Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

季節の変わり目になると


「また来たの」

「ワンダーフォトライフ」では、
愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。

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今日は快晴と言ってそれほど間違いではない天候だった。
午前中の散歩も気持ちが軽くなる思いだった。

途中、中学生時代同期生だった友がクラウンを洗車していた。
私は手を挙げて、「もう退職されましたか?」と尋ねると、
「やぁ~、どうも」と言いながら、洗車していた手を止め、
私の方へ歩み寄って来た。

一昨日、1か月ほど前に他界した叔母の所へ寄る時、
その近くの理容店へ寄った。

駐車場に車を停めて、半自動のドアーを入ると、
「久しぶり~!」とソファーに座っていた
中学時代の友が声を掛けた。

その理容店の店主は中学時代からの友だった。

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久しぶりに行ってみると、いろいろと昔懐かしい話が飛び出す。
職業柄なんか、中学時代の友の名前や近況をよく把握していた。

私は殆ど記憶がないと言うよりも、忘れてしまっている人の
名前を次から次へと挙げていくから、
驚きをもって聞いていた。

もう病気で他界した人もいたので再度驚いたりもした。
その名前を挙げて行った中の一人が、午前中に
クラウンの洗車をしている友だった。

その彼は、中学時代壁に貼り出される学年390名ほどの中で、
いつも3番に入っていたと理容店の友が言うので驚いた。
復習と予習をしっかりしていたのだろうと思った。

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私は中間テストや期末テストは、あまり成績の良いとは言えなかった。
いつも決まって60番前後をふらふらしていた。

だが、実力テストになると成績は30番ほど上がるから面白いものである。
特に国語となるとトップクラスを保っているから、
教師よりは、「遊んでばかりいずに、もっと勉強しろっ!」と
軽く拳骨をもらっていた事を思い出す。

洗車をしていた友は、地元のトップ企業へ就職し、
昨年11月で退職しており、今は地域の自治体役員をしているようである。

そこで妻の事を聞いたのか、「奥さんは、大変だったね~。
こちらへ帰って来てすぐに倒れたようだね」と話す。

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友の話す妻の事柄は、多少の尾ひれが
付いていたもののほぼ合っていた。

そして、私が一時帰国していた時に倒れたので、
白骨化は避けられたと話すので、そんなリアルな情報まで
察知しているのかと思うと、
流石は成績トップスリーに入るはずと思った。

友に手を挙げ別れてからは、うつむき加減に散歩を続けた。
下を向いて歩いている事に、前を向かなくてはと
手を後ろ手に組み、強制的に体を前に向かせて散歩した。

昨夜のラジオ深夜便では、辻井いく子さんの
我が子をを育てた26年の第2回目を放送していた。

家族で旅行したサイパンで信行が5歳の時、
初めて大勢の前で、ピアノを演奏して驚いた事など話していた。

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その中で、どのようなハンディキャップがあっても、
下を向いて生きてほしくない。

上を向いて生きてほしいと、
小学校に上がる1年前に、川上 昌裕ピアノ教師に託し、
次々と各部門で優勝を果たして行ったと話した。

つづきはまた明日と語った後、宮川アナウンサーから、
辻井信行さん演奏のドビュッシー作曲、月の光と
アナウンスが流れた後、演奏が始まった。

柔らかな指のタッチに感動を受けた。
そして、今日午後2時から妻の療養する病院へ向け車を走らせた。
病院に着きナースセンターの前の部屋に入ろうとすると、
「昨日来たのに、また来たの」と笑い「奥さん、喜ぶわよ」と
言いながらナースセンターの中へ入って行った。

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「レシートは要りますか」

「ワンダーフォトライフ」では、
愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。

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今朝はいつもよりゆっくり起床した。
午後3時ごろまで快晴の天候でホープを車に乗せ、
家から7キロ先にある市ゴミ処理センターまで走行した。

ゴミ処理センターの職員は後部座席に乗るホープを見て、
「大人しいワンちゃんだね」と頭を撫ぜていた。

大きなゴミ袋と小さなゴミ袋の二袋をゴミ処理炉へ投げ込んだ。
「変なものは入っていなかっただろうね?」と聞かれた。

「ホープに気を取られてるから、勝手に放り込んだよ」と言うと、
「まぁイイや」と言いながら、出口の方へ行って下さいと
言わんばかりに手で送り出す仕草をした。

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今日は車のウィンドウを全開にして走行しても寒さを感じなかった。
帰る途中でスーパーに寄り「ハッサク」を買いに寄った。

ハッサク6個で消費税込み270円と1個45円相当。
その6個入り袋を2袋手に取りレジへ手渡すと、
「いつも月曜日に来られるのに、珍しいですね」と一言話し
「540円です」と財布から小銭を出しお金受けに置いた。

「レシートは要りますか」と聞くので
「家計簿をつけていますから」と受け取った。

外に出る前からホープの私を呼ぶ声が聞こえていた。
私が車に乗ると、安心するのか後部座席下に置いてある
水入れの中の水を音を立てて飲むのが習慣である。

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帰路に就いたが、家の前の道路をそのまま
河川敷方向へ向かって車を走らせた。

途中、我が家のテラスに干した布団を左手に見ながら
走り抜け5分ほど先の河川敷駐車場に停めた。

ホープへはゲージはせずにバンダナだけして放した。
ホープも勝手知ったる河川敷に自分のペースで動いていた。

途中保育園ほどの女の子5人ほどと出会い、
その引率にバーバと呼ばれている年頃のご婦人が
2人で話し込んでいた。

ホープが保育園児に近寄り、女の子がホープの頭を
撫ぜている事に気づき、慌てて
「ダメよ!」と女の子の手を引いていた。

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ホープの目を見て、「やさしい目をしていますね」と
言うものだから「この子は、人恋しくて
仕方がないから可愛がって下さい」とだけ言うと、

もう一人のご婦人も「私犬は嫌いなのだけど、
この子は問題ないみたい」と言うので「ワンちゃんの
悪い印象があるのですか?」と聞いてみると
「お尻を噛まれた事があるので、それから怖いんですよ」と言う。

「余程、貴女のお尻が可愛かったのかな?」と言うと
「あらっ、そうかしらね~」と返すので、
このご婦人には冗談が通じないとそのまま散歩を続けた。

河川敷にはタンポポの黄色い花が咲き乱れ、
そのほか紫色や濃いピンクの小さい花が絨毯のように咲き乱れ、
今日のそよ風に嬉しさを表現するように揺らいでいた。

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その吹くそよ風に対しては私も同じ感情を抱いた。
寒暖差アレルギーの持病を持つ私も爽やかな
そよ風に癒されていた。

時折、堤防の上を走り抜けて行く車の走行音と
河川敷に作られたグランドゴルフ場でプレイする
団塊世代の人々のはしゃぐ声。

耳を澄ませば、鳥のさえずりさえ聞こえ、
癒される瞬間を過ごしていた。

時刻が3時過ぎともなると雲行きが怪しくなって来た。
私はテラスに干して来た羽毛布団の事が気になり、
「ホープ!帰るよ!」と呼び寄せ、
後部座席のドアーを開けると勢いよく飛び乗る。

