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心配は少なく希望は多く食べる量は少なく噛む回数は多く溜息は少なく呼吸は多く言葉は少なく伝えることは多く憎しみは少なく愛は多くそうすれば最良のものが手に入るグレタガルボの伝記本で読み、すぐにノートに書き残していた件。ポーランド?かな・・・本が今は手元にないのではっきり言い切れないけれど、ヨーロッパのどこかの国のことわざだそう。私の場合、今は特に「言葉少なく 伝えることは多く」が身にしみている今日この頃です。
2015/06/01
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昨年の9月頃から「ピンポンパール」という品種の金魚を飼っていました。名前は「キナコ」愛称「キナ」。とても長く一緒にいたような気持ちだけれど今日の午前に天に召された。ブログに飼育日記をのせてなかったことが残念。自分のことながら、36年生きてきて生まれてはじめて生き物を飼った。だからなのか・・・自分でも想像つかないくらいにこたえているこんなにつらいんだねキナは4ヶ月ほどの間、体調を崩すことも多々あって、でもなんとか持ち直して、の繰り返しだった。年末なんかは「もうだめかもしれない」と思ったけどなんとか持ち直した。金魚は「義理堅い]性格だと調べたことがあったけど、うちのキナは本当に義理堅い子だと思った。ご飯はいつも残さず食べた。呼ぶといつもビューンと飛んできた。体調が良くないときもあったのに、いつも私たちに心配をかけないように振舞っていたのだと思えるときもあった。亡くなる数日前からもうぐったりとしていて、いつ息を引き取ってもおかしくない状態だったけど、ゆっくりと最期を迎えた。まるで私たち夫婦に「覚悟していてね」と伝えているかのように。急に逝ってしまったら私たちが驚いてしまうから。さいごまで可愛い子だった。義理堅い子だった。私は金魚がこんなにかわいいなんて知らなかった。キナにたくさんのありがとうを伝えた。そして、私もいつかそっちへ行くからまたねと伝えた。そして、ご飯を食べ過ぎると具合が悪くなる子だったので控えめに与えていたから、天国ではお腹いっぱい食べるんだよ。と伝えた。本当に本当にありがとう。
2015/01/21
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私にしては、めずらしく咲き続かせているお花です。園芸は得意ではないのに、ついつい買ってしまうもの(笑)花名は忘れてしまったけれど、この秋色が美しくてそばに置きたくなって購入。癒されます★
2014/11/16
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禁煙はじめて一年が経過したまだ、たったの一年であるけど「やればできるじゃん」って気分。まだまだ継続中なのだ^^♪面白いことに「禁煙したんだ」という話を喫煙者に話すと「えーすごい!」みたいな感心されたりするのだけれど、非喫煙者に話しても「ふーん」とか「そうそう、辞めて正解よ」と、けっこうそっけなかったりする(笑)ときたま吸いたいな~と思うことも減ったとはいえ、まだあるけれど「タバコを吸わない」というこの解放感が強いのでまだまだ禁煙生活は続きそう。
2014/10/16
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最近読んだ本、【中古】 マリリン・モンロー最後の真実 (1) / ドナルド スポト [単行本]【あす楽対応】私は、マリリン・モンローが大好きでさまざまな本を読んできたけれど、久々に感銘を受けた本でした。伝記本という意味でもすばらしい本だと思う。マリリンモンローは「謎」の最後を迎えたと50年たった今でもそういわれている。マリリンのことについて書かれた多くの本には、謎の死に注目する本が多いと感じていた。だがこの著者の本は、マリリンの心情面や環境面などまた別の角度からのマリリンを表現している本だと思う。マリリンがもっと好きになる本。マリリンモンローに魅了されている方には読んで欲しい一冊です。
2014/03/10
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ブログを続けていると、「こんなこと書かなくたってみんな当然に知っているよね」とか考えてしまう。じぶんでくだらないとか決めてしまうでもあくまで楽しくはない。「卑下している」と指摘されることもあるけれど、卑下でもなく本人がそう思っていることなのだきっと世の中には、芽も出ない才能がたっくさん埋もれているんだろうって感じる「だからなに?」なんど言われてきただろうか・・・この行き先のない気持ち・・・このとりとめのない日記でもアップすることに迷うけど・・・してしまおう。
2014/03/03
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「どのように生きたかではなく、なにを夢みたかなの。それは永遠に生き続ける」これはココ・シャネルののこした言葉といわれる。このところ、頻繁にこの言葉が心をとおる。夢の中で誰かがささやいていることさえある。生まれてきて、今まで30年ほどたち「なにをゆめみてきたんだろ」って思い巡らしてみても私ってゆめというものを見たことがないと思える。ゆめを見ることは親だって教えてくれない。ついでをいったら、生き方とか、人付き合いの方法とか、お金との付き合い方とか、天職の探し方、とか多数あるけど・・・その彼らにはゆめはあったのだろうか。ゆめの見かたそういう教科書があれば読んでみたい
