Dog photography and Essay

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河南省--嵩山少林寺3


「外付けHDDの方が故障率が高い」

「中国写真ライフ」では、
河南省の嵩山少林寺の写真を公開しています。

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自分のミスから壊れた外付けハードディスクだったが、
そのHDDの中には、思い出の写真データが入っていた。

一度でもブログで公開していれば諦めもつくが、
一度も公開していない写真データもあり悔しかった。

5時間飛行機で飛び、陸路を6時間走り、険しい道を、
重たい撮影機材を掲げて行った雲南省の思い出などの、
写真や、北京故宮と同じセットを作った浙江省に造られた、
横店映画村で撮影した写真データなども入っていた。

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だが、まさかこんな事になろうとは、壊れる前に考えた事は、
あったものの、まさか現実の事となるとは思ってもみなかった。

予期出来る能力も持ち合わせていない自分には、今では、
ノートPCのハードディスクと2つの外付けハードディスクに、
保存しているが、こんな時には何も起こらないから拍子抜け。

しかし、面倒くさいと止めてしまったら、また直ぐに、
壊れてしまうのではと、止める事は出来ないから困ってしまう。

外付けHDDが、昔のように高価なものだったら、出来ないし、
他人にしてみれば、どうでもよい写真であるが、一つ一つに、
思い出の写真であるから、バックアップ保存は、これからも、
行って行くだろうが、外付けHDDの方が内蔵HDDより、
故障率は高いと言われており予備が必要である。つづく

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「バックアップは必要な作業」

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前のページで、外付けHDDの方が故障率は高いと、
言われており予備が必要であると書いたが、
壊れたHDDからデータを取り出すには専門知識が必要。

HDDは回転する磁気ディスクを読み取る形のもので、
CD-R盤を思い浮かべれば、良く分かると思う。

書き込み可能なCD-Rに書き込んだ後、ディスクを見れば、
書き込んだ跡がハッキリと分かるようになっているが、
HDDもこれと同じようなもので、書き込んだ後、削除や、
フォーマットし、また新たに書き込み出来るようになっている。

だが、レコード盤と同じような、傷が付きカチッカチッと、
音がなり動作がない場合、HDDを交換しなければ復旧しない。

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原因は、パソコン駆動中に何かの衝撃が加わったなどの、
不意の事故により、HDDはもろくも傷付いてしまう場合が多い。

保証範囲内でメーカーに修理依頼をした場合は、新しいHDDに、
交換されて送って来るが、困った事にHDDの中身は、何もない。

勿論、Vistaや7のソフトは問題なく動くが、OfficeもWordも、
徹夜して作ったレポートも写真の画像データの全てが無くなっている。

藁をもつかむ思いで、メーカーサポートへシリアル番号等伝えて、
事情を聞いてみると、HDD故障時のデータの復旧は行っていないと、
告げられ、それでも冷静に質問していても、データのバックアップは、
必ず行って頂く事は、お客様には必要な作業ですので、これからは、
バックアップを心掛けて頂くようになさって下さいと事務的だった。

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「想像上の動物が飾られている」

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河南省の嵩山少林寺で撮影を続けていたが、
少林寺の建物の屋根の端には走獣が飾られている。

中国に限らず東南アジアでも日本でも走獣が、
重要な建物の屋根のコーナーに飾られている。

走獣だけではなく、仙人や龍、獅子など、
想像上の動物が一列に並んでいる場合もある。

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少林寺の千仏殿の屋根には、日本の城の天守閣などにも、
飾られているようなシャチ鉾にも似た、龍の飾りがあった。