まだまだ3年半は生きてほしいと
思いながらエンジンを掛け我が家への帰路に就いた。

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「危ない危ない」

「ワンダーフォトライフ」では、
愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。

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今日は一日快い快晴の日であった。
ホープとの散歩には、手術後カメラを提げて出なかった。

だが今日の快晴で歩きながら撮影したい気持ちに、
防湿庫に保管してあったカメラを取り出し、
レンズを選び装着して外に出た。

久方ぶりにカメラを提げた。
1.6キロほどあるカメラとレンズだったが、
それほどの重さは感じられなかった。

この3週間ほどの中で、この2週間ほどは車にカメラを積み、
撮影ポイントでカメラを提げ撮影していた。

術後の痛みは、ネットなどでは2ヶ月間ほど痛みを
感じたとあったが、私の場合、2週間ほどで痛みは取れ、
手術で引っ張った筋肉が元の位置に戻る痛みを感じていた。

今日の散歩は6キロほどの距離を歩き、
撮影しながらなので時間が掛かってしまった。

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今ホープとの夕飯も済ませ、キーボードに向かいタイプする手に、
だるさを覚えるが、今日から3日目には
これが鈍痛なのか何らかの痛みが起こるだろうと思う。

昨日も3時頃まで快晴だったが、その後は雲に覆われる天候だった。
夜も晩くなる頃には、アレルギーのある私は、
最低温度に設定しファンヒーターを点けてしまう。

よくある事だが、ファンヒーターを点けて
落ち着いた頃に灯油が無くなり私を呼ぶかのように、
サインが鳴りだす。

空になったファンヒーターの灯油缶を提げて、
玄関に置いてある18リットルポリタンクまで行き、
オートポンプの注ぎ口を灯油缶口へ差し込みんだ。

スイッチを入れてもモーターのみ回っており、
灯油タンクを持ち上げ灯油が無くなっている事に気づく。

前回入れ替えておけば残念な気持ちが払拭でしたと思いながら、
小さいコンテナから満タンの灯油と入れ替えた。

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満タンの灯油タンクから灯油を入れている時、
フロートが上がり切らずに途中のままポンプが止まったので、
スイッチを入れ直した。だがうんともすんとも言わない。

この前電池を入れ替えたばかりなのに、もう電池切れたのかと
思いながら単3の乾電池を2本入れ替えて再度スイッチを入れた。

しかし、相変わらず動かない。
これは電動ポンプ自体、壊れてしまったのかと思いながらも、
灯油口からホースの注ぎ口を少し上げ、スイッチを
入れたらモーターが動きだした。

「なんだ壊れていなかったのか」と思いながらも、
灯油タンクの横のゲージを見ても黒くならない。

おかしいなと思っていると、口から灯油が
あふれ出して玄関のタイルの上に流れ出した。

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慌ててスイッチを止めてから、ホープの体を拭くタオルを
広げて、こぼれた灯油の上を覆うように被せた。

灯油タンクの口は表面張力で盛り上がっており、
まずは蓋を閉めた。

蓋を閉めてから、反対にひっくり返しタンクの持ち手を
持ったが、灯油が滴り落ちタイルの上は濡れていた。

灯油の匂いが充満して、タオルを2枚追加して拭いとった。
灯油缶のゲージフロートが途中で引っ掛かり、
灯油量が確認できずに起こった不可抗力とも思った。

その時、30年ほど前に灯油を入れていて、
同じように入れ過ぎ玄関にあふれ出した事を思い出した。

元気はつらつの妻からは、「家事の事を何もしないのですから、
灯油くらい満足に入れてよ!」と叱られた事を思い出していた。

あの頃の妻は元気だったが、今は誰も叱ってくれる人はいなく、
ただホープが不安そうに見ているだけであった。

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玄関のPタイルの上にあふれ出た灯油18リットルは
長女が子供達の新学期の用意のために帰るその日の
夕方買って来てくれていたものである。

朝晩は私には空気が冷たく家の中は、
5月初めくらいまではファンヒーターがいるのかな~?

これだけで足りるのだろうかなどと思いながら、
キッチンのファンヒーターのタンク入れに差し込んだ。

玄関内の電気が点いているので、消しに行ったが、
灯油の匂いが充満しており、電気を消して暫くの間、
玄関の扉を開けておいた。

時間は間もなく日付が替わる時刻だった。
twitterやfacebookなど確認していたが、
精神安定剤デパスと睡眠誘導剤ロヒポノールを30分前に
服用していた為、玄関の扉を開けている事など
忘れて眠ってしまった。

丑三つ時にトイレに起きたが、玄関の事など忘れてしまい
そのまま直ぐに眠りに落ちてしまった。

玄関の扉が開けっ放しには、朝気付いた。危ない危ない。

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「看護師のプライド」

「ワンダーフォトライフ」では、
愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。

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今日は昨日にも勝るよい天気で、午前中は散歩がてら
ホープとコンビニまで歩いて行った。

セブンイレブンのセブン銀行にはいつもホープと入る。
ホープは私とリードで繋がれているので、
カウンターの中に居る従業員にホープの姿は見えない。

セブンイレブンへは、妻の療養する病院が業者と提携を組み、
毎月患者の家族全員に身の回りの物を調達して頂く替わりに、
お金だけ支払えば病院には来なくても良いと言うふれ込みだった。

今療養する人達は毎月19,800円ほど入院治療費とは別に
支払うようになった。

この事で生活に影響する人は他の病院へ転院して行った。
私は、妻のタオルやバスタオルは業者にお願いして、
寝間着だけは私が洗濯して届けるAとBのコースのBコースを選んだ。

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そのBコースの支払い請求がポストに入っており、
10,044円をコンビニに歩いて支払いに行った。

銀行自動引き落としを利用すれば、簡単に済む事ではあったが、
妻のこの費用だけは自分の手を煩わせても支払いたかった。

なので一度は、銀行引き落とし書類を頂いたが、
妻の為に何かをしているという自覚がほしいために、
その書類は未だに提出していなかった。

病院側は業者を中に入れたため大分楽になったと
言う事を時折耳にする。

また患者の家族も同じで楽になった分、
病院へ足を運ぶ回数が減ったと言う。

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この半年ほど妻の寝間着の着替え回数をメモしているが、
消費税込み1ヶ月9,756円分は着替えさせていない。

月に10枚程度である。
つまりは3日1度の着替えをさせている事になる。

1回の病院寝間着代は975円ほどとなり割高になる。
この事は病院に預けっ放しの家族には
分からない事であると思った。

それも着替えは風呂に入れて頂く月2回に集中し、
月2回で8枚の寝間着が濡れたままにしてある。

あとの2枚は2週間に一度となる。
不審に思い看護師に尋ねた所、
「病院の寝間着を使っていたのでは?」との回答だった。

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何度その言葉を整理しても理解出来なかった。
なぜならば、例えば病院の寝間着を使った事にした場合、
それまで妻が着ていた寝間着が汚れ物入れの中に
入っていなければならない。