2014/02/25
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禁煙というのか、「断煙」というのか、「休煙」といったらよいのか、つまりは喫煙していない状態が私にしては「???!」というくらい継続中です(笑)ちなみに 断煙(だんえん)、休煙(きゅうえん)・・・なんとなくの「イメージ言葉」であるけれど、当然のように検索しても出てきませんおそらく喫煙者の方には意味がわかってもらえるのではないかなぁと思っております^^もちろん夫も継続中!期間にしてみたら4ヶ月ほど・・・だけれども、感覚としてはもう数年喫煙していないような感覚です(笑)夫とふたりでだからがんばれる・・・というのと同時に、もし挫折したらお互いを引っ張っていってしまうんだろうなぁと思う時たまに起こる、誘惑には警戒中の日々です^^;とはいっても禁煙してよいこともあったのですまず一つ、目じりのしわが薄くなったような感じ。これは夫からも言われたこと。「煙草ジワ」って自分が喫煙しているときには気にもしないものだけれど(というか喫煙しているとそんなの関係ない)、実際喫煙しないと「なるほどなるほど」と思えるものがあります。次に・・・よく「煙草やめればお金がたまるじゃない」と言われてきました。実際溜まっているのかこまごまと計算はしていないですが、銀行にお金を下ろしにいく回数は明らかに減りましたね。(笑)あと今まで日々の出費を気にして買えていなかったものが買えるようになった(特に食品)ということかな。煙草でお金が溜まる・・・というのは大きくは実感していないです(笑)でもお財布的心理状況が温かくなったのは確かかも・・・。ととにかく続けられるまではやろうと思います
2014/02/17
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笑ってしまえるけれど、昨日日記を書いた翌朝に体調不良に見舞われている始末なり(笑)なんだかぞくぞく寒いぞ^^;久々に懐かしい風邪のかんじを味わってます^^ワインのためにも早く体調を元に戻さねば・・・。
2014/01/27
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このテーマの「自分らしい生き方」を思うとき、私の毎日、私の体、私の時間・・・というものの私にまつわるもの、なくてはならないものの一つがワインだと思える。(笑)一つ・・・とは言ったが今それ以外に思いつかないおそらくワインなど飲まない、とかお酒を嗜む習慣のない人には理解しがたいものだと思うけど、きっと自分の好きなことのためやなくてはならないものがきっと誰もが一つはあるのではないだろうか。読書、旅行、などなど。。なくてはならないものがワインが私の場合、ワインのために?健康さえも管理していると思える自分でも笑っちゃうけど、体調崩すとワインを飲みたいとさえも思わないのだろう。それが私にとっては一大事!なので豪飲しない。翌日まで残ってしまうのは翌日のワインに申し訳がない。あとほどほどに心身ともにすこやかに、穏やかにしていなければ夫にも心配と面倒をかけてしまう。だから節度を保ち?ワインを日々楽しんでいる(笑)お金に関してもワインのかかわるところがあるのだ毎日ワインが必要だから、無駄遣いしない。必要でないと思うものは買わない。だってワインが買えなくなっちゃう正しいことなんて何でしょうね昔は休日なんかに、夕方の早い時間に飲むこととか、毎日飲酒している自分に、休肝日がない自分に罪悪感をかんじる時期もあった世界のどこかは夜なのだ。自分の体の欲求にしたがうことだって大切。正しいことが何一つないのだからこそ感じること、自分で考えることなんかを大切にしたい。と今日もワインを片手に思う私。
2014/01/26
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「もったいない」これまで生きてきて、何かの機会や転機に身近な人物にいわれてきた言葉。転機とは大きなことでも小さなことでも。転職や仕事においてなど、心身にかかわることまでいろんなこと。私自身、自分以外の人に「もったいない」と感じることはほとんどないと思うからこそ、なにかしらにつけ気にもなる「キーワード」なのだ。この「もったいない」を今思いつく限り並べてみると・・・1.ここまで続けてきたのにもったいない2.まだまだ上をめざせるのにもったいない3.皆が経験しているのにそれをしないことはもったいないこの「もったいない」の言葉に応える結論にいたると喜ばれることがほとんどだ。褒めてもらえたりもする。祝福されたり。誰かの期待に応える・・・それをしているときは気持ちのよいもの。すこしのあいだはね。でもなんでだろう?それってその人に好かれたいからか?それに応える自分が好きなのか?年を重ねて思うことは、私はことごとく周囲の人に「もったいない」と言われることを選んで生きている。川の流れのように思うのだけれど、きっともったいない人間なんだろうなぁ・・・自分を客観的にみるとそう見えなくもないような。答えの出ない、出ようもない問題。自分自身に近づいているようで、遠ざかっているようなそんな心境だ。と今日はこんなこと考えてた。それにしても今日は本当に寒い関東は雪降るかな?
