Dog photography and Essay

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武夷山探訪1



「武夷山探訪1」

「中国写真ライフ」では、
福建「武夷山」の写真を公開しています。

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新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

アモイ空港から武夷山空港まで飛び、
空港まで旅行社の人に迎えに来て頂いた。

私一人武夷山へ来たが、ガイドを一人、
付けてくれるとのことで武夷山へ行った。

写真は武夷山ゲート付近の風景。

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武夷山は福建省にある黄崗山を、
中心とする山の総称で、黄山、桂林と並び、
中国人が人生一度は訪れてみたい場所だ。

山水の名勝として有名で、世界遺産に登録。
ガイドと待ち合わせしていたが私の名前を、
書いたカードを持った人が現れずヤキモキした。

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約束の待ち合わせ場所で15分ほど待っていると、
「すみません、日本人の・・さんですか」と、
中国語で声を掛けてきた青年が近寄ってきた。

私の名前を書いたカードを忘れてきてしまい、
同じところでず~っと待っていたという。

握手をしてからチケットを買いに行くと言うので、
段取りが悪いが大丈夫かなどと思ってみたりした。

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「武夷山探訪2」

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武夷山は江西省と福建省の境界に、
またがっており、武夷山の近くには、
武夷山空港があり各都市から直接入れる。

武夷山の主峰である黄崗山の海抜は、
2158メートルあるが、これから入る武夷山は、
海抜はそれほど高くはなく1000mほどである。

黄崗山を中心にした武夷山風景区が世界遺産に、
登録されたのはまだ12年ほど前の事である。

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武夷山の中に入ると自然の岩肌に、
多くの文字が彫られている光景を目にする。

どこの山の風景ともよく似ているが、
茶畑が多いのも目にする事が出来る。

また比較的低い丘陵や山が広がるが、
赤く切り立った崖や柱のような峰が多く、
その間をめぐる渓谷なども「武夷仙境」や、
「奇秀甲東南」と呼ばれている。

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気候は、亜熱帯気候に属するため、
冬でも比較的暖かいと感じた。

羽毛ジャケットを持って行ったが汗ばむ、
場面も多くあったが羽毛を脱ぐと、
冬でもあり直ぐに寒さが襲ってきた。

武夷山の降雨量は比較的多く、その雨が山を削り、
雲を生み、美しい九極渓を作り出している。

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「武夷山探訪3」

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昨夜は武夷山のホテルで食事をした。
蛇のから揚げ料理が出たが久しぶりの、
蛇料理はコリコリして美味かった。

広東省で生活していたころは、
よく蛇料理を食べに行ったものだった。

大きな店に行くと白い綿の生地の袋に、
蛇を入れて私の横へ持ってきて、
今から料理する蛇の太さを見せてくれる。

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蛇を袋から出して「これで良いか」と、
店に持って来るが、あまり感じの、
良いものではないが習慣なので仕方ない。

武夷山にも蛇料理はあるが、蛇をさばき、
調理をして持って来るまでに時間が掛かり、
肉や野菜の炒めものが多くなる。

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蛇のしゃぶしゃぶも美味い。
蛇を皿の上にきれいに並べ、赤味の肉を、
網じゃくしに入れ、沸騰している湯に、
暫く浸けたあと食べるが、これもまた美味い。

蛇の肉をさばいた後に残った蛇の骨を、
から揚げにしてもらうののまた美味しい。

だが、時間が限られる山歩きでの食事は、やはり
山菜料理が早くて美味しいのかも知れない。

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「武夷山探訪4」

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武夷山は36の峰から構成された山で、
そのほとんどが一枚岩からできている。

海底が隆起した岩は圧巻であり、
渓谷は全長60キロの九曲渓が有名である。

武夷山で最も高い峰は天游峰と呼び、
標高400メートル以上ある。

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天游峰の山頂の天游観に登るためには、
幅の狭い急な石段を1時間以上掛けて登る。

途中何度も休憩をしながら登り、
普段いかに運動不足かを思い知らされる。

冬なのだが背中に汗をかいているのが分かる。
休憩をした後は、冷やされた冷たい汗が、
背中に感じられ気持ち悪いと感じ背筋を伸ばす。

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だが、天游峰を登り出し少し経つと、
その気持ち悪い感触も吹き飛んでしまう。

天游峰を登って休憩をするたびに、
下の九曲渓を望んでしまうが疲れも吹っ飛ぶ。

また高い位置からの眺めは低い位置より、
絶景であり、登っているときは、
もう下山しようと何度も思った。

そう思うものの九曲渓を見るたび、
一歩でも高い位置から眺めたいという衝動に、
かられているから不思議である。

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「武夷山探訪5」

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写真は天游峰の上から望遠で撮影。
武夷山へ来た目的は天游峰登りと、
九曲渓のイカダ下りであるが、
武夷山景区でも一番人気は天游峰である。