しかし、汚れた寝間着は入っていないのである。
それであるのに、病院の寝間着を使ったという
咄嗟の言い訳には納得がいかなかった。

だが、そのミステリーを看護師に告げた所で、
建設的な方向には進まないと考えた。

私の気持ちが晴れたとしても、看護師のプライドを
傷つけることになり、妻への態度が変化するのは逆効果と
未だに話してはいないし、今後も話す事は無いだろう。

私は病院へ行き、ナースセンターに顔を出し、
笑顔をふりまき妻への印象を良くすること以外にないと思った。

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午後からは早目の散歩にカメラを持って出た。
ハナミズキがきれいに色づいていた。

花は咲き乱れ、行き交う人たちは、私に
「今日は暑いですね~」と言うが、
「そうですね~」と声を掛けたものの、
寒がりの私には丁度良いと思った。

2キロほど歩いたのち、一旦家に帰り、
カメラを防湿庫に入れ、ホープと河川敷へ向かった。

河川敷の堤防の上を走行する後部座席のホープは
嬉しそうに尻尾を振っているのが、
バックミラーで見て取れた。

今日は土曜日と久しぶりの晴れ間も手伝いバーベキューをしたり、
バトミントンやテニスをしたりする人たちで賑やかだった。

ホープはリードをつけ私の歩くスピードに
合わせ、嬉しそうに歩いていた。

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「拾う神あり」

「ワンダーフォトライフ」では、
愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。

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今日天然温泉スーパー銭湯へホープと行って来た。
ホープを連れて行っても車の中でお留守番である。

車の4ヶ所のウィンドウを10センチほど開け、
私が着替えやバスタオル類の入ったバッグを手に取ると、
既にホープは鼻声になっている。

車から降りロックを掛けると、
私も連れて行ってと言うかのように吠える。

その声は駐車場から30メートルほど離れても
聞こえており、私が出て来る約2時間の間、
ずっと私を呼び続けている。

そのお陰で、温泉に入り少しのぼせ気味の私が、
何処へ車を停めたのかが容易に分かり、
その点車を探し回る必要はないのである。

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フロントに立ち入浴客を出迎えるフロント嬢は、
日曜日も手伝い5人立っていた。

フロント嬢はこちらから選ぶ事が出来ず、
手の空いたお嬢さんが手を挙げ、
そこへ行き下駄箱の鍵を渡し
ロッカーキーを頂き階段を上って行くのである。

150個ほどあるロッカーは満杯状態で、
ロッカー待ちの列が出来ていた。

中からは威勢の良い声で、「お次のお客様
こちらへどうぞ」と手招きしている。

5人ほど私の前に列を成していたが、
ものの3分ほどでロッカーが使えるようになった。

ロッカーの中には2本のハンガーが用意されており、
そこに脱いだ上着類を掛けて行き、次々と脱いで行った。

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最後の下半身の一枚になった時、脱ぐのをためらい、
まずはトイレに入った。

用を足すためではなく、毛を剃った後の
毛の伸び具合を確認したかったからである。

手術の前に「毛剃りします」と医師が言い剃っていた。
だが左側の毛は剃らずにそのまま残してあるから雑である。
医師も少しは美学を会得して手術をしてほしいものである。

そんなには伸びていないな~と思いながら触ってみると、
触った感覚は6ミリほど長くなった毛が生えていた。

このまま入るしかない。
考え込んでいても、いきなり毛が伸びて来る訳でもなく、
早く入って心を癒す方が得策であるとロッカーへ戻り、
パンツを脱ぎ棄て、素早く洗うナイロンタオルを
4つ折りにして当てがった。

他人から見れば何でもない入浴前の光景ではあるが、
私にとっては恥ずかしい思いだった。

大きな浴槽に入る前に、ざらっと体を洗い、
天然温泉の湧き出る大きな浴槽に浸かった。

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当然ナイロンタオルとはいえ、浴槽内につける事は
出来ないので、浴槽の縁に置いていた。

私が何故、わざわざ人の混み合う日曜日を選んだかと言うと、
月曜日など人の少ない時には、私の毛剃りしてある下半身を
ジロジロ見てほしくないからであった。

しかし、日曜日のイモを洗うような中では
人の事をジロジロ見る人は少なく、
何処に空間があるのかと見る人がほとんどである。

それで日曜日を選んだが、事は思うようにはいかない。
顔見知りの人から「最近見掛けなかったね~?」と言う。

左横を見ると、手術前にも互いに雑談をしている人だった。
更に入って来た人から「久しぶりですね。もう風呂に
入っても良いのかね」と声を掛けるから挨拶する。

よりによって何故こんな時にバッタリ会うのかと思った。
左横の人から「手術って、何処を切ったの?」と聞くが、
見せるわけにもいかず、苦笑いをするのが精いっぱいだった。

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そして、前に居た声を掛けて来た人が、左側の知人に
「ヘルニアで手術したらしいよ。それも腹腔鏡を止めて、
メスを入れたらしい」と話し込んでいる。

何となく怪しげな雰囲気に、癒されるどころか、
ストレスさえ感じるような時間が流れた。

私は浴槽に浸かったまま、出るに出られず、20分ほど
浸かっていただろうか、その人たちが
「頑張って入っているね」と言いながら
出て行ったのでホッとする思いだった。

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私は、後側浴槽の縁に置いた洗うタオルを取ろうとして、
手を伸ばすが何処にもない。

盗られたのかな~?と思って振り向くと、
かけ流し天然温泉の為、お湯があふれて、
軽いナイロンタオルが外に落ちたようだった。

私は湯船から出る時には、サッとタオルを前に
当てがう予定が、タオルを拾う為に、とんでもない醜態を
さらす事になってしまったと思った。

そんな所へ、後から声がした。
「これお客様のタオルですか?」と温泉の従業員が拾ってくれた。

「はい!私のタオルです」と言いながら受け取った。
こんな場面で使うべき諺ではないが、
捨てる神あれば拾う神ありである。

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「ダイエットは進んでいますか?」

「ワンダーフォトライフ」では、
愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。

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ダイエットをしているわけではないが、
体重計に乗ったのは手術前の3月25日の事。
その時には59キロだった。

私が中国で仕事をしていた時には、
中国内3ヶ所の都市約2000キロを行き来していた。

私の住んでいた環境はアパートを少し豪華にした所だった。
一般のアパートでは中国地方公安の許可が下りなかったからである。

中国の法律では、私でなくとも駐在をしている人は、
中国国内での2週間以上グリーンカード記載の住所を離れる時には、
公安へ連絡しなければならなかった。

ホテルに泊まり歩いていると私の動きが手に取るように
公安に把握されてしまうので、各地での
アパートを借りて行き来していた。

今よく考えれば、アパート住まいは、金銭的に抑えられるだけで、
ホテルを行き来した方が私の動きが分かり良かったのかも知れない。

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もしもグリーンカードに記載されている住所に長期間
不在であることが公安に発覚してしまえば、
罰金を取られる事になると考えアパート住まいを決め込んでいた。