2014/01/15
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前回の続き・・・私の生活の中でも入院の次に思いもよらなかったことが禁煙することだと思う煙草を絶ってみると、実際には欲しくなることはままある(笑)「買っちゃおうかな!」と思うこともあったかな・・・でもなんだか、「吸わないでいられるのなら・・・」と思って続けられているそして心強いのは、夫と二人で取り組んでいるからというのもあるきっと、禁煙決意しても、片方が吸っていたら吸いたくなってしまうものね(^^)実際、タバコを吸わないでいて何が変化したかというと・・・目に見えて太ったということはない。タバコがないから無性に食べたくなるというのも今のところない。よいと思う変化は、体が喫煙時より温かく感じること。毎年冬となると足の感覚がなくなるくらいは冷え切っていたのでそれがなくなったこと。歯の痛み、口角炎、頭痛、が起こらなくなったこと。まぁ、入院して、いろんな薬飲んだり、点滴もしてましたからそのおかげも?!あるのかもしれないですが、今のところは以前からの不調からは解放されたように思うところです。吸わなくなった現在でも、タバコは好きなのでタバコのおかげでこの不調があったとは思いたくないので、このあたりでやめておきましょう^^またいつか仲が戻るかも知れないですから。一番の理想は、「食後のデザート」感覚で楽しめることですね。「これがなきゃだめ」でなく「たまにのデザート」みたいなそんな付き合いができたらいいなぁとひそかに思います。そう自信を持って割り切った付き合いをするのはまだ時間が必要なようです。
2014/01/09
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去年はいろいろあったような、穏やかに静かに過ごしたような気もするが、そんななかで初めての入院を経験した。最初の2日は自分でお手洗いにもいけない状態だったので、寝たきりで、そして看護師さんのお世話になるわけだけど、一人で用を足すことってこんなにも幸せなことなのだと感じた。毎日当たり前のようにしていることができなくなるって本当にしんどい。自称、医者嫌いで、具合悪くても薬飲むのもとてつもなく抵抗がある。滅多に病院もいかないのだけれど、今回は入院するまでにいたった。退院したくて仕方なかったので、嘘をついてでも元気なところを見せて退院を早めてもらおうなんて頭では考えていたけど、点滴を一日数本も換えたりとか、お手洗いも人の手を借りる、寝ているしかない状態が続くとなんだか考える力が抜けていくのを感じるのである。まさに頭が働かない状態。そのことに怖さも感じた。そして「このままの状態がずっと続くのではないだろうか?」とかね(笑)普通の状態でいるときでも、病院にいるとなんだか具合が悪いような気がしてくるから困ってしまう。ともあれ、今は大丈夫。一瞬はこの世を離れたかと思うと、今は戻ってきていて不思議な気分。入院してよかったこともあった。禁煙できていること。禁煙するなんて自分はないだろうと思ってたけど、入院して以来喫煙せずにいられている。意外なところにきっかけってあるものだなぁと思う。3ヶ月くらいたつから自己記録達成である。まだいけるな(笑)
2014/01/07
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何歳になっても、新年の目標って立てたくなるわたし。達成するしないにかかわらず、なにかたてたくなる。今年は、「罪悪感を持たない」ていう生き方が目標だ。なにやっても、なに思ってももたないもんね(笑)あともう一つの目標は、去年より1件多くでもよいから、ブログを更新すること。これは毎年立てている目標のような気がする・・・・。新年も宜しくお願い致します
2014/01/07
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久しぶりに、ゆっくりな気持ちでブログの更新・・・っていうことをできてるみたい 仕事をしない生活をして、一ヶ月が過ぎようとしている今はまだ心身ともに休養が必要なようです。 忙しく、せわしない生活は疲労困憊してしまうので、できること、できるだけの生活をしている。結婚して3年、初めての専業主婦という生活がなんだか緊張感もあり新鮮味もあります 今は、休職中、そして求職中の身ではあるが今までの転職活動時期よりゆったりと構えている、そんな現在の私。 それまでは、女性であっても主婦であっても仕事をしてないとだめ。自立していなきゃ!まずいと追い込むくらいにおもってた。仕事をしていたとき、特に主婦上がりの方にはその方がたのペースや考え方に同調できず、理解できないこともあった。でも今、自分がこういう生活を送っていると、「主婦だって大きな仕事をしているのだ」と思えてならないと過去の自分の考えに、見せる顔もないくらいに思えてくる。 さて本題。私の30年そこらの歴史から、そして経験から、読んだ本や出会った方々から学んだことを思い返し、ある一つの真実に出会った。それは大切なもの、本当に本当に大事なものは一つだけしか手に入らない、手に入るのは(かなう)一つだけ。 っていうこと。 極端な言い表し方ではあるけど、一つあれば十分なのだとおもうもしかしたら、一つではなく、ふたつもみっつも持っているっていうときは、その中でも本当に大切なものは失いたくないものはその中の一つなのではないか。 自分の意に反する選択でさえもそこにはいる。 私のことで言えば、仕事が好調、お金もたくさん稼いでいた時期があった。そのとき頭に一番頭にあることといえばやはり仕事のこと。 仕事があるからこそいまのわたしがあることが一番のおもい。たまに好きな人との生活を思い浮かべたり、もするけど、やはり仕事と自分を引き離せない考えだった。仕事が私の一番のパートナーだったのだそれを失いたくないためにリスクだって受け入れてきた。だからこそ、仕事に全力に打ち込むことができ収入だって追いついてきたのだろう。そうおもう。 その思いが別に向いてしまうとき、もう一つはもろくなる。もう時間の問題だった。そういうくりかえしをし今の思いに達した気がする。置き換えたら、身近にもこういう例はたくさんある そう。仕事するって大変で生活と両立しようなんて考えなくていいものじゃないかな自立なんて考えると自分をもっと思いつめることになるかといって甘えきっていけばいいなんていうことでもないから言い表すこともむずかしい・・・ おかげさまで今の生活をしていて、自分の愛することって「生活すること」なんじゃないかな。と思えたことがうれしかったもちろん夫の協力があってこそかなったこと。 そしてしばらくしたら休養を終え、また社会で働くようになるだろう今の心境としては、戦場にいくような心情だけど、すると決めるならば、すべてに覚悟を決めていかないと・・・と思っている。
