Dog photography and Essay

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健康保険証が使えなくなった


「集中治療室は身内だけしか入れない」

「ワンダーフォトライフ」では、
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妻の手術が終了し執刀医から説明時には長女長男次男で聞いた。
手術衣の胸元は10センチほど汗で濡れており時間の長さを感じた。

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執刀医の説明は10分で終了してより聞きたい事があればお聞きしますと。
私から手術は30分以内に行うと後遺症のリスクが少ないと聞きました。

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今回脳出血も手術も初めての経験で不安な時が流れたと感じた。
脳出血後の手術までに時間が掛かっても問題なかったのかと質問。

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奥さんの場合は右脳の出血ですが一気に血が飛び散ったようなCT画像。
救急で運ばれて来て直ぐに担当技師が上半身のCTを撮影したと言う。

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右脳の出血は凝固しておりそれ以上の出血は考えにくいと判断。
しかし手術の順序を遅らせたのではなく3人の医師が手術に当たった。

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救急で運ばれて来る患者数も8月29にと猛暑でもあり多かった事も事実。
妻の場合倒れた時に左上腕骨折をしておりその手術も行った。

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医師は看護師から倒れた状況の書類を見て思った事を私たちに話した。
テーブルで左上腕を打ち骨折と思うが頭を打っていたら影響は甚大と。

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長女が医師にお母さんは若いのに何で脳出血を起こしたのかと質問した
少し考えて睡眠不足、ストレス、飲酒、タバコ、遺伝などあると話す。

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こればかりは医師も言葉を選びながら話していたのが印象に残っていた。
妻に面会は出来ますかと聞くと集中治療室は身内だけしか入れないと。

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他に無ければ私は失礼しますが後は集中治療室の看護師が説明しますと。
看護師は集中治療室は一度に2人で小学低学年までは入れないと説明。

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手を洗いマスクをしてチャイムを押し患者名を名乗ってからロックを解除。
私と長男が入ったが妻の頭のキズを見て長男は大粒の涙を流していた。


「大事に至らずに良かった」

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今書いている事柄は2011年8月29日に妻が倒れた日の事を書いている。
4年3ヶ月前の事の状況を自分なりに回顧して妻への介護に力を注ぎたい。

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集中治療室へは私と長男が出て来てから長女と長男の嫁が入って行った。
その間子供たちは長男の5年生になる娘が見ていてくれたようである。

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最後にICUへ入ったのは次男夫婦で出て来た時は次男の目は充血していた。
3日間は集中治療室で管理し問題なければナースセンター前の部屋に移すと。

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時刻も午後9時前だったので皆でくら寿司へ行く事にして銘々車を走らせた。
病院は完全看護体制であるので患者の家族が宿泊は出来なくなっている。

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大事に至らずに良かったと子供たちとも話し合い名古屋方面へ帰らせた。
それぞれの生活を考え後の事は父さんに任しておけばよいからと伝えた。

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医師からは最悪の事を考え合わせたい人は呼んでおきなさいと言われた。
その時は妻がこの世から居なくなると私も動揺した事は言うまでもない。

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61歳の若さでこれからという時こんな事が有っていいのか思うと手が震えた。
子供達家族も何か変わったことがあればすぐに連絡してと帰って行った。

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子供たちは名古屋までの道のり高速を使えば1時間半ほどで家に着く。
私は15分足らずで家に着いたがホープの事をすっかり忘れていた。

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家に着くとホープが捨てられたと思っているのか悲しい声で吠えている。
朝救急車で運ばれ夜10時過ぎまで誰も居ないので心細かったのだろう。

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ホープは妻が救急車で運ばれてから今まで吠えてばかりでしたよと。
隣の奥さんが妻の容態の事を心配するかのように来てくださった。


「出費は出来るだけ避けたい」

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妻は病院の都合で2週間以上集中治療室に入っていた。
脳出血の症状が悪化している訳ではなく一般病棟の空きが無かった。

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病院側から個室が空いているから移って頂けないかと打診があった。
一般病棟のように料金は要らないかと思えば1日1万円と言う。

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妻が倒れた事の不安はもとより無理矢理退職し将来への不安もあった。
一気に年収800万から年収220万の年金生活に落ちてしまい不安だった。

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また65歳まで給料額を維持する代わりに退職金据え置きに署名捺印していた。
中国へ赴任する2日前に妻が倒れ退職を選択し会社としては仕事復帰を要求。