私は中国滞在中に1度罰金を取られている。
それは中国から香港へ入り、香港の銀行口座から現金を引き出した。

その直後にパスポートや現金150万円や身の回りの物全て盗難に遭い、
当時パスポートのない私は中国へ入れなくなってしまった。

香港の商社から日本へ連絡してもらったが、
日本は4月末からのゴールデンウィークに入ってしまっており、
外務省では非常勤だけが出勤で、ゴールデンウィークが明けて、
暫くしないと手元には届かないと香港日本領事館で言われた。

バッグにまとめて入れてしまった私は、お金は一銭もなかった。
香港人の友人に連絡して、とりあえず日本円で10万円を借りた。

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毎日ホテル住まいと着替えやバッグなど購入して
段々とお金も底を付いて来て、友人の友人を紹介してもらい、
昼の食事や夜の食事を御馳走になっていた。

そして、少しばかりの小遣いを寄付してもらう乞食生活だった。
プライドもかなぐり捨てた。ごろつきのような生活だった。

私の仕事関係の人達だけではなく、コンテナの運送会社まで
お世話になり、その中には香港人も沢山いた。

香港尖沙咀チムサーチョイにある香港警察横のホテルに
長い間宿泊したが、そのホテルの支店長は、中国語で
「あなたは幸せな人だ」と言うので意味が分からなかった。

その事は後で分かったが、この当たりでは頻繁に強盗があり、
昨夜は盗難だけではなく殺人事件まで起こり、それで命まで
取られなかった私に「貴方は幸せな人」と言ったようであった。

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香港島にある日本領事館でも、日本へならすぐに帰れますと
言われたが、中国へ入るためのパスポートと中国ビザを取るためには、
1か月以上の時間がかかてしまい、香港に留まるのが得策と考えた。

日本からパスポートの再発行を待つ事を決めたら腹が据わった。
だが盗難にあった事を日本の故郷に帰省中の妻に連絡すると、

「残念だったね。怪我はないのでしょう。
命があっただけでも良かったと思わなきゃね」と電話の向こうで
言われホッとして、それからは気持ちも落ち着いた。

妻の一言はその時の不安な私の心を払拭した。
香港内を地下鉄で行ったり来たり、見学したりしていた。

友人の友人の接待で豪華な車で送り迎えもしてもらった。
人生何が起こるか分らないが、
結構楽しい思い出だけが今でも残っている。

日本からパスポートが送られて来たと香港領事館から連絡を受け、
受け取った後、すぐにビザの発行手続きをし、
2日後1か月ビザが下り、中国入りが出来た。

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中国国内での移動ではパスポートは必要なかったが、常に持ち歩いた。
どんな事件に巻き込まれるか分らないからである。

今日は広東省広州に居ても、2日後には天津や北京にいる事もあった。
アパートを借りていない所へ行く時は、ホテルを利用する為、
1週間後には私のグリーンカード登録地の公安へ連絡が入った。

大きな問題が発生しない限りは、公安からの出頭命令は来なかった。
各地に出張すると、共産党地方役員から食事やお酒の接待を受ける。

一番急激に太ったのは、やはり香港での盗難に遭い、
2週間以上食べ歩きをした事も手伝い太ってしまった。
中国へ無事帰れた時にも、痩せてると思ったら太っていると、
あまり同情もされなかった印象がある。

私の当時の身長が170センチで、最高の体重が80キロもあった。
ウェストは99センチにまで達しており、
血圧も上が160ほどで、下も122ほどまで達し、
時には手足が痺れたりしていた。

上海の病院で診察してもらったが、このまま進むと血管の病気を
起こしてしまうので、煙草をやめる事とダイエットも提案された。

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3か月掛かり10キロの減量は出来たが、やはり納期や品質の会議が
終了すると、美味しいものやお酒を飲まされるので、
中々減量は出来なかった。

しかし、妻が倒れてからは、介護の勉強や料理、洗濯、掃除と
大変な日々が待ち受けており、実際介護をするようになってからは、
精神的に変になってしまうような睡眠障害に陥ってしまった。

とうとう心身クリニックを紹介され、
安定剤と睡眠誘導剤を処方してもらった。

パニック状態では安定剤も効き目がなかった。
気がつくと、体重が58キロまで落ちていた。

無理にダイエットをしなくとも、介護をすれば体重が落ちると思った。
その後も軽いうつ状態になり、体重は思ったより増えなかった。
そして今回の手術である。内臓が悪い訳ではなく、
網ネットと筋肉を縫い合わせるだけの手術だった。

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手術も終わり、病院食が出た時は、どんな店で食べた味より美味しく感じた。
毎回の食事を完食した。私は看護師から食事係へ伝言を頼んだ。

「とても美味しかったと伝えて下さい」と言うほどで、
同室の患者からは、「今までどんなものを食べていたのか?」と
問われるほどであった。

退院の時、体重計に乗ったが、64キロまでに太っていた。
足首は腫れ、体全体もむくんでいるようであった。

手術前に計った体重からは、5キロ太ってしまった事になる。
年末年始でも3キロ太り、落とすのに苦労した。

そして、ホープとの散歩をするようになり、日増しに
体が軽くなったように感じて来た。

食事も以前の美味しいとは言えない食生活に戻った。
そして、昨日スーパー銭湯で計った時は、
61.6キロまで落ちていた。

やはり、ホープとの散歩が減量に繋がっているのではと感じている。
食べる時は良く噛み流し込む事は避け、8時以降は何も食べない。

調理は調味料特に塩分を控える。
これだけ守っていれば無理せず自然に痩せられると思った。


「ちなみに、あなたのダイエットは進んでいますか?」

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「八方美人」

「ワンダーフォトライフ」では、
愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。

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統一地方選挙後半戦の戦いが始まり、
今度は市議選と言う事もあり私の地域や
友人からも応援を頼まれた。

私は旗振りは出来ないが、
応援はしますよと軽く応えていた。

昨日午前9時ごろと今日午前8時半頃、
演説会に出席してほしいと入場チケットを
手に持ち頼みに来た。

後援会は必至なのだろうとも思いチケットを見ると、
寄りによって2人の演説会は同じ日の同じ時間であった。

妻が元気で家に居るならば、2人で手分けして
参加も可能だが1人ではどうするかと憂鬱である。

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八方美人であってもゆくゆく困るのは自分自身である。
正直に友人や地域の人に言えば、角が立つと言うより、
人間関係がギクシャクするのではと思う。

そんな事を考えながら、妻の乾いた寝間着を畳んで袋に入れた。
そして、病院へ行った帰りにスーパー銭湯へ寄ってから
帰宅しようと思い、銭湯の用意もした。

銭湯に入るための着替え類や洗うタオルなどを
7つ数えながらビニール袋へ入れて行った。

7つと言うのは、パンツ、ズボン下、靴下、Tシャツ、
チェック柄シャツ、バスタオルとナイロンタオルの7つである。

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7つを1から数えないと何かを入れ忘れて、
スーパー銭湯で困ってしまう。