旅行に出発する前に考えることは、
山登りをしてより平野を旅するか、
先に平野の観光地を観てより山登りをと、
迷うことが多いが今回は後の方へ山を入れた。

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今までにも経験していることではあるが、
先に登山をしてのち平野を観光すると、
運動不足の場合、必ず足の筋肉痛になる。

バスで移動し目的地に到着し下車。
だが第一歩が痛くて気合を入れないと、
痛くて大変だが、中国人も同じようだ。

経験をもとに登山を後に持って来ると、
それまでの観光で疲れが溜まってしまい、
登山途中で何度も休憩をしないと登れない。

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私は普段から5キロほど歩いているため、
余程のことがない限り大丈夫だが、
中国人の中には、ぐったりし籠に乗り、
移動する人も見かけるが、登山の途中から、
ギブアップする人の場合厄介である。

写真は、九曲渓の筏下りであるが、
筏には6人しか乗ることができなく、
私一人なのでガイドに5人グループを、
探してもらい、筏下りをすることになるが、
思いもよらないアクシデントに見舞われる。

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「武夷山探訪6」

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武夷山の登山道は急傾斜の石段だった。
中国人の登山客の中には、急な石段を、
眺めただけで、登らずに引き返す人もある。

私はカメラ機材だけで8キロほどあるバッグを、
肩から提げているので、思いの外きつかった。

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天游峰の険しい登山道から、
九曲渓へ下る途中、茶洞と記した石碑に、
ピントを合わせてシャッターを切った。

武夷山では烏龍茶の茶畑が有名である。
茶洞と書かれているので洞窟かと思った。

だが実際には大きな一枚岩どうしに挟まれ、
洞窟のような狭い場所に茶の樹が、
植えてあるから茶洞と呼ばれる由縁。

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九曲渓の河原へ下りてきたが水の流れる、
せせらぎが聞こえるほど静かだった。

筏下りの船頭の持つ太い竹竿が、
川底を突き、水を切る音が心地よかった。

写真は、九曲渓の河原から間近を、
通り過ぎて行く筏下りの光景を撮影した。

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「武夷山探訪7」

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武夷山の茶洞から峰の登山道を、
登って行くと隠屏峰にたどり着ける。

隠屏峰の隠屏とは、峰が連なり、
見え隠れする光景が屏風のように、
見える事から隠屏の名がついたとの事。

登山道の前方を見上げると天游峰の頂上を、
目指して絶壁を登る人々が小さく見える。 

そこを通り過ぎると巨大な一枚岩の、
屏風のように切り立った隠屏峰が見えてくる。

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峰の西側には接笋峰があり、広場には、
樹齢1000年以上はあろうかと思われる樹木が、
ぽつりぽつりと立ち並んでいた。

私一人に24歳のガイドがついてくれたが、
案内をするより、仕事の愚痴をこぼす方が、
多いように感じたが、私は黙って聞いていた。

武夷山のガイドは急な石段が多く、
登るたびに疲れが翌日まで残ってしまうと言う。

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特に36人ほどの団体ツアーのガイドなどになると、
早く登りたい人やゆっくり上りたい人、また
体の不調を訴える人など気の休まる時がないと言う。

私は、笑いながらも、それが仕事なのだから、
一生懸命にガイドの仕事をするしかないのではと、
話すと、この狭い所でこのままガイドをして、
時間だけがむやみに過ぎていく。

中国全土を自由に行けれるガイドになるための、
ガイドの資格免許をとりたいと話していたが、
若いと言う事だけで羨む自分の心にハッとした。

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「武夷山探訪8」

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隠屏峰の南麓の石段を上り、更に、
南側へ進むと朱熹が建てた武夷精舎の、
学校跡が資料館のように残されていた。

朱熹が12世紀後半に開いた学校とのこと。
初めは何の建物か分からなかった。

朱熹の名は目にした事があったものの、
朱熹が朱子学をまとめた事は知らなかった。

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朱子学は儒学であり身分制度の尊重や、
君子権の重要性を説いており、朱子学は、
13世紀には朝鮮に伝わり、朝鮮王朝の
統治理念として用いられた。

朝鮮は高麗の国教であった仏教を排し朱子学を、
唯一の学問としたが、韓流時代ドラマでも、
身分制度など如実に描かれている。

武夷精舎は九曲渓の五曲にあり、朱熹が、
54歳のときに築造した勉学の場であり、
朱熹はここで5年間講学したとされる。

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南宋末に拡張されて紫陽書院となり、
明代に朱熹から8代の孫の朱洵と朱?が、
改建して朱文公祠と改称した。