2013/07/13
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あきらめようと諭す回路にきみがそっと侵入してきて何食わぬ顔で夢をちらつかす上手に包んでしまったものが飛び出したいとうずいてる痛い記憶を最後に寝た振りをしていたくせにガラでもないけど会えるとうれしいよふと夕暮れに思いを飲み込む日々ほろ苦いキャンディーがまだ胸のポケットにあるんだ気づかせたのはきみ 多くのことを求めすぎてできるだけそばにいたくてそんなことしてる間に息が詰まるたいてい人はこんな感じで大事なものを失うんだろうそしてこりもせずきみをほしがってるみっともないけどすべてが愛しいよ悩んだすえに思いを飲み込む日々甘酸っぱいキャンディーがまだ胸のポケットにあるんだ君が食べておくれ いつも私の中にある。離れない歌。 ミスチルの「CANDY」歌詞は私の頭の中にあるもので本当の歌詞は少し違う部分もあるかも。 心が軽やかなときに聴いても気持ちが温かくなる曲で、心身ともにしんどい時には涙があふれてくる詩でもある初めて聴いたときには懐かしい恋を思い出すような気持ちになったけど、今では、なんていうか生き方に重なるように感じる 一曲の詩にこんなにまで感情移入できることも滅多にあることではない。かなとおもう。書いているうちにも涙があふれてきそうだもん。(笑) これからもずっと聴いていたい詩。 魂が求める詩。
2013/07/09
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タイトルからすると「なになに?」という感じ。 その正体はと言えば、「納豆」である今朝、夫と朝食をしていてふと、哲学的な気分になった一緒に生活して同じ食事をとっていても、やはり好みの違いもあるし、彼の箸の進まないものもあるわけで、まぁそのようなことは時間をかけていけばよいのだけれど。 そのような時、彼のご飯が進まないときに必ずといっていいほど彼が食するのは「納豆」だった何年もわかっていたけれど、なにか今日は深く深く感じてしまった。 以前の職場が同じだった方の話を思い出す。自分の子供に「お母さんの作るご飯で何が一番好き?」と聞いたところ、「納豆ご飯」と子供が答えたのだそう。納豆は残念ながら市販品。 そのときその方は冗談半分に笑い飛ばしていたっけ。 それぐらいに大人子供限らず、納豆を常食する人にとっては身近でなくてはならないものなのだ。お豆腐よりも簡単に食べやすいものね。 納豆の存在。本当さりげなく、でも重要度を締めている。冷蔵庫の中や、商品の棚にその定位置を常に治めている。近年ではコンビにでもおくようになり、席数を確実にふやしているようだ。買い物をしても当たり前のように手にするものの一つに入るといっていい。疑わず、手に取る。(私ね) こういうことを物事に置き換えてみることも楽しい 何かの解決策になるかもしれない。
2013/07/07
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今の私のサポーターである 【送料無料】辰巳芳子の展開料理(基礎編) [ 辰巳芳子 ]。 内容は簡単に言うと、毎回1から料理をするのではなく、多めに半調理をまとめて行っておくことで日々の生活にゆとりが生まれます。という本。 まずこの本の中で、 自分は「知っている」「時が来たらやってみせる」と暮らしをなめている方が多い。 の言葉に体中に衝撃が走りました。これ、まさに私と思った。 ここ最近・・・かここ数年か、というか最後に心身ともに元気だったのはいつだったかな?といっていいくらいの私。それぐらい活力が衰えていたと思う。 「これが自分の性分なんだ」と丸め込んでしまえるときもあれば、「これでいいの?」をくりかえすこともある なんだか自分が理解できなかった かといって今がはっきりと解決したわけではないのだけれど?、この本に出会って、自分が進みたい道へのひとつを進めるようにと手助けしてもらったように思う この本は、お料理のレシピだけでなく、著者の辰巳芳子さんの人生経験が盛りだくさんにのせてある・・・というのでしょうか。じっくりじっくり繰り返し読んでしまいます。 まず私は、出汁を引く習慣を身につけたいとおもい、週に一回~二回のペースで引いています。この出汁一つだけでも毎日の献立作りが満足度の高いものになりました。夫と二人暮らしであるけど意外に出汁を使うことに驚いてます。そしてレシピの展開法だけでなく、自分でも手持ちの素材を組み合わせることができるようになる。 こういったことがとてもうれしく感じて、 台所仕事に余裕が生まれてきました。 「展開する」これって、生き方にも言い例えられるのかも知れません。 自らの長所、短所と展開していくことができたら、ゆとりも生まれて、身の丈以上に無謀なことをしなくても、自分のすぐ足元に、よりよい選択肢はあるのではないか。と感じています。 「やらない人」ではなく「やる人」になりたい。
2013/06/16
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「こだわり」は「執着」とも時として言い表すこともあるが、でも当人にとっては「生きていくための原動力」 ということができる周囲のからみると些細な事柄に当人は心身ともに思いつめてしまうことがあるものだ今の私もそうしかも昔の自分であったら、スルーしてしまう事柄だけれど今の私にはどうにもこうにも受け入れることができない事柄。すんなりと受け入れる昔の自分を知っているからこそ、今の受け入れられない自分にギャップを感じ、ちぐはぐさを感じてしまうなおかつ昔の私なら、今の私の状態を快く受け入れるはずもないだろう、と思ってもしまうから堂々巡りだ今を生きる。いま、今、現在今に素直に進めばいいのに、何かに足を止められているようだ
2013/04/21
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自分のしていること、できることを他者に求めないことだ 仕事でも私生活でも家族関係であっても同じこと 何よりも、「自分」とは違うのだから。 相手を(環境を)変えようとするよりも、自分自身の感じ方を変えたほうがより自分らしい生き方に近づくことができるだろう