一番忘れて困るのは、洗うナイロンタオルである。
これを忘れると体を洗う事が出来ない為困ってしまう。

実際、忘れた事があり、ナイロンタオルを市価の倍の価格で購入し、
スーパー銭湯の湯船に入っても、爽快な気分とはいかない。

忘れると言えば、銭湯のロッカー口に入れる100円玉である。
風呂から幸せな気分で出て、ドライヤーやクリームを塗り
爽やかになった気分で、最後に100円玉を抜き忘れてしまう。

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この抜き忘れた100円玉は、あとから思い出すと、
500円ほど忘れたような気分にさせるので、
価値観はその時に応じて変化するから
人の気持ちは面白いものだ。

折角なのでカメラをバッグに入れ、
銭湯の道具や着替えの入ったビニール袋を車に乗せ、
妻の入院する病院まで走った。

1時間ほどで着き、1つだけ空いている駐車スペースに
車を停め、トランクを開けて妻の寝間着を探すが、
車の何処を探しても寝間着は無かった。

あまり色々な事を考えているから肝心な物を忘れてしまうと
思いながら階段を上り、看護師に謝罪し、
汚れた寝間着を持ち帰って来た。

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寝間着は全部で7枚あるので、直ぐに
洗濯して持ち込めば間に合うと思った。

このような時に限って汚れ物の枚数が多く、
妻のベッド横の棚には後一枚しか残っていない。

今晩から外に干せば、明日の昼ごろまでには
乾くのではと考えていた。

そして、まだ何かを忘れていると考えながら
ホープの散歩をしていた。

今日は銭湯へ寄ったので、いつもより遅い時間の散歩である。
散歩を終え、玄関に入り、ホープの足を濡れタオルで拭き、
ふと玄関の靴箱の上を見ると、22日資源ゴミAと
書かれており、明日午前7時から当番と言う事を思い出した。

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「呆気ない幕切れ 」

「ワンダーフォトライフ」では、
愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。

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今日の資源ゴミAの当番を思い出したのは昨夜だったので、
新聞や雑誌、段ボールなどの置き場所を示す立て札を
置くにはおそ過ぎ、今朝から用意をしようと思った。

起床の時間を6時にタイマーをセットした。
だが、一人で起きれるのかと考えていると昨深夜
床に着いても、中々寝付かれなかった。

早く寝なければと思えば思うほど寝付かれなかった。
昨夜は10時ごろから安定剤と睡眠誘導剤を服用した。

しかし、寝付けれなく、深夜0時を過ぎてから、
再度睡眠誘導剤を服用した。

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何もない時ならば、キーボードを叩いていても、
知らず知らずのうちに眠りに落ちた。

小さい頃から、学芸会の前日や遠足の前日などの時も
寝付けなかったが、性格なのかもしれない。

しかし、仕事で中国に居た頃は、どんなに大きなイベントを
控えていても直ぐに眠る事が出来た。

また移動中の飛行機の中でも移動中の車の中でも
何処でも直ぐに眠る事が出来た。

仕事の責任と地域自治会などの責任や小さい頃の
修学旅行などとはスイッチの入り方が違うのかとも思った。

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そんな事を考えていると余計に寝付けなくなり、
布団を跳ね除け、再度PCの電源を点け、
twitterやfacebookなどを確認していた。

眠気が襲って来るどころか、目がさえて来ていた。
結局眠りに着いたのは朝方4時ごろである。

外からは新聞配達のオートバイの音が聞こえていた。
6時起床までに、あと2時間しかないと思いながら眠った。

携帯の目覚ましタイマーが直ぐに鳴ったような気がして、
携帯を手に取り、直ぐに消してしまった。
まだ時間があるから、もう少し寝ておこうなどと思い眠りに落ちた。

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ホープの調子が悪く、もどしそうな咳に目が覚めた。
携帯は胸から床に落ちていた。

時計を見ると6時45分になっていた。
慌ててホープの目を拭き、リードを付けて、
資源ゴミ集積場がある公園までの100メートルを走った。

私は走っているつもりでも、人が私を見れば
下腹をかばい、変な格好に見えたのかも知れない。

公園の資源ゴミ集積場には、すでに新聞や
段ボールが積んであった。

私は急ぎ自治会館へ行き新聞紙や雑誌などの
立て札を取りに行き、決められた順番通り立てた。

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間もなく、奥さんたちが、段ボールや新聞紙を
台車に載せて運んできた。

そして「今日の当番は貴方なの?」と聞くので、
私は「はい」と答えながら下ろすのを手伝った。

後ろから別の奥さんが、同じような台車で運んで来て、
「奥さんは良くなりましたか?」って聞くので、
「まぁ」と答えたりしていると、今度は車で運んで来る人もいた。

車を降りるなり「手術をしたんだって?全然知らなかったよ」と
声を掛けて来るので、ここはコミュニケーションの
場でもあると思いながら、積んでいった。

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午前8時半ごろ業者が新聞紙を取りに来た。
その後、雑誌や牛乳パックなどを回収に来たが、
段ボールだけは中々来なかった。

9時半になっても取りに来ないので、
私はホープと取りに来る業者を只待っていた。

するとご婦人が通りかかり、
「8時になったら帰ってもいいんですよ」と言うので、
「ダンボールだけまだ回収されていませんから」と言うと、
「昼からでも夕方からでも回収されたか確認して、
ノートに記せば良い」と教えてくれた。

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取りあえずホープを連れて散歩に行く事にして、
ホープに「散歩に行こうか?」と言うと、
下げていた尻尾をくるっと丸めて振った。

朝からの3時間ホープは黙って待っていてくれた。
散歩に行こうとした時、2トントラックが入って来た。

運転手は車を降りて、段ボールを荷台へ放り込み
手を挙げて走り去った。

呆気ない幕切れとも思いながら、家の玄関に置いてある
資源ゴミ回収確認ノートに、「全て回収されました」と書き入れ、
次の当番のお宅の郵便受けに入れた。

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「何度も挑戦」

「ワンダーフォトライフ」では、
愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。

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午前中のホープと散歩をしていると
後右足が変な動きをしている。

元々ホープは交通事故に遭い、
ランクルの右前輪に巻かれている。

左右の後足がランクルのタイヤの下になってしまい
運転していた女性に「ジャッキを貸して下さい」と
お願いしても、両手を小刻みに振るだけである。

早く助け出さないと両足が押しつぶされてしまうと思った。
そこへ11トントラックの運転手が大型ジャッキを手に
「これを使え!」と差し出してくれた。

急ぎジャッキを掛ける場所にジャッキ頭を掛け回した。

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ランクルには運転手の女性と助手席には彼氏かなと
思われる若い男性が乗ったままで上にあげた。