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私に突き付けられたのは多額の違約金で60歳で退職していた方がマシだった。
欲を出すつもりは毛頭なかったが60歳で一旦退職すると嘱託扱いになる。

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人生とはこんなものかと思っていたところに個室に入ってとの打診である。
訳を話すような事はしなかったが出費は出来るだけ避けたいと断った。

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集中治療室のベッドは余っており料金も発生しないのでお願いしていた。
緊張する集中治療室で自分自身や妻の生きた軌跡を振り返るのにも助かった。

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一般病棟でもナースセンターの前しか駄目なようだったが2週間後に空いた。
4人部屋だったが半身不随の重病人ばかりの中で妻は20歳若かった。

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他の3人は男性で80歳以上の人で付き添いで来ていた奥さんも75歳ほどだった。
慣れた頃その部屋で調理の方法など聞いたりして丁寧に教えて下さった。

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大根やニンジンなども小さくすれば早く調理できる事なども教わった。
味付けはビニール袋に入れ調味料を入れ混ぜ合わせれば出来るとも教わった。


「健康保険証が使えない」

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妻が一般病棟へ移ってからも集中治療室へ自然に足が向いた。
ナースセンターは奥にあり妻の横たわる部屋は更に奥だった。

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ケースワーカーより手術費用や集中治療室の治療費は高額と言われた。
高額医療費限度額認定証を申請して来て下さいと役所へ行って来た。

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病院へ引き返しケースワーカーへ手渡すと受付に提出と言われた。
健康保険証と限度額認定証を出すと治療費が高額でも限度額以内で良い。

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10日程過ぎた頃病院から携帯へ健康保険証が使えないと連絡が入った。
会社を退職した翌日から健康保険証が使えなくなってしまっていた。

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妻が脳出血で倒れた事は分かっている筈だが止められてしまっていた。
社会の現実を思い知らされたが突然過ぎどうすればよいか分からなかった。

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役所に行き国民健康保険課で私と妻の国民健康保険の申請をした。
私は加入できたが妻の保険は妻の免許証と委任状が必要で帰宅した。

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妻の事で頭が一杯であるのに言われるがまま色々な所へ走った。
妻の免許証を持って委任状を作成しどうにか妻の国民健康保険が出来た。

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役所で雇用保険の申請されていますかと問われたが何もしていなかった。
ハローワークへ行き申請して再就職説明会にも参加する事と告げられた。

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ハローワークへ行ってみると自己都合退職は失業保険も遅れると言われた。
社会保険資格喪失証明書等言われたが妻の保険証があるので急ぎ出た。

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妻の国民健康保険証と限度額認定証を持って病院の窓口に行き手続した。
まさかハローワークへ自分が行くなど考えなかったが現実のものとなった。


「暗証番号が分からない」

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妻が入院してから1ヶ月半ほど過ぎた頃から軽いリハビリが始まった。
ベッドから車椅子に乗せて1階リハビリテーションセンターで受けた。

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妻の左半身麻痺で左足は全く感覚がなく歩く事ができない状態だった。
病院が紹介する業者が来て左足から太もも付け根までの装具を作った。

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妻の左足にビニールを巻き付け石膏で塗り固めて行った。
30分ほどしてより石膏を切り開き足を抜き型を取り帰った。

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足の装具が出来上がって来て現金決済したが大きな装具は使用しなかった。
足からふくらはぎまでの補助具は使常時使ったが金銭の無駄だった。

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左足補助具の底の厚みがあり右足の靴も特注で作ることとなった。
市から補助金が出るので補助具の領収証を持参して振り込んで頂いた。

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妻は郵便貯金の通帳とキャッシュカードをバッグの中に入れていた。
妻に郵便貯金を下ろしてもよいかと聞いてみた所使ってよいと言う。

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郵便局へ行き通帳を記入してみたが結構多くの残高があった。
キャッシュカードも持って郵便局へ行ったが暗証番号が分からない。

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妻のキャッシュカードを見たのも初めてだったが暗証番号を知る由もない。
3回打ち間違えるとキャッシュカードは使えなくなると緊張した。

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考えた末に妻の誕生月日を押したところ一瞬にして引き出し金額の画面。
私は誕生日ではなく住所の変更前の存在しない番地で登録していた。

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私のキャッシュカードを誰が持ち出しても暗証番号を当てる事は出来ない。
統計上暗証番号で一番多いのは誕生日で2番目が電話番号で3番目は番地だ。