2012/07/15
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大好きな大好きなオードリーヘップバーン今年はオードリーの生誕83周年です そして今日が生まれた日 オードリーの出演映画をすべては見ていない私ですが、時間があれば観てしまう、何度でも観たいと思う作品が「ティファニーで朝食を」 たくさんの映画の写真も観てきたけれど、この「ティファニーで朝食を」は、彼女のための作品だと思える私の中のオードリーのイメージにピッタリなのです。 そして最近、オードリーの息子である、ショーン・ヘップバーン・フェラー著作の「Audrey Hepburn 母、オードリーのこと」を読み、感銘を受けた言葉があります ご存知の方も多いかも知れません 以下、本文より抜粋↓ 「*ときの試練によって磨かれる美* 魅力的な唇になるためにやさしい言葉を話しなさい。 愛らしい目を持つために、人のよいところを探しなさい。 おなかをすかせた人に食べ物を分けてあげれば、身体はほっそりするよ。 1日1回子供が指で梳いてくれれば、髪はつややかになる。 決してひとりでは歩いていないことを知れば弾んだ足取りで歩けるはず。おまえの未来に伝統を残しておこう。愛情をこめた人のやさしい慈しみはけっして失われることがない。 物は壊れたらおしまいだけど人は転んでも立ち上がり、失敗してもやり直し、生まれ変わり、前を向いて何回でも何回でも何回でもあらたに始めることができる どんな人も拒絶してはいけないよ。 助けが欲しいとき、必ず誰かが手を差し伸べてくれることを覚えておきなさい。大きくなればきっと自分にもふたつの手があることを発見するだろう。ひとつの手は自分を支えるため。もうひとつの手は誰かを助けるため。おまえの「すばらしき日々」はこれから始まる。どうかたくさんのすばらしき日々を味わえるように。」 オードリー・ヘップバーンが愛した詩、サム・レヴェンソンの詩です。 そして、調べたところによるとこの詩には続きがあることを知りました・・・ 「女性の美しさは 身にまとう服にあるのではなく、その容姿でもなく、髪を梳くしぐさにあるのでもありません。女性の美しさは、その人の瞳の奥にあるはずです。そこは心の入り口であり、愛情のやどる場所でもあるからです。女性の美しさは、顔のほくろなどに影響されるものではなく、その本当の美しさは その人の精神に反映されるものなのです。それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、その美しさは、年を追うごとに磨かれていくものなのです。」 この本に出会えたことに、この詩に出会えたことに心から感謝したい思います。
2012/05/04
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焦らず 止まらず 退かず
2012/01/06
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たいした人生も生きていないのに、いっちょまえに誰かに助言してみたり,批判してみたりする でもよくよく考えてみると、それって自分への言葉だとも思える。
2011/12/27
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どんな物事にも、人にも、出来事にも裏表がある 大切なのは 自分がどう受け入れるかだ
2011/12/23
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もしも、眠れないほどの「悩み」があるなら、 さらに、深刻な「悩み(問題)」を作ること そうしたら、現在の悩みは深刻ではなくなるはずだ そして、思い悩みすぎて体が疲れるはずだから そうなったら、眠れる もしその時点でまだ眠れないのなら、さらに問題を作る 眠ることをあきらめずに。 思い悩むことはそれは、人生の「経験」という財産を積んでいること 今は答えが出なくても、なかなか行動に移せなくても、ある日ふと瞬間にその機会はくる 不安になることを恐れない 新しい深刻な悩みを作ろう そうしたらぐっすり眠れる 目が覚めたら、新しい答えに会える
2011/12/22
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「正論・・・」の日記を更新して思ったようは、正論とは自分の信じていることだ信じていることであれば、誰に何を言われようと貫き通すことだと思う。自分で言った事に対し、思い悩んでしまうのは、自信をもてないでいるのは、まだまだ未熟な証拠ですナ(笑)単純に「正論」と言われたくなかっただけなのかも知れない。だが、もちろん夫を非難するわけじゃない人間は誰しもが、自分だけは他人とは違うと思う心理があると思っているのだけど、私のことも同じで、自分の発言した言葉に「面白いね」とか「そういう考えがあるんだ」とか珍しいと感じてもらえることに満足感があったのだと思う「正論」を「世間一般的」と思い入れてしまっただけのことそういう意味で言われたことかも知れないけど、それはそれで自分に揺るぎない自信があればぐらつくこともないのだそんなこんなで、まだまだグラグラです一本何かをぬかれたら、崩れてしまうのが今の私なのかも知れない
2011/12/18
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夫と「浮気」についての価値観を話すことがあった。夫は、「男が浮気に走らないためには、奥さんがいつも旦那さんを喜ばせてあげることができていたらならないのではないかな」ということを言う。そして私が思うことは、男性のほうが女性より常にいつも、「より美しい人」、「より今の状態よりもいい状態」を求めていく傾向が強いと思う。本能的に子孫をたくさん残したいと思っているし、支配欲も強い。大昔の源氏物語でも華やかな恋愛風景が語られているように浮気がない世の中はあるのかなと私は思う。そして、男性よりも、女性のほうが体の衰えも激しい。男性は幾つになっても、たとえ体が美しくなくとも相手はいくらでも見つかる可能性が女性よりもはるかに高い。常に別の男性を求めている女性もいるだろうが、男性よりも「浮気」より、内面の豊かさを大事にする女性のほうが多い。ということを彼に伝えた。すると夫は「正論すぎてなにも言えない」 と言うこの言葉が何か引っかかり、面白みも何にもないなと自分に退屈しそうになった正論、って何?
