Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

蘇州旅情2-2



「蘇州旅情2-15」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。

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絹織物歴史館のような所へ入って行った。
蘇州は1000年の宋代になると絹織物の
産地として繁栄しシルク製品が多く出回る。

蘇州のシルクは特産品として人気が高いが
1000年程の歴史があるが、木綿の生産も
絹織物産業と並び生産も盛んに行われた。

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10年ほど前までの蘇州の繊維産業は重要な花形の
産業だったが世界的恐慌の裏で陰りをみせる。

世界的にみても多くの商人が蘇州が最先端の
絹製造技術に恩恵をと集まった事は間違いない。

経済都市・蘇州が出来た背景には、世界的な
物流ルートの再構築という要因もある。
蘇州はシルクロードの基点になっていた事もある。

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「蘇州旅情2-16」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。

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歴史上の早い時期に中国と西方世界を
結ぶ主要な交通路は「シルクロード」だった。

だが宋代に入った頃、ラクダに荷を積み陸路を
危険と隣り合わせで進むシルクロードより
中国の沿海都市を起点とする海洋航路が発達した。

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海のシルクロードが取り入れられるようになり
物を運ぶコストが大幅に下がり更に栄えた。

蘇州近郊は河川が多く内陸運河を利用した水運は
織物などの工業製品を運ぶだけでなく
農産品の運搬にも好都合だった。

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「蘇州旅情2-17」

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蘇州の街には小運河が作られており
蘇州を訪れたヨーロッパの人達からは
「東洋のベニス」などと呼ばれ親しまれている。

シルクの展示からシルクの商品を販売する所へ
連れて行かれたが、蚕から糸を取り出し
巻き付けている所は何度見ても飽きなかった。

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日本で蚕から糸を取り出している所は
映画野麦峠などでも何度も見たが実際に
蚕から糸を取り出している所は面白い。

真綿も蚕の糸から作られていると
この時初めて知ったが、蚕から糸を紡ぎ
そのシルクの糸を織って出来た衣類を
展示しており絹織物販売店でのイベントである。

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「蘇州旅情2-18」

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蘇州の絹織物博物館で蚕から糸を紡ぐ所を
実演して見せてくれたが、蚕を熱いお湯の
中に入れ、暫くすると糸をつかみ機会に
掛けると蚕の繭から作られた糸が出てくる。

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時折、繭からの糸が切れたりするので
つなぎ合わせる作業をして見せてくれた。

蚕から絹糸が作られていくパネル紹介や絹糸で
出来た商品売り場へ案内されたがやはり
営利目的だったかなどと思いながら中へと入った。

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「蘇州旅情2-19」

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華やかな新婚さんカップルが使うような
布団類が現れ、少し爽やかな気分になった。

ここでは布団に使われている布地から
布団の中の真綿まで蚕の絹の糸から
出来ていると説明を受けた。

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「畳絲被庁」と書かれたフロアに立っていたが
「絲」とは絹の事で「被」とは布団の事である。

そして絹糸で織られた生地で布団を作らないかと
言われたが日本までは大変だからと断ったが
日本からのお客さんが沢山買って行かれるとの事。
私は兎に角布団は間に合っていると断り続けた。

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「蘇州旅情2-20」

「中国写真ライフ」では、
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中国での若者の結婚に際しては家を構えて
花嫁を迎えるという風習がある。

だが、全ての若者が家を持てるかと言うと
疑問であるが、私の知っている限りでは
皆マンションなり一軒家なり持っている。

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中国では夫婦共稼ぎというのは常識である。
日本の場合、その昔は妻は専業主婦であり
中国人は、その時代の日本女性の姿を
学習しているのか、日本の女性は良いという。

日本へ留学なり仕事なりで来ている中国人は
日本の女性の働く姿に新鮮な驚きを見せている。

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「蘇州旅情2-21」

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蚕の繭から紡いだ絹糸で織られた商品が
展示されており店員目を盗んでは撮影した。

カラフルなスカーフが並べられており
旅行者からは評判が良く買う人も多かった。

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中国の白酒を入れる綿入れの袋の置物まで
造られており、買って行く中国人の女性に
「プレゼントですか?」と質問したところ
自分の部屋に飾るために買ったと応えた。

中国の女性も酒が強い人や全く飲めない人と
日本と変わらない。ただアルコール度数は
27度から43度ほどと結構強い。

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「蘇州旅情2-22」

「中国写真ライフ」では、
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絹の糸で織られた布地に綺麗な刺繍が
施されており、色んな枠に収められていた。