近年まで清朝初に再建された武夷精舎の、
残址と石碑が残るのみであったが、
2001年再建され現在に至る。

武夷精舎の中の様子は次のページで更新。

朱子は1130年に福建省で生まれ父より、
学問を教わって論語や孟子の経典に親しんだ。

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「武夷山探訪9」

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朱熹は南宋の哲学者で1130年から1200年の
70年間を生き、71歳になった時他界した。

朱熹は朱子学の創始者で朱子の名で知られる。
福建省建州に生まれで18歳で科挙進士に合格。

宋代の新しい儒学をまとめ上げ朱子学を、
完成させた事でも知られている。

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朱熹の死後、朱子学は徳川幕府の官学として、
明治維新までわが国思想の背景をなした。

中国漢詩の偶成には、

少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んず可からず・・・

若者は年をとり易く、学問は成就しにくい。
ゆえ少しの時間でも軽々しくしてはならない。

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上記の漢詩を思い描きながら、
誰も居ない武夷精舎の教室の椅子に、
腰を下ろし、机に膝をつき思いにふけった。

5分もしないうちに、ガヤガヤと、
中国女性達の声が聞こえて来たので、机を、
バン!と音がするほどに手を付き立ち上がった。

外に出ると日差しが目に眩しいほどに感じた。
ガイドから、次は筏に乗りましょうかと言われ、
ガイドは乗らないので船着き場で待っていますと、
筏乗り場まで案内してくれた。

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「武夷山探訪10」

「中国写真ライフ」では、
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武夷山九曲渓の筏下りを堪能した。
ガイドが筏を待つ行列の中に入り込み、
5人家族の旅行者が居ないか聞いて回った。

行列の中間程の5人家族と交渉成立し、
私は5人の家族と共に筏下りを楽しんだ。

中国人5人は祖父母と父母と娘の5人だった。
私は35歳ほどの父親と握手を交わした。

すると奥さんや祖父母まで手を出し握手を、
求められたので、何となく歓迎されている気分で、
手を上下に振り強く握手をすると小学生の娘も、
私日本人と握手するのは初めてと笑顔を見せた。

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筏には14センチ程の太い竹が16本程、
横につなぎ合わされ、幅は2m20cm程。

トヨタのランクルで2mないがそれより幅が広い。
また長さに関しては、5m50cmほどあるが、
実際のランクルでは1m20cmほど長い。

家でも同じ事が言える。家の基礎の段階では、
こんなに小さな家なのかと思っていても実際に、
家が建ってみると基礎の段階で思った小さな、
家から結構広いと思うのと同じである。

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以外に小さい筏と感じていた時、足に冷たさを、
感じたが、それとほぼ同時に、私の横に、
座った少女の父が、運動靴が水の中に・・と。

筏の座席の足を置く所は、竹で一段高く作ってあり、
その竹の上に足を乗せればスニーカーの水没は、
防げたと思いながらもカメラの設定に、
気を取られていたと笑ってみせた。

写真は筏に乗りながら撮影した九曲と、
岩に彫られた光景を撮影した。

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「武夷山探訪11」

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私達6人が筏に乗ると同時に船頭さん2人も、
直ぐに乗り込み、約10キロの筏下りを、
2時間程楽しんで頂きますと岸を離れた。

観光客は6人ずつ乗せないと出発しないので、
9人グループなどの場合、6人と3人に分かれて、
筏下りをしなければならないが、写真のように、
筏は次から次へと出て確認できる。

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筏の上には竹で作られた椅子が6脚作られており、
椅子と椅子の間も20センチほど離れている。

救命胴衣の着用は義務付けられており、
着用するまで筏を出してはくれない。

冬でもあり厚着をしていたので救命胴衣の、
着用に手間取っていると船頭さんが、
後ろから手を添えてくれたので助かった。

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ガイドからカメラバッグなど不必要なものは、
私が預かりますからと言われ、交換レンズのみ、
出したのち、予備のカメラと2本の交換レンズの
入ったバッグを手渡すと、重たいですね~と笑った。

お客さんの中には一眼レフのカメラを川の中へ
落としてしまった人や筏下りの途中で不安定な
姿勢のとき、筏が揺れカメラは水の中へポチャリ。

カメラと思い出のデータは戻らなかったとの事。
ストラップは首から提げておいた方が良い。

写真は七曲付近を通過で、下の岩山が天游峰である。

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「武夷山探訪12」

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武夷山九曲渓の筏下りも半分ほど過ぎた。
自然保護区に指定されているだけあって、
九曲渓は神秘的な美しさがあった。

