いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

2007.12.16
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 そもそも陶器を作るきっかけは、失業でしたね。

 会社に対して不信を持ち、争って、結局会社に居づらくなって辞めました。しばらくその不信感から再就職する気持も失せ、家で何もせずにいました。だんだん居心地が悪くなり、少し体裁を整える「安心を得る」ために粘土をいじったのが正直なきっかけです。まして母の大好きな陶芸だったのでその名分には最適でしたかね。

 ただ、その期間は必死で作りましたね。ある意味追い詰められていましたからね。ただ、やはり気持(体裁)の悪さは常について回りました。そして、縁があり、再就職する訳ですが、経済的・体裁的に満たされてしまうとモノ創りしたい気持が失せてしまいます。そして忙しくなって「仕事だけ」な感覚になると「変化を得る」ためのモノ創りが恋しくなります。

 小さい頃は、やはり存在を「認められたい」・「褒めてもらいたい」的にモノ創りをしていたように感じます。また人との直接のコミュニケーションが苦手であった私にとってはスポーツ等と同様その手段であったことも感じています。ただ、社会人になって仕事でそういった欲求がある程度満たされると、「安心・変化を得る」ような意味合いが強くなったように感じます。

 そしてまたモノ創りには、自分にしか理解できない世界観を創ることにより、その世界観の中においては、誰よりも上位で居られるといった「安心感」も得られたりするんですよね。結局この「安心・変化」も「認められ(解ってもらい)たい」ですかね。いずれにしろ、純粋に「好き」といった感覚ではないように感じます。言い訳や溜まったモノを吐き出すような。

 美術館に行くと頭痛がするのは、「共鳴」とか言って、そんな自分の感覚を他人の作品に当てはめるからかもしれませんね。もちろん日常的に好きなこと(欲求を満たす)をしている(勝手な私の想い込みですが)人への「嫉妬」は大きいと感じていますが。もっとも、「好き」という感覚も、欲求が満たされた行為・モノに当てられることが多いようにも感じられます。

 会社に反抗している時は、仕事よりも「反抗」自体にやりがいを感じていましたね。「変化」を求めるように。そして辞める(変化が起こる)と、今度は「安定」が欲しくなるんですね。これまでの人生、それの繰り返しのように感じています。また、反抗したくなるきっかけも、表向きのモノとそうでないモノとをいつも一緒に感じています。 

 人は、「変化」も「安定」も求めるんですよね。矛盾しますよね。究極の「安定」(安心)を求める過程が「変化」(不安)とか?でも私は常に刺激が欲しいし・・・。「攻・守」や「活・休」・「静・動」・「陰・陽」とかいうバランスの話になるんですかね?いずれも「欲求」(ワガママ)の形とも感じますがね。「無いモノねだり」と言いましょうか・・・。

 少なくともこんな私には、生きていく上で大切な無限の「想い」サイクルであることは実感しています。ただ、「安定」(安心)も「不安定」(不安)からの変化でしょうし、逆も含め、世の中常に変化なんでしょうけどね。(笑)(07.12.15著)

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 私は「片付け」が苦手です。

 何か建設的でなくて、とても無駄なことのように感じるんですよね。もっとも仕事となれば別ですが・・・お金になるので、ある意味建設的に感じるのでしょうね。そして一度「片付け」を始めてしまうと止まらなくなるんですよね。部屋の「片付け」を始めると、全く別の部屋になってしまいますね。新しい家具を造り増したり、逆に何も無くなってしまったり・・・。

 「片付け」をするにあたって自分の中に建設的な「言い訳」が欲しいようです。そして一度始めると徹底してやらなければ気が済まなく、とても大事になるので始めることがとても憂鬱になってしまうようにも感じます。私の周りの芸術家的気質の人にも同じような癖を感じることが少なくないですね。何かバランスをとるような感覚さえ感じます。(08.9.18著)

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 学生時代に美術の「自由課題」で作品を提出出来なかったことがあり・・・

 完全に自由だったので、どうしたら良いか解らなくなってしまったんですよね。あまりにも選択範囲が広すぎて、創るモノのきっかけが掴めないといいましょうか・・・。その点建築には色々な規則が沢山ありまして、とても計画(計算)的なイメージもありますが、それを一つ一つクリアしていくことで、時に思いも付かないデザインが出てきたりするんですよね。

 例えば金属やコンクリートなどで造られた角ばって固いイメージのモノを、例えば布や毛糸など角を出しにくい柔らかい材料で、ある意味無理やり再現してみただけで、なんとも想像もしていなかった別の創造物(オリジナル)のようになったりしませんか?これも「規制」(材料の性質の違い)による一つの効果だと感じますかね。逆転的発想でもありますかね?