値段を確認すると結構な高値が付けられ
手作りの良さと相まって新婚の部屋に
飾るには良い雰囲気などと思った。

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椅子の背もたれのところに入れられ
人が腰を掛けると、折角の刺繍が
隠れてしまい勿体無いとも思った。

刺繍が痛まないようにプラスティックで
カバーがしてあり贅沢な家具の一品である。

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「蘇州旅情2-23」

「中国写真ライフ」では、
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蘇州絹織物展示場と土産物売り場では
結局は何も購入しなかった。

始めての旅行時には沢山の土産物を
買っては重たい思いをしながら
帰ったものだったが、土産物を
頂く立場の人々は何となく不満げである。

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土産物を購入する方としては予算を考え
土産物を買うのであるが最終的に
重たい買い物になってしまう。

だが帰宅し近所の人達に手渡すと
小さなものになってしまうので
これだけ?と本音が出るのかも知れない。

写真は寒山寺前の運河から撮影した。

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「蘇州旅情2-24」

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寒山寺は、1500年の歴史がある。
中国では南北朝時代で武帝の時代に
創建され寒山寺の寺名は唐代に改名された。

630年頃に寒山が草庵を結んだ事に由来。
8世紀の頃、張継が「楓橋夜泊」を詠んだ。

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寒山寺の全盛期の面積は広大であった。
「馬に乗って山門を見る」ほど広かった。

その昔は、蘇州を訪れる旅行者の多くは
まず寒山寺を参詣してから蘇州の街に入った。

寒山寺の歴史を見ると中国の歴史を
見るようで何とも興味深いものがある。

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「蘇州旅情2-25」

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宋以後は寒山寺は盛況であり皆の誇りだった。
だが1366年張士誠と朱元璋の間の戦闘により
焼失してしまっていた。明朝ぼ初めの
1369年に恵貞により再建されたがそののち
火災によって再び焼失してしまった。

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1436年に王況鐘が寒山寺を再建し本寂が
吊り鐘を鋳造したが、1618年に再び火災に
遭って遭ってしまうことになる。

宋代976年の太平興国初年には、節度使の
孫承祐によって7層の仏塔が建てられた。

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「蘇州旅情2-26」

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蘇州寒山寺の四天王殿に安置される像。
四天王の像であるが黄金色で統一されていた。

宝剣を持っているのは増長天と呼ばれ
増長天は須弥山の中腹で南方の門を守っている。

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上の画像の琵琶を持っている持国天である。
持国天は須弥山の中腹で東方の門を守っている。

下の画像の右手に蛇を持っているのが広目天で
広目天は須弥山の中腹で西方の門を守っている。

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更に下の傘を右手に持っているのが多聞天で
多聞天は須弥山の中腹で北方の門を守っている。

日本の四天王の像の表情は凛々しく鎌倉時代の
武士の背後で見守るという感じだが中国の
四天王の表情には厳しいところが見受けられない。

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「蘇州旅情2-27」

「中国写真ライフ」では、
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蘇州の寒山寺は比較的日本人が多く参拝する。
特に大晦日ともなると中国人が驚くほどに
日本人の参拝者であふれかるようである。

森鴎外も小説「寒山拾得」の中で寒山について
触れ、徒然草の最初の佛はどうして出来たかと
問われて困ったという話があった。

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子供に物を問はれて困ることは度々であり
中でも宗教上の事では、答に窮することが多い。

だが、答えを拒んで答えないままにしてしまうのは
殆どそれは嘘だと言うのと同じことになる。

寒山詩が活字本で出されるのを広告を見た子供が
買いたいと何度も言うので「漢字ばかりなので
お前にはまだ読めないよ」と言うと
「どんな事が書いてあります」と質問され困った。

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「蘇州旅情2-28」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。

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蘇州で「除夜の鐘」で有名な寺というと
今訪れている「寒山寺」であると思う。

写真は「大悲殿」脇の通り道を抜けると
「常楽池」と石に刻まれた池である。

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南朝時代梁武帝の天監年間(502~519)に
創建された歴史ある寺院だが当初の名前は
「妙利普明塔院」や「楓橋寺」と呼ばれていた。

寒山寺を有名にしたのは、唐代の詩人張継が
詠んだ「楓橋夜泊」の詩の中で寒山寺の
鐘の音のことが詠まれ次第に知れ渡った。

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「中国の旅」


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