Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

甘粛--敦煌・月牙泉


「足から頭まで完全に防備」

「中国上海写真ライフ」では、
敦煌「月牙泉」の写真を公開しています。

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一枚目の写真を見て驚いた人もいるのではと思う。
何となくインフルエンザの消毒に行くために、
足から頭まで完全に防備をした姿であるし、
撮影している私も全く同じ格好をしている。

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旅行する前にネットで鳴沙山の状況を調べていた。
鳴沙山は市内から近いのでチャーターの必要はなく、
タクシーで行って(10元ほど)、帰りも同じく、
客待ちしているタクシーで帰って来れば良いとの事。
しかし、私は現地の中国人ツアーに申し込んだ。

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もし自分一人でタクシーで行っていたら、このような、
写真の装備も考え付かなかっただろうし、強い砂嵐の、
情報も全く知らなかったので、中国人と一緒で、
ホッとしたような、何となく助かったような気もした。

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カメラはCANON5Dとレンズ3本、また事前の砂漠情報で、
水中カメラを寸前に手に入れ持参した為、砂嵐の中で、
ツアーに参加した中国人のようにレンズが回り難いという、
アクシデントには遭わずに済んだが、鳴沙山と月牙泉の、
為だけにカメラを購入した事は浪費のような気もした。

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「寝る前に童話の本を」

「中国上海写真ライフ」では、
敦煌鳴沙山「月牙泉」の写真を公開しています。

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鳴沙山と彫られた石を撮影しようとカメラを構えていた。
その後ろを10頭ほどの駱駝の列が通り抜けたので、
慌てて後ろへ下がり駱駝の全貌を撮影しようとしたが、
左右に中国の観光客が立っており仕方なく望遠側で撮影。

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私は3歳半から9歳半まで3軒の親戚を回りながら育った。
その時に親戚のおばさんより、寝る前に童話の本を、
親戚の子供と一緒に、よく読んで聞かせてくれた中に、
月の砂漠の話しと駱駝の話しだったが、家族の居ない、
私にとって夢のような物語だったし子供心にも、
行って見たい気持ちが逸った事を今でも鮮明に覚えている。

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実際の月の砂漠の話しは日本の海岸での話しで、砂漠の字が、
月の沙漠と「沙」の字になっている。2頭の駱駝に乗った王子と、
姫の像は千葉県の御宿海岸には海岸の浪打の音を聞きながら立つ。
何となく月の砂漠からイメージする国がアラブの国のような、
気がしてならないが、保育園に上がる前の幼い心に、
焼きついた思い出が蘇って来たのは確かである。

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子供の頃の想い出に浸る間もなく、砂嵐の猛攻撃が容赦なく頬を、
たたきつけ、痛みさえも感じる中で、一人列から離れて、
色々な場面の景色を撮影して回った。あまり離れないで下さいと、
ガイドの声が聞こえたが、砂吹雪でその声も直ぐに消え失せた。
ウインドブレーカーのフードの紐を締めると周りの音が静まり、
自分の世界だけが砂漠の中にあるような錯覚にまでなった。

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「イメージとしては神秘的な感じ」

「中国上海写真ライフ」では、
甘粛省敦煌「月牙泉」の写真を公開しています。

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鳴沙山は、その昔「神沙山」と呼ばれていたようである。
鳴沙山の砂はサラサラの茶色の砂ではなく、よく見ると、
赤、黄、緑、黒色などの何色もの土砂が堆積しており、
私が訪れた時には、砂嵐が特に激しく尾根の砂が嵐で、
吹き飛ばされ、まるでナイフで削り取られているようだった。

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鳴沙山は敦煌より南へ6キロほど下がった所に位置する。
砂漠化は今尚進んでいるが、800キロ平方mにわたる広大な、
砂の山々が陸続と続いているとの事でそれを鳴沙山と呼ぶ。
鳴沙山という名前は砂山を人が降りるときに沙が鳴る所から、
名前が付いたのかは不明だが、砂嵐の鳴る音はすごかった。

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この日、砂嵐ではなく穏やかな日であったならば駱駝に乗って、
目的地の月牙泉まで優雅に楽しんだのかもしれないが、
この嵐では、その想いも叶う事はなかった。鳴沙山中腹より、
砂漠の中のオアシスである月牙泉を撮影したが、砂嵐のお陰か、
イメージとしては神秘的な感じで撮影できたのではと自讃する。

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月牙泉は、鳴沙山の谷あいに湧く三日月形の泉で長さ200mあり、
幅50mで深さ5mの砂漠のオアシスで一度も枯れたことがない。
泉のほとりには楼閣が有ったが文化大革命で破壊されてしまった。
文化大革命後15年を過ぎた頃に復興されて今の寺の姿になった。
月牙泉の上に復興された寺にも、砂嵐の中一人でたどり着き、
撮影した画像があるので、明日以降写真を公開したい。

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「目の前の景色を一人占め」

「中国上海写真ライフ」では、
甘粛省敦煌「月牙泉」の写真を公開しています。

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私と同じようにホテルから参加したツアー客が何処に、
行ったのかも分からず集合時間も聞き逃した私は少し、
焦ったが私一人を残して去ってしまう事はないと信じて、
いつもの悪い癖である一人歩きが始まってしまった。

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ガイドにとって、何より一番心配な事は外国の旅行客が、
一人でフラフラ何処かへ行ってしまう事なのではあるが、
また血が騒いでしまった。一枚目の何でもない石碑に、
第一泉と彫られ赤のペンキで彫られた跡を塗られている。