全ての飾りものは魔除けとして置かれている。
沖縄のシーサーと同じような感じである。

シーサーは、今日では権威の象徴であり守り神、
魔除けの神、また、除災招福を導くものとして、
屋根の上や玄関に装飾用としてつくられた。

故宮などに行くと、屋根の上には10個ほどの魔除けが、
規則的に並んで置かれているのが分かる。

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「少林薬局は実在した」

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少林寺をテーマにした映画やドラマは少なくない。

1976年、少林寺でカンフーをマスターした、
ハーフの男がアメリカ西部を渡り歩くドラマ。
勿論、中国では放映されていないが日本では有名。

1982年の香港映画「少林寺」は大ヒットし、
ジェット・リーの名前は不動のものになった。

嵩山少林寺にも、映画を見た多くの若者が、
押しかけるようになり、一時は武術学校だけで、
2万人ほどの若者を教えるようになっていった。

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写真の「少林薬局」は中国政府から登録を許可されないまま、
控訴したが、秘薬を売る際になり、内容の分からない薬では、
登録が許可できないとされる判決が2004年にあった。

さらに、少林寺のブランドを世に広めようと、
インスタントラーメンや弁当やお茶などの商標として、
「少林薬局」の登録を中国政府に申請したが却下された。

少林薬局は実在したが、健康食品に薬の登録は出来ないと、
判決が2010年4月26日に下りたが、少林寺側は、
商評委を相手にし提訴をしたようだったが・・・。

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「歴代の僧侶の墓」

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嵩山少林寺の碑林は世に知られているが、
中国碑林で、最も有名なのが、陝西省西安の、
孔子廟にある石碑と山東省の曲阜碑林だろう。

碑林とは古代からの歴代の師が書いた詩を、
石に刻んで、建てたものであるが、
写真は塔林に入っていく所である。

塔林とは、少林寺歴代住持と僧侶の墓地である。
僧侶が生前、志を塔に刻み、功徳を明示した。
私も自分の墓だけはと思い、名前を刻んである。

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唐代から現在までの墓塔の数は231塔ある。
いつ頃から塔林と呼ばれるようになったかは、
分からないが、塔が増えるに従い林のように、
見えてきたことから塔林と呼ぶようになった。

全国でも重要な文化財と保護されているが、
塔林の形は、一定ではないように見えた。

だが、このような重要なものが観光客が自由に入り、
手で触れる所に建てられており、歴代の僧侶の墓へ、
いとも簡単に入れる事が不思議に感じた。

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「塔林は歴代高僧の墓」

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中国の五大名山の一つである嵩山の麓にある少林拳で、
名を世に馳せた総本山少林寺で、創建は496年だが、
1928年の出火で建物や魏代の仏像などすべて消失する。

現在の少林寺の建物は、最近復元された建物である。

映画「少林寺」でも、復元された建物が使われた。
また建築物は新しいが、写真の塔林は、500年当時からの塔。

少林寺の映画では、ジェット・リーやユュー・ハイなどが、
格闘する場面があるが、写真の塔林での戦いのシーンである。

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少林寺の僧にとっては、重要で神聖な場所にもかかわらず、
観光客に公開されているのが、一般の寺院と違う所だ。

一般の寺院では、解放されているが重要文化財の墓などは、
体の良い柵が作られ、中には入れないような所もある。

その意味で、多くの観光客が訪れ、観光名所ともなっている。 

だが、中国の人達は塔林にもたれて記念写真をを撮ったり、
中には塔によじ登ろうとしている若者もいて驚いた。

日本の寺に造られた墓であるならば、墓の上によじ登る人は、
居ないだろうし、見かけた事もない。思想の問題なのか。

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「家庭での道徳教育がおろそかに」

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中国では上海万博が開幕し庶民の盛り上がりや、
期待も凄いものがあり、インタビューに、
答えているほとんどの人が称賛をし、今や、
中国は世界のトップになりそうな勢いを感じる。

沿岸部の庶民の生活も以前とは大きく変わり、
日本の東京オリンピック後、大阪万博時代よりも、
スピードは早く、多くの人々が、今や、
日本など怖くないと口にする。

だが、それは中国沿岸部の裕福な人々であって、
内陸部の暮らしは、日本の戦後10年ほど経った、
時代のような生活で、電気もガスも水道もない。
そんな貧しい生活を送る人々も多いが、
不幸感はなく、みんな、明るく生きている。