ホープの後足は血で真っ赤に染まっていた。
私が先にホープを抱き上げてしまったのでジャッキを
下げトラックの運転手に返す事を忘れてしまっていた。

運転手がジャッキを下げながら
「ワンちゃんの後足が折れているかもしれないな~?」と
言い残し、「急いでいるから」と言いトラックに乗り、

「早く動物病院へ連れて行きなさい」と去って行った。
私は礼をする事さえ忘れてしまっていた。

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ランクルの運転手は、何も言わず急ぎエンジンをふかし去った。
取り残された私はホープを抱いたまま家まで歩いて帰った。

妻はまだ元気だった頃で、「どうしたの?」と
私の胸がホープの血で染まっているのを見て言う。

段ボール箱の中にホープを入れて車を走らせ、
動物病院へ行ったが、診察時間は大分前に過ぎており、
そのまま薬局へ走った。

薬局の店員に「包帯と消毒液を下さい」と言うが、
時間が経って真っ赤な血が、どす黒くなった異様な
シャツを見ながら「何かあったのですか?」と腰が引けている。

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訳を言っていると時間が掛かるので、
黄色い伸縮性の包帯と消毒液を購入して帰った。

大きな容器の消毒液でホープの足を洗うように消毒した。
だが、ホープの悲鳴にも似た泣き声を聞くと、
余程痛いのだろうと思った。

「直ぐに済むからな」とホープに言った後、
「父さんがリードを放したから、ごめんな」と言いながら、
更に消毒液をかけた。

片足ずつ包帯で巻いて行った。
消毒液の痛みに慣れたのか、私の手を何度も舐めていた。

ホープの足はレントゲンを撮ったが骨には異常はなかった。
ただ左右の足の開きが少し違った。

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その左右の足の開きが違う事により、
ホープはまともに座れなくなってしまった。

その後右足の歩き方に異変を感じたのは、
2週間ほど前からである。

歩く時に右後ろ脚を時折、すこし上げて3本足だけで
歩くので異様に感じた。

私は止まってホープの後右足の太もも付近をマッサージした。
2分ほどの時間だがマッサージをした後は普通に歩けた。

車に飛び乗る時も失敗する事が多くなり、
何度も挑戦をしてようやく後部座席に乗ると、
右後足を上げているのでマッサージをすると治る。

最近では、私が抱き上げ、後部座席に乗せ、
下ろす時も同じく抱いて下ろしている。

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「乳がん」

「ワンダーフォトライフ」では、
愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。

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ホープが誕生したのは、平成11年10月19日のこと。
コーギーと柴犬のミックス犬で女の子である。

ホープが誕生して1ヶ月ほどで、長女が行きつけの
美容院のお客さんからもらって来た。

ホープの兄弟は既に亡くなっており、
ホープだけが生き残っている。

ホープの前に飼っていた犬はスピッツの血が混じった
真っ白なミックス犬で、名前をラッキーと私が名前を付けた。

ラッキーは私が中国駐在に行き出してから
5年後に亡くなったと私の元に知らせが入った。

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長女は、「あんな悲しい思いをするなら2度と犬は飼わない」と
言っていたが、わずか1ヶ月後に
ホープをもらって来たと妻から連絡が入った。

ラッキーは16歳くらいで亡くなった。
フィラリアで5年以上苦しみ、
私も動物病院へ連れて行った事がある。

犬は番犬と言うほどに、人が来たり異変を感じれば、
吠えるものであるが、ラッキーは吠えて間もなく
フィラリアによる咳き込みで辛い思いをしていたのが分かる。

咳き込んで吠える事が出来なくなり、申し訳ない表情で
私を見ていた目が今でも脳裏に焼き付いている。

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ホープは、女の子であるが、妊娠はした事がない。
かといって避妊手術も受けてはいなかった。

その事も原因の一つなのか乳癌になってしまった。
左側の前から2番目と3番目に1センチ程の腫瘍を獣医が確認した。

乳癌のステージ1と話していた。
腫瘍の大きさが3センチに達しステージ2から3になる速さは、
人の3倍のスピードとも聞いた。

腫瘍が良性か悪性かなどは、切除して
研究センターで検査しないと分からなく、
その間にも乳癌になる確率は高くなる。

その時では左側だけで、右には腫瘍は無かったので、
良性かも知れないと言っていたが、良性か悪性かの
検査結果を待つ事もなく手術する方向で話を進めた。

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そのときホープは11歳5ヶ月になっており、
大型犬ならば手術しても1年寿命が有るかどうかである。

ホープは小型犬と中型犬の間なので摘出手術すれば、
16歳までは生きる可能性があると妻から聞かされ、
直ぐに手術しなさいと妻に告げた。

左乳腺だけの摘出手術だけで、右側に転移しない事もあるが、
もし内臓に転移すれば最悪の事態を考えなければならず、
両方の10個の乳腺全ての摘出手術を行った。

妻が獣医師から聞いていた手術費用は、
高い病院では乳腺摘出1つで3万5千円掛かるとの事で、
10個で35万円する病院もあるようである。

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ホープの乳腺腫瘍摘出手術は、
妻が脳出血で倒れる3ヶ月ほど前の事である。

摘出手術する動物病院は転居先の病院で田舎にあるため、
摘出手術費用は18万円と高額な都会の病院の半額で行えた。

手術は当然のことではあるが全身麻痺である。
私はその手術の時のホープの姿は分からないが、
交通事故に遭い全身麻痺の姿は目に焼き付いている。

両手両足を大の字に広げている姿だ。
ホープがもし避妊手術をしていたならば、
乳癌になる可能性は、かなり低くなる。

だが一度腫瘍が出来、それが悪性で
癌になれば転移するのは確実である。

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ホープの病理検査結果を見ると、
10個のうち3個が悪性腫瘍で、7個が良性腫瘍である。

こちらで散歩していても、手術予算の関係で、
乳腺摘出手術を片方5つしか摘出しなかったので、
反対側に転移して苦しみながら亡くなったと言う話を聞く。

ホープは10個の乳腺摘出し、既に4年の歳月が流れ、
医師もあと1年、ガンの転移が無ければ大丈夫という。

しかし、ホープは既に15歳半になっている。
以前の体重は9.3キロで中型犬だったが、
現在は8.6キロまで痩せてしまったため小型犬の中に入る。

小型犬で人の歳に換算すると78歳ほどである。

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最近、家の中でも一点を見つめて考え込んでいる姿を
見掛けるようになった。

散歩も途中で帰りたいと訴える回数も増えた。
だが、私を引っ張る力はまだまだ強く感じる。

またホープの毛のつやも良いので、行き交う人は
「ホープちゃんは若々しいわね~」とホープの体に
触れて通り過ぎる。

人の命も動物の命も寿命は分からない。
最期のその時は必ずやって来るだろう。

しかし、私を支える意味でも、ホープには出来るだけ
長生きしてほしいと思う。

何しろホープの名前は、希望なのだから、、。

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「渋滞」

「ワンダーフォトライフ」では、
愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。

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今朝方、左足ふくらはぎのこむら返りに痛みに、
飛び起きる事も出来ず左足の親指を、
痛みに耐えながら反らせた。

