き物に、
生まれ変わるという事だそうだが、何となく理解できる。
たとえ僧侶であろうとも、一個の具体的な人間として、
当然、普通の人間と同じように死ぬということであろう。

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「過去・現在・未来・三世」

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「転生」とは、すべての生命が死んだ後、別の生き物に、
生まれ変わるという事だそうだが、何となく理解できる。

だが、彼らの精神は常にあり、彼らの霊魂は永遠に不滅で、
彼らは一代また一代と伝えられていき、一人の活仏が死んで、
人間の世界を離れれば、もう一人の「化身」がまた人間の、
世界に降りて来て、その事柄を継承するとある。

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その事を「転生」と呼ぶようであるが、チベット仏教では、
「新しい化身の誕生」という意味と理解され、一代、
また一代へと継承され、永遠に中断することはないとの事。

どうも私には理解し難い内容であるが、生命は永遠であり、
身体は朽ち果てる時が訪れようとも生命は、また別の、
身体に育んで行くと信じ理解している。

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記憶と言うものは人が死んでも覚えているとの考えには、
賛同できるし、また同じ生命であっても生まれる時に、
産道を通る苦しみに、それまでの記憶を忘れ去るとの、
考え方も理解できるそうな気がするが、別の化身が、
降りて来るという思想には、ついていけれない。

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写真の場所は青海省西寧のザンプリンカチベット仏像を、
展示している記念館であるが、チベット寺院ではない。
過去・現在・未来の釈迦仏像が展示されていたが、
撮影禁止で厳重に見張られ、3階に安置してある仏像は、
撮影出来なかったが致し方ない。

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「チベット仏教のみ変化」

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仏教はインドで起こり、既に2500年の歴史をもっている。
仏教は広くアジアの国家へ流布して、日本へは飛鳥時代、
550年ごろに百済の聖明王から釈迦仏の金銅像が贈られ、
その時より仏教の歴史が始まるが、百済とは現在の韓国。

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だがチベット仏教だけには、私だけかも知れないが、
理解できない活仏の転生制度がある。
チベットに仏教が伝わり、既に1300年以上の歴史がある。

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仏教が伝わった初期の段階では、その教義に忠実だったが、
チベット族の宗教、文化の伝統と結合して、大きな変化が起こり、
活仏の転生制度を生み出し、チベット仏教のみ変化した。

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2001年7月に、得票数約29,000を獲得しチベットの指導者に、
選ばれたロブサン・テンジンはチベット動乱インドへ亡命。
5歳にしてサムドン・リンポチェ4世の生まれ変わりとして、
認められ院主の座につき、ラサで宗教的な修行を始めた。

1959年の中国のチベット侵攻後、ダライ・ラマ14世と、
共にインドに亡命することになってしまった。

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「侵略・占領死亡推定数」

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ダライラマ14世は、1935年チベット北部の小農家の、
9人目の子供として生まれ、家は貴族階級でもなく、
生家はチベットなら、どこにでもあるような、
なんの変哲もないありふれた民家だったという。

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1962年にはチベット内の2,500の僧院から15万人以上の、
僧侶の内、14万人が追い出され、残された僧院は、
70箇所のみになってしまったという。
1950~1976年の間の侵略および占領の直接的な推定、
死者数が報告されたが、その死者数に驚く。

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刑務所や強制収容所での死亡推定数は17万3千人。
処刑人数は15万7千人、 餓死推定人数は35万人。
戦闘や暴動中に死亡した推定人数は43万3千人。
拷問により死亡した推定人数が9万3千人で、自殺が9千人。
合計104万人を超えた推定死亡人数であり驚く。

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1991年、ロブサン・テンジンは亡命したが、
チベット代表者議会の議員に指名された後、満場一致で、
議長に選ばれ、1996~2001年にはカム地区から、
亡命したチベット人を代表する議会の議長であった。

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2000年には、ダライ・ラマ14世は亡命中のチベット人が、
自ら政府の指導者を選ぶべきであると決断する。
2001年以降、ロブサン・テンジンは、チベットの自治権に、
対する支持を獲得し、中国政府と自治権の交渉を行うという、
ダライ・ラマ14世の提案に対する認識を広めるために、
精力的に飛び回っているが中国中央政府の圧力も更に増している。

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