 どうですかね?デザインに拘らず、時にはそういった「規則」の中にいることで、逆に色々なアイデアが広がったりしませんかね。何をやったら良いか迷う辛さもなく、逆に楽に過ごせたりしませんか?例えば・・・「最近の女子高生は、休日でも制服で遊ぶ」・・・先日TVで見ました。普段の制服とは別に、「なんちゃって制服」とかいうモノを持っているようです。

 「高校生の時にしか出来ない格好だから」という答えが多い中、ある女子高生のインタビューで「私服になるとどんな格好して良いか判らない」と言っていましたね。自分のセンスに自信がなく、服選びやコーディネートに煩わしさを感じているようですね。ある程度大まかに決められたルールの中で細かい所で個性を出しているようですね。

 私は大学生の時は、2日と同じ格好をするのが気持ち悪くて頻繁に髪型や服を変えていましたね。周りの反応も楽しかったのですが、1週間に3度自分でパーマをかけ直して髪の毛がブッツリ切れたり、ズボンを裏返して穿いてみたり、新しいモノを切ったり縫ったり折ったり重ねたりして3日でダメにしたり・・・恥ずかしいから実家には帰ってくるな!って。(笑)

 そのうちに周りが期待しているような気がして、自分自身で変なプレッシャーを創り、やめられなくなって毎日が辛くなっていましたね。その反動からか今ではもっぱら無地の一張羅で毎日を過ごす事が多いです。ただお店に行くとどうしても派手目な服に目が行くのですが、「何処に着ていくの?」と自問し、昔の派手な服も箪笥の肥しとなっています。(09.7.8著)

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 日本は外国からなめられる?

 最近の領土問題に対する日本政府の対応の甘さにそんな懸念も出てくるでしょうね。私も、特にその日本の対応に対しての外国の反応を見ると腹も立ちましたが、国益を守ると称し、主に経済的なモノを最優先したような日本の態度にもがっかりもしましたかね。ただ、日本国民が某国のように他国の旗を燃やすような気質であったらそれもがっかりですかね?

 おそらく諸外国の反応を見て、「ガキみたいな・・・」的印象を持った人も少なくないと感じますが、日本人の多くは表向きの勝利だけでは全ての欲求を満足できる気質ではなさそうですね?時には「負けるが勝ち」的、もう少し志の高いと感じられる勝利を好んでいたりもしますかね?もっともその「志の高さ」も日本の勝手な価値観であるようにも感じますがね?

 自分ではもっと次元の高い所で勝負して勝ったつもりになっているのに相手はそれに気が付かず、解り易い表向きの勝負に勝って喜んでいる相手の姿を見てシャクに触ってみたり・・・ただそれを相手に理解させようと説明することもその「志の高さ」から外れるような気がしてプライドが許さなく、結局自己満足で我慢するしかなくて消化不良になって・・・

 実力のある外国人横綱を「品格が無い!」として追い出した国ですし、おそらくここまで我慢(無関心?)出来る民族は他には少ないと感じますから、今回の政府の対応の結果には国家間のいざこざを治めた「大人な国」として、もう少し理解を示しても良さそうな気もしますがね?ただ政治家からは「志の高さ」よりも自己保守的な対応しか感じませんでしたけどね。

 「ガキみたいな・・・」国に認められて嬉しいですか?残念なことに少なくとも悪い気はしなかったりするんですよね?やっぱり自己満足に終わるのではなく、例えそれが尊敬を置かない人達であっても、他人に認められて初めて満たされることが世の中少なくなく、人により生きる意味などがそんなところにあったりもするんでしょうね?また巡りました。(10.11.7著)

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 ‘11を象徴する漢字は「絆」でしたね。

 大きな震災に対し、全国から沢山の寄付や志が集ったり、現地での秩序ある行動が世界的にも尊敬を受けたりして、日本人全体の気質を褒められているようで誇らしささえ感じましたかね。私は直接被災した立場ではないのでそこに便乗している感があり、同時に少し引け目も感じていますがね。そして同時に「絆」の薄さも露呈してしまったようにも感じますかね。

 例えば政治家達の対応ですが、相変わらず自分達の身をほとんど削ろうとせずに、「日本全体で痛みを分かち合おう!」的な体裁の良い名目を掲げ、消費税を上げる話が先に進んでしまっているようで・・・そしてまた、瓦礫の処理に対して他県への協力の要請があるにも拘らず、受け入れ先からは反対の声が少なからず上がってしまっているようで・・・

 前者に関して「日本全体で痛みを分かち合おう!」的な考えで言えば、例えば議員定数などを削る方法では一部の人達だけが痛みを被るので、議員全員の歳費を3分の1くらいまで下げれば良いと感じますがね。そもそもこんな事態でなくても一般の給料の平均が500万円にも満たないのなら、その税金で養われている彼らの給料は3分の1でも多いくらいじゃ・・・?

 後者に対しては、表向きは「日本全体で痛みを分かち合おう!」的な対応になっているように感じますが、それによって実際に強く被害(風評等)を被るのは一部の職業の人であって、そこから外れる人達はなにか自分も役に立った感覚に満足も出来そうですが、実質的には「日本全体・・・」というところからは大きく外れてしまっているようにも感じますかね。

 私に子供がいたり、風評を強く受ける職業に就いていた立場であったなら、そこを押してでも賛成にまわれる自信もないですかね?というよりも、私の気質上そういった自分の正義観を通せないような立場には最初から身を置かないのでしょうけれどね。そしてヒトの基本に「欲求を満たす」があるのなら、その正義観自体も様々で信用は置けないですが・・・(12.1.7著)


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Last updated  2012.09.29 13:08:26
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