「もう許して下さい!」と心の中で叫んでも痛みは続いていた。
私が手術入院する前までは、アキレス腱やふくらはぎの
筋肉を伸ばすストレッチングボードに乗り、前の壁に手を置き、
50回ゆっくりとふくらはぎを鍛えていた。

こむら返りは何の前触れもなく、急に襲ってくる。
それも、久しぶりに起こったので、
痛みが治まるまでただ黙っているしかなかった。

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朝方4時ごろなので、ホープも自分の寝床に丸くなって眠っており、
私が痛みに耐えている事など全く知らずに寝ている。

痛みが治まったが、急激な痙攣による痛みなので、
ベッドから足を下ろそうとするのも、左足をかばうように下ろした。

そして、廊下の手すりの所まで歩き、そっとストレッチングボードの
上に乗り、ゆっくりとふくらはぎを伸ばすストレッチをした。

ゆっくり数を数えながら、50回のみ行ったあと、
再度ベッドの布団に潜り込んだ。
3時間ほど眠ったのだろうか、時計を見ると8時ごろになっていた。

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いつものようにベッドから飛び起きると、ふくらはぎの痛みで、
まだ勢いよく起きる事が出来なかった。

今日の重要な予定は、3時頃に妻の入院する病院へ行く事であった。
昨日、私の次男が病院まで見舞いに来るという連絡が、
長女から家族のlineに入っていた。

私は、lineで父さんも行くけど、
次男には黙っていてほしい旨の事を送った。

事前に私と落ち合うようであっては面白くないし、
ドラマチックな再会をしたかったので、
長女には次男には何も連絡しないように伝えていた。

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そんな日の朝、急な、ふくらはぎのこむら返りに
マッサージもするほどだった。

ホープと散歩に出たが、術後の散歩では右足付け根の
傷口の痛みで、右足を引きずるような感じで歩いた。

今度は左足である。少し先へ行っては、
ふくらはぎを伸ばすストレッチをしては歩いた。

散歩で一回りして帰る頃には、痛みもほぼ感じなかった。
帰宅して、ホープに鶏肉を焼き、噛み砕いては器に入れ、
さらにハサミで小さく切り、ドッグフードを入れたのち、
掻き混ぜてホープの食べる場所に置いた。

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散歩から帰って来たホープは、足をきれいに拭いた後は、
必ず私のベッドの布団の上に乗って休憩をしている。

私が床にセットしたパイルのバンダナの上に器を置くと、
その置いた音を聞いたのち、ベッドから飛び降り、
器が置かれた所へ来る。

自分の好物ならば、喜んで食べるが、二日続けると、
またこれかと言う感じで、仕方なく食べている。

私もホープの為に焼いた鶏肉の半分を、
他のおかずと一緒に食べる。

結構美味しいと思ったが、ホープには2日間が限度である。

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午後1時半過ぎには、スーパー銭湯の着替えなどを
入れたバッグを車に乗せた。

病院からの帰りにスーパー銭湯へ寄る予定で出発した。
時刻は午後2時の時報がラジオから聞こえた。

ゆっくり走行しても間に合う時間だ。
しかし、途中車3台の交通事故により渋滞が発生しており、
病院へ着かなければならない3時には間に合いそうになかった。

やっとの事で、渋滞を抜け先を急いだが、急いでも、
どうなるものでもなく、こちらが事故を起こせば、
他人まで巻き込む事になり、落ち着いて走行した。

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車を運転しながら、長女にメール文を打ち込んでいったが、
運転しながら打つのは難しいと思い、途中で打つのを止めた。

予定より15分ほど遅れたが、次男の家族はまだ着いていないので、
車まで行き、吠えているホープを散歩に連れ出した。

病院の第2駐車場の方へ歩いて行くと、次男が車から降りて、
こちらの方へ歩いて来た。

暫くして、歩道の上で出会った。
「あれっ!父さん!」とホープを見て分かったようである。

ホープが居なかったら分からなかったとも話す。
保育園年長の次男の娘が、大分大きなっていて驚く。

来年は新1年生である。
恥ずかしそうにしていたが、次男の娘だと思った。

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「プレゼント」

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今朝ラジオから「もうすぐ八十八夜ですね」と流れていた。
「夏も近づく八十八夜」と歌がよみがえる。

そのあとの歌詞はと考え
「野にも山にも若葉が茂る」と思い出した。

ホープが私の横で嬉しそうにしている。
私が中学1年の今頃の季節に、
父の友人で歌人だった人から、
「八十八夜って歌は知っているか?」と聞かれ、

「おじさん!八十八夜はわらべ歌で、女の子たちが
手を打ちあっていましたよ」と言うと、
ニコッと笑い、「君は良い子だね」と言い、
短冊に和歌を書いて手渡してくれた事を覚えている。

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その和歌を書いた短冊が何処へ行ってしまったのか、
また和歌の内容も覚えていない。

今、仏間の横の壁に掛けられた額の中の短冊には、
祖父の書いた和歌が2首と父の残した和歌が1首の
計3首が額に入れられている。

その和歌の文字は変体かなで書かれており、
所々しか分からない。

その変体かなを見ていると、
何となく平安時代の文字を連想させる。

中学1年の時、父から「ペン習字書道教範」東京書院の本を
プレゼントして頂いた。

その本の裏表紙に1年F組と書いてあり、
名前も書いてあるが私の幼い字である。

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本の中を開けると、いきなり草書で書いた和歌が目に映る。
350ページに書かれた内容のうち、最後の40ページほどに
当用漢字表でアイウエオ順に漢字が書かれている。

上から楷書、行書、草書と書かれて、
その40ページは他のページより大分汚れていた。

よくこんな難しい本をプレゼントしてくれたものだと、
今更ながら思っている。

だが、4年前200冊以上の本を処分したのに、
このような思い出に残る本は処分できずに手元にある。

私の国語の成績だけが皆よりも軍を抜けていた
ゆえんはこれが原点なのかとも思った。

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今日は統一地方選挙の後半戦決着の投票日である。
ホープを連れて、地元自治会館の投票所へ
ピンクの封筒ごと封を切らずに行って来た。

ホープは投票所の中へは入れないので、
投票所になっているコミュニティセンター外の
人の通りを避け、リードを柱に繋いだ。

私が中へ入ると同時に、ホープの吠える声が聞こえた。
中に入り、封筒を切って頂き、市長の投票用紙を手渡された。

私的な事だが、妻がお世話になっている現市長に1票を投じた。
次に市議会議員の投票の番になった。

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今回の市議会議員では、6名が落選するということだが、
誰に投票するのかは、家を出る時から決まっていた。