2011/12/18
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ここ数年の間に、就職活動をしている大学生の方たちの中では、「数十社受けました」という事が当たり前になってきている。彼らに聞くと、「3ケタ」の会社を受けても決まらないという方もいるのだそう。就職難・・・確かにバブル世代の頃に比べたら、いまは簡単には内定がもらえないのかも知れないが気になることが私の中にはぼんやりとあったそもそも「数十社」も行きたい会社があるの?3桁は問題外。私の例で言えば、私は大学は行ってません。高卒でその高校でさえも3年生の最後のほうは欠席ばかりで単位も足りず、最終的には母が先生に何か相談をしてくれて、なんとか高校の卒業証書を受け取ることができたという、なんとも情けない卒業のあり方だと私自身も感じる。その後働きに出るわけだけど、仕事を探して面接を受け、結果が出るまでは常に一社・一社で進んできた同時に何十社も受けて返事を待つなど、考えも浮かばなかった時代背景もあるかも知れないが(今は32歳)、受けても2.3社くらいで決定してきた。今年入社してきた、大学院卒業の新入社員に 「なぜこの会社を受けたの?」と聞いたことがあるが、その社員は「ここしか受からなかったからです。」という。こちらとしては笑って流すしかない。力説しても分からないだろうから。私の受け入れ態勢が未熟なのは分かるが、「ここしか受からなかったからです」というのは身内に言うならともかく、現在その会社で働いている人を目の前にして言うことかな?と考えてしまった。極端に言うと、会社を下に見ていて、それってそこで働いている人さえもそういう目で見ているということだと思う。何十社も受けても落ち続けるというのは、こういった心持ちが面接官に伝わってしまうのではないかな貴方が面接官であったらどうだろう?「御社以外も何社も面接を受けていて、内定待ちです」と言われるのと「御社以外受けていません」といわれるのとどちらと一緒に働きたいか?もっと極端にしちゃうと恋愛にも言える。「あなたの事は好きで付き合いたいと思うけど、他にも相手がいるんだ」という付き合い方と、「あなたと一緒にいたい。あなただけが好き」どっちがいいかと同じレベルだとも言える。こういうと、「仕事と恋愛は違います」とか「仕事はちゃんとやるけど私生活はだらしないの」という人がいるけど、行っているのは同じ人。そんなことってありえないに等しい。自分でそう思っているだけであって、本人が気づいていない時に「だらしなさ」というのは私生活にも仕事にも行いに反映されているものその逆に「よい習慣」だって同じだ。だから、本当に就職難なのかな?と企業側の都合だけなのかな?と疑問に思える今日。私が人を雇う立場であるなら、少なくともその業界を「好き」とまではいかなくても興味があり、ここで働きたいという人、そして何十社も掛け持ちしていない人を採用したい。そのような人と仕事をしてみたいと思う。何社受けても受からないと嘆く前に、「本命」や「キープ」とか「この職は安定」とか頭から消したらやってみたい職に出会えるのではないかな。
2011/12/17
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今日も実り多い一日でありますように!
2011/11/14
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今日は誕生日を迎えて32歳になりました^ー^ ここ数年、自分の誕生日を忘れはしないのだけれど、自分が今年幾つになるのかをすぐに思い出せないことが多い(笑) ある意味このままで年を重ねても幸せなのかも知れない 11月4日は平日で3日文化の日の祝日の後であったから何年かに一度は振り替え休日にもなりお休みになったことが小学生の頃からうれしかったのを覚えている そうはいっても、やはり4日は平日という事が多いので、家族とかでお祝いしてもらえるのは都合の良い前日の3日ということが多かったせいか、わがままかも知れないけどお祝いが4日でないことが多かったことが少しさびしくもあったかな 社会人になってから多分ほとんど有給を使ったりしてお誕生日はお休みすることの多い私。なぜか誕生日に働きたくないのです。(笑)一年や今までの人生を思い返したりといろいろしたくなるのも誕生日だからか、自分を解放してあげたいこともあって休日にしてしまいます♪ ちなみに夫の誕生日は11月23日の祝日なので、私は毎年「いいなぁお休みで~」とうらやましい気持ちになるのですが、夫いわく・・・「休日が誕生日だとバースデー休暇だって取れないし、(なにせお休みだから!)みんなに『おめでとう』も言ってもらえないんだぞ!」とのこと^^;彼にとってはあえてお休みをしている私の方がうらやましい思いもあるのだそう(笑) いやぁ、ないものねだりになってますね(笑)いろいろあっておもしろい! そういうわけで今日は誕生日 明日からも心新たに、健やかに前進していきたいと思います♪
2011/11/04
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私の敬愛するシャネルの言葉に「コンプレックスを武器にすればいい」 とある 初めてこの言葉をみたとき、心に留まる言葉ではあったけど自分に置き換えるとどうもよくわからなかった「コンプッレックス?」 「私にそういうものがあるのかな?」「シャネルだからこそ武器なのだ」・・・・とかマイナスにばかり考えていたのか、言葉の意味がわかるようなわからないような心もちだった でもなぜだか、日々の生活のなかでふと頭に浮かぶ言葉のひとつなのである 私の性質(性格)上、ゆとりを持って計画をたてたり行動するほうではなく、どちらかといえば期限が近づいて、「さてやるか」と力が入り、事が起こってから「何とかしよう」と意気込むタイプ夏休みの宿題はいつもぎりぎりで終わらせていた(笑)人との待ち合わせは遅れはしないが、準備まではいそいそしているほうである・・・けれども覚えている限り絶対に遅れないし、期限も守るタイプ そういうことって周りから見てもわかるようで、上司に「ホント、事前にならないとやらないよね。なんとかならない?」