「誤嚥性の肺炎が怖い」

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妻は4年3か月前脳神経外科と呼吸器外科の混合病棟の病室にいた。
手術後の食事は嚥下障害があるので経管栄養をしていた。

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口から食べられるようになれば元気になってくると説明があった。
だが2週間が過ぎても口からの食事が嚥下障害により出来なかった。

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元気になれば食欲は増して来るのであるが左半身マヒは喉もマヒしていた。
上手に食べられるようになってほしいと治療を続けているようだった。

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栄養の補給は非常に大切でリハビリにも影響が出ていた。
作業療法士がサポートしながら足を動かすのにも時間が掛かっていた。

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妻のリハビリ時間は60分間で病室からリハビリを終え病室へ戻るまでの時間。
病室で足をマッサージし車椅子に乗せるまでに15分掛かり正味30分間である。

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柔らかい食事が出来ないのか聞いてみたが誤嚥性の肺炎を起こすと言われた。
体力が付かなければリハビリさえままならないと医師に相談した。

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医師も丁度私に相談をしようとしておりそれは胃ろう手術の事だった。
胃ろうは嚥下障害のある妻のような患者に栄養を付けさせるものである。

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胃に穴を開けチューブを付け直接栄養を送り込むのである。
私はネットで調べて早く胃ろうの方法で体力を付けるべきと思っていた。

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医師は妻が脳出血の手術をしたばかりで胃ろうの手術は体力に限界と判断。
だが私の体力を付けさせなければとの思いと医師の考えが一致した。

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経管栄養では十分な栄養が摂れない状況が続いたが胃ろうに期待した。
1週間も経たないうちによく話すようになり右足の力も付いてきたようだ。


「辛い私の心に拍車」

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妻が療養中の病院へ寝間着を届けに今日ホープを連れ1時間掛けて行って来た。
2週間前から妻が倒れた4年3ヶ月前の状況を思い出しブログへ書き留めている。

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私のブログ記事を垣間見た人は今起こっている事柄と勘違いしてしまう。
4年3ヶ月以上前に突然妻の身に起こった事で大きく私の生き方が変ってしまう。

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妻が倒れた時は東北大震災の半年後で既に4年3ヶ月が過ぎてしまっていた。
車を走らせていても自分でさえ妻の意識が回復しているのではと錯覚する。

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先週木曜日に来たばかりなのに意識が回復するはずもないが期待が募る。
階段を上る速さもいつもより速いような気持ちさえ感じるほどである。

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ナースセンターで立ち止まり「変わりありませんか」と質問している。
「変わりありませんよ」と言葉が帰って来るが他の看護師は笑っている。

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妻の横たわる病室の扉を開けるとベッドが一つなくなっている。
広々とした空間が目の前に広がり妻の方を見ると変わりない姿が見えた。

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私は妻の洗った寝間着の入った袋を持ったままナースセンターへ。
入口の女性はどうしたのと聞くと土曜日に容体が急変して残念なことに。

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木曜日には大きなイビキを掻いていたのにと思ったが87歳なので寿命かも。
妻の顔をお湯で濡らしたタオルで拭きながら65歳だからまだ大丈夫と思う。

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首から肩、胸辺りまで拭いていると辛く悲しい思いがこみ上げて来た。
ドアーの小窓から私が見えたのか看護師が「どうしたんですか」と入って来る。

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姿のないベッドのあった方を指さし居なくなってしまったんですねと聞く。
療養病棟は重病人ばかりだからねと言うと出て行き辛い私の心に拍車を駆けた。


「診療報酬面から病院に圧力」

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妻が倒れて3ヶ月が過ぎようとしている4年前の事である。
医師より転院の話が浮上したので私は驚いてしまった。

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妻はまだほとんど回復していないのに何故転院なのかと聞いた。
病院の説明は救急病院なのである程度回復すれば転院措置を取るようだ。

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病院側の言い分であり妻の手術を執刀した医師とは思えない発言だった。
後から分かった事は診療報酬面から病院に圧力が掛かり患者が一番の被害者。

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当然の如く完治するまで入院できるものと思っていたので妙に焦った。
今中途半端なまま他の病院へ追いやられる事だけは避けたかった。

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病院のベッドが空いているのに転院しなければならないのは何故と思う。
翌日の回診の折に質問してみると回診中なので後でお聞きしますとの事。