何も迷う必要もなかった。
私の投票基準は、選挙公約など守られないもので評価はせず、
何回我が家を訪ねて来てくれたかで判断している。

国政や県知事、県議会、市長などは、家庭訪問は不可能に近い。
だが、市議会議員ともなれば後援会より、
その候補者の器量でもなく、何回来たかで決めている。

実に安易な決め方であるが、
中国へ行く前も帰国してからも判断基準は簡単で変わらない。

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一番大切なことは、投票に行くことである。
投票に行かずして、政治を批判している人も見かけるが、
批判する資格さえないと思っている。

20歳になり投票権を頂き、大人の仲間入りが
出来たと嬉しかった事は、もう遥か昔の事である。
だが、緊張して投票所に立った事は、鮮明に覚えている。

来年夏の参院選からは選挙権を18歳に引き下げるようであるが、
それはそれで若い人が選挙に参加すれば、
大きく政治が変わらないとしても、
投票所の雰囲気が活気づくのではと期待している。

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「遺伝」

「ワンダーフォトライフ」では、
愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。

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私は3歳半まで、体が弱く季節の変わり目になると
直ぐに熱を出し、産みの母を困らせていたようである。

何故そんな小さい頃の事を覚えているのかと言っても
覚えている筈もなく、産みの母の33回忌に、
私を呼ぶかどうかを母の実家が親戚一同の同意を得て、
私に連絡が来たという訳である。

私は産みの母の顔を知らない。なぜならば、
母の写真は全てが燃やされてしまっていたからである。

私が3歳半の時に弟と無理心中した為、縁を断つためなのか、
ゆくゆく私が亡き母を捜すと思ったかどうかは
推測の域でしかない。

私が6歳半の時、父が900キロ離れた単身赴任先で再婚した。
父親は言い出せなかったのか私の存在を黙って再婚していた。

だが、罪悪感を覚えたようで育ての母に、
私の存在を打ち明けたようだった。

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私を捨ててしまう事も出来ずに、
九州まで900キロの道のりを引き取りに来た。

私が6歳8カ月の頃だと聞いている。
引き取りに来るそれまでは、3軒の親戚を、
半年毎に回っていたようである。

当然私一人では、次の親戚の家に自分で行ける筈もなく、
迎えに来てもらい、半年が来る毎に、
次に行く親戚が迎えに来ていた。

食糧事情も良いとは言えない時代である。
どの親戚にも同じ年頃の子供がいたので、
覚えている事柄は、食事時になると辛い事ばかりだった。

大きな皿におかずを盛ってくれるのだが、
私が取ろうとすると「これは僕たちの!」と皿を引っ張り、
親戚のおばさんがその光景を見て、子供を叱っていた。

少しずつ器に入れた漬物だけで済ませ、
お腹が空いていた事が記憶の片隅に残っている。

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そんな緊張の中なのか、私は季節の変わり目になると、
扁桃腺を腫らして熱を出していた。

当然食べ物も喉を通らなかった。のちに大人になってから、
聞いた話では、親戚の皆が口を揃えて、
「病院代が大変だった」と言う。

その請求がまとめて父の所へ行くのだから、
実に迷惑を掛けたことだと思う。
私の扁桃腺が弱いのは、生みの母譲りである。

33回忌に行った折、私が3歳半まで生まれ育った、
今にも倒れそうな家が壊されず残されていた。

その変わり果てた和室で、あなたのお母さんは、
ここで扁桃腺を腫らしてよく寝込んでいたんだよと
説明を聞き、私は変わり果てた畳を掌で触れてみた。

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生みの母親は7ヶ月になる私の弟を背負って、
家から40分離れた磯から入水心中をしていた。

私は、その時遊びに出ていて助かったようだ。
しかし、よく話を聞いて行くと、私は連れて行けないと、
遺書にも私を心配し、この世に、残して行ったようである。

その時の様子も、33回忌の折りに、身内のみ残り、
入水自殺をした時の事を辛そうに説明を受けた。

心中をした磯へも行き、80歳になる渡し船の
船頭さんにも、詳細を聞いて来た。

こんな夕方に子供を抱いて、渡し船で何の用事だろうと
不思議がっていたようだ。

そして、母の最期を見たという人にも会って来た。
「岩ばかりの磯で、子供を抱いて乳を飲ませていた」と言い、
「あの時、機転を利かせて止めていればな~」とも
33年前の事を思い出していた。

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祖父は既に他界しており、私が3歳半で親戚に
引き取られて行く時、田植えが忙しく見送りを
我慢しながら田植え作業をしていた。

だが、どうしても最後に一目だけでもと苗を捨て去り、
駅までの道を思いっきり駆けて行ったと話していた。

そして、汽車がまだホームに停まっていたので、
私に何か飴玉でも買ってと思い、売店で買って、
私に手渡そうと、列車の中に座る私を見掛けた時、
列車がホームから出て行き、立ち止まって泣いたと言う。

その話も、あなたにしたくて今回呼んだと話した。
亡き母の妹達は、そんな話初めて聞いたと泣いている。

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私が手を引かれ、今住んでいる実家近くへ
連れて来られた時は、何とも夢を見ているような、
長い時間汽車に乗り、今度は何処の親戚の家に
行くのだろうと思ったほどだった。

父が私に花瓶を投げ、スローモーションのように
花瓶が頭の上を飛び越え、大きな音を立て、
粉々に散った断片映像が記憶に残っている。

育ての母の事を、おばさんと呼び、
それが父の機嫌を損ねたようだった。

私は、母が亡くなってから、いつの間にか、
違うおばさんが目の前にいて、母さんと呼ぶ人が、
居なかったので、おばさんと呼んでも、
私の中では何の不思議もなかった。

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育ての母を、お母さんと呼ぶようになったのは、
私が扁桃腺を腫らし、高熱で苦しみ、大根の水飴を作ってくれ、
高い氷を買って来て、私の頭を冷やしてくれてからだと思う。

母とはどんなものなのかさえ分らなかった。

自分の腹を痛めて産んだ子供ではないのと私の小さい頃の
病気を知らない母にとって、私が体の調子を崩すことの
原因が分からなかったようである。

小学時代、中学時代、高校時代も、今やっと分かる
寒暖差アレルギーに苦しんでいた。

子供は薄着でいなさいと言う母の言う事は自然だった。
私の病を分らない母にとっては、ただの
体の弱い子に映っていたようだった。

現に、母が生んだ弟は元気そのものだったので、
私へ接するのが腫れ物にでも触れるように感じた。

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産みの母の体質を遺伝して生まれ育ったと
確信したのも33回忌の時だった。

母の50回忌にも参列したが、
生まれ育った家は、すでに取り壊されていた。

そして、母の小さい頃の事を聞いたところ、
私の症状そのままだった。

今は出来るだけ冷える所は避け、暖かくしている。
レッグウォーマーを7月初旬まで穿いており、
着る物も人より多めである。

夏場のエアコンは殆ど点けず、車のエアコンもホープが
居るので点けるが、窓を少し開け暖気を取り込んで走る。

花粉症でなく、寒暖差によるアレルギー症状であり、
薬は中国の友人経由で中国から仕入れている。

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