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中国内を旅行している人たちは、裕福な部類に入る。
だが、その裕福な人たちが、高僧の墓によじ登り、
記念撮影をしようとしている姿に驚いた。

中国は文化大革命時代、仏像や建物を、
破壊した時代があり、その時代に生きた青年の、
子供たちの時代が、現在の若者にあたる。

文化大革命時代後、それまでの孔子の礼儀も、
どこかへ消えてなくなり、子供たちへの、
家庭での道徳教育がおろそかになってしまった・・。

全てが、そうではないが、多くの中国の人々は、
過去を悔み、将来を憂いている人も多い。

だが、これから中国の若者の多くは高等教育を受け、
世界の中国の名に恥じない行動を取ってくれるだろう。

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「第一日目は裕福な人達だったが」

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上海万博が昨夜開幕したが一日の入場者目標40万人弱、
だが今日の入場者は20万人強だった。
それも、大声で入場予約券を奪い合う姿に、
驚いた日本の人もいたのではないだろうかと思う。

だが、中国では日常茶飯事の出来事である。
今でこそ、経済大国になり礼儀正しい人も増えてきた。

20年ほど前は、病院の受付や薬局、駅のチケット売り場、
我先にと前に向かい、受付などの窓口では何人かの手が、
入り組んで入り込み、遅れる一方であった。

まだ5年ほど前まで、我先にと割り込みはひどかった。
最近になり、落ち着きを見せてきたが、道徳観念が低い。

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私は看護センターへ行き、責任者に何度もお願いした。
婦長さんに、ここは中国だからね。皆に並びなさいと、
言ってみたって、理解できないでしょうねとの返事。

それでも、仕方ないなと渋々スキー場のリフト乗り場の、
混雑ぶりに似たような所へ行き、大きな声で、ほらっ!
日本人から、順番に並びなさい!って言われているわよ!

そんな事を言っても、受付でつかみ合いの喧嘩をしている人には、
全く効果はない。そればかりか、聞こえた人が振り向き、
私を見て、日本人は中国を侵略に来て何を言っている!

偉そうな事を言うな!と罵声を浴びた事もあり、今日の、
第一日目は裕福な人達だが、混乱は当然の出来事と思った。

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「少林寺と呼ばれる由縁」

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中国の五岳(五名山)は道教の聖地であり、
陰陽五行説に基づいて「木行=東」「火行=南」
「土行=中」「金行=西」「水行=北」の五つに、
分けられており、聖山とされている。

1)東岳泰山(山東省) 2)南岳衡山(湖南省)
3)中岳嵩山(河南省) 4)西岳華山(陝西省)
5)北岳恒山(山西省)の五つの山を五岳と呼ぶ。

神話から来ているが、中国で有名な安徽省の黄山は、
この五岳には含まれてはいない。

少林寺は五岳の三番目の中岳嵩山にある寺院である。

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インドから中国に渡来した達磨により禅が伝えられた。
達磨は初め、インドから南方へ渡来し、宋の皇帝と、
問答をしたが、達磨の心と皇帝の考えが違い、当時、
北にある国である北魏の皇帝と打ち解け、嵩山に禅を、
広めていったので、嵩山は中国禅の名刹である。

また少林武術の中心地としても世界的に有名。
日本で知られる少林寺拳法は、現在の嵩山少林寺の、
拳法とは違い、少林寺拳法と少林拳とは別物である。

少林寺と呼ばれる由縁は、少室山の北麓の森林の中に、
建てられている為、少林寺と呼ばれている。

中国仏教の禅宗の発源地であり、少林寺拳法でも有名。
写真の塔林は、少林寺の西側にある歴代高僧の墓地。  

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「形状は六角、八角や円形など」

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少林寺から西側に歩いて行くと歴代の高僧の墓地が、
見えてくる。レンガと石で作られた墓塔で、
中国に現存する最大の墓塔群で231個の塔がある。