見たいな事を言われたことは今でもよく覚えている。 そのときはまだまだ未熟者で必死に「変わらないと!」「何とかしなきゃ!」と自分を追い詰めるか、自己啓発の本を読み漁るか、思い悩んでばかりで「その言葉」に振り回されてばかりだった そう、私のコンプレックスの一つだ それからいろんな人とのかかわりの中で、私と同じような人をみると、不思議と客観的にみれるよく考えると、あんなにも落ち込むことではないと思えるようになった この世に計画や正確さばかりがあふれたら窮屈なものになってしまうし、同じ人は二人としていない。ぎりぎりになって動き出す人は、ここ一番のときに力を発揮できる人だとも言える いつも遅刻ばかりする人は、一緒にいるときは思い切り楽しませてくれる人かも知れない ・・・・と、自分のコンプレックスをおおらかに考えられるようになり、客観的に見れるようになった こういうことも武器の一つになるのかも知れない
2011/10/30
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自分を過小評価しない 持っていないものより、ほしいものより、今持っているものを見直そう
2011/10/25
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10年近く前、今にして思うと、これから一生することはないのかも知れないと思う経験をしたことがあった きっかけは、父の再婚相手との些細な一言が大きく発展してしまい言い争いになり、悔しさと怒りに涙が止まらず、理性がきかなかったことがある そして父を巻き込んでのごたごた 今にして思うと笑い話になるかな あの時はお酒も頂いていたし、頭が破裂してしまうのではないかと思うくらいに泣きじゃくったため正直のところ・・・すべてを覚えていないのだ(笑) 結論を言えば娘の私のやきもちである しかし、この事件以来取り乱して理性を失うまで泣くことなど一度もない(この約10年ほどだが)今再び振り返り、じっくり向き合ってみると、「毎日は一回きり」なのだなぁとしみじみ感じた 同じことで毎回同じように感動すること、同じことで毎回悔しくて泣き続けることってそうそうないと思うそのときの気持ちはそれ以上にもそれ以下にもなるから。 怒りに震えて泣くことだって、その日そのときの体調、心境・・・などその日一日だけのコンディションの結果だ おかげさまで、この時期はたしか転職をするかしないかで悶々としていた時期なのだけれど、この先の不安とかそんな心配が一気に吹き飛んでしまった この先もこの事件は、おそらく一生忘れることはないだろうと思う結構いい思い出だ(笑) よく自己啓発の本などには「ポジティブ」や「他人の前では(職場ではとか)何があっても冷静に対処しよう」とか前向きな言葉を見かけることも多い。 それも確かに正しいのだが、日々は一生で一度きり。 大げさかも知れないけど本当に今一度きりなのだ時に怒りをあらわに出すことも必要ではないかと私は思う 「怒り」があるときって、精神的悩みは吹き飛ぶそして我慢が積み重なるから、ストレスや、ある日突然切れてしまうことにつながるのではないかと思う自分を自制しすぎずに解放するときも時にはあっていい 日々は一回きりだし、そのときの自分の選択も一回きりなのだ これは誰に伝えたいというよりも、自分にも言い聞かせたい 日々の選択で人生が作られていくのなら、もっと気持ちを開放的に(怒りでも、喜びでも)表現してもいいのではないか。
2011/10/14
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先日、電車の広告を見ていてこんな一文に目が留まった 「昔の人は己を高めるために学んだ。 今の人は他人の評価の為に知識をつける」 ある大学のキャンパス紹介の広告であったうん。なかなか我を振り返りたくなる言葉である。自分が好きなこと、夢中になっていることなどは他人の評価など気にしていないが、いざそれについて褒められたり、批評を受けたりした時はどうなのだろう行き過ぎると、己を高めると言うよりも、他人の評価を気にしてしまう時などがあるのだろうと思えたりもする 要は、自分がどう生きたいのか、人生という舞台でどういう役を望むのか どんな道であれ、他人の評価でなく「己を高める」ために学びたい。そう思うのであった
2011/10/14
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ブログにUPはしてないけれど、パンは相変わらず大好きで、ベーグルは初めての手ごねパンということもあり、思い入れのあるパンであるパン作りを始めた頃は、何でもかんでも(ナッツやフルーツやはちみつ等)たっぷりと混ぜ込む個性的な?パンを好んで食べて作っていたけど、最近は本当にシンプルになったと思う(笑)以前は三食がパン食が普通の私が、今では「お米」が欠かせない夏の暑さの中で心からお米を食べたいと思う自分に今年は驚いてしまったやはり日本人お米を食べるとほっとすると同時に力が沸いてくるそうであっても、パンは(も)私の一部と思えるので週末のパン作りは楽しみのひとつである作っても作っても新しい発見があります
2011/08/29
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いつも買ってばかりのグラノラをはじめて作ってみました^^材料をボールに入れ、オイルと蜂蜜でコーティングして混ぜ合わせてオーブンで焼く・・・という簡単な工程で出来上がるレシピはこちらを参考にしました【送料無料】パンとお菓子の本今回は蜂蜜使用をしたのだけど、メープルシロップや水あめなどに替えてもいろんなバリエーションが楽しめそうであるちなみに オーツ麦(オートミール)にナッツやフルーツをただ焼いたものが『ミューズリー』でミューズリーにオイルと蜜でコーティングしたものが『グラノラ』というそう^^
2011/08/28