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観光写真の快晴の時に見る画像と今回のような砂嵐の中で、
見る石碑とでは感じ方が違った。初めて訪れた砂漠のオアシスで、
シルクロードの本の表紙にも載る様な月牙泉であるが、
砂嵐の中一歩一歩砂の中を歩き、やっと水中カメラを、
構えて撮った第一泉の写真である。

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砂漠の中のオアシスで一度も枯れた事のない月牙泉だけあり、
月牙泉の小高い原っぱに入ると一面の緑に心動かされた。
砂嵐の中でやっと辿り着いた砂漠のオアシスにホッとすると共に、
人の声が聞こえず、不安な気にもなったが、目の前の景色を、
一人占めしたような錯覚にまで陥った事も隠し切れない事実だ。

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「月牙泉の小高い丘には寺院」

「中国上海写真ライフ」では、
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「オアシス」とは「住みか」という意味であり最初に、
用いたのは古代エジプト人だが、語源はギリシャである。
世界各国にも多くの砂漠が存在しオアシスも存在する。
敦煌は砂漠のオアシス都市として世に知られている。

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鳴沙山の麓に泉があり中国沙漠第一泉の月牙泉がある。
三日月形の月牙泉は古代より敦煌の目とされてきた。
古来より時を刻みながら、毎日5トンの水が湧き続けて、
今まで砂漠の砂に埋もれてしまった事がないが、このまま
砂漠化が進めば50年後には埋もれる危機にあるという。

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過去2千年以上の時を刻み、またシルクロードに立ち寄った
人々の心を潤してきたオアシスが、あと50年の命とは・・。
古来より神聖な場所として月牙泉の小高い丘には寺院が、
文化大革命時代に古き文化を新しい文化へと破壊された。
その後、世界文化遺産の候補に上がる声と共に再建立された。

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私は寺の中心地点に立ち、いにしえのその昔多くの人が、
破壊された寺を眺めていたのではと思いながら撮影した。
だがガイドにはこの方向へ来る事は伝えてあったが、
砂嵐の音や風で舞う砂も緑の木々や三日月の泉に遮られ、
寺院の中はまた違った空間の雰囲気に包まれていた。

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「月牙泉の小高い丘には寺院」

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「オアシス」とは「住みか」という意味であり最初に、
用いたのは古代エジプト人だが、語源はギリシャである。
世界各国にも多くの砂漠が存在しオアシスも存在する。
敦煌は砂漠のオアシス都市として世に知られている。

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鳴沙山の麓に泉があり中国沙漠第一泉の月牙泉がある。
三日月形の月牙泉は古代より敦煌の目とされてきた。
古来より時を刻みながら、毎日5トンの水が湧き続けて、
今まで砂漠の砂に埋もれてしまった事がないが、このまま
砂漠化が進めば50年後には埋もれる危機にあるという。

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過去2千年以上の時を刻み、またシルクロードに立ち寄った
人々の心を潤してきたオアシスが、あと50年の命とは・・。
古来より神聖な場所として月牙泉の小高い丘には寺院が、
文化大革命時代に古き文化を新しい文化へと破壊された。
その後、世界文化遺産の候補に上がる声と共に再建立された。

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私は寺の中心地点に立ち、いにしえのその昔多くの人が、
破壊された寺を眺めていたのではと思いながら撮影した。
だがガイドにはこの方向へ来る事は伝えてあったが、
砂嵐の音や風で舞う砂も緑の木々や三日月の泉に遮られ、
寺院の中はまた違った空間の雰囲気に包まれていた。

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「有名な月牙泉を満喫できた」

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甘粛省敦煌「月牙泉」の写真を公開しています。

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三国史の時代の前、甘粛を漢が制圧すると敦煌の西に、
防御拠点の玉門関と陽関の関所が設置され、漢の西域の、
中心地となり、西方からの汗血馬・ブドウ・ゴマなどの、
産物や仏教がこの地を通って漢に運ばれ、漢からは、
絹が西方へと運ばれシルクロードの道が作られて行った。

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漢にとっての経済・軍事に於ける重要な拠点となり、
更に税も物価も安く、住民は平和と豊かさを楽しんでいた。
この頃の中国の人口が6千万人で敦煌の人口が4万人ほどと、
この頃の敦煌がいかに栄えていたかが分かるが、この地の
住民は漢政府により送り込まれた窮迫農民や犯罪者だった。

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また敦煌の住民が漢の街へ帰ることは禁じられていた。
まるで韓国ドラマ「チャングム」のチェジュドウのようだ。
この頃の中国は戦乱の世の中にあったが敦煌は西域に対する
拠点として重要さは変わらなかったし三国時代の100年後、
仏教が中国に布教した時代でもあり、366年から莫高窟の、
掘削が始まっており中国の旅行に限らず、日本でも同じで、
歴史の学習をしてから、目的の地を訪れるべきと思った。

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月牙泉の中で誰も居なく不気味だったが今思えば砂嵐の、
お陰かどうか砂漠の中の有名な月牙泉を満喫できた。
砂嵐の中を電気自動車でバス乗り場まで行きバスに乗り、
ホッとしたのも束の間、バスの窓の隙間から砂嵐の砂が、
入り込んで来ていた。前の運転手の頭の半分は砂が被り、
肩も砂でベージュ色になっていた。何とも始めての体験で、
驚きと感動と情けなさが入り混じり、座席を撮影した。

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