墓地の中を歩くと、一つ一つの塔が林のように、
感じるが、歴史も古くから一つずつ建てられてきた。

塔の正面の石には、詩が彫られ、塔の形・段階や、
塔の高さ・大きさは、その時代を象徴している。

塔のも多種多様ではあるが、高さは15mほどで、
塔の形状は正方形、長方形、六角形、八角形や円形など。

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塔は優美なデザインと浮き彫りが刻んであり、
塔の正面には塔主の名前や号が書かれている。

塔の前には石碑が立てあり、塔主の生涯の足跡や、
また塔を立てた人や年代が詳細に書いてある。

少林寺塔林は、書道、彫刻を研究する芸術宝庫であり、
仏教歴史、少林寺歴史の研究資料でもある。

写真は、少林寺の塔林を見守る僧侶たちだが、
疲れたのか、ひと時の間、眠っているところを撮った。
シャッター音が聞こえたのか、目が覚めこちらを見た。

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「塔林は破壊されず残った」

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少林寺の僧侶は、侵略者や盗賊から身を守るために、
厳格な訓練を受けた僧侶の武術は世界的にも有名になった。

1966年に始まった文化大革命では、古い文化を破壊し、
貴重な寺院、仏像や経典類を破壊し続けた。

僧侶も、紅衛兵達には逆らう事が出来なかった。
寺院は物色され、塔林の一部も破壊された。

だが、少林拳は禁止されずに、1976年文化大革命が、
終結するまでの間も修行は続けられ、1980年代に入り、
古代の武術への関心が深まり、映画が作成されると、
少林拳は多くの人が知るところとなり若者にも希望を与えた。

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少林拳はカンフーとして多くの映画の中でも使われ、
多くの若者は、カンフー映画スターになることを熱望し、
一時は2万5千人の少林拳を習う若者で、あふれたという。

1930年ごろ少林寺寺院が火災に遭い、再構築したが、
その後、文化大革命で破壊された建物は、新しく建てられた。

写真の塔林の多くは破壊されずに、現在まで形を留める。
当番制で僧侶が、その塔林を守るために立っていた。

そして、塔林を触る者やよじ登ろうとする者に注意を与えていた。
撮影している人にも注意を与えていたが、良く聞いてみると、
撮影する側ではなく、撮影される側の人が墓に足を掛けたり、
墓に登っている事に対して注意をしていたと分かり、
私は僧侶の後方から頭を通して、情景を撮影した。

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「僧侶の武術禁止時代」

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1644年から268年間中国を支配した統一王朝清の時代、
皇族により北少林寺は守られ、南少林寺は全滅させられた。

1978年香港映画「南少林寺VS北少林寺」でも如実に表現され、
南少林寺の僧侶の歴史も清の朝廷一旦終息してしまった。

中国での仏教も220年前に終息を迎え、現在では仏教を、
信奉する人たちも多く、拳法でも信教の自由を有している。

清の時代は、嵩山少林寺を表面では褒めていたものの、
その反面、一方では圧力をかけていた。

また少林寺の修繕をしたり書を贈ったりしてもいたが、
僧侶の武術の訓練などは禁止しており、若い僧侶たちは、
武術の訓練や経験もなく、外部から容易く責められた。

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南の少林寺は、福建省に建てられていたが、清の軍隊、
3万人に囲まれ、寺に火をつけられ、多くの僧侶たちを、
死なせてしまい、伝説では5人助かっただけだと伝わる。
南の少林寺の建物は無くなり、農地のみになってしまった。

だが、皇帝の軍隊は、嵩山少林寺にも火を放ち非常に、
大きな損害となり、嵩山でも僧侶の武術は禁止されており、
訓練していない若い僧侶は死んでしまった。

この焼打ち事件のあと清の朝廷は次の皇帝の時代に、
3年間かけて河南省の税金で少林寺を修復した。

日本の歴史の中でも、寺院の焼打ち事件も多くあったが、
その時代の頭首の思想によって悲惨な事件を巻き起こした。

今回の嵩山少林寺への旅はこれで終わりです。
次の旅は、浙江省杭州西湖の写真を紹介する予定。

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