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先日の母との電話でのお話。。 今回の震災や身内の話をしていたところ締めにこんなことを言った 「人生にはね、上り坂、下り坂があって、『まさか』があるのよ」と。 まさか・・・である 母には反抗してばかりいる私がすんなりと受けとめた。 いつ何が起こるかわからない 今日、こうして日記を更新できていることだって当たり前のことではないのだ 人生で一回限りのこと、二度と同じ日はもうないのだ
2011/05/10
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季節のお花をお供えし、静かに手をあわせる 今はなき家族や、失ってしまったことをおもう そしていつも心の中にそれらはいるのだと感じる 先祖があって、失ってしまったことがあっての私がいる たくさんのごめんなさいと、たくさんのありがとうがある
2011/04/24
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出来ないというのは簡単 出来る理由を考えるのだ どうやったら出来るのかを考える
2011/04/04
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東北地方太平洋沖地震において、亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。被災された被災地の方々が一刻も早く笑顔いっぱいの穏やかな日々が送れるよう心からお祈り致します。 歴史に残る大地震でした。 私自身も生まれて初めての今回の地震にただ愕然としてしまいました でもあきらめたくはないです。 今回の地震で日々の大切さを危機を感じて思い知らされました。 一日限りの今日,一日一日を大切に生きて生きたいと思う 放射能、節電、買い置き・・・・様々な問題を目の当たりにして、自らの生活を見直していく時なのだと思い、行動しています 今までがきっと恵まれすぎていたのでしょう 今がいい時期なのです 被災地の一日も早い復興と被災地の方々の生活が平和になるよう、そして日本経済がこの災害を機に新たな発展に向かうよう日々元気いっぱいに働きたいと思います
2011/03/23
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修行とは 良い状態のときも続ける やりたくないときや悪い状態の中でも続けること
2011/03/09
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たとえこの先 「目的」なるものが見出せなかったとしても 「気力」と「体力」だけは鍛えておこう。 心豊かに暮らす為に。
2011/02/28
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毎日を丁寧に暮らそう
2011/02/28
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今日も 大切な家族達、親類、友人達、今まで出会った全ての方達、 そして世界中の人々が愛情に満ち溢れた、笑顔の絶えない一日がおくれますように
2011/02/18
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日々更新! 毎日自分を更新していくこと
2011/02/16
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常にもっと良くなることを考える 自分にも。 身近な人たちにも。 自分の身をおいている環境にも。 考えること、遭遇したことにも。
2011/02/14
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寛大になろう 他人にも寛大に くよくよしてしまう自分にも寛大に そうすることによって、もっと豊かな心になる
2011/02/09
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エレガンスとは 相手を慮ること 【送料無料】イタリア伯爵夫人が教えてくれた魅力的な女性に変身するための8つのルール こういう本を読みました 何度も読み返したい本です
2011/02/08
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感情をコントロールする
2011/02/07
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最近ある小説を読んで思うことがあった きっと、この世のカップル達は前世において、「また会おうね」「また結婚しようね」「今度は友達になろう」などいろんな約束があって生まれ変わりであったのではないか・・・ということ 言い換えるとカップルだけでなく、自分が夢中になっていることや、なにげなくしていることなども前世からの想いがあるのかも知れない なお言うと、生まれきた私達も両親と約束してきているのかも知れない と、スピリチュアルな気分になるがなにか、なにかがあることだと思えたのだ 今回読んだ本は歴史小説で「一夫多妻制」「夫は通い婚」の時代であった。 その時代の女性は働くことをしなかったから、自分を磨き、夫を待つのみ(小説の中では) 夫が通ってくれずに考えすぎ考えすぎた上に病に伏し死んでしまうという人・・・もいたそうだ 今の現世と違い、違う意味での苦しみがあったと思う そして今の時代の私達は夫一人、妻一人の時代(国によっては一夫多妻制もあるけれど) こういう時代が訪れたことも、きっと前世の(その時代の)女性達の願ってやまない願いだった・・・のではないかと思える こう感じて心が温かくなった 一人の人と愛を育てていくことはすばらしいこと今のような時代に恵まれた環境に生まれてくることが出来て幸せに感じる 私の両親は残念ながら離婚という選択をしたカップルなのだけれど、いつだったか母が 「こういう結果になったけれど、でもパパと結婚できて良かった」と言っていたことがある 娘の私は本当に嬉しかった 両親達はまたつぎの約束があるのかもしれない
2011/02/05
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