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結局その日は急患の為医師と会う事が出来ず看護師に聞いてみた。
医師と患者のご家族のお話に看護師が口を挟む事は出来ないと正論を言われた。

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翌日の午後医師より15分間だけ時間が空きましたとナースセンターへ。
パソコンを開きカルテを見ながらもう少し病状が落ち着くまで待つかと言う。

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私に向き直ってここは救急病院なので最長でも4ヶ月しか入院できないと。
ベッドが満床になる時もあれば空く時もあり救急患者の為にベッドは必要。

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話し合いの1か月後にリハビリ病院を手配してあるからと面接に行って来た。
面接では妻の資料が来ており確実な転院予定日は退院する患者次第だった。

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初めての事とはいえ病院間の手際の良さに驚き病院事情を垣間見た思いがした。
3ヶ月毎に転院を繰り返さなければならない事情さえも知らなかった。


「病院ジプシー生活」

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4年前妻の入院生活が90日を迎えようとしていた。
医師から胃ろうを設置してリハビリ病院への準備をと打診があった。

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初め胃ろうがどんなものなのか全く分からない私は返答に困った。
医師より経管カテーテルより胃ろうの方がリハビリには適していると。

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更に胃ろうの手術をする事により直ちに転院しなくともよいと説明。
私は考えさせて下さいと帰宅し胃ろうについての情報を集めた。

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内視鏡を使って腹の胃の部分に穴を開ける手術で直接流動食を入れる。
鼻腔へカテーテル栄養チューブよりも逆流や誤嚥のリスクが低いとあった。

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胃ろうPEG手術のページをA4にプリントアウトして医師と面談した。
胃ろうの説明ページを見せると私から説明する手間が省けたと話していた。

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同伴した看護師から承諾書を受け取るとこれに署名捺印して下さいと用意周到。
私がサインし印鑑を押すと明日手術しますから45日間入院延長できますと。

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入院延長の事だけを強調されると何とも言えない気持ちになった。
体力が回復できリハビリの準備も万全に出来ますよ位言ってほしいものだ。

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手術の時間に病院へ来たが妻は入院しているので私が焦っても何も変わらない。
30分ほどの簡単な手術だったが医師が手術室から出て来て私は一礼した。

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医師から胃ろうの手術だけなら2週間ほどしか入院できないという。
妻の場合脳出血で入院中での手術なので延長入院できるようである。

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1993年から中国駐在で日本にはいなかったので3ヶ月退院制度は知らなかった。
高齢者になってからの病院ジプシー生活は送りたくないものである。


「リハビリ時間は1日3時間」

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くも膜下出血、脳梗塞、脳出血の脳卒中の中で妻は脳出血で倒れた。
嘔吐物が喉に詰まって不運にも窒息死する事もあるが妻は問題なかった。

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体が硬くなると妻の場合5日目あとから腕や足のリハビリをしていた。
歩くようなリハビリは出来ないので病室のベッドの上で行っていた。

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以前の医療従事者の通説は発症から6か月を過ぎると改善が止まる。
6か月の壁を越えてしまうと麻痺は改善できなくなるとされていた。

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3ヶ月転院は病院への医療報酬が入らなくなるという一面だけではないようだ。
妻は手術後1か月を過ぎた辺りから作業療法士のサポートでリハビリに入った。

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胃ろうをしてからは体力がついたのかスピードがアップしたように見える。
45日間延長と言っていたが20日経たない内にリハビリ病院へ転院した。

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鈴鹿の救急病院から車で1時間掛かり救急車が手配されたが料金はタクシー並み。
その場での現金は必要なく入院費用の中に入っており後日支払った。

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高額医療の手続きがしてあったが月が替われば二つの病院へ支払う事になる。
2日間の治療でも高額医療の限度額は2か所の病院へ支払わなければならない。

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後でケースワーカーへ相談し地元役所へ申請し超えた分は3ヶ月後に戻って来た。
地元の病院の介護業者で作った左足装具を持って行ったが太腿部分は不要だった。

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転院したリハビリ病院では手術の設備はなくリハビリを専門に行っていた。
鈴鹿地元病院では土日や祝日休みで3日休みが続くと途端に妻の体が固まった。

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私が見様見真似で覚えた軽いストレッチリハビリを休み中行った。
リハビリ病院では日曜日だけ休みでリハビリ時間は1日3時間ほど行った。


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