船頭が一生懸命九曲渓のポイントが来ると、
船を漕ぐ手を止めて説明してくれた。

中国の人達は船頭に質問をしながら楽しい、
会話をしながら、筏下りを過ごしていた。

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私は船頭が話すポイントが来ると、
レンズを向けシャッターを切っていたが、
ポイントの紹介説明はその時は、
覚えているが時間が経つと、
忘れてしまっていた。

ただ船頭の説明の中で、奇岩や山の形を動物に、
譬えて説明をしてくれたが、撮影している間に、
奇岩を見るタイミングを逃してしまい一体何処が、
その動物に似ているのかと首をひねった。

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星村碼頭を出発した筏から水面を見ると、
山がきれいに映る時があるとの事だった。

最初の湾曲を過ぎた所で青蛙石などが見える。
流れが急になりかけると双乳峰が近くに見え、
渓流沿いには上下水亀などの奇岩が見える。

中国の小学生の女の子は、想像力を働かせ、
船頭の言う岩に、別のものに見えると、
自分で楽しそうに名前を付けていた。

写真は五曲・小九曲・金鶏洞・四曲などと、
彫られた岩の画像であるが、
快晴なので鮮明に撮れている。

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「武夷山探訪13」

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武夷山九曲渓の四曲を過ぎてより、
船頭が船を漕ぐのを止めて写真の方を、
指差し説明をしてくれた。

昔、風葬が行われていた洞窟だとか、
遺体を風にさらし風化を待つ葬事で、
今はもちろん行われていない。

私は船頭の話を聞きながらも画像の洞窟へ、
レンズを向けシャッターを切っていたが、
突然パリンという金属音のような、
ミラーのガラス音のような音が聞こえた。

私は一瞬、レンズを洞窟へ向けたので、
霊が撮影を出来なくしてしまったとも思った。

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気を取り直し、非科学的な考えはやめ、
カメラの内部が壊れた事は間違いないと思った。
どう考えても明らかにミラーに何かトラブル。

私はモニターに撮影した画像を映し出したが、
上のように画面は真っ黒になっていた。

シャッターを押しても、カメラ内で何かが、
引っ掛かってシャッターを押しても動かない。

私は、慎重にレンズを取り外し中を見ると、
ミラーが定位置になく、はずれていた。

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メーカーの説明では、10万回の耐久試験にも、
耐えられると思い出したが、新しいカメラは、
まだ2万回のシャッターも押していなかった。

予備のカメラはガイドに渡してあったので、
どうすればよいか考えた末に、シャッターを、
切る度にパリンとミラーが外れた。

何も撮影しないよりはと一枚撮影する毎に、
レンズを外しミラーを定位置にセットし撮影を、
続けるという気の遠くなる撮影を繰り返した。

40万ものカメラがこのような欠陥品などと、
思いながらも気を取り直し撮影した。

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「武夷山探訪14」

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武夷山の南側を流れる九曲渓筏下りの、
途中で突然のカメラ内部ミラーが落下した。

旅先でのカメラのアクシデントは、
突然にやって来るもので、そのために、
予備のカメラを用意して持ち歩いている。

だが、筏下りで川の中へカメラを、
落としてしまう人もありガイドが気を遣い、
予備カメラとレンズ類を預けておいた。

カメラのミラーは、交換レンズを外すと、
直ぐにカメラ内部に見えるミラーのことで、
外部からの光を取り込む役目をしている。

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シャッター連写時には1秒間で5コマの、
動きをするがミラーも同時に動く。

10万枚の撮影に耐えれるが、ミラーの裏側を
確認してみると接着作業に問題があると思った。

再度接着剤でミラーを接着できたら撮影する度に
レンズを外し定位置にセットし、また撮影すると
ミラーが外れるという事から開放されるのではと
思ったが接着剤など持ち合わせてはいなかった。

川下りの最終場面の30ショットほどは手作業で、
ミラーを戻すという結構危ない事をやった。

レンズをカメラにセットしシャッターを押すと、
ミラーはレンズとカメラの空間で踊って落下。

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その落下するときに15万円ほどのレンズを、
傷付けてしまう場合もあり、かなり慎重に行った。

終点船着場でガイドが手を振って迎えてくれたが、
筏の上から私も思わず手を振っており可笑しかった。

ガイドに訳を話し、すぐに予備の一眼レフに、
レンズを付け撮影を続けたがカメラが違うので、
慣れるまでに、少し違和感があった。

写真は、一線天で寄り添った巨岩の僅かな空間から、
もれる光が細い一本の線に見える洞窟の画像。

洞窟の入り口から登ってゆくが途中から体を、
横向けないと登れないほど狭い